卅五./告げ征く人(西暦1199~1200年)
頼景の死の翌年の事。鎌倉もまた、親とすべき存在を失った。
建久十年一月十三日、過日の落馬が原因で伏せっていた頼朝が、この日薨去したのだ。
鎌倉の動揺は大きかったが、御家人達は合力して頼朝の嫡子頼家を立て、新たな鎌倉殿を奉る事になる。しかしこの鎌倉殿は若干十八歳であり、坂東を始めとする日の本の武家の棟梁とするにはまだ若かった。
治める所に不足があるかはさておき、やはり故幕下頼朝を懐かしみ、彼と今の鎌倉殿とを比べる者は御家人達の中にも少なくは無かった。
これだけならば、代替わりにあっては致し方の無いとも言える。ただそこに、頼朝の信望も厚かった者が居た事が、鎌倉に暗雲をもたらすのであった。
季節を一つ巡らせた冬の、ある晴れた日。侍所の控えの間にて、同僚を募って頼朝の為に念仏を唱えていた朝光が、その在りし日を懐かしんで言った。
「故事に[忠臣、二君に仕えず]と曰くの通り、例え故幕下の遺言があろうと、己は出家すべきであったと悔やまれてならならぬ。近頃の世は薄氷を踏むような不穏な日々だ」
それを聞いた人々は、元服すると共にずっと頼朝に仕えて来た彼の心中を慮り、滂沱と涙したのであった。
しかしこの時侍所別当であった景時は、これを今の鎌倉殿へのよからぬ言葉と捉え、翌日幾人かの御家人に告げ、合議を持った。
また翌日、これをいずこかから聞きつけた――時政の娘にして全成の妻の――阿波局(あわのつぼね)が、朝光に対し景時らよりこの様な讒言ありと告げたのである。
それも、鎌倉殿より死罪を被る恐れもありやと付したうえで。
いずこかからとはいずこであったのか、それは当事者達にとって大した問題では無い。
朝光は当然、これを人に相談した。
彼が相談する相手といえば、誰も彼も鎌倉において並ならぬ立場となった人ばかり。故事を引いて嘆き憤る彼の心は、瞬く間に鎌倉中に伝播した。
以前より立場上も、また融通の利かぬ厳格さもあって好む者も少なかった景時に対し、多くの御家人達は怒り、それは和田義盛や三浦義村、並びに盛長を始めとする諸将の連判状(※1)という形を成した。
だがここまで多くの者が絡むと、それぞれの思惑も違ってくる。いつしか連判状は、景時への怒りのみならず、多く御家人の思惑の器となっていた。
頼家に対する害意を抱く者、鎌倉その物への在り方に迫る者、戦無き世の新たな好機と捉える者、ほか、収集もつかないほど多様であった。
各々の立場で何かすべし、何かとせねば、その結果は鎌倉をここまで混沌とさせた。
そのため、連判を請われた者が全てこれに賛同した訳ではなく、――例を挙げれば朝光の兄長沼宗政は、名は列(つら)ねどもあえて花押を記さぬなど――慎重に事を運ぶ者もまた多く存在した。それでも最終的に六十六人が名を連ねた連判状は、義盛と義村の手により、中原広元の手に託された。
広元はしかし、かつての鎌倉には無かった異様な空気を感じ取り、連判状の頼家への奏上の遅滞を始めとして、穏便に事を運ぼうと努力を重ねた。
当然御家人からは、再三に渡って頼家の評決を求める声。これに折れた広元は言う。
「ただ、景時らの存亡に係るのが、心痛であるのだ」
事ここに至って今更採るべき策は彼に無く、ついに連判状は頼家の手に届く。
頼家は受け取った連判状を弾劾の訴状とし、景時に下して弁明を求めた。しかしこの時、景時は「その故に一切の相違無し」と、弁解することは無かった。
景時は一族を引き連れ、相模国の一ノ宮――寒川神社へ下向した。その間、鎌倉中に残った三郎景茂の殊勝な弁舌もあって、一旦は帰参する運びとなる。
しかし数日後ついに弾劾状の沙汰が下り、景時は屋敷を取り壊され、鎌倉中を追われたのであった。
年が明け、正月も半ばを過ぎて地吹雪の吹きすさんだ翌々日、鎌倉に急を伝える早馬が参着した。
梶原景時、相模一ノ宮で砦を構える。またそうするも、そこから抜け出した模様である。と。
これを受けて御所に鎌倉の重臣が集まる中、時政が決定的な事を言ってのける。
「これは上洛を企図しての事に違い無い、明らかに鎌倉への謀反を企んでいる」
御所はにわかに騒然となる。その場には頼家は勿論、広元も同席していた。
「そこもとは、何を根拠にそう言わっしゃるか」
真に上洛を企図するならばまず水軍を使うべき、広元がそう考えて問う。その答えは三浦党の者が握っていたが彼らはあえて言わず、時政は答える。
「既に、上洛に係るいくつかの証拠を得てござる」
それは書状であったり西へ走った早馬であったりする、その多くは、己が所領とする駿河国で絡め捕ったのだと言う。
