三十./奥州征伐(西暦1189年)
文治五年を迎え四月、遂に事は起こった。
そしてそれは、またひと月を空けて東国へ届いた。
侍所別当の和田義盛、同所司に収まった梶原景時。二人は一族郎党から選りすぐった二十騎を連れ、腰越に赴く。あえて鎌倉より離れたこの地であるのには、十分な理由が有った。
一団は腰越の浜で陣幕を張り、衆目を避けている。
「拝見いたしましょう」
鎧直垂姿の義盛が言う。同じく鎧直垂姿の景時も、義盛の後ろに控えていた。義盛が言葉を向けたのは、奥州藤原を継いだ藤原泰衡の使い、新田冠者高平(にったたかひら)。
彼らの間には、黒漆塗りの櫃が鎮座していた。
櫃の蓋を取る。そこに有ったのは、源九郎義経の首であった。
鎌倉の浜の館で腰越の浜での首実検の様子を語るのは、景時に選ばれて同道していた景季。
「確かに九郎殿の首だ、と和田殿も父上も言っておりましたが、覗き見た程度の私には、なんとも……」
梅雨を挟んで蒸し暑くなりつつある時期。櫃の中の首は美酒に浸されていたが、それでも保存には無理がある。判別が困難になっていても不思議は無い。
だがしかし、首実検の結果その首は紛れもなく義経であると断じられたのだ。
そう、彼は奥州で討たれたのである。
景季が語るこの場に、範頼の姿は無い。景季と親しい頼景と太郎、それに射命丸が居るのみ。
実際に義経が討たれたのは二ヶ月前になるが、その死が鎌倉に認知されてまだ一ヶ月も経っていない。一応は軽服に服していた。
「まさか、奥州が追討の院宣を受け容れるとはな」
「頼景殿もそうお思いですか」
太郎もまた頷く。
鎌倉は元から奥州を平家に次ぐ一極と見なし、警戒していた。そこで教育を受けた源氏の嫡流である義経。それらが一体となった時、鎌倉にも匹敵するか、勝る体制が生まれる。かも知れなかった。
――事実、藤原秀衡はその遺志を残して逝った――
子の泰衡がそれを覆し、鎌倉の懸念が杞憂に終わったのが現在の状況。しかしこれで終わりでは無かった。全てが動き出すのは今から。
「父上も奥州での合戦が始まると言っておりました」
「やはりか……」
泰衡としては義経を除く事によって鎌倉との和議に持ち込もうとしたのであろうが、判断が遅すぎた。
鎌倉は、院宣に逆らって義経を匿い続けたとの廉で、奥州藤原を征伐する口実を得たのであった。
「ときに、参州殿はご出陣されるのでしょうか?」
「ああ、まぁな」
今回は総大将などでは無いのは決まっていた。ただし、やはり出陣は避けられない。
「当然、俺達も征く」
「当麻殿も、ですか?」
「ああ」
頼景が言うと、太郎も頷く。
「お二人とも、あまり気が進まないご様子ですね」
それも当然で、英雄の死を知った範頼の落胆もだが、今も何処かに在るであろうしずの事も気になっていた。
逆に他の御家人は大変勇んで、今か今かと出陣の時を待っていると、御所に勤めてその様子を多く見ている景季は言う。
もはや切り取る場所の無くなった東国や西国より、鎮西や、それより全く手つかずで豊かであると噂される藤原氏の治めてきた奥州の旨味に期待するのは当然であった。
御家人らは功を上げて賞を勝ち取らなければならない。かつて、頼景自身が範頼に求めた事でもあった。景季もその御家人ら同様、力を振るえる場を待っているようにも見える。ただ、範頼の郎党である頼景達の手前、その機会の到来を喜んだりはしていない。
太郎が頼景に顔を向け、目配せをする。
景季の心は分かった。彼が義経の死と奥州との戦に至るかも知れない今を武士としては普通にとらえ、振る舞っているのには安心した。
太郎の考えを頼景は正確に読み取る、己も同じく考えている事であったからだ。だが同時に二人には気にしている人物が居た、彼はどうであろうか。
「源太殿、その、俺達は結城殿とも交流があるのだが、最近は忙しいのか中々会う機会が無くてな。結城殿は来たる戦に臨んで如何にしているであろうか?」
義経を理不尽に恨んで来た朝光、ついに彼が望んだ通りになったのだ。
朝光も同じく主に御所に勤める、その為問うた。
「結城殿ですか。いえ、そう言えば何かふさぎ込んでいた風にも見えます」
意外とも当然とも取れる朝光のその様子。それは復讐の相手を見失ったからなのか、それとも別の理由によるのか。少なくとも平静であったと言われるより、某かの変化があった事に二人は安心していた。
「皆、思う事はあるだろうな」
それは朝光や範頼だけでは無い。人との繋がりが有る限り、誰彼が不幸に見舞われるのを喜ぶ者もあり、または嘆く者もある。
果たして来たる奥州遠征に何が待つのか。自身も一人の兵として合戦に参加する身でありながら、頼景は俯瞰してそう考えていた。
だが自身の身に余りにも大きなものが覆いかかってこようとは、頼景自身まだ知る由は無かった。
朝廷、殊に院は「義経が討たれた今は、弓箭を袋へしまうべしと」泰衡が義経を討ったのを以て、奥州への出兵を取りやめる様に鎌倉に求めていた。当然、奥州征伐の院宣も出し渋る。
血気にはやる坂東の荒武者達の声が強くなる中、頼朝はついに出兵を決断した。
院宣が降りない出陣については、大庭景義が知恵を授け、その根拠とした。
曰く、軍陣中では将軍の命令を聞き、天子の詔(みことのり)は聞かないもの、との由。これは漢の武帝(※1)の世に編纂された大陸の史書『史記』より引かれた文言であった。
また、これらは既に朝廷に奏聞した事柄であり、奥州藤原は先祖より源氏の御家人であるため、その処罰の執行に何の問題があろうか。とも景義は述べた。
相当な拡大解釈ではある。だが鎌倉を、たぎる御家人を止める力は日の本のどこにも無かった。
かくして、鎌倉は過去最大の進軍を開始する。その数、公称二十八万余騎。空前絶後の大軍団。
だがそれを以てしても、奥州十七万を突き崩せるか否か、絶対の勝算は無かった。
∴
頼朝直卒の大手軍・中軍は中道より白河口へ、海道軍は千葉常胤及び八田知家(やだともいえ)らを総大将とし、北陸道からは比企能員及び宇佐美実政(うさみさねまさ)らの軍が、三方路に別れて出発した。
その道すがら、景時の進言で、囚人であった城長茂、それに佐竹秀義をも迎え、かつて敵対した豪族すらも併呑しつつ、鎌倉軍は北上する。
その中で、範頼達の隊は頼朝の側、中軍に位置していた。まず前線で戦う事は少ないが、敵の出方次第では最も危険な位置にもなる。
先陣として出向く機会は無かろう。範頼の側では頼景はそう考え、また別の疑問をぶつけていた。
「なあ蒲殿、何故この時期の出陣なのであろうな」
彼は道道の、垂れた稲穂を見て思ったのだ。
今は農繁期、それも刈り入れ何からの一番忙しい時期に差し掛かろうとしている。女達と老人子供の手だけでは、間に合わずに稲を腐らせてしまうかも知れないのにと、頼景は考えていた。
範頼はその意図を読み取り、かつ、有力御家人として当然とその答えを持っていた。
「それは奥州とて同じでしょうて。坂東も女達頼みになるが、ある程度は互助が利く。兵を動員する地力を鑑み、端から奥州十七万を削ぐ。でありましょう?」
範頼が言おうとしていた事ではあったが、答えたのは彼ではなく、頼綱であった。
その頼綱に、称賛ではなく薙刀の峰が落ちる。
「何をするか兄者!」
「だからなんでお前が答えるのだ!」
