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木ノ花、疾風に咲く木ノ花 前編   木の花前編 第10話

所属カテゴリー: 木ノ花、疾風に咲く木ノ花 前編

公開日:2016年03月24日 / 最終更新日:2016年03月24日

十五./山吹、熊野に咲く(西暦1184年)

 人が昼間の空を眺める事も無くなったのはいつ以来だろうか、射命丸は風に乗りながら思う。今の彼女に幸いなことではあった。
 彼女ですらも、地上にある時はあまり空を見ない、見る必要が無い。せいぜい頭上に鳥の影が差すか、雨か雪が降る時か、時や方角を知るぐらいにしか。
 鎌倉勢の末にある中途参陣の隊が駐屯するよりも離れた場所に降り立ち、徒歩で範頼の陣を目指す。少々面倒だがしょうがないとは、いつも思っている。
「人間の視覚から完全に消え去る穏形の術なんてのがあれば、だいぶ楽なんだろうけれどなぁ」
 考え事をしつつ、独りごちながら歩けばすぐに陣の側。立哨の兵と礼拝を交わして幕内に入る。
「ただ今、戻りました」
「大変お疲れ様でした」
 彼らは近江国、東海道と東山道の追分(※1)、草津宿(くさつしゅく)付近に布陣していた。
 先遣の兵を連れていた義経らとは無事会合を果たした。今後はここを後陣として、正面戦力のみが前進する。
 とにかく兵が多い。元からの鎌倉勢だけでもかなりの規模なのに、統制も取れない中途参陣を含む兵を京に入れては、義仲と同じ轍を踏むのが目に見えていた。
 無人の陣幕の内側、軍議の準備のためずらりと並んだ床几(しょうぎ)(※2)の一つを範頼から勧められ、腰をかける。彼もそのうちの一つを寄せて、話を求める。
 大まかな敵の配置を太郎が天より授かった“眼”で絞り、それを射命丸が上空から偵察するという連携。当初は意思疎通の問題で上手くいかなかったが、墨俣以降は――範頼達の期待に応えようと二人はわだかまりを抑え――狙い通りの情報を得られるまでになっている。
 今は、軍事に疎く敵情を推し量る事も不得手な範頼の眼力を、歴戦の勇士に負けぬ物に見せかけている。
 あらゆる協力を彼女らは惜しまなかったし、特に射命丸は戦場に出るのを止められている分、積極的に動いた。彼女の表向きの僧という身分、これも情報収集に寄与していた。
「こちらが兵を寄せた時点で木曾と叡山は訣別した様です。兵も二百騎から三百騎を宇治(うじ)と瀬田(せた)にそれぞれ配したきり、木曾殿ご本人の陣らしき物は院の御所にあるようです。その他、木曾勢と思しき兵馬は見当たりません」
 本来連れているべき輜重隊は入洛の時点でお払い箱にされて帰国し、見かけ上の兵は減少していた。ここまでは当然の成り行き。
 しかし彼が洛中という蓋を開けてみれば、飢饉を始めとした諸事情で糧秣の確保はままならず、このため正面戦力の維持も不能になってしまった。
 加えてここまで兵が激減した理由としては、備中水島での敗北が大きな原因と考えられた。

 讃岐国(さぬきのくに)(※3)は屋島(やしま)の沿岸や船上に本拠を移した平家。この追討のため、義仲は、その当時はまだ十分な戦力であった兵馬を寄せた。
 双方戦船を繰り出しての本格的な海戦を展開した水島での戦い。落ち延びた先の太宰府、長門国(ながとのくに)(※4)から取って返して、瀬戸内に十分な水軍を擁するに至った平家。木曾勢はこの手痛い反撃を受けたのだ。
 加えて、やはり戦の最中の日食が、木曾勢の旗色の悪さに拍車をかけていたのが分かった。
――頼朝の挙兵直後もそうであったが、天象は戦に大きく関わる――
 そうして大勢が決した時には、――鎌倉に居る源姓足利氏の一族でもあった――梁田御厨(やなだのみくりや)を本領としていた矢田判官代義清(やだほうがんよしきよ)、義高と歳近いその従者海野幸氏(うんのゆきうじ)の父海野幸広(ゆきひろ)を始め、ここまで平家を圧倒して来た優れた将兵を多く失ってしまった。
 そう、四天王とまで称された名だたる将まで失っては、兵の散逸も当然の事であった。
 またこの敗戦と兵力の減少が、彼を舐めてかかった院とその近従による、法住寺での対峙を助長した遠因にもなったのだ。

 義仲らに起きた事態の推移を思い返しながら、射命丸は今ひとつと範頼に告げる。
「瀬田の水量の変化は微小です。また下流の宇治は水量が減り、川底も見えるほどになっています。時間をかけて地上より探れば、より子細が分かると思います、空からでは陣中の兵糧の様子や兵の顔色は分かりません。我ら同様、彼らの背景も雑多です、これを探るのならば――」
 地図を示して言う射命丸に、範頼は感心の眼差しを向ける。
「いえ大丈夫でしょう、私の手元で知るべき事はこれで十分です。それにしても凄いです、これだけの事がすぐに分かるのは」
 次長や常光に諮ってみて、良ければこのまま軍議に持ち込むとの旨、それに幾度も礼を交える。
 墨俣では射命丸の拙(つたな)さが景時の癇に障る原因を作り、範頼もそれにやっつけられたが、それでも彼は射命丸をこの様に用い続けていた。
 この役目もようやく身に付いてきた。これは太郎が居ようが居まいが、秋葉山に居た頃の射命丸には出来なかった。あの時は跳ね回るのが精一杯だったのだ。
 範頼が鍛錬を続けたのと同じく、一層の修行に励んだのが実を結んだのだ。いや、修行もだが、思いに依る所もまた、強かった。

 軍議にて、戦術の大綱は範頼率いる主攻、大手勢が勢田へ進み、義経の搦め手(からめて)(※5)勢が宇治川(うじがわ)を渡る事で固まる。
 この決心は射命丸の見た木曾勢の配置が大きな材料材料となったが、景時が述べた策もまた巧みであった。
「――であります故、地形地物、戦力の分布から言っても、また率いる将の性質から判断しても、この配置が最良であろうとの事であります」
 この様に作戦要綱を提示する景時、歴戦の猛者が揃って舌を巻く物であった。ただ彼の様子は言付けを伝えるだけにしか見えず、どことなく合点がいかない風。
 重要な軍議だというのに、任じられた二人の総大将の片方、義経が居ない。もっと言えば、彼は範頼に会いに来た事すら無かった。母は違えど範頼は兄であるのだから、義経の方から参じるのが道理である。
 義経は血筋定かで無い範頼を低く見て、道理をねじ曲げ、その下へ参じるの厭がっているのではないかとは、射命丸でなくとも思っていた。
 その様な人物の側でも軍監を勤めなければならない景時の心中は、容易に推し量れる。
「梶原殿、この案、貴方として何かしら言うべき事が他にあるなら伺いたいのですが」
「いえ、ありません」
 範頼の問いにキッパリと答える。
 思考過程が見えない、それぞれを率いる各将同士の意思の擦り合わせも無い。実際に動いてみたら片手落ちだった、という事もあり得るため、策を練った者達が直接顔を突き合わせるべきなのに。
 景時の言では義経は未だに地図を睨み、腹案を練っているのだという。大手に比べれば少ない兵――それでも対岸の木曾勢に比べれば桁違いに多い――で進むのだから多少の事には目を瞑って欲しいとも、本心か否か定かでない義経の言葉を伝える。
 彼には戦術はともかく、それ以外の部分で腹に据えかねる事でもあったのだろうと範頼は察する。それでも私情を差し挟まないようとする努力が、景時の様子からは見られた。
「見かけの勢力だけならばこちらでも掴んでおりましたが、この敵将の心情を勘案したかの如き策、一体どなたの物か、後学のために伺いたいものです」
 よほど戦に慣れ、敵将のクセも知る老練な将の献策に違い無い。純粋にそう思い、教えを請おうと問う。その姿勢には陣幕の隅に列する次長も感心と頷く。
「九郎御曹司以外にはありません」
 明らかに憮然として答える景時。
 範頼も次長もその他陣中の面々にも、なんという藪蛇だと沈黙が覆い被さる。景時も己のあからさまな態度に気付いたのか、にわかに気恥ずかしそうにして咳払いし、補足する。
「先遣として趣いていた間、敵情の観察に当たったのでしょう。後学のためとするなら、戦時以外に遊兵や時間の余白を生じさせない姿勢に倣う事です」
 この様に軍議自体は案外すんなりと決し、それを諸将に伝達、兵に下知された。以降は将兵を大手と搦め手に適切に配し、戦に臨むばかりであった。

 軍を二手に分かつ前に各々に語る事があるのか、陣の間の往来は激しく、人の姿は多い。そんな中、常光も兄重国の元へ参じて語らい、頼景は太郎を連れながら、勝田氏や横地氏等の縁のある氏族の陣を見舞っていた。
 その中で彼は見覚えのある姿を目にし、側に寄る。
「おお、お主こんな所におったのか、久しいなあ」
 語りかけるが、返ってくるのは荒い息だけ。太郎は若干怯えてしまっている。
 目の前に居たのは馬、墨を被った様に真っ黒な馬体で、しかし水に濡れた様なツヤのある青鹿毛。相良荘から鎌倉へ持参した中で、頼景自身が随一と評していた一頭であった。
 他にも黒い馬は居る。彼にはその違いが分かるのだろうかとは太郎は不思議に思いながらその青鹿毛に近付き、つい癖で匂いを嗅ごうとすると、
「ヒヒィン!」
「キャンッ!」
 青鹿毛が不意にいななき、太郎は小さく悲鳴を上げて跳び退る。
「こらっ、太郎。こいつらが臆病なのは知っているだろう、余り怖がらせるな」
「クゥーン……」
 そうは言うが怯えている様子には見えない、逆にこっちが脅されたみたいなのに納得がいかないと、太郎が塞いだ様に鳴く。
「どうかされましたか!」
 主人らしき人物が近付く。二十歳過ぎぐらいの若者、頼景にも見覚えがあった。だが子細には思い出せない。
「申し訳ない、この者が少し脅してしまいましてな。と、えぇと、確か以前お会いした事が――」
「拙者は梶原平三景時の子、梶原源太景季(げんたかげすえ)と申します。すいません、物覚えが悪い輩でして、いずこでお会いしましたでしょうか?」
 はきはきと答える彼を見て、頼景は思い出した。
「おお、梶原殿のご嫡男でしたな。こちらこそ失念ご無礼。俺は遠江の田舎侍、相良四郎頼景と申す、蒲冠者の配下の者です。覚えてないのは仕方ない、蒲冠者の鎌倉入りの時以来、幾度か一方的に拝見したぐらいですからな。こちらは蒲冠者が鎌倉に参じて後、横見より従う家人、当麻太郎と言います」
 紹介を受けて太郎も一礼する。
 景季はようやく思い出したという風に、鷹揚に首を縦に振る。
「相良殿、あの時もなのですが、ご無礼のほどご容赦を。田舎侍などとご謙遜を、東遠一帯の氏族の祖ではありませぬか。それと……遅ればせながら、お初にお目にかかります。貴方が当麻太郎殿でしたか、野木宮での蒲殿の陣第一の功、聞き及んでおります」
 相良の氏を知っていても不思議は無いかと頼景は頬をかく。鎌倉と比較的近い伊豆国の、伊東や狩野といった工藤氏の流れも、相良と祖を同じくするからだ。
 太郎は景季に褒められたのが嬉しくてか、大変珍しく、にへらと緊張感の無い笑みを浮かべる。
「まあまあ、それも大げさな事ですて。それよりこの馬、実は蒲冠者が鎌倉へ上る際に持参した者でしてな、つい懐かしくなったのです」
「そうですか、この馬、磨墨(するすみ)は遠江の生まれだったのですか」
「いや、相良牧で育ちはしましたが、生まれは駿河国の安倍川。そこから引き出されて来ましてな」
 そうか今は磨墨というのかと、見た目を如実に現したその良き名に、頼景は感心する。
「磨墨は、池月(いけづき)に代わって鎌倉殿から賜ったのです」
 ほう、と頼景は息を吐く。
 池月と言えば、鎌倉の厩の中でも一番の名馬と誉れを受ける、武蔵産まれの駿馬。伊豆以来の頼朝の陪臣佐々木定綱(さだつな)の弟高綱(たかつな)が、頼朝から拝領したと聞いていた。
 月の浮かぶ瀬に現れたから池月とも、生き物を食らうほど獰猛であるから本当は生食(いけづき)と記すともされる。その様な馬の代わりにと授けられるのだから、磨墨の格も中々のものであった。
「かつては、抜け駆け同然に池月を授かった佐々木四郎殿に嫉妬したものですが、今となっては、賜ったのが磨墨で良かったと思っております」
 彼は若者らしい朗らかさ見せながら言う。
 先程は悪戯っぽく太郎にいなないた磨墨も、頼景や景季にはとても従順な様子を見せている。さっきの行動も、太郎の本性に気付いたからかも知れなかった。
「そう聞くと、育てた牧の者として嬉しいですな」
 にこやかに、何度も頷きながら景季は応じる。
「我々梶原は九郎殿の下、宇治川で合戦に臨みます。佐々木氏もこちらに在りますから、池月とも先陣を競う事になるやも知れません」
 頼景と太郎は共に感心して息を吐く。そうなれば、鎌倉一の名馬の誉れを戴くかも知れない。
「それは是非、勝って頂きたいものですな」
 その言葉を以て、景季はまた別の方へ向かうおうと暇乞いし、頼景はそれを見送った。
 爽やかで気持ちの良い男だと頼景は思う半面、景時の嫡男だというのが信じられない気もした。
「あれも年を経たら、あの親父殿の様になるのかのぉ」
「クゥン?」
 太郎も同じく思い、腕組みしながら首を傾げる。
 頼景は、今の太郎の仕草と彼女がさっき褒められた時の様子を思い出し、いやらしい笑みを浮かべつつ言う。
「いっそ……嫁入りするか?」
「ヲゥン?!」
 この人は何を言い出すのだ、しかも相手は梶原の嫡男、どこの馬の骨とも知れぬ者と夫婦となるものか。そもそも彼は私が妖とも――女の郎党である――女郎とも知らないのだぞ。
 そう全て言いたげに、太郎は目で困惑を訴える。
「冗談だ、冗談。こんな時だ、このぐらいは許せ」
「フガーッ!」
 どんな無茶や粗末な扱いには耐えても、存外に冗談は通じない太郎であった。
 頼景は彼女が憤るのにも拘わらず、その肩を勢いよく叩いてから、範頼の待つ陣へ帰ろうと促す。
 こんな時――信濃源氏との決戦は決したも同然、問題はその先。ゆやや、義仲ひいては義高、彼、彼女の運命が決する地は、すぐそこなのだ。

       ∴

 大手勢に総兵力の六割から七割を配し、搦め手勢にはその残りを割り振る。
 大手が寄せるのは近淡海から出でてすぐの瀬田、搦め手勢はそれより下流の巨椋池(おぐらいけ)(※6)の流入口付近、同一水系の宇治川に向かう。
 搦め手勢は、かつて源三位頼政が奮戦の末に果てた宇治川を、平家が彼の人物を攻めた道程を遡る形となる。
 近淡海と巨椋池、大小二つの淡海を流れる川の上下をそれぞれ渡河するのである。渡った先で兵を分け、渡河の済んでいない側の隊を援護すれば挟撃も為る。
 義仲の本営は院御所、そこには在るのは百騎ばかりと分かっている。彼が平家と勢力を覆した信濃や越後の山中とは異なり、兵を伏せられる場所も限られる。
 木曾勢の意図は、この圧倒的な戦力の差を渡河阻止側となって埋めようというもの。偵察の結果、宇治橋、瀬田の唐橋共に、数間にわたって橋板が外されていた。
 攻撃側が守備側に倍する以上の戦力の投入を強いられるのは古くからの理合であるし、それが渡河という天然の水堀を用いられれば尚更である。
 範頼はここでゆっくりと兵を進める。
「蒲殿」
「如何しましたか?」
「この様な歩みで、大丈夫でありますか」
 頼景が問う。
「兄者、御大将は戦術の前から兵の圧力で以て、敵を圧倒しようとしているのです」
 大軍を遅滞なく川縁に展開し戦列を並べれば、矢合わせよりも前に、心理的にも機先を制する事が出来る。
 作戦要綱の大意も下知されているでしょうと、頼綱は続けた。
「お主は黙っておれ、それにその事は承知しておる。勝間田殿、これも軍議の通りなのですか?」
「然り」
 頼綱は極めて不満げに渋い貌をし、次長は端的に答える。それは道理と頼景も思うが、心配はここではない所にある。
「いえ、九郎殿が果たしてこの通り進むのかと」
 現在後陣に控える射命丸も、事前にそんな不安を吐露していた。頼景はそれを聞いて同じく思っていたため、問い糾したのであった。
 それに作戦内容は承知していても、ここまで歩度を落としての前進とは思っていなかった。幸いにも統率が利いているからこそ足並みを揃えていられるし、将兵もそれを乱せばどうなるか知っているから、整斉としていられるのだ。
「進んで貰わねば困る」
「相良殿の心配もごもっともですが、京では院の身を安堵するという役目があります。九郎様お得意の独歩(どっぽ)(※7)もまあ、そこは弁えるのでは?」
 信じるに足るか怪しい調子で常光が続けて答える。
「分かり申した」
 言葉とは裏腹の表情を浮かべて、頼景は頼綱以下の郎党を引き連れて前に出る。太郎を範頼の側に残して。
 彼らの前には大きな川が広がる。天竜川程ではないが、目測で優に二町を超え。宇治川よりも川幅が広く、この時期にも拘わらず水量は豊富。これが瀬田川。
 川向こうに守備隊を展開するのは、木曾勢の中でも古くから義仲と相親しむ今井兼平。義仲の乳母子(めのとご)(※8)であり、兄と弟の仲と言っても過言では無い。何よりそれを名乗るに足る十分な武を持つ強敵である。
「兵力よりも将で割り振った、か」
 頼景は独りごつ。
 無論宇治川の将もただ者では無い。あちらは保元の乱すら生き抜いたという、次長達も顔負けの古強者が守っているという。
「しかし、戦列を並べるまでどれほどかかるやら」
「鎌倉勢だけならすぐに出来ましたがなぁ」
 頼綱も流石に遅いと感じ始めていた。だが戦術に従うなら、まだ動くわけには行かない。
 てんでバラバラに渡河を試みれば、渡っている内に守備側は移動し矢の天を降らせて来る。徒歩は当然、馬を以てしてもこれを避けて渡りきるのは難しい。
 一斉に渡ってしまえば防御側の対応は飽和し、結果として被害は少なくなる。これがこの戦術の理合だ。
「ここは先陣を切るもよしだが、俺達には京でやる事があるからな」
「ゆやの事は当然、承知して――」
 頼綱の言葉が止まる。対岸の陣がにわかに騒然としているのが遠目に見えた。そして中洲に若干の兵を残し、転進して行ったのだ。
 対岸の異変に呼応して、大手勢も騒然となる。
「蒲殿、敵陣に何事か起こったようでございますが」
 常光が言うのを皮切りに、辺りから小山や千葉といった主立った一族の諸将が集う。
「敵の策で無いとも限らぬな」
「搦め手勢が宇治を破ったのでは?」
「いや、いくらなんでも早すぎるぞ」
 考えられる事はいくらでもあるが、それらから正答を導く判断材料が無い。
 ここばかりは総大将も担がれるだけの御輿ではない。適切な判断をし、将兵を動かす必要がある。
 そのうち中洲に残っていた敵兵も退き始める。常識で推し量るなら撤退のしんがりであろうとは、どの将も考えた。
「兄者。まさかとは思ったが、兄者が懸念する通りになったかも知れん」
「……今更何を」
 余りにも早すぎる進軍を義経が成し遂げたのではないか。対岸の兵は法面の向こうに消えてしまっている。伏せて誘う手もあるがこの兵力差では効果は薄いはず、義仲旗揚げから付き従い戦に慣れた将である兼平が、そんな悪手を打つとは考え難い。
「いち郎党が言い出すのは僭越だと承知だが、蒲殿に渡河の下命を仰いでは?」
 頼景は無言のまま馬を返し、範頼の下へむかった。

 範頼の周辺はいよいよ騒然となっている。皆口々にああでもないこうでもないと馬上での議論が絶えない。ただそうしている訳ではなく、兵に余裕のある将には斥候を出させたりもしていた。
 頼景は彼の側に行くのを諦め、傍らに弾き出された徒武者の一団に近寄る。侍烏帽子の並ぶ中、周りよりやや低い白髪頭を頼りに太郎を探し出した。
「太郎、下手をすると洛中がこのまま戦場になりそうだ。だが大将の命令が無い限り俺達は動けん。だから――お前が行け、一貫坊殿と共に」
 太郎は強く頷き、大太刀を手にして駆け出した。
 その背を見送ってから、頼景は自身の持ち場に戻る。
「兄者、蒲殿は何と?」
 既に郎党を押し並べていた頼綱の顔は、うつむく兄を見て悄然とした面持ちに変わった。

 草津の後陣に留め置かれていた射命丸は、唐突な太郎の出現に驚く。こんな短時間で戦が終わるわけも無い、尋常ではない事態だと考え強く問う。
「太郎、どうした!」
「ウゥ、ヲン」
 言葉は通じないが、何か書く物を寄越せと急かすのは分かる。
「頼景殿が、私達に洛中へ行けと?」
「ヲン」
 射命丸は範頼達が今どんな思いで居るのか想像し、辛くなる。
 己が課せられているのは天邪鬼退治であって、ゆやの救出ではない。それはここに至るまで範頼や頼景らと幾度も確認し――否、それを材料に戦に出るなと説得されただけのこと。
 彼らの望みは射命丸の望みでもあった。太郎などは言うまでも無い。それに奴の退治を課した者達にも、ゆや救出の件は後押しされている。
 その太郎は、その“眼”でゆやの居場所を掴んでいた。紙に簡単な図を添えて示すのを見た射命丸は、にわかに怒りを催す。
「何故今まで言わなかった!」
 知った場所。今まで幾度か上空を通過している、助けに行けたかも知れないのに。
 かつて己が太郎にした事への贖罪より何より、ゆやの救出が全てに勝る。射命丸は遠慮無しに太郎へ怒鳴る。
「グルルル……」
 叱責には顔をしかめ、唸り声で返す太郎。
 射命丸はすぐに頭を冷やし、太郎が先にこれを知っていたならすぐさま誰かに伝えたはずだ、と頭を振る。彼女が瀬田まで赴いて初めてこれを知覚し、戦場である故誰にも伝える事が出来なかったのだと解した。
「すまない太郎、お前が隠す理由などないね。そうか、ようやくゆや殿の行方が分かったのか。よし、行こう。あの子の所へ」
「ヲン!」
 射命丸は声を落とせと太郎に促す。ただ二人の顔には、期待に満ちた笑みが浮かんでいる。
 この手で助けられる。ようやく償える。彼らの戦いも終わる。
 まだ自分達に課せられた役目は終わらない。それでも、それでもだ。

 義経はやはり、範頼ら大手の諸将には想像も付かない速度で宇治川を渡り、敵陣を破っていた。
 斥候の偵察結果を以て範頼らも前進を始め、頼景は先頭に立って渡河を開始する。側ではこれに備えて動員されていた番匠(ばんじょう)(※9)らが人足を率い、唐橋の橋板を仮に渡し直す。
(御曹司、先に行くぞ)
 範頼は修復作業を後ろから見守っている。
 橋が直るのを待つのでない、今や源氏の前進本営たる範頼らは、所在を明らかにしながら進まねばならない。いよいよそうしなければならなくなった。原因の一つは義経の紫電の如き前進であった。義経率いる軍ではなくあくまでも義経の、である。
 彼は先陣に続いて渡河すると、敵兵を瞬く間に蹴散らした。そこまでは良かったが、自身の手勢が渡った時点でそのまま京へ前進して行ったのだ。
 従うのは鎌倉に参じる以前からの陪臣達と手勢、六ないし七名と数十騎、いずれも騎馬のみから成る隊。範頼にとっての頼景達や相良の郎党、吉見の衆の様な者達である。
 義経は搦め手の指揮を半ば放棄していた。これにも理由は当然ある、院の身の安堵がそれであった。彼の意識する優先順位が義仲追討にしろ院救出であるにしろ、まず行くのは院御所であるのに変わりは無い。
 残された将は当初の予定に従い、院御所への前進と瀬田への挟撃の隊に分けられていた。大将不在でも辛うじてこれが成ったのは、景時や重忠といった十分な力量の将が居たからであった。義経が彼らを当てにしていたかと言えば、以後の推移からすると怪しいが。
 ただし瀬田へと向かった部隊は、転進した兼平らとは遭遇せず、渡河していた大手勢と合流する。
 八幡大菩薩を奉った幟(のぼり)、白旗が一所に集まる。
「蒲殿、そちらの木曾勢は如何なされた!」
 景時が問う。
「粟津(あわづ)へ向かったようです!」
 範頼が叫び返す。
 合流した搦め手勢は大手勢の建制に組み込まれ、予め木曾勢の脱出路と決められていたと見られる粟津の方へ北上する。
 そこは瀬田からもほど近い湊。義仲が船で粟津から越後へ逃れるおそれが高いのは想定の内。院を連れ出していれば、極めて拙い事態になる。
「九郎殿の行方は?!」
「注進によれば、既に御所へ馳せ参じたとの由!」
 景時は加えて、義経の郎等らが既に木曾勢を蹴散らしつつあると伝える。院の事は良しとして、作戦全体の動きが滅茶苦茶になっているのを大手勢の将はようやく理解した。搦め手勢は当事者であるが、振り回されっぱなしで却って未だに理解し切れていない。
 範頼は落ち着いて、全体の動きを俯瞰する。
 主攻大手勢は作戦計画通り、兵馬をきっちりと並べて推し進めていた。その時点で搦め手勢は渡河を開始してしまっていたのだ。
 しかし義経は御所を包囲せずに義仲をいぶり出し、院の確保は成したが義仲は取り逃がしていた。
「では木曾殿の追跡は誰が」
「申し訳ない、こちらでも掴みかねております」
 院御所を経由した――義経の郎党らから見て後詰めとなった――搦め手勢は後れを取り、義仲の後ろ姿すら見ていない。彼を追うのも義経の郎党達であった。

 御所に駐屯していた義仲ら百騎余りは、精兵の義経の手勢に瞬く間に追い落とされ、撤退戦を余儀なくされた。辛くも京から抜け出した彼らは、瀬田から逃れた兼平と合流し粟津へ辿り着いていた。
 湊から漕ぎ出せば、越後から北陸を下って信濃への撤退もあり得る。院を連れ出し損ねた現在、その後がどうなるのか分からない。
 だがそれすら、そうはいかなかった。
 義仲を追っていた搦め手の一隊が追いつき、兼平を追っていた大手の一隊もまた追いついた。
 大手勢で先行するのは重忠の従兄弟、稲毛三郎重成(いなげさぶろうしげなり)らの隊。続いて相良の郎党と、彼らを包含する吉見の衆、そこで一番に駆けるのは頼景であった。
 彼はまず搦め手勢の進撃の速さに驚き、次に憤った。義経は作戦を無視して何をやっているのだ、我々を傀儡子にでも仕立てて嘲笑う気かと。
 それより何より――
「木曾殿! ご子息が鎌倉に在るのをお忘れか!」
 義高の父である義仲をここで死なせるわけにはいかない、それは義高の死と同義。唯一親子を生かす方法は、義仲を捕縛し、まだ信濃と越後に基盤を持つ彼をその勢力ごと鎌倉に帰順させる事。
 木曾駒は速い、それを追う坂東の馬も負けない、しかし相良牧で育った駿馬達がそれに勝る。
 あと少し。馬の腹に提げていた薙刀に手をかけた頼景、その彼を異変が遅う。しんがりに居た騎馬武者が、轡を返して躍り掛かって来たのだ。
 僅かに二騎。遠目にも分かる、長い髪に天冠を額に戴く女武者であった。
 義高から聞いていた二人の美女、巴と山吹であろう。彼女らの武勇は義高から聞いただけで無く、音に聞こえるものであった。
「巴様! 私が血路を開きます、どうか!」
 山吹色の短めの垂れ髪を、馬の尾の様に後ろに纏めた武者が、黒々とした長い垂れ髪の片袖の武者に叫ぶ。呼ばれた方が巴、呼んだ前者が――
(なるほど、山吹御前とはそういう……異人か)
 頼景の目の前に山吹の薙刀の刃が迫る。辛うじて受けるが尋常でない膂力に圧力を殺しきれず、彼は平衡を崩す。
 馬から落ちんとする刹那、哀しげな金色の瞳がこちらに向き――

         ――相良の殿様、ゆやの事、頼んだぞ。それと義高は――

 気付いた時には背中から地面に落ちていた。
 傷は無い、ほんの数瞬だけ意識が飛んでいた。その後ろでは頼綱もまた落馬している、だけ。話せるほど長い時間では無かった。今のは幻か、いや、頼景は確かに聞いた。
 女武者、山吹の姿はもう無い。巴に先行して彼女が走ったそちらは、勝ち戦と高をくくっていた鎌倉の兵が返り討ちを受け、蹴散らされていた。
 巴達は逃げ延びるよう言われたのであろう。残り少ない義仲の手勢が射撃で援護し回廊を形成、彼女は行く手に残る鎌倉勢を薙ぎ払って走り去る。
 それを見送りながら、
「木曾殿! 義仲殿! 潔く下られよ!」
 頼景は立ち上がって声を張り上げる。徒同然では、いくら叫んでも騎馬の壁の向こう側に声は届かない。いや、例え届いたとて田舎武士の戯れ言など聞くものか、彼は歯噛みする。
(駄目だ。俺に何が出来る、俺に!)
 此方の兵馬の隙間から僅かに見える義仲の顔には、満足そうな笑み。側には兼平の姿もあり、再び走り出した彼らは笑い合ってから、叫ぶ。
「いやいや疲れた。まいったな兼平、これは逃げられそうに無いぞ!」
「御身より先に馬がまいる程ですからな。潔く倒れられませぃ、旭は昇り切れば沈む物ですぞ!」
 莫迦な、下れ、倒れるな、義高まで道連れにするな。頼景は辛うじて馬を引き戻し、騎乗する。
 ようやく視界が開ける。義仲の手前には兼平達が立ち、潔くと言う言葉とは裏腹に、鎌倉勢を押し返す。
 己も攻め寄せようと勇み前進する義仲、その躰がぐらりと傾く。彼の鉄兜を貫いて、眉間に一本の矢が刺さっていた。
 義仲はついに落ち、大地に横たわる。
 頼景は叫んだつもりであったが、声は全く発せられない。衝撃に言葉を失っていた。
「我こそは! 源朝臣(あそん)(※10)九郎義経が郎党、上総国住人、伊勢三郎義盛(いせさぶろうよしもり)! 木曾殿討ち取ったり!」
 残心のまま名乗りを上げる騎馬武者。頼景が振り返って伊勢義盛を見ると、彼の人物は再び矢を番え始めていた。
 次は誰を狙うのか、頼景が視線の先を追うと兼平が太刀を咥えていた。後を追う気か、ならば行かせてやろう。馬を寄せて義盛の射線を遮る。
「お前、何をする!」
「どうせ死ぬだに、好きにさせてやりゃあいいら!」
 この男の手柄を奪ってしまった、これでは墨俣で範頼の事を叱責したのとあべこべだ。そう顧みながらも頼景は毅然と立つ。
 彼らが対峙する向こうで、木曾勢最後の一騎となった兼平は馬上から飛び降り、望み通り殉死を遂げた。

       ∴

 射命丸と太郎は、宇治より南の巨椋池を目指す。
 近淡海は義仲が逃れる方であるし、当初の戦術では宇治と瀬田の間を通れば、搦め手勢と交叉する恐れもあった。太郎もそれを承知しており、大地を蹴って射命丸に負けぬ速度で疾駆し、西進する。
 彼女の心は躍っていた。
 これまでも西に進むにつれ、ゆやが生きて京に居るのは視えていた。その気持ちはとても逸っていたが、範頼らの厳然たる行動に倣い、彼の率いる兵の一人として整斉と従っていた。
 その手綱を、飼い主の一人であった頼景が放ったのだ。縛る枷も箍(たが)も、今の彼女には存在しなかった。
(ゆやに会ったらどうしてもらおう。頼景様みたいに頭を掻きむしってくれるのも好きだけれど、優しく撫ぜられるのも好きだからそうしてもらおうか。でも今の自分の姿を見たらどう思うだろう。範頼様は何故か分かってくれたけれど、頼景様も最初は分からず驚いていたぐらいだから。色々あるけれども、何よりゆやの姿を早く見たい)
 太郎の心は、そんな無邪気な想いに満ちていた。
 大地から一丈の高さも取らずに飛び、射命丸は太郎の後を追う。示された場所は、周囲の寺社へのつなぎをつける道すがら上空から偵察を繰り返していた邸宅群、六波羅館(※11)、の跡地。先行しようと思えば出来る。だが、彼女より前に出ようとはしない。
 素直に表せば、ゆやに会うのが後ろめたかったし、怖いのだ。
「太郎、そろそろ巨椋池にかかる、まだ川を渡らないのか?」
「ヲン!」
 宇治橋よりだいぶ下った。もう搦め手勢、木曾勢双方とも遭遇する恐れは無い。射命丸の言葉に答えて、それには同意と北へ進路を変える。
 眼下の宇治川は、事前の観察通り広いが水量はだいぶ少ない。勢田は近淡海が枯れない限りずっと水かさは維持されるであろう。どの道こちら側の寄せ手が先行しやすくはあった。この時期に限定されたことだ。
 射命丸は空を行き、太郎もひと跳びでそこを越える。
 街道を無視して山河の別もお構いなしに一直線で京に迫る。いや、そうと言える場所へは既に到達している、洛内外の境が分からないほど荒れ果てているのだ。
 太郎はそこで急に速度を速める。
「太郎! どうした!」
 空を飛ぶ彼女ですら追いすがるのが精一杯、太郎は答えずに駆ける。横に並んで飛びその顔を覗き込むと、酷く焦っているのが見て取れた。

 京という街の持つ力のためか、洛中に入るまで定かで無かった事があった。今になってそれが太郎に視え始めたのだ。ゆやは生きている、これは間違いない。ただ尋常でない様子が視えていた。
「太郎!」
 太郎は侍烏帽子を取り払い、ついに射命丸を引き離す。道々には住人なども居るが構いもしない。行く先は射命丸も分かっているため置いて行かれても問題無い、それより何があったのか。
 京の外縁を五条通まで上った先、かつて六波羅館があった場所。平家が西へ落ち延びる時、宗盛らはそこへ火を放っていた。お陰で今は僅かに焼け残った屋敷がいくつか残るだけ、壁も何も崩れ放題になっている。
 焼け残った中でめぼしい物は、賊や義仲に与して狼藉を働いた者が持ち去りきっている。
 空から見るだけでは分からなかった。射命丸もここまで来て、ようやく太郎の焦りの理由を理解した。火に炙られ半身を漕がした木々、草生(む)した庭、濁りきった水をたたえた池を備える屋敷跡に降り立ち、太郎を呼ぶ。
「太郎! ゆや殿! どこに居る!?」
 すると「ヲォォォン」と、獣とは違う遠吠えが返る。離れ――と言っても十分に大きな建屋――の方かと射命丸は飛ぶ。
 そこは壁の殆どが崩れ落ち屋根と柱が残る、やはり焼け残った棟であった。匂いは消えているのに、見ただけできな臭さが鼻を突く。
 崩れた木階から、草履を脱がずに上がり込む。
「太郎! ゆや殿!」
「ヲン!」
 呼んで回る射命丸に太郎が答えた。
 暗がりの中、屋根に所々に空いた穴から陽光が注ぐ。すぐそこに居るはずの彼女の姿が明らかにならない。
 少しすると射命丸の目も徐々に慣れてきた。光の当たっていない一角にひとかたまりの影がある。
「太郎?」
 影の方に近付いて呼び掛けると、彼女がとても小さく唸る声が聞こえる。怒りなのかそれ以外の感情なのか、より近付くと、声とは裏腹に耳を垂らしていた。
 その傍らにもうひとつの影。
「ゆや、殿?」
 そこに居たのは、ゆやではあった。
 生きているし五体もある、見る限り傷は無い。
 しかし射命丸はその姿を見て、世界が遠のく錯覚に襲われる。強い悔恨の念、そして未だかつて無い脱力感を覚えていた。
 ゆやは、壊れてしまったの?
 太郎の唸り声は悲しみの情念の表れであった。泣く事を知らぬ彼女は、そうするしかなかった。

       ∴

 射命丸は瀬田付近まで飛ぶと、その後は走って大手勢の陣まで辿り着く。人間よりは速いものの飛ぶよりは遅い。ここに着いた時には、六波羅館を発って半刻余りの時が過ぎていた。
 今更急いでどうとなるものでも無い、それでも可能な限りの力を尽くしていた。
「これに在るは蒲冠者に従う僧、一貫坊であります! 御大将はいずこにおわしますか!」
 声を上げると近くに居た武者がすぐに応え、騎馬武者の一団を示す。
 だが首脳陣は馬上で合議を持っている、私事にかかずらっていられる状況に無いのが見て取れた。
 早く彼に伝えたいのに。焦燥の色を濃くする射命丸に一人の騎馬武者が近寄り、下馬する。
「如何しました」
「頼景殿?」
 大袖の片方が取れて土に汚れているが、擦り傷以外は見当たらない頼景。射命丸には彼の顔が酷くくたびれて見えた。
 彼に続いてまた何人か側に寄る。
「どうしました、草津に控えておられたはずでは」
「頼綱殿、勝間田殿」
 二人も下馬する。
 彼女にも、戦自体はほぼ決したのが分かった。鎌倉勢の大半は瀬田と粟津に結集し、ゆやが在する京が戦火に包まれるという懸念は、杞憂に終わっていたのだ。
「何事か、ありましたな」
 次長が悟って顔を寄せる。
「ゆやの事ですかな」
 太郎を遣わした本人、頼景が確認する。何かを諦めてしまった様に声に力が無い。それを聞いた次長も、びくりと身じろぐ。
 そうではないのだ、だがそう言うべきかも知れない。射命丸は、範頼にこそ先ず伝えるべき事を頼景に伝える。
「ゆや殿は確かに、生きていました」
 今は太郎が側についているからこれ以上の心配は要らないと付け加える。本来なら歓喜すべき報せなのに、彼らの反応は固い。言っている射命丸が喜びを打ち消す風にしているからだ。
「二人は今、六波羅の焼け跡に居ます。そのお報せと迎えを請おうと思って参りましたが――」
 チラと範頼が居るであろう方を見る、彼が院御所へも赴いていないのにようやく気付いた。同時に軍団の空気が尋常でないのも認識する。
「木曾殿は九郎殿の手下(てか)の者が討ち取りました。院は九郎殿ご自身がお助けしたと聞いております」
 頼綱が淡々と伝える。そうでしかないだろうと、射命丸は納得した。そしてようやく気付いた、頼景の沈鬱な様の理由に。
「それは……詳しくは、後で。それよりもどなたか、ゆや殿を迎えに行けないでしょうか?」
 本来ならばそれよりもなどではないこの言葉は、彼らにこそ通じる“それよりも”であった。ここで独断で動くのは軍規にもとる行為、皆それは分かっている。それでも真っ先に頼景が応じる。
「無論です。何騎か連れて向かおう」
 ゆやは馬に乗れるから誰か一頭引いて来るように、頼景がそう指示を出す。それを射命丸が止めようとするのと同時に、次長が言う。
「ワシも行きましょう」
「そうなるとまた、俺が居残りですか……」
 僅かに出遅れた頼綱が、いつもこうだと残念そうに言う。将を残さずこの場を放棄する訳にはいかなかった。

 粟津から六波羅までは、東海道の往来を辿って山を二つ越える四里弱の道程、馬ならばすぐと言ってもいい距離。ただ、完全武装の武者を乗せてそれだけの距離を全力疾走しては馬が潰れてしまう。そもそも徒武者連れのため、速度もそれに合わせてのもの。
(九郎殿は騎馬隊だけを連れて駆けたのか)
 それであっても、よくも馬を潰さずに走り切ったものだと、義経の並ならぬ進撃速度を頼景は認識する。
 彼の側で、一見身軽な射命丸の足取りが重い。
「一貫坊殿、具合が悪いのでしたら騎乗されてはいかがですかな?」
 次長は勧めつつ、相良の郎党の騎馬武者と視線を合わせて頷き合う。丁度ゆやの為に連れてきた馬が居る。
 身体が傷病にやられているなど、理由があれば馬に乗るが、今は丁寧に断る。そうではないのだ。

 山道を経由して一刻余り、彼らは六波羅館跡へ到着すると、その荒れ果てぶりに驚きを示す。頼景と次長は予め指名していた者を連れ、射命丸の案内を受け屋敷へ乗り込む。
「忘れておりました。頼景殿、太郎がここに来る途中で烏帽子を脱いでしまいまして――」
「そうですか、ではあいつには俺の兜を」
 頼景や次長以下、特に大鎧の者は、邸内に上がると慎重に足を運ぶ。下手をすると床を踏み抜きかねない。
「頼景殿、他の方には一旦待機を命じて下さい」
「……分かりました、しかし――」
 彼は答えながら次長の方を向く。
「ワシは付いて行く」
 断固としてそうするぞと、渋い顔が言う。
 日が傾いた現在、最初に射命丸が訪れた時は屋根の穴から注いでいた陽光が、今は横から指し込んでいる。そのため却って、先程よりも邸内は明るい。
「ゆや殿、射命丸です。頼景殿もおります」
「頼景様?」
 か細い声の方を彼らは向く。西向きの部屋は明るいが、逆光で顔が見えない。
「ゆや、勝間田五郎もこれに在るぞ」
「次長様……」
 沈み行く陽、逆に姿が明らかになる。
 粗末な単衣に身を包み、座る太郎にしがみつく少女。
 肉が痩けやつれ切った顔、骨と皮だけになった肢体、バラバラに伸び放題になった髪。
 畑仕事も楽々とこなして健康的がだった躰が、あの幼くともはつらつとしていた面(おもて)が、艶やかだった髪が、見る影も無くなっていた。
 それでも彼女は、ゆやに違いなかった。
 頼景は声も無くその場に膝を着き、次長は太刀で側の柱を斬り付け、血を吐かんばかりに叫んだ。

 暗闇を行くよりは朝を待とうと、頼景達は兵糧の準備もしていたし、当然灯火の準備もしていた。それに彼女の様子を見て、車は無理でも輿か編板(あんだ)(※12)を用意しようともしていた。
 しかしゆやが馬に乗ってでも早く帰りたいと言って聞かないため、射命丸と太郎が手を貸して馬に乗せる。
 言葉だけだとただのわがままにも思える。しかしこれは利かん坊の如き振る舞いではなく、頼景から彼らがここまで来たいきさつを聞き、範頼に姿を見せて安心させたいという気持ちからであった。
 ゆやは、自分が今どんな様子なのか分からないのだろうか。射命丸は思うが、分からないはずは無いとも思い直す。それはその通りで、彼女はただ生きている姿だけでも範頼に見せたかったのだ。
 射命丸がゆやと共に馬に乗り、後ろから支える。太郎は馬に乗れないし、身の軽い“一貫坊”であれば馬への負担も軽いからであった。二人合わせても、鎧を着ていない頼景よりまだ軽い。
 それよりももっと、根本的な理由もある。
 頼景と次長が半々に兵馬を振り分け前後に付く。ゆや達の馬はそれぞれから距離を置いてその間に収まり、手綱を上手く取り回せない分、太郎が引き綱を持つ。
 単衣だけでは寒かろうと、筵(むしろ)を重ねて包んでやった。
 無言のまま暗くなった往来を行く一行。頼景も次長も、射命丸ですら、今言葉を発したらどんな悪口(あっく)が飛び出る事かと自重し、押し黙っていたのだ。
 そんな中でようやく口を開いたのは、ゆやであった。
「ねぇ、太郎」
 呼ばれた彼女は、スンと鼻を鳴らして顔を向ける。
 ゆやは太郎の事を素直に受け容れていた。それどころか、この太郎がかつての飼い犬の太郎である事を、初めて見た時から悟っていた。
「良かった。またお前や、頼景様達に会う事が出来て、本当に良かった……」
 弱々しい声ながら嬉しそうに言うのを見た太郎は、唇を噛んでうつむく。頼景や次長との再会も喜んでいたし、待っている間にも太郎には何度も同じ様な事を言っていた。
 だのに太郎の顔には、悲しみの色しか無かった。

       ∴

 範頼に会うよりもまず宿場へ。その話を聞いたゆやは始めこそ少し抗ったものの、すぐにそれに従った。
「まず身支度してからの方がよろしいでしょう?」
 その様な主旨を以て射命丸が説得に当たり、不思議とそれに素直に応じたのだった。言った射命丸すら、ゆやが己の言う事を簡単に聞くとは思っていなかった。粟津や大津にも宿場はあるが、後陣を構える草津へ行こうと射命丸が提案、ゆやはこれにもすぐ納得する。
 夜道をゆっくりとした足取りではあったが、整斉とした兵馬の姿は賊を寄せ付ける事無く、射命丸達は鎌倉勢の陣へ到着した。
 ここより先は次長が郎党の指揮を執って草津へ向かい、頼景は別れて範頼の下へ赴く。

 頼景の沈んだ気持ちなどと無縁に陣中は戦勝に沸いていた。酒盛りをしている様子も見られる。
(暢気なものだ……)
 まだ義仲との戦が終わっただけで、次は平家と雌雄を決する事になるのに。そこまで思って、それは独りよがりな考えだと頭を振る。
 合戦を生き抜く度、少しぐらいは羽目を外してもいい。それに今回の遠征はまず義仲征伐が名目。事実これは終わったのであり、今は平家との事など末端の兵が考える必要も無いのだ。逆に京に此方にと、私事で引きずり回した手勢などは労ってやらねば。
 そう考えを改めて落ち着くと、陣中の声も少しずつ耳に入って来た。数々の、よく出来た軍記物語の逸話の如き武勇があった事もまた、聞こえた。
 宇治川で馬を失った重忠が、同じくして溺れかけた烏帽子子の大串重親(おおぐししげちか)を岸まで放り投げ、重親が徒の先陣の名乗りを上げたなどという話には、どっと笑い声が上がっている。
 己の袖は巴に切られたが、巴の袖は三条河原(さんじょうがわら)で重忠が引き千切っていたというのは先に聞いていた。どちらの事も、重忠の人並み外れた大力(だいりき)の為せる技かと驚く。
 義経が院参した後そのまま御所の警護に就いているらしい事は、そこここで動哨から聞き取れた。いずれも搦め手勢の事、大手勢にはその様な華やかな武功が思い浮かびもしない。ほとんど義経に持って行かれたようであった。
 また別の場では、池月を駆った高綱が先陣を果たした事が聞こえる。
 そうか彼らは先陣争いには負けてしまったのか、頼景は少し残念な気分になる。ならばせめて無事であれば、とも思う。
「相良殿!」
 後ろからの呼び掛けに振り向く。そこにはその景季が立っていた。周囲が宴もたけなわの中、素面である。
「おお、源太殿。先陣争いの件は聞きましたぞ。なんでも佐々木四郎殿に謀られたとか」
 より詳しい話では、高綱に磨墨の腹帯が緩んでいると忠告されたのを真に受け、景季はそれにまんまと騙されたのだとの事。
 そもそも池月もそのような具合で取られたのだろう。本当に景時の嫡男なのか疑いたくなるお人好し。しかし、だからこそ、好ましい人物だとも頼景は思う。
「誠に情けない限りです。磨墨が折角頑張ってくれたのに、私がそれを活かせないのですから」
 それに加えて、騙されるのもこれまでだと意気込む。
 これを受けて、頼景はふむんと息を吐いて言う。
「こう言ってはなんですが、源太殿は狡猾さを求めるより、今の通りで良いのではないですかな。畠山殿のように高潔さと豪勇を兼ね備えるのを目指しては」
「いやあの方は、修練云々以前に生来の資質もありましょうし、私はあの父の子でありますから」
 後ろめたい事があるのは知っている。まず大きくは、上総介広常の始末の事であろう。
 昨年の末頃、彼の父景時が頼朝の命を受け、広常を暗殺したのである。謀反の疑いのかどでの事であった。
 双六に興じる中、立ち上がり、ほんの少しその盤の中間を越えた刹那、一刀のもとに広常を切り捨てた。実に見事な手並みであったとは頼景も聞いていた。
 それが暗殺で無ければまだ良かったであろう。
「もし上総介殿の件を言っておられるのならば。あれは鎌倉殿の信を得ているからこそ賜った命(めい)と、そう思いますが」
 実は謀反の準備など無く、様々な思い違いが頼朝と広常の間に横たわっていただけであった。景時は淡々と命令を遂行しただけ。あちらに恨む道理はあろうが、梶原の一族が責められる道義は無い。
「それはそうなのですが……いえ、分かりました。平家との合戦も控えていますし、次こそは負けません」
「うむ、流石は。その意気ですな」
 陣中の浮かれた雰囲気も、その中で彼の様に一層引き締まった者が居るのも、鎌倉特有のことなのだろう。
「では俺は蒲殿の下へ参りますので、これにて」
「それはまた、お呼び止めして失礼しました」
「いや、どのみち御身と磨墨の事は伺いたいと思っておりましたのでな。御免」
 礼を尽くして見送る胸すく若武者に、頼景は「次こそひと花咲かせられれば良いな」と心中で激励する。

 範頼が在する幕舎は、少しばかり忙しそうな様子を見せていた。論功行賞の為のとりまとめなどは、今すぐやらないと後々禍根となりかねない。
 将である限り、偉くなればなるほど戦の合間の休みも無いのだろう。いくつか秉燭(へいしょく)(※13)が置かれて灯りを得たそこへ立ち入り、頼景は思う。
「御大将、お叱りは後で受けます。しばらくお時間を頂きたい」
 範頼は、厳しい貌で言う頼景に黙って頷く。
「……千葉殿。さっき申し上げた通り、まず速報として飛脚を出させて下さい。あと、少し席を外します」
「分かり申した」
「待たれよ、御大将」
 場を離れようとするのをピシャリと止める声、景時であった。
「まだ論功に関してのとりまとめが不十分でありますぞ。なのに郎党といずこかに連れ立って出るとは、大将としての自覚が問われまする」
 彼の頭には、先にそれに触った義経の事が有った。であるから尚のこと、残った範頼に対してこの様な態度を取ったのであった。
 いつもなら大人しく応じるであろう、しかし範頼は頼景と視線を交わし、下手に回りながらも確固と意思を表明する。
「大変申し訳ありません。私事ではあるのですが、一大事がありまして」
「それならば、論功等その他詳報に関しては、私の名で飛脚なりなんなり出してよろしいですな?」
 その場に詰めていた常光や朝政の他幾人かが、それは僭越であると言い寄る。彼は、これは軍監たる己の職分であると諸将を一喝し、範頼に回答を求める。
「総大将としての任も責も、投げ出す気は、ありません。ただしばらく、この場は辞させて頂きます。ですので続報の件については、梶原殿の仰る通りに」
「……勝手になされよ」
 範頼は他の諸将にも詫びつつ幕舎を後にし、頼景もそれに続いた。

