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こちら秘封探偵事務所第6章 風神録編   風神録編 第9話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第6章 風神録編

公開日:2017年02月11日 / 最終更新日:2017年02月11日

風神録編 第9話

―25―


「ああ~~~、足痺れたぁ、頭痛い」
「もう、蓮子が悪いのに私まで巻き添えを食ったじゃない」
 ようやく慧音さんの説教から解放されて、私たちは探偵事務所で痺れた足と頭突きされた額をさすっていた。翌日も授業があるのに残るほど深酒するとは何事か、おまけに教師が遅刻していたら子供たちに示しがつかないし予定も狂うんだ、まして外泊とは子供たちは真似をしたらどうする、危険のない場所だとしても外泊するときはせめて私に一言入れろと何度も言っているだろう――慧音さんの言葉はいちいちぐうの音も出ないわけで、私たちはしおらしく正座しているしかなかったわけであるが、それにしても慧音さんの頭突きは痛い。
「メリー、ゆうべ早苗ちゃんにしてたみたいに膝枕して」
「お断りします。私だって足痺れてるのよ」
「けーちー」
「誰のせいだと思ってるのよ」
「名誉の負傷と言ってほしいわ。博麗神社と守矢神社の全面宗教戦争を阻止した功績を称えてくれてもいいじゃない」
「誰が阻止したのよ、誰が。異変解決に失敗したっていじけてたのはどこの誰よ」
「宇佐見蓮子さんの体当たりのユーモアが霊夢ちゃんの気勢を殺いで落ち着いた話し合いを為せる状態を作りだしたのよ。つまり実質あの場を調停したのは私だったのよ」
「誰も賛同しないわよ、その見解」
「あら、相対性精神学的には私がそう考えれば私の中ではそうであるということでいいじゃない。客観的矯正力何するものぞ、よ」
 立ち直りが早すぎる。もう少しいじけてくれてた方が楽だった気がする。
 まあ、両者の対立は博麗神社の境内に守矢神社の分社を作るという結論に落ち着いたようだし、今回の騒ぎはこれで終了だろう。終わってみればあっけない騒ぎだった気もする。
「じゃあ私は、宇佐見蓮子の失敗談として今回の騒ぎを記録しておくことにするわ」
「――あらメリー、もう終わったつもりなの?」
「え?」
「守矢神社の謎は、まだ解決してないわよ」
 むくりと身体を起こし、蓮子は私に向き直った。私は眉を寄せる。――謎なんて、残っていただろうか? 探索と、早苗さんから聞いた話とで、ほぼ説明がついたと思うが――。
「謎って……守矢神社が本当に諏訪大社かどうかってこと? それはもう、外の世界に出てみないと確かめようがないじゃない。それ以外はもうだいたい……」
「説明がついたって? そうね、じゃあまとめてみましょうか。既に解決したと思われるものを含めた、守矢神社の謎を」
 相棒が文机と紙を私の方に寄せる。記録しろということか。ため息をついて、私は筆を手に取った。まあこれも、異変のたびに慣れたプロセスである。
 ――というわけで、このとき相棒が列挙したのは、以下の謎である。
 この物語は後から私が書いているものだが、以下に列挙する文字列は、このとき私が記したものそのままだ。故に、このときの私たちがふたりともしていた誤認も、そのまま反映されていることを、付記しておく。

