―31―
「いらっしゃいませー……あ、蓮子さんにメリーさん」
「おや、噂をすれば。昨日のあれについて詳しくお話を聞かせてもらえますか」
「そうそう、うちのお客さんの間でも話題沸騰で。ありがたい宝船だって言ってる人が多いですけど、怪しい侵略者じゃないかって言ってる人もいまして」
聖輦船の魔界行の翌日。寺子屋の授業を終えて鈴奈庵に顔を出すと、何やら話し込んでいた阿求さんと小鈴ちゃんが私たちに詰め寄ってきた。蓮子は両手を挙げ、「オーケイオーケイ、ちゃんと説明するから」と苦笑する。
私たちが船から白蓮さんと一緒に降りてきた姿を目撃していた人は他にもいたようで、あっという間に聖輦船の噂は里中に広まったようだった。おかげで今朝、寺子屋に顔を出すと、好奇心に目を輝かせた生徒たちの質問攻めに遭ったのである。願わくばこんな勢いで事務所にも依頼人が来ないものか、とため息をつくのは私の役目だ。
既に三度目の説明になる冬の地底行から昨日の魔界行までを、蓮子が手短に語るのを、阿求さんと小鈴ちゃんは「ほうほう」と興味深げに聞いている。
「それじゃあ、あの船って別に金銀財宝を積んでるわけじゃないんですか?」
「そうね。尼さんが乗ってるからありがたくはあるけど」
「なるほど、それでこの前、突然千年前の命蓮寺の件を聞きにきたわけでしたか」
「でもそれって本当に大丈夫なんですか? 千年も封印されてた魔法使いなんですよね?」
「まあ、私の印象だけど悪い人じゃないと思うわ。少なくとも、里に対して悪事を企むような人じゃないと思うし、そうなったら霊夢ちゃんが退治して再封印することになるだろうから」
蓮子の言葉に、小鈴ちゃんはちょっと心配そうに首を傾げ、「まあ、それはそれとして」とぽんと手を叩く。
「千年ものの古文書とかあったら、是非うちの店で買い取りたいですね!」
貸本屋の娘らしいことを言う小鈴ちゃんに、阿求さんが呆れ気味に息をつく。
「それで、復活した聖白蓮はこれからどこへ?」
「しばらくはあの船で幻想郷を見て回ると言ってましたわ。その後はどこかにお寺を建てたいって言ってたけれど。――そういえば人間の里って、お寺がないのよね」
「ええ。昔は里の北方、今は荒れた墓地だけが残ってるあの場所にあったんですが、跡継ぎがなく数十年前に廃寺になってしまいました。新しくお寺ができるなら、あの墓地の近くがいいかもしれませんね。あそこも荒れるいっぽうで、妖怪もよく出るという話ですし」
お寺がないのは、幻想郷で暮らし始めた頃、驚いたことのひとつだ。どんな田舎であっても、冠婚葬祭を担うお寺は日本の集落において欠かせない存在であると思っていたのだが、幻想郷ではその役割を現在は博麗神社が担っている。参拝客が少なく賽銭収入がほとんどない博麗神社の主な収入源が、里の婚礼と葬式なのだという。
ちなみに北方の荒れた墓地の他にも、里にはいくつか墓地が点在している。お寺がなくなって墓地の管理者がいなくなった際に、里の地域ごとに有力者で分担して墓地を管理しようという話になったらしい。この中心部では、塩問屋の敷地に墓地が存在している。
「稗田家的にはどうなんです? 得体の知れないお寺が里で信徒を集め始めたら」
「得体の知れなさでいえば、山の守矢神社だって同じようなものです。人間の里は信仰でまとまっている集落ではありませんから、個人が何を信仰するかは自由ですよ」
なるほど。この幻想郷でなら、白蓮さんの目指す人妖平等、妖怪も人間も一緒に参拝するお寺というのも、少なくとも千年前よりはずっと受け入れられやすいだろう。何しろ博麗神社からして妖怪神社と呼ばれて、それでも里から白眼視されてるわけではないからして。
鈴奈庵を出て寺子屋の事務所(ちなみに壊れた窓は昨日応急処置として板で塞いだ)に戻り、私は原稿用紙を用意した。記憶が薄れないうちに、今回の騒動の覚え書きをつけておこうと思ったのだ。即ちこの記録の下書きのようなものである。
しかし、今回の騒動ははたして、この《秘封探偵事務所》の事件簿として記録しておくべきものだろうか。何しろ私たちは今回、名探偵ではなく異変の主犯であるからして。シリーズ探偵が犯人という真相は、日常の謎でない限り普通はシリーズ最終作でしか成立しないし、私たち自身の行動に、私たち自身が謎を見つけるなんてのもおかしな話だ。
私は原稿用紙を前に、頬杖をついて相棒を見やる。畳に寝転んだ相棒は、沈思黙考しているのか寝ているのか、目を閉じて微動だにしない。
「ねえ蓮子。私、もう今回の異変の記録をまとめに入っていいのかしら?」
そう訊ねると、相棒はぱっと目を見開き、寝転んだままこちらを振り向いた。
「あらメリー、まだろくに謎も解けてないうちに記録をまとめちゃおうなんて、それはいくらなんでもせっかちすぎない?」
「――だと思ったわ」
棚上げになったままの疑問が残されていることぐらい、私だってわかっている。私たちが犯人となる異変は終わった。これからは探偵の時間だ。
「じゃあ、その解けてない謎に対して、うちの名探偵さんは何を考えているの?」
「ううん、それがまだ、やっぱり情報不足なのよね。と言っても、部外者の私が当事者に直接真相を聞きに行っても答えてくれるわけはないし」
「そりゃ、蓮子が満足するような答えは返ってこないでしょう」
今まで私たちが首を突っ込んできた異変に対する、我が相棒の誇大妄想的推理は全て、異変の当事者たちが表の理由の裏に隠蔽しようとした真実に関する妄想であるからして、そんなものは本人に直接聞いたって答えてくれるわけはないのである。
「まあでも、今回の謎はシンプルだわ。謎はただひとつだもの。――聖白蓮がなぜ封印されたのか。まとめるまでもなく、今回の異変の裏にあるものは、その一点に集約されるわ」
「飛倉の破片がUFOに見えた件は?」
「あれはそのうち霊夢ちゃんが犯人を退治して終わるでしょ。犯人の正体も動機もキャプテンがだいたい見当を付けてるし、UFOに見える原理もわかったから。私たちは、白蓮さんの謎に集中しましょ」
相棒は身を起こし、私に向き直ると、にっと猫のように笑う。
「というわけで、もうちょっと詳細な情報を集めたいわね。今までキャプテンたちから聞いてきた話だと、どうも細部がはっきりしないところが多くて」
