東方二次小説

幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編   マリオネット前編 第4話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編

公開日:2015年09月16日 / 最終更新日:2015年09月16日

第三者の章

          1

「みいら?」
 目を輝かせながら話をしてくる文だったが、霊夢には何のことなのかさっぱりわからなかった。
「何それ」と聞き返すので精一杯だ。
 途端に文の肩が落ち、憐れむような視線まで寄越してきた。
「霊夢さん、ミイラも知らないんですか」
 つい先刻まで、霊夢は何をするわけでもなく、この縁側に腰をかけてぼーっと空を見ていた。手持ちぶさただったこともあるが、晴れた日は大抵、ここで景色を眺めながら茶を啜っている。
 そんなのどかな時間を楽しんでいたところへ、突如現れたのが文だ。しかも事件がどうとかみいらがどうとか、勝手に喋って勝手に盛り上がっていた。仕方なくこちらは聞き手に徹していたというのに、一方的に小馬鹿にされるいわれがどこにあるというのか。
 少しばかり腹が立ったが、話に興味が出てきたので堪えることにした。もっと情報を引き出してやろうじゃないの。
「も、という表現は正しくないけれどね」
「そうでしょうか。なんだか霊夢さんって、博識そうに見えて、実は頭の中は空っぽなんじゃないかって」
 最近とみに思うようになってきたのですよ、と言う。
 端整な顔立ちをしている文の、その可愛らしい鼻面に拳を入れたくなった霊夢だったが、必死に自制した。
 何分、相手は記者だ。殴ったりなどしたら、後でどんな記事をばら撒かれるかわかったものではない。ペンは拳よりも強く、剣よりも強いのだ。
「で、そのみいらって言うのは何よ」
「これですよ、これ」
 ポーチのようなものから取り出したるは、一枚の写真だった。手渡された写真を、何気なく拝見する。
 が、次の瞬間には目を逸らしていた。
「何よこれ、気持ち悪いっ」
 吐き捨てるように言って、霊夢は写真を突き返した。
 しかし文は受け取ろうとしない。それどころか、とんでもないことを言ってきた。
「気持ち悪いとは人聞きが悪いですね。もうちょっとよく見てみて下さいよ」
「見るわけないでしょ! ああヤダ、これ、呪いの写真とかじゃないわよね」
「大袈裟ですね」
 それに、と意味深な言葉が続く。
「そんなに邪険に扱ってもいいんですかね、それ」
「はぁ?」
 わけがわからなかった。写真のせいで胸を悪くしたのはこちらだと言うのに。こんな紙切れ一枚に神経を割けと?
 文は鴉天狗という妖怪であり、記者をしている。だからいつも首からカメラをぶらさげているのだが、それがまた似合っていた。鴉天狗というだけあって、服は天狗のそれだし、下駄なんかも履いている。カメラとは縁遠く見えても、こうして一見すると似合っているとしか言いようがなくなるのだ。
 そんな文は、快活で曲がったところのない、いわば正直者の性格をしている。屈託のない笑顔を振りまき、自分が信じたことには一切疑いを持たず、一直線に向かっていく実直家だ。話し方なんかも、もったいをつけて話すことはまずない。
 だからこうして意味ありげに遠回しな表現をされると、困惑せざるを得なくなる。
「どういうことよ」
 声に苛立ちを乗せると、文は苦笑して自分の額をぴしゃりと手打ちした。
「あやや、これは怒らせちゃいましたか」
「……別に怒ってはないけれど」
 こういう風におどけられると、こちらも強引に出られなくなる。それが自然とできるのは才能なのだろうが、それにしても鮮やかなものだった。
 そして変わり身の早さも、彼女の才能の一つだ。
 霊夢の手から写真を取り上げると、文の目がいつになく鋭くなった。
「これ、元は人間なんですよ」
「人間?」
 霊夢は突き出された写真を恐る恐る見た。自然と眉間に力が入る。
「嘘でしょ」
「いいえ、本当ですよ。名前は金本理沙さん、二十二歳の女性です。人間の里で静かに暮らしていた一般人です」
「……なんで人間がそんな風になるのよ」
「だから事件なんですって。普通の死に方だったら、こんなスクープ扱いしませんよ」
