―19―
この記録が博麗の巫女の異変解決を記した武勇伝なら、聖輦船内部で繰り広げられた三対四の弾幕ごっこは中盤の山場として盛り上がるところだが、生憎とこの記録は私たち《秘封探偵事務所》の活動記録であるからして、弾幕ごっこに割く紙幅はない。
というか、操舵室からときおり流れ弾が飛び出してくるので、中を覗き見るのも命がけという状況では、詳しい戦況など記録できるわけもなかった。ちなみに聖輦船内部はこれでけっこう広いので、紅魔館内部での弾幕ごっこぐらいに思ってもらえれば良い。
「やー、派手にやってるわねえ」
「ちょっと蓮子、そんなに顔出したら危ないわよ」
それでも蓮子とおそるおそる覗きこんだ限りでは、霊夢さん対ムラサさん、魔理沙さん対一輪さん、早苗さん対星さん&ナズーリンさん、という構図で戦いが繰り広げられているようだった。そーっと覗きこんだところに、霊夢さんの投げた針が飛んできて、私たちは慌てて顔を引っ込める。
「もうちょっと離れましょ。ここにいたら壁ごと吹っ飛ばされるかも」
「メリーは心配性ねえ」
相変わらず危機感のない相棒を無理矢理引っ張って、私たちは奧へと下がる。――と、その直後、雲山さんの巨大な拳が、私たちのいた壁のあたりを粉々に吹っ飛ばした。
「ひゅー、スリル満点」
「口笛吹いてる場合じゃないでしょ! もっと下がって下がって!」
操舵室を飛び交う光弾の嵐の中に、ムラサさんの「ちょっといっちゃん、聖の船あんまり壊さないでよー!」という悲鳴が入り交じる。それを遠くに聞きながら、私たちは船内の通路を奧へ(つまり船尾にある操舵室の反対側、船首の方へ)と下がっていき――。
その薄暗い通路の先に、怪しい光を見た。
「ねえ蓮子、あれ――」
「ん? あら、何かしらあれ。鬼火? 人魂? プラズマ? UFO?」
ぼんやりと浮かんでいた得体の知れない光は、さっと船の奧へと姿を消す。妖精の持った飛倉の破片だろうか。それとも他に何か――?
「逃げたわね。追うわよメリー!」
「え、ちょっと待ってよ蓮子!」
蓮子は急に興味をその怪しい光に移し、消えた方へ走り出す。私は慌ててその後を追った。入り組んだ船内の通路を進むと、曲がり角にときおり怪しい光がちらりと姿を見せては、またふっと物陰に消える。それを繰り返して、私たちはごちゃごちゃした船の中を彷徨った。
「なんか、地底でこいしちゃんを追いかけたときを思い出すわね。私たちをどこかに案内してくれるのかしら?」
「船の中の秘密の隠し部屋とか?」
「さあ、鬼が出るか蛇が出るか」
「鵺が出るんじゃないの?」
そんなことを言い合いながら、怪しい光を追って船内を走り回ることしばし――。
「……見失ったわね」
「っていうか、蓮子。ここ、最初の場所に戻ってない?」
「あらほんと。なんだ、ただ引っ張り回されただけじゃないの」
結局、私たちはその怪しい光に追いつけないまま、船の中をぐるっと一周して元の場所に戻ってきていた。膝に手をついて息を整える私の横で、蓮子は帽子を被り直して「今の光、ひょっとしてキャプテンの言ってた鵺なのかしら?」と呟いた。
「鵺? ああ、船のマストを壊して破片に変な仕掛けをした……」
「そうそう。船の中に隠れてるんだとしたら、メリー、その目で探せない?」
「私の目を万能レーダー扱いしないでよ。私に見えるのは境界だけなんだから」
幻想郷で私の目が高精度結界探知機として機能しているのは、要するに私の目が世界に存在する境界を見る目だからだ。結界とは即ち彼岸と此岸の境界線であり、その境界線が強固になるほど、私の目にはそれがはっきりと映し出される。位相をずらして隠れた鈴仙さんを見つけられるのはそのためだ。
「でも、メリーの目には鵺の悪戯が通用しないわけだし」
「だからって、鵺そのものを見つけろって言われてもね……それより、操舵室が静かになってるみたいだけど」
私は操舵室の方を振り返る。弾幕ごっこの光と音は収まったようで、ということは決着がついたということである。私たちは操舵室へ歩み寄り、そーっと中を覗きこんだ。
「……強い」
「さあ、負けたんだから大人しく降参して地底にでも帰りなさい」
結果はまあ予想通り。膝を屈したムラサさんたち四人を、霊夢さんたち三人が見下ろしていた。早苗さんが私たちに気付き、「勝ちました!」とVサインしてみせる。
「こんなところで諦めるわけには……」
一輪さんが唇を噛みしめて立ち上がろうとする。と、それを制したのはムラサさんだった。
「くくく……残念でしたね。もうこの聖輦船はまもなく魔界へ突入します。完全自動航行なのでもう船長の私にも止めることはできません! 貴方たちは聖の復活をこのまま船の中で見届けてもらいます!」
勝ち誇ったように言うムラサさんに、霊夢さんと魔理沙さんが顔を見合わせ、早苗さんはひとり「うわあ、こんな悪役っぽい台詞がリアルで聞けるなんて!」と謎の感動をしていた。
「おい霊夢、どうする?」
「船ごとぶっ壊せばいいんじゃない? 魔理沙、やっちゃいなさいよ」
「物騒な奴だぜ」
呆れたように言いながら八卦炉を取り出す魔理沙さん。と、そこへ蓮子が「やーやー、みんなお疲れ様」と手を叩きながら割って入り、霊夢さんが思い切り眉を寄せて振り向いた。
「何よそこの主犯。邪魔するなら退治するわよ」
「そんなか弱い人間に怖いこと言わないで霊夢ちゃん。それよりちょっと私から伝えておきたいことがあるんだけど。――魔理沙ちゃん、魔界に封印されてるのが、魔理沙ちゃんの同業者だって言ったら、興味ない?」
「あ? 封印されてるのは僧侶じゃなかったのか?」
「僧侶で魔法使いなんだって。しかも元人間。魔理沙ちゃん的には、有意義なお話ができる相手じゃないかと思うんだけど。一緒に貴重な魔道具が封印されてたりするかもしれないし。もしそうなら、魔理沙ちゃんにはお宝じゃない?」
「ほう」
蓮子の言葉に、魔理沙さんの目が光った。取り出した八卦炉を仕舞う魔理沙さんに、霊夢さんが「ちょっと魔理沙、何乗せられてんのよ」と口を尖らせる。
「いやあ、せっかくだから久しぶりに魔界に行くのも悪くないんじゃないか? この船にゃろくな宝がないみたいだし、魔界で宝探しも悪くないと思うぜ」
「あんたね――」
まったく現金な人である。まあ、聖輦船を破壊したところで魔理沙さんには特にメリットがないから、面白そうな方につくのは当然か。あっさり魔理沙さんを味方に引き入れた蓮子は、今度は霊夢さんに向き直る。
