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木ノ花、疾風に咲く木ノ花 中編   木ノ花中編 第4話

所属カテゴリー: 木ノ花、疾風に咲く木ノ花 中編

公開日:2016年04月20日 / 最終更新日:2016年04月20日

 十九./吉祥御前(西暦1184年)

 ゆや達に先行して鎌倉に出発した範頼達。月の内には鎌倉に到着するが、その道程は順調とは言いがたいものであった。
 途中、伊勢国(いせのくに)鈴鹿(すずか)の石薬師宿(いしやくししゅく)(※1)を目指していた鎌倉軍が伊賀(いが)を出た辺りで、平家残党の一派が襲いかかって来たのだ。
 それを率いていたのが、平家一門が都落ちする中、最後まで京に止まっていたという伊藤忠清。かつて平維盛と共に富士川に進発して来た、平家の元侍大将であった。戦わずして撤退したことから清盛の怒りを買い、失脚したとも見られていた。
 そして、彼を討つも捕らえるも叶わず逃げられてしまったのは痛恨であったと、鎌倉の諸将は今後を懸念した。
――だがそれが後に続く隊の露払いとなり、ゆや達が無事に帰れる下準備となっていた事は、当の範頼達こそ知らなかった――
 凱旋した鎌倉軍の中にも後続にも、もう一人の総大将であった義経の姿は無い。彼は京に残り、治安の維持と在京軍の指揮を執っている。また、頼朝の名代としての役目もあった。

       ∴

 池田宿から一人、東海道を東進する太郎。その脚は、山も谷もお構いなしに駆ける。
 ゆやは――太郎にとっては大変不本意であったが――射命丸に任せている。それというのも、ゆやが範頼を助けて欲しいと求め、彼女自身は射命丸に連れられ、秋葉山へ向かったからであった。
 本当に尼になって山に籠もってしまうのか。それが彼女を癒やす道なら今はそれでも良いが、いずれは共に暮らしたい。そんな寂しさを押しての単独行であった。
 大の男がどんなに急いでも四日はかかる道程を、一日もかからずにこなし、鎌倉に到着する。
 正月に出発して以来の鎌倉、浜の館。旅姿の太郎を認めた門衛は、すぐに彼女を館の中へ誘う。太郎にはこれが不思議であった。
 板東ももう農繁期を迎えている、となれば範頼達は横見へ赴いているのであろうと。だから家人が居ないのであればそれを伝えてくれるであろうと、そう思っていたのだ。
 こちらにはひと時の宿を取ろうと寄っただけ、そのつもりであった。だが、誰か居るらしい。
「頼景殿、当麻殿がご帰着です!」
 門衛が叫ぶ。
 頼景はこちらに居るのか。太郎は思いがけず彼に会えるのを知り、落ち着きを無くしそうになる。
「太郎だと? 今行く」
 千里を見透す眼を用いずとも、声で彼であるのを認めた太郎。近付く足音に合わせて心も躍る。
「太郎……お前一人か?」
「ヲフ」
 門衛が持ち場へ戻り、遠慮の必要も無くなった太郎は、肯定の所作と共に小さく吠える。
 頼景が範頼でも、己が一人で戻ったのを驚くであろうと予想が付いていたため、単独行になった理由は予めしたためていた。その文を頼景に渡す。
「そうか、藤様が……」
 太郎自身の帰郷でもあった遠江での、目まぐるしいひと月。そして射命丸とゆやの消息。
 二人が秋葉山に向かった件については、藤と重徳の菩提を弔うためであるとだけ書いてある。ゆやの子については、記していない。
 範頼はどうしているのだろうかと、太郎は館を見回す。これらは彼にこそ知らせるべきであったが、その姿は邸内に無い。
「蒲殿なら御所に召し出されている。漏れ聞いた辺りでは、三河守(みかわのかみ)補任の内挙が奏上されているらしい」
 無位無冠の厨の住人から、国司への出世。普通ならどんなに望んだところで手に出来るものではない。大出世ではないかと太郎は素直に喜ぶが、それにしては頼景の浮かない様子が気にかかった。
「いつまでもここで話しているのもなんだ。ちょうどいい客が来ている、同席しろ」
 知っている人物かと、太郎は草鞋を脱いで応じ、頼景と共に客間に立ち入る。来客とは小山氏の若武者、朝光であった。
 西国に上がる前まで、太郎が野木宮の合戦で彼の兄朝政を助けた件もあって、交流を深めていた。
 太郎が一礼すると、朝光もそれを返す。やはり頼景同様浮かない面持ちで。
「お久しぶりです、当麻殿」
 今回の遠征で、小山党の中に彼の姿は無かった。頼朝の供回りとして鎌倉に残っていたのだ。
「なんという縁かな。つい先程こいつが、蒲殿の母君同然であった方の訃報を持って参ってな」
「不幸というのは、繋がるものなのでしょうか」
 不幸、鎌倉でも何かあったのか。首を傾げる太郎。
 太郎は言葉に出しては問い掛けていないが、その所作への答えに、朝光は懐から折られた雁皮紙(がんびし)(※2)を取りだし、これを開いて差し出す。きつく折られていたその中には、黒い生糸の束の様な物が有った。人の頭髪、太郎にはそう見える。
「清水冠者です」
 木曾義仲の子、義高。その髻(もとどり)。
 朝光の言葉は、これが今の彼の全てであるという意味。太郎はそれらの事情をすぐに理解し、それ以上の説明は聞きたいとも思わなかった。義仲を討ち果たした後も一ノ谷での戦いの後も、彼の身を案じて、幾度か千里を見透すその眼で鎌倉を見透していた。その時視界に捉えた義高には、危機など迫っていなかった。
 それに遠江に戻ってからは、ゆやの側に付いて藤の末期から何からと様々な出来事もあった。故に注意を向けていられなかった。
 そんないつの間にかに、彼は討たれていたのだ。
 朝光は事の次第を、太郎の心情にかかずらわず淡々と語り始める。
 聞きたくは無い。だがこれを聞くのは、義高を知りつつも西国へ赴いた己の義務だと、愁いに沈んだ朝光の顔を真っ向から見る。
「木曾殿追討の報が届いた後、御殿(おんとの)の周囲では当然、清水冠者の処遇が詮議(せんぎ)に掛けられました――」