「細部って?」
「千年前の、キャプテンたちの逃亡と、閻魔様の裁定と、博麗の巫女による聖白蓮の封印が、厳密にどういう順序で起きたのかとか――あと、できたらもう一回魔界に行きたいわね」
「魔界に? なんでまた」
「神綺様に訊きたいことがあるのよ。昨日は船に白蓮さんたちがいたから、訊きたいことはいろいろあったんだけどあんまり突っ込んで訊けなかったし。――よし、まずはうちに戻って早苗ちゃん呼びましょ」
蓮子はぽんと手を叩いて立ち上がる。早苗さんと連絡を取るには、自宅にある守矢神社の分社から八坂神奈子さんを通すのが一番早い。便利な神様電話である。
というわけで、一旦事務所を出て自宅に帰ろうとしたのだが、
「――あっ、噂をすれば早苗ちゃん」
事務所を出たところで、ちょうど当の早苗さんが事務所の前に舞い降りてきた。
「こんにちは。って、私に関して何の噂してたんですか?」
「いやあ、ちょっと早苗ちゃんを呼ぼうと思ってたのよ。ちょうど良かったわ」
「あ、そうでしたか。私もお二人を誘いに来たのでちょうど良かったです」
「誘いに?」
「はい、諏訪子様が――」
「やっほー。一緒に来たよ」
早苗さんが言いかけたところで、その背後からひょいと洩矢諏訪子さんが顔を出した。
「あら洩矢様、その節はどうも」
「そうそう、その件でさ。あいつらが目的を果たしたって聞いたから、ちょっと挨拶してこようと思ってね。一緒にどう?」
「ああ、それはもちろん」
「っていうか所長、諏訪子様があの船の地底脱出を手伝ってたとか、昨日初めて聞いたんですけど! 助手の私に秘密にしてるなんて水臭いじゃないですかあ。諏訪子様がお手伝いした相手だと解ってたら、私ふつうにあの魔法使いさんの復活手伝ってましたよ」
「やーほら、そうしてたら余計話がややこしく……じゃなくて、私たちじゃなく早苗ちゃんが異変の主犯だってことになって霊夢ちゃんと戦うことになってたと思うのよ。地底の件も元はと言えば八坂様が原因なんだし、これ以上霊夢ちゃんに守矢神社への悪印象を植え付けるのはまずいかなーと。博麗神社と守矢神社の間に立ったネゴシエイターとしては、霊夢ちゃんと早苗ちゃんには仲良くやってほしいし」
両手を挙げる蓮子に、むー、と早苗さんは頬を膨らませる。
「まあまあ早苗、別に蓮子たちも悪気があって早苗をのけ者にしたわけじゃないだろうしさ」
「それは解ってますけど……」
「だいたい、早苗を妖怪退治にけしかけたのは神奈子なんだから、神奈子が悪い」
「ええー?」
諏訪子さんの言葉に、早苗さんが困り顔で首を傾げる。私たちは顔を見合わせた。
―32―
そんなわけで、蓮子が早苗さんに、私は諏訪子さんに掴まって空を飛び、また聖輦船を目指した。迷いの竹林上空を飛んでいた聖輦船に追いつくと、見張りをしていた一輪さんが雲山さんとともに飛んできた。
「ああ、蓮子さんにメリーさん、それから昨日の……ああ、そちらは地上の。その節はお世話になりました」
一輪さんが諏訪子さんにぺこりと頭を下げる。話が早くて助かる。
「や、目的を果たしたって聞いたから様子を見に来たよ」
「そうでしたか。姐さんも喜ぶと思います。ご紹介しますのでこちらへ。……ところで、そこの巫女はなぜ? ナズーリンが約束した宝ならまだですが」
「あー、早苗はうちの風祝だから」
「えっ!? そ、そうだったんですか! これは失礼しました」
なにしろ早苗さんは昨日、復活した白蓮さんを再封印しようとした側である。一輪さんが警戒するのも当然だが、諏訪子さんの言葉に慌てて畏まった。
「私がちゃんと話してなかったせいで早苗が迷惑かけたようで、悪かったね」
「あ、いえいえそんな……。最終的には姐さんの復活に賛成していただけましたし」
「文句はうちの神社のもう片方の祭神が受け付けるよ」
「はあ。ともかくこちらへ」
一輪さんに従って、私たちは聖輦船の甲板に降り立つ。「あらあら」と白蓮さんが私たちを出迎えた。一輪さんが耳打ちすると、白蓮さんは破顔して諏訪子さんに歩み寄る。
「これはこれは、ムラサと一輪の地底脱出をお手伝いしていただいたそうで……私からも感謝いたします。ありがとうございました。私、命蓮寺住職、聖白蓮と申します」
「洩矢諏訪子、山の守矢神社の祭神だよ。うちの早苗が迷惑かけたようで、ごめんね」
「ああ、そちらの巫女さんだったのですか。どうかお気になさらず」
まるで学校のクラスメートの保護者同士のご挨拶である。
「で、魔界から出てきたんだって? 幻想郷はどうだい」
「まだ一日ぐるっと見て回っただけですが……結界で閉ざされたためでしょうか、人妖は距離を置きつつも排除しあうわけではない関係性が築かれているようで、素晴らしいことだと思います。平等の精神はまず相手が存在することを認めるところから始まるのですから」
「早苗から聞いたけど、あんたの主義は迫害される妖怪を救って、人妖平等を実現することだって?」
「ええ。御仏の教えを遍く広め、差別や迫害のない世界を目指します」
「ご立派。だけど、私ら神は人間に信仰されなきゃやってけないし、あんたの弟子の妖怪たちだって人間に恐れられなけりゃ生きていけないんじゃないの? どっちも平等の精神からは遠いところにあると思うんだがね」
「そんなことはありません。祟り神が信仰されるのは恐怖からですし、座敷童のように恐怖というより信仰の対象に近い妖怪もいます。敬い信仰するか、恐れ迫害するかは人間の都合でしかないわけですから、妖怪がそれに縛られてはいけないと私は考えるのです。敬うことと信仰することはイコールではありませんし、恐れることと迫害することもイコールではありません」
「ふうん?」
「妖怪が人間の恐怖を必要とするのが事実だとしても、だから妖怪は全て人間に害を為す存在だと決めつけて迫害するのは差別です。神様も、神様だからと無条件に敬して遠ざけられれば良い気持ちはしないのではないですか? 手と手を取り合えば必ずわかり合える、とは言いません。人間同士でさえわかり合えないことの方が多いのですから。ですが、『神仏だからありがたい』『妖怪だから恐ろしい』という決めつけを捨てることはできるはずです。私の目指す人妖平等はまずそこから始まるのです」
