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2XXX年の幻想少女第1章 幻影都市の亡霊   幻影都市の亡霊 第10話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第1章 幻影都市の亡霊

公開日:2017年01月05日 / 最終更新日:2017年01月05日

幻影都市の亡霊 第10話
 目覚めて最初に霊夢を待ち受けていたのは全身を襲う激しい痛みだった。
 筋肉痛に似ていたが、痛みは体の内側からじくじくと迫り、揉みほぐしてみても全く効き目がなかった。目覚めてしばらくは歩くことすらままならず、いつのまにか博麗神社に戻っていたことを不思議に思うことさえできなかった。掃除も洗濯も全く手につかず、こうなるとは予期していなかったら暖めるだけで済むような食事の準備もしていなかった。僅かに残っていた牛乳を飲んで一時は飢えを凌いだものの、昼頃になるとそれではまるで足りないとお腹がしきりに鳴り響き、霊夢に食事を摂れと促すのだった。
 こんな時に限って、呼びもしないのにやってくる連中は誰も現れない。少しだけあの胡散臭い妖怪が訪ねてきてくれるのかと期待もしていたが、空腹の度合いが酷くなるに連れ苛立ちが募るだけだったので、すぐに頭の中から追い出した。
 救いは昼を少し過ぎた頃に現れた。全くもって久しぶりとしか言いようのない相手だったのだが、「よう!」とあまりに気安い挨拶をするから、一瞬だけいつも通りだなんて思ってしまった。
 やって来たのは魔法の森に暮らす魔法使い、霧雨魔理沙だった。彼女はお腹をくすぐる良い匂いを放つ風呂敷包みを手に持っており、霊夢の前でほどいて中身を見せてくれた。遠足や宴会などでよく使う重箱であり、中にはおにぎりと色とりどりのおかずが詰め合わせてあった。
「初めての異変解決に出かけたと風の噂に聞いたものだから。さぞかしぐったりしているんじゃないかと思って用意してみたんだけど正解だったようだな。霊力の使い過ぎによる典型的な症状だ。初めてじゃあ辛いだろう?」
 痛む体でひっしにこくこくと頷く。すると魔理沙は目を細め、優しげな笑みを浮かべるのだった。
「昔、お前と同じ名前を名乗ってた奴もそうだったんだ。いつもはうんざりするくらい色々な奴につきまとわれるのにさ、いざという時だけ誰も側にいないんだ。そういうところだけなんだか無性に危なっかしくてさ」
「いつも訪ねてあげてたの?」
 なんとなくそんな気がして訊ねてみると、魔理沙は気恥ずかしそうに頬をかいた。どうやら図星だったらしい。
「わたしも忙しい身だったからいつもと言うわけではないがまあ、ちょくちょくだな。あいつはいつも少しだけ迷惑だって顔をして、でもいつだって茶を振る舞ってくれた。歓迎されていたかどうかは今でも分からないが」
 歓迎もしない相手には茶なんて振る舞わないのではという気はした。あくまでも勘に近いものだから口にはしなかったし、どう思われていたかなんて本当は分かっているに違いない。魔理沙には昔から気持ちを曖昧にする狡いところがあった。
「身の上話をするのも今は辛いだろう。飲み物も用意してやるから無心で食べ物を胃に入れると良い。腹が満ちれば力の使い過ぎで痛む体も楽になって来るだろう。こういうのは体の筋肉痛よりも心の持ちように左右されやすい。くよくよ悩むのもあまり良くないんだぞ」
 霊夢が悩みや疑問を抱えていることを見抜いているかのような発言だった。だが内心はどうであれ、詳しいことまでは立ち入って来なかった。その優しさも今の霊夢にはありがたかった。
「どこかでしくじったのかもしれないが、異変を解決して五体満足に帰り着くことができた。それだけでも十分過ぎるとわたしは思うがね」
