―37―
「所長! メリーさんをお借りしていいですか!」
翌日の夕刻。事務所に飛びこんできた早苗さんが、唐突にそんなことを言った。いや、早苗さんはいつも唐突だが。私たちはぽかんと振り返る。
「どしたの、早苗ちゃん。メリーは私のだからあげないわよ」
「ひとを勝手に自分のものにしない」
「ちょっと借りるだけです! すぐ返しますから」
「早苗さんも、ひとを物扱いしないでくれない?」
「どうどう、早苗ちゃん。メリーを何に使うのか用途を述べて頂戴」
「あ、はい。お借りしたいのはメリーさんの目です」
「義眼じゃないんだから外せないわよ」
「いえ、手伝っていただきたいんです。UFO騒ぎの犯人を見つけるのに!」
私たちは顔を見合わせる。
「UFO騒ぎの犯人って、聖輦船のマストの破片をUFOに見せかけた妖怪のことよね?」
「はい! 今回妖怪退治するつもりで魔界まで行ったのに、結局妖怪助けになっちゃいましたから、ここはやっぱり霊夢さんの先を越してきっちり妖怪退治を果たしておきたくて。それで残りのUFOを探してみたんですけど、なかなか見つからなくて……。犯人を見つけるのに、メリーさんの結界レーダーな目をお借りしたいんです」
「いや、私の目は結界や境界の類いが見えるだけで、妖怪探知機じゃないんだけど……」
「とにかく! UFOを捕まえたという私の感動を返してもらうためにも、このUFO騒ぎの犯人にはきっちり落とし前をつけないとなんです!」
「そもそもこれがUFO騒ぎになったのって早苗さんのせいじゃ」
「――なるほど、確かにそれならメリーは役に立つかもね」
抵抗する私の横で、蓮子が唐突にそんなことを言い、私は目を剥いた。
「ちょっと蓮子、何よ急に」
「いや、UFO騒ぎの犯人って例の正体不明の妖怪でしょ? 物体を別のものに見せかける能力を持ってるみたいだけど、今までの経緯を考えるとメリーにはその能力が通用しないんだから、最強の対抗手段だと思うわ。早苗ちゃん、目のつけどころがシャープよ」
ぐっと親指を立て、そして蓮子は立ち上がる。
「というわけで、メリーが行くなら私も同行するわ」
「いや、私は行くとは一言も――」
「例の正体不明の妖怪については私も気になってるし、その正体を確かめに行くわよ早苗ちゃん! 秘封探偵事務所、出動よ!」
「はい! 守矢神社の信仰アップのために!」
――結局いつも通りの流れである。私はがっくりとため息をついた。
かくして私たちは、夜の空に鵺退治に出かけることになる。
とはいうものの、やっぱり二人を抱えては早苗さんが戦いにくい。
そんなわけで私たちは、まず先に聖輦船に立ち寄った。今日は霧の湖の近くに停泊していた聖輦船に近付くと、例によって一輪さんが雲山さんとともに寄ってくる。
「いっちゃん、こんばんは」
「あ、こんばんは。今日は何用でしょう?」
「あー、いや船に用があったわけじゃないの。ちょっと、雲山さん貸してくれない?」
「雲山を? はあ、どうしてまた」
「一応確認しておくけど、聖輦船のマストを壊した犯人、まだ捕まってないわよね?」
「あ、ええ……ナズーリンが飛倉の破片の残りと一緒に今日も探していますが」
「それを早苗ちゃんと探しに行こうと思って。この体勢だとどうしても早苗ちゃんの邪魔になっちゃうから、雲山さんに乗せてほしいのよ。飛べない人間の悲しみだわ」
「はあ。雲山、どう? ……別にいいって? まあ、雲山がそう言うなら」
了解してくれたらしく、雲山さんが一輪さんの背後からするりと私たちの足元に移動する。私たちは早苗さんの手を放して雲山さんの上に乗り移り、蓮子が「どうもありがとう、助かったわ。今晩中には返しに来るから」と手を振った。
「よろしく、雲山さん」
蓮子が言うと、雲山さんは頷いたのか少し揺れた。一輪さんが肩を竦める。
「あー、おふたりとも筋斗雲みたいで羨ましいですそれ」
「早苗ちゃんも乗る?」
「いいんですか? じゃあお言葉に甘えて」
というわけで、私たち三人を乗せて雲山さんは聖輦船のもとを飛び去る。一輪さんは最後までなんだか釈然としないような顔をしていた。
で、そのまま正体不明の妖怪退治に向かうはずだったのだけれど。
「あんたたち、こんなところで何やってんのよ」
「お? なんでお前らが入道に乗ってるんだ」
最初に出くわしたのは、よりにもよって霊夢さんと魔理沙さんだった。
「あら、こんばんは霊夢ちゃん魔理沙ちゃん。そっちこそ何してるの?」
「例の妖怪を退治しに向かうところよ」
「そいつを見物についてきたぜ」
「奇遇ですね! でもその妖怪は私が先に退治します!」
「あー? お前、そいつの居場所わかってんのか?」
「これから探すところです! 妖怪レーダーも連れてきました!」
「だから私妖怪レーダーじゃないってば……」
「あのね、この二人が首突っ込んでくるのにはもう慣れたけど、あんたまで便乗するんじゃないわよ。こいつら戦えないんだから、足手まといじゃないの」
呆れ顔の霊夢さんに、蓮子が「まあまあ霊夢ちゃん」と手を挙げる。
「少なくとも、メリーは今回役に立つと思うわ」
「え? どういう意味よ?」
「霊夢ちゃんには説明するより、実際にメリーが役立つところを見てもらった方がいいと思うわ。その妖怪がどこにいるかわかる?」
「あー、それはたぶんこいつが教えてくれるぜ」
蓮子の問いに、魔理沙さんが木ぎれを取りだして答えた。魔理沙さんがそこから何かを弄って、小さな蛇を取り出す。それを夜空に放ると、蛇は鳥に姿を変えて飛んでいく。
「このUFOの中身、どうやら持ち主のところに戻りたがってるようだぜ。あっちだ」
魔理沙さんが鳥の飛んでいく方角を指さした。無縁塚の方だ。「よし、じゃあ行ってみましょ」と蓮子が言い、「言われなくてもそうするわよ」と霊夢さんは宙を蹴ってそちらへ飛んだ。魔理沙さんも後を追い、私たちも雲山さんに頼んでその後を追いかける。
