―22―
「アーリースーちゃーん! お母さんよー! 出ておいでなさーい! お母さんもみんなも怒ってないからー! 帰ってきたなら顔ぐらい見せてちょうだーい!」
聖輦船の甲板上をぐるりと見回し、赤いローブの少女は心配そうにそう声を張り上げる。
「あー、もしもし、アリスさんのお母様? 申し訳ありませんが、アリスさんはここには来てませんわ」
蓮子がそう呼びかけると、「え?」とローブの少女はぐるりとこちらを振り向いた。
「……アリスちゃんが帰ってきたんじゃないの?」
「だから〜、お母様〜、アリスちゃんじゃなくアリスちゃんのお友達ですよ〜」
追いかけてきたルイズさんが、ローブの少女にそう声を掛ける。付き従うメイドさんが呆れたように肩を竦め、ローブの少女は「そんなあ」と泣きそうな顔でメイドさんを振り向く。
「夢子ちゃあん……わたし何かアリスちゃんに悪いことしたかしら?」
「落ち着いてください、お母様」
「だってだって! やっとアリスちゃんが帰ってきたと思ったのに!」
「だからお母様〜。お友達さんがアリスちゃんからの言伝を預かってるんですって〜」
「なんですって!? もうルイズちゃん、どうしてそれを先に言わないの!?」
「言いましたよ〜」
「ルイズはちゃんと言っていました。お母様が聞いてなかっただけです」
「だってだって、アリスちゃんが帰ってきたんだと思ったんだもん!」
頭上で繰り広げられる魔界ホームドラマを、私たちはぽかんと見上げていた。――話の流れからして、あの赤いローブの少女が魔界の管理者である神綺様らしいが、夢子さんと呼ばれたメイドさんの胸をぽかぽかとだだっこのように叩く姿は、紅魔館のレミリア嬢とはまた別の意味で威厳も何もあったものではない。
そんな私たちの空気を見て取ったか、「かーさま、みんな呆れてるよー?」とユキちゃんが声をかけ、マイちゃんも「……呆れてるね」と頷く。神綺様は我に返ったように夢子さんの胸元から顔を上げ、思いきりわざとらしい咳払いをして私たちに向き直った。
「ごほん。よ、ようこそ魔界、私の世界へ。――ええと?」
「法界の白蓮さんのお知り合いだそうですよ〜」ルイズさんが耳打ち。
「え、白蓮さんの? あらあらあら」神綺様は頬に手をあてて驚いた顔をする。
威厳を取り戻そうとしたようだが、全くできていない。神綺様は再び咳払いをして、それから再び甲板上の私たちを見下ろし、「あっ」と声をあげた。
「誰かと思ったらまた貴方たちなの? 魔界の民間ツアーはもう廃止になったでしょう?」
神綺様は霊夢さんと魔理沙さんの方を見やって言う。
「あー、今回の私らはこいつらのオマケだぜ」
「不本意ながらね」
ふたりが肩を竦めながら、ムラサさんたちを指さして答えた。神綺様はそちらを振り向く。
「じゃあ、貴方たちが白蓮さんのお知り合い?」
「はい! 我らは聖白蓮の弟子。こちらに封印された聖を復活させるためやって来ました」
星さんが命蓮寺組を代表してそう名乗ると、神綺様はぱっと表情を華やがせて「まあ!」と手を合わせた。
「じゃあ貴方たちが、白蓮さんの言っていたお弟子さんたちなのね! 彼女が法界に封印されて千年にもなるっていうのに……白蓮さん、きっと喜ぶわ。ねえ夢子ちゃん、良かったわねえ」
「お母様、泣かないでください」
「だってえ、いい話じゃない……千年経っても彼女を慕う弟子がこうして迎えにくるなんて、本当に良かったわあ……」
夢子さんの差し出した手巾で、神綺様は目元を拭い、ちーんと鼻をかむ。
「解りました。じゃあ、貴方たちを法界まで案内すればいいのね? 法界はけっこう強固な結界が張られてて、立場上私が解くわけにはいかないんだけど、それは大丈夫?」
「ええ、聖はその力の大半をこの宝塔に封じられました。聖がこの力を取り戻せばきっと」
星さんは宝塔を掲げてそう言う。というか、そんな大事なものを香霖堂に流出させてしまっていたのか。それはナズーリンさんが秘密にしたがったのも無理はない。
「解ったわ。じゃあそれはいいとして……アリスちゃんのお友達は?」
「魔理沙ちゃーん」と蓮子。
「人違いだぜ」と魔理沙さんは視線を逸らす。
「……こっちです」蓮子がふざけているので、私が代わりに手を挙げた。神綺様は途端に真剣な顔になってこちらに舞い降りてくると、すごい勢いで私に詰め寄ってくる。
「アリスちゃんは元気にしているの!? というかアリスちゃんを返して!」
「え、あ、いや、そう言われても……」
「あー、神綺様、もしもし。アリスさんからの言伝は私から」
気圧される私を見かねてか、蓮子が横から口を挟む。神綺様はすごい勢いで振り向いた。
「えー、『元気にしてるから心配しないで』とのことでした」
「……それだけ? いつ帰るとかそんな話は?」
「してませんでしたねえ。というか、私は帰省を勧めたんですが乗り気でないようで……」
がーん、という効果音が聞こえそうな表情をして、神綺様はよろよろとよろめいた。夢子さんがその肩を支えると、神綺様は「夢子ちゃああああああん」とその胸に泣きつく。
「私やっぱりアリスちゃんに嫌われたんだわあああああ」
「どうどう、お母様。アリスも思うところがあるのでしょう」
「書き置きひとつ残して家出して帰りたくない理由なんて、私が嫌われた以外に何かあるの!?」
「書き置きには魔法の修行に出るってちゃんと書いてあったじゃないですか。立派な魔法使いになるまで帰らないというアリスの決意を汲んであげてください」
「でもでも、アリスちゃんは私の娘よ! 娘を庇護するのは母親の役目よ!」
「娘の独り立ちを見守るのも母親の役目と愚考します」
「独り立ちなんかしなくていいのに……ずっと私のかわいいアリスちゃんでいてくれていいのに……夢子ちゃんは私の夢子ちゃんでいてくれるわよね?」
「……ええまあ、お母様を放ってはおけませんから」
「ああん夢子ちゃああああん」
