―4―
かくして聖輦船の魔界行きは一旦棚上げとなり、バラバラになって妖精に持ち去られたマストの破片を探して、ムラサさんたちは船で幻想郷中をうろうろすることになった。
「でも、散らばったマストの破片なんてどうやって探すの?」
「ああ、もともとあのマストは聖の飛倉だから、聖の法力で勝手に飛ぶの。この聖輦船が浮いてるのもその法力のおかげだし。つまり空飛ぶ木ぎれを探して集めればいいわけ」
なるほど、それならば探しようもあるだろう。木ぎれは空を飛ばないものであるからして。
「でもムラサ、ぬえのことはどうするの?」
「うーん、そりゃ何しでかすか解らないから、捕まえられるなら捕まえておきたいけど……とりあえず今は飛倉の破片を探すのが先決でしょ」
「それもそうね」
一輪さんとムラサさんはそう話し合い、小さくため息をつく。
「鵺って、あの頭は猿で手足は虎でっていうあの鵺? そういえば、聖輦船の近くでは正体不明の妖怪が変なイタズラをするって聞いてたし、やられた覚えもなくもないけど」
「そう、その正体不明の妖怪。あの子、私たちが聖輦船の修理してた頃からちょくちょく邪魔しに来てたんだけど……そりゃ今回みたいな騒ぎになったら邪魔しないわけないわ」
蓮子の問いに、ムラサさんは顔を覆って「まったくもう……」と首を振る。
「ふたりも気を付けてね。ほんとにあの子は何しでかすかわかんないから」
「はあ」
そう言われても、正体不明の鵺を相手に何をどう気を付けたらいいものやら。
ともかく、当面の目的が変わったところで、聖輦船に乗りこんでいた私たちはというと――。
「マストの回収に何日かかるかわからないし……終わったら連絡するから」
「了解しましたわ」
あえなく途中下船である。まったく締まらない話だ。
「まあ、こっちも協力してくれそうな心当たりがあるから、ちょっと当たってみるわ」
「ああん何から何まで……よろしくお願いしますわー」
ははー、と平伏するムラサさんに、蓮子は「私たちは魔界に行ってみたいだけだから」と笑う。謙遜ではなく実際本当にその通りなのがこの相棒なのだが、ムラサさんたちには聖人にでも見えているのか、蓮子の手を握ってぺこぺこと頭を下げていた。
というわけで、雲山さんに乗って私たちは地上へ降り立つ。下りた場所は霧の湖の近くだった。雲山さんとともに聖輦船へ戻っていく一輪さんを見送って、蓮子は帽子の庇を持ち上げながら「しかし、大丈夫かしらねえ」と少し心配げに呟いた。
「何が?」
「いや、あの船。幻想郷の上空をうろうろしてたら、人目につきそうなものだけど」
「千年前にあの船が封印されたときの関係者なんて、もうほとんど残ってないんじゃないの。閻魔様ぐらいじゃない?」
千年ほど前、聖白蓮が魔界に封印された際には、当時の博麗の巫女と閻魔様――四季映姫さんが出張ってきたという。千年前から博麗の巫女という存在がいたというのも驚きだが、さすがに霊夢さんにその記憶が受け継がれていることはないだろう。阿礼乙女じゃあるまいし。
「そこはそんなに心配してないわよ。それより、問題は早苗ちゃんの方」
「早苗さん? ……ああ、なるほど」
「洩矢様に、早苗ちゃんには内緒でってお願いしたのが裏目に出ないといいんだけどね」
蓮子は帽子を目深に被り直し、ひとつ息を吐く。
今回の聖輦船脱出計画では守矢神社の祭神・洩矢諏訪子様の協力を得たわけだが、我が探偵事務所の非常勤助手を兼任する守矢神社の風祝・東風谷早苗さんには内緒で進められた。なぜかというと、早苗さんが出てくると間違いなく話がややこしくなるからだ。とかく早苗さんは斜め上の行動で状況を引っかき回すことにかけては天才的なので、今回のように目的が最初から明瞭な計画に放り込むには危険分子なのである。
早苗さんが何も知らずに、あの船の存在に気付いたらどうなるか。……だいたい予測はつく気はしないでもないが、そうなったらはて、なんと説明したものか。
「ああ、でも一番怖いのはアレだわ」
「なに?」
「うっかり人間の里に接近しすぎて慧音さんが出動する事態になったとき」
「……怖いこと言わないでよ」
私たちが主犯だと知ったら慧音さんが何と言うか。ツノの生えた慧音さんの顔が目に見えるようである。くわばら、くわばら。
「何にしても、マストの破片回収が無事に手早く済むように、私たちも何とかしましょ」
「はいはい。で、どうするの? ちょうど近くだし、チルノちゃんにでも会いに行く?」
マストの破片を持ち去ったのは妖精だということだった。妖精のことは妖精に訊くのが一番早い……のかどうかは定かでないが、とりあえず当たってみる価値はあるのではないか。
「うーん、チルノちゃんってあんまりものに執着する印象ないのよねえ」
確かに、霧の湖のほとりにある彼女の家は単なる氷のかまくらである。
「それより、変なものに興味を示しそうな妖精といえば」
「……あ、あの子たち?」
「そうそう。あっちに当たってみましょ。というわけで、博麗神社に行くわよ!」
あの子たち、と言っても、そういえば今までこの記録では、あの妖精たちについてはほとんど全くと言っていいほど触れていない。私たちがあの子たちと知り合ったのは、《怨霊異変》の少し前、あの子たちが博麗神社によく出没するようになってからなので、単純に書く機会がなかっただけの話である。
ともかく、私たちは歩いて博麗神社に向かった。石段を上り、鳥居をくぐってまだ真新しい本殿をのぞむと、鳥居の上から「おーい」と酔っぱらった声がする。見上げると、伊吹萃香さんが石畳に飛び降りてきて、千鳥足でたたらを踏んだ。身軽なんだか危なっかしいんだか。
「あら萃香ちゃん。今日はここにいたのね」
「花見にゃちょっと早いけどねえ。霊夢なら向こうでお茶飲んでるよ」
「ああ、今日はそうじゃなくて……あ、そうだ萃香ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」