「私が先に退治します!」早苗さんが我慢しきれずに雲山さんの上から飛び出して、霊夢さんを追い抜こうとする。「邪魔するんじゃないわよ」と霊夢さんもスピードアップ。「おいおい、私を差し置いてスピード競争なんていい度胸だぜ」と魔理沙さんまで加速し、雲山さんのスピードでは追いつけなくなってくる。
「うらめしやー! この間は失敗したわ。人間を驚かすには、やっぱり夜じゃないとね!」
「邪魔よ」「邪魔です!」「邪魔だぜ」
「あれえええええええええええ!?」
無謀にもその前に飛び出してきた唐傘お化けが、またあえなく吹っ飛ばされていった。
―38―
魔理沙さんの推測は的中していたようで、無縁塚に近付くにつれて空を飛ぶ木ぎれ(私以外にとってはUFO)の姿が目につきだした。
「おお、UFO多発地帯だな。こりゃこの近くに何かいそうだ」
「ていうか、何か変な鳴き声が聞こえません? 鳥なのか獣なのか赤ん坊なのか……」
「正体不明のこの不気味な鳴き声……まさか」
霊夢さんが顔を引き締める。私の耳にも、その何の鳴き声とも判別しがたい不気味な声が聞こえていた。私は夜空に視線を巡らす。木ぎれが舞う夜の闇に紛れて――蠢く影。
次の瞬間、私の目にははっきりと見えた。大樹の頂上に腰掛けて、こちらをにやにやと見つめる黒髪の少女の姿が。――私と視線が合った瞬間、少女は「げっ」と声に出して顔を歪め、その背中の奇妙な形の羽根を揺らして、大樹の頂上から飛び立つ。
「早苗さん、あそこ! 女の子の妖怪がいるわ!」
私が指さすと、早苗さんのみならず、その場の全員がそちらを振り向いた。
「この鳴き声……古来より正体不明とされてきた妖怪、鵺ね!」
霊夢さんがお祓い棒を向けてそう声をあげると、「あーっ、もう!」と少女は叫び、奇妙な形の羽根をはためかせて私たちの前に姿を現した。
「ご名答! まさか妖怪退治の人間が聖救出に手を貸すなんてね。その上、ありもしないUFOの中身をこじ開けて私を追ってくるなんて、驚いたわ」
鵺の少女――ムラサさんから聞いたところによると、封獣ぬえという名前らしい――は、余裕を見せようという態度の中に苛立ちを隠しきれない様子で、こちらを見つめる。
「鵺? 鵺って、頭は猿で体は狸、手足は虎で尾は蛇じゃなかったのか?」魔理沙さんが首を傾げ、早苗さんが「ぬえ、鵺……鵺野鳴介! バリバリ最強1ですね!」と連想ゲームを始めて何か歌い始めた。たぶん違うと思う。
ぬえさんは魔理沙さんをじろりと睨み、「正体不明ならなんで姿が判るのよ」と言った。
「そりゃ、昔からの言い伝えで」
「私は滅多に人間の前に姿を現したりしないわ。正体不明が人間を怖がらせるのに一番効率がいいって知ってるもの」
「え、今の姿が正体なら正体知っちゃいましたよ私たち」早苗さんが言う。
「そうよ! そこの人間!」と、ぬえさんは苛立たしげに私を指さした。
「え、私?」
「私からしたら、あんたが一番正体不明よ! 地底で見かけたときから、私の能力が一切効かないなんて……今だって正体を見せるつもりなんかなかったのに、あんたに見つかっちゃったせいで――せっかくの正体不明が台無しよ」
そんなことを言われても、私にはどうしようもない。
「ちょっと蓮子、メリーが役に立つってこういうこと?」霊夢さんが問う。
「そういうことですわ。メリーの目には鵺の能力が通用しないようで」蓮子が笑って答える。
「まあ、なんでもいいわ」霊夢さんは息を吐き、お札を取りだして身構える。
「ぶっちゃけ今の私は機嫌が悪い――って言おうと思ってたんだけど、まさか鵺なんて伝説の妖怪を相手にできるとはね。これこそ妖怪退治冥利に尽きるってもんだわ、楽しくなってきたじゃない! 語り継がれてきた正体不明の妖怪がどれほどの物か見せてもらうわよ!」
霊夢さんは、その顔にいつになく楽しげな笑みを浮かべる。
その笑みを受けて、ぬえさんも不敵に笑って身構えた。
「夜の恐怖を忘れた人間よ! 正体不明の飛行物体(だんまく)に怯えて死ね!」
――かくして、UFO(飛倉の破片)が舞う夜空に、博麗の巫女対鵺の弾幕ごっこが花開いた。霊夢さんがあまりに楽しそうなので、魔理沙さんは苦笑して「こりゃ邪魔できんな。ちょっと下がろうぜ」と言い、早苗さんは「ええー、私が退治するはずだったのに!」と不満げに言い募りつつも、口を尖らせて一歩下がる。
でもって、レーダーとしての役目を終えた私たちはというと――。
「雲山さん、近くにナズーリンさんが来てません? もし来てたら、そっちに行ってほしいんですけど」
蓮子が足元の雲山さんにそう呼びかける。雲山さんはどうやらまた頷いたように小さくその身を揺らし、私たちを乗せたまま、霊夢さんが弾幕ごっこを繰り広げる空を離脱、無縁塚近くの森の中に降りていく。
暗い森の中に下りていくと、その暗がりの中でこちらを見上げて身構える小さな影が見えた。ナズーリンさんだ。ここに集まっている飛倉の破片を回収しに来ていたらしい。
「雲山? それに……君たちは一昨日の」
「どうもこんばんは、ナズっち」
「だから君にナズっちと呼ばれる筋合いはないと言っている!」
手を振る蓮子に、ナズーリンさんは憤慨したように吼える。蓮子はひらりと地面に飛び降り、私に手を差し伸べた。私が降りると、蓮子は雲山さんに「ちょっとナズっちと内密な話があるから」と声をかける。雲山さんはその厳めしい顔に怪訝そうな表情を浮かべるが、ふわりとそのまま森の上空に姿を消した。
「こら、勝手に決めるんじゃない。私には君たちと話すことはないよ」
「あらナズっち、私たちは貴方が壊した窓の修繕費の取り立てに来たんだけど。あと宝塔代」
