十三./十月宣旨(西暦1183年)
赤城おろしの吹き荒(すさ)ぶ、冬も間近の時節。範頼達は揃って鎌倉入りし、由比ヶ浜の館で過ごしていた。
何か起こって呼集となれば「いざ鎌倉」と即参じるが、今はその様な事態は発生していない。義仲が京に居座る現在そのものが問題とも言えるが、農繁期が過ぎたため、現在は武家としての活動が主立っているだけ。
そしてここに折良く、多くの鎌倉御家人に知らしめるべき事が訪れていた。
侍所へ出仕していた範頼は、館へ帰るとすぐに家人の所在を確認する。
「一貫坊様、勝間田様と頼景殿は何処に? ちょっと皆に知らせたい事があります」
と言っても主な郎党はこれだけ、頼綱と常光は横見に残っている。太郎を呼ばないのは彼女には全く関係無いと思われる話であるからだ。
「頼景殿なら義高殿と遠出に行きました、恐らく太郎もそちらに。勝間田様はご家族の所です」
ご家族。勝田成長は安田義定に従って畿内に居ると聞くが、一族全部がそちらへ行った訳では無かった。これは勝田氏の、鎌倉を裏切る事は無いという意思表示であろうかと考えられる。
「それでは勝間田様はいいとして、頼景殿達の帰りを待ちます。しかしどうしましょう、太郎に聞かせても多分飽きるお話なのですけれど」
それもそうだと直感的には同意の射命丸、己の都合で彼女を側に寄せたくないのと併せて。しかし理性的に考えてみて、それを翻す。
「蒲殿、もし郎党に知らせるべき事であるなら、太郎もその一人ですし、伝えるべきであろうと考えます。飽きるのは……そうなるとは思うのですが」
その言葉を聞き、範頼も思い直す。
「そうですね、一貫坊様、有り難うございます」
「あっ、はい、いえ?」
礼を言われる事など言っただろうかと戸惑うものの、彼の為になったのなら何よりと思う射命丸であった。
範頼が帰って来てから数刻、日もとっぷり暮れた時分に頼景達は帰って来た。
「お帰りなさいませ……」
「大変お早うございましたね」
範頼と射命丸が揃って彼らを出迎える。
恨みがましい二人に、太郎と揃って圧倒される。
「なんだなんだ、今日は早く帰って来いとは言われていなかったぞ?!」
「ヲフヲフ」
「とはいえ限度があります。清水冠者まで連れていたのでしょう?」
「そういう事は子の刻を回ってから言え」
開き直る頼景に、範頼は蔑み半分の目で訴える。
「そりゃ頼景殿が清水冠者ぐらいの歳にはもう、既に遊女漁りなど――」
「いや待て、俺が悪かった。しかし義高殿はあくまでも健全に過ごさせたぞ」
「それで、今日はどこまで行っていたのですか?」
「三浦の三崎(みさき)から、渡しで城ヶ島(じょうがしま)まで行っておった」
「ヲン!」
西岸を南下し、衣笠城から大楠山を連ねた線の先は南端まで緩やかな丘陵地が続く三浦の半島。そこをずっと走り詰めであったろうに、太郎は笑顔で吠える。
彼女は同道出来ただけで楽しかったらしい。
「待たせたのなら謝る。故あって、少し寄り道をしていたのだ」
「と、仰いますと?」
「城ヶ島から少し東に毘沙門様が居られると聞いてな、そちらまで行っておった」
毘沙門天は邪鬼降伏の武神、範頼達の成すべき事を一同に表す仏神であった。
頼景はこう見えても目立たぬ所に配慮がある。範頼にとっては昔からの事であるが、これを改めて嬉しく思った。
「それはお疲れ様でした。さておき、重要なお話があります。我々にとってでなく、鎌倉にとって極めて重要なお話です」
頼景はそうかと一言だけ言って、太郎に場を辞させようとする。それを範頼が止め、理由を聞かせると、頼景は静かな笑みを浮かべる。
「そうか、太郎は郎党である、か」
太郎は引き締まった風な貌になる。
名目の事だけでなく、そう認められたのは嬉しかったのだ。しかしその分緊張もしていた。
「もっとも、これは一貫坊様がその様に説教して下さったのです。私の至らなさを思い知りました」
「なんと、一貫坊殿が。さすが僧だけあって、有り難いお言葉を下さる」
太郎が目を丸くして己を見ているのに、射命丸は気付く。言わんとしている事は言葉が無くとも十分に分かっている。
一体何の思惑でその様な事を言ったのだ、と、彼女が言いたげなのは――射命丸にとってのみ――明らか。
「いえそんな、私も妖ですし同列に扱われれば有り難いと、実はそんな手前味噌な理由ですよ」
それを受けた頼景、謙遜されるなと愉快そうにする。
「ほれ太郎、お前の事だぞ、礼を言わぬか」
「……ヲン」
腑に落ちない、そんな様子がありありと見えるが、一応は礼らしき声を上げる太郎。
話す相手も理由も揃ったのならと、範頼は改めて本題にかかる。
「まず要旨を端的に言います。鎌倉殿の勅勘(ちょっかん)が、解けました」
これを受けた頼景は、思いきり首を傾げる。太郎も同様にしているのを、言葉の意味が分からないのかと範頼は読み取る。
「あの、勅勘とはですね――」
「いや、意味は知っている。主上や院から勘を被って官職を止められる事、即ち朝敵となることだろう?」(※1,2)
自慢げに言う頼景、太郎も――本当に理解しているのかは不明だが――頷いている。
「では、何が気になったのです?」
「いや、鎌倉殿はいつ朝敵となったのだ?」
今度は範頼が首を傾げ、射命丸が眉間に皺を寄せる。そちらが分からない方が問題だ。
「……平治の乱で、従五位下、右権兵衛佐(うごんのひょうえのすけ)であった当時の鬼武者殿は、一体どこに居ました」
「そりゃあ、京で左馬頭義朝様の元、平家相手に……おお! そうだそうだ!」
「ヲフン」
負ける側が悪いと言えば乱暴であるが、結果的に平家が天子の取り合いに勝ち、官軍となってそのまま今に至っているのだ。相対した河内源氏の一門は、ことごとく朝敵となったまま。
頼景も太郎も、ようやく得心がいったという風に何度も頷く。
「よろしいですね。その勅勘が解けました、鎌倉殿は、朝敵では無くなったのです」
いくら幼帝と神器を戴いているとはいえ、都落ちした今、平家は官軍の体を成しておらず、更に京には院が擁立した新たな幼帝が居る。
――神器無しで即位した新帝を真に天皇と見てよいものか、射命丸は疑問に思った――
院宣の大意は以下の二点、
一つ、東海道及び東山道の各荘園を、本所へ領有復帰させる事。(※3,4)
一つ、前項に不服の者は頼朝に沙汰させる。
との事であった。
「東海道と東山道、なのか」
北陸道(※5)が含まれていないのは義仲への配慮であろうかと射命丸は思う。
今の彼の基盤はそちらに移っている。これを本所に復帰させるなどと下したのが彼にばれれば、側に在る刃が院自身に向かうのが目に見えている。外して然り。
そして、朝廷の任務を受けた事もだが後者の件、それを成すための権限が与えられた事。これらが、朝敵の立場が解消したのと同義であるという事であった。
「そうか、我々は賊軍であったのか……」
「いや、朝敵というだけで賊軍とは――ですねぇ」
異議を挟もうとした範頼もこれには何も言えない。しかしそれももう過ぎた事、今は朝廷の命の下で動く朝臣と官軍である。
頼景が笑い、話し終えた範頼もそれに釣られる。しかし射命丸は、向かいに座る太郎がとても不安そうな顔をしているのに気付く。
「太郎?」
「んうしたのだ?」
射命丸の呼びかけで頼景達も気付く。彼はつぶさにその表情を読み取り、解した。
「そうか、これは朝廷と木曾殿の仲も、余り上手くいっていないと言う事か」
「そう、なりますね」
太郎はコクリと頷く。
義仲本人の事はいい。ただ彼が鎌倉と完全に対立すれば、人質として鎌倉中に居る義高がどうなるかは目に見えている。
射命丸には義高との直接の交流は無いが、彼女とて親しい者達が傷付くのは見たくない。
範頼も太郎や頼景同様、苦々しい顔色に変わる。祝うべき場は一瞬にして消沈してしまった。
しかしこの場は頼景が盛り返す。
「後の事は後の事、今日は目出度い日だ、飲んで嫌な事は吹き飛ばしてしまえ!」
空元気であるのは明らかである。それでも空元気も元気と気勢を張り、今日を終えるのであった。
範頼は遠江に居た時こそ、よく京の伝手を頼って情報を収集していたが、鎌倉に来てしばらくしてからはそれも止まっていた。
これは京と連絡を取る事の拙(まず)さ、即ち平家と繋がっていると勘繰られるのを恐れたためであった。無論、彼が平家と通じる事など、断じて無い。
また逆に、京の伝手が、坂東と通じている事を咎められかねない事も懸念していた。
故に現在の範頼の情報源は、おおよそ“鎌倉”を通しての物である。確度は高い。しかし却って、情勢によってはその内容は局限された。
頼朝が勅勘を解かれたと聞いた次の日、青い顔をして帰って来た頼景がもたらした話こそが、その最たる物であった。
「小御所の義高殿の所で、木曾殿が平家軍に大敗したと聞いたぞ……」
「なんですって!?」
義仲が平家追討の院宣を下されていた事は皆知っていた。しかしいつの間に勢力を立て直していたのか、それも義仲を負かす程までに。
範頼も、一緒に居た射命丸も驚く。
「木曾殿は生きているらしいが……太郎、お前も、知らなかったのか」
平服の彼女、耳も尾も垂れ下がっているのが分かる。