どっちが母親だかわかったものではない。アリスさんが家出したというのも、ひょっとして母親の過干渉が原因だったのだろうかと勘ぐりたくなってくる。神綺様の背後では、ルイズさんユキちゃんマイちゃんの三人が呆れ顔で母親を見守っていた。
「あ、神綺様。アリスさん、一応そのうち帰省するかも、的なことは仰ってましたよ。それに、話を聞いてた限りでは、別にお母様を嫌ってるという様子もなかったかと……」
「ホント!?」
蓮子がフォローを入れると、神綺様はまたものすごい勢いで詰め寄ってくる。
「え、ええまあ、私の感じた限りですが」
「ホントなのね? アリスちゃんは私を嫌いになったわけじゃないのね? 魔界の外で元気に暮らしてるのね? 悪い虫とかついてないわよね!?」
「魔理沙ちゃーん、呼ばれてるわよー」
「おいこらちょっと待て蓮子、どういう意味だよそりゃ」
「ちょっとそこの人間! アリスちゃんに何をしたの!?」
「何もしてないぜ!」
「えー、仲良く異変解決とかしてたじゃない。永遠亭のときとか地底のときとか。そういえば早苗ちゃんが貸したドラクエ3、アリスさんと一緒にクリアしたの?」
「あれはどっちもアリスの奴に無理矢理連れ出されたんだよ! あと例のゲームは動かなくなったからこいつに返したぜ!」
「充電切れそうになったら言ってくださいって言ったのに……」早苗さんがぼやく。
「アリスちゃんになーにーをーしーたーのー!?」
「だから何もしてないってーの!」
がくんがくんと神綺様に揺さぶられる魔理沙さんの悲鳴が、魔界の空に響き渡った。
―23―
そんなホームコメディを経て、ルイズさんユキちゃんマイちゃんと別れ、聖輦船は法界へと舵を切った。宝塔の光が指し示す方角へ、船はゆったりと魔界の空を進む。案内役として神綺様と夢子さんが同行し、ますます聖輦船は大所帯である。大きい船で助かったと言うべきか。
「白蓮さんはとても物静かな方で、私が様子を見に行くと、いつも結跏趺坐して瞑想していらっしゃったわ。『退屈ではないの?』と私が問うと、『私は罪を贖うためにここにいるのです』と言って、決して自分から法界を出たいとは言わなかったわね」
道中、神綺様が語る魔界での聖白蓮の様子を、命蓮寺の面々は神妙な顔で聞いている。
「そんな、聖は何も悪いことしてないのに……」と不満げな顔のムラサさん。
「姐さんは自分自身を責めているのかしら」と腕を組む一輪さん。
「何に対してだい?」と眉を寄せるナズーリンさん。「聖がキャプテンや一輪を救ったのは、人妖平等という聖の大義のためだろう。それが人間側から見て罪だったとして、もし聖がそれを後悔しているのだとしたら、キャプテンたちはどうするのさ」
「そんなわけないじゃん!」ムラサさんが声を荒げる。
「そうですよナズーリン。聖は信念を持って妖怪の救済を行っていました。人間側から見れば糾弾されることだということも解っていたから、ムラサや一輪に人間のふりをさせていたわけではないですか。それが罰されたからといって、聖がそれを後悔するなど……」
星さんが咎めるように言い、ナズーリンさんは「そうだね」と視線を逸らす。彼女は聖白蓮の直接の弟子ではないと言っていたから、ムラサさんたちとは多少の温度差があるのかもしれない。一輪さんが「まあまあ」と間をとりなす。
「神綺様。姐さんは何の罪を贖おうとしていたのでしょう」
「さあ、私もそこまでは……。夢子ちゃんは何か聞いてる?」
「いえ、そもそも私はほとんど面識がありませんから」
「そうだった? でも、塞ぎ込んでいるというわけでもなかったのよ。夢子ちゃんお手製のお菓子を持って行って、一緒にお茶したこともあるし。そのときは貴方たちお弟子さんたちのことを、懐かしそうに語っていたわ。『みんないい子だったのに、あの子たちには申し訳ないことをしました。無事でいてくれることを祈っています』って言ってたわね」
「聖……!」星さんが涙ぐむ。
「だから泣くな星ちゃん! 聖が復活してから思い切り泣くのよ!」そういうムラサさんもちょっと涙目で、一輪さんがぽんぽんとふたりの肩を叩く。そりゃまあ、千年の悲願がもうすぐ叶おうというのだから、妖怪といえど涙もろくもなろう。
「そろそろ法界ですね」と夢子さんが船首から船の進路を眺めて言う。縁から眼下を見下ろすと、街並みはとうに途切れ、荒涼とした暗い大地が広がっている。魔界中心の禍々しい空気は既になく、凛と澄んだような静謐な気配が満ちていた。
何の光なのか、地平線のオレンジ色の輝きが、世界を黄昏色に染め上げている。その黄昏の中を、宝塔の光が真っ直ぐに結ぶ。聖白蓮が封印された場所へ。
「このへん、何もないですねー。さっきまでの禍々しさが嘘みたい」と早苗さん。「このあたりは魔界の辺境ですから」と夢子さんが答える。
「神綺様、この法界も神綺様が作ったんですか?」と蓮子。
「そうよ。この魔界は全部私が作ったのよ」とドヤ顔で胸を張る神綺様。
「無限に膨張するように作ったので隅の方まではお母様も把握できてませんけどね」夢子さんがさらっと言い添え、「夢子ちゃーん!」と神綺様がむくれる。子供か。
こほんとまたひとつ咳払いして、神綺様は宝塔の光が指し示す方角を振り向く。
「ここを法界と名付けたのは、白蓮さんなの」
「そうなのですか?」と目を丸くするのは星さん。
「ええ。なんて言っていたかしら……そうそう、『いつか私の罪が贖われたとき、私は御仏の弟子として、今度こそ万物が平等な世界を創りたいと思います。仏の教えを広め、皆が悟りを開いたとき、この世は差別も迫害もない法の世界となるのです。そのためにも、まずは私がこの地で悟りを開き、ここを法界としたいと思います』……だったかしら」
「なるほど、だから法界なのですね」星さんが納得したように頷く。
「ん、星ちゃん、どういうこと?」首を傾げるムラサさんに、星さんが「ムラサ、地底に封印されている間に仏の教えを忘れてしまったのですか」と呆れ気味に眉を寄せる。
