東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第6章 風神録編   風神録編 第10話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第6章 風神録編

公開日:2017年02月18日 / 最終更新日:2017年02月18日

―28―


「諏訪地方の神話伝承、ですか」
「ええ。特に建御名方神の諏訪侵攻と土着神の戦いについて。それと、建御名方神の妻、八坂刀売神についても何かご存じでしたら」
 てゐさんから話を訊いた翌日、私たちは改めて稗田邸を訪ねた。今度は阿求さんは在宅していて、淹れたての紅茶とゼンマイ式の蓄音機から流れる回顧的な音楽をお供に、私たちは古事記の筆者、稗田阿礼の生まれ変わりの少女と向き合う。
「構いませんが、どうしてまた諏訪の神話のことなどを?」
「いやあ、そのへんは諸般の事情がありまして。現状ではちょっと明かせないんですが」
「……怪しいですね」
「後日、説明できるようになったらきちんと説明しますわ」
 苦笑して手を挙げた蓮子に、阿求さんは「まあ、いいでしょう」と息を吐いた。
「まず、八坂刀売神ですが、これは初代の私が記した『古事記』には登場しませんし、『日本書紀』にも名前は見えません。なので私も、詳しいことは判りません。おそらくは、建御名方神が諏訪で見初めた、諏訪の土着神の一柱なのでしょうが、それ以上のことは何とも」
「ははあ。では、建御名方神の諏訪侵攻の方は」
「建御名方神と諏訪の土着神の戦いは、『諏訪大明神絵詞』に記されています。いわく、『尊神垂迹の昔、洩矢の悪族神居をさまたげんとせし時、洩矢は鉄輪を持してあらそひ、明神は藤の枝を取りて是を伏し給ふ』――」
「もりや――守る矢と書いての守矢ですか」
「いえ、洩る矢と書きます。諏訪の土着神、洩矢神のことですね」
「洩矢神?」
「ええ、ソソウ神などとともに、その後ミシャグジ神としてまとめられた、諏訪の土着神です。諏訪に攻め込んできた建御名方神に対し、洩矢神は鉄の輪を持って立ち向かいましたが、建御名方神の藤の枝の前に敗れた、ということになります」
 私たちは顔を見合わせる。
「……ってことは、守矢様じゃなく洩矢様だったのね」
 蓮子が頭を掻きながら、阿求さんに聞こえないように小声で言った。――そう、この話を聞くまで、私たちは諏訪子さんの名前を、神社の名前と同じく《守矢諏訪子》と書くのだと誤解していたのだ。
「その洩矢神というのは何者なんですか?」
「さて、それは詳らかでありませんが――推察するならば、諏訪の守屋山に対する信仰によって生まれた神様ではないでしょうか」
「個人への信仰から生まれた神霊ではなく、自然信仰から生まれる八百万の神の方ですね?」
「おそらくは」
「神霊は分霊が可能で、八百万の神は不可能だと聞いたのですが」
「そのあたりは霊夢さんに聞いた方が詳しいと思いますが……その通りです」
「ちょっと、そのへんがもうひとつピンと来ないんですよね。個人に対する信仰による神様は複製可能で、自然に対する信仰による神様は複製不可、というのが――」
 蓮子の言葉に、阿求さんは「ふむ」とひとつ唸る。
「たとえば、ですが――貴方たちが、初代の私、稗田阿礼を信仰するとします」
「ははあー、ありがたやありがたや」
「拝まなくていいです。――その場合、信仰の対象は既に死んで霊となっているわけですから、実体を持った存在としては既に消滅しているわけです。私は阿礼の記憶を引き継いでいますが、阿礼本人ではないですからね。そうすると、もう信仰の対象がどういう存在だったのかを実際に確認することが不可能で、その人物の思想や業績といった概念だけが伝えられて残ります。――知識や考え方のような概念は、他人に伝えても数が減ることはありません。それと同じことで、つまり信仰する人の数だけの《稗田阿礼》という概念が存在することになるわけです。神霊が複製可能であるというのは、そういうことです。
