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木ノ花、疾風に咲く木ノ花 前編   木の花前編 第8話

所属カテゴリー: 木ノ花、疾風に咲く木ノ花 前編

公開日:2016年03月09日 / 最終更新日:2016年03月09日

十一./清水冠者(西暦1183年)

 野木宮での戦の後、範頼達は志田勢の首級と共に鎌倉入りし、そのままこちらでの居館――由比ヶ浜の側にある浜の館に腰を落ちつけていた。
 横見には、横見の衆は当然として相良の郎党の大半も残り、常光と共に頼綱が切り盛りしている。「俺だけ貧乏くじを引いたみたいだ」とは、頼綱が兄に向かって放った恨み言であった。
 太郎にとっては初めての鎌倉。宿場街とは比べものにならない都邑には、彼女も眼を輝かせた。
「やれやれ、相変わらず何も無い所ですね」
 対照的に射命丸は腰に手を当てて息を吐く。八幡宮の造営も成り町並みも整って便利も大変良い、問題は今し方到着した館。
 門衛も付けられ、横見の館に負けず広い館であったが、常在する者が居ないため前に来た時以来、最低限の管理しかされていない。
 今後はここに在する事も念頭に色々揃えねばなるまいと嘆息。今はまともに女房役が出来る唯一の者が、彼女自身の一人だけ。
「こちらでは土いじりは出来ぬか」
 頼景が踏み固められた庭を見て言う、館の周囲にも田畑は無い。それを聞いた範頼がまた言う。
「その替わり、厩での仕事はあるかも知れませんよ」
 これには頼景も眼を輝かせる、牧場育ちでその主でもあった彼らしい。その大変さは当然知っている、それ以上に馬達と親しむのが好きなのだ。
 ただし今、彼には役目も何も無い。鎌倉持ちの馬を厩へ預けた今は、暇を持て余していた。

 範頼や次長は侍所や御所への出仕。射命丸にしても、表向き秋葉山の使いという事で各所の寺社への挨拶回りなどがあった。
 射命丸の出回りが無ければ、頼景はああだこうだと指示を受けて館の営繕をさせられている所。今はそれも無い。
 当然、太郎も暇。
「さて、どうするか、太郎」
「ヲフ、ヲフ」
 彼女は問いに対し、刀を振る様な所作で答える。普通なら稽古と見るであろうが、頼景は正確にその意図を読み取っていた。
「うむ、そう言えば久しぶりだな」
「ヲン!」
 彼女もまた、己の考えを分かってくれたのを感じ取り、二重の思いから嬉しそうに吠えた。

 館から出でて八幡宮への大路とは逆方向、西の方へ連れ立って歩く頼景と太郎。
 その手にはそれぞれ魚籠(びく)と竿。目指すは甘縄の南、初めて鎌倉に入った時に彼が目を付けていた磯。勿論やる事は一つ。
「さあて、何が釣れるかな?」
「ヲンヲン!」
 相良では駿河湾は勿論、南端の御崎(みさき)まで足を運んでは糸を垂らし、池田荘や蒲御厨へ行くついでにも、遠州灘沿いの湊へ竿を持ち出していた。
 彼自身は特に釣りが好きと言うことでは無いが、太郎がその獲物をよく欲しがったのを覚えているし、自身も久しぶりに海の幸を口にしたいと思ったのだ。
「よし太郎、ここらで良いだろう」
「ヲフ」
 太郎は見た目の歳相応にはしゃぎながら、頼景に仕掛けなどの手ほどきを受ける。
 彼女には、この姿になってから初めての海。かつては川で牙で以て魚を捕らえた事もあったが、自らの“手”で海の魚を捕るのも初めてであった。
――それから四半刻。
「ヲンッ!」
「うーむ……」
 太郎は竿を上げる度に五寸ほどの魚を釣り上げ、対する頼景はただ糸を垂らして、不定期にエサを替えるか喰われるかするだけ、一向に釣れない。
(まあ、コイツに飽きられるよりは良いが)
 そうは思っても、やはり釣れた方が面白い。
 そんな彼に近付く者があった。
「あの、どんな魚が釣れるのですか?」
 男児の声。頼景が振り返ると少年が二人、そこに立っていた。
 明るい水色と柿渋色の狩衣の少年達、頼景に語りかけたのは水色の衣の少年であった。
「いや、俺はこれだで」
 からっきしのボウスと、頭を剃る所作をする。その替わりにと太郎の方に寄り、囁く。
「お前は喋れない事にするから、絶対に口をきくなよ。よいな?」
 太郎は黙って頷く。喋れないのは実際の事である。
「しかし、コイツの方はたっぷり釣ってるぞ」
 渋皮色の少年は黙ったままだが、感心しながら一緒になって、興味津々と魚籠を覗き込む。中では、頭の上に少し飛び出た目がひょこっと乗った、愛嬌のある顔の魚が跳ねていた。
「凄い。これは何と言う魚ですか?」
 海沿いならどこへ行っても、河口でもよく釣れる手頃な獲物。子供ならこれを知らなくてもしょうがないかと、頼景は勝手に納得する。この問いには彼が答えるより先に、年が幾つか上に見える渋皮色の衣の少年が教えた。
「これはハゼという魚です、私もついこの間知ったものですが」
 兄かと思ったら従者か。頼景は二人の様子を見ながら、それに続けて言う。
「その通り、食うと美味いぞ」
「煮ても焼いても美味しいしと聞きますし、これだけ新鮮なら切り身でも食べられると聞きます」
「うむうむ。それに加えて、俺は干物を勧めたいな」
 太郎も以前に与えられた焼いた干物の味を思い出し、つい同意の声を上げそうになる。
 抜いたワタを塩水と一緒にして暫く置いた塩汁を作り、それに浸して天日干しにする。この塩汁を継ぎ足しながら作った物は、中毒性すら呈する程に美味。
 頼景も説明しながら、帰ったら早速作ろうと決意。
「聞いているだけで美味しそうです」
 渋皮衣の少年はここでようやく微笑み、これが素直な反応だろうと頼景も嬉しくなる。しかし水色衣の少年はきょとんとしている。
「如何しました?」
「魚の切り身というのは、どういう物でしょうか?」
 頼景はこの無知に、ハゼを知らない事と併せて納得。
 切り身を食べた事が無いのは、新鮮な物が届かないほど海から離れて住む者であるからだ。川魚は生で食べると往々にして――それこそ鯖よりも――危険で、腹に虫が湧く事もある。
「そう、ですな。結構釣れたし干物も良いが、よし、ハゼの切り身を馳走して進ぜよう」
 早々に決意を翻した。
 太郎が少し残念そうな顔をするのには、責めてくれるなと目で返す。塩水だけは作り置き出来る、後日作ってやるから、と。
 ここで水色衣の少年がもう一人の少年に尋ねる。
「あの、よろしいのでしょうか?」
「はい、このぐらいは大丈夫です。もし大丈夫でなければ、この七郎が怒られるだけですから」
 二人のやりとりに、奇妙なものだと頼景は首を捻る。
 それはさておき、活きの良い内に食べさせてやろうと早足で、浜の館に彼らを誘った。

