―37―
解決編に入るにあたり、最初に断りを入れておこう。
今回の蓮子の謎解きは、《三日置きの百鬼夜行》の謎解きの根幹に言及する。
よって、できれば先に《三日置きの百鬼夜行》の事件簿に目を通しておいていただきたい。
後から聞いたところによると、私たちがちょうど部屋で火鉢にあたっていた頃、霊夢さんと魔理沙さんが地底に潜入していったのだそうである。地上から、妖怪たちのサポートつきで。
霊夢さんをサポートしたのは、妖怪の賢者、伊吹萃香さん、射命丸文さんの三人。魔理沙さんをサポートしたのは、私たちも途中で出くわしたアリスさん、パチュリーさん、にとりさんの三人だったという。それぞれがそれぞれの思惑を持ちながら、霊夢さんと魔理沙さんをけしかけるという点で一致し、間欠泉と怨霊の件を調べに向かわせたわけだ。
かくして霊夢さんと魔理沙さんは、ヤマメさん、キスメさん、パルスィさんを蹴散らし、旧都で勇儀さんとやりあって気に入られ、地霊殿に案内されてさとりさんに出会い、灼熱地獄に突入してお燐さんに迎えられ、その最深部でおくうさんを止めるために戦ったという。その戦いに割く紙幅は残念ながらないので、本人から直接聞くか、霊夢さんの武勇伝を記録している稗田阿求さんあたりから聞いてほしい。
そんなわけで、翌日。
寺子屋での半日授業を終えたあと、私たちは博麗神社に足を伸ばした。雪道を踏みしめ、滑る石段を苦労して上り、鳥居をくぐった先の境内に人影はない。私たちは賽銭を放って一応手を合わせてから、神社の裏手に回る。
いつもは縁側でだらだらしている霊夢さんも、さすがにこの雪では中に引っ込んでいるらしく、縁側に人の姿はなかった。その代わり、思わぬ姿が縁側に寝そべっている。
大きな黒猫だ。その姿に見覚えがあって、私たちは顔を見合わせる。
「――お燐ちゃん?」
「うにゃ? ――あーっ、お姉さんたち!」
ぼん、とその場で猫耳少女の姿に変身して、お燐さんは素っ頓狂な声をあげた。
「なんでお燐ちゃんが博麗神社にいるの?」
「お姉さんたちこそ、あの巫女と知り合い?」
「まあね。……ってことは、霊夢ちゃんがおくうちゃんと戦ったのね?」
「ああ。おかげでおくうも地上侵略を諦めたらしくて、すっかり大人しくなって、助かったよ」
「ありゃ、それじゃ私たちの努力は無駄足になったのかしら、残念。間欠泉は止まった?」
「いやあ、別におくうの力がなくなったわけじゃないから、まだ出てるよ。怨霊を出すのは止めたけど、一度放したせいで地縛する力が緩んでるから、また出てくるかもねえ」
お燐さんは暢気にそんなことを言う。一応怨霊の管理者なのに、いいのかそれで。
「そういえばお燐ちゃん、地上に出てきちゃっていいの?」
「変な妖怪に捕まったんだよ。そこの金髪のお姉さんによく似た」
「妖怪の賢者に?」
私たちが首を傾げていると、「何よ、騒がしいわね」と霊夢さんが縁側に姿を現した。
「あら霊夢ちゃん、こんにちは。地底に行ってきたんですって?」
「なんだ、蓮子とメリーか。――っていうかあんたたちこそ、いつの間に地底に行ってたのよ。あんたらが異変のたびに犯人の近くに出没するの、もう慣れたつもりだったけど、さすがに地底にまで行ってるとは思わなかったわ」
「いやあ、色々ありまして。私たちのことは勇儀さんあたりから?」
「あの鬼が蓮子によろしくって言ってたわ」
「あら、それじゃまたご挨拶に伺わないと」
「――それより、そうだ、聞きたいことがあるのよ」
じろりと半眼でこちらを睨んで、霊夢さんは言う。
「あの鴉に八咫烏の力をあげたっていう山の神様って、守矢の連中でしょ? あんたたち、早苗とよくつるんでるじゃない。地底に行ってたのもあいつらの手引き?」
「ええ? 八坂様の仕業だったの?」
相棒、見事にすっとぼける。いや実際、私たちが地底に行ったのは八坂様たちの手引きではないのだけれども。霊夢さんの傍らでお燐さんが変な顔をしている。
「とぼけないの。ただの人間のあんたたちが地底に落ちたら死ぬでしょ、さすがに」
「いや、それが普通に落ちたのよね。蜘蛛の巣に引っ掛かって助かったの。霊夢ちゃんは会わなかった? 土蜘蛛の黒谷ヤマメさん」
「あー、土蜘蛛? そんなのもいたような……」
「危うく食べられそうになったところを、この宇佐見蓮子さんの機転で勇儀さんに取り入って助かり、ちょっとメリーと地底見物をしてきたの。そこのお燐ちゃんとも知り合ったけど、間欠泉の原因が八坂様だったなんて知らなかったわ」
「……本当に?」
「本当、本当。あとで早苗ちゃんに聞いてみるわ」
「怪しいわねえ。あいつらが何企んでるんだか、後で確かめに行かないと」
「わざわざ山まで行かなくても、そこの分社から八坂様を呼べばいいんじゃないの?」
「あれは守矢の分社じゃない。あの神様を私が召喚できるわけじゃないわよ」
そういうものか。ということは、私たちが自宅の分社に呼びかけると神奈子さんが応えてくれるのは、早苗さんの友達へのサービスなのかもしれない。
「うー、さむ。そんなところに突っ立ってないで、あんたたち、お茶でも飲んでく?」
と、霊夢さんが腕をさすりながら言った。
「あら、霊夢ちゃんがそんなサービスしてくれるなんて珍しい」
「賽銭入れてくれたからね」
お賽銭の音が聞こえていたらしい。地獄耳か。
「いやあ、有難いお申し出だけど、ちょっと他に行く用があるの」
「どこによ? 守矢のところ?」
訝しげに眉を寄せた霊夢さんに、蓮子は笑って首を振り、お燐さんへと視線を向けた。
「お燐ちゃん、地底に連れていってくれない?」
「――は?」
霊夢さんが首を傾げ、お燐さんが「え、あたい?」と自身を指さして素っ頓狂な声をあげた。
かくして、昨日の今日で二度目のぶらり地底旅である。
「ごめんねお燐ちゃん。ご主人様に会いに行くにもこうするしかなくて」
妖怪の山の方の灼熱地獄跡直上からではなく、私たちが落ちたあの縦穴を、今度はお燐さんに抱えられて下りていく。お燐さんは「いやまあ、いいけどさあ」と訝しげに蓮子を見やった。
「お姉さんたち、さとり様からこいし様捜しを依頼されてたんじゃなかった?」
「まあね。こいしちゃん捜しに関連して、ちょっとご主人様に聞きたいことがあるのよ。おくうちゃんの件はもうご主人様にバレても問題ないんでしょ?」
「まあね。おくうが地上侵略諦めてくれたし、さとり様はおくうがあの力を手に入れたことは知ってて、別におくうを処分する気はなかったらしいから……」
「つまり、お燐ちゃんの杞憂だったと」
「そういうこと。ほっとしたよ」
「そもそもお燐ちゃん、どうしてご主人様がおくうちゃんを処分するかもって思ったの? 過去に処分されちゃったペットがいたとか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさあ。――あたいたち、さとり様のペットだけど、随分ほったらかしにされてたから……ね」
ちょっと寂しそうな顔をして、お燐さんはそう言う。蓮子はその顔に目を細め――。
「それは……お燐ちゃんやおくうちゃんが、そういう人間に近い姿をとるからじゃない?」
「え?」
「さとりちゃんがペットをたくさん飼ってるのは、動物は心を読まれても自分を嫌わないからって言ってたわ。でも、お燐ちゃんやおくうちゃんはそうやって人型をとるぐらいに、妖怪としての自我を強く持ってしまった。そうするとさとりちゃんは、お燐ちゃんたちの心を読んだら嫌われるんじゃないかと思って、近付くのを遠慮してたんじゃないの?」
「――――」
虚を突かれたように、お燐さんは目を見開いて押し黙った。
「さとり様は……あたいたちに嫌われたくなかった……?」
「私の勝手な想像だけどね」
「そっか……そうなのかな……」