ぽんと妙案を思いついたような顔で手を叩く蓮子に、「うん?」と萃香さんは首を傾げる。
「萃香ちゃんの、密度を操る能力って、具体的な物体を萃めることもできるのよね」
「そりゃあね。それで霊夢に境内の掃除の手伝いさせられるし」
「萃める対象に制約はあるの?」
「制約? ま、大抵のものなら萃められるけど」
「たとえばの話、私がそこの石段で壺を割っちゃって、破片があっちこっち散らばっちゃったっていう状況なら?」
「壺の破片が一個でも手元にあれば全部萃められるよ。萃めるだけで元に戻せるわけじゃないけどね。あ、あと全く知らない壺の破片を見もしないで萃めろってのはさすがに無理」
「ははあ、サンプルが必要なのね。ありゃ、それならサンプルを貰ってくるべきだったわ」
蓮子は頭を掻く。ははあ、萃香さんの能力でマストの破片を萃めてもらおうというわけか。
「何か萃めてほしいものでもあるわけ?」
「まあ、そういうこと。知り合いがちょっと困ってて――あ、萃香ちゃんなら知ってるか。地底にいたんでしょ?」
「ん? 地底の話? そういやお前さんたち、ちょくちょく地底に行ってるそうじゃない」
「ええまあ。実はね――血の池地獄の近くに埋められてた船のこと、萃香ちゃん知ってる?」
「ああ、あの船幽霊と入道使いの? 勇儀が気にかけてた奴らでしょ」
「そうそう。霊夢ちゃんには内緒なんだけど、実はこのところ、あの船を地上に脱出させる計画を進めてて。さっき地上への脱出には成功したんだけど、その拍子に船の一部がバラバラに壊れて飛び散っちゃって……」
「そんなことしてたのかい。酔狂だねえ」
ぐびりと瓢箪を傾けて、萃香さんは酒臭い息を吐く。
「で、その船の破片を萃めてほしいって? あんま興味惹かれないなあ」
「ええー。そう言わずに萃香ちゃん、この通り協力してくれない?」
「勇儀が肩入れしてたのは知ってるけど、私は別にあいつらには興味なかったし、ましてあいつらに借りがあるわけでもないし、協力する義理はないね。ま、霊夢には言わないでおいてやるよ」
手を合わせて拝む蓮子につれなくそう答え、萃香さんはぽんと霧になって姿を消す。どこへ行ったのかと視線を巡らすと、「ま、せいぜいがんばりなー」と鳥居の上から声。見上げると、萃香さんは鳥居の上に器用に寝そべって目を閉じていた。
「ううん、つれないわねえ萃香ちゃんってば」
「むしろ積極的に協力してくれた洩矢様とか勇儀さんが奇特なだけじゃないの。都合のいい力の持ち主がみんな善意で協力してくれるなんて虫のよすぎる話だわ」
「蓮子さんの人徳パワーも使いすぎて枯渇してきたかしらね。徳を溜めなきゃ」
なにが人徳か。少なくとも、妖怪に好かれる才能を人徳とは呼ばないだろう。
「ま、断られちゃったのは仕方ない。本来の目的の方に行きましょ」
懲りる様子もなく、蓮子はずんずんと神社の周囲の森へと足を進める。私は肩を竦めてそのあとを追いかけた。
―5―
「あ、あったあった」
博麗神社を囲む森の中に、ひときわ大きな巨木がそびえている。聞いた話だと落雷で焼けたのが数ヶ月でこの大きさになったとかで、霊夢さんがご神木として祀ったはいいものの、祀っただけで忘れていたらしい。
「メリー、視える?」
「うん、在宅みたいね」
私は巨木の幹を見上げる。蓮子には見えないらしいが、私の目には、木の幹にはめ込まれた窓と、その中をちょこまかと動き回る影が見えていた。
「おーいこんにちはー、光の三原色ちゃーん。いるんでしょー?」
「光の三妖精だってば!」
蓮子の呼びかけに、巨木の中から答える声。そして幹の扉が開き、小さな影が三つ、透明な羽根をはためかせて木の上から舞い降りてくる。この巨木を住処にしている三妖精だ。
「もー、なんで私たちの家が人間に見つかるのよ」
「サニー、隠すのサボったんじゃないの?」
「サボってないわよ! おっかしいなあ。ルナがなんかドジ踏んだんじゃないの?」
「踏んでない」
「そもそも、もう見つかっちゃってるんだから隠れても変わらないわよね」
わちゃわちゃと騒がしい三妖精に、私たちは笑みを漏らす。妖精が集まっていると、寺子屋の子供たちを相手にしている気分だ。ちなみに元気のいい子がサニーミルク、つんとすました子がルナチャイルド、お嬢様然とした子がスターサファイア。博麗神社で見かけたら遊び相手にでもなってあげると良い。
「それで、何か御用ですか」
ルナちゃんが私たちを見上げて問う。蓮子は帽子の庇を持ち上げてにっと笑った。
「その様子だと、さっきの騒動には気付いてないみたいね」
「騒動?」
「今日何かあった?」
「さあ……サニーが朝の紅茶をルナが読む前の新聞にこぼしたぐらいじゃない?」
「……あれやっぱりサニーだったのね」
「ちょっとスター、それは言わなくていいじゃない!」
わちゃわちゃ。
「あーあー諸君。お宝に興味はないかね?」
「お宝!?」
ばっと三人とも目を輝かせて振り返る。反応が現金なことで。
「えー、実はだね諸君。とある偉大な聖人を乗せる飛行船が、先ほど幻想郷の空に出帆したのであーる。ところがその船はちょっとした事故で、マストが砕けて幻想郷中に飛び散ってしまったのだ!」
「ほうほう」頷く三人。
「そのマストの破片は、聖人の力が宿っていて、破片になっても空を飛ぶ! その空飛ぶ破片を集めてきてくれた者には、聖人の秘宝を授けよう、という船長のお達しが!」
「おおー!」身を乗り出す三人。
「何も知らない妖精が勝手に持ち去ってしまった破片も多い。諸君には、その空飛ぶ木ぎれを取り戻してきてほしいのであーる!」
「秘宝ってなに?」とスターちゃん。
「さあ、それは見てのお楽しみ」
「どこに集めればいいんですか」とルナちゃん。
「人間の里の私たちのところに持ってきてくれるとありがたいわ。どう? やってくれる?」
「やりまーす!」と拳を突き上げるサニーちゃん。