昨日に話を聞いた時点で知っていたならば、既にこうなっていたであろう。彼女は昨日の話で気になってから西国を見回し、これを視たのだ。
この様子を見た三人は揃って悟る。
「どうやら、本当みたいですね」
これは月始めの話で半月も前、戦場は備中国(びっちゅうのくに)の水島(みずしま)(※6)周辺であるとの事。
「ああ、もしかして日食があった日ですか」
「日食、お天道様が隠れかけたあれですか。その日、海戦で敗れたらしい」
この時彼らは知らなかったが、戦場となった山陽一帯の天頂では日が欠けるどころか、全てが陰る天象が生じていた。
ただでさえ不吉に思える話だが、入洛、院参して以来、朝日将軍などと号していた義仲にはより悪い兆しであったのかと、射命丸は思う。
ただの星の運びが起こす周期的な天文現象であるとは、漢籍(※7)か陰陽によく通じた者こそ知る事で、射命丸や範頼も知っていた。
逆に知らなければどう思う事か。
そういう知識に明るい平家方は知っていたのであろう、もしかしたら日食を戦に利用したのかも知れないとも考えられた。
「兵も散り始めていると聞くし、いっそこのまま鎌倉に下りでもしないものかな」
頼景がぽつりと漏らす。太郎も彼と一緒になってうなだれている。
二人が思うのは義高の事であろうと、察しが付いた射命丸。ふと範頼の方を見やる。
頼景達ほど義高との交流は無い彼だが、一応は姪である大姫との仲むつまじい光景は度々目にしていた。浮かぶ想いは多い。
果たして義仲は今後どう動くのであろうか、穏便に事が済んで欲しいと、射命丸すらも願う。
だが義高や大姫の事を思う者達の願いは届かず、義仲は自らを泥沼に落とし込んで行く事になる。
* * *
寿永二年十月十四日。世に言う十月宣旨を以て、頼朝はついに朝敵のそしりを払拭する。ここに至るまでに多くの戦略が成され、また天運もそれに味方した。
翻って義仲は治天の君、院と決裂する運びとなる。
十月宣下の直後、水島の大敗から帰京の途にあった義仲の耳に――彼にとって――恐るべき噂が舞い込む。
「源義経を大将軍とした数万の大軍、近江(※8)に在り。院による義仲追討の院宣を受けたものなり」と。
この時はまだ、彼を追討せよとの宣旨など当然下っていない。にもかかわらず、である。
義仲は特に機動力のある少数でもって、すぐさま京へ戻る。これに対し朝廷は上へ下への騒ぎとなり、彼の疑念はいよいよ増すばかりとなった。
ここで、範頼を京で養育した藤原範季を始めとした院近臣の数名が、「義仲の疑いを拭い去り、かつ、平家追討の後支えに院自ら播磨(はりま)へ臨幸されるべきでは」(※9,10)との提案をするが、これは院自身により却下される。
院にしても、まだ敵対行動を取っていない義仲を相手に兵を参集して対抗の姿勢を取り、明確に義仲を指向した軍事行動を取り始めたのだ。
院もまた、何者かに揺り動かされていた。
翌月に院と洛中の源氏勢、木曾勢は完全に決裂。院御所法住寺(ほうじゅうじ)での合戦に至る。
平家に敗れたとはいえ木曾勢は存分に精強であり、院がかき集めた兵や衆徒、果ては浮浪者など、ものの数では無かった。
彼に討ち取られた者の中には高位の者も居り、特には院の皇子の円恵法親王(えんけいほっしんのう)、四十九人斬りで名を馳せた悪僧でもあった天台座主(てんだいざす)明雲(みょううん)などが在った。(※11,12)
皇子はまだしも、現役の天台座主が討ち取られるなどは前代未聞の事で、しかもその首級を受け取った義仲は、これをそのまま川へ放り投げたという。
これらの狼藉を以て、義仲は天からも見放されたかの如く、転落していくのであった。
十四./先陣争い(西暦1184年)
年明け。(※13)
鎌倉を始めとした坂東は――ある理由から穢れを受けた頼朝は慶賀の催し一切へ関わるのを控えているが――年始の諸行事もそこそこに、戦の準備に湧いていた。
親や子の死すら踏み越えて進むのが坂東武士。これが善い悪いの別など考えない、ただそうなのである。戦と聞いて沸き立つ事こそ尋常。
ちなみにこれは鎌倉の暴走ではない、とうとう院宣(いんぜん)が下ったのである。
正月の十日、義仲は苦し紛れであったのか、あろう事か治天の君たる院を恫喝し、越後守より転任した伊予守(いよのかみ)(※14)を兼ねての、征夷大将軍に任じさせた。
この職は延暦年間における蝦夷(えみし)(※15)征伐の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、次は延喜年間平将門に乱鎮圧の任に当たった藤原忠文(ただぶみ)以来、実に二百五十年近く開いての任官となった。
だがその裏で、院は頼朝に対し義仲追討の宣旨を下し、義仲は事実上の朝敵となったのである。
侍所にて、並み居る御家人の中で名が読み上げられる。千葉、小山、佐々木、河越、梶原、畠山、渋谷等、強力な勢力を持つ一族の名が読み上げられ、その度に「応」と声が上がる。
その末、一人の人物の名が読み上げられた。
「蒲冠者範頼」
「はっ!」
範頼も当然そこに居た。
僅かな手勢しか持たぬ己がこの大遠征軍に加えられる、ついに上洛が叶うのか、そう期待する。無論これは義仲追討の軍でもある。
「この度の遠征軍は、既に近江国へ駐屯する先遣隊の大将、九郎義経をそのまま大将軍とし――」
彼は正月前に、道中の豪族を刺激しないよう身軽な手勢のみで出発し、近江にて幕府(※16)を構え待機していた。
順当な事だと範頼は思う。同じ頼朝の弟でも、武芸にも存分に秀でている彼ならば。
しかしここで、範頼の予想の遙かにあさってを行く人物の名が上がった。
「蒲冠者は鎌倉進発より九郎殿の隊との合流まで遠征軍の大将軍を務め、合流して以降も、九郎殿と共にその責務を果たす事。以上」
頼朝の代読である盛長が一際大きな声で読み上げ終わると、チラと範頼の方を向く。彼が目配せするも範頼は気付かない。範頼が比較的上座の方に居たため、盛長は小声で呼び掛ける。
「蒲殿、お返事を願います」
呆けていた範頼、ハッと我に返って応える。
「えっ、はい。蒲冠者、この大任を果たして、必ずや木曾――」
義仲を討つ、ここで言うべきはそうである。
(本当にそれでいいのか? 頼景殿や太郎の思いは――)
刹那の逡巡、すぐに言葉は紡がれる。
「――義仲の軍を、討ち果たしてご覧に入れます」
床に拳を突き、頭を打ち付けんばかりに下げる。
本当にこれでいいのか。己が大将軍に任じられたのも含めて、彼は困惑したまま侍所を後にした。
館に帰り着いた範頼を、家人らは歓待する。大将軍任命の件は既に知れていた。
「蒲殿、聞きました。この度はエラい事で! ついに、ついにですな!」(※17)
「うぅむ、今回の遠征軍は下を見ても二万、いや二万五千は下りますまい。その大将軍に任じられるとは、やはり源氏の血筋と認められたのであるな」
横見から、当地と相良の衆をまとめて参じた頼綱、そしてこの報を侍所からイの一番に館にもたらしたであろう次長が、まず出迎える。
その側で頼景と太郎は、周囲と対照的に不安げ。
「頼景殿」
「蒲殿、ようやく京に行けるのだな」
「……ええ」
「やっとゆやの元へ行けるのではないか。太郎、ようやくだ、長かったのお」
太郎は黙ったまま頷く。
ゆやの元へ行ける事は嬉しい。しかしこれは平家征討の軍ではない、木曾勢を討つための遠征だ。これがどんな意味か貴方達も分かっているのに。
太郎はそう、目で範頼と頼景に訴える。
「なあ蒲殿」
「はい」
「木曾殿が如何な豪傑でも、多勢で包んで熊手ででも引き落とせば、生け捕りに出来るであろうか」
義仲の死、それは利用価値の無くなり、後の災いの種でしかなくなる義高の死と同義。恐らく彼が、彼らが生き残るのは、尋常であろうとなかろうと――
「そうそう、今回参陣する方々を聞くと、後から鎌倉に下った方が半数以上を占めるのですよね」
常光がそれを察したかのように言う。
かくいう秩父党(ちちぶとう)の渋谷氏もそう。もっとも常光の兄重国は石橋山でこそ大庭勢についたが、その直後には景義に逆らって佐々木兄弟や全成を助けてもいる。
今は鎌倉きっての武勇の誉れが高い畠山重忠にしても同じく。頼朝はそうして――主君を裏切った者は別として――故あって恭順の意を示した者を、懐を広く保ち、多く抱えている。
問題は今回の行動が院宣を根拠とするものである事。捕らえた後の沙汰は誰がどの様に下すのか。
「木曾殿が鎌倉に帰順すると言うのなら、御家人への沙汰とする、即ち鎌倉殿の胸三寸に出来る見込みは有りましょう」
射命丸は言う、ただこれは極めて望み薄なのだ。それでも、出来ない道理が全く無い訳では無い。
「木曾殿を生け捕りにして鎌倉に引き摺り込み、ゆやは救い出す。道筋が見えてきたでは無いか」
そこには実は何の道筋も無い。あくまで希望を述べただけ、予測も楽観でしかない。そうとでも考えていなければ、彼らにはとてもこれからの戦など出来ようはずも無かった。
次長も頼綱も、義高の事はどうか知らないながらも、これ以上は言わない。ただ射命丸は、頼綱はともかく次長の様子を見て、普段の彼なら怒るはずなのではと、不思議に思った。
その射命丸に対しても、範頼から一言。
