あらすじ
平安の終わり頃、一羽の鴉が幼き日の源氏の御曹司『蒲冠者範頼』に命を救われた。鴉は彼への憧憬から鴉天狗に転化し、『一貫坊射命丸』と名付けられる。
二十年の時を置き、岩田見附へ『天邪鬼』退治に趣いた射命丸は範頼と再会を果たし、その友『相良頼景』、そして山犬の『太郎』や池田荘荘司の娘『ゆや』とも出会う。
しばらくして状況は急変、傷心から当地に長逗留していた平家の御曹司『平宗盛』にゆやが攫われ、また彼に憑いた天邪鬼に太郎が殺されると、範頼達はゆやの身柄を取り戻すために、東国から旗揚げをいていた異母兄『源頼朝』の軍へ参加し、戦に身を投じる決意を固める。
範頼は頼景と射命丸に加え、老武者『勝間田次長』や頼景の弟『頼綱』と共に鎌倉へ下ると、保元の乱以来の古強者である悪僧『土佐坊昌俊』こと『渋谷金王丸常光』の導きを受け、頼朝から授かった武蔵国横見の地へ向かう。
東国の足固めの為の、そして初陣となる戦を控えた範頼達は、横見にほど近い石戸で、少女の姿に転化した太郎と再会し、彼女もまた範頼と共に戦う決意をする。
その後、上洛する『木曾義仲』の後塵を拝することになった鎌倉軍は、範頼と異母弟『源義経』を総大将とした鎌倉軍は順調に進撃すると義仲を倒し、彼に追い払われていた平家と『一ノ谷』での合戦に至る。
梶原親子の二度駆け、義経の逆落としなど、兵力を覆す多くの武勇により鎌倉軍は平家軍を退けるが、直後の後白河法皇による義経の任官が鎌倉にとって大きな禍根となり、頼朝と義経の兄弟の仲を割く楔となった。
その大きな流れの横で範頼は、太郎と頼景が捕らえた『平重衡』と語らい、共に理解を深め、やがて鎌倉にて彼の助けの下、ゆやと婚儀を挙げる事になった。
源平の戦いはしかし、なおも収まらず、範頼達は義経を欠いた軍で再度西国に赴く。決戦までの途上、再び天邪鬼の影が差し、鞍馬の『皆鶴』天狗などの西国の妖の動きがある事など、多くの事を射命丸は知る。
長きにわたる停滞の末、業を煮やした鎌倉から義経への出陣の命令が下るとついに事態は動き、両軍は長門国壇ノ浦にて決戦に至る。
太郎がその上空に戦場をかき乱す天邪鬼の影を捉えると、射命丸は飛び、ついにこれを追い落として悲願を果たす。同時に海上では、義経達が平家を水底に追い落とし、戦も終焉を迎えた。
源平の合戦が終われど、今度は鎌倉の内にある不和の精算が待っていた。
多くの御家人が義経に倣い、後白河法王により叙位任官する中、頼朝はそれら一切を糾弾し、排除する姿勢を発する。それは義経も例外では無く、彼は終生鎌倉へ入ることを禁じられたのを知ると呪詛を放ちながら、囚人の身であった『平宗盛』や重衡を護送し京へ向かって行った。
一方、壇ノ浦で『安徳天皇』と共に失われた三種の神器の一つ天叢雲剣の捜索に当たっている範頼であったが、義経の京入りと前後してこれを終了し、ようやく鎌倉に帰り着くのであった。
廿六./韜晦(西暦1185年)
大通りを軸として、碁盤の枡目の様に大小縦横に走る京の道。無数の辻が存在するそこは、呪的にも実用的にも大陸の都市構造を持ち込んだ街である。
その京の、六条大通りと加茂川の交差した、俗に六条河原と呼ばれる河川敷。そこには大勢の物見高い公家や、何もやることが無い平民が詰め掛けている。日々の暮らしに困る者すら訪れるここは、ある意味彼らの、ほんの僅かな娯楽を提供する場所でもあった。
それを見る彼らの反応は様々。
何があったのか、悪党ならいい気味だ、あれこそあわれ、あわれよ、と。実際は野次馬でしかない、ただ集まって好き放題言って帰って行く、そうでしかない。
時間も経って日が暮れかけ、人影もまばらになる頃になっても、そこに残り経を上げ続ける修験者が居た。
(何故です、何故貴方がこんな……)
経は自然とその口から流れるも、心の中は雑念――ひたすらの困惑と疑問で占められていた。
六条河原での娯楽とは、罪人の処刑であったり、そうして斬られた首や、上げられた首級が梟首されるのを眺める事であった。
ただし今そこに晒されているのは、罪人の首などではない。
並べられた首を前に、ひたすら読経を続ける修験者、射命丸が、それ以上の疑問を投げかけるのは並べられた首の中の一つ。
それは土佐坊昌俊、渋谷金王丸常光であった。
∴
時は半日さかのぼる。
秋も終わろうとするある日、浜の館の範頼達の元へ呼集の知らせが到着した。範頼は「急ぎ参集せよ」というだけの命令を受け取ると、何事かは分からずとも主な郎党と共に侍所へ向かった。
「一貫坊様、いったい何が起こったのでしょうか?」
「京で拙い噂が流れているのは耳にしましたが……」
それを受けた範頼は、射命丸に噂の真偽を確かめられるかを求め、彼女はそれに応じてすぐに飛び立った。
範頼らは侍所へ参上するとすぐに評議所に入る。郎党は東西他の各詰め所に分散され、評議所には豪族御家人の主たる者だけが入っていた。
「お早いお着きでございますな、参州殿」
「御舅殿。いえ、だいぶ遅い方だと思いますが」
評議所は席を確保するのも困難なぐらいに人が集まってる。余程の事態があったのだ。範頼はそこここでの交わされる話を僅かずつ耳に入れてみる。まだ誰も、何があったのか知らないことだけは分かった。
「鎌倉殿、御出座!」
盛長が号するとざわめきはぴたりと止み、御家人は威儀を正して上座の方へ向き直る。
間を置かずに現れた頼朝が諸将の礼を受けると、彼は黙したまま盛長に促す。
「此度、急遽お集まり頂いた方々には申し訳ないが、しばしの間待たれたい」
予定ではあと半時。そう盛長が告げると、場にざわめきが戻り、先ほどより喧噪は大きくなった。何が半時なのか、何があったのか、憶測が飛び交う。
「和田殿、一体何があったのですか?」
範頼は席を移し、上座近くに居た義盛に話しかける。
「京からの飛脚と、つい先ほどある隊の帰還の前触れの早馬が参着したのは知っておるのですが、いずれもそのまま公文所に持って行かれたため、子細は全く」
腕組みしながら答える。侍所別当の彼ですら知らないというだけで、事の重要性と、極めて微妙な問題であることは知れた。
待つ間にも次々御家人が到着する。その中に在って、秩父党を取りまとめる河越重頼の顔が酷く青ざめているのに範頼は気付く。彼の屋敷はここから六浦路一本を東進すればすぐ、範頼より遅れた理由が距離的な話で無いのは見当が付く。