 義仲が討たれた以上、義高の人質としての価値は消え失せた。ただ名目上は、大姫の婿として連れて来られた義高。彼自身に何の落ち度も無いまま成敗するのは、いくら何でも憚(はばか)られた。
 鎌倉として、否、頼朝としては、若しくは義朝の血筋としては、彼を討つ必要はおおいに有った。
 義仲は、彼の父源義賢(よしかた)が頼朝らの兄悪源太義平に討たれた後、幼い身空で危難を逃れ、先般の様に頼朝の前に立ったのだ。義高も生き残ればいつまた鎌倉の前に立ちはだかるかも知れないという危惧は、当然あった。
 それにも増して、平治の乱の後に助命された頼朝以下の兄弟達が、今は平家を追い詰めつつある。頼朝にとって、義高がやがて反旗を翻すであろうと考えるのは、己が身を顧みて必定であったのだ。
 義高を討つという方向に合議が進む中で、誰かが大姫に彼の危機を伝え、大姫は侍女らとの知恵を以て、彼を逃がしたのである。
 その知恵、謀(はかりごと)とは、義仲と共に鎌倉入りした―― 彼と一歳違いの――従者、海野幸氏(うんのゆきうじ)を身代わりに立て、いつも通り双六に興じている様に見せかけて義高を逃がす事。余りにも浅はかな謀であった。当然それは即日露見し、夜半には追捕の兵が出された。
 逃亡を図ったのだ、もはや遠慮はいらぬ、と。
 義高は武蔵国まで逃れていたが、無理が祟って馬が潰れ、入間川(いるまがわ)(※3)の河原で討たれたのであった。

「――それを知った大姫様は気を病まれ、今も伏せっているとの事。清水冠者を討ったのは堀殿の郎党ですが、その責を御台様に咎められ、梟首(きょうしゅ)されました」
 太郎には、朝光の口元が一瞬だけ笑って見えた。
 堀というのは、頼朝旗揚げ時から参じている堀親家(ほりちかいえ)の事。そんな御家人の郎党の、本来ならば功となる行いが逆に、罪に問われたのである。
「幸いなのは、清水冠者の身代わりをしていた幸氏が許された事ぐらいでしょうか……」
 顔にはもう笑みは無い。ただ無念だけ。
 実のところ大姫は、単に気を病むどころか一時は物狂いに陥り、今も飲食がままならぬほど弱っている。それは頼景も知っていたが、太郎にはあえて言わない。
 彼女には心を病み身体を壊した哀しい例が、近しい所にある。頼景はそれを、彼女に想起させたくなかったのだ。
「すまぬ、朝光殿」
「何の事ですか?」
「俺達の力が足りぬばかりに、木曾殿を死なせてしまった。もし木曾殿を鎌倉に下らせていれば、鎌倉殿とて親子を用いたであろうに」
「私は、そんな約束など、されておりません。それに御殿が木曾殿を如何に沙汰したかなども……どうであったでしょう」
 確かに誰と約束したでも無い。頼景と太郎が、義高を救うにはそれしか無いであろうと勝手に思い、今も勝手にそれを悔やんでいるだけ。
「それに、木曾殿が討たれたのが清水冠者が殺された原因となったのであったなら……間接的に清水冠者を死に追いやった方を、私は、知っています」
 太郎は全身が総毛立つのを感じる。
 直接義高を殺した親家の郎党は既に誅(ちゅう)された、次はそいつだ。己とさほど歳も変わらぬこの少年がそんな事を考えているのではないかと、戦慄した。己はそうは思わぬ、とは言わない。ただそうと言うには筋違いだし、何よりその相手は大き過ぎる。
「木曾殿を討ったのは、九郎義経様が四天王(※4)と称して重用する郎党であったとか」
「朝光殿」
「それに、戦の運びを全く壊してしまったのも、独歩で先駆けた九郎様であったと、父上や兄上達が――」
「朝光殿、止めるんだ」
 彼の恨みは――彼の心中では――義経に向いている。
 義仲追討の最大の功労者であり、一ノ谷の戦においてもまた同じく。何より義経は頼朝の弟なのだ。再会の折には、お互い滂沱と涙を流して喜び合ったほどの。
 その人物に牙を剥くなど頼朝に刃を向けるに等しいのではないかとは、太郎だけが思っていた。
 だが、隣に座る頼景の懸念は、そこでは無い。
「知っていますか? 頼景殿。実はこの度の論功行賞で、九郎様は国司への任官どころか、特に何の賞の内挙も奏上されていないのですよ? あの方は本当に、御殿の弟君なのでしょうか?」
 端正な少年の顔がいびつに歪む。心底が顔にまで現れている。どんなに非道い情念が渦巻いているのか、太郎にもそれが見透せない。そして、何の言葉もかけられない。
 突然、破裂音が室内に響き、太郎は身をすくめる。頼景の平手が朝光を打ったのだ。
「朝光! 目を覚ませ!」
 呆然とする朝光を――同時に太郎にも同じくする様に――頼景が諭す。
「よいか! 例え戦場での敵であっても、恨みで戦ってはならん! それをやれば堕ちる所まで堕ちるだけなのだ。敵味方でもそうなのに、味方に恨みを向けるなど、あってはならんぞ」
 つと、朝光の目からは涙が溢れる。
「しかし、義高殿が……義高殿が……」
 ただの痛みや悲しみでは、決してそうはならないであろう彼が、頼景と太郎の目を憚る事無く泣いていた。一時ではあれど友として親しんだ、その友人が死んだ。それだけの事であり、それほどの事であったのだ。
「分かる、よぉく分かる。俺も、もし蒲殿を亡くしたなら、お前の様になるかも知れない。だからな、もしそうなったら、お前が俺をぶん殴って、止めるのだ」
 朝光の肩をしっかと掴み、頼景は強く言う。
 頼景もまた、太郎と共に義高と親しんだ。
 己の倍以上も歳を経た男の言い分に、涙を流しながらも朝光はゆっくりと首を縦に振り、その言葉を受け入れた。
 彼は歯を食いしばって耐え、深々と一礼すると、そのまま館の外へ飛び出して行った。

