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木ノ花、疾風に咲く木ノ花 後編   木ノ花後編 第3話

所属カテゴリー: 木ノ花、疾風に咲く木ノ花 後編

公開日:2016年08月05日 / 最終更新日:2016年08月05日

 廿八./宋銭(西暦1186~1187年)

 しずが鎌倉から帰洛するのに前後して、鎌倉に一人の老僧が招かれた。
 特定の宗派には属さず、大それた上人でも無ければ名の知れた聖でも無い。ただ、よく歌を嗜み故事に通じる者であった。
 東大寺再建の勧進の為に奥州に向かった帰りの彼。義経が、幼少の頃辿った鞍馬山から奥州へ至る道程を再び下っているとも見られる中、奥州の最近の情勢を知る者はそれだけで貴重でもあった。
 鎌倉でまず彼に応対したのは、範頼付きの僧と言う事で勝長寿院に勤めていた射命丸。
 射命丸の彼へ対する第一印象は、一言で言えば“慣れたモノ”であった。彼の周りには不思議な気が満ちていた、それも己に近しい何かが。
「西行阿闍梨(あじゃり)、二品(にほん)(※1)様のお出ましまで今暫く掛かります故、僧房にてゆるりとなされては如何でしょう?」
 それには――齢七十に至るとは信じられない――、初老にも見える、ほどよく福々しい顔が微笑みを返す。朝に会った時には長旅ゆえの無精髭が目立っていたが、今は頭頂同様に剃り上げられ、すっきりとしている。
「いや、折角こうして新都の伽藍を見られるのですから、勝手にうろつかせて頂きます。それと私は阿闍梨ではありません、ただの物見好きの僧ですので」
「これは、大変なご無礼を……」
「まあ、歳だけは食ってますからなぁ」
 ただの物好きの僧がこの様な気は漂わせないであろう。本物の通力を持ち、もしかしたらでなく己の正体にも気付いている。射命丸はその前提で接していた。
「時に、一貫坊殿と仰られたかな?」
「はい」
「参州殿にお付きとか」
「はい、元は遠江国秋葉寺の僧でありますが」
「それでは、私が声を掛けるわけには行きませんな」
 またこの手合いかと、やや緊張していた射命丸は肩すかしを食らい、嘆息する。
「私が如何なるモノか、お分かりでしょうに……」
「はてさて、何をでありましょうや」
 元は北面の武士で兵衛尉として勤め、今はこうして諸国を廻る僧、西行法師。
 己が良民に害為す物怪であったなら、彼も某かの手は打ったであろうかと、射命丸は考えていた。当然、そんな事はあり得ないのであるが。
「西行様、それはともかくと、もし宜しければ二品様のおいでまで奥州の事を伺いたいのですが」
 射命丸は奥州に馴染みは無い。しかし次に戦があるとすればそちら。果たして範頼がどの様な形で赴くかは分からないが、彼のためには他の御家人を出し抜くぐらいの情報が欲しいかった。
「いや、二品様も落胆されるかも知れませんが、私が知る話に大したものなどありません。ましてや予州殿の行方などは、鎌倉以上には知りませんよ」
 射命丸の気持ちを見透かしてか、西行は質問を躱す。
「ただ――」
「ただ?」
「ただ、、、西国より、よからぬモノが訪れた気配だけはありました」
 あえて言うほどのモノ。一体何であろうかと首を傾げて射命丸が改めて問おうとすると、そこへ小坊主が現れ、間もなく頼朝が到着する旨を告げる。
「随分と早いお付きですな、まあ鎌倉殿ともなれば暇などありませんか」
 あちらから足を運ばれるだけで恐れ多いなど言いながら、射命丸の導きに従って本堂へ戻る西行。
 西国からのモノ。気になる話ではあったが、ここで食い下がってまで聞く話では無かろうと、案内を終えた射命丸は暇乞いをするのであった。

 夕刻になり浜の館に帰り着いた射命丸は、まだ範頼が帰っていないのを知り、ゆやに尋ねる。
「範頼様でしたら、本日は御所にお泊まりになるそうです」
 聞けば特に大きな出来事があった訳では無く、頼朝とあの西行との会談に同席させられるとの事。やはり奥州、義経がらみの話であろうかと射命丸は予想した。