 最初はガッカリしていた太郎も、帰り着く頃にはすっかり機嫌を直していた。待ちきれない様子を頼景も見て取る。
 彼は手早くハゼを捌くと、まな板に乗せて提供した。
「ハゼはこつい魚だで、切り身で食べるにゃえーかん獲っておかんとな。今日の大漁は丁度良かったで」(※1,2)
 やはり生の魚は初めてなのか、少し驚いた様子の水色衣の少年。そこへ七郎と名乗った渋皮衣の少年が先に箸を伸ばす。毒見と食べ方の実演であろうと見える。
「この様に、醤(ひしお)(※3)を添えて頂くのです。それでは相良様、当麻様、頂きます」
 彼の挨拶に少し驚く頼景。道中軽い雑談は交わしたが、お互い名乗るまではしていない。それに太郎などは尚のこと。不思議に思いながら様子を見守る。
「うん、これは美味であります」
 にこりとする七郎に、頼景も笑顔で応える。
「それは良かった。ささ、御身も召し上がりなされ。太郎、お前の獲物だが遠慮はしろ」
 水色衣の少年と太郎にも勧める。太郎は合点のいかぬ顔。もてなす事を覚えるのも必要だぞと、頼景は彼女を見守る。
「すいません。え、と、相良様、当麻様、頂きます」
 七郎と同じくして、一切れ口に運ぶ。
「これは美味しい。シシ肉ほどのクセも無いですし、淡白で、でも旨味があります」
 言葉が豊富だと思いながら、そうだろうと満足げに頷く頼景の横で、太郎も笑顔で食んでいる。
「よーしうむうむよーし。御身は生魚など初めてであろうから不安であったが、その様に言って貰えれば釣った甲斐があったし、ハゼ共も浮かばれましょうて」
 実際に釣ったのは己だぞ、もっと切り身をくれなきゃ貴方を取って喰らうと、太郎がいよいよ恨みがましく睨む。頼景はそれを受け流して自らも切り身を口に運んだ。
 皆、満腹とは言わないもののハゼを存分に堪能した。

