東方二次小説

幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編   マリオネット後編 最終話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編

公開日:2016年01月06日 / 最終更新日:2016年02月18日

アリスの章

 鳥のさえずりが聞こえる。
 どうして毎日のように我が家の庭に寄ってくるのだろう。半分以上覚醒しきらない意識のまま、アリスは顔を上げた。
「ん……」
 うっすらと瞼を開く。視界はこれ以上ないほどにぼやけていた。涙でも張り付いているのかもしれない。
 一度大きく伸びをした。すると思っていた通り、涙が流れ落ちた。それを腕で擦ってしまうと、晴れた視界に満足しながらアリスはのろのろとベッドから降りた。最近、めっきり朝に弱くなった気がする。朝起きるのがこんなにもきつく感じるようになるとは、一年前まで思ってもみなかったことだ。
 起きてみると、室内がかなり蒸されているのに気づいた。もうすぐ真夏に入るのだから当然なのだが、この蒸し暑さはそれだけのせいではない。昨晩、しとしとと降っていた雨のせいだ。小降りではあったが、長々と降っていたために蒸し暑さが尾を引いたのだろう。
 換気と趣味を兼ね、アリスはリビングへ足を向けた。寝室とリビングはドアを一枚隔てているだけである。
 家中で一番大きなカーテンとガラス窓を前にすると、何の躊躇いもなくそれらを開いた。閉じていたカーテンからは淡い光が射していたが、開けてみればそんな淡い光などどこにもなく、一瞬で目の前が真っ白になるほどの強烈な日光に曝された。思わず目を閉じ、顔を背ける。
 鳥のさえずりは、アリスが窓を開けたことで終わりを告げた。物音に驚いたのか、鳥たちが一斉に飛び去ってしまったのだ。再び目を開いた時には、一羽たりとも残っていなかった。
 せっかく朝の挨拶をしようと思ったのに。毎朝ここに集ってくるんだから、少しは警戒を解いてくれてもいいのではないか。納得がいかない――アリスは憮然としながら、開けた窓をそのままに、カーテンだけ閉めた。
 台所で水を一杯調達すると、リビングのソファーに腰掛けた。今日はそこそこ風があるらしく、重さもある大きなカーテンが膨らんでいる。その様子を見遣りながら、アリスは今日の日付を頭に浮かべた。
 ――六月二十三日。
 あれから丁度一年目だった。
 まだたったの一年だというのに、もう十年も経ったような気がする。こんなことを言うとまたパチュリーに説教をされそうだが、心の傷はそう簡単に癒えそうにもない。つい二日前に、こっそり金本理沙と岸崎玲奈の墓前に顔を出したせいもあるかもしれないが。
 感傷の波に攫われそうになったその時、玄関に備え付けてある呼び鈴が来客を告げた。しかも相手は一度だけでなく、立て続けに三度も鳴らしてきた。
 なんて非常識な、と腹ただしさを覚えながら玄関に向かう。これで魔理沙あたりの顔でも拝もうものなら、頭ごなしに怒鳴りつけてやろうと思ったが、いざドアを開けてみると、その考えはいっぺんに萎んだ。
「あら、リグルじゃない」
 後ろにはルーミアとチルノの姿が。リグルとルーミアは沈んだ顔をしているが、チルノは呆け顔だ。
「どうしたの、こんな朝早くに」
「別に早くないと思うよ」
 答えたのはチルノだった。「もう十時だし」
「え、うそ」
 血の気が引くような話だった。
 遅くても八時頃だと思っていたのに、もう十時?
「そんなに驚かなくても。あたいはお姉さんに驚いたよ」
「え? なんで」
 涙の跡でも残っていたかとひやりとしたが、チルノの口から出てきたのは存外な言葉だった。
「その服、凄いからさ」
 思いっきり人差し指をさされたが、それを注意している場合ではなかった。
 これって、いつかの巻き直しじゃない――
 アリスは恥ずかしさで耳輪まで真っ赤にした。
「なんて言うの?」
 チルノの無邪気な質問が鼓膜を振るわせる。アリスは消え入りそうな声で答えた。
「……貴方たちは知らなくていいのよ」
 暖かい季節の間、寝間着は毎日が薄いネグリジェと決まっている。