それは本当だろうか、示せる証拠なら出すべきでは、この場にある一同は各々にそう考える。しかしそれを求めている暇は無く、頼家の外祖父である時政の言に疑義を挟むよりも、裁定が優先される事になった。
ついに決は下る。
「梶原平三景時が一族を討滅せよ!」
若い鎌倉殿が下令するのに、御家人は面持ちを厳しくして一斉に「応」と発する。
梶原一族の滅亡はほぼ確実となり、それは鎌倉中に彼が在る時に種々の煮え湯を呑まされて来た――大抵は己の分を弁えぬ事が原因である――時政が、常々と望んでいた事でもあった。だが、念願叶ったはずの彼の貌は、とても苦々しく歪んでいた。
足りなかった。彼の思惑の中には“鎌倉殿”もあった。その千載一遇の機会は、景時が己と一族を天に捧げ、奪い去って行ったのだ。
時政の心にも何者かが潜んでいた。ただそれは特異なモノではなく、誰もが心に住まわすものであった。
∴
景時らは箱根を越えて伊豆国に至る。
彼らのここまでの歩みだけを見れば、上洛を企図していると言われても申し開きは出来ない。
だが、ここに付き従うのは特に信の厚い郎党のみ。その数五十騎にすら満たない隊伍、これでどうして上洛が、その先が為ると思えよう。
日も沈んで数刻、彼らは夜を駆けていた。
それでもなお西進し、駿河国清見関(きよみがせき)まで辿り着く。目の前の暗夜に突如の篝火、ここで地侍が矢を射かけて来た。
「定石だ! 予め知るべき事であったな!」
「ええ、北条丸(※2)殿の事ですから、ここは絶好の地点でありました」
迫る徒武者を太刀で払いながら抜けようとするが、往来に逆茂木を設えられ、あえなく転進を余儀なくされる。不案内なこの地では、散り散りになる方が危険が高い、まとめて迂回しようと馬を返す。
「三郎! 何をしている!」
他の者が転進する中、一人景茂だけが付いて来ず、太刀を構えていた。その向こうにはこれも一人の武者。
「我こそは、当国入江(いりえ)荘の住人にして藤原南家工藤流、吉川小次郎友兼! よき敵と見る、お相手願う!」
吉川友兼(きっかわともかね)、彼は富士野の巻き狩りで曾我祐成に道を譲った者であった。これは都合が良いと景茂は勇んで叫ぶ。
「父上、兄上よ! 名乗りを受けてしまったからには行かねばな! 我こそ平朝臣景時が子、梶原三郎景茂なり! よき敵ぞ、存分に参られよ!」
もはや振り返る事は無い。景時はその勇姿を瞼に焼き付け、他の一族郎党を連れて駆け出す。
東海道を南側に逸れ、海側に迂回路を見出そうと駆ける彼らに、またも追っ手がかかる。今度は数人ごとではなく整斉と戦列を並べ、篝火に照らされたそこには、景時の見た顔もあった。
「これは飯田殿、北条小次郎殿のお使いでござるか」
現れたのは相模国の住人、飯田家義(いいだいえよし)であった。
この期に及んで不敵に言い放つ景時に、馬上で堂々と弓を携える家義は、ピクリと片眉を上げ答える。
「誰が北条丸の小間使いなどするものか! 俺もお手前と考える事は一緒だ!」
彼もまた、かつての石橋山で敵方に在りながら頼朝の窮地を救った者であり、頼朝に、彼の思い描いた世に心を馳せた一人であった。であればこそ、景時が最期に望む事もよく理解していたのだ。
景時は心からの笑みを浮かべて叫ぶ。
「それは有り難い。だが少しばかり早過ぎる。済まぬが俺の子らに、地獄の鬼に会う前の稽古をつけてやってくれ!」
「平三殿! いずこに参られるのか!」
いっそのこと連れて行ってやらぬでもない、どうせこの融通の利かぬ男は己で始末を付けるのであるし。家義はそう思い、そう言いながらも、兵馬を推し出す。
「あいにくと、三浦に水軍を押さえられてしまって、行きたい場所へ行けなくなった。この際は開き直り、せめて少しでも天に近い所に行こうと思っておる!」
「ならばあの山が良い、富士も駿河湾も一同に眺められようぞ!」
暗夜に白んだ東からの明かりを受け、山体がほのかに浮かぶ。
景時は弓を持ったままの弓手で拳を突き上げ、それに応えた。だが追っ手は迫る、それを阻もうと轡を並べるのは景季の弟達。六郎景国(かげくに)、七郎景宗(かげむね)、八郎景則(かげのり)、九朗景連(かげつら)の四人。加えて、今や三十足らずとなった郎党の内の半数がそれに従う。家義が指し示したのは北西の小高い山、確かに見晴らしは良さそうだと景季は行く先を見定め、叫ぶ。
「皆! あそこからの眺めを土産にするので、僅かながらの遅参、許せよ! 景高、磨墨、参ろうぞ!」
景高は黙って頷き、磨墨はその声に応えていななく。磨墨は歳からは考えられぬほどの速度――宇治や生田を駆けた時よりも、なお速く駆ける。
景時と残る一族郎党も、その背を追って山へ向かう。
彼らの後ろで景茂は吉川小次郎と相討ち、四人の弟とそれに従った郎等達は存分に戦い、散っていった。