 秋口らしく、涼やかと言うには過ぎる風が吹く中、御所では西行と頼朝が対面し、その立ち会いをする風に範頼が座している。
 濡れ縁には警護の兵や、直に就く供回りの者、本日は梶原景季も居る。彼らは寒かろうなと範頼は考えながら、二人の話に耳を傾けていた。
 会談の中身は意外にも、奥州での諸事や義経の行方に係る件では無く、あくまでも歓談であった。
 範頼は、その会話の中で頼朝が何故その重要な事を聞き出さないのかを知る。
 西行が元々武士であったのは事前に知っていたが、彼は北面として家を継いだ後、俵藤太秀郷以来の兵法書を焼いてから遁世したと明かしたのだ。それは人殺しのための知恵であるからだ、と。故に、奥州での戦乱に確実に荷担する話を忌避しているのだ。
 しかし焼いた兵法は皮肉にも彼の頭の中に収まっており、頼朝の求める話の一つもそこには有った。
「流鏑馬(やぶさめ)の作法、でありますか」
「うむ、大和武士には古くからの作法が伝わっていると聞くが、板東にも俵藤太の作法があるとされる。それを是非、鎌倉の祭事に取り入れたくてな」
 春日大社で奉納されるのとは別の、独自の、だが由緒ある様式を頼朝は必要としていたのだ。
「あくまで調練の一環であると言うなら、拙僧如きが知るものならいくらでもお話し差し上げましょう」
 頼朝は書き留めるでも無くそれを聞き、西行同様に頭の中に収める。論語も何もとうの昔からそらんじるという頼朝。これこそ鎌倉の主たる者かと、その才に範頼は驚く。
(そう言えば、無断任官の方々に下した悪口(あっく)も、よくよく聞けば見事に特徴を捉えていたなぁ……)
 あれも御家人の事を隅々まで覚えていればこそかと、範頼は今更に感心する。
 そんな事を思い浮かべつつ話を聞く範頼に、頼朝が呼びかける。
「蒲殿。お主、歌は嗜むな?」
「はい、拙い物でありますが」
 どうやら話は、兵法よりも西行が好むそちらに移ろうとしていたらしい。ただ歌の心は頼朝には難しく、範頼が西行から聞き、噛み砕いてから説いて欲しいと――有り体に言えば珍しく泣きつかれた。
 そちらは任せる、と場を辞す頼朝。客人を残して行っていいのだろうかと範頼は首を傾げるが西行に気にした様子は無い。最初からこの予定だったのだ。
「さて、歌などはまぁ参州殿は十分にご存じでしょうから、それを好きに二品様に語ればいいと思います。それより、参州殿は何かを悩んではおられませぬか? そう、例えば武士としての有りようなど」
 それはずっと思って来た、それこそ始めから。
 武士として十分に修めた佐藤義清(さとうのりきよ)ですら、思い悩んで仏門に入り、西行法師となった。ただ義朝の血を継いだだけの範頼がそう悩まぬはずが無いと、歳と共に多くの経験を重ねた老僧はその心底を見破っていた。
「しかし私には、付き従ってきてくれた者達への責任があります」
「左様でありましょう。ですが弟御を敵に回す事、決して心安らかではありますまい」
 実を言えば、既に間接的には義経と敵対している。
 前年、養父藤原範季が義経を匿った廉(かど)で解官され、やむなくその実子の範資(のりすけ)に追捕の兵を都合したりもした。自身の弟であり、英雄と戴いていた義経を己の兵が討つ。範頼がそれを悩まぬはずが無かった。
「西行様、私はどうするべきなのでしょうか」
「何をするのも参州殿の心次第。武士の身でも、戦う以外に出来る事はあります。僧籍に逃げた私と違い、貴方にはそれが有るはずです」
 仏門に歌に穏やかに邁進する事、それを西行は逃げると語る。その老いてもなお若い目の奥には、もっと深い懊悩がある様にも範頼には見えた。
 その後、範頼と西行の話は夜通し続き、明くる日、多くの御家人の逗留の求めを辞して、西行は旅立ったのであった。