「蓮子、あんたホントに退治されたいの?」
「まあまあ霊夢ちゃん、抑えて抑えて。そりゃま、ここで聖輦船を破壊しちゃえば聖白蓮の復活は阻止できるけど、こんな大きな船を壊すよりもっと楽な方法があるわ」
「楽?」
「そう。一緒に魔界まで行って、聖白蓮を一回復活させちゃうの。その上で霊夢ちゃんが、聖白蓮が本当に危険な存在かどうかを実地に確かめる。危険だと解ったらその場で聖白蓮を退治して、そのまま聖輦船ごと魔界に再封印しちゃえばいいじゃない」
「昔の博麗の巫女が封印して、今は妖怪が復活させたがってる妖怪の親玉でしょ? そんなのは確かめるまでもなく危険な奴に決まってるわ」
「あら、じゃあ霊夢ちゃんはそんな危険な妖怪が恐ろしいから復活を阻止したいの?」
蓮子の挑発に、む、と霊夢さんは口を尖らせる。
「私は妖怪を退治する博麗の巫女、私が恐れる妖怪なんてこの世にないわ!」
「なら、聖白蓮を復活させちゃっても問題ないわね。霊夢ちゃんなら勝てるんだから」
「――いや、そういう問題じゃないわよ。危険な妖怪が幻想郷に出てきたら厄介じゃない。そういう事態を防ぐために私はね」
「だから、霊夢ちゃんの立ち会いの上で魔界で復活させてみて、危険そうなら魔界で戦ってそのまま魔界に再封印しちゃえば、幻想郷には出てこないから安全でしょ?」
「――――――」
見事に言いくるめられたことに気付いて、霊夢さんは唸った。隣で聞いていた魔理沙さんが大口を開けて笑う。
「わはは。霊夢、弾幕ごっこならともかく、舌先三寸で蓮子に勝とうなんざ百年早いぜ」
「笑うな! ああもう何なのよ、今日は調子が狂うったらありゃしない――」
霊夢さんはがりがりと頭を掻き、ムラサさんたちの方を見やる。
「……いいわ、あんたたちの親玉のところまで付き合ってやろうじゃないの。危険そうな妖怪だったらさっさと退治してあんたたちごと封印するからね」
ため息混じりにそう言った霊夢さんに、ムラサさんたちの表情がぱっと弾けた。
「よっしゃー! 聖輦船、魔界へ向けて全速前進! よーそろー!」
舵を取り、ムラサさんが高らかに叫ぶ。一輪さんは星さんナズーリンさんと顔を見合わせ、それぞれ肩を竦めたり苦笑したりしていた。
「あ、早苗ちゃんもそれでいいわよね?」
蓮子が問うと、早苗さんは「所長に従います!」と敬礼を返す。
「あ、でも私も、相手が危険な妖怪だったら退治するつもりですので!」
「ちょっと、異変解決の仕事まであんたに譲る気はないわよ」
「早い者勝ちですよ! この宝船異変を解決して守矢神社の信仰大幅アップです!」
「異変解決でそう簡単に信仰が集まったら苦労しないっての」
どこまでもテンションの高い早苗さんに、霊夢さんが呆れ混じりに首を傾げた。
かくして、呉越同舟の聖輦船は、そのまま魔界へと向かっていく。
―20―
魔界へ突入すると言っても、船内の操舵室では船外の様子がよくわからない。
というわけで、船は自動航行だし、外の確認も兼ねて私たちは全員が甲板上に出ていた。
「あれ、ここって博麗神社の裏山じゃ?」
早苗さんが甲板から眼下の光景を見下ろして声をあげる。
「そういやここから行くんだったな、魔界。懐かしいぜ、なあ霊夢」と魔理沙さん。
「そんな昔のこと忘れたわよ」霊夢さんが拗ねたように口を尖らせる。
「あれ、二人とも魔界に行ったことあるの?」訊ねるのは蓮子。
「まあ、昔ちょっとな。お前らが幻想郷に来るより前の話だぜ」魔理沙さんは頭を掻く。
ということは、紅霧異変より前の話か。そりゃあ昔の話だろう。
「あのときは、あんたの師匠も一緒だったわね。あいつどうしてるの?」
「覚えてんじゃねえか! 魅魔様は今どこで何してんだか、私もよく知らん」
「へえ、魔理沙ちゃんに魔法のお師匠さんがいたの? どんな魔法使いさん?」
「あ、あんたたちはあの頃の魔理沙知らないのね。あの頃は今と違ってねえ」
「あーあーあー、この話はここまでだぜ!」
「昔の話振ったのはあんたじゃない。せっかく思い出話に乗ってあげようっていうのに」
「うるさいぜ! それよりほら、もうすぐ魔界の扉だ!」
何やら思い出したくない記憶でもあるのか、霊夢さんの話を遮って、魔理沙さんは聖輦船の進路の先を指さした。博麗神社の裏山の中腹に、大きな洞窟が口を開けている。聖輦船はゆっくりとその洞窟の中へと進んでいった。
「やー、これマストがそのままだったらつっかえてたねえ」
ムラサさんが折れたマストを叩いて言う。洞窟はマストの折れた聖輦船がギリギリ通れるぐらいの大きさで、確かにあの大きなマストが立ったままだったら入れなかっただろう。
「ねえいっちゃん、これってぬえに感謝すべきなのかなあ」
「私に聞かれても……あ、何か見えてきたわ」
一輪さんが洞窟の奥へ目を細める。星さんが宝塔をかざすと、宝塔の光がヘッドライトのように洞窟の奥を照らし出した。そこに見えてきたのは――。
「おお、いかにも魔界への門っぽいですね! この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよって感じです!」
「早苗ちゃん、それ微妙に間違ってるから」
早苗さんの妙な間違いはともかくとして、洞窟の奥に見えたのは、その言葉の出典であるところのダンテの『神曲』に登場する「地獄の門」――正確にはそれをモチーフにロダンが作ったブロンズ像に酷似した扉だった。外の世界にいた頃、蓮子の実家に行ったときに上野公園の国立西洋美術館で見たことがある。
そして――その扉の前に、人影がふたつ。その人影は、光を放って接近してくる巨大な船に驚いたように反応し、そしてふわりと飛び上がって船の前に立ちふさがった。
「ちょっと待って! 何なの、このでかい船!」
「あらあら〜、珍しくここを通るひとが来たと思ったら、ずいぶん大勢のお客さんね〜」
聖輦船の前に立ちふさがったのは、紫がかった髪をサイドテールにした少女と、金色の髪に白いつば広帽子を被った少女だった。ふたりの少女は、甲板に並んだ私たちの姿を見回し、霊夢さんと魔理沙さんに視線を留めて、「あ!」「あら〜」と声をあげる。
「あんたたち、いつぞやの巫女と魔法使い! また来たの?」
「あらあら〜、お久しぶりね〜」
「霊夢ちゃん魔理沙ちゃん、知り合い?」
「覚えてないわ」
「覚えてないぜ」
「酷っ!? あんたたちねえ、今度こそ通さないわよ!」
「まあまあ落ち着いてサラちゃん、この人数相手じゃさすがに勝ち目ないんじゃないの〜?」