「法界とは十八界の一、我々が《意識するもの》の世界。それ即ち真理であり万物の根源にして実相。真理において万物は平等で無差別ですから、法界とはまさに聖の理想とする、人も妖も、あらゆる生命が平等たりうる世界の名前なのです」
「おー、なるほど、完全に理解したわ」わかってなさそうな顔でムラサさんが頷く。
仏教思想に詳しいわけではないが、察するに真理はただ真理としてそこにあり、我々はそれを意識するものである、ということだろう。たぶん。
「平等ねえ。妖怪の親玉が怪しいもんだわ」霊夢さんが口を尖らせて言う。
「妖怪の味方をして封印されたんだろ? 平等じゃないぜ」魔理沙さんも頷く。
「違います! 姐さんは妖怪こそ迫害される者だと気付いたんです!」一輪さんが吼える。
「それって被害妄想だったりしません?」とナチュラルに無礼な早苗さん。
「まあ、万人が納得する平等や公正は、煩悩にまみれた世界には存在しないわねえ」と蓮子。
だいたいにして、人間の求める平等とは己の扱いに対する納得のことであり、納得できないことを即ち不平等と呼ぶ。故にあらゆる平等は同時に不平等であり、不平等を訴える側とそう感じない側の認識の差は埋まらない。人間が主観的生物であるが故に主観と客観は果てしなく混同され、それぞれが勝手な正しさを振り回すのが世の常である。
「だからこそ聖は仏の教えを広めんとしているのです」と星さんが言う。「皆が悟りを開き、煩悩から解放されれば、真に平等で公正な社会が誕生するでしょう」
「なんだか人類はさっさとオーバーマインドに進化すべき、みたいな思想に聞こえるんですけど。聖白蓮ってオーバーロードですか?」と早苗さん。
「早苗ちゃん、さっきも思ったけど二十一世紀の女子がクラークはちょっと古くない? 早苗ちゃんの世代的には、そういうのだったら伊藤計劃の『ハーモニー』あたりじゃないのかしら」
肩を竦める蓮子に、早苗さんは「伊藤計劃って誰ですか?」ときょとんと首を傾げる。「そっか、伊藤計劃のデビューって早苗ちゃんがこっちに来るのと入れ替わりぐらいだっけ」と蓮子が私を振り返るが、私はSF史は詳しくないので肩を竦めるしかない。
「ともかく、聖が何に対して罪の意識を感じているのかはけっこう重大な問題じゃないのかい。聖の封印を解く前に、少し考えておいた方がいいと思うね」
ナズーリンさんが、星さんの手にした宝塔を見やりながら言う。
「どういう意味ですか、ナズーリン」
「千年前のあのとき、閻魔の裁定を受けて聖はここに封印されたわけじゃないか。聖が千年にわたってこの封印を受け入れ、罪を贖うと言っている以上、聖は閻魔の裁定を正当だと受け入れ、何か自分に罪があったと考えているわけだろう? 果たして今私たちが聖を復活させに行ったとして、聖がまだその罪を贖い終えていないと考えていたら?」
その言葉に、命蓮寺組の面々は顔を見合わせる。
「だったら私も聖と一緒にここで封印される!」「私も!」ムラサさんと一輪さんが揃って声をあげる。「ああ、それが一番面倒くさくなくていいわね」と霊夢さんが横から口を挟んで、ムラサさんに睨まれた。
「まあ、キャプテンたちがそうするのは勝手だけどね。それともうひとつ――千年前に聖を裁いた閻魔のことだ。聖の復活を、閻魔は許すだろうかね。最悪、聖を復活させて幻想郷に戻ろうとしたところで、またあの閻魔と対決することになるかもしれないじゃないか。その対策は考えておくべきだと思うが」
確かに現状は、刑務所の囚人が自主的に出所しようとしているようなもので、それ即ち法治国家においては脱獄という。この話は再乗船する前、蓮子が懸念して私たちが調べていた可能性だったわけだが、私たちも結論を出せないままでいたので、命蓮寺組にアドバイスできる立場にはなかった。
「神綺様。姐さんの封印に期限などの指定はなかったのですか?」一輪さんが問う。
「さあ、覚えがないわ。普通は千年も封印されてれば大抵のことは時効だと思うけど。ねえ夢子ちゃん」
「私はそれを判断する立場にありません」
「もー、夢子ちゃんのいけず」神綺様は頬を膨らませる。
「あーもう、そんなのごちゃごちゃ考えたって仕方ないじゃん!」と叫んだのはムラサさんだ。
「閻魔様が何と言おうと、私たちは聖を復活させるためにここに来たの! 聖が何を考えてるのかは、聖が復活してから聞けばいいじゃん! 聖がまだここにいたいって言うならそれを尊重するし、聖が外に出たいって言うならそれを尊重する! 私たちは聖は間違ってないと思うし、聖が千年も封印されてたのは不当だと思ってる。だから聖をもっかい封印しようって奴とは、相手が博麗の巫女だろうと閻魔だろうと断固戦う! それでいいじゃない!」
「そうね、私もムラサの言う通りだと思う」
「同感です。まず尊重するべきは聖の意志でしょう。私たちは聖の意志を遂行するだけです」
一輪さんと星さんが頷く。ナズーリンさんは「……まあ、ご主人様たちがそれでいいなら、私もそれに従うけどね」と目を伏せて頷いた。
「忠誠は思考停止の免罪符じゃないとだけは、言っておくよ。さっき、そこの博麗の巫女に負けたばっかりなんだから、なおさらだ」
「そんなの、聖が復活すれば負けるわけないじゃん!」
「あ? いい度胸じゃない、今すぐ完全に退治して封印してやってもいいのよ?」
「おー、やれやれ」
ムラサさんの言葉に霊夢さんが剣呑な視線を向け、魔理沙さんが勝手にはやし立てる。すまじきものは呉越同舟。火花が散る様を、はらはらしながら見守っていると――。
「待ってください! ――宝塔が!」
星さんが声をあげ、甲板上の全員の視線がその手の宝塔に集まった。一直線に法界を指していた宝塔の光が一瞬消え、次の瞬間強く溢れ出す。そして、それに共鳴するように――。
「あっ、UFOが!」
早苗さんが声をあげた。船の中に集められていた飛倉の破片が、宝塔の光に引き寄せられるように集まってきた。宝塔は星さんの手を離れ、UFOとともにふわりと宙に浮き上がる。それとともに、私たちの立つ聖輦船の甲板が揺れた。
