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こちら秘封探偵事務所第6章 風神録編   風神録編 第1話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第6章 風神録編

公開日:2016年12月17日 / 最終更新日:2016年12月17日

風神録編 第1話


―1―


 前回の記録、《六十年周期の大結界異変》から二年、第一二二季の秋。
 この二年間で、私たちの幻想郷での生活の、何が変わったかと言えば――。
 結論から言うと、十年一日のごとく、ほとんど何も変わっていなかった。
「せんせー、さよならー」
「みんな、気を付けて帰るんだぞ」
 寺子屋の門のところで、帰っていく子供たちを、私と蓮子、上白沢慧音さんの三人で見送る。一番大きな変化は、この場で見送る子供たちの数が増えたことだろう。最初は数人だった寺子屋の生徒が、今は初年度から通い続けている子も含めて、五十人以上である。おかげで現在は習熟度に合わせて二学級に分け、基礎の読み書き算術を教えるクラスと、もう少し高度な授業をするクラスとを、私たち三人で回している。はっきり言って前よりだいぶ忙しい。
「ん〜っ」
 子供たちがいなくなった寺子屋の戸締まりをして、蓮子が大きく伸びをした。
「ふたりとも、お疲れ様」
 慧音さんのねぎらいの言葉に、蓮子は困ったように肩を竦めた。
「やっぱり慧音さん、そろそろ教員を増やしません? 三人で回すのもそろそろ限界ですよ」
「それは解っているが……引き受け手が、な」
 蓮子の言葉に、慧音さんは腕を組んで唸る。しかし実際、蓮子の言う通り、私たち三人だけで二クラスの授業を回すのが厳しくなってきているのは事実だった。基礎クラスの方では蓮子や慧音さんが国語を教えたり、私が算学を教えるなんていう事態も起きている。もちろん能力的には可能なのだけれども、不慣れな授業になるのは否めない。
「蓮子、君は誰かアテでもあるのか」
「そうですねえ。算学の教師なら」
「というと?」
「八雲藍さんですよ。賢者の式神の。ほら、前に天狗の新聞にも三途の川幅を算出したとか」
 蓮子が挙げた名前に、慧音さんが思い切り眉を寄せた。
「無茶を言うな、どうやって頼むんだ。まして、引き受けて貰えるわけがないだろう。だいたい、ようやくウチの寺子屋の評判も良くなってきたのに、教師が妖怪とあっては……」
「ダメですかね」
「残念だが、却下だな」
「そうですかあ。じゃあ、阿求さんのところから人材を紹介してもらったらどうです? 稗田なら、教育熱心で暇を持て余したご隠居の心当たりぐらいあるでしょう」
「……そうだな、それは考えておこう」
 そこでその話は打ち切りとなり、私たちは慧音さんと別れ、離れの《秘封探偵事務所》へと向かった。相も変わらず閑古鳥の何代目かがやかましく鳴いている我が事務所に、今日も来客の気配はない。この調子では、探偵事務所の独立採算は未来永劫不可能だろう。相棒は全く、そんなことを気にする気配はないけれども。
 平日の午前中から昼過ぎまでは慧音さんの寺子屋で教師を務め、平日の午後と休日は事務所で来ない依頼人を待つか、そのときどきの蓮子の関心に合わせてあちこち出歩く。そんな生活を続けているうちに、幻想郷で人間が徒歩で行ける場所はだいたい行き尽くしてしまった。人里の地理についても、ひょっとしたら里の住人より詳しいかもしれない。
 とはいえ、あくまでそれは人間の足で行ける範囲内のことだ。最も遠出したのは中有の道まで行ったときだろう。妖怪の山の滝より上にある天狗の領域や、この地下にあるという地底世界、あるいは龍神やらがいるという天界、そして悪魔が住んでいるらしい魔界――そういった、存在だけは認知しているが行ったことのない場所は、まだ色々とあるが、いずれはこの相棒に振り回されて足を踏み入れることになるのだろう。
