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幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編   マリオネット前編 第3話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編

公開日:2015年09月09日 / 最終更新日:2015年10月07日

アリスの章

          1

 ずぐ、という鈍い痛みで目が覚めた。
 痛みはどうやら頭から――それも後頭部の辺りからきているようだった。
 アリスは痛みの感じる場所に手を当てようと、回復しきらない視力のまま、仰向けの状態から起き上がった。
 一体ここはどこだろう、私は一体何をしていたのか――。
 ふと、ある違和感に気が付いた。何かが欠落しているような、何かがいつもと違うような、漠然とした違和感がある。
 それが何なのか、すぐにはわからなかった。
 だが、意識がはっきりとしてくるうちに思い至った。
「わたし――私はアリス。アリス・マーガトロイド」
 違和感は名前だった。咄嗟に浮かんでこなかったのは、他でもない自分の名前だったのだ。
「そうだ、私……」
 よろける身体を、なんとかバランスをとって歩み出す。
 名前を思い出したからか、身体を動かしたからか。次から次へと脳内で情報が飛び交い始めた。
 この薄暗い場所は、そう、自分の家の地下だ。確かここで、何かをして――ああ、そうだ、この匂い。この土の匂いで思い出した。
 そうだ、私は人形を作っていたんだ。それも普通の人形じゃなく、泥でできた人形。ゴーレムという秘法を用いた泥人形を。
 思い出せば思い出すほど、歩みが止まっていく。そしてついには、一歩も前に踏み出せなくなった。
 理由は明快だ。
 アリスには、直ちに振り返って確認しなければならないことが、ある。
「…………っ」
 唾を飲み込んで、背後に首を回す。自分が倒れていた方へ、ゆっくりと。あることを確認するために。
 地下室はそう広くない。少量の本と人形たち、魔法の実験で必要な道具の数々を壁際の棚に陳列しているくらいで、あとは蝋燭の灯りがぽつぽつとそこいらに灯っているのみである。
 そして床面。絨毯を敷いてはいるが、布一枚を隔てた向こうは、もう土塊だ。だからここはいつでも冷え冷えとしている。
 アリスはその床面をじっと見つめ、
「――――ない」
 と言って、ぶるりと身体を震わせた。
 寒さからではなく、ある種の恐怖心から身体が震え上がった。
「なんで、」
 頭痛も忘れ、ある一点を凝視する。
 絨毯の上に敷かれた、薄茶色をした何か。材質は薄い木材だ。そしてその敷物は、ところどころが汚れていた。
 乾燥した土――それが汚れの正体だった。
 触ればぼろぼろと崩れてしまうであろう、脆そうな土が、無造作に散っている。まるで誰かが、ここで泥遊びをしたままほったらかしにでもしているかのように。
「なんで――ないの?」
 憔悴が電気に変化し、稲妻の如く頭上から足の爪先まで一気に駆け巡った。息を吸うことさえまともにできず、その場にへたりこんだ。
 大変なことになった、と唇を噛んで俯く。これほどの失態は、生まれて初めてかもしれなかった。
「どうしよう……」
 アリスが犯した失態。
 それは、制作したゴーレムの紛失だった。