       ∴

 稲の刈り入れなどが終わり、田畑が閑散とする季節。浜の館には今日も家人が集っている。
「蒲殿、帰って来てまでお仕事ですか」
「はあ、これが畑仕事の様に、見通しがあるものならどれだけ楽か……」
 こうして弱音を吐露するのも、相手が射命丸であるからだ。彼女以外にそう出来るのは、ゆやか相良の兄弟ぐらい、次長が耳にすれば「源家の一翼を担う者ががなんと情けない!」とお決まりの叱責が返る。
 情けない姿を見せてはいけないのは理解しているが、とは、叱責の後にやはり範頼が漏らす愚痴であった。
「田畑はお天道様次第ですから、あちらはあちらで大変なのも――」
「はい、心得ております」
 牛馬と所従を多く抱える家ならば畑仕事などはそれらにやらせるだけであるが、実際の所は武士であろうと鍬や鋤を持って畑を耕すのが当たり前である。
 そうでなくとも、御厨での範頼は農作に係る事についてはよくよくと――漢籍に次ぎ兵法よりも――学び、実践していた。
「私にお手伝いできる事があったら、なんなりと」
 言われて範頼は苦笑いし、すこし考え込んでから数巻の書物を渡す。
「では、お言葉に甘えて」
 射命丸が渡されたそれを開くと、そこには東国各荘園の田畑の分布と収量などが記されていた。
「えーと、これは?」
「検地の結果と、それから期待される収穫です。今はこれをとりまとめ、鎌倉としての税収と、坂東で年貢取り立ての根拠とするのです」
 なるほどこれは大変そうだと一覧してから、作業内容を確認しそれに取りかかる。
 数字を使うのは難しいと思うそばで、案外と頼景がそれに強いのを思い出す。西国からの帰りがてら、どこからか舶来の算盤なる品を手に入れていたりもしたとも聞いた。実用の場面は誰も見た事が無いが。
「そう言えば頼景殿はいずこに?」
 範頼も同じ事を考えたのであろう。彼を使えばもっと楽になるのではと、射命丸に問う。
「さっきは門前で太郎と暇そうにしてましたが、、、手伝わせ、ます?」
「ええ」
 ならばと席を立つ射命丸。まず役には立たない太郎にも、ゆやの手伝いでもさせるかと考えた。

 門前で太郎と暇そうにしていたはずの頼景達は、今そこで門衛と共に一人の巨人を迎えていた。
 頼景は範頼本人が迎えに来るよう、また歓待の準備をするようにと言付けし、太郎を走らせようとする。その相手とは、上総介足利義兼であった。
「いや、少し世間話をと思って立ち寄っただけですので。それも、お邪魔で無ければ」
 頼景は太郎を呼び止め、己が案内するから範頼には知らせ、やはり歓待の準備はさせよと再度走らせる。
「それでは、拙者がご案内致します」
「よろしくお願いいたす。ときに、あなたが当麻太郎殿でしたかな?」
 頼景は首を捻る。義兼には鎮西でも会っていたが、名乗った事は無かった。名を知らぬのも当然。
「いえ、拙者は遠江国相良の国人、相良四郎頼景と申します。当麻太郎は先程の、白髪の者でございます」
「こ、これは失礼。いや、あなたの卓抜した手綱さばきを幾度となく見ておりましたので、これが音に聞こえた当麻太郎殿か、と勘違いしておりました」
 戦場での様子とは違い、普段は気は優しくて力持ちを地で行くのであろう義兼。誤謬を慌てて正し、申し訳なさそうにしている。
「いやいや、拙者も元は田舎の相良牧で馬を駆ってましたので、馬の取り回しで上総介殿に覚えて頂けたのならば、誇りとすべき所です」
 太郎の活躍は徒武者としては尋常では無い、知らぬ者なら当麻太郎が騎馬武者と考えて当然。
 もしかしたら他にも同じ勘違いをしている者が多いのでは無いかと、頼景は少々不安になる。
「大太刀を自在に操り、常に参州殿の側にある武者とは知っていたので。あなたなら正にその通りかと思い、翻ってあの小兵の方はとてもその様には、と」
「なるほど。あの大太刀は元々拙者の物でしたので、その様に見えるのは当然かも知れませぬ」
 では見る目は間違っていなかったのだなと、義兼は満足げに笑みを浮かべる。
「上総介殿、御用でしたら伺いましたのに」
 太郎が伝え損ねたのではないが、範頼が小走りに近付く。その後ろには彼女も続く。
「これはかたじけない。参州殿もお忙しいでしょうし、ふらりと寄っただけだったのですが」
「それは伺いましたが。ともあれ、どうぞゆっくりとしていって下さい」
「それはありがたい。と、そこな方が当麻太郎殿ですな? 小山殿からもご活躍を聞き及んでおりますぞ」
 急に言われた太郎は、慌てて深く頭を下げる。耳が見えはしないかと、範頼らも本人も気が気でない。
「この者、実は病で口がきけぬのです。無礼の程は平にご容赦を」
 全く声を発しないのを不審に思われる前に、範頼が先んじて常から用意している嘘をつく。
「なんと、相良殿の事と言い失礼を重ねてしまいました。申し訳ござらん」
 太郎はそれを受け、なお深く腰を折る。
「立ち話もなんです、どうぞお上がり下さい」
 範頼が導くままに義兼は館に入る。あまりの上背であるため、頼景でも頭の届かない戸口をくぐりながら。
「そういえばあの御仁、かの鎮西八郎(ちんぜいはちろう)の落胤などという話もあったのう。源為朝(ためとも)だ、知っておるか?」
 太郎が首を振る。
 保元の乱で義朝らの敵に回ったその弟、源為朝。結果的に朝敵となったが、恐るべき武の持ち主であった。
 知っていたらそれはそれで驚きだと、頼景はこの様に簡単に説明し、義兼の事についても補足する。
 義兼のあの体躯は、かの人物譲りだとは噂話程度に語られる事。元々頼朝とは母方の従兄弟でもあるが、この場合は父方の血筋で近くなる。頼朝の重用故にそう語られるのかも知れない。
「ああ生憎だが、上総介殿は鎌倉に都邑を整え始めた時分に、鎌倉殿の勧めで北条殿の娘を室に迎え――なんだ、その目は」
 太郎が目を半開きにしてジッと何かを伺う風にしているのを、頼景が咎める。
「グルル……」
 生憎だが、の後から、またそれかと言う代わりに嫌そうに唸る。
 頼景にも彼女が何が言いたいのかよく分かっている。
「まぁしかし、そのうち何とかして、だなぁ」
「ガゥ!」
 太郎に気押されて頼景は黙り、すぐに侘びを入れた。