 言って、またもポーチから出してきたのは、四つ折りに畳まれた紙だった。
 受け取った霊夢は、さっそく開いてみた。
『幻想郷で生きミイラ。犯人は?』
 見出しに大きく書かれている文字から順に目で追っていき、どれだけ小さな文字も見落とすまいと目に力を入れて読んでいく。
 そのうち、徐々に鼓動が早くなっていった。
 事件となれば「幻想郷の仲介人」とも揶揄されている自分の出番が来る。しかも文が言ったように、この事件は異質だ。これからどんな展開になっていくのか、まったく予想がつかない。
 記事を読み終えると、写真に写されたミイラを気持ち悪いと言ってしまったことに罪悪感を抱きながら、重々しく紙を畳んだ。
「文々。新聞、始まって以来の怪奇事件です」
 ポーチに記事を仕舞い込む文。
『文々。新聞』というのが、彼女が書いている記事――新聞の名称だった。
「なんか、きな臭い事件ね」
「ですよね。妖怪の仕業にも見えますが、この郷でのルールを破ってまで襲う理由が見当たりませんし」
 自分の膝に肘をつき、文は吐息をついた。
「人間がやれることでもないと思えますし」
「そりゃそうよ、こんなに干からびてるのに。死後の経過が長いわけでもないんでしょ?」
「はい。記事にも書きましたけど、ここ二日くらいの話ですからねぇ」
「だったら人間じゃ無理じゃない? もしかしたら何かしら方法があるのかもしれないけれど、ミイラだっけ? こんな小細工をするメリットがあるかしら」
「メリットなら」文の表情が明るくなった。「山のようにあると思いますよ」
「そう? 例えば?」
「そうですねぇ、やっぱり一番大きいのは、直接的な死因をはぐらかせる点でしょうか。妖怪の仕業と見せかけることで、容疑から逃れるといったことも考えられますし」
「……そうね」
 文の言い分はもっともなことだった。
 と言うより、霊夢の方が頭の回転が鈍すぎると文句を言われても仕方のないレベルだった。
「メリットを挙げるならいくらでも挙げられそうですが、問題は仕掛けですね。こんな真似、人間風情にできるとは思えません」
 写真をひらひらとさせながら、飄々とした態度をとる文に、少しむっときた。
 霊夢も人間の一員であり、まるで人間そのものが無能と言われているようで腹が立ったのだ。
「わかんないわよ」思わず挑発的な声調になった。「何か方法があるのかも」
 先ほどの「人間には無理だ」という主張を翻す意見に、文は目を丸くさせた。急に変わった風向きを、どう捉えていいかわからない様子だ。
 だが――やはり、自分の脳はそこまでつくりがよくなかった。お頭が足りないからこそ、これまで力に訴えてきたのだから。
「暖炉で蒸すとか」
「……蒸した程度で干からびますかねぇ。というか、炙るの間違いですよね、それ。そうすると足先とかが焦げると思うのですが」
「監禁して一切水を与えなかったとか」
「事件は一日どころか半日もかかってないみたいですけどね」
「首を切って出血多量――」
「外観に傷等は認められませんでした。といっても枯れちゃってるので、かすり傷程度ならあるのかもしれませんが。少なくとも肉体に大きな損傷は見受けられませんでしたね」
 ことごとく案を否定され、しかも全て筋が通っているとくれば、口をつぐむしかなくなった。
「まぁ、なので」文は苦笑した。「摩訶不思議な奇怪殺人事件なのですよ」
「……そうね」
「さっきも言いましたけど、多分これ、人間の仕業ではないですよ。なのでこうしてここに来たんですけど」
 文の顔から笑みが消える。
 霊夢は幻想郷の異変を解決するエキスパートであり、今まで数々の実績をあげてきた博麗神社の巫女だ。
 つまりこの事件は――。
「妖怪による異変騒動、と捉えてしまって問題ないんじゃないでしょうか」
 そして、それを解決するのは霊夢さんのお仕事ですよね、と言って、文は立ち上がった。
「私の方も色々と調べていますけど、霊夢さんの方でもお願いできませんかね。できれば犠牲者は一人で済ませたいでしょうし」
 裏を返せば、妖怪側にとっては放置しても問題ない事案だという意味合いの台詞だったが、指摘はせずに頷きながら返事を返した。
「わかった。また情報入ったら教えて頂戴」
「了解ですよ」
 文は早々と空の彼方に消えて行った。