「それと、一貫坊様。この度の遠征ですが、一貫坊様には戦いを控えて頂きたいのです」
「また御曹司、今度は何を考えておる」
何故、ここまで来て置いてけぼりとは、それでは償う事が出来ないではないか。慌てて懇願する。
「そんな、私もゆや殿を助けに! 木曾殿との戦でも貴方を支えます、足を引っぱるなど断じて!」
「いえ、一貫坊様はお強いです。ですが一貫坊様の戦い方では、野木宮のような混戦ならともなく、ここまで大軍を以て推し進める戦いの中でやれば、妖と知れてしまうかも知れませんので」
今まで理解のある者達ばかりと触れ合って勘違いしていた、本来はそうであるのを。範頼はここまでも、彼女らの正体の秘匿に心を砕いてきたのだ。
「それは、しかし……」
「鎌倉に置いて行くと申し上げるのではありません。兵法については勉強に付き合って頂きましたし、そのお智慧も頼りにしております。そこで、私が諸々と至らない分、助けて頂こうかと」
そう言って上を指差す範頼。それは射命丸も通じた。
彼女にしか出来ない、彼を助ける方法がある。
範頼を大将軍とする鎌倉の遠征軍は、間を置かず東海道より進軍を開始する。
∴
東海道の諸国、伊豆、駿河、遠江までは――首領の安田義定は京に在ったが――甲斐源氏が押さえているため、後方の事も含めて心配は無かった。遠江では駿河より進発した武田党とも合流する。
問題はその先、三河国以西の事であった。
その三河国。射命丸は鴉であった頃からも何度も訪れる事はあったが、今は特別な感情を抱いている。ゆやの事を強く思っていた不思議な妖、ヤマメが散った地がここであったからだ。
街道沿いではあるものの、無闇にこの大軍を止める訳にはいかない。大将軍と言ってもあくまで全般統制であって、彼が何でもかんでも指示を出せる立場には無い。
なので、彼女に関する顛末を知る者達は、三河国に分け入って一里辺りの地点で、歩みながら黙祷するのであった。
そのまま西進した所で、彼らはついに最初の戦に遭遇する。
東海道の要衝、墨俣川(※18)。
守れば堅いこの地で、数万の鎌倉勢を前に恐れず、木曾勢に与する土豪が陣を敷いていた。
この地はかつて行家が重衡に敗れ、援軍に来ていた義円が討ち死にした地であった。鎌倉と距離を置いた行家の敗戦とはいえ、源氏にとって縁起が良いとは決して言えない。敵勢もそれが分かってか、かつての重衡に倣った形で陣を敷いていた。
これをつぶさに観察したのは太郎、そして射命丸。
上空からの射命丸の偵察を範頼は求めた。以前のような手当たり次第の情報収集と違い、明確な意図の元での偵察は楽かと思われた。しかし実際にやってみれば、軍事上の要点を押さえなければ意味が無かったりと、中々難しかった。太郎にも射命丸にも。
なので本来であれば彼女らは連携を取らねばならないのだが、
「だから、私は敵にも味方にも悟られないぐらい上空を飛ばないといけないから、事前に必要な大まかな敵情はお前に任せたと、そう言ったじゃないか」
「グルルル……」
射命丸は潜在的な不仲が原因と思っている、今一つ意思の疎通が図れない。前線での頼景と太郎との連携とは雲泥の差。
「まあまあ、一貫坊殿も太郎殿も落ち着いて」
常光がなだめる横では、いつもなら落ち着いており、この場で落ち着いていなければならない人物も、少々いきり立っていた。
それはよりにもよって、彼。
「蒲殿、短気を起こしてはなりませんよ、ここは気を落ちついて事を運ばないと」
「はい、それは、承知しています」
郎党に当たる事は決してしない範頼。しかし陣中の他の氏族からの突き上げが厳しく、――表に出さない分――腹の中に抱え込むものも多かった。
範頼を心理的に圧迫した最も大きな原因は戦目付、軍監を勤める人物が――
「今し方斥候が戻って参りましたが、先刻御大将がもたらした敵情と齟齬(そご)してござる。一体御大将はどこから斯様な与太話を拾って来られるのか」
景時が嫌味も何も交ぜる意図も無く淡々と叱責、大変目つきの悪い三白眼が範頼を向く。
「申し訳ありません、情報の取捨選択に過誤があった様であります」
「……総大将が直ぐに謝りなさるな!」
全く以て返す言葉も無い上、謝罪にすらもこう返る。しかし射命丸の偵察が上手くいかない分は己が支えなければ、あべこべの考えが範頼の心に浮かぶ。
ここで彼は、“彼”らしからぬ行動に出るのであった。
布陣して二日ほどしか経っていないが、西へと急ぐ鎌倉勢は、慎重に事を運ぶより一気に敵を踏みつぶす戦術に出た。
今は川の水も少ない、一斉渡河は可能と踏んだ。
(蒲殿は正気か?)
敵情も定かでないのに兵馬を進めるのを頼景は不安がった。大将の焦りと陣中からの煽りが、いよいよ悪循環を惹起させている。
そして、その焦りの顕現を頼景は見て、肝を潰す。
「おい頼綱」
「なんだ、兄者?」
「先陣勢なのだが、見覚えのある大鎧が居るように見えぬか?」
「……そう言えば」
「太郎、どうだ?」
頼景が「あれだ」と、青糸威(あおいとおどし)の騎馬武者を太刀で指し示す。正確にそちらを見た彼女はギョッとして向き直り、「どういう事か」と言う代わりの、驚きと疑問の表情を向ける。
やはりか。そう呟いて舌打ちし、先陣を争わんとする猛者の集う一隊に馬を寄せる。そしてその中の一人の袖を掴み、思い切り引いて馬から引きずり下ろした。
「御大将! こちらは先陣でありますぞ! 急ぎ本営まで戻られよ!」
己が身に何が起こったか分からない範頼。目を白黒させて己を引きずり落とした人物を見、頼景と認識する。
「何をするのです!」
「急ぎ、戻られよ」
有無を言わさず本営を構えた陣幕を示す。
「分かりました……」
それ以上は何も言わず、彼は退いて行った。
戦は滞りなく、圧倒的大軍を寄せた鎌倉勢の勝利に終わり、鎌倉勢は勢いのまま尾張国へ踏み込んで陣を構えた。
問題は、その日の夜に起こった。
「この莫迦者が!」
「それはこちらの言う事です。衆人環視の中で馬から引きずり下ろすなど、どういう了見ですか!」
刹那の間も置かず、範頼の左頬に拳が飛ぶ。
「冗談で莫迦殿だ莫迦の冠者だと言うのはいつもやっているが、本当に莫迦だとは思わなんだわ!」
「頼景殿、一体何があったのです!?」
「四郎殿!」
「勝間田様は下がっていて下され!」
「兄者!」
肩に手をかけた頼綱に対しては一切の言葉も無く鳩尾に拳が突き刺さり、彼はそのまま突っ伏す。
「頼景殿、この無体は如何なる事です」
「初陣でもあるまいに、今までの事を見ていれば先陣は大将が切るものではないと分かるであろう。浮かされおってからに!」
「四郎殿の無体はさておいても蒲殿、先陣争いについてはその通り。これは重要な戦功である!」
次長も同じ考えではあった、頼景は更にそれに乗る。
「それを大将がかっさらってどうする! 兵法の字面云々ばかりだけを修める頭でっかちめ。論語読みの論語知らずとは、漢籍など知らぬ俺でも知る言葉よ!」
「頼景殿、せめて声を落として下さい」
射命丸が鎮めようと口を挟むと、範頼が彼女を押し止める所作をし、頼景と顔を突き合わせる。
己の考えは戦功でもなんでもない、ただ一刻も早くゆやの元へ、義高のため義仲を捕縛に、それが分かってもらえないのか。腹の底から怒りが頼景に向く。
「それは知らぬ事でした。これについては恥と受け止め、他にも知らぬ事で恥を上塗りする事が無いように気を付けます。それはそれとして――」
頼景の顎がかち上げられ、骨と骨、それに歯が激しくぶつかる音がして、背中から地に落ちた。
「久しぶりですね」
範頼が怖ろしく低い声で言う。目の色も気力に充ち満ちている。その視線の先で頼景は何事も無く起き上がり、顎をひと撫でする。
「鍛え方も今一つ、いや二つ三つ足りないなぁ。全く効かんぞ? のお、蒲殿!」
真っ向から鼻っ柱に一撃。範頼の顔から鼻血が散る。
彼は耐えて遠間から頼景の横面を打つ。
それから互いに十数発も拳の応酬をすると、先に範頼の足がふらつき始めた。ここで頼景が一旦彼を支えると、
「まだ早いのではないか? なぁ!」
そのまま地面に転がし、組み打ちの体勢になる。
「おお、まだまだ!」
お互い口の中は裂けて血だらけ、顔のあちこちは既に腫れ始め、裂けた箇所もある。
頼景が上を取り、そのまま数発顔に叩き込む。
「おやめ下さい頼景殿! 太郎もお止めしないか!」
射命丸が叫ぶ。法力を使えば簡単に引きはがせるだろうが、その考えは無かった。
太郎は最初から止めに入ろうとしてもいない、ずっと眉を寄せたまま唸っている。本心は止めたいのだが、どう割って入ればいいのか分からず、心の中でオロオロしていた。
そして、あくまでこれは私闘ではあるが、手を出さないのは正解であった。
下に居る範頼の抵抗がある限り、頼景の打ち下ろしも続く。ただし下からの拳は殆ど届かず、一方的にやられているに等しい。
そこから何発か浴びてついに範頼の拳が止まる、のびたのだ。それを以て頼景の攻撃も終わり、範頼は彼の腰の下から解放された。
明くる日、範頼の幕舎を訪れる者があった。
出立はまだ先であるし、範頼は疲れているため休んでいる、ここは一旦引かれたい。と、常光、頼綱と止めるが、一向に止まらずズカズカと陣中を行く。