守矢神社の謎
 一、守矢神社はなぜ、幻想郷に移ってきたのか。
 一、なぜ、神社だけでなく湖まで一緒に移ってきたのか。
 一、守矢神社は、外の世界の諏訪大社なのか。
 一、諏訪大社だとすれば、下社秋宮だけが幻想入りしてきたのか。
 一、諏訪大社だとすれば、外の世界の諏訪大社(と諏訪湖)はどうなっているのか。
 一、逆に、諏訪大社でないとすれば、なぜ守矢神社は諏訪大社を模しているのか。
 一、なぜ、あの神社は守矢神社と名乗っているのか。
その祭神の謎
 一、八坂神奈子様は、八坂刀売神なのか、建御名方神なのか、両者は同一なのか。
 一、守矢諏訪子様は、ミシャグジ神そのものであるのか、それとも別の神様なのか。
 一、守矢様はなぜ、その存在を結界の向こうに隠されているのか。
 一、なぜ彼女ら二柱は、早苗さんとともに幻想郷に来なければならなかったのか。
 一、彼女ら二柱は、外の世界からは完全に消えてしまったのか。
   それとも、幻想郷に来たのはあくまで分霊で、本体は外の世界に残っているのか。
東風谷早苗さんの謎
 一、東風谷早苗さんとはいったい何者なのか。
 一、彼女はなぜ、外の世界を捨て、幻想郷にやってきたのか。
 一、彼女の持つ力は、早苗さん自身の力なのか、それとも八坂様・守矢様の力の代行なのか。
 一、彼女はなぜ、外の世界で神として祀り上げられることになったのか。
 一、彼女の家系が同様の能力を持っていたのなら、彼女の親や祖母は神として祀り上げられ
   ることはなかったのか。
妖怪の山の謎
 一、なぜ《文々。新聞》の発行が止まっているのか。射命丸文さんは何をしているのか。
 一、天狗はなぜ、守矢神社を強く警戒しているのか。

「……蓮子、早苗さんの話を疑ってるの?」
 相棒の列挙した謎を書きだしたところで、私は眉を寄せて相棒を見つめた。それはいくらなんでも、薄情というものではないだろうか。あのとき、早苗さんが語った自身の来歴――あの言葉に嘘があったとは、私は思いたくない。こみ上げる感情を堪えていた彼女の顔、蓮子にすがりついて肩を震わせたその姿が演技だなどとは――。
 蓮子は肩を竦め、「早苗ちゃんが嘘をついてる、とまでは思ってないわよ」と答えた。
「でも、彼女の話を疑ってるんでしょう?」
「早苗ちゃんが、あのとき語った話そのものは、おそらく事実だわ。だけどそれはたぶん、早苗ちゃんの目から見た事実でしかない、ということよ」
「――早苗さんも知らない秘密が、守矢神社に隠されてるってこと?」
「さて、その可能性があるかどうか、彼女の話を検討してみましょうか」
 文机を挟んで、相棒は私に向き直った。
「まず、ここまで私たちが調べて話を聞いた限りで、どのくらい説明がつくか確認してみるわよ。――早苗ちゃんは、外の世界で守矢の神様に仕える風祝の家系に生まれた、神様が見える子供だった。常識的な科学世紀の社会に馴染めなかった早苗ちゃんは、守矢の秘術を受け継いで風祝を継ぐことにした。だけど、彼女の強すぎる力によって、守矢の神様ではなく早苗ちゃん自身が信仰される立場になってしまった。八坂様と守矢様は、早苗ちゃんをそんな境遇から救うため、幻想郷への神社ごとの引っ越しを決断した」
「うん。早苗さんの話を要約すると、そういうことになるわね」
「概ね納得できるストーリーだけど、ただこれは、あくまで早苗ちゃんの目から見た場合の解釈ということになるわ」
「どういうこと?」
 私が首を傾げると、蓮子は「八坂様たちの立場を考えてみれば解るわよ」と肩を竦める。
「いい? メリー。早苗ちゃんはあくまで、八坂様と守矢様に仕える巫女。つまり、外の世界の守矢神社――諏訪大社かどうかは置いておいて、この神社は、八坂様と守矢様への信仰を集めるための装置だったわけじゃない。だけどそこで、早苗ちゃん自身が神様に祀り上げられてしまったとしたら――どういうことが起こるかしら?」
「……八坂様たちへの信仰が、早苗さんに奪われてしまう?」
 私はそう口にして、息を飲んだ。――だとすれば、早苗さんの認識している事実は、神奈子さんたちの視点から見ると、まるで別の形になってしまう。
「そういうことよ。だとすれば、守矢神社が幻想郷にやって来た理由は――少なくとも、早苗ちゃんを神様に祀られてしまった立場から救うため、だけではありえない。そう考えると、早苗ちゃんが私たちの見る目を気にしていて、八坂様の力を使って戦うべきか、という伺いを八坂様に立てていたことも、説明がつくわ」
 弾幕ごっこの説明をしたときのことだ。――ということは、早苗さんが私たちの見る目を気にしていたのは、ただ私たちとの良好な関係を変えたくなかった、というだけでなく……。
「早苗さんは、私たちに信仰されてしまうことを恐れていた……」
「そうなるわね。早苗ちゃんが、自分が現人神であることを秘密にしていたことからも、守矢神社の中で共有された意志が見いだせるわ。――つまり」
「……早苗さんを、神様から人間にするために、守矢神社は幻想郷に来た」
「そうよメリー。八坂様と守矢様が、早苗ちゃんに私たち普通の人間の友達ができたことをあんなに喜んでいたのも、つまりは早苗ちゃんを普通の人間にするため。それはもちろん、早苗ちゃんに人間としての自由を与えることも目的でしょう。でも、神様である八坂様と守矢様には、そこにもっと即物的な、そうしなければならない理由があった」
 そこで言葉を区切り、相棒は吐き出すように、その言葉を口にした。
「――早苗ちゃんに、信仰を奪われないため、よ。言い換えれば、早苗ちゃんと八坂様たちの関係は、即ち建御名方神とミシャグジ神の関係だった。――八坂様たちにとっては、早苗ちゃんこそが、自分たちの神社と信仰を奪いに現れた、外の神様だったのよ」