やれやれと、いつも通りの兄弟のやり取りを見る一同。だがそのいつもの面子からは、一人が抜けていた。
「くそっ、一貫坊殿が居られれば薬も頂けるのに」
侍烏帽子の横のできたてのコブをさすりながら頼綱が言うと、頼景は彼の乗馬に自身の馬を寄せ、無理矢理耳打ちをする。
「兄者、足が潰れる!」
「そんな事は気にするな! それより、なるべく一貫坊殿の事は口にするな」
彼女はゆやの元に残されて来た。そしてこれを決断したのは、範頼であった。当然「己も征く」と、彼女は断固として譲ろうとしなかった。西国で仕留め損ねた天邪鬼の後始末がある。それこそ範頼達の戦いの発端も、手負いの天邪鬼を仕留め切れなかったからであった。
また同じ轍を踏む事になる、それもこのままではかつてとは比べものにならない規模で。射命丸は己が責を自覚し、一命を賭しても奴を退治すると願った。
だが今回ばかりは範頼も退かなかったのだ。むしろ射命丸が責を果たすなどと言ったからであった。壇ノ浦の戦いの後、幸いにも波間をたゆたう彼女を拾い上げる事は出来たが、次はどうか分からない。そう、万一にも彼女を失うのを恐れるが故であった。
範頼の身内の事情と鎌倉の進軍は一切関係無く、鎌倉勢は十日程で陸奥国の入り口、白川の関へ到着する。
柵を構え、防御戦闘から遅滞行動(※2)を取るならばうってつけの場所と考えられ、完全武装し接敵行進していた鎌倉軍。しかしここに至っても輜重狙いの野盗程度しか出てこないのに、却って気勢を削がれてすらいた。
「一体、奥州軍はいつ出てくるのでしょうか?」
範頼の側でそう呟くのは、頼朝の供回りとして従軍する景季。今日は供回りの直では無いとの事で、何故か範頼の陣に訪れていた。
「出てこないなら来ないで、楽でいいのですが」
これを言ったのが別の御家人なら咎められもしようが、範頼が言うのには景季も納得する。範頼にしても、景季であるからこんな風に言うのだ。手勢でも小言好きの次長や、景季の父景時の前では、断じてこんな事は口にしない。
もしかしたら中軍が当たっていないだけで海道軍や北陸軍は既に会戦しているのかも知れないが、それを知らせる飛脚も今のところは無かった。
範頼と共にやや呆ける景季。ふと彼を呼ぶ声が遠くより届く。
「源太殿! 御殿がお呼びでござる」
「結城殿、何事かあったのですか!?」
「いえ、特段の事は無いはずですが、急ぎ関明神まで参られたしと」
関の中に祀られる社。頼朝がそこへ奉幣(※3)しているのだとは聞いていた。
「私も行きましょう。太郎、来い」
黙って頷く太郎。駆ける馬にも平然と付いて行く。
戦場と言っても過言で無い場での奉幣であり、そこには僅かに供回りと従軍の神官が居るのみであった。
そこへ下馬して歩み寄り、頼朝の前に膝を着く景季。
「梶原源太景季、まかり越しまして候」
「よい、立て、随分早かったな。それに蒲殿もか、丁度いい」
景季と同じくしようとしていた範頼とその後ろに控える太郎を、頼朝は所作で止める。
敵襲でも無ければ何かの叱りがあるわけでも無さそうだ、本当に何事であろうかと範頼は辺りを窺う。
「景季であれば知っていると思って呼んだのだ。能因法師の詠んだ曰く付きの歌、今頃の季節の歌とは記憶にあるのだが如何な物であったかな」
景季も範頼も、珍しく朝光に避難する風な目を向ける。本当に急いで来る必要はあったのかと。それに朝光も歌には通じている、自身が答えればよかったのではと、重ねて責める景季。
だが朝光はいかな用事であれ、頼朝が求めるのであれば何事があろうと参集すべし、と彼を呼んだ。悪びれる様子は全く無い。
これはもういいと、頼朝の求めに応じようとする景季。そして範頼も――歌の事であれば――丁度いいと言われたのに納得していた。
「もしや御殿の求めるのは、この白川の関を詠った歌でありましょうか?」
「うむ、確かそうだ」
後ろの神官らもなにやら語り合っている。発端には彼らも絡んでいるらしい。
「はい、それでしたらば――」
古い歌人、能因法師が詠んだ歌はこうである。
――都をば 霞とともに たちしかど
秋風ぞ吹く 白川の関――
霞と共に出でた都から、白川の関に至ればもう秋風が吹いている。そんな風流を詠った歌であった。ただしこの歌は、当地に赴く事も無く作ったこの歌を自身でも気に入ってしまった法師が、ここに赴いた事にして実は京に籠もって赴いた様に偽装したという、出来映えだけが先走った歌でもあった。
そして今、実際にここに立つ景季が、新たに一首詠う。
――秋風に 草木の露を 払わせて
君が越ゆれば 関守も無し――
初秋の風雅と共に頼朝の武威を詠む、実に見事な歌である。
頼朝も、そして範頼も感心して頷く。範頼の側に控える太郎などは歌の出来だけでなく、朗々とした彼の歌に聴き惚れてすらいた。
景季が詠った様に、白川の関を越えてもなお奥州軍は現れず、中軍はついに伊達(だて)郡国見(くにみ)宿(※4)に到着する。
ここから先は、偵察に出ていた先遣隊が、敵が陣を構えている事を確認していた。
戦いも無く平泉に至れるなどそんな甘い話は、手柄を求める御家人に厳しい話は、無かったのであった。
∴
吾妻(あずま)山と逢隈(あぶくま)山地に挟まれた狭隘な地積、そこに逢隈河と往来が交叉する。進軍には困難なそこに奥州軍は陣を張り、迎え撃った。
それもただの陣ではない。この辺りの、阿津賀志(あつかし)山を中心とした丘陵を囲い、国見宿との間には堀を築き、逢隈河を堰き入れては柵を成していた。
そのためここは、横を素通り出来ないだけでは無い、軍兵を通すにはそこを破るのが必須となる地積である。逆にここを破れば、後は平泉まで要害たる地は無い。奥州藤原は、この地を事実上の決戦の地と決めたのであった。
そこが決戦の地になると予想が出来なかった鎌倉軍では無く、殊に思慮深い畠山重忠は、こんな事も有ろうかと鋤や鍬を持たせた人夫衆を組織しており、国見宿到着の日の夜には堀を埋める作業を開始していた。
その夜半、範頼の陣に訪れた人物があった。
「兄者」
「……起こすな」
立哨の長として立っていたはずの頼綱が、筵に包まる兄を起こす。ほんの一言で起きるのも、余程緊張しているためか。
頼綱に起こされ、寝ぼけ眼を向ける。その側に朝光が立っているのに、頼景は我が目を疑った。
「結城殿、如何なされた」
「これから少し、阿津賀志山に登ってみようかと。よろしければ同道しませんか?」
一気に目が覚める。一体何を言っているのだと、彼の肩を掴む。
「ちょっと待て、それもだが、今日は鎌倉殿の寝所の番では無かったのか?!」
最も重要な警護をほっぽり出しての先駆け、そんなとんでもない話があるかと頼景は驚く。
だが頼景の驚きに関わらず朝光はなおも平然と言う。
「これが最後かも知れないのです。ここで功を上げなければ、次の機会はいつになるか分かりません」
「一体どうしたのだ、何をそんなに焦っている……」
「私は、私の武が彼のお方より優れているのを、証明したいのです」
誰の事かは分かる。だがやろうとしている事は、彼よりも酷い。
「お主は、義経の二の舞になる気か?!」
頼景は激高しかけるのを抑えながら言う。彼を引き合いに出したのも間違いでは無いし、朝光にその言葉が通じると信じながら。
そして今は、期待通りに通じた。
「頼景殿にそう言われては、止めましょう。ですが明日は絶対に先陣を駆けてご覧に入れます」
