東方二次小説

木ノ花、疾風に咲く木ノ花 中編   木ノ花中編 第8話

所属カテゴリー: 木ノ花、疾風に咲く木ノ花 中編

公開日:2016年05月20日 / 最終更新日:2016年05月20日

 廿三./腰越(西暦1185年)

 奪還した神器を朝廷へ還御した鎌倉軍は、一路帰還を目指す。だがその道程は険しいものであった。途中に平家の残党が居る――のではない。問題は別にある。それも鎌倉の内に。
 凱旋軍が入城した時の事。義経に官職を与えた院が、今度は諸将に対して官職を乱発したのである。義経ですら頼朝の気色を被ったのだ、これが鎌倉で問題にならぬはずが無かった。
 無断に任官をした実に二十余人には、墨俣を越えて東に至ればその首を落とすとまでの命令が下されたのであった。
 
 鎮西から、鎌倉軍の多くが上って行く中、頼景をはじめとする範頼の手勢らはまだ現地に止まっていた。
 多くの兵を留め置くには食料が足りず、また板東も人手を必要とする季節が迫っている。実は範頼の手勢、特に――地名が横見より改められた――吉見の衆も、多くが郷里に帰りたがっていた。
 その為、相良の衆と鎌倉から付けられた手勢を残し、範頼達の手勢も多く帰る運びになった。そんな矢先の事である。
「無断任官の御気色を被った?」
 帰郷するのに先だって入洛していたはずの景季が頼景に言う。使い走りとして、範頼の下へ走って来たのであったが、頼景が聞くのはおよそ彼の個人的な話と、併せて鎌倉の統御にも関わる話。
「はい、院から左衛門尉の職を賜ったのですが、これが鎌倉殿の内挙も無かった話だったらしく。九郎判官の件を鑑みれば、院がそれをするのも分かりそうなもの。頭が回りませんでした」
 普段は愛馬の磨墨と共に颯爽と駆ける景季も、ここでは正直にうなだれる。同席していた太郎も、そんな彼の様子を見てしょげた風になる。
「お父上は特に何も授かっていないのですな?」
「はい、同じく先に西国に入っていた土肥殿もです」
 彼らには院の目が届かなかったのか。いや、届いていたとしても、彼らならば迂闊に官職や賞などを授かる事は無かったであろう。
「私は特に強い言葉を頂かず、ただ東国へ至る事はまかりならぬとの書状に名を列ねられただけで済んだのですが、兵衛尉を賜った弟の景高などは、極めて短く“人相が云々”(※1)などと言われて、堪えた様子でした」
 まるで子供の悪口だと、悪いとは知りながらも頼景は苦笑する。
「いや、拙僧の甥も同じく、散々に言われたようです。それは当然と言えば当然なのですが、同時にその父、私の兄を褒める意図も鎌倉殿にはあった様で」
 深刻には捉えていない常光が、笑いながら言う。
 だがやはり、そこには某かの意図も含まれているのかも知れない。景季などは、己に何の言葉の無い事が、却って怒りが深い証拠だとも考えていた。
「本当に、板東の土は踏めないかも知れませんね」
「いやいや、そう悲観なさるな。官職を返上して起請文(きしょうもん)(※2)をしたためれば、いずれ許されましょうて。参州殿とて、墨俣で乱闘騒ぎを起こして御気色を被った際は、大量の詫びを鎌倉に送りつけて許されたものだ」
 頼景は乱闘の相手が自分であった事を伏せつつ、冗談めかして言う。しかし景季の顔色は暗い。
 頼景と、それに太郎も慰めようとするが、それ以上は言葉が見当たらず、そも太郎は言葉も掛けられない。
「いえ、そう言えば、先の[東下は許さない]という命令の中に九郎殿のお名前が無かったのが、益々不可思議でありまして」
 言葉が無いのが怖い、義経の名が列ねられていないのはその極みではないのかとすら考えられた。もはや彼は、鎌倉の住人と認められてすらいないのではと。今回の大量任官の先駆け、発端ともなった人物であるのだ。その考えに至ってもおかしく無かった。
「九郎殿と景季殿は立場も違おう。それに、供回りとして尽くして来た功を鎌倉殿は認めているのでは?」
「だと良いのですが……」
 頼朝の怒りもそうだが、これは父景時の――迂闊な子らに対する――怒りも深かろうと、頼景は慮る。それと同時に、やはり義経の名が無いという件には違和感を覚えた。
 彼は既に宗盛親子と神器を持って京へ凱旋し、次は鎌倉へ至ろうとしている。果たして他の者に下された東下禁止の命令を、彼はどう思っているのであろう。
 鎌倉の意図も義経の思考も、今の頼景達には分からなかった。