 そんなことを考える私も、もうすっかり幻想郷に根が生えてしまった。最近は、かつて暮らしていた科学世紀のことを思い出すことも随分少なくなり、ずっと昔からこの幻想郷で暮らしていたような気さえしてくる。このままだと、いつか本当に外の世界のことを忘れて、相棒と幻想郷に文字通り骨を埋めることになりかねないが、それでもいいのかもしれない、などと思ってもいたりする。少なくとも私は科学世紀の日本でも根無し草だったのだ。この寺子屋と探偵事務所が、私の得た根っこであってもいいのではないか――。
 そんな私の感慨は、まあどうでもいい話だ。
 事務所の玄関を開けて中を見回した相棒は、首を傾げて「今日も来てないわね」と呟いた。私はその背後で首を傾げる。
「依頼人が来ないのはいつものことじゃない」
「そうじゃなくて、《文々。新聞》のことよ。ここしばらく、新しい号が来てないのよね」
 私がツッコミを入れると、相棒は口を尖らせてそう答えた。そういえば、確かにこの一ヵ月ほど《文々。新聞》を見ていない。もともと不定期刊、多くとも月五回程度の発行の新聞だけれど、それでも少なくとも月に一回は出ていたはずである。
「そういえばそうね。蓮子、射命丸さんを怒らせるようなことでもした?」
「身に覚えはないわねえ。今更購読料を払ってないからどうこうってわけでもないだろうし、里の茶店とかでもこのところ新聞を見かけないし」
「じゃあ、単に発行が止まってるだけじゃない?」
「あの年がら年中取材に飛び回っている鴉天狗さんが、一ヵ月も新聞を出さずにいられるものかしらねえ。異変がないってだけで発行が止まるような新聞じゃないでしょ?」
「資金難で廃刊とか」
「はたまた、射命丸さんが新聞以外の何かに追われているか」
「新聞以外の何かって?」
「――さて、それが何かというのは、なかなか興味深い謎だと思わない? 根っからの新聞記者である射命丸文さんが、新聞の発行を止めざるを得ない何かよ、メリー」
 帽子の庇を持ち上げて、相棒が私の方を振り向いて言う。その目の輝きに、私は思わずため息を漏らした。もう長い付き合いである。その目の色の意味ぐらい解っている。
「そうよメリー、これは異変だわ! 発行の止まった《文々。新聞》、姿を見せない射命丸文さん。天狗社会でいったい何が起こっているのか! 取材班は妖怪の山へ飛んだ!」
「ちょっと蓮子、また妖怪の山に乗り込む気?」
「前は天狗の里まで入れてもらえなかったし、今度こそ天狗の里に潜入するチャンスだと思わない? 思えば幻想郷に来てあちこち出歩いたけれど、妖怪の山の上部は未踏の地のひとつよ。幻想郷の全てを知り尽くすために、私たちは次なる秘境へとそろそろ旅立っていい頃だわ。冒険心を忘れてしまっては幻想郷で生きる甲斐がないというものよ!」
 そうまくしたて、蓮子は私の手を掴んで、いつもの猫のような笑みを浮かべて言った。
「というわけでメリー、妖怪の山を目指すわよ!」
 ――例によって、その手を拒めるのならば、私はこの世界に来ることも、ここで相棒と流行らない探偵事務所などを営むこともなかったのだろう。
「はいはい。でも今日はもう午後になっちゃってるからまた今度ね。今から行ったら夜になっちゃって、また慧音さんに怒られるわよ」
「じゃあ明日。お休みなんだから、朝イチで妖怪の山へ突撃よ」
「お弁当持ってね」
「というわけで、今日はその下準備。聞き込みに行くわ」
「聞き込み?」
「まずは、本当にこの一ヵ月、《文々。新聞》の発行が止まっているのかどうかを確かめないと。射命丸さんや妖怪の山についての情報も、里で集められるだけ集めてしまいましょ。探偵活動の基本は情報収集なんだから」
「一銭にもならない探偵活動だけどね」
 そうして蓮子に振り回される形で、またいつものように、私たちは騒動に首を突っ込んでいくことになるのだ。――蓮子の考えた通り、その時妖怪の山で起こっていた騒動に。