「なるほどねえ。ま、言いたいことは解ったよ。でもさあ、人間のする差別ってのはこう言っちゃなんだけど、結局は合理性の産物だろう? 妖怪だからって恐ろしいと決めつけるのはよくない、そりゃ正論だ。だけど、いざ妖怪と遭遇したときに、恐ろしくない妖怪かもしれない、っていう可能性にいちいち賭けてたら、人間は命がいくつあっても足りない。だから妖怪はとりあえず恐ろしいものだと考えて逃げるのが、人間にとっちゃ合理的判断ってものじゃん」
「ええ、それは仰る通りです。そこは逃げるのが正解でしょう。ですが、そこで『あそこにいるのは危険な妖怪に違いないから排除しなければ』となったら、これは差別的迫害というものです。実際に人間に害意をもつ妖怪なら、人間が安全のために戦うのはやむを得ません。しかし、害意のない妖怪を本人の言い分も聞かずに迫害したら差別でしょう」
「そこで、その害意の有無の確認に命を賭けるのは不合理だって話じゃんさ」
「ええ、そのために専門家が必要なのです。人妖の間に立ち、平等に扱う者が」
微笑んで言った白蓮さんに、諏訪子さんは「ああ」と呟いて、ぽんと手を叩いた。
「――なるほど、あんたはその専門家になろうってわけか」
「そういうことです。本来これは博麗の巫女が担う役割だと思うのですが、今の博麗の巫女は妖怪は見境なく退治するという思想のようですので、私がやらねばならないと思っています」
横で議論を聞いていた私にも、白蓮さんの人妖平等思想の目指すところが腑に落ちた。
つまり、人妖平等と言っても完全な人間と妖怪の融和、人妖の区別のない共生を目指しているわけではなく、区別の必要性を認めた上で、不当な迫害をなくすために、人間と妖怪を平等に扱い、双方の言い分を聞いて妥協点を見出すネゴシエイターになろうというわけだ。
「蓮子、幻想郷のネゴシエイターの役目、白蓮さんに取られるわよ」
「ま、それは別にいいわ。私の本業は探偵だし」
蓮子はうそぶく。まあ、そういう交渉事はこの相棒より、どう考えても白蓮さんの方が適任だろう。いざという場合でも本人の戦闘力は折り紙つきであることだし。
「おっけーおっけー、あんたの思想は理解できたよ。うちは神社だから商売敵になるけど、妖怪の領域にある神社だから、あんたが人妖の仲立ちをして無用のトラブルを回避してくれるなら、今後うちが人間の参拝客を集める上でもありがたいね。博麗神社はどうだか知らないけど、守矢神社は今後もあんたたちに協力するに吝かでないと、ここで表明しておくよ」
にっと笑って、諏訪子さんは右手を差し出す。
「ありがとうございます、ご理解いただけてとても嬉しいです」
白蓮さんもその手を握り返し、かくして守矢神社と命蓮寺の協力関係がここに成立した。
「で、これからどうすんの?」
「はい、お寺を建てようと思います。今朝方博麗神社を見てきましたが、ほとんど信仰を集められていないようでした。ということは、この幻想郷では妖怪退治より、人妖平等の方にこそ信仰を集める需要があると思います」
ちらりと早苗さんの方を見やって白蓮さんは言う。むう、と早苗さんは唸った。
「お寺を建てるのに、良さそうな場所も見つけました。ムラサ、例の場所に向かって」
白蓮さんが伝声管に告げると、聖輦船は回頭して里の方へ船首を向けた。そのまま里を回り込むように飛んだ聖輦船は、里の北側の雲に隠れるように停泊する。
「あそこですね。里の北、山へ向かう途中の野道の脇に、荒れた墓地があります。そこにお寺を建てれば、墓地がそのままついてきて、ちょうどいいかと思います」
「ああ、あそこね。うん、里の外だし、いいんじゃない?」
雲の切れ目から眼下を指す白蓮さんに、諏訪子さんが頷く。
「ええ。一応里の代表の方にご挨拶はしておこうと思うのですが」
「あ、じゃあその仲介は私がやりますよ。里の象徴と知り合いですので」
とすかさず蓮子が手を挙げた。白蓮さんが「あらあら、ありがとうございます」と笑う。
「それで、寺を建てるための人手をどうやって集めようかという話を、ちょうど今していたところなんですが……」
「おお、それなら私に任せて。土木工事は得意だから」
諏訪子さんが胸を張る。「本当ですか? それは是非お願いします」と白蓮さんが深々と頭を下げた。
「いいんですか? 諏訪子様、商売敵ですよ?」
「いーのいーの。うちもいずれ参拝客集めを本格的にしなきゃいけないし、そういうときに里から妖怪の山までの道が整備されてなきゃ人も来づらいじゃん。でもその途中に人間の通えるお寺があれば、参拝客も安心して里の外まで足を伸ばしやすくなるでしょ。それに、新参者に恩を売っておけば後から何かとやりやすいんだよ。私ら新参者は後輩を味方につけなきゃ」
「ははあ、なるほど」
微妙に悪い顔をして耳打ちする諏訪子さんに、早苗さんは神妙に頷いた。
「ところで、キャプテンたちは操舵室です?」
話が一区切りしたところで蓮子がそう声をあげると、「ああ、すみません。お客様をこんなところに長い時間立ちっぱなしにさせてしまって……一輪、皆さんを中へご案内して」と白蓮さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「ああ、私はもう用が済んだから退散するよ」諏訪子さんが言う。
「あら、そんなこと仰らず、お茶でもぜひ。魔界でいただいた美味しいお茶がありますよ。それに、せっかくですからお寺をどんな風にするかの相談もさせていただければ」
「そうかい? じゃあ、お邪魔しようかね」
そんなわけで、私たちはぞろぞろと、もはや見慣れた聖輦船の中に招かれた。
―33―
案内されたのは操舵室ではなく、船長室を改装したらしい応接間だった。船が停泊中だからか、操舵室にいたムラサさんも顔を出し、諏訪子さんの姿を認めて頭を下げる。蓮子は「キャプテン!」「蓮子!」とまたムラサさんとハグ。仲が良いことで何よりである。
「星ちゃんとナズっちは?」
「ナズっちは残りの飛倉の破片を探しに行ってるよ。星ちゃんは宝塔をなくした件で自主的に反省中。で、今日はどうしたの?」
「あ、そうそう。私らはキャプテンに聞きたいことがあったんだけど」
と、蓮子はちらっと白蓮さんを見やる。ははあ、とムラサさんはその視線の意味を察した。