山に駆け上がろうと狭隘な道を行こうとする景時らの前に、またも駿河の衆が迫る。今度は景高が前に出て、残りの郎党を従えた。皆始めからから決死行を承知の者ばかり、このまま駆け上がって自刃よりはと、喜び勇んで前に出る。
「父上、兄上、駿河の海に富士とは贅沢な眺めでありましょう。土産を楽しみにしております。お先に」
「皆、少しばかり良い思いをさせてもらうぞ!」
景時が言うのに、景高以下郎党は鬨の声で応える。天を突くほど轟々たる声に、駿河の衆の馬が怯む、それとは裏腹に弾む様に駆け上がる景時と景季。磨墨が景時の馬まで引っ張り上げているようであった。
∴
山頂か、少なくとも辺りにこれより高い峰が見当たらぬ所まで上がって来た。木々に囲まれていた林道から抜け、辺りが開けた場所まで来た頃には、東の空は燃える様な朱を映していた。
その光の中、景季は急に体を投げ出された、磨墨が倒れたのだ。彼は己の身体の痛みより先に磨墨の身を案じ、しかしそれはもう無駄だと察して語りかける。
「磨墨、今までよく頑張ってくれた。ここからお前の故郷は見えるか?」
陽光に青鹿毛を光らせる磨墨は、横たわりながらか細い息を続け、北の方へ顔を向ける。
磨墨の生地は龍の背の様な銀色の峰に隠れ、見通す事は出来ない。だがその視線の先に、間違いなく彼の生まれ故郷はあった。
歳を押して無理を押して、心の臓がはち切れんばかりに走ったのだ、主の最期の為に。苦しいはずであるのに、磨墨は静かに息を引き取った。
「すぐに行くから、先に待っていてくれ」
うっすらと開いていた目を閉じてやり、景季はその亡骸に言う。景時もまた下馬し、どこへなりとも行けと馬を放ってやる。
二人は、家義に言われた通りの光景を見回した。いや、彼が言った以上であった。
東を見る。箱根の銀嶺は権現が後光を背負った如くに輝き、その影となった駿河湾を徐々に朱に染めてゆく。見れば、白い富士山もその様に染まり始めていた。
「あの山は、登る物ではないな。何せ聞いた話では、この山ぐらいの高さを十重ねても、まだ足りぬらしい」
「そんなに……」
この国で最も高い場所、そこにも興味はあるが、登ってしまってはこの優美な様を見る事も出来なかったろう。景季は朱に染まった富士を、うっとりと眺めた。
その彼らの後ろに、音も無く降り立つ一つの影。
景時も景季も、刀を鞘に納めたまま静かに振り返る。
朝焼けの光の中に降り立ったのは、射命丸だった。
「御最期と思い、念仏を捧げに参りました」
これを以てすれば、僅かなりとも六道(※3)輪廻を穏やかに廻る事が出来るであろう。彼女の心底に他の気持ちは無い、赤心であった。
彼女が応答を待たず勝手にそうしようとすると、景季がそれを制する。
「念仏など要りません、我らが廻る先は決まっております。それに、磨墨の元へ行けなくなってしまう」
三悪道に地獄行き、逝くべき先はそこなり。次に、実に明るい貌を浮かべながら彼は言う。
「一貫坊様、当麻、、、太郎殿には過日の一ノ谷での恩、源太は最期まで忘れなかったと、お伝え下さい」
もう思い残す事は無いか。しばし思惟を廻らす彼の背を、強い熱を持った者が抱く。僧姿の太郎であった。
「お止め下さい、決意が鈍ってしまいます」
そんな物は鈍らせてしまえ。太郎は大鎧の背に顔を押しつけ。願う。それは射命丸も願っていた。武士が何だ、自害が何だ、そんなものは範頼だけで十分だと。
「そうでした。お救い頂いたこの命、無駄にすることなく、参州殿には遙かに及びませんが、僅かなりと鎌倉の礎となりました。では父上、私は一足お先に」
太郎の想いを彼はしっかと心にとらえていた。それでも、逝かねばならぬのだ。
彼にも伝えるべき想いは数多にあるのに、他の全てを胸に納めたまま言葉を終える。
「うむ、俺もすぐに行くぞ」
射命丸は自身も望まないことではあるが、それでも太郎を景季から引き離す。
景季は膝を付いて腰刀を抜くと喉に当て、一尺余りの刃を柄までするりと刺し、呻く事も無く絶命した。
太郎の眼から涙がこぼれ落ちる。今の彼女は、泣くことを知っていた。
子が静かに逝くのを微笑みながら見送った景時は、射命丸と真っ向から視線を合わせて言う。
「一貫坊殿、蒲殿のことは申し訳なかった。俺があそこで死に、故幕下の後、蒲殿が今の鎌倉殿の後ろ盾になって下さっていれば、、、悔やみきれぬ。そして貴女にこそ、大事な方を奪ってしまったことを詫びる」
目を瞑り、彼は思い起こす。優しくありながら、猛々しくもあることが出来た彼の姿を。
スッと息を吸って止め、言葉を続ける。
「それと吉祥の方――いや、ゆや御前への謝罪は、貴女に託したい」