 義兼を迎えた範頼は、上座を譲るも辞退され、結局横並びになって座していた。
「旦那様、お酒を先にお持ちいたしましょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
 戸を開けて御用聞きをするのは、下女ではなくゆやであった。義兼に向き直って指を着いて頭を下げてから、静かに下がって行く。
「吉祥殿でしたかな、儚げな方ですなあ」
「いえ、上総介殿、あの娘はああ見えて結構なお転婆ですから、ご安心下さい」
 儚げではあるかも知れない。しかし今は、かつての元気さを取り戻しつつもある。
「なんと、お転婆はよろしいですな」
 言って小気味よく笑う。
 そうして各々の家の諸事について歓談しあう内に酒が、しばらく経ってから少しの酒肴も出されて来た。
「いや、大事な話をするのは緊張してしまって、酒でも入れないとおられないのです」
 それだと粗忽さを助長するのでは無いかとも思わせるが、それよりも大事な話というのは気になった。
「やはり、何か?」
 世間話とは建前、もっと重要な事が隠れているのは察しが付いていた。
 真顔に戻って身構える範頼、義兼は笑顔のまま。
「ご安心下さい、そんな大事(おおごと)ではありません。いえ大事と言えばそうなのですが」
 義兼は世間話を切れの良い所で止め、代わりに本題について語り始めた。

       ∴

 一時、二時と話し込み、日もとっぷり暮れた時分で義兼は暇乞いし、帰宅した。その間は殆ど本題の論議を範頼と繰り広げた。
 彼に替わって次長と頼綱が帰宅すると、範頼は彼らと射命丸や頼景達も呼び出して、一室に集う。
「久しぶりに上総介殿を間近で見ましたが、相変わらず懐具合そのままの懐と、見た目の大きな方ですね」
 射命丸が言う。秋葉山の三尺坊も大きいが、義兼の方こそ人間なのかと疑いたくなる大きさだと。
「上総介殿が、では何か大事なお話が」
「世間話と言っておられたぞ」
「四郎殿、よく考えられよ。多忙さでは参州殿に引けを取らぬ上総介殿が、世間話などに寄ると思うか?」
 頼景がふむんと息を漏らすと、範頼が本題について話し始める。
「本日上総介殿が来訪されたのはご承知の通りですが、実はある事についてご提案を受けました――」