          2

 霊夢は卓袱台の上で頬杖をつくと、文から渡された資料を読み始めた。
 資料は文のお手製で、写真も添えてある。彼女は一旦帰宅したらしいが、これを渡すのを忘れたことに気が付いたとかで、引き返してきたのだった。
「金本理沙、ね」
 被害者の名前を読み上げ、その写真を見てみる。
 咲夜のような切れ長の目が特徴的な、髪の長い女性だった。自分より幾分年上で、知的な雰囲気を備えている。この風貌なら、男性うけもいいだろう。
 二枚目の写真は、衝動的に放り投げようとした写真と酷似しているが、こちらはより俯瞰に徹された写真だった。
 雑木林の茂っているような場所で、仰向けになったまま口を開いて倒れている女性のミイラが写っている。まるで朽ち果てて自然の一部となった樹木の、やせ細った胴体を思わせる外観だったが、第一発見者はよくこれが女性だとわかったなと、正直驚いた。
 そして三枚目の写真は、更に高い場所から撮られたもので、迷いの竹林に見えた。もしかしたら迷いの竹林で発見されたのか。
 霊夢は三枚の写真を卓袱台の隅に追いやると、さっそく本文の方にとりかかった。

 金本理沙(二二)は独身の女性で、家族構成は父と母のみの三人家族。
 ただし独身ではあるが、恋人はいる。職業は無職で、現在は母親に家事を仕込まれている。いわゆる花嫁修業の最中である。
 恋人の名は鬼頭湊(二二)、同い年で幼馴染みでもある。職業は樵。こちらも独身だが、家族はいない。両親は、彼が幼い頃に他界している。身元を引き受けたのは上白沢慧音。
 恋仲である二人の付き合いは長いようだが(あくまで私見)、近所の間ではまったく認知されていなかった。
 幼馴染みといっても、寺小屋で一緒に勉強した仲、程度にしか思われていなかった。二人からしてみれば、してやったりだっただろう。女性については、両親さえ騙しきっていたのだから。
 事件は二日前の、六月十六日(火)に発生。
 最初に異変に気が付いたのは女性の母親で、八百屋で仕入れてきた果物を切っていた時だった。
 夜の八時頃、二階からどん、と変な音がした。住居は二階建ての一軒家だ。何事かと一瞬は思ったらしいが、どうせ娘が何かしているのだろうと思い込み、気にしないことにした。
 しかし果物が切り終わり、呼びかけてみても返事がない。眠ってしまったのかと思い、しばらくは放置していたが、どうにも気になり二階に上がっていった。そして娘の部屋の襖を開けてみたが、娘の姿はなかった。
 大窓が開いていることに気を取られながらも、家中を探してみた。が、娘はどこにもいなかった。夫も知らないと言う。
 いよいよ事態の深刻さに気付いた二人は、様々な方面に協力を要請しながら娘を探し回った。
 若い女が外を出歩く時間ではないし、何より玄関に娘の履物があるのは不自然極まりないことだ。出歩く際に履物は必須のはずである。
 里の中にいることを願いながら探したが、娘は見つからない。仕方なく捜索の手を広げた。
 それから一、二時間ほどが経過した頃、父親は迷いの竹林付近までやってきていた。中に入ってしまうと迷う恐れがあったが、気にしている場合でもなく、里の者と協力し合って中に入ることにした。
 ところが竹林に踏み入れて間もなく、長々と伸びた雑草の中に、変な物体が落ちているのを見つけた。
 それは浅黒く、あらゆる部分がひび割れていて、樹木の幹の一部に見えた。第一印象通り、はじめは木の破片が転がっているのだと思った。
 だが、それが間違いだと父親が気付けたのは、物体に引っかかるようにくっついていた着衣に見覚えがあったからだ。
 いや、見覚えどころではない。その着衣は、父親が娘の誕生祝いにと二年前に買い与えたものだった――。