 数日経って京へ戻る景季に、通り一遍の事務的な書類と共に、ある書状が託された。彼はその中身を検めずに京へ向かったが、その直後範頼の陣では、小さな騒ぎが起きた。
 陣幕を荒々しく開け放って範頼の前に立つ頼景。諸将がそれぞれの陣に下がっているのを確認した上ではあったが、尋常では無い行動。
 その後ろには射命丸。酷く慌てた様子で彼を引き留めようとしているが、並の男にも勝るその膂力ですら止まらず、体の軽い彼女は振り回されるのみ。
「頼景殿! お控え下さい!」
 それを一切聞き入れず、範頼の前に立つ頼景。憤怒の相を浮かべて範頼の胸ぐらを掴み、躊躇無く殴りつける。
 後方の陣幕まで飛ばされ、それと共に崩れ落ちる範頼。腰から上だけを起こして、頼景を見上げる。そこには呵責に耐える表情が浮かぶ。
「俺が何故殴ったのか、言わずとも分かるな?!」
 言って、書状の束を投げる。書き直しなどの推敲の跡が多く見られ、何かの下書きだというのが分かる。彼の右筆である射命丸の手元に残されていた物だ。
「はい」
 力なく肯定の返事だけを返す範頼。その彼を庇って射命丸が言う。
「ですからそれは、九郎殿が無断任官の先駆けなら、己は官職返上の先駆であると蒲殿が――」
「一貫坊殿! こいつは鎌倉殿の内挙により正式に任官したのですぞ、無断任官の輩とは事情が違う。なあ、正直に言え、本当は何を考えていた? 鎌倉殿より賜った三河守の返上、それは武士を辞める事と同義だ。お主がそれを、分からぬはずが無い」
 それが範頼の真意、これは射命丸こそ聞かされ、知っていた。同時に武士を辞める事になるのも分かっていた。そして頼景はそれをすぐに看破し、こうして押し入って来たのだ。
 射命丸がしたためた書状は、今頼景が言った通り三河守を辞する旨を書き記した物。加えて射命丸には、入城している御家人らにその件を流布する事も依頼されていた。
 しかし射命丸には頼景の怒りの意味が分かっていなかった。範頼が三河守を辞そうが武士をやめようが、彼の勝手ではないかと。
 その怒りの根っこを頼景は語る。
「なあ、お主が武士を辞めて、それで終わりでは無いのだ。鎌倉にも吉見にも多くの郎党が居る、そいつらは今後どうなるのだ?」
「然るべき方々の傘下に入れば、それで良いかと」
「良いわけがあるか! なあ、俺達はゆやを救い、宗盛や天邪鬼を討つためにここに来た。それは果たした。だが郎等達には、そんな事は関係無いのだ!」
 あくまでも彼らは、鎌倉でひと旗揚げようと付き従っていただけ。当たり前の事であるが、範頼達の事情など彼らには一切関係無いのだ。
「ここに至るまで肉親を亡くした奴も居る。鎌倉には親子兄弟に己の手脚まで失った奴も居る。お主には、そいつらに対する責任が有るのではないか? あぁ?!」
 その中には頼景自身も弟の頼綱も、次長も居ない。あくまでも、相良から従って来た者達について言っている。
 胸ぐらを引っ掴んで引き起こし、拳を引く頼景。範頼は一切の抵抗を見せず為すがまま。
「もし私の官職の返上が受理されたなら、その時は公文所にでも勤めます。そして一生、尽くしましょう」
 頼景は両の拳を緩め、範頼を解放する。
「理不尽だと思うなら、殴れ」
 挑発では無い、素直にそう言う。
 しかし範頼は動かない。
「一発、貸しがありました。それに理不尽だとは思っていません」
 頼景はその言葉を受け取ると、黙って陣幕から出でる。その後を――範頼の身を気にしつつも――射命丸が追った。