お宝だってお宝! とまたわちゃわちゃと騒ぎ出す三人。話が早くて助かるが……。
「……ねえ蓮子、聖人の秘宝ってそんな約束勝手にしちゃっていいの?」
「キャプテンの底の抜けた柄杓でもあげれば喜んでくれるわよ」
そんなのでいいのだろうか。甚だ不安である。
「ではゆきたまえ光の三妖精! 空飛ぶ木ぎれを集め、聖人の秘宝を手に入れるのじゃ! ヒアウィーゴー!」
「おー!」
蓮子に簡単に乗せられた三妖精は、意気込んでぱっと飛び立っていく。「ふう」とやり遂げた感のある息を吐いた蓮子に、私はただ肩を竦めた。
「ん? なんだ、あんたたち来てたの?」
森を出て神社の境内に戻ると、霊夢さんが境内の掃除をしていた。森から出てきた私たちに、霊夢さんは胡乱げな視線をじろりと向ける。
「やっほー霊夢ちゃん。遊びに来たわ」
「お茶ならさっき飲んだばっかりだから出さないわよ。ていうか、森の中で何やってたのよ」
「いや別に、ちょっとした野暮用」
「野暮用ねえ。また何か妙なこと企んでるんじゃないでしょうね」
「いえいえ全く、滅相もない」
「そう? なんか私の勘が、またあんたらが何かしでかしそうって告げてるんだけど」
大当たりである。正確には、とっくにしでかしているのだが。
まあしかし、ムラサさんたちの魔界行きが霊夢さんに迷惑を掛けることはまずないだろう。それこそ、マストの破片探しの最中に偶然はち合わせて交戦状態にでもならない限りは。霊夢さんは基本、自分に迷惑が掛からない限りは動かないので、博麗神社にはなるべく近付かないように、とは既にムラサさんたちに伝えてあるし、大丈夫のはずだ。
「異変に巻き込まれないよう、せいぜい身を慎むことにしますわ」
「あんたたちは巻き込まれてるんじゃなくて自分から首突っ込んでるんでしょうが」
「ばれたか」
「全く……まあ、異変解決の邪魔しなければ別にいいんだけど。そういえば、あいつは一緒じゃないの?」
「早苗ちゃん? 最近は守矢神社の方が忙しいらしくて、あんまりこっちに来ないわ」
「ふうん。あいつらもまた何か悪巧みしてるのかしらね」
霊夢さんが腕を組んで唸る。何しろ守矢神社は先日の《怨霊異変》の元凶だったわけで、霊夢さんから要注意扱いされるのはむべなるかな。
「そういえば霊夢ちゃん、温泉の方はどう?」
「あー、せっかく作ったのに入りに来るのは妖怪ばっかりよ。あてが外れたわ」
「入りに来るのってたとえば?」
「紫とか藍とか萃香とか文とか、あの地底の猫とか。野良妖怪が勝手に入ってたりするし」
お燐さん、あれからちょくちょく地上に出ているらしい。そういえば地上と地底の不可侵条約はどうなるのだろう。なし崩し的に緩和されるのだろうか。
「ふうん。ねえメリー、せっかくだしちょっと温泉浸かっていかない?」
「え? なによ急に。着替えとかタオルとか持ってないわよ」
「いいからいいから。霊夢ちゃん、タオルと石鹸貸してくれたりは」
「ないわよ、そんなの」
「サービス悪いわねえ。そんなんだから人が来ないんじゃないの?」
「うるさい。あと温泉入るなら賽銭入れていきなさい、多めに」
霊夢さんは賽銭箱を指さす。昨年の地震騒動で二度も本殿が倒壊したため、巻き込まれた家財道具の費用が大変なことになり火の車なのだとかなんとか。世知辛い話だ。
「霊夢ちゃん、もうちょっと神社の集客真面目に考えた方がいいわよ。例大祭開いて屋台集めてショバ代ハネるとかして」
「ショバ代?」
「要するに出店料。境内の区画を貸す賃貸料ね。屋台を出す方は、賃貸料を払ってもそれを大きく上回る売り上げが見込めるならいい儲け話だし、参拝客の方もいろんな屋台が集まってれば遊びに来ようかって気になるじゃない。で、霊夢ちゃんは元手もいらず境内を貸すだけで商売繁盛丸儲け。土地持ちの特権よ」
「竹林の詐欺兎の話並に怪しいわねえ。そんな美味い話あるの?」
「ごく当たり前の市場経済の話をしてるんだけどねえ」
どうも霊夢さん、商売とか経済という概念に対してそもそもほとんど知識が無いようである。思いきり胡散臭そうな視線を向けられ、蓮子はただ苦笑して肩を竦めた。
―6―
せめてタオルの一枚ぐらい、と蓮子が霊夢さんと交渉し、洗濯して返すことを条件に無事二枚のタオルを確保して、神社の奥の森の中にあるという温泉の方に向かうと、ほどなく温泉の湯気と脱衣所らしき建物が見えてきた、のだが。
「……これが脱衣所?」
「ワイルドねえ」
いや、これを脱衣所と呼んでいいのか。四本の柱を立てて筵を巻いて固定しただけではないか。空を飛ぶ妖怪が大勢いるというのに上空からは丸見えだし、雨が降ったら大惨事だ。まあ雨の中で露天の温泉に入りに来る者もいないだろうが。
入口らしい筵の切れ目をめくって中に入ると、中は地べたにいくつか竹編みの籠が置いてあるだけだった。これほどまでにやる気の無い様を見せつけられるとかえって爽快である。
「ま、たまにはいいわね、こういう野生に帰る感じも」
「私は可能な限り人間的でありたいわ。……あら、先客がいるみたい」
脱衣所の隅に、脱いだ服を突っ込んだ籠がある。この白黒の服は……。
「魔理沙ちゃんかしらね」
「……蓮子、妖怪の賢者がいるかもってつもりで来たでしょ?」
「まさかこんな形で会えるなんて思ってないわよ。ほらほらメリー、脱いだ脱いだ」
「自分で脱ぐから!」
隙あらば私の服に手を掛けようとする蓮子を押しやって、手早く服を脱いで空いた籠に畳んで入れ、タオルを巻いて反対側から脱衣所を出る。
「おー、温泉、温泉、露天風呂」
「脱衣所もワイルドなら湯船もワイルドねえ」
温泉というか、池を掘って岩で囲って間欠泉のお湯を引いただけという感じである。蓮子がしゃがんで手をつけ、「大丈夫、人間が入れる温度だわ」と言って、近くに転がっていた桶でお湯をすくって頭から被る。ぶるぶると頭を振った蓮子は、タオルを畳んで頭に乗せて、半ば飛びこむように湯船に入っていった。