 魔理沙は異変が解決したと口にした。つまり白い霧は完全に取り除かれたということだ。歯車少女の使用した符が霧を吸い込みクリアにしていくのを目の当たりにしていたからおそらくとは思っていたが、これで心の曇りが一つ取れた。
「ほっとしたような顔だな。自分でも解決したかどうか、確信が持てなかったととこか。それくらいぎりぎりだったのか、それともやり残したことがあるのか。良かったら様子くらいは見に行ってやるけど」
 ここまで来て他人に頼るのは画竜点睛に欠けるようにも思えたが、かといって放置のままでは気が休まらない。本当は異変のあらましを説明できたら良いのだけど、少し話すだけでも体力を使い果たしそうだった。
 霊夢は湖のどこかの離れ小島に奇妙な機械があるから、見てきて欲しいと頼んだ。それだけの情報で探し物なんて面倒極まりないはずだが魔理沙は嫌な顔一つせず「任された」とだけ言ってくれた。それで更に心が楽になり、すると体も少しだけ軽くなった。この痛みは心の持ちようが強く関係するのだと、霊夢は改めて実感する。安堵とともにぐるぐると盛大に腹が鳴り、魔理沙は花のように綻んだ。
「では気も晴れたところで飯にしようか」
 霊夢は気恥ずかしさに顔を赤くしながら小さく頷いた。

 腹が満ちると魔理沙の言う通り、体の痛みが徐々に引き始めた。夕刻になるとまだ若干痛むものの日常生活に支障がなくなり、一晩経つとほぼ普段通りの体調となった。朝早くに再びやってきた魔理沙は霊夢の復調にかなり驚いている様子だった。
「以前から治りの早い体質だとは思ってたけど、一日でそこまで戻るとは思わなかった。しぶとさはかつての霊夢以上なんだな」
 まるでごきぶりでも評するような物言いだったが、あまりに感心されたから失礼だと指摘することもできず、それで首尾はどうだったのと言いたげに視線を向ける。魔理沙は唇を尖らせ、首を横に振った。
「結構くまなく探してみたんだが、それらしいものは見つからなかったな。妙に魔力の濃い場所が一つあったけど、そこにも何もなかったよ。あの湖は昔から妖精がたむろしているし、妙な人魚が住んでいたりもするけれど、魔力スポットはなかったはずだ。あればわたしが見つけていたはずだしな。だから妙だと思って随分調べてみたんだが成果はなしだ。霊夢の解決した異変に関わりがあるものなのか?」
 詳しい話を聞かせろと好奇心旺盛な目が訴えていた。紫が姿を現す様子もない以上、誰かに相談したかったし、それならば目の前にいる魔法使いはうってつけだった。
 霊夢の話を魔理沙は途中まで愉快そうに聞いていた。紅魔館の住人たちとも面識があるらしく、それはあいつらしいとか、みんな元気そうで何よりだとか、散々苦労させられたことなのにまるで笑い話であるかのように相槌を打たれてしまった。前々から薄々気付いてはいたが、この魔法使いにはデリカシーが足りないと思った。
 だがそうした反応は咲夜が存命している可能性に話が及ぶやいなやぴたりとやんでしまい、湖での出来事に話が進むとすっかり表情が強ばってしまった。同世代であることは分かっていたが、魔理沙にとって十六夜咲夜という人間はかなり特別な位置を占めていたことをその反応から容易に察することができた。
 話が終わると魔理沙は首を大きく横に振る。聞かなければ良かったと言いたげに。だが嘘つきであるとしても、肝心なことを誤魔化せないほどには誠実なのが霧雨魔理沙という魔法使いなのだと霊夢は思っている。そして長い沈黙ののち、その評価が間違っていないことを示してくれた。咲夜がどんな人物かを語ってくれたのである。
 魔理沙の話を総合すると、十六夜咲夜は軽妙にして瀟洒、ときに残酷で、たまに驚くほど子供っぽいところがある人間であった。主のレミリアに忠義を尽くし、その態度は死ぬまで変わらなかったらしい。
