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2XXX年の幻想少女第1章 幻影都市の亡霊   幻影都市の亡霊 第7話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第1章 幻影都市の亡霊

公開日:2016年12月08日 / 最終更新日:2016年12月19日

幻影都市の亡霊 第7話
「あの、つまりどういうことなの?」
「力を使い切るような激しい戦いをもっと体験しろってこと。筋肉が鍛えなければ育たないように、力の器も叩いて伸ばさないと広がらないのよね。まあ、人間をやめればそんな面倒は不要なんだけど」
 今のところ人間をやめるつもりはなく、パチュリーも勧めるつもりはないのだろう。両手を前に出し、自分で話を遮ってしまった。
「一つだけ言えるとしたら、持久戦向きってこと。その辺りもかつての霊夢とは違うのか……あちらは莫大な容量とともに一夜で全てにカタをつける、いわば短期決戦型だった。ゆえに戦い方は自ずと変わってくるでしょう。過去の遺産を頼るよりも、参考程度にして自分で使いやすそうに術を組み立てたり改造していったほうが良いのかも」
 図らずともそうしていたことが分かり、思わず息を吐く。これまでずっと手探りで、自分の正しさすらろくに分からなかった。お墨付きを与えられるというのは幾分か心が易くなる。これまで術を仕込んでくれた人たちが不親切に見えたのも、かつての霊夢と同じように戦うことができないと分かっていたからかもしれない。
「善処してみるわ。ところで、一つだけ訊きたいことがあるのだけど。霧を吐き出すものの正体について」
 霊夢は勝負がついた後の会話もかいつまんでパチュリーと共有する。すると今度は露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「それはきっと蒸気機関に違いないわ。煤塵混じりの煙を吐く忌々しいやつよ。道理で喘息が酷くなるわけよね」
 その蒸気機関なるものに霊夢は全く思い当たる節がなかった。パチュリーにとっては自明であり、小悪魔もあれですかと言いたげな顔をしているから、旧くから生きている者たちにとっては身近なものだったのかもしれない。
「郷の住人である貴方が知らなくてもおかしくないわ。大気や水を短期間で汚す技術なのだから少なくとも河童が許すはずない。自然と共存できないようなものは長い時間をかけて丹念に取り除かれ、その萌芽さえも認めらないように調整されて来たから。かくいうわたしだって示唆されるまですっかり頭の中から抜けていたわ」
 パチュリーはこつこつと頭を叩く仕草をする。知識に囲まれてあらゆることを知っているように見える彼女でも、油断すると記憶は簡単に零れ落ちてしまうものらしい。
「何者かが蒸気機関を組み立て、稼働させた? でも、それにしては煙の広がりがあまりにも早い。一月足らずの間に湖を覆い尽くし、のみならず里の一つを丸飲みにした。紅魔館もわたしの護りがなければあっという間に飲み込まれていたでしょう。急拵えの機械一つ二つでできるようなことじゃない。何ヶ月も何年もかけて建造を続けて来た? あれだけの煙を出す蒸気機関の群れを誰にも悟られずに、しかも人の行き来が予想される場所に建てることができるのかしら?」
 霊夢はそんなこと不可能だと思った。だがパチュリーはいよいよ渋い顔を浮かべており、むっつりと黙り込んでしまった。集中し過ぎるとまた喘息になるのではとはらはらしたが、今回は的を射ないことをぼそぼそと呟き始める。
「微細な魔力、蒸気機関、莫大な量の煙、情報解析能力、郷の情報体に接触した? 有り得ないほどの演算能力……」
 どういうことなのかと問いたげに小悪魔を見ると、心配いらないとばかりに微笑みかけてくる。
「独り言を呟き出すのは思考が滑らかに動いている証拠です。解を引き出すための検索や推論に頭を使っていませんから然程負担になりませんし、おそらくはすぐに反応が返ってくるはずで……」
「小悪魔、今から書き付ける棚番号の書物を片っ端から持ってきて頂戴」
 パチュリーは手の甲を指で摘み、皮を綺麗に一枚剥す。机に広げるとそれは茶味の強い紙となり、指を走らせると青みを帯びた文字が記されていく。小悪魔はそれを見てすぐに姿を消し、数分ほどで戻ってきた。十冊近くの本を腕の中に抱えており、一番上の本は表紙に歯車の積み重ねられたイラストが描かれていた。
「この、歯車のお化けみたいなのは何なの?」
「これはね、階差機関と呼ばれるいわば一種の計算機よ。歯車の複雑な噛み合わせによって種々の計算を高速かつ確実に実行するために考案され、十八世紀末から十九世紀にかけて研究されてきたの」
 霊夢は歯車のお化けと計算機を繋げようとしたが、どうやっても結びつかなかった。歯車というのはもっと無骨で、ゆっくりとしていて、素早く結果を出す機械とは全くそぐわないのだ。
「郷で使われている計算機とはまるで違うのだけど、こんなのがちゃんと動くのかしら?」
 当たり障りのないことを言うと、パチュリーは気難しそうに腕を組む。承服しかねるとでも言わんばかりだ。
「わたしからすれば小さな箱の中に莫大な計算資源が詰まっていることのほうが納得できないけどね。一種の魔術回路ということで納得はさせているのだけど」パチュリーは恐ろしいものでも見たかのように身震いをする。最新の機械が苦手という小悪魔の評はどうやら本当らしい。「もちろん階差機関だって十分に非現実的だった。当時の技術レベルにアイデアが合致しなかったのかもしれない。試作段階、もしくは僅かに量産されただけで頓挫し、やがては歴史の影へと消えていった」
「この本に載っているのは、その数少ない実物を写したものなの?」霊夢は表紙のイラストへと視線を滑らせる。靄煙る中、何十階建てもの高層ビルと並び建つ歯車の塔は霊夢からするとおおよそ現実にあった光景とは思えなかった。「かつてこれだけのものを建てたのに、完全に放棄してしまったと言うの?」
 だとしたら勿体ないなと思ったが、パチュリーは「そんなことあるわけないじゃない」とつれない答えを返した。
「この本は階差機関が隆盛を極めたらという歴史のもしもを描いたものなの。できる限り当時の技術や流行を取り入れているから、動力には石炭を用いた蒸気機関が用いられることが多い。そうではない作品もあるけれど、基本的に蒸気機関と階差機関は切り離せないものと考えて良いわね。この手のもしも、幻想の文明を描いた作品を総称してスチームパンクと言うのだけど、呼び名はこの際どうでも良いわ。問題はこの蒸気文明を数多の作家が語り、もしもとしてもてはやされた時期があるということね。いま机の上に置かれている本はごく一部に過ぎず、図書館の天井まで届く本の塔を築くことも可能でしょう」
 パチュリーの仄めかしに近いことを少し前に疑ったこともある。でもそんなことが本当にあり得るのだろうか。霊夢は積み重ねられた本を横に並べ、それぞれの表紙に描かれる歯車のお化けをじっと凝視する。
「この中のどれかが、郷に入ってきたと言うの?」
「完全に一致するとは限らないけれど、類似している可能性は高い。もちろん全く関係ない何かかもしれないけど、これまでの情報から他の可能性をわたしは思いつくことができなかったわ」
「でも、郷入りだなんて随分前に廃れて久しい現象ではないの?」
 大昔には外の世界から郷へと大規模な施設や曰く付きの土地が丸ごと入り込んで来ることもままあったと聞く。例えば守矢神社やその側に広がる神湖もそうだし、信じられないことだが妖怪の山自体、外からやって来たものらしい。文がさらりと話したことだから最初は嘘だと思っていたのだが、遠子に冗談めかして訊くとよく知っているわねと驚かれたことがある。
 ただしあくまでも大昔のことであり、少なくともここ二百年では一度も発生していないはずだ。
「昨日までなかったからと言って今日もないとは限らない。不思議が根付く土地に生きるということはその覚悟と向き合うことでもあるのよ。寿命の短い人間にはいまいちぴんと来ないかもしれないけれど」
 そんなことはないと言いたかったが、パチュリーの言葉は人間の性質を射抜いていた。郷が花で覆われる六十年に一度の自然現象でさえ下手すれば生きている間に体験できないかもしれず、その時になってから考えることしかできない。ましてや数百年規模のサイクルだなんて、人間にはほとんど対策の仕様がないのではないだろうか。全ての記憶を取ることができる環境が完璧に整ったとしてもなお人の手には余るのではないかという気がした。
「郷にはわたしを始めとしてそういうことを考えられる存在がいる。でも人間だけになってしまった外の世界にはいない。繋がりが一度切れてしまったのはきっとそのためなのでしょう。もしかすると何百年、何千年規模の災害に巻き込まれたのかもしれないし、凄惨な世界戦争が発生したのかもしれない。だけどかつて欧州人が黒死病を克服して復興したように。世界を巻き込む戦争を犯してなお加速度的に発展したように。外の世界は再び郷との繋がりを取り戻したのかもしれない」
 パチュリーの話は、外の世界が一度滅びかけて甦ったかもしれないことを示唆していた。郷へと長い間、何も入ってこなかった説明にもなるだろう。だがパチュリーは先程までの雄弁さをすっかりと引っ込め、むっつりと黙り込んでしまった。
「また根を詰めて大丈夫なの?」
「結論は既に出ているから。ただ、我ながら少し微妙というか。迂闊に話して混乱を招かないかなあと。まあ大丈夫か、大丈夫よね」
 勝手に結論を付けてしまうと、パチュリーは霊夢をちらと見る。こちらでは話しても良いが、念のために確認を取っておくと言うことなのだろう。大人がある種の責任逃れを行うために使う方法だと、既に大人と付き合いのある霊夢はよく知っている。元々は人間だったのかなという気持ちがますます強くなるけれど、訊ねてもはぐらかされるだけなのだろう。今の自分には関係ないことだと心に言い聞かせ、霊夢は話の先を促した。
「今回の件に関係がありそうなら聞いとく」
「じゃあ一応、話しておくかな。もしかしたら既に知っているかもしれないけど、郷は一種の隔絶された世界であり、他世界との繋がりは極めて限定されている。結界によって内と外が定められ、その関係性は結界を作った術者の匙具合とも言えるわけ。完全に掌の上というわけではないのだけど、かなりの事態を掌握している」
 霊夢は無言で小さく頷く。長い月日の中で失われてしまった記録や口伝も多いが、根強く残されているものもある。その一つに境界を定める怪異なるものがあり、博麗の活動を常に見守っているとされている。古い記録の中には、かの妖は見守っているのではなく博麗の活動を監視しており、的確でない博麗は除かれてしまうのだと脅すような描写もあった。どちらが正しいかは分からなかったが、その妖と博麗の活動が密接に関係していることは理解している。霊夢の前に現れたことはまだ一度もないのだが。
「長らく入って来ないものが入ってくるようになった。また通すようになったのか、あるいは今回だけ例外的に通したのか。どちらにしろこれまで以上に気をつけるべき事態が起こりつつあるのかもしれないわね。全く面倒臭いことだわ」
 パチュリーは気怠げそうにそう呟く。だが霊夢は彼女の顔に、一種の喜びのようなものを垣間見た。厄介事が増えて面倒であると装っているが、内心ではそのことを歓迎しているのかもしれない。魔法使いの業であるのか、知識の庫に暮らす妖としての性であるのか。一つだけ分かるとしたらどんなに分別のある振りをしても、彼女は魔法使いという種族の一人なのだということだ。
「けれども今回に限れば、やることは決まっている。傍迷惑な機械を停止させれば霧も収まるはずよ」
「機械を停止させるって、どうやって?」
「貴方は妖怪の狼藉を止めるとき、どうやってやるの?」
「そりゃ、まずは怒鳴りつけるでしょ。それでも聞き分けなかったら実力行使で……」そこまで口にしてパチュリーの言いたいことを理解する。したけれどもあまりに無体な提案であるように思えた。「機械にわたしの霊力が効くわけないじゃない。札も針も通らないはずよ」
「普通の機械だったらそうね。ただし今回の相手は幻想と化した機械よ。だとしたら巫女の力も通るんじゃないかしら。博麗ってのはそういうものでしょう?」
 霊夢は博麗を名乗るがその全てを知っているわけではない。オリジナルの術は機械にも効いたかもしれないが、今の技が通用するとは限らなかった。ただ試してみる価値はあるだろうし、駄目だった場合は力任せに解体できるか試せば良い。身体強化の訓練で分厚い鉄の板を叩いて丸めたことを思い出し、選択肢の一つに加えておいた。
「わたしの推測が当たっているにしても外れているにしても、結局のところ霧の発生源を確認してくれば正体は分かるはずよ。にも拘わらず勘がこの屋敷を指し示したってことは、ここで情報を得る必要があるのだということ。もう少しメタ的なことを言えば、貴方の勘はわたしの推測を正解に変えたのよ」
 パチュリーの話を霊夢はほとんど理解していない。異変の正体を把握できている可能性が高いと何となく分かったくらいだ。
「なんだかまだるっこしいなあ。勘で正解に辿り着くならば、最短で目的を遂げられるようにして欲しいのだけど」
「それもかつての霊夢とは違うところね。あるいはここで事実を知ることが大事なのかもしれない。最短で目的地に向かった場合に比べ、貴方は余計な知識を得た。階差機関や蒸気機関について。わたしやレミィを始めとして紅魔館の住人について」
「十六夜咲夜なる人間のことをより深く知ることもできたわ。彼女が人間でありながら生きている可能性も得ることができた」
 遠子の持つ知識だけなら十六夜咲夜は単なる死人だった。だが紅魔館に住む妖たちの言葉に耳を傾けた結果、霊夢の中で今にもこの場に現れるかもしれないほどの存在感を獲得した。
「そのどれかが、もしかすると全てが必要だったのかもしれない。階差機関とかつてこの屋敷でメイドをしていた人間に関係性を見出すことはできないのだけど……だとしたら遺憾ながら、わたしは咲夜についてもう少し話すべきなのかもしれない。彼女が持つ恐るべき特殊能力については既にご存じかしら?」
「時間を操る能力、よね?」
「正確には時空間を自在に伸縮させると表現すべきね。時間と空間は本来峻別されるものではなく同じ現象であると考えるべき……頭の周りで妖精が輪を描いて盆踊りしてそうな顔をしてるけど大丈夫?」
 大丈夫ではなかった。パチュリーの話が霊夢にとって想像の埒外で、気が遠くなりかけてしまったのだ。
「あんた、気をつけて話さないと人が死ぬわよ」
 難解なことを語られて頭が付いてこないというのは割とよくある話だが、それも度が過ぎると意識を吹き飛ばしてしまうこともあるらしいと身をもって思い知らされた。パチュリーはそんな霊夢の反応を見て意地の悪い笑みを見せる。知識で他人を翻弄することに喜びを覚える魔女らしい反応だった。
「簡単に言うと超高速で動くことができるの。だから瞬きの間に全てが終わる。やろうと思えばわたしやレミィの寝首をかくことだって容易だったでしょう。けれども咲夜はその力をメイドとしてしか使わなかった。弾幕決闘はメイドの嗜みだからと身に着けていたけれど、規則を守って回避できない攻撃は決して仕掛けなかった。凶暴な巫女に乗り込まれた時でもそれは変えなかったの」
「つまり他者の言うことをよく聞く素直な人間だったということ?」
 だからこそ妖怪だらけの屋敷でメイドとして働いて来られたのかもしれないと考えたのだが、パチュリーは鼻を鳴らすだけだった。
「まさか、そんな善い人間をレミィが雇うわけがない。彼女曰く、たっぷり躾てやったとのことよ。咲夜は狂っていたけれど犬だから、上位と認めたレミィの言うことだけはなんでも聞いた。だからかわせない弾幕を撃っては駄目というレミィの命令も守っていたのでしょう。もっともあの巫女が乗り込んできてからは少しずつ外側に気持ちが向き始めてね、ある程度積極的に決闘を楽しんでいた節もあったわ。澄ましたメイドを装ってはいたけど本性は犬、しかもきゃんきゃん吼える番犬ではなく、相手をその牙でしとめたいと願う根っからの猟犬だったから」
 非常に物騒な、もしかしたら彼女と対決しなければならない霊夢としてはあまり聞きたい情報ではなかった。時間を止めて一方的に追い詰められ続けるだなんて考えただけでもぞっとしない。ましてや実際に巻き込まれるだなんて冗談ではない。なんとか回避する方法はないだろうかと考え、ふとした疑問が浮かんだ。
「レミリアは咲夜を躾たって言ってたのよね。となると時間操作から逃れるような手段を知ってたんじゃないの?」
「いいえ。レミィは人間の反射神経の限界を超える速度で動き、どんなに傷つけられても動じることがなかっただけ。弱点に曝されるようなことがあってもなお、おそらくは不屈の意志でものにしたのよ。だからこそ咲夜は忠誠を誓ったのだし、レミィはそこまでの執着を示したものがあっさりと喪失したことにより甚大な衝撃を受けた。あの尊大な態度からは想像もつかないかもしれないけど、彼女の一部は未だ遠く咲夜が存命していた頃の過去にあるのだと思うわ」
 これまた二重の意味で気の重くなる話だった。この館にこれ以上思い入れるような話など聞きたくなかったし、それに吸血鬼の人智を凌駕した力をもってようやく抑えきれるような相手なのだとしたら果たしてまともに戦うことができるのだろうかという疑問も湧いてくる。
「もしかするとここに立ち寄ることで、手持ちの装備と能力によって切り抜ける術を突然に思いつくことができたのかもしれない。あるいはこの館にいる誰かがそれを閃いてあげることができたのかも。でも貴方は何も思いついていないし、こちらでも何も思いついてあげることができなかった。だとしたら、現実は非情であるってことかしら」
 そんなことを今更言われても困るだけだった。あれだけの修羅場を潜ってなお何も得られなかったのだとしたら、この館に自分を惹きつけた勘は一体なんだったのか。これまでがまぐれ当たりの連続にしか過ぎなかったのか、あるいはこの手にあまる現象が発生したらさしもの勘も誤ってしまうのか。
「やっぱり貴方、かつての霊夢とはまるで違うのね」
 パチュリーにいつの間にか見られていた。表情は消え失せ、その目は自分を測ろうとする冷静さで満ちている。霊夢は無意識のうちに立ち上がっていた。彼女の視線に耐えることができなかった。
 頭を下げ、この場を辞去しようとして背を向ける。そんな霊夢にパチュリーはそっと声をかけてきた。
「本当ならば貴方に教えるべきだった誰かの代わりに、最後に一つだけ忠告をするわ。ここにやって来た理由がなんであれ、考える時間はそろそろ終わりなのだと思う。狙いが定まったら己が思うままに感じて行動してみなさい。大丈夫、わたしやレミィに挑む蛮勇があるのだから大抵のことは突破できるはずよ」
 霊夢は振り向かないままぺこりと頭を下げる。他に取れる手がないならば、ここで得たもの全てを心の中に抱え、挑むしかないのだろう。幸いなことに消費した霊力は大分回復していたから、更なる調査に向かうこともできそうだった。
「小悪魔、彼女を送ってあげなさい。元来た道を戻るよりも手っ取り早い方法でね」
「大丈夫ですか? 瞬間移動って耐性がないと体に来ますけど」
「博麗の巫女なら大丈夫だと思う。駄目でも胃の中のものを全て吐き出す程度だし」
 何か不穏な話をしているなあと思っていたら、小悪魔が霊夢の近くまで寄り、右腕をそっと掴む。目の前がぐにゃりと歪み、気が付くと全く違う場所に立っていた。
 紅魔館の入口だということは辛うじて分かったが、魔法の明かりが点いていないから非情に薄暗い。扉が開くと外から太陽の光が僅かに差し込んできて、ようやく辺りがはっきりと確認できるようになる。視界の端にきらりと何かが光ったような気がしたけれど、すぐに見えなくなってしまった。
「ほんとだ、全く平気みたいですね。瞬間移動ってある程度慣れないと移動後にきつい吐き気に襲われるんですよ。一瞬であれ形を失い、波のような存在になってしまうためだと思うんですが」
 小悪魔はよくできましたとばかりぱちぱちと手を叩く。褒めているのか馬鹿にしているのか判断のつきかねる仕草だった。
「さっきも思ったけど、瞬間移動だなんて高等技術をさらりと使うだなんて。あんたもパチュリーに劣らず凄い使い手なんじゃない?」
「大層なものじゃないですよ。索引がつけてある場所同士を魔術的な抜け道として繋ぐことができるってだけでして。移動できる範囲は館の中に限定されるんです。外に出れば少しだけ魔法に長けただけの小賢しい司書に過ぎません」
 索引同士を繋ぐの意味すら分からない霊夢にすれば凄いことだが、魔法使いから見ればそこまで対したことでもないのかもしれない。その辺りを推し量っている暇は、今の自分にはなさそうだった。
「霊夢さんが来てくれたお陰で久々に心の底から楽しめました。できればまた訪ねていただけると個人的には嬉しいです。首肯はしないでしょうが、パチュリー様もレミリア様もそう考えているはずですよ」
「事の顛末を知らせる必要があるのだから、あと一度は来る必要はあるでしょうね」
「二度目以降は?」
 ここには足を踏み入れるだけで厄介事が降りかかってくる。面倒はできるだけ避けるという方針からすればただの一度だって再訪はしたくない。
「美味しいお茶とお菓子を出してくれるならば、善処するわ」
 だが不思議と嫌な気持ちにはならなかった。それにあの二人が教えてくれなかった博麗の知識をもっと手に入れることができるかもしれない。面倒ごとと天秤にかけることのできる魅力もまた、この屋敷には満ち溢れている。
 それに霊夢の勘がこれからもここに訪れるだろうと示唆していた。少しだけ自信を失ってはいたけれど、勘が当たった時のため少しでも友好関係を築いておくのは悪くない。
「ええ、いつでもお待ちしています。そのためにも異変が無事に解決されることを祈っていますよ」
 悪魔に祈られるだなんて本末転倒な気がした。かつて天使だった頃の手習いなのか、そんなの全くの嘘っぱちでちょっとした皮肉なのかもしれない。どちらにしろ神がそこかしこにいるこの世界では、あまり効果はなさそうだなと思った。
 霊夢は僅かに手を振ると館の外に出る。入る時にはあれほど息苦しく感じた妖気から解放されたのに、少しだけ寂しく思えるのはきっと気の迷いだろう。そう結論づけて石畳を歩き、敷地への出入口となる鉄柵の門に辿り着く。霊夢はエリーに無事な姿を見せ、軽く挨拶をしてから、ゆっくりと門を潜る。
 紅魔館から鬼や妖が追ってくることはない。霊夢は一仕事を首尾良く果たしたのだ。しかし異変はまだ解決されていない。どの情報が正しく、また必要であるかも分からないままに、霊夢は霧煙る中へと探索の手を伸ばすのだった。

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