廿四./父子の親(西暦1185年)
御所より政所へ、侍所へと、日々に平家の現状や今後の事について聴取や詰問を受ける日が続く宗盛。目は落ちくぼみ、顔はやつれた風に見えるも、肥えた身体は以前とさほど変わらず、馬に乗ってすら、連れ回される度に息を切らしている。
その彼――時には子の清宗――を各所で求められる通りに連れ回るのは、日ごとに直を定められた御家人やその郎党。本日は相良の衆を連れた次長がその任に当たり、太郎がそれを補佐する。
もはや宗盛自身に何の価値も見い出せないのは、頼朝が既に判じている。それも重衡が手厚く扱われたのとは全く逆の理由で。
鎌倉での彼の態度は、御家人衆の初見から、余りにも見苦しいものであった。
“平家一門の惣領であった者ならば、斬首されるより誇りを持って自害を選ぶべき”
居並ぶ御家人達の前で、頼朝から――ただの囚人である宗盛の前に彼は姿を現さず――そう意図して腰刀が差し出された。宗盛はその意図を理解できなかったばかりか、若いながらも先にそれを解した清宗が大変潔く「共に」と促すのにも、喚き立てて拒否したのだ。
重衡ならば御家人として迎えられるかも知れなかった、宗盛にはそうすべき故が無い。いつ斬刑に処されるのか、それとも京に送り返すのか、それまでは有用な情報を吸い出すだけ。
「前内府、ご到着にござる!」
侍所の門前で次長が叫ぶ。門衛は轟く彼の怒声を受け、さもうるさそうにしながら開門する。
次長の他、騎乗していた者は下馬し、戸口まで来たところで宗盛も馬を降ろされる。
侍所の入り口には、別当の和田義盛が御家人数名と共に迎えに出ていた。
「本日は参州殿の御郎党の上番でしたか」
「はっ、勝間田五郎と――」
「当麻太郎殿でしたな。勝間田殿も、名乗られずとも、西国遠征の折は相良殿共々のご活躍、軍奉行として頼もしくありました」
語ることは少なくないが、友好の確認もそこそこに、お役目をと次長は宗盛を引き渡す。
馬を厩舎に連れて行った後は、用意されていた部屋で吉見の衆と待機する事となった。
「太郎、少しよいか?」
何だろうと思いながらも応じる太郎。山犬であった時に蹴たぐりを食らって以来、彼のことは苦手であるので、何をすると言われても余り気は進まない。
部屋を囲う廊下をぐるりと回り、濡縁に出る二人。飾り気など微塵も無い庭を眺めつつ次長が言う。
「太郎、お主は今以て宗盛が生きているのを、許す事が出来るか?」
ゆやの身も心も害した相手だ。己を殺した天邪鬼は射命丸に討たれた、ならば宗盛も誰かの手により討たれるべきであったのに。
これは正当な怒りなのだ。
大きく頭を振る太郎には、次長がどう思っているのかなど聞く必要も無い。彼が範頼よりも宗盛を憎んでいることを、太郎は察していたのだ。
「そうよ、許せぬよな……」
言いながら彼は、提げた太刀に手を掛けていた。
宗盛の聴取が終わり、彼を引き立てて御所へ向かうようにと雑色より言付けを受けた次長は、太郎を伴って待機していた部屋を出る。
中庭を囲う回廊の先に着くと、宗盛が侍所の評議所から所司(しょし)(※1)に連れられて現れた。次長はその身柄を引き受け、回廊を元来た通りに戻ろうとする。別当の義盛は出てこなかったし所司もすぐ評議所へ戻って行った。某かの合議が持たれているのだ。
辺りには誰も居ない。一つ所に人が集まっているためか、戸も殆どが閉まったままになっている。
宗盛を先導し、ゆっくりと歩みを進める次長。太郎はこれを、宗盛の足に合わせているのかと思いつつ、後方に付き従う。
回廊の中程まで来ると、次長は急に足を止めた。すんでの所で彼の背にぶつかりそうになった宗盛は抗議の声を上げる。
「な、何のつもりか、下郎!」
下郎などという、己の立場を少しも理解していない言葉にも、次長は何の反応も示さず、身を翻して宗盛と正対する。
「そう、ワシは下郎である。せいぜい、家族を捨ててまで滝口の武者として仕えていたぐらいが、我が拠り所でしかない」
少しも動じず、しかし話の全く通じない次長に、宗盛は訝しげな視線を投げかける。
「ならば麿(まろ)が、相国清盛公の血を継ぐ貴種であると知っておろう」
この僅かな間に一里でも駆けたかの様に息を切らしている宗盛。太郎が静観する先で、次長は平然と言う。
「貴種とは、その通り貴い者。参州殿はどうか、武衛様は違う事無くそうである。前三位中将殿もそうであった。しかし、お前の如きは貴種とは言わぬ」
不遜を通り越した言われように、宗盛は声も発せず、餌を求める鯉の様に口を開いたり閉じたりしている。言ってから次長は袖をめくり、傷だらけの、歳の割に逞しい前腕を突き付け、最も深い刀傷を指して問う。
「この傷、覚えておるか?」
もちろん塞がっているそれは、池田荘司邸で宗盛に斬り付けられた傷の傷跡。何も防具も着けずに衣の上から直に太刀を受けたため、一番深くなっていたのだ。
「何の事か、戦に出れば斬り合いなど当然であろう」
「それで、お前は戦場で、対等に切り結んだ事などあるのか?」
いたずらに虜囚(りょしゅう)を斬った事はいくらでもあろう、だが対等になど、あろうはずが無い。彼は戦場で逃げた事しか無いのだ。
「覚えが有るか否か、如何か?」
「あ、ある訳が無かろう!」
息荒く言い返す宗盛。次長は袖を下ろしてから、より強く、静かに詰問する。
「ワシの事はもういい。ならば、ゆやなる娘の事は覚えておるか」
「し、知らぬ、誰じゃそれは!?」
太郎が体を強ばらせる。今まで静観していたが、この返答に一瞬にして体中の血が沸き立った。次長はそれを察し、手を差し出して太郎を制する。それでも怒りの収まらない彼女は、宗盛の背中を睨み付けながら喉を鳴らす。
後方の異変に気付いた宗盛は辺りを見回す。前門の虎に後門の狼、逃げ道を探しているのだ。
次長はいよいよ彼を追い詰める。
「お前が遠江国より拐(かどわ)かした娘の中の一人だ」
「そ、それなら覚えておるぞ。麿の子を孕んだ――」
宗盛が言い終わる前に襟を掴み、肥えて重々しい身体を引き寄せ、額を突き合わせる次長。その貌は、怒髪天を突かんばかりの物となっている。