「わわわっ」
私たちはよろめいて、船のへりにしがみつく。宙を舞う無数のUFOと、その中心で強い輝きを放つ宝塔――。それを見上げた私は、大きく目を見開いた。
宝塔の光に照らされるように、世界を閉ざした巨大な結界が、私の視界に姿を現した――。
―24―
世界を覆うような、半球状の結界が、私たちの眼前に浮かび上がっている。
「これが、聖を封印する結界――」
その結界は私だけでなく、命蓮寺の面々にも見えているようで、星さんが呆然と結界を見上げて声をあげる。宝塔の光を浴びて、結界がそれを反射するように光り輝く。「まるで東京ジュピターですね! 聖白蓮って青い血のムーリアンなんでしょうか」と早苗さんがまた意味のわからないことを言っているが、突っ込んでいる場合ではない。
「千年前に、白蓮さんを封印しに来た巫女が張った結界よ」
神綺様が言う。つまり、千年前の博麗の巫女の作った結界ということか。
「なに、つまり私が破れってこと?」
霊夢さんが眉を寄せるが、早苗さんが「どうですかね」と声をあげた。
「これ、霊夢さんや神奈子様が使うような霊力の結界じゃないと思いますけど」
「あー、確かにな。こりゃ魔力結界だ」
魔理沙さんが星屑を飛ばす。星屑は結界に弾かれて消滅する。
「どういうことよ?」
「霊夢の使う結界系の技みたいに、魔法にも結界魔法があるんだよ。私はあんまり得意な魔法じゃないが、パチュリーあたりなら詳しいんじゃないか」
「ん? ここに封印されてる奴、僧侶で魔法使いって言ってたわよね。てことは」
「そいつの力を使って張った結界ってことだな」
「なんだ、じゃあ結局、あいつらの親玉って自分で引きこもってるんじゃない」
呆れ顔で言った霊夢さんに、「違います!」と星さんが顔をしかめる。
「聖はその力を様々な法具に宿らせていました。あの宝塔も、この聖輦船もそうです。ですからこの結界も、聖の法具の力を博麗の巫女が勝手に利用したものでしょう」
「うん? 妙な話になってきたな」魔理沙さんが首を傾げる。
「魔理沙ちゃん、何か不審でもあるの?」蓮子の問いに、魔理沙さんは肩を竦めた。
「いや、自分の魔力を宿した物体を操作するのは魔法使いなら誰でもやることだぜ。私の箒とか、アリスの人形とかな。ただ――」
「アリスちゃんの人形って!?」
「お母様、話を脱線させないでください」夢子さんが神綺様を羽交い締めにする。
「ただ?」蓮子が話を繋ぐと、魔理沙さんは足元の聖輦船の甲板を見下ろす。
「たとえばだ。私の魔力を宿した箒を蓮子、お前に渡したとしても、お前がそれで好き勝手に空を飛べるわけじゃない。それは解るだろ?」
「まあ、それはそうね。私は魔法使いじゃないし」
「魔法使い同士でも同じだぜ。私がアリスの魔力を宿した人形を使って魔法を使うとしても、そのとき使うのは私の魔力であって、アリスの魔力じゃない。霊夢が私の八卦炉を使って戦ったとしても、それは私の魔力じゃなく霊夢の霊力によるものだ。だから、その聖白蓮ってのがいくら自分の魔力を宿した法具を残していたところで、その魔力自体を使えるのは聖白蓮だけのはずだぜ。これが博麗の巫女の張った結界だってんなら、昔の博麗の巫女は魔法使いだったってことになっちまう」
「じゃあやっぱり、聖白蓮が自分で張った結界なんじゃ?」早苗さんが首を傾げる。
「そんなはずは――」星さんがムラサさんや一輪さんと顔を見合わせる。
「……ん? ちょっと待って魔理沙ちゃん」と眉を寄せたのは蓮子だ。
「その理屈だと、この聖輦船は聖白蓮の力で動いているんじゃなくて、キャプテンの力で動かしてるってことにならない?」
「あ? 違うのか?」魔理沙さんがムラサさんを振り返る。
「違うよ! この聖輦船が動いているのは聖の力――」
「でも、魔理沙ちゃんの今の話だと、この船に聖白蓮の力が宿っているとしても、その力で船を動かせるのは聖白蓮本人だけなんじゃないの?」
蓮子のその疑問に、ムラサさんは「そんな、わけ――」と言葉に詰まる。
だが、その疑問の追及は、そこで中断することになった。
なぜなら、次の瞬間、私たちの頭上で、宝塔とUFOが眩いばかりの輝きを放ったからだ。
突然の強烈な発光に、皆が咄嗟に目元を庇う。
法界全てを覆い尽くすような、その真っ白な光の中で。
ぴしり、と私の目に映る結界に、大きな亀裂が走った。
その亀裂は瞬く間に結界全体に広がっていき――そして、砕ける。
きらきらと輝きながら、結界の破片が魔力の断片となって空気中に消えていく。
法界全体を遮るように張られていた巨大な結界は、もはや跡形もなく消え失せていた。
皆が息を呑んで、結界の消えた先を見つめる。
その頭上から、光の消えた宝塔がゆっくりと星さんの元に舞い降りてきて――。
「ああ、法の世界に光が満ちる――」
黄昏色の中から、ゆったりと浮かび上がってくる人影が、ひとつ。
法界の火を背に受けて、その人物は聖輦船の前に現れると、ゆっくりとその瞼を開けた。
紫から金色へとグラデーションしていく、夕暮れの空のような不思議な色の長い髪。胸元と腕に束縛の証のような紋様をつけた黒いドレスを身に纏い、その手に七色に輝く不思議な巻物を広げて――その女性は、ゆっくりと瞼を開ける。
「貴方たちが、この世界を解放してくれたのですか?」
深い慈愛の笑みを浮かべて、聖白蓮は、そう声を発した。
「アーリースーちゃーん! お母さんよー! 出ておいでなさーい! お母さんもみんなも怒ってないからー! 帰ってきたなら顔ぐらい見せてちょうだーい!」
聖輦船の甲板上をぐるりと見回し、赤いローブの少女は心配そうにそう声を張り上げる。
「あー、もしもし、アリスさんのお母様? 申し訳ありませんが、アリスさんはここには来てませんわ」
蓮子がそう呼びかけると、「え?」とローブの少女はぐるりとこちらを振り向いた。
「……アリスちゃんが帰ってきたんじゃないの?」