 ――しかし、自然物が対象ではそうはいきません。たとえば、妖怪の山を信仰の対象とするとした場合ですが……自然に対する信仰は、生活と密着しています。山が信仰の対象となるのは、水や食糧や材木といった恵みと、土砂崩れや鉄砲水のような災い、その両方をもたらすものだからです。故に、自然物への信仰は、その土地固有のものになります。妖怪の山が見えない、生活に関わらない場所で、妖怪の山が信仰されることはないでしょう。富士山のような例もないではないですが、富士の麓の富士信仰と、富士から遠く離れた地の富士信仰は別物と言えるわけです。地方で、富士山と似た山をその土地の富士と呼ぶのは間接的な富士信仰と言えますが、実物の富士を直接信仰するのとは、やはり根本的に別物でしょう」
「ははあ、なるほど――その説明なら納得がいきますわ。つまり、信仰の対象そのものが存在しているかどうかが問題なわけですね。信仰される神霊は、元となった人物そのものではなく、その霊であるから、そもそも神霊自体が信仰によって産み出された本人の複製である、と」
「はい、そういうことです。本人ではなく、その霊を祀るから神霊と呼ぶわけですね」
 なるほど。たとえば太宰府天満宮に祀られている菅原道真も、生前から神様として信仰されていたわけではなく、死後に怨霊となって朝廷に祟りをなしたために、それを鎮めるために天神様として祀られたのだ。だから厳密に言えば、祀られているのは本人ではなく、その霊なのである。実存としてではなく、概念と化した《菅原道真公》なわけだ。
「では、現人神の場合も、自然信仰と同じく複製は不可能ですね?」
「その通りです。仮に私、稗田阿求が信仰される場合、私はここにいるわけですからね」
「ですよね。そうすると、現人神が亡くなると――」
「その霊を祀れば、それは複製可能な神霊となります」
「ははあ」
 蓮子は腕を組み、ひとつ唸る。
「では、自然物の神霊というものは存在し得ますか? たとえば、樹齢数百年の大木をご神木として祀るのは自然信仰の一形態だと思いますが、それが切り倒されてしまった場合とか」
「普通は、自然物に対する信仰は、その実体が消滅した時点で一緒に消えるものですから、自然物の神霊というのはまずないですね。強いて言えば、先ほど言った地方の富士信仰がそれに近いでしょうが、やはり本質的にはそれらも自然信仰です」
「なるほど。――しかし、ですよ。外の世界でなら、幽霊や神様の姿は見えないものですから、今の説明で全く問題ないと思うんですが――幻想郷ではそうもいかないのでは。たとえば今度の収穫祭に呼ばれる豊穣神は八百万の神様ですよね?」
「そうですね。秋の神様、田んぼの神様、稲穂の神様、畑の神様――色々ですが」
「その八百万の神様たちは、実体としての人の姿を取っていますよね」
「人の姿を取った方が親しみやすく、信仰を集めやすいようですね」
「その場合、八百万の神への信仰は、個人としての神様への信仰になるのでは?」
「いえいえ。そうはなりません。たとえば――秋穣子様はご存じですか? お芋の匂いがする秋の神様ですが」
 ああ、と私たちは頷く。収穫祭に呼ばれる豊穣の神様の一柱だ。里の収穫を支える豊穣神の中ではさほど人気のある神様ではないが、明るく親しみやすい神様で、この記録では機会がなく書いていないが、私たちも以前の収穫祭でちょっと話をしたことがある。
「彼女は、《秋の実り》に対する信仰から生まれた神様です。ですから、彼女を信仰するということは、そのまま《秋の実り》を信仰することになるわけです。――彼女の場合、信仰の対象が漠然としすぎていて、広い信仰が集まらないようですが。たとえば米作農家なら稲穂や田んぼの神様を信仰する方が解りやすいですからね」