「ぐぬ――だからそれは後日ちゃんと支払うと」
「ええ、だからその支払いを待ってあげる代わりに、ちょっとこっちの話を聞いてほしいの」
「……何の話だい」
「聖白蓮さんについて」
蓮子の言葉に、ナズーリンさんが目を細める。
「私たちは今回の聖白蓮さん救出作戦の主犯なわけだけど、千年前の彼女の封印には、私たちの知らない秘密があるんじゃないかと思うのよ」
「――私に訊かれても、私は聖の直接の弟子じゃない。私は何も知らないよ」
「本当に?」
「ああ」
「そう、じゃあ私の想像を聞いてくれないかしら。まるっきりの大間違いか、それとも真実にちょっとでも掠っているか、それを答えてくれとは言わないわ。ただ、脇から首を突っ込んだ私には、聖白蓮さんの封印にまつわる話が、こういう風に見えたっていう話」
「どうして君の想像なんかを、私が聞かないといけないんだい」
「あら――じゃあ私の勝手な想像を、キャプテンやいっちゃんに話してもいい? 貴方と貴方のご主人様は、白蓮さんの封印に協力した側だっていう想像を」
「――――――」
虚を突かれたように、ナズーリンさんは目を見開いた。
「……どうしてそんな話になるのか、理解に苦しむね」
「じゃあ、理解してもらえるように説明いたしますわ。私がどうしてそういう結論に至ったのかを。いや、そもそも千年前の聖白蓮の封印とは何だったのかについて、私が辿り着いた、とりあえずの結論を。すなわち――」
蓮子は咳払いして、そしておもむろに語り始める。誇大妄想という名の推理を。
「千年前、白蓮さんの犯した罪とは、弟の死を受け入れなかったことだったと」
―39―
ナズーリンさんは、凍りついたような無表情のまま、その言葉を聞いていた。
「そもそも、千年前の封印における最大の疑問点は、キャプテンといっちゃん、貴方とそのご主人様の四人が、解放の鍵となる宝塔と聖輦船を伴って寺を脱出できたことだったわ。牢獄の鍵を、囚人の家族に持たせておくなんて、どう考えても不自然だもの。宝塔と聖輦船が白蓮さんを解放する鍵なら、それらもまた別に、白蓮さんを助けたいと願う貴方たちの手の届かぬ場所に封印されていなければおかしい。そうでなければ、そもそも白蓮さんを封印する意味がない。貴方たちはすぐにでも白蓮さんを解放しようとするでしょうからね。――なのに、貴方たちは閻魔様の裁定が下ったあと、白蓮さんから宝塔と聖輦船を託されて寺を脱出したという。これは明らかな矛盾だわ。白蓮さんにとって封印が不本意な裁定で、早期解放を望んでいたとしても、わざわざ裁定に来た閻魔様がそれを見逃すとは思えない。
これを説明するには、こう考えるしかない。宝塔と聖輦船の所有者のどちらかが、白蓮さんの封印に賛同し、協力した側である、と。そして、キャプテンといっちゃんだけが捕まり地底に封印されたのは、彼女たちが協力者ではなかったからだと」
「――それで、逃げ切った私たちが協力者だと?」
「もちろん、それはあくまで消極的な論拠に過ぎないわ。――でも、神綺様から聞いちゃったのよ。白蓮さんを封印する法界の結界は、博麗の巫女があの宝塔を使って張ったと」
「――――」
「逃げ切ったはずの貴方たちが持っている宝塔を、どうして博麗の巫女が、白蓮さんを封印するのに使うことができたのか。――貴方のご主人様が、封印に協力した側だと考えるしかないじゃない。貴方のご主人様が、宝塔と聖輦船があれば白蓮さんを復活させられると知っていたことも、それなのに千年間もムラサさんたちを地底から救出しようとしなかったことも、その傍証だわ」
ナズーリンさんは小さく鼻を鳴らして、近くの倒木の幹に腰を下ろした。
「ひどい濡れ衣だ、と言いたいところだけどね。――確かに、聖輦船を千年も地底に放置したご主人様の消極性は責められても仕方ない。それで? 君の考えだと、私とご主人様は、聖やキャプテンたちを裏切ったユダというわけかい?」
「いいえ。むしろ、貴方たちは白蓮さんの本当の意向を汲んだんじゃないのかしら?」
「――――」
「魔界に封印されることが、白蓮さん自身の意志であり――かつ、その本当の理由を、貴方のご主人様だけに打ち明けて、彼女がそれに協力したとすれば、白蓮さん復活までの経緯は全て平仄が合うのよ。――貴方のご主人様が、宝塔をなくしたことも」
「――――」
「貴方のご主人様は、宝塔をうっかり流出させてしまったのではなく、自分の意志で手放したのではないのかしら? 白蓮さんを解放したいという意志と、それなのにキャプテンたちに内緒で封印に協力した後ろめたさとで引き裂かれた結果――というのは、私の邪推だけれど」
「本当に、邪推だね」
ナズーリンさんは皮肉げに唇の端を吊り上げる。
「ええ、これはあくまで私の邪推よ。白蓮さんがなぜ封印されたのかについても。閻魔様が裁いた彼女の罪が何だったかも――傍証は手に入れてるけれどね」
「……魔界の神様からかい?」
「ご明察。神綺様から伺ったわ。そもそも、白蓮さんはなぜ魔法使いになったのか、その本当の理由から。弟の志を継いで仏の教えを広めて回るために若返った――という、キャプテンから聞いていた理由とは、全く異なる動機を。――弟を蘇らせたい、という」
『――白蓮さんは、弟さんを蘇らせるために魔法使いになったのよ』
神綺様は、蓮子の問いに、そう答えたのだ。
『彼女は、弟さんの亡骸を抱えて魔界にやって来て、私に頼んだの。弟を生き返らせてほしい、そのためならどんな犠牲も払う、と。弟は偉大な聖人だから、自分より先に死んでしまうなんてことはあってはならない、自分も老い先短い身だから、せめて自分の命に替えても弟を救いたい――って』
『……それで、どうしたんですか?』