 朝光が去り、客間に残った二人。
 太郎に向かって頼景が呟く様に語りかける。
「太郎、お前も九郎殿は恨んでやるな、母は違えど蒲殿の弟でもあるのだ。それに九郎殿は焦っていたのかも知れぬ、墨俣で俺と殴り合った時の蒲殿みたいに」
(焦っていた? 少なくとも手前の戦は完璧にこなしたあの猛将が、何に?)
 疑問の表情を浮かべる太郎に、頼景は答える。
「どうも九郎殿は鎌倉殿に疎まれていた様なのだ、それで西国で手柄を上げようとしたのかもな。さっき朝光が言った戦の件だけではなく、横見でお前と会う前、こちらでは少し悶着があってな――」

 三年前、清盛が死去した年、客星が輝いた夏。鎌倉では鶴岡八幡宮の宝殿の上棟式が執り行われた。この時、頼朝が大工へ褒美の馬を与える事になっていた。そこで馬を引く者の一人に義経が割り当てられる予定であったが、彼は「己と身分が釣り合う者が居ない」との由のもと、これを固辞。
 他に――先般の遠征でも従軍していた――畠山重忠や佐貫四郎大夫広綱(さぬきのしろうだいぶひろつな)など、決して身分が低いとは言えない者がその役に従事しようという中での言。頼朝は義経の言葉に怒り、結局義経は馬曳きの役を仰せ付かる羽目になった。
 頼朝ですら気を揉む坂東武者達の中にあって、頼朝の弟か義朝の子である事を笠に着た、この様な態度。同じ事が続けば鎌倉の中で不和の種が芽吹きかねないため、頼朝が彼をやや疎んでいると、まことしやかに囁かれていた。

 その義経は、先の遠征で先遣として西国に入り、戦の後も未だ鎌倉へ帰参する事無く、畿内の治安の維持や、近国への対平家の為の活動を行っている。鎌倉から突き放されていると言われても納得出来る。
 先程の朝光の言葉、凱旋した政光らから聞いた物か、はたまた頼朝の供回りとして手に入れた話か。いずれにせよ、また義経の処遇がどうであれ、あの未来ある若者が悪口を並べるのを、――いくらそれが鎌倉の常であるとはいえ――頼景は止めさせたかった。
「まったく……坂東有数の豪族の若者相手に、精々盗賊程度しか相手にした事の無い田舎侍が説教出来るのだから、鎌倉とは面白い所だなぁ」
 寂しげな顔の頼景を、太郎は不安そうに見上げる。
 確かに彼には何の身分も無い。官位も官職も、相良の国人としての地位も今は無い。それでも、範頼と共に西国へ赴き、敵陣へ切り込んで刃を切り結び、生き残った。それで十分なのではないか。
 太郎がその心情を慮り小さく「クゥン」と鳴くと、頼景は自嘲気味な笑みを向け、独白する。
「俺とて、あいつらを亡くした……」
 相良から従って鎌倉まで共に上がって来た郎党達を、頼景は思う。
 手柄を上げようとして来た者だけでなく、己を慕い、信じてくれた者も少なくなかった。それを多く死なせ、生き残った中にも、畑仕事が出来ぬほどの不具になった者も居る。
 己がそれだけの者を亡くしたのだから、朝光、お前だって友の一人を亡くした事ぐらい我慢しろ。などとは、頼景も言う気は無かった。これは、ゆやを救うため彼らを焚き付け、鎌倉を利用して来た。その代償が回って来たのかも知れなかったのだから。
「せめて生き残った者が、そう、生き残ったのだと、ただそれを喜べればよいのになぁ……」
 ここまで来てしまったからには、もう退けないのだ。得る物を得るまで戦い、得られず死ねばそれで終い。惨たらしい現実が広がる未来を、頼景は思い描いた。