 墓参りに来た、とリグルは言った。
 例の事件から一年ということで、わざわざ足を運んでくれたというわけだ。手には花束が握られている。
「もう終わったことなんだし、気にしなくたっていいのに」
 苦笑しながら墓まで案内する。と言っても墓は敷地内、それも庭の脇だ。一言二言交わすと、あっという間に到着した。昨日の雨が嘘のように、草木は渇き切っている。
「随分大きくなったね」
 ゴーレムの――正確にはコピードールらしいが、アリスは今でもゴーレムと言っている――墓から生える一本の木を見つめながら、ルーミアは今日初の言葉を発した。彼女は人間の童女と同じくらいの背丈で、一メートルちょっとしかない。木もまた、それくらいの高さである。一年前は双葉だったことを考えると、まだまだ成長途上とはいえ、立派と言えるほどにはなったか。
「まだ何の木かわからないの?」
「ええ。ちっとも」
 アリスが『ゴーレムの木』と呼んでいる木は、いまだに得体が知れなかった。
 樹皮等の見た目は樫に近いのだが、葉が枯れているわけでもないのに土色をしており、しかも幹がかなり細いことから、新種の樹木なのではと巷では噂されている。
「そうなんだ」
 来客二人は膝を折り、墓を兼ねているゴーレムの木の前で懺悔するように頭を垂れた。チルノだけが明後日の方を向いている。そう言えば、どうして彼女は随行してきたのか。友人として見守りたいがためか?
「ごめん、なさい」
 リグルが持ってきた花束を添える。謝罪の言葉は、チルノの吐いた溜め息にさえかき乱されてしまうほどの微かな声量だった。