「だから〜、お母様〜、アリスちゃんじゃなくアリスちゃんのお友達ですよ〜」
追いかけてきたルイズさんが、ローブの少女にそう声を掛ける。付き従うメイドさんが呆れたように肩を竦め、ローブの少女は「そんなあ」と泣きそうな顔でメイドさんを振り向く。
「夢子ちゃあん……わたし何かアリスちゃんに悪いことしたかしら?」
「落ち着いてください、お母様」
「だってだって! やっとアリスちゃんが帰ってきたと思ったのに!」
「だからお母様〜。お友達さんがアリスちゃんからの言伝を預かってるんですって〜」
「なんですって!? もうルイズちゃん、どうしてそれを先に言わないの!?」
「言いましたよ〜」
「ルイズはちゃんと言っていました。お母様が聞いてなかっただけです」
「だってだって、アリスちゃんが帰ってきたんだと思ったんだもん!」
頭上で繰り広げられる魔界ホームドラマを、私たちはぽかんと見上げていた。――話の流れからして、あの赤いローブの少女が魔界の管理者である神綺様らしいが、夢子さんと呼ばれたメイドさんの胸をぽかぽかとだだっこのように叩く姿は、紅魔館のレミリア嬢とはまた別の意味で威厳も何もあったものではない。
そんな私たちの空気を見て取ったか、「かーさま、みんな呆れてるよー?」とユキちゃんが声をかけ、マイちゃんも「……呆れてるね」と頷く。神綺様は我に返ったように夢子さんの胸元から顔を上げ、思いきりわざとらしい咳払いをして私たちに向き直った。
「ごほん。よ、ようこそ魔界、私の世界へ。――ええと?」
「法界の白蓮さんのお知り合いだそうですよ〜」ルイズさんが耳打ち。
「え、白蓮さんの? あらあらあら」神綺様は頬に手をあてて驚いた顔をする。
威厳を取り戻そうとしたようだが、全くできていない。神綺様は再び咳払いをして、それから再び甲板上の私たちを見下ろし、「あっ」と声をあげた。
「誰かと思ったらまた貴方たちなの? 魔界の民間ツアーはもう廃止になったでしょう?」
神綺様は霊夢さんと魔理沙さんの方を見やって言う。
「あー、今回の私らはこいつらのオマケだぜ」
「不本意ながらね」
ふたりが肩を竦めながら、ムラサさんたちを指さして答えた。神綺様はそちらを振り向く。
「じゃあ、貴方たちが白蓮さんのお知り合い?」
「はい! 我らは聖白蓮の弟子。こちらに封印された聖を復活させるためやって来ました」
星さんが命蓮寺組を代表してそう名乗ると、神綺様はぱっと表情を華やがせて「まあ!」と手を合わせた。
「じゃあ貴方たちが、白蓮さんの言っていたお弟子さんたちなのね! 彼女が法界に封印されて千年にもなるっていうのに……白蓮さん、きっと喜ぶわ。ねえ夢子ちゃん、良かったわねえ」
「お母様、泣かないでください」
「だってえ、いい話じゃない……千年経っても彼女を慕う弟子がこうして迎えにくるなんて、本当に良かったわあ……」
夢子さんの差し出した手巾で、神綺様は目元を拭い、ちーんと鼻をかむ。
「解りました。じゃあ、貴方たちを法界まで案内すればいいのね? 法界はけっこう強固な結界が張られてて、立場上私が解くわけにはいかないんだけど、それは大丈夫?」
「ええ、聖はその力の大半をこの宝塔に封じられました。聖がこの力を取り戻せばきっと」
星さんは宝塔を掲げてそう言う。というか、そんな大事なものを香霖堂に流出させてしまっていたのか。それはナズーリンさんが秘密にしたがったのも無理はない。
「解ったわ。じゃあそれはいいとして……アリスちゃんのお友達は?」
「魔理沙ちゃーん」と蓮子。
「人違いだぜ」と魔理沙さんは視線を逸らす。
「……こっちです」蓮子がふざけているので、私が代わりに手を挙げた。神綺様は途端に真剣な顔になってこちらに舞い降りてくると、すごい勢いで私に詰め寄ってくる。
「アリスちゃんは元気にしているの!? というかアリスちゃんを返して!」
「え、あ、いや、そう言われても……」
「あー、神綺様、もしもし。アリスさんからの言伝は私から」
気圧される私を見かねてか、蓮子が横から口を挟む。神綺様はすごい勢いで振り向いた。
「えー、『元気にしてるから心配しないで』とのことでした」
「……それだけ? いつ帰るとかそんな話は?」
「してませんでしたねえ。というか、私は帰省を勧めたんですが乗り気でないようで……」
がーん、という効果音が聞こえそうな表情をして、神綺様はよろよろとよろめいた。夢子さんがその肩を支えると、神綺様は「夢子ちゃああああああん」とその胸に泣きつく。
「私やっぱりアリスちゃんに嫌われたんだわあああああ」
「どうどう、お母様。アリスも思うところがあるのでしょう」
「書き置きひとつ残して家出して帰りたくない理由なんて、私が嫌われた以外に何かあるの!?」
「書き置きには魔法の修行に出るってちゃんと書いてあったじゃないですか。立派な魔法使いになるまで帰らないというアリスの決意を汲んであげてください」
「でもでも、アリスちゃんは私の娘よ! 娘を庇護するのは母親の役目よ!」
「娘の独り立ちを見守るのも母親の役目と愚考します」
「独り立ちなんかしなくていいのに……ずっと私のかわいいアリスちゃんでいてくれていいのに……夢子ちゃんは私の夢子ちゃんでいてくれるわよね?」
「……ええまあ、お母様を放ってはおけませんから」
「ああん夢子ちゃああああん」
どっちが母親だかわかったものではない。アリスさんが家出したというのも、ひょっとして母親の過干渉が原因だったのだろうかと勘ぐりたくなってくる。神綺様の背後では、ルイズさんユキちゃんマイちゃんの三人が呆れ顔で母親を見守っていた。
「あ、神綺様。アリスさん、一応そのうち帰省するかも、的なことは仰ってましたよ。それに、話を聞いてた限りでは、別にお母様を嫌ってるという様子もなかったかと……」
「ホント!?」
蓮子がフォローを入れると、神綺様はまたものすごい勢いで詰め寄ってくる。
「え、ええまあ、私の感じた限りですが」