 御所より帰宅した範頼を太郎が迎え、頼景と共に遠江での事を伝える。
「そうですか、藤様が……」
 朝光の事は口に出さない。そちらは事情が事情である。それに範頼の悲しみようは頼景が予想した以上で、ここにその様な話を重ねるなど、到底考えられなかった。
 涙こそ流していないが、天井を見上げ黙祷する範頼。頼景も彼が藤を母同然に慕っていたのは知っていたが、その様は実母を亡くしたかにも見えた。
 範頼の様子を見て、頼景もようやくそれを実感する。義高の件が占めていた胸に、今になって昔から親しんできた藤への哀悼が入り込んだ。
 太郎にしても、遠江でひとしきりゆやと共に嘆いたつもりであったが、こうして彼らが悼む様を見て、悲しみを新たにしたのであった。

       ∴

 西国の情勢も鎌倉の思惑のままにならず、一致団結して次に備えなければならない中、またも争乱が勃発する。
 まず木曾勢の余党追討のため御家人を参集し、信濃へ進出。同時に鎌倉中では謀略が実行される。
 武田党の実質的な筆頭で、惣領武田信義(のぶよし)の嫡男の武蔵守一条忠頼(いちじょうただより)を、御所で催した宴席で斬殺したのだ。
 信義は先年に[自身は頼朝の配下である]との起請文をしたためていたが、父と袂を分かち、あえて頼朝と並び立つ形で武田党を動かしていた忠頼は排除されたのであった。
 朝廷と手を結んで謀反を企んでいたなど、いくつかの罪状が上げられたが、御家人の総体たる鎌倉の邪魔になるというのが、真の理由であると見られた。実は信濃を指向して進発したという軍勢も、おおよそが甲斐武田の動きを抑えるためのものであり、これらは一揃えの計略であったのだ。
 範頼や頼景、太郎もですら、戦場以外でも漂う東国の血なまぐささには、辟易する気力すら失せていた。

       ∴

 憂える事を乗り越えれば、慶(よろこ)ぶべき事も訪れる。
 まずは範頼の任官。頼朝の内挙が朝廷、即ち院に受理され、――定期的な春秋の除目とは別の――小除目として下された。
 事前の打診通り範頼は三河守(みかわのかみ)に任ぜられ、従五位下を叙位されたのであった。
 同時に源三位入道の末子、源広綱が駿河守(するがのかみ)に。かつての平治の乱において頼朝の父義朝に仕え、常光と同じく尾張国長田(おさだ)荘まで共に在った大内義信(おおうちよしのぶ)は、木曾勢との対峙の初手から活躍した功に河内源氏の重鎮としての立場を加味し、武蔵守(むさしのかみ)に。それぞれが補任された。
 その他、多くの者にも所領が与えられるなど、先の遠征の論功行賞の総まとめとなる人事が下っていた。
 また、もう一人の総大将義経にしても、範頼の様な叙位任官こそ無かったが、院より頼朝に下された平家没官領(もっかんりょう)(※5)の内、二十余箇所を賜ったのであった。
 出世だけならただの万々歳で終わりあったが、これに加えて範頼には、ある話が持ちかけられた。