頼景は分かったとだけ言い、暇乞いする彼を見送った。
息荒い黒馬と白髪の徒武者が睨み合う側で、黒馬の主と徒武者の主は親しげに話し合う。
「――とまあ、昨晩そんな事があってな」
「あの勤勉な結城殿がそんな、珍しいですね」
実際、朝光はこれから始まる攻撃で一陣に配されている。恐らくはその最前線に立つであろう。
今頼景達が立つのは、彼よりも遙か後方。地積の問題で一度に動かす人員が限られるため、本日の戦に配置されるだけでも幸いと言えた。
かつての一ノ谷では、郎党の先走りに付き合わされる形で吶喊した景季。あそこでは存分に武を振るい重衡の側にまで迫ったが。同時にあんな無茶はもう御免とすら思っている。
宇治川で先陣争いをしていた時より随分冷静になったものだと、頼景は感心していた。
「あの歳で十分な所領を賜るぐらいなのに、何ででしょう? もしかして――」
「――女かな?」
「かも、知れませんねぇ」
戦場で何と下世話な話をと太郎は呆れる。鼻息を強く鳴らす磨墨も、太郎には呆れている風に見えた。
「こら太郎、いい加減磨墨にちょっかいを出すな」
「磨墨、当麻殿に失礼な事をするんじゃぁない」
太郎は何で私が怒られるのだと、珍しく不服そうな貌を頼景に向け。磨墨もまた不満げにいなないた。
明朝、まず動いたのは奥州勢であった。
夜の内に要塞の一角であった堀が埋められたのだ。これを知って動きが無い方がおかしい。朝ぼらけの中、数千騎が阿津賀志山を下って前進し、展開していた。
それを率いるのは金剛別当秀綱(こんごうべっとうひでつな)なる豪傑。決戦の先陣に立ち機先を制さんとするところ、泰衡が頼みにする強者であろうと察せられた。
二万と見積もられた山に残る旗指物の数と見比べる。全軍の四分の一以上が繰り出されている、かなりの数が前進して来たのだ。
奥州十七万が真実であれば、ここと、北陸道、東海道に兵を配していたとしても、下を見ても十万は平泉に屯しているであろう。ここでは可能な限りの戦力をいち時につぎ込んで、彼我の戦力差を広げられるだけ広げたい。そして同時に我が方の犠牲は局限、そうしなければ、ここを破ったとて継戦不能に陥るのは必定。
卯の刻(※5)に至り、地積の限界まで戦力を展開した鎌倉は、重忠と朝光の軍勢に、まず矢合わせを命じ、ついに吶喊を開始した。
「我こそは俵藤太より八代の後胤、結城七郎朝光なり! 我こそはと思わん者は有りや!」
叫ぶ頼綱に、色革の大鎧の巨漢が立ちはだかる。
「よき敵ぞ! 我こそは金剛別当秀綱なり、存分に参られよ!」
意図せず始まる将同士の一騎打ち。金剛別当の名に相応しい巨躯に挑む若者、誰が見ても勝敗は明らか。
嵐の如くで振るわれる太刀に、邪魔立ても助太刀も入る余地は無い。近づけば敵味方問わず切られるのみ。
膂力で圧倒する秀綱であったが、細やかで素早い巧みな剣さばきでそれをいなす朝光。それは歳不相応の技量であった。
だが幾度となく切り結ぶ内に、僅かに疲労の色を見せる朝光。それを老獪な武者が見逃すはずも無かった。
「取った!」
そう振り下ろされた太刀が、真っ向から受け止められる。朝光が純粋な膂力で受け止めたのだ。
「今まで謀っていたな……」
「拙者はいつも、、、本気だ!」
ついに秀綱の刃を弾き返す朝光。
秀綱は潮時と察し、朝光に背を向けて退いて行く。
「金剛別当秀綱は遁走したぞ! 方々、我に続け!」
その声は瞬く間に鎌倉の兵の間に伝播し、情況は優位な方向に流れ始めた。
朝光の戦功は、まだ待機状態であった頼景達の耳にも届く。
「まさか結城殿が、凄いぞ……」
頼景は呟く。太郎も前進を興奮で総毛立たせている。
そこへ伝令が駆け回り、全軍の前進を告げた。
鎌倉が並べられる兵を以てする波状攻撃。朝光ら一陣の第一波は退かず、勢いに任せて暴れ回っている。前進していた奥州軍は、組織的戦闘もままならず全滅の様相。そこへ襲いかかる第二波第三波を凌げるはずも無く、波に呑まれる様に兵馬の海に消えて行く。
「よし、行くか。源太殿! 太郎!」
「ええ!」
太郎は大太刀を抜いて応と言う代わりとし、更に磨墨がいななく。
こうして鎌倉中軍は、緒戦に大勝を得たのであった。
奥州勢はその後、阿津賀志山の陣に水を引き入れた上に石弓(※6)を並べて防御の陣を固めた。
その夜、軍議で明朝の阿津賀志山越えが決まると、今度は三浦義村他、別々の氏族の七騎が先陣に適した地に陣取らんと前進を始めるなどという事が起こった。
一陣を任されていた重忠はこの知らせを受けるがしかし、止めもせずに行かせたのである。彼らを止めるのは、己が身一つの勲功を願う様なものである、と。
ただ七騎というのは無謀であった。その中で、伊豆国の御家人、流人時代の頼朝をよく助けた狩野茂光(かのうもちみつ)の子、狩野五郎親光(ちかみつ)が命を落とす事になった。
だがこの抜け駆けは、次の日の鎌倉軍の前進に活きる事となる。
明くる朝、卯の刻に至る前には頼朝自らが阿津賀志山へ前進し、先陣はとうに木口に至っていた。
そこへ件の先駆け組が搦め手より山をよじ登り、鬨の声を上げたのである。
一ノ谷では逆落とし、この度は遡り。正攻法でも存分に奮う鎌倉に更に奇策まで打たれたと、搦め手の正体も知れぬ城中は大混乱となった。
朝光はこの中で、先日討ち漏らした秀綱を、今度こそ討ち取ったのであった。
戦いはその後夕刻まで続く。その中でまた、奥州の名の知れた将が討ち取られた。藤原秀衡の庶長子で泰衡の兄、藤原国衡(くにひら)である。
楯高黒なる奥州一の駿馬を駆っていた大肥満の彼であったが、落ち延びようとしたところを深田にはまり、重忠の烏帽子子である大串重親に討ち取られ、その首級は重忠の手で本営に届けられたのであった。
――ところがこれには後日談があり、実は国衡は先に和田義盛と射ち合っており、彼の放った十三束の矢が致命の一撃となっていたのだ。鎧の一点を確かに射た事を義盛が訴え出ると、重忠はそれに相違無い事を確認し、あっさりと義盛の功を認めたのである。義盛の射撃の正確さと重忠の清廉さを、同時に御家人に知らしめた出来事であった――
阿津賀志山を落とした鎌倉軍は、前進した船迫宿(ふなはざましゆく)(※7)にて次の会戦に備えて軍議を執り行っていた。
東海道軍も北陸軍も進軍は順調である旨が届いている。いよいよ鎌倉の障壁は減っていた。
そこに居並ぶ範頼は、一人の若者を目にする。齢十三という辺り、まだ元服していないようにも見える。
(ああでも、鎌倉殿も平治の乱での初陣はあのぐらいだとのお話だし――)
逆に、範頼の様に三十路を越えての初陣の方が、武家の血筋としては希有に過ぎる。
ともかく、その若者は、先の搦め手より攻めたうちの一人であった。だがなぜ彼だけが殊更この場に召し出されたのかは、範頼には分からなかった。
若者には、頼朝が自ら語りかける。
「河村四郎、であったかな?」
「はっ! 河村千鶴丸と申します!」
覇気に満ちると言うより、とにかく大きな声で応える若者に、頼朝は元気が良いのは何よりだが声を落として欲しいと苦笑する。
千鶴丸。その名を聞いて範頼は首を傾げる。どこかで聞いた事がある名だと、記憶を探る。
(千鶴丸……千鶴丸……前に聞いた事がある……)
思い出した。箱根で耳にした、次長の話を。
(鎌倉殿が自分で淵に投げ捨てた子が、千鶴丸!)