 陣を出て、共に歩く射命丸と頼景。
 射命丸はやや後ろを歩みながら、頼景の背中に向かって申し訳なさそうに言う。
「何故、実際に書状をしたためていた私を殴らなかったのですか?」
 頼景は射命丸が処分し損ねていた下書きを見て、問い詰めはしたが、手を出す素振りなどは見せなかった。
 頼景はその言葉を以て自分の方から後ろに下がり、彼女の横に並んで答える。
「戦場で矛を向けられたならいざ知らず、女に手を上げるのは憚るのだ」
 そこには先ほどの怒りも無い、いつもの彼が居た。
 射命丸も少しだけ安心して、いつも通りに応じる。
「私は、蒲殿より強いですよ?」
「ああ、それに俺よりも強いかも知れませんな。だからおっかなかった、とも正直に言おう。それにお許があいつの頼みを断るなど、出来そうにありませんからな」
「私も、武士を辞める事については説いたのです。郎党の方々の事にまで考えが至りませんでしたが……」
 射命丸はうなだれる。人の世の仕組みについては理解していたつもりであったが、一人一人の暮らしの如何について、視点が欠けていたのを思い知った。
「僧は山に籠もるものですからな。そこらは分からずとも仕方有りません。俺もそこまでは言いませんて」
 妖だから云々と言わないのは彼の優しさであろうか、それとも普通に僧として見ているのであろうか。射命丸には分かりかねたが、どのみち当たり前に受け入れてくれている彼や範頼を、今更に有り難く思った。
「それに、俺は本来自分がやるべき事を、あいつに押しつけているだけなのだ」
「蒲殿に、押しつけている?」
「未だに慕ってくれる者達に何かしてやりたい、だが俺には何も無い。だから、天邪鬼やゆやの件にかこつけて、あいつらを鎌倉に連れ出しただけだ……」
 蒲御曹司を利用し、彼は上手く三河守にまで昇った。そんな汚い話なのだと頼景は吐露する。
 射命丸はそれを聞いて思う、僅かにならばそんな意図も有ったであろうと。だが今の今まで彼らを見て来た射命丸には、それが彼の心底だとはとても思えなかった。大半は範頼とゆやを思っての行動であっただろうと、例え違ってもいたとしても、そう信じたかった。

 明くる日、範頼の手勢が鎌倉への途に就こうとする。その中には相良の兄弟に次長、そして太郎が居た。範頼と共に鎮西に残るのは常光と射命丸。
 神剣捜索の事も思えば太郎を残すべきであろうかと射命丸は考えたが、やはり彼女には水中が見通せないため、ゆやの身の回りの事も考え、結局鎌倉に戻る組に入っている。
 他にも多くの御家人が、郎党を引き連れて帰途に就く。京を経由しての長い道のりとなる。
 その中で、射命丸は頼景と範頼の仲が気にかかっていた。何の言葉も交わさずに別れてしまうのでは、仲違いしたままになってしまうのではと。
 しかしそれは杞憂に終わる。
「参州殿、では俺達は先んじて鎌倉に戻ります。それと、昨日は済まなかった」
「道中お気を付けて、それにゆやや館の者にもよろしく伝えて下さい……私こそ、どうせ鎌倉殿には突っぱねられるのですから、相談すればよかったのです」
「なんだ、そこまで折り込み済みだったのか。なら殴り損、殴られ損だったではないか」
「はい」
 頬をさすりつつ範頼は苦笑する。
 二人の様子を見た射命丸は安堵する。この二人は血を分けた兄弟よりもずっと分かり合っている、例え東西にしばらく別れようが、それぞれに為すべき事を為すであろうと信じられた。

       ∴

 一月以上を経て、頼景や太郎達は鎌倉に帰着する。
 実に半年以上ぶりの鎌倉、ゆやや館の者は彼らの帰りを喜び、おおいに祝った。
 彼らには間を置かずに、一つの役目がもたらされる。