その濃紺の鎧直垂を纏った男の前に、射命丸が立つ。
「梶原殿、蒲冠者は昨日の戦にてお疲れでございます。お言付けがあれば私が承ります故――」
「その昨日の戦にて、あろう事か総大将が先陣に在り、またあろう事か郎党がその総大将を引きずり下ろす等、ただならぬ事があったと伺い申した。拙者は、その子細を伺いに参った次第にござる」
景時は口も眉も一文字にし、また歩み出そうとする。
総大将は確かにこの軍の頂点であるが、そこに軍監が居るのであれば、何事かが起これば処置をするのは当然の職務であった。
「しかしそれなら千葉殿がおいでになるのが道理」
この陣でその役目を果たすなら、侍大将軍を勤める彼が先。それを無視して来たのであれば、それもまた越権行為と言える。
「千葉殿介も仕事はよくなさるが、事無かれな所がありましてな、昨日中はそれを問い詰めておったのです。そうした所、今日になって拙者に任せる、と。また聞けば、昨夜陣中にて騒ぎもあったようですからな」
常胤なら穏便に事を済ましてくれるかもと期待していたのに。これはこの男に知られた時点で既に、如何ともし難くなっていた。
「一貫坊様、梶原殿のお越しであるならお通しを」
これは諦めたか、射命丸も観念して彼を通す。
昨日の出来事を隠す手立てなどは無く、範頼は痣やこぶでボロボロの顔を景時に晒す事になった。
「こ、これは何事であるかぁっ!」
驚きも何も当然の事。その後は同席していたもう一人の張本人頼景と、――相手が気に食わない景時であっても――何とか穏便に済ませようとする次長が、一緒に叱責を受け続ける羽目になった。
射命丸がため息を漏らしてしていると、そこに頼綱が現れる。
「やはり梶原殿がいらっしゃいましたか」
「仰った通り、理由についてもご明察です。ときにお加減は?」
彼は景時の来訪を予言していた。そこで居留守なりと誤魔化すなり出来たかも知れない所、陣中に居る限り策は無いと、範頼他二名は諦めて集っていたのだ。
「兄者の当て身は食らい慣れておりますで」
腹を押さえながら答える。いくら受け慣れても痛いものは痛いし、気を失うのは避けられない。
「しかし蒲殿が、あんなに激しく殴り合うなどとは思いませんでした」
「まぁあれは、よくある事でしたからな」
視線を逸らしながら言う頼綱。
意外そうに頼綱を見返す射命丸、彼は困った貌をして続ける。
「蒲殿には鎌倉に上がるまで兄弟と言える者がおりませんで、代わりに遠州東西に離れているといえ当家とは勝間田様を介して交流がありましたからな。こういったことは幼少よりの事ですて」
「はぁ」
頼綱は兄弟が云々と言ったが、範頼は頼朝にも兄弟の名乗りを上げず、避けられているのか未だ義経とは言葉を交わせてすらいない。
それは頼景――加えて頼綱もかも知れない――という、より近しい者が居るからかと射命丸は知った。殴り合ってもあの様に付き合える仲だ、そう言っていい。
「都から蒲御厨に帰っても、何かしらぶつかる事があれば、事ある毎に。と言っても、蒲殿が勝ったと聞いた事は殆どありませぬ」
「でしょうねぇ」
「お互いもういい歳ですから、しばらくはやり合っていなかったと思います。一つ言っておきますが、蒲殿が兄者以外と喧嘩したのは見た事がありませ――ああ、兄者に勝つのも他の誰かと喧嘩するのも、同じような場合に、ありましたな」
「言うほど珍しい事なのですか」
「ええ。いずれも、ゆやに係る何かがあった時でした」
射命丸は胸に、締め付けられる痛みを覚える。
「そう、ですか……」
「そうですな。今は兄者も蒲殿も妹を取り戻すために戦っているに等しい。その為却って、鎌倉殿や九郎殿を兄よ弟よと言わないのではないのでしょうか」
だが自分が虜囚になっても絶対助けてくれないだろうと、嘆息したながら付け加える頼景。男の兄弟と妹は違うであろうしと、射命丸は思う。
ただ、父も母も兄弟すらも居ない範頼の元にはしかし、その様に近しい心を持った者が居るのを、それこそ忌憚無くものを言い合い拳を交え合える中の者が居るのを、今改めて知った。
であればこそ、あの様な身の上であっても、今まで歪まず生きて来れたのであろう。射命丸は未だ怒声の漏れる陣幕を向き、頷いた。
景時の苦言はくどくどと続いた末、半刻ほどしてようやく止まった。
「よろしいか! 次にこの様な事がありましたら、尋常な措置で済むとはお思いなさるな!」
顔は怒り肩も怒らせ、来た時の落ち着き払った様子とは逆に足下を踏み散らして、彼は立ち去っていった。
「ひえぇ、参った参った」
「本当に、参りました……」
顔を腫らした二人が姿を現して他人事の様に言う。するとその後に続いた次長から、景時の後を引き継いだかの如くの苦言。
「お二方、まだまだ反省が足りぬようでございますな。蒲殿には大将としての自覚が足りなく四郎殿には陪臣としての自覚が足りなく――」
気に食わない景時に全く言い返せず、ひたすら口撃を食らいまくった鬱憤が小言を助長。以下云々と続くのに、射命丸らも併せて辟易する。
実際次長の苦言はもっともでもある。それにこの場の誰も、あの厳格な景時が苦言を呈するだけで済ませるとは思っていなかった。
二人ともなんだかんだで、昨日の殴り合いはお互い話が足りなかったと納得していた。また景時や次長の小言も、協調する材料にもなったのだ。
それにこの様な事は些事、思う事は一緒なのだった。
* * *
墨俣越えの後は平家、木曾勢ともに相争った後のため、鎌倉の上洛を妨げる、大きな戦闘は生じなかった。
墨俣の会戦にしても木曾勢本隊とは直接の関係は無く、あくまでも彼らに同調した地侍との戦に止まった。
その後同様に、散発的な土豪との小競り合いはあれど、幾万と喧伝された軍勢に真っ向から食って掛かる者などまず無く、逆に基幹の御家人が気付かぬ間に、参戦する者が増える始末。
組織だった参戦ならある程度の持ち込みもあるし管理も運用もし易い。兵糧の限りは歓迎できたし、それを期待しての進軍でもある。
ただし、いつの間にか陣に入り込みちらほらと増えるのは、軍としての運用全般で取り回しづらい事この上なく、戦の後も論功行賞が難航する種にもなる。
いよいよ軍勢は膨れ上がり、近江に先行していた百騎足らずの義経らと合流する頃には、糧食等の問題で、京に入れ切れない程の規模にまでなっていた。
ここから先は、鎌倉御家人所領の各所からの輜重と、近隣からの調達に頼る事になる。先んじて入洛し、失策を呈した義仲の二の舞は許されなかった。
第9話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 主上:天子、天皇に対する敬称
※2 勘:勘気、主人や主君、父親の怒りに触れ、咎められる事
※3 東海道:五畿七道(律令上の行政区画)の一つで、畿内から常陸国までの太平洋側を指した。現在にも残る東海道とほぼ同義の幹線道路を指す場合もある。
※4 東山道:五畿七道の内、畿内から関東に至る内陸地域と、現在の新潟県を除く福島県以北を指す。甲斐国は東海道に属する。畿内~関東間は後に中山道に再編
※5 北陸道:五畿七道の内、若狭国(わかさのくに、現在の福井県南部)から越後国(えちごのくに、同新潟県北部)及び佐渡国(さどのくに、同佐渡島)の地域
※6 備中国:現在の岡山県西部に当たる地域。作中の戦の行われた水島は、同県倉敷市水島周辺が干拓される前の『水島灘』であると考えられる。
※7 漢籍:漢文で書かれた書物の事。作中当時の文化の最先端と言えば唐であり、主に仏教に関する知識や仏典と共に本邦へ輸入された。
※8 近江:近江国(おうみのくに)、現在の滋賀県。かつて琵琶湖を『近淡海(ちかあわうみ)』と称した事から転じた国名
※9 播磨:播磨国(はりまのくに)、現在の現在の兵庫県西部。針間とも。
※10 臨幸:天皇もしくは上皇(法皇)が行幸(先述の注釈参照)し、その場に臨む事
※11 法親王:出家した男性皇族(王)が親王宣下(親王の地位を授かる事)を受けた際の身分。逆順なら入道親王。現皇室典範では親王宣下と共に規定無し。
※12 座主:仏教において、大寺や宗派の総本山を束ねる僧をこう言った。基本的に座主という単語だけで、そのまま天台宗の長である天台座主を指す。
※13 年明け:寿永2年(鎌倉では治承7年)に閏月(閏十月)が存在するため、寿永3年の元日は西暦の上では1184年2月中旬
※14 伊予守:伊予国(いよのくに、現在の愛媛県)の国司
※15 蝦夷:大和朝廷に従わない北方の民を夷敵(いてき)と侮蔑してこう言った。アイヌを指す(自称?)『えぞ』と混同する場合や、全く区別する場合もある。
※16 幕府:最高指揮官が在する駐屯地の意。鎌倉、室町、江戸の武家政権としての“幕府”はこれに由来する。
※17 エラい:方言、地方ごと用法が異なる。“偉い”の意では無い。劇中では静岡の方言としての用法の一種、「大変な」や「凄い」との意味合いで使用した。
※18 墨俣川:尾張国と美濃国(みののくに、現在の岐阜県南部)の境付近、現在の長良川(治水工事等により流れは若干変化)。木下藤吉郎の一夜城でも有名