―2―


「天狗の新聞? ウチでは取っていないからな」(上白沢慧音)
「そういえば、ここんとこ例の天狗が新聞を配りに来ないねえ」(茶店の店主)
「確かにこの一ヵ月ほど、《文々。新聞》は里に配られていません。文さんの姿も見ていませんね。何かあったのでしょうか」(稗田阿求)
「文の奴が何してるかなんて私の知ったことじゃないわよ。紫とか萃香なら知ってるかもしれないけど、あいつらが普段どこにいるかも知ったこっちゃないわ」(博麗霊夢)
 地道な聞き込みの過程の描写で原稿枚数を稼いでも仕方ないので、その日の聞き込みの成果を端的にまとめると以上のような結果となった。この一ヵ月《文々。新聞》が発行されていないことは確定で、天狗の里で何が起きているかは霊夢さんも知らない様子である。妖怪の賢者は無論のこと、伊吹萃香さんも見つからず、手がかりはない。
「ということは、やはり自力で確認しないといけないってことよ、メリー」
「はいはい。明日はピクニックね」
 ――というわけで、翌日。休日の朝早くからお弁当を準備して、私たちは妖怪の山へ向かって出発した。まずは霧の湖を目指し、里から一路北へと向かう。何度も紅魔館にお邪魔しているので、この道は私たちにとっては通い慣れた道である。
「ところで蓮子、今回も美鈴さんに護衛を頼む気?」
「いやあ、今回はそこまでしなくても大丈夫でしょ。前に厄神様とも河童とも知り合ったし」
 以前、伊吹萃香さんの起こした宴会騒ぎのときに、鬼について調べるべく妖怪の山へ向かったことがある。そのときは紅魔館の紅美鈴さんが護衛についてくれたのだが、そう何度も迷惑をかけるわけにはいかないのは道理だ。さりとて、毎度のことながらこの相棒の危機感の欠如はどうしたものか。私はため息を漏らす。
 いつぞや閻魔様に、この危機感のない相棒のブレーキ役になりなさいと説教されたことを思い出す。言われて簡単にはいそうですかと出来たらこれほど楽なことはない。
「一度知り合ったらもう友達って、そう思ってるのは蓮子だけかもしれないわよ」
「大丈夫大丈夫、いざとなれば私たちの背後には妖怪の賢者や萃香ちゃんが」
「虎の威を借る狐って言葉知ってる?」
「メリー、そんなこと言ってると藍さんに嫌われて尻尾モフれなくなるわよ」
 それは困る。私は口を噤み、蓮子はからからと楽しげに笑った。
 ともかく、山から里へ流れ込む川に沿って遡って歩いて行くと、ほどなく霧の湖が見えて来た。妖怪の山への道は、この湖へ注ぎ込む川に沿って進んでいく道である。ただ、その先は大きな滝になっていて、人間が登るのは無理だと前に言われたような……。
「すべきことは情報収集。妖怪の山で何が起きているかは、河童や厄神様からでも聞けるかもしれないでしょ? 天狗の里まで行けるなら行けるに越したことはないけどね」
 そんなことを言いながら相棒は霧の中に分け入っていく。私もその後を追って湖のほとりを歩いて行く……と。