「ゆやはな……ワシの孫よ」
目を見開く宗盛。太郎は僅かばかり驚いた後、すぐに納得していた。
またも言葉を失い、幾度も口を開閉する宗盛。その彼を突き放し、次長は腰の物に手を伸ばす。
命の危機にすぐさま反応した宗盛は、後方に居た太郎を押しのけ――たつもりが避けられ、まろび、這いずりながら評議所の戸を激しく叩く。
「誰ぞ、誰ぞであえ! 曲者であるぞ!」
その必死な様に呆れるばかりの太郎。次長は怒りの表情を収め、冷たい視線を宗盛に向けている。
戸がゆっくりと開き――
「何事でございまするか」
辟易した風に応じるのは義盛。
「こ奴が、この下郎が、麿を害しようとしたのだ! 鎌倉はどこまで野蛮なのだ!」
喚き散らずのを押し止め、次長と太郎の側に寄る義盛。次長の腰に目を止め「はて」と漏らす。
「勝間田殿、一体何があったのですか」
「はあ、前内府殿錯乱のご様子にて、この当麻太郎と共に押し止めようとした次第」
「謀るな! 私怨を晴らそうとしたのであろうが!」
義盛の後ろに回り込み、宗盛は叫ぶ。その醜態に益々呆れたのか、義盛は大きく嘆息すると次長に――自身では既に分かっている事を――確認する。
「それは竹光でござるな」
「然り」
鞘から抜き放ち、研かれた竹の刀身を、その場に居合わせる者達に見せ付ける。誰がどう見ても竹光、それも薄く形を綺麗に整えただけの代物で、そこらの棒きれよりもヤワそうに見えた。
太郎は竹光すら提げていない徒手。宗盛には殴られた跡も何も無く、傍から見ればどう害そうとしたのだという話。回廊に出て来た者達は、義盛と所司らを残して、元通り評議所に引っ込む。
「そんな、いやしかし……」
「これで何度目でございましょうか。同伴の者達にいくら命乞いをしたとて、沙汰を下されるのは御殿か朝廷でありますぞ。いい加減に願います」
義盛にそう言われ、宗盛はうつむき「違う違う」とブツブツと呟き続ける。義盛はそれを尻目に次長達に向き直り、耳打ちする。
「と言う辺りです。鎌倉殿はもとより、拙者や侍所の者達が応じないと知るや、再三に渡り度を失っては命乞い、という体たらくでして。この様な相手と戦っていたのを考えると、何やら虚しくなって参りますな」
太郎はそれを聞き、次長の行動をある程度理解した。
その次長の目の前で呟き続けていた宗盛は、不意に顔を上げる。
「お主、名は、名は何と申すのだ」
「蒲冠者が郎党、勝間田五郎次長」
「勝間田五郎、清宗だけは、清宗だけは助けてくれまいか。のお、清宗だけは!」
己の子は可愛いか、なんと都合の良い事を。太郎は次長にしがみついて懇願する宗盛を見て、白眼視する。
義盛は次長がすぐに振り払うかと思ってしばらく黙っていたが、意外にも次長は何もせず、義盛が引き離すまでそのままにさせていた。
「内府殿、お見苦しゅうござる」
宗盛が力無く離れると、義盛はまた次長に言う。
「ある公卿の評では、壇ノ浦で入水せず生き延びたのも三位清宗殿の為との事。真相は分かりませぬがな」
次長はそれに軽く頷くと、宗盛の身柄を尋常に預かり、当初の通りに導くのであった。
宗盛を御所へ送致した後、八幡宮より由比ヶ浜へ伸びる大通り――若宮大路を南進し、帰途につく次長達。
次長率いる隊列に囲まれていた宗盛は、そこにある全てが自身を傷つけるための物に見えていたであろう。太郎はそう考えながら、ほんの少しだけ溜飲が下がった気がした。しかしそれだけでは何ら意味は無い。やはり己の手で殺したかったし、さもなくば相応の罰が下る事を望んでいた。
一行の中で、次長と共に太郎が列外に抜けて先行する。当然黙したまま並行して歩く太郎。
日もまだ高い。雑踏や、大路の脇からの活気に溢れる声を聞きつつ、次長は前を向いたまま語りかける。
「太郎、ワシらが手を下さずとも、あの男はいずれ誅される。それにあの有様を見たであろう。殺す価値も無い輩のために、今その手を穢(けが)す故は無い」
次長があの様な事をしでかしたのは、己が感情のままにそうしてしまうのを防ぐためであったのかも知れないと思い至った太郎。各所での宗盛の行動を知った上で、問題にならない形で徹底的に痛めつけたのだ。
この凝り固まった風に見える老武士の機知に、太郎は感心していた。
「それと、ゆやがワシの孫娘であるのは、まことである」
改めての告白。太郎はそれを、今はとても強く納得出来た。次長の戦いの理由もやはりそこにあったのだ。
「余り、驚かぬのだな」
コクリと頷く太郎。確証は無かったが、彼とゆやとの血の繋りを示すものがあったのは、昔から彼らと接していた太郎こそ知っていた。
まだ身体だけが大きく幼かった頃、無邪気にじゃれついた――結果彼に蹴られてしまった――のも、その事を本能的に感じ取っていたからであった。
だから、彼の事は苦手ではあっても、嫌いにはなれなかったのだ。
次長は太郎の反応を返事の代わりに受け取りつつ、独白とも告白とも取れる風に語る。
「京で仕官の口があると聞いて、ワシは妻と娘を置いて、一人京に上がったのだ」
その後、ことのほか上手く運び、滝口武者として勤める事も叶ったが、任官の間際、遠州に残して来た妻が死んだのを知った。
まだ幸いだったのは、器量の良かった娘は池田宿の長者の家に身を寄せ、不自由せずに暮らしていた事。しかし彼女は、母と己を捨てた次長を許さなかった。
「そのワシの娘が、藤だ」
次長はゆやから見て、母方の祖父に当たる。
ゆやはそれを知っているのだろうか。どうにかして問おうと気を揉む太郎に次長は言う。
「これは藤と宿(しゅく)の長者の他は、ゆやも知らぬ。否、今はワシしか知らぬはずの事よ」
それを何故、問いもしていない己に教えるのか。太郎は首を傾げる。
「お前にこれを明かすのはな、太郎、お前がゆやの姉妹であるからだ」
いずれが姉か妹かは、“二人”の間でも特に思った事は無い。時と場所を同じくして生まれたのだから、人間と山犬とはいえ双子と言ってもよいかも知れない。ただ、姉妹であるのだ。
「お前がゆやと姉妹であるなら、お前も孫娘と、そう……かつてお前を蹴ってしまった事を詫びたい。虚勢は張っても臆病な性分であった故。すまぬ」