 勅使を迎えた御所や侍所での、礼式に則った一連の行事を終え、鎌倉のあちらへこちらへと招かれる日々が続く範頼は、浜の館からも近い甘縄の、盛長の邸へ訪れていた。
「参州(さんしゅう)殿。改めて、この度はお祝いを申し上げます」
 初めて鎌倉入りした際に訪れた時とは見違えるほどになった甘縄の屋敷。その一室で、妻の丹後内侍(たんごのないし)と共に、深々と頭を下げて言祝(ことほ)ぐ盛長。
 参州とは三河国を指す言葉であり、転じて三河守をそう呼称する。故に範頼は、愛称に近かった『蒲殿』ではなく、官職を以て『参州殿』と呼ばれるようになったのだ。
 盛長という堅い人物の挨拶は、無論一言だけでは済まない。父義朝の来歴に始まり頼朝の足跡、果ては八幡太郎義家公の武勇や河内源氏の興りまで語り始める。
 史書一巻を紐解いても足りないぐらい淡々と言葉を並べる盛長。範頼が、ずっと貼り付けていた笑顔に、いい加減帰りたいという素直な表情を僅かに重ねると、潮時と察した丹後内侍が夫の物語を止める。
 だがまだ帰れない、本題はここからであった。
「参州殿、実はこの度お越し頂いたのは、此度のめでたき事を機に室を召したいとの由でありまして」
 盛長夫妻からの浜の館へ出向くとの打診に、あえて範頼の方からから足を運んだのであったが、丹後内侍の突然の申し出。範頼は当然驚く。
「室を……私に、ですか?」
「ええ、失礼ながら参州殿もよいお歳。そろそろ妻を娶(めと)ることを考えても良い頃合いかと、そう鎌倉殿も仰せでありまして。そこで私どもの娘を嫁がせるのが良いと」
「藤九郎殿の……」
 伊豆からの頼朝の腹心盛長、丹後内侍は頼朝の乳母比企尼の娘。その二人の娘をという話であれば、断る理由などは無い。比企氏の今の当主――比企尼の猶子(ゆうし)(※6)である――比企能員(ひきよしかず)は、頼朝の嫡男万寿(万寿)(※7)の乳父(めのと)でもある。彼らと縁を結べば、鎌倉での将来は盤石と言える。
 損か得かを量れば、得のみ。
「どうかなされましたかえ?」
 ほんの数瞬であるが黙想していた範頼。丹後内侍の呼び掛けに、はたと気付いて答える。
「方様。いえ、私には過ぎたお話ゆえ、しばし呆然としておりました」
 過ぎた話だと思うのは本心ではあるが、逡巡の理由はそこにはない。
 その心に関係なく、丹後内侍は柔らかな声で言う。
「そこまでかしこまることはありませぬ。娘を御曹司に召すのは、私どもにこそ身に余ることであります」
 頼朝の勧める縁を断るなど、下手をすれば翻意ありとも捉えられかねない。だが――
「このたび鎌倉殿が仲を取りなそうというのは、蒲殿だけではござりませぬ。京におわす九郎殿の元には、河越重頼(かわごえしげより)殿の娘を嫁がせるとの事」
「河越殿の娘御の郷姫(さとひめ)は、私の姪でもあります」
 河越氏は武蔵武士でも有力な秩父(ちちぶ)党の嫡流。そこに同じく比企氏の血筋となれば、考え方によっては範頼よりも良い縁とも取れる。
「御曹司、何を遠慮がありましょうや?」
 丹後内侍は是非にと笑顔で言う。
 範頼の事情は明かせるものでは無いし、明かせたとて、これは断るには相応の理由と言えない。
「いえ、ただ過ぎたることと、そう思う次第で」
「もしやお国元に、好いた方が居られるとか?」
 範頼の血筋や暮らしでこの歳まで独り身というのは、余り考えられない。そういう風に見られていても不思議は無かった。
「いえ、決して、その様な……」
 その言葉の裏側を真に受け取ってか、丹後内侍は静かに笑い、諭す。
「女にとっては嫁ぐというのは大ごとですから、参州殿にはその様な思いやりもあるのでしょう。旦那様、今すぐお返事を請うでなく、一旦落ち着いてから、改めてお返事を頂いては如何でしょう?」
「うむ。それに参州殿、より良き縁があるならそちらを選ぶのも手ですぞ」
 我が家の事情は気にしなくて良いと、四角四面の強面を今一番の笑顔にして言う。
「いえ、その様な事は。しかし一時、考える暇を賜りたく存じます」
 範頼を前に盛長夫妻が礼を尽くし、暇乞いをする彼を、家人一同で送り出す。
 己は果たしてどうすべきなのか、これは場合によっては戦場で全軍に号するのと同じぐらいの一大事かも知れない。範頼は悩みながら、長くない帰途についた。

 甘縄から浜の館まで戻った範頼。しばし迷った後、近しい者達に盛長からの申し出を打ち明けた。
 反応は様々だが、大凡が良縁であると肯定的。殊に、それを「ヨシ」といつも以上に大仰に言うのは、次長であった。
「蒲殿、これは二つ返事で受けてもいい話でありますぞ、何の遠慮がございましょうや」
 図らずも彼が放った丹後内侍と同じこの言葉には、一応はこの話に賛成であった頼景も驚く。範頼が二つ返事で回答しなかった理由の一つがゆやにあったのは察しており、また、次長とゆやの間には某かの縁故があると――本人の口からは未だそれは語られていないが――認識している。
 故に、次長が彼女を無き者として発したこの言葉に驚いたのだ。とはいえ、それに言及するのは憚った。
「ヲン!」
 不意に太郎が吠える。その顔には満面の笑み、彼女すらもがこれを受け容れ、祝おうと言うのだ。範頼とゆやの間柄をずっと見守ってきた彼女が。
 範頼は頭を振り、答えを出す。
「元より鎌倉に在る限り、この様なお話を頂く覚悟はありました、しかし――」
 しかし何だ、その先に何か言うべき事などあるのか。
 範頼は自問自答する。ここに居並ぶ者達が納得する答え――否、このずっと共に戦って来た者達だけではない、相良から付き従ってきた者達や横見の者達、彼らが納得する答えは、
「いえ、有り難うございます、迷いは無くなりました。この良き縁を結ばせて頂くこと、明日にでも藤九郎殿にお伝えします」
 そうと決まれば前祝いだと、他の家人も貴賤(きせん)を問わず交えて、祝宴をと言って回る頼景。家人は日も暮れた今時分に何事かと始めこそ訝ったが、範頼が妻を娶ると聞いて、館にある酒や肴を引っ張り出し始めた。