顔を伏せて、お燐さんは小さく呟いた。――そうして、にっと笑みを浮かべて顔を上げる。
「そろそろ地の底だよ。しっかり掴まっててよ!」
――そうして、私たちはまた地底に降り立った。
―38―
縦穴から旧都へ向かうと、当然ながら、またあの橋を通りかかる。
水橋パルスィさんは、今日はひとりで欄干にもたれていた。お燐さんを先頭に歩く私たちの存在に気付いたか、パルスィさんは緑の瞳をこちらに向ける。お燐さんが「う」と小さく呻いて視線を逸らした。
「お燐ちゃん?」
「あたい、あの橋姫苦手なんだよねえ。さっさと通っちゃおう」
「あ、ごめん。私はちょっと彼女に用があるの」
「ええ? あ、ちょっと待ってよお姉さん――」
お燐さんの制止に構わず、蓮子はずんずんと橋の上に歩を進めた。パルスィさんが頬杖をついて見つめてくるのに対し、蓮子は軽く片手を挙げて笑いかける。
「こんにちは、水橋パルスィさん。おつとめご苦労様です」
「ヤマメと一緒にいた人間じゃない。地上に帰ったんじゃなかったの?」
「ちょっと野暮用で戻ってきましたの。――ところでパルスィさん、ひとつお伺いしたいことがありまして」
「何?」
「勇儀さんから、この場所で、古明地こいしちゃんの出入りの見張りを頼まれていませんか?」
「――――」
緑色の眼を見開いたパルスィさんは、次の瞬間、眉を寄せて蓮子を睨んだ。
「……なんで知っているの? あの馬鹿鬼から聞いた?」
「いえ、そういうわけでは。頼まれているのは見張りだけですか? 制止ではなく?」
「……止められるなら止めてくれとは言われたけど、そこまでする義理もないから」
「ははあ、そういうことですか。ということは、貴方にはあの子が見えるわけですね?」
「そうよ。あの馬鹿鬼やヤマメには見えないって言うから仕方なくよ、仕方なく」
「なるほどなるほど。貴方のその緑の眼には、嫉妬の心が見えるんですね。だからあの子のことも貴方には見えるわけですか。……もうひとつ確認したいんですが、貴方はあの子のことを、勇儀さんから聞いて知りましたか? それとも、それ以前から存在を認識していましたか」
「……名前を聞いたのは勇儀からだけど、その前から見かけていたわ」
「そうですか。では、最後にもうひとつ。――あの子は今、地底にいますか?」
「昨日から、出て行った様子は見てないから、たぶんいると思うけど」
「ははあ、ご返答ありがとうございます」
満面の笑みで、蓮子は深々と一礼する。パルスィさんは「……変な人間」と呟いて、「通るならさっさと通りなさい」と欄干に頬杖を突いてそっぽを向いた。
旧都に入って地霊殿に向かう途中、例によって勇儀さんたちに捕まった。「なんだいなんだい、また来たのかい? ようし呑むか! 昨日の今日だが積もる話があってね」とご機嫌で言い出す勇儀さんに、「すみません、ちょっと地霊殿に用事が」と蓮子が頭を下げると、「地底に鬼の宴会より優先すべきことはないって言ったろう?」と勇儀さんは笑顔で迫ってくる。
「やめなよ勇儀さん、蓮子たちにも事情があるんだろうしさ」とヤマメさんが制止してくれなかったら、そのまま宴会になっていただろう。存外あっさりと「そうかい。じゃあまた後でね」と引き下がってくれた勇儀さんに、「ああそうだ」と蓮子はぽんと手を叩く。
「勇儀さん、ひとつ確認したいことがありまして」
「なんだい? ああ、昨日預かった手紙ならちゃんと届けたよ」
「それはどうもありがとうございます。それとは別に、私たち、さとりちゃんに頼まれて妹のこいしちゃんを探しているんですが、勇儀さんは見かけていませんか?」
「さとりの妹を? いやあ、あの子はねえ、萃香やパルスィならともかく、私にはどこにいるんだか解らんからねえ。お前さんたちにはあの子が見えるのかい?」
「私にはちょっと……このメリーには見えるらしいですわ」
「ほう?」
勇儀さんが、初対面以来初めて私に興味を示したように顔を向けた。
「というか勇儀さん。萃香ちゃんにもこいしちゃんが見えたんですか?」
「ああ、萃香はそう言ってたよ。話もしたことあるってさ」
「へえ――なるほど、能力の関係なのかしら?」
蓮子は興味深げに帽子の庇を弄る。勇儀さんは盃を傾けてひとつ酒臭い息を吐き、
「まあ、あの子と話ができるんだったら、見つけたらさとりのところに連れていってやっておくれよ。あれで心配してるんだからね、さとりの奴もさ。そうそう、あの子のことなら――」
「ああ、それはここに来る前に確認済みです。おそらく地底にいるようですわ」
「うん? なんだ、そのことお前さんたちに話したっけ?」
「まあまあ。とりあえず、こいしちゃんを探しがてら、地霊殿に行ってきますわ」
蓮子はひらひらと手を振って、さっさと歩き出してしまう。私はお燐さんとともに勇儀さんたちに一礼して、その後を追った。ヤマメさんが「気を付けて行きなよー」と手を振ってくれているのが、振り返ると見えた。
かくして、地霊殿である。
お燐さんが先頭に立って重々しい扉を開き、私たちを中に招き入れる。広い廊下を進み、前回も訪れたさとりさんの部屋の前まで来たところで、蓮子が「お燐ちゃん」と声を掛けた。
「先に、ご主人様にちょっと話を通してきてくれない?」
「え? ああ、そりゃいいけど」
「たぶん、さとりちゃんからお返事があると思うから」
「返事?」
「昨日、地上に帰る前に勇儀さんにさとりちゃん宛ての手紙を預けてたの。その返事」
蓮子の言葉に、お燐さんは不思議そうな顔をしながら、「さとり様」とドアをノックして呼びかける。「開いてますよ」と中から返事があり、「お邪魔します」とお燐さんの姿が中へ消え、待つこと一分ばかり。
「入っていいってさ。あたいはお邪魔みたいだから外すよ」
ドアを開け、お燐さんが少し怪訝そうな顔をしながら外に出てきた。
「というかお姉さん、ありゃなにさ?」
「ああ、さとりちゃんはちゃんと用意してくれたのね」
お燐さんの問いに蓮子はよくわからない笑みを返し、「じゃあ、また後で」とお燐ちゃんに片手を挙げて「お邪魔します」と部屋の中へ足を踏み入れる。私も慌ててその後を追った。
そうして部屋の中へ入った私は、思わぬ光景に眼を見開く。
「……衝立?」
部屋の真ん中を、大きな衝立が仕切っている。さとりさんはその後ろにいるのか、部屋の入口にいる私たちからは姿は見えない。
「ようこそいらっしゃいました。手紙は読みましたよ。これで構いませんか?」
衝立の向こうから、さとりさんの声。
「これはこれは、ご配慮痛み入ります。――この衝立はつまり、第三の眼の視界の外ならば心は読めない、ということですね?」
「そういうことです。……そうまでして私と話をしたいと言ってくれる相手は珍しいですから」
ははあ、つまり蓮子はあの勇儀さんに預けた手紙の中で、心を読まれることなく話がしたい、という提案をしていたらしい。さとりさんがそれを受けて衝立を用意したということか。
衝立のこちら側には私たちのものらしい椅子がふたつ置かれている。衝立に背を向ける格好で私たちはその椅子に腰を下ろした。おそらく衝立の向こうでも、さとりさんが衝立に背を向けて座っているのだろう。背中合わせで相手の姿の見えない会談というわけだ。
「相手の心を読まずに会話するのは本当に久しぶりです。……話を弾ませることはできないと思いますが、構いませんか」
「ええ、結構です。まずこちらにお話したいことがあるので、とりあえずそれを聞いていただけますかしら」
「解りました。――こいしのこと、という話でしたが」
「ええ、妹さんのことです。そして、おくうちゃんとお燐ちゃんが起こした今回の怨霊騒ぎの話でもありますし、あるいはこの地底全体の話とも言えるかもしれません」