          2

 これほど全力を出して走ったのは、いつ以来だったかしら――。
 月明かりだけを頼りに、アリスはひたすら走り回っていた。消えたゴーレムを探し出すため、真夜中の幻想郷をあてもなく彷徨っている。
「はッ、はあ、……ッ」
 唾を飲み込むたび、血のような味がして不快だった。しかし、不快なくらいでこの足を止めるわけにはいかなかった。どんな事態に陥っているのか、皆目見当も付かない状況なのだ。
 ――ゴーレムの秘法は、おそらく成功した。
 ゴーレムが起き上がった瞬間のことも、薄らとだが覚えている。その後、意識を奪われたことも。
 昏々と沈んでいたのは、果たしてどれくらいの時分だっただろうか。身一つで慌てて出てきたため、時間を確かめようという機転がきかなかった。そんな余裕もなかった。
 こうして走り続けている今も、どれくらいの時間が経過しているのか、まるでわからない。そんなこと、気にしている暇もない。
 だが体力には限界がある。
 息も絶え絶えになり、ついには両の足の底が地面にくっついた。もう一歩として踏み出せそうにない。
 アリスは口を大きく開けて、天を見上げた。肺が最大限にまで機能を上げ、酸素を取り込んでは体内に送り、二酸化炭素が巡ってきては吐き出す。繰り返し、心拍が落ち着くまで。
 その間、ゴーレムのあることについて思い返していた。
 それは「暴走」についてである。
 ゴーレムは泥から生み出される生き人形であり、一切の感情を持ってはおらず、ただ持ち主の命令を聞くだけ――と、これが普通のゴーレムの仕様だ。主人に忠実であり、勝手に動いたり暴走したりすることは断じて有り得ない。
 しかしイェツィラの書に記されていたゴーレムは、この基本を守っていない。そもそも基本通りに、命令を聞いてそれを実行に移すだけの人形ならば、苦労してまで作ろうとは思わなかっただろう。
 写本ではあるが、パチュリーから貰ったイェツィラの書のゴーレムを作る気になったのは、自律人形だとそこに記されていたからだ。自律人形でなければ、苦労して解読をし、泥をこねてまで作る意味がない。既に、自分で創りあげた、傑作ともいえる上海人形がいるのだから。
 そして書の秘法は自律人形であるからこそ慎重にならなければならない項目があり、それが暴走に関することだった。
 普通のゴーレムは土くれから作られる。それは書のゴーレムも変わらない。
 違うのは、自分で動くか人が動かすか――そして食事がいるかいらないか、だ。
 ただの泥人形なら食事など必要ないのだが、書のゴーレムのように自律で動くとなれば、当然動くための原動力が必要となる。人間が生存するために食事が必要なように、書のゴーレムもまた、原動力確保のために食事が必要になる。主人からの魔力供給に滞りがなければ問題ないが、途切れた場合、ゴーレムは手当たり次第に食事を敢行しようとするに違いなく。
 そうなれば――そこから先は、考えるまでもないことだ。
 これが書に記された暴走と呼ばれる現象であり、自律人形であるからこそ起きてしまう、しかしごく自然的な行為なのである。
「あぁ……」
 アリスは吐息とともに瞳を閉じた。呼吸はすでに落ち着きを取り戻しており、心音もかなり静まってきている。
 ここまで必死に探してみたが、ゴーレムの背中すら拝むことができなかった。今頃どこで何をしているのか、想像すらつかない。ざっと辺りを見回してみても、草木たちが静謐の中に沈み込んでいるだけで、人影などありはしなかった。月だけが、存在を強調するかのように白光を放っている。
 どうしようもない。
 それが現時点での答えだった。

          3

 失意のまま自宅に戻ると、真っ先にベッドに倒れこんだ。
 動かすたびに痛む両足をそっと伸ばし、空を飛んでいけばよかったのではないか、と今更ながらに思った。情けないことこの上ない。
 うつ伏せになって枕を抱き寄せ、顔を埋めると、太い嘆息が漏れた。
「どうしよう……」
 どうしようもないと諦めて家に戻ってきたというのに、浮かんでくる考えは――浮かんでくる言葉は――一つだった。
 が、しかし。
 どこにいるのかわからない。何をどうしているかわからない。どうしていなくなったのかもわからない。
 ないない尽しのこんな状況では、どうしようもないと匙を投げる以外、やれることがないではないか。
 アリスは奥歯を噛んで髪を掻きむしった。自分の不甲斐なさを呪い、消えたゴーレムを恨んだ。
 絹のように繊細な金髪を乱したまま、枕から顔をゆっくりと上げた。何かヒントのようなものはないだろうかと、部屋を見渡しながら思慮を巡らせる。
 まず目についたのは、壁際に並んだ大きい家具たちだ。
 本棚に置時計、それから黒檀使用のクローゼット。身体を丸々映せるミラーなんかもある。これらは自分の身長より高く、大きな物で、特にクローゼットは人が一人、楽々に入れてしまうほどの大きさだ。
 小さな物でいえば、クローゼット横にくっつけた洋ダンスと、そこいらに転がる西洋人形が三体ほどで、ベッドの傍にはゴミ箱があり、窓にはカーテンがかかっている。
 それに、壁に直付けされているハンガーをかける留め具が――留め具が、
「そうだ!」
 突然湧出してきた名案に、つい叫んでしまった。今が深夜であることも忘れて。
 急いで机のあるところまで駆け寄り、乱暴に椅子を引くと、そこの座面に腰を下ろした。ちょうどへそに位置する場所にある引き出しを開け、中から大きめのメモ用紙を取り出す。
 次いで机上に置いてあるインクの壷を手繰り寄せると、蓋を回して開けた。清涼な香りが一気に広がり、一瞬、意識が澄み渡るような錯覚に陥った。
 間断なく、ペン立てに突き刺さっている羽根ペンを一つ手にし、先端をインクで濡らす。用意したメモ用紙に視線を落とすと、今し方閃いた名案を頭の中でまとめ、ペンをはしらせていった。
「よし!」
 一文を書き終えると、つい笑みがこぼれた。殴り書きのせいか、字が魔理沙のソレに見える。
 他人のことは言えないな、と思った。