「ははあ。八百万の神様が神霊化することはないということですね。――では、神霊の場合なんですが。八百万の神同様に、幻想郷では神霊も実体を持ちますよね?」
「そうですね。力の強い神霊ならば、ですが。神霊は要するに信仰される幽霊なので、力の弱い神霊は実体を持ちません。そういう神霊の声も聞くことができるのが、霊夢さんのような巫女であるわけです」
「実体のある神霊が分霊する場合は、実体を持ったまま複製されるんですか?」
「いえ、その場合は神霊の精神が複製されます。生き霊のようなものですね。ただ、個々の分霊が見聞きしているものは全て把握しているようですし、それぞれの分霊の元で実体化することも可能ですから、実質的には実体を複製しているのとあまり変わらないはずです」
 なるほど。つまり、博麗神社に守矢神社の分社が作られたとして、神奈子さんが守矢神社にいるときも博麗神社の分社に対する信者の声は聞こえるし、分社にすぐ実体化することもできる。逆に分社に実体として居るときも、守矢神社の様子は把握している、ということか。私たちが守矢神社で神奈子さんから神霊の性質の説明を受けたときの様子からも、その説明なら納得がいく。
 私が納得している横で、相棒は頷きながら、「それじゃあ――」と指を立てた。
「幻想郷には、実体を持った亡霊がいるわけじゃないですか。白玉楼のお嬢様や、亡霊とは違いますが騒霊楽団も近い存在ですよね。彼女らが信仰される場合は?」
「……確証はありませんが、その場合も、力の強い神霊と同様であると思います」
「なるほど。――では最後に、個人への信仰から生まれた神霊が、八百万の神様に変化することは有り得ますか?」
「神霊が八百万の神様に変化、ですか。面白いことを仰いますね」
 阿求さんは目を丸くして、ふむ、とひとつ考え込む。
「そういう例はなかったと思いますが。……八百万の神に近い性質を持つ神霊はいます。たとえば、海の神である大綿津見神ですね。大綿津見神はイザナギとイザナミの間に産まれた個人としての神霊ですが、海を司る神ですので、性質としては八百万の神に近いものではあります。ただ、海に対する自然信仰から生まれた神様ではありませんから、大綿津見神への信仰と海への信仰がそのまま直結するわけではありません」
「なるほどなるほど」
 相棒は大きく頷いて、阿求さんの方へ身を乗り出した。
「神様の性質、たいへんよく解りました。ところで話が戻りますけど、建御名方神は複製可能な神霊で、洩矢神は複製不可能な八百万の神である――この理解でいいですね?」
「そうなりますね」
「八百万の神は、姿形はほとんど意味を成さないと聞きましたが」
「それはそうですが、普通は信仰を得やすい姿を選ぶものです。たとえば、蛇に対する信仰によって生まれた神ならば蛇の姿をして然るべきでしょう」
「ミシャグジ神の場合は?」
「ああ、ミシャグジ神は、土着の自然信仰の集合体のような存在ですから、確かに姿形には意味はあまり無いでしょうね。逆に特定の姿を選んでしまうと信仰が減る類いの神様でしょう」
「ということは、信仰に関係無く好きな姿を選ぶことも」
「できるでしょう。――ミシャグジ神の姿形が何か重要なのですか?」
「ええまあ……詳しいことは後日、阿求さんも知ることになると思いますわ」
「……慧音さんから、妖怪の山に新しい神様が現れたという噂を小耳に挟みましたが」
「おや、さすがに阿礼乙女、お耳の早いことで」
「それがミシャグジ神なのですか? 詳しく伺いたいですが」
「いやあ、ですから私たちもまだ何とも言えないんですよ」
「――その様子ですと、既に山のその新しい神様とやらとコンタクト済みのようですね」
「ノーコメントで」
「解りました。では、霊夢さんに確認を取ってみることにしましょう」
 阿求さんはため息混じりにそう言い、蓮子は「どうもすみませんね」と頭を掻いた。




