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こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編   地霊殿編 第5話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編

公開日:2017年10月07日 / 最終更新日:2017年10月07日

地霊殿編 第5話

―13―


「おーい、キャプテン。お客さんだよ」
 ヤマメさんがそう呼びかけると、セーラー服の少女は、その無感情な目を胡乱げに細めてヤマメさんたちと私たちとを見回し、「……人間?」と訝しげな声をあげて立ち上がった。
「そう。地上から落っこちてきた人間」
「地上から!?」
 瞬間、少女の瞳に輝きが現れる。一瞬前の能面のような無感情が嘘のように、少女は期待に目を輝かせて、いきなり私たちの元へと駆け寄ってきた。
「聖は!? 聖の封印は解けた!?」
「え、な、何の話?」
「どうどう、少し落ち着きなって」
 鼻先数センチまでいきなり詰め寄ってきた少女に私たちが目を白黒させていると、ヤマメさんがその肩を掴んで私たちから引きはがす。
「あー、おほん。この子はキャプテン・ムラサ。ワケあって相当昔にこの地底に封印された船幽霊。で、こっちが蓮子とメリー。地上から落っこちてきた里の人間」
「ムラサです! 船長って呼んでいいよ。っていうか聖は解放されたの!?」
「だーから落ち着きなって。そっちの事情を知らなきゃこの子らも答えようがないじゃない」
「え、ヤマメちゃんそのぐらい説明しといてよ」
「ひとに丸投げしないでおくれ。そっちの事情はそっちが説明するのが一番正確だろ?」
「それより先に聖のことよ!」
 ムラサと名乗った少女は、やたらフランクな調子でヤマメさんと言い合いを始め、それからまた私たちの方へと身を乗り出してきた。そのテンションの高さに、蓮子も酔いがすっかり醒めた顔で目を白黒させている。
「ねえ、聖は解放されたの? 聖白蓮、偉大なる仏僧にして魔法使いの聖白蓮が復活したって話に心当たりない!? 地上に毘沙門天を祀ったお寺とか興してない?」
「ひじり、びゃくれんさん? メリー、聞いた覚えある?」
「……無いわね」
「私も無いわ。お坊さんで魔法使いなの?」
「お坊さんじゃなくて尼!」
「あ、女性なのね。どっちにしても聞いたことないわね」
「――そっか。やっぱりまだ聖は封印されたままなんだ……」
 がっくりと肩を落として、ムラサさんは「ああー、もう千年よ千年! いい加減解放されてもいい頃じゃない!」と頭を抱えてわめく。
「えーと、船長さん? どういう事情があるのか、詳しく聞かせてもらえないかしら」
 蓮子がそう声を掛けると、ムラサさんは振り返って「んー?」とまた胡乱げに目を細めた。
「あ、私は宇佐見蓮子。こっちは相棒のメリー。地上の人間の里で、探偵事務所をやってるの。おかげで色々と幻想郷の中では顔が広いから、何か力になれるかもしれないわ」
「探偵?」
「世界を面白くするために秘密を探る者のことよ。その封印されているっていう、白蓮さんだっけ? その方のことも探偵事務所としてはたいへん気になるところですの」
 いつもの猫のような笑みを浮かべた蓮子に、ムラサさんは品定めするような視線を向けてしばらく腕を組んで唸り、「――よし!」とぽんと手を叩いた。
「こんなところで立ち話もなんだから、ウチに案内するわ。この船長に付いてきて」
 言うが早いか、こちらの返事も待たずにムラサさんは歩き出す。私たちは顔を見合わせ、慌ててその後を追いかけた。