―26―


 私は何と言葉を返していいかわからず、口ごもる。
 物事は常に二面性を持つ――と、神奈子さんは言っていた。これも即ち、そういうことだ。早苗さんは、神奈子さんと諏訪子さんは自分を救い出すために外の世界を捨てたと思っているのだろう。しかし、仮に理由がそれだけではないとしても、神奈子さんたちに早苗さんを自由にしようという意志がなかったわけでもないだろう。物事が二面性を持つのはただの解釈の問題であり、その善し悪しを外野がどうこう言えるものではないのだ。
「……とまあ、現段階の情報ではそこまでは推察できるのだけどね」
 と、相棒はまたごろりと畳に寝転がり、天井を見上げて目を閉じた。
「逆に言うと、現段階で推察できるのはそこまでよ。守矢神社の謎は、まだ全く解けていないわ。あの神社が諏訪大社なのか否か。八坂様と守矢様は何者なのか。妖怪の山の、天狗の動きの理由は。――たぶん私たちは、まだ肝心な情報を入手できてないのよ」
「妖怪の賢者に掛け合って、外の世界の諏訪大社を見せてもらう、とか言わないわよね」
「それができれば一番だけどね。まあ、できないものと考えて、次善の策を練るわ」
「次善の策、ね。……これ以上、守矢神社の秘密を突っつき回して、いいのかしら」
 私がぽつりと呟くと、「ん?」と蓮子は片目を開けて、畳に頬杖をついた。
「蓮子が異変の謎を追い回すのは、この世界をさらに面白くするためでしょう?」
「そうよ」
「守矢神社の秘密をこれ以上探って、もし出てきた真実が、世界を面白くするような類いのものじゃなかったら――どうするのよ。早苗さんと気まずくなるだけじゃないの?」
 私の言葉に、蓮子は身体を起こすと、あぐらをかいて「もちろん、その可能性は承知してるわよ」と目を細めて私を見つめた。
「ただ、守矢神社の正体は、私たち自身にも関わってくることなのよ、メリー」
「……外の世界の歴史が、私たちの未来と繋がっているかどうか?」
「そう。もし外の世界から諏訪大社が消えているなら、外の世界の歴史は私たちの未来と繋がっていないことになってしまうわ。そうすると、私たちのタイムトラベルで歴史が変わってしまったか、あるいは私たちが並行世界に来たのか――いずれにしろ、守矢神社の謎を解き明かさない限り、私たちは歴史が変わってしまったかもしれないという可能性を恐れ続けなければならなくなるわ」
「――だったら、八坂様にもっとストレートに訊けば良かったじゃない」
「じゃあ、八坂様が仮に『外の世界に諏訪大社は残っているよ』と答えたとして、外の世界を観測できないのに、本当のことを言っていると、どうやって証明するの?」
「それじゃ、外の世界を観測できない限り堂々巡りじゃない」
「だから、私たちが納得して早苗ちゃんたちと今後も付き合っていくために、私たちは守矢神社の謎を解かないといけないのよ。――仮に守矢神社が本当に諏訪大社だとすれば、いくつかの疑問はあるしね」
「疑問って……下社秋宮だけってこと?」
 私は列挙した謎を記した神に指を走らせる。――諏訪大社だとすれば、下社秋宮だけが幻想入りしてきたのか。