まだ呼集を受けた全員は揃っていない、そして予告されていた半時もせずに動きがあった。頼朝の側に雑色が一人寄って耳打ちすると、頼朝は評議所の奥に下がって行った。
それからはさほど時も経たず、頼朝が席へ戻る。
「盛長、予定通りだ」
「はっ。方々、お静かに!」
仕切り直しという辺りでか盛長が発すると、諸将はおおよそ自分が座すべき箇所に戻り、また威儀を正す。頼朝の正面から諸将が両脇に座し、そこには一つの道が出来上がっている。その道の先に、一人の若武者が鎧直垂姿で現れた。
「斯様な姿でご無礼仕る、梶原源太景季ただ今帰着」
片膝で手を付きながら、息荒く早口に述べる景季。その顔は疲労の色が濃く、今まさに到着したばかりなのが見て取れる。
「景季。全て、話すのだ」
「はっ!」
見た目の様子とは裏腹に、声には疲れを微塵も滲ませず、景季は強く発する。
「“土佐坊昌俊、九郎判官の手にかかり梟首”」
先代より源氏嫡流に仕える忠臣が殺害される、これだけでも一大事。
常光が殺された。この言葉が範頼の頭で反響する中、更に驚くべき事が景季からもたらされる。
「また即日、鎌倉殿を追討せしめんとする院宣が、九郎殿に下されました!」
院宣など昨日求めて今日下る物ではない。既にその打診が義経から院に為されていたか、はたまた別の策動があったのか。居並ぶ者達の間にどよめきが広がる中、範頼は呆然とそれを聞いている。
その後も景季から、京での動きが伝えられる。そこにもう一人、鎌倉の将にも覚えのある名が上がった。
「この院宣を受け、新宮行家殿が真っ先に賛同の意志を示したとのことであります」
「ご苦労であった、よくぞそこまで粘った」
景季は労いの言葉に短く答えると、頼朝の正面から外れて最も下座の端に、隠れる様に座る。
「梶原源太には、京で何か異変があれば退くように申しつけておったのだ」
そもそも景季の入洛が、義経の動向を探るためのものであったのを頼朝は伝える。義経は先月ついに、検非違使の職に加えて伊予守まで賜った。動向を探ろうとするのは誰にも理解できた。
そして景季の入洛の後、常光も京へ上がったのだ、義経を迎えに。
迎え、常光自身も言っていた。しかしそれは本当なのか。景季が義経の動向を探るために入洛していたとなれば、それは――
(だから、土佐坊殿は討たれてしまったのか?)
頼朝が、自身を追討する旨の院宣の打診を察知し、義経の暗殺を命じていたのか。己と同じ弟の、暗殺を。範頼には、何をどう筋道立てれば良いのか、正しい答えが浮かぶのか、全く分からなくなっていた。
ただ一つだけ、範頼が信じていることがあった。
(いや、いくら鎌倉殿のご命令とはいえ、土佐坊殿が九郎殿を害するなど、とても考えられない)
鎌倉に来た当初より、右も左も分からぬ己をよく導き、戦場でも武士然としないのを理解してくれてもいたあの人柄、そして義朝と――自身を含めた――その血筋への忠義の程を見るに、いくら頼朝の命令とはと、範頼はそう信じた。
やはり刺客より、迎えに行ったと言われた方が納得出来た。本当にそうであっても悶着はあったであろうが。
鎌倉に帰るとなれば、頼朝の内挙無しに賜った官位官職の返上は必須になる。義仲追討から始まり一ノ谷や壇ノ浦で上げた戦功、これを無きものにされた義経が、二つ返事で返上に応じるとはとても考え難かった。
もし義経が官位官職を返上し、囚人同然で鎌倉に帰ったとしても、頼朝が彼をどう沙汰したか。
範頼が恣意を巡らせる側で、先ほどと同じ雑色が現れ、頼朝に報告する。
「上総介様、参着されました」
尋常でない巨漢、足利義兼が郎等を一人連れ、その身体に似合わず足音もさせずに現れる。
「足利三郎、遅参ご無礼仕ります」
「よい。ところで此度の事、どこまで聞いておるか」
「九郎殿御謀反、とだけ」
そうだ、これは謀反だ。未然に終わったとしても、罰しないわけにはいかない。もし頼朝がそれを免じたりしたら、今度は御家人衆が黙っていないであろう事は、想像に難くない。
義兼の到着を機に、係る新たな議事が提起される。
「さて、河越殿」
「ははっ!」
「これは、如何なる事であろうか」
諸将の目が一斉に重頼を向く。義経の妻、郷御前の父である彼に。
秩父党(※1)をまとめる大の男が、泣き出しそうな苦悶の表情を浮かべ、蒼白の面に脂汗を吹き出させていた。
彼に係ることが郷御前の存在なのは誰にも分かる。だからと言ってそれが彼が責められる理由となるのか、疑問を持つ者は多い。
「お主が、姫を九郎に娶らせたいと言ったのは、謀叛を助長するためか?」
「いえ、決して、その様な……」
これに範頼は気付いた。義経と郷御前の結婚は、己とゆやよりも先に決まっていたと盛長から聞いていた。しかし実際は、義経が平家残党の反乱やその事後処理で多忙であったこともあり、相当遅れてことであった。
その間には、多くの御家人が頼朝の気色を賜った無断任官の大元――義経のそれがあった。彼を西国遠征の総大将から外しつつ、かつ当初の予定通り郷御前を娶らせたのは、郷御前を監視役とする為であったのか。
あり得ない話ではない。そうであれば今重頼が責められるのも、やや理解できる。
「では何故、九郎の叛意の件、お主から一切の報告が無かったのか?」
「はっ……」
重頼自身がそれを言い出したのであろうか、だとしたら黙る他は無い。郷御前が役目を果たさなかったか、彼に翻意が起こったか、いずれにせよ。
「大方、姫は本気で九郎殿に惚れてしまったのではあるまいか? のぉ、河越殿」
頼朝の横からそんな言葉を吐きかけるのは時政であった。嘲笑う貌から発せられる言葉は本心と知れる。時節が時節なら、伊豆の小さな土豪である彼が秩父党嫡流の重頼にそんな言葉を発すれば、抗争に至った挙げ句押し潰されてもおかしくは無い。頼朝の舅であるが故の態度である。
「舅殿、お控えなされよ」
頼朝が言う。時政はふむと息を吐いて黙るが、その顔には優越感が浮かぶ。
「鎌倉殿、まっこと僭越ではありますが、申し奉る」
「何か、三郎殿」
太い声に頼朝が応じる。声の主の三郎とは、遅れて現れた義兼であった。
「いくら側にある姫御前とは言え、全てを掌握するのは困難であったかと。また、河越氏は秩父党の要であります。此度の事で河越殿を除こうなどと考えるならば、余りにも短慮であるかと」
「口を慎まれよ、上総介殿」
時政がまたも口を出す。義兼に賛同する声は無い。
