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聖白蓮さん、あなたに仏のお恵みを白蓮さん 前編   白蓮さん前編 第3話

所属カテゴリー: 聖白蓮さん、あなたに仏のお恵みを白蓮さん 前編

公開日:2015年10月29日 / 最終更新日:2015年10月29日

白蓮さん前編 第3話
「えー、この冒険もいよいよ佳境に迫って参りました。現地住人の協力を得て、灼熱地獄を切り拓くこと幾許(いくばく)か、様々な危難を乗り越え、わたしたちはもうすぐ、黒き聖なる翼のもとに辿り着こうとしているのでした!」
 聖に促され、すっかり忘れていた冒険の作法を水蜜が始めると、さとりはじっとりとした視線を容赦なく向けてきた。
「なんですか、それは。山の巫女が教えてくれた冒険の作法? 訳が分かりませんね」
 そこまではっきり否定されると、自分のやっていることが無性に恥ずかしく思えてきた。
「大丈夫だと思ったときが、一番危ないのです。だからこそ状況を把握し、それをきちんとした言葉にする。利に叶っていると思いますよ」
 さとりはなおも疑わしいと感じていたようだが、それらをわざとらしい溜息に変え、それから先を指差した。
「何だか、変な構築物が見えますね」
「河童たちがこしらえた代物よ。彼女たち曰く、地下核融合発電施設建設予定地、らしいわ」
「地下、かくゆーごー?」あまりに聞き覚えがなく堅苦しい言葉に、水蜜はうっかり舌を噛みそうになった。「はつでん、施設、建設予定地、ということはまだ完成してないのでしょうか?」
「核融合とはつまりお空の使う力のことなのだけれど、それを電気に変換するための技術が確立されていないのだそうよ。河童でさえも程遠いのだから、施設ができたとしても当分は完成しないのでしょう。こういうのを、人間の諺でなんというのでしたっけ?」
「取らぬ狸の皮算用ですね」聖が嬉しそうにそう口にしてから、ほうほうと施設のほうに喜色の表情を向けた。「それにしても太陽炉とは。まさか幻想郷に、実用寸前まで辿り着いた代物があったとは思いも寄りませんでした」
「太陽、なんですって?」
「太陽炉です。強烈な魔力によって局所的な高熱状態を作りだし、物体を構成する最小限の素子同士をぶつけ、力量を得る仕組みですよ」
「よ、よくご存じで」水蜜には聖の言っていることがさっぱり分からなかったので、そう返すよりほかなかった。「えっと、要するにどういうことなんですか?」
「これが完成すれば、幻想郷に産業革命が起こるでしょう。使い方によっては生活のあらゆるものを豊かにすることも可能です。なるほど流石は山坂の神。おつなことを考えるものです」
「地底にはこんなもの、必要ないんですけどね。山の神様曰く、松明や灯籠を使わなくても光を灯し放題とのことでしたが、それ以上の明かりは必要ないですし、寧ろ光を好まない妖怪もここには沢山います」
「ならば、こんな得体の知れない施設の建設など許さなければ良かったのに」
 水蜜が口を挟むと、さとりは大きく息をついた。
「お空がやる気満々なのだから、仕方がありません。あの子はお燐と同じように、きちんと仕事をするのが夢だったから」
 お空にお燐というのは、先ほどから何度か水蜜の耳に飛び込んでくる名前だった。気安い感じからしてさとりの身内のようではあるが、何者であるかはよく分からなかった。
「お空についてはすぐに分かりますよ」さとりは水蜜にそう請け合い、これまでよりも僅かに柔らかい笑みを浮かべた。「ほら、彼女がお空です」
 さとりが手招きすると、彼女は一直線にこちらへとやってきた。驚くべきことにそれは黒き翼を身にまとい、何やら独特の神意を纏(まと)っているのだった。
「おー、さとり様だ。さとり様がここに来るなんてめずらしー」
 彼女はさとりの腕にしがみつき、嬉しそうにしている。封印が解かれた直後に見た凛々しさと神々しさが、目の前の彼女からはまるで感じられなくて、水蜜はおそるおそる訊ねなければならなかった。
「えっと、この天真爛漫そうな彼女が?」
「おそらく黒き聖なる翼、でしょうね」そこまで言うと、さとりは耐えきれなくなったのか、これまでの態度に似合わない明るさでけらけらと笑い始めた。「ああおかしい。この子がそんなに偉いものとは、知らなかったわ」