さとりさんの姿は見えないから、彼女がどんな顔をしているのかは、私には解らない。
「ですが、まずは単刀直入に参りましょう」
蓮子はそう言って、口を開く。――この怨霊異変の《真相》を、語り始める。
「古明地さとりさん。貴方は、妹さんを救うために今回の騒動を仕組んだのではないですか?」
―39―
さとりさんの返事はなかった。蓮子は構わず、言葉を続ける。
「今回の騒動で地底にやって来て、私たちは色々な妖怪に出会い、色々な話を見聞きしました。地上の嫌われ者の楽園である旧都。その外で橋を通る者を見張る橋姫。地上に出たがっている船長と入道使い。心を読むサトリ妖怪と、無意識を操るその妹。そして、八咫烏の力を手にして地上侵略を企んだ地獄鴉と、それを止めようとした火車の火焔猫。それから、鴉に核融合の力を与えた地上の神様――これは元からの知り合いですが。
最初、私はこれらをバラバラの事象だと思っていました。それぞれ、各自の勝手な思惑で動いているだけだと。お燐ちゃんは貴方におくうちゃんのことを知られるのを恐れていましたし、地霊殿の面々は旧都から嫌われていると言いますし。
ですが――こいしちゃんが普段から地上に出ているということ。それから八坂様、あの地上の神様が、おくうちゃんに八咫烏の力を与えたことを、さとりさん、貴方に話していたと知ったところで、バラバラだったピースがひとつの形を為したんです。いくつかの疑問が、さとりさん、貴方を中心に組み立て直すことで、綺麗に氷解していくことに気付いたんです」
「……疑問、ですか」
衝立の向こうからさとりさんの声。その声から、感情は伺えない。
「ええ。最初から疑問はいくつかありました。
まず第一に、おくうちゃんが地上侵略を考えたのはなぜか。強い力を手に入れて、調子に乗ったのはわかりますが、なぜ旧都侵略ではなく地上侵略だったのか。
第二に、星熊勇儀さんが水橋パルスィさんにしていた《頼み事》とは何か。地上に通じる縦穴と、旧都への間にある橋、そこにいる橋姫に、旧都の代表である勇儀さんが頼むこととは何か。普通に考えれば、地上に出ようとする妖怪を見張ることでしょう。ですが、土蜘蛛の黒谷ヤマメさんや釣瓶落としのキスメさんは普通にその前を通過して縦穴で遊んでいました。それに勇儀さんは、船幽霊と入道使いを地上に脱出させてあげたいと考えてもいます。となると、勇儀さんがパルスィさんに頼んでいたのは、特定の妖怪に限定した見張りではないか――。
そして、第三の――そして最大の疑問は、さとりさん、貴方の言葉でした」
「……私の?」
「ええ。貴方があまりにもさらりと語るので、私も最初はうっかり流してしまいそうになりました。――貴方がどうして、妹の能力をそれほどまでに具体的に知っているのか、という謎を」
さとりさんが息を呑んだ気配がした。蓮子は小さく唇の端を持ち上げる。
「こいしちゃんは心を閉ざし、第三の眼も閉ざしてしまった。その代わりに無意識を操る能力を手にして、誰にも認識されない存在となり、ふらふらと彷徨っている。そんなこいしちゃんの心は、さとりさん、貴方にも読むことができない――貴方はそう説明しましたね。
そしてこいちゃんの能力について、貴方はこう説明したはずです。『自分でも無意識に自分の姿を周囲の認識上から消してしまう』――と。
妹の心を読むことができない貴方が、心と第三の眼を閉ざしたことでこいしちゃんが手に入れた新しい能力、しかも本人が無意識に使っている能力を、どうやって知ったのですか?」
衝立の向こうから返ってくるのは、ただ沈黙。
「もし、貴方が語ったこいしちゃんの能力というのが虚構であるならば――無意識を操るというのはどういう能力なのか、などと考えること自体が無意味です。そして、こいしちゃんの存在感が極めて希薄で、他者に存在を認識されにくいという事実は、もっと単純に、極めてシンプルに考えるべき事象なんです。
つまり、サトリ妖怪であった古明地こいしちゃんは、第三の眼を閉ざして心を読む能力を失ったことで、サトリ妖怪としてのアイデンティティを失い、消滅しかけているのだ――と」
蓮子はそこで一度言葉を切る。衝立の向こうから、返事はない。
「神様を失った神社が信仰されないように、退治すべき妖怪がいなければ妖怪退治という稼業が成立しないように、存在の定義の大前提を失ったものは消えゆく運命にあります。サトリ妖怪にとっての心を読むという行為は、山彦が他人の声を反射し、塗り壁が行く手を遮るのと同じように、妖怪としてのアイデンティティそのものでしょう。こいしちゃんがそれを失ったことで、妖怪として消滅しかけているのだとしたら――。
そのことに思い至って、私は閻魔様に話を伺いに行きました。貴方に怨霊の管理を命じた閻魔様です。そこで閻魔様から、貴方たち姉妹が地底に来る以前に、既にこいしちゃんが第三の眼を閉ざしてしまっていたということを聞きました。貴方は閻魔様にこいしちゃんを捕まえてもらい、そうして妹とともにこの地霊殿に移住したのだと。
――このとき既に、こいしちゃんが妖怪として消滅の危機にあったのだとしたら、貴方たち姉妹の地底移住には、別の意味が付与されるはずです。即ち、こいしちゃんの消滅を食い止める方策のひとつ、という意味が」
「ちょっと待って、蓮子」
思わず、私は口を挟んだ。蓮子のその考えはおかしいのではないか? だって――。
「幻想郷の妖怪は、人間に畏れられることで力を得て、存在できているわけでしょう? でも、この地底で人間は極めて珍しい存在じゃない。それじゃあ逆に消滅させてしまうんじゃ――」
私の問いに、蓮子は視線だけで振り向き、小さく唇の端を釣り上げる。
「じゃあ逆に訊くけどメリー、幻想郷の人間の認識の力が地底には及ばないとするなら、地底の妖怪はどうやって存在を維持しているの?」
「えっ――と、それは……」
「少なくとも、この地底では鬼や土蜘蛛や釣瓶落としや橋姫が、存在の危機に陥ることもなく暮らしているわ。千年近くも地底にいるっていう船幽霊や入道使いもよ。だとすれば、幻想郷のシステムは地底の妖怪を生かすようにできている、と考えるべきよ。そうね――考え方としてはたとえば、地獄に対する畏れが、跡地であるこの旧都にもまだ力を及ぼしている、という仮説を立ててみてもいいわ。里の人々も地獄はみんな怖がっているでしょうし、この旧都でも灼熱地獄や血の池地獄という名称がまだ生きているわけだしね。
あるいは――前に萃香ちゃんの正体を推理したけど、もしあの推理が当たっていたなら、地底の妖怪存在を維持させているのは鬼なのかもしれないわね。もしこの地底の鬼が全て元人間の鬼なのだとしたら――自分たちの存在の基盤だから、地底の妖怪は鬼に逆らえない」
私は酢を飲んだような気分で口を噤んだ。まさかそこで過去の推理を持ち出してくるとは。
蓮子はひとつ咳払いして、「続けますね」とさとりさんに呼びかける。
「地底社会が、人間の認識による妖怪存在の維持システムをいかにして導入しているのかは私には解りかねますが――いずれにしても、地底の妖怪が人間抜きで地底社会を成立させている以上、地上では存在を維持できなくなったこいしちゃんを、《地底の妖怪》というカテゴリの中に入れることで存在させるという方策が有効だったのではないでしょうか」
返ってくるのは、ただ沈黙。
「あるいは、地上の人間にこいしちゃんの存在を広く知らしめるという方策もあったでしょう。しかし、貴方は心を読む能力のために嫌われた妖怪だった。嫌われ者の貴方が、広い地上において、《古明地こいし》という妖怪の存在を広く知らしめる手立てはなかった。閻魔様から地底での怨霊の管理を依頼されたときに、閻魔様から対価として示されたのが、地底でのこいしちゃんの存在維持だったのではないですか?