「聖のいないところで? いいけど。聖、私らはちょっと操舵室に行ってきます」
「あら、一緒にお茶しないの?」
「そちらはお寺の相談があるでしょうから、私ら部外者は席を外しますわ」
蓮子がそう言うと、白蓮さんは「あら、すみません」と首を傾げる。
「じゃあ、一輪にお茶を持って行かせますね」
というわけで応接室を出て、私と蓮子、ムラサさんは操舵室へ。早苗さんはどうするか迷っていたようだが、結局諏訪子さんの方を選んだようで、ついては来なかった。
「で、改めて聞きたいことって何?」
ムラサさんがどこかから座布団を持ってきて操舵室の床にひき、私たちはそこに腰を下ろす。タイミング良く一輪さんがお茶を持ってきたので、「あ、いっちゃんもちょっと」と蓮子は手招きし、一輪さんも不思議そうな顔で腰を下ろした。
「なんです?」
「いや、そんなに大したことじゃないんだけど、キャプテンから聞いてた千年前の話に、ちょっといくつか気になって確認したいことがあって」
「千年前って、聖が封印されたときの?」
「そうそう。前にキャプテンから聞いた話だと、何が起きたかはだいたいわかるんだけど、具体的に何がどういう順番で起きたのかが、冷静に考えるとよくわかんなくて。そういう細かいことが気になる性分だから、覚えてる限りで教えてほしいんだけど」
蓮子の問いに、ムラサさんと一輪さんは顔を見合わせる。
「何がどういう順番で……って、ええと?」
「だから、キャプテンたちが妖怪であることがバレて、寺が暴徒化した人間に包囲され、博麗の巫女と閻魔様が出てきて、白蓮さんは封印されたけどキャプテンたちは命からがら脱出したわけでしょ? そのへんの前後関係の正確なところを知りたいの。キャプテンたちが寺を脱出したときに、この聖輦船はどうなってたのかとか。あの宝塔はなんで封印を免れたのかとか。それから――そもそも、白蓮さんの復活に宝塔と聖輦船が必要だっていうことを、ずっと地底に封印されてたキャプテンたちはどうして知ってたの?」
「ああ――そっか、そこ説明してなかったっけ」
蓮子の問いに、ムラサさんは頭を掻く。
「えーと、じゃあまず寺が包囲されたあたりから説明するね。私といっちゃんが妖怪だってバレたせいで、聖は妖怪の手先だっていう噂が広まって、まず寺が包囲されたのよね。聖は正面から出て行って説明しよう、って言ってたんだけど、寺を取り囲む人間たちがあまりに殺気立ってたから、みんなで止めてたの。聖が出て行ったら殺されちゃうって」
「正体がバレたのは私とムラサでしたから、私とムラサが出て行って退治されれば人間たちの怒りも収まるだろうと私は言ったんですが、それは姐さんに断固として止められてしまって」
「にっちもっさっちもいかなくなってたときに、寺の正面から博麗の巫女がやって来たの。それで博麗の巫女が言ったのよ。『里の者は今のところ私が抑えているが、いつまでもは無理です。なぜ妖怪を匿っていたのか、それを人間と偽ったのか、理由を聞かせてください。理由もわからぬままに寺を焼き討ちにはしたくない』と」
――千年前の博麗の巫女は、霊夢さんよりは物わかりのいい人だったようである。
「聖がそれに沈黙していると、博麗の巫女が『答えられないというなら、閻魔を召喚します』と言って――そうして、寺に閻魔様がやってきて、聖は閻魔様と一対一で何かを話し合った。何を話し合ったかは、私たちは寺の蔵に隠れてたから聞いてないんだけど……」
「その話し合いが終わった後、姐さんが私たちの元にやってきて、星に宝塔を渡し、『貴方たちは逃げなさい』と言いました。『今なら逃げられます。ただし、捕まっても抵抗してはいけません。人間を傷つけたら、私たちは本当にただの恐ろしい妖怪になってしまいます』と」
「私は『聖は?』って聞いたんだけど、聖は『私は、閻魔様の裁きを受け入れます』としか言わず……私らは『だったら私たちも聖と一緒に裁かれる!』って言ったんだけど、聖は『貴方たちには何の罪もないのです。裁かれるのは私だけでいい』って……」
「それで私たち四人は、泣く泣く聖を残して寺を脱出したんです」
「聖は別れ際にこう言い残したの。『私の力は、その宝塔と飛倉に残しておきます。宝塔と飛倉に私の力が残っている限り、私は貴方たちのそばにいます』――って。だから星ちゃんはナズっちと宝塔を持って逃げて、私といっちゃんはそのとき蔵になってた聖輦船を船に戻して寺を脱出したの。結局、船に乗って逃げたせいで目立っちゃった私といっちゃんだけ、後で博麗の巫女に捕まっちゃったんだけど」
「姐さんが魔界に封じられたということは、捕まったときに博麗の巫女から聞きました。そうして私とムラサは地底に封じられたわけです」
ふたりの話が終わる。ふむふむと頷きながら聞いていた蓮子は、「てことは」と顔を上げた。
「宝塔と飛倉があれば白蓮さんを復活させられるってのは、誰かからそう明言されてたわけじゃないのね?」
「うん。聖がその力を聖輦船と宝塔に残したってことは、封印された聖にその力を戻してあげれば聖を解放することができるはず、っていう星ちゃんの推測。私たちにとってはこの千年、それが心の支えだったから、ドンピシャで安心したよ」
「なるほど。ということは、宝塔と聖輦船に力を分けること自体が閻魔様の裁定の一部だったってことかしら――」
蓮子はそう唸って、「そうだキャプテン」とムラサさんを見つめる。
「白蓮さんを復活させるまで、聖輦船は自動航行だったじゃない。あれは最初に白蓮さんがキャプテンにあの船を与えたときからそうだったの?」
「え? あ、うん、そうよ。私が聖からあの船貰ったときから自動航行。私は行き先を設定するだけだったんだけど……」
「キャプテンが行き先を決めれば、あとは船が勝手に目的地に向かってくれたわけね」
「そうよ。でも、聖が復活してからはそこまで便利じゃなくなっちゃって、浮いてるのは聖の力だけど舵を動かして進路を取るのは私の仕事になっちゃった。まあ、今まで暇だったからいいんだけど」
そう言ったムラサさんは、蓮子が難しい顔をしているのに気付いて「どったの?」と首を傾げた。蓮子は「ああ、いや別に」と首を振る。
――私も蓮子の傍らで、いささかの疑問を覚えていた。それは、話が逆ではないか?