遠江、池田荘か蒲御厨が目指す場所であったのか。
射命丸はここまでの梶原一族の逃避行にようやく得心し、言う。
「ゆやの事、ご存知だったのですか。ですがもう、ゆやは――」
あれから幾年か過ぎた。それは多くの者が生まれ死に行くには、十分な時間だった。
「左様であったか、遅すぎたか……」
「私も太郎も、ゆやも、あなたを恨んでなどおりませんでした。あれが範頼様の決めた道であればこそと」
何の遺恨も無いかと言えば嘘。だが、実直なこの男こそ、それをずっと悔やんで生きて来たのだ。それに最期に浮かべるのが恨み言でなく侘びの言葉であれば、責めるべくもない。
「あの世で蒲殿に詫びられぬのも悔やまれる。この素晴らしい景色を枕に死ぬるが俺で、蒲殿をあそこで死なせたのを。彼の方が死なねばならなかったことを」
景時は、自身が彼岸より巡るのは、息子共々に地獄であるべきと決し、言う。範頼の元には行けまいと。
射命丸はその言葉を正しく理解して、思う限りに伝える。憐れみでも慰めでもない真心を。
「あのお優しい方々のことです。きっと、この景色が如何であったかなどと伺いに、あえて平三殿の元へおいでになるのではないでしょうか」
二人とも決して聖人などではなかった。生きたいように生きたいと望み、そうであれずに懊悩した、当たり前の人であった。
ただ他の多くの人々よりずっと、本人達が思うよりも遙かに、純朴でもあった。
「……で、あろうな」
景時は思った。範頼が望むとおり職を辞し、位の返上が叶っていれば、彼はどれ程幸せであったろうかと。
だが頼朝こそ彼を必要とし、景時も同じくそう思っていた。誰かに求められる、武士でなくとも人であれば喜ぶべきである。
黙したまま鎌倉の方を向いて蹲踞の姿勢を取る景時に、射命丸はこれが最後と問い掛ける。
「ひとつ伺いたい事があります。範頼様を救えず、前幕下を亡くし――それでもあなたをここまで生かしたものは、何だったのですか?」
責めているのではない、先程からのやりとりで景時にもそれは分かる。彼女が言葉通りにただ疑問を投げかけているのが。
彼はしばし目を瞑り、黙想する。
頼家の為か、違う。鎌倉源家のためか、それも違う。
では――
「もう少し、見ていたかったのかも知れませぬな」
「見たいとは、何を」
「この国の、未来を」
目を開き、眼前に広がる黒々とした駿河の海を脳裏に焼け付けながら、そうであったと自身が信じる答えを返した。無尽の富を持つでなく無窮の力を持つでもない、ただの人が長く生きようとする理由は。
半生に疵(きず)を持つ者は、後半生はそれを繕うために費やす。ゆやが範頼が、頼景がそうであった。頼綱のこれからもそうであるように。
だが景時は顧みること無く、繕いきれぬ疵を無数に付けて、それでもひたすら先を見て生きて来た。頼朝に見出したものの趨勢を、彼は確かめたかったのだ。
射命丸は思惟を止め、はなむけとすべき言葉を紡ぐ。
「では私が、目に留め、文に記して、しかし明かすことは叶わぬかも知れませんが、私が、見届けます」
人ならぬ妖の、百年千年に及ぶ命ならば叶う。傍観者として、山も郷も戦場も睥睨する鴉として見届けようと、そこまで通じるのは期待せず、思う。
射命丸の言葉を受けた景時は、一言も発することなく、従容(しょうよう)と刃を手に取った。
* * *
景時親子の首級は、彼らを怨み憎む者達により馬蹄にかけられ、徹底的に砕かれたという。
その誰の物か分からなくなった首級は、果たして彼ら親子であったのか。いや、そもそもそこに、それはあったのか。
また別の説では、息を吹き返した磨墨が主人達の首の髻を咥え、走り去ったともある。
真実を知る者は僅かである。
第29話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 連判状:志を同じくする者が、署名して判(花押)を押し、その結束を確かめた書状
※2 北条丸:京守護として京に上がった北条時政が、公家達から受けた蔑称。ここでの“丸”の字には、十分に年を取った彼を、半人前の子供とする意図がある。
※3 六道:仏教における概念で、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道がある。三悪道とは、畜生道より後ろのものを言う。
本話タイトルと、ラストの射命丸様と景時の会話にピンと来た人は、僕と握手!(by.ハサマリスト)
頼景の死の翌年の事。鎌倉もまた、親とすべき存在を失った。
建久十年一月十三日、過日の落馬が原因で伏せっていた頼朝が、この日薨去したのだ。