 らしいと濁さざるを得なかったのは魔理沙が咲夜の臨終付近の出来事を妙にぼかしたからだ。そのくせ咲夜が死んだことだけは強い確信をもって語るのである。彼女の死にまつわる出来事に深く関わっていると何とはなしに察したが、問い質そうとはしなかった。基本的には口が達者で語りたがりだが、語りたくないことに対しては貝のようにぴったりと口を閉ざしてしまうからだ。
「偽物にしても彼女はわたしの記憶にある咲夜に似過ぎている。きっとどうにかして再現したんだろう。その歯車お化けとやらは咲夜を創ったと言ったんだな?」
「ええ、確か……この世界を材料にしてと言っていたような」
 物事が急に動き過ぎたから事細かに記憶はしていなかったが、おおよそそのような言い回しであったはずだ。魔理沙はすっかりと考え込んでしまい、調べたいことがあると残して半ば上の空といった様子で帰ってしまった。
 霊夢も独自で調べて見たかったが、そうも行かなかった。魔理沙が帰ってしばらくもしないうちに電話があり、白い霧が晴れたのでもし関わっていたならば仔細な報告が欲しいと言われてしまったのだ。異変が失われたいま、霊夢はただの公務員である。従って上からの命令に背くことはできない。かといって全てを正直に書くこともできず、その日は報告書を仕上げるだけで四苦八苦させられ、他に何もできなかった。

 全てが判明したのはその翌日のことだ。
 異変が上手く片づいたら話を聞かせるという約束を果たしに改めて紅魔館に出かけたのだが、地下図書館であの歯車少女と遭遇してしまったのだ。彼女はパチュリーの隣で熱心に本を読んでいたのだが、霊夢を見るとあからさまに怯えた様子を見せ、パチュリーの後ろに隠れてしまった。
「そんな怖い顔をしたら余計に引っ込んでしまうわよ」
 無意識のうちに目つきが鋭くなっていたらしい。霊夢は目尻の辺りを揉みほぐし、歯車少女に笑顔を向ける。だが効果はなく、あっという間に逃げ去ってしまった。パチュリーはベルを鳴らして小悪魔を呼び寄せると、あの新入りと適当に遊んでおいてくれと命令する。小悪魔は嫌な顔一つせず、来た時と同様の唐突さで姿を消した。
「どうしてあいつがここにいるの?」
 どこまで知っていて彼女を置いているのか気になっての質問だった。パチュリーはしょうがないことだと言わんばかりに口元をすぼめ、霊夢に事情を説明してくれた。
「あんなにもわたしを苦しめた張本人なのだから助ける義理なんてないのだけど、彼女に助けて欲しいと頼まれたのだから仕方がない」
 彼女? と訊ねようとしてその必要はないとすぐに気付いた。あの歯車少女を助けて欲しいと頼むなんて、霊夢には一人しか思い浮かばなかった。
「じゃあ、あの十六夜咲夜は本物だったの?」
 パチュリーがその言葉を受け入れて助けたのだとしたら、彼女が本物である以外にあり得ないと思ったのだ。だがパチュリーは首を横に振った。
「いいえ、彼女は偽物だった。見た目は本物そっくりだったけれど、すぐに本人ではないと分かったわ。何しろ普通の人間とは全く異なるもので構成されているのだから」
 パチュリーはそこで一旦言葉を止め、霊夢をじっと見る。既におおよその見当がついているのではと言いたげだった。
「わたしと戦ったとき、彼女は大量の魔力を放出していたけど、まさか魔力で創られた体だとでも言うの?」
 そんな存在など霊夢は見たことも聞いたこともなかった。
「別に不思議な話ではないのよ。例えばこの郷には強い力を持つ幽霊が僅かながら存在するけれど、彼ら/彼女らはものが触れるほど明確に具現しているでしょう? それと似たような理屈で魔力に形を与えているの。もちろん言うほど簡単なことではないのだけど、ピー子がいた世界ではその方法が確立されていたみたい」