―29―


「さて、ますます謎が深まってきたわね」
 稗田邸からの帰り道。帽子の庇を弄りながら、相棒はそんなことを言い出した。
「え? 解けてきた、んじゃなくて?」
 私は眉を寄せて相棒の横顔を見やる。少なくとも、昨日と今日の情報収集で、神奈子さんと諏訪子さんの正体については説明がついたのではないのか?
「あらメリー、何が解けたっていうの?」
「だって……諏訪大社の縁起に記された、建御名方神の諏訪への侵攻と土着神との戦いが、少なくともこの幻想郷においては事実だって確定したわけでしょ? 八坂様は自分が神霊だって言ってたわけだし。洩矢様の方も、蓮子が洩矢様に『貴方がミシャグジ神ですね?』って聞いたとき、洩矢様は『そういうことにしておこっか』って言ってたけど、それも彼女がミシャグジ神の仮の姿というか、ミシャグジ神の一部になった洩矢神なのだとすれば説明がつくし……。八坂様が蛇で洩矢様が蛙なのも、建御名方神とミシャグジ神の勝者と敗者の関係を現したものなら納得がいくじゃない。ミシャグジ神は姿形に意味がないんだから、蛙の姿を取ってもいいわけでしょう?」
「そうね、確かにそれで説明がつくわ」
「それなら、何が問題だっていうの?」
「大問題がひとつ残ってるのよ。早苗ちゃんがはっきりと明言したことで」
「どういうこと?」
「八坂様は山そのものの神様だって、早苗ちゃんはそう言ったのよ。山を信仰すればそれがそのまま八坂様を信仰することになる、って。だけど、阿求さんは神霊が八百万の神になる可能性を否定したわ」
 ――あっ。私は思わず口元に手を当てた。そうだ、確かに早苗さんはそんなことを言っていた。しかし、だとすれば――どういうことになるのだ?
 相棒は「歩きながら話すのも何だから、お団子でも食べましょ」と近くの団子屋を指さした。みたらし団子とお茶をもらって、店先の長椅子に腰を下ろす。
「てゐちゃんと阿求さんの話、それから八坂様が自分で語った神霊の性質。それを考え合わせる限り、八坂様は神霊で、洩矢様は八百万の神とすべきでしょう。しかし、だとすれば、山そのものに対する信仰は、八坂様じゃなく洩矢様への信仰になるはずなのよ」
「……そうね。そうなるわね。じゃあ、どういうこと? 早苗さんが間違えたの?」
「家族同然の神様の性質を、風祝である早苗ちゃんが間違えるとは考えにくいわね。だとすると、早苗ちゃんは八坂様を山そのものの神様だと思っていることになる。少なくとも、山への信仰が八坂様への信仰に直接繋がると信じていることになる」
「だけどそれは、神霊と八百万の神の違いを考慮すると……洩矢様への信仰になるはず」
「そう。八坂様への信仰は、八坂様本人への信仰でなければならないはずなのよ」
 私は唸る。確かにこれまでの話からすればそういうことになるはずだ。
「……ねえ蓮子。それは結局、守矢神社の、諏訪大社と同じ性質によるんじゃないの?」
「うん?」
「つまり、八坂様はあくまで表向きの祭神で、本当の祭神は洩矢様。だから、守矢神社が本当に集めるべき信仰は洩矢様への信仰ということになるでしょう? だから神霊である八坂様は山の神を名乗って、表向きの神様として洩矢様の信仰集めを代行している。八坂様への信仰が山への信仰とイコールで結ばれれば、それがそのまま洩矢様への信仰に繋がる。それが八坂様と洩矢様の共存関係なんじゃないのかしら」
「――冴えてるじゃないメリー。なるほど、確かにそれで説明がつくわね」
 蓮子は帽子の庇を弄りながら、「しかし」とひとつ唸る。
「そうすると、守矢神社はどうしてそんな面倒なことをしないといけないのか、という謎が生まれるわね。なぜ八坂様が表向きの祭神として出てこなければいけないのか? そもそも、そんな形で集めた信仰は、洩矢様の信仰になっても、八坂様への信仰になるのか。それじゃあ、まるで八坂様が洩矢様の使いっ走りみたいじゃない。勝者は八坂様なのよ?」
「それはだから……守矢神社が諏訪大社だからでしょう?」
 私がそう言うと、蓮子は呆れたように肩を竦めた。
「あのね、メリー。もう忘れたの? 守矢神社の謎の根幹を。守矢神社が、諏訪大社を名乗っているなら、今の説明で何ら問題ないのよ。でも、守矢神社は諏訪大社を名乗っておらず、二社四宮が揃っているかどうかも定かでないの」
「――ああ、そうか。元々の問題に戻って来るわけね」
 守矢神社が諏訪大社だとすれば二社四宮が揃っていないのは不自然だし、諏訪大社でないとすれば諏訪大社を模している理由がわからない。諏訪子さんが洩矢神で、神奈子さんが建御名方神であり、信仰の共存関係にあるという説明は、守矢神社が諏訪大社であることの傍証にはなるが、二社四宮が揃っていないことの説明にはならないのだ。
 ふむ、と私はみたらし団子を頬張りながら、少し考える。ちょっと、思いついたことがあったのだ。こういう考え方をするのは、間違いなく相棒の悪影響なのだが――。