同じ名を持つ少年を前にして、頼朝の顔に何ら変化が無い事に範頼は困惑する。彼にとっては、子を水底へ沈めた事など、ほんの些細な事であるのかと。
頼朝が千鶴丸を招いたのは、この戦功を上げた少年を元服させるためであった。
少年は、信濃守加々美次郎長清を加冠親として、今頼朝の前で河村秀清との名を授かったのである。
このめでたい席にあって、範頼はしばらく頼朝の顔を伺っていたが、そこに範頼が期待する表情が現れる事は無かった。
∴
阿津賀志山陥落に前後して、鎌倉の鶴岡八幡宮では北条政子の発案により女房らによる百度参りが執り行われていた。
それを端から見る射命丸。この祈りがどこまで守に届くのかは分からないながら、直近にあっては女房らの祈りの強さをひしひしと感じる。
この場には政子や、他の豪族の妻の姿もある。だがゆやの姿はそこには無い。
彼女がこの行に耐えられるか射命丸には不安であった、だから止めたのもある。何より、北斗丸が人見知りして中々下女らに懐かないため館を空けられない。
「北斗も可愛い盛りなんだけれどなぁ」
言葉も話し始めて歩みも確かになって来た。出来ればゆやを助けて世話をしたい所。ただ辛うじて射命丸には懐くものの、射命丸にも勤めがある。そこはやはり、ゆやでなければならなかった。
勤めを終え、浜の館に帰り着く射命丸。
帰り着くとすぐに北斗丸を抱いたゆやが現れ、来客を告げる。
「射命丸様、武蔵の商人の入間の善吉様、と言うか、桜坊様がおいでになってますけれど」
桜坊がこんな時に何の用であろうか。今次の奥州遠征は佳境という時期。そんな時になって今更商人として彼が訪ねて来るとは思えない。
何事かがあったのだと射命丸は思い、急ぎ門へ向かう。
「桜坊様、ご無沙汰しております。本日はどうかされましたか?」
彼の顔にはそこまでの緊張感は無い。しかし商売にという様子も見受けられない。
「しばらくぶりです一貫坊殿。早速なのですが三尺坊様からの言付けで、貴女の所へ狐は来なかったかと」
三尺坊が言う狐、秋葉山の遣いという事か。射命丸はそれに覚えが無く、知らないとしか答えられない。
「不穏な様子だったので急ぐべきだったのですが、こちらも色々ありまして。もし使いが来ていないのだったら、秋葉山に来られたいと」
簡単な内容なら遣いを飛ばせばよい。鴉か狐か、時間に余裕があればそれらを改めて遣わすはず。
「分かりました、これより直ちに向かいましょう」
時期が時期だけに気がかり。
射命丸はゆやに三尺坊の指示があった事を伝え、一路遠江の秋葉山へ向かい飛び立った。
道中、山岳地帯では既に雪が降っており、風雪に視界が遮られる事にもなった。普段よりも時間を費やして三尺坊の宮へ到着する。
「一貫坊、桜坊様よりの言伝を伺い参上しました」
射命丸の入室と同時に向き直っていた三尺坊は、難しい顔で彼女を見る。
「おお来たか。昨年に続けて二度やった使いが二度とも帰って来なくてな。本来ならばすぐに確認する所だったが、甘かった」
ある事への追加調査もあってそれを頭の端へ追いやってしまっていたと、彼は頭を掻きながら言う。焦りの色が濃い。
「件の、天邪鬼の事だ」
やはり。それはこちらでも進めているのだと、射命丸は先んじて報告する。
「奥州征伐の道すがら、参州殿と相良頼景殿、その弟御の頼綱殿が探索に当たる次第です。加えて――」
「あの、山住の娘か」
「え? それでは太郎は大山祇神の娘なのですか!?」
それならば彼女の格もかなり高い、どころではない。木花咲耶姫と同一かその姉妹と見る事になる。それは三尺坊がすぐに首を振って否定。
「いや誤解を与えたな。大山祇神が顕界へ遣わした神使の娘だという事だ。そちらの方でも何か事情があるのか、神々の庇護を受けているようではある」
紛れもない化生でありながら、神性も生まれ持っているのか。あのなりで。
「しっかし太郎という名は、もっとどうにかならなかったのか?」
「それは、元の名付け親に言って頂きたいですね」
「まあそれはいい。京から壇ノ浦まで天邪鬼を追い続けたその太郎の眼、富士山から彼方を見通す如き物として授けたとの話がそちらの方々から聞けたのだが」
そちらの方々、言って三尺坊は天井を見やる。実際に見るべきは天上なのであろう。
「太郎は随分と贅沢な身分なのですね」
「贅沢な身分なら、お前達と行動を共にしとりゃせんだろう。それもいい。その後追跡が滞った、いや不可能になったというのが、気になってな」
確かにまず奥州への逃避についても掴んでいなかった。三尺坊らは各地の山々との連携でこれを知り得たのであろう。本来それを担う太郎の眼は機能せず、これ自体を異常と見るべきだったのだ。
そして異常の元は三尺坊が既に知っているのであろうと、射命丸は彼を見る。また本来であれば今の己も、奥州へ赴いた範頼達も知っていなければならなかったのでは、とも考えた。
「鎌倉にはなんぞ、京の様な障壁でもあるのか? 使いに遣った者達はそれで消耗したらしい」
呪詛(ずそ)などを防ぐための霊的な壁の事。射命丸はこれを知らないが、鎌倉中には京に負けぬ程の寺社に僧も揃う、有っても不思議は無い。
「それは存じませんでしたが」
それか、相手が相手、奴自身の仕業とも考えられる。
「お主や太郎が鈍感なのか。ともかく託した情報が伝わって無いようなので、今来てもらったのだ」
――鈍感なのは太郎だけで十分だが――ようやく本題かと、射命丸は次の言葉を促す。
「して、それは」
「何故太郎にあの天邪鬼が見えなかったかだが、ただならぬ事が分かったのだ」
三尺坊が直後に発した言葉に、射命丸は目眩すら覚えた。そしてこれは、すぐさま彼らに伝えなければならぬと、意識を保ちながらすべきことを頭に浮かべた。
しかし先ず、今すぐに奥州へ飛ばねばならなかった。
* * *
阿津賀志山に屯していた奥州勢との戦い。鎌倉はこれを緒戦と捉えていたが、実のところこれが奥州勢としての最大戦力であり、以後、多賀城、多加波々城も陥落して北陸道と東海道の守りも瓦解、鎌倉軍は易々と平泉へ入る事になる。
だが平泉は焦土作戦を図った泰衡により灰燼と化し、泰衡自身も武士団も、遁走した後であった。
以後鎌倉は、実質的に残敵掃討に移る事になる。
しかし、かねて十七万と謳われ恐れられた奥州軍は、一体どこに行ったのであろうか。実は農繁期の攻撃が功を奏し、誇張で無く存在するはずの奥州軍は、その四分の一も動員する事が出来ず、要害を以てすら対抗出来る状態には無かったのであった。
第25話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 武帝:漢の、最盛期となる時期の皇帝。姓諱は劉徹。史記は、武帝の時代に宦官(去勢された官吏)司馬遷によって編纂された歴史書
※2 遅滞行動:戦術行動の一種。地積をある程度犠牲にして地域の縦深性を活かし、防御的戦闘を実施。敵の衝力と戦力を漸減しつつ時間を稼ぐ行動
※3 奉幣:神前に幣を奉ること。幣は御幣とも言って、霊夢が持っているアレの元来の呼び名でもある。
※4 伊達郡:現在の福島県伊達市周辺地域。伊達氏の由来。国見宿は現在の同郡国見町辺り。
※5 卯の刻:午前6時頃。明け六つ。
※6 石弓:城壁等の上から岩石を落とす仕掛け。弩(読みは同じく『いしゆみ』、クロスボウなどの機械弓)をこう言う場合もある。