 突然笑いだしたさとりを見て、お空と呼ばれた彼女は不思議そうに首を傾げた。どこを取っても、ほわほわとしていて威厳の欠片すらない。どうにも困ってしまい、聖のほうに助けを求める視線を向け、彼女はまたもや戸惑わされた。何故なら聖が偉いものでも崇めるように手を合わせ、深く俯いていたからだ。
「なるほど、八咫烏(やたがらす)様でしたか。これほどの神意をぽんと授けるとは命蓮寺建立のときといい、山の神様は気前が良いのですね」
 なむなむと手を合わしている聖を見て、お空は何も分かっていないようだったが、胸にある鋭い瞳が一瞬だけ了解したと言わんばかりに瞬いたような気がした。
 
 さとりはそれから水蜜に、数ヶ月前に起こったことの顛末(てんまつ)を語ってみせた。
 深刻な事態から始まり、腰砕けな結末で事なきを得たその物語は、水蜜の冒険に対する憧憬を完璧に打ち砕いてしまった。その間にもお空は聖にあっさりと打ち解けてしまい、まるで母子のように仲良くなってしまったから、いよいよ水蜜の立つ瀬がなくなってしまった。
 黒き、聖なる、翼。かくも幻影であった事実に、水蜜は恥じいることしかできなかった。もし水蜜が生身ならば、人間よりも顔を真っ赤にしていたに違いなかった。
 
 仕事に戻ったお空を残し、地霊殿に帰ってくると奇妙な存在がゆらゆらと立っていた。まるでさとりを反転させたかのような少女だった。
「む、お姉ちゃんったら勝手に館を空けて。珍しいね」
「客人をもてなしていたのよ」
 さとりは素っ気ない様子で言うと、隣に立つ聖と水蜜に視線を向けた。
「つい先ほど地上に居を構えた僧侶と、その従者よ」
「へえ……って、あなたあのときの!」
 さとりを反転したような少女は聖を指さし、両の瞳をぱちぱちさせた。そしてくだんの聖はと言えば、まるで旧友に遭遇したかのような微笑みをたたえていたのだった。
「ここに来てくれたってことは、もしかして?」彼女は何かを知っているようで、聖の顔を見てから、次にさとりの様子をそっと窺った。すると、さとりは気まずそうに顔を背けてしまった。「そっか、約束守ってくれたんだね」
「ええ。それでは再会したばかりですいませんが、わたしたちはこれで失礼します。もうすぐ夕食の時間ですから」
「分かった、また遊びに来てね」容貌こそさとりと似ているけれど、彼女はさとりと違って天衣無縫な性格だった。「もしかしたら、わたしが遊びに行くかも」
「そのときはお菓子とお茶でおもてなししますよ」
 聖はそう安請け合いすると、さとりにちらと視線を向ける。すると素早く顔を伏せてから、次いで妹をじろりと睨みつけた。彼女は意に介する様子もなく、ぱたぱたと走り去ってしまった。
「では、わたしたちはこれで。次はもう少し落ち着いた訪問をと思っております」
「まあ、仕方ないのでしょうね。こいしも慕っているようですし」
 さとりは少しだけ寂しそうに言うと、水蜜を小さく睨みつけた。
「面倒が増えたなと思っただけです。勘違いしてはいけませんよ」
 どうやらまた心を読まれたようだったが、今ではそれほど強い驚きはなかった。
「全く、僧侶というのは色々な意味で食えない。次はもっと美味しそうな感じで現れてください」
「善処します」
 聖はにべなくそう言うと、丁寧な一礼をする。水蜜もそれに倣い、ぺこりとお辞儀をしてからその後に続いた。
 
 地霊殿を後にし、旧都を逆走することしばし、聖が突然、声をかけてきた。
「どうしたのですか、そんな顔をして」
「どういう顔をしているのでしょうか?」あまり良い機嫌ではないと分かっていながら、水蜜は意地悪でそんなことを訊いた。「結局のところ、聖は全てをご存じだったのですよね。黒き聖なる翼が、あの間抜けそうな鴉だということも」
「そうですね。でもあの子、間抜けではありませんよ。拙いなりに己の中にある神と対話し、身につけています。決して力を得ているだけの関係性ではありません。時間はかかるかもしれませんが、やがてはその力を善く遣う術を身に付けるでしょう」
「それは、分かってます」こんなことをぶちまけても、どうしようもないのは分かっていた。ただ、無性に思いが募ってしまい、どうしても言葉を止めることができなかった。「未知の世界への冒険だと思っていたのに、全てを知っているものがいて、実はただ誘わ(いざな)れていただけで。それが少し残念だっただけです」