 で、案内された先にあったものといったら――。
「……船?」
 血の池地獄から、さらに狭いトンネルを抜けた先。開けた空間に、どどん、と鎮座しているのは、全長三十メートル、帆柱も二十メートル以上はあろうかという帆船だった。地底の空洞の中、水の上ではなく岩盤の上に巨大な帆船が鎮座しているという光景は、ボトルシップめいて非現実的な光景である。
「そう、このキャプテン・ムラサが船長を務める、聖の乗る船、聖輦船! ……を、封印されてからこのかた千年、どうにかここまで直したんだけど」
 はあ、とムラサさんは何やらため息をつく。「なーにがこの方千年よ、ほとんどこの数十年で私が手伝ってやったんじゃない」とヤマメさんが文句を言い、「そりゃ言いっこなしでひとつ」とムラサさんは苦笑する。それは構わず、蓮子は船を見上げて「この船が千年……?」と首を傾げていた。
「どうしたの、蓮子」
「いや、これどう見ても菱垣廻船なのよね。江戸時代の」
「ええ? 千年前じゃ平安時代じゃない」
「平安時代に菱垣廻船が存在したらオーバーテクノロジーもいいところだけど……」
「あ、なになに、聖の船を何か疑ってる? 許せませんなあ」
 じろりと半眼でムラサさんがこちらを睨む。「いえいえ、千年前にこんな立派な帆船が存在したとは素晴らしいと感心しているのですわ」と蓮子が両手を挙げると、一転してムラサさんは満面の笑みになり、
「そーでしょう、そーでしょう! 聖ってばすごいのよ! 法力で飛倉を改造してこんなすごい船にしちゃうんだから! そりゃ船幽霊も改心して仏教に帰依しますとも」
「自分で言ってりゃ世話ないねえ」
 呆れ顔でヤマメさんが肩を竦める。
 と、不意に頭上から「何奴!」と鋭い声がかかった。私たちが顔を上げると、帆船の甲板に人影が立ち、ついでに何やら雲のようなモヤモヤが漂っている。人影はその雲に飛び乗って、私たちの元へと急降下してきた。
「あ、いっちゃん!」
 ムラサさんが手を振ると、雲の上の人影は「あ、おかえりムラサ」と拍子抜けしたような声をあげ、それから私たちの方を見やって「何者?」と身構えた。尼さんのような頭巾を被った少女である。雲の上から降り立ったその少女に、ムラサさんが駆け寄り、何やら耳打ちをした。少女は驚いた顔で私たちを見つめ、「これはこれは」と頭を下げる。
「失礼いたしました。地上の方に姐さんの復活に協力していただけるとは、感謝の至りです。私は雲居一輪、聖白蓮の弟子のひとりです。それから、こっちは入道の雲山」
 と、彼女が先ほどまで乗っていた雲がぬるりと形を変え、少女の背後にわだかまり――そしてそこに、いかつい顔が浮かんだ。私たちは驚いて後じさる。
「ああ、怖くないですよ。顔は怖いけど」
 ぽんぽんと入道を叩いた一輪さんに、入道が何か抗議するような視線を向けた。「怖いのは事実でしょ。ほら、怯えているじゃない」と一輪さんが言い返す。入道の声は聞こえないが、どうやらふたり(?)の間では会話が成立しているらしい。
 というか、それはそれとして、何やら話が微妙にねじ曲がっているような気がするのだが。私たちはその聖とやらの復活に協力するとまでは言った覚えがないのだけれども。
「とりあえず、皆さん船の中へどうぞ」
「ああ、私とキスメは遠慮しとくよ。そっちのあの長い来歴の話するんだろ? 一回聞いたからキスメとこのへんで遊んでるよ。終わったら呼んどくれ」
 一輪さんがそう招いたが、ヤマメさんはそう言って手を振る。「あら、そう?」とムラサさんはちょっと残念そうに言い、「じゃ、おふたりさん、雲山に乗って」と私たちに手招きする。一輪さんが何か指示すると、入道は私たちの足元で平たくなった。これに乗れということらしい。おそるおそる足を載せると、ぼふん、と柔らかい毛布のような感触。
「おお、筋斗雲に乗るのってこんな感じなのかしらね。まさにこの世はでっかい宝島」
 ぼむぼむと蓮子が足元を叩くと、「あんまり叩くと雲山が怒りますよ」と一輪さんが苦笑した。慌てて蓮子が手を引っ込めたところで、ふわりと入道は私たちを乗せて浮き上がる。
 早苗さんに抱えられてそれを飛ぶのはもう慣れたものだが、雲に乗って飛ぶのは初めてだ。これはどっちかというと魔法の絨毯の感覚に近いかもしれない。ファンタジーが現実になるという意味で正しく幻想郷的である。
 ともあれ、私たちはかくして地底の船、聖輦船へと乗りこむことになったわけである。