「ねえ蓮子。二社四宮が揃っていることが諏訪大社の必須要件である、という前提理解が誤っているという可能性はないの?」
「うん? なかなか根本的な疑問を出してきたわね。そのこころは?」
「二社四宮が揃っていないことが不自然なのは、湖まで一緒に幻想入りしてきたからでしょう。御神渡りの伝承ごと幻想入りしてきたなら、当然湖の対岸に上社があって然るべき――でもそれは、あの湖が御神渡りのために幻想入りしてきた、という理解が前提よね? それが間違っているとしたら?」
「ふむ。じゃあ、湖は何のために幻想入りしてきたっていうの?」
「違うのよ、蓮子。問題はそこじゃなく、諏訪大社への信仰の性質なのよ」
「信仰の性質?」
「そう。諏訪大社は表向き、建御名方神と八坂刀売神という二柱の神様を祀っているけれど、諏訪の人たちが実際に信仰しているのは真の祭神であるミシャグジ神。つまり、諏訪大社は神霊を祀っていると見せかけて、実際は土着の自然信仰、八百万の神様を祀っている神社である、ということになるわ。――で、阿求さんが言っていたでしょう。自然信仰は、生活と密着しているために、その土地固有のものになる。地方で郷土富士を崇めるのは、実物の富士を直接信仰するのとは別物。ただし、それは間接的な富士信仰と言える――」
 私はそこで言葉を切り、ひとつ息を吐く。
「つまり、守矢神社が諏訪大社を模して、湖ごと幻想入りしてきたのは、郷土富士のように諏訪の土地を模すことで、間接的な諏訪大社への信仰を確保するためなんじゃないの? 土着神である洩矢様は、諏訪の地に根ざした信仰がその糧なんだから、この幻想郷でも、諏訪の地を信仰してもらわないと力を保てないとしたら――」
 私はそこまで一息に言って、相棒の横顔を見やる。蓮子はずずぅ、とお茶を啜って、「なるほどねえ」とひとつ頷いた。
「なかなか悪くない着眼点だと思うけど――私はその考えは採らないわね」
「どうして?」
「ねえメリー、地方の郷土富士が『富士』と呼ばれるのはどうして?」
「それは……富士山に似てるからでしょ?」
「違うわよ。富士山が日本一の霊峰であるという知識が広く知られているからよ」
 あっ、と私は口を押さえた。――そうか。だとすると、私の今の考えは、やはり根本的な疑問の説明にはなっていないのだ。
「守矢神社が諏訪大社を模していることが、諏訪の土着信仰を遠隔地から間接的に得るため、という考え方は面白いけど――そのためには、守矢神社が『幻想郷の諏訪大社』として信仰される必要がある。だけど、果たして幻想郷でそもそも、諏訪大社の知名度はそこまで高いかしら? 富士山のように、誰でも知っている信仰対象かしら。――もしそうだとしたら、守矢神社が結界を張ってまで洩矢様の存在を秘匿する必要がないと思わない? 諏訪大社が幻想郷で有名なら、その真の祭神がミシャグジ神であることも有名であるはずで、だったら洩矢様の存在を隠す必要もないのよ。諏訪大社の縁起に書かれてることなんだから」
 ぐうの音も出ない。やはり私には、相棒のような誇大妄想の才能はないらしい。まあ、あったところで自慢にもならないのだから、別にいいのだけれど――。
「どこまでいっても、問題は、守矢神社のあの中途半端さの理由ね。諏訪から離れた幻想郷で諏訪大社を模すこと、それでありながら諏訪大社を名乗らないこと。この両方に意味があるのでない限り、こんな中途半端なことにはならないはずなのよ」
「両方に意味が、ね……」
 しかし、相矛盾するその両方に説明のつく理由など存在するのだろうか?
 お団子のなくなった串を指の間で弄びながら、私はぼんやりと空を見上げる。早苗さんと、神奈子さんと、諏訪子さん。守矢神社の二柱の神とその風祝――いや、早苗さんが現人神なら三柱と数えるべきなのか。彼女たちは結局、何のために幻想郷に現れたのだろう。もし諏訪子さんがミシャグジ神の化身であるならば、私たちのいた二〇八〇年代においても、ミシャグジ神は諏訪の地で信仰を得ていたはずなのに――。
 ただ、早苗さんを普通の人間にするために?
 本当にただ、それだけの物語なのだろうか――。
「……ん?」
 ぼんやり見上げた空を、黒い影が横切っていくのが見えて、私は目を細めた。誰かが、山の方から東の方角へ向かって飛んでいく。あの黒い鴉羽根は――。
「ねえ蓮子、あれ、射命丸さんじゃない?」
「え? あらホント。あっちは――博麗神社の方角ね」
 一昨日の守矢神社での戦いを聞きつけて、その取材にでも行くのだろうか。蓮子は勇んで立ち上がった。お勘定は済ませてある。「ごちそうさまでした!」と蓮子は店の奥に声を掛けると、「行くわよ、メリー」と私の手を掴んだ。
「天狗の里の動向を探るまたとない機会よ!」
「はいはい。射命丸さんに突撃取材ね」
 こうなったら、相棒の好奇心にとことん付き合うまでである。
 私たちは東へ向かって足を速めた。鴉天狗が飛んでいく先――博麗神社へと向かって。