「ごちそうさまです」
「大変美味しゅうございました」
 食べ終わった二人が礼を述べると、頼景はここで、先程の不思議を解こうと問い掛ける。
「いや、俺のは技巧を凝らしたものではありませんでな、もっと美味い魚もおりますし。ときに七郎殿、お主は俺達の事を知っているようだが」
 軽く頷いて彼は答える。
「はっ、名乗りが遅れてすみませぬ。拙者は小山政光が子、七郎朝光と申します」
 それを受けて納得。太郎が彼の兄朝政の窮地を救ったというのは、頼景も噂で聞いていた。彼女が名乗るはずも無いが、この白髪は目立つ。
「過日、兄が蒲御曹司の御郎党に救われたと聞き及び、相良様と当麻様を探しておりました」
 己は遅れて参じただけで礼を受ける立場に無いと、頬を描きながら太郎を見る。彼女は事情を理解して緊張している、耳や尾が動きはしないかと心配された。
「結城(ゆうき)殿、俺はただ居ただけですからな。あの時は太郎だけがよく働いた訳でしてな」
 小山七郎朝光。彼は野木宮の戦の際には、太刀持ち(※4)として頼朝の側に控えていた。その際、八幡様よりの神託を下したとの功で、小山氏の本領と接する下野国結城郡(※5)を拝領していた。故に今は結城朝光とも名乗る。
 そんな御託をくれただけで所領を一つ手にできるとは良い身分だ、と知らぬ者は言うだろう。だが鎌倉ではその様にはならなかった。
 この戦で一番働いたのは小山党であり、彼はその一族の者として、当然と言える恩賞を賜っただけ。神託云々は適当な名目であろうと頼景は思っていた。
「そう言えば当麻殿は、先程から一言もお話しされてませんね」
「ああ、それはちょっと、前に喉を患いましてな」
 朝光には兄を救った者がどんな人物か、興味があるのだろう。太郎は傍から見れば、元服して間もない彼と同じ年ぐらい、水色衣の少年は彼よりも少し幼い。
 同じ年頃の者同士、話して人となりを知り、何かのよしみを――純粋に友情を結びたいという風な、期待する眼差しが太郎に向く。
「話は出来ませんが字は書けますで」
 二人は当然読み書き出来るであろう、特に朝光は教育もよく受けている様だ。頼景はそう見て彼らを庭へ連れ出す。
 太郎がそこらに落ちていた棒きれで地面に字を書き、二人はそれを読んで意思の疎通を図る。話せたら話せたで女であることに驚いだろうかと、頼景は朝光を、そしてもう一人の少年を見る。
 そう言えばこの少年の名は――朝光がお供をするぐらいだから、余程の人物であろうと見た。
「そうだ、俺も結城殿が知っていただけで名乗っておりませんでしたな。此奴は今ここに書いた通り、当麻太郎と言います。俺は相良四郎頼景、遠江では牧場の主などをやっておりました」
 そこから先はあえて直接求めず、促す。に留める。少年はその意図に沿って名乗った。
「あ、はい。これは申し遅れてすいません。私は信濃の清水冠者義高と言います」
 名乗る機を失していたのであろう、言葉通り大変申し訳なさそうに名乗る。
 その名を聞いた頼景は、それどころでは無かった。
「木曾、義仲殿のご嫡男でありますか……」
「はい、その通りでございます」
 どの様な経緯で彼が鎌倉に居るのかは範頼から聞かされていた、頼景だけでなく太郎も。彼女もやはり驚いている。
 義高はその幼い身空であっても、自身が人質であるのを知っている。朝光への振る舞いがそれを表していた。
 しかし朝光は、彼を人質ではなくあくまでも大姫の婿として扱っている。朝光にも建前は分かっているだろうに。もしかしたら弟か友として見ているのかも知れないと、頼景は思う。
「蒲殿に仕えてから坂東に来て、あちこちと付き合いも多くなったが、よもや清水冠者や結城殿と知り合えるとは思わなんだ。これも何かの縁とよしなに願いたい。特にこの太郎の事は、ですな」
 義高に対して浮かぶ様々な感情を隠して、改めて笑顔で彼らを歓待する。
 大人の出番はこの様な具合で良いのだろう。少年らと太郎がたどたどしくも知る限りの礼を尽くすのを、頼景は見守った。

 朝光は、野木宮でも後陣を務めた同族の下河辺庄司行平(ゆきひら)と共に、若いながらも頼朝の供回りの十名にも選ばれる勇士であり、忠義の臣でもある。義高の監視役としても、逆に護衛役としてもうってつけの人物であると言えた。
 鎌倉の――頼朝個人の意向からの――常では某かの役目は二人一組で担うが、ここでは特段、歳近い彼のみが単独で任じられていた。
 義高には信濃から連れて来た、これも年の近い従者らが居る。当然彼らも山育ちであった。
 木曾は坂東各地に負けぬ馬の産地であり、義高は若くとも馬の事にはよく通じていた。その馬の事でも、多少なりとも海の事でも話が通じる頼景は、彼らが集って話す相手としては丁度良かった。
 そこへは太郎も混じり、朝光もしばしば同席した。
 海での釣りをはじめ、時には馬を駆って鎌倉から出で、三浦郡の津々浦々へ遠出したり、また時には剣の稽古などの真似事をしたりもした。
「これが蒲冠者と小山朝政殿をお助けした大太刀だ。太郎が無茶な使い方をしてひん曲げてしまったが、元々は俺の物であったのです」
 元は四尺三寸はあった刃は、歪んだ所から断ち切って打ち直し、三尺五分程度になっている。それでも十分に長い得物、今は太郎の持ち物になっている。
「無茶な使い方と言っても、それで首級を挙げたのだから責められん。ただ、一振りで大鎧二・三領(※6)ほどの価値があるから……俺の弟などは頭を抱えておった」
 彼女が自らの口で語れない武勇を代わりに語り、それに笑い話も織り交ぜてもみる。
――実際、当時の頼綱は文字通り頭を抱えていた――
 頼景の話は少年らにはたいそう受けが良く、相互の話にも話に花を咲かせる助けにもなった。
 物騒な面々ばかりと思っていた坂東にも、この様な少年達が居るのだなと、頼景も嬉しくなった気がした。

       ∴

 範頼の出仕が休みのある日の事、浜の館では、少し前から雇い始めた下男下女が朝から慌ただしく動き回っていた。
 門衛も普段二名ずつが交代で付いている所、今はそれが十数名にも及んでいる。
「蒲殿、朝っぱらから騒々しいがどうした」
「おはようございます。何用かは分からないのですが、急に大姫様がこちらへいらっしゃるとのお話で。あ、すいません、一貫坊様を起こして来て下さい」
 射命丸の代わりに範頼が指示を出していたものの、追いつかない模様。
 頼景には思い当たる節はあるが、それでも「まさか」との言葉が彼の口を突く。
「鎌倉殿や御台(みだい)様(※7)は来はしないだろうな!?」
「それはなんとも、結城殿がお供で来るようですが。ときに頼景殿、双六(すごろく)(※8)などは――」
「出来ん!」
 話の流れは飛んだが、二人の間では意味が通じた。
 大姫はよく双六に興じている、そう義高からも聞いていた。しかし生憎、頼景は双六のやり方を知らなかった。範頼がそう聞いて来ると言う事は――その側で次長が珍しく焦った貌をして現れる。
「まさか当家まで足を運んで双六遊びもありますまい。いや、万が一があるか。されば蒲殿は当然出来ますな?」
「すいません……」
「お主、京におったであろうに、歌はよく詠むくせに双六はやらなんだか。して、勝間田様は?」
「遊戯に興じている暇があるなら、稽古に励むべし」
 出来ないというのを無理に言い換えるのには、二人して失笑する。
「そうだ、確か現在の院などは名人であると聞く。僧の間で流行ってはおらぬのですかな?」
 頼景が問い掛けたのは射命丸。起き抜けに飛び火を浴びた彼女も、困惑しながら答える。
「わ、私が双六ですか!? 私こそ、そんな事をやっている暇があれば修行でしたよ」
 他、雇っている者達へは範頼が確認していた。
 残る一人に淡い期待を寄せ、狩衣を着て現れた太郎を見やる四人。彼女の耳は先の会話を捉えており、申し訳なさそうな鳴き声を漏らすだけであった。