 曰く、本旨は宋銭の停止であった。
 従来では、資産価値の本位になるのは准絹で(じゆんけん)あり、それから相対的に准布(じゆんぷ)や金銀(きんぎん)、あるいは准米(じゆんまい)の価値が決まる。そして、例えば准絹一疋(ひき)は米なら二斗という具合に、估価(こか)(※2)が公定される。
 しかし宋銭の輸入と、これを本位に置こうとした平家により、従来の価値が狂わされる事にもなったのだ。これが院と清盛との確執の原因の一つとも言われる。
 それでも西国は早くからこれが浸透したから良い、しかし東国は価値感にズレを来していた。そのため、嘘か誠か大番役の坂東武士が京から裸一貫で尾羽うち枯らし帰って来た、などという話もある。
「それで何故、上総介殿が」
「兄者、足利氏の本拠は絹の名産地だ」
「うむ、特に布などは、南都が都であった頃から上質な品を納めるなど、よく知られている」
 頼綱と次長に言われて、むぐと黙る頼景。これを射命丸が助ける。
「それは知っている前提だ――でしょう?」
「そ、そうだ、頼綱も勝間田様も早とちりなさるな。なぜこの話をここへ持ってきたか、だ」
 それには一旦黙って考え込む。範頼ですら今まで疑問に思っていなかったのか、「そう言えばなんででしょう」と首を傾げる。
 答えらしき物を導き出したのは頼綱。
「これは公文所、いや、政所で諮るのでしょう?」
「はい、鎌倉殿以下定められた御家人との一揆を以て朝廷へ、院へ上奏される運びになるでしょう」
 御家人と合議を持ち、同意を得る事。また朝廷へ、とは言ったが、これは有力な公卿への委任となる。
 各人その仕組みは承知と、頼綱が続きを述べる。
「どれだけの方が、心から賛同する事でしょう」
 数と理詰めでやむなく同意、というのは大変拙い。そういう事が禍根となってよからぬ結果につながるのは、蒲御厨でも訴訟を扱って来た範頼にも想像が付く。
「そこで鎌倉殿の弟の出番、となるのか」
 義経は全くの論外。残るのは範頼と、一応あと一人、今は駿河国駿東(すんとう)郡の阿野(あの)荘(※3)を領して阿野との名乗りを始めた全成。
 その参陣は頼朝の弟達の中で最も早いが、ただし今はその同母弟の義経が謀反の最中。表立って何かをするには折が悪い。
 この銭貨停止は多くの御家人にとっては得になるが、やり方を間違えると逆に一族丸ごと破産して路頭に迷う者まで出かねない。否、そうなる前に暴発するのが坂東武士の――大変悪しき――性質だ。
「それは、もしかして、、、場合によっては蒲殿の身が危うくなると言うことではないですか!」
「なんと! 上総介殿は己の財の為に蒲殿を捨て駒にするおつもりか!」
 射命丸と次長が同時に憤慨し、ひとまず落ち着けと範頼と頼景がそれぞれになだめる。
「上総介殿がそんなみみっちい方なら、我々は西国でとっくに飢え死にしてますな」
 西国では彼が本拠より持ち出した准布がものを言った。上総の上品の布、八丈の絹布一疋は米八十石になる。ただし飢饉の西国では足下を見られ、更なる支出を余儀なくされたのも皆知っていた。
「う、む、そうであったな」
 射命丸は先程一覧した検地表を思い浮かべる。
「あと、上総介殿は荘園の経営もとても上手くしているみたいですからね。戦であれだけの私財を投入しても余裕を保っているぐらいですから、財政に関する感覚はかなり高いのでは」
「もしかして、宋銭にはもう手を出している、と?」
「はい、京の寺社筋ではだいぶ流行っています。もっとも、銭出挙(すいこ)(※4)で負債を抱える者が大変多いと聞きます。いずれも地力を考えぬ投資だったのだと思いますが」
 利子という感覚が薄かったのか、単純な計算すら出来なかったのか。そちらはともかく、義兼は今ある資産にあぐらを掻く輩ではないらしいし、先を見越して銭貨を手元に蓄えているのではと射命丸は推察した。
「なるほど。ときに参州殿、その合議に参加する御家人への根回しはどの様にするおつもりか?」
「えーと、根回し、ですか?」
 その言葉を知らないという事は無いだろうが、どうやら考えていなかったらしい。問うた次長は肩を落としつつ続ける。
「一貫坊殿が仰った上総介殿の銭貨貯蓄も、また今から言う事も想像であるが、かの方が根回しに回るなら説得力はありそうである、と考える」
 範頼が矢面に立つ事になるが、実は彼自身もそれなりに労力を割くつもりなのではないかとの期待。相手によっては、彼は範頼以上に苦労するかも知れない。
「多分、私より懐を痛める事になると思いますが、上総介殿はそれでいいのでしょうか?」
「上総介殿は先の乱同様、表立った名声や財産以上のものを得る算段を考えているのでしょう」
 平家追討の後にしても、その論功行賞程度では義兼は額面上の元が取れていない。しかしながら彼は、頼朝はじめ多くの御家人の信用を得た。
 今回も範頼に花を持たせつつ、自らも得難い実を取ろうとするのだとしたら、納得できる。
「まあ、いずれも想像の域を出ませんが。これは蒲殿にとっても、三河守ここにありと名を上げるまたとない良い機会になるでしょう」
「大げさだ大げさ。だが、中々面白そうだ」
 範頼は元より、相良の兄弟に射命丸も、望む所だと愉快そうにする。
「む、ワシはこれにて失礼させて頂く」
 次長が中座しようとするのを見て、頼景が厭な笑みを浮かべる。
「おや勝間田様、この様な話は苦手ですかな?」
「武士は刀を振るで無ければ鋤や鍬を振るうだけで十分! 筆を振るうのはお任せする!」
 言い残してズカズカと部屋を退出する。それと入れ替わりに、飯を持ったゆやと太郎が現れた。
「次長様はどうなされたのですか?」
「いやいや、大したことは――」
「頼景殿が勝間田殿をからかって、怒らせました」
 射命丸が言うと、ゆやも苦笑して事情を求める。
 範頼らから一連の話を聞き、彼女もようやくおかしそうに笑う。
「元滝口武士なら、筆はいくらでも振るいそうなのに。でも、忙しくなりそうですね」
「クゥーン、ヲフ」
 ゆやも太郎も、直接は無理でも自分にできる限りの助けをしようと言う。
 それから数日、四人の連日の徹夜の甲斐もあり、悪戦苦闘しつつも何とか宋銭停止についての説得の材料はまとまり、政所へ持ち込む事になる。
 しかし根回しの余裕は無く、不安の方が大きかった。