 四月の終わりも見えてきたある日、浜の館に結城朝光が訪れる。
 主が不在のため頼景が応対する事になったが、朝光が用があるのは頼景、そして太郎であった。
「お久しゅうございます、頼景殿」
「ああ、共に鎮西に赴いていたのに、お互い忙しくて中々顔を合わす機会が無かったからな」
 鎌倉で最後に会った時よりも、ずっと板東武者らしくなった朝光の顔を見る。少年らしいあどけなさは、もうほとんど消えていた。
 彼の姿は範頼の麾下小山党に在ったが、頼景が言う通り、小山氏の宗家の者としての役割もあり、会う事は出来ずにいた。
 また今、小山氏の実質的惣領小山朝政は、先の無断任官の件で京に留まっている。鎌倉の小山党をまとめるのは、この若武者の仕事であった。旧交を温めたり雑談に来たのでは無いとは、頼景にもすぐに分かった。
「本日は腰越(こしごえ)での任に同行して頂きたく、お願いに上がりました」(※3)
「腰越へ?」
 鎌倉から見て榎島(えのしま)の手前、境川に沿う土地。遠いと言うほどでは無いが近くも無い。
「はい、鎌倉殿直々のご命令で、ある方々をお迎えに上がるのです。そのお供にまず私と、私が信を置く者を連れて行くようにと仰せつかりました」
「それが俺か」
「頼景殿がご無理なら、当麻殿に同道して頂きたく」
 名指し、頼綱では駄目であろうと頼景は解する。
「信を置く、か。それは有り難いが、一体誰をお連れするのか、聞かせて貰えるかな?」
「はい、前内府(だいふ)です」(※4)
 さらりと言い放つ朝光。対する頼景はこれを聞いて目を見開く。
 何故己と太郎を選ぶのだ、朝光は範頼達と宗盛の因縁は知らないはずなのに。それとも何処かから知ったのか。頼景は不安を募らせる。
 しかし頼景が見る朝光の顔には邪気は無い。あくまでも信頼できる者を連れて行こうというのであれば、それには応じたいところであった。
「言っている事は承知したが、俺は吉見の衆を帰郷させねばならなくてな。太郎でも良いとも言われたが、あいつが喋れないのは朝光殿も知っているだろう?」
「ええ、それでも構いません。お二人のいずれかが、その場に居て下されば」
 もう少し言葉を選べばよかったと頼景は悔いる。これでは太郎を出さざるを得ない。
 彼女の事だ、喋るなと言っておけば決して喋るまい――いや吠えまい。それはそれでいい。しかし朝光の言葉には何か含むところが有り、頼景は、己に見通せぬそれが不安だった。

 数日後、頼景が吉見からの帰路に就いている頃、太郎は朝光の迎えで御所へ参上し、それから腰越へ向かう事になった。
 往路は狩衣でこなし、復路は水干に着替えての小旅行。一応は礼を失せぬように努めた対応であるらしい。
 護送の隊の指揮は朝光が執るが、その主は別の者。
「まったくなぁ、結城殿、儂は九郎殿に娘を娶らせなくて良かったと思っておるわ」
「ええ、本当にその通りだと思います」
 朝光にそんな言葉を投げかけた白髪混じりの初老の男は、頼朝の舅(しゅうと)北条時政。
 彼には子が多い。政子の他の娘も、板東のいくつかの有力豪族や、それだけでなく最近では河野氏にまで嫁がせている。郷御前を迎えた義経や、盛長の娘という体でゆやを娶った範頼にも、実は頼朝や全成と同様に己の娘をと、名乗りを上げてはいたのだ。
 しかし何故義経の話が出てくるのか。太郎は訝しみつつ、行き先である腰越の万福寺(まんぷくじ)を見透し、そしてなるほどと納得した。
 そこには宗盛の姿と、彼を運んで来たであろう人物、義経の姿があったのだ。
 ここで太郎は新たな疑問を抱いた。なぜ義経は直接奴らを鎌倉へ護送しないのか、そうすれば今回の護衛隊など必要も無かったのに。と。
 太郎には鎌倉の仕組みがまだ理解できていなかった、そこで義経がどう沙汰をされたのかも。