「わたしは村紗のことを誘いはしませんでしたよ」
「目的地は一緒だったのですから、迷ったら案内してくれるつもりだったのでしょう?」
「いえ、わたしはあくまでも、村紗の冒険を尊重して、何も言わなかったはずです」
「では、聖の用事は大したことがなかったのですか?」
「いえ、地霊殿の彼女にあのことを伝えるのはとても大事であると考えていました」
 聖の考えていることがさっぱり分からなかった。大事なことがあって、それでも自分のことを優先してくれたなんてことが、どうしても信じられなかったのだ。
 水蜜が悩んでいると、聖はあっさりと答えを明かしてしまった。
「村紗はかつて、航路ゆく冒険者たちを沈めるものでした。そんな貴女が己から冒険へ飛び出そうというのですから。わたしにとって、こんなにも嬉しいことはありませんでした。わたしの思惑など、そのことに比べれば後回しにされて当然です」
 聖はいともあっさりと、照れ臭いことを口にする。水蜜は分かっていても、顔を俯けるしかなかった。赤面することはないけれど、崩れた表情を隠すことができないと思ったからだ。
「それで、今回の冒険はどうでしたか?」そんな水蜜を慮るように、聖が機嫌良さそうに訊ねてくる。「楽しかったですか?」
「ええ、まあ」続けざまに色々な出来事と遭遇したし、聖にはもやもやさせられっぱなしだったけれど。二人きりの冒険はそれなりに楽しかったと水蜜は思う。「腰砕けの結末でしたけど」
「でも、こういう秘境探検は得てして徒労に終わるものです。村紗は一応、目的のものを見つけることができたのですから、十分な成功といって良いのではないでしょうか」
「そうですね。成功?」聖の言葉に、水蜜ははたと首を傾げる。「探検の成功や失敗なんて、どうやって判断するのでしょう?」
 いくら目的地に辿り着けても、その間に払った犠牲が大きければ、それを成功というべきなのか。古来より冒険とはそのようなものであったけれど、失敗を誘ってきた存在として、水蜜は自問せずにいられなかったのだ。
 そのことに対する聖の答えは実に明瞭なものだった。
「成功と思えば、その冒険は成功なのです」
 あまりにも楽天的過ぎて、しかし不思議と腑に落ち、小さく頷かざるを得なかった。
「それで、村紗は次の冒険にも繰り出すつもりなのですか?」
 そう問われ、水蜜は聖の顔色をちらと見てから小さく頷いた。しかし当面、水蜜にどこか遠くの未境を訪ねる予定はなかった。ごく身近に、未知のものがあると気付かされたからだ。
 水蜜は聖のことを、誰よりとは言わないけれど、十分に把握しているつもりでいた。しかし、ほんの半日足らずで実は分からないところだらけだと分かった。
 聖は誰よりも優しく、大らかで深く、誠実だ。しかし単純ではない。彼女を彼女たらしめる心のあり方が厳然として存在している。そのことを理解できないゆえの未熟さが今日はほとほと身に染みた。
 村紗水蜜は、聖白蓮を追い求めるべきだ。学ぶべきことはいくらでもあり、育むべき関係だっていくらでもあった。あるいはそのことを理解できただけでも、この冒険は成功なのかもしれないと思った。
「ええ。わたしは冒険するものでありたいと思います」
 水蜜はそう宣言し、同時に痛痒を覚えた。かつて冒険するものを挫いてきた自分が、そんなことを堂々と言って良いのかと考えたのだ。すると聖は全く頷き、水蜜の在り方を肯定した。
 それだけで感極まり、水蜜は俯いて目を瞑る。聖はそんな水蜜の肩に手を当て、気持ちを汲み取ってくれた。あのときと同様に。だから水蜜は自信を持って顔をあげることができた。
「それでは行きましょうか。折り返し地点ですが、だからこそ気は抜かないようにしましょう。真の旅とは、冒険によって得たものを持ち帰る旅路にこそあるのですから」
 聖の言葉を水蜜は胸に刻み、そして冒険における作法を思い出して、辺りを見回した。
「えー、わたし村紗水蜜は旧都を越え、地上に繋がる縦穴の前までやってきました。お、目の前に誰かがいますね。地霊殿に向かう途中、聖に勝負を仕掛けてきた鬼です。こちらに気付いたのか、大きく手を振ってきています。こちらも返しましょう。鬼が手を口に当て、何か言おうとしています。思い切り息を吸い込んでいますが、鬼の肺活量というのは凄いですねえ……って聖? どうして逃げるのですか? もしかしてわたし、結構やばい状況だったりするんですか!」