          4

 翌朝、夜中に書き留めておいたメモ用紙を見下ろした。
『朝一番、ナズーリン』
 結局一睡もできなかったわけだが、不思議と眠気はやってこなかった。昨夜の閃きのおかげで行き先に明るい兆しが見えたからかもしれない。
 おもむろに窓に寄り、カーテンを開くと、朝陽の光が一斉に射しこんできた。
「おぉ」
 思わず声を漏らしまうほどの、見事なブルースカイが視界一杯に広がった。雲もほとんどなく、まるで夏の空模様でも見ているかのよう。
 しかしながら、今はまだ春の気が残っている。陽射しは夏のような強いものではなく、柔らかで優しいものだ。
 しばらくその暖かな日光に身を委ね、和やかな一時を味わっていたアリスだったが、心に区切りをつけるようにカーテンを閉めて身支度を始めた。
 もう少しこのままでいたいという気持ちもあったが、早めに出ないと目当ての人物が掴まらない恐れもある。相手が相手なだけに、余計にそう感じてしまうのだろうが。
 何せ今から逢いに行こうとしているのは、ナズーリンと呼ばれるネズミ妖怪だ。ちょこまかと動き回ることで知られる、あのネズミである。
 どれだけ慎重を期しても、し足りないということはないだろうと、アリスは手櫛で髪を整えながら心の中で呟いた。


 ナズーリンは命蓮寺と呼ばれる寺に棲んでいる。
 ここには数多の妖怪が棲んでいるが、妖獣や幽霊なんかもいたりして、日頃から結構な賑わいぶりを見せていた。
 そんな命蓮寺に対し、アリスは苦手意識を持っていた。
 理由は二つある。
 一つは、棲みついている妖怪の多さだ。
 もともと人間だったアリスにとって妖怪は負のイメージが強く、命蓮寺は雰囲気からして受け入れがたいものがあった。
 もう一つが――というよりこちらが本命だが――この命蓮寺の主である魔法使いの存在だ。
 聖白蓮という、アリスにとっては先輩格にあたる魔法使いなのだが、この白蓮が最大の障害だった。
 白蓮は高名な魔法使いであり、女ながらに僧侶でもある。妖怪にも理解があり、この命蓮寺を開いたのも貧弱な妖怪を助ける目的があったとか。もちろん人間たちからの信もあり、評判だけなら幻想郷で一、二位を争えるほどの女性である。
 どの角度から見ても善良な女人だが、それでもアリスは苦手意識を持っていた。
 正直に言ってしまえば、鬱陶しいの一言に尽きる。干渉されるのが嫌いなのだ、性格的に。
 白蓮は他人の世話をするのが生き甲斐のような節を持っている。いや、単刀直入にいって、かなりのお節介焼きだ。長く生きているせいなのか、もともとの性分なのか。とにかく、逢えば何かと世話を焼きたがる白蓮が、かなりの重荷に映るのだった。
 これがまだ目上の者でなければやりようもあるのだが、純粋な(それも大先輩の)好意を断りきることは至極難しいことであり、だからこそ最大の障害となっている。
 今日は見つかりませんように、とアリスは祈りながら命蓮寺の敷地に両足をつけた。