「ホントなのね? アリスちゃんは私を嫌いになったわけじゃないのね? 魔界の外で元気に暮らしてるのね? 悪い虫とかついてないわよね!?」
「魔理沙ちゃーん、呼ばれてるわよー」
「おいこらちょっと待て蓮子、どういう意味だよそりゃ」
「ちょっとそこの人間! アリスちゃんに何をしたの!?」
「何もしてないぜ!」
「えー、仲良く異変解決とかしてたじゃない。永遠亭のときとか地底のときとか。そういえば早苗ちゃんが貸したドラクエ3、アリスさんと一緒にクリアしたの?」
「あれはどっちもアリスの奴に無理矢理連れ出されたんだよ! あと例のゲームは動かなくなったからこいつに返したぜ!」
「充電切れそうになったら言ってくださいって言ったのに……」早苗さんがぼやく。
「アリスちゃんになーにーをーしーたーのー!?」
「だから何もしてないってーの!」
がくんがくんと神綺様に揺さぶられる魔理沙さんの悲鳴が、魔界の空に響き渡った。
―23―
そんなホームコメディを経て、ルイズさんユキちゃんマイちゃんと別れ、聖輦船は法界へと舵を切った。宝塔の光が指し示す方角へ、船はゆったりと魔界の空を進む。案内役として神綺様と夢子さんが同行し、ますます聖輦船は大所帯である。大きい船で助かったと言うべきか。
「白蓮さんはとても物静かな方で、私が様子を見に行くと、いつも結跏趺坐して瞑想していらっしゃったわ。『退屈ではないの?』と私が問うと、『私は罪を贖うためにここにいるのです』と言って、決して自分から法界を出たいとは言わなかったわね」
道中、神綺様が語る魔界での聖白蓮の様子を、命蓮寺の面々は神妙な顔で聞いている。
「そんな、聖は何も悪いことしてないのに……」と不満げな顔のムラサさん。
「姐さんは自分自身を責めているのかしら」と腕を組む一輪さん。
「何に対してだい?」と眉を寄せるナズーリンさん。「聖がキャプテンや一輪を救ったのは、人妖平等という聖の大義のためだろう。それが人間側から見て罪だったとして、もし聖がそれを後悔しているのだとしたら、キャプテンたちはどうするのさ」
「そんなわけないじゃん!」ムラサさんが声を荒げる。
「そうですよナズーリン。聖は信念を持って妖怪の救済を行っていました。人間側から見れば糾弾されることだということも解っていたから、ムラサや一輪に人間のふりをさせていたわけではないですか。それが罰されたからといって、聖がそれを後悔するなど……」
星さんが咎めるように言い、ナズーリンさんは「そうだね」と視線を逸らす。彼女は聖白蓮の直接の弟子ではないと言っていたから、ムラサさんたちとは多少の温度差があるのかもしれない。一輪さんが「まあまあ」と間をとりなす。
「神綺様。姐さんは何の罪を贖おうとしていたのでしょう」
「さあ、私もそこまでは……。夢子ちゃんは何か聞いてる?」
「いえ、そもそも私はほとんど面識がありませんから」
「そうだった? でも、塞ぎ込んでいるというわけでもなかったのよ。夢子ちゃんお手製のお菓子を持って行って、一緒にお茶したこともあるし。そのときは貴方たちお弟子さんたちのことを、懐かしそうに語っていたわ。『みんないい子だったのに、あの子たちには申し訳ないことをしました。無事でいてくれることを祈っています』って言ってたわね」
「聖……!」星さんが涙ぐむ。
「だから泣くな星ちゃん! 聖が復活してから思い切り泣くのよ!」そういうムラサさんもちょっと涙目で、一輪さんがぽんぽんとふたりの肩を叩く。そりゃまあ、千年の悲願がもうすぐ叶おうというのだから、妖怪といえど涙もろくもなろう。
「そろそろ法界ですね」と夢子さんが船首から船の進路を眺めて言う。縁から眼下を見下ろすと、街並みはとうに途切れ、荒涼とした暗い大地が広がっている。魔界中心の禍々しい空気は既になく、凛と澄んだような静謐な気配が満ちていた。
何の光なのか、地平線のオレンジ色の輝きが、世界を黄昏色に染め上げている。その黄昏の中を、宝塔の光が真っ直ぐに結ぶ。聖白蓮が封印された場所へ。
「このへん、何もないですねー。さっきまでの禍々しさが嘘みたい」と早苗さん。「このあたりは魔界の辺境ですから」と夢子さんが答える。
「神綺様、この法界も神綺様が作ったんですか?」と蓮子。
「そうよ。この魔界は全部私が作ったのよ」とドヤ顔で胸を張る神綺様。
「無限に膨張するように作ったので隅の方まではお母様も把握できてませんけどね」夢子さんがさらっと言い添え、「夢子ちゃーん!」と神綺様がむくれる。子供か。
こほんとまたひとつ咳払いして、神綺様は宝塔の光が指し示す方角を振り向く。
「ここを法界と名付けたのは、白蓮さんなの」
「そうなのですか?」と目を丸くするのは星さん。
「ええ。なんて言っていたかしら……そうそう、『いつか私の罪が贖われたとき、私は御仏の弟子として、今度こそ万物が平等な世界を創りたいと思います。仏の教えを広め、皆が悟りを開いたとき、この世は差別も迫害もない法の世界となるのです。そのためにも、まずは私がこの地で悟りを開き、ここを法界としたいと思います』……だったかしら」
「なるほど、だから法界なのですね」星さんが納得したように頷く。
「ん、星ちゃん、どういうこと?」首を傾げるムラサさんに、星さんが「ムラサ、地底に封印されている間に仏の教えを忘れてしまったのですか」と呆れ気味に眉を寄せる。
「法界とは十八界の一、我々が《意識するもの》の世界。それ即ち真理であり万物の根源にして実相。真理において万物は平等で無差別ですから、法界とはまさに聖の理想とする、人も妖も、あらゆる生命が平等たりうる世界の名前なのです」
「おー、なるほど、完全に理解したわ」わかってなさそうな顔でムラサさんが頷く。
仏教思想に詳しいわけではないが、察するに真理はただ真理としてそこにあり、我々はそれを意識するものである、ということだろう。たぶん。
「平等ねえ。妖怪の親玉が怪しいもんだわ」霊夢さんが口を尖らせて言う。