「ねえメリー、あれ影狼ちゃんじゃない?」
「ええ? あら、本当」
 湖の水面に顔を乗り出すようにして、水面から顔を出した誰かと話し込んでいる影がある。その影は、迷いの竹林に住んでいる人狼の今泉影狼さんだった。この記録では、永夜異変のときにばったり出くわしたときのことしか記していないが、あの後、慧音さんや妹紅さんを通じて正式に知り合い、妹紅さんの家で食卓を囲んだことも何度かある。そのへんの話は、別の機会があればそこで語ることにしたいが――そういえば、影狼さんは霧の湖の人魚とお友達だと前に言っていたような。
 私たちが歩み寄ると、影狼さんともうひとつの影が振り向いた。もうひとつの影は驚いたように水面に沈んでしまい、影狼さんは目をしばたたかせてこちらを見つめる。
「おはよう、影狼ちゃん。奇遇ね」
「……蓮子さんにメリーさん、こんなところで何を?」
「や、ちょっと探偵活動を。影狼ちゃんは?」
「私は……姫のところに遊びに来てただけ」
「姫って、お友達だっていう人魚さんかしら」
「うん。――姫、出てきて大丈夫だよ。私の知り合いだから」
 影狼さんが湖に向かってそう声をかけると、水面からおそるおそるという様子で少女の顔が浮かび上がってきた。その耳のところには、ヒレのようなものが生えている。影狼さんの後ろに隠れるようにしたその少女は、不安げな顔で影狼さんを見上げた。
「影狼ちゃん……こちらは?」
「慧音さんが里で面倒を見ている人間で、蓮子さんとメリーさん」
「はじめまして、宇佐見蓮子と申しますわ。人魚姫さんかしら?」
「……わ、わかさぎ姫と申します」
「わかさぎ?」
「た、食べないでください! 天ぷらは嫌です!」
 そう叫んで、わかさぎ姫はどぼん、と勢いよく水に潜ってしまう。「ちょ、ちょっと姫、大丈夫だってば」と影狼さんが声をかけるが、「天ぷらは嫌〜」と歌うようにわかさぎ姫は逃げていってしまう。別にこちらが取って食おうとしたわけでもあるまいに、そう怯えられても、こちらとしてはどう反応したものか。
「ああ、ごめんね。あの子気弱で人見知りだから……よく釣り人に釣り上げられそうになるって言って、人間のこと怖がってるの」
「ははあ。妖怪にも色々いるわね」
「人間に色々いるのと一緒でね。……ところで、探偵活動って?」
「里で探偵事務所をやっているって、前に話したでしょう?」
「何か調べてるの?」
「妖怪の山で何かが起きているらしいから、その潜入調査よ」
「ええ?」
 蓮子の言葉に、影狼さんは目を見開き、妖怪の山を振り仰ぐ。
「人間の身で山に登る気? 無理無理、止めた方がいいって」
「みんなそう言って止めるのよねえ。大丈夫、必要な情報が得られれば深入りはしないわよ」
 嘘つけ。チャンスがあれば深入りする気満々だろう――と心の中だけで私は突っ込む。
「そ、そうですわ! 今の山は危険ですのよ!」