「なるほどね」
 資料を読み終えると、目頭を摘まんで揉んだ。筆で書かれた文字はかなりの達筆で読み辛く、おかげで目が疲れてしまった。
「それにしても――」
 卓袱台の傍に置いておいた盆を引き寄せると、手探りで湯呑みを掴んだ。中身は淹れたての熱い緑茶だったはずだが、すでに冷え切ってしまっている。
「誰がこんなことをするのかしら」
 盆に湯呑みを戻し、再び写真と資料に向き合うと、改めて疑問が生じた。
 事件の概要は、資料のおかげでおおよそ把握できた。しかしここから先は、本質を探っていかなければならない。
 仮にこの事件が妖怪のせいであるとするのなら、まず間違いなく何かしらの意味があるはずだ。人間社会でいうところの動機である。
 人間は心情が脆いが故に、突発的な殺人を犯してしまいやすい。
 だが妖怪に、心的なブレなどほとんどない。冗談や遊びの感覚でなら、思いつきで軽めの事件も起こすだろうが、衝動的に殺しのような重要事を行うことは絶対にない。
 妖怪が人間を殺すときは、それ相応の理由があるはずなのだ。その場限りの感情などという、不確かなものではなく。
 例えば、捕食。
 これは今、幻想郷内では禁止されていることだが、少し前までは当たり前のように行われていたことだ。
 捕食とは即ち食事である。命ある者は食べていかなければ死んでしまう。妖怪にとって人間とは、ほんの少し前までは食糧そのものだったのだ。もし禁止令が解かれたり食料危機でも起きたりすれば、彼らは再び人間の捕食を始めるだろう。
 それから、復讐。
 やられたらやり返す――当然のことだ、妖怪にとっては。いや、妖怪だけではない。虫から獣に至るまで、皆が皆そうだ。理性や道徳心で何とかしようと必死になる人間を除いて。もちろん、そんな「目には目を」的な思考に至らない賢い妖怪もいるが。
 思いつく限り、あとは存在意義か。
 妖怪には特性というものがある。その特性が「殺す」ことに特化していると、生物に無差別に襲いかかっても不思議はない。
 他にも細かい違いはあるかもしれないが、霊夢が巫女として培ってきた知識や経験則からいけば、大筋はこんなものだ。
 この「相応の理由」を踏まえて今回の事件を見てみると、該当するような妖怪がいるようには、どうしても考えられなかった。
 知らない、でもいい。
 ただ、霊夢も博麗の巫女であり、プライドもある。幻想郷の全てを把握しているとは言わないが、それでも「ほぼ把握している」とは断じられる。
 では、その知らない一部が今回の黒幕なのだろうか?
「いや――」
 違うはずだ。新たな妖怪が出現したというのなら、ある人物がここに来ているはずである。
 直近でここに来たのは文のみ。事件から二日も経っているのに来ていないということは、これは既存の妖怪種――もしくは精霊か人間のせいということになる。まさか事件を認知していないわけがないだろうし。
 しかし、その「誰か」がわからない。記憶を底ざらいに探っていっても、片鱗さえ見つけられそうにない。
「……参ったわね」
 頭がふらついた。額に手を添えると、熱を帯びていた。
 この事件はかなり手強いものになりそうだと、霊夢は暗澹たる思いで溜め息をついた。