鎌倉の動揺は大きかったが、御家人達は合力して頼朝の嫡子頼家を立て、新たな鎌倉殿を奉る事になる。しかしこの鎌倉殿は若干十八歳であり、坂東を始めとする日の本の武家の棟梁とするにはまだ若かった。
治める所に不足があるかはさておき、やはり故幕下頼朝を懐かしみ、彼と今の鎌倉殿とを比べる者は御家人達の中にも少なくは無かった。
これだけならば、代替わりにあっては致し方の無いとも言える。ただそこに、頼朝の信望も厚かった者が居た事が、鎌倉に暗雲をもたらすのであった。
季節を一つ巡らせた冬の、ある晴れた日。侍所の控えの間にて、同僚を募って頼朝の為に念仏を唱えていた朝光が、その在りし日を懐かしんで言った。
「故事に[忠臣、二君に仕えず]と曰くの通り、例え故幕下の遺言があろうと、己は出家すべきであったと悔やまれてならならぬ。近頃の世は薄氷を踏むような不穏な日々だ」
それを聞いた人々は、元服すると共にずっと頼朝に仕えて来た彼の心中を慮り、滂沱と涙したのであった。
しかしこの時侍所別当であった景時は、これを今の鎌倉殿へのよからぬ言葉と捉え、翌日幾人かの御家人に告げ、合議を持った。
また翌日、これをいずこかから聞きつけた――時政の娘にして全成の妻の――阿波局(あわのつぼね)が、朝光に対し景時らよりこの様な讒言ありと告げたのである。
それも、鎌倉殿より死罪を被る恐れもありやと付したうえで。
いずこかからとはいずこであったのか、それは当事者達にとって大した問題では無い。
朝光は当然、これを人に相談した。
彼が相談する相手といえば、誰も彼も鎌倉において並ならぬ立場となった人ばかり。故事を引いて嘆き憤る彼の心は、瞬く間に鎌倉中に伝播した。
以前より立場上も、また融通の利かぬ厳格さもあって好む者も少なかった景時に対し、多くの御家人達は怒り、それは和田義盛や三浦義村、並びに盛長を始めとする諸将の連判状(※1)という形を成した。
だがここまで多くの者が絡むと、それぞれの思惑も違ってくる。いつしか連判状は、景時への怒りのみならず、多く御家人の思惑の器となっていた。
頼家に対する害意を抱く者、鎌倉その物への在り方に迫る者、戦無き世の新たな好機と捉える者、ほか、収集もつかないほど多様であった。
各々の立場で何かすべし、何かとせねば、その結果は鎌倉をここまで混沌とさせた。
そのため、連判を請われた者が全てこれに賛同した訳ではなく、――例を挙げれば朝光の兄長沼宗政は、名は列(つら)ねどもあえて花押を記さぬなど――慎重に事を運ぶ者もまた多く存在した。それでも最終的に六十六人が名を連ねた連判状は、義盛と義村の手により、中原広元の手に託された。
広元はしかし、かつての鎌倉には無かった異様な空気を感じ取り、連判状の頼家への奏上の遅滞を始めとして、穏便に事を運ぼうと努力を重ねた。
当然御家人からは、再三に渡って頼家の評決を求める声。これに折れた広元は言う。
「ただ、景時らの存亡に係るのが、心痛であるのだ」
事ここに至って今更採るべき策は彼に無く、ついに連判状は頼家の手に届く。
頼家は受け取った連判状を弾劾の訴状とし、景時に下して弁明を求めた。しかしこの時、景時は「その故に一切の相違無し」と、弁解することは無かった。
景時は一族を引き連れ、相模国の一ノ宮――寒川神社へ下向した。その間、鎌倉中に残った三郎景茂の殊勝な弁舌もあって、一旦は帰参する運びとなる。
しかし数日後ついに弾劾状の沙汰が下り、景時は屋敷を取り壊され、鎌倉中を追われたのであった。
年が明け、正月も半ばを過ぎて地吹雪の吹きすさんだ翌々日、鎌倉に急を伝える早馬が参着した。
梶原景時、相模一ノ宮で砦を構える。またそうするも、そこから抜け出した模様である。と。
これを受けて御所に鎌倉の重臣が集まる中、時政が決定的な事を言ってのける。
「これは上洛を企図しての事に違い無い、明らかに鎌倉への謀反を企んでいる」
御所はにわかに騒然となる。その場には頼家は勿論、広元も同席していた。
「そこもとは、何を根拠にそう言わっしゃるか」
真に上洛を企図するならばまず水軍を使うべき、広元がそう考えて問う。その答えは三浦党の者が握っていたが彼らはあえて言わず、時政は答える。
「既に、上洛に係るいくつかの証拠を得てござる」
それは書状であったり西へ走った早馬であったりする、その多くは、己が所領とする駿河国で絡め捕ったのだと言う。
それは本当だろうか、示せる証拠なら出すべきでは、この場にある一同は各々にそう考える。しかしそれを求めている暇は無く、頼家の外祖父である時政の言に疑義を挟むよりも、裁定が優先される事になった。
ついに決は下る。
「梶原平三景時が一族を討滅せよ!」
若い鎌倉殿が下令するのに、御家人は面持ちを厳しくして一斉に「応」と発する。