といっても、地底の妖怪にもこいしちゃんが全く認識できないようでは、存在を維持できているのかどうかも定かではなくなってしまいますよね。ですから――貴方たちが地底に移り住んでから鬼たちが移住してきて今の旧都社会が出来ましたが、貴方はその中心である鬼たちに《古明地こいし》という妹の存在を話して、旧都社会の中でも《見えないけど存在するらしい、地霊殿の主の妹》という妖怪の存在を知らしめたのではないですか。会ったことがないというヤマメさんもこいしちゃんの存在を知っていましたからね。そして実際に、こいしちゃんが見える妖怪がいたから、こいしちゃんは確実に地底に存在することができた」
「……パルスィさん?」
「と、勇儀さんの言葉を信じるなら萃香ちゃんね」
はあ、と私は頷き、それから自分の目元に手を当てる。
「蓮子。結局、私を含めて、こいしちゃんが見えることに法則性はあるの?」
私の問いに、蓮子は「いい質問ね、メリー」とにやりと笑った。
「私の知る限り、こいしちゃんがはっきり見えるのはメリー、パルスィさん、閻魔様、地上のあの子と、勇儀さんの言葉を信じるなら萃香ちゃん。閻魔様に見えるのは白黒はっきりつける能力のためらしいけど、閻魔様がこいしちゃんの見え方をどう表現したか覚えてる?」
「え? ええと……『見えるものが見えない』だっけ?」
「そう。こいしちゃんは、存在する――つまり見えるはずなのに見えない状態にある。ところで、これをひっくり返せば、『見えないものが見える』になるでしょう?」
「……私の目?」
「そうよ、メリーの境界視の能力。こいしちゃんは《見えないもの》になっているから、《見えないものが見える》メリーには見えるのよ。同様にパルスィさんは嫉妬の心が見える。地上のあの子は消えかかった幽霊が見える。萃香ちゃんは――その能力で目に見えないものも萃められるせいじゃないかしらね」
なるほど。
「さとりさん、また脱線してすみません」
「……いえ、続きをどうぞ」
「解りました。――さて、貴方はそうして地底にこいしちゃんの存在を噂として広めることで、消滅しかかったこいしちゃんの存在を地底で繋ぎ止めようとした。ただ、こいしちゃんが第三の眼を閉ざして、サトリ妖怪であるということを止めてしまったのは厳然たる事実。
地上の人間の里で、仕事がなくなった妖怪退治の家は、自警団だったり家具屋だったり、転職を余儀なくされました。妖怪退治の家から、別の看板に掛け替えて存続を図るわけです。同じように、自分自身を否定した妖怪もまた、その定義を書き換えて存続を図ることは可能なのではないでしょうか。
だとすれば、こいしちゃんが無意識を操る妖怪だというのは、そのために貴方が作った、新しいこいしちゃんの妖怪としての定義だったのではないですか。消滅しかかって誰にも見えないこいしちゃんが《存在する》ことに説得力を持たせるための設定として、無意識の妖怪というのは秀逸ですね。こいしちゃんの心が読めない貴方がその能力について異様に詳しいのは、それが貴方の作った設定だからでしょう。
そうして、こいしちゃんの存在はこの地底の内部で繋ぎ止められたはずでした。――ですが、想定外の事態が貴方を待っていました。それは、無意識の妖怪となって放浪するこいしちゃんが地上に出てしまっていることです。
この地底で辛うじて消滅しかけた存在を繋ぎ止めているこいしちゃんが、かつて消滅しかけた場所である地上に出るということは、再びこいしちゃんが消滅の危機にさらされるということです。それを阻止するために、貴方は勇儀さんに依頼して、こいしちゃんが見える橋姫に、こいしちゃんの地上への出入りを見張るように頼んだのではないですか。ですが、橋姫は積極的にこいしちゃんを止めようとまではしてくれず、こいしちゃんの地上放浪は止まなかった。強く要望しようにも、貴方は地底でも嫌われ者ですから、貴方の要望を聞いてくれる妖怪は少ないでしょう。さとりさん、貴方はかなり追いつめられたはずです。
――そこに文字通り降って湧いたのが、八坂様の件だったのでしょう」
衝立の向こうは、ただ沈黙する。
「地上からやって来た神様が、ペットの鴉に強大な力を与えた。この出来事は、貴方にとってまさに救いの神だったはずです。地上と地底の不可侵協定を、地上の神が先に破ってきた。ならば、地底から地上に介入しても、先に協定を破ったのは地上だと言い張れる。だから貴方は、八咫烏の力で調子に乗り始めたおくうちゃんに密かに接触し、地上侵略をそそのかしたのではないですか。記憶力に難のあるおくうちゃんがそのことを忘れるのも見越した上で――。
おくうちゃんが八咫烏の力で地上侵略を試みれば、地上の実力者がそれを止めに現れる。その地上の実力者を介して、こいしちゃんの存在を地上に知らしめること。こいしちゃんの消滅を防ぐために、新しいこいしちゃんの妖怪としての定義を、地上に広めること――貴方の目的はそれだったのではないですか。お燐ちゃんがおくうちゃんを止めるために、怨霊を解き放つことまでは予想していなかったんでしょうが……」
小さく苦笑して、蓮子は天井を振り仰ぐ。
「そう考えると、さとりさん。貴方が私たちを出迎えたときの反応も、改めて考えると奇妙でした。貴方は、私とメリーが地上から来たことに対して一切特別な反応をしませんでしたね。まるで地上から誰かが来ることは最初から織り込み済みだったかのように。
そういえば、貴方がメリーの顔を見て『こいしが帰って来ているの……?』と呟いたのも、あのときは『地霊殿に』帰って来ていることに驚いたのかと思いましたが、あれもこいしちゃんが『地底に』帰ってきていることに驚いていたのではないですか?
そうして貴方は、私たちにこいしちゃんの捜索を依頼した。こいしちゃんの設定を異様に詳しく説明した上で、です。私たちがこいしちゃんを見つけられるかどうかは問題ではなかったのでしょう。地上に戻った私たちが、無意識の妖怪としてのこいしちゃんの話を地上に広めてくれること――貴方が私たちに望んだのは、それだけだったのではないですか?」
さとりさんは、何も答えない。
蓮子はひとつ息を吐いて「私の推理は、これでほとんど終わりです」と告げる。
「ただ――最後にひとつだけ、どうしてもどっちなのか判断できなかったことがあるんです。別に答えてくれとは言いませんが、私の疑問を聞いていただけますか」
その言葉にも、さとりさんの返事はない。
蓮子は沈黙を肯定と受け取ったように、おもむろに口を開いた。
「――以上の私の推理は、こいしちゃんが既に一度完全に消滅してしまっていたとしても成立するのではないかと思うんですよ。今、この地底に存在してメリーが目撃した《古明地こいし》ちゃんは、一度完全に消滅してしまったサトリ妖怪の妹を、貴方が閻魔様の協力で《無意識の妖怪》として蘇らせた存在だとしても、成立するように思えるんです。
――閻魔様は、こいしちゃんが実在するとは断言してくれましたが、今も存在しているとは言わなかったんです。貴方に地底の怨霊の管理を任せる報酬として、閻魔様が貴方に与えたのは――自分がサトリ妖怪であることを否定して消えてしまった妹を、別の妖怪として蘇らせることだったのではないかと……。さとりさん、これは私の、無礼千万な妄想に過ぎないんでしょうか?」
解決編に入るにあたり、最初に断りを入れておこう。
今回の蓮子の謎解きは、《三日置きの百鬼夜行》の謎解きの根幹に言及する。
よって、できれば先に《三日置きの百鬼夜行》の事件簿に目を通しておいていただきたい。