          3

 金本夫妻は、玄関から出てくるなり文句を言ってきた。
「あんたを見損なったよ」
「やっぱり妖怪の味方なのね」
 文句というよりは嘆きに近かったが、声には責めの感情が帯びていた。しかも片親だけではなく、夫婦揃って眼を飛ばしてくる。
 参ったな、と霊夢は早くも挫けそうになった。
 きっとこの事件は一筋縄ではいかないだろうと予想していたが、こんな形でその思いが実現されようとは。
「あの」おずおずと切り出してみる。「詳しい話を伺っても?」
 下手に出たつもりだったが、相手の夫は太い眉を吊り上げ、目を剥いて怒鳴ってきた。
「詳しい話だと? 少しは調べて来たんじゃないのか」
「あ、いや、」
「我々を馬鹿にしているんだろう? でなければ見下しているのか。里の者なら誰でも知っていることを、なぜあんたは知らないんだ」
 そんなことを言われてもと反論したくなったが、できる状況でないことも理解している。ここはぐっと堪えるしかない。
「そんなの決まってるじゃない」
 夫の言を引き継ぎ、妻の甲高い声が空気を裂くように飛んでくる。
「妖怪神社の巫女だもの」
 さすがにそれはないだろう、と心の中で言い返すも、社に妖怪が頻繁にやって来るのは事実だ。妖怪神社というネーミングはあながち間違いではない、かもしれない。
「きっと黒幕を隠してるのよ、この女は」
「でなきゃ辻褄があわないしな。もう二日も経ってるのに、詳しい話を聞かせてくれだなんて。あんたさ、芝居してるんだろ?」
「…………」
 相手の剣幕におされて黙ってきたが、それもそろそろ限界だった。拳には最大限の力が籠められ、いつでも発射できる状態だ。
 もし次に何か言いやがったら、その小さくて低い鼻めがけて即座に打ち込んでやる――。
 だが霊夢の燃えるような憤怒も、背後から聞こえて来た声のおかげで、一瞬で消え失せた。
「なんだ、霊夢じゃないか」
 振り返ると、上白沢慧音が意外なものを見たとばかりにきょとんとし、突っ立っていた。
「あ、慧音さん」
「久しいな。で……どうして霊夢がここに?」
 首を傾げると、長い水色がかった銀髪がそちらに傾いだ。
 慧音は中肉中背で、麗人と呼ぶに相応しい容姿をしている。面倒見もよく、聡明で包容力があり、常に他人から頼りにされている――まさに理想の人物像としてあげられる女性だった。
 霊夢とは正反対の性格であるが、だからといって馬が合わないわけではない。
「そういう慧音さんこそ。この時間は寺小屋じゃないの?」
 慧音は寺小屋で教鞭をふるっている。まだ陽も高く、いつもなら子供たちを相手にしている時間だ。
「今日は休みにしたよ。ちょっと用ができてな」
 そう言うと、慧音は金本夫妻の方に首を回した。
「お久しぶりです」慧音は微笑をたたえて言った。「もう六、七年ぶりですか」
「あ……どうも」
 夫がしどろもどろに答える。どうやらすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。
「こちらの霊夢が何か失礼なことでも? 怒鳴り声が聞こえたものですから」
「あ、いいえ」
 手を振りながら答えたのは妻の方だった。「ちょっと感情的になってしまっただけです」
 もともと愛想がいい方なのか、取り繕う彼女は穏やかな笑みを浮かべた。さっきまでのきつい物言いが嘘のようだ。
「そうですか」
 慧音の返事に、霊夢は憮然となった。
 そうですか、じゃない。この夫妻はとんでもない言いがかりをつけてきたのだ。もっと怒ってくれてもいいじゃないか――。
 しかしこれまでのやりとりを見ていない慧音に、そんなことを期待する方が間違いなのだということに思い至り、怒りを抑えて成り行きを見守ることにした。
 というより、直截できることなんてそれくらいしかない。
「それで先生、今日はどういったご用件で?」
 夫に訊かれ、慧音は「ああ、そうだ」と答えた。
「実は今日来たのは他でもない、あの事件のことについてです」
 険しい表情を取り戻した夫妻に、声のトーンを一つ落として続ける。
「少々お話を伺いたくて参ったのですが」
「はあ。それは別にかまいませんが、うちらに話せることなんて、そんなにありませんよ」
「それでもお願いしたい。何分、手がかりがほとんどない状況なのでね」
「そうですか」
 では、と入居をすすめる夫に、慧音は一礼して玄関へと入っていった。妻もそれに続いて入っていく。一人として霊夢に一瞥すらくれなかった。
 扉が音を立てて閉まる。直後、霊夢は舌打ちした。二度とこんなところに来るか、と家屋を睨んで。