 しばらくして、浜の館に多くの供を連れた輿(※9)が到着した。
 他ならぬ大姫。都の公卿ほど仰々しくは無くとも、その警護の体勢は、最高位の武家の息女に相応しいもの。範頼以下の家人が門前まで出て彼女を迎える。
 周りはそんな様子ではあるが、輿に乗っていたのは齢六歳のまだあどけない少女。
「大姫二幡(にまん)様のはるばるのお越し、蒲冠者以下当家の者、恐縮至極に存じます」
 御所側の居館から浜の館まで、道なりに来ても一里と無いが、この歳の子供には十分な旅であろうと皆揃って思う。
「叔父上、お出迎えありがとうございます」
 輿から降りて頭を下げる大姫に、一同は緊張しながらも穏やかな表情になる。
「叔父上と来たか」
「頼景殿、静かに」
 射命丸が頼景とヒソヒソと言葉を交わす。確かに範頼は大姫の叔父ではある、その実感がお互いにあるのかはさておきとして。
 勿論鎌倉入りして以降、頻繁とは言えずとも、二人は幾度か会っている。優しげな面(おもて)の――実際に穏やかで優しい――範頼は子供に好かれるようで、大姫もすぐに懐いたのであった。
「二幡様、本日はどの様な御用で来たのですか?」
 範頼は平易な言葉で問う、未だに誰もそれを聞いていない。本当に双六遊びに来た訳では無かろうと、答えを待つ一同。
「旦那様が、こちらで面白い事があったと言ってくれたのです」
 旦那様、建前の上であっても彼女にそう言わせしめるのは義高ひとり。頼景が隊列に目を向けると、先頭の黒鹿毛の木曾駒の馬上に彼の姿があった。彼女にばかり目が行っていて、その存在に気づいていなかった。
「面白い事、ですか?」
「はい、海で魚を釣ったり、馬でうんと遠くに走ったり、相良様という方がよく遊んでくれたって」
 範頼以下の目が一斉に彼を向く、皆驚いていた。
 何故か太郎まで目を丸くしていたのには「お前だってそうであろうが」と、目で訴え返す頼景。
「はい、当家には相良四郎頼景という工藤氏の筋の者がおりますが。その相良四郎と清水冠者が、ですか?」
 範頼もようやく義高の存在に気付き、そちらを見やる。彼は下馬すると、轡(くつわ)を引いて前に出で、範頼に一礼する。
「木曾義仲の子、清水冠者義高です。頼景様には朝光様と同じく、従者共々大変よく親しんで頂いています」
「そ、それは何よりです」
 まったくの初耳と、戸惑いながらも範頼は返す。朝光の名まで出て来たのにも重ねて驚いていた。それぞれに親しそうなのにも。
「大姫様。拙者は遠江国勝田荘の荘司の勝田平三郎成長の弟、勝間田五郎次長と申します。それではこのたび大姫様は、許婚者(いいなずけ)の清水冠者の仰る“面白い方”を確かめにいらっしゃったのですかな?」
 普段の頑固爺ぶりを隠して、にこやかに語りかける次長。そんな顔も出来るのかと感心しつつも、“面白い方”との言い回しには頼景も憮然とし、
「はい」
 大姫の笑顔の返答には、それでよいのかと更に肩を落とす。
「あと、当麻様というとてもお強い方のお話も」
 お前もかと、皆今度は太郎に注目。ついでに頼景も。
 今度は太郎が「大半は貴方の語りではないか」と頼景に視線を返す。
 ようやく話が飲み込めた一同は、頼景と太郎におおよその事を任せて、とっとと引き下がってしまうのであった。