―30―


「……あやや、そう言われましても私の一存では何とも」
「だから、それを里に伝えてくれればいいのよ。向こうの希望だって」
「はあ……しかし、わざわざ霊夢さんを介して接触してくるとは。怪しいですね」
「いつまでも怪しんでるわけにいかないでしょ、あんたたちも。何のために私たちをあの神社にけしかけたのよ」
「いやあ、それは全く仰る通りで」
 息を切らせて石段を駆け上がると、境内からそんな話し声が聞こえてきた。私たちが鳥居をくぐると、そこで立ち話をしていた霊夢さんと射命丸さんが同時に振り向く。
「あやや? これはこれは、探偵事務所のおふたりではないですか。そんなに急いで参拝に来るような神社でしたかね」
「うるさいわよ。――あんたたち、今度は何よ?」
 射命丸さんが首を傾げ、霊夢さんが露骨に剣呑に目を細めた。蓮子は息を整えると、「いやいや、神社よりも射命丸さんに用がありまして」と片手を挙げる。
「私にですか? ちょっと後にしていただけますかね。こっちはこれから、重大な任務を帯びて天狗の里に戻らないといけませんので」
「ああ、ひょっとしなくても守矢神社の件ですね?」
「――蓮子さんがなぜそれを?」
 射命丸さんがすっと目を細める。霊夢さんが呆れたように息を吐いて、私たちを指さした。
「こいつら、あのときあの神社にいたのよ」
「あやややや。あそこの巫女が人間を連れ込んでいたとは聞きましたが、貴方たちでしたか」
「それはともかく、射命丸さん。この一月、新聞も発行せず何を? 天狗の里は、いったいどうして守矢神社をそれほど警戒しているんです?」
 蓮子の言葉に、射命丸さんは不意に表情を消した。
「……宇佐見蓮子さん、貴方たちはあの神社の巫女や神様と既に知り合いなのですね?」
「ええ、まあ、友人と呼んで差し支えない程度の間柄ですわ」
「例の神社の目的は何なのです? あの神様たちは何者なのですかね」
「それは私が言うことじゃないと思うんですが。――私が聞いた限り、守矢神社はこの幻想郷で、外の世界で失いつつある信仰を取り戻したいそうですよ。目的らしい目的は、とりあえずそれだけのようですが」
「ふむ」
 万年筆の尻を顎に押し当てて、射命丸さんは首を捻る。
「ところで、霊夢ちゃんは何の話をしてたの?」
「神奈子の奴から、天狗にコンタクト取ってくれないかって頼まれたのよ。天狗を宴会に誘ってほしい、こっちは警戒されてるから、私から話を通してくれ、って」
「宴会?」
 何だ、そんなことだったのか。神奈子さんたちも本格的に、まずは山の妖怪から信仰集めを始めようというのだろう。その一環として、まずは守矢神社に親しみを持ってもらいたいとか、そんなところなのだろうが――。
「ですから、それは私の一存では決めかねますと」
「ただの宴会の誘いじゃない。なんでそんなに警戒してんのよ、あんたたち。まあ、そんなに悪い神様でもないわよ、あいつら」
「しかしですねえ。徒手空拳で向こうの懐に入り込むのはやはり危険が」
「――だったら、中立地帯で宴会を開いたらどうです?」
 蓮子の言葉に、霊夢さんと射命丸さんが同時に振り向いた。
「中立地帯?」
「そう、たとえばこの博麗神社を会場として、霊夢ちゃんに立ち会ってもらえば、お互い何か悪巧みをしていても、迂闊に手を出せないでしょう? 何なら私とメリーも立ち会いますわ」
「あやや……なるほど、それは一考の余地がありますね」
「ちょ、なに勝手に決めてるのよ。なんで私が場所まで提供しなきゃいけないのよ」
「霊夢ちゃんは場所を貸すだけ。酒と料理は両方からの持ち寄りなら?」
「あ、それなら許す」
 現金な霊夢さんである。タダ飯タダ酒にありつけるなら気持ちは解るが。
「なるほど、妙案ですね。――では、その方向で天魔様に諮ってみましょう。うちの上層部に評定させていたらいつまで経っても結論が出ませんし」
 射命丸さんは頷き、「では」と飛び立とうとする。だが、それを蓮子が呼び止めた。
「待ってくださいよ、射命丸さん」
「あやや? 何ですかね」
「こちらが妙案を提供したんですから、対価を頂きたいものですわ。具体的には、天狗の里が一ヶ月も揉め続けるほど守矢神社を警戒する理由ぐらいは説明をしていただいたいのですが」
「ギブアンドテイクというわけですか」
「天狗側の事情を把握しておかないと、こちらは立会人として、守矢側に与することになりますわ。守矢の事情はだいたい把握しておりますもの」
 にっ、と不敵な笑みを浮かべる蓮子。
 射命丸さんは素早く計算を巡らすように、顎に手を当てて数秒考え――。
「……いいでしょう」
 息を吐いて腕を組み、射命丸さんは北にそびえる妖怪の山を振り仰いだ。
「と言っても、単純な話です。鬼が幻想郷を去って以来、山は我々天狗が支配してきました。そこに、見知らぬ神様が突然神社ごとやって来たわけです。すわ侵略かと警戒するのは当然のことでしょう。何しろ、得体の知れない神様なわけですから」
「それでも、一ヶ月も揉め続けるほどのことですか?」