言葉を詰まらせる次長に、彼とゆやの間柄を知った時以上に驚く太郎。
この堅物の侍が、たかが犬一匹蹴飛ばした事を、己ですら頼景から聞くまで忘れかけていた事を、覚えていたのかと。そんな、本来人間から見れば些細な事を。
人間が野良犬に乱暴するなど――この身になってから更によく知ったが――当然の事と思っていたし、飼い犬相手でも変わらないと思っていた。
藤と重徳は余程の事が無い限り太郎に引き綱を着けなかったし、太郎もそれに応えていた。彼女らは務めて太郎をそう扱い、実は次長も同じく思っていたのだ。
「やはり、嫌か」
太郎はこれに首を激しく振って、笑顔を以て答える。
彼女こそ、次長には嫌われていると思っていた。それが誤解だと分かり、たまらなく嬉しかったのだ。
次長は心底安堵した風に、――普段は全くしないため――ぎこちない笑みを浮かべて、太郎の頭を撫でようとする。
それには反射的に身を引いてしまう太郎。
「む、すまぬ」
「クゥーン……」
頭では分かっていても、今までずっとおっかない存在であった彼。そうでなくとも、ゆやと範頼、頼景以外には、頭の上から来る手を厭がってしまうのだ。
太郎は己こそすまないと思いつつも、今初めて知ったこの老武士の思いを受け、痛んでいた心のあちこちが癒えてゆく気がしたのであった。
∴
次長達が浜の館へ帰ると、先ず出迎えたのは頼景であった。
「四郎殿の真っ先の出迎えとは、ワシは初めて受けた気がするな」
「いきなりそれですか」
頼景は苦笑しながら応じる。
「ともあれ、お勤め大変でしたでしょう」
「……太郎はよく、堪えていたぞ」
心配するのはそれであろうと、次長は殆どを端折って言う。仇である宗盛の護送をこの二人に任せるのを、最も不安に思っていたのは頼景であったのだ。
「いや、勝間田様は」
「ワシを、分別の無い輩と一緒にするのか?」
宗盛への悪戯な扱い、雑言が道々彼に投げられているのはよく知られる所である。それらの輩と同じく括るつもりかとムスッとしながら言う。
本当なのかと頼景が太郎に耳打ちすると、
「ヲ、ヲフ」
どもった様な妙な答えが返る。それでも、彼女が次長を庇う事も無いだろうと、一応は信じる頼景。そもそもこの役目を真っ先に受けたのは次長であったし、彼は先ず太郎を同道する事を決めたのだ。不安に思って当然。
彼らが宗盛を何とも思っていないはずは無い、まさか宗盛を討つつもりかとまで頼景は勘繰っていた。それが杞憂に終わったのは何より。頼景自身にも恨みはある、それ故、二人がよく堪えたものだと改めて感心する。
「詳しいお話は中で。と、忘れておりました。ちょうど今ご来客がありまして、頼綱が応対しております」
来客とは誰であろうと太郎は辺りを見回し、次長はまず厩を見る。厩には館持ちの馬の他に数頭、更には見慣れた黒馬――磨墨が繋がれていた。
太郎は太郎で磨墨と視線を合ってしまうとすぐにそっぱを向き、誰が訪れているのか館の中を直接視た。
「なるほど、梶原の源太殿に――」
「ヲフ」
「はい。それと、前左中将殿です」
一ノ谷で直接刃を交えた者同士が同席する。二人の間には恨みも何も無いし、これ自体はおかしくはない。
館の中へと歩む三人。ちょうどそれと入れ換えに重衡と景季を伴った頼綱が、戸口に姿を現す。
すぐに道を空けた頼景らに、重衡はあえて近付く。
「頼景殿、勝間田殿、それに当麻殿。この一年と少し、身も心もとても穏やかに過ごせた事、篤くお礼申し上げる」
それは暇乞いの挨拶であった。
京へ帰るのか、頼景はすぐにそう思い付く。そして彼が帰洛してその先がどうなるのか、嫌でも分かる。
太郎は意味が分からず戸惑う。頼景同様、重衡が帰洛すればどうなるか分かっている、それなら何故、その身を捕らえた己に礼など言うのだろうと。
「景季殿、出来るならお聞かせ願いたい」
次長が景季に問い掛けると、重衡は寂しそうな表情を浮かべる。
「勝間田様、それは私から――」
「不躾ながら、相良七郎殿。問われたのは拙者でありますゆえ、その通りに」
頼綱も気を使って言っただけであったので、失礼をしたと詫びると、景季は口惜しそうにしながら重衡の暇乞いの訳を語る。
「院を通して、東大寺大衆より平左中将を引き渡す様にとの旨が、鎌倉に届きました」
それ以上言うべき事は無い、重衡の今後についても。
「なんと、いつまでも鎌倉に居られると思っていたのに……」
次長が心底無念そうに言う。
清盛の弟である池大納言、平頼盛などは母の池禅尼が頼朝を助命した縁もあり、鎌倉を頼って下った今も厚遇されている。その様な例もある。
無念の相を浮かべる太郎は、同じくする頼景に対し、所作で簡単な意思を伝える。頼景ははたと気付き、重衡と景季いずれにも問う。
「この事、ゆ……吉祥の方様には」
「いや、伝えないようにと仰られて」
これには今度こそ頼綱が答えた。
やはりかと頼景はごちる。恩人の重衡のこの末路を彼女が悲しまないはずは無い。これを聞けば、まだ癒えぬ心により深い傷を負うであろう。
沈鬱な空気が場を包む中、重衡が場違いなほど朗らかに言い出す。
「もとより、京で斬罪されて当然の私が、こうして方々と出会えただけで僥倖(ぎょうこう)であったのだ。一族の命運が潰えた今、それも兄よりも生き延びようなどとは、考えられぬ」
兄よりも。その言葉の意味は誰も問わない。宗盛にも当然、温情一切無い沙汰が下ったのだ。
「惜しむらくは、再び蒲殿と語らえなかった事よ」
身の不幸など既に無きものと、彼は実に清々しく言い、改めて頼景達に別れを告げた。
重衡が暇乞いをし、鎌倉で彼の身柄を預かっていた狩野宗茂(むねしげ)の館で帰洛の準備をする頃、宗盛は改めて頼朝の前に召し出された。粗服(※2)に立烏帽子という装束で。
頼朝はしかし、宗盛に相対するのは御簾の向こうから、言葉を伝えるのも比企能員を通してで、直接顔を合わせるどころか言葉を交わす事もしなかった。
その期に及んでも宗盛の態度は見苦しく、下々にまでへつらい、命乞いを繰り返し、果てには清宗共々僧籍に入る故見逃して欲しいとまで言う始末。およそ平家の惣領と、ましてや清盛の子とは思えぬものであった。