梶原一族の滅亡はほぼ確実となり、それは鎌倉中に彼が在る時に種々の煮え湯を呑まされて来た――大抵は己の分を弁えぬ事が原因である――時政が、常々と望んでいた事でもあった。だが、念願叶ったはずの彼の貌は、とても苦々しく歪んでいた。
足りなかった。彼の思惑の中には“鎌倉殿”もあった。その千載一遇の機会は、景時が己と一族を天に捧げ、奪い去って行ったのだ。
時政の心にも何者かが潜んでいた。ただそれは特異なモノではなく、誰もが心に住まわすものであった。
∴
景時らは箱根を越えて伊豆国に至る。
彼らのここまでの歩みだけを見れば、上洛を企図していると言われても申し開きは出来ない。
だが、ここに付き従うのは特に信の厚い郎党のみ。その数五十騎にすら満たない隊伍、これでどうして上洛が、その先が為ると思えよう。
日も沈んで数刻、彼らは夜を駆けていた。
それでもなお西進し、駿河国清見関(きよみがせき)まで辿り着く。目の前の暗夜に突如の篝火、ここで地侍が矢を射かけて来た。
「定石だ! 予め知るべき事であったな!」
「ええ、北条丸(※2)殿の事ですから、ここは絶好の地点でありました」
迫る徒武者を太刀で払いながら抜けようとするが、往来に逆茂木を設えられ、あえなく転進を余儀なくされる。不案内なこの地では、散り散りになる方が危険が高い、まとめて迂回しようと馬を返す。
「三郎! 何をしている!」
他の者が転進する中、一人景茂だけが付いて来ず、太刀を構えていた。その向こうにはこれも一人の武者。
「我こそは、当国入江(いりえ)荘の住人にして藤原南家工藤流、吉川小次郎友兼! よき敵と見る、お相手願う!」
吉川友兼(きっかわともかね)、彼は富士野の巻き狩りで曾我祐成に道を譲った者であった。これは都合が良いと景茂は勇んで叫ぶ。
「父上、兄上よ! 名乗りを受けてしまったからには行かねばな! 我こそ平朝臣景時が子、梶原三郎景茂なり! よき敵ぞ、存分に参られよ!」
もはや振り返る事は無い。景時はその勇姿を瞼に焼き付け、他の一族郎党を連れて駆け出す。
東海道を南側に逸れ、海側に迂回路を見出そうと駆ける彼らに、またも追っ手がかかる。今度は数人ごとではなく整斉と戦列を並べ、篝火に照らされたそこには、景時の見た顔もあった。
「これは飯田殿、北条小次郎殿のお使いでござるか」
現れたのは相模国の住人、飯田家義(いいだいえよし)であった。
この期に及んで不敵に言い放つ景時に、馬上で堂々と弓を携える家義は、ピクリと片眉を上げ答える。
「誰が北条丸の小間使いなどするものか! 俺もお手前と考える事は一緒だ!」
彼もまた、かつての石橋山で敵方に在りながら頼朝の窮地を救った者であり、頼朝に、彼の思い描いた世に心を馳せた一人であった。であればこそ、景時が最期に望む事もよく理解していたのだ。
景時は心からの笑みを浮かべて叫ぶ。
「それは有り難い。だが少しばかり早過ぎる。済まぬが俺の子らに、地獄の鬼に会う前の稽古をつけてやってくれ!」
「平三殿! いずこに参られるのか!」
いっそのこと連れて行ってやらぬでもない、どうせこの融通の利かぬ男は己で始末を付けるのであるし。家義はそう思い、そう言いながらも、兵馬を推し出す。
「あいにくと、三浦に水軍を押さえられてしまって、行きたい場所へ行けなくなった。この際は開き直り、せめて少しでも天に近い所に行こうと思っておる!」
「ならばあの山が良い、富士も駿河湾も一同に眺められようぞ!」
暗夜に白んだ東からの明かりを受け、山体がほのかに浮かぶ。
景時は弓を持ったままの弓手で拳を突き上げ、それに応えた。だが追っ手は迫る、それを阻もうと轡を並べるのは景季の弟達。六郎景国(かげくに)、七郎景宗(かげむね)、八郎景則(かげのり)、九朗景連(かげつら)の四人。加えて、今や三十足らずとなった郎党の内の半数がそれに従う。家義が指し示したのは北西の小高い山、確かに見晴らしは良さそうだと景季は行く先を見定め、叫ぶ。
「皆! あそこからの眺めを土産にするので、僅かながらの遅参、許せよ! 景高、磨墨、参ろうぞ!」
景高は黙って頷き、磨墨はその声に応えていななく。磨墨は歳からは考えられぬほどの速度――宇治や生田を駆けた時よりも、なお速く駆ける。
景時と残る一族郎党も、その背を追って山へ向かう。
彼らの後ろで景茂は吉川小次郎と相討ち、四人の弟とそれに従った郎等達は存分に戦い、散っていった。
山に駆け上がろうと狭隘な道を行こうとする景時らの前に、またも駿河の衆が迫る。今度は景高が前に出て、残りの郎党を従えた。皆始めからから決死行を承知の者ばかり、このまま駆け上がって自刃よりはと、喜び勇んで前に出る。