白蓮さんが封印されている間、その力を宿した船は手動航行になっていた――ならわかる。あくまで船は白蓮さんが遠隔操作で動かしていた、ということだ。
だが、白蓮さんが封印されている間も自動航行で、封印が解けたら手動になった――というのは、意味がよくわからない。白蓮さんが船の操縦権をムラサさんに全面的に譲ったということなのか? それとも――それとも?
「じゃあ、聖輦船と違って宝塔が封印を免れたのは、単純に持ってた星ちゃんたちが逃げ切ったからってことでいいのよね?」
「うん、そのはず。でもなんであんな大事なものをなくしちゃうかなー」
「まったく、ねえ」
ムラサさんは一輪さんと顔を見合わせて苦笑し合う。蓮子もそれに調子を合わせて笑っていたけれど――その帽子の庇を弄る仕草から、相棒の頭脳がまた誇大妄想を組み立てつつあることを、私は見て取っていた。
「いらっしゃいませー……あ、蓮子さんにメリーさん」
「おや、噂をすれば。昨日のあれについて詳しくお話を聞かせてもらえますか」
「そうそう、うちのお客さんの間でも話題沸騰で。ありがたい宝船だって言ってる人が多いですけど、怪しい侵略者じゃないかって言ってる人もいまして」
聖輦船の魔界行の翌日。寺子屋の授業を終えて鈴奈庵に顔を出すと、何やら話し込んでいた阿求さんと小鈴ちゃんが私たちに詰め寄ってきた。蓮子は両手を挙げ、「オーケイオーケイ、ちゃんと説明するから」と苦笑する。
私たちが船から白蓮さんと一緒に降りてきた姿を目撃していた人は他にもいたようで、あっという間に聖輦船の噂は里中に広まったようだった。おかげで今朝、寺子屋に顔を出すと、好奇心に目を輝かせた生徒たちの質問攻めに遭ったのである。願わくばこんな勢いで事務所にも依頼人が来ないものか、とため息をつくのは私の役目だ。
既に三度目の説明になる冬の地底行から昨日の魔界行までを、蓮子が手短に語るのを、阿求さんと小鈴ちゃんは「ほうほう」と興味深げに聞いている。
「それじゃあ、あの船って別に金銀財宝を積んでるわけじゃないんですか?」
「そうね。尼さんが乗ってるからありがたくはあるけど」
「なるほど、それでこの前、突然千年前の命蓮寺の件を聞きにきたわけでしたか」
「でもそれって本当に大丈夫なんですか? 千年も封印されてた魔法使いなんですよね?」
「まあ、私の印象だけど悪い人じゃないと思うわ。少なくとも、里に対して悪事を企むような人じゃないと思うし、そうなったら霊夢ちゃんが退治して再封印することになるだろうから」
蓮子の言葉に、小鈴ちゃんはちょっと心配そうに首を傾げ、「まあ、それはそれとして」とぽんと手を叩く。
「千年ものの古文書とかあったら、是非うちの店で買い取りたいですね!」
貸本屋の娘らしいことを言う小鈴ちゃんに、阿求さんが呆れ気味に息をつく。
「それで、復活した聖白蓮はこれからどこへ?」
「しばらくはあの船で幻想郷を見て回ると言ってましたわ。その後はどこかにお寺を建てたいって言ってたけれど。――そういえば人間の里って、お寺がないのよね」
「ええ。昔は里の北方、今は荒れた墓地だけが残ってるあの場所にあったんですが、跡継ぎがなく数十年前に廃寺になってしまいました。新しくお寺ができるなら、あの墓地の近くがいいかもしれませんね。あそこも荒れるいっぽうで、妖怪もよく出るという話ですし」
お寺がないのは、幻想郷で暮らし始めた頃、驚いたことのひとつだ。どんな田舎であっても、冠婚葬祭を担うお寺は日本の集落において欠かせない存在であると思っていたのだが、幻想郷ではその役割を現在は博麗神社が担っている。参拝客が少なく賽銭収入がほとんどない博麗神社の主な収入源が、里の婚礼と葬式なのだという。
ちなみに北方の荒れた墓地の他にも、里にはいくつか墓地が点在している。お寺がなくなって墓地の管理者がいなくなった際に、里の地域ごとに有力者で分担して墓地を管理しようという話になったらしい。この中心部では、塩問屋の敷地に墓地が存在している。
「稗田家的にはどうなんです? 得体の知れないお寺が里で信徒を集め始めたら」
「得体の知れなさでいえば、山の守矢神社だって同じようなものです。人間の里は信仰でまとまっている集落ではありませんから、個人が何を信仰するかは自由ですよ」
なるほど。この幻想郷でなら、白蓮さんの目指す人妖平等、妖怪も人間も一緒に参拝するお寺というのも、少なくとも千年前よりはずっと受け入れられやすいだろう。何しろ博麗神社からして妖怪神社と呼ばれて、それでも里から白眼視されてるわけではないからして。
鈴奈庵を出て寺子屋の事務所(ちなみに壊れた窓は昨日応急処置として板で塞いだ)に戻り、私は原稿用紙を用意した。記憶が薄れないうちに、今回の騒動の覚え書きをつけておこうと思ったのだ。即ちこの記録の下書きのようなものである。
しかし、今回の騒動ははたして、この《秘封探偵事務所》の事件簿として記録しておくべきものだろうか。何しろ私たちは今回、名探偵ではなく異変の主犯であるからして。シリーズ探偵が犯人という真相は、日常の謎でない限り普通はシリーズ最終作でしか成立しないし、私たち自身の行動に、私たち自身が謎を見つけるなんてのもおかしな話だ。
私は原稿用紙を前に、頬杖をついて相棒を見やる。畳に寝転んだ相棒は、沈思黙考しているのか寝ているのか、目を閉じて微動だにしない。
「ねえ蓮子。私、もう今回の異変の記録をまとめに入っていいのかしら?」
そう訊ねると、相棒はぱっと目を見開き、寝転んだままこちらを振り向いた。
「あらメリー、まだろくに謎も解けてないうちに記録をまとめちゃおうなんて、それはいくらなんでもせっかちすぎない?」
「――だと思ったわ」
棚上げになったままの疑問が残されていることぐらい、私だってわかっている。私たちが犯人となる異変は終わった。これからは探偵の時間だ。
「じゃあ、その解けてない謎に対して、うちの名探偵さんは何を考えているの?」
「ううん、それがまだ、やっぱり情報不足なのよね。と言っても、部外者の私が当事者に直接真相を聞きに行っても答えてくれるわけはないし」
「そりゃ、蓮子が満足するような答えは返ってこないでしょう」