「そう。私たちが見た守矢神社は、諏訪大社の下社秋宮に酷似していたわ。巨大な注連縄、御柱、そして湖――守矢神社は何もかも、そこが諏訪大社であることを誇示している。だけどね、本当に諏訪大社の幻想入りだとすれば――絶対的に中途半端なのよ」
「……そうね。諏訪大社は、二社四宮からなる神社だものね」
 私はサナトリウムからの帰り、蓮子と信州観光をしたときのことを思い出す。諏訪大社はひとつの境内地だけの神社ではない。諏訪湖を挟んだ対岸――南側に上社本宮・前宮、北側に下社春宮・秋宮の二社四宮からなる神社なのだ。
「そう。守矢神社が諏訪大社なら、二社四宮全てが幻想入りしていないとおかしいのよ。まして、そうでなければ、湖までもが幻想入りしてきた意味がない」
「御神渡り、ね」
 冬期、凍結した諏訪湖の湖面が、氷の膨張と収縮の繰り返しによって、氷の道のように隆起する自然現象である。上社に祀られた建御名方神が、下社に祀られている八坂刀売神に会いに行くための恋の道である――というロマンチックな言い伝えがあるが、私たちのいた二〇八〇年代の諏訪湖では、温暖化のためにもう数十年に渡って観測されていない現象だった。
「私たちの見た守矢神社が諏訪大社の下社秋宮で、あの湖が諏訪湖なら、その対岸に上社本宮がなければいけないのよ。そうでなければ、八坂様が建御名方神でも八坂刀売神でも、どっちにしても御神渡りをする意味がない。御神渡りをする意味がないんじゃ、湖ごと幻想入りしてきた意味がない。――だから論理的には上社が対岸にあるはずなんだけど、早苗ちゃんも八坂様も上社の存在は一言も口にしなかったわね」
「本当は、あるのかもしれないわよ」
「そうね。だからそこもきっちり確かめないといけないんだけど、そのためにはあの湖を渡らないといけないし……そこも、何か手を考えないといけないわ」
 腕を組んで唸る蓮子に、私は目を細める。
「……ねえ蓮子。じゃあ、仮に守矢神社が、諏訪大社を騙っているだけだったとしたら、当然それは早苗さんも承知の上で諏訪大社のふりをしているのよね?」
「それはまあ当然、そうなるわね」
「この幻想郷で、そうまでして諏訪大社を騙る意味なんてあるの? それに、諏訪大社を騙っているなら、それこそ守矢神社じゃなく、諏訪大社と堂々と名乗ればいいじゃない。――この幻想郷が日本のどこにあるのか知らないけど、諏訪大社の威光がこの幻想郷に通じるならもっと堂々と諏訪大社を演じればいいんだし、通じないならわざわざ騙る意味がないわ。まして、名前を変えて見た目だけ諏訪大社を演じるなんて――中途半端すぎない?」
「冴えてるじゃない、メリー。だからそれが、守矢神社の最大の謎なのよ」
 つまりまとめると、こういうことになる。
 守矢神社が諏訪大社だとすれば、二社四宮全てが幻想入りしていないと中途半端である。
 諏訪大社でないとすれば、中途半端に諏訪大社を模している意味がよくわからない。
 ――どちらだとしても、巧く説明がつかないのだ。
「さて、メリーに問題点を理解して貰えたところで、調査に出ましょうか」
 すっくと蓮子は立ち上がり、帽子を手に取って被ると、私に流し目を向けた。
「調査って……三日連続で守矢神社に行く気?」
「いやいや。まずは外堀を埋めるための、情報収集よ」
 にっ、と猫のような笑みを浮かべた相棒に、私はため息をついて立ち上がった。