「父上、兄上、駿河の海に富士とは贅沢な眺めでありましょう。土産を楽しみにしております。お先に」
「皆、少しばかり良い思いをさせてもらうぞ!」
景時が言うのに、景高以下郎党は鬨の声で応える。天を突くほど轟々たる声に、駿河の衆の馬が怯む、それとは裏腹に弾む様に駆け上がる景時と景季。磨墨が景時の馬まで引っ張り上げているようであった。
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山頂か、少なくとも辺りにこれより高い峰が見当たらぬ所まで上がって来た。木々に囲まれていた林道から抜け、辺りが開けた場所まで来た頃には、東の空は燃える様な朱を映していた。
その光の中、景季は急に体を投げ出された、磨墨が倒れたのだ。彼は己の身体の痛みより先に磨墨の身を案じ、しかしそれはもう無駄だと察して語りかける。
「磨墨、今までよく頑張ってくれた。ここからお前の故郷は見えるか?」
陽光に青鹿毛を光らせる磨墨は、横たわりながらか細い息を続け、北の方へ顔を向ける。
磨墨の生地は龍の背の様な銀色の峰に隠れ、見通す事は出来ない。だがその視線の先に、間違いなく彼の生まれ故郷はあった。
歳を押して無理を押して、心の臓がはち切れんばかりに走ったのだ、主の最期の為に。苦しいはずであるのに、磨墨は静かに息を引き取った。
「すぐに行くから、先に待っていてくれ」
うっすらと開いていた目を閉じてやり、景季はその亡骸に言う。景時もまた下馬し、どこへなりとも行けと馬を放ってやる。
二人は、家義に言われた通りの光景を見回した。いや、彼が言った以上であった。
東を見る。箱根の銀嶺は権現が後光を背負った如くに輝き、その影となった駿河湾を徐々に朱に染めてゆく。見れば、白い富士山もその様に染まり始めていた。
「あの山は、登る物ではないな。何せ聞いた話では、この山ぐらいの高さを十重ねても、まだ足りぬらしい」
「そんなに……」
この国で最も高い場所、そこにも興味はあるが、登ってしまってはこの優美な様を見る事も出来なかったろう。景季は朱に染まった富士を、うっとりと眺めた。
その彼らの後ろに、音も無く降り立つ一つの影。
景時も景季も、刀を鞘に納めたまま静かに振り返る。
朝焼けの光の中に降り立ったのは、射命丸だった。
「御最期と思い、念仏を捧げに参りました」
これを以てすれば、僅かなりとも六道(※3)輪廻を穏やかに廻る事が出来るであろう。彼女の心底に他の気持ちは無い、赤心であった。
彼女が応答を待たず勝手にそうしようとすると、景季がそれを制する。
「念仏など要りません、我らが廻る先は決まっております。それに、磨墨の元へ行けなくなってしまう」
三悪道に地獄行き、逝くべき先はそこなり。次に、実に明るい貌を浮かべながら彼は言う。
「一貫坊様、当麻、、、太郎殿には過日の一ノ谷での恩、源太は最期まで忘れなかったと、お伝え下さい」
もう思い残す事は無いか。しばし思惟を廻らす彼の背を、強い熱を持った者が抱く。僧姿の太郎であった。
「お止め下さい、決意が鈍ってしまいます」
そんな物は鈍らせてしまえ。太郎は大鎧の背に顔を押しつけ。願う。それは射命丸も願っていた。武士が何だ、自害が何だ、そんなものは範頼だけで十分だと。
「そうでした。お救い頂いたこの命、無駄にすることなく、参州殿には遙かに及びませんが、僅かなりと鎌倉の礎となりました。では父上、私は一足お先に」
太郎の想いを彼はしっかと心にとらえていた。それでも、逝かねばならぬのだ。
彼にも伝えるべき想いは数多にあるのに、他の全てを胸に納めたまま言葉を終える。
「うむ、俺もすぐに行くぞ」
射命丸は自身も望まないことではあるが、それでも太郎を景季から引き離す。
景季は膝を付いて腰刀を抜くと喉に当て、一尺余りの刃を柄までするりと刺し、呻く事も無く絶命した。
太郎の眼から涙がこぼれ落ちる。今の彼女は、泣くことを知っていた。
子が静かに逝くのを微笑みながら見送った景時は、射命丸と真っ向から視線を合わせて言う。
「一貫坊殿、蒲殿のことは申し訳なかった。俺があそこで死に、故幕下の後、蒲殿が今の鎌倉殿の後ろ盾になって下さっていれば、、、悔やみきれぬ。そして貴女にこそ、大事な方を奪ってしまったことを詫びる」
目を瞑り、彼は思い起こす。優しくありながら、猛々しくもあることが出来た彼の姿を。
スッと息を吸って止め、言葉を続ける。
「それと吉祥の方――いや、ゆや御前への謝罪は、貴女に託したい」
遠江、池田荘か蒲御厨が目指す場所であったのか。
射命丸はここまでの梶原一族の逃避行にようやく得心し、言う。
「ゆやの事、ご存知だったのですか。ですがもう、ゆやは――」