「――であります故、宋銭の使用を停止するよう、朝廷の然る筋を通し、求めたき次第に御座います」
 上へ座する頼朝の他、範頼や義兼を含めて十余名が合議を持つ。予想よりも少ないが、名だたる顔ぶれに範頼は緊張しながらも陳述を終えた。
「御殿、今の蒲冠者の案件、如何に?」
 脇へ控える盛長が頼朝に求める。
 しばしの沈黙の後、頼朝は口を開いた。
「この件、ワシが自信の思う所で専横を行っては、ここに居並ぶ方々や郎党、その他の者達に不利益を産む恐れがある。ここは各人の一揆を以て決を採りたい」
「では、これに賛同する方は挙手なさいませ」
 範頼は驚く。義兼は当然として、二人を除く全ての者がこれに異議無く賛同したのだ。もっと囂々喧々とした事になるのを想像していたため、肩すかしを食った気分でもある。
 ただし残る二人こそ一筋縄ではいかない相手。
「御舅殿、どの様な異議がおありか?」
 まず一人目、時政に頼朝が直々に問う。
「宋銭の停止など言語道断、多くの家人が路頭に迷う憂き目に遭いますぞ!」
「それは、何故」
「既に宋銭を手元に置き、使用している者も居る事を考えれば、それは無理というものである」
 憮然と言い放つ。二人目に頼朝が問う前に、義兼が声を上げる。
「御殿、よろしいでしょうか」
「上総介殿、如何した」
「拙者の知る限り、鎌倉で宋銭を蓄えているのは、拙者と――御岳父殿ぐらいだと記憶しておりますが」
 時政は予想外だったが、義兼についてはやはりそうであったかと、範頼は納得して義兼を見る。彼は訝しげに、時政とは別の方を向いていた。
 視線の先には、先程挙手しなかったもう一人、景時。
「御舅殿、今の異議は取り下げなさるか?」
 語るに落ちるとまでは言われないが、時政も流石に恥ずかしかったのか赤面してうつむく。
「では、梶原殿は」
「この件は坂東主体のものでありますな。では、既に宋銭が広く流通している西国でこれが発布されれば如何なる事になるか。それこそ今異議に有った事が西国で起こり、反発を買うのは必定ではないかと」
 かつての、平家と院並びに貴族との対立の再来となりかねない。そしてこの事は織り込み済み。
 今度は範頼が反論する。
「実際の所、西国においてはこれが厳正に為されるとは、考えておりません」
「ほう?」
「しかしながら、鎌倉の意思としてこれを伝えれば、自ずと宋銭の流通が緩やかになると。これは布や米の流通の推移と併せて思料します」
 そもそも独自鋳造ではない輸入品の宋銭は、消耗品でもある絹や米に比しても数が少ない。平家滅亡も流通の目減りを助長している目減りしている。
「そのため、肝要なのは朝廷が宋銭のこれ以上の価値上昇を認めない事です。そして何より――」
「何より?」
「何より、銭貨は今後、また基軸に返り咲く事になると思います。今はその緩衝の期間を設け、全国でその価値観が共有可能になるのを待てればと」
 範頼が言い終わり正面を向くと、義兼が満足そうに頷いていた。この辺りは彼の期待した通りなのだ。
「今の参州殿のご回答、如何か?」
「これ以上、異議は御座いませぬ」
 盛長の問いに景時は挙手しながら答える。
「北条殿」
「ぬ、、、朝廷筋へ持ち込む前に、まだ若干の文言の取捨が必要であろうと。それ以外は、無い」
 彼も手を挙げる。
 この場はこれにて合意が為され、後日により細かく文言を詰める事が決められて、解散となった。