『確かに、死者の魂を呼び戻す魔法はあるわ。だけど、そんな枯れ木のような老いて弱り切った肉体に魂を呼び戻しても、永くは保たないわ、と私は断ったの。そうしたら白蓮さんは、だったら私を魔法使いにしてください、と言ったの。私が魔法使いとして若返り、この身を弟に捧げます――と』
『――――――』
『お母様、そういう話に弱いから〜』
『だって、いい話じゃないの。老いてなお強い絆で結ばれた人間の姉弟愛って、ねえ』
ルイズさんの茶化しに、目を細めて神綺様は微笑んだ。――蓮子は眉間に皺を刻んで、ひとつ息を吐き出す。
『その魔法というのは……反魂の秘術と呼ばれるものですか?』
『ええ、魔界の外ではそう呼ばれているけれど――それがどうかした?』
『いえ……その術にちょっと関わったことがありまして。けれど、若返った白蓮さんの肉体を使って弟さんを蘇らせたら、白蓮さんはどうなるのですか?』
『ひとつの身体に、ふたつの魂が共存することになるわ。それによって貴方と弟さんの魂がどういうことになるかは、私にはわからない――それでもいい? と私は白蓮さんに確認したの。白蓮さんは頷いて、そして私たちは契約を交わしたわ』
「白蓮さんは、弟の命蓮上人を蘇らせるために魔法使いになった。そして彼女は、亡くなった弟の魂を、自分の肉体に移し替えて保存していた。その結果、白蓮さんの肉体には、白蓮さん自身の魂と、命蓮上人の魂とが共存することになった。――まるで二重人格のように。
そして、白蓮さんは魔法使いという妖怪になり、命蓮上人は白蓮さんの肉体を依り代にした亡霊となった。この二重人格的状況を、白蓮さんがいつまでも続ける気がなかったとすれば。彼女が妖怪を助け始めた理由も――最初は、弟の魂の器を探してのことだったんじゃないのかしら。自分の中の弟の魂を、また別の器に移し替えて、完全に弟を蘇らせる――その器は、不老長寿となった自分よりも永く生きられる、妖怪の肉体でなければならかった。
彼女の犯した罪はそこにあった。そして、死者を裁く閻魔様が、生きている白蓮さんを裁きにわざわざ現れた理由もまたそこにあったわけね」
「――――」
「だとすれば、千年前、閻魔様が下した裁定とは即ち、白蓮さんの肉体から、命蓮上人の魂を分離することだった。白蓮さんの犯した罪とは、弟の死を受け入れず、成仏させようとしなかったこと。その罰として、白蓮さんは弟の魂から引き離され、魔界へと封印された。閻魔様の裁定を受けて、白蓮さんはその罰を受け入れた。その魔力を宝塔に封じて。宝塔によって張られた法界の結界が魔力結界だった以上、宝塔に封じられたのは魔法使いである白蓮さんの力であると考えるべきでしょうしね」
蓮子が言葉を切ると、ナズーリンさんは皮肉げな笑みを浮かべて鼻を鳴らした。
「それはまた、随分突飛な妄想だね」
「ええ、全て我田引水の妄想ですわ」
「それで? 君の妄想だと、ご主人様は聖のその罪を知っていて、キャプテンたちに隠れてそれに協力したというわけだ。――でもそれなら、千年も待つ必要はなかったんじゃないのかい。聖から切り離された命蓮上人の魂が成仏すれば、聖の罪はなくなるんじゃないのかい? 魂が成仏するのに千年もかかったわけじゃあるまいし」
「それが、成仏しなかったのだとしたら、どうかしら? 命蓮上人は、自分を助けようとした姉が、そのために魔界に封じられてしまったという未練が残ってしまったわけだから」
「――――――」
「そう、白蓮さんが成仏させることを拒絶した命蓮上人が、今度は自ら成仏を拒絶してしまったなら。姉への未練を残したまま、姉の身体から切り離された命蓮上人の魂が、依り代を求めて――自分自身の法力を宿した物体に宿ってしまったとしたら」
ナズーリンさんが、その表情を強ばらせた。
「聖輦船はもともと、命蓮上人の飛倉だったそうね。そう、罪を犯して封印されたのは白蓮さんだけではなかったとすれば。命蓮上人もまた、成仏することを拒絶し、自身の法力で飛ばしていた聖輦船に宿った亡霊となってしまっていたとしたら――キャプテンたちが地底に封印されたのは、聖輦船を地底に封印するためだった。成仏を拒絶した命蓮上人の魂は、地獄へと落とされたのよ。
だから白蓮さんの解放には、宝塔と聖輦船が必要だった。あの結界を張るのに用いられた白蓮さん自身の魔力と――そして、聖輦船に宿った命蓮上人の魂が、未練から解き放たれて成仏するために。
そして、白蓮さん自身は、自分から切り離された弟の魂が聖輦船に宿ってしまったことを知らなかったとしたら――白蓮さんには、弟の死を納得し、受け入れるだけの時間が必要だった。万一、聖輦船に宿った弟の亡霊と再会しても、もう妄執に囚われることのないように――」
――ああ、だから聖輦船は、白蓮さんが復活してから手動航行になったのか。
それまで船を動かしてきた、命蓮上人の魂が成仏してしまったから――。
「あのとき、魔界の扉の前に閻魔様が来ていたのも、聖白蓮の復活とともに、命蓮上人の魂の成仏も確かめに来ていたのだとすれば――今回の騒動は、紛れもなく冬の怨霊異変の続きだったわけになるわね」
蓮子はひとつ息を吐き出し、その推理という名の誇大妄想を締めくくる。
「そう、聖輦船もまた、間欠泉によって湧き出てきた地霊だったのだから――」
「所長! メリーさんをお借りしていいですか!」
翌日の夕刻。事務所に飛びこんできた早苗さんが、唐突にそんなことを言った。いや、早苗さんはいつも唐突だが。私たちはぽかんと振り返る。
「どしたの、早苗ちゃん。メリーは私のだからあげないわよ」
「ひとを勝手に自分のものにしない」
「ちょっと借りるだけです! すぐ返しますから」
「早苗さんも、ひとを物扱いしないでくれない?」
「どうどう、早苗ちゃん。メリーを何に使うのか用途を述べて頂戴」
「あ、はい。お借りしたいのはメリーさんの目です」