 と、そこへわかさぎ姫が突然水面から顔を出して、そう叫んだ。私たちが振り向くと、びくっと怯えたようにまた水に潜ってしまうが、影狼さんが手招きするとそちらに泳いでいき、影狼さんの背後にすがるようにまた顔を出す。
「……ここ一月ばかり、山の妖怪がピリピリしているんですの」
「というと?」
「河童さんたちから聞こえてくる話だと、なんだか、山の上の方に新参者が居座ったらしくて、天狗さんたちと揉めているとか何とか……」
 私たちは顔を見合わせる。――射命丸さんが沈黙している理由は、それか。
「わ、私が知っているのはそれくらいですわ!」
 どぷん。蓮子が何か問おうとしたのに先回りして、わかさぎ姫はまた潜ってしまった。
「これは、俄然面白くなってきたわね。妖怪の山に現れた謎の新参者、沈黙する《文々。新聞》、妖怪の山に何が起こっているのか。異変の匂いがするわ!」
 帽子の庇を弄りながら、蓮子は楽しげに言う。
「またそうやって異変の現場に先回りして、霊夢さんに怪しまれる気?」
「それは私たちの異変に対する感度の証明として受け取って欲しいところね」
「できれば、私はそんな感度は欲しくないわ」
「つれないこと言わないの、メリー。異変は世界の秘密を解き明かす絶好の機会なのよ!」
 ああ言えばこう言う。閻魔様は軽く言ってくれるけれど、一体どうやったらこの相棒の好奇心にブレーキをかけられるというのか。説教するならその方法も教えて欲しいものだ。
「さあ、そうと決まれば突撃よ!」
「ええ? ちょっと蓮子さん、本気で妖怪の山まで行くの?」
 影狼さんが素っ頓狂な声をあげる。「もちろんよ」と蓮子が答えると、影狼さんは困ったように湖の水面と私たちとを見比べた。わかさぎ姫がまた少しだけ顔を出す。
「慧音さんなら全力で止めるんだろうけど……姫、どうしよう?」
「……影狼ちゃんのしたいようにすれば良いと思いますわ」
「うう……解った」
 結論が出たらしい。わかさぎ姫はまた水に潜り、影狼さんは私たちに向き直った。
「……このまま黙って二人を行かせて何かあったら慧音さんに申し訳が立たないし、私が同行する。一応、ウェアウルフだから蓮子さんたちよりは強いし。……いい?」
「それはそれは、願ったり叶ったりだわ、影狼ちゃん。わかさぎ姫もご一緒にどう?」
「はわっ!?」
 蓮子に突然そう呼びかけられて、わかさぎ姫は水面から驚いたように顔を出す。
「わっ、私は、川を遡るのはちょっと……ところどころ川の水深が低いですし……鮭じゃありませんし! わかさぎです!」
 誰も鮭だとは言っていないと思うが。
「じゃあ、姫、ごめんね。終わったら戻ってくるから」
「はい」
 わかさぎ姫が水面から手を振る。影狼さんはそれに手を振り返して、「危ない真似は、しないでよね」と釘を刺すように蓮子に対して目を細めた。蓮子はただ笑って「もちろんですわ」とアテにならない返事をするばかり。私は何度目かのため息をこっそりと漏らした。