今まで私たちが首を突っ込んできた異変に対する、我が相棒の誇大妄想的推理は全て、異変の当事者たちが表の理由の裏に隠蔽しようとした真実に関する妄想であるからして、そんなものは本人に直接聞いたって答えてくれるわけはないのである。
「まあでも、今回の謎はシンプルだわ。謎はただひとつだもの。――聖白蓮がなぜ封印されたのか。まとめるまでもなく、今回の異変の裏にあるものは、その一点に集約されるわ」
「飛倉の破片がUFOに見えた件は?」
「あれはそのうち霊夢ちゃんが犯人を退治して終わるでしょ。犯人の正体も動機もキャプテンがだいたい見当を付けてるし、UFOに見える原理もわかったから。私たちは、白蓮さんの謎に集中しましょ」
相棒は身を起こし、私に向き直ると、にっと猫のように笑う。
「というわけで、もうちょっと詳細な情報を集めたいわね。今までキャプテンたちから聞いてきた話だと、どうも細部がはっきりしないところが多くて」
「細部って?」
「千年前の、キャプテンたちの逃亡と、閻魔様の裁定と、博麗の巫女による聖白蓮の封印が、厳密にどういう順序で起きたのかとか――あと、できたらもう一回魔界に行きたいわね」
「魔界に? なんでまた」
「神綺様に訊きたいことがあるのよ。昨日は船に白蓮さんたちがいたから、訊きたいことはいろいろあったんだけどあんまり突っ込んで訊けなかったし。――よし、まずはうちに戻って早苗ちゃん呼びましょ」
蓮子はぽんと手を叩いて立ち上がる。早苗さんと連絡を取るには、自宅にある守矢神社の分社から八坂神奈子さんを通すのが一番早い。便利な神様電話である。
というわけで、一旦事務所を出て自宅に帰ろうとしたのだが、
「――あっ、噂をすれば早苗ちゃん」
事務所を出たところで、ちょうど当の早苗さんが事務所の前に舞い降りてきた。
「こんにちは。って、私に関して何の噂してたんですか?」
「いやあ、ちょっと早苗ちゃんを呼ぼうと思ってたのよ。ちょうど良かったわ」
「あ、そうでしたか。私もお二人を誘いに来たのでちょうど良かったです」
「誘いに?」
「はい、諏訪子様が――」
「やっほー。一緒に来たよ」
早苗さんが言いかけたところで、その背後からひょいと洩矢諏訪子さんが顔を出した。
「あら洩矢様、その節はどうも」
「そうそう、その件でさ。あいつらが目的を果たしたって聞いたから、ちょっと挨拶してこようと思ってね。一緒にどう?」
「ああ、それはもちろん」
「っていうか所長、諏訪子様があの船の地底脱出を手伝ってたとか、昨日初めて聞いたんですけど! 助手の私に秘密にしてるなんて水臭いじゃないですかあ。諏訪子様がお手伝いした相手だと解ってたら、私ふつうにあの魔法使いさんの復活手伝ってましたよ」
「やーほら、そうしてたら余計話がややこしく……じゃなくて、私たちじゃなく早苗ちゃんが異変の主犯だってことになって霊夢ちゃんと戦うことになってたと思うのよ。地底の件も元はと言えば八坂様が原因なんだし、これ以上霊夢ちゃんに守矢神社への悪印象を植え付けるのはまずいかなーと。博麗神社と守矢神社の間に立ったネゴシエイターとしては、霊夢ちゃんと早苗ちゃんには仲良くやってほしいし」
両手を挙げる蓮子に、むー、と早苗さんは頬を膨らませる。
「まあまあ早苗、別に蓮子たちも悪気があって早苗をのけ者にしたわけじゃないだろうしさ」
「それは解ってますけど……」
「だいたい、早苗を妖怪退治にけしかけたのは神奈子なんだから、神奈子が悪い」
「ええー?」
諏訪子さんの言葉に、早苗さんが困り顔で首を傾げる。私たちは顔を見合わせた。
―32―
そんなわけで、蓮子が早苗さんに、私は諏訪子さんに掴まって空を飛び、また聖輦船を目指した。迷いの竹林上空を飛んでいた聖輦船に追いつくと、見張りをしていた一輪さんが雲山さんとともに飛んできた。
「ああ、蓮子さんにメリーさん、それから昨日の……ああ、そちらは地上の。その節はお世話になりました」
一輪さんが諏訪子さんにぺこりと頭を下げる。話が早くて助かる。
「や、目的を果たしたって聞いたから様子を見に来たよ」
「そうでしたか。姐さんも喜ぶと思います。ご紹介しますのでこちらへ。……ところで、そこの巫女はなぜ? ナズーリンが約束した宝ならまだですが」
「あー、早苗はうちの風祝だから」
「えっ!? そ、そうだったんですか! これは失礼しました」
なにしろ早苗さんは昨日、復活した白蓮さんを再封印しようとした側である。一輪さんが警戒するのも当然だが、諏訪子さんの言葉に慌てて畏まった。
「私がちゃんと話してなかったせいで早苗が迷惑かけたようで、悪かったね」
「あ、いえいえそんな……。最終的には姐さんの復活に賛成していただけましたし」
「文句はうちの神社のもう片方の祭神が受け付けるよ」
「はあ。ともかくこちらへ」
一輪さんに従って、私たちは聖輦船の甲板に降り立つ。「あらあら」と白蓮さんが私たちを出迎えた。一輪さんが耳打ちすると、白蓮さんは破顔して諏訪子さんに歩み寄る。
「これはこれは、ムラサと一輪の地底脱出をお手伝いしていただいたそうで……私からも感謝いたします。ありがとうございました。私、命蓮寺住職、聖白蓮と申します」
「洩矢諏訪子、山の守矢神社の祭神だよ。うちの早苗が迷惑かけたようで、ごめんね」
「ああ、そちらの巫女さんだったのですか。どうかお気になさらず」
まるで学校のクラスメートの保護者同士のご挨拶である。
「で、魔界から出てきたんだって? 幻想郷はどうだい」
「まだ一日ぐるっと見て回っただけですが……結界で閉ざされたためでしょうか、人妖は距離を置きつつも排除しあうわけではない関係性が築かれているようで、素晴らしいことだと思います。平等の精神はまず相手が存在することを認めるところから始まるのですから」
「早苗から聞いたけど、あんたの主義は迫害される妖怪を救って、人妖平等を実現することだって?」
「ええ。御仏の教えを遍く広め、差別や迫害のない世界を目指します」
「ご立派。だけど、私ら神は人間に信仰されなきゃやってけないし、あんたの弟子の妖怪たちだって人間に恐れられなけりゃ生きていけないんじゃないの? どっちも平等の精神からは遠いところにあると思うんだがね」