「んーっ、ちょっと熱いけど良い感じ。メリーもおいでおいで」
「はいはい」
タオルで髪をまとめて、桶でかけ湯をしてから私も温泉に足を入れる。確かにちょっと熱いが、そのぶん身体の芯からあったまる感じだ。足元がごつごつしていてちょっと痛いのが難点か。なるべく平らなところを探して肩まで身体を沈めると、はあ、と思わず息が漏れる。
「あ〜、極楽極楽」
「気持ちいいわね……」
湯船の中でふたり、まったりしていると、湯気の向こうでばしゃばしゃと子供がはしゃぐような水音。なんだろうと目を凝らすと、湯気の向こうに先客の姿が見えた。
「お? 誰か入ってきたと思ったらお前らかよ」
「あら魔理沙ちゃん。ルーミアちゃんも一緒?」
先客は魔理沙さんだけかと思ったら、一緒に入っている影がもうひとつある。金色の髪に赤いリボンを結んだその姿は、宵闇の妖怪であるルーミアちゃんだ。妙に湯船の奥が薄暗いと思ったら彼女のせいか。彼女は普段はそのへんをうろうろしている野良妖怪だが、魔理沙さんに懐いているようで、宴会ではときどきじゃれついている姿を見かける。
「一緒っていうか、こいつがだいぶ臭ってたんで、ここに放り込みに来たんだよ」
「だって寒いときに水浴びしたくないもん」
「だったらせめてウチに来い。風呂ぐらい入れてやるぜ」
「んー……」
ルーミアちゃんはあまりお風呂が好きではないのか、ちょっと不満げな顔をしている。そういえば子供ってなんでかお風呂嫌いよね、と寺子屋の子供たちを思いだした。
「まりさー、もうあがっていい?」
「もうちょっとゆっくりつかれよ」
「そうそう、肩までつかって百まで数えるのよ」
「えー」
蓮子の言葉に、むー、とふくれたルーミアちゃんは、「ねえ魔理沙、蓮子は食べてもいい人類?」と物騒なことを言い出した。
「いやいや食べないで頂戴」
「そうよ、蓮子なんか食べたって美味しくないわよ。脂肪が少ないから」
「ちょっとメリー、それどういう意味?」
半眼で睨む蓮子の視線を受け流し、それから私はルーミアちゃんの髪に結ばれたリボンに目を留めた。そういえば、お風呂でリボンを結びっぱなしというのはどうなのか。
「……魔理沙さん、ルーミアちゃんのそのリボン、外してあげたら?」
私がそう言うと、「ん?」と魔理沙さんはルーミアちゃんを見やり、「ああ」と頭を掻いた。
「いや、実はこのリボン、取ってやろうとしても外れないんだよ」
「え? どういうこと?」
「前に霊夢に聞いてみたんだが、どうもこれ自体がお札らしくてな。こいつは自分じゃ触れもしないんだと。あ、誰が何のためにこいつにつけたんだかは私も霊夢も知らないぜ」
ルーミアちゃんの頭をぽんぽんと撫でながら魔理沙さんは言う。
「お札? じゃあ、それで何かを封印してるってこと?」
蓮子が興味津々な様子でリボンに手を伸ばす。「危ないわよ」と私が止めるのにも構わず、蓮子はリボンの端をつまんだが、「わっ」と驚いたようにすぐ手を放した。
「ちょっと蓮子、大丈夫?」
「あ、うん……なんか静電気みたいにびりっとしたわ。ねえ、結界みたいなものならメリーの目に見えるんじゃないの?」
「個人に対する結界なんて初めて見たからわからないわよ」
目を凝らしてみるが、私の目にもルーミアちゃんのリボンに境界は見えなかった。個人に貼られたお札の結界ってどんなものになるのだろう。耳なし芳一の全身に書かれた写経がいちばん解りやすいイメージではあるが……。
「何のためのお札なのかしらねえ。ルーミアちゃんの真の能力を封印しているとか?」
「真の能力って何だよ。こいつ周囲を暗くするだけだぜ?」
「いやいや魔理沙ちゃん、光を遮る能力ってそう馬鹿にしたものじゃないわよ。太陽光のエネルギーを完全に遮断しちゃえば、闇の内部で敵を凍えさせたりできるし。そのままでも吸血鬼と組んだらけっこう強力だと思わない?」
「レミリアとか? 確かにそいつは面倒臭そうだな」
蓮子と魔理沙さんがそんなことを言い合っていると、話題の中心なのに置いてけぼりをくらっているルーミアちゃんが「んー、もうあがる!」と立ち上がって湯船の外に出て行ってしまった。
「あ、こら、あがるならちゃんと身体拭け!」
魔理沙さんが近くの岩に引っかけていたタオルを手に取ってルーミアちゃんを追いかけていく。それを見送っていると、蓮子が髪を弄りながら「意外なところに面白そうな秘密が転がっていたわねえ」と楽しげに笑った。
「ルーミアちゃんにお札をつけたのは何者か。それで何を封印したのか。興味深いわ」
「封印を解いたら実は幻想郷最強クラスの妖怪だとか?」
守矢神社に置いてある漫画にありそうな話だ。
「レミリア嬢やフランドール嬢といい、萃香ちゃんといい、幻想郷だと外見と強さは比例しないからね。ルーミアちゃんが実は最強でもおかしくないわ」
「それで凶暴すぎて封印されたって? フランドール嬢じゃあるまいし……」
「でも封印されるには、されるだけの理由があるわけじゃない。地底の怨霊だって――」
蓮子がそう言いかけて、不意に言葉を切った。
「どうしたの?」
私が問うと、蓮子は顎に手を当てて、「そういえば……」と小さく唸る。
「……ねえメリー、キャプテンたちが救おうとしている聖白蓮って、どうしてわざわざ魔界なんかに封印されなきゃいけなかったのかしら?」
その言葉に、私はきょとんと目をしばたたかせた。
かくして聖輦船の魔界行きは一旦棚上げとなり、バラバラになって妖精に持ち去られたマストの破片を探して、ムラサさんたちは船で幻想郷中をうろうろすることになった。
「でも、散らばったマストの破片なんてどうやって探すの?」
「ああ、もともとあのマストは聖の飛倉だから、聖の法力で勝手に飛ぶの。この聖輦船が浮いてるのもその法力のおかげだし。つまり空飛ぶ木ぎれを探して集めればいいわけ」
なるほど、それならば探しようもあるだろう。木ぎれは空を飛ばないものであるからして。