 頼景と太郎、それに範頼も同席して二人をもてなす。
 朝光は来てないのかと辺りを窺う頼景、供に来ると範頼が言っていたのに、その姿は無い。しかし他の従者が門で待機しているのを見て、来ていたとしても、夫婦水入らずなのであろうと納得した。
 義高は頼景に懐いているが、大姫は範頼や太郎の側に寄っている。己より、太郎や範頼の方が女児には親しみやすいのかと考える。
「やはり大姫様は俺の様な無骨の輩より、蒲殿や、当麻太郎の様な者がお好きなのですかな?」
「うーん……はい」
[たはは、坂東の女性は皆中々に手強い。しかし我らの元に居る社僧、一貫坊殿も中々の方ですぞ、学も武も。そうだ、大姫様は武芸など嗜まれませぬか?]
 殊、射命丸に関しては、僧も兵も女房の役も勤める。彼女を少し取り立ててくれればという、少しの下心を含めて頼景は彼女の事を話に交える。
「ね、二幡様、私の父の下にも巴(ともえ)様という強い女の人が居ます。二幡様がよければ、私が稽古にお付き合いします」
 義高が良い話題を得たという風に話しかけると、大姫は首を傾げて答える。
「あら、私は同じ稽古なら踊りの方がいいです。でも馬に乗るのは楽しそう」
「それならなおの事。巴様の他に、山吹(やまぶき)様という方も居るのですが、この方は父に習って馬に乗るのも上手くなりました。二幡様も今から乗り始めましょう」
「うん!」
 今度は満面の笑みで答える大姫。
 あんまり期待を大きくして、実際の大変さにがっかりはしないかと頼景は心配するが、彼女の母の政子も馬に長けていると聞いている。いずれは習うことになるのであろうと考えた。
「巴殿に山吹殿か、どちらも美女と聞きますな」
「はい、巴様は強くて優しくてお綺麗ですが、山吹様はあっちこっちを旅して色々と知っていて、そのうえ強くて優しいのです」
「なるほど、それは是非――」
「相良殿」
 範頼のたしなめる声、同時に太郎も彼の腰をつまんでつねる。子供相手なのに調子に乗ったと誤魔化し笑いをし、改めて話を続けた。
 彼が話すのに合わせて、太郎が話す必要がある事は範頼が語ったりもする。幼い夫婦は揃って目を輝かせてそれを聞くのだった。大姫相手でも男二人の勇ましい話が通じるのは、彼女が頼朝の娘であるからか、それとも二人の語りの巧みさ故か。
 話が終われば、太郎が年相応にじゃれつく大姫をほどよく相手にする。頼景ですら不安がったが、範頼は「大丈夫ですから」とそのままにしていたりもした。
 そこでも義高は常に気を使い、善き良人(おっと)ぶりを見せるのであった。
 傍目には飯事(ままごと)遊びにも見えるかも知れない。しかし大姫にも、今この時の義高は紛れもない“旦那様”なのであろうと、範頼達は仲むつまじい二人を見守った。
 その側で頼景は、範頼から失われた“彼女”はどうしているのであろうと、心のどこかから苦しい思いが沸き上がっても来た。
 そして、壁の向こうから彼らの様子を窺う射命丸もまた、彼と同じように思うのであった。

     * * *

 木曾義仲は、子義高を人質に出して表向きは鎌倉への恭順の意思を見せつつも、独自の戦略を取り続けた。
 そして寿永二年五月。彼は緒戦から破竹の勢いで勝ち戦を続け、ついに誰もが驚嘆すべき勝利を収める。世に言う倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いである。
 富士川の戦いで無残な撤退を喫した平維盛がその雪辱を果たさんと北陸より進めた四万もの大軍を、義仲は巧みな戦術と高い山岳戦の能力で次々と谷底へ落とし込み、十分の一ほどの寡兵で大勝したのであった。
 そしてここに木曾義仲の武名は響き渡り、彼はその勢いを活かし北陸道より上洛を開始する。鎌倉に先んじて平家を追討し、日の本の武を併呑せんがため。

 義仲は、鎌倉と訣別した志田義広や行家の他、今井兼平の本家である中原氏を始めとした信濃住人、また女傑巴御前、山吹御前なども動員し我武者羅に戦った。
 その武威を見た北陸の武士は次々と義仲の下へ参集し、軍は瞬く間に膨れ上がり、その兵力は五万を数えるまでになっていた。
 途上の越前国(えちぜんのくに)(※10)で都より逃れていた以仁王の王子、若干十七歳の北陸宮(ほくろくのみや)を奉り、元服させた。ここに義仲は以仁王の令旨にも勝る『錦の御旗』を手に入れ、いよいよ鎌倉への対抗の姿勢を整えるのである。
 北陸の掌握は同時にその方面に荘園を持つ北嶺(ほくれい)、即ち天台宗(てんだいしゆう)の本山比叡山(ひえいざん)を根元から牽制する事にも繋がった。その上で、南都から逃れていた僧大夫房覚明(たゆうぼうかくみよう)を右筆(ゆうひつ)(※11)にし、源行家より新宮(しんぐう)十郎行家と名乗り改めた彼をして延暦寺(えんりゃくじ)と交渉。
 結果として、平家ですら手を焼いた叡山(えいざん)(※12)を、京に踏み入る前から黙らせる事に成功したのだ。
 しかしこれらは、鎌倉にある義高の身を危険に曝し、彼を捨て駒にするかの如き進撃であった。

 対する平家は、平知盛や重衡ほかまだ多数の優れた将を有しており、本来であれば幼帝――安徳天皇(あんとくてんのう)を奉って西海全土に号して反撃すべき所、この時の惣領宗盛の判断により、一門揃ってあっさりと都を放棄して落ち延びたのであった。

 この時、平家は将兵だけでなく一門に属する公家や女人まで連れて、荒れ果てた福原を過ぎ、更に西へ向かったが、その中にゆやの姿が無い事を射命丸らはある方法で知る事になる。






十二./千里眼(同年)

 平家が幼帝と三種の神器を擁しつつ京から逃げ出し、義仲が先んじてそこに至らんとする頃、鎌倉はそれとは別の政治的な動きを画策していた。身の危険から叡山に逃れていた院との交渉である。
 農繁期のこの時期、鎌倉の地力であれば遠征も可能であるところあえて打って出ず、後の為に力を蓄え、代わりに政治的交渉に努めたのであった。
 その様な状態であるから、横見に戻った範頼らも農に鍛錬にといそしみ、収穫が済み次第訪れるであろう戦に備えていた。
 そんな頃の事であった。