「そんなことはありません。祟り神が信仰されるのは恐怖からですし、座敷童のように恐怖というより信仰の対象に近い妖怪もいます。敬い信仰するか、恐れ迫害するかは人間の都合でしかないわけですから、妖怪がそれに縛られてはいけないと私は考えるのです。敬うことと信仰することはイコールではありませんし、恐れることと迫害することもイコールではありません」
「ふうん?」
「妖怪が人間の恐怖を必要とするのが事実だとしても、だから妖怪は全て人間に害を為す存在だと決めつけて迫害するのは差別です。神様も、神様だからと無条件に敬して遠ざけられれば良い気持ちはしないのではないですか? 手と手を取り合えば必ずわかり合える、とは言いません。人間同士でさえわかり合えないことの方が多いのですから。ですが、『神仏だからありがたい』『妖怪だから恐ろしい』という決めつけを捨てることはできるはずです。私の目指す人妖平等はまずそこから始まるのです」
「なるほどねえ。ま、言いたいことは解ったよ。でもさあ、人間のする差別ってのはこう言っちゃなんだけど、結局は合理性の産物だろう? 妖怪だからって恐ろしいと決めつけるのはよくない、そりゃ正論だ。だけど、いざ妖怪と遭遇したときに、恐ろしくない妖怪かもしれない、っていう可能性にいちいち賭けてたら、人間は命がいくつあっても足りない。だから妖怪はとりあえず恐ろしいものだと考えて逃げるのが、人間にとっちゃ合理的判断ってものじゃん」
「ええ、それは仰る通りです。そこは逃げるのが正解でしょう。ですが、そこで『あそこにいるのは危険な妖怪に違いないから排除しなければ』となったら、これは差別的迫害というものです。実際に人間に害意をもつ妖怪なら、人間が安全のために戦うのはやむを得ません。しかし、害意のない妖怪を本人の言い分も聞かずに迫害したら差別でしょう」
「そこで、その害意の有無の確認に命を賭けるのは不合理だって話じゃんさ」
「ええ、そのために専門家が必要なのです。人妖の間に立ち、平等に扱う者が」
微笑んで言った白蓮さんに、諏訪子さんは「ああ」と呟いて、ぽんと手を叩いた。
「――なるほど、あんたはその専門家になろうってわけか」
「そういうことです。本来これは博麗の巫女が担う役割だと思うのですが、今の博麗の巫女は妖怪は見境なく退治するという思想のようですので、私がやらねばならないと思っています」
横で議論を聞いていた私にも、白蓮さんの人妖平等思想の目指すところが腑に落ちた。
つまり、人妖平等と言っても完全な人間と妖怪の融和、人妖の区別のない共生を目指しているわけではなく、区別の必要性を認めた上で、不当な迫害をなくすために、人間と妖怪を平等に扱い、双方の言い分を聞いて妥協点を見出すネゴシエイターになろうというわけだ。
「蓮子、幻想郷のネゴシエイターの役目、白蓮さんに取られるわよ」
「ま、それは別にいいわ。私の本業は探偵だし」
蓮子はうそぶく。まあ、そういう交渉事はこの相棒より、どう考えても白蓮さんの方が適任だろう。いざという場合でも本人の戦闘力は折り紙つきであることだし。
「おっけーおっけー、あんたの思想は理解できたよ。うちは神社だから商売敵になるけど、妖怪の領域にある神社だから、あんたが人妖の仲立ちをして無用のトラブルを回避してくれるなら、今後うちが人間の参拝客を集める上でもありがたいね。博麗神社はどうだか知らないけど、守矢神社は今後もあんたたちに協力するに吝かでないと、ここで表明しておくよ」
にっと笑って、諏訪子さんは右手を差し出す。
「ありがとうございます、ご理解いただけてとても嬉しいです」
白蓮さんもその手を握り返し、かくして守矢神社と命蓮寺の協力関係がここに成立した。
「で、これからどうすんの?」
「はい、お寺を建てようと思います。今朝方博麗神社を見てきましたが、ほとんど信仰を集められていないようでした。ということは、この幻想郷では妖怪退治より、人妖平等の方にこそ信仰を集める需要があると思います」
ちらりと早苗さんの方を見やって白蓮さんは言う。むう、と早苗さんは唸った。
「お寺を建てるのに、良さそうな場所も見つけました。ムラサ、例の場所に向かって」
白蓮さんが伝声管に告げると、聖輦船は回頭して里の方へ船首を向けた。そのまま里を回り込むように飛んだ聖輦船は、里の北側の雲に隠れるように停泊する。
「あそこですね。里の北、山へ向かう途中の野道の脇に、荒れた墓地があります。そこにお寺を建てれば、墓地がそのままついてきて、ちょうどいいかと思います」
「ああ、あそこね。うん、里の外だし、いいんじゃない?」
雲の切れ目から眼下を指す白蓮さんに、諏訪子さんが頷く。
「ええ。一応里の代表の方にご挨拶はしておこうと思うのですが」
「あ、じゃあその仲介は私がやりますよ。里の象徴と知り合いですので」
とすかさず蓮子が手を挙げた。白蓮さんが「あらあら、ありがとうございます」と笑う。
「それで、寺を建てるための人手をどうやって集めようかという話を、ちょうど今していたところなんですが……」
「おお、それなら私に任せて。土木工事は得意だから」
諏訪子さんが胸を張る。「本当ですか? それは是非お願いします」と白蓮さんが深々と頭を下げた。
「いいんですか? 諏訪子様、商売敵ですよ?」
「いーのいーの。うちもいずれ参拝客集めを本格的にしなきゃいけないし、そういうときに里から妖怪の山までの道が整備されてなきゃ人も来づらいじゃん。でもその途中に人間の通えるお寺があれば、参拝客も安心して里の外まで足を伸ばしやすくなるでしょ。それに、新参者に恩を売っておけば後から何かとやりやすいんだよ。私ら新参者は後輩を味方につけなきゃ」
「ははあ、なるほど」
微妙に悪い顔をして耳打ちする諏訪子さんに、早苗さんは神妙に頷いた。
「ところで、キャプテンたちは操舵室です?」
話が一区切りしたところで蓮子がそう声をあげると、「ああ、すみません。お客様をこんなところに長い時間立ちっぱなしにさせてしまって……一輪、皆さんを中へご案内して」と白蓮さんは申し訳なさそうに頭を下げる。
「ああ、私はもう用が済んだから退散するよ」諏訪子さんが言う。
「あら、そんなこと仰らず、お茶でもぜひ。魔界でいただいた美味しいお茶がありますよ。それに、せっかくですからお寺をどんな風にするかの相談もさせていただければ」
「そうかい? じゃあ、お邪魔しようかね」