 そしてパチュリーの説明を受けてもさっぱり分からなかった。熟練した魔法使いでもない限り理解できないのだと割り切り、代わりに別の疑問をぶつける。
「そういうことができるってのは分かったわ。ところでピー子ってのは誰のことなの? もしかしてあの歯車少女のこと?」
「わたしは安直だって言ったのだけど、レミィが押し通したのだから仕方がない」
 パチュリーはその時のことを思い出したのか、目に見えて不機嫌になる。それにしてもピー子だなんて、どこから考えついたのだろう。頭からぴいっと蒸気を噴き出すからそんな名前をつけてしまったのだろうか。だとしたらあの吸血鬼に少なくとも命名のセンスはあまりないのだなと心密かに思った。
「色々と話を聞いたのだけど、驚きの連続だったわ。彼女がいた世界はわたしたちのいた世界と少しだけ異なる別世界のようなの。十九世紀末までにすっかり魔力の枯渇してしまったこちら側とは違い、科学と魔法が両翼となった文明を華開かせていてね。化石燃料に魔力が含まれていたらしいから、おそらく何千万年、何億年もの昔には魔力が湯水のように満ちていたのでしょう。それでいて進化の過程はよく似ており、人間に似た二足歩行のほ乳類が文明を築いていたの。計算に使用される数学もほぼ同じであり、これは二つの世界が実は極めて近く、最小構成要素まで辿れば差がほとんどないか、もしかしたら同一であることを示しており……」
 火が点いたように持論を述べる様子から、パチュリーが健康を取り戻していることは明らかだった。明らか過ぎて霊夢の心は半ば涅槃を漂っていた。
「あら、どうしたの? 月からのお迎えが来ていますなんて顔をしてるけど」
「前も言ったけど、気をつけて喋らないと人が死ぬわよ」
「訳の分からないことを言うわね。まあ要約すると、彼女はわたしの力を持ってしても蒐集できない別世界の知識を持っているってこと」
 やっと分かりやすくなってくれ、霊夢は得心したとばかりに頷く。まだ話し足りない様子だったが、このまま耳を傾ける振りをしていれば延々と話を続けかねない。喘息持ちだから早々に根が尽きる可能性もあったが、ここで博打に出るつもりはなかった。
「そっちで管理してくれるなら文句はないけど大丈夫なの? あいつは活動のために煙をぽんぽこ吐き出すはずだけど」
 側に置いていたらいよいよ喘息が酷くなるのではと危惧したのだが、パチュリーの口は達者に動き、喉を痛めている様子はない。不思議に思っていると、パチュリーはこめかみをこつこつと指で叩いた。
「わたしにも理屈は分かっていないのだけど、煙を吐かなくても大丈夫になったみたいなの。彼女曰く、理想を形にする方法を学んだってことなんだけど」
 その話に霊夢は思い当たる節があった。ピー子が紫に渡された符を使ったとき、湖に出現させた都市なる建築群のことだ。あの符で表現された歯車お化けたちは白い煙を全く吐き出していなかった。
 そのことを口にすると、パチュリーの目が更なる思索によって輝き始めた。
「最初にやってきた時は本体である機械が創られた時代の文明を再現していた。だから汚れた蒸気を噴き出す歯車の塔だったわけね。それでは博麗の巫女という動く脅威に対抗できないから動き回ることのできる体へと己を移し、更には符によって理想となる都市を表現したことでその性能を獲得した……そういうことかしら」
 またしても思考が異次元へと吹き飛ばされそうなる。今度はパチュリーも難しい説明をしたのだと考えたらしく、すぐに霊夢でも分かりやすく言い直してくれた。
「要するに魔力を使って形や性能を変えられるってこと。性質としては付喪神に近いものがあるかもしれないわね」
 霊夢は先日の、弁々との決闘を思い出す。彼女も妖力によって人間の形を取っているし、音そのもののように振る舞うこともできる。そう思えばピー子と再び相対したとき、いちいち気難しいことを考えなくても済みそうだった。