 範頼達は人払いした陣幕へ入ると、点っていた篝火に更に薪をくべ、床几を持ち出して座り、対面する。
 範頼は良い知らせ悪い知らせ半々かと、まだ何の事か分からないながらも心の準備を整える。
「御曹司、心して聞け」
「ええ、何でも」
 とは言いつつ、唾を飲み込む範頼。
「ゆやを救い出した」
 頼景が神妙な面持ちであるため表には出さないが、範頼の胸中はそれだけで大きな安堵感に包まれていた。
 頼景は同時に、彼女を手近な宿場へ送る旨を伝える。
「ゆやは、無事なのですね?」
「ああ、馬に乗って帰って来たぐらいだ」
 謀るまい。範頼の問いに無事とは答えず、詳細な様子も伝えない。しかし顔色が語ってしまう。
 範頼はそれを察し、無言のまましばし目を瞑る。
 パチパチと篝火の弾ける音だけが響く。
 間を置いて、頼景が続きを語り始める。
「瀬田で足止めされている時、太郎を走らせて、一貫坊殿と二人で京へ向かわせたのだ」
 戦火が広がって万一の事態が起こるのを恐れたと言い、その後の経緯も簡単に話す。
「勝手に兵を動かした。それに九郎殿の郎党を邪魔した件もある。――罰してくれて構わん」
 二重三重に処断されても仕方の無い事。あえて頼綱を残したのは、累が及ぶのを局限するためでもあった。
 それに対して範頼は首を振る。
「いえ、どうしてそんなことが出来ましょう。本当に、有り難うございます」
「礼なぞ言ってはならん、御大将……」
 彼の権限なら握り潰せるであろうし、適当な理由をでっち上げて、後付けで正式に洛中へ行かせた事にするのも可能でもある。
 また幸いにも――と言っていいものでは無いが――、義経の行動の方が陣中で問題視されているのも、彼を許させるに足る材料になり得た。
 何よりこれは、範頼こそが最も望んでいた事なのだから。
「そうだ、ずいぶん粗末な服を着ていた、色々苦労したのであろうな。だから草津へ送ってやった」
 折角だから精一杯着飾らせるよう射命丸に願ったと、頼景はここで初めて笑って見せる。それがとても空々しいのに範頼は気付いたし、頼景本人も自覚していた。
 やはり何かあったのか。しかし問うまい。心の準備は出来たつもりであったのに、範頼は答えを聞くのを恐れていた。
「ん? 神鳴か」(※14)
 遠雷か、大地が鳴動した様にも二人は感じた。空気の匂いは湿気を帯び、雨が降る気配も近付く。
 ゆや達は無事に草津に着いた頃かと、頼景は東の方を見やる。
「その様、ですね」
 一言だけ答えて、範頼は黙想した。
 平家との戦の事もある。範頼とゆや、二人の四年越しの再会はしばらく先延ばしにならざるを得なかった。

     * * *

 寿永三年一月二十日、主に瀬田、宇治川から始まり、六条川原から三条川原、粟津へ至り、ついに木曾義仲との戦いは決した。
 頼朝と覇を争う勇の一角であった義仲を倒し、畿内大遠征は大勝を見た。
 しかしこの戦いの中、名目上は頼朝との諍いの元でもあった人物はどうしたのか。
 志田義広は逃げ延び、源行家などは早々に義仲を見限って院――後白河法皇にすり寄り、次の月には院に召されて帰京まで果たす。
 禍根はまだ、あちらこちらに残ってる。鎌倉に在る義高もまた、その一人であった。

 平家は源氏が相争う間、後に安徳天皇と号される幼帝言仁(ときひと)と三種の神器を奉って、屋島を行宮(あんぐう)(※15)及び本営とし、着実に力を取り戻しつつあった。
 次に雌雄を決するのは鎌倉と平家であるのは明白であったが、鎌倉の後ろでは奥州藤原が、平家の後ろでは、太宰府に落ちて以降関係が悪化した西海道(さいかいどう)(※16)諸国の諸氏が、それぞれに虎視眈々と機を窺う。

 ゆやと範頼の再開は、天邪鬼との決着は――
 全て、この先にある。






幕間./再度博麗神社の能舞台(第129季)

 博麗神社境内で続けて演じられる能の上演。今し方、『巴』までが終わった。
 これまでこころの独演で運んで来た舞台であったが、ここでもう一人の演者が現れる。

 もう一人の演者、椛は面を付けずに舞う。
 次なる演目は勝修羅『箙』。彼女にとって、二番目に大事な演目である。
第10話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※1 追分:分岐点。ここでは幹線道路としての東山道(の後の中山道に当たる区間)と東海道との分岐を言う。中山道に置かれた『追分宿』の名もこれに由来する。
※2 床几:携帯型の椅子。木枠を交叉させて脚を作り、上端に張った布や革に着座する。現在の簡易携帯椅子と大まかな作りは変わらない。
※3 讃岐国:現在の香川県。屋島(現在の香川県高松市)の名は台地上の山が屋根に見えるのに由来し、かつては文字通りの島だった。
※4 長門国:現在の山口県の西側。元は穴門(あなと。穴戸とも書き、海峡の意)と呼ばれ、そこから長門に改名された。
※5 搦め手:陣地の裏手、守りの手薄な箇所。転じて、回り込んで攻める別働隊を搦め手勢と言う。逆に主たる戦力、主攻を大手勢と言った。
※6 巨椋池:現在の京都府の南側に存在した湖沼。水資源も多く有していたが、水質悪化等の理由も有り、昭和初期に干拓された。
※7 独歩:抜け駆け、戦以外の場合でも使う。御家人同士の諍いへの発展を恐れた鎌倉では、これを罪とするぐらいに忌避した。
※8 乳母子:乳母の子(義仲の乳母は兼平の母)。同じ乳を吸った仲の意として『乳兄弟』の語があり、血縁に等しい強い繋がりとされた(やましい意味は無い)。
※9 番匠:木造建築、建設を請け負う職人。修理(しゅうり)や木工(もく)などの官として中央省庁に属する場合もあった。現在の大工(だいく)の元祖
※10 朝臣:姓(かばね)に関する制度に定められた中で、皇族に次ぐ姓。当初は阿倍・物部・中臣等の52氏がこれを賜り、後に源平藤橘が占めるようになる。
※11 六波羅館:洛外(京の郊外)の東山周辺に在した、伊勢平氏の居館群。清盛の祖父である平正盛(まさもり)が阿弥陀堂を築いたのが起こりとされる。
※12 編板:長方形の板を竹などで編んだ縁で囲い、これまた竹の棒で吊した輿の一種。箯輿とも言う。時代劇などでよく見られる籠の元になった。
※13 秉燭:照明具。油皿(油を注いだかわらけ)に灯芯を置き、火を点けて灯火として使用した。
※14 神鳴:雷の事。義仲追討の前日、鹿島神宮では僧侶が霊夢を見、当日の夜においては京で雷と地震が発生。それらは鎌倉でも同じく発生したと記録にある。
※15 行宮:高貴な者の行在所(あんざいしょ)を敬って言った言葉。行啓に出た皇族(ここでは行幸の安徳天皇)の仮の御所と言った意味合いでも使用される。
※16 西海道:五畿七道の一つで、行政区画としては九州全域と周囲の島々。これらに属する国々を通る幹線道路の事も言う。

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