―3―


「ごめんね、お友達との時間をお邪魔しちゃって」
「そう思うなら最初から無茶なことしないで欲しいんだけど」
「いやあ、これが目的でここまで来たわけだし」
「……慧音さんも妹紅さんも言ってるけど、変な人間よね、貴方たち」
 蓮子と影狼さんがそんなことを言い合う、その数歩後ろを私は歩く。というか、無鉄砲さに関しては蓮子と一緒にしないでほしいのだが、傍から見ればこうして文句も言わずに同行している時点で私も蓮子と同レベルか。
「怖いわー命知らずな人間怖いわー」
「勇者と呼んでいただきたいわね」
「愚者の間違いじゃないの?」
「まあまあ。紅葉も綺麗だし、紅葉狩り気分で行きましょ」
 蓮子はそう言って、帽子の庇を持ち上げて頭上を見上げる。鬱蒼と生い茂る山の麓の木々は、秋の色に染まり始めている。お天気もいいし、確かにピクニックなら最高なのだが。
「そういえば、紅葉狩りって何を狩ってるのかしらね」と蓮子。
「そのへんの樹を蹴飛ばして色づいた葉をかき集めて押し葉にでもすれば?」これは私。
「秋の神様に怒られると思うけど」と影狼さん。
 全く、これでは本当にピクニックである。
「……っと、ストップ。何かいる……危険なのが」
 そんな風に私が思った途端、影狼さんがピンとその頭部の獣耳を逆立てて立ち止まった。私たちを庇うように腕を広げて、影狼さんが睨み据えた先――鬱蒼とした森の奥から、何やら不穏な気配を纏った影がひとつ現れる。
「よりにもよってこんな時に、山への侵入者? この先は危ないから引き返した方がいいわ」
 と、聞こえてきたのは聞き覚えのある声。「あらら」と蓮子が声をあげる。
「厄神様じゃない。お久しぶりですわ」
「え? 知り合い?」
 影狼さんが振り返り――闇の中から現れた影も、驚いたように目を見開く。ゴスロリ風味のフリルだらけの恰好をしたその少女は、忘れるべくもない。宴会騒ぎのときに出会った、厄神様の鍵山雛さんだった。
「誰かと思ったら……いつかの人間じゃない。また来たの?」
「また来ましたわ。今回は鬼じゃなく、天狗について調べに参りました」
「天狗? 天狗なら今は人間の相手なんかしている暇はなさそうよ。……そっちの狼さんは、天狗の仲間ってわけじゃないのかしら」
「え、私? 私はただのウェアウルフです」
「そうなの? 天狗にも狼の子がいるから、お仲間かと……ああ、私に近付かない方がいいわ。厄が移って不幸になるわよ」
 厄神様は踊るように回りながら、「とにかく、引き返しなさいな」と目を細めて言う。
「今、山の上に現れた神様の扱いを巡って天狗が大揉めしているの」
「神様?」
「そうよ。突然山の上に、神社と湖ごとやって来たの」
「やって来たって……外の世界から?」
「さあ、そうなんじゃないかしら。私はよく知らないわ」
 厄神様の答えに、突然蓮子が私の手を掴んで、「メリー、外来の神様だって!」と叫んだ。
「ちょ、蓮子?」
「とうとう来たわ! 二一世紀初頭、あらゆる幻想が駆逐された霊的研究の暗黒時代、その幻想サイドの証言者よ! たぶん科学世紀に信仰を失った神様が幻想郷に逃れてきたんでしょう。幻想が忘れられた世界でひっそりと生き延びていた、科学万能の時代の神様! いったいどんな存在なのかしら?」
「ちょ、ちょっと蓮子、落ち着きなさいよ」
「これが落ち着いていられる? メリー、私たちは歴史と対面しようとしているのよ! 科学世紀に失われた霊的精神史の裏側に私たちは触れようとしているわ! これはますますもって山に登らないと! 厄神様、案内してもらえません?」
「ええ? そ、そんなこと言われても……っていうか、だから離れて、厄が移るから!」
 蓮子に詰め寄られて、また厄神様はたじろぐ。この光景、前にも見たような。
「ちょっと蓮子さん、だから山は危険だって……」
「多少の危険は人生のスパイスなのよ影狼ちゃん。世界の秘密、謎を解き明かすためなら、スリル、ショック、サスペンス何するものぞ!」
「はいはい、だから落ち着きなさいってば、蓮子」
 むに、と私は相棒の頬を引っ張った。「いはいいひゃい、めりーやめへ」と呻く相棒の頬をつねって、私は息を吐く。
「危険を顧みないのは結構だけど、だからって何も考えずに突撃するのは下策でしょう?」
「むむむ」
「今日は情報収集だけにしておきなさいよ。山に来たのが新しい神様だっていうなら、人間の信仰を集めに里に下りてくるかもしれないでしょ。焦る必要はないわよ」
「のんびり屋のメリーらしい発言ねえ。一理あることは認めるけど、私の好奇心はどうしてくれるの? 蓮子さんの胸は世界の謎と秘密への興味ではちきれんばかりよ?」
「知らないわよそんなこと。どっちにしたって、影狼さんまで私たちの好奇心の巻き添えにするわけにはいかないでしょ?」
「むう……じゃあ、もうちょっと詳しいこと知ってそうな、にとりちゃんとか前の白狼天狗さんとかに当たってみましょ。そのぐらいならいいでしょ?」
 まあ、そのあたりが落としどころだろう。私が振り返って「どうも、お騒がせしてすみません」と頭を下げると、影狼さんと厄神様は顔を見合わせた。