「彼女はわたしのような魔法使いにとってオーパーツの塊だわ。まだまだこれからいくらでも楽しめそう」
 パチュリーは貪欲な魔法使いが浮かべる狂熱のような笑みを一瞬だけ浮かべ、鼻息とともにいなす。顔を少しだけ赤らめたのは恥ずかしいところを見せたと感じたからだろう。この隙をつき、霊夢は話を自分の訊きたい方向へと引き込むことにした。このままでは魔法使いの複雑な思考を延々と聞かせられる羽目になりそうだからだ。
「分からないことだらけだけど、取りあえず分かったわ。ピー子って奴がが貴方にとって有用な存在だから、ここで匿うことにしたのね?」
 話の流れからしてそうではないかと考えたのだが、パチュリーは見当違いと言いたげにひょいと肩を竦める。
「それは後付けよ。ピー子を匿うことにしたのはあくまでも咲夜に頼まれたからよ」
「でも、彼女は偽物なんでしょう? 話を聞く義理などないんじゃ……」
「ええ、貴方が昔の霊夢でないのと同じくらい、彼女も昔の咲夜でもない。そんな相手の言うことを聞くのならば、彼女が何をやったのかも貴方には分かるはずよ」
 パチュリーはかつて霊夢を追い詰めたのと同じ符を掌に喚び出し、かざしてみせる。それで咲夜がここに来て何を行ったのかを理解した。
「彼女は貴方と同じようにしてここまで辿り着いたのよ。門番をかい潜り、わたしの符を制し、レミィに面白いと思わせてみせた。わたしたちは皆、彼女を十六夜咲夜と認めたの。昔の彼女とは違っていてもね」
 霊夢にはそのことが俄には信じられなかった。霊夢の知る咲夜は少し痛めつけられただけで泣きべそをかき、子供じみた振る舞いをしていた。そんなことができるとは到底思えなかった。だがパチュリーは冗談を口にするような性格ではない。果たして疑問を浮かべた霊夢にパチュリーはさらりと種明かししてみせた。
「最初こそかつての咲夜とはまるで似つかわしくない性格だったの。少し痛い目に遭ったくらいでびいびいと泣き出した時は、形ばかりそっくりで醜悪なまがい物だと嫌悪感すら覚えたわ。でもね、途中からスイッチが入ったようにしぶとく食い下がるようになったの。まるでかつての咲夜が乗り移ったみたいだったわ」
「もしかして、共時性ってやつ?」
 霊夢は時折、自分の身にも降りかかる現象を口にする。パチュリーは重々しく頷き、霊夢の言葉を肯定した。
「ここほどかつての咲夜に近い場所はない。嫌でも共時性は現れたでしょう。ましてや彼女は魂を持たない、いわば空の器に近い存在よ。もしかするといずれはほとんど咲夜そのものになってしまうかもしれない。軽妙にして瀟洒、失敗のない完璧な従者をこの屋敷はようやく取り戻したのかもしれないわね」
 その割にパチュリーはあまり嬉しそうな様子ではなかった。表情は曇り、それが本当に正しいのかと未だに決めあぐねているようだった。
「今日はレミィに会いに来たのでしょう?」どうやら話は終わったらしく、パチュリーはそう言うと天井を指差す。「地下にはいないわ。久しぶりに地上の空気が吸いたいと言って、以前使っていた居室に陣取ってるはず。地下の空気と冷たい棺桶を楽しんでいるフランと戦いたいならそのまま進んでも良いけどね」
 今日ここにやって来たのは吸血鬼と決闘を交わすためではない。霊夢はパチュリーに礼を言い、くるりと引き返す。本棚の陰に隠れて霊夢を観察していたピー子が慌てて逃げ出していったが、他に用事があるから追いかけるつもりはなかった。
 地上に出ると魔法の灯火が霊夢を誘うように道を示し、何の変哲もないドアの前で止まる。看板やプレートはかかっておらず、本当に館の主人が使う部屋なのかと疑わしくなるほどだったが、中は十分に広く、天蓋付きのベッドに置かれた木製の棺桶が吸血鬼の居室であることをはっきりと教えてくれた。