赤城おろしの吹き荒(すさ)ぶ、冬も間近の時節。範頼達は揃って鎌倉入りし、由比ヶ浜の館で過ごしていた。
何か起こって呼集となれば「いざ鎌倉」と即参じるが、今はその様な事態は発生していない。義仲が京に居座る現在そのものが問題とも言えるが、農繁期が過ぎたため、現在は武家としての活動が主立っているだけ。
そしてここに折良く、多くの鎌倉御家人に知らしめるべき事が訪れていた。
侍所へ出仕していた範頼は、館へ帰るとすぐに家人の所在を確認する。
「一貫坊様、勝間田様と頼景殿は何処に? ちょっと皆に知らせたい事があります」
と言っても主な郎党はこれだけ、頼綱と常光は横見に残っている。太郎を呼ばないのは彼女には全く関係無いと思われる話であるからだ。
「頼景殿なら義高殿と遠出に行きました、恐らく太郎もそちらに。勝間田様はご家族の所です」
ご家族。勝田成長は安田義定に従って畿内に居ると聞くが、一族全部がそちらへ行った訳では無かった。これは勝田氏の、鎌倉を裏切る事は無いという意思表示であろうかと考えられる。
「それでは勝間田様はいいとして、頼景殿達の帰りを待ちます。しかしどうしましょう、太郎に聞かせても多分飽きるお話なのですけれど」
それもそうだと直感的には同意の射命丸、己の都合で彼女を側に寄せたくないのと併せて。しかし理性的に考えてみて、それを翻す。
「蒲殿、もし郎党に知らせるべき事であるなら、太郎もその一人ですし、伝えるべきであろうと考えます。飽きるのは……そうなるとは思うのですが」
その言葉を聞き、範頼も思い直す。
「そうですね、一貫坊様、有り難うございます」
「あっ、はい、いえ?」
礼を言われる事など言っただろうかと戸惑うものの、彼の為になったのなら何よりと思う射命丸であった。
範頼が帰って来てから数刻、日もとっぷり暮れた時分に頼景達は帰って来た。
「お帰りなさいませ……」
「大変お早うございましたね」
範頼と射命丸が揃って彼らを出迎える。
恨みがましい二人に、太郎と揃って圧倒される。
「なんだなんだ、今日は早く帰って来いとは言われていなかったぞ?!」
「ヲフヲフ」
「とはいえ限度があります。清水冠者まで連れていたのでしょう?」
「そういう事は子の刻を回ってから言え」
開き直る頼景に、範頼は蔑み半分の目で訴える。
「そりゃ頼景殿が清水冠者ぐらいの歳にはもう、既に遊女漁りなど――」
「いや待て、俺が悪かった。しかし義高殿はあくまでも健全に過ごさせたぞ」
「それで、今日はどこまで行っていたのですか?」
「三浦の三崎(みさき)から、渡しで城ヶ島(じょうがしま)まで行っておった」
「ヲン!」
西岸を南下し、衣笠城から大楠山を連ねた線の先は南端まで緩やかな丘陵地が続く三浦の半島。そこをずっと走り詰めであったろうに、太郎は笑顔で吠える。
彼女は同道出来ただけで楽しかったらしい。
「待たせたのなら謝る。故あって、少し寄り道をしていたのだ」
「と、仰いますと?」
「城ヶ島から少し東に毘沙門様が居られると聞いてな、そちらまで行っておった」
毘沙門天は邪鬼降伏の武神、範頼達の成すべき事を一同に表す仏神であった。
頼景はこう見えても目立たぬ所に配慮がある。範頼にとっては昔からの事であるが、これを改めて嬉しく思った。
「それはお疲れ様でした。さておき、重要なお話があります。我々にとってでなく、鎌倉にとって極めて重要なお話です」
頼景はそうかと一言だけ言って、太郎に場を辞させようとする。それを範頼が止め、理由を聞かせると、頼景は静かな笑みを浮かべる。
「そうか、太郎は郎党である、か」
太郎は引き締まった風な貌になる。
名目の事だけでなく、そう認められたのは嬉しかったのだ。しかしその分緊張もしていた。
「もっとも、これは一貫坊様がその様に説教して下さったのです。私の至らなさを思い知りました」
「なんと、一貫坊殿が。さすが僧だけあって、有り難いお言葉を下さる」
太郎が目を丸くして己を見ているのに、射命丸は気付く。言わんとしている事は言葉が無くとも十分に分かっている。
一体何の思惑でその様な事を言ったのだ、と、彼女が言いたげなのは――射命丸にとってのみ――明らか。
「いえそんな、私も妖ですし同列に扱われれば有り難いと、実はそんな手前味噌な理由ですよ」
それを受けた頼景、謙遜されるなと愉快そうにする。
「ほれ太郎、お前の事だぞ、礼を言わぬか」
「……ヲン」
腑に落ちない、そんな様子がありありと見えるが、一応は礼らしき声を上げる太郎。
話す相手も理由も揃ったのならと、範頼は改めて本題にかかる。
「まず要旨を端的に言います。鎌倉殿の勅勘(ちょっかん)が、解けました」
これを受けた頼景は、思いきり首を傾げる。太郎も同様にしているのを、言葉の意味が分からないのかと範頼は読み取る。
「あの、勅勘とはですね――」
「いや、意味は知っている。主上や院から勘を被って官職を止められる事、即ち朝敵となることだろう?」(※1,2)
自慢げに言う頼景、太郎も――本当に理解しているのかは不明だが――頷いている。
「では、何が気になったのです?」
「いや、鎌倉殿はいつ朝敵となったのだ?」
今度は範頼が首を傾げ、射命丸が眉間に皺を寄せる。そちらが分からない方が問題だ。
「……平治の乱で、従五位下、右権兵衛佐(うごんのひょうえのすけ)であった当時の鬼武者殿は、一体どこに居ました」
「そりゃあ、京で左馬頭義朝様の元、平家相手に……おお! そうだそうだ!」
「ヲフン」
負ける側が悪いと言えば乱暴であるが、結果的に平家が天子の取り合いに勝ち、官軍となってそのまま今に至っているのだ。相対した河内源氏の一門は、ことごとく朝敵となったまま。
頼景も太郎も、ようやく得心がいったという風に何度も頷く。
「よろしいですね。その勅勘が解けました、鎌倉殿は、朝敵では無くなったのです」
いくら幼帝と神器を戴いているとはいえ、都落ちした今、平家は官軍の体を成しておらず、更に京には院が擁立した新たな幼帝が居る。
――神器無しで即位した新帝を真に天皇と見てよいものか、射命丸は疑問に思った――
院宣の大意は以下の二点、
一つ、東海道及び東山道の各荘園を、本所へ領有復帰させる事。(※3,4)
一つ、前項に不服の者は頼朝に沙汰させる。
との事であった。
「東海道と東山道、なのか」
北陸道(※5)が含まれていないのは義仲への配慮であろうかと射命丸は思う。
今の彼の基盤はそちらに移っている。これを本所に復帰させるなどと下したのが彼にばれれば、側に在る刃が院自身に向かうのが目に見えている。外して然り。
そして、朝廷の任務を受けた事もだが後者の件、それを成すための権限が与えられた事。これらが、朝敵の立場が解消したのと同義であるという事であった。
「そうか、我々は賊軍であったのか……」
「いや、朝敵というだけで賊軍とは――ですねぇ」
異議を挟もうとした範頼もこれには何も言えない。しかしそれももう過ぎた事、今は朝廷の命の下で動く朝臣と官軍である。
頼景が笑い、話し終えた範頼もそれに釣られる。しかし射命丸は、向かいに座る太郎がとても不安そうな顔をしているのに気付く。
「太郎?」
「んうしたのだ?」
射命丸の呼びかけで頼景達も気付く。彼はつぶさにその表情を読み取り、解した。
「そうか、これは朝廷と木曾殿の仲も、余り上手くいっていないと言う事か」
「そう、なりますね」
太郎はコクリと頷く。
義仲本人の事はいい。ただ彼が鎌倉と完全に対立すれば、人質として鎌倉中に居る義高がどうなるかは目に見えている。
射命丸には義高との直接の交流は無いが、彼女とて親しい者達が傷付くのは見たくない。
範頼も太郎や頼景同様、苦々しい顔色に変わる。祝うべき場は一瞬にして消沈してしまった。
しかしこの場は頼景が盛り返す。
「後の事は後の事、今日は目出度い日だ、飲んで嫌な事は吹き飛ばしてしまえ!」
空元気であるのは明らかである。それでも空元気も元気と気勢を張り、今日を終えるのであった。
範頼は遠江に居た時こそ、よく京の伝手を頼って情報を収集していたが、鎌倉に来てしばらくしてからはそれも止まっていた。
これは京と連絡を取る事の拙(まず)さ、即ち平家と繋がっていると勘繰られるのを恐れたためであった。無論、彼が平家と通じる事など、断じて無い。
また逆に、京の伝手が、坂東と通じている事を咎められかねない事も懸念していた。
故に現在の範頼の情報源は、おおよそ“鎌倉”を通しての物である。確度は高い。しかし却って、情勢によってはその内容は局限された。
頼朝が勅勘を解かれたと聞いた次の日、青い顔をして帰って来た頼景がもたらした話こそが、その最たる物であった。
「小御所の義高殿の所で、木曾殿が平家軍に大敗したと聞いたぞ……」
「なんですって!?」
義仲が平家追討の院宣を下されていた事は皆知っていた。しかしいつの間に勢力を立て直していたのか、それも義仲を負かす程までに。
範頼も、一緒に居た射命丸も驚く。
「木曾殿は生きているらしいが……太郎、お前も、知らなかったのか」
平服の彼女、耳も尾も垂れ下がっているのが分かる。
昨日に話を聞いた時点で知っていたならば、既にこうなっていたであろう。彼女は昨日の話で気になってから西国を見回し、これを視たのだ。