「そうは言っても一応私ここの門番だから! ルイズ姉さんは下がってて!」
サラと呼ばれたサイドテールの少女はそう言って私たちを見下ろし、ルイズと呼ばれた帽子の少女は「気を付けてね〜」と扉の方へ下がっていく。
「さあ、相手になるわよ!」
「だそうよ」
「だそうだぜ」
勇んで立ちふさがるサラさんの視線を、霊夢さんと魔理沙さんは華麗に受け流して、早苗さんの方を振り向いた。
「え、私ですか? まあいいか、妖怪みたいですから退治します!」
早苗さんは大幣を構えてふわりと飛び上がる。「え、ちょっと、あんたじゃないんだけど!」というサラさんの抗議には聞く耳持たず、早苗さんが空中に描いた五芒星から風とともに降りそそぐ光弾が、一発でサラさんを吹っ飛ばした。
「サラちゃ〜ん、大丈夫〜?」
扉に叩きつけられてダウンしたサラさんに、ルイズさんが駆け寄っていく。
「え、もう終わりですか? 手応えなさすぎですよぉ」
拍子抜けした様子の早苗さんに、霊夢さんと魔理沙さんが肩を竦める。そこへ、「もお〜、サラちゃんになんてことするの〜」とルイズさんが聖輦船の船首に降り立った。
「お、やるか?」
魔理沙さんが八卦炉を取り出す。そこへムラサさんが「ちょっと待ってよ」と声をあげ、船首に立つルイズさんに歩み寄った。
「魔界の人ですよね? 私はこの船の船長、村紗水蜜です。私たちは魔界に封印された僧侶、聖白蓮を解放するために来ました。魔界へ通していただけませんか」
いつものフランクさを封印して、ムラサさんは礼儀正しく一礼する。
「サラちゃ〜ん、だそうだけど、聞いてた〜?」
「聞いてるわよ。いたた……ええと、誰を解放しに来たって?」
サラさんが後頭部をさすりながらルイズさんの横に降り立つ。
「聖白蓮です。種族としては元人間の魔法使いになります」
星さんが答える。「ひじり……?」とサラさんとルイズさんは顔を見合わせた。
「サラちゃん、知ってる〜?」
「うーん……あ、そういえば母さんの知り合いにそんな名前のがいなかった? 法界の方の」
「法界? あ〜、そうね〜、『法界の白蓮さんが』ってお母様が仰ってたわね〜」
ぽんと手を叩くルイズさんの言葉に、ムラサさんたちがわっと沸き立つ。
「聖がここに……!」
「そうだよ、聖はこの先にいるんだ!」
「やったわねムラサ!」
ムラサさんと一輪さんが抱き合って喜び、星さんが感極まったように肩を震わせる。
「泣くな星ちゃん! 涙は聖が復活したその時のために取っておくのよ!」
「そうだよご主人様、みっともない。ほら」
「うう、すみませんナズーリン……」
ナズーリンさんから差し出された手巾で鼻をかんだ星さんは、一歩前に進むと、「どうか、我々を聖の元へ案内していただけないでしょうか」とサラさんとルイズさんへ頭を下げた。
「星ちゃん、案内つけなくてもこの船は聖の魔力の方に向かうよ?」
「それはそうですけど、魔界は何があるか解りませんから、現地の方の案内があった方が」
ムラサさんが突っ込むが、ここは星さんの言い分の方が正当だと思う。
「どうする? 姉さん」
「お母様の知り合いに会いに来た人たちなら、まずお母様に相談すべきじゃないかしら〜?」
「それもそうね。解った、門を開けるわ」
サラさんがルイズさんと相談して結論を出し、重々しい音をたてて魔界への門が開かれる。早苗さんが「えー、魔界へこんなに簡単に行けちゃっていいんですか? 左京や仙水の苦労ってホントに何だったんでしょう。せめて次元刀ぐらい……」と早苗さんがぶつぶつ呟いていたが、誰も聞いていない。
「とりあえずここは通すけど、その白蓮とかいう魔法使いのところに行く前に、うちの母さん――魔界の管理者のところに挨拶してくれる? そいつを解放していいのかどうか、私には判断できないから」
「お母様のところまでは私が案内するわね〜。ルイズです、よろしく〜」
扉を開けたサラさんがそう呼びかけ、ルイズさんが甲板に下りてきて一礼する。
「ん? 魔界の管理者ってまさか……」
「……あいつか?」
霊夢さんと魔理沙さんが顔を見合わせる。何か心当たりがあるらしい。
しかしそれより、私たちには気になることがあった。サラさんのルイズさんの口ぶりからすると、この二人、ひょっとすると。
「あのー、ルイズさん? あ、私は宇佐見蓮子、こっちは相棒のメリー。しがない人間ですわ」
「はいはい、なあに〜?」
「魔界の管理者だっていうそちらのお母様って、神綺様のことですよね?」
「あら〜、お母様のことご存じなの〜?」
ルイズさんが不思議そうに首を傾げる。やはりそうか。ということは――。
「じゃあ、おふたりはひょっとして――アリスさんのお姉さんですか?」
蓮子の言葉に、ルイズさんの細い目が見開かれた。
「え、あなたたち、ひょっとしてアリスちゃんのお友達〜?」
―21―
「あによ、アリスってあのアリス?」
「霊夢お前忘れたのかよ、私らがあいつと初めて会ったの魔界だろ?」
「そうだっけ? もう覚えてないわ」
霊夢さんと魔理沙さんがそんなことを言い合う。早苗さんが「アリスさんって、森の人形遣いさんでしたっけ?」と首を傾げ、ムラサさんたちはきょとんとしていた。蓮子が「ああ、これはこっちの話なんてキャプテンたちは気にしないで」と手を振る。
「あー、そうだ! あんたたちが魔界に殴り込んできたあとに、アリスってば急に家出して」
サラさんが霊夢さんたちを指さしてそう言った。「んなこと言われても知らんぜ」と魔理沙さんが肩を竦め、「覚えてないわ」と霊夢さんは首を傾げる。
「アリスちゃん、向こうで元気にしてるの〜?」
「ええ、伝言を言付かってますわ」
「あらあら〜。それならお母様に伝えてあげて〜。心配してるから、きっと喜ぶわ〜」
ぽんと手を合わせてルイズさんは微笑む。サラさんは「全く、便りも寄越さないで何やってんだか」と呆れ気味に息を吐いた。
「とにかく! その魔界の管理者さんのところに案内してもらえますか!」
魔界を目前に話が脱線しているのに耐えかねたか、ムラサさんがそう声を張り上げる。ルイズさんは「あらあら、ごめんなさいね〜」と笑って、ふわりと船の前に浮き上がった。
「それじゃあ、私についてきて〜。サラちゃん、あとはよろしくね〜」
「はいはい、姉さんも気を付けて。あんたたち、前みたいに魔界で暴れないでよ」
「そりゃ、相手の出方次第だぜ」
「……そこの魔法使い、なんか前に来たときと口調違わない?」
「ななな何の話だぜ? おら、さっさと魔界行くぜ!」