 窓はなく、魔法の明かりだけに照らされた室内は薄暗い。それが丸テーブルの近くに腰掛けるレミリアの姿を少しだけ退廃的に見せることに成功していた。
「約束を守ってくれたようだ。昔の霊夢と違って律儀なんだな」
 レミリアの話から察するに、かつて霊夢を名乗っていた同姓同名にはずぼらなところがあったらしい。先日の会話からも察するところはあったが、どうやら思っていたほど完璧でも善良でもないらしい。それは霊夢にとって少しだけありがたいことだった。
「とはいえおおよその事情はあのちんちくりんから既に聞いている。郷にやって来た経緯から、霊夢をこの屋敷にけしかけた一部始終までね」
 パチュリーの話に圧倒されてすっかり忘れていたが、それもまた疑問の一つであることを思い出す。だがレミリアはそんなことどうでも良いと考えているようであり、訊ねても答えてくれそうになかった。
「まあ、そんなことはどうでも良い。あのちんちくりんときたらことあるごとに威勢の良いことばかり口にして、見栄を張っているのが見え見えだ。実際に何が起こったのか聞かせてくれたらさぞかし楽しいことになるだろうな」
 鼻で笑う仕草がなんとも憎らしかったが、自分に向けたものでないと思えばさして気になるものでもない。さっさと用事を済ませて帰ろうと考えたところで、入口のドアがゆっくりと開く。入ってきたのはティーセットを乗せたお盆を手にした咲夜だった。音を立てずにドアを閉め、しずしずと近付いてくるその足取りにぎゃんぎゃんと泣き喚いた面影は一切ない。
 共時性が彼女をすっかりかつての咲夜にしてしまったのだろうか。
 その問いに答えたのは甲高い悲鳴と、続けて聞こえてきた陶器が割れる音だった。咲夜は何もないところで派手に転倒し、高そうなティーセットを台無しにしていた。床には紅茶が零れ、芳しい匂いが部屋中に充満する。咲夜は目の前で起こった惨状にしばし呆然としたのち、目頭に涙を浮かべた。
 その様は軽妙にして瀟洒、失敗のない完璧な従者という表現からはほど遠かった。涙に滲む瞳でレミリアをじっと見る咲夜に、レミリアは特大の溜息をつく振りをする。吸血鬼だから実際の息はもれなかった。
「あの、えっと、ごめんなさい……違った、申し訳ございません」
「良いよ、零れた紅茶を嘆いても仕方がない。代わりを用意してくるんだ」
 咲夜の姿が「かしこまりました」の言葉とともにかき消え、床に落ちたティーセットの破片が一瞬でなくなり、紅茶の染みもほとんど目立たなくなった。それから一分もしないうちに代えのティーセットを用意し、今度は転ぶことなくテーブルの上に置いた。
 紅茶を注ぐ仕草はぎこちなく、テーブルの上に飛沫が散る。なんとか二人分のお茶を淹れると、咲夜は失礼しますと言って頭を下げ、姿が消えたかと思えばごつんと痛そうな物音が響く。動転して部屋を出るときドアを開けることさえ忘れていたらしい。
 二人きりになるとレミリアはひょいと肩を竦める。
「酷いもんだろう? まあ新人だから許してくれたまえよ」
 偉そうに告げるレミリアの顔はいかにも愉快そうだった。彼女は昔と同じ咲夜を望んでいるわけではなく、今の咲夜を存分に楽しんでいるらしい。その事実が霊夢にはありがたかった。霊夢もことあるごとに同姓同名の別人と比べられる身であったからだ。そんな気持ちを知ってか知らずか、レミリアは茶に口をつけ、大きく頷いてから「いやー、美味しくないな」と酷いことを言った。
「紅茶を淹れるのに全く慣れてない。気が利かないし、無駄なことだらけだ」文句ばかり言っているのに、レミリアは本当に嬉しそうだった。「せめて面白い話を聞かなければ満足もできぬというものだ。さあ、お前の闘いぶりを話してみろ」