「あやや、そこは意見が割れましてね。お恥ずかしながら天狗の里も一枚岩ではないわけです。得体の知れない輩は断固山から出て行ってもらおうという強硬派と、まずは話ぐらいは聞いて、御利益がありそうな神様なら受け入れて信仰してもいいんじゃないかという穏健派とで、揉めに揉めて収拾がつかなくなりまして。そこへ一昨日、霊夢さんと魔理沙さんが山に来ましたから、ちょうどいいから神社の様子を見に行っていただいたわけです。情報収拾の一環として」
「ははあ。しかし射命丸さん、どうして自分で守矢神社を取材なさらなかったんです? 霊夢ちゃんたちをけしかけるより、そっちの方が余程手っ取り早かったのでは」
「――『お前に調査を任せたら、百パーセント抜け駆けして新聞記事にすることは解っている。新聞発行の権利を持ち続けていたかったら大人しくしていろ』と言われましてね」
「それで大人しくしていたわけですか?」
「私にも立場というものがあるのですよ。ペンは剣よりも強しといえど、ペンを取り上げられてしまってはどうにもなりませんし、下手に得体の知れない神様を刺激して、身内に不利益をもたらすのも本意ではありません。しかし調べたら新聞記事にしてしまうのが記者の本能です。上司への恩を仇で返すわけにもいきませんし、この一ヶ月、記者としてどれほどストレスが溜まったことか!」
 拳を握りしめて射命丸さんは吠える。天狗社会もいろいろしがらみがあるらしい。
「……つまり、天狗の里が守矢神社を警戒していたのは、単に守矢神社とその祭神が正体不明だったからですか?」
「あやや――まあ、単純化すればそういうことです。何しろ天魔様も、あの神様の正体がわからないというのですから。いったい、どこの誰を祀った神様なのだか――新しい神様にしては、随分と強い力を持っているようで、だから警戒しているのですよ」
 射命丸さんのその言葉に、蓮子が目を見開いた。
「新しい神様――というのは、幻想郷の新参者、という意味ですか?」
「あや? いえいえ、そうではなく。単純に、若い神様であるという意味です。あの明らかに元人間の神様です。ご存じなのでは?」
 早苗さんのことか。天狗から見れば、早苗さんは人間ではなく神様なのか?
「それは、祭神から力を借りているからでは?」
 蓮子がそう答えると、「ん?」と射命丸さんが首を傾げる。
「あの神社には他にも祭神が?」
「いえ、ですから風祝の早苗さんの力は、祭神である八坂様の――」
「風祝? ああ、あの神様と一緒にいる人間ですか」
「え?」
「あや?」
 ――おかしい。何か話が噛み合っていない。
「あんたたち、何の話してるのよ」
 霊夢さんが横から口を挟む。「あやや」と射命丸さんが肩を竦め、蓮子がしきりに帽子の庇を弄り始めた。
「……ちょっと待ってください、射命丸さん。今仰った、明らかに元人間の神様――というのは、この霊夢さんの色違いのような恰好をした女の子のことではなく……?」
「違いますよ。あの、注連縄を背負っている神様の方です。――あの神様は、明らかに元人間ですよ。人間の霊が祀られて神となった神霊です」
「……あの神様は、建御名方神と、その妻の八坂刀売神の両方を自称していますが」
「建御名方神? いやいや、有り得ませんね」
 射命丸さんは、自信満々でそう断言した。
「この射命丸文、天狗としての眼力を賭けて言いますが――あれは、もっと遥かに若い神様ですよ。その割には、随分と強い力を持っているのが怪しいのです。だから、うちの上層部もあの神社の扱いを巡って揉めたのですよ。――建御名方神のような由緒ある神様でしたら、もっとすんなり信仰しています。建御名方神は風神ですから、我々と全く縁の無い神様でもありませんし……蓮子さん? どうかしました?」
 呆然と立ち尽くした蓮子の顔を、射命丸さんが覗きこんだ。
 ぽかんと口を開け、虚空を見つめていた蓮子は――次の瞬間、口元に手を当てて息を飲んだ。
「まさか――そういうことなの?」
「蓮子? ねえ、ちょっと」
 私がその肩を掴んで揺さぶると、蓮子は不意にこちらを振り向き――。
 その顔をくしゃりと歪めると、帽子を目深に被り直し、射命丸さんに向き直った。
「……解りました。ありがとうございます。天狗の里と守矢神社の交渉の席への立ち会い、喜んで務めさせていただきますわ」
「あや? はあ、それならありがたいですが――」
 射命丸さんはきょとんとした顔で頷く。――と、そこへ「あんたたちねえ」と霊夢さんが声を上げた。
「家主を無視して勝手に話を進めるんじゃないわよ」
「あやや、宴会の許可はいただけたのでは?」
「場所を貸すんだからこっちにも対価を寄越せって話よ」
「お酒と料理は用意しますって」
「賽銭も入れて行きなさい」
「あやや――」
 口を尖らせて射命丸さんに詰め寄る霊夢さんと、肩を竦める射命丸さん。――そんな二人のやりとりも、しかし相棒の耳には届いていないようだった。
「……蓮子、どうしたの? 何か思いついたの?」
 私が肩を掴んで小声で囁くと、相棒は振り向いて――ひどく曖昧な笑みを浮かべた。
「たぶん、守矢神社の謎は解けたと思う……けど」
 そして、蓮子は口元を手で覆って、大きく息を吐く。
「――もしこれが真相なら、早苗ちゃんにだけは、絶対に話せないわ」