「お邪魔しました」
 三人組は早々に引き上げていった。お茶でもどうかと誘ったが、固辞されてしまった。終始暗い顔をしていたくらいだから、いまだに罪悪感に苛まされているのだろう。特にリグルは根が深そうだ。
 彼女は結局、無罪放免となった。真犯人はゴーレムであり、リグルは脅されて仕方なく手を貸し、ルーミアはリグルを庇おうとして自分が犯人だと嘘をついた、ということになっている。
 最初こそ、人間たちはこの説を強く退けていたそうだが、被害者である金本家と岸崎家の両家が間違いないと判を押したことにより、うやむやな感じのままに事件は終わりを見た。一年が経っても陰謀だと息巻く人はちらほらといるが、それも段々と数を減らしてきている。
 ただ、事件の加害者であるリグルたち(チルノは違うが)は真実を知っている。ゴーレムが全ての罪を被った、という真実を。だからこそ、心が罪悪感に押し潰されているのではないかと心配になるのだ。妖怪とはいえ、リグルもルーミアもまだ幼い。そしてリグルは岸崎玲奈を直接的に死に至らしめた――たとえそれが不慮の事故であったとしても――張本人であるため、特に心配になる。
 ちなみに、ゴーレムを作った犯人も、不可抗力だったとして無罪となった。しかもゴーレムは外の世界で作られたことになっている。
 原因は私にあるのに、とアリスは自虐的な笑みを浮かべた。
 見下ろす先に、ゴーレムの木がある。
 ここだ。全てはここから狂っていったのだ。二人の命の灯火をもみ消し、幻想郷を混乱に陥れた元凶が、ここにある。
 アリスはネグリジェ姿のまま、ぺたりと庭に座り込んだ。背の低い草が座布団代わりになり、なかなか座り心地がいい。ゴーレムの木も、わざわざ見上げなくとも目の前にあるため、自然と視界に収まる。
「さてと。おはよう、ゴーレム」
 いつもなら明朝、新聞を取りに行くついでに挨拶を投げるのだが、今日は色々とあって遅くなってしまった。
 ゴーレムの木は何の反応も見せない。木なのだから当然なのだが、元は自律人形だったのだからと、アリスはいつも淡い期待を抱いている。いつかは頷くくらいはしてくれるのではないか、と。たとえそれが主人を昏倒させ、人の命を奪った非道な自律人形であったとしても。
 アリスはぼんやりと木を眺めた。こうして木を見るたび、遠い過去の自分に出逢う。人間だった頃の、幼いアリス・マーガトロイドに。
 口外したことこそないが、自分には幼少期より不思議な異能が備わっていた。相対するだけで人形の声を聞くことができる、というものである。声と言っても通常の発声が伴う声ではなく、いわゆる心の声というやつだ。テレパシーとも言えるか。人形が今どう思っているのか、手に取るようにわかった。もちろん喜怒哀楽も余さず。
 生きているはずのない人形の心の声を拾える――という異能が発現してからは、それまでは人並みだった人形に対する愛着が、常軌を逸するほどに膨らんだ。もはや物に対する「愛着」などではなく、人に対する「愛」そのものとなっていった。人形は生きているのだと確信したが故に、深い愛情を注ぐようになったのだった。最初に異能が発現したのは、七つの頃だったと記憶している。
 それからというもの、アリスはどうにかして人形に自由を与えてやれないかと思案するようになった。感情はあるのに、喋ることも、歩くことも叶わないのではあんまりだ。人形だってそう望んでいる。人間のように、自由に歩いたり話し込んだりしたいと。だから唯一人形の声を聞ける私が何とかしてあげなきゃ――。
 人形師としての歩みは、ここから始まった。
 けれど、ゴーレムの心の声はまだ聞けていない。意識を刈り取られ、目が覚めるともう、彼女はこの世からいなくなっていた。人形としての形すら失い、ただの土塊に逆戻りしてしまっていたのである。
 土くれに触れてみても、そこから生えてきた木に触れてみても、声は拾えなかった。どうやら人形としての形が残っていないと、心の声は聞けないらしい。初めて知ったことだった。
 そんなわけで、アリスはゴーレムの心の声も、彼女が叶えたがったはずの願い事も聞いていない。一緒に暮らすことも、頭を撫でてやることもできなかった。生みの親として、これほど心残りなこともない。「生まれてきてくれてありがとう」という一言さえかけてやれなかった。
 結局、私は無力だった幼い頃と何一つ変わっていないということだ――深い溜め息を漏らし、アリスは瞑目した。
 興奮のあまり周りが見えなくなり、本一冊に傾倒してしまったのは己の未熟さのせいであり、魔法使いにあるまじき行為だ。その果てが、人命を二つも落とすような、郷を乱すような惨劇に繋がったのだから、罪は深い。我が子を殺人犯にしてしまったことも含めて。
「許して頂戴……」
 おそらくは何も知らなかったであろうゴーレムを想うと、鼻の奥がじんと熱を帯びた。
 彼女は彼女なりのやり方で生活を始めただけだったはずだ。普通の人生を。自分らしい人生を。
 ただ、運悪くそれが受け入れられない世界に生まれ落ちてしまっただけで。生み落としたのは他でもない私で、だから悪いのは全部私だ。
「私のせいで、みんな」
 その先は声にならなかった。涙が込み上げてくるのも止められない。
 自律人形完成の夢は、脆い土砂の如く崩れ去り、玄く幽かな心の闇に沈んだ。悼みも一緒に。そして何かの拍子に――水底から浮き上がってくる澱のように――ある一瞬だけふと想い出すのだ。罪悪感を帯びた、褪せることのない記憶として。おそらくはこれ以降、死ぬまで永遠と。
 さわさわと夏の風の音が聞こえる。前髪が揺れる感触がある。頬に熱い滴が流れていく。

 もう、一年前の初夏は遠く、手を伸ばしても届かない。


                    ( 了 )

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