これを目の当たりにしていた御家人達は満場で爪を弾き、蔑みの気持ちを弾指(※3)で表したのであった。
∴
重衡の暇乞いから三日。宗盛親子は、京の事情に通じた橘公長(たちばなのきみなが)、遠江の相良氏本家と袂を分かって鎌倉に参じていた浅羽宗信(あさばむねのぶ)、石橋山の合戦以来の士宇佐美実政(うさみさねまさ)などの勇士の護衛の下、車に乗せられ鎌倉を出発した。
それと時を同じくして、重衡もまた出立する。
宗盛と同じ真っ白な粗服に身を包みながらも、その清浄たる様は彼の者とは全く違っていた。
「頼景殿にはよく親しんで頂いたな。改めて、参州殿には、ゆや御前とどうぞ末永くとお伝え下され」
「はっ」
正に今生の別れに至り、殊更に並べ立てる言葉も無いと、淡々と話す二人。頼景は己からこそ慰めをと思っていたが、それも言い出せない。
「それに勝間田殿、相良のご兄弟、当麻殿も。お二人をよく支えられませ」
皆、力強く頷く。
他にも老若男女問わず、誰も彼もが重衡が行くのを惜しみ引き留めようとする。
彼の護送の責任者は、宗盛の護送役の公長同様、京をよく知る人物。源三位入道の次男にして従五位上蔵人、源頼兼(みなもとのよりかね)。その頼兼も周囲の気持ちが理解出来る故、無理を押しての進発は控えていた。
だがいよいよと困り果て、頼景に助けを求める。
「相良殿、何とかならぬかな?」
「あいすいません、何とかしてみます」
そう言って、頼景が人々と重衡の間に割って入った、その時である。
「重衡様!」
細くも力強い女の声、ゆやであった。
浜の館からここ、滑川側の狩野の館までは約半里。馬を連れた彼女を見て、相変わらずだと頼景は呟く。
「蔵人大夫様も、今しばらくお待ち願います。ただ今千手の御前様もいらっしゃいますので」
今になって、頼景らは千手の姿が無いのに気付いた。
「ゆや――吉祥御前、何故ここに」
「もちろん、千手様から聞いたのです」
驚く重衡に、ゆやは少し怒った風に答えた。
「しばらく、しばらくお待ちを!」
遠くから叫ぶまたも女の声。頼景はそれを聞いて今度こそ驚く。
「一貫坊殿!?」
馬上に在ったのは千手、それに射命丸であった。千手を馬から降ろし、自身も久方ぶりの再会の挨拶をする射命丸。
「参州殿が私を名代に立て、前左中将へご挨拶をと」
未だ神剣探索を続けつつ、西国平定の地固めを続ける範頼。半日もあれば飛んで来られる射命丸であればこそ、彼の代わりに訪れることが出来たのだ。
馬から降り立った千手はすぐさま重衡の側に寄って行き、白衣の重衡を前に、抱きしめたい心を抑えて涙を流す。ゆやは己よりも背の高い千手の肩を抱いて、慰める。当然ゆや自身も辛い、それを耐えてのこと。
「重衡様、どうか、どうか、御達者で……」
嗚咽を漏らしながら言う彼女にも、重衡がどうなるかは分かっている。それでも、無事を祈る言葉しか出て来なかった。
「千手、私は今生の罪を償わねばならぬ。お許のお陰で送れた鎌倉での身に余る日々、感謝の言葉も無いが、ここでお別れだ」
重衡の方から一歩あゆみ寄ると、ゆやは千手の肩から手を離す。千手は遂に堪らず彼に抱き付き、童の様に泣きじゃくった。
「蔵人大夫殿。衣は私どもが支度しますので、どうか今しばらくは」
「それは構わぬが」
替えもある事だしと頼兼が答える。役目ではあれど、今際の別れと言えるものを惜しむ男女をすぐに引き離すほど野暮では無いと、見守る事にしたのであった。
二人の様子を見て、ゆやも静かに涙を流す。その彼女の側に、僧姿の射命丸が寄る。
周りに居た者達からも嘆きの声が上がる中、ゆやは射命丸にしがみつき、我慢出来ず声を上げて泣いた。
* * *
寿永四年六月。
宗盛の鎌倉入りより一ヶ月余り。重衡は源蔵人大夫頼兼の護送を受け、帰洛の途に就いた。
彼はその月の内に京へ着くと、壇ノ浦で助けられ放免されていた妻の資子に会う事が認められ、彼女の在する日野(ひの)での再会が叶うのであった。
遺髪を渡し、互いに惜しみながらも別れを済ませた重衡は、予定通り南都大衆の前に引き出された。
南都を焼いた軍の大将とは言われども、文質彬彬(ぶんしつひんぴん)(※4)とした彼は多くの者に惜しまれ、斬首の直前には、法然(ほうねん)という聖(ひじり)より授戒する事も許された。
それら現世一切の全ての別れを経て彼は穏やかに旅立つが、その死を酷く悲しんだ千手もまた彼の後を追う様に倒れ、間もなく鎌倉で息を引き取った。
一方の宗盛は清宗共々、腰越で待機させられていた義経が護送を奉行する体で京へ向けて出発するが、親子が京の地を踏む事はついに無かった。
彼らは入洛の直前、近江国篠原宿(しのはらしゅく)で、同道していた公長の手により斬首されたのである。
あえて京に入れさせなかったのは如何なる故か。不可解とも思える処置であったが、それより何より、鎌倉では義経の言動が極めて大きな問題となっていた。
鎌倉入りを許されず一ヶ月留め置かれて、挙げ句に囚人護送の任で京へ出発させられた義経は、よりにもよってここで檄を飛ばし、その怒りを発露させた。
曰く、「坂東に恨みある者は己に従うべし」と。
元から問題にされていた行状の上に、明確な叛意とも取れるこの不遜な言葉。義経の所領となっていた平家没官領は、これを知った頼朝によりことごとく召し上げられた。
東国と平家の戦の処理が淡々と進む中、勝利の功労者であった義経は、迷走を始める事になる。
第19話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(表題『父子の親』は“ふしのしん”と読む。儒教における道徳規範の一つ)
※1 所司:侍所を統制する役職。所司の長が別当となる。
※2 粗服:粗末な衣服。物によっては襤褸と同義
※3 弾指:仏教(密教)における所作(行法)で、不浄を祓う、魔除けの意味がある。『爪弾き』の起源。人差し指で行う指パッチン。
※4 文質彬彬:人物として、内面外共面に優れ、美しい有り様