【読者への挑戦状】


 ――さて、今回の出題編は、以上である。
 蓮子が思いついた、守矢神社の真実とは何か。今回も、相棒と想像力を競ってほしい。
 焦点となるのは、以下の三点である。

 一、射命丸さんの言葉が真実なら、八坂神奈子様とは何者であるのか。
 一、守矢神社はなぜ、中途半端に諏訪大社を模しているのか。
 一、守矢神社はなぜ、幻想郷にやってこなければならなかったのか。

 あらかじめ断りを入れておけば、早苗さんが私たちに語った過去に嘘はない。
 ただ、それはあくまで早苗さんの目から見た過去でしかない。

 早苗さんには、明かすことのできない真実。
 相棒の誇大妄想が描き出したその《真相》に、貴方は辿り着けるだろうか?

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

この小説へのコメント

  1. 八坂神奈子=建御名方神を否定した二次創作は初めて見ましたね
    しかし、この作品では「異変の黒幕たちは『認識が現実になる』という幻想郷のルールを利用して自分の望む『真実』を作り出すために異変を起こした」という設定で公式と異なる東方世界を描いてますが、既に天狗には建御名方神ではないとバレている現状で守矢の異変は成功するのでしょうか

  2. 若い神様なのに遥かに強い力を持つ、か。これを聞いてもしかしたらという可能性が浮かびましたが、ここまでですね。やはり神様の世界は奥が深い。
    次回を楽しみにしております。

一覧へ戻る