 一里強ほどの道程を経て、腰越に着いた太郎の一行。そして太郎は朝光に連れられ、万福寺の僧房の一室で義経と対面していた。
 その“眼”では幾度か視た人物であったが、こうして直に見るのは初めて。確かに言われるほどの美丈夫かも知れないが、その女子の様な体躯は、とても宇治や一ノ谷、壇ノ浦で活躍した人物とは思えなかった。
 そして太郎は、今になってようやく、朝光が己を連れて来た――若しくは頼景を連れて来ようとした――理由を悟った。
「小山七郎、殿だったか?」
 憮然とした貌でその美丈夫が尋ねる。
「いえ、鎌倉殿より結城荘を賜りまして後、結城七郎と称しております」
「では結城殿、単刀直入に聞こう、俺はいつ鎌倉に入れるのだ?」
 義経は、彼自身の意志でここに留まっていたのでは無く、命令で仕方なく押し止められていたのだ。またも太郎はようやくと知る。
「はい、九郎殿は引き続き、ここにお留まり下さい」
「おい童(わっぱ)、今何と言った?」
「お言葉にお気をつけ下さい、私は鎌倉殿の名代でここに参じたのであります」
 朝光の普段からは想像できない余りに不遜な態度に、太郎は肝を冷やす。まがりなりにも頼朝の弟、そんな伝家の宝刀すら、朝光の前では光を放ちはしない。
 義経もそれを察し、ギリッと歯を鳴らしてから問う。
「では、宗盛めらはどうするのだ」
「それはご心配なく、私どもが責任を持って鎌倉にお連れいたします」
 義経の意志も感情も一切排し、朝光は淡々と答えた。それは義経の怒りを助長し、破裂させる。
「壇ノ浦で奴らを捕らえ、京からここまで連れて来たのは誰だと思っている! 一体鎌倉殿は何を考えているんだ!」
 彼は立ち上がり、隣の太郎共々叱責する。
 太郎は恐ろしかった。義経が、ではない、朝光が恐ろしかった。
「貴方こそ、何を考えているのです? 無断任官の上、京では大々的に礼式に則って式典を催したそうではないですか。それが鎌倉で問題になっていたのを知らないのですか?」
「それは本来俺が受け取るべきもの、それを鎌倉殿が下さらぬから院より賜ったまで。宇治や一ノ谷で義仲や平家を蹴散らしたのは誰だと思っている!」
 義仲を。その言葉に太郎は気付き、朝光の顔を見る。義経に劣らぬ美丈夫の顔は、嗜虐心に満ちていた。
「ただ好き勝手に暴れ回っただけでは無いですか、軍紀を乱して、多くの命令違反を犯して。それが功だと、本当にお思いなのですか?」
「何ぃっ!?」
「極めつけが今ここに貴方が居る事です。私の兄を含め、多くの方々が未だに墨俣を渡れずに西に留められています。でも貴方はそんな事などお構いなし――」
「黙れ小童ぁ!」
 叫びに先んじて、義経の右の拳が飛んでいた。朝光の面の真ん中を打ち抜く軌道で。やはり義経は見た目とは裏腹の武の持ち主、徒手でも十分な技量を持つ者だとは、太郎にもそれで分かった。
 だが個人のそれを、朝光は上回っていた。端から見る太郎ですら見過ごした一撃に頭を軽く左へ動かし、蝿でも払う様にいなした上、義経の右前腕をつかみ取っていたのだ。
 頼朝の供回り、それが言葉だけの物で無い事を太郎は知る。この武はいつ身に付けたのか、もしかしたら義高の死から今までの一年で――そうとも考えられる。西国に在った時の彼はどの様な働きをしたのか、太郎はそれを知らない。彼はひたすら実戦で武を磨いたのかも知れなかった。
 腕を強く握られたのか、義経は短く唸るとすぐさま手を切って拳を引く。朝光もそれ以上の行動を起こさず、微笑みながら義経の言葉を聞く。
「俺には宗盛の護送という役目がある。それに、件の書状に俺の名は列(つら)ねられておらぬ!」
 朝光はフッと嘲笑に似た小さな笑いを漏らすと、己の言葉で義経の理屈を押し潰す。
「気付かなかったのですか? それは試されていたのですよ、御殿に」
 一瞬で義経の顔色が変わる。試されていた、その言葉の意味に気付いたのだ。
「そんな、兄上まで……」
 先程までの威勢はなりを潜め、義経はその場に座り込み、何かを思案する風にうつむく。
 そこへ、機を見計らっていたのか、時政が現れる。
「ご安心召されよ、九郎殿。内府殿の身柄は儂が責任を持って引き受けますからな」
 立ったまま、文字通り見下して言う時政。それを義経は黙って見上げるばかりであった。

 時政は朝光を矢面に立たせ、彼自身は宗盛の護送という重要な任務を授かった。そして朝光はあえてそうなるのを望んだ。今回の任務の真実はそうであった。
 時政は、身柄を引き取って輿に乗せた宗盛に背を向け、意気揚々と鎌倉への隊を率いている。朝光はと言えば、隊列の指揮はそっちのけで太郎の側に寄り、喋れぬ彼女に一方的に語りかけていた。
「見ましたか? 当麻殿。九郎殿のあの顔、まるで全てから見放されて、望みが絶たれた様な」
 朝光は満面の笑みを浮かべて、さも嬉しそうに言う。
 しかし太郎は唖然とするばかり。朝光が義経に向ける憎悪は筋違いと言ってもいいし、もしそれが正当であったとしても、喜ぶべきではない。
 朝光は、亡き義高の恨みを義経に押しつけている、それだけだ。義高追捕の件では頼朝の行いに疑いを持つわけにはいかないし、義仲が討たれた後の頼朝の措置は当然であった。これに疑義を挟んだりしてはならないのは、若い朝光も理解している。
 それ故に義経にその矛先が向いているのだ。同じ血を引く彼に。
 その恨み、範頼にも向きはしないだろうか、そんな不安もある。それより何より、この若武者が浮かべる心底から歪んでしまった笑みが、目を逸らしたくなるほど辛かった。
「どうしたんです、九郎殿には京や西国でも散々に振り回されていたではないですか。当麻殿」
 なのだから恨みはあるだろう、だから奴のあの不幸を喜べ、己と同じ様に。朝光はそう促しているのだ。
 太郎はこの時ほど、己が喋れぬのを辛く思った事が無かった。筆談では足りない、持てるあらゆる言葉を以て――諭すなどのおこがましいものでは無い――己の気持ちを伝え、こちらに取り戻したかった。

 宗盛親子護送の役目を終えて鎌倉に帰着した太郎は、御所からすぐに浜の館へ戻る。折良く館には頼景も戻っていた。
 太郎は当然、腰越での出来事を頼景に伝える。
 それを知った頼景の表情は暗い。己の言葉が朝光に通じていなかったのだと思い知ったのだ。
「太郎、お前はどうなんだ?」
 激しく首を振ると、力の無い鳴き声を漏らす。
「そうか、それでいい。俺たちには九郎殿を恨む由など無いのだ」
 今回、義経の手で連れてこられた宗盛、彼への憎しみは深い。だが範頼を始めとする者達は、私怨に任せず堪えてきたのだ。それか、やり場があるから耐えられたのかも知れない。それが無く懊悩(おうのう)とするだけであった朝光と違って。
 ただし頼景も、正当な怒りを抑えろと言っているのでは無い。もしそれまでも抑えろと言われたら、太郎には我慢できる自信が無かった。
 彼自身とて果たしてどうなのか、自制は効くのか、太郎はそう恣意を廻らせながらまた思う。彼が誰かに憎悪をぶつけ、朝光の様な歪んだ笑みを浮かべるのなど、見たくは無い。
「太郎、戻ったの?」
 廊下を小走りに駆ける音、ゆやが二人の前に現れる。
「ああ、この通りだ」
「良かった、太郎一人でのお役目と聞いて心配だったんです……」
 確かに、彼女へは大した説明も無かった。
「ああ結城殿から、俺か太郎をとのご指名だったのだが、俺は吉見行きと重なったのでな。榎島近くの腰越の寺に、鎌倉殿の名代として参じていた」
「ヲフ」
 宗盛の護送の任で赴いたのだとは、頼景も太郎も言い出せない。彼が生きて鎌倉に至ったなど、ゆやはどう思うであろうかと、そればかりが気になっていた。
「そう……では内府を討ちに行ったのでは無かったのですね」
「ゆや、何故それを……」
「女房衆や方々の奥方の口には上がってましたもの、近々内府が鎌倉に召されると」
 女達同士の繋がりというのは中々に広く、また戦以外に関しては、それしか頭に無い武家の男どもよりも聡いかも知れない。
 頼景は全く侮っていたと、目をつぶって思案する。
「なぜ嘘をついたりしたのですか?」
「嘘はついておらん、腰越の寺に鎌倉殿の名代として行ったのは事実であるし」
「ではなぜ、隠したのですか?」
「……ゆや、俺たちが、蒲殿が宗盛を討てずに、奴が今も生きている事を、どう思う」
 何を考えても、どんな屁理屈を捏ねても無駄だと、頼景は真っ向から彼女に尋ねる。
「内府に対する恨みは、当然あります」
「ああ、そして俺達は、奴をどうにも出来なかった」
「戦に打ち勝って、捕らえたではないですか」
「それは九郎殿やその郎党の仕事だ。俺達は陸から指を咥えて見ているしか無かったのだ。それに――」
「それに?」
「それに、御曹司が知恵を尽くし手を尽くせば、虜囚の宗盛を殺せたのかも知れないのだ」
「私の為にですか」
「ああ……いや、御曹司自身の感情もあったればこそだ」
 彼は武士になる事を望んではいなかったのであろう。
 男子として、軍記物の中の英雄に感心し、憧れた事もあったろう。だがそんな時期はとうに過ぎ、彼は現実を知っている。それを思い知らせる存在、頼景も近くに居たのだ。
 その彼が、望みもしない戦に向かわねばならなくなった原因は、他でも無い宗盛の横暴にあったのだから。
 ゆやは頼景の言葉に、首を振ってから答える。
「頼景様。私は、蒲殿がそんな事をしなくて良かったと、本当にそう思っております」
「そんな事……宗盛を討たなかった事をか?」
 討てなかっただけで無く、討たなかったのを。
「はい。それが私の為であれ、範頼様自身の心のままであれ、怨み辛みのまま人を殺す範頼様など、私は見たくありません」
 今も鎮西に在る彼を思い浮かべてか、寂しそうに微笑んで言うゆや。
 ああ、そうか。頼景は思った。
 多分、範頼もそうなのだ。憎悪の限りに策を尽くして宗盛を討ち、ゆやとその喜びを分かち合おうなどと、そんな所には至らなかったのだ。戦の中で宗盛が討たれたのであれば、それはそれでお終い。もう、それだけの事でしか無くなっていたのであろう。そう解した。
 ゆや自身は宗盛を許すまい。だがその深い憎しみすら表に出て来ないのも、範頼という人物が――例え今は遙か遠くに在っても――存在してこそなのだ。
 頼景は昔からつくづくと思っていた、この二人はよく似ていると。もしかしたら二人は、お互いが鏡映しに似通っているのを知って自身を投影し、故にその様な醜い所行を思い止まれているのではないか。頼景はそんな気持ちすら覚えた。
 二人の会話を黙って見守っていた太郎の胸中も、また複雑であった。
 本来赤の他人である友人の死にすら筋違いの怒りを発露する者がいる側で、自身が直接被った悲劇すら、こうしてしまい込もうとする者も居る。
(でも、ゆやがいくら我慢しても、いや我慢してしまうから、あいつは許せない)
 懸命に耐えて微笑む彼女を見つつ、太郎は心中で牙を研ぐのであった。

     * * *

 腰越から移送された宗盛親子は、鎌倉に着くと御所に召し出され、日毎詮議に召し出された。

 一方の義経。
 彼は自信が頼朝より被った怒りに対する釈明として、逗留を続ける万福寺にて起請文をしたため、これを鎌倉の中原広元を通して頼朝に提出した。
 後に言う『腰越状』(※5)である。
 義経はそこで、己の功と肉親の情への訴えとここに至るまでの身の上、またそれをして二心(ふたごころ)(※6)無き事を漢籍を説いてまで語るが、それらは鎌倉が求めるものでは無かった。
 無断任官と壇ノ浦での命令不履行等の多くの問題、それに鎮西へ遠征していた多くの御家人の功を独り占めにした事、これらの釈明は皆無であった。

第18話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 人相が云々:『吾妻鏡』に「悪氣色シテ本自り白者ト御覧セシニ 任官誠ニ見苦シ」とある。意訳「人相が悪い痴れ者のくせに、任官など全くもって見苦しい」
※2 起請文:人同士の契約と同時に、神仏にもそれを守る事を誓った誓文
※3 腰越:現在の鎌倉市南西部の地域。海水浴場の七里ヶ浜(御所からの距離(?)、実は坂東の数え方では1里は6町)が属する。榎島(榎嶋)は現在の江ノ島
※4 内府:太政官(朝廷最高機関)の令外官、内大臣の事。二位の官。ここでの宗盛は、朝敵となってから官職が剥奪されたため、“前”内府となっている。
※5 腰越状:義経が因幡守(広元)気付で頼朝に宛てた書状、文中には先に起請文を提出したとの記述もある。書状自体、後世(『吾妻鏡』編纂者)のねつ造とも。
※6 二心:主君などを裏切ろうとする心。翻意

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