この様子を見た三人は揃って悟る。
「どうやら、本当みたいですね」
これは月始めの話で半月も前、戦場は備中国(びっちゅうのくに)の水島(みずしま)(※6)周辺であるとの事。
「ああ、もしかして日食があった日ですか」
「日食、お天道様が隠れかけたあれですか。その日、海戦で敗れたらしい」
この時彼らは知らなかったが、戦場となった山陽一帯の天頂では日が欠けるどころか、全てが陰る天象が生じていた。
ただでさえ不吉に思える話だが、入洛、院参して以来、朝日将軍などと号していた義仲にはより悪い兆しであったのかと、射命丸は思う。
ただの星の運びが起こす周期的な天文現象であるとは、漢籍(※7)か陰陽によく通じた者こそ知る事で、射命丸や範頼も知っていた。
逆に知らなければどう思う事か。
そういう知識に明るい平家方は知っていたのであろう、もしかしたら日食を戦に利用したのかも知れないとも考えられた。
「兵も散り始めていると聞くし、いっそこのまま鎌倉に下りでもしないものかな」
頼景がぽつりと漏らす。太郎も彼と一緒になってうなだれている。
二人が思うのは義高の事であろうと、察しが付いた射命丸。ふと範頼の方を見やる。
頼景達ほど義高との交流は無い彼だが、一応は姪である大姫との仲むつまじい光景は度々目にしていた。浮かぶ想いは多い。
果たして義仲は今後どう動くのであろうか、穏便に事が済んで欲しいと、射命丸すらも願う。
だが義高や大姫の事を思う者達の願いは届かず、義仲は自らを泥沼に落とし込んで行く事になる。
* * *
寿永二年十月十四日。世に言う十月宣旨を以て、頼朝はついに朝敵のそしりを払拭する。ここに至るまでに多くの戦略が成され、また天運もそれに味方した。
翻って義仲は治天の君、院と決裂する運びとなる。
十月宣下の直後、水島の大敗から帰京の途にあった義仲の耳に――彼にとって――恐るべき噂が舞い込む。
「源義経を大将軍とした数万の大軍、近江(※8)に在り。院による義仲追討の院宣を受けたものなり」と。
この時はまだ、彼を追討せよとの宣旨など当然下っていない。にもかかわらず、である。
義仲は特に機動力のある少数でもって、すぐさま京へ戻る。これに対し朝廷は上へ下への騒ぎとなり、彼の疑念はいよいよ増すばかりとなった。
ここで、範頼を京で養育した藤原範季を始めとした院近臣の数名が、「義仲の疑いを拭い去り、かつ、平家追討の後支えに院自ら播磨(はりま)へ臨幸されるべきでは」(※9,10)との提案をするが、これは院自身により却下される。
院にしても、まだ敵対行動を取っていない義仲を相手に兵を参集して対抗の姿勢を取り、明確に義仲を指向した軍事行動を取り始めたのだ。
院もまた、何者かに揺り動かされていた。
翌月に院と洛中の源氏勢、木曾勢は完全に決裂。院御所法住寺(ほうじゅうじ)での合戦に至る。
平家に敗れたとはいえ木曾勢は存分に精強であり、院がかき集めた兵や衆徒、果ては浮浪者など、ものの数では無かった。
彼に討ち取られた者の中には高位の者も居り、特には院の皇子の円恵法親王(えんけいほっしんのう)、四十九人斬りで名を馳せた悪僧でもあった天台座主(てんだいざす)明雲(みょううん)などが在った。(※11,12)
皇子はまだしも、現役の天台座主が討ち取られるなどは前代未聞の事で、しかもその首級を受け取った義仲は、これをそのまま川へ放り投げたという。
これらの狼藉を以て、義仲は天からも見放されたかの如く、転落していくのであった。
十四./先陣争い(西暦1184年)
年明け。(※13)
鎌倉を始めとした坂東は――ある理由から穢れを受けた頼朝は慶賀の催し一切へ関わるのを控えているが――年始の諸行事もそこそこに、戦の準備に湧いていた。
親や子の死すら踏み越えて進むのが坂東武士。これが善い悪いの別など考えない、ただそうなのである。戦と聞いて沸き立つ事こそ尋常。
ちなみにこれは鎌倉の暴走ではない、とうとう院宣(いんぜん)が下ったのである。
正月の十日、義仲は苦し紛れであったのか、あろう事か治天の君たる院を恫喝し、越後守より転任した伊予守(いよのかみ)(※14)を兼ねての、征夷大将軍に任じさせた。
この職は延暦年間における蝦夷(えみし)(※15)征伐の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、次は延喜年間平将門に乱鎮圧の任に当たった藤原忠文(ただぶみ)以来、実に二百五十年近く開いての任官となった。
だがその裏で、院は頼朝に対し義仲追討の宣旨を下し、義仲は事実上の朝敵となったのである。
侍所にて、並み居る御家人の中で名が読み上げられる。千葉、小山、佐々木、河越、梶原、畠山、渋谷等、強力な勢力を持つ一族の名が読み上げられ、その度に「応」と声が上がる。
その末、一人の人物の名が読み上げられた。
「蒲冠者範頼」
「はっ!」
範頼も当然そこに居た。
僅かな手勢しか持たぬ己がこの大遠征軍に加えられる、ついに上洛が叶うのか、そう期待する。無論これは義仲追討の軍でもある。
「この度の遠征軍は、既に近江国へ駐屯する先遣隊の大将、九郎義経をそのまま大将軍とし――」
彼は正月前に、道中の豪族を刺激しないよう身軽な手勢のみで出発し、近江にて幕府(※16)を構え待機していた。
順当な事だと範頼は思う。同じ頼朝の弟でも、武芸にも存分に秀でている彼ならば。
しかしここで、範頼の予想の遙かにあさってを行く人物の名が上がった。
「蒲冠者は鎌倉進発より九郎殿の隊との合流まで遠征軍の大将軍を務め、合流して以降も、九郎殿と共にその責務を果たす事。以上」
頼朝の代読である盛長が一際大きな声で読み上げ終わると、チラと範頼の方を向く。彼が目配せするも範頼は気付かない。範頼が比較的上座の方に居たため、盛長は小声で呼び掛ける。
「蒲殿、お返事を願います」
呆けていた範頼、ハッと我に返って応える。
「えっ、はい。蒲冠者、この大任を果たして、必ずや木曾――」
義仲を討つ、ここで言うべきはそうである。
(本当にそれでいいのか? 頼景殿や太郎の思いは――)
刹那の逡巡、すぐに言葉は紡がれる。
「――義仲の軍を、討ち果たしてご覧に入れます」
床に拳を突き、頭を打ち付けんばかりに下げる。
本当にこれでいいのか。己が大将軍に任じられたのも含めて、彼は困惑したまま侍所を後にした。
館に帰り着いた範頼を、家人らは歓待する。大将軍任命の件は既に知れていた。
「蒲殿、聞きました。この度はエラい事で! ついに、ついにですな!」(※17)
「うぅむ、今回の遠征軍は下を見ても二万、いや二万五千は下りますまい。その大将軍に任じられるとは、やはり源氏の血筋と認められたのであるな」
横見から、当地と相良の衆をまとめて参じた頼綱、そしてこの報を侍所からイの一番に館にもたらしたであろう次長が、まず出迎える。
その側で頼景と太郎は、周囲と対照的に不安げ。
「頼景殿」
「蒲殿、ようやく京に行けるのだな」
「……ええ」
「やっとゆやの元へ行けるのではないか。太郎、ようやくだ、長かったのお」
太郎は黙ったまま頷く。
ゆやの元へ行ける事は嬉しい。しかしこれは平家征討の軍ではない、木曾勢を討つための遠征だ。これがどんな意味か貴方達も分かっているのに。
太郎はそう、目で範頼と頼景に訴える。
「なあ蒲殿」
「はい」
「木曾殿が如何な豪傑でも、多勢で包んで熊手ででも引き落とせば、生け捕りに出来るであろうか」
義仲の死、それは利用価値の無くなり、後の災いの種でしかなくなる義高の死と同義。恐らく彼が、彼らが生き残るのは、尋常であろうとなかろうと――
「そうそう、今回参陣する方々を聞くと、後から鎌倉に下った方が半数以上を占めるのですよね」
常光がそれを察したかのように言う。
かくいう秩父党(ちちぶとう)の渋谷氏もそう。もっとも常光の兄重国は石橋山でこそ大庭勢についたが、その直後には景義に逆らって佐々木兄弟や全成を助けてもいる。
今は鎌倉きっての武勇の誉れが高い畠山重忠にしても同じく。頼朝はそうして――主君を裏切った者は別として――故あって恭順の意を示した者を、懐を広く保ち、多く抱えている。
問題は今回の行動が院宣を根拠とするものである事。捕らえた後の沙汰は誰がどの様に下すのか。
「木曾殿が鎌倉に帰順すると言うのなら、御家人への沙汰とする、即ち鎌倉殿の胸三寸に出来る見込みは有りましょう」
射命丸は言う、ただこれは極めて望み薄なのだ。それでも、出来ない道理が全く無い訳では無い。
「木曾殿を生け捕りにして鎌倉に引き摺り込み、ゆやは救い出す。道筋が見えてきたでは無いか」
そこには実は何の道筋も無い。あくまで希望を述べただけ、予測も楽観でしかない。そうとでも考えていなければ、彼らにはとてもこれからの戦など出来ようはずも無かった。
次長も頼綱も、義高の事はどうか知らないながらも、これ以上は言わない。ただ射命丸は、頼綱はともかく次長の様子を見て、普段の彼なら怒るはずなのではと、不思議に思った。
その射命丸に対しても、範頼から一言。
「それと、一貫坊様。この度の遠征ですが、一貫坊様には戦いを控えて頂きたいのです」