※7 船迫宿:現在の仙南、宮城県柴田郡柴田町
文治五年を迎え四月、遂に事は起こった。
そしてそれは、またひと月を空けて東国へ届いた。
侍所別当の和田義盛、同所司に収まった梶原景時。二人は一族郎党から選りすぐった二十騎を連れ、腰越に赴く。あえて鎌倉より離れたこの地であるのには、十分な理由が有った。
一団は腰越の浜で陣幕を張り、衆目を避けている。
「拝見いたしましょう」
鎧直垂姿の義盛が言う。同じく鎧直垂姿の景時も、義盛の後ろに控えていた。義盛が言葉を向けたのは、奥州藤原を継いだ藤原泰衡の使い、新田冠者高平(にったたかひら)。
彼らの間には、黒漆塗りの櫃が鎮座していた。
櫃の蓋を取る。そこに有ったのは、源九郎義経の首であった。
鎌倉の浜の館で腰越の浜での首実検の様子を語るのは、景時に選ばれて同道していた景季。
「確かに九郎殿の首だ、と和田殿も父上も言っておりましたが、覗き見た程度の私には、なんとも……」
梅雨を挟んで蒸し暑くなりつつある時期。櫃の中の首は美酒に浸されていたが、それでも保存には無理がある。判別が困難になっていても不思議は無い。
だがしかし、首実検の結果その首は紛れもなく義経であると断じられたのだ。
そう、彼は奥州で討たれたのである。
景季が語るこの場に、範頼の姿は無い。景季と親しい頼景と太郎、それに射命丸が居るのみ。
実際に義経が討たれたのは二ヶ月前になるが、その死が鎌倉に認知されてまだ一ヶ月も経っていない。一応は軽服に服していた。
「まさか、奥州が追討の院宣を受け容れるとはな」
「頼景殿もそうお思いですか」
太郎もまた頷く。
鎌倉は元から奥州を平家に次ぐ一極と見なし、警戒していた。そこで教育を受けた源氏の嫡流である義経。それらが一体となった時、鎌倉にも匹敵するか、勝る体制が生まれる。かも知れなかった。
――事実、藤原秀衡はその遺志を残して逝った――
子の泰衡がそれを覆し、鎌倉の懸念が杞憂に終わったのが現在の状況。しかしこれで終わりでは無かった。全てが動き出すのは今から。
「父上も奥州での合戦が始まると言っておりました」
「やはりか……」
泰衡としては義経を除く事によって鎌倉との和議に持ち込もうとしたのであろうが、判断が遅すぎた。
鎌倉は、院宣に逆らって義経を匿い続けたとの廉で、奥州藤原を征伐する口実を得たのであった。
「ときに、参州殿はご出陣されるのでしょうか?」
「ああ、まぁな」
今回は総大将などでは無いのは決まっていた。ただし、やはり出陣は避けられない。
「当然、俺達も征く」
「当麻殿も、ですか?」
「ああ」
頼景が言うと、太郎も頷く。
「お二人とも、あまり気が進まないご様子ですね」
それも当然で、英雄の死を知った範頼の落胆もだが、今も何処かに在るであろうしずの事も気になっていた。
逆に他の御家人は大変勇んで、今か今かと出陣の時を待っていると、御所に勤めてその様子を多く見ている景季は言う。
もはや切り取る場所の無くなった東国や西国より、鎮西や、それより全く手つかずで豊かであると噂される藤原氏の治めてきた奥州の旨味に期待するのは当然であった。
御家人らは功を上げて賞を勝ち取らなければならない。かつて、頼景自身が範頼に求めた事でもあった。景季もその御家人ら同様、力を振るえる場を待っているようにも見える。ただ、範頼の郎党である頼景達の手前、その機会の到来を喜んだりはしていない。
太郎が頼景に顔を向け、目配せをする。
景季の心は分かった。彼が義経の死と奥州との戦に至るかも知れない今を武士としては普通にとらえ、振る舞っているのには安心した。
太郎の考えを頼景は正確に読み取る、己も同じく考えている事であったからだ。だが同時に二人には気にしている人物が居た、彼はどうであろうか。
「源太殿、その、俺達は結城殿とも交流があるのだが、最近は忙しいのか中々会う機会が無くてな。結城殿は来たる戦に臨んで如何にしているであろうか?」
義経を理不尽に恨んで来た朝光、ついに彼が望んだ通りになったのだ。
朝光も同じく主に御所に勤める、その為問うた。
「結城殿ですか。いえ、そう言えば何かふさぎ込んでいた風にも見えます」
意外とも当然とも取れる朝光のその様子。それは復讐の相手を見失ったからなのか、それとも別の理由によるのか。少なくとも平静であったと言われるより、某かの変化があった事に二人は安心していた。
「皆、思う事はあるだろうな」
それは朝光や範頼だけでは無い。人との繋がりが有る限り、誰彼が不幸に見舞われるのを喜ぶ者もあり、または嘆く者もある。
果たして来たる奥州遠征に何が待つのか。自身も一人の兵として合戦に参加する身でありながら、頼景は俯瞰してそう考えていた。
だが自身の身に余りにも大きなものが覆いかかってこようとは、頼景自身まだ知る由は無かった。
朝廷、殊に院は「義経が討たれた今は、弓箭を袋へしまうべしと」泰衡が義経を討ったのを以て、奥州への出兵を取りやめる様に鎌倉に求めていた。当然、奥州征伐の院宣も出し渋る。
血気にはやる坂東の荒武者達の声が強くなる中、頼朝はついに出兵を決断した。
院宣が降りない出陣については、大庭景義が知恵を授け、その根拠とした。
曰く、軍陣中では将軍の命令を聞き、天子の詔(みことのり)は聞かないもの、との由。これは漢の武帝(※1)の世に編纂された大陸の史書『史記』より引かれた文言であった。
また、これらは既に朝廷に奏聞した事柄であり、奥州藤原は先祖より源氏の御家人であるため、その処罰の執行に何の問題があろうか。とも景義は述べた。
相当な拡大解釈ではある。だが鎌倉を、たぎる御家人を止める力は日の本のどこにも無かった。
かくして、鎌倉は過去最大の進軍を開始する。その数、公称二十八万余騎。空前絶後の大軍団。
だがそれを以てしても、奥州十七万を突き崩せるか否か、絶対の勝算は無かった。
∴
頼朝直卒の大手軍・中軍は中道より白河口へ、海道軍は千葉常胤及び八田知家(やだともいえ)らを総大将とし、北陸道からは比企能員及び宇佐美実政(うさみさねまさ)らの軍が、三方路に別れて出発した。
その道すがら、景時の進言で、囚人であった城長茂、それに佐竹秀義をも迎え、かつて敵対した豪族すらも併呑しつつ、鎌倉軍は北上する。
その中で、範頼達の隊は頼朝の側、中軍に位置していた。まず前線で戦う事は少ないが、敵の出方次第では最も危険な位置にもなる。
先陣として出向く機会は無かろう。範頼の側では頼景はそう考え、また別の疑問をぶつけていた。
「なあ蒲殿、何故この時期の出陣なのであろうな」
彼は道道の、垂れた稲穂を見て思ったのだ。
今は農繁期、それも刈り入れ何からの一番忙しい時期に差し掛かろうとしている。女達と老人子供の手だけでは、間に合わずに稲を腐らせてしまうかも知れないのにと、頼景は考えていた。
範頼はその意図を読み取り、かつ、有力御家人として当然とその答えを持っていた。
「それは奥州とて同じでしょうて。坂東も女達頼みになるが、ある程度は互助が利く。兵を動員する地力を鑑み、端から奥州十七万を削ぐ。でありましょう?」
範頼が言おうとしていた事ではあったが、答えたのは彼ではなく、頼綱であった。
その頼綱に、称賛ではなく薙刀の峰が落ちる。
「何をするか兄者!」
「だからなんでお前が答えるのだ!」