 廊下を行く範頼を義兼が呼び止め、語りかける。
「参州殿、流石でした。私など図体ばかり大きいだけで何も出来ませんで」
 時政までやり込めておいて説得力に欠けるが、範頼にとっては助けとなった。それに彼が根回しをしたのは間違いないのだ。
「上総介殿こそ裏で色々と動いて下さっていたのでしょう? 私の手柄にして良かったのでしょうか」
「ばれてましたか。いや、これは貴方でなければ為らなかったでしょう。しかし、何故平三殿はあの場であんな事を仰ったのか……」
「何かあったのですか?」
「いえ、根回しはまぁ当然したのです。そこであの方は、この件に諸手を挙げて了承しておりましたので」
 土壇場になっての手のひら返しにしても、あれだけの人間が賛同する中での事、ほとんど無意味。その意図は二人をしても量りかねた。
「ひょっとして、平三殿は貴方を買っているのでは」
「まさか」
 異議をぶつけて馬脚を現すのを待ったとすれば分かり易いが、今義兼が考えたのはその逆。今回の範頼の提案が浅はかで無い事を御家人らに知らしめるため、あえてあの様に振る舞ったのではないか、という事だ。
 景時が買っている人物など、頼朝以外は誰も居るまい。義兼も言っておいてから自分で一笑に付す。
「まぁ、結果は上手く収まりましたし、ヨシとしましょう。それと参州殿、もしかして勝間田五郎殿の事、聞いておられないのですかな?」
「と、仰られますと?」
「あのお方、昔は滝口武士として京におられたとの話で、その体験を以て各人の説得に輿力したいと拙者に持ちかけて来られまして、共に回っていたのです」
「そうでしたか……」
 これは知らなかった、彼は彼なりの助力を行っていたのだ。範頼は有り難いとそれを噛み締めた。

 範頼は帰宅すると、一揆が得られたのを伝えると共に、皆に礼を述べた。当然次長にも。しかし彼は「何の事か知らぬ」と、そそくさと立ち去ってしまうのだった。
 一人庭に出て物思いにふける次長に小袖姿の太郎が近付く。笑顔で、着物の下では尻尾が振れていた。
「やれやれ、お前は知っておったか」
「ヲン」
 次長の常とは違う働きをその眼で追っていた彼女は、範頼の代わりに重ねて礼を言いに来たのだった。
 孫娘とすら呼ぶ彼女に、次長は言う。
「この爺に出来る事など、こんな程度であるからな」
「スン?」
 遠い目をする次長。太郎はその意味が分からず首を傾げるだけであった。

 先の決議を以て、鎌倉は広元を京へ遣いに出し、範頼発出の意見として朝廷に願い出る運びとなった。
 そして最終的にそれを受け取る人物は、頼朝による内覧(※5)の職への推挙で政治の舞台へ戻った藤原摂関家の人間、九条兼実(くじょうかねざね)。
 頼朝の推挙の件だけで無く、範頼の京での養父であった藤原範季が兼実の家司も勤めているため、範頼自身の伝手で話を通しやすいのも一つ。
 更に彼は、清盛による院政停止より以前から宋銭は本邦の朝廷が定めた物ではなく私鋳銭と同じであると、既に流通停止を主張していた。
 立場から見ても申し分なく、この件を朝廷へ奏上するに当たってはうってつけの人物であった。