御所より政所へ、侍所へと、日々に平家の現状や今後の事について聴取や詰問を受ける日が続く宗盛。目は落ちくぼみ、顔はやつれた風に見えるも、肥えた身体は以前とさほど変わらず、馬に乗ってすら、連れ回される度に息を切らしている。
その彼――時には子の清宗――を各所で求められる通りに連れ回るのは、日ごとに直を定められた御家人やその郎党。本日は相良の衆を連れた次長がその任に当たり、太郎がそれを補佐する。
もはや宗盛自身に何の価値も見い出せないのは、頼朝が既に判じている。それも重衡が手厚く扱われたのとは全く逆の理由で。
鎌倉での彼の態度は、御家人衆の初見から、余りにも見苦しいものであった。
“平家一門の惣領であった者ならば、斬首されるより誇りを持って自害を選ぶべき”
居並ぶ御家人達の前で、頼朝から――ただの囚人である宗盛の前に彼は姿を現さず――そう意図して腰刀が差し出された。宗盛はその意図を理解できなかったばかりか、若いながらも先にそれを解した清宗が大変潔く「共に」と促すのにも、喚き立てて拒否したのだ。
重衡ならば御家人として迎えられるかも知れなかった、宗盛にはそうすべき故が無い。いつ斬刑に処されるのか、それとも京に送り返すのか、それまでは有用な情報を吸い出すだけ。
「前内府、ご到着にござる!」
侍所の門前で次長が叫ぶ。門衛は轟く彼の怒声を受け、さもうるさそうにしながら開門する。
次長の他、騎乗していた者は下馬し、戸口まで来たところで宗盛も馬を降ろされる。
侍所の入り口には、別当の和田義盛が御家人数名と共に迎えに出ていた。
「本日は参州殿の御郎党の上番でしたか」
「はっ、勝間田五郎と――」
「当麻太郎殿でしたな。勝間田殿も、名乗られずとも、西国遠征の折は相良殿共々のご活躍、軍奉行として頼もしくありました」
語ることは少なくないが、友好の確認もそこそこに、お役目をと次長は宗盛を引き渡す。
馬を厩舎に連れて行った後は、用意されていた部屋で吉見の衆と待機する事となった。
「太郎、少しよいか?」
何だろうと思いながらも応じる太郎。山犬であった時に蹴たぐりを食らって以来、彼のことは苦手であるので、何をすると言われても余り気は進まない。
部屋を囲う廊下をぐるりと回り、濡縁に出る二人。飾り気など微塵も無い庭を眺めつつ次長が言う。
「太郎、お主は今以て宗盛が生きているのを、許す事が出来るか?」
ゆやの身も心も害した相手だ。己を殺した天邪鬼は射命丸に討たれた、ならば宗盛も誰かの手により討たれるべきであったのに。
これは正当な怒りなのだ。
大きく頭を振る太郎には、次長がどう思っているのかなど聞く必要も無い。彼が範頼よりも宗盛を憎んでいることを、太郎は察していたのだ。
「そうよ、許せぬよな……」
言いながら彼は、提げた太刀に手を掛けていた。
宗盛の聴取が終わり、彼を引き立てて御所へ向かうようにと雑色より言付けを受けた次長は、太郎を伴って待機していた部屋を出る。
中庭を囲う回廊の先に着くと、宗盛が侍所の評議所から所司(しょし)(※1)に連れられて現れた。次長はその身柄を引き受け、回廊を元来た通りに戻ろうとする。別当の義盛は出てこなかったし所司もすぐ評議所へ戻って行った。某かの合議が持たれているのだ。
辺りには誰も居ない。一つ所に人が集まっているためか、戸も殆どが閉まったままになっている。
宗盛を先導し、ゆっくりと歩みを進める次長。太郎はこれを、宗盛の足に合わせているのかと思いつつ、後方に付き従う。
回廊の中程まで来ると、次長は急に足を止めた。すんでの所で彼の背にぶつかりそうになった宗盛は抗議の声を上げる。
「な、何のつもりか、下郎!」
下郎などという、己の立場を少しも理解していない言葉にも、次長は何の反応も示さず、身を翻して宗盛と正対する。
「そう、ワシは下郎である。せいぜい、家族を捨ててまで滝口の武者として仕えていたぐらいが、我が拠り所でしかない」
少しも動じず、しかし話の全く通じない次長に、宗盛は訝しげな視線を投げかける。
「ならば麿(まろ)が、相国清盛公の血を継ぐ貴種であると知っておろう」
この僅かな間に一里でも駆けたかの様に息を切らしている宗盛。太郎が静観する先で、次長は平然と言う。
「貴種とは、その通り貴い者。参州殿はどうか、武衛様は違う事無くそうである。前三位中将殿もそうであった。しかし、お前の如きは貴種とは言わぬ」
不遜を通り越した言われように、宗盛は声も発せず、餌を求める鯉の様に口を開いたり閉じたりしている。言ってから次長は袖をめくり、傷だらけの、歳の割に逞しい前腕を突き付け、最も深い刀傷を指して問う。
「この傷、覚えておるか?」
もちろん塞がっているそれは、池田荘司邸で宗盛に斬り付けられた傷の傷跡。何も防具も着けずに衣の上から直に太刀を受けたため、一番深くなっていたのだ。
「何の事か、戦に出れば斬り合いなど当然であろう」
「それで、お前は戦場で、対等に切り結んだ事などあるのか?」
いたずらに虜囚(りょしゅう)を斬った事はいくらでもあろう、だが対等になど、あろうはずが無い。彼は戦場で逃げた事しか無いのだ。
「覚えが有るか否か、如何か?」
「あ、ある訳が無かろう!」
息荒く言い返す宗盛。次長は袖を下ろしてから、より強く、静かに詰問する。
「ワシの事はもういい。ならば、ゆやなる娘の事は覚えておるか」
「し、知らぬ、誰じゃそれは!?」
太郎が体を強ばらせる。今まで静観していたが、この返答に一瞬にして体中の血が沸き立った。次長はそれを察し、手を差し出して太郎を制する。それでも怒りの収まらない彼女は、宗盛の背中を睨み付けながら喉を鳴らす。
後方の異変に気付いた宗盛は辺りを見回す。前門の虎に後門の狼、逃げ道を探しているのだ。
次長はいよいよ彼を追い詰める。
「お前が遠江国より拐(かどわ)かした娘の中の一人だ」
「そ、それなら覚えておるぞ。麿の子を孕んだ――」
宗盛が言い終わる前に襟を掴み、肥えて重々しい身体を引き寄せ、額を突き合わせる次長。その貌は、怒髪天を突かんばかりの物となっている。
「ゆやはな……ワシの孫よ」
目を見開く宗盛。太郎は僅かばかり驚いた後、すぐに納得していた。