「また御曹司、今度は何を考えておる」
何故、ここまで来て置いてけぼりとは、それでは償う事が出来ないではないか。慌てて懇願する。
「そんな、私もゆや殿を助けに! 木曾殿との戦でも貴方を支えます、足を引っぱるなど断じて!」
「いえ、一貫坊様はお強いです。ですが一貫坊様の戦い方では、野木宮のような混戦ならともなく、ここまで大軍を以て推し進める戦いの中でやれば、妖と知れてしまうかも知れませんので」
今まで理解のある者達ばかりと触れ合って勘違いしていた、本来はそうであるのを。範頼はここまでも、彼女らの正体の秘匿に心を砕いてきたのだ。
「それは、しかし……」
「鎌倉に置いて行くと申し上げるのではありません。兵法については勉強に付き合って頂きましたし、そのお智慧も頼りにしております。そこで、私が諸々と至らない分、助けて頂こうかと」
そう言って上を指差す範頼。それは射命丸も通じた。
彼女にしか出来ない、彼を助ける方法がある。
範頼を大将軍とする鎌倉の遠征軍は、間を置かず東海道より進軍を開始する。
∴
東海道の諸国、伊豆、駿河、遠江までは――首領の安田義定は京に在ったが――甲斐源氏が押さえているため、後方の事も含めて心配は無かった。遠江では駿河より進発した武田党とも合流する。
問題はその先、三河国以西の事であった。
その三河国。射命丸は鴉であった頃からも何度も訪れる事はあったが、今は特別な感情を抱いている。ゆやの事を強く思っていた不思議な妖、ヤマメが散った地がここであったからだ。
街道沿いではあるものの、無闇にこの大軍を止める訳にはいかない。大将軍と言ってもあくまで全般統制であって、彼が何でもかんでも指示を出せる立場には無い。
なので、彼女に関する顛末を知る者達は、三河国に分け入って一里辺りの地点で、歩みながら黙祷するのであった。
そのまま西進した所で、彼らはついに最初の戦に遭遇する。
東海道の要衝、墨俣川(※18)。
守れば堅いこの地で、数万の鎌倉勢を前に恐れず、木曾勢に与する土豪が陣を敷いていた。
この地はかつて行家が重衡に敗れ、援軍に来ていた義円が討ち死にした地であった。鎌倉と距離を置いた行家の敗戦とはいえ、源氏にとって縁起が良いとは決して言えない。敵勢もそれが分かってか、かつての重衡に倣った形で陣を敷いていた。
これをつぶさに観察したのは太郎、そして射命丸。
上空からの射命丸の偵察を範頼は求めた。以前のような手当たり次第の情報収集と違い、明確な意図の元での偵察は楽かと思われた。しかし実際にやってみれば、軍事上の要点を押さえなければ意味が無かったりと、中々難しかった。太郎にも射命丸にも。
なので本来であれば彼女らは連携を取らねばならないのだが、
「だから、私は敵にも味方にも悟られないぐらい上空を飛ばないといけないから、事前に必要な大まかな敵情はお前に任せたと、そう言ったじゃないか」
「グルルル……」
射命丸は潜在的な不仲が原因と思っている、今一つ意思の疎通が図れない。前線での頼景と太郎との連携とは雲泥の差。
「まあまあ、一貫坊殿も太郎殿も落ち着いて」
常光がなだめる横では、いつもなら落ち着いており、この場で落ち着いていなければならない人物も、少々いきり立っていた。
それはよりにもよって、彼。
「蒲殿、短気を起こしてはなりませんよ、ここは気を落ちついて事を運ばないと」
「はい、それは、承知しています」
郎党に当たる事は決してしない範頼。しかし陣中の他の氏族からの突き上げが厳しく、――表に出さない分――腹の中に抱え込むものも多かった。
範頼を心理的に圧迫した最も大きな原因は戦目付、軍監を勤める人物が――
「今し方斥候が戻って参りましたが、先刻御大将がもたらした敵情と齟齬(そご)してござる。一体御大将はどこから斯様な与太話を拾って来られるのか」
景時が嫌味も何も交ぜる意図も無く淡々と叱責、大変目つきの悪い三白眼が範頼を向く。
「申し訳ありません、情報の取捨選択に過誤があった様であります」
「……総大将が直ぐに謝りなさるな!」
全く以て返す言葉も無い上、謝罪にすらもこう返る。しかし射命丸の偵察が上手くいかない分は己が支えなければ、あべこべの考えが範頼の心に浮かぶ。
ここで彼は、“彼”らしからぬ行動に出るのであった。
布陣して二日ほどしか経っていないが、西へと急ぐ鎌倉勢は、慎重に事を運ぶより一気に敵を踏みつぶす戦術に出た。
今は川の水も少ない、一斉渡河は可能と踏んだ。
(蒲殿は正気か?)
敵情も定かでないのに兵馬を進めるのを頼景は不安がった。大将の焦りと陣中からの煽りが、いよいよ悪循環を惹起させている。
そして、その焦りの顕現を頼景は見て、肝を潰す。
「おい頼綱」
「なんだ、兄者?」
「先陣勢なのだが、見覚えのある大鎧が居るように見えぬか?」
「……そう言えば」
「太郎、どうだ?」
頼景が「あれだ」と、青糸威(あおいとおどし)の騎馬武者を太刀で指し示す。正確にそちらを見た彼女はギョッとして向き直り、「どういう事か」と言う代わりの、驚きと疑問の表情を向ける。
やはりか。そう呟いて舌打ちし、先陣を争わんとする猛者の集う一隊に馬を寄せる。そしてその中の一人の袖を掴み、思い切り引いて馬から引きずり下ろした。
「御大将! こちらは先陣でありますぞ! 急ぎ本営まで戻られよ!」
己が身に何が起こったか分からない範頼。目を白黒させて己を引きずり落とした人物を見、頼景と認識する。
「何をするのです!」
「急ぎ、戻られよ」
有無を言わさず本営を構えた陣幕を示す。
「分かりました……」
それ以上は何も言わず、彼は退いて行った。
戦は滞りなく、圧倒的大軍を寄せた鎌倉勢の勝利に終わり、鎌倉勢は勢いのまま尾張国へ踏み込んで陣を構えた。
問題は、その日の夜に起こった。
「この莫迦者が!」
「それはこちらの言う事です。衆人環視の中で馬から引きずり下ろすなど、どういう了見ですか!」
刹那の間も置かず、範頼の左頬に拳が飛ぶ。
「冗談で莫迦殿だ莫迦の冠者だと言うのはいつもやっているが、本当に莫迦だとは思わなんだわ!」
「頼景殿、一体何があったのです!?」
「四郎殿!」
「勝間田様は下がっていて下され!」
「兄者!」
肩に手をかけた頼綱に対しては一切の言葉も無く鳩尾に拳が突き刺さり、彼はそのまま突っ伏す。
「頼景殿、この無体は如何なる事です」
「初陣でもあるまいに、今までの事を見ていれば先陣は大将が切るものではないと分かるであろう。浮かされおってからに!」
「四郎殿の無体はさておいても蒲殿、先陣争いについてはその通り。これは重要な戦功である!」
次長も同じ考えではあった、頼景は更にそれに乗る。
「それを大将がかっさらってどうする! 兵法の字面云々ばかりだけを修める頭でっかちめ。論語読みの論語知らずとは、漢籍など知らぬ俺でも知る言葉よ!」
「頼景殿、せめて声を落として下さい」
射命丸が鎮めようと口を挟むと、範頼が彼女を押し止める所作をし、頼景と顔を突き合わせる。
己の考えは戦功でもなんでもない、ただ一刻も早くゆやの元へ、義高のため義仲を捕縛に、それが分かってもらえないのか。腹の底から怒りが頼景に向く。
「それは知らぬ事でした。これについては恥と受け止め、他にも知らぬ事で恥を上塗りする事が無いように気を付けます。それはそれとして――」
頼景の顎がかち上げられ、骨と骨、それに歯が激しくぶつかる音がして、背中から地に落ちた。
「久しぶりですね」
範頼が怖ろしく低い声で言う。目の色も気力に充ち満ちている。その視線の先で頼景は何事も無く起き上がり、顎をひと撫でする。
「鍛え方も今一つ、いや二つ三つ足りないなぁ。全く効かんぞ? のお、蒲殿!」
真っ向から鼻っ柱に一撃。範頼の顔から鼻血が散る。
彼は耐えて遠間から頼景の横面を打つ。
それから互いに十数発も拳の応酬をすると、先に範頼の足がふらつき始めた。ここで頼景が一旦彼を支えると、
「まだ早いのではないか? なぁ!」
そのまま地面に転がし、組み打ちの体勢になる。
「おお、まだまだ!」
お互い口の中は裂けて血だらけ、顔のあちこちは既に腫れ始め、裂けた箇所もある。
頼景が上を取り、そのまま数発顔に叩き込む。
「おやめ下さい頼景殿! 太郎もお止めしないか!」
射命丸が叫ぶ。法力を使えば簡単に引きはがせるだろうが、その考えは無かった。
太郎は最初から止めに入ろうとしてもいない、ずっと眉を寄せたまま唸っている。本心は止めたいのだが、どう割って入ればいいのか分からず、心の中でオロオロしていた。
そして、あくまでこれは私闘ではあるが、手を出さないのは正解であった。
下に居る範頼の抵抗がある限り、頼景の打ち下ろしも続く。ただし下からの拳は殆ど届かず、一方的にやられているに等しい。
そこから何発か浴びてついに範頼の拳が止まる、のびたのだ。それを以て頼景の攻撃も終わり、範頼は彼の腰の下から解放された。
明くる日、範頼の幕舎を訪れる者があった。
出立はまだ先であるし、範頼は疲れているため休んでいる、ここは一旦引かれたい。と、常光、頼綱と止めるが、一向に止まらずズカズカと陣中を行く。
その濃紺の鎧直垂を纏った男の前に、射命丸が立つ。