 宴と言っても、一人一人が範頼に挨拶をして盃を回した後は、めいめいに呑んで語ってと案外静かな物。
 その中にあって、祝いを受ける側の範頼は一通りの挨拶が終わるとすぐに気配を消し、一人庭で土器を傾けていた。
「蒲殿」
 側に歩み寄り語りかけるのは頼景。
「はい」
「お主が気にしているのは、ゆやの事か?」
「……」
「それとも、一貫坊殿の事か?」
「……」
「両方だな」
「……」
「あちこちで子を作っておいてほったらかしの俺が言えた事では無いが、言わせてもらうぞ」
 範頼は応えずに酒をあおる。しかしいくら呑んでも素面の様に意識は清明で、逃げる事は出来ないでいる。
「ゆやは多分もう、子を作るどころでは無いだろう。一貫坊殿も果たしてどうか。それに妻は一人でなくては駄目だと言うこともあるまい。お主もいずれ側室を迎えられる立場になるのだ。形だけでも――」
 頼景の言葉が衝撃音と共に止まる。彼は背中から地面に倒れ、身じろぎこそすれ立ち上がれないでいる。範頼が彼の横面に拳を打ち込んだのだ。
「頼景殿、それ以上は許しません」
 静かに言い、握ったままの拳を更に強く握りしめる範頼。刃こそ携えていないが、尋常では無い殺気を頼景は感じた。
「……すまなかった。酒に酔うたとはいえ、今する話ではなかったな」
 範頼が拳を解いて頼景に手を伸ばす。だが頼景はそれを掴もうとせず、仰向けのまま天頂を見やっている。
 範頼は差し伸べた手を引っ込めてから言う。
「頼景殿。頼景殿がそれを言ったら、太郎はどうなってしまうのですか……」
 頼景は頼景で、太郎の事で、ある意図を持って方々で某かの働きかけをしていたのを、範頼は知っていた。
「言ってくれるな、蒲殿」
「お互い様にさせて下さい。ほら立って、一発は黙って受けます」
 また差し伸べられた手を掴まず、頼景はそのままの体勢で答える。
「星が綺麗だで、暫くこのままにさせてくれ」
 範頼はしばしその場に止まった後、屋敷の中へ戻って行く。
 夜風も冷たくなって来た、いつまでもこうしているのは体に堪える。頼景はそんな事を考えながら、痛みで火照る頬を撫で、ポツリとこぼす。
「本当に、俺が言えた義理ではないな」
 今だけは、お互いにぶつけた気持ちを飲み込む時間が必要であった。そして明日には元通りになるのだ。昔からして来た、いつも通りに。

 明くる日、ちょうど盛長と出仕の休みが重なっていたため、盛長邸に赴く事に決めた範頼達。
 これには次長と太郎、若干頬を腫らしたままの頼景ら、相良の兄弟が同行する。盛長から足を運ばせるのを憚って、こちらから出向く事にしたのだ。
 今日すぐに迎えるという訳では無い、あくまでも挨拶のためである。それに頼景達も、早く範頼の妻となる女を見ておきたかった。
 郎党連れで訪れた範頼を迎えた盛長は、すぐに娘と引き合わせようと、一同を客間に案内する。
 彼らは先に使いも出さずに訪れたため、しばらく待つことになった。相手にも女性ならではの準備がある。
 一同の面持ちは様々。次長は昨日の喜びようからは一転して、難しい顔をしているし、頼綱はどんな女性であろうかと期待する風。やはり不思議なのは太郎で、嬉しそうなのは変わらず、隠した尻尾も振らんばかりの笑みを浮かべている。
 範頼と頼景は、昨日の件はそれとして、いつも通りに語り合う。
「御曹司、先方の――人物と言うか、人となりは聞いているのか?」
「ほんの少し、ですが」
 盛長の話では、娘は事情があって仏門に入っていたとのこと、名を『きつ』という。盛長夫妻の結婚が頼朝の伊豆配流以降の事であったのもあり、まだ若い娘である。
 仏門に入っていた事情、範頼は若干それを気にしていたが、頼景はある事情に思い至り、極めて怪訝そうな貌をする。
「今、きつ、と言ったな?」
「はい、どうしました?」
「まだ俺達が鎌倉入りする前の話だが、鎌倉殿が浮気をして、御台様がその相手の匿われていた邸を打ち壊して焼いた、という事件は知っているか?」
 無論、政子が直接打ち壊したのではなく、部下にやらせたのである。いずれにせよそれは事実であった。
「噂には聞いてますが、それが?」
「その浮気相手の名が『亀(きつ)』、亀御前だ」
 哀れ、焼け出された彼女は伊豆に帰って行った。
 それにしても鎌倉殿の手つきの女を妻に、これはどういう風に取ってよいやらと、頼景の声もいつの間にか大きくなる。そこに次長が咳払い。
「四郎殿、声が大きい」
「う、む、失礼」
 頼綱もにわかに難しい顔になる。盛長夫妻や本人に聞こえていなければよいがと、失言した当人の頼景も脂汗を流す。
 それを見計らっていたのか、戸の陰になった濡れ縁から、静々とした足音が聞こえて来た。これでは聞かれたかも知れないと、頼景は益々焦る。
 開いた戸の裏でひたと足音が止まり、焦らすかの様に、そこから女の爪先と桜色の着物の裾が覗く。
「亀ではありません、吉祥(きっしょう)です」
 女の声が頼景を責める。範頼が聞いたのは吉祥の吉の部分のみ、法名を略していたため生じた誤解であった。
 その声を聞いた頼景と範頼はしかし、先程の話を聞かれていたことなどは頭から飛んでいた。
「心機一転が叶う様にと、三尺坊様から直々に賜ったお名前です」
 もう一人の女性の声、一同の誰もが覚えのある物だ。
 まず藤色の小袖に大袖の衣を纏った人物が姿を現す。
「お久しゅうございます、範頼様」
 盛長夫妻の娘としてそこに居たのは――
「頼景殿、変な所で耳聡いのですね」
「一貫坊殿。いやそれはともかく、これは一体全体」
 もう一人の女――僧姿の射命丸が、その娘を支える風に付き添っている。男達が驚く中、太郎だけはさっきと変わらない様子。この事を知っていたのだ。
「参州殿、御曹司。おい、蒲殿」
 呆然としていた範頼。頼景につつかれると、はたと辺りを見回してから真正面に視点を定める。
「えっと、ゆや……ですよね?」
「はい、吉祥との法名は頂きましたが、前の通りゆやとお呼び下さい」
 顔の肉付きは戻らず、血色もよいとは言えない。それでも頼景や次長らが京で救い出した時よりも、ずっと回復した様に見える。
 つい、範頼が一歩踏み出そうとすると、射命丸が静かに、素早く割って入る。
「申し訳ありません蒲殿、これ以上は」
 ああそうか、と範頼は心中で納得し、止まる。それは心に負った未だ癒えない疵、哀しい証であった。
 それでもこうして再会が出来た事を、範頼とゆやは心の底から喜んでいた。