「でもムラサ、ぬえのことはどうするの?」
「うーん、そりゃ何しでかすか解らないから、捕まえられるなら捕まえておきたいけど……とりあえず今は飛倉の破片を探すのが先決でしょ」
「それもそうね」
一輪さんとムラサさんはそう話し合い、小さくため息をつく。
「鵺って、あの頭は猿で手足は虎でっていうあの鵺? そういえば、聖輦船の近くでは正体不明の妖怪が変なイタズラをするって聞いてたし、やられた覚えもなくもないけど」
「そう、その正体不明の妖怪。あの子、私たちが聖輦船の修理してた頃からちょくちょく邪魔しに来てたんだけど……そりゃ今回みたいな騒ぎになったら邪魔しないわけないわ」
蓮子の問いに、ムラサさんは顔を覆って「まったくもう……」と首を振る。
「ふたりも気を付けてね。ほんとにあの子は何しでかすかわかんないから」
「はあ」
そう言われても、正体不明の鵺を相手に何をどう気を付けたらいいものやら。
ともかく、当面の目的が変わったところで、聖輦船に乗りこんでいた私たちはというと――。
「マストの回収に何日かかるかわからないし……終わったら連絡するから」
「了解しましたわ」
あえなく途中下船である。まったく締まらない話だ。
「まあ、こっちも協力してくれそうな心当たりがあるから、ちょっと当たってみるわ」
「ああん何から何まで……よろしくお願いしますわー」
ははー、と平伏するムラサさんに、蓮子は「私たちは魔界に行ってみたいだけだから」と笑う。謙遜ではなく実際本当にその通りなのがこの相棒なのだが、ムラサさんたちには聖人にでも見えているのか、蓮子の手を握ってぺこぺこと頭を下げていた。
というわけで、雲山さんに乗って私たちは地上へ降り立つ。下りた場所は霧の湖の近くだった。雲山さんとともに聖輦船へ戻っていく一輪さんを見送って、蓮子は帽子の庇を持ち上げながら「しかし、大丈夫かしらねえ」と少し心配げに呟いた。
「何が?」
「いや、あの船。幻想郷の上空をうろうろしてたら、人目につきそうなものだけど」
「千年前にあの船が封印されたときの関係者なんて、もうほとんど残ってないんじゃないの。閻魔様ぐらいじゃない?」
千年ほど前、聖白蓮が魔界に封印された際には、当時の博麗の巫女と閻魔様――四季映姫さんが出張ってきたという。千年前から博麗の巫女という存在がいたというのも驚きだが、さすがに霊夢さんにその記憶が受け継がれていることはないだろう。阿礼乙女じゃあるまいし。
「そこはそんなに心配してないわよ。それより、問題は早苗ちゃんの方」
「早苗さん? ……ああ、なるほど」
「洩矢様に、早苗ちゃんには内緒でってお願いしたのが裏目に出ないといいんだけどね」
蓮子は帽子を目深に被り直し、ひとつ息を吐く。
今回の聖輦船脱出計画では守矢神社の祭神・洩矢諏訪子様の協力を得たわけだが、我が探偵事務所の非常勤助手を兼任する守矢神社の風祝・東風谷早苗さんには内緒で進められた。なぜかというと、早苗さんが出てくると間違いなく話がややこしくなるからだ。とかく早苗さんは斜め上の行動で状況を引っかき回すことにかけては天才的なので、今回のように目的が最初から明瞭な計画に放り込むには危険分子なのである。
早苗さんが何も知らずに、あの船の存在に気付いたらどうなるか。……だいたい予測はつく気はしないでもないが、そうなったらはて、なんと説明したものか。
「ああ、でも一番怖いのはアレだわ」
「なに?」
「うっかり人間の里に接近しすぎて慧音さんが出動する事態になったとき」
「……怖いこと言わないでよ」
私たちが主犯だと知ったら慧音さんが何と言うか。ツノの生えた慧音さんの顔が目に見えるようである。くわばら、くわばら。
「何にしても、マストの破片回収が無事に手早く済むように、私たちも何とかしましょ」
「はいはい。で、どうするの? ちょうど近くだし、チルノちゃんにでも会いに行く?」
マストの破片を持ち去ったのは妖精だということだった。妖精のことは妖精に訊くのが一番早い……のかどうかは定かでないが、とりあえず当たってみる価値はあるのではないか。
「うーん、チルノちゃんってあんまりものに執着する印象ないのよねえ」
確かに、霧の湖のほとりにある彼女の家は単なる氷のかまくらである。
「それより、変なものに興味を示しそうな妖精といえば」
「……あ、あの子たち?」
「そうそう。あっちに当たってみましょ。というわけで、博麗神社に行くわよ!」
あの子たち、と言っても、そういえば今までこの記録では、あの妖精たちについてはほとんど全くと言っていいほど触れていない。私たちがあの子たちと知り合ったのは、《怨霊異変》の少し前、あの子たちが博麗神社によく出没するようになってからなので、単純に書く機会がなかっただけの話である。
ともかく、私たちは歩いて博麗神社に向かった。石段を上り、鳥居をくぐってまだ真新しい本殿をのぞむと、鳥居の上から「おーい」と酔っぱらった声がする。見上げると、伊吹萃香さんが石畳に飛び降りてきて、千鳥足でたたらを踏んだ。身軽なんだか危なっかしいんだか。
「あら萃香ちゃん。今日はここにいたのね」
「花見にゃちょっと早いけどねえ。霊夢なら向こうでお茶飲んでるよ」
「ああ、今日はそうじゃなくて……あ、そうだ萃香ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど」
ぽんと妙案を思いついたような顔で手を叩く蓮子に、「うん?」と萃香さんは首を傾げる。
「萃香ちゃんの、密度を操る能力って、具体的な物体を萃めることもできるのよね」
「そりゃあね。それで霊夢に境内の掃除の手伝いさせられるし」
「萃める対象に制約はあるの?」
「制約? ま、大抵のものなら萃められるけど」
「たとえばの話、私がそこの石段で壺を割っちゃって、破片があっちこっち散らばっちゃったっていう状況なら?」