「おい、蒲殿」
 横見の館で野良仕事を終えて戻った範頼を、こちらは野生馬の捕獲に出ていたはずの相良の兄弟が迎える。「おい」などと呼び掛けるのは当然、
「お帰りなさい、頼景殿」
 兄の方の頼景。
 ここ一月は遠方まで出張り、軍馬に敵した馬を捕って来ていた。これから訓練に入るため次の遠征では連れて行けないであろうが、近隣の比企などとも協力してこれに当たっていた。
「おう、ただいま戻った」
「兄者、御殿と奉るのだから礼は尽くさんと」
「これは失礼。蒲殿、相良四郎頼景、軍馬捕獲の任より帰還し、まかり越しまして候」
「……慇懃無礼という言葉がありましてね」
 人前ではともかく普段は今まで通りで構わない、範頼はそう考えながら言い、頼景には当然伝わる。
「なっ?」
「なっ、ではないぞ……」
 頼綱が呆れた風な目を向ける。
「いいですいいです。それで、首尾は如何でした?」
「上々も上々。坂東の馬のじゃじゃ馬ぶりには、女よりも難儀したがな」
「そ、それは結構な事です」
 そちらは遊女までに止めて欲しいと、彼があちこちに動く毎に少し心配になっている。ともかく役目が無事に終わったのは良かった。今後は馬を各所の牧場へ引いて行き、訓練させる事になる。
 しかし、彼が持ち帰って来たのは馬だけでなかった。
「そうだ蒲殿、ちょっと耳寄りな、と言うか何と言うか、色々あってな」
「はあ」
 要領を得ない、朗報なのはその顔を見れば分かるが。
「兄者、ここは端的に。蒲殿、一貫坊様や勝間田様は何処におわしましょう。実は太郎の事で少し」
 こちらも迂遠、どこが端的なのだと頼景の平手が弟の頭をはたく。
 太郎は彼らと共に、その脚を活かして馬の確保に行っていた。今その姿が無いのにようやく気付く。だが悪い話では無いらしいので、さほど気にはしない。
「太郎の事ですか。一貫坊様は入間様の所へ行ってますし、勝間田様も、何故かそちらへ」
「おいおい大丈夫か、あのご老体は」
 天狗に付いて行くなど常人なら無理、そして次長は一応常人、それも老人と言ってしまってよい。
「いや兄者、入間様が一緒に居るなら」
「ん? 戻って来ている、はずだな」
 どういう事なのか、範頼には分からない。頼景らも不思議そうな貌を浮かべている。
 そこへちょうど、話題の人物が現れる。
「おや、相良のご両人。先にお戻りとは思いませんでして、お待たせしました」
「ありゃ、入間殿、俺達より後だったのか?」
「ヲン!」
 門の陰からひょっこりと太郎も現れる。その頭には直垂にそぐわぬ、変型の玉かんざしを挿して。
「ちょっと、これを取りに行ってまして」
「ヲフ」
 笑顔の太郎。
 嬉しそうなのは良い。しかし、楓に近い色合いの鼈甲に、銀で出来た玉を僅かに一つ垂らした意匠のそれは、明らかに値が張りそうである。
「入間様。それは、絹で何疋(※13)ほどになりましょう?」
「ちょっと待った蒲殿、俺が。馬なら如何ほどか?」
 範頼は慌てて言い、頼景が更に続く。射命丸には怒られるかも知れなかったが、今は断らない。
「ああいえ、それでは押し売りになってしまいますし、これは贈り物ですよ。桜の化身の太郎殿の」
「え?」
 どういう事なのか、やはり頼景には分かりかねる。
 そんなこんなの太郎に続いて、今度は射命丸と次長が現れた。
「勝間田、五郎、ぜぇ。ただいま、戻りまして、はぁ、候……」
 早駆け、それも全力疾走。
 息も絶え絶えに次長が門の内に歩み入る。
「大丈夫ですか!? 勝間田様!」
「大丈夫、である、問題、無い……」
 明らかに大丈夫では無さそうに見える。
 すぐに駆け寄り彼を支える範頼。頼綱がそれを助け、射命丸が水を持って来る。
「桜坊様、人間にこの速度は無理ですと、そう言ったではないですか」
「しかし、勝間田殿が聞かないので」
「然り……」
 若者に負けじと体力錬成か、その心意気は範とすべきも限度がある。然りではない。範頼も流石に自重を勧告する。
「戦の前に倒れられても困ります、養生して下さい。ときに頼景殿、人はこうして揃ったのですが」
 チラッと次長を見る、やはり不安だ。
「いやー、勝間田様はお若いですね、私などとてもとても。土佐坊、戻りました」
「金王丸殿、手を抜いたな……」
「いやいや、手では無く脚ですが」
 常光も同道していた、こちらは汗はかきながらも涼しい顔。これぐらいがちょうど良いのにと、範頼は次長を見る。
「ときに入間様、今頼景殿が入間様より何か耳寄りなお話が云々と、そう言っておりましたが。太郎の事で何事かと」
 いつもの笑みがより明るく見える桜坊。範頼はここになって何かを期待してもいい話なのかと思い始めた。
「ええ、とても耳寄りなお話なのですが――土佐坊殿は天邪鬼やゆや殿の件、ご存知なのですか?」
 声を潜めて範頼に問う。
「いいえ。あ、入間様はゆやの件、ご存知で」
「ええ、こちらの成就も応援する所存です」
 常光にはいずれも話していない。話す必要は無いと考えていたし、源平の対決とは関係の無い事が参陣の動機と知れれば上から勘気(※14)を被る恐れもあったからだ。当初は。
 それも思い直す時期だと、彼と接して考えていた。
「ですが、それに係る話なら、近々しようと思っていたのです」
「では結構です」
 二人のヒソヒソ話を周囲は訝しむ。特に頼景。
「軍事以外の隠し事は勘弁願いたいな、蒲殿」
「すいません。実は土佐坊様にお話ししていなかった事を今お話しすべきであろうと、そんな事を」
「私への、ですか?」
 隠し事があるのなら別にそれは構わないと、こちらはおどけた風にする常光。しかし範頼達は、お目付役との名目はさておき、彼には大変世話になっている。隠し事はすまいと決めた。
「ああ、そういう事か」
 頼景が納得したのを見て、範頼は皆を館の中へ誘う。
「では、ひとまず中へどうぞ」
 前庭には一人も残らず、揃って館に上がる。