またも言葉を失い、幾度も口を開閉する宗盛。その彼を突き放し、次長は腰の物に手を伸ばす。
命の危機にすぐさま反応した宗盛は、後方に居た太郎を押しのけ――たつもりが避けられ、まろび、這いずりながら評議所の戸を激しく叩く。
「誰ぞ、誰ぞであえ! 曲者であるぞ!」
その必死な様に呆れるばかりの太郎。次長は怒りの表情を収め、冷たい視線を宗盛に向けている。
戸がゆっくりと開き――
「何事でございまするか」
辟易した風に応じるのは義盛。
「こ奴が、この下郎が、麿を害しようとしたのだ! 鎌倉はどこまで野蛮なのだ!」
喚き散らずのを押し止め、次長と太郎の側に寄る義盛。次長の腰に目を止め「はて」と漏らす。
「勝間田殿、一体何があったのですか」
「はあ、前内府殿錯乱のご様子にて、この当麻太郎と共に押し止めようとした次第」
「謀るな! 私怨を晴らそうとしたのであろうが!」
義盛の後ろに回り込み、宗盛は叫ぶ。その醜態に益々呆れたのか、義盛は大きく嘆息すると次長に――自身では既に分かっている事を――確認する。
「それは竹光でござるな」
「然り」
鞘から抜き放ち、研かれた竹の刀身を、その場に居合わせる者達に見せ付ける。誰がどう見ても竹光、それも薄く形を綺麗に整えただけの代物で、そこらの棒きれよりもヤワそうに見えた。
太郎は竹光すら提げていない徒手。宗盛には殴られた跡も何も無く、傍から見ればどう害そうとしたのだという話。回廊に出て来た者達は、義盛と所司らを残して、元通り評議所に引っ込む。
「そんな、いやしかし……」
「これで何度目でございましょうか。同伴の者達にいくら命乞いをしたとて、沙汰を下されるのは御殿か朝廷でありますぞ。いい加減に願います」
義盛にそう言われ、宗盛はうつむき「違う違う」とブツブツと呟き続ける。義盛はそれを尻目に次長達に向き直り、耳打ちする。
「と言う辺りです。鎌倉殿はもとより、拙者や侍所の者達が応じないと知るや、再三に渡り度を失っては命乞い、という体たらくでして。この様な相手と戦っていたのを考えると、何やら虚しくなって参りますな」
太郎はそれを聞き、次長の行動をある程度理解した。
その次長の目の前で呟き続けていた宗盛は、不意に顔を上げる。
「お主、名は、名は何と申すのだ」
「蒲冠者が郎党、勝間田五郎次長」
「勝間田五郎、清宗だけは、清宗だけは助けてくれまいか。のお、清宗だけは!」
己の子は可愛いか、なんと都合の良い事を。太郎は次長にしがみついて懇願する宗盛を見て、白眼視する。
義盛は次長がすぐに振り払うかと思ってしばらく黙っていたが、意外にも次長は何もせず、義盛が引き離すまでそのままにさせていた。
「内府殿、お見苦しゅうござる」
宗盛が力無く離れると、義盛はまた次長に言う。
「ある公卿の評では、壇ノ浦で入水せず生き延びたのも三位清宗殿の為との事。真相は分かりませぬがな」
次長はそれに軽く頷くと、宗盛の身柄を尋常に預かり、当初の通りに導くのであった。
宗盛を御所へ送致した後、八幡宮より由比ヶ浜へ伸びる大通り――若宮大路を南進し、帰途につく次長達。
次長率いる隊列に囲まれていた宗盛は、そこにある全てが自身を傷つけるための物に見えていたであろう。太郎はそう考えながら、ほんの少しだけ溜飲が下がった気がした。しかしそれだけでは何ら意味は無い。やはり己の手で殺したかったし、さもなくば相応の罰が下る事を望んでいた。
一行の中で、次長と共に太郎が列外に抜けて先行する。当然黙したまま並行して歩く太郎。
日もまだ高い。雑踏や、大路の脇からの活気に溢れる声を聞きつつ、次長は前を向いたまま語りかける。
「太郎、ワシらが手を下さずとも、あの男はいずれ誅される。それにあの有様を見たであろう。殺す価値も無い輩のために、今その手を穢(けが)す故は無い」
次長があの様な事をしでかしたのは、己が感情のままにそうしてしまうのを防ぐためであったのかも知れないと思い至った太郎。各所での宗盛の行動を知った上で、問題にならない形で徹底的に痛めつけたのだ。
この凝り固まった風に見える老武士の機知に、太郎は感心していた。
「それと、ゆやがワシの孫娘であるのは、まことである」
改めての告白。太郎はそれを、今はとても強く納得出来た。次長の戦いの理由もやはりそこにあったのだ。
「余り、驚かぬのだな」
コクリと頷く太郎。確証は無かったが、彼とゆやとの血の繋りを示すものがあったのは、昔から彼らと接していた太郎こそ知っていた。
まだ身体だけが大きく幼かった頃、無邪気にじゃれついた――結果彼に蹴られてしまった――のも、その事を本能的に感じ取っていたからであった。
だから、彼の事は苦手ではあっても、嫌いにはなれなかったのだ。
次長は太郎の反応を返事の代わりに受け取りつつ、独白とも告白とも取れる風に語る。
「京で仕官の口があると聞いて、ワシは妻と娘を置いて、一人京に上がったのだ」
その後、ことのほか上手く運び、滝口武者として勤める事も叶ったが、任官の間際、遠州に残して来た妻が死んだのを知った。
まだ幸いだったのは、器量の良かった娘は池田宿の長者の家に身を寄せ、不自由せずに暮らしていた事。しかし彼女は、母と己を捨てた次長を許さなかった。
「そのワシの娘が、藤だ」
次長はゆやから見て、母方の祖父に当たる。
ゆやはそれを知っているのだろうか。どうにかして問おうと気を揉む太郎に次長は言う。
「これは藤と宿(しゅく)の長者の他は、ゆやも知らぬ。否、今はワシしか知らぬはずの事よ」
それを何故、問いもしていない己に教えるのか。太郎は首を傾げる。
「お前にこれを明かすのはな、太郎、お前がゆやの姉妹であるからだ」
いずれが姉か妹かは、“二人”の間でも特に思った事は無い。時と場所を同じくして生まれたのだから、人間と山犬とはいえ双子と言ってもよいかも知れない。ただ、姉妹であるのだ。
「お前がゆやと姉妹であるなら、お前も孫娘と、そう……かつてお前を蹴ってしまった事を詫びたい。虚勢は張っても臆病な性分であった故。すまぬ」
言葉を詰まらせる次長に、彼とゆやの間柄を知った時以上に驚く太郎。