       ∴

 兼実に宋銭停止の案件が届いてからしばらく経ち、鎌倉では先般の西行法師の助言によって制式化が為された流鏑馬が執り行われた。
 今回の流鏑馬は、放生会(ほうじょうえ)(※6)という、生き物を放ち殺生を戒める『殺生戒(せっしようかい)』を顕示させる儀式の為に奉納されたものであった。
――これを始まりとして、以降の秋の八幡宮の例大祭の一環にこれらが組み込まれる――(※7)
 範頼は頼朝の供をしただけだったが、頼景らに近しい者では、遠州横地氏の横地太郎長重(ながしげ)などが的立(まとだて)を仰せ付かるなどしていた。
「――という感じで、こう、全力失踪する馬から的を射るのです」
 帰宅した範頼が語る。事前の予行は何度か見ているはずなのに、子供の様に興奮しきりで。
 続けて射命丸も感想を述べる。
「私も上から見てましたが結構近くに射るんですよ、一間も無いぐらい。遠くを射るより難しそうでした」
 上とは言っても、射命丸は八幡宮への出仕がてらに見ていただけで飛んでいたのではない。
「へぇ、面白そう。見たかったねぇ? 北斗」
 ゆやは腕の中ですやすやと眠る北斗丸に言う。確かに見物だったし、機会があれば連れて行ってやりたいとも射命丸は思った。
「しっかし聞いたか、蒲殿。熊谷(くまがい)次郎殿の件」
「いやはや、聞きました」
 十日余り前、流鏑馬の射手を指名した時の事。
 生田、一ノ谷の合戦で、――あの時は射命丸と対峙する動く屍人と化していた――敦盛の首級を挙げるなどした熊谷直実(なおざね)が、的立を指名されて断るなどしたのだ。それだけならまだしも、頼朝が諭すのも頑として聞かず、後ほど所領を取り上げる沙汰を下すとまで言われたのだ。
「射手でなかったのが気に食わなかったとか、よく分かりません。的立でも十分名誉な事だと思うのですが、、、ただの見物人よりは」
 お供も十分重要な仕事であるのだと射命丸は思うが、ハレの舞台というのには皆少し色気が出るのであろう。
「そうですね、やはりお役目を全うしてこそです」
 射命丸のこの言葉に、範頼の表情が沈む。また何であろうかと彼女が問おうとするのに次長が先んじた。
「蒲殿は鍛錬不足である。四郎殿の方が余程上手く務めるであろう」
 次長は、範頼がいくら射手を望んだ所で、よしんば選ばれようと勤め切れまいとして言った。
「勝間田様、そうでしょうがはっきり仰いますな」
 頼綱すらもが頷いて肯定すると、範頼はそうではないと前置きして言う。
「そうかも知れませんが、そうではないのです、特に今回は」
「何かあったんですか? 範頼様」
 ゆやの問いに、更に肩を落とし頭を垂れる。
「先般の宋銭停止の件で、右大臣九条様からも色よい返事があったとお褒め頂いたのですが――」
「が?」
「同時に[清涼殿の修繕の件が滞っている]と朝廷からお叱りが来た、と、鎌倉殿から御気色を……」
 実は一昨年に天子の在所である清涼殿が地震で損壊した後、その一部の修理を範頼が割り当てられていたのだ。それを完全に忘れ、今回見事に叱られたのであった。
 折角の功もそれで相殺。間の抜けた話だと頼景が呆れて言う。
「この、莫迦の冠者が」
 範頼はそのままの姿勢で乾いた笑い声を発し。ゆやも射命丸も、太郎すらも呆れながら彼を見る。
 言葉とは裏腹に頼景は微かな笑みを浮かべ、戦場では無い場所で働きを残した範頼を心中で労った。

     * * *

 宋銭の停止については、この二年後に朝廷から発布される事になる。しかし、完全な停止には至らずに流通はゆるやかに続けられた。
 結局の所、それは数十年後に鎌倉、朝廷共に使用を認める事になるが、その頃になると東国にも浸透しており、緩衝期間としての目論見は成功したと言えた。
 西国で多くの者が『銭の病』を患う中、東国にまでこれが及ぶのを抑える一役にはなったのであった。

 またこの時期鎌倉は掴みかねていたが、奥州では大きな異変が発生していた。義経を匿っていた藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が体調を崩し、十月に死去したのである。
 彼は今際の際に「義経を大将軍に据えて陸奥国の国務を勤めるように」と、子の泰衡(やすひら)に言い残した。
 この遺言が後に奥州の未来を決定づける物となる。

第23話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 二品:二位の位の事、正二位及び従二位のいずれもこう呼ぶ。頼朝の従二位への昇位は、劇中前年の宗盛捕縛の功を以てされている。
※2 估価:准絹、順布、准米等、物品相互の公定価格。尾羽打ち枯らして――の表現は、後に政子が飛ばしたとされる激から。
※3 阿野:現在の静岡県沼津市井出。当地大泉寺の墓地には今も、開祖である全成の墓が、嫡男のそれと共に在している。当寺は『首掛けの松』の伝説でも有名。
※4 銭出挙:利子。律令でも既に、利率や債務の扱いが定められていた。
※5 内覧:天皇に奏上され、裁可される文書一切に事前に目を通す役職。基本的に摂政及び関白に宣下された。
※6 放生会:捕縛した動物を放し、殺生を戒める儀式。そのまま、五戒の一つである『殺生戒』を起源とする。
※7 例大祭:寺社にとって最重要の祭礼。正しくは『大祭式例祭』と言う。作中ではこう記したが、本来は『大祭』。博麗神社大祭式例祭とは言わない、一応。

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