 正直なところレミリアを楽しませるような話ではないと思いながら、霊夢は館を出た後のことを語ってみせた。レミリアは咲夜とのやり取りでは概ね真剣に聞いていたが、ピー子の話となると途端にげらげらと笑い、ことあるごとに茶々を入れ、やっぱり見栄を張っていたのだなと満足そうに呟くのだった。
 薄々気付いてはいたが、あの二人は少し……いや、かなり相性が悪いらしい。もしかすると咲夜の主導権を握るため、裏であれこれ考えているのかもしれない。だとしたら板挟みにされる咲夜はこれからずっと大変なのかもしれない。
 愛されないのは辛いことだが、愛が重すぎるのも時には辛い。
 願わくば咲夜には二人を手玉に取り、楽しく生きて欲しいと霊夢は思う。

 レミリアへの土産話もおおよそ恙なく終わり、屋敷を後にしようとしたところで見覚えのある歯車がちらと見えた。霊夢はできる限りの笑顔を作るとピー子にこっちへ来いと手招きする。
 かつての傲慢な態度はすっかりとなりを潜めており、代わりに子供っぽい物怖じを見せていた。郷にやって来ることで初めて形を得られたのだとしたら、生まれて一月程度ということになる。幼稚なところが目立つのも仕方がないのかもしれない。
「どうしたの? 黙っていたら何も分からないのだけど」
 引っ込み思案の相手には辛抱強く待つのが良いのだが、あまりにもじっとしているのでとうとう霊夢の方から声をかけてしまった。今回はそれが良い結果を生んだらしく、ピー子は霊夢の正面に立つと可愛らしいお辞儀をした。
「別に謝らなくて良いわよ。あんたもこっちへ来て必死で生きようとしたわけだし」
「謝る気はない、だが礼を言う必要はあると思って」
 ピー子はちらと背後をうかがう。そこには誰もいなかったが、魔法の光に照らされた影がちらと映る。羽根のように見えたけど、隠れているつもりだから気にしないことにした。
「お前はわたしのことをギリギリまで壊さないようにしてくれた。だからこそわたしはこの郷で誰にも恨まれない形を見つけることができたんだ。わたしはそのことをとても感謝している」
 情けをかけたように見えたのは覚悟が足りなかっただけだ。それなのに礼を言われると、情けないやらむず痒いやらで複雑な気持ちだった。
「悪く思っているなら、二つだけ質問に答えて頂戴」そんな気持ちを誤魔化すため、霊夢は人差し指と中指を立て、中指を折り畳んで1の字を見せる。「あんたは今でもこの郷に都市を伝える気持ちがあるの?」
 ピー子が野望を持ち続けているならば、霊夢は止めなければならない。何故ならばあの都市には決定的に足りないものがあるからだ。あそこには人間の入る余地がどこにもない。あまりにも完成され過ぎていて、未完成な生き物はきっとどこにいても暮らすことができないだろう。それは月の裏側に存在すると言われている月の都を地上に再現するようなものだ。郷をそんな場所にするのだとしたら、たとえ煙を出さなくなっても異変の元凶として対処せざるを得ない。
 幸いなことにピー子は首を横に振り、その意志がないことを示してくれた。
「どうやらわたしは半永久的に指名手配犯らしい。この館から一歩でも外に出れば妖怪の山に住むという天狗や河童に追いかけられるだろう。もちろん、わたしの理想を広めたいという意志は今でもある。だが、この館の妖怪たちから郷の現状を知り、急ぐ必要はないという結論に至ったのだ。この世界の文明は調和を守る方向で緩やかに発展している。そこにわたしの知識を投げ込むのは、飢えた胃に栄養満点の食事を押し込むようなものだ。あと何百年、何千年と機をうかがい、わたしの持つ知識を受け入れられるような文明が築かれたとき、改めて接触を計ろうと思う」
 なんとも気が長く、そして肩の荷が下りるような話だった。それだけ先のことならば自分が気に病む必要はもはや何もない。清々しい気持ちで未来の子供たちに仕事を放り投げることができるというものだ。