 命蓮寺の朝は、予想を遥かに上回る慌ただしさだった。繁盛しているのは知っていたが、これほどだとは露にも思っていなかった。そのくらいの盛況ぶりだった。
 何より目を引いたのは、先程から目の前を横切っていく人間の多さである。ここは妖怪のために建てられた寺だと聞いていたのだが、とアリスは首を捻った。
「――っと。そうじゃなくて」
 人間の多さに関心を抱いている場合ではない。今日の目的はナズーリンなのだ。
 アリスは気を取り直して辺りを見回してみた。
 しかしすぐに、それが無謀なことなのだと悟った。これだけの人だかりの中から、小さなネズミ娘一匹を探し出すのは至難の業だ。骨が折れるというレベルではない。
「うー……」
 ごったがえす妖怪たちの群れを見渡しながら、アリスは未練がましく呻った。何でこういうときに限って、と内心で毒づく。
 救いの手が伸びてきたのは、とりあえず歩き回りながら探してみようと試みてから十分ほどが経った時だった。
「おや。七色の人形遣い、とやらじゃないか」
 声をかけられ目線をそちらにずらすと、竹箒を握った寅丸星がいた。どうやら掃除でもしていたらしい。
「ああ、貴方だったの」とアリスは寅丸を見据えながら言った。「おはよう」
「おはよう……って、珍しいね、貴方がここにいるなんて。むしろ初めてなんじゃ?」
 アリスよりも幾分濃い金色をした髪をワシワシと掻きつつ、星は不思議そうな顔で訊ねてきた。
 頭髪を無造作に掻いているせいで、頭上に載っているリボンのような物も一緒になって揺れ動いているが、本人は気にもしていない様子だ。
 星は毘沙門天という名の神の使いらしく、トラ模様の腰帯らしき物をいつも身につけている。
 アリスは過去、その腰帯に大いに興味をそそられたことがあった。本人に聞くのは失礼かと思い、パチュリーから本を借りて調べてみたのだが、どうにも理解が及ばない。そもそも毘沙門天がどんな神なのかも知らなかったこともあり、徐々に調べるのが億劫になっていき、途中で放り投げたのだった。
 だからこうして星と相対すると、どうしても腰帯に目がいってしまう。それを悟られまいと、アリスはわざとらしく腕を組んで答えた。
「そうだったかしら」
「少なくとも、私は見たことがない。それにカチューシャだっけ? あの髪留めみたいなやつ。あれを付けてない貴方も初見だ」
「確か一度は来たことがあったと思うのだけれど。カチューシャは、」
 あれ、そういえばなんで付けてないんだろう?
 アリスは疑問に思いながら髪に触れた。毎朝欠かさず付けているのに。これが「ど忘れ」ってやつかしら。
「忙しくて付け忘れてきちゃったのよ」
 それとなく言い訳を返すと、星は「ふーん、マメな性格してるのに」と流した。
 で、たった今思いだしたと言わんばかりに、
「マメと言えば、あの不真面目な黒白ならしょっちゅう来てるよ」
「……黒白?」
 黒白、と聞いて連想したのは一人だけだったが、一応確認をとってみる。
「魔理沙のこと?」
「他にいるか?」
 きっぱりと言われてしまった。
「まぁ……いないわね」
「だろう。もはや黒白に改名しても通じるんじゃないか?」
 もちろんこの郷限定だが、と星は白い歯を覗かせた。
「かもしれない」
「そんなことはどうでもいいんだけど。そっちの用件は何だった? 聖に逢いたいとか?」
「いやいや」アリスは顔の前で敏捷に手を振った。「全然違うわよ」
「そうなのか。この寺に用向きといえば、大抵は聖の名が出てくるものなのだが」
「そんな面倒――じゃなくて、忙しい白蓮さんを呼ぼうだなんて、これっぽっちも思ってないわ」
 思わず出かかった本音は、なんとか誤魔化せたようで、
「へぇ。貴方は聖のことを白蓮さんと呼ぶのか」
「本人からの要望でね。最初は様、がついていたのだけれど」
 格上の相手だしね、と付け足しながら、完全に話題が逸れ始めたことにアリスは安堵した。
「白蓮様か。そっちの方がしっくりくるような気もするが」
「それは貴方たちから見れば、でしょ。さん付けは普通だと思うわよ」
「アリスさん、ねぇ。貴方の場合、アリスと呼び捨てにする方が言いやすいかな」
「貴方も。寅丸さん、より、星の方が呼びやすいわ」
 数秒の間、視線を交わし合った後、星の口元が緩んだのを見てアリスも微笑んだ。
「貴方という言い方も、些か他人行儀な感じがしていたし。どうだい、この際、お互い呼び捨てにするっていうのは」
「反対する理由もないし、それでいいわよ。星」
「オッケー、アリス」星は竹箒の柄の先に手敷きをし、そこに顎を乗せた。「で、用件は何だったんだ?」
「そうそう。ナズーリンを探していたのよ」
「ナズーリンを?」
「ちょっと能力を貸して欲しくてね」
星の顔が持ち上がる。
「探し物か」 
「まぁね。ちょっと立ち入った話だから、ここで話すのは憚られるのだけれど」
「なるほどねぇ。わざわざナズーリンを訪ねて来るくらいだから、余程のことなんだろうな」
 けど、と人差し指を立てて、
「ナズーリンは今、ここにはいないよ。ちょっと遠出しててね」
「遠出?」
「そう。ちょっくら地霊殿の方までね。理由までは聞いてないけど、二日くらいはかかるんじゃないかな。早朝に出て行ったよ」
「そう、だったの」
 さすがに落胆せざるを得なかった。
 名案だと浮かれていた自分が急に恥ずかしくなり、アリスは髪を強く引っ張った。
「地霊殿に行けば逢えるかもしれないけど、どうする?」
 星の問いには、頭を振って答えた。
「それじゃあ遅いの。ちょっと急ぎでね」