「壺の破片が一個でも手元にあれば全部萃められるよ。萃めるだけで元に戻せるわけじゃないけどね。あ、あと全く知らない壺の破片を見もしないで萃めろってのはさすがに無理」
「ははあ、サンプルが必要なのね。ありゃ、それならサンプルを貰ってくるべきだったわ」
蓮子は頭を掻く。ははあ、萃香さんの能力でマストの破片を萃めてもらおうというわけか。
「何か萃めてほしいものでもあるわけ?」
「まあ、そういうこと。知り合いがちょっと困ってて――あ、萃香ちゃんなら知ってるか。地底にいたんでしょ?」
「ん? 地底の話? そういやお前さんたち、ちょくちょく地底に行ってるそうじゃない」
「ええまあ。実はね――血の池地獄の近くに埋められてた船のこと、萃香ちゃん知ってる?」
「ああ、あの船幽霊と入道使いの? 勇儀が気にかけてた奴らでしょ」
「そうそう。霊夢ちゃんには内緒なんだけど、実はこのところ、あの船を地上に脱出させる計画を進めてて。さっき地上への脱出には成功したんだけど、その拍子に船の一部がバラバラに壊れて飛び散っちゃって……」
「そんなことしてたのかい。酔狂だねえ」
ぐびりと瓢箪を傾けて、萃香さんは酒臭い息を吐く。
「で、その船の破片を萃めてほしいって? あんま興味惹かれないなあ」
「ええー。そう言わずに萃香ちゃん、この通り協力してくれない?」
「勇儀が肩入れしてたのは知ってるけど、私は別にあいつらには興味なかったし、ましてあいつらに借りがあるわけでもないし、協力する義理はないね。ま、霊夢には言わないでおいてやるよ」
手を合わせて拝む蓮子につれなくそう答え、萃香さんはぽんと霧になって姿を消す。どこへ行ったのかと視線を巡らすと、「ま、せいぜいがんばりなー」と鳥居の上から声。見上げると、萃香さんは鳥居の上に器用に寝そべって目を閉じていた。
「ううん、つれないわねえ萃香ちゃんってば」
「むしろ積極的に協力してくれた洩矢様とか勇儀さんが奇特なだけじゃないの。都合のいい力の持ち主がみんな善意で協力してくれるなんて虫のよすぎる話だわ」
「蓮子さんの人徳パワーも使いすぎて枯渇してきたかしらね。徳を溜めなきゃ」
なにが人徳か。少なくとも、妖怪に好かれる才能を人徳とは呼ばないだろう。
「ま、断られちゃったのは仕方ない。本来の目的の方に行きましょ」
懲りる様子もなく、蓮子はずんずんと神社の周囲の森へと足を進める。私は肩を竦めてそのあとを追いかけた。
―5―
「あ、あったあった」
博麗神社を囲む森の中に、ひときわ大きな巨木がそびえている。聞いた話だと落雷で焼けたのが数ヶ月でこの大きさになったとかで、霊夢さんがご神木として祀ったはいいものの、祀っただけで忘れていたらしい。
「メリー、視える?」
「うん、在宅みたいね」
私は巨木の幹を見上げる。蓮子には見えないらしいが、私の目には、木の幹にはめ込まれた窓と、その中をちょこまかと動き回る影が見えていた。
「おーいこんにちはー、光の三原色ちゃーん。いるんでしょー?」
「光の三妖精だってば!」
蓮子の呼びかけに、巨木の中から答える声。そして幹の扉が開き、小さな影が三つ、透明な羽根をはためかせて木の上から舞い降りてくる。この巨木を住処にしている三妖精だ。
「もー、なんで私たちの家が人間に見つかるのよ」
「サニー、隠すのサボったんじゃないの?」
「サボってないわよ! おっかしいなあ。ルナがなんかドジ踏んだんじゃないの?」
「踏んでない」
「そもそも、もう見つかっちゃってるんだから隠れても変わらないわよね」
わちゃわちゃと騒がしい三妖精に、私たちは笑みを漏らす。妖精が集まっていると、寺子屋の子供たちを相手にしている気分だ。ちなみに元気のいい子がサニーミルク、つんとすました子がルナチャイルド、お嬢様然とした子がスターサファイア。博麗神社で見かけたら遊び相手にでもなってあげると良い。
「それで、何か御用ですか」
ルナちゃんが私たちを見上げて問う。蓮子は帽子の庇を持ち上げてにっと笑った。
「その様子だと、さっきの騒動には気付いてないみたいね」
「騒動?」
「今日何かあった?」
「さあ……サニーが朝の紅茶をルナが読む前の新聞にこぼしたぐらいじゃない?」
「……あれやっぱりサニーだったのね」
「ちょっとスター、それは言わなくていいじゃない!」
わちゃわちゃ。
「あーあー諸君。お宝に興味はないかね?」
「お宝!?」
ばっと三人とも目を輝かせて振り返る。反応が現金なことで。
「えー、実はだね諸君。とある偉大な聖人を乗せる飛行船が、先ほど幻想郷の空に出帆したのであーる。ところがその船はちょっとした事故で、マストが砕けて幻想郷中に飛び散ってしまったのだ!」
「ほうほう」頷く三人。
「そのマストの破片は、聖人の力が宿っていて、破片になっても空を飛ぶ! その空飛ぶ破片を集めてきてくれた者には、聖人の秘宝を授けよう、という船長のお達しが!」
「おおー!」身を乗り出す三人。
「何も知らない妖精が勝手に持ち去ってしまった破片も多い。諸君には、その空飛ぶ木ぎれを取り戻してきてほしいのであーる!」
「秘宝ってなに?」とスターちゃん。
「さあ、それは見てのお楽しみ」
「どこに集めればいいんですか」とルナちゃん。
「人間の里の私たちのところに持ってきてくれるとありがたいわ。どう? やってくれる?」
「やりまーす!」と拳を突き上げるサニーちゃん。
お宝だってお宝! とまたわちゃわちゃと騒ぎ出す三人。話が早くて助かるが……。
「……ねえ蓮子、聖人の秘宝ってそんな約束勝手にしちゃっていいの?」
「キャプテンの底の抜けた柄杓でもあげれば喜んでくれるわよ」
そんなのでいいのだろうか。甚だ不安である。
「ではゆきたまえ光の三妖精! 空飛ぶ木ぎれを集め、聖人の秘宝を手に入れるのじゃ! ヒアウィーゴー!」
「おー!」
蓮子に簡単に乗せられた三妖精は、意気込んでぱっと飛び立っていく。「ふう」とやり遂げた感のある息を吐いた蓮子に、私はただ肩を竦めた。