「妖怪の味方をして封印されたんだろ? 平等じゃないぜ」魔理沙さんも頷く。
「違います! 姐さんは妖怪こそ迫害される者だと気付いたんです!」一輪さんが吼える。
「それって被害妄想だったりしません?」とナチュラルに無礼な早苗さん。
「まあ、万人が納得する平等や公正は、煩悩にまみれた世界には存在しないわねえ」と蓮子。
だいたいにして、人間の求める平等とは己の扱いに対する納得のことであり、納得できないことを即ち不平等と呼ぶ。故にあらゆる平等は同時に不平等であり、不平等を訴える側とそう感じない側の認識の差は埋まらない。人間が主観的生物であるが故に主観と客観は果てしなく混同され、それぞれが勝手な正しさを振り回すのが世の常である。
「だからこそ聖は仏の教えを広めんとしているのです」と星さんが言う。「皆が悟りを開き、煩悩から解放されれば、真に平等で公正な社会が誕生するでしょう」
「なんだか人類はさっさとオーバーマインドに進化すべき、みたいな思想に聞こえるんですけど。聖白蓮ってオーバーロードですか?」と早苗さん。
「早苗ちゃん、さっきも思ったけど二十一世紀の女子がクラークはちょっと古くない? 早苗ちゃんの世代的には、そういうのだったら伊藤計劃の『ハーモニー』あたりじゃないのかしら」
肩を竦める蓮子に、早苗さんは「伊藤計劃って誰ですか?」ときょとんと首を傾げる。「そっか、伊藤計劃のデビューって早苗ちゃんがこっちに来るのと入れ替わりぐらいだっけ」と蓮子が私を振り返るが、私はSF史は詳しくないので肩を竦めるしかない。
「ともかく、聖が何に対して罪の意識を感じているのかはけっこう重大な問題じゃないのかい。聖の封印を解く前に、少し考えておいた方がいいと思うね」
ナズーリンさんが、星さんの手にした宝塔を見やりながら言う。
「どういう意味ですか、ナズーリン」
「千年前のあのとき、閻魔の裁定を受けて聖はここに封印されたわけじゃないか。聖が千年にわたってこの封印を受け入れ、罪を贖うと言っている以上、聖は閻魔の裁定を正当だと受け入れ、何か自分に罪があったと考えているわけだろう? 果たして今私たちが聖を復活させに行ったとして、聖がまだその罪を贖い終えていないと考えていたら?」
その言葉に、命蓮寺組の面々は顔を見合わせる。
「だったら私も聖と一緒にここで封印される!」「私も!」ムラサさんと一輪さんが揃って声をあげる。「ああ、それが一番面倒くさくなくていいわね」と霊夢さんが横から口を挟んで、ムラサさんに睨まれた。
「まあ、キャプテンたちがそうするのは勝手だけどね。それともうひとつ――千年前に聖を裁いた閻魔のことだ。聖の復活を、閻魔は許すだろうかね。最悪、聖を復活させて幻想郷に戻ろうとしたところで、またあの閻魔と対決することになるかもしれないじゃないか。その対策は考えておくべきだと思うが」
確かに現状は、刑務所の囚人が自主的に出所しようとしているようなもので、それ即ち法治国家においては脱獄という。この話は再乗船する前、蓮子が懸念して私たちが調べていた可能性だったわけだが、私たちも結論を出せないままでいたので、命蓮寺組にアドバイスできる立場にはなかった。
「神綺様。姐さんの封印に期限などの指定はなかったのですか?」一輪さんが問う。
「さあ、覚えがないわ。普通は千年も封印されてれば大抵のことは時効だと思うけど。ねえ夢子ちゃん」
「私はそれを判断する立場にありません」
「もー、夢子ちゃんのいけず」神綺様は頬を膨らませる。
「あーもう、そんなのごちゃごちゃ考えたって仕方ないじゃん!」と叫んだのはムラサさんだ。
「閻魔様が何と言おうと、私たちは聖を復活させるためにここに来たの! 聖が何を考えてるのかは、聖が復活してから聞けばいいじゃん! 聖がまだここにいたいって言うならそれを尊重するし、聖が外に出たいって言うならそれを尊重する! 私たちは聖は間違ってないと思うし、聖が千年も封印されてたのは不当だと思ってる。だから聖をもっかい封印しようって奴とは、相手が博麗の巫女だろうと閻魔だろうと断固戦う! それでいいじゃない!」
「そうね、私もムラサの言う通りだと思う」
「同感です。まず尊重するべきは聖の意志でしょう。私たちは聖の意志を遂行するだけです」
一輪さんと星さんが頷く。ナズーリンさんは「……まあ、ご主人様たちがそれでいいなら、私もそれに従うけどね」と目を伏せて頷いた。
「忠誠は思考停止の免罪符じゃないとだけは、言っておくよ。さっき、そこの博麗の巫女に負けたばっかりなんだから、なおさらだ」
「そんなの、聖が復活すれば負けるわけないじゃん!」
「あ? いい度胸じゃない、今すぐ完全に退治して封印してやってもいいのよ?」
「おー、やれやれ」
ムラサさんの言葉に霊夢さんが剣呑な視線を向け、魔理沙さんが勝手にはやし立てる。すまじきものは呉越同舟。火花が散る様を、はらはらしながら見守っていると――。
「待ってください! ――宝塔が!」
星さんが声をあげ、甲板上の全員の視線がその手の宝塔に集まった。一直線に法界を指していた宝塔の光が一瞬消え、次の瞬間強く溢れ出す。そして、それに共鳴するように――。
「あっ、UFOが!」
早苗さんが声をあげた。船の中に集められていた飛倉の破片が、宝塔の光に引き寄せられるように集まってきた。宝塔は星さんの手を離れ、UFOとともにふわりと宙に浮き上がる。それとともに、私たちの立つ聖輦船の甲板が揺れた。
「わわわっ」
私たちはよろめいて、船のへりにしがみつく。宙を舞う無数のUFOと、その中心で強い輝きを放つ宝塔――。それを見上げた私は、大きく目を見開いた。
宝塔の光に照らされるように、世界を閉ざした巨大な結界が、私の視界に姿を現した――。
―24―
世界を覆うような、半球状の結界が、私たちの眼前に浮かび上がっている。
「これが、聖を封印する結界――」