 その通りだった。水蜜は無残にも鬼の声を食らい、地底の厚い壁を一気に突き抜け、あっという間に地上まで吹き飛ばされたのだ。
 
 こうして村紗水蜜、幻想郷での最初の冒険は見事な爆発と共に終了したのだった。
 
 
【Interlude】
 
 
「朝っぱらから驚いちゃった。まさか、わたしと同じような無意識になれるものがいるなんて」
 古明地こいしはいつもの通り、ただふらふらと無意識に身を任せ、景色の中を流れていた。地上をこうしてさまようと、暖かく大きなものに抱かれているようで、心がほんのりと落ち着くのだ。無意識であるから誰も気付くよしはない。一人の気楽な散歩であるはずだった。しかし今日は何かが違った。自分の中に誰かがいるという不思議な感覚に苛まれたのである。もしやと思い、意識すると突如、目の前にふわふわ髪の柔らかそうな女性が姿を現したのだった。
 こいしはすっかり興味を惹かれてしまい、相手の戸惑いに構うことなく声をかけた。
「あなた、もしかして覚りなの? でも第三の眼はどこにも見当たらないようだけど」
「覚り」ふわふわとした女性はそれだけを復誦すると、次いで小さく首を振った。「ああ、そういう意味ですね。わたしは少なくとも覚りではありません。わたしは魔法使いです」
「魔法使い? へえ、じゃああの白黒なちょこまかする奴と知り合いだったりするの?」
「貴女のいう白黒が魔理沙さんでしたらその通りです。わたしは最近、この郷に越してきた白蓮というものです」
 こいしは目をぱちくりとさせた。お空が封印を解いた、妖怪の一人であると気付いたからだ。それでこんなにも興味深い存在と出会えたならば、縁も何とやらだなと思った。
「わたしは地霊殿のこいしよ。古明地こいし。地霊殿というのは地底深くに建つ屋敷のこと」
 すると今度は白蓮と名乗った女性が、興味深そうに顔を近付けてきた。
「地霊殿と言えば、魔理沙が地底の奥深くにそのような屋敷があると話してくれたことがあります。実を言うと、いずれこちらから挨拶に伺おうと思っていたところです」
「いいよ別にそんなの。お姉ちゃんはお客さんをもてなすようなタイプじゃないし、ペットは可愛いけどそれだけの退屈な所よ。それに妖怪を殺し慣れた人間なんて、余計に歓迎されないんじゃないかな。わたしは別に構わないけど。面白い奴ら、訳ありの奴らほど面白いじゃない?」
 この幻想郷で強いのは決まってそんな奴らだった。手に汗を握る戦いにも喜んで興じてくれるし、話してて楽しい。意識しないと気付いてくれないことが多いのはやはり悲しいけど、でも最近は楽しいことが多い。この女性もその一人であると、こいしはそんな直観を抱いていた。
「わたしは面白いものではありませんよ。説教臭くて詰まらないだけが取り柄の僧侶です」
「いやいや、ご謙遜を。そもそもわたしみたく無意識になれるってところで既に面白いよ。そういや、さっきの無意識状態って何かの魔法を使ってたの?」
「あ、いえ。あれはですね、何というか……ぼーっとしてると自然にああなるんです。でも無意識ってそういうものでしょう?」
 白蓮は申し訳なさそうに控えめな笑みを浮かべる。どうやら彼女の無意識が自分と異なることを知り、こいしは小さく溜息をついた。
「なんだ、そういう魔法があると思ったのに」
「すいません、何か期待させてしまったようですね」白蓮は申し訳なさそうに眉を下げ、それからさらりと訊ねてきた。「もしかして、魔法に興味がおありですか?」
「そうね……無意識になれる魔法があれば良いと思ったわ。それはつまり、心を読める魔法があるってことだから」
 こいしの言葉に、白蓮はついと首を傾げた。どうやらこの理屈が目の前の魔法使いには理解できなかったようだと分かり、こいしはきつく閉じられた三つ目の眼を示してみせた。
「ふむん、あなたも覚りなのですね。それにしては心を読んで来ませんし、それにこの眼……」
「そう、閉じちゃったの。そうしたら今のようになったのよ」
「なるほど、それで心を読めないようにした」白蓮はそこで言葉を切り、次いで重苦しく言ってのけた。「否、心を読ませないようにしたのですね」