―14―


「よく考えたらお客さん招き入れることなんて考えてなかったわ、この船」
 甲板に降り立って船内に案内されてから、ムラサさんはそんなことを言いだした。
「どうしよ、いっちゃん。応接室なんてないよ。聖の部屋に案内するわけにもいかないし」
「船長室でいいじゃない。椅子ぐらいあるでしょ」
「四人分はないよ?」
「私らが立ってればいいでしょ」
「おお、それもそうね」
 結論が出たらしく、私たちはそのまま船長室に案内された。船長室と言っても、釣り寝台に机があるだけの簡素なものである。ムラサさんは朽ちかけた椅子をふたつ引っ張り出してきて私たちに勧めた。ちょっと体重を掛けたら壊れそうな椅子で、私たちはこわごわ腰を下ろす。
「というわけで、えっと――私らの来歴の話だっけ?」
「ええ、どうしてこんな立派な船が地底にあるのか、聖白蓮さんとは何者か、過去に何があったのか。まずはそのへんの詳しいお話をお聞かせ願えればと」
「長い話はムラサに任せるわ」
「はいはい。それではキャプテン・ムラサが語ってしんぜましょう。偉大なる僧侶聖白蓮と、私たちの出会いからしばしの別れまでの一大叙事詩を!」

 ――ここでムラサさんが迫真の一人芝居で語った物語の全てを書き写したら、それだけで紙幅が埋まってしまう。船長の話はたいへん面白く、一級の芸になっていて飽きさせない語りだったが、それをここに文字で再現する自信もない。なので、ばっさりダイジェストにまとめると以下のような話である。
 その昔、命蓮というたいへん偉いお坊さんがいた。その姉の白蓮は、命蓮から法力を学んでいたが、命蓮の方が先に死んでしまい、白蓮は命蓮の志を継ぐため、魔法の力を手に入れて若返り、仏道を広めるために各地を旅していた。
 そんな中、人間を襲うために恐れられていると思われていた妖怪が、実は人間を襲わないような妖怪までも、人間から不当な迫害を受けていることに白蓮は気付き、人間も妖怪も変わらないという人妖平等主義に目覚めた。そうして現在の幻想郷に近い山中に寺を開き、人間に仏道を広める傍ら、こっそり妖怪を助け始めた。
 ムラサさんと一輪さんも、そうして聖白蓮に救われた妖怪なのだという。ムラサさんは乗っていた船の事故で亡くなった地縛霊で、悲しみから通りかかる船を沈める妖怪と化したのを、聖白蓮が新しい船を与えて救った。その船が、今ここに鎮座している聖輦船らしい。
 一輪さんの方はもともと人間で、暴れる見越し入道を退治に行き、見事退治して従えたが、そのことで逆に入道と同じ妖怪と見なされるようになって、そのまま入道と生きていくうちに妖怪化したのだという。魔王を倒した勇者が次の魔王になる、みたいな話だ。
 ともかくそうして、聖白蓮は人間に対して仏道を広める傍ら、裏で妖怪を救って匿っていた。ムラサさんや一輪さんも、聖白蓮の寺で、人間の弟子を装って暮らしていたらしい。聖白蓮は強い法力をもった聖者として、人間たちのあいだでも尊敬を集めていた。
 だが、妖怪を救っている事実が露顕すると、一転してその強い力は恐怖の対象となり、聖白蓮は悪魔として糾弾されることになった。寺は武装した人間に取り囲まれ、一歩間違えば寺の妖怪と人間たちの間で凄惨な殺し合いが起こりかねない一触即発の状況の中、当時の博麗の巫女の要請で、閻魔が裁定に乗り出したのだという。ムラサさんたちは閻魔の名前は知らなかったようだが、遠目に見たという容姿の描写からすると、私たちが花の異変のときに説教を受けた閻魔様、四季映姫さんのようだった。
 閻魔様と聖白蓮の間にどんなやりとりがあったのかは定かでない。ムラサさんたちはその間に寺を脱出して逃走していたからだ。だが結局、聖白蓮は閻魔の裁定に屈して魔界に封印されることとなり、ムラサさんと一輪さんは逃走の途中で捕まって、船とともに地底へ閉じ込められた。そうして千年近く、こうして地底に暮らしているのだという。