 いつも通り上座を決めずに車座になる。
 下男が白湯を持って来たのを切っ掛けに、桜坊が話を始める。
「まず、遠江から上って来た皆様には、土佐坊殿に隠していた事情がありまして」
「ほうほう」
「とはいえ、私のも秋葉山の三尺坊殿からの伝聞なのですが――」
 彼は話し始める。範頼達が如何なる理由で遠州より立ち、今ここに居るのかを。
 ゆやの事、宗盛の狼藉の事、天邪鬼の事。彼らの動機がどこにあるのか十分に分かるように伝え、最後に確認を入れる。
「認識の確認の意味も含めて私から話させて頂きましたが、事実に相違は無かったでしょうか?」
「ええ、全くもって、今仰った通りです」
 範頼達は揃って頷く。ただ頼綱は兄に小声で何か問答している、彼にも聞かされていない事があったのであろう。常光はいちいち頷き、話が終わると同時に腕組みをしていた。
「そんな理由があろうとは……いや、これは是非とも果たして頂きたい事であります。しかし、そのゆや殿は無事なので――」
 はたと言葉が止まる。
 範頼が一番恐れている事。彼の目つきが酷く不安そうな物に変わって初めて、常光は今の一言の迂闊さを悟った。
「ああいえ、何と言いましょうか、その……」
「喜べ蒲殿、無事だ。しかも平家の奴らが都落ちした今も、ゆやは、京に居る」
「ヲン!」
 頼景は口元に、太郎は顔全体に笑みを浮かべる。
「話とはこういう事です。もっと子細を話すと、太郎殿には、その様な能力が備わっている様です」
 まるで富士の頂から四海八州を見渡すが如く、彼方の事を視る事が出来る力なのだと桜坊が言う。範頼はふと、些細な体験を思い出した。
「そう言えば、野木宮の戦で私が道に迷った時、太郎は道を間違えているのに気付いていたのです。あの時は気にしていなかったのですが、地図も読めず道も知らないのに分かったのは、こういう事でしたか」
「そんな事もあったのお、あの時は散々であったが。遠江では目も白くなりかけていたというのに」
 頼景は太郎の頭をグシャグシャと強く掻き、終わると彼女はひと鳴き。心地良いのかせがんでいる様だ。
 射命丸が会った時は既に老犬であった太郎。人間が年老いて患うのと同じく――次長は手元がぼやける程度であると言うが――目を患い、白くはなりかけていた。ただ犬の知覚の主体は聴覚や嗅覚であるため、大立ち回りも出来たのであろうと考えられた。
「これは広目天(こうもくてん)の浄天眼に(じようてんがん)も通じる、新たな神通力とも言えるかも知れませんね。そう、千里眼とでも言いましょうか」
 なんとも大層な事だと範頼も感心する。今までよりも更に、彼女が頼もしく見えていた。
「そうですか、その様な力が。それでゆやの無事を見通す事が出来たのだね、太郎」
 しかし彼女の所在がそこであると分かるだけで、洛中の詳細は不明。これは天邪鬼の追跡が途切れたのと同じく、京その物の霊的障壁のためであろうと桜坊が言い添える。
 生きている、生きて京に居る、これが分かっただけでも、範頼達には十分であった。
 ひとまずゆやの事はここまでと、桜坊は目つきこそ崩さないが、神妙な面持ちになって言う。
「またこれは同時に、天邪鬼を探し出す為の物でもあったようです」
 太郎が何故遣わされたのかと考えれば当然の事。
 彼女を遣わした者からすれば、ゆやの探索はついででしかないのかも知れない。桜坊は逆転させて言ったが、あくまでもこちらが本題。
「奴は今、太宰府(だざいふ)に在ります」
「え?」
 太宰府。都落ちした平家が向かったとされる場所。
 やはり奴は宗盛に憑いていた、自分達の辿って来た道程は間違っていなかったのだ。
 範頼は太郎の見通した先に、己の戦いを思い浮かべていた。

     * * *

 義仲入洛により京からの平家征討は成り、院による臨時の除目が行われた。
 ここで功最も多しとされたのは、北陸道からここまで破竹の進撃を繰り返した義仲その人ではなく、鎌倉に在る頼朝であった。
 これには、源氏の棟梁はあくまでも頼朝であり、義仲の如きはその麾下の者であるという暗喩も含まれた。
 また義仲に次いでの勲功を認められたのは、特段の手勢も戦功も無く、しかし以仁王の宣旨を廻らせて源氏の蜂起を促したとされた行家であった。
 先立って頼朝は、義仲が押さえた北陸道から京近辺諸国の各荘及び公領園の国衙支配復帰、即ち朝廷に帰順させる事をちらつかせており、実はこれが、文字通り裏で功を奏していた。
 諸国の年貢進上が滞るのを恐れていた法皇と、上洛と平家討伐において――表立っては――後塵を拝する形となった頼朝との間で、利害が一致したのである。
 更に裏に比叡山等寺社の思惑が働いていたのも強い。
 義仲の叡山牽制がここに至って、間接的に彼に返って来たのである。
 ただし義仲が従五位下を叙位し、左馬頭(さまのかみ)と越後守(えちごのかみ)を兼ねて任ぜられ、行家も従五位下、備後守(びんごのかみ)に任じられたのに対し、頼朝には賞は与えられず名目上の勲功となったため、義仲も表立って抗議をすることが出来なかったのであった。