―27―


 というわけで、私たちが真っ先に向かったのは例によって稗田邸である。
「建御名方神は古事記に名前が出てきたはずだし、まずは阿求さんよ。まずは、建御名方神と八坂刀売神、ミシャグジ神あたりについて、もうちょっと詳しく調べないとね」
 何しろ稗田阿礼の生まれ変わりなのだから、古事記は専門中の専門のはずだ。諏訪の土着信仰まで詳しいかどうかは解らないが、そのへんの史料を当たるなら稗田邸の書庫である。
 ――なのだが。
「え、留守?」
「申し訳ありません」
 女中さんはあんまり申し訳なく思ってなさそうな顔で頭を下げた。深窓の令嬢みたいな見た目に反して、阿求さんは意外と活動的で、屋敷を留守にしていることも多い。私たちも彼女の取材に付き合って、彼女を紅魔館へ案内したり、太陽の畑に出向いたりしたことがある。表情からして、女中さんはそういう阿求さんの活発さをあまり良く思ってないのかもしれない。まあ、里の象徴である屋敷のお嬢様がほいほい危険な里の外を出歩いているようでは、屋敷に勤めている人たちは胃が痛くもなるだろう。
「どちらに? 鈴奈庵ですかね」
「いえ、収穫祭の打ち合わせだそうです。遅くまでかかると」
「ああ、そうか、その時期だもんね。了解しましたわ。失礼いたしました」
 私たちは女中さんに頭を下げて踵を返す。そういえば、慧音さんも言っていたけれど、そろそろ里の収穫祭だ。里の農作を司っている豊穣の神様を集めて、一年の実りに感謝を捧げる宴を開く、里の行事の中でも特に大きな祭である。阿求さんは里を代表して豊穣神に挨拶をする役目を担っているから、打ち合わせに出ているのも道理だ。慧音さんもおそらく、自警団から出席しているのだろう。
「あてが外れたわね。どうするの?」
「仕方ないわね。慧音さんもそっちだろうし――」
 相棒は帽子の庇を弄りながら少しの間唸り――「あ、そうだ!」とぽんと手を叩いた。
「これは宇佐見蓮子ともあろう者が迂闊だったわ。もっと適切な情報源がいるじゃない」
「適切な情報源って?」
「そりゃ、紙に書かれた資料なんかより、もっとナマの情報よ」
 帽子の庇を持ち上げて、蓮子は得意げな顔で笑う。
「神話の時代を直接に知っている知り合いが、私たちにはいるじゃない!」