 厄神様によると、以前に知り合った河童の河城にとりさんは、今日は厄神様は顔を見ていないらしい。滝の方へ行けば会えるのでは――というわけで、厄神様と別れ、私たち三人は滝壺を目指して歩いていく。
 ほどなく、轟音とともに瀑布が見えて来た。このあたりに来るのは初めてらしい影狼さんが、滝を見上げて感嘆したように目を見開いている。
「さて、にとりちゃんか椛さんはいないかしら――」
 蓮子が視線を巡らすと、「またお前たちか」と頭上から声が降ってきた。私たちが声の方を振り仰ぐと、大樹の枝から飛び降りてくる影がひとつ。剣と盾を手にした、影狼さんとは違い白い耳と尻尾の狼少女、犬走椛さんだ。
「どうも、覚えていていただけるとは光栄ですわ、犬走椛さん」
「こんなところまで来るような奇特な人間のことは、忘れたくても忘れられない。――そっちは見ない顔だな。人狼か?」
「……ウェアウルフの今泉影狼よ」
「人と狼のあいのこが、天狗の里に何用だ」
「私は、単にこの二人の護衛。天狗に用はないわ」
 椛さんの言葉に、影狼さんはちょっとムッとしたように答える。影狼さんは人間の女性と狼男の間に生まれたハーフだ。その出自のために過去に色々あったらしく、半人半妖である自分の身に対して複雑な感情を抱いているようなのだが、他人からそのことをどうこう言われるのはやはり癇に触るらしい。
 影狼さんの返事に、椛さんは訝しげに私たちを振り向く。
「前回は紅魔館の門番、今回は人狼……ただの人間がなぜそう妖怪に守られる?」
「そりゃあ、人徳というものですわ」
「怪しい。こんなときでなければ捕縛して上の裁断に委ねたいところだが……」
「何か、山の新参者と揉めているとか?」
「――人間に口を出されることじゃない」
 椛さんが目を細め、手にした剣を蓮子の方に突きつけた。蓮子はホールドアップして、「いやいや、別に山の揉め事を引っかき回しに来たわけじゃなくて」と首を横に振る。
「射命丸文さんのことが気になって来たの」
「……文さんの?」
「ええ、この一ヵ月ばかり《文々。新聞》が里に届かなくて。愛読者としては彼女に何かあったのではないかと心配で」
「…………文さんの新聞に、書き手を心配するほどの愛読者がいるとは思えないが」
 ひどい言われようである。が、ともかく、椛さんは剣を引くと、ひとつ息を吐いた。
「新聞の発行が止まっているのは、山の新参者の扱いを巡って、我々天狗の上層部が揉めているからだ。文さんはこのところ、そっちにかかりきりだ。事態が落ち着けば、山の新参者についての新聞が出るだろうから、心配することはない」
「ははあ。その新参者というのは、神様だと伺ったけれど」
「……哨戒天狗の権限で言えることはここまでだ。ここから先へ進むことは認められない」
 椛さんはそう言って、くるりと私たちに背を向ける。「あ、ちょっと――」と蓮子が声をあげたところへ、椛さんが「もしも」と背を向けたまま言葉を続けた。
「どうしても山の新参者について知りたいなら、博麗神社に行けばいい」
「え? 博麗神社?」
「先ほど、山の新参者のひとりが、博麗神社の方角へ飛んでいくのを見た。……私から言えるのはそこまでだから、あとは勝手にすればいい。ただし、天狗の里へ入ろうとしたら、斬る」
 そう言い残して、椛さんは飛び去って行く。私たちは顔を見合わせた。
 ――山の新参者の神様が、博麗神社に?

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この小説へのコメント

  1. 風神録編、更新お疲れ様です。
    メリーが以前よりも積極的に声を挙げるようになった気がします。
    やはり前章で閻魔様に言われた事を意識しているのでしょうか。

  2. 風神録編お待ちしておりました。
    蓮子の好奇心は止まるところを知りませんね。メリーの心労は計り知れないでしょう。

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