そんなやりとりを経て、聖輦船は扉をくぐり、いよいよ魔界へと突入した。
聖輦船から見下ろす魔界の光景は、予想したよりもかなり都会的な景観だった。西洋風の街並みが広がる上空を、聖輦船はゆったりと進んでいく。
「おお、やっぱり魔力に充ち満ちてんな」魔理沙さんが気持ちよさそうに深呼吸。
「魔界だもの〜。特にこのあたりは悪魔や堕天使が多く住んでるから〜」とルイズさん。
「ああ、道理で禍々しい雰囲気が……。魔法使いってこういう空気に馴染んでるから悪堕ちしがちなんでしょうか」早苗さんが言い、「私に訊かれてもねえ」と蓮子が肩を竦める。
「ご主人様、宝塔が」
「え? あっ、光が!」
命蓮寺組の方が不意に騒がしくなった。見ると、宝塔の発していた魔力光が、一点に向かってレーザーのように伸びている。
「これ、聖の居場所を指し示してるの?」とムラサさんが首を傾げる。
「あっちは法界の方だから、そうだと思うわよ〜」とルイズさん。
「急ぎましょう!」と前のめりになる星さんを、「ご主人様、まずは魔界の管理者にご挨拶だよ」とナズーリンさんが諫め、「す、すみません……」と星さんは縮こまる。
そんな騒がしい聖輦船の甲板上で、むっつりと腕を組んでいるのが約一名。霊夢さんだ。
「霊夢ちゃん、ご機嫌斜めねえ」
「誰のせいだと思ってるのよ」
空気を読まずに声をかける蓮子を、霊夢さんが睨み付ける。
「全く、今回は調子が狂うったらないわ。だいたいあんたたち、なんで妖怪の手助けなんかしてるのよ。人間のくせに」
「いやあ、困ったときはお互い様というやつで。それに面白そうだったし」
「あんたみたいな人間が面白がって妖怪にちょっかいかけるから、私の仕事が増えるのよ」
「早苗ちゃんみたいに、それを上手く利用して神社の信仰ゲットって考えればいいじゃない」
「あんたが言うな! 蓮子、あんたはただの人間のくせに妖怪に近すぎるのよ。そのうち本当に妖怪になるわよ、そんなんじゃ」
「あら霊夢ちゃん、異変の主犯を心配してくれるの?」
「うるさい。あんたは里の人間なんだから、妖怪とは適切な距離を置きなさいって言ってるのよ。幻想郷は人間と妖怪が仲良くするための世界じゃないんだから――」
霊夢さんがそう言いかけたところで、「あそこですよ〜」とルイズさんの声が割り込む。見ると、船の進路の先に、街並みの中でもひときわ大きな屋敷が見えた。ちょっと紅魔館を思い出すような屋敷だ。
聖輦船が屋敷に近付くと、屋敷の方からふたつの小さな影が飛んでくる。白と黒の対照的な少女は、船を先導するルイズさんに気付いて「あれ?」と顔を見合わせた。
「ルイズ、なにしてんの? ねーねー、この船なに?」
「……異世界からのお客さん?」
「ユキちゃん、マイちゃん、お母様を呼んできてくれる〜?」
「わー、でっかいなー。マイ、行ってきてよ!」
「……なんで私が。ユキが行ってよ」
「マイが行けよ!」
「ユキが行けばいいじゃない」
二人の少女はなぜか口喧嘩を始めてしまう。魔理沙さんによく似た黒い服に黒い帽子の少女がユキちゃんで、羽根の生えた白い服の少女がマイちゃんと言うらしい。
「喧嘩しちゃだめよ〜。しょうがいなわね〜、私が行ってくるわ〜。皆さんはちょっとここで待っててね〜」
ルイズさんが二人を諫め、屋敷の方へ飛んでいく。
「ねえ魔理沙ちゃん、あれまさか妹さん?」ユキちゃんを指さして蓮子が耳打ち。
「んなわけあるかよ」と魔理沙さんは呆れ顔。確かに似てるけれど。
と、そこでこちらを振り向いたユキちゃんが、「ん? あーっ、この前の暴れ者!」と霊夢さんと魔理沙さんを指さして叫んだ。「……ああ、ユキがあっさり負けた」「マイだって結局負けたじゃん!」とまた仲良く口喧嘩を始めるふたり。というか、霊夢さんと魔理沙さんは以前魔界に来たときに何をやらかしたのだ。
「ねえメリー、アリスさんって確か末っ子って言ってたわよね?」
「そのはずだけど。……妖怪の年齢を見た目で判断しちゃダメでしょ」
少なくとも、ユキちゃんとマイちゃんはアリスさんより年上には見えないが、それを言ったら自称五百歳のレミリア嬢や千歳以上のはずの萃香さんの立場がない。
そんなことを蓮子と話していると、屋敷の方からまた新たな影がふたつ飛んできた。片方は十六夜咲夜さんを思わせるメイドさんだ。そしてもう片方は――。
「アリスちゃん!? アリスちゃんはどこなの!?」
アリスさんの名前を連呼しながらこちらに突撃してくる、赤いローブをまとった、傍らのメイドさんより幼い見た目の少女だった。
この記録が博麗の巫女の異変解決を記した武勇伝なら、聖輦船内部で繰り広げられた三対四の弾幕ごっこは中盤の山場として盛り上がるところだが、生憎とこの記録は私たち《秘封探偵事務所》の活動記録であるからして、弾幕ごっこに割く紙幅はない。
というか、操舵室からときおり流れ弾が飛び出してくるので、中を覗き見るのも命がけという状況では、詳しい戦況など記録できるわけもなかった。ちなみに聖輦船内部はこれでけっこう広いので、紅魔館内部での弾幕ごっこぐらいに思ってもらえれば良い。
「やー、派手にやってるわねえ」
「ちょっと蓮子、そんなに顔出したら危ないわよ」
それでも蓮子とおそるおそる覗きこんだ限りでは、霊夢さん対ムラサさん、魔理沙さん対一輪さん、早苗さん対星さん&ナズーリンさん、という構図で戦いが繰り広げられているようだった。そーっと覗きこんだところに、霊夢さんの投げた針が飛んできて、私たちは慌てて顔を引っ込める。
「もうちょっと離れましょ。ここにいたら壁ごと吹っ飛ばされるかも」
「メリーは心配性ねえ」
相変わらず危機感のない相棒を無理矢理引っ張って、私たちは奧へと下がる。――と、その直後、雲山さんの巨大な拳が、私たちのいた壁のあたりを粉々に吹っ飛ばした。
「ひゅー、スリル満点」
「口笛吹いてる場合じゃないでしょ! もっと下がって下がって!」
操舵室を飛び交う光弾の嵐の中に、ムラサさんの「ちょっといっちゃん、聖の船あんまり壊さないでよー!」という悲鳴が入り交じる。それを遠くに聞きながら、私たちは船内の通路を奧へ(つまり船尾にある操舵室の反対側、船首の方へ)と下がっていき――。
その薄暗い通路の先に、怪しい光を見た。
「ねえ蓮子、あれ――」
「ん? あら、何かしらあれ。鬼火? 人魂? プラズマ? UFO?」
ぼんやりと浮かんでいた得体の知れない光は、さっと船の奧へと姿を消す。妖精の持った飛倉の破片だろうか。それとも他に何か――?
「逃げたわね。追うわよメリー!」
「え、ちょっと待ってよ蓮子!」
蓮子は急に興味をその怪しい光に移し、消えた方へ走り出す。私は慌ててその後を追った。入り組んだ船内の通路を進むと、曲がり角にときおり怪しい光がちらりと姿を見せては、またふっと物陰に消える。それを繰り返して、私たちはごちゃごちゃした船の中を彷徨った。
「なんか、地底でこいしちゃんを追いかけたときを思い出すわね。私たちをどこかに案内してくれるのかしら?」
「船の中の秘密の隠し部屋とか?」
「さあ、鬼が出るか蛇が出るか」
「鵺が出るんじゃないの?」
そんなことを言い合いながら、怪しい光を追って船内を走り回ることしばし――。
「……見失ったわね」
「っていうか、蓮子。ここ、最初の場所に戻ってない?」
「あらほんと。なんだ、ただ引っ張り回されただけじゃないの」
結局、私たちはその怪しい光に追いつけないまま、船の中をぐるっと一周して元の場所に戻ってきていた。膝に手をついて息を整える私の横で、蓮子は帽子を被り直して「今の光、ひょっとしてキャプテンの言ってた鵺なのかしら?」と呟いた。
「鵺? ああ、船のマストを壊して破片に変な仕掛けをした……」
「そうそう。船の中に隠れてるんだとしたら、メリー、その目で探せない?」
「私の目を万能レーダー扱いしないでよ。私に見えるのは境界だけなんだから」
幻想郷で私の目が高精度結界探知機として機能しているのは、要するに私の目が世界に存在する境界を見る目だからだ。結界とは即ち彼岸と此岸の境界線であり、その境界線が強固になるほど、私の目にはそれがはっきりと映し出される。位相をずらして隠れた鈴仙さんを見つけられるのはそのためだ。
「でも、メリーの目には鵺の悪戯が通用しないわけだし」
「だからって、鵺そのものを見つけろって言われてもね……それより、操舵室が静かになってるみたいだけど」
私は操舵室の方を振り返る。弾幕ごっこの光と音は収まったようで、ということは決着がついたということである。私たちは操舵室へ歩み寄り、そーっと中を覗きこんだ。
「……強い」
「さあ、負けたんだから大人しく降参して地底にでも帰りなさい」
結果はまあ予想通り。膝を屈したムラサさんたち四人を、霊夢さんたち三人が見下ろしていた。早苗さんが私たちに気付き、「勝ちました!」とVサインしてみせる。
「こんなところで諦めるわけには……」
一輪さんが唇を噛みしめて立ち上がろうとする。と、それを制したのはムラサさんだった。
「くくく……残念でしたね。もうこの聖輦船はまもなく魔界へ突入します。完全自動航行なのでもう船長の私にも止めることはできません! 貴方たちは聖の復活をこのまま船の中で見届けてもらいます!」
勝ち誇ったように言うムラサさんに、霊夢さんと魔理沙さんが顔を見合わせ、早苗さんはひとり「うわあ、こんな悪役っぽい台詞がリアルで聞けるなんて!」と謎の感動をしていた。
「おい霊夢、どうする?」
「船ごとぶっ壊せばいいんじゃない? 魔理沙、やっちゃいなさいよ」
「物騒な奴だぜ」
呆れたように言いながら八卦炉を取り出す魔理沙さん。と、そこへ蓮子が「やーやー、みんなお疲れ様」と手を叩きながら割って入り、霊夢さんが思い切り眉を寄せて振り向いた。
「何よそこの主犯。邪魔するなら退治するわよ」
「そんなか弱い人間に怖いこと言わないで霊夢ちゃん。それよりちょっと私から伝えておきたいことがあるんだけど。――魔理沙ちゃん、魔界に封印されてるのが、魔理沙ちゃんの同業者だって言ったら、興味ない?」
「あ? 封印されてるのは僧侶じゃなかったのか?」
「僧侶で魔法使いなんだって。しかも元人間。魔理沙ちゃん的には、有意義なお話ができる相手じゃないかと思うんだけど。一緒に貴重な魔道具が封印されてたりするかもしれないし。もしそうなら、魔理沙ちゃんにはお宝じゃない?」
「ほう」
蓮子の言葉に、魔理沙さんの目が光った。取り出した八卦炉を仕舞う魔理沙さんに、霊夢さんが「ちょっと魔理沙、何乗せられてんのよ」と口を尖らせる。
「いやあ、せっかくだから久しぶりに魔界に行くのも悪くないんじゃないか? この船にゃろくな宝がないみたいだし、魔界で宝探しも悪くないと思うぜ」
「あんたね――」
まったく現金な人である。まあ、聖輦船を破壊したところで魔理沙さんには特にメリットがないから、面白そうな方につくのは当然か。あっさり魔理沙さんを味方に引き入れた蓮子は、今度は霊夢さんに向き直る。
「蓮子、あんたホントに退治されたいの?」
「まあまあ霊夢ちゃん、抑えて抑えて。そりゃま、ここで聖輦船を破壊しちゃえば聖白蓮の復活は阻止できるけど、こんな大きな船を壊すよりもっと楽な方法があるわ」
「楽?」
「そう。一緒に魔界まで行って、聖白蓮を一回復活させちゃうの。その上で霊夢ちゃんが、聖白蓮が本当に危険な存在かどうかを実地に確かめる。危険だと解ったらその場で聖白蓮を退治して、そのまま聖輦船ごと魔界に再封印しちゃえばいいじゃない」
「昔の博麗の巫女が封印して、今は妖怪が復活させたがってる妖怪の親玉でしょ? そんなのは確かめるまでもなく危険な奴に決まってるわ」
「あら、じゃあ霊夢ちゃんはそんな危険な妖怪が恐ろしいから復活を阻止したいの?」
蓮子の挑発に、む、と霊夢さんは口を尖らせる。
「私は妖怪を退治する博麗の巫女、私が恐れる妖怪なんてこの世にないわ!」
「なら、聖白蓮を復活させちゃっても問題ないわね。霊夢ちゃんなら勝てるんだから」
「――いや、そういう問題じゃないわよ。危険な妖怪が幻想郷に出てきたら厄介じゃない。そういう事態を防ぐために私はね」
「だから、霊夢ちゃんの立ち会いの上で魔界で復活させてみて、危険そうなら魔界で戦ってそのまま魔界に再封印しちゃえば、幻想郷には出てこないから安全でしょ?」
「――――――」
見事に言いくるめられたことに気付いて、霊夢さんは唸った。隣で聞いていた魔理沙さんが大口を開けて笑う。
「わはは。霊夢、弾幕ごっこならともかく、舌先三寸で蓮子に勝とうなんざ百年早いぜ」
「笑うな! ああもう何なのよ、今日は調子が狂うったらありゃしない――」
霊夢さんはがりがりと頭を掻き、ムラサさんたちの方を見やる。
「……いいわ、あんたたちの親玉のところまで付き合ってやろうじゃないの。危険そうな妖怪だったらさっさと退治してあんたたちごと封印するからね」
ため息混じりにそう言った霊夢さんに、ムラサさんたちの表情がぱっと弾けた。
「よっしゃー! 聖輦船、魔界へ向けて全速前進! よーそろー!」
舵を取り、ムラサさんが高らかに叫ぶ。一輪さんは星さんナズーリンさんと顔を見合わせ、それぞれ肩を竦めたり苦笑したりしていた。
「あ、早苗ちゃんもそれでいいわよね?」
蓮子が問うと、早苗さんは「所長に従います!」と敬礼を返す。
「あ、でも私も、相手が危険な妖怪だったら退治するつもりですので!」
「ちょっと、異変解決の仕事まであんたに譲る気はないわよ」
「早い者勝ちですよ! この宝船異変を解決して守矢神社の信仰大幅アップです!」
「異変解決でそう簡単に信仰が集まったら苦労しないっての」
どこまでもテンションの高い早苗さんに、霊夢さんが呆れ混じりに首を傾げた。
かくして、呉越同舟の聖輦船は、そのまま魔界へと向かっていく。
―20―
魔界へ突入すると言っても、船内の操舵室では船外の様子がよくわからない。
というわけで、船は自動航行だし、外の確認も兼ねて私たちは全員が甲板上に出ていた。
「あれ、ここって博麗神社の裏山じゃ?」
早苗さんが甲板から眼下の光景を見下ろして声をあげる。
「そういやここから行くんだったな、魔界。懐かしいぜ、なあ霊夢」と魔理沙さん。
「そんな昔のこと忘れたわよ」霊夢さんが拗ねたように口を尖らせる。
「あれ、二人とも魔界に行ったことあるの?」訊ねるのは蓮子。
「まあ、昔ちょっとな。お前らが幻想郷に来るより前の話だぜ」魔理沙さんは頭を掻く。
ということは、紅霧異変より前の話か。そりゃあ昔の話だろう。
「あのときは、あんたの師匠も一緒だったわね。あいつどうしてるの?」
「覚えてんじゃねえか! 魅魔様は今どこで何してんだか、私もよく知らん」
「へえ、魔理沙ちゃんに魔法のお師匠さんがいたの? どんな魔法使いさん?」
「あ、あんたたちはあの頃の魔理沙知らないのね。あの頃は今と違ってねえ」
「あーあーあー、この話はここまでだぜ!」
「昔の話振ったのはあんたじゃない。せっかく思い出話に乗ってあげようっていうのに」
「うるさいぜ! それよりほら、もうすぐ魔界の扉だ!」
何やら思い出したくない記憶でもあるのか、霊夢さんの話を遮って、魔理沙さんは聖輦船の進路の先を指さした。博麗神社の裏山の中腹に、大きな洞窟が口を開けている。聖輦船はゆっくりとその洞窟の中へと進んでいった。
「やー、これマストがそのままだったらつっかえてたねえ」
ムラサさんが折れたマストを叩いて言う。洞窟はマストの折れた聖輦船がギリギリ通れるぐらいの大きさで、確かにあの大きなマストが立ったままだったら入れなかっただろう。
「ねえいっちゃん、これってぬえに感謝すべきなのかなあ」
「私に聞かれても……あ、何か見えてきたわ」
一輪さんが洞窟の奥へ目を細める。星さんが宝塔をかざすと、宝塔の光がヘッドライトのように洞窟の奥を照らし出した。そこに見えてきたのは――。
「おお、いかにも魔界への門っぽいですね! この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよって感じです!」
「早苗ちゃん、それ微妙に間違ってるから」
早苗さんの妙な間違いはともかくとして、洞窟の奥に見えたのは、その言葉の出典であるところのダンテの『神曲』に登場する「地獄の門」――正確にはそれをモチーフにロダンが作ったブロンズ像に酷似した扉だった。外の世界にいた頃、蓮子の実家に行ったときに上野公園の国立西洋美術館で見たことがある。
そして――その扉の前に、人影がふたつ。その人影は、光を放って接近してくる巨大な船に驚いたように反応し、そしてふわりと飛び上がって船の前に立ちふさがった。
「ちょっと待って! 何なの、このでかい船!」
「あらあら〜、珍しくここを通るひとが来たと思ったら、ずいぶん大勢のお客さんね〜」
聖輦船の前に立ちふさがったのは、紫がかった髪をサイドテールにした少女と、金色の髪に白いつば広帽子を被った少女だった。ふたりの少女は、甲板に並んだ私たちの姿を見回し、霊夢さんと魔理沙さんに視線を留めて、「あ!」「あら〜」と声をあげる。
「あんたたち、いつぞやの巫女と魔法使い! また来たの?」
「あらあら〜、お久しぶりね〜」
「霊夢ちゃん魔理沙ちゃん、知り合い?」
「覚えてないわ」
「覚えてないぜ」
「酷っ!? あんたたちねえ、今度こそ通さないわよ!」
「まあまあ落ち着いてサラちゃん、この人数相手じゃさすがに勝ち目ないんじゃないの〜?」
「そうは言っても一応私ここの門番だから! ルイズ姉さんは下がってて!」
サラと呼ばれたサイドテールの少女はそう言って私たちを見下ろし、ルイズと呼ばれた帽子の少女は「気を付けてね〜」と扉の方へ下がっていく。
「さあ、相手になるわよ!」
「だそうよ」
「だそうだぜ」
勇んで立ちふさがるサラさんの視線を、霊夢さんと魔理沙さんは華麗に受け流して、早苗さんの方を振り向いた。
「え、私ですか? まあいいか、妖怪みたいですから退治します!」
早苗さんは大幣を構えてふわりと飛び上がる。「え、ちょっと、あんたじゃないんだけど!」というサラさんの抗議には聞く耳持たず、早苗さんが空中に描いた五芒星から風とともに降りそそぐ光弾が、一発でサラさんを吹っ飛ばした。
「サラちゃ〜ん、大丈夫〜?」
扉に叩きつけられてダウンしたサラさんに、ルイズさんが駆け寄っていく。
「え、もう終わりですか? 手応えなさすぎですよぉ」
拍子抜けした様子の早苗さんに、霊夢さんと魔理沙さんが肩を竦める。そこへ、「もお〜、サラちゃんになんてことするの〜」とルイズさんが聖輦船の船首に降り立った。
「お、やるか?」
魔理沙さんが八卦炉を取り出す。そこへムラサさんが「ちょっと待ってよ」と声をあげ、船首に立つルイズさんに歩み寄った。
「魔界の人ですよね? 私はこの船の船長、村紗水蜜です。私たちは魔界に封印された僧侶、聖白蓮を解放するために来ました。魔界へ通していただけませんか」
いつものフランクさを封印して、ムラサさんは礼儀正しく一礼する。
「サラちゃ〜ん、だそうだけど、聞いてた〜?」
「聞いてるわよ。いたた……ええと、誰を解放しに来たって?」
サラさんが後頭部をさすりながらルイズさんの横に降り立つ。
「聖白蓮です。種族としては元人間の魔法使いになります」
星さんが答える。「ひじり……?」とサラさんとルイズさんは顔を見合わせた。
「サラちゃん、知ってる〜?」
「うーん……あ、そういえば母さんの知り合いにそんな名前のがいなかった? 法界の方の」
「法界? あ〜、そうね〜、『法界の白蓮さんが』ってお母様が仰ってたわね〜」
ぽんと手を叩くルイズさんの言葉に、ムラサさんたちがわっと沸き立つ。
「聖がここに……!」
「そうだよ、聖はこの先にいるんだ!」
「やったわねムラサ!」
ムラサさんと一輪さんが抱き合って喜び、星さんが感極まったように肩を震わせる。
「泣くな星ちゃん! 涙は聖が復活したその時のために取っておくのよ!」
「そうだよご主人様、みっともない。ほら」
「うう、すみませんナズーリン……」
ナズーリンさんから差し出された手巾で鼻をかんだ星さんは、一歩前に進むと、「どうか、我々を聖の元へ案内していただけないでしょうか」とサラさんとルイズさんへ頭を下げた。
「星ちゃん、案内つけなくてもこの船は聖の魔力の方に向かうよ?」
「それはそうですけど、魔界は何があるか解りませんから、現地の方の案内があった方が」
ムラサさんが突っ込むが、ここは星さんの言い分の方が正当だと思う。
「どうする? 姉さん」
「お母様の知り合いに会いに来た人たちなら、まずお母様に相談すべきじゃないかしら〜?」
「それもそうね。解った、門を開けるわ」
サラさんがルイズさんと相談して結論を出し、重々しい音をたてて魔界への門が開かれる。早苗さんが「えー、魔界へこんなに簡単に行けちゃっていいんですか? 左京や仙水の苦労ってホントに何だったんでしょう。せめて次元刀ぐらい……」と早苗さんがぶつぶつ呟いていたが、誰も聞いていない。
「とりあえずここは通すけど、その白蓮とかいう魔法使いのところに行く前に、うちの母さん――魔界の管理者のところに挨拶してくれる? そいつを解放していいのかどうか、私には判断できないから」
「お母様のところまでは私が案内するわね〜。ルイズです、よろしく〜」
扉を開けたサラさんがそう呼びかけ、ルイズさんが甲板に下りてきて一礼する。
「ん? 魔界の管理者ってまさか……」
「……あいつか?」
霊夢さんと魔理沙さんが顔を見合わせる。何か心当たりがあるらしい。
しかしそれより、私たちには気になることがあった。サラさんのルイズさんの口ぶりからすると、この二人、ひょっとすると。
「あのー、ルイズさん? あ、私は宇佐見蓮子、こっちは相棒のメリー。しがない人間ですわ」
「はいはい、なあに〜?」
「魔界の管理者だっていうそちらのお母様って、神綺様のことですよね?」
「あら〜、お母様のことご存じなの〜?」
ルイズさんが不思議そうに首を傾げる。やはりそうか。ということは――。
「じゃあ、おふたりはひょっとして――アリスさんのお姉さんですか?」
蓮子の言葉に、ルイズさんの細い目が見開かれた。
「え、あなたたち、ひょっとしてアリスちゃんのお友達〜?」
―21―
「あによ、アリスってあのアリス?」
「霊夢お前忘れたのかよ、私らがあいつと初めて会ったの魔界だろ?」
「そうだっけ? もう覚えてないわ」
霊夢さんと魔理沙さんがそんなことを言い合う。早苗さんが「アリスさんって、森の人形遣いさんでしたっけ?」と首を傾げ、ムラサさんたちはきょとんとしていた。蓮子が「ああ、これはこっちの話なんてキャプテンたちは気にしないで」と手を振る。
「あー、そうだ! あんたたちが魔界に殴り込んできたあとに、アリスってば急に家出して」
サラさんが霊夢さんたちを指さしてそう言った。「んなこと言われても知らんぜ」と魔理沙さんが肩を竦め、「覚えてないわ」と霊夢さんは首を傾げる。
「アリスちゃん、向こうで元気にしてるの〜?」
「ええ、伝言を言付かってますわ」
「あらあら〜。それならお母様に伝えてあげて〜。心配してるから、きっと喜ぶわ〜」
ぽんと手を合わせてルイズさんは微笑む。サラさんは「全く、便りも寄越さないで何やってんだか」と呆れ気味に息を吐いた。
「とにかく! その魔界の管理者さんのところに案内してもらえますか!」
魔界を目前に話が脱線しているのに耐えかねたか、ムラサさんがそう声を張り上げる。ルイズさんは「あらあら、ごめんなさいね〜」と笑って、ふわりと船の前に浮き上がった。
「それじゃあ、私についてきて〜。サラちゃん、あとはよろしくね〜」
「はいはい、姉さんも気を付けて。あんたたち、前みたいに魔界で暴れないでよ」
「そりゃ、相手の出方次第だぜ」
「……そこの魔法使い、なんか前に来たときと口調違わない?」
「ななな何の話だぜ? おら、さっさと魔界行くぜ!」
そんなやりとりを経て、聖輦船は扉をくぐり、いよいよ魔界へと突入した。
聖輦船から見下ろす魔界の光景は、予想したよりもかなり都会的な景観だった。西洋風の街並みが広がる上空を、聖輦船はゆったりと進んでいく。
「おお、やっぱり魔力に充ち満ちてんな」魔理沙さんが気持ちよさそうに深呼吸。
「魔界だもの〜。特にこのあたりは悪魔や堕天使が多く住んでるから〜」とルイズさん。
「ああ、道理で禍々しい雰囲気が……。魔法使いってこういう空気に馴染んでるから悪堕ちしがちなんでしょうか」早苗さんが言い、「私に訊かれてもねえ」と蓮子が肩を竦める。
「ご主人様、宝塔が」
「え? あっ、光が!」
命蓮寺組の方が不意に騒がしくなった。見ると、宝塔の発していた魔力光が、一点に向かってレーザーのように伸びている。
「これ、聖の居場所を指し示してるの?」とムラサさんが首を傾げる。
「あっちは法界の方だから、そうだと思うわよ〜」とルイズさん。
「急ぎましょう!」と前のめりになる星さんを、「ご主人様、まずは魔界の管理者にご挨拶だよ」とナズーリンさんが諫め、「す、すみません……」と星さんは縮こまる。
そんな騒がしい聖輦船の甲板上で、むっつりと腕を組んでいるのが約一名。霊夢さんだ。
「霊夢ちゃん、ご機嫌斜めねえ」
「誰のせいだと思ってるのよ」
空気を読まずに声をかける蓮子を、霊夢さんが睨み付ける。
「全く、今回は調子が狂うったらないわ。だいたいあんたたち、なんで妖怪の手助けなんかしてるのよ。人間のくせに」
「いやあ、困ったときはお互い様というやつで。それに面白そうだったし」
「あんたみたいな人間が面白がって妖怪にちょっかいかけるから、私の仕事が増えるのよ」
「早苗ちゃんみたいに、それを上手く利用して神社の信仰ゲットって考えればいいじゃない」
「あんたが言うな! 蓮子、あんたはただの人間のくせに妖怪に近すぎるのよ。そのうち本当に妖怪になるわよ、そんなんじゃ」
「あら霊夢ちゃん、異変の主犯を心配してくれるの?」
「うるさい。あんたは里の人間なんだから、妖怪とは適切な距離を置きなさいって言ってるのよ。幻想郷は人間と妖怪が仲良くするための世界じゃないんだから――」
霊夢さんがそう言いかけたところで、「あそこですよ〜」とルイズさんの声が割り込む。見ると、船の進路の先に、街並みの中でもひときわ大きな屋敷が見えた。ちょっと紅魔館を思い出すような屋敷だ。
聖輦船が屋敷に近付くと、屋敷の方からふたつの小さな影が飛んでくる。白と黒の対照的な少女は、船を先導するルイズさんに気付いて「あれ?」と顔を見合わせた。
「ルイズ、なにしてんの? ねーねー、この船なに?」
「……異世界からのお客さん?」
「ユキちゃん、マイちゃん、お母様を呼んできてくれる〜?」
「わー、でっかいなー。マイ、行ってきてよ!」
「……なんで私が。ユキが行ってよ」
「マイが行けよ!」
「ユキが行けばいいじゃない」
二人の少女はなぜか口喧嘩を始めてしまう。魔理沙さんによく似た黒い服に黒い帽子の少女がユキちゃんで、羽根の生えた白い服の少女がマイちゃんと言うらしい。
「喧嘩しちゃだめよ〜。しょうがいなわね〜、私が行ってくるわ〜。皆さんはちょっとここで待っててね〜」
ルイズさんが二人を諫め、屋敷の方へ飛んでいく。
「ねえ魔理沙ちゃん、あれまさか妹さん?」ユキちゃんを指さして蓮子が耳打ち。
「んなわけあるかよ」と魔理沙さんは呆れ顔。確かに似てるけれど。
と、そこでこちらを振り向いたユキちゃんが、「ん? あーっ、この前の暴れ者!」と霊夢さんと魔理沙さんを指さして叫んだ。「……ああ、ユキがあっさり負けた」「マイだって結局負けたじゃん!」とまた仲良く口喧嘩を始めるふたり。というか、霊夢さんと魔理沙さんは以前魔界に来たときに何をやらかしたのだ。
「ねえメリー、アリスさんって確か末っ子って言ってたわよね?」
「そのはずだけど。……妖怪の年齢を見た目で判断しちゃダメでしょ」
少なくとも、ユキちゃんとマイちゃんはアリスさんより年上には見えないが、それを言ったら自称五百歳のレミリア嬢や千歳以上のはずの萃香さんの立場がない。
そんなことを蓮子と話していると、屋敷の方からまた新たな影がふたつ飛んできた。片方は十六夜咲夜さんを思わせるメイドさんだ。そしてもう片方は――。
「アリスちゃん!? アリスちゃんはどこなの!?」
アリスさんの名前を連呼しながらこちらに突撃してくる、赤いローブをまとった、傍らのメイドさんより幼い見た目の少女だった。
第9章 星蓮船編 一覧
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でも魅魔様の搾乳ならちょっと見たいかも
本当によく野球ネタ入れますね(笑) K☆k
文の最後が、アリスと叫びながら突っ込んでくる人とは…なかなかシュールな。(そこで終わる!?w)
魔界との関係性はこのストーリーみたいな設定が好きだな〜。
実際原作では不明点多いから、色んな設定が存在するし…
原作で初登場の魔理沙は髪赤かったもんなーそりゃあ黒歴史になりますわ
神綺様の愛でっぷりは藍様と似た感じがありますね。
魔界旅行は神綺ファミリーと相まって長旅になりそうですね。楽しみです。
魔界に入るやいなや怪綺談組が一斉登場とは‼︎ 目的の聖を前に命蓮寺組は少し焦れったい気分でしょうね〜
役者が揃ったところで深まる思惑や謎、それを蓮子さんがどうぶった斬るのか楽しみです‼︎
旧作の魔理沙のうふふふふはかなりの黒歴史ですね
あああああああああああ(語彙)
お疲れ様です~。過去(旧作)の事を覚えている魔理沙とそうでもない、霊夢さん面白いですわ~魅魔様の名前も出てきて~浅木様&EO様の創作ロング・ノヴェルは楽しくて良いです。