 ――かくして、やって来たるは迷いの竹林。
 生憎、私たちは未だにこの竹林を迷わず抜ける術を知らない。なので、まずは通い慣れたあばら屋への道を進む。蓮子が呼びかけると、のそりと藤原妹紅さんが顔を出した。眠そうな顔をした妹紅さんは、蓮子の顔を見て表情を綻ばせる。
「こんにちは、妹紅」
「やあ、いらっしゃい。突っ立ってないで入れよ。慧音は一緒じゃないのか?」
「あ、ごめん。今日は遊びに来たんじゃないの」
「ええ? なんだ、あの藪医者に担ぎ込む病人でも出たのか?」
 残念そうな顔で妹紅さんは肩を竦める。「ごめんね、この埋め合わせはまた今度」と蓮子は片手を挙げて頭を下げ、それから竹林の奧を振り仰いだ。
「八意先生たちじゃなくて、兎さんの方に用があるの。案内して貰えると助かるんだけど」
「兎? 薬売りに行ってる方か?」
「そっちじゃなくて、妖怪兎の頭領の方。ちょっと、訊きたいことがあってね」
「……ふうん。詐欺に引っ掛からないように気を付けろよ」
「肝に銘じておきますわ」
 そんなわけで、妹紅さんの先導で私たちは竹林の奧へと進む。
「私もあの兎どもがどこにいるかまでは把握してないぞ。まあ、大抵は永遠亭の近くで遊び呆けてるから、屋敷の近くまで行けば一匹ぐらい捕まるだろうけど。……あの兎に何を訊きたいんだ? 嘘八百を吹き込まれても知らないぞ」
「ちょっと、昔の話をね。それも、彼女しか知らないような大昔の話」
「……私が生まれるより前か」
「そう。輝夜さんと永琳さんが地上に来るより前」
「ちぇっ。それじゃ、私も役に立てないな」
 妹紅さんは悔しそうに口を尖らせる。蓮子の目的が自分でなくて拗ねているらしい。千年以上生きている不老不死の妹紅さんだけど、そういう顔をしていると見た目相応の女の子に見える。妹紅さんのそういう表情は、たぶんにこの相棒が与えたもので、早苗さんの件といい相棒の人たらしぶりも人のためになるという実例ではあるのだが、こうして相棒のマイペースぶりに振り回されるようになるという意味では被害者でもある。私のように。
「竹林を案内してもらえるだけで、充分役に立ってもらえてるわ」
「……だといいんだ、がっ!?」
 言いかけた次の瞬間、私たちの視界から妹紅さんの姿が消えた。
「妹紅!? 大丈夫?」
 蓮子が足を止め、足元へ向かって呼びかける。私も立ち止まって、突然地面に空いた穴を覗きこんだ。その底で妹紅さんがお尻をさすっている。けっこう深い落とし穴だ。
「いってて……くっそ、こんなのに引っ掛かるとは……おい、見てるんだろ、兎!」
 穴の底で妹紅さんがそう声を上げると、近くの茂みから「あれぇ?」と幼い声。
「姫様のお友達じゃん。あんたが引っ掛かるなんて珍しい」
「友達じゃない!」
 笹を揺らし、兎を従えて姿を現したのは、私たちの目当ての相手――本人の自称が本当ならば、神話の時代を直接に知っているはずの知り合い。因幡てゐさんだ。
「や、てゐちゃん。ご無沙汰してるわね」
「おう、蓮子じゃん。そこの蓬莱人と一緒に姫様を襲撃しに来たの?」
「いやいや、今日はてゐちゃん、貴方に用があって来たの」
「私に?」
「ええ。大国主に救われた因幡の素兎様に、神話の時代についてご教示を賜りたく」
「ほほう。よかろう。何でも訊くがよろしいぞ。しかし情報はタダではない。相応の対価を支払って得るものであり、ついでに幸運をサービスしようぞ。幸せウサギの御利益じゃ」
 得意げに胸を張りつつ、てゐさんは小さな賽銭箱を差し出す。蓮子は苦笑しつつ、「ははぁ、ありがたやありがたや」と拝みながら賽銭箱に小銭を落とした。私は落とし穴から妹紅さんを引っ張り上げながら、そんな茶番を眺めている。
「毎度ありぃ。で、何が訊きたいの? 大国主様のこと?」
「や、残念ながらそっちじゃなく、そのお子さんの方。建御名方神のことなんだけど」
「建御名方神? ああ、建御雷神に負けて諏訪に逃げてった奴か」
 古事記に見える葦原中国平定、いわゆる国譲りのエピソードだ。詳細は煩雑になるので各自阿求さんに訊くなどしていただきたいが、乱暴にまとめれば、葦原中国を平定した大国主一家を、天津神一家が力づくで追い出したという話である。その中で、天津神に派遣された建御雷神が、大国主の息子の建御名方神と力比べをするというエピソードがある。惨敗した建御名方神は諏訪湖まで逃げていき、追いかけてきた建御雷神に「もうこの地から出ません」と命乞いをしたという情けない話である。
「ということは、古事記にある国譲りの話は事実なのね?」
「天津神どもが大国主様を追い出したときの話でしょ? 事実だよ。やな奴らだよねえ」
 腕を組んで憤慨したようにてゐさんは言う。やはり因幡の素兎としては、助けてくれた大国主に肩入れしたくなるものらしい。
 ふむ、と相棒は帽子の庇を弄る。この国譲りのエピソードにおける建御名方神はいささか情けないが、この建御名方神の諏訪への逃亡は、諏訪の側からすれば建御名方神という外部の神様の侵攻なわけである。国譲りが事実なら、諏訪大社の縁起に記された建御名方神と土着神の争いも事実ということになろう。
「諏訪に逃げてからの建御名方神のことはご存じ?」