その結界は私だけでなく、命蓮寺の面々にも見えているようで、星さんが呆然と結界を見上げて声をあげる。宝塔の光を浴びて、結界がそれを反射するように光り輝く。「まるで東京ジュピターですね! 聖白蓮って青い血のムーリアンなんでしょうか」と早苗さんがまた意味のわからないことを言っているが、突っ込んでいる場合ではない。
「千年前に、白蓮さんを封印しに来た巫女が張った結界よ」
神綺様が言う。つまり、千年前の博麗の巫女の作った結界ということか。
「なに、つまり私が破れってこと?」
霊夢さんが眉を寄せるが、早苗さんが「どうですかね」と声をあげた。
「これ、霊夢さんや神奈子様が使うような霊力の結界じゃないと思いますけど」
「あー、確かにな。こりゃ魔力結界だ」
魔理沙さんが星屑を飛ばす。星屑は結界に弾かれて消滅する。
「どういうことよ?」
「霊夢の使う結界系の技みたいに、魔法にも結界魔法があるんだよ。私はあんまり得意な魔法じゃないが、パチュリーあたりなら詳しいんじゃないか」
「ん? ここに封印されてる奴、僧侶で魔法使いって言ってたわよね。てことは」
「そいつの力を使って張った結界ってことだな」
「なんだ、じゃあ結局、あいつらの親玉って自分で引きこもってるんじゃない」
呆れ顔で言った霊夢さんに、「違います!」と星さんが顔をしかめる。
「聖はその力を様々な法具に宿らせていました。あの宝塔も、この聖輦船もそうです。ですからこの結界も、聖の法具の力を博麗の巫女が勝手に利用したものでしょう」
「うん? 妙な話になってきたな」魔理沙さんが首を傾げる。
「魔理沙ちゃん、何か不審でもあるの?」蓮子の問いに、魔理沙さんは肩を竦めた。
「いや、自分の魔力を宿した物体を操作するのは魔法使いなら誰でもやることだぜ。私の箒とか、アリスの人形とかな。ただ――」
「アリスちゃんの人形って!?」
「お母様、話を脱線させないでください」夢子さんが神綺様を羽交い締めにする。
「ただ?」蓮子が話を繋ぐと、魔理沙さんは足元の聖輦船の甲板を見下ろす。
「たとえばだ。私の魔力を宿した箒を蓮子、お前に渡したとしても、お前がそれで好き勝手に空を飛べるわけじゃない。それは解るだろ?」
「まあ、それはそうね。私は魔法使いじゃないし」
「魔法使い同士でも同じだぜ。私がアリスの魔力を宿した人形を使って魔法を使うとしても、そのとき使うのは私の魔力であって、アリスの魔力じゃない。霊夢が私の八卦炉を使って戦ったとしても、それは私の魔力じゃなく霊夢の霊力によるものだ。だから、その聖白蓮ってのがいくら自分の魔力を宿した法具を残していたところで、その魔力自体を使えるのは聖白蓮だけのはずだぜ。これが博麗の巫女の張った結界だってんなら、昔の博麗の巫女は魔法使いだったってことになっちまう」
「じゃあやっぱり、聖白蓮が自分で張った結界なんじゃ?」早苗さんが首を傾げる。
「そんなはずは――」星さんがムラサさんや一輪さんと顔を見合わせる。
「……ん? ちょっと待って魔理沙ちゃん」と眉を寄せたのは蓮子だ。
「その理屈だと、この聖輦船は聖白蓮の力で動いているんじゃなくて、キャプテンの力で動かしてるってことにならない?」
「あ? 違うのか?」魔理沙さんがムラサさんを振り返る。
「違うよ! この聖輦船が動いているのは聖の力――」
「でも、魔理沙ちゃんの今の話だと、この船に聖白蓮の力が宿っているとしても、その力で船を動かせるのは聖白蓮本人だけなんじゃないの?」
蓮子のその疑問に、ムラサさんは「そんな、わけ――」と言葉に詰まる。
だが、その疑問の追及は、そこで中断することになった。
なぜなら、次の瞬間、私たちの頭上で、宝塔とUFOが眩いばかりの輝きを放ったからだ。
突然の強烈な発光に、皆が咄嗟に目元を庇う。
法界全てを覆い尽くすような、その真っ白な光の中で。
ぴしり、と私の目に映る結界に、大きな亀裂が走った。
その亀裂は瞬く間に結界全体に広がっていき――そして、砕ける。
きらきらと輝きながら、結界の破片が魔力の断片となって空気中に消えていく。
法界全体を遮るように張られていた巨大な結界は、もはや跡形もなく消え失せていた。
皆が息を呑んで、結界の消えた先を見つめる。
その頭上から、光の消えた宝塔がゆっくりと星さんの元に舞い降りてきて――。
「ああ、法の世界に光が満ちる――」
黄昏色の中から、ゆったりと浮かび上がってくる人影が、ひとつ。
法界の火を背に受けて、その人物は聖輦船の前に現れると、ゆっくりとその瞼を開けた。
紫から金色へとグラデーションしていく、夕暮れの空のような不思議な色の長い髪。胸元と腕に束縛の証のような紋様をつけた黒いドレスを身に纏い、その手に七色に輝く不思議な巻物を広げて――その女性は、ゆっくりと瞼を開ける。
「貴方たちが、この世界を解放してくれたのですか?」
深い慈愛の笑みを浮かべて、聖白蓮は、そう声を発した。
第9章 星蓮船編 一覧
感想をツイートする
ツイート
ポプテピピック…
神綺様の溺愛ぶりが半端すぎる…。流石のアリスもそりゃ家出したくなりますよね(笑)。
しかし魔力結界とは興味深いですね。その仕組みが何なのか気になります。
仏の教えに従って人妖が皆平等な世界。これってやっぱり今の幻想郷の立ち位置的にアウトな思想ですよね。結界や星輦船のことといい聖には弟子たちも知らない秘密がまだまだありそうだ…
妖怪が悟りを開こうとすると人を襲わなくなる。人を襲わないと妖怪として存在出来なくなる。白蓮がこの事を知らなくて仏の教えを広げた。これを知って罪悪感を覚える。
つまり白蓮は、妖怪の大量虐殺、いや自殺幇助?の罪で閻魔に断罪され、自ら法界に封印された。
この考察はちょっと無理がありますかね…。
閻魔の裁定って、もしかして……手錠の鍵は聖自身に渡してあるのかな。
だとしたら、稗田が細かい裁定を記さなかったのも納得出来る
お疲れ様です~神綺様の威厳とは一体wってな感じでした。
夢子さんは、流石クールですね~このお話も楽しく拝読させていただきました