この堅物の侍が、たかが犬一匹蹴飛ばした事を、己ですら頼景から聞くまで忘れかけていた事を、覚えていたのかと。そんな、本来人間から見れば些細な事を。
人間が野良犬に乱暴するなど――この身になってから更によく知ったが――当然の事と思っていたし、飼い犬相手でも変わらないと思っていた。
藤と重徳は余程の事が無い限り太郎に引き綱を着けなかったし、太郎もそれに応えていた。彼女らは務めて太郎をそう扱い、実は次長も同じく思っていたのだ。
「やはり、嫌か」
太郎はこれに首を激しく振って、笑顔を以て答える。
彼女こそ、次長には嫌われていると思っていた。それが誤解だと分かり、たまらなく嬉しかったのだ。
次長は心底安堵した風に、――普段は全くしないため――ぎこちない笑みを浮かべて、太郎の頭を撫でようとする。
それには反射的に身を引いてしまう太郎。
「む、すまぬ」
「クゥーン……」
頭では分かっていても、今までずっとおっかない存在であった彼。そうでなくとも、ゆやと範頼、頼景以外には、頭の上から来る手を厭がってしまうのだ。
太郎は己こそすまないと思いつつも、今初めて知ったこの老武士の思いを受け、痛んでいた心のあちこちが癒えてゆく気がしたのであった。
∴
次長達が浜の館へ帰ると、先ず出迎えたのは頼景であった。
「四郎殿の真っ先の出迎えとは、ワシは初めて受けた気がするな」
「いきなりそれですか」
頼景は苦笑しながら応じる。
「ともあれ、お勤め大変でしたでしょう」
「……太郎はよく、堪えていたぞ」
心配するのはそれであろうと、次長は殆どを端折って言う。仇である宗盛の護送をこの二人に任せるのを、最も不安に思っていたのは頼景であったのだ。
「いや、勝間田様は」
「ワシを、分別の無い輩と一緒にするのか?」
宗盛への悪戯な扱い、雑言が道々彼に投げられているのはよく知られる所である。それらの輩と同じく括るつもりかとムスッとしながら言う。
本当なのかと頼景が太郎に耳打ちすると、
「ヲ、ヲフ」
どもった様な妙な答えが返る。それでも、彼女が次長を庇う事も無いだろうと、一応は信じる頼景。そもそもこの役目を真っ先に受けたのは次長であったし、彼は先ず太郎を同道する事を決めたのだ。不安に思って当然。
彼らが宗盛を何とも思っていないはずは無い、まさか宗盛を討つつもりかとまで頼景は勘繰っていた。それが杞憂に終わったのは何より。頼景自身にも恨みはある、それ故、二人がよく堪えたものだと改めて感心する。
「詳しいお話は中で。と、忘れておりました。ちょうど今ご来客がありまして、頼綱が応対しております」
来客とは誰であろうと太郎は辺りを見回し、次長はまず厩を見る。厩には館持ちの馬の他に数頭、更には見慣れた黒馬――磨墨が繋がれていた。
太郎は太郎で磨墨と視線を合ってしまうとすぐにそっぱを向き、誰が訪れているのか館の中を直接視た。
「なるほど、梶原の源太殿に――」
「ヲフ」
「はい。それと、前左中将殿です」
一ノ谷で直接刃を交えた者同士が同席する。二人の間には恨みも何も無いし、これ自体はおかしくはない。
館の中へと歩む三人。ちょうどそれと入れ換えに重衡と景季を伴った頼綱が、戸口に姿を現す。
すぐに道を空けた頼景らに、重衡はあえて近付く。
「頼景殿、勝間田殿、それに当麻殿。この一年と少し、身も心もとても穏やかに過ごせた事、篤くお礼申し上げる」
それは暇乞いの挨拶であった。
京へ帰るのか、頼景はすぐにそう思い付く。そして彼が帰洛してその先がどうなるのか、嫌でも分かる。
太郎は意味が分からず戸惑う。頼景同様、重衡が帰洛すればどうなるか分かっている、それなら何故、その身を捕らえた己に礼など言うのだろうと。
「景季殿、出来るならお聞かせ願いたい」
次長が景季に問い掛けると、重衡は寂しそうな表情を浮かべる。
「勝間田様、それは私から――」
「不躾ながら、相良七郎殿。問われたのは拙者でありますゆえ、その通りに」
頼綱も気を使って言っただけであったので、失礼をしたと詫びると、景季は口惜しそうにしながら重衡の暇乞いの訳を語る。
「院を通して、東大寺大衆より平左中将を引き渡す様にとの旨が、鎌倉に届きました」
それ以上言うべき事は無い、重衡の今後についても。
「なんと、いつまでも鎌倉に居られると思っていたのに……」
次長が心底無念そうに言う。
清盛の弟である池大納言、平頼盛などは母の池禅尼が頼朝を助命した縁もあり、鎌倉を頼って下った今も厚遇されている。その様な例もある。
無念の相を浮かべる太郎は、同じくする頼景に対し、所作で簡単な意思を伝える。頼景ははたと気付き、重衡と景季いずれにも問う。
「この事、ゆ……吉祥の方様には」
「いや、伝えないようにと仰られて」
これには今度こそ頼綱が答えた。
やはりかと頼景はごちる。恩人の重衡のこの末路を彼女が悲しまないはずは無い。これを聞けば、まだ癒えぬ心により深い傷を負うであろう。
沈鬱な空気が場を包む中、重衡が場違いなほど朗らかに言い出す。
「もとより、京で斬罪されて当然の私が、こうして方々と出会えただけで僥倖(ぎょうこう)であったのだ。一族の命運が潰えた今、それも兄よりも生き延びようなどとは、考えられぬ」
兄よりも。その言葉の意味は誰も問わない。宗盛にも当然、温情一切無い沙汰が下ったのだ。
「惜しむらくは、再び蒲殿と語らえなかった事よ」
身の不幸など既に無きものと、彼は実に清々しく言い、改めて頼景達に別れを告げた。
重衡が暇乞いをし、鎌倉で彼の身柄を預かっていた狩野宗茂(むねしげ)の館で帰洛の準備をする頃、宗盛は改めて頼朝の前に召し出された。粗服(※2)に立烏帽子という装束で。
頼朝はしかし、宗盛に相対するのは御簾の向こうから、言葉を伝えるのも比企能員を通してで、直接顔を合わせるどころか言葉を交わす事もしなかった。
その期に及んでも宗盛の態度は見苦しく、下々にまでへつらい、命乞いを繰り返し、果てには清宗共々僧籍に入る故見逃して欲しいとまで言う始末。およそ平家の惣領と、ましてや清盛の子とは思えぬものであった。