          5

 ナズーリンの能力はダウジング――つまり探索能力である。
 ネズミらしい能力だと小馬鹿にする者も稀にいるが、とんでもないことだ。たとえ無意識下で失くしたものであっても探し出せてしまうのだから、重宝されない理由がない。
 だというのに、アリスはその点のことをすっかり忘れてしまっていた。
 確かにネズミはちょこまかと動いていて落ち着きがない。ただナズーリンの場合は、それが普通のネズミとは違い、万人に重宝される能力を有しているが故に当てはまってしまうだけなのだ。
「あー……どうしよう……」
 自宅に戻り、作業机に両肘をついて頭を抱えること早二時間。硬い椅子にお尻を乗せているだけで、何一つ生産性のある行動はとれていない。このままどれだけ悩もうとも、自然と解決策が湧いてくるとことはないだろう。
 それはよくわかっている。こうして二時間を無為に過ごしているのが、その証左だ。
 が、では一体どこの誰に頼ればいいのか。じわじわと憔悴感が胸に広がるばかりで、一向に打開策を打ち出せないまま時間だけが過ぎていく。
 イェツィラの書に記されていたゴーレムの秘術――それが成功の尾を見せた途端、これだ。まさか逃走してくれるとは。
 だがこの逃走劇こそ、秘術が完全だったことを意味している。
 書のゴーレムは自律人形だ。反抗もすれば逃げたりもするのは当然のことであり、非自律人形には持ち得ない特性なのだから。
 アリスは自分を鼓舞するように、何度も頭の中で成功の二文字を反芻させた。それしか不安を払拭させられそうにもなかった。
 やがて、ほんの少しではあるが前向きになれたのを機に、椅子から立って肩を叩いた。座っていただけだというのに、妙に肩が硬くなっている。
「よし」
 ナズーリンにゴーレムを探させようと思ったが、それは失敗した。
 ならば――。
「やるしかない」
 拳を固めて意気込む。そうだ、他人が頼れないのなら、自分でやるしかない。
 アリスは玄関に向かい、脇に置かれた上海人形を一体持ち上げると、靴を履いて玄関の扉を開いた。
 自力でゴーレムを探すために。

 しかしこの二次捜索は、二時間も経たないうちに切り上げる羽目になった。
 出かけてから三十分としないうちに身体がだるくなり始め、一時間を過ぎる頃には頭痛まで発症し、捜索どころではなくなってしまったのだ。
 こんなこと今まで一度もなかったのに、とぼやきながら、ほうほうの体で帰宅した。
「いっ、」
 ベッドに寄りかかる寸前、つい声が漏れた。針にでも刺されたかのような鋭い痛みが、後頭部を襲ったためだ。
 帰宅途中、頭痛の原因は風邪ではないかと疑ったが、身体のだるさはあっても発熱がない。となると、心当たりは一つしかなかった。
 ゴーレムだ。
 おそらく、後頭部を殴られたことによるダメージ――もしくは後遺症のようなものだろう。
 意識を刈り取られるほどの衝撃だったし、こうして時間を置いて頭痛となって現れてくるのだから、脳に何か異常が起きたのかもしれない。
 ひとまずベッドに入ってひと眠りしよう。案外、目が覚めたら快復しているかもしれない。そんな淡い期待を胸に、アリスは着衣もそのままにベッドに潜り込んだ。
 天井をぼんやりと眺めながら、静かに瞼を閉じていく。
 と、その過程で、思考が凍りついた。身体も時間も、呼吸さえも凍ってしまったかのようだった。
「――――ぁ」
 蚊の飛行音よりも小さな声が、口から抜け出した。もう少しで閉ざされるはずだった眼も、はっきりと天井を映している。
「そうだ……、」
 ちくちくと痛む後頭部。そこに手を当てながら、アリスは現在の信じられない気持ちを言葉にした。
「どうして、私は後ろから殴られたの?」
 ゴーレムは目の前にいたのに。


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この小説へのコメント

  1. おおおおお!?
    何なんだこのぞくっとくる終わり方!!
    続きが気になります!!

  2. 怪しいのはパチュリーですね。でもパチュリーご自律人形を持った所で利点がない。ミステリーですね。

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