「ん? なんだ、あんたたち来てたの?」
森を出て神社の境内に戻ると、霊夢さんが境内の掃除をしていた。森から出てきた私たちに、霊夢さんは胡乱げな視線をじろりと向ける。
「やっほー霊夢ちゃん。遊びに来たわ」
「お茶ならさっき飲んだばっかりだから出さないわよ。ていうか、森の中で何やってたのよ」
「いや別に、ちょっとした野暮用」
「野暮用ねえ。また何か妙なこと企んでるんじゃないでしょうね」
「いえいえ全く、滅相もない」
「そう? なんか私の勘が、またあんたらが何かしでかしそうって告げてるんだけど」
大当たりである。正確には、とっくにしでかしているのだが。
まあしかし、ムラサさんたちの魔界行きが霊夢さんに迷惑を掛けることはまずないだろう。それこそ、マストの破片探しの最中に偶然はち合わせて交戦状態にでもならない限りは。霊夢さんは基本、自分に迷惑が掛からない限りは動かないので、博麗神社にはなるべく近付かないように、とは既にムラサさんたちに伝えてあるし、大丈夫のはずだ。
「異変に巻き込まれないよう、せいぜい身を慎むことにしますわ」
「あんたたちは巻き込まれてるんじゃなくて自分から首突っ込んでるんでしょうが」
「ばれたか」
「全く……まあ、異変解決の邪魔しなければ別にいいんだけど。そういえば、あいつは一緒じゃないの?」
「早苗ちゃん? 最近は守矢神社の方が忙しいらしくて、あんまりこっちに来ないわ」
「ふうん。あいつらもまた何か悪巧みしてるのかしらね」
霊夢さんが腕を組んで唸る。何しろ守矢神社は先日の《怨霊異変》の元凶だったわけで、霊夢さんから要注意扱いされるのはむべなるかな。
「そういえば霊夢ちゃん、温泉の方はどう?」
「あー、せっかく作ったのに入りに来るのは妖怪ばっかりよ。あてが外れたわ」
「入りに来るのってたとえば?」
「紫とか藍とか萃香とか文とか、あの地底の猫とか。野良妖怪が勝手に入ってたりするし」
お燐さん、あれからちょくちょく地上に出ているらしい。そういえば地上と地底の不可侵条約はどうなるのだろう。なし崩し的に緩和されるのだろうか。
「ふうん。ねえメリー、せっかくだしちょっと温泉浸かっていかない?」
「え? なによ急に。着替えとかタオルとか持ってないわよ」
「いいからいいから。霊夢ちゃん、タオルと石鹸貸してくれたりは」
「ないわよ、そんなの」
「サービス悪いわねえ。そんなんだから人が来ないんじゃないの?」
「うるさい。あと温泉入るなら賽銭入れていきなさい、多めに」
霊夢さんは賽銭箱を指さす。昨年の地震騒動で二度も本殿が倒壊したため、巻き込まれた家財道具の費用が大変なことになり火の車なのだとかなんとか。世知辛い話だ。
「霊夢ちゃん、もうちょっと神社の集客真面目に考えた方がいいわよ。例大祭開いて屋台集めてショバ代ハネるとかして」
「ショバ代?」
「要するに出店料。境内の区画を貸す賃貸料ね。屋台を出す方は、賃貸料を払ってもそれを大きく上回る売り上げが見込めるならいい儲け話だし、参拝客の方もいろんな屋台が集まってれば遊びに来ようかって気になるじゃない。で、霊夢ちゃんは元手もいらず境内を貸すだけで商売繁盛丸儲け。土地持ちの特権よ」
「竹林の詐欺兎の話並に怪しいわねえ。そんな美味い話あるの?」
「ごく当たり前の市場経済の話をしてるんだけどねえ」
どうも霊夢さん、商売とか経済という概念に対してそもそもほとんど知識が無いようである。思いきり胡散臭そうな視線を向けられ、蓮子はただ苦笑して肩を竦めた。
―6―
せめてタオルの一枚ぐらい、と蓮子が霊夢さんと交渉し、洗濯して返すことを条件に無事二枚のタオルを確保して、神社の奥の森の中にあるという温泉の方に向かうと、ほどなく温泉の湯気と脱衣所らしき建物が見えてきた、のだが。
「……これが脱衣所?」
「ワイルドねえ」
いや、これを脱衣所と呼んでいいのか。四本の柱を立てて筵を巻いて固定しただけではないか。空を飛ぶ妖怪が大勢いるというのに上空からは丸見えだし、雨が降ったら大惨事だ。まあ雨の中で露天の温泉に入りに来る者もいないだろうが。
入口らしい筵の切れ目をめくって中に入ると、中は地べたにいくつか竹編みの籠が置いてあるだけだった。これほどまでにやる気の無い様を見せつけられるとかえって爽快である。
「ま、たまにはいいわね、こういう野生に帰る感じも」
「私は可能な限り人間的でありたいわ。……あら、先客がいるみたい」
脱衣所の隅に、脱いだ服を突っ込んだ籠がある。この白黒の服は……。
「魔理沙ちゃんかしらね」
「……蓮子、妖怪の賢者がいるかもってつもりで来たでしょ?」
「まさかこんな形で会えるなんて思ってないわよ。ほらほらメリー、脱いだ脱いだ」
「自分で脱ぐから!」
隙あらば私の服に手を掛けようとする蓮子を押しやって、手早く服を脱いで空いた籠に畳んで入れ、タオルを巻いて反対側から脱衣所を出る。
「おー、温泉、温泉、露天風呂」
「脱衣所もワイルドなら湯船もワイルドねえ」
温泉というか、池を掘って岩で囲って間欠泉のお湯を引いただけという感じである。蓮子がしゃがんで手をつけ、「大丈夫、人間が入れる温度だわ」と言って、近くに転がっていた桶でお湯をすくって頭から被る。ぶるぶると頭を振った蓮子は、タオルを畳んで頭に乗せて、半ば飛びこむように湯船に入っていった。
「んーっ、ちょっと熱いけど良い感じ。メリーもおいでおいで」
「はいはい」
タオルで髪をまとめて、桶でかけ湯をしてから私も温泉に足を入れる。確かにちょっと熱いが、そのぶん身体の芯からあったまる感じだ。足元がごつごつしていてちょっと痛いのが難点か。なるべく平らなところを探して肩まで身体を沈めると、はあ、と思わず息が漏れる。
「あ〜、極楽極楽」
「気持ちいいわね……」