 また、義仲は入洛以降多くの問題を抱えた。主には治安の悪化である。
 義仲は早い内から、機能不全を起こしつつあった朝廷に代わり洛中の治安回復を命ぜられたが、よりにもよって任を受けた本人の軍が治安悪化を助長した。
 勝ち戦を続けた彼の元に、想定以上に多くの兵が集まり過ぎたのが原因の一つ、そしてこの時に起こっていた養和の飢饉がまた一つであった。
 義仲の軍は数万にも膨れ上がり、しかしこの内訳はてんでばらばらな烏合の衆、満足な統制も綱紀の保持もままならなかった。
 この時点で、美濃源氏や残存していた摂津源氏、また鎌倉を訪れた山本義経ら近江源氏や、頼朝の麾下として東海道防備をしていた安田義定までも、義仲に従うという体(てい)で入洛していたからだ。
 一つの建制の下での行動ではない事から、乱暴狼藉を抑える事は双方のいざこざにも発展しかねず、強攻策に出かねたのだ。
 兵達は食わねばならず、また実際に食いっぱぐれて賊に身をやつす者も多く、兵の散逸は徐々に進んだ。

 院も当初はある程度義仲を持ち上げていたが、これも不和が生じていく事になる。
 実は三種の神器を平家が持ち出した事も、院と義仲の遠因となっていた。これについては治安悪化に前後しての事である。
 平家に三種の神器、即ち神剣(草薙剣)、神璽(八尺瓊勾玉)、内侍所(ないしどころ)(八咫鏡)の返還を重ねて求めていた院であったが、それが無理だと分かると、――本来践祚(せんそ)に必要なこれらが無い状態で――高倉上皇の皇子、四之宮を立てて即位させたのだ。
 義仲の思惑では今まで己が推戴して来た北陸宮を据えるべき所だったので、当然異議を唱えた。皇子が居るのに、皇統から外れた王の子を即位させるなどまず認められる訳が無いのに、である。

 東国と訣別し、京でも徐々に立場を悪くしてゆく義仲。朝日が昇るが如き勢いは、既に鈍り始めていた。

第8話注釈―――――――――――――――――――――――――――――――――

※1 柿渋色:深みのある茶色。染料は熟れる前の渋柿を圧搾して作られ、比較的安価。当時から汁液には様々な用途があり、改良した物が今でも用いられる。
※2 干物:作中の時代では、食卓に上がる魚は保存の関係から干物が主、平安時代には庶民にも普及した。醤油などが無いため、実際の当時の物は遙かに簡素
※3 腹に虫が湧く:淡水魚は海水魚に比べ、寄生虫症の罹患リスクがやや高い。ただしいずれも致命的な症状があるのは同じ。実はハゼの生食にもリスクがある。
※4 えーかん:静岡(主に中西部)の方言。いくつか意味を持ち、ここでは“いっぱい”の意。作中では他に、期間としての“長い”の意味でも使っている。
※5 醤:麹と食塩を穀物や魚、肉等と共に発酵させた物の総称。劇中の物は大豆の醤、味噌の原型。当時は個体(ペースト状)で、絞った物が後世醤油になった。
※6 結城郡:下総国(現在の茨城県)に属する郡。現在の八千代町周辺で、栃木県(下野国)の小山市に隣する。
※7 御台:御台所の略、(貴人の)妻の意。御台は今で言う『お膳』で、台所はその調理室という意味から発する。御台盤所(みだいばんどころ)とも言う。
※8 双六:平安時代に盛んだった遊戯。賽を転がすが盤上の駒を進める物ではなく、現在のバックギャモンに近い。正しくは雙六と表記
※9 右筆:武家の秘書的役目を担う文官、代筆。文書処理や様式に慣れない武士に代わり、公文書の作成等を行ったのが当初の意義。祐筆とも書く。
※10 叡山:比叡山の略称
※11 福原:福原京。清盛が宋との交易を企図して造営を進めた。現在の神戸市中央区周辺。四神相応に適わず平地の地積も狭く、本来は都たり得ない京だった。
※12 三種の神器:内訳は本編文末を参照。我が国にとって極めて重要な、主にレガリアとしての性質を持つ。実際に儀式に用いられるのは、正式な複製品(形代)
※13 広目天:仏教における天部の一尊。浄天眼(千里眼)は、サンスクリット語での意味から生じている。
※14 除目:京官諸官を任命する事、任官者を列記した帳簿を指す場合もある。春と秋の年に2回定期的に執り行われ、それ以外の臨時の儀式は小除目と言う。
※15 備後守:備後国(びんごのくに、現在の広島県東側)の国司
※16 養和の飢饉:1180年の旱魃が原因で翌年(養和元年)から西日本で発生した飢饉。源平の戦も相まって大量の餓死者を出し、社会は混乱した。
※17 四之宮:後の後鳥羽天皇。治承4年~延応元年(西暦1180年~1239年)。第82代天皇、在位寿永2年~建久9年(1183~1198)

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