そんなわけで、私たちはぞろぞろと、もはや見慣れた聖輦船の中に招かれた。
―33―
案内されたのは操舵室ではなく、船長室を改装したらしい応接間だった。船が停泊中だからか、操舵室にいたムラサさんも顔を出し、諏訪子さんの姿を認めて頭を下げる。蓮子は「キャプテン!」「蓮子!」とまたムラサさんとハグ。仲が良いことで何よりである。
「星ちゃんとナズっちは?」
「ナズっちは残りの飛倉の破片を探しに行ってるよ。星ちゃんは宝塔をなくした件で自主的に反省中。で、今日はどうしたの?」
「あ、そうそう。私らはキャプテンに聞きたいことがあったんだけど」
と、蓮子はちらっと白蓮さんを見やる。ははあ、とムラサさんはその視線の意味を察した。
「聖のいないところで? いいけど。聖、私らはちょっと操舵室に行ってきます」
「あら、一緒にお茶しないの?」
「そちらはお寺の相談があるでしょうから、私ら部外者は席を外しますわ」
蓮子がそう言うと、白蓮さんは「あら、すみません」と首を傾げる。
「じゃあ、一輪にお茶を持って行かせますね」
というわけで応接室を出て、私と蓮子、ムラサさんは操舵室へ。早苗さんはどうするか迷っていたようだが、結局諏訪子さんの方を選んだようで、ついては来なかった。
「で、改めて聞きたいことって何?」
ムラサさんがどこかから座布団を持ってきて操舵室の床にひき、私たちはそこに腰を下ろす。タイミング良く一輪さんがお茶を持ってきたので、「あ、いっちゃんもちょっと」と蓮子は手招きし、一輪さんも不思議そうな顔で腰を下ろした。
「なんです?」
「いや、そんなに大したことじゃないんだけど、キャプテンから聞いてた千年前の話に、ちょっといくつか気になって確認したいことがあって」
「千年前って、聖が封印されたときの?」
「そうそう。前にキャプテンから聞いた話だと、何が起きたかはだいたいわかるんだけど、具体的に何がどういう順番で起きたのかが、冷静に考えるとよくわかんなくて。そういう細かいことが気になる性分だから、覚えてる限りで教えてほしいんだけど」
蓮子の問いに、ムラサさんと一輪さんは顔を見合わせる。
「何がどういう順番で……って、ええと?」
「だから、キャプテンたちが妖怪であることがバレて、寺が暴徒化した人間に包囲され、博麗の巫女と閻魔様が出てきて、白蓮さんは封印されたけどキャプテンたちは命からがら脱出したわけでしょ? そのへんの前後関係の正確なところを知りたいの。キャプテンたちが寺を脱出したときに、この聖輦船はどうなってたのかとか。あの宝塔はなんで封印を免れたのかとか。それから――そもそも、白蓮さんの復活に宝塔と聖輦船が必要だっていうことを、ずっと地底に封印されてたキャプテンたちはどうして知ってたの?」
「ああ――そっか、そこ説明してなかったっけ」
蓮子の問いに、ムラサさんは頭を掻く。
「えーと、じゃあまず寺が包囲されたあたりから説明するね。私といっちゃんが妖怪だってバレたせいで、聖は妖怪の手先だっていう噂が広まって、まず寺が包囲されたのよね。聖は正面から出て行って説明しよう、って言ってたんだけど、寺を取り囲む人間たちがあまりに殺気立ってたから、みんなで止めてたの。聖が出て行ったら殺されちゃうって」
「正体がバレたのは私とムラサでしたから、私とムラサが出て行って退治されれば人間たちの怒りも収まるだろうと私は言ったんですが、それは姐さんに断固として止められてしまって」
「にっちもっさっちもいかなくなってたときに、寺の正面から博麗の巫女がやって来たの。それで博麗の巫女が言ったのよ。『里の者は今のところ私が抑えているが、いつまでもは無理です。なぜ妖怪を匿っていたのか、それを人間と偽ったのか、理由を聞かせてください。理由もわからぬままに寺を焼き討ちにはしたくない』と」
――千年前の博麗の巫女は、霊夢さんよりは物わかりのいい人だったようである。
「聖がそれに沈黙していると、博麗の巫女が『答えられないというなら、閻魔を召喚します』と言って――そうして、寺に閻魔様がやってきて、聖は閻魔様と一対一で何かを話し合った。何を話し合ったかは、私たちは寺の蔵に隠れてたから聞いてないんだけど……」
「その話し合いが終わった後、姐さんが私たちの元にやってきて、星に宝塔を渡し、『貴方たちは逃げなさい』と言いました。『今なら逃げられます。ただし、捕まっても抵抗してはいけません。人間を傷つけたら、私たちは本当にただの恐ろしい妖怪になってしまいます』と」
「私は『聖は?』って聞いたんだけど、聖は『私は、閻魔様の裁きを受け入れます』としか言わず……私らは『だったら私たちも聖と一緒に裁かれる!』って言ったんだけど、聖は『貴方たちには何の罪もないのです。裁かれるのは私だけでいい』って……」
「それで私たち四人は、泣く泣く聖を残して寺を脱出したんです」
「聖は別れ際にこう言い残したの。『私の力は、その宝塔と飛倉に残しておきます。宝塔と飛倉に私の力が残っている限り、私は貴方たちのそばにいます』――って。だから星ちゃんはナズっちと宝塔を持って逃げて、私といっちゃんはそのとき蔵になってた聖輦船を船に戻して寺を脱出したの。結局、船に乗って逃げたせいで目立っちゃった私といっちゃんだけ、後で博麗の巫女に捕まっちゃったんだけど」
「姐さんが魔界に封じられたということは、捕まったときに博麗の巫女から聞きました。そうして私とムラサは地底に封じられたわけです」
ふたりの話が終わる。ふむふむと頷きながら聞いていた蓮子は、「てことは」と顔を上げた。
「宝塔と飛倉があれば白蓮さんを復活させられるってのは、誰かからそう明言されてたわけじゃないのね?」
「うん。聖がその力を聖輦船と宝塔に残したってことは、封印された聖にその力を戻してあげれば聖を解放することができるはず、っていう星ちゃんの推測。私たちにとってはこの千年、それが心の支えだったから、ドンピシャで安心したよ」
「なるほど。ということは、宝塔と聖輦船に力を分けること自体が閻魔様の裁定の一部だったってことかしら――」
蓮子はそう唸って、「そうだキャプテン」とムラサさんを見つめる。
「白蓮さんを復活させるまで、聖輦船は自動航行だったじゃない。あれは最初に白蓮さんがキャプテンにあの船を与えたときