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2XXX年の幻想少女第1章 幻影都市の亡霊   幻影都市の亡霊 第4話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第1章 幻影都市の亡霊

公開日:2016年11月17日 / 最終更新日:2016年11月17日

幻影都市の亡霊 第4話
 報告にあった通り、湖に近づくに連れ、徐々に視界が悪くなってきた。里を抜ける頃までは雲一つなく視界も明瞭だったというのに、気がつくと薄靄のただなかにいて、いまや陽の光を感じることすら覚束ない。微かではあるが、瞳や鼻腔をちくりと刺激するような不快な臭いがする。体温を奪われる感じはないが、少しずつ体力を削られているような気がした。
 この霧の正体が何かは分からなかったが、一つだけ明らかなことがあった。妖力の類を一切感じないということだ。強いて挙げるなら微弱な魔力を帯びているが、郷の名だたるマジックスポットに比べれば無視して良い程度のものでしかない。
 西に向かって飛んでいるはずだが、霧によって光が乱反射しているのか、太陽の位置や形すら覚束ない。こんな霧がずっと晴れないならば切り裂きジャックが徘徊しているなどという噂が立つのも仕方ないのかもしれない。霊夢は太陽を確認するため、真上に抜けて霧の全貌を確認しようとした。迷いの竹林みたく上にさえ抜けられないようになっていればお手上げだったが、霧の層からはすぐに抜け出すことが出来た。そしてすぐに奇妙なことに気付く。霧はどうやら二箇所から発生しているようだった。太陽の位置と現在時刻から察するに、一つ目の発生源は霊夢が今いる所から北西の方角に存在し、風に流されたためか霧は東西に細長く伸びている。西の里があると思しき場所もすっぽりと包まれており、ここから様子を確認することはできなかった。
 もう一つの発生源はほぼ真西にあり、何かを囲うようにして同心円状に展開されている。二つの霧は数箇所で接触しているが、混じり合う様子はなくむしろ反発しているように見える。
 どちらから捜査するべきか悩ましいと思った。強い意図を感じるのは微動だにしない霧を展開させている西の発生源だ。霊夢の勘もまずは西へ行けと訴えていた。だが距離的には北西の発生源の方が近い。西の里を包んでいる霧の原因でもあり、霊夢の物臭も近い方から調べろと囁きかけている。博麗の勘を信じるべきか、それとも面倒なことは近いものから片付けるという矜持を尊重するべきか。
「こういうとき、わたしと同じ名前の霊夢ならばどうしただろう」
 数々の異変を解決してきたのだから、きっと綿密な分析を基に迅速な動きを見せたに違いない。対する霊夢にはずばっとやってのける自信がなかった。早速想定外のものを見つけてしまい、悩みで動きを止めてしまっているのがその証拠だと思えた。
 俯いた瞬間、霧の中に微かな揺らぎが見えた。何者かが潜んでいるのだろうかと目を細めれば、ぶわりと妖気が膨れ上がり、中から何かが飛んで来る。慌てて回避するも、鋭い弾がすぐ側を掠めていく。ひやりとしたのはしかし危険な目に遭ったからではなかった。凍てつく冬をも凌ぐほどの寒さが霧の中に潜んでいるのだ。霊夢の知る限り、そこまでの冷気を発揮できる妖怪は片手で数えられるほどしかいない。
 霊夢はすぐさま霧の中に潜り、弾幕の飛んできた方角から計算して大体の場所に誘導用の札を投射する。威力こそそこまでではないものの、妖力だけでなく霊力、魔力、神力、鬼力とあらゆる能力に反応し、追尾する博麗謹製の御札だ。
 五感のどれかに働きかける能力を使う妖怪ははさほど珍しくなく、その中でも視覚に対する妨害がその大半を占めている。この誘導札はそのための対策であり、はたして甲高い叫び声と、続けて「見えない場所から狙ってくるなんて卑怯だぞ」と、自分のことを棚にあげた発言が飛んで来る。霊夢はその声に嫌というほど心当たりがあった。
「最初に霧の中から狙ってきたのはそちらでしょう?」
 答えは激しい寒気として返ってきた。それは辺り一面の霧を晴らすほど強く、結界で防がなければならないほど凍てついていた。いつもいつも傍迷惑な力の使い方をすると思いながら、霊夢は姿を見せた人物に視線を向ける。
「げ、霊夢じゃないか。なんでこんな所にいるんだよぉ」
 目の前の青いワンピースを着た少女は、チルノという通り名でよく知られている氷の妖怪だ。本名は別に持っているらしいのだが妙に長ったらしいし、そもそも皆がチルノの名前で呼ぶから本人もすっかり諦めている節がある。霊夢も当然のようにチルノと呼んでいる。この上ないほど体を表しているし、その呼び方がしっくり来るからだ。
「わたしがどこに居ようと勝手じゃない。それよりあんたこそなんでこんな場所にいるのよ。また何かを企んでいるの?」
 チルノは付喪神でも妖精でもないが、幻想機械解放戦線のメンバーとして活動している。かの組織には本来の目的で活動するメンバーの他に、機械によって恐怖され辛くなった妖怪や、機械によって追い立てられる立場となった妖怪も身を寄せているのだが、彼女はそのどちらでもない。強いて言えば自分に近い力を持つ冷蔵庫を解放したいようだが、それも主な理由ではないらしい。かつては妖精だったという話も聞くが、あまり触れて欲しくなさそうにするから、これも理由ではなさそうだと霊夢は見ていた。一つだけ言えることがあるとすれば、強い冷気を無思慮に放って来る厄介極まりない相手ということだ。いつもならば遭遇したくない相手だが、霧の中から現れた彼女なら何かを見聞きしているか、もしかすると元凶の一部を担っているかもしれない。今は少しでもヒントが欲しいところだから見逃すわけにはいかなかった。
「あ、いやー、うん。その……」霊夢の質問に、チルノは口ごもりながら露骨に目を逸らす。何かをやらかそうとしたか、それともやらかした後なのか、どちらにしても疚しいことをしていたのは確かなようだ。よく見ると肩の辺りに鋭い刃物で切られたかのような跡があり、何らかの相手と既に決闘を行ったことを示していた。チルノは霊夢の視線を察したのか肩に手を当て、誤魔化すような笑みを浮かべた。「これはなんでもないから。あんたは何も見なかった、いいね?」
 手を離すと服の切断面はどこにも見当たらなかった。氷でカムフラージュしているのか、それとも服自体が氷でできているのかは分からなかったが、霊夢としてはどちらでも構わなかった。いまはっきりすべきはチルノの隠しごとが何であるか、それが異常な霧の発生と関係があるのか確かめることだ。
 霊夢は捕獲用の札を取り出し、チルノに向けて投擲する。霊力の糸で繋がれた札は空中で投網のように広がり、相手を雁字搦めにしてしまうはずだった。かつてこれで何度か捕えたことがあるし、今度も通じると思ったのだが、チルノは前方に向けて氷の息を吐き、捕獲用の札をあっという間に凍らせてしまった。
「このチルノに同じ技は通用しないのよ!」さらりと出鱈目を口にしてから、チルノは前方に手を突き出し、棘だらけの氷塊を生み出す。これまでに見たことのない弾幕であり、得意そうな顔を見せているところからしてとっておきの技であるらしかった。「さあ、目にものを見よ。完璧に賢いこの弾幕を食らいなさい!」
 凍てつく風によって撃ち出された球体が急速に迫ってくる。とは言っても直線軌道であり、僅かに横に逸れるだけで簡単にかわせる代物だった。これならばいつもの出鱈目に撃ってくる弾幕の方が……。
「弾けろ!」球体が大きな音を立てて割れ、氷の棘が撒き散らされる。ノーモーションで発動できる緊急回避用のスペルを展開、すんでのところで氷弾は結界に阻まれ、事なきを得た。「そしてさらば!」
 隙を逃さず撃ち込んできた氷柱を、展開させた結界を前面に突き出して防御する。着弾とともに白い靄を伴う冷気が生まれ、視界がますます不明瞭になる。攻撃に転じるため靄から抜け出した時には、チルノは既に遠くへと逃れた後だった。小さく息を吐き、そして今更ながらに瞠目する。
「驚いた、あんな初見殺しをやって来るなんて」チルノの弾幕は良くも悪くも力押しであり、これまでは力尽きるまで回避に専念すれば自然と気勢も弱まり、どうとでもあしらうことができた。しかし今日のチルノは見えない場所からの攻撃を始め、それが不利に働くやいなや霧を振り払い、そしてあの氷爆弾だ。「先日の弁々といい、やはり組織の形が変わりつつあるのかも」
 考えるよりまず行動する構成員に教えを垂れ、組織の性質が変わらない範囲で背中に生じる痒さのように手が届きにくい悪戯を仕掛ける。もしかすると今回の霧もその一環なのかもしれない。
 ますます悩ましくなる状況を吹き飛ばしたのは霧の動きだった。同心円状に展開されている方の霧が淡く発光したと思うと、遠目からでも分かるほどその範囲を急速に拡大したのだ。少しすると動きが止まり、拮抗状態に戻ったが何らかの力と意志が込められていることを示すには十分な光景だった。
「あんなものを見せられたら行くしかないじゃない」
 小さな溜息一つ、霊夢は円状に展開された霧の方へと向かうのだった。


 途中までは上空を進み、二つの霧がぶつかり合う直前で高度を落として身を隠す。もっともあまり意味はないだろうと霊夢は思った。円状に展開された霧は離れていても分かるほどの魔力を含んでいたからだ。この中を進めば術者の解析によって逐一行動を把握される恐れがある。少なくとも侵入は察知されるだろう。不意打ちは難しくなったと考えるべきだった。
「強行突破も考えて装備を整えては来たけれど」吸血鬼、その一画を借りて堂々と図書館を営む魔法使いに、格闘の腕が滅法立つらしい従者。そして遠子も正体を測りかねる謎の門番。誰と当たっても激しい消耗は避けられないだろうし、まず目の前の霧が問題だった。「惑わしの技がかけられてるわよね、面倒だなあ」
 仄かな青を含む濃い霧は魔法の森によく漂うそれと非常に良く似ている。術者があの霧を解析し、魔法として組み込んだのかもしれない。空気の流れやもう一つの霧にも乱されることなく完璧にコントロールされているところからすると、森に漂う霧よりずっと効力の強い可能性が高い。
「……だけど、紅じゃないのね」
 もう少し近くまで寄ってみたが、妖力はまるで感じられなかった。この先は紅魔館のはずであり、霧による異変だというのに、紅色がこれまでに一度も出てこない。やはりかつての紅霧異変とは何かが違うらしい。だが霊夢の勘はやはり、この先へ向かえと訴えかけている。考えてもどうにもならない現状では、己の博麗を信じるよりほかない。
「こうなれば、出たとこ勝負でやってみるか」
 口に出してみれば不思議と腹も決まり、霊夢は迷うことなく霧の中に飛び込む。霧煙る魔法の森でも霊夢は一度も迷ったことがなかったし、ある程度の霊力と加護があれば問題なく突破できることは確認済みだった。この霧にも通じるかを試し、もし駄目ならば魔を封じるための符を発動して魔法自体を祓うつもりだった。
 霧の中では微かに甘い匂いがした。幻惑の効果がある香を混ぜているかと一瞬だけ危ぶんだが、鼻と喉の通りが良くなる以外にはこれといって体調の変化はなく、緊張に踊っていた心が少しだけ落ち着きを取り戻したように感じる。他は魔法の森に漂う霧とほぼ同じだった。飛び込んできたものを適度に惑わせたのち、入口へと戻す。霊夢にとってはいつも通りまっすぐ進みさえすれば良いはずだった。
 結果は拓けた視界となって霊夢の前に現れた。少しもしないうちに霧を抜け出し、その先に広大な敷地と紅い屋敷、それらを覆う外壁を確認することができた。築千年を超えるとさえ言われているが古びた感じは一切なく、経年の威厳と新築の瑞々しさを併せ持つ、不死者を体現したような面持ちであった。
 壁で覆われていると言っても空飛ぶ侵入者には無意味であり、ざっと見渡して身を潜められそうな場所を探す。それだけで悪寒が背筋を走り、慌てて目を逸らした。空から侵犯しようとすればとんでもない災厄が降りかかると霊感が頻りに訴えていた。
 そこで霊夢は吸血鬼にまつわる、ある話を思い出した。たとえ何の変哲もない人間の家であっても、招かれなければ決して中には入ることができないのだ。同様の理屈が住処を訪ねてくる相手にも降りかかるのかもしれない。
 敷地から目を逸らすと途端に悪寒が収まった。深呼吸し、気の乱れを整えてから霊夢はもう一度屋敷に視線を向け、悪寒のしない場所の探りを入れる。四方を囲う壁の一辺に鉄柵の門らしきものが見えるのだが、そこだけ凝視しても悪寒を覚えなかった。どうやらあそこから入らなければならないようだが、朧気ながら壁を背にして立つ何者かの姿が見えた。遠子の話していた謎の門番かもしれない。
 霊夢は門から距離を取り、着地してから木陰や茂みに身を潜めながら少しずつ近づいていく。門のすぐ側には人型の少女がおり、退屈そうな顔をしながら壁にもたれていた。その横には大きな鎌を立てかけており、本人に負けず劣らぬ物騒な妖気を放っていた。
「死神、じゃあないわよね」
 博麗神社には仕事から逃れ、サボりという名の休息を取りに訪れる者がたまにいるのだが、その中に大きな鎌を担いだ女性がいる。名を小野塚小町といい、断りもせずに茂みで昼寝をし、いつの間にか去っていくという礼儀の欠片もない奴である。一度、堅物そうな上司がやって来て説教を受けていたのだが、その時に霊夢は小町の素性を知ったのだった。神社に死出の案内人というのは不吉な気もしたが、神のいない社に寄り付くならば死神であっても有難いのかもしれないと考え直した。それに死神は死後の魂を安らかに導き、また農耕の神でもあるから、宣伝はできなくてもご利益があるはずだった。実際、小町が訪ねるようになってから悪い霊や悪戯好きの妖精などがあまり近寄らないようになったし、山菜や茸が心なしよく取れるようになった。というわけで霊夢は今日に至るまで小町を半ば放置している。
 小町は一種の神域にあり、霊夢と似た質の力を使用する。対するあの門番は妖気を帯びた怪異である。正体がつかめないのは歯痒いけれどこちらに気付いていないならば、不意をうって制することは可能かもしれない。気持ちを決め兼ねて観察を続けていると、門番はうんと背筋を伸ばし、それから真っ直ぐ霊夢のいる場所を射抜いてきた。
「このまま知らんぷり、ってのもお互い退屈じゃないかしら」どうやら隠れていられると思ったのは自分だけだったらしい。霊夢は若干の恥ずかしさを伴いながらそう判断すると身を隠すのをやめ、堂々と姿を晒した。「知らせを受けてたから気を張ってたってのはあるけど、それにしても気配がだだ漏れなんだもの。人の身でそれだけ秘めていれば隠密なんて叶うはずもないのだけど……己の力に自覚がないのはよろしくないわね。すぐに身を晒したのは合格。覚悟を決めれば迅速なのね」
 門番はスカートの端をつかみ、ひらりとお辞儀をする。正体は分からないにしても客を迎え慣れているのは間違いなさそうだった。
「初めまして、貴方は遠く東の果てよりやって来た巫女様ね」そして霊夢が博麗の巫女であることを把握していた。「わたしはこのお屋敷の門番を務めている、特に名乗る程のものでもない妖怪よ。さてさて巫女様、今日はどのようなご用件なのかしら?」
「わたしは西の里を覆う霧の元凶を求めてここまで来たのよ」
「ふむ……それはどうにも見当違いな気もするけれど」
「調査のために近くまでやって来たら、この屋敷を覆う霧が不思議な動きをするのを見かけたのよ。怪しいと思うのは当然のことだわ」
 霊夢の主張にも、名も知らぬ門番は特に反応を示すことはない。末端だから何も知らないのか、それとも知っていてすっとぼけているのか、曖昧な笑顔からは判断が付きかねた。
「というわけで通してもらえないかしら。疚しいことがないならば調べさせてもらっても構わないわよね?」
「それは構いませんよ。この屋敷は広く門戸が開かれている。ただ一つの条件さえクリアすれば自由に出入りすることができるようになります」
 てっきり門前払いを食らうかと思っていたが、なんともあっけらかんとした回答だった。紅魔館は今回の霧とは関係ないのだろうかと訝しみ始めたところで門番は先程までの言葉と裏腹、立てかけてあった鎌をひょいと担ぎ、構えてみせた。
「一分間、わたしからの攻撃を凌いでください」
 言うやいなや鎌の重量をものともしない速さで一気に霊夢の眼前まで踏み込んできた。慌てて距離を取ろうとしたが、門番は瞬く間に追い縋り、鎌を横薙ぎに振るってくる。辛うじてお祓い棒で受け止めたが、鎌の重量と門番の膂力が凄まじく、踏ん張ることさえできず思い切り弾き飛ばされた。急制動をかけて転倒だけは避けられたが、門番は体勢を立て直す暇すら与えることなく、鎌を上段から一気に振り下ろしてくる。霊夢は歯をぐっと噛み合わせ、仕込んであった身体強化の術を発動させる。体が軽くなり、そのお陰で鎌が届くよりも先に背後へ跳躍し、回避することができた。破砕音とともに土煙が舞い、地面に食い込んだ鎌が靄の先に見えた。
 好機と見て捕獲用の札を乱射する。足止めをして格闘戦の間合いから完全に逃れるつもりだった。そんな霊夢の目算を嘲笑うように門番のかけ声が奔る。鎌を引き抜くとリーチの長さをものともせずに、素早く振るってあっという間に札を叩き落とし、些かも立ち止まることなく霊夢に迫ってくる。更なる数を頼んで一気呵成に投げた針もあっさりと斬り結び、かわしきれなかった針を身に受けても怯むことがない。供養のために持ち込まれた針や釘を一つ一つ丁寧に対妖として練り上げたもので、これまで霊夢が相対して来た妖どもを怯ませてきた代物だというのにまるで効いた様子がない。
 このまま針で攻撃し続けるべきか、一瞬だけ迷ってしまった。そして門番にはそれだけの隙があれば十分だった。さらなる加速を見せて再び霊夢の間合いに入ると、大上段から先程を超える勢いをもって鎌を振り下ろす。次はないと思わせる渾身の一撃だった。
 これを凌がなければ確実に負ける。閃きと同時に歯を二度カチカチと噛み合わせ、お祓い棒をしかと構えて霊力を込める。紙垂が螺旋状に絡まり、その先から霊気の刀身が生まれて門番の一撃をがっちりと受け止めた。
 真正面から止められるとは思っていなかったのだろう。門番は初めて狼狽の表情を浮かべ、また次を考えない一撃のためか、明らかにバランスが崩れていた。霊夢は鎌を受け流して鍔迫り合いから抜け出すと、体勢を回復される前に素早い一撃を胴に叩き込む。門番は呻き声をあげながら膝をつき、得物の鎌を地面に取り落とした。霊夢は切先を眼前につきつけ、無言のうちに降参を求めた。
 競り合いに負けて重い一撃を食らったはずなのに、門番の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。背筋がぞわりと寒くなり、無意識のうちにお祓い棒を強く握り直すと同時、地面に落ちていた鎌が霊夢目掛けて飛んで来る。霊気の放出部分で受け止めると鎌が急速に回転を始め、霊気と妖気が激しく削り合って火花のような光が散った。
 霊夢は力任せに回転する鎌を弾き飛ばすと一気に上空へと逃れる。鎌は更に回転を強めながら、霊夢を追尾してきた。
「降伏なんて求めるんじゃなかった」特別な力を持っているからと言って自惚れているわけではなかったが、ぎりぎりの勝負を凌いだことで慢心のようなものが生まれたのだろう。有無を言わさず退治して先に進むのが正しかったのに、面倒でない勝ち方を優先させてしまった。悪い癖だなと自分でも思う。「次からは気をつけないと」
 反省終了。霊夢は心の中でそう唱えると迫り来る鎌から逃れるため、できる限りの速さで飛んだ。だが鎌は徐々に距離を詰めてきて、今の段階では接触は避けられそうにない。
 速さが駄目ならば力任せで退けるしかない。霊夢は振り返ってからお祓い棒を構え、回転する鎌に再び一撃を加える。先程よりも激しく火花が散り、霊力の刀身がみるみる細っていく。霧散させる前に辛うじて弾き飛ばすと、その勢いを利用して一気に降下する。全力で高度を下げながら刀身に霊力を補給、せめてもの抵抗に霊針を斉射してみるものの傷一つ与えられない。鎌は更に回転を増しながら、首と胴体を切り離そうと一直線に迫ってくる。
 霊夢は地上すれすれで急停止し、飛行軸を水平に変更する。鎌は同じ動きを取ることができず、地面に激突して深くめり込んでいった。だがすぐに固いものをガリガリと削る音が響き始め、追尾能力が未だ健在であることを示している。霊夢は軸を垂直に変えて急上昇し、もう一度だけ歯を噛み合わせる。第五段階まで来ると全身を伝う霊力で肌がぴりぴりと痛むけれど、第四段階までとは明らかに異なる力が身を包むのがはっきりと分かる。五感が研ぎ澄まされ、細胞の一つ一つまでを自在に操れるような錯覚すら覚えるのだ。霊気の刃も出力を増し、刀身の周囲に陽炎のような揺らめきが立つほど充実している。
 これであの鎌を叩き壊すという思いとともにお祓い棒を握りしめ、鎌の到来を待ち受ける。霊夢の気持ちを察したかのように大地を削る音が止まり、静寂が生まれたのも一瞬。風切り音を響かせながら、これまで以上の速度で飛び出してきた。霊夢を追いかけ回していた時の動きなど児戯だと言わんばかりの速さと鋭さだった。
 だが今度は躊躇いも迷いもない。気を見計らい、掛け声とともにしかと打ち込んだ。霊気の青白い火花と妖気の仄赤い火花が混じり合い、甲高い叫びのような音を立てる。最高の状態であるはずなのになお、鎌の攻撃が弾き返せなかった。あるいはもう一つ、もう一つだけ段階を上げれば打ち砕けるのだろうか。霊夢は食いしばった歯を更に強く噛み締めようと……したところで不意に力が緩む。鎌の回転が徐々に収まり、ぴたりと止まって最後に一度、お辞儀をするよう前後に振れると持ち主の元へ帰って行く。何が起こったかすぐには分からなかったが、すっかりと戦闘状態を解いた様子の門番を見てようやくことを理解する。宣言した一分間が経過したに違いない。それでも何らかの騙し打ちを仕掛けてこないとも限らなかったから、第二段階まで落としてからゆっくりと高度を落とし、お祓い棒を構えたまま着陸する。門番は殺気だった霊夢に苦笑を浮かべていたが、失敗するくらいだったら笑われるほうがましだった。
「色々警戒させておいて言うのもなんだけど、約束を反故にしたりしないから安心して頂戴。個人的にはもう少し手合わせしたかったけどね。一瞬で身体能力の強弱を切り替えたり、あとは霊気をまとった剣による攻撃をしてきたり。わたしの知る巫女はそんなことして来なかったと思うのだけど」
 興味津々といった調子で訊ねられたが、おいそれとは答えられなかった。特に秘密にしているわけではないのだが、訪問者の手の内を報告せよと主命を受けている可能性がある。ただでさえ相手は強いのだから、できるだけ隠しておきたかった。そんな猜疑心を感じ取ったのか、門番は困ったように頬を掻く。
「わたしの役目はあくまでも門番だけ。それ以上の仕事は仰せつかっていないわ。そもそも代行様はわたしにとって仮の主、本当の主は別にいるの。もう何百年も屋敷に帰って来ていないからわたしも好きに生きているけど、いつか帰還を果たされた時に門番の心得を忘れていたらまずいでしょう? だから時折、門番の押し売りをして勘を忘れないようにしているの」
 何百年も主を待ち続けるなんて、長命の妖怪であってなお律儀だなあと思った。門番自身もそのことは分かっているらしく、今度は照れ臭そうに笑うのだった。警戒心が一気に薄れ、霊夢は残心として発揮していた力を全て解いた。第二段階であっても、常時発動しておくには負担が大きい。必要のない所で使わないに越したことはない。
「身体強化の段階分けも霊気の剣も博麗の記録には残っていなかったわ。どちらも外部の来訪者から教わったの。前者が魔法使い、後者が天人を自称していたっけ」
 どちらも教わったというより半ば押し付けられたといったほうが正しいのだろうか。言葉遣いや態度は少しずつ異なったけれど、博麗の巫女が常時激しい霊力の消費を強いられること、それを防ぐために力のこまめなオンオフ、一点集中の技術を身につける必要があるという点では完全に意見が一致していた。
「人間は貯めていられる力の量に限りがあるのだからできるだけ節約し、一気に放つのがこつなんだって。妖に変化したり、徳を積んで天に昇ればその必要もなくなるそうだけど」
 鎌を遮二無二操って息一つ切らしていない門番の姿を見ると、少なくともある程度の力を持つ妖ならば容量不足を心配する必要もないのだろう。それは少しだけ羨ましいことのように思えた。
「なるほど……そして貴方は異なる成り立ちを持つ二人からそれぞれの技を学び、そのどちらも身につけた。臨機応変、正に人間の特権ってやつね」
 門番は納得したように頷くと鎌を壁に立てかけ、重たそうな門を造作なく開いてくれた。壁を乗り越えようと考えたときの悪寒は、門の向こう側を見据えても覚えない。やはり館の主が定めた道順を守る必要があったというわけだ。
「定められた試験を突破したからには案内しないわけにもいかないわね。ただし気をつけて頂戴。代行様の力はわたしよりも明らかに上だから、いよいよ力を出し尽くさなければ、肉塊となる運命は避けられないわよ」
 おどろおどろしい脅しにも怯むことなく霊夢は一歩を踏み出そうとして……そこでふと妙な疑問に駆られた。
「少し気になったんだけど、代行様って誰のこと?」
「代行様とは代行様ですよ。貴方もご存じでしょう? 紅のレディことフランドール・スカーレット様、この館を実質取り仕切っているお方で……ああ、そうか。外の人はそんな知りませんよね。対外的なことは全て彼女が取り仕切っているのですから」
 そんな話は初耳だった。遠子ですらそんなことは口にしていなかったはずだ。
「面倒だから外では何と言われても構わないらしいけど、屋敷の中でフランドール様を当主と呼ぼうものならば、酷く腹を立ててしまうのよ。物覚えの悪いメイド妖精たちがそれで定期的に一回休みするからいつも人手不足なの」
 確かにおっかない話だったが、遠子よりフランドールの凶暴で残酷な昔話も予め聞いていたから、あり得る話だくらいにしか感じなかった。霊夢は彼女に出会ったら決して感情を高ぶらせないこと、という忠告を改めて噛みしめる。
「そちらはとっくにご存じって顔ね。脅す必要はなかったかしら」
「いえ、そういうわけではなくて……わたしが訪ねたいのはその代行様ではなく、本物の当主様なの」
「……もしかして、レミリア様のことを言ってますか?」
「そうよ、かつて幻想郷を霧に包もうとした張本人は彼女なんだもの」
 戸惑いに満ちた反応からして、門番はそのことを知らなかったらしい。あるいは過去の事件を知っていても今回の話と結びつかなかったのかもしれない。
「それはますますあり得ない気もするけど、この辺りで不穏な動きがあるのは確かだし、何もなければ彼女もあんなことを伝えては来ないわよね。ふむん……」
 門番は逡巡ののち、霊夢に背を向ける。どうやら案内する場所が決まったらしい。
「これから貴方を地下図書館へと案内するわ。そこには紅魔館を囲う霧を生み出した魔法使いがいる。より詳しい話はきっとそこで分かるはずよ」
 魔法と地下図書館、二つのキーワードより導き出される存在の正体を霊夢は既に知っている。七曜を自在に操る魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。霊夢に強化の術を授けた魔法使いをして、真の魔法使いと称するほどの難物である。
 霊夢は意を決し、紅魔館の敷地に足を踏み入れる。するとまるで巨大な生物の体内に飲み込まれたような、ぬるりとした妖気が肌にまとわりつく。壁は不躾な訪問者を追い払うだけでなく、これを外に漏らさないためのものでもあるのだろう。
 それでも先に進むしかなく、霊夢は門番の案内に従って屋敷に続く石畳を一歩一歩、意識して進む。特に妨害もなく入口まで辿り着き、門番が屋敷に通じる両開きの扉を開けると、辛うじて人の目で進めるくらいの魔法の明かりが用意されていた。
「この明かりは訪問者を然るべき場所へと案内する役目も果たしているの」門番に言われた通り、灯りは一方向にだけ続いており、他の方向へは伸びていない。間違った場所へ迷い込まないようにという配慮なのかもしれないが、怪しい気配の漂う吸血鬼の館となれば罠を疑いたくもなってくる。「従ったほうが良いわよ。天の邪鬼を起こして暗闇に身を任せれば下手したら戻ってこられなくなるから。わたしも一度その気を起こして一週間ほど彷徨い続けたことがあったわ。ここは時間と空間が本当にしっちゃかめっちゃかなの」
 紅魔館の構造を管理していた人間を霊夢は知っている。だがここで彼女の話を出すのは避けたかった。聞き耳を立てられているかもしれないし、彼女がかつての主を告発しようとしたかもしれないことを、万が一にも気取られると困るからだ。可能ならば咲夜を知る紅魔館の住人の鼻っ面にいきなり突きつけて反応を見たかった。だから霊夢は見当もつかないという振りをした。

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この小説へのコメント

  1. 咲夜さんがいなくなった後の紅魔館というのは考察や創作でちらほら見ますが私の中でもレミリアは隠遁、フランが当主格に上がり、美鈴がしっかりするという構図がありました。さてここの美鈴はどうなることやら…

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