「義眼じゃないんだから外せないわよ」
「いえ、手伝っていただきたいんです。UFO騒ぎの犯人を見つけるのに!」
私たちは顔を見合わせる。
「UFO騒ぎの犯人って、聖輦船のマストの破片をUFOに見せかけた妖怪のことよね?」
「はい! 今回妖怪退治するつもりで魔界まで行ったのに、結局妖怪助けになっちゃいましたから、ここはやっぱり霊夢さんの先を越してきっちり妖怪退治を果たしておきたくて。それで残りのUFOを探してみたんですけど、なかなか見つからなくて……。犯人を見つけるのに、メリーさんの結界レーダーな目をお借りしたいんです」
「いや、私の目は結界や境界の類いが見えるだけで、妖怪探知機じゃないんだけど……」
「とにかく! UFOを捕まえたという私の感動を返してもらうためにも、このUFO騒ぎの犯人にはきっちり落とし前をつけないとなんです!」
「そもそもこれがUFO騒ぎになったのって早苗さんのせいじゃ」
「――なるほど、確かにそれならメリーは役に立つかもね」
抵抗する私の横で、蓮子が唐突にそんなことを言い、私は目を剥いた。
「ちょっと蓮子、何よ急に」
「いや、UFO騒ぎの犯人って例の正体不明の妖怪でしょ? 物体を別のものに見せかける能力を持ってるみたいだけど、今までの経緯を考えるとメリーにはその能力が通用しないんだから、最強の対抗手段だと思うわ。早苗ちゃん、目のつけどころがシャープよ」
ぐっと親指を立て、そして蓮子は立ち上がる。
「というわけで、メリーが行くなら私も同行するわ」
「いや、私は行くとは一言も――」
「例の正体不明の妖怪については私も気になってるし、その正体を確かめに行くわよ早苗ちゃん! 秘封探偵事務所、出動よ!」
「はい! 守矢神社の信仰アップのために!」
――結局いつも通りの流れである。私はがっくりとため息をついた。
かくして私たちは、夜の空に鵺退治に出かけることになる。
とはいうものの、やっぱり二人を抱えては早苗さんが戦いにくい。
そんなわけで私たちは、まず先に聖輦船に立ち寄った。今日は霧の湖の近くに停泊していた聖輦船に近付くと、例によって一輪さんが雲山さんとともに寄ってくる。
「いっちゃん、こんばんは」
「あ、こんばんは。今日は何用でしょう?」
「あー、いや船に用があったわけじゃないの。ちょっと、雲山さん貸してくれない?」
「雲山を? はあ、どうしてまた」
「一応確認しておくけど、聖輦船のマストを壊した犯人、まだ捕まってないわよね?」
「あ、ええ……ナズーリンが飛倉の破片の残りと一緒に今日も探していますが」
「それを早苗ちゃんと探しに行こうと思って。この体勢だとどうしても早苗ちゃんの邪魔になっちゃうから、雲山さんに乗せてほしいのよ。飛べない人間の悲しみだわ」
「はあ。雲山、どう? ……別にいいって? まあ、雲山がそう言うなら」
了解してくれたらしく、雲山さんが一輪さんの背後からするりと私たちの足元に移動する。私たちは早苗さんの手を放して雲山さんの上に乗り移り、蓮子が「どうもありがとう、助かったわ。今晩中には返しに来るから」と手を振った。
「よろしく、雲山さん」
蓮子が言うと、雲山さんは頷いたのか少し揺れた。一輪さんが肩を竦める。
「あー、おふたりとも筋斗雲みたいで羨ましいですそれ」
「早苗ちゃんも乗る?」
「いいんですか? じゃあお言葉に甘えて」
というわけで、私たち三人を乗せて雲山さんは聖輦船のもとを飛び去る。一輪さんは最後までなんだか釈然としないような顔をしていた。
で、そのまま正体不明の妖怪退治に向かうはずだったのだけれど。
「あんたたち、こんなところで何やってんのよ」
「お? なんでお前らが入道に乗ってるんだ」
最初に出くわしたのは、よりにもよって霊夢さんと魔理沙さんだった。
「あら、こんばんは霊夢ちゃん魔理沙ちゃん。そっちこそ何してるの?」
「例の妖怪を退治しに向かうところよ」
「そいつを見物についてきたぜ」
「奇遇ですね! でもその妖怪は私が先に退治します!」
「あー? お前、そいつの居場所わかってんのか?」
「これから探すところです! 妖怪レーダーも連れてきました!」
「だから私妖怪レーダーじゃないってば……」
「あのね、この二人が首突っ込んでくるのにはもう慣れたけど、あんたまで便乗するんじゃないわよ。こいつら戦えないんだから、足手まといじゃないの」
呆れ顔の霊夢さんに、蓮子が「まあまあ霊夢ちゃん」と手を挙げる。
「少なくとも、メリーは今回役に立つと思うわ」
「え? どういう意味よ?」
「霊夢ちゃんには説明するより、実際にメリーが役立つところを見てもらった方がいいと思うわ。その妖怪がどこにいるかわかる?」
「あー、それはたぶんこいつが教えてくれるぜ」
蓮子の問いに、魔理沙さんが木ぎれを取りだして答えた。魔理沙さんがそこから何かを弄って、小さな蛇を取り出す。それを夜空に放ると、蛇は鳥に姿を変えて飛んでいく。
「このUFOの中身、どうやら持ち主のところに戻りたがってるようだぜ。あっちだ」
魔理沙さんが鳥の飛んでいく方角を指さした。無縁塚の方だ。「よし、じゃあ行ってみましょ」と蓮子が言い、「言われなくてもそうするわよ」と霊夢さんは宙を蹴ってそちらへ飛んだ。魔理沙さんも後を追い、私たちも雲山さんに頼んでその後を追いかける。
「私が先に退治します!」早苗さんが我慢しきれずに雲山さんの上から飛び出して、霊夢さんを追い抜こうとする。「邪魔するんじゃないわよ」と霊夢さんもスピードアップ。「おいおい、私を差し置いてスピード競争なんていい度胸だぜ」と魔理沙さんまで加速し、雲山さんのスピードでは追いつけなくなってくる。
「うらめしやー! この間は失敗したわ。人間を驚かすには、やっぱり夜じゃないとね!」
「邪魔よ」「邪魔です!」「邪魔だぜ」
「あれえええええええええええ!?」
無謀にもその前に飛び出してきた唐傘お化けが、またあえなく吹っ飛ばされていった。
―38―
魔理沙さんの推測は的中していたようで、無縁塚に近付くにつれて空を飛ぶ木ぎれ(私以外にとってはUFO)の姿が目につきだした。
「おお、UFO多発地帯だな。こりゃこの近くに何かいそうだ」
「ていうか、何か変な鳴き声が聞こえません? 鳥なのか獣なのか赤ん坊なのか……」
「正体不明のこの不気味な鳴き声……まさか」
霊夢さんが顔を引き締める。私の耳にも、その何の鳴き声とも判別しがたい不気味な声が聞こえていた。私は夜空に視線を巡らす。木ぎれが舞う夜の闇に紛れて――蠢く影。
次の瞬間、私の目にははっきりと見えた。大樹の頂上に腰掛けて、こちらをにやにやと見つめる黒髪の少女の姿が。――私と視線が合った瞬間、少女は「げっ」と声に出して顔を歪め、その背中の奇妙な形の羽根を揺らして、大樹の頂上から飛び立つ。
「早苗さん、あそこ! 女の子の妖怪がいるわ!」
私が指さすと、早苗さんのみならず、その場の全員がそちらを振り向いた。
「この鳴き声……古来より正体不明とされてきた妖怪、鵺ね!」
霊夢さんがお祓い棒を向けてそう声をあげると、「あーっ、もう!」と少女は叫び、奇妙な形の羽根をはためかせて私たちの前に姿を現した。
「ご名答! まさか妖怪退治の人間が聖救出に手を貸すなんてね。その上、ありもしないUFOの中身をこじ開けて私を追ってくるなんて、驚いたわ」
鵺の少女――ムラサさんから聞いたところによると、封獣ぬえという名前らしい――は、余裕を見せようという態度の中に苛立ちを隠しきれない様子で、こちらを見つめる。
「鵺? 鵺って、頭は猿で体は狸、手足は虎で尾は蛇じゃなかったのか?」魔理沙さんが首を傾げ、早苗さんが「ぬえ、鵺……鵺野鳴介! バリバリ最強1ですね!」と連想ゲームを始めて何か歌い始めた。たぶん違うと思う。
ぬえさんは魔理沙さんをじろりと睨み、「正体不明ならなんで姿が判るのよ」と言った。
「そりゃ、昔からの言い伝えで」
「私は滅多に人間の前に姿を現したりしないわ。正体不明が人間を怖がらせるのに一番効率がいいって知ってるもの」
「え、今の姿が正体なら正体知っちゃいましたよ私たち」早苗さんが言う。
「そうよ! そこの人間!」と、ぬえさんは苛立たしげに私を指さした。
「え、私?」
「私からしたら、あんたが一番正体不明よ! 地底で見かけたときから、私の能力が一切効かないなんて……今だって正体を見せるつもりなんかなかったのに、あんたに見つかっちゃったせいで――せっかくの正体不明が台無しよ」
そんなことを言われても、私にはどうしようもない。
「ちょっと蓮子、メリーが役に立つってこういうこと?」霊夢さんが問う。
「そういうことですわ。メリーの目には鵺の能力が通用しないようで」蓮子が笑って答える。
「まあ、なんでもいいわ」霊夢さんは息を吐き、お札を取りだして身構える。
「ぶっちゃけ今の私は機嫌が悪い――って言おうと思ってたんだけど、まさか鵺なんて伝説の妖怪を相手にできるとはね。これこそ妖怪退治冥利に尽きるってもんだわ、楽しくなってきたじゃない! 語り継がれてきた正体不明の妖怪がどれほどの物か見せてもらうわよ!」
霊夢さんは、その顔にいつになく楽しげな笑みを浮かべる。
その笑みを受けて、ぬえさんも不敵に笑って身構えた。
「夜の恐怖を忘れた人間よ! 正体不明の飛行物体(だんまく)に怯えて死ね!」
――かくして、UFO(飛倉の破片)が舞う夜空に、博麗の巫女対鵺の弾幕ごっこが花開いた。霊夢さんがあまりに楽しそうなので、魔理沙さんは苦笑して「こりゃ邪魔できんな。ちょっと下がろうぜ」と言い、早苗さんは「ええー、私が退治するはずだったのに!」と不満げに言い募りつつも、口を尖らせて一歩下がる。
でもって、レーダーとしての役目を終えた私たちはというと――。
「雲山さん、近くにナズーリンさんが来てません? もし来てたら、そっちに行ってほしいんですけど」
蓮子が足元の雲山さんにそう呼びかける。雲山さんはどうやらまた頷いたように小さくその身を揺らし、私たちを乗せたまま、霊夢さんが弾幕ごっこを繰り広げる空を離脱、無縁塚近くの森の中に降りていく。
暗い森の中に下りていくと、その暗がりの中でこちらを見上げて身構える小さな影が見えた。ナズーリンさんだ。ここに集まっている飛倉の破片を回収しに来ていたらしい。
「雲山? それに……君たちは一昨日の」
「どうもこんばんは、ナズっち」
「だから君にナズっちと呼ばれる筋合いはないと言っている!」
手を振る蓮子に、ナズーリンさんは憤慨したように吼える。蓮子はひらりと地面に飛び降り、私に手を差し伸べた。私が降りると、蓮子は雲山さんに「ちょっとナズっちと内密な話があるから」と声をかける。雲山さんはその厳めしい顔に怪訝そうな表情を浮かべるが、ふわりとそのまま森の上空に姿を消した。
「こら、勝手に決めるんじゃない。私には君たちと話すことはないよ」
「あらナズっち、私たちは貴方が壊した窓の修繕費の取り立てに来たんだけど。あと宝塔代」
「ぐぬ――だからそれは後日ちゃんと支払うと」
「ええ、だからその支払いを待ってあげる代わりに、ちょっとこっちの話を聞いてほしいの」
「……何の話だい」
「聖白蓮さんについて」
蓮子の言葉に、ナズーリンさんが目を細める。
「私たちは今回の聖白蓮さん救出作戦の主犯なわけだけど、千年前の彼女の封印には、私たちの知らない秘密があるんじゃないかと思うのよ」
「――私に訊かれても、私は聖の直接の弟子じゃない。私は何も知らないよ」
「本当に?」
「ああ」