「私たちにはあと二人、仲間が居ます。毘沙門天の弟子となった、虎の妖怪の寅丸星。それから、そのお目付役であるネズミのナズーリン。ふたりはおそらく逃げ切って、地上に隠れているはずです。なんとか地上へ脱出して、ふたりと合流し、魔界に封印された聖を解放しに行きたいのですが、この千年チャンスはなく……」
 一輪さんはそう言ってため息をついた。「ねー」とムラサさんも頷き肩を落とす。
「あのー、地上へ通じる縦穴がありますけど」
「それはもちろん知ってるよ! でも、あそこから出ようとすると橋姫に邪魔されるし、私たちも地底の妖怪だから、無理に抜け出して旧都に迷惑は掛けたくないし……それに、聖を解放するにはこの船が必要なの。私たちだけが脱出しても意味がないのよ。この船には、聖の法力の大部分が封じられてるから」
 確かにこの船の大きさでは、あの縦穴は通れないだろうし、そもそもそこに辿り着くまでのトンネルで引っ掛かってしまうだろう。
「ここから地上まで穴を掘る……のも当然試したわけですよね」
「地盤が崩壊して旧都まで被害が出かねないから止めろってヤマメちゃんに止められたわ」
「なるほど……」
「それでさあ、地上はどうなってるの? 聖がまだ復活してないのは解ったけど。ヤマメちゃんたちがこっち来たときに、なんか結界で一帯が隔離されたっていう話は聞いたんだけど、それ以降どうなってるんだか全然情報がなくて」
 ムラサさんはこちらに身を乗り出してくる。「いやあ、私たちも新参者だから詳しい歴史までは知らないけど」と断りつつ、蓮子は幻想郷の現状についてつらつらと語った。ムラサさんたちが主に食いついてきたのは、やはり現在の幻想郷の人妖関係である。
「じゃあ、人間と妖怪はわりと仲良くやってるってこと?」
「やー、もちろん一線は引いてるし、あんまりお互い刺激し合わないようにしてるけど。温厚な妖怪が里に買い物に来ることもあるし、半人半妖の慧音さんみたいな人が人間として里で暮らしてるし……阿求さんたちも幻想郷は平和になったって言ってるから、たぶんそちらが知っている頃よりも、地上の人妖関係は融和の方向に進んでると思いますわ」
 蓮子の言葉に、ムラサさんと一輪さんは顔を見合わせ、そして手を取り合った。
「やっぱり……!」
「姐さんは間違ってなかった……!」
 そのままムラサさんと一輪さんは、がっしと抱き合ってわんわんと泣きだしてしまう。
「いっちゃぁん、やっぱり聖は正しかったよぉ」
「うんっ、うんっ――姐さんがあの頃やってたことは無駄じゃなかったんだ」
 ――先ほどまで、聖上人の物語をムラサさんの熱演とともに聞かされていた身としては、ちょっともらい泣きしてしまう話である。私がこっそり鼻を啜る横で、蓮子が「いい話ねえ」とわざとらしくハンカチを目に当てていた。全く、調子のいい相棒である。




―15―


「地上がそういう状況なら、やっぱり聖はもう解放されていいはずよね」
「ムラサ、私たちも諦めず、脱出の方法を考えましょう」
 結局、そういう話になったらしい。何にせよ、地底での幽閉生活に倦んでいたふたりに希望を与えることが出来たならば、私たちが地底に来た甲斐もあったというものだろう。
「私らも、何か力になれることがあったら協力しますわ」
「蓮子、またそんな安請け合いを……」
「ああっ、やっぱり人間と妖怪はわかり合えるの!」
「わかり合えますわ。私も妖怪のお友達たくさんいますから」
「素晴らしい! 聖万歳!」
 がっしとハグする蓮子とムラサさん。妖怪たらしもここまで来ると芸術の域だなあ、と横から眺めながら私は思う。蓮子は何か妖怪に好かれるフェロモンでも出しているのだろうか。
「蓮ちゃんメリちゃん、ありがとね!」
「次は地上で会いましょう!」
 甲板で手を振るふたりに見送られて、私たちは入道に乗って聖輦船を後にした。私たちが地面に降り立つと、入道はそのいかつい顔を私たちに向け、目礼するように一度目を伏せ、ふわりと一輪さんの元へ飛んでいく。見た目は怖いが、優しい入道なのかもしれない。
「蓮ちゃんメリちゃんだって。蓮ちゃんって呼ばれたの小学校以来かしら」
「こっちは蓮子が勝手に縮めた名前をさらに縮められたんだけど」
「メリちゃんメリメリメリケンパウダー?」
「何が裂けてるのよ、それ」
 くだらないことを言い合っていると、「おっ、話は終わったかい?」と血の池地獄の方からヤマメさんとキスメさんが顔を出した。
「面白い連中だろ?」
「面白いというか、応援したくなりますね」
「あいつらの地上脱出計画かい? あんなでかい船をどうやって地上に出すんだかねえ」
 呆れ気味に言うヤマメさんに、「いやあ、過去に埋められたんですから掘り出す術もあるでしょう」と蓮子は笑う。
「あれを地上から掘るのかい?」
「ちょっとした遺跡発掘ですね」
 それどころじゃないと思うが。
「ま、ともかく旧都に戻るよ。そっちの目的は地霊殿なんだろ?」
 おお、そういえばそうだった。ムラサさんの話に引き込まれているうちにすっかり忘れていたが、私たちが地底に落っこちたのは、湧きだしてきた地霊のためであるからして。
「勇儀さんから求められた条件は果たしたし、戻ったら地霊殿に案内して――」
 ヤマメさんがそう言いながら、キスメさんの入った桶を抱えて歩き、
 そのまま、がつんと地底の壁に激突した。
「あ痛っ」
 主にぶつかったのは抱えられていた桶である。キスメさんが壁に頭をぶつけ、その反動でのけぞった後頭部がヤマメさんの鼻面に激突する玉突き事故。さすがの妖怪も不意の事故には弱いらしく、そのまま尻餅をついてしまった。
「いったぁ……ごめんキスメ、大丈夫?」
 鼻を押さえながら、ヤマメさんは桶を除く。キスメさんは額と後頭部を両方押さえながら涙目になっていた。ヤマメさんも呻きながら、「あれ、なんで……?」と自分がぶつかった壁に視線を向ける。なんでも何も、壁に向かって直進していったのは自分自身ではないか。
「え、ちょっと今何にぶつかったの?」
 いや、だから壁だろう。私が訝しんでいると、隣で蓮子も「ええ?」と不思議そうな声をあげて、ヤマメさんの横に歩み寄り――探るように、その壁に手を触れる。
「あれ? ねえメリー、見て見て、見えない壁がある!」
「――へ?」
 壁以外の何物でもない場所をぺたぺたと触りながら、蓮子が意味不明なことを言いだした。
「ほら、メリーも触ってみなさいよ! ここ、トンネルのはずなのに見えない壁があるの。ヤマメさんたちはこれにぶつかったんだわ。結界かしら?」
「……え? 蓮子、ちょっと、何言ってるの? まだ酔ってる?」
「は? だからメリー、触ってみなさいってば。あ、それともメリーには結界の裂け目が見えてるの?」
「いや、そうじゃなくて――やっぱり酔って幻覚見てるでしょ蓮子」
「何言ってるの、だからここに見えない壁が、ほら――」
「だから、そこは元からただの壁じゃない!」
「へ?」
「え?」
 話が噛み合ってない。私の目にはどう考えてもただの壁にしか見えない場所を、蓮子はしきりと不思議そうに触っては「見えない壁がある!」と言っているのだ。意味がわからない。どう見たって蓮子がおかしくなったようにしか思えないのだが。
「……え? メリーにはここ、ただの壁に見えてるの?」
「それ以外の何に見えるのよ」
「いや、だからさっき通ってきたトンネル」
「トンネルはそっち」
 私は蓮子とヤマメさんのいる場所から右斜め三十度ぐらいの場所を指さす。この場所へ通じるトンネルは、ふたりが壁に激突した場所から五メートルほど横に口を開けているのだ。
「え? いや、そここそただの壁じゃない」
「は? 何言ってるのもう――」
 私はトンネルの方に歩み寄り、「ほら」とトンネルに腕を差し入れる。
「わ、メリーの手が壁をすり抜けてる!」
「ええ?」
 唖然とする私の傍らで、蓮子は私のいる場所と、自分の目の前の壁とを見比べ、「――あっ、そういうこと!」とぽんと手を叩いた。
「そうか、ここは本当はただの壁なのね」
「いや、だから元からただの壁」
「それがトンネルに見えたから私もヤマメさんもぶつかったの! たぶんここに何か偽装結界的なものが張られて、本来壁の場所をトンネルに、トンネルの場所を壁に見せてるんだわ。メリーの結界探知機な目には、たぶんその偽装結界的なものが効果を為してないのよ。ほら、にとりちゃんの光学迷彩とか、鈴仙さんの位相ずらしを見破るみたいに」
 ――ああ、そういうことか。蓮子とヤマメさんには、ただの壁がトンネルに見えているのだ。そりゃあぶつかりもするだろう。だけど、河童の光学迷彩や鈴仙さんの能力に対する見え方とは明らかに違う。それらは私には、その場の光景の違和感として探知できるのであって、隠れたにとりさんや鈴仙さんの姿が丸見えになるわけではない。基本的には蓮子と変わらない風景を見ているのだが、私はそこに常人には見えないズレを見つけられるというだけだ。
 だが、今のこの状況は。私と蓮子とで、見えるものが全く別になってしまっている。たいへん相対性精神学的状況ではあるが、これでは共同幻想も何もあったものではない。
「ああ――こんなイタズラは、あいつの仕業ね」
 鼻血でも出たのか、まだ鼻を押さえながらヤマメさんは立ち上がり、中空を睨む。
「出ておいで! って言っても出てこないだろうけど……」
「あいつって?」
「私もよく知らないのよ。ただ、さっきのムラサたちと同じぐらい昔から地底に住んでる、正体不明の妖怪がいるの。そいつは、ものの姿を別のものに見えるように変えるっていうイタズラが得意でね。勇儀さんも一度、盃が大きな煎餅に見えるようにされて、思い切り盃を噛んじまって酷い目に遭ってたわ」
 それは痛そうだ。
「全く……相手にしないのが一番だよ。ええと、本当のトンネルはこっちかい?」
「あ、はい。……じゃあ、私が案内した方がいいですよね」
「頼むよ。これが本当は壁だってんじゃ、私らには目の前の光景が信じられないよ」
 ため息をつくヤマメさんに苦笑を返し、私は目の前のトンネルに入り込む。蓮子とヤマメさんたちもおっかなびっくりトンネルに入り、「おおホントだ」と感嘆の声をあげていた。
 そのまま、私が先導する形でトンネルの中を進む。ほどなく血の池地獄の匂いが漂ってきて、私はちょっとまた鼻を押さえて目を細め――。
 血の池地獄が見えて来た、そのとき。
 その畔に、小さな女の子が佇んでいた――ような気がした。
「……あれ?」
 私は思わず目を擦る。確かに今、そこに女の子がいたような気がしたのだが――既にその姿は見えない。何かの見間違いだろうか。それとも、
 ――ぱたぱたぱた。
 今度は足音がして、視界の端をまた小さな影がかすめた。間違いない。血の池地獄の近くに誰かがいる。黒い帽子を被った小さな女の子が……。
「誰かいるの?」
 私が呼びかけると、足音が止まった。
「え、メリー、そこに誰かいる?」
 背後で蓮子が不思議そうな声をあげる。私はそれに答えず、血の池地獄の方に足を踏み出し、
「――貴方は、誰?」
 そう問いかけると――また、ぱたぱたぱたと足音。
 そして、血の池地獄から旧都へと通じるトンネルの方へ駆けていく女の子の影。
「あっ、待って!」
「え、あ、ちょっとメリー!?」
 蓮子に声に構わず、私はその女の子の影を追って走り出した。どうして、その女の子の影が気になるのかもわからないままに。
 ただ――追いかけなければいけない気がした。
 私が、追いかけてあげなければいけないような、そんな気がしたのだ。
「ねえ、待って――そこの貴方!」
 狭いトンネルの中、段差に足をとられながらそう呼びかけた私の声が反響し、別人の声のようになった響き渡る。
 その声に反応したのかどうかはわからないけれど、また足音が止まった。
 私はトンネルの暗闇に目を細める。――そこにぼんやりと、少女の姿が浮かび上がった。
 ひどく存在感が希薄な、色素の薄い少女の姿が。