 この再会劇を兼ねた婚約は、一体どんな理由で、どんな運びで計画されたのか。範頼はゆやと射命丸の後から現れた盛長ら夫婦に尋ねた。
「実は、重衡様から何卒と、そう頼まれたのです」
 鎌倉に護送された重衡はその後、実に潔い態度、それに洗練された人物を見せ、頼朝以下御家人の多くを感心させていた。
 そのため今は、囚人という身分ではあれどある程度自由な行動が許され、側仕えの女房すら付けられるなど厚遇されている。その彼の働きかけであったのだ。
 範頼達は鎌倉中に在るうちは、ゆやに係る事情を隠していた。参陣の理由としては余りに不純であると、本人達もそう思っていたからだ。
 しかし、京という厳しい駆け引きの舞台で平家を支えて来た重衡は、これは人によっては明かしても問題の無い事と捉え、相応しい人、即ち盛長ら夫妻に彼女に係る事情を打ち明けたのだという。
「蒲殿にまさかその様な事情がおありとは、なんと惨い事かと、涙が止まりませんでした」
 聞いた当初の思いがぶり返したのか、丹後内侍が袖を目元に当てながら言う。
「蒲殿の為ならばと妻と相談し、ゆや姫を我が娘としてお引き合わせしよう、となったのです」
 御所で義経に河越氏の娘を娶らせようという話が進む中で、範頼にもよき相手を引き合わせようと――範頼の歳も少しばかり以上に懸念されつつ――頼朝が相談していた時、「我が娘を」と切り出した。
「ともすれば、御殿に僭越だとお叱りを頂く事も覚悟しておりましたが、御殿はこれを快く承知され、今に至った次第です」
 頼朝は、あくまでもゆやを盛長の娘と認識している、そういう事だ。
 彼が頼朝を謀るなど尋常ではない。範頼達が受けた第一印象は相当に堅い忠義の人物という感であったし、鎌倉に来て彼をより深く知った今は、いよいよそう思う。彼は頼朝の側近にあっても特に範頼に好意的である、これも今回の行動の理由の一つであろうが、それでもあり得ない事なのだ。
 それ程までに、ゆやの身の上が彼の心を動かしたのを、一同は感じ取る。
 その心は有り難く思う範頼。ただその分、申し訳なくも思う。
「藤九郎殿。このお心遣い、言葉に表せぬほどの喜びであります。しかし、ご自身の子でもないゆやをそうとして扱うのを、嫌には思われなかったのですか?」
 その問いには丹後内侍が答える。
「いえ全然。旦那様も」
 続けて彼女は、自身にも故があって、京での夫と離縁してから盛長と結ばれたという過去もあるし、遙かに深い事情を持つゆやを何とか助けたいという気持ちが強かったと、赤い目をこすりつつ言う。
「辛い思いをした者こそ救われて欲しいものでありますし、そこから苦労を重ねて立ち上がろうとするならば、それを助けたいのが人情であります」
 盛長がそう語ると、範頼は感じ入って目を閉じる。それは喜びが大半であったが、心には大きなしこりが残っていた。
 そしてもう一人、誰もが祝うべきこの再会の中、次長だけが無心の表情で二人を見つめるのであった。

 甘縄の屋敷での再会から約ひと月が経ち、同じ場所で範頼とゆやの婚礼が執り行われる運びとなった。ゆやの服喪が明けるのにも合わせての時期である。
 またもう一つ、この時期になった理由がある。京の義経の元に重頼の娘が到着し、そちらで婚礼の準備が進んでいるという報せが届いたのであった。
 実はこのひと月の間、伊勢国の鈴鹿や伊賀国(いがのくに)(※8)で、伊勢を本拠として潜伏していた平家の残党が、軍事行動を起こしたのであった。
 これは、伊賀に駐屯していた義信の嫡男大内惟義(おおうちこれよし)が少なくない被害を出しながらも治めたが、まずそれで郷姫が足止めされ、彼女が京に着けば着いたで、畿内や近国との調整に当たっていた義経がこの件の事後処理で多忙となっていた。
 まだ平家との戦いが終わっていない事を実感させる出来事、結果としては間の悪い時期であった。
「蒲殿の方が兄なのだから、九郎殿に気を使う必要などあるまいに」
 ここで初めて義経の近況を知った頼景がそう言うと、頼綱は眉をひそめて問い糾す。二人とも、ここ一番にと新調した水干と折れ烏帽子を身に着けている。
「兄者、それは本気で言っているのか?」
「冗談に決まってるだろうが」
 これは鎌倉の軍事行動である。その最中に頼朝の身内が婚礼などとは言えない。頼景は当然分かって言っていた。
「だがな、どうせ内々の婚礼なのだ」
 そう、臨席するのは頼景ら遠江国から上がって来た者達とその郎党、それに常光。盛長ら夫妻の側は、屋敷に勤める家人のみ。
 婚礼と言っても、公家の様に華やかな儀式を催すものではない。武家のそれはあくまで質素なもので、夫婦の縁者の顔合わせと言ってもよい。
 とはいえここに頼朝の姿は無い、大姫の具合が良くないためだという。そうでもなければ、御所での顔合わせとなっていた筈でもあった。
 また、異母弟の全成も居ない。彼は政子の妹の阿波局と結ばれ、今は下賜された駿河国阿野荘へ下っている。
「阿野様はまぁ、箱根の向こうから出て来るのは、それは大変でしょうから」
「土佐坊殿、それを言ったら我らの本拠も、本来は横見なのですが」
 頼景の指摘に、これは迂闊と頭を掻きながら言う常光。かく言う彼こそ、留守を預かる横見から、この度は是が非でもと駆け付けたのであった。
 そしてこの場には一人、意外とも当然とも言える人物が臨席していた。
「参州殿、此度の儀、心よりお慶び申し上げます」
 一人の女房を伴った重衡が深々と頭を下げる。側に控えた女房は頼朝が遣わした者で、駿河国手越(てごし)宿(※9)の長者の娘、名を千手(せんじゅ)と言う。
 京の白拍子ほどとは言わずとも、十分芸能に通じていたため、重衡に召すのに相応しいとされたのである。
 重衡と千手、傍から見ると、範頼達よりもこの二人の方が夫婦としてこなれている様にすら見える。重衡には平家の本営に残して来た妻が居るが、ここでは千手がそうなのであろう。
「鎌倉殿からも参州殿にお慶びをと。またこれを期に、鎌倉の為に一層励む様に、とも仰っておられました」
 盛長が頼朝の言葉を伝える。
 これから先に待つ戦いは長い。このひとときはそれに臨む範頼達にとって、束の間の、そしてとても大事な清涼なのであった。

     * * *

 範頼の婚儀から間を置かず、鎌倉は再びの西国遠征を敢行し、範頼はゆやにひとまずの別れを告げ、またも総大将として出陣して征くのであった。
 義経が婚礼の儀を上げたのは、このまた直後であったが、前回の遠征で最も活躍した彼は大将はおろか、この度の遠征軍に加えられすらしなかった。

 範頼と義経、戦で対照的な二人であったが、任官や婚礼についてもまた、対照的であった。
 範頼には任官を機に縁談が持ちかけられたのに対して、義経にそれが持ち上がった時期には、喜ばしいとは言えぬ出来事が有った。
 叙位任官の内挙(推薦)が奏上されなかった義経が、院より左衛門少尉(さえもんのしょうのじょう)(※10)、検非違使に任じられた件がそれである。
 内挙無しの任官は予め頼朝が戒めていたにも関わらず、彼が鎌倉への報告無しにこれを授かったのだ。
 義経には、戦での己の働きからすれば当然という考えがあるのが察せられたが、院の思惑は不明であり、先の遠征で活躍した――しかし内挙の無かった――義経に対しての院個人の礼とも、お気に入りの彼を院が囲い込もうともしたと考えられた。
 故に、範頼が頼朝のお膝元で祝いを受ける向こうで、義経の結婚にはある意図が込められたのであった。


第14話注釈――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

※1 伊勢国:現在の三重県中北部並びに愛知県の一部。国府の置かれた鈴鹿の石薬師には、現埼玉県北本市の『石戸蒲桜』同様、範頼ゆかりの桜の木が存在する。
※2 雁皮紙:雁皮という樹木の樹皮から作られる和紙。繊維は細かく品質も大変良いが、反面雁皮の栽培が難しく、野生種の樹皮を採取する必要があった。
※3 入間川:荒川水系最大の支流。1999年、故障した航空自衛隊所属のT-33A練習機が人家を避けて墜落、ベテラン操縦手2名が殉職した事でも知られる。
※4 四天王:弁慶や伊勢義盛、亀井重清、常陸坊なる人物や、義朝に縁のある鎌田氏の兄弟と奥州の佐藤兄弟など、内訳は諸説ある。ここで言っているのは義盛
※5 没官領:没官とは、官が財産や人身を没収する刑。領地であれば没官領、人身であれば官奴婢(かんぬひ)として扱う。ここでは平家没官領の事
※6 猶子:本姓を残しつつ、養子の様に養育すること。家督相続などが第一義では無く(相続もある)、何かの便宜の為や、氏族同士の関係強化の意味合いが強い。
※7 万寿:頼朝の嫡男で大姫の弟、後の鎌倉幕府第2代将軍源頼家(よりいえ)の幼名(頼朝の第一子かつ長男は、千鶴丸とされる)。酒の銘柄では無い。
※8 伊賀国:現在の三重県西部に当たる地域。本連載直近の大河ドラマ『真田丸』では、徳川家康一行がコミカルに推し通っていた。ニンジャは居ない。
※9 手越宿:駿河の国、現在の安倍川の支流、藁科川の東岸に位置する宿場(作中当時は別々の川)。富士川の戦いの後、撤退する平維盛がここで放火に遭った。
※10 左衛門少尉:律令下の官職、衛門府(えもんふ、宮城の門の警護を司る)の判官。六位相当官で、五位の者が任ぜられると『大夫』と称した。


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