「違うわ。貴女は何を聞いていたの?」
 話が噛み合わない。もしかすると、彼女はぼんやりしているだけではないかと、こいしは訝しんだ。楽しい相手に会えたと思ったからうきうきしたけれど、途端に腹の底から冥い思いが沸いてきた。こいつがこれからも詰まらないことを言うならば、撃ち落としてしまおうと決意する。
「わたしは間違えたことは口にしていないつもりですよ。深淵を見るものはまた、深淵から見返されるものです。見たくないというのは、実は見られたくないのです」
「話が分からないなあ」こいしは苛々とした調子で白蓮の言葉を遮った。「わたしは心を読めないようにしたのよ」
「分かっています。ではいま、心を読めないとして、貴女は何を望みますか? 再び心が読めるようになりたいのですか?」
「わたしは覚りなのよ」
 つまるところそれが答えなのだ。覚りだから心が読めないとおかしい。それだけ言えば、普通なら分かってくれるはずだった。しかし白蓮は首を横に振り、驚くべきことを言ってのけた。
「覚りだからといって必ずしも心を読める必要はないと思います」
「嘘よ。わたしは覚りじゃないとおかしいの。だってそう生まれたんだから。妖怪ってそういうものじゃない?」
「いいえ、妖怪であっても身を正し、より善い自分を模索することは可能です。少なくともわたしは身をもってそのことを知っています」白蓮はそう言って、両の手を開いたり閉じたりした。「わたしはこの通り、魔法使いに身をやつしました。でもずっと同じだったわけじゃありません。変化を良いと感じたこともありましたし、悪いと感じたこともありました。その全てを越えて、いまのわたしがいますし、今ではそんなに悪いことでもなかったと思っています」
「じゃあ、わたしの眼も? この閉じた眼はいつかより善いものになるための途中段階だって言うの? わたしにはそうであるとは思えない」
 こいしは難しいことを考えるのがあまり得意ではない。自分を難しくさせるものはできるだけ遠ざけたり壊したり殺したりするべきだと考えている。だから白蓮と名乗った僧侶にもそうしようと、こいしはスペルを取り出そうとする。
 そのとき、白蓮は実に暢気(のんき)なことをあっさりと口にした。
「人間の眼も妖怪の眼も、開いたり閉じたりするようできています。不思議な力を持つ眼でも例外ではないと思いますよ。開きたければ開き、閉じたければ閉じる。それが眼の持つ特権ではないでしょうか?」
 そんなに簡単なものではないのに、白蓮はそれがさもたやすいことのように語ってみせた。何も知らない癖に。ではその特権を奪ってやろうと、こいしは素早く手を鋏の形にして、白蓮の両眼に突きつけた。
「お前はもういらない。同じよしみでこれ以上、何も喋らなければ見逃してあげる。これ以上喋ったら、その目玉をくり貫いて飴玉のようにしゃぶってやるから」
 こいしは我慢の利く性格じゃなかったから、一言でも喋ればすぐに実行するつもりだった。すると白蓮は黙り込み、堅く口を噤んでしまった。流石に怖じ気付いたのかとこいしは得意な気持ちになりかけたが、突如として嫌な予感を覚え、咄嗟に手を引っ込めていた。
 白蓮は先程よりも少し前に出ていた。おそらく目と指が触れ合うぎりぎりのところまで。怖いもの知らずを越えた無謀な行いであり、こいしは思わず声を荒げていた。
「危ないじゃない! 貴女、目が惜しくないの?」
「目を失うのは困りますよ」白蓮はまるでそうじゃないと言わんばかりの冷静さと朗らかさを保っていた。「でもこの両眼を失っても、別の手段で補うことができますし、貴女は目を潰すなんてできないと思いましたから」
「できるよ。やるつもりだった。今だってできるんだから!」
 こいしはそう言って、白蓮の両眼に指を突き立てようとした。しかし震えるどころか目を瞑ろうともしない様子に、覚悟が萎えた。もっと些細な理由で殺したり、それに近いくらいの酷いことだってしてきたのに、こいしは白蓮の両眼に指を突き立てられなかった。
「おかしいよ。少しくらい怖がらないと変だよ。昔は人間だと言ってたのに。人間なら痛いのや辛いのが怖いはず」
「ええ、その通りですよ。でも、受けるはずのない暴力を怖れる必要はありませんから」
「変だよ。わたしもおかしいけど、貴女はもっとおかしい。おかしいおかしいおかしい!」