やれやれと、いつも通りの兄弟のやり取りを見る一同。だがそのいつもの面子からは、一人が抜けていた。
「くそっ、一貫坊殿が居られれば薬も頂けるのに」
侍烏帽子の横のできたてのコブをさすりながら頼綱が言うと、頼景は彼の乗馬に自身の馬を寄せ、無理矢理耳打ちをする。
「兄者、足が潰れる!」
「そんな事は気にするな! それより、なるべく一貫坊殿の事は口にするな」
彼女はゆやの元に残されて来た。そしてこれを決断したのは、範頼であった。当然「己も征く」と、彼女は断固として譲ろうとしなかった。西国で仕留め損ねた天邪鬼の後始末がある。それこそ範頼達の戦いの発端も、手負いの天邪鬼を仕留め切れなかったからであった。
また同じ轍を踏む事になる、それもこのままではかつてとは比べものにならない規模で。射命丸は己が責を自覚し、一命を賭しても奴を退治すると願った。
だが今回ばかりは範頼も退かなかったのだ。むしろ射命丸が責を果たすなどと言ったからであった。壇ノ浦の戦いの後、幸いにも波間をたゆたう彼女を拾い上げる事は出来たが、次はどうか分からない。そう、万一にも彼女を失うのを恐れるが故であった。
範頼の身内の事情と鎌倉の進軍は一切関係無く、鎌倉勢は十日程で陸奥国の入り口、白川の関へ到着する。
柵を構え、防御戦闘から遅滞行動(※2)を取るならばうってつけの場所と考えられ、完全武装し接敵行進していた鎌倉軍。しかしここに至っても輜重狙いの野盗程度しか出てこないのに、却って気勢を削がれてすらいた。
「一体、奥州軍はいつ出てくるのでしょうか?」
範頼の側でそう呟くのは、頼朝の供回りとして従軍する景季。今日は供回りの直では無いとの事で、何故か範頼の陣に訪れていた。
「出てこないなら来ないで、楽でいいのですが」
これを言ったのが別の御家人なら咎められもしようが、範頼が言うのには景季も納得する。範頼にしても、景季であるからこんな風に言うのだ。手勢でも小言好きの次長や、景季の父景時の前では、断じてこんな事は口にしない。
もしかしたら中軍が当たっていないだけで海道軍や北陸軍は既に会戦しているのかも知れないが、それを知らせる飛脚も今のところは無かった。
範頼と共にやや呆ける景季。ふと彼を呼ぶ声が遠くより届く。
「源太殿! 御殿がお呼びでござる」
「結城殿、何事かあったのですか!?」
「いえ、特段の事は無いはずですが、急ぎ関明神まで参られたしと」
関の中に祀られる社。頼朝がそこへ奉幣(※3)しているのだとは聞いていた。
「私も行きましょう。太郎、来い」
黙って頷く太郎。駆ける馬にも平然と付いて行く。
戦場と言っても過言で無い場での奉幣であり、そこには僅かに供回りと従軍の神官が居るのみであった。
そこへ下馬して歩み寄り、頼朝の前に膝を着く景季。
「梶原源太景季、まかり越しまして候」
「よい、立て、随分早かったな。それに蒲殿もか、丁度いい」
景季と同じくしようとしていた範頼とその後ろに控える太郎を、頼朝は所作で止める。
敵襲でも無ければ何かの叱りがあるわけでも無さそうだ、本当に何事であろうかと範頼は辺りを窺う。
「景季であれば知っていると思って呼んだのだ。能因法師の詠んだ曰く付きの歌、今頃の季節の歌とは記憶にあるのだが如何な物であったかな」
景季も範頼も、珍しく朝光に避難する風な目を向ける。本当に急いで来る必要はあったのかと。それに朝光も歌には通じている、自身が答えればよかったのではと、重ねて責める景季。
だが朝光はいかな用事であれ、頼朝が求めるのであれば何事があろうと参集すべし、と彼を呼んだ。悪びれる様子は全く無い。
これはもういいと、頼朝の求めに応じようとする景季。そして範頼も――歌の事であれば――丁度いいと言われたのに納得していた。
「もしや御殿の求めるのは、この白川の関を詠った歌でありましょうか?」
「うむ、確かそうだ」
後ろの神官らもなにやら語り合っている。発端には彼らも絡んでいるらしい。
「はい、それでしたらば――」
古い歌人、能因法師が詠んだ歌はこうである。
――都をば 霞とともに たちしかど
秋風ぞ吹く 白川の関――
霞と共に出でた都から、白川の関に至ればもう秋風が吹いている。そんな風流を詠った歌であった。ただしこの歌は、当地に赴く事も無く作ったこの歌を自身でも気に入ってしまった法師が、ここに赴いた事にして実は京に籠もって赴いた様に偽装したという、出来映えだけが先走った歌でもあった。
そして今、実際にここに立つ景季が、新たに一首詠う。
――秋風に 草木の露を 払わせて
君が越ゆれば 関守も無し――
初秋の風雅と共に頼朝の武威を詠む、実に見事な歌である。
頼朝も、そして範頼も感心して頷く。範頼の側に控える太郎などは歌の出来だけでなく、朗々とした彼の歌に聴き惚れてすらいた。
景季が詠った様に、白川の関を越えてもなお奥州軍は現れず、中軍はついに伊達(だて)郡国見(くにみ)宿(※4)に到着する。
ここから先は、偵察に出ていた先遣隊が、敵が陣を構えている事を確認していた。
戦いも無く平泉に至れるなどそんな甘い話は、手柄を求める御家人に厳しい話は、無かったのであった。
∴
吾妻(あずま)山と逢隈(あぶくま)山地に挟まれた狭隘な地積、そこに逢隈河と往来が交叉する。進軍には困難なそこに奥州軍は陣を張り、迎え撃った。
それもただの陣ではない。この辺りの、阿津賀志(あつかし)山を中心とした丘陵を囲い、国見宿との間には堀を築き、逢隈河を堰き入れては柵を成していた。
そのためここは、横を素通り出来ないだけでは無い、軍兵を通すにはそこを破るのが必須となる地積である。逆にここを破れば、後は平泉まで要害たる地は無い。奥州藤原は、この地を事実上の決戦の地と決めたのであった。
そこが決戦の地になると予想が出来なかった鎌倉軍では無く、殊に思慮深い畠山重忠は、こんな事も有ろうかと鋤や鍬を持たせた人夫衆を組織しており、国見宿到着の日の夜には堀を埋める作業を開始していた。
その夜半、範頼の陣に訪れた人物があった。
「兄者」
「……起こすな」
立哨の長として立っていたはずの頼綱が、筵に包まる兄を起こす。ほんの一言で起きるのも、余程緊張しているためか。
頼綱に起こされ、寝ぼけ眼を向ける。その側に朝光が立っているのに、頼景は我が目を疑った。
「結城殿、如何なされた」
「これから少し、阿津賀志山に登ってみようかと。よろしければ同道しませんか?」
一気に目が覚める。一体何を言っているのだと、彼の肩を掴む。
「ちょっと待て、それもだが、今日は鎌倉殿の寝所の番では無かったのか?!」
最も重要な警護をほっぽり出しての先駆け、そんなとんでもない話があるかと頼景は驚く。
だが頼景の驚きに関わらず朝光はなおも平然と言う。
「これが最後かも知れないのです。ここで功を上げなければ、次の機会はいつになるか分かりません」
「一体どうしたのだ、何をそんなに焦っている……」
「私は、私の武が彼のお方より優れているのを、証明したいのです」
誰の事かは分かる。だがやろうとしている事は、彼よりも酷い。
「お主は、義経の二の舞になる気か?!」
頼景は激高しかけるのを抑えながら言う。彼を引き合いに出したのも間違いでは無いし、朝光にその言葉が通じると信じながら。
そして今は、期待通りに通じた。
「頼景殿にそう言われては、止めましょう。ですが明日は絶対に先陣を駆けてご覧に入れます」