 夕刻、縁側でごろ寝をしていると、溌剌さを体現するかのような笑顔で文がやってきた。
 いつも元気な彼女だが、今日は違う意味で元気になっているようだった。記者として、事件に対する好奇心が高じているのだろう。
 だが霊夢の心は、逆に萎えていた。返事をするのも億劫だが、一応意思表示はしておいた方がいいだろうと考え、「やる気なくなった」とぞんざいに言葉を投げた。
「えーっ」
 文の笑顔が瞬く間に渋面へと変わる。
 それでも切り返しの早い彼女は、すぐに喚くのをやめて理由を訊ねてきた。
「一体全体、どうしちゃったんですか」
「やる気がなくなっただけよ」
 そのままの姿勢で、面倒に思いながらも昼間のことを話して聞かせた。
 聞いている間は真剣だった文の顔つきが、終わると同時に呆けたものになる。
「それくらいのことで音をあげたんですか」
「それくらいとは何よ。十分な理由よ」
「信じられません」
「信じられなくて結構よ。記者の精神力と一緒にされちゃたまんないわ」
 記事のためなら何でもするあんたとは違う。死体の写真でも何でも撮れる、あんたとはね。
 そう心の中で嫌味を言い、霊夢は欠伸を一つした。
「うわぁ、本当にやる気なさそうですね」
「だからそう言ってるじゃない。慧音も動いてるみたいだし、当人たちで頑張ればいいのよ」
「むー、異変解決は霊夢さんの担当じゃないですか」
「こんなの異変でもなんでもないわよ。あれから何の騒ぎもないし」
「渦中かもしれないじゃないですか」
 珍しく喰いついてくる文に、霊夢は上体を起こして訊いた。
「何でそんなに調べたがるのよ。記事のため?」
「いやあ、それももちろんありますけど」
 意味深な返事が返ってきた。
「何よ。煮え切らない態度ね。はっきり言いなさいよ」
「では言いますが」
 文は一度、唇を舌で湿らせて、
「実は気になる証言をいただきまして。まだ当人から言質をとったわけではないのですが」
 記者らしい言い回しだなと思っていると、意外なことを言ってきた。
「どうやらここ二ヶ月くらい、アリスさんの姿を見ていないと言うのですよ。で、その原因はどうやら本にあるみたいで」
「本?」
「はい。ええと、なんていう本だったかな」文は手帳を取り出し、「ああ、『イェツィラの書』という本ですね」と読み上げた。
「い、いぇ?」
 使い慣れない発音のせいか、舌がもつれる。
「イェツィラの書です。知らなくて当然ですよ。魔導書の類いですから」
「ああ、そうなの」
 言われてみれば、アリスは魔法使いだ。人形遣いとしての印象が強く、忘れがちになってしまうが。
 しかし魔法使い専門の本となると、さっぱりわからない分野だ。そういう本をアリスが読んでいるというのも、あまりイメージが湧かない。本と聞くと、どうしてもパチュリーの顔が浮かんできてしまう。
「パチュリーさんが言うには、二ヶ月くらい前に香霖堂で手に入れたそうなのですが、中身が人形に関することだったみたいで。そのままそっくりアリスさんの手元に流れていったそうです」
「ふぅん。で、どうしてその本が事件と絡んでくるの?」
「この本はとっても解読が難しいらしいのですよ。だから二ヶ月かかっていても不思議じゃない、と推測していました。で、ですね、この本の中身なのですが」
 開いていた手帳を閉じ、文は人差し指を立てた。
「どうやら自律人形の作り方が書いてあるみたいです」
「――へぇ」
 自律人形といえば、アリスの夢であったはずだ。もしその書に作り方が書いてあるのなら、是が非でも読み解きたいと思っていることだろう。
「それはよかったじゃない」
「え? ええ、まぁ、よかったといえばよかったのですが」
 歯切れが良くない。それを不思議がっていると、
「ですから、この自律人形が今回の黒幕なんじゃないかな、と思っている次第でして」
 機嫌を伺うような視線を寄越してくる両目を、霊夢はじっと見つめた。真っ赤な二つの瞳が、揺れることもなく一点で静止している。
 一拍の間を置くと、霊夢は弁明するように嘯いた。
「実は私も、話を聞いててそう考えていたのよ」
 赤面を悟られまいと、すぐに立ち上がる。
 ちょうど夕陽の光が射してきており、都合良く頬が茜色に染まってくれた。

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この小説へのコメント

  1. あやれいむ!だんだんミステリーが本格化してきたので次も楽しみです!

  2. ようやく話がつながり始めたか・・・
    どうなっていくのでしょうワクワク

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