これを目の当たりにしていた御家人達は満場で爪を弾き、蔑みの気持ちを弾指(※3)で表したのであった。
∴
重衡の暇乞いから三日。宗盛親子は、京の事情に通じた橘公長(たちばなのきみなが)、遠江の相良氏本家と袂を分かって鎌倉に参じていた浅羽宗信(あさばむねのぶ)、石橋山の合戦以来の士宇佐美実政(うさみさねまさ)などの勇士の護衛の下、車に乗せられ鎌倉を出発した。
それと時を同じくして、重衡もまた出立する。
宗盛と同じ真っ白な粗服に身を包みながらも、その清浄たる様は彼の者とは全く違っていた。
「頼景殿にはよく親しんで頂いたな。改めて、参州殿には、ゆや御前とどうぞ末永くとお伝え下され」
「はっ」
正に今生の別れに至り、殊更に並べ立てる言葉も無いと、淡々と話す二人。頼景は己からこそ慰めをと思っていたが、それも言い出せない。
「それに勝間田殿、相良のご兄弟、当麻殿も。お二人をよく支えられませ」
皆、力強く頷く。
他にも老若男女問わず、誰も彼もが重衡が行くのを惜しみ引き留めようとする。
彼の護送の責任者は、宗盛の護送役の公長同様、京をよく知る人物。源三位入道の次男にして従五位上蔵人、源頼兼(みなもとのよりかね)。その頼兼も周囲の気持ちが理解出来る故、無理を押しての進発は控えていた。
だがいよいよと困り果て、頼景に助けを求める。
「相良殿、何とかならぬかな?」
「あいすいません、何とかしてみます」
そう言って、頼景が人々と重衡の間に割って入った、その時である。
「重衡様!」
細くも力強い女の声、ゆやであった。
浜の館からここ、滑川側の狩野の館までは約半里。馬を連れた彼女を見て、相変わらずだと頼景は呟く。
「蔵人大夫様も、今しばらくお待ち願います。ただ今千手の御前様もいらっしゃいますので」
今になって、頼景らは千手の姿が無いのに気付いた。
「ゆや――吉祥御前、何故ここに」
「もちろん、千手様から聞いたのです」
驚く重衡に、ゆやは少し怒った風に答えた。
「しばらく、しばらくお待ちを!」
遠くから叫ぶまたも女の声。頼景はそれを聞いて今度こそ驚く。
「一貫坊殿!?」
馬上に在ったのは千手、それに射命丸であった。千手を馬から降ろし、自身も久方ぶりの再会の挨拶をする射命丸。
「参州殿が私を名代に立て、前左中将へご挨拶をと」
未だ神剣探索を続けつつ、西国平定の地固めを続ける範頼。半日もあれば飛んで来られる射命丸であればこそ、彼の代わりに訪れることが出来たのだ。
馬から降り立った千手はすぐさま重衡の側に寄って行き、白衣の重衡を前に、抱きしめたい心を抑えて涙を流す。ゆやは己よりも背の高い千手の肩を抱いて、慰める。当然ゆや自身も辛い、それを耐えてのこと。
「重衡様、どうか、どうか、御達者で……」
嗚咽を漏らしながら言う彼女にも、重衡がどうなるかは分かっている。それでも、無事を祈る言葉しか出て来なかった。
「千手、私は今生の罪を償わねばならぬ。お許のお陰で送れた鎌倉での身に余る日々、感謝の言葉も無いが、ここでお別れだ」
重衡の方から一歩あゆみ寄ると、ゆやは千手の肩から手を離す。千手は遂に堪らず彼に抱き付き、童の様に泣きじゃくった。
「蔵人大夫殿。衣は私どもが支度しますので、どうか今しばらくは」
「それは構わぬが」
替えもある事だしと頼兼が答える。役目ではあれど、今際の別れと言えるものを惜しむ男女をすぐに引き離すほど野暮では無いと、見守る事にしたのであった。
二人の様子を見て、ゆやも静かに涙を流す。その彼女の側に、僧姿の射命丸が寄る。
周りに居た者達からも嘆きの声が上がる中、ゆやは射命丸にしがみつき、我慢出来ず声を上げて泣いた。
* * *
寿永四年六月。
宗盛の鎌倉入りより一ヶ月余り。重衡は源蔵人大夫頼兼の護送を受け、帰洛の途に就いた。
彼はその月の内に京へ着くと、壇ノ浦で助けられ放免されていた妻の資子に会う事が認められ、彼女の在する日野(ひの)での再会が叶うのであった。
遺髪を渡し、互いに惜しみながらも別れを済ませた重衡は、予定通り南都大衆の前に引き出された。
南都を焼いた軍の大将とは言われども、文質彬彬(ぶんしつひんぴん)(※4)とした彼は多くの者に惜しまれ、斬首の直前には、法然(ほうねん)という聖(ひじり)より授戒する事も許された。
それら現世一切の全ての別れを経て彼は穏やかに旅立つが、その死を酷く悲しんだ千手もまた彼の後を追う様に倒れ、間もなく鎌倉で息を引き取った。
一方の宗盛は清宗共々、腰越で待機させられていた義経が護送を奉行する体で京へ向けて出発するが、親子が京の地を踏む事はついに無かった。
彼らは入洛の直前、近江国篠原宿(しのはらしゅく)で、同道していた公長の手により斬首されたのである。
あえて京に入れさせなかったのは如何なる故か。不可解とも思える処置であったが、それより何より、鎌倉では義経の言動が極めて大きな問題となっていた。
鎌倉入りを許されず一ヶ月留め置かれて、挙げ句に囚人護送の任で京へ出発させられた義経は、よりにもよってここで檄を飛ばし、その怒りを発露させた。
曰く、「坂東に恨みある者は己に従うべし」と。
元から問題にされていた行状の上に、明確な叛意とも取れるこの不遜な言葉。義経の所領となっていた平家没官領は、これを知った頼朝によりことごとく召し上げられた。
東国と平家の戦の処理が淡々と進む中、勝利の功労者であった義経は、迷走を始める事になる。
第19話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(表題『父子の親』は“ふしのしん”と読む。儒教における道徳規範の一つ)
※1 所司:侍所を統制する役職。所司の長が別当となる。
※2 粗服:粗末な衣服。物によっては襤褸と同義
※3 弾指:仏教(密教)における所作(行法)で、不浄を祓う、魔除けの意味がある。『爪弾き』の起源。人差し指で行う指パッチン。
※4 文質彬彬:人物として、内面外共面に優れ、美しい有り様
木ノ花 中編 一覧
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