あれから幾年か過ぎた。それは多くの者が生まれ死に行くには、十分な時間だった。
「左様であったか、遅すぎたか……」
「私も太郎も、ゆやも、あなたを恨んでなどおりませんでした。あれが範頼様の決めた道であればこそと」
何の遺恨も無いかと言えば嘘。だが、実直なこの男こそ、それをずっと悔やんで生きて来たのだ。それに最期に浮かべるのが恨み言でなく侘びの言葉であれば、責めるべくもない。
「あの世で蒲殿に詫びられぬのも悔やまれる。この素晴らしい景色を枕に死ぬるが俺で、蒲殿をあそこで死なせたのを。彼の方が死なねばならなかったことを」
景時は、自身が彼岸より巡るのは、息子共々に地獄であるべきと決し、言う。範頼の元には行けまいと。
射命丸はその言葉を正しく理解して、思う限りに伝える。憐れみでも慰めでもない真心を。
「あのお優しい方々のことです。きっと、この景色が如何であったかなどと伺いに、あえて平三殿の元へおいでになるのではないでしょうか」
二人とも決して聖人などではなかった。生きたいように生きたいと望み、そうであれずに懊悩した、当たり前の人であった。
ただ他の多くの人々よりずっと、本人達が思うよりも遙かに、純朴でもあった。
「……で、あろうな」
景時は思った。範頼が望むとおり職を辞し、位の返上が叶っていれば、彼はどれ程幸せであったろうかと。
だが頼朝こそ彼を必要とし、景時も同じくそう思っていた。誰かに求められる、武士でなくとも人であれば喜ぶべきである。
黙したまま鎌倉の方を向いて蹲踞の姿勢を取る景時に、射命丸はこれが最後と問い掛ける。
「ひとつ伺いたい事があります。範頼様を救えず、前幕下を亡くし――それでもあなたをここまで生かしたものは、何だったのですか?」
責めているのではない、先程からのやりとりで景時にもそれは分かる。彼女が言葉通りにただ疑問を投げかけているのが。
彼はしばし目を瞑り、黙想する。
頼家の為か、違う。鎌倉源家のためか、それも違う。
では――
「もう少し、見ていたかったのかも知れませぬな」
「見たいとは、何を」
「この国の、未来を」
目を開き、眼前に広がる黒々とした駿河の海を脳裏に焼け付けながら、そうであったと自身が信じる答えを返した。無尽の富を持つでなく無窮の力を持つでもない、ただの人が長く生きようとする理由は。
半生に疵(きず)を持つ者は、後半生はそれを繕うために費やす。ゆやが範頼が、頼景がそうであった。頼綱のこれからもそうであるように。
だが景時は顧みること無く、繕いきれぬ疵を無数に付けて、それでもひたすら先を見て生きて来た。頼朝に見出したものの趨勢を、彼は確かめたかったのだ。
射命丸は思惟を止め、はなむけとすべき言葉を紡ぐ。
「では私が、目に留め、文に記して、しかし明かすことは叶わぬかも知れませんが、私が、見届けます」
人ならぬ妖の、百年千年に及ぶ命ならば叶う。傍観者として、山も郷も戦場も睥睨する鴉として見届けようと、そこまで通じるのは期待せず、思う。
射命丸の言葉を受けた景時は、一言も発することなく、従容(しょうよう)と刃を手に取った。
* * *
景時親子の首級は、彼らを怨み憎む者達により馬蹄にかけられ、徹底的に砕かれたという。
その誰の物か分からなくなった首級は、果たして彼ら親子であったのか。いや、そもそもそこに、それはあったのか。
また別の説では、息を吹き返した磨墨が主人達の首の髻を咥え、走り去ったともある。
真実を知る者は僅かである。
第29話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 連判状:志を同じくする者が、署名して判(花押)を押し、その結束を確かめた書状
※2 北条丸:京守護として京に上がった北条時政が、公家達から受けた蔑称。ここでの“丸”の字には、十分に年を取った彼を、半人前の子供とする意図がある。
※3 六道:仏教における概念で、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道がある。三悪道とは、畜生道より後ろのものを言う。
本話タイトルと、ラストの射命丸様と景時の会話にピンと来た人は、僕と握手!(by.ハサマリスト)
木ノ花 後編 一覧
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結局俺には、連中だけか でも良い人達ならばそれで十分ですよね。
お読み下さって有り難うございます。
>結局俺には、連中だけか
分かって下さりましたか!
全く以てその通りで、次回まで残る登場人物たちは、正にその様な人達です。