頼景は分かったとだけ言い、暇乞いする彼を見送った。
息荒い黒馬と白髪の徒武者が睨み合う側で、黒馬の主と徒武者の主は親しげに話し合う。
「――とまあ、昨晩そんな事があってな」
「あの勤勉な結城殿がそんな、珍しいですね」
実際、朝光はこれから始まる攻撃で一陣に配されている。恐らくはその最前線に立つであろう。
今頼景達が立つのは、彼よりも遙か後方。地積の問題で一度に動かす人員が限られるため、本日の戦に配置されるだけでも幸いと言えた。
かつての一ノ谷では、郎党の先走りに付き合わされる形で吶喊した景季。あそこでは存分に武を振るい重衡の側にまで迫ったが。同時にあんな無茶はもう御免とすら思っている。
宇治川で先陣争いをしていた時より随分冷静になったものだと、頼景は感心していた。
「あの歳で十分な所領を賜るぐらいなのに、何ででしょう? もしかして――」
「――女かな?」
「かも、知れませんねぇ」
戦場で何と下世話な話をと太郎は呆れる。鼻息を強く鳴らす磨墨も、太郎には呆れている風に見えた。
「こら太郎、いい加減磨墨にちょっかいを出すな」
「磨墨、当麻殿に失礼な事をするんじゃぁない」
太郎は何で私が怒られるのだと、珍しく不服そうな貌を頼景に向け。磨墨もまた不満げにいなないた。
明朝、まず動いたのは奥州勢であった。
夜の内に要塞の一角であった堀が埋められたのだ。これを知って動きが無い方がおかしい。朝ぼらけの中、数千騎が阿津賀志山を下って前進し、展開していた。
それを率いるのは金剛別当秀綱(こんごうべっとうひでつな)なる豪傑。決戦の先陣に立ち機先を制さんとするところ、泰衡が頼みにする強者であろうと察せられた。
二万と見積もられた山に残る旗指物の数と見比べる。全軍の四分の一以上が繰り出されている、かなりの数が前進して来たのだ。
奥州十七万が真実であれば、ここと、北陸道、東海道に兵を配していたとしても、下を見ても十万は平泉に屯しているであろう。ここでは可能な限りの戦力をいち時につぎ込んで、彼我の戦力差を広げられるだけ広げたい。そして同時に我が方の犠牲は局限、そうしなければ、ここを破ったとて継戦不能に陥るのは必定。
卯の刻(※5)に至り、地積の限界まで戦力を展開した鎌倉は、重忠と朝光の軍勢に、まず矢合わせを命じ、ついに吶喊を開始した。
「我こそは俵藤太より八代の後胤、結城七郎朝光なり! 我こそはと思わん者は有りや!」
叫ぶ頼綱に、色革の大鎧の巨漢が立ちはだかる。
「よき敵ぞ! 我こそは金剛別当秀綱なり、存分に参られよ!」
意図せず始まる将同士の一騎打ち。金剛別当の名に相応しい巨躯に挑む若者、誰が見ても勝敗は明らか。
嵐の如くで振るわれる太刀に、邪魔立ても助太刀も入る余地は無い。近づけば敵味方問わず切られるのみ。
膂力で圧倒する秀綱であったが、細やかで素早い巧みな剣さばきでそれをいなす朝光。それは歳不相応の技量であった。
だが幾度となく切り結ぶ内に、僅かに疲労の色を見せる朝光。それを老獪な武者が見逃すはずも無かった。
「取った!」
そう振り下ろされた太刀が、真っ向から受け止められる。朝光が純粋な膂力で受け止めたのだ。
「今まで謀っていたな……」
「拙者はいつも、、、本気だ!」
ついに秀綱の刃を弾き返す朝光。
秀綱は潮時と察し、朝光に背を向けて退いて行く。
「金剛別当秀綱は遁走したぞ! 方々、我に続け!」
その声は瞬く間に鎌倉の兵の間に伝播し、情況は優位な方向に流れ始めた。
朝光の戦功は、まだ待機状態であった頼景達の耳にも届く。
「まさか結城殿が、凄いぞ……」
頼景は呟く。太郎も前進を興奮で総毛立たせている。
そこへ伝令が駆け回り、全軍の前進を告げた。
鎌倉が並べられる兵を以てする波状攻撃。朝光ら一陣の第一波は退かず、勢いに任せて暴れ回っている。前進していた奥州軍は、組織的戦闘もままならず全滅の様相。そこへ襲いかかる第二波第三波を凌げるはずも無く、波に呑まれる様に兵馬の海に消えて行く。
「よし、行くか。源太殿! 太郎!」
「ええ!」
太郎は大太刀を抜いて応と言う代わりとし、更に磨墨がいななく。
こうして鎌倉中軍は、緒戦に大勝を得たのであった。
奥州勢はその後、阿津賀志山の陣に水を引き入れた上に石弓(※6)を並べて防御の陣を固めた。
その夜、軍議で明朝の阿津賀志山越えが決まると、今度は三浦義村他、別々の氏族の七騎が先陣に適した地に陣取らんと前進を始めるなどという事が起こった。
一陣を任されていた重忠はこの知らせを受けるがしかし、止めもせずに行かせたのである。彼らを止めるのは、己が身一つの勲功を願う様なものである、と。
ただ七騎というのは無謀であった。その中で、伊豆国の御家人、流人時代の頼朝をよく助けた狩野茂光(かのうもちみつ)の子、狩野五郎親光(ちかみつ)が命を落とす事になった。
だがこの抜け駆けは、次の日の鎌倉軍の前進に活きる事となる。
明くる朝、卯の刻に至る前には頼朝自らが阿津賀志山へ前進し、先陣はとうに木口に至っていた。
そこへ件の先駆け組が搦め手より山をよじ登り、鬨の声を上げたのである。
一ノ谷では逆落とし、この度は遡り。正攻法でも存分に奮う鎌倉に更に奇策まで打たれたと、搦め手の正体も知れぬ城中は大混乱となった。
朝光はこの中で、先日討ち漏らした秀綱を、今度こそ討ち取ったのであった。
戦いはその後夕刻まで続く。その中でまた、奥州の名の知れた将が討ち取られた。藤原秀衡の庶長子で泰衡の兄、藤原国衡(くにひら)である。
楯高黒なる奥州一の駿馬を駆っていた大肥満の彼であったが、落ち延びようとしたところを深田にはまり、重忠の烏帽子子である大串重親に討ち取られ、その首級は重忠の手で本営に届けられたのであった。
――ところがこれには後日談があり、実は国衡は先に和田義盛と射ち合っており、彼の放った十三束の矢が致命の一撃となっていたのだ。鎧の一点を確かに射た事を義盛が訴え出ると、重忠はそれに相違無い事を確認し、あっさりと義盛の功を認めたのである。義盛の射撃の正確さと重忠の清廉さを、同時に御家人に知らしめた出来事であった――
阿津賀志山を落とした鎌倉軍は、前進した船迫宿(ふなはざましゆく)(※7)にて次の会戦に備えて軍議を執り行っていた。
東海道軍も北陸軍も進軍は順調である旨が届いている。いよいよ鎌倉の障壁は減っていた。
そこに居並ぶ範頼は、一人の若者を目にする。齢十三という辺り、まだ元服していないようにも見える。
(ああでも、鎌倉殿も平治の乱での初陣はあのぐらいだとのお話だし――)
逆に、範頼の様に三十路を越えての初陣の方が、武家の血筋としては希有に過ぎる。
ともかく、その若者は、先の搦め手より攻めたうちの一人であった。だがなぜ彼だけが殊更この場に召し出されたのかは、範頼には分からなかった。
若者には、頼朝が自ら語りかける。
「河村四郎、であったかな?」
「はっ! 河村千鶴丸と申します!」
覇気に満ちると言うより、とにかく大きな声で応える若者に、頼朝は元気が良いのは何よりだが声を落として欲しいと苦笑する。
千鶴丸。その名を聞いて範頼は首を傾げる。どこかで聞いた事がある名だと、記憶を探る。
(千鶴丸……千鶴丸……前に聞いた事がある……)
思い出した。箱根で耳にした、次長の話を。
(鎌倉殿が自分で淵に投げ捨てた子が、千鶴丸!)