「さあ、そこまでは知らんよ。確か諏訪の神様になったんじゃなかったっけ?」
「諏訪の伝承では、土着のミシャグジ神を屈服させて、神社を乗っ取ったことになってるわ」
「ふうん。ミシャグジを、ねえ……」
 てゐさんは何か意味ありげに首を傾げた。
「あら、何か疑問が?」
「んにゃ、別に。聞きたいのはそれだけ?」
「いやいや、まだありますわ。じゃあ、八坂刀売神っていう建御名方神の奥さんのことは?」
「そんなん知らんて。私が尊敬するのは大国主様であって、その子供にゃ興味ないよ」
 なるほど、神話の登場人物(登場兎?)といえど、神話に語られていること全てを知っているわけではないのは当然である。
「それじゃあ、てゐちゃん。ミシャグジ神については何かご存じ? 姿形とか。実は不勉強で、ミシャグジ神についてはあんまり詳しいこと知らないのよね」
「ミシャグジに対して詳しいことなんて、私も語れないよ。怪力乱神を語らずってやつ。だいたいミシャグジって、大国主様あたりとは根本的に性質が違うし」
「というと?」
「ミシャグジってのは、そもそも実体の無い神なんだよ。大国主様とか建御名方神みたいに実体があって、神霊として祀られる神じゃなく、八百万の神の方。あらゆるものに宿ってる本質の中で、その一部を対象にした信仰に名前がついたのがミシャグジ。だからミシャグジみたいな神は、姿形なんかにはほとんど意味がない」
「ははあ。特定の人物を祀ったものじゃなく、自然信仰だってこと?」
「人間の言葉で言うならそういうことさね。だから、建御名方神がミシャグジを屈服させたってのはたぶん建御名方神が勝手に言ってることじゃん? 屈服させるも何も、そもそも神としてしての性質が全然違うからさ。ミシャグジへの信仰は、建御名方神みたいな神霊が奪える類いの信仰じゃないよ。そのへんの木石に対する信仰を屈服させたって言い張ってるわけだから、かえって間抜けじゃん」
 なるほど、そもそも建御名方神とミシャグジでは信仰の基盤が全く違うということか。建御名方神への信仰は建御名方神という神自身への信仰だが、ミシャグジへの信仰は自然そのものに対する信仰全般がミシャグジ信仰ということになる。それは確かに信仰が競合するはずもない。だとすれば諏訪の地で、建御名方神が表向き祀られていても、実際に信仰されているのはミシャグジ神である――という状況が成立するのも納得がいく。
 神奈子さんが建御名方神で諏訪子さんがミシャグジ神であるとすれば、二柱が表向き神社を乗っ取った勝者と乗っ取られた敗者でありながら、協力し合う関係にあるのも納得がいく。
「……ん? ちょっと待って、てゐちゃん。確認させて」
「なにさ?」
「大国主とか建御名方神みたいに、特定の個人を祀った神は神霊。自然物や現象に対する信仰に名前がついたものが、八百万の神。このふたつは別の概念なのね?」
「そうだよ。当たり前じゃん。まあ、大国主様も今信仰されてるのは色々混ざってるけど」
「じゃあ、たとえば、山そのものを信仰の対象とするような場合は」
「それこそ八百万の神だよ。ミシャグジなんかもその類い」
「分霊できるのは?」
「それは神霊の方。八百万の神は、ものそれ自体に宿ってる本質だから、神霊みたいに複製はできないよ。大国主様を祀る神社はみんな同じ大国主様を祀ってるけど、ミシャグジを祀る神社はそれぞれ別のものを祀ってるのさ。それをまとめてミシャグジって呼んでるわけで、ミシャグジってのは総称なの」
「じゃあ、ミシャグジが実体を持つことはないの?」
「や、そりゃ便宜上の実体を持つことはあるだろうさ。もちろん便宜上のものであって、いろんな信仰の総称だから姿形自体には意味がないってだけでね。私は兎だから兎にしかなれないけど、ミシャグジみたいなのは必要があればどんな姿にでもなれるのさ。……なに、難しい顔して。この因幡てゐ様の説明が解りづらいと申すか?」
「いやいや、たいへん解りやすい説明で、勉強になりましたわ。お礼にお賽銭もうちょっと奮発しちゃう」
「良い心がけじゃ」
 自慢げなてゐさんの賽銭箱に小銭を落としながら、相棒はしきりに帽子の庇を弄っていた。その仕草が、相棒の頭脳が回転している証であることを、もちろん私は知っている。
 その考えがどんなものかを、私はまだ知らないというだけで。

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この小説へのコメント

  1. 執筆お疲れさまです。
    てゐの話によると、諏訪子は自然物に対する信仰と言う事になるんでしょうか。
    だから守矢神社と共に湖まで越して来た……?
    そろそろ読者への挑戦があると思うので、今回こそは解きたいです

  2. 風神録のキャラを知ったばかりの頃、早苗が神奈子と諏訪子から信仰を奪ったと思っていた時期があったけど、まさかここで反映されるとは。
    続きが楽しみです。

  3. お疲れ様です~風神録プレイヤーとしては、増々興味深い回でした!

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