「梶原殿、蒲冠者は昨日の戦にてお疲れでございます。お言付けがあれば私が承ります故――」
「その昨日の戦にて、あろう事か総大将が先陣に在り、またあろう事か郎党がその総大将を引きずり下ろす等、ただならぬ事があったと伺い申した。拙者は、その子細を伺いに参った次第にござる」
景時は口も眉も一文字にし、また歩み出そうとする。
総大将は確かにこの軍の頂点であるが、そこに軍監が居るのであれば、何事かが起これば処置をするのは当然の職務であった。
「しかしそれなら千葉殿がおいでになるのが道理」
この陣でその役目を果たすなら、侍大将軍を勤める彼が先。それを無視して来たのであれば、それもまた越権行為と言える。
「千葉殿介も仕事はよくなさるが、事無かれな所がありましてな、昨日中はそれを問い詰めておったのです。そうした所、今日になって拙者に任せる、と。また聞けば、昨夜陣中にて騒ぎもあったようですからな」
常胤なら穏便に事を済ましてくれるかもと期待していたのに。これはこの男に知られた時点で既に、如何ともし難くなっていた。
「一貫坊様、梶原殿のお越しであるならお通しを」
これは諦めたか、射命丸も観念して彼を通す。
昨日の出来事を隠す手立てなどは無く、範頼は痣やこぶでボロボロの顔を景時に晒す事になった。
「こ、これは何事であるかぁっ!」
驚きも何も当然の事。その後は同席していたもう一人の張本人頼景と、――相手が気に食わない景時であっても――何とか穏便に済ませようとする次長が、一緒に叱責を受け続ける羽目になった。
射命丸がため息を漏らしてしていると、そこに頼綱が現れる。
「やはり梶原殿がいらっしゃいましたか」
「仰った通り、理由についてもご明察です。ときにお加減は?」
彼は景時の来訪を予言していた。そこで居留守なりと誤魔化すなり出来たかも知れない所、陣中に居る限り策は無いと、範頼他二名は諦めて集っていたのだ。
「兄者の当て身は食らい慣れておりますで」
腹を押さえながら答える。いくら受け慣れても痛いものは痛いし、気を失うのは避けられない。
「しかし蒲殿が、あんなに激しく殴り合うなどとは思いませんでした」
「まぁあれは、よくある事でしたからな」
視線を逸らしながら言う頼綱。
意外そうに頼綱を見返す射命丸、彼は困った貌をして続ける。
「蒲殿には鎌倉に上がるまで兄弟と言える者がおりませんで、代わりに遠州東西に離れているといえ当家とは勝間田様を介して交流がありましたからな。こういったことは幼少よりの事ですて」
「はぁ」
頼綱は兄弟が云々と言ったが、範頼は頼朝にも兄弟の名乗りを上げず、避けられているのか未だ義経とは言葉を交わせてすらいない。
それは頼景――加えて頼綱もかも知れない――という、より近しい者が居るからかと射命丸は知った。殴り合ってもあの様に付き合える仲だ、そう言っていい。
「都から蒲御厨に帰っても、何かしらぶつかる事があれば、事ある毎に。と言っても、蒲殿が勝ったと聞いた事は殆どありませぬ」
「でしょうねぇ」
「お互いもういい歳ですから、しばらくはやり合っていなかったと思います。一つ言っておきますが、蒲殿が兄者以外と喧嘩したのは見た事がありませ――ああ、兄者に勝つのも他の誰かと喧嘩するのも、同じような場合に、ありましたな」
「言うほど珍しい事なのですか」
「ええ。いずれも、ゆやに係る何かがあった時でした」
射命丸は胸に、締め付けられる痛みを覚える。
「そう、ですか……」
「そうですな。今は兄者も蒲殿も妹を取り戻すために戦っているに等しい。その為却って、鎌倉殿や九郎殿を兄よ弟よと言わないのではないのでしょうか」
だが自分が虜囚になっても絶対助けてくれないだろうと、嘆息したながら付け加える頼景。男の兄弟と妹は違うであろうしと、射命丸は思う。
ただ、父も母も兄弟すらも居ない範頼の元にはしかし、その様に近しい心を持った者が居るのを、それこそ忌憚無くものを言い合い拳を交え合える中の者が居るのを、今改めて知った。
であればこそ、あの様な身の上であっても、今まで歪まず生きて来れたのであろう。射命丸は未だ怒声の漏れる陣幕を向き、頷いた。
景時の苦言はくどくどと続いた末、半刻ほどしてようやく止まった。
「よろしいか! 次にこの様な事がありましたら、尋常な措置で済むとはお思いなさるな!」
顔は怒り肩も怒らせ、来た時の落ち着き払った様子とは逆に足下を踏み散らして、彼は立ち去っていった。
「ひえぇ、参った参った」
「本当に、参りました……」
顔を腫らした二人が姿を現して他人事の様に言う。するとその後に続いた次長から、景時の後を引き継いだかの如くの苦言。
「お二方、まだまだ反省が足りぬようでございますな。蒲殿には大将としての自覚が足りなく四郎殿には陪臣としての自覚が足りなく――」
気に食わない景時に全く言い返せず、ひたすら口撃を食らいまくった鬱憤が小言を助長。以下云々と続くのに、射命丸らも併せて辟易する。
実際次長の苦言はもっともでもある。それにこの場の誰も、あの厳格な景時が苦言を呈するだけで済ませるとは思っていなかった。
二人ともなんだかんだで、昨日の殴り合いはお互い話が足りなかったと納得していた。また景時や次長の小言も、協調する材料にもなったのだ。
それにこの様な事は些事、思う事は一緒なのだった。
* * *
墨俣越えの後は平家、木曾勢ともに相争った後のため、鎌倉の上洛を妨げる、大きな戦闘は生じなかった。
墨俣の会戦にしても木曾勢本隊とは直接の関係は無く、あくまでも彼らに同調した地侍との戦に止まった。
その後同様に、散発的な土豪との小競り合いはあれど、幾万と喧伝された軍勢に真っ向から食って掛かる者などまず無く、逆に基幹の御家人が気付かぬ間に、参戦する者が増える始末。
組織だった参戦ならある程度の持ち込みもあるし管理も運用もし易い。兵糧の限りは歓迎できたし、それを期待しての進軍でもある。
ただし、いつの間にか陣に入り込みちらほらと増えるのは、軍としての運用全般で取り回しづらい事この上なく、戦の後も論功行賞が難航する種にもなる。
いよいよ軍勢は膨れ上がり、近江に先行していた百騎足らずの義経らと合流する頃には、糧食等の問題で、京に入れ切れない程の規模にまでなっていた。
ここから先は、鎌倉御家人所領の各所からの輜重と、近隣からの調達に頼る事になる。先んじて入洛し、失策を呈した義仲の二の舞は許されなかった。
第9話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
※1 主上:天子、天皇に対する敬称
※2 勘:勘気、主人や主君、父親の怒りに触れ、咎められる事
※3 東海道:五畿七道(律令上の行政区画)の一つで、畿内から常陸国までの太平洋側を指した。現在にも残る東海道とほぼ同義の幹線道路を指す場合もある。
※4 東山道:五畿七道の内、畿内から関東に至る内陸地域と、現在の新潟県を除く福島県以北を指す。甲斐国は東海道に属する。畿内~関東間は後に中山道に再編
※5 北陸道:五畿七道の内、若狭国(わかさのくに、現在の福井県南部)から越後国(えちごのくに、同新潟県北部)及び佐渡国(さどのくに、同佐渡島)の地域
※6 備中国:現在の岡山県西部に当たる地域。作中の戦の行われた水島は、同県倉敷市水島周辺が干拓される前の『水島灘』であると考えられる。
※7 漢籍:漢文で書かれた書物の事。作中当時の文化の最先端と言えば唐であり、主に仏教に関する知識や仏典と共に本邦へ輸入された。
※8 近江:近江国(おうみのくに)、現在の滋賀県。かつて琵琶湖を『近淡海(ちかあわうみ)』と称した事から転じた国名
※9 播磨:播磨国(はりまのくに)、現在の現在の兵庫県西部。針間とも。
※10 臨幸:天皇もしくは上皇(法皇)が行幸(先述の注釈参照)し、その場に臨む事
※11 法親王:出家した男性皇族(王)が親王宣下(親王の地位を授かる事)を受けた際の身分。逆順なら入道親王。現皇室典範では親王宣下と共に規定無し。
※12 座主:仏教において、大寺や宗派の総本山を束ねる僧をこう言った。基本的に座主という単語だけで、そのまま天台宗の長である天台座主を指す。
※13 年明け:寿永2年(鎌倉では治承7年)に閏月(閏十月)が存在するため、寿永3年の元日は西暦の上では1184年2月中旬
※14 伊予守:伊予国(いよのくに、現在の愛媛県)の国司
※15 蝦夷:大和朝廷に従わない北方の民を夷敵(いてき)と侮蔑してこう言った。アイヌを指す(自称?)『えぞ』と混同する場合や、全く区別する場合もある。
※16 幕府:最高指揮官が在する駐屯地の意。鎌倉、室町、江戸の武家政権としての“幕府”はこれに由来する。
※17 エラい:方言、地方ごと用法が異なる。“偉い”の意では無い。劇中では静岡の方言としての用法の一種、「大変な」や「凄い」との意味合いで使用した。
※18 墨俣川:尾張国と美濃国(みののくに、現在の岐阜県南部)の境付近、現在の長良川(治水工事等により流れは若干変化)。木下藤吉郎の一夜城でも有名
木ノ花 前編 一覧
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