「分かったわ、少なくともわたしは信じてあげる」
 そう安請け合いするとピー子は嬉しそうに顔を綻ばせる。まだ意識のない機械だった頃から、彼女は誰かに認められたり受け入れられたりしたことがないのだろう。随分と手を焼かされたけど、そう考えると少しだけ可哀想な気がした。
「では二つ目の質問なんだけど、うちに妙なメールを出したのはあんたよね?」
 これで違うと言われたら大問題だったが、ピー子はこくこくと何度も頷いた。
「ああ、そうだ。あの煙は触れたものから情報を読み取る性質を持っていてな。人であろうと妖であろうと本であろうとお構いなし、その場所に存在した過去の記憶さえも手に入れることができた。それらの記憶を基にわたしを護るのに最適な存在として咲夜を創りだしたわけなのだが、例の共時性とやらのせいで、咲夜が妙なことを言い出したのだ。わたしの護るべきものは他にあるのではないかと」
 何となく話が見えてきて、霊夢は「それから?」と前のめり気味に促す。
「紅魔館も霧の範囲内だったからその主がレミリア・スカーレットなる吸血鬼だとすぐに分かり、わたしは危惧した。類稀なる力を持ち、強烈なカリスマを有する彼女がわたしから咲夜を奪うのではないか。だが咲夜と同じものを創るだけの余力もない。そこで人間の築いた原始的な電子網までも探り、吸血鬼を退治できる逸材を求めたのだ」
「それでかつて吸血鬼を退治した博麗の巫女に白羽の矢が立ったわけね」
 最後の輪がかちりとはまった気がした。かくして自分は異変解決に飛び立ち、彼女の思惑通りに動いてしまったというわけだ。もっとも紅魔館へ向かったことが結果的に良い方向へと話を進めることになったのだから、どこまでもままならない話だった。
「ありがとう、これで今回の異変についてはほぼ納得できたわ」
 霊夢は里の子供たちにするよう、ピー子の頭をぽんぽんと撫でる。すると名前の通りにぴいっと甲高い音を立て、一目散に逃げ出してしまった。白い煙はすぐに館の空気と区別がつかなくなり、微かな魔力だけをその残滓として残している。鼻をつく嫌な感覚は全く覚えなかった。
 彼女もまたここで生きていけるのだ。不覚悟の結果だというのに、そのことが何故か嫌ではなく、むしろ誇らしいもののように感じられるのだった。


 館の外に出ると、霊夢は異変の輪の外側にある事象に思いを寄せる。
 紫はピー子を呼び水と言っていた。
 呼び水とは物事のきっかけを作る出来事のことを指す。
 つまりこれからも同じようなことが起きるかもしれないということだ。
 彼女のような機械がこれからもやってくるのだろうか。
 それとも全く別の異変が郷に降りかかるのだろうか。
 背中がちりちりと痒みに似た痛みを発し、霊夢の危惧を肯定する。
 忙しない日々は終わるどころかこれから始まるのかもしれないと思った。

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この小説へのコメント

  1.  修正後の第9話と合わせて読ませていただきました。今まで自分が見てきた東方2次創作の中でも独特な世界観が広がっていてとても面白かったです!
     今回で一区切りだという事なので、また時間を作って読み返したいと思います。

  2. この霊夢には今後も頑張ってほしいですね。このままじゃ「霊夢によく似た誰か」みたいな認識で終わりそうですし。
    昔の霊夢にはない部分も沢山あるし、応援したい

  3. 非常に魅力的な世界観で面白かったです
    もっとこの世界の話を読んでみたいなぁ・・・
    あと贅沢言うならピー子ちゃんのイラストが見てみたいです!

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