「そう、じゃあ私の想像を聞いてくれないかしら。まるっきりの大間違いか、それとも真実にちょっとでも掠っているか、それを答えてくれとは言わないわ。ただ、脇から首を突っ込んだ私には、聖白蓮さんの封印にまつわる話が、こういう風に見えたっていう話」
「どうして君の想像なんかを、私が聞かないといけないんだい」
「あら――じゃあ私の勝手な想像を、キャプテンやいっちゃんに話してもいい? 貴方と貴方のご主人様は、白蓮さんの封印に協力した側だっていう想像を」
「――――――」
虚を突かれたように、ナズーリンさんは目を見開いた。
「……どうしてそんな話になるのか、理解に苦しむね」
「じゃあ、理解してもらえるように説明いたしますわ。私がどうしてそういう結論に至ったのかを。いや、そもそも千年前の聖白蓮の封印とは何だったのかについて、私が辿り着いた、とりあえずの結論を。すなわち――」
蓮子は咳払いして、そしておもむろに語り始める。誇大妄想という名の推理を。
「千年前、白蓮さんの犯した罪とは、弟の死を受け入れなかったことだったと」
―39―
ナズーリンさんは、凍りついたような無表情のまま、その言葉を聞いていた。
「そもそも、千年前の封印における最大の疑問点は、キャプテンといっちゃん、貴方とそのご主人様の四人が、解放の鍵となる宝塔と聖輦船を伴って寺を脱出できたことだったわ。牢獄の鍵を、囚人の家族に持たせておくなんて、どう考えても不自然だもの。宝塔と聖輦船が白蓮さんを解放する鍵なら、それらもまた別に、白蓮さんを助けたいと願う貴方たちの手の届かぬ場所に封印されていなければおかしい。そうでなければ、そもそも白蓮さんを封印する意味がない。貴方たちはすぐにでも白蓮さんを解放しようとするでしょうからね。――なのに、貴方たちは閻魔様の裁定が下ったあと、白蓮さんから宝塔と聖輦船を託されて寺を脱出したという。これは明らかな矛盾だわ。白蓮さんにとって封印が不本意な裁定で、早期解放を望んでいたとしても、わざわざ裁定に来た閻魔様がそれを見逃すとは思えない。
これを説明するには、こう考えるしかない。宝塔と聖輦船の所有者のどちらかが、白蓮さんの封印に賛同し、協力した側である、と。そして、キャプテンといっちゃんだけが捕まり地底に封印されたのは、彼女たちが協力者ではなかったからだと」
「――それで、逃げ切った私たちが協力者だと?」
「もちろん、それはあくまで消極的な論拠に過ぎないわ。――でも、神綺様から聞いちゃったのよ。白蓮さんを封印する法界の結界は、博麗の巫女があの宝塔を使って張ったと」
「――――」
「逃げ切ったはずの貴方たちが持っている宝塔を、どうして博麗の巫女が、白蓮さんを封印するのに使うことができたのか。――貴方のご主人様が、封印に協力した側だと考えるしかないじゃない。貴方のご主人様が、宝塔と聖輦船があれば白蓮さんを復活させられると知っていたことも、それなのに千年間もムラサさんたちを地底から救出しようとしなかったことも、その傍証だわ」
ナズーリンさんは小さく鼻を鳴らして、近くの倒木の幹に腰を下ろした。
「ひどい濡れ衣だ、と言いたいところだけどね。――確かに、聖輦船を千年も地底に放置したご主人様の消極性は責められても仕方ない。それで? 君の考えだと、私とご主人様は、聖やキャプテンたちを裏切ったユダというわけかい?」
「いいえ。むしろ、貴方たちは白蓮さんの本当の意向を汲んだんじゃないのかしら?」
「――――」
「魔界に封印されることが、白蓮さん自身の意志であり――かつ、その本当の理由を、貴方のご主人様だけに打ち明けて、彼女がそれに協力したとすれば、白蓮さん復活までの経緯は全て平仄が合うのよ。――貴方のご主人様が、宝塔をなくしたことも」
「――――」
「貴方のご主人様は、宝塔をうっかり流出させてしまったのではなく、自分の意志で手放したのではないのかしら? 白蓮さんを解放したいという意志と、それなのにキャプテンたちに内緒で封印に協力した後ろめたさとで引き裂かれた結果――というのは、私の邪推だけれど」
「本当に、邪推だね」
ナズーリンさんは皮肉げに唇の端を吊り上げる。
「ええ、これはあくまで私の邪推よ。白蓮さんがなぜ封印されたのかについても。閻魔様が裁いた彼女の罪が何だったかも――傍証は手に入れてるけれどね」
「……魔界の神様からかい?」
「ご明察。神綺様から伺ったわ。そもそも、白蓮さんはなぜ魔法使いになったのか、その本当の理由から。弟の志を継いで仏の教えを広めて回るために若返った――という、キャプテンから聞いていた理由とは、全く異なる動機を。――弟を蘇らせたい、という」
『――白蓮さんは、弟さんを蘇らせるために魔法使いになったのよ』
神綺様は、蓮子の問いに、そう答えたのだ。
『彼女は、弟さんの亡骸を抱えて魔界にやって来て、私に頼んだの。弟を生き返らせてほしい、そのためならどんな犠牲も払う、と。弟は偉大な聖人だから、自分より先に死んでしまうなんてことはあってはならない、自分も老い先短い身だから、せめて自分の命に替えても弟を救いたい――って』
『……それで、どうしたんですか?』
『確かに、死者の魂を呼び戻す魔法はあるわ。だけど、そんな枯れ木のような老いて弱り切った肉体に魂を呼び戻しても、永くは保たないわ、と私は断ったの。そうしたら白蓮さんは、だったら私を魔法使いにしてください、と言ったの。私が魔法使いとして若返り、この身を弟に捧げます――と』
『――――――』
『お母様、そういう話に弱いから〜』
『だって、いい話じゃないの。老いてなお強い絆で結ばれた人間の姉弟愛って、ねえ』
ルイズさんの茶化しに、目を細めて神綺様は微笑んだ。――蓮子は眉間に皺を刻んで、ひとつ息を吐き出す。
『その魔法というのは……反魂の秘術と呼ばれるものですか?』
『ええ、魔界の外ではそう呼ばれているけれど――それがどうかした?』
『いえ……その術にちょっと関わったことがありまして。けれど、若返った白蓮さんの肉体を使って弟さんを蘇らせたら、白蓮さんはどうなるのですか?』
『ひとつの身体に、ふたつの魂が共存することになるわ。それによって貴方と弟さんの魂がどういうことになるかは、私にはわからない――それでもいい? と私は白蓮さんに確認したの。白蓮さんは頷いて、そして私たちは契約を交わしたわ』
「白蓮さんは、弟の命蓮上人を蘇らせるために魔法使いになった。そして彼女は、亡くなった弟の魂を、自分の肉体に移し替えて保存していた。その結果、白蓮さんの肉体には、白蓮さん自身の魂と、命蓮上人の魂とが共存することになった。――まるで二重人格のように。
そして、白蓮さんは魔法使いという妖怪になり、命蓮上人は白蓮さんの肉体を依り代にした亡霊となった。この二重人格的状況を、白蓮さんがいつまでも続ける気がなかったとすれば。彼女が妖怪を助け始めた理由も――最初は、弟の魂の器を探してのことだったんじゃないのかしら。自分の中の弟の魂を、また別の器に移し替えて、完全に弟を蘇らせる――その器は、不老長寿となった自分よりも永く生きられる、妖怪の肉体でなければならかった。
彼女の犯した罪はそこにあった。そして、死者を裁く閻魔様が、生きている白蓮さんを裁きにわざわざ現れた理由もまたそこにあったわけね」
「――――」
「だとすれば、千年前、閻魔様が下した裁定とは即ち、白蓮さんの肉体から、命蓮上人の魂を分離することだった。白蓮さんの犯した罪とは、弟の死を受け入れず、成仏させようとしなかったこと。その罰として、白蓮さんは弟の魂から引き離され、魔界へと封印された。閻魔様の裁定を受けて、白蓮さんはその罰を受け入れた。その魔力を宝塔に封じて。宝塔によって張られた法界の結界が魔力結界だった以上、宝塔に封じられたのは魔法使いである白蓮さんの力であると考えるべきでしょうしね」
蓮子が言葉を切ると、ナズーリンさんは皮肉げな笑みを浮かべて鼻を鳴らした。
「それはまた、随分突飛な妄想だね」
「ええ、全て我田引水の妄想ですわ」
「それで? 君の妄想だと、ご主人様は聖のその罪を知っていて、キャプテンたちに隠れてそれに協力したというわけだ。――でもそれなら、千年も待つ必要はなかったんじゃないのかい。聖から切り離された命蓮上人の魂が成仏すれば、聖の罪はなくなるんじゃないのかい? 魂が成仏するのに千年もかかったわけじゃあるまいし」
「それが、成仏しなかったのだとしたら、どうかしら? 命蓮上人は、自分を助けようとした姉が、そのために魔界に封じられてしまったという未練が残ってしまったわけだから」
「――――――」
「そう、白蓮さんが成仏させることを拒絶した命蓮上人が、今度は自ら成仏を拒絶してしまったなら。姉への未練を残したまま、姉の身体から切り離された命蓮上人の魂が、依り代を求めて――自分自身の法力を宿した物体に宿ってしまったとしたら」
ナズーリンさんが、その表情を強ばらせた。
「聖輦船はもともと、命蓮上人の飛倉だったそうね。そう、罪を犯して封印されたのは白蓮さんだけではなかったとすれば。命蓮上人もまた、成仏することを拒絶し、自身の法力で飛ばしていた聖輦船に宿った亡霊となってしまっていたとしたら――キャプテンたちが地底に封印されたのは、聖輦船を地底に封印するためだった。成仏を拒絶した命蓮上人の魂は、地獄へと落とされたのよ。
だから白蓮さんの解放には、宝塔と聖輦船が必要だった。あの結界を張るのに用いられた白蓮さん自身の魔力と――そして、聖輦船に宿った命蓮上人の魂が、未練から解き放たれて成仏するために。
そして、白蓮さん自身は、自分から切り離された弟の魂が聖輦船に宿ってしまったことを知らなかったとしたら――白蓮さんには、弟の死を納得し、受け入れるだけの時間が必要だった。万一、聖輦船に宿った弟の亡霊と再会しても、もう妄執に囚われることのないように――」
――ああ、だから聖輦船は、白蓮さんが復活してから手動航行になったのか。
それまで船を動かしてきた、命蓮上人の魂が成仏してしまったから――。
「あのとき、魔界の扉の前に閻魔様が来ていたのも、聖白蓮の復活とともに、命蓮上人の魂の成仏も確かめに来ていたのだとすれば――今回の騒動は、紛れもなく冬の怨霊異変の続きだったわけになるわね」
蓮子はひとつ息を吐き出し、その推理という名の誇大妄想を締めくくる。
「そう、聖輦船もまた、間欠泉によって湧き出てきた地霊だったのだから――」
第9章 星蓮船編 一覧
感想をツイートする
ツイート
控えめに言って神か
こんなに心を揺さぶられるなんて…
色々と納得する結論でした。本当に素晴らしいです。
星ちゃんの葛藤も辛かっただろうなあ…。
星 ち ゃ ん の
ド ジ 属 性 は
計 算 ず く 。
うへぇ……聖輦船も地霊だったってのは目から鱗な誇大妄想だ……
こ・・・小傘ぁぁぁっぁぁ!!!
原作的には「弟の死を云々」と言うところが聖の罪だとは思っていましたが、さらに『命蓮上人も残っていた』とは思いつきませんでした。
なるほど、聖白蓮は生きていたのに、死者の裁きを行う閻魔が出てくるのはそういうことなのか。
なんともオドロキです。
予想の遥か斜め上だったか……、そうか命蓮の力も何かしら関わっているだろうと言うのは予想してたけど魂そのものとはなぁ……
大昔に死んだはずの命蓮の魂がつい先日まで近くにいたなんて、驚きと共に改めて人の愛したものへの執念深さを感じました。
過去の異変の知識や経験が蓮子の誇大妄想力に磨きをかけているのは長編ならではの醍醐味ですね〜
ああこれはわかんねーわ( ´▽`)