「……私が見えるの?」

 まるで幽霊のようなことを言って、その少女は、ぴょこんと首を傾げてみせた。

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この小説へのコメント

  1. 今回も楽しく読ませて頂きました!ページのスクロールが止まりませんでした。
    これからも無理せず頑張ってください!

  2. メリーが大活躍の回ですね。
    千年前に博麗の巫女が存在していたとは驚きました。
    平安時代に封印された聖の船が江戸時代の菱垣廻船というのは何か意味があるのでしょうか。

  3. ああ、最後のはこいしか
    直前のいたずらからぬえだと勘違いしてた

  4. *今から電話をするから出てね*
    蓮子に対して妖怪を惹きつけるフェロモンが出てると思いつつ、メリーも大概能力のせいで珍しい妖怪を釣ってますよね〜

  5. 楽しく読ませていただいています。
    最後のこいしちゃんの「私が見えるの?」はとても可愛かったです。

  6. ムラサのはしゃぎぶりが可愛いです。
    ラストのこいしちゃんが今後どんな展開を見せるか楽しみです。

  7. 作製お疲れ様です~DBの初代OP台詞ネタは面白かったです~。最後に出てきたこいしちゃん今後どういう関係で秘封の蓮メリーに関わっていくかが楽しみです。キスメとヤマメと蓮子が錯覚した原因は正体不明にする封獣ぬえちゃんですかね?

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