後から聞いたところによると、私たちがちょうど部屋で火鉢にあたっていた頃、霊夢さんと魔理沙さんが地底に潜入していったのだそうである。地上から、妖怪たちのサポートつきで。
霊夢さんをサポートしたのは、妖怪の賢者、伊吹萃香さん、射命丸文さんの三人。魔理沙さんをサポートしたのは、私たちも途中で出くわしたアリスさん、パチュリーさん、にとりさんの三人だったという。それぞれがそれぞれの思惑を持ちながら、霊夢さんと魔理沙さんをけしかけるという点で一致し、間欠泉と怨霊の件を調べに向かわせたわけだ。
かくして霊夢さんと魔理沙さんは、ヤマメさん、キスメさん、パルスィさんを蹴散らし、旧都で勇儀さんとやりあって気に入られ、地霊殿に案内されてさとりさんに出会い、灼熱地獄に突入してお燐さんに迎えられ、その最深部でおくうさんを止めるために戦ったという。その戦いに割く紙幅は残念ながらないので、本人から直接聞くか、霊夢さんの武勇伝を記録している稗田阿求さんあたりから聞いてほしい。
そんなわけで、翌日。
寺子屋での半日授業を終えたあと、私たちは博麗神社に足を伸ばした。雪道を踏みしめ、滑る石段を苦労して上り、鳥居をくぐった先の境内に人影はない。私たちは賽銭を放って一応手を合わせてから、神社の裏手に回る。
いつもは縁側でだらだらしている霊夢さんも、さすがにこの雪では中に引っ込んでいるらしく、縁側に人の姿はなかった。その代わり、思わぬ姿が縁側に寝そべっている。
大きな黒猫だ。その姿に見覚えがあって、私たちは顔を見合わせる。
「――お燐ちゃん?」
「うにゃ? ――あーっ、お姉さんたち!」
ぼん、とその場で猫耳少女の姿に変身して、お燐さんは素っ頓狂な声をあげた。
「なんでお燐ちゃんが博麗神社にいるの?」
「お姉さんたちこそ、あの巫女と知り合い?」
「まあね。……ってことは、霊夢ちゃんがおくうちゃんと戦ったのね?」
「ああ。おかげでおくうも地上侵略を諦めたらしくて、すっかり大人しくなって、助かったよ」
「ありゃ、それじゃ私たちの努力は無駄足になったのかしら、残念。間欠泉は止まった?」
「いやあ、別におくうの力がなくなったわけじゃないから、まだ出てるよ。怨霊を出すのは止めたけど、一度放したせいで地縛する力が緩んでるから、また出てくるかもねえ」
お燐さんは暢気にそんなことを言う。一応怨霊の管理者なのに、いいのかそれで。
「そういえばお燐ちゃん、地上に出てきちゃっていいの?」
「変な妖怪に捕まったんだよ。そこの金髪のお姉さんによく似た」
「妖怪の賢者に?」
私たちが首を傾げていると、「何よ、騒がしいわね」と霊夢さんが縁側に姿を現した。
「あら霊夢ちゃん、こんにちは。地底に行ってきたんですって?」
「なんだ、蓮子とメリーか。――っていうかあんたたちこそ、いつの間に地底に行ってたのよ。あんたらが異変のたびに犯人の近くに出没するの、もう慣れたつもりだったけど、さすがに地底にまで行ってるとは思わなかったわ」
「いやあ、色々ありまして。私たちのことは勇儀さんあたりから?」
「あの鬼が蓮子によろしくって言ってたわ」
「あら、それじゃまたご挨拶に伺わないと」
「――それより、そうだ、聞きたいことがあるのよ」
じろりと半眼でこちらを睨んで、霊夢さんは言う。
「あの鴉に八咫烏の力をあげたっていう山の神様って、守矢の連中でしょ? あんたたち、早苗とよくつるんでるじゃない。地底に行ってたのもあいつらの手引き?」
「ええ? 八坂様の仕業だったの?」
相棒、見事にすっとぼける。いや実際、私たちが地底に行ったのは八坂様たちの手引きではないのだけれども。霊夢さんの傍らでお燐さんが変な顔をしている。
「とぼけないの。ただの人間のあんたたちが地底に落ちたら死ぬでしょ、さすがに」
「いや、それが普通に落ちたのよね。蜘蛛の巣に引っ掛かって助かったの。霊夢ちゃんは会わなかった? 土蜘蛛の黒谷ヤマメさん」
「あー、土蜘蛛? そんなのもいたような……」
「危うく食べられそうになったところを、この宇佐見蓮子さんの機転で勇儀さんに取り入って助かり、ちょっとメリーと地底見物をしてきたの。そこのお燐ちゃんとも知り合ったけど、間欠泉の原因が八坂様だったなんて知らなかったわ」
「……本当に?」
「本当、本当。あとで早苗ちゃんに聞いてみるわ」
「怪しいわねえ。あいつらが何企んでるんだか、後で確かめに行かないと」
「わざわざ山まで行かなくても、そこの分社から八坂様を呼べばいいんじゃないの?」
「あれは守矢の分社じゃない。あの神様を私が召喚できるわけじゃないわよ」
そういうものか。ということは、私たちが自宅の分社に呼びかけると神奈子さんが応えてくれるのは、早苗さんの友達へのサービスなのかもしれない。
「うー、さむ。そんなところに突っ立ってないで、あんたたち、お茶でも飲んでく?」
と、霊夢さんが腕をさすりながら言った。
「あら、霊夢ちゃんがそんなサービスしてくれるなんて珍しい」
「賽銭入れてくれたからね」
お賽銭の音が聞こえていたらしい。地獄耳か。
「いやあ、有難いお申し出だけど、ちょっと他に行く用があるの」
「どこによ? 守矢のところ?」
訝しげに眉を寄せた霊夢さんに、蓮子は笑って首を振り、お燐さんへと視線を向けた。
「お燐ちゃん、地底に連れていってくれない?」
「――は?」
霊夢さんが首を傾げ、お燐さんが「え、あたい?」と自身を指さして素っ頓狂な声をあげた。
かくして、昨日の今日で二度目のぶらり地底旅である。
「ごめんねお燐ちゃん。ご主人様に会いに行くにもこうするしかなくて」
妖怪の山の方の灼熱地獄跡直上からではなく、私たちが落ちたあの縦穴を、今度はお燐さんに抱えられて下りていく。お燐さんは「いやまあ、いいけどさあ」と訝しげに蓮子を見やった。
「お姉さんたち、さとり様からこいし様捜しを依頼されてたんじゃなかった?」
「まあね。こいしちゃん捜しに関連して、ちょっとご主人様に聞きたいことがあるのよ。おくうちゃんの件はもうご主人様にバレても問題ないんでしょ?」
「まあね。おくうが地上侵略諦めてくれたし、さとり様はおくうがあの力を手に入れたことは知ってて、別におくうを処分する気はなかったらしいから……」
「つまり、お燐ちゃんの杞憂だったと」
「そういうこと。ほっとしたよ」
「そもそもお燐ちゃん、どうしてご主人様がおくうちゃんを処分するかもって思ったの? 過去に処分されちゃったペットがいたとか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさあ。――あたいたち、さとり様のペットだけど、随分ほったらかしにされてたから……ね」
ちょっと寂しそうな顔をして、お燐さんはそう言う。蓮子はその顔に目を細め――。
「それは……お燐ちゃんやおくうちゃんが、そういう人間に近い姿をとるからじゃない?」
「え?」
「さとりちゃんがペットをたくさん飼ってるのは、動物は心を読まれても自分を嫌わないからって言ってたわ。でも、お燐ちゃんやおくうちゃんはそうやって人型をとるぐらいに、妖怪としての自我を強く持ってしまった。そうするとさとりちゃんは、お燐ちゃんたちの心を読んだら嫌われるんじゃないかと思って、近付くのを遠慮してたんじゃないの?」
「――――」
虚を突かれたように、お燐さんは目を見開いて押し黙った。
「さとり様は……あたいたちに嫌われたくなかった……?」
「私の勝手な想像だけどね」
「そっか……そうなのかな……」
顔を伏せて、お燐さんは小さく呟いた。――そうして、にっと笑みを浮かべて顔を上げる。
「そろそろ地の底だよ。しっかり掴まっててよ!」
――そうして、私たちはまた地底に降り立った。
―38―
縦穴から旧都へ向かうと、当然ながら、またあの橋を通りかかる。
水橋パルスィさんは、今日はひとりで欄干にもたれていた。お燐さんを先頭に歩く私たちの存在に気付いたか、パルスィさんは緑の瞳をこちらに向ける。お燐さんが「う」と小さく呻いて視線を逸らした。
「お燐ちゃん?」
「あたい、あの橋姫苦手なんだよねえ。さっさと通っちゃおう」
「あ、ごめん。私はちょっと彼女に用があるの」
「ええ? あ、ちょっと待ってよお姉さん――」
お燐さんの制止に構わず、蓮子はずんずんと橋の上に歩を進めた。パルスィさんが頬杖をついて見つめてくるのに対し、蓮子は軽く片手を挙げて笑いかける。
「こんにちは、水橋パルスィさん。おつとめご苦労様です」
「ヤマメと一緒にいた人間じゃない。地上に帰ったんじゃなかったの?」
「ちょっと野暮用で戻ってきましたの。――ところでパルスィさん、ひとつお伺いしたいことがありまして」
「何?」
「勇儀さんから、この場所で、古明地こいしちゃんの出入りの見張りを頼まれていませんか?」
「――――」
緑色の眼を見開いたパルスィさんは、次の瞬間、眉を寄せて蓮子を睨んだ。
「……なんで知っているの? あの馬鹿鬼から聞いた?」
「いえ、そういうわけでは。頼まれているのは見張りだけですか? 制止ではなく?」
「……止められるなら止めてくれとは言われたけど、そこまでする義理もないから」
「ははあ、そういうことですか。ということは、貴方にはあの子が見えるわけですね?」
「そうよ。あの馬鹿鬼やヤマメには見えないって言うから仕方なくよ、仕方なく」
「なるほどなるほど。貴方のその緑の眼には、嫉妬の心が見えるんですね。だからあの子のことも貴方には見えるわけですか。……もうひとつ確認したいんですが、貴方はあの子のことを、勇儀さんから聞いて知りましたか? それとも、それ以前から存在を認識していましたか」
「……名前を聞いたのは勇儀からだけど、その前から見かけていたわ」
「そうですか。では、最後にもうひとつ。――あの子は今、地底にいますか?」
「昨日から、出て行った様子は見てないから、たぶんいると思うけど」
「ははあ、ご返答ありがとうございます」
満面の笑みで、蓮子は深々と一礼する。パルスィさんは「……変な人間」と呟いて、「通るならさっさと通りなさい」と欄干に頬杖を突いてそっぽを向いた。
旧都に入って地霊殿に向かう途中、例によって勇儀さんたちに捕まった。「なんだいなんだい、また来たのかい? ようし呑むか! 昨日の今日だが積もる話があってね」とご機嫌で言い出す勇儀さんに、「すみません、ちょっと地霊殿に用事が」と蓮子が頭を下げると、「地底に鬼の宴会より優先すべきことはないって言ったろう?」と勇儀さんは笑顔で迫ってくる。
「やめなよ勇儀さん、蓮子たちにも事情があるんだろうしさ」とヤマメさんが制止してくれなかったら、そのまま宴会になっていただろう。存外あっさりと「そうかい。じゃあまた後でね」と引き下がってくれた勇儀さんに、「ああそうだ」と蓮子はぽんと手を叩く。
「勇儀さん、ひとつ確認したいことがありまして」
「なんだい? ああ、昨日預かった手紙ならちゃんと届けたよ」
「それはどうもありがとうございます。それとは別に、私たち、さとりちゃんに頼まれて妹のこいしちゃんを探しているんですが、勇儀さんは見かけていませんか?」
「さとりの妹を? いやあ、あの子はねえ、萃香やパルスィならともかく、私にはどこにいるんだか解らんからねえ。お前さんたちにはあの子が見えるのかい?」
「私にはちょっと……このメリーには見えるらしいですわ」
「ほう?」
勇儀さんが、初対面以来初めて私に興味を示したように顔を向けた。
「というか勇儀さん。萃香ちゃんにもこいしちゃんが見えたんですか?」
「ああ、萃香はそう言ってたよ。話もしたことあるってさ」
「へえ――なるほど、能力の関係なのかしら?」
蓮子は興味深げに帽子の庇を弄る。勇儀さんは盃を傾けてひとつ酒臭い息を吐き、
「まあ、あの子と話ができるんだったら、見つけたらさとりのところに連れていってやっておくれよ。あれで心配してるんだからね、さとりの奴もさ。そうそう、あの子のことなら――」
「ああ、それはここに来る前に確認済みです。おそらく地底にいるようですわ」
「うん? なんだ、そのことお前さんたちに話したっけ?」
「まあまあ。とりあえず、こいしちゃんを探しがてら、地霊殿に行ってきますわ」
蓮子はひらひらと手を振って、さっさと歩き出してしまう。私はお燐さんとともに勇儀さんたちに一礼して、その後を追った。ヤマメさんが「気を付けて行きなよー」と手を振ってくれているのが、振り返ると見えた。
かくして、地霊殿である。
お燐さんが先頭に立って重々しい扉を開き、私たちを中に招き入れる。広い廊下を進み、前回も訪れたさとりさんの部屋の前まで来たところで、蓮子が「お燐ちゃん」と声を掛けた。
「先に、ご主人様にちょっと話を通してきてくれない?」
「え? ああ、そりゃいいけど」
「たぶん、さとりちゃんからお返事があると思うから」
「返事?」
「昨日、地上に帰る前に勇儀さんにさとりちゃん宛ての手紙を預けてたの。その返事」
蓮子の言葉に、お燐さんは不思議そうな顔をしながら、「さとり様」とドアをノックして呼びかける。「開いてますよ」と中から返事があり、「お邪魔します」とお燐さんの姿が中へ消え、待つこと一分ばかり。
「入っていいってさ。あたいはお邪魔みたいだから外すよ」
ドアを開け、お燐さんが少し怪訝そうな顔をしながら外に出てきた。
「というかお姉さん、ありゃなにさ?」
「ああ、さとりちゃんはちゃんと用意してくれたのね」
お燐さんの問いに蓮子はよくわからない笑みを返し、「じゃあ、また後で」とお燐ちゃんに片手を挙げて「お邪魔します」と部屋の中へ足を踏み入れる。私も慌ててその後を追った。
そうして部屋の中へ入った私は、思わぬ光景に眼を見開く。
「……衝立?」
部屋の真ん中を、大きな衝立が仕切っている。さとりさんはその後ろにいるのか、部屋の入口にいる私たちからは姿は見えない。
「ようこそいらっしゃいました。手紙は読みましたよ。これで構いませんか?」
衝立の向こうから、さとりさんの声。
「これはこれは、ご配慮痛み入ります。――この衝立はつまり、第三の眼の視界の外ならば心は読めない、ということですね?」
「そういうことです。……そうまでして私と話をしたいと言ってくれる相手は珍しいですから」
ははあ、つまり蓮子はあの勇儀さんに預けた手紙の中で、心を読まれることなく話がしたい、という提案をしていたらしい。さとりさんがそれを受けて衝立を用意したということか。
衝立のこちら側には私たちのものらしい椅子がふたつ置かれている。衝立に背を向ける格好で私たちはその椅子に腰を下ろした。おそらく衝立の向こうでも、さとりさんが衝立に背を向けて座っているのだろう。背中合わせで相手の姿の見えない会談というわけだ。
「相手の心を読まずに会話するのは本当に久しぶりです。……話を弾ませることはできないと思いますが、構いませんか」
「ええ、結構です。まずこちらにお話したいことがあるので、とりあえずそれを聞いていただけますかしら」
「解りました。――こいしのこと、という話でしたが」
「ええ、妹さんのことです。そして、おくうちゃんとお燐ちゃんが起こした今回の怨霊騒ぎの話でもありますし、あるいはこの地底全体の話とも言えるかもしれません」
さとりさんの姿は見えないから、彼女がどんな顔をしているのかは、私には解らない。
「ですが、まずは単刀直入に参りましょう」
蓮子はそう言って、口を開く。――この怨霊異変の《真相》を、語り始める。
「古明地さとりさん。貴方は、妹さんを救うために今回の騒動を仕組んだのではないですか?」
―39―
さとりさんの返事はなかった。蓮子は構わず、言葉を続ける。
「今回の騒動で地底にやって来て、私たちは色々な妖怪に出会い、色々な話を見聞きしました。地上の嫌われ者の楽園である旧都。その外で橋を通る者を見張る橋姫。地上に出たがっている船長と入道使い。心を読むサトリ妖怪と、無意識を操るその妹。そして、八咫烏の力を手にして地上侵略を企んだ地獄鴉と、それを止めようとした火車の火焔猫。それから、鴉に核融合の力を与えた地上の神様――これは元からの知り合いですが。
最初、私はこれらをバラバラの事象だと思っていました。それぞれ、各自の勝手な思惑で動いているだけだと。お燐ちゃんは貴方におくうちゃんのことを知られるのを恐れていましたし、地霊殿の面々は旧都から嫌われていると言いますし。
ですが――こいしちゃんが普段から地上に出ているということ。それから八坂様、あの地上の神様が、おくうちゃんに八咫烏の力を与えたことを、さとりさん、貴方に話していたと知ったところで、バラバラだったピースがひとつの形を為したんです。いくつかの疑問が、さとりさん、貴方を中心に組み立て直すことで、綺麗に氷解していくことに気付いたんです」
「……疑問、ですか」
衝立の向こうからさとりさんの声。その声から、感情は伺えない。
「ええ。最初から疑問はいくつかありました。
まず第一に、おくうちゃんが地上侵略を考えたのはなぜか。強い力を手に入れて、調子に乗ったのはわかりますが、なぜ旧都侵略ではなく地上侵略だったのか。
第二に、星熊勇儀さんが水橋パルスィさんにしていた《頼み事》とは何か。地上に通じる縦穴と、旧都への間にある橋、そこにいる橋姫に、旧都の代表である勇儀さんが頼むこととは何か。普通に考えれば、地上に出ようとする妖怪を見張ることでしょう。ですが、土蜘蛛の黒谷ヤマメさんや釣瓶落としのキスメさんは普通にその前を通過して縦穴で遊んでいました。それに勇儀さんは、船幽霊と入道使いを地上に脱出させてあげたいと考えてもいます。となると、勇儀さんがパルスィさんに頼んでいたのは、特定の妖怪に限定した見張りではないか――。
そして、第三の――そして最大の疑問は、さとりさん、貴方の言葉でした」
「……私の?」
「ええ。貴方があまりにもさらりと語るので、私も最初はうっかり流してしまいそうになりました。――貴方がどうして、妹の能力をそれほどまでに具体的に知っているのか、という謎を」
さとりさんが息を呑んだ気配がした。蓮子は小さく唇の端を持ち上げる。
「こいしちゃんは心を閉ざし、第三の眼も閉ざしてしまった。その代わりに無意識を操る能力を手にして、誰にも認識されない存在となり、ふらふらと彷徨っている。そんなこいしちゃんの心は、さとりさん、貴方にも読むことができない――貴方はそう説明しましたね。
そしてこいちゃんの能力について、貴方はこう説明したはずです。『自分でも無意識に自分の姿を周囲の認識上から消してしまう』――と。
妹の心を読むことができない貴方が、心と第三の眼を閉ざしたことでこいしちゃんが手に入れた新しい能力、しかも本人が無意識に使っている能力を、どうやって知ったのですか?」
衝立の向こうから返ってくるのは、ただ沈黙。
「もし、貴方が語ったこいしちゃんの能力というのが虚構であるならば――無意識を操るというのはどういう能力なのか、などと考えること自体が無意味です。そして、こいしちゃんの存在感が極めて希薄で、他者に存在を認識されにくいという事実は、もっと単純に、極めてシンプルに考えるべき事象なんです。
つまり、サトリ妖怪であった古明地こいしちゃんは、第三の眼を閉ざして心を読む能力を失ったことで、サトリ妖怪としてのアイデンティティを失い、消滅しかけているのだ――と」
蓮子はそこで一度言葉を切る。衝立の向こうから、返事はない。
「神様を失った神社が信仰されないように、退治すべき妖怪がいなければ妖怪退治という稼業が成立しないように、存在の定義の大前提を失ったものは消えゆく運命にあります。サトリ妖怪にとっての心を読むという行為は、山彦が他人の声を反射し、塗り壁が行く手を遮るのと同じように、妖怪としてのアイデンティティそのものでしょう。こいしちゃんがそれを失ったことで、妖怪として消滅しかけているのだとしたら――。
そのことに思い至って、私は閻魔様に話を伺いに行きました。貴方に怨霊の管理を命じた閻魔様です。そこで閻魔様から、貴方たち姉妹が地底に来る以前に、既にこいしちゃんが第三の眼を閉ざしてしまっていたということを聞きました。貴方は閻魔様にこいしちゃんを捕まえてもらい、そうして妹とともにこの地霊殿に移住したのだと。
――このとき既に、こいしちゃんが妖怪として消滅の危機にあったのだとしたら、貴方たち姉妹の地底移住には、別の意味が付与されるはずです。即ち、こいしちゃんの消滅を食い止める方策のひとつ、という意味が」
「ちょっと待って、蓮子」
思わず、私は口を挟んだ。蓮子のその考えはおかしいのではないか? だって――。
「幻想郷の妖怪は、人間に畏れられることで力を得て、存在できているわけでしょう? でも、この地底で人間は極めて珍しい存在じゃない。それじゃあ逆に消滅させてしまうんじゃ――」
私の問いに、蓮子は視線だけで振り向き、小さく唇の端を釣り上げる。
「じゃあ逆に訊くけどメリー、幻想郷の人間の認識の力が地底には及ばないとするなら、地底の妖怪はどうやって存在を維持しているの?」
「えっ――と、それは……」
「少なくとも、この地底では鬼や土蜘蛛や釣瓶落としや橋姫が、存在の危機に陥ることもなく暮らしているわ。千年近くも地底にいるっていう船幽霊や入道使いもよ。だとすれば、幻想郷のシステムは地底の妖怪を生かすようにできている、と考えるべきよ。そうね――考え方としてはたとえば、地獄に対する畏れが、跡地であるこの旧都にもまだ力を及ぼしている、という仮説を立ててみてもいいわ。里の人々も地獄はみんな怖がっているでしょうし、この旧都でも灼熱地獄や血の池地獄という名称がまだ生きているわけだしね。
あるいは――前に萃香ちゃんの正体を推理したけど、もしあの推理が当たっていたなら、地底の妖怪存在を維持させているのは鬼なのかもしれないわね。もしこの地底の鬼が全て元人間の鬼なのだとしたら――自分たちの存在の基盤だから、地底の妖怪は鬼に逆らえない」
私は酢を飲んだような気分で口を噤んだ。まさかそこで過去の推理を持ち出してくるとは。
蓮子はひとつ咳払いして、「続けますね」とさとりさんに呼びかける。
「地底社会が、人間の認識による妖怪存在の維持システムをいかにして導入しているのかは私には解りかねますが――いずれにしても、地底の妖怪が人間抜きで地底社会を成立させている以上、地上では存在を維持できなくなったこいしちゃんを、《地底の妖怪》というカテゴリの中に入れることで存在させるという方策が有効だったのではないでしょうか」
返ってくるのは、ただ沈黙。
「あるいは、地上の人間にこいしちゃんの存在を広く知らしめるという方策もあったでしょう。しかし、貴方は心を読む能力のために嫌われた妖怪だった。嫌われ者の貴方が、広い地上において、《古明地こいし》という妖怪の存在を広く知らしめる手立てはなかった。閻魔様から地底での怨霊の管理を依頼されたときに、閻魔様から対価として示されたのが、地底でのこいしちゃんの存在維持だったのではないですか?
といっても、地底の妖怪にもこいしちゃんが全く認識できないようでは、存在を維持できているのかどうかも定かではなくなってしまいますよね。ですから――貴方たちが地底に移り住んでから鬼たちが移住してきて今の旧都社会が出来ましたが、貴方はその中心である鬼たちに《古明地こいし》という妹の存在を話して、旧都社会の中でも《見えないけど存在するらしい、地霊殿の主の妹》という妖怪の存在を知らしめたのではないですか。会ったことがないというヤマメさんもこいしちゃんの存在を知っていましたからね。そして実際に、こいしちゃんが見える妖怪がいたから、こいしちゃんは確実に地底に存在することができた」
「……パルスィさん?」
「と、勇儀さんの言葉を信じるなら萃香ちゃんね」
はあ、と私は頷き、それから自分の目元に手を当てる。
「蓮子。結局、私を含めて、こいしちゃんが見えることに法則性はあるの?」
私の問いに、蓮子は「いい質問ね、メリー」とにやりと笑った。
「私の知る限り、こいしちゃんがはっきり見えるのはメリー、パルスィさん、閻魔様、地上のあの子と、勇儀さんの言葉を信じるなら萃香ちゃん。閻魔様に見えるのは白黒はっきりつける能力のためらしいけど、閻魔様がこいしちゃんの見え方をどう表現したか覚えてる?」
「え? ええと……『見えるものが見えない』だっけ?」
「そう。こいしちゃんは、存在する――つまり見えるはずなのに見えない状態にある。ところで、これをひっくり返せば、『見えないものが見える』になるでしょう?」
「……私の目?」
「そうよ、メリーの境界視の能力。こいしちゃんは《見えないもの》になっているから、《見えないものが見える》メリーには見えるのよ。同様にパルスィさんは嫉妬の心が見える。地上のあの子は消えかかった幽霊が見える。萃香ちゃんは――その能力で目に見えないものも萃められるせいじゃないかしらね」
なるほど。
「さとりさん、また脱線してすみません」
「……いえ、続きをどうぞ」
「解りました。――さて、貴方はそうして地底にこいしちゃんの存在を噂として広めることで、消滅しかかったこいしちゃんの存在を地底で繋ぎ止めようとした。ただ、こいしちゃんが第三の眼を閉ざして、サトリ妖怪であるということを止めてしまったのは厳然たる事実。
地上の人間の里で、仕事がなくなった妖怪退治の家は、自警団だったり家具屋だったり、転職を余儀なくされました。妖怪退治の家から、別の看板に掛け替えて存続を図るわけです。同じように、自分自身を否定した妖怪もまた、その定義を書き換えて存続を図ることは可能なのではないでしょうか。
だとすれば、こいしちゃんが無意識を操る妖怪だというのは、そのために貴方が作った、新しいこいしちゃんの妖怪としての定義だったのではないですか。消滅しかかって誰にも見えないこいしちゃんが《存在する》ことに説得力を持たせるための設定として、無意識の妖怪というのは秀逸ですね。こいしちゃんの心が読めない貴方がその能力について異様に詳しいのは、それが貴方の作った設定だからでしょう。
そうして、こいしちゃんの存在はこの地底の内部で繋ぎ止められたはずでした。――ですが、想定外の事態が貴方を待っていました。それは、無意識の妖怪となって放浪するこいしちゃんが地上に出てしまっていることです。
この地底で辛うじて消滅しかけた存在を繋ぎ止めているこいしちゃんが、かつて消滅しかけた場所である地上に出るということは、再びこいしちゃんが消滅の危機にさらされるということです。それを阻止するために、貴方は勇儀さんに依頼して、こいしちゃんが見える橋姫に、こいしちゃんの地上への出入りを見張るように頼んだのではないですか。ですが、橋姫は積極的にこいしちゃんを止めようとまではしてくれず、こいしちゃんの地上放浪は止まなかった。強く要望しようにも、貴方は地底でも嫌われ者ですから、貴方の要望を聞いてくれる妖怪は少ないでしょう。さとりさん、貴方はかなり追いつめられたはずです。
――そこに文字通り降って湧いたのが、八坂様の件だったのでしょう」
衝立の向こうは、ただ沈黙する。
「地上からやって来た神様が、ペットの鴉に強大な力を与えた。この出来事は、貴方にとってまさに救いの神だったはずです。地上と地底の不可侵協定を、地上の神が先に破ってきた。ならば、地底から地上に介入しても、先に協定を破ったのは地上だと言い張れる。だから貴方は、八咫烏の力で調子に乗り始めたおくうちゃんに密かに接触し、地上侵略をそそのかしたのではないですか。記憶力に難のあるおくうちゃんがそのことを忘れるのも見越した上で――。
おくうちゃんが八咫烏の力で地上侵略を試みれば、地上の実力者がそれを止めに現れる。その地上の実力者を介して、こいしちゃんの存在を地上に知らしめること。こいしちゃんの消滅を防ぐために、新しいこいしちゃんの妖怪としての定義を、地上に広めること――貴方の目的はそれだったのではないですか。お燐ちゃんがおくうちゃんを止めるために、怨霊を解き放つことまでは予想していなかったんでしょうが……」
小さく苦笑して、蓮子は天井を振り仰ぐ。
「そう考えると、さとりさん。貴方が私たちを出迎えたときの反応も、改めて考えると奇妙でした。貴方は、私とメリーが地上から来たことに対して一切特別な反応をしませんでしたね。まるで地上から誰かが来ることは最初から織り込み済みだったかのように。
そういえば、貴方がメリーの顔を見て『こいしが帰って来ているの……?』と呟いたのも、あのときは『地霊殿に』帰って来ていることに驚いたのかと思いましたが、あれもこいしちゃんが『地底に』帰ってきていることに驚いていたのではないですか?
そうして貴方は、私たちにこいしちゃんの捜索を依頼した。こいしちゃんの設定を異様に詳しく説明した上で、です。私たちがこいしちゃんを見つけられるかどうかは問題ではなかったのでしょう。地上に戻った私たちが、無意識の妖怪としてのこいしちゃんの話を地上に広めてくれること――貴方が私たちに望んだのは、それだけだったのではないですか?」
さとりさんは、何も答えない。
蓮子はひとつ息を吐いて「私の推理は、これでほとんど終わりです」と告げる。
「ただ――最後にひとつだけ、どうしてもどっちなのか判断できなかったことがあるんです。別に答えてくれとは言いませんが、私の疑問を聞いていただけますか」
その言葉にも、さとりさんの返事はない。
蓮子は沈黙を肯定と受け取ったように、おもむろに口を開いた。
「――以上の私の推理は、こいしちゃんが既に一度完全に消滅してしまっていたとしても成立するのではないかと思うんですよ。今、この地底に存在してメリーが目撃した《古明地こいし》ちゃんは、一度完全に消滅してしまったサトリ妖怪の妹を、貴方が閻魔様の協力で《無意識の妖怪》として蘇らせた存在だとしても、成立するように思えるんです。
――閻魔様は、こいしちゃんが実在するとは断言してくれましたが、今も存在しているとは言わなかったんです。貴方に地底の怨霊の管理を任せる報酬として、閻魔様が貴方に与えたのは――自分がサトリ妖怪であることを否定して消えてしまった妹を、別の妖怪として蘇らせることだったのではないかと……。さとりさん、これは私の、無礼千万な妄想に過ぎないんでしょうか?」
第8章 地霊殿編 一覧
感想をツイートする
ツイート
更新お疲れ様です。
地底の妖怪はレゾンデートルに関する作品が豊富ですね。
また読み返してみたくなりました。
今回の異変は、こいしの消滅を防ごうとしたさとり様の仕業では?
と、ここまでは推測できたんだけど。
最後のは予想外だわ…。
地霊殿好き・古明地姉妹好きの自分としては、ちょっとヘビーだわ。。。
でも、そんな悲しみを一人で背負うさとり様がいかにもさとり様っぽくて…。それがなんとも切なくて素敵です。
エンディングでは幸せになってほしいなぁ。
「妖怪を認識させる=存続させる」ための幻想郷であり、「その中ですら忘れられる=消える妖怪」という問題を忘れていました
お空が元気一杯であるように、まだ危機はそこにあるわけです
そこに対抗するかのごとく、『消えた存在の復活』と来るとは!
二つ↑
駄目だ
某サークルの楽曲(筆者がそのサークルの二次創作を合同紙にて書いている)のせいで古明地姉妹には、重い内容しかないイメージが染み付いてる。
でも、ここはろんぐのゔぇるだから、えんでぃんぐは、しあわせになっているとおもえるの。
◇たぶん。
お空の件だけでも当たって良かった(小並感)
こいしが一度消失している可能性については考えなかった、すげえ
いやーやっぱ最後に予想外のゾクッとする事を持ってくるねえ
今まで色々な所に散りばめられたピースに確かに目を通してきたはずなのに、それでも解決パートで唖然としてしまいました。まだまだ想像力が足りないようです…
ところで、パルスィがこいしを認識するときに見る嫉妬の心とは、多かれ少なかれ普段から人妖に備わってる感情の一つとしての、という思考でよろしいですか?……こいしは何かに特別に嫉妬していましたっけ
嫉妬かどうかはわかりませんが
メリー一人の場合には出てくるのにメリーと蓮子が一緒だと
出てこないあたり好き嫌いはあるのでしょうね。
それが嫉妬からだとしたら橋姫にも見えるのでしょうね。
こいしの消滅を防ぐためというのは過去の様々な物語より想像がつきましたが
最後の下りはゾクッとしました。
こいしちゃんの存在維持ないし蘇生のための異変か。少し感動しました。もしこれが真実なら心綺楼は正にこいしちゃんの存在を確固たるものにするでしょう。
今回も蓮子の推理には本当に感服しました。
作製お疲れ様です~大雑把ではありましたが、私の推理微塵程度ですが当っていたみたいな感じになりました~^^;いやぁ、さとりが妹のこいしを救済する為の異変だったとは…流石ロング・ノヴェル奥深いです~それにしてもさとりの妹への愛に思わず、ウルッときました