 こいしは相手を散々に詰り、大きく息をついた。戦ってもいないのにこんなに疲れるなんて初めてだった。
「何よ! おかしい奴なら最初からそう言って!」
「すいません。でも、わたしはさほど、おかしくないと思いますよ」
「嘘だ! 普通だったら眼がなくなるのは怖い。わたしだって怖いんだから! 怖くない奴なんていないよ!」
 いくらこちらが押しても、相手は暖簾のようにするりと抜けてしまう。そうしてこいしのことを慈愛の様で見つめるのだった。
「わたしは眼を失うのが怖い。失った眼を取り戻せないのが怖い。怖いんだよ。怖い怖い怖い! とても怖いの!」
 こいしは子供のように喚き叫び散らした。まだ会ってしばらくもしない相手に、本気で当たり散らしていた。がむしゃらに殴りかかっていた。白蓮の体は暖かくて柔らかくて、妖怪の見境ない暴力ですらあっさりと吸い取ってしまった。魔術であるのか、彼女の特別な力であるのか、こいしにはよく分からなかった。彼女のことがまるで分からないのも嫌だった。人間なんて顔色や態度で何を考えているのかくらいなら分かるのに。彼女はそう、東の果てに住む巫女と同じかそれ以上に分からなくて、しかもとびきり怖かった。
 どこか行けと思うのに白蓮はこいしの元から去ろうとしなかった。きかん気を受け止め、ひたすらに耐えてくれた。どうすればこんなになれるのだろう。ただの人間だったならば、最初からこうであったはずがない。彼女はどれだけ変わったのだろう。人間がここまで変われるのならば、自分も変われるのだろうか。
 そこまで考えてこいしは、先程棄却した白蓮の言葉に手を伸ばし、そして訊ねていた。
「眼を閉じるとね、心の内側をどこまでも落ちていくの。どこまでも、どこまでも、開いても戻れないくらいにどこまでも。それでも貴女はわたしの眼が再び開くと思う? やがては内側と外側を自由に行き来できるような存在になれると思う?」
「ええ、思いますよ」躊躇いのない回答であったけれど、先と違い、今度は少しだけ信じることができた。「貴女は賢いですし、己のすべきことをよく知っています。だから大丈夫なのです」
「そっかな、そうなのかな、自信ないな。色々あってこんなことになったんだし……その、そっちはあまり話したくないというか、上手く語る自信がないんだけど」
「それならば、整理がついたときに。おそらくわたしじゃなくて、然るべき人に話すべきなのでしょうね」
「お姉ちゃんに?」姉のさとりはこいしにとって優しい存在だけど、稀に怯えたような目を向けられるのが嫌で、いつも距離を置いている。いきなりで話を切り出しても、聞いてくれないかもしれない。もしも、そんなことされたら悲しくてどうしようもない気がした。「そういうの、なんか難しいな。ねえ、お願いがあるんだけど」
「お願い、ですか?」
「貴女はいずれ、地霊殿に挨拶に行くと言ってたよね? 初対面の相手にこういうことを頼むのって失礼だと思うけど、お姉ちゃんに会ったらわたしに話したのと同じことを伝えて欲しいの。心を読むから、今のことを思い浮かべるだけで良いのよ。お姉ちゃんはわたしと違って優しいし、頭も良いからすぐ理解できると思うわ」
「相手が覚りでしたらそれで事足りますね。では、確かに伝えましょう」
 面倒ごとを押しつけたというのに、白蓮は嬉しそうな顔をしていた。こいしにはまるで意味が分からなかったけれど、姉と話す機会を与えてくれるならば、藁(わら)にも縋りたかった。
「それでは、わたしはそろそろ朝のお務めに向かいます。首尾良くことが成った時には、また連絡します。わたしは命蓮寺の白蓮です」
 そう言って不思議な僧侶はふわふわと飛び去っていった。
「なんか、変なの」お説教好きの楽天家、こいしのあまり好きになれないタイプだけど、彼女は何故か嫌いになれなかった。「まあ、気長に待とう」
 いくら何でも、今日の明日ということはないだろう。そうたかを括り、こいしは無意識のままでふらふらとさ迷い始めた。
 すると不意に、なんだか訳の分からない発光物体のようなものが飛んでいることに気付いた。難しい話で少し頭が重かったから、こいしはあの不思議な物体で遊ぶことにした。

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