湯船の中でふたり、まったりしていると、湯気の向こうでばしゃばしゃと子供がはしゃぐような水音。なんだろうと目を凝らすと、湯気の向こうに先客の姿が見えた。
「お? 誰か入ってきたと思ったらお前らかよ」
「あら魔理沙ちゃん。ルーミアちゃんも一緒?」
先客は魔理沙さんだけかと思ったら、一緒に入っている影がもうひとつある。金色の髪に赤いリボンを結んだその姿は、宵闇の妖怪であるルーミアちゃんだ。妙に湯船の奥が薄暗いと思ったら彼女のせいか。彼女は普段はそのへんをうろうろしている野良妖怪だが、魔理沙さんに懐いているようで、宴会ではときどきじゃれついている姿を見かける。
「一緒っていうか、こいつがだいぶ臭ってたんで、ここに放り込みに来たんだよ」
「だって寒いときに水浴びしたくないもん」
「だったらせめてウチに来い。風呂ぐらい入れてやるぜ」
「んー……」
ルーミアちゃんはあまりお風呂が好きではないのか、ちょっと不満げな顔をしている。そういえば子供ってなんでかお風呂嫌いよね、と寺子屋の子供たちを思いだした。
「まりさー、もうあがっていい?」
「もうちょっとゆっくりつかれよ」
「そうそう、肩までつかって百まで数えるのよ」
「えー」
蓮子の言葉に、むー、とふくれたルーミアちゃんは、「ねえ魔理沙、蓮子は食べてもいい人類?」と物騒なことを言い出した。
「いやいや食べないで頂戴」
「そうよ、蓮子なんか食べたって美味しくないわよ。脂肪が少ないから」
「ちょっとメリー、それどういう意味?」
半眼で睨む蓮子の視線を受け流し、それから私はルーミアちゃんの髪に結ばれたリボンに目を留めた。そういえば、お風呂でリボンを結びっぱなしというのはどうなのか。
「……魔理沙さん、ルーミアちゃんのそのリボン、外してあげたら?」
私がそう言うと、「ん?」と魔理沙さんはルーミアちゃんを見やり、「ああ」と頭を掻いた。
「いや、実はこのリボン、取ってやろうとしても外れないんだよ」
「え? どういうこと?」
「前に霊夢に聞いてみたんだが、どうもこれ自体がお札らしくてな。こいつは自分じゃ触れもしないんだと。あ、誰が何のためにこいつにつけたんだかは私も霊夢も知らないぜ」
ルーミアちゃんの頭をぽんぽんと撫でながら魔理沙さんは言う。
「お札? じゃあ、それで何かを封印してるってこと?」
蓮子が興味津々な様子でリボンに手を伸ばす。「危ないわよ」と私が止めるのにも構わず、蓮子はリボンの端をつまんだが、「わっ」と驚いたようにすぐ手を放した。
「ちょっと蓮子、大丈夫?」
「あ、うん……なんか静電気みたいにびりっとしたわ。ねえ、結界みたいなものならメリーの目に見えるんじゃないの?」
「個人に対する結界なんて初めて見たからわからないわよ」
目を凝らしてみるが、私の目にもルーミアちゃんのリボンに境界は見えなかった。個人に貼られたお札の結界ってどんなものになるのだろう。耳なし芳一の全身に書かれた写経がいちばん解りやすいイメージではあるが……。
「何のためのお札なのかしらねえ。ルーミアちゃんの真の能力を封印しているとか?」
「真の能力って何だよ。こいつ周囲を暗くするだけだぜ?」
「いやいや魔理沙ちゃん、光を遮る能力ってそう馬鹿にしたものじゃないわよ。太陽光のエネルギーを完全に遮断しちゃえば、闇の内部で敵を凍えさせたりできるし。そのままでも吸血鬼と組んだらけっこう強力だと思わない?」
「レミリアとか? 確かにそいつは面倒臭そうだな」
蓮子と魔理沙さんがそんなことを言い合っていると、話題の中心なのに置いてけぼりをくらっているルーミアちゃんが「んー、もうあがる!」と立ち上がって湯船の外に出て行ってしまった。
「あ、こら、あがるならちゃんと身体拭け!」
魔理沙さんが近くの岩に引っかけていたタオルを手に取ってルーミアちゃんを追いかけていく。それを見送っていると、蓮子が髪を弄りながら「意外なところに面白そうな秘密が転がっていたわねえ」と楽しげに笑った。
「ルーミアちゃんにお札をつけたのは何者か。それで何を封印したのか。興味深いわ」
「封印を解いたら実は幻想郷最強クラスの妖怪だとか?」
守矢神社に置いてある漫画にありそうな話だ。
「レミリア嬢やフランドール嬢といい、萃香ちゃんといい、幻想郷だと外見と強さは比例しないからね。ルーミアちゃんが実は最強でもおかしくないわ」
「それで凶暴すぎて封印されたって? フランドール嬢じゃあるまいし……」
「でも封印されるには、されるだけの理由があるわけじゃない。地底の怨霊だって――」
蓮子がそう言いかけて、不意に言葉を切った。
「どうしたの?」
私が問うと、蓮子は顎に手を当てて、「そういえば……」と小さく唸る。
「……ねえメリー、キャプテンたちが救おうとしている聖白蓮って、どうしてわざわざ魔界なんかに封印されなきゃいけなかったのかしら?」
その言葉に、私はきょとんと目をしばたたかせた。
第9章 星蓮船編 一覧
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ルーミアのお札マジでなんなんだろうね…
二次創作の有名所では「東方幼霊夢」とかか。
魔界に封印されなければいけない訳か…。その辺にぬえが絡んでるのかな?
今後が楽しみです。
三妖精チョロい
さておき、思いがけずルーミアのリボンの謎とそこに引っ掻けて白蓮が封印された理由ですか。ルーミアのリボンの謎に秘封倶楽部の二人が触れるのか気になりますが、なるほど魔界に封じられた理由……魔界なんかにって言い方だと何故わざわざ魔界に? って疑問なのかしら。どうなるのか、次回が楽しみです
ルーミアと魔理沙が幸せそうで何より
せっかくの温泉回なのにイラストがないだとぅ!?
蓮子とメリーと魔理沙とルーミアと蓮子の温泉イラスト見たいなぁ……|ω•)チラッ
ゆかりんとか藍様とか萃香ちゃんとか文ちゃんとかお燐とか……温泉入ってたんだ……
フーン……|ω•)チラッ