同じ名を持つ少年を前にして、頼朝の顔に何ら変化が無い事に範頼は困惑する。彼にとっては、子を水底へ沈めた事など、ほんの些細な事であるのかと。
頼朝が千鶴丸を招いたのは、この戦功を上げた少年を元服させるためであった。
少年は、信濃守加々美次郎長清を加冠親として、今頼朝の前で河村秀清との名を授かったのである。
このめでたい席にあって、範頼はしばらく頼朝の顔を伺っていたが、そこに範頼が期待する表情が現れる事は無かった。
∴
阿津賀志山陥落に前後して、鎌倉の鶴岡八幡宮では北条政子の発案により女房らによる百度参りが執り行われていた。
それを端から見る射命丸。この祈りがどこまで守に届くのかは分からないながら、直近にあっては女房らの祈りの強さをひしひしと感じる。
この場には政子や、他の豪族の妻の姿もある。だがゆやの姿はそこには無い。
彼女がこの行に耐えられるか射命丸には不安であった、だから止めたのもある。何より、北斗丸が人見知りして中々下女らに懐かないため館を空けられない。
「北斗も可愛い盛りなんだけれどなぁ」
言葉も話し始めて歩みも確かになって来た。出来ればゆやを助けて世話をしたい所。ただ辛うじて射命丸には懐くものの、射命丸にも勤めがある。そこはやはり、ゆやでなければならなかった。
勤めを終え、浜の館に帰り着く射命丸。
帰り着くとすぐに北斗丸を抱いたゆやが現れ、来客を告げる。
「射命丸様、武蔵の商人の入間の善吉様、と言うか、桜坊様がおいでになってますけれど」
桜坊がこんな時に何の用であろうか。今次の奥州遠征は佳境という時期。そんな時になって今更商人として彼が訪ねて来るとは思えない。
何事かがあったのだと射命丸は思い、急ぎ門へ向かう。
「桜坊様、ご無沙汰しております。本日はどうかされましたか?」
彼の顔にはそこまでの緊張感は無い。しかし商売にという様子も見受けられない。
「しばらくぶりです一貫坊殿。早速なのですが三尺坊様からの言付けで、貴女の所へ狐は来なかったかと」
三尺坊が言う狐、秋葉山の遣いという事か。射命丸はそれに覚えが無く、知らないとしか答えられない。
「不穏な様子だったので急ぐべきだったのですが、こちらも色々ありまして。もし使いが来ていないのだったら、秋葉山に来られたいと」
簡単な内容なら遣いを飛ばせばよい。鴉か狐か、時間に余裕があればそれらを改めて遣わすはず。
「分かりました、これより直ちに向かいましょう」
時期が時期だけに気がかり。
射命丸はゆやに三尺坊の指示があった事を伝え、一路遠江の秋葉山へ向かい飛び立った。
道中、山岳地帯では既に雪が降っており、風雪に視界が遮られる事にもなった。普段よりも時間を費やして三尺坊の宮へ到着する。
「一貫坊、桜坊様よりの言伝を伺い参上しました」
射命丸の入室と同時に向き直っていた三尺坊は、難しい顔で彼女を見る。
「おお来たか。昨年に続けて二度やった使いが二度とも帰って来なくてな。本来ならばすぐに確認する所だったが、甘かった」
ある事への追加調査もあってそれを頭の端へ追いやってしまっていたと、彼は頭を掻きながら言う。焦りの色が濃い。
「件の、天邪鬼の事だ」
やはり。それはこちらでも進めているのだと、射命丸は先んじて報告する。
「奥州征伐の道すがら、参州殿と相良頼景殿、その弟御の頼綱殿が探索に当たる次第です。加えて――」
「あの、山住の娘か」
「え? それでは太郎は大山祇神の娘なのですか!?」
それならば彼女の格もかなり高い、どころではない。木花咲耶姫と同一かその姉妹と見る事になる。それは三尺坊がすぐに首を振って否定。
「いや誤解を与えたな。大山祇神が顕界へ遣わした神使の娘だという事だ。そちらの方でも何か事情があるのか、神々の庇護を受けているようではある」
紛れもない化生でありながら、神性も生まれ持っているのか。あのなりで。
「しっかし太郎という名は、もっとどうにかならなかったのか?」
「それは、元の名付け親に言って頂きたいですね」
「まあそれはいい。京から壇ノ浦まで天邪鬼を追い続けたその太郎の眼、富士山から彼方を見通す如き物として授けたとの話がそちらの方々から聞けたのだが」
そちらの方々、言って三尺坊は天井を見やる。実際に見るべきは天上なのであろう。
「太郎は随分と贅沢な身分なのですね」
「贅沢な身分なら、お前達と行動を共にしとりゃせんだろう。それもいい。その後追跡が滞った、いや不可能になったというのが、気になってな」
確かにまず奥州への逃避についても掴んでいなかった。三尺坊らは各地の山々との連携でこれを知り得たのであろう。本来それを担う太郎の眼は機能せず、これ自体を異常と見るべきだったのだ。
そして異常の元は三尺坊が既に知っているのであろうと、射命丸は彼を見る。また本来であれば今の己も、奥州へ赴いた範頼達も知っていなければならなかったのでは、とも考えた。
「鎌倉にはなんぞ、京の様な障壁でもあるのか? 使いに遣った者達はそれで消耗したらしい」
呪詛(ずそ)などを防ぐための霊的な壁の事。射命丸はこれを知らないが、鎌倉中には京に負けぬ程の寺社に僧も揃う、有っても不思議は無い。
「それは存じませんでしたが」
それか、相手が相手、奴自身の仕業とも考えられる。
「お主や太郎が鈍感なのか。ともかく託した情報が伝わって無いようなので、今来てもらったのだ」
――鈍感なのは太郎だけで十分だが――ようやく本題かと、射命丸は次の言葉を促す。
「して、それは」
「何故太郎にあの天邪鬼が見えなかったかだが、ただならぬ事が分かったのだ」
三尺坊が直後に発した言葉に、射命丸は目眩すら覚えた。そしてこれは、すぐさま彼らに伝えなければならぬと、意識を保ちながらすべきことを頭に浮かべた。
しかし先ず、今すぐに奥州へ飛ばねばならなかった。
* * *
阿津賀志山に屯していた奥州勢との戦い。鎌倉はこれを緒戦と捉えていたが、実のところこれが奥州勢としての最大戦力であり、以後、多賀城、多加波々城も陥落して北陸道と東海道の守りも瓦解、鎌倉軍は易々と平泉へ入る事になる。
だが平泉は焦土作戦を図った泰衡により灰燼と化し、泰衡自身も武士団も、遁走した後であった。
以後鎌倉は、実質的に残敵掃討に移る事になる。
しかし、かねて十七万と謳われ恐れられた奥州軍は、一体どこに行ったのであろうか。実は農繁期の攻撃が功を奏し、誇張で無く存在するはずの奥州軍は、その四分の一も動員する事が出来ず、要害を以てすら対抗出来る状態には無かったのであった。
第25話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 武帝:漢の、最盛期となる時期の皇帝。姓諱は劉徹。史記は、武帝の時代に宦官(去勢された官吏)司馬遷によって編纂された歴史書
※2 遅滞行動:戦術行動の一種。地積をある程度犠牲にして地域の縦深性を活かし、防御的戦闘を実施。敵の衝力と戦力を漸減しつつ時間を稼ぐ行動
※3 奉幣:神前に幣を奉ること。幣は御幣とも言って、霊夢が持っているアレの元来の呼び名でもある。
※4 伊達郡:現在の福島県伊達市周辺地域。伊達氏の由来。国見宿は現在の同郡国見町辺り。
※5 卯の刻:午前6時頃。明け六つ。
※6 石弓:城壁等の上から岩石を落とす仕掛け。弩(読みは同じく『いしゆみ』、クロスボウなどの機械弓)をこう言う場合もある。
※7 船迫宿:現在の仙南、宮城県柴田郡柴田町
木ノ花 後編 一覧
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更新来た!
今回も面白かったです
一度は倒したはずの天邪鬼は一体物語にどんな影響を与えたのか。とても楽しみです