「さて、御舅殿には怒られてしまいましたが、方々は如何にお考えか。それは、河越氏が所領を召し上げられた方が都合が宜しいでしょう、その分己への分け前が増えるのですからな。だが、よっく考えなされよ」
明確な挑発とも取れる言葉を堂々と言い放つ。
範頼もそれに賛同したかったが言葉が出ない。義兼がある程度事前に把握してた上でそう述べているのが分かる。しかし今初めて事を知った範頼には、彼のように整然と、勇気を持って述べることは叶わなかった。
「三郎殿、ここで争ってもよい事は無い」
「……左様でありますか」
義兼の沈鬱な様子は、予め決まっている先行きの、望まぬ方が選ばれようとしている事を示していた。河越氏への沙汰は今ここで即決すべき事では無い、本題の義経の件はどうか。議事はまたそちらに戻り、これにはすぐに決が下った。
「中原、これへ」
呼び出されたのは、公文所から改められた政所(まんどころ)(※2)へ別当として留任している広元。彼は淡々と語り始める。
「九郎殿が引き出した院宣は、畿内近国には鎌倉御家人も多く駐留しております故、既に有名無実と化しております。院も此度された宣下が如何なる事態を自身にもたらすか、一両日中にも知るで御座いましょう」
それに先駆け、景季達とは引き替えに、院に義経追捕の院宣を求める書状が京に走っているのだと言う。求めると言えば易しく聞こえるが、実際は上洛軍を出すなどの脅しがしたためられているのは、居並ぶ御家人らにも想像が付いた。そして実際にやる、鎌倉らしいやり方である。
本来は今日言って明日出るはずの無い院宣も、今回はすぐに下るであろう。広元がその様に根回しをしているのもまた、想像に易い。武士の世を形作る途上にある鎌倉において、彼はそれを体現する官僚であった。
追捕、その言葉が範頼の腹の奥に響く。あの英雄を捕らえる、多くの兵で押しくるめて。
常光の死に加え、今下されたこの決に、範頼はただただおののくだけであった。
合議を持つべき事が一段落し、集まっていた御家人らは、これからしばらくは、いつどの様な行動があっても応じられるよう、それぞれ自身が鎌倉に持つ屋敷なり宿なり、または近隣の村へ各々散って行く。
範頼は御家人がほとんど出払うのを見送ってからも、評議所に居座っていた。
日は既に傾き、しかし燈火の無いそこは暗い。
もう一人、その場に留まる者があった。
「蒲殿、恐れを知りましたな」
「え?」
郎党を先に帰らせた義兼が語りかける。
その言葉が意味するのは何か、範頼には分からない。
「鎌倉に参じた頃の、いや、平家との戦を終えるまでの蒲殿は、そうでは無かったと」
先ほどの、御家人の大半を敵に回しかねない言葉に賛同しなかったのを責めているかと、範頼は察する。
「私は上総介殿の様に、強くも何もありませんので」
「いや、勝手な事を言いました。ご無礼仕った」
それからしばらく沈黙が続き、先に義兼が席を立つ。辺りはもう、暗闇に覆われようとしていた。
∴
日が暮れようとする六条河原。
喉の奥が貼り付きそうになるのを堪えつつも、射命丸はまだなお読経を続けながら、心の中で常光に問い続けていた。同じ問いを、ずっと。
周囲に居る検非違使庁の役人達は、僧だからと彼女を見守っていたが、日が暮れる今になっては放っておく事もできず退去させようとする。
「一貫坊、いつまでこんな所に居るつもりだ?」
そこへ知らぬ声が呼びかける。射命丸が振り返った先に居たのは全く知らない相手、ではなかった。
「お前は熊野の……」
「熊野には使いで居ただけだ。私は鬼一法眼(きいちほうげん)(※3)様の弟子の……そうだな、皆鶴(みなづる)とでも呼んでくれ」
そう言いながら、射命丸を河原から引き離そうと手を引く皆鶴。熊野に居た時と同じく、濃淡分けた桷の実の様な色合いの、格子模様の奇抜な袴を穿いている。
鬼一法眼――鞍馬の大天狗、その弟子とは。三尺坊の下に在る自身との共感を覚えた射命丸は、抵抗する事無く、導かれるままに城内に向け歩み始める。
黙ったまま六条通りを日を追って西進する二人。
沈黙は、皆鶴の問いで明けた。
「お前がなぜ、人間の死を嘆く」
人間など妖怪より先に死ぬのだ、どれだけ相親しんでも先立たれる。それをその度一々嘆いて来たのか、これからもそうなのか。皆鶴はそう問うた。
射命丸はこれに首を振って答える。
「天寿を全うし往生するなら良い、病であっても治せねば仕方ないと諦めるだろう。しかし、討たれるなど……」
「侍など、いつ倒れるか分からないだろうに」
悪僧だろうが武士であろうが大して違いは無いため、そこは訂正しない。それよりも何故彼の死を悼むのか。
「ただ親しんだ仲では無かった。私達の秘密を受け容れ、私の正体を知ってもなお、受け容れてくれた」
範頼や相良の兄弟、次長と同じくだ。
やはり肉親とはこういうものなのかと、今こうして思考する認識を得るより遙か以前の、ただの鴉であった時に居たであろう父母に思いを馳せてすらいた。
皆鶴はそれに、呆れた様に嘆息して答える。
「つくづく、東国はぬるい所だったのだな」
「それは、如何なる故での悪口(あっく)か」
射命丸は拳に力を込め詰問する。気が滅入っていたためか言うとおりぬるかったのか、兎も角こんな奴に身の上話をすべきでなかったと、半ば恥じ入りながら。
「西国は魑魅魍魎の渦巻く地、殊に京は魍魎の箱庭。この度の事、それに呑まれるままの予州殿こそ哀れよ」
「土佐坊殿を斬った九郎殿の、何が哀れか!」
「……いずれ、こうなる気はしたんだ」
言うや、宙に踊り上がる皆鶴。紫色の空に赤紫の格子模様が溶ける。
まだ日も暮れきっていないのに洛中から飛び立つなど、陰陽寮の奴らにでも討たれてしまえばいいのに。
射命丸は後を追う事無く、その後ろ姿を見送った。
「土佐坊殿が、そうか」
「皆は悲しむでしょうか、怒るでしょうか」
「さてな……」
頼景と範頼、二人きりで冷え切った月の下を歩む。
頼景は詰め所から他の御家人の郎等らが出て行くのを見て、己を除く範頼の手勢を弟に任せ、一人残っていたのであった。
射命丸を行かせたのは間違いだった、彼女は常光の首を目の当たりにしたであろう、範頼は先ずそれを悔やんでいた。そして今、それにも増して気にかけるのは、つい先ほどの義兼の言葉。
「何故、私が呼応すると思ったのでしょう」
頼景はこれに即答する。
「お主は怖いもの知らずだからな。いや、だったか」
範頼にとっては意外な答えであったが、彼を側で見てきた頼景は、彼自身よりも知っていた。
「だから蒲殿が賛同すると信じていたのだろう。相応の立場にあるお主が応じたなら、河越殿の沙汰も悪くない方に進められよう、とな」
一呼吸して、頼景はあさってに向かい語りかける。
「とは言っても無理がある、上総介殿」
頼朝は、義兼と範頼、他にも御家人が賛同すれば、河越氏の沙汰は軽くした――出来たかも知れなかった。だが頼朝の舅の時政は、明確に重頼を罰しようともしていた。
「そうですか、私は向こう見ずの猪武者、ですか」
「そうは言っておらん」
「で、あったら、どれだけ良かったでしょうか」
ずっとそうではならない。だが先ほどまでは、そうあるべきであったかも知れない。いやまだ遅くは無い。
そして――
「九郎殿の事も……」
それも、まだ。
「そうだな」
頼景は短く答え、今度はこちらからと問いかける。
「なあ蒲殿、土佐坊様は本当に九郎殿を迎えに行ったのかな。それとも始めから九郎殿を討ちに――」
「私は、迎えに行ったのだと、信じています」
∵
京、堀川小路五条よりやや南に位置する館。
暗夜に紛れて館を包囲した約六十騎。しかし相手は一ノ谷へ八島へと駆け回った古今無双の若武者義経。常光以下の者達は逆に打って出た義経に蹴散らされた。
常光は残った兵馬をまとめ鞍馬まで退いたが、そこで捕らえられ、当初のあるべき状況とは余りにも違う形で、義経と対面する羽目になったのであった。
「土佐坊、だったか」
「はい、土佐坊昌俊と申します」
常光の周囲を、義経麾下の『四天王』と称する腹心の悪僧や強者が固める。その中には木曾義仲を討ち取った伊勢義盛の姿もある。
(佐藤の三郎殿は、八島で討たれたのだったな)
もう一人の四天王、佐藤三郎継信。義経は奥州からずっと従って来た彼の死をひどく嘆き、悼んだという。自身の愛馬を土地の寺に納めてまで供養を求めた程に。(※4)
こればかりは頼朝も「武人を慰める行為として、美談とせざる事は無い行いである」とまで評したのを、常光も覚えていた。
己は頼朝にどう扱って貰えるだろうか? とは、常光は考え無かった。ずっと、既に死んだ者として生きて来たのだ。かつての主君義朝の死から、この時まで。
「土佐坊、一つ訪ねる。お前はたったこれだけの手勢で、俺を討つつもりだったのか?」
座したまま首を振る常光。浮かべる微笑みは、月光の陰となり義経には見えなかった。
「いいえ、拙僧は鎌倉からお迎えに上がった次第」
ギリっと歯を鳴らしてから――
「今更何をか! これまでの事を思えば、そんな言葉がどうして信じられようぞ!」
清い声で荒く叫ぶ義経。常光の応答を待たずに続けて語る。
「それに、今こうしているだけで、彼方の東国からは、ひしひしと余るほどの敵意を感じるのだ」
「敵意、ですと?」
「ああ、どの戦場でも感じたものだ」
それ故に、味方すら出し抜いて数多の平家勢を蹴散らす事が出来た。もはやお前には秘す必要も無い、冥土の土産だと言って放つ。
常光は聞き返した以上には驚かなかった。極めて高い洞察力をそう錯覚しているのかも知れないが、某かの力があったればこそあの戦乱を駆け抜けられたのであろうと、むしろ得心がいった。
義朝の血は引けど、個人としてはただの厨の住人でしか無かった範頼が、射命丸や太郎の力を借りて戦った様に、この若き英傑もそうであったのだろうと。
「だがお前の敵意は読めない、お前の心底だけが見えない。お前は、恐ろしい……」
「申し上げた通り、私は鎌倉からお迎えに参じたのです。まだ遅くはありません、共に戻りましょう」
笑顔を向けて言う常光に、義経は却って狼狽する。
幼き日、京では仇である平家に囲まれ、鞍馬山では荒法師に揉まれ、逃げる様に奥州へ。過酷な運命が、彼の天賦の才と共に猜疑心の芽まで育てたのか。
哀れだと常光は思った、他人の赤心に触れた事が無いのであろうかと。この期に及んでもなお思った。
そして常光こそ、義朝を死なせてからずっと真心のみで行動していた。義経はその彼すら、信じる事が出来なかったのだった。
∵
暗夜を再び六条河原まで戻った射命丸。検非違使庁でも正式な扱いを決めあぐねているのであろう、常光とその手勢らの首はまだそこに晒されていた。
このままでは野犬にでも喰われてしまうだろうに、そう思い浮かべながら常光を見る。
彼の顔だけは、心なしか優しく微笑んでいる様にも見えた。それは射命丸をしても余りに不可解で、その悲しみをより深くさせた。
――鎌倉殿、蒲殿。
あれらの乱を生き抜きここで死ぬ、
私の命とは何だったのか、私には分かりません。
でも佐殿と再び会い、蒲殿達と出会えた事を思えば、今は、そんなに悪い気分ではありません――
* * *
一ノ谷、屋島並びに壇ノ浦と、公卿から民草まで誰もが認める戦果を上げた英雄は、伊予守任官を最高潮とし、瞬く間にその地位を墜として行く。
土佐坊昌俊斬殺の後、後白河法皇より宣下された頼朝追討の院宣を以て、彼と、彼をそそのかした新宮行家は鎌倉――頼朝の敵対者となったのである。
院宣はさして時を経ず義経追討の院宣に翻されると、頼朝に下され、義経は解官され一転して朝敵と化す。
その骨肉相食むが如きは、彼らの父義朝の道程を辿っている様でもあった。
義朝にも彼ら兄弟にも、同じ影が射していた。それは院政という影であった。
源平合戦の英雄義経は、これより長い彷徨の時を迎えるのである。
第21話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 秩父党:武蔵国に本拠を置く武蔵武士のうち、秩父郡の秩父氏(秩父平氏)を中核とした武士団。河越氏は秩父氏の一流派で、畠山氏などもこれに属する。
※2 政所:元々は皇家や公卿の家政機関であり、鎌倉の政所は公文所同様の統治機構の役割を持つ。改称は、頼朝の官位が公卿に並んだ事が一因ともされる。
※3 鬼一法眼:京一条堀川に住んだとされる陰陽師。鞍馬寺には彼を祀る社があり、義経記などにおける記述から、鞍馬僧正坊天狗と同一線上の創作と見られる。
※4 佐藤継信:奥州藤原氏の家臣であり、弟の忠信と共に義経の下に参じた。屋島での逸話と、それに対する頼朝の評価は、吾妻鏡にも記されている。
平安の終わり頃、一羽の鴉が幼き日の源氏の御曹司『蒲冠者範頼』に命を救われた。鴉は彼への憧憬から鴉天狗に転化し、『一貫坊射命丸』と名付けられる。
二十年の時を置き、岩田見附へ『天邪鬼』退治に趣いた射命丸は範頼と再会を果たし、その友『相良頼景』、そして山犬の『太郎』や池田荘荘司の娘『ゆや』とも出会う。
しばらくして状況は急変、傷心から当地に長逗留していた平家の御曹司『平宗盛』にゆやが攫われ、また彼に憑いた天邪鬼に太郎が殺されると、範頼達はゆやの身柄を取り戻すために、東国から旗揚げをいていた異母兄『源頼朝』の軍へ参加し、戦に身を投じる決意を固める。
範頼は頼景と射命丸に加え、老武者『勝間田次長』や頼景の弟『頼綱』と共に鎌倉へ下ると、保元の乱以来の古強者である悪僧『土佐坊昌俊』こと『渋谷金王丸常光』の導きを受け、頼朝から授かった武蔵国横見の地へ向かう。
東国の足固めの為の、そして初陣となる戦を控えた範頼達は、横見にほど近い石戸で、少女の姿に転化した太郎と再会し、彼女もまた範頼と共に戦う決意をする。
その後、上洛する『木曾義仲』の後塵を拝することになった鎌倉軍は、範頼と異母弟『源義経』を総大将とした鎌倉軍は順調に進撃すると義仲を倒し、彼に追い払われていた平家と『一ノ谷』での合戦に至る。
梶原親子の二度駆け、義経の逆落としなど、兵力を覆す多くの武勇により鎌倉軍は平家軍を退けるが、直後の後白河法皇による義経の任官が鎌倉にとって大きな禍根となり、頼朝と義経の兄弟の仲を割く楔となった。
その大きな流れの横で範頼は、太郎と頼景が捕らえた『平重衡』と語らい、共に理解を深め、やがて鎌倉にて彼の助けの下、ゆやと婚儀を挙げる事になった。
源平の戦いはしかし、なおも収まらず、範頼達は義経を欠いた軍で再度西国に赴く。決戦までの途上、再び天邪鬼の影が差し、鞍馬の『皆鶴』天狗などの西国の妖の動きがある事など、多くの事を射命丸は知る。
長きにわたる停滞の末、業を煮やした鎌倉から義経への出陣の命令が下るとついに事態は動き、両軍は長門国壇ノ浦にて決戦に至る。
太郎がその上空に戦場をかき乱す天邪鬼の影を捉えると、射命丸は飛び、ついにこれを追い落として悲願を果たす。同時に海上では、義経達が平家を水底に追い落とし、戦も終焉を迎えた。
源平の合戦が終われど、今度は鎌倉の内にある不和の精算が待っていた。
多くの御家人が義経に倣い、後白河法王により叙位任官する中、頼朝はそれら一切を糾弾し、排除する姿勢を発する。それは義経も例外では無く、彼は終生鎌倉へ入ることを禁じられたのを知ると呪詛を放ちながら、囚人の身であった『平宗盛』や重衡を護送し京へ向かって行った。
一方、壇ノ浦で『安徳天皇』と共に失われた三種の神器の一つ天叢雲剣の捜索に当たっている範頼であったが、義経の京入りと前後してこれを終了し、ようやく鎌倉に帰り着くのであった。
廿六./韜晦(西暦1185年)
大通りを軸として、碁盤の枡目の様に大小縦横に走る京の道。無数の辻が存在するそこは、呪的にも実用的にも大陸の都市構造を持ち込んだ街である。
その京の、六条大通りと加茂川の交差した、俗に六条河原と呼ばれる河川敷。そこには大勢の物見高い公家や、何もやることが無い平民が詰め掛けている。日々の暮らしに困る者すら訪れるここは、ある意味彼らの、ほんの僅かな娯楽を提供する場所でもあった。
それを見る彼らの反応は様々。
何があったのか、悪党ならいい気味だ、あれこそあわれ、あわれよ、と。実際は野次馬でしかない、ただ集まって好き放題言って帰って行く、そうでしかない。
時間も経って日が暮れかけ、人影もまばらになる頃になっても、そこに残り経を上げ続ける修験者が居た。
(何故です、何故貴方がこんな……)
経は自然とその口から流れるも、心の中は雑念――ひたすらの困惑と疑問で占められていた。
六条河原での娯楽とは、罪人の処刑であったり、そうして斬られた首や、上げられた首級が梟首されるのを眺める事であった。
ただし今そこに晒されているのは、罪人の首などではない。
並べられた首を前に、ひたすら読経を続ける修験者、射命丸が、それ以上の疑問を投げかけるのは並べられた首の中の一つ。
それは土佐坊昌俊、渋谷金王丸常光であった。
∴
時は半日さかのぼる。
秋も終わろうとするある日、浜の館の範頼達の元へ呼集の知らせが到着した。範頼は「急ぎ参集せよ」というだけの命令を受け取ると、何事かは分からずとも主な郎党と共に侍所へ向かった。
「一貫坊様、いったい何が起こったのでしょうか?」
「京で拙い噂が流れているのは耳にしましたが……」
それを受けた範頼は、射命丸に噂の真偽を確かめられるかを求め、彼女はそれに応じてすぐに飛び立った。
範頼らは侍所へ参上するとすぐに評議所に入る。郎党は東西他の各詰め所に分散され、評議所には豪族御家人の主たる者だけが入っていた。
「お早いお着きでございますな、参州殿」
「御舅殿。いえ、だいぶ遅い方だと思いますが」
評議所は席を確保するのも困難なぐらいに人が集まってる。余程の事態があったのだ。範頼はそこここでの交わされる話を僅かずつ耳に入れてみる。まだ誰も、何があったのか知らないことだけは分かった。
「鎌倉殿、御出座!」
盛長が号するとざわめきはぴたりと止み、御家人は威儀を正して上座の方へ向き直る。
間を置かずに現れた頼朝が諸将の礼を受けると、彼は黙したまま盛長に促す。
「此度、急遽お集まり頂いた方々には申し訳ないが、しばしの間待たれたい」
予定ではあと半時。そう盛長が告げると、場にざわめきが戻り、先ほどより喧噪は大きくなった。何が半時なのか、何があったのか、憶測が飛び交う。
「和田殿、一体何があったのですか?」
範頼は席を移し、上座近くに居た義盛に話しかける。
「京からの飛脚と、つい先ほどある隊の帰還の前触れの早馬が参着したのは知っておるのですが、いずれもそのまま公文所に持って行かれたため、子細は全く」
腕組みしながら答える。侍所別当の彼ですら知らないというだけで、事の重要性と、極めて微妙な問題であることは知れた。
待つ間にも次々御家人が到着する。その中に在って、秩父党を取りまとめる河越重頼の顔が酷く青ざめているのに範頼は気付く。彼の屋敷はここから六浦路一本を東進すればすぐ、範頼より遅れた理由が距離的な話で無いのは見当が付く。
まだ呼集を受けた全員は揃っていない、そして予告されていた半時もせずに動きがあった。頼朝の側に雑色が一人寄って耳打ちすると、頼朝は評議所の奥に下がって行った。
それからはさほど時も経たず、頼朝が席へ戻る。
「盛長、予定通りだ」
「はっ。方々、お静かに!」
仕切り直しという辺りでか盛長が発すると、諸将はおおよそ自分が座すべき箇所に戻り、また威儀を正す。頼朝の正面から諸将が両脇に座し、そこには一つの道が出来上がっている。その道の先に、一人の若武者が鎧直垂姿で現れた。
「斯様な姿でご無礼仕る、梶原源太景季ただ今帰着」
片膝で手を付きながら、息荒く早口に述べる景季。その顔は疲労の色が濃く、今まさに到着したばかりなのが見て取れる。
「景季。全て、話すのだ」
「はっ!」
見た目の様子とは裏腹に、声には疲れを微塵も滲ませず、景季は強く発する。
「“土佐坊昌俊、九郎判官の手にかかり梟首”」
先代より源氏嫡流に仕える忠臣が殺害される、これだけでも一大事。
常光が殺された。この言葉が範頼の頭で反響する中、更に驚くべき事が景季からもたらされる。
「また即日、鎌倉殿を追討せしめんとする院宣が、九郎殿に下されました!」
院宣など昨日求めて今日下る物ではない。既にその打診が義経から院に為されていたか、はたまた別の策動があったのか。居並ぶ者達の間にどよめきが広がる中、範頼は呆然とそれを聞いている。
その後も景季から、京での動きが伝えられる。そこにもう一人、鎌倉の将にも覚えのある名が上がった。
「この院宣を受け、新宮行家殿が真っ先に賛同の意志を示したとのことであります」
「ご苦労であった、よくぞそこまで粘った」
景季は労いの言葉に短く答えると、頼朝の正面から外れて最も下座の端に、隠れる様に座る。
「梶原源太には、京で何か異変があれば退くように申しつけておったのだ」
そもそも景季の入洛が、義経の動向を探るためのものであったのを頼朝は伝える。義経は先月ついに、検非違使の職に加えて伊予守まで賜った。動向を探ろうとするのは誰にも理解できた。
そして景季の入洛の後、常光も京へ上がったのだ、義経を迎えに。
迎え、常光自身も言っていた。しかしそれは本当なのか。景季が義経の動向を探るために入洛していたとなれば、それは――
(だから、土佐坊殿は討たれてしまったのか?)
頼朝が、自身を追討する旨の院宣の打診を察知し、義経の暗殺を命じていたのか。己と同じ弟の、暗殺を。範頼には、何をどう筋道立てれば良いのか、正しい答えが浮かぶのか、全く分からなくなっていた。
ただ一つだけ、範頼が信じていることがあった。
(いや、いくら鎌倉殿のご命令とはいえ、土佐坊殿が九郎殿を害するなど、とても考えられない)
鎌倉に来た当初より、右も左も分からぬ己をよく導き、戦場でも武士然としないのを理解してくれてもいたあの人柄、そして義朝と――自身を含めた――その血筋への忠義の程を見るに、いくら頼朝の命令とはと、範頼はそう信じた。
やはり刺客より、迎えに行ったと言われた方が納得出来た。本当にそうであっても悶着はあったであろうが。
鎌倉に帰るとなれば、頼朝の内挙無しに賜った官位官職の返上は必須になる。義仲追討から始まり一ノ谷や壇ノ浦で上げた戦功、これを無きものにされた義経が、二つ返事で返上に応じるとはとても考え難かった。
もし義経が官位官職を返上し、囚人同然で鎌倉に帰ったとしても、頼朝が彼をどう沙汰したか。
範頼が恣意を巡らせる側で、先ほどと同じ雑色が現れ、頼朝に報告する。
「上総介様、参着されました」
尋常でない巨漢、足利義兼が郎等を一人連れ、その身体に似合わず足音もさせずに現れる。
「足利三郎、遅参ご無礼仕ります」
「よい。ところで此度の事、どこまで聞いておるか」
「九郎殿御謀反、とだけ」
そうだ、これは謀反だ。未然に終わったとしても、罰しないわけにはいかない。もし頼朝がそれを免じたりしたら、今度は御家人衆が黙っていないであろう事は、想像に難くない。
義兼の到着を機に、係る新たな議事が提起される。
「さて、河越殿」
「ははっ!」
「これは、如何なる事であろうか」
諸将の目が一斉に重頼を向く。義経の妻、郷御前の父である彼に。
秩父党(※1)をまとめる大の男が、泣き出しそうな苦悶の表情を浮かべ、蒼白の面に脂汗を吹き出させていた。
彼に係ることが郷御前の存在なのは誰にも分かる。だからと言ってそれが彼が責められる理由となるのか、疑問を持つ者は多い。
「お主が、姫を九郎に娶らせたいと言ったのは、謀叛を助長するためか?」
「いえ、決して、その様な……」
これに範頼は気付いた。義経と郷御前の結婚は、己とゆやよりも先に決まっていたと盛長から聞いていた。しかし実際は、義経が平家残党の反乱やその事後処理で多忙であったこともあり、相当遅れてことであった。
その間には、多くの御家人が頼朝の気色を賜った無断任官の大元――義経のそれがあった。彼を西国遠征の総大将から外しつつ、かつ当初の予定通り郷御前を娶らせたのは、郷御前を監視役とする為であったのか。
あり得ない話ではない。そうであれば今重頼が責められるのも、やや理解できる。
「では何故、九郎の叛意の件、お主から一切の報告が無かったのか?」
「はっ……」
重頼自身がそれを言い出したのであろうか、だとしたら黙る他は無い。郷御前が役目を果たさなかったか、彼に翻意が起こったか、いずれにせよ。
「大方、姫は本気で九郎殿に惚れてしまったのではあるまいか? のぉ、河越殿」
頼朝の横からそんな言葉を吐きかけるのは時政であった。嘲笑う貌から発せられる言葉は本心と知れる。時節が時節なら、伊豆の小さな土豪である彼が秩父党嫡流の重頼にそんな言葉を発すれば、抗争に至った挙げ句押し潰されてもおかしくは無い。頼朝の舅であるが故の態度である。
「舅殿、お控えなされよ」
頼朝が言う。時政はふむと息を吐いて黙るが、その顔には優越感が浮かぶ。
「鎌倉殿、まっこと僭越ではありますが、申し奉る」
「何か、三郎殿」
太い声に頼朝が応じる。声の主の三郎とは、遅れて現れた義兼であった。
「いくら側にある姫御前とは言え、全てを掌握するのは困難であったかと。また、河越氏は秩父党の要であります。此度の事で河越殿を除こうなどと考えるならば、余りにも短慮であるかと」
「口を慎まれよ、上総介殿」
時政がまたも口を出す。義兼に賛同する声は無い。
「さて、御舅殿には怒られてしまいましたが、方々は如何にお考えか。それは、河越氏が所領を召し上げられた方が都合が宜しいでしょう、その分己への分け前が増えるのですからな。だが、よっく考えなされよ」
明確な挑発とも取れる言葉を堂々と言い放つ。
範頼もそれに賛同したかったが言葉が出ない。義兼がある程度事前に把握してた上でそう述べているのが分かる。しかし今初めて事を知った範頼には、彼のように整然と、勇気を持って述べることは叶わなかった。
「三郎殿、ここで争ってもよい事は無い」
「……左様でありますか」
義兼の沈鬱な様子は、予め決まっている先行きの、望まぬ方が選ばれようとしている事を示していた。河越氏への沙汰は今ここで即決すべき事では無い、本題の義経の件はどうか。議事はまたそちらに戻り、これにはすぐに決が下った。
「中原、これへ」
呼び出されたのは、公文所から改められた政所(まんどころ)(※2)へ別当として留任している広元。彼は淡々と語り始める。
「九郎殿が引き出した院宣は、畿内近国には鎌倉御家人も多く駐留しております故、既に有名無実と化しております。院も此度された宣下が如何なる事態を自身にもたらすか、一両日中にも知るで御座いましょう」
それに先駆け、景季達とは引き替えに、院に義経追捕の院宣を求める書状が京に走っているのだと言う。求めると言えば易しく聞こえるが、実際は上洛軍を出すなどの脅しがしたためられているのは、居並ぶ御家人らにも想像が付いた。そして実際にやる、鎌倉らしいやり方である。
本来は今日言って明日出るはずの無い院宣も、今回はすぐに下るであろう。広元がその様に根回しをしているのもまた、想像に易い。武士の世を形作る途上にある鎌倉において、彼はそれを体現する官僚であった。
追捕、その言葉が範頼の腹の奥に響く。あの英雄を捕らえる、多くの兵で押しくるめて。
常光の死に加え、今下されたこの決に、範頼はただただおののくだけであった。
合議を持つべき事が一段落し、集まっていた御家人らは、これからしばらくは、いつどの様な行動があっても応じられるよう、それぞれ自身が鎌倉に持つ屋敷なり宿なり、または近隣の村へ各々散って行く。
範頼は御家人がほとんど出払うのを見送ってからも、評議所に居座っていた。
日は既に傾き、しかし燈火の無いそこは暗い。
もう一人、その場に留まる者があった。
「蒲殿、恐れを知りましたな」
「え?」
郎党を先に帰らせた義兼が語りかける。
その言葉が意味するのは何か、範頼には分からない。
「鎌倉に参じた頃の、いや、平家との戦を終えるまでの蒲殿は、そうでは無かったと」
先ほどの、御家人の大半を敵に回しかねない言葉に賛同しなかったのを責めているかと、範頼は察する。
「私は上総介殿の様に、強くも何もありませんので」
「いや、勝手な事を言いました。ご無礼仕った」
それからしばらく沈黙が続き、先に義兼が席を立つ。辺りはもう、暗闇に覆われようとしていた。
∴
日が暮れようとする六条河原。
喉の奥が貼り付きそうになるのを堪えつつも、射命丸はまだなお読経を続けながら、心の中で常光に問い続けていた。同じ問いを、ずっと。
周囲に居る検非違使庁の役人達は、僧だからと彼女を見守っていたが、日が暮れる今になっては放っておく事もできず退去させようとする。
「一貫坊、いつまでこんな所に居るつもりだ?」
そこへ知らぬ声が呼びかける。射命丸が振り返った先に居たのは全く知らない相手、ではなかった。
「お前は熊野の……」
「熊野には使いで居ただけだ。私は鬼一法眼(きいちほうげん)(※3)様の弟子の……そうだな、皆鶴(みなづる)とでも呼んでくれ」
そう言いながら、射命丸を河原から引き離そうと手を引く皆鶴。熊野に居た時と同じく、濃淡分けた桷の実の様な色合いの、格子模様の奇抜な袴を穿いている。
鬼一法眼――鞍馬の大天狗、その弟子とは。三尺坊の下に在る自身との共感を覚えた射命丸は、抵抗する事無く、導かれるままに城内に向け歩み始める。
黙ったまま六条通りを日を追って西進する二人。
沈黙は、皆鶴の問いで明けた。
「お前がなぜ、人間の死を嘆く」
人間など妖怪より先に死ぬのだ、どれだけ相親しんでも先立たれる。それをその度一々嘆いて来たのか、これからもそうなのか。皆鶴はそう問うた。
射命丸はこれに首を振って答える。
「天寿を全うし往生するなら良い、病であっても治せねば仕方ないと諦めるだろう。しかし、討たれるなど……」
「侍など、いつ倒れるか分からないだろうに」
悪僧だろうが武士であろうが大して違いは無いため、そこは訂正しない。それよりも何故彼の死を悼むのか。
「ただ親しんだ仲では無かった。私達の秘密を受け容れ、私の正体を知ってもなお、受け容れてくれた」
範頼や相良の兄弟、次長と同じくだ。
やはり肉親とはこういうものなのかと、今こうして思考する認識を得るより遙か以前の、ただの鴉であった時に居たであろう父母に思いを馳せてすらいた。
皆鶴はそれに、呆れた様に嘆息して答える。
「つくづく、東国はぬるい所だったのだな」
「それは、如何なる故での悪口(あっく)か」
射命丸は拳に力を込め詰問する。気が滅入っていたためか言うとおりぬるかったのか、兎も角こんな奴に身の上話をすべきでなかったと、半ば恥じ入りながら。
「西国は魑魅魍魎の渦巻く地、殊に京は魍魎の箱庭。この度の事、それに呑まれるままの予州殿こそ哀れよ」
「土佐坊殿を斬った九郎殿の、何が哀れか!」
「……いずれ、こうなる気はしたんだ」
言うや、宙に踊り上がる皆鶴。紫色の空に赤紫の格子模様が溶ける。
まだ日も暮れきっていないのに洛中から飛び立つなど、陰陽寮の奴らにでも討たれてしまえばいいのに。
射命丸は後を追う事無く、その後ろ姿を見送った。
「土佐坊殿が、そうか」
「皆は悲しむでしょうか、怒るでしょうか」
「さてな……」
頼景と範頼、二人きりで冷え切った月の下を歩む。
頼景は詰め所から他の御家人の郎等らが出て行くのを見て、己を除く範頼の手勢を弟に任せ、一人残っていたのであった。
射命丸を行かせたのは間違いだった、彼女は常光の首を目の当たりにしたであろう、範頼は先ずそれを悔やんでいた。そして今、それにも増して気にかけるのは、つい先ほどの義兼の言葉。
「何故、私が呼応すると思ったのでしょう」
頼景はこれに即答する。
「お主は怖いもの知らずだからな。いや、だったか」
範頼にとっては意外な答えであったが、彼を側で見てきた頼景は、彼自身よりも知っていた。
「だから蒲殿が賛同すると信じていたのだろう。相応の立場にあるお主が応じたなら、河越殿の沙汰も悪くない方に進められよう、とな」
一呼吸して、頼景はあさってに向かい語りかける。
「とは言っても無理がある、上総介殿」
頼朝は、義兼と範頼、他にも御家人が賛同すれば、河越氏の沙汰は軽くした――出来たかも知れなかった。だが頼朝の舅の時政は、明確に重頼を罰しようともしていた。
「そうですか、私は向こう見ずの猪武者、ですか」
「そうは言っておらん」
「で、あったら、どれだけ良かったでしょうか」
ずっとそうではならない。だが先ほどまでは、そうあるべきであったかも知れない。いやまだ遅くは無い。
そして――
「九郎殿の事も……」
それも、まだ。
「そうだな」
頼景は短く答え、今度はこちらからと問いかける。
「なあ蒲殿、土佐坊様は本当に九郎殿を迎えに行ったのかな。それとも始めから九郎殿を討ちに――」
「私は、迎えに行ったのだと、信じています」
∵
京、堀川小路五条よりやや南に位置する館。
暗夜に紛れて館を包囲した約六十騎。しかし相手は一ノ谷へ八島へと駆け回った古今無双の若武者義経。常光以下の者達は逆に打って出た義経に蹴散らされた。
常光は残った兵馬をまとめ鞍馬まで退いたが、そこで捕らえられ、当初のあるべき状況とは余りにも違う形で、義経と対面する羽目になったのであった。
「土佐坊、だったか」
「はい、土佐坊昌俊と申します」
常光の周囲を、義経麾下の『四天王』と称する腹心の悪僧や強者が固める。その中には木曾義仲を討ち取った伊勢義盛の姿もある。
(佐藤の三郎殿は、八島で討たれたのだったな)
もう一人の四天王、佐藤三郎継信。義経は奥州からずっと従って来た彼の死をひどく嘆き、悼んだという。自身の愛馬を土地の寺に納めてまで供養を求めた程に。(※4)
こればかりは頼朝も「武人を慰める行為として、美談とせざる事は無い行いである」とまで評したのを、常光も覚えていた。
己は頼朝にどう扱って貰えるだろうか? とは、常光は考え無かった。ずっと、既に死んだ者として生きて来たのだ。かつての主君義朝の死から、この時まで。
「土佐坊、一つ訪ねる。お前はたったこれだけの手勢で、俺を討つつもりだったのか?」
座したまま首を振る常光。浮かべる微笑みは、月光の陰となり義経には見えなかった。
「いいえ、拙僧は鎌倉からお迎えに上がった次第」
ギリっと歯を鳴らしてから――
「今更何をか! これまでの事を思えば、そんな言葉がどうして信じられようぞ!」
清い声で荒く叫ぶ義経。常光の応答を待たずに続けて語る。
「それに、今こうしているだけで、彼方の東国からは、ひしひしと余るほどの敵意を感じるのだ」
「敵意、ですと?」
「ああ、どの戦場でも感じたものだ」
それ故に、味方すら出し抜いて数多の平家勢を蹴散らす事が出来た。もはやお前には秘す必要も無い、冥土の土産だと言って放つ。
常光は聞き返した以上には驚かなかった。極めて高い洞察力をそう錯覚しているのかも知れないが、某かの力があったればこそあの戦乱を駆け抜けられたのであろうと、むしろ得心がいった。
義朝の血は引けど、個人としてはただの厨の住人でしか無かった範頼が、射命丸や太郎の力を借りて戦った様に、この若き英傑もそうであったのだろうと。
「だがお前の敵意は読めない、お前の心底だけが見えない。お前は、恐ろしい……」
「申し上げた通り、私は鎌倉からお迎えに参じたのです。まだ遅くはありません、共に戻りましょう」
笑顔を向けて言う常光に、義経は却って狼狽する。
幼き日、京では仇である平家に囲まれ、鞍馬山では荒法師に揉まれ、逃げる様に奥州へ。過酷な運命が、彼の天賦の才と共に猜疑心の芽まで育てたのか。
哀れだと常光は思った、他人の赤心に触れた事が無いのであろうかと。この期に及んでもなお思った。
そして常光こそ、義朝を死なせてからずっと真心のみで行動していた。義経はその彼すら、信じる事が出来なかったのだった。
∵
暗夜を再び六条河原まで戻った射命丸。検非違使庁でも正式な扱いを決めあぐねているのであろう、常光とその手勢らの首はまだそこに晒されていた。
このままでは野犬にでも喰われてしまうだろうに、そう思い浮かべながら常光を見る。
彼の顔だけは、心なしか優しく微笑んでいる様にも見えた。それは射命丸をしても余りに不可解で、その悲しみをより深くさせた。
――鎌倉殿、蒲殿。
あれらの乱を生き抜きここで死ぬ、
私の命とは何だったのか、私には分かりません。
でも佐殿と再び会い、蒲殿達と出会えた事を思えば、今は、そんなに悪い気分ではありません――
* * *
一ノ谷、屋島並びに壇ノ浦と、公卿から民草まで誰もが認める戦果を上げた英雄は、伊予守任官を最高潮とし、瞬く間にその地位を墜として行く。
土佐坊昌俊斬殺の後、後白河法皇より宣下された頼朝追討の院宣を以て、彼と、彼をそそのかした新宮行家は鎌倉――頼朝の敵対者となったのである。
院宣はさして時を経ず義経追討の院宣に翻されると、頼朝に下され、義経は解官され一転して朝敵と化す。
その骨肉相食むが如きは、彼らの父義朝の道程を辿っている様でもあった。
義朝にも彼ら兄弟にも、同じ影が射していた。それは院政という影であった。
源平合戦の英雄義経は、これより長い彷徨の時を迎えるのである。
第21話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 秩父党:武蔵国に本拠を置く武蔵武士のうち、秩父郡の秩父氏(秩父平氏)を中核とした武士団。河越氏は秩父氏の一流派で、畠山氏などもこれに属する。
※2 政所:元々は皇家や公卿の家政機関であり、鎌倉の政所は公文所同様の統治機構の役割を持つ。改称は、頼朝の官位が公卿に並んだ事が一因ともされる。
※3 鬼一法眼:京一条堀川に住んだとされる陰陽師。鞍馬寺には彼を祀る社があり、義経記などにおける記述から、鞍馬僧正坊天狗と同一線上の創作と見られる。
※4 佐藤継信:奥州藤原氏の家臣であり、弟の忠信と共に義経の下に参じた。屋島での逸話と、それに対する頼朝の評価は、吾妻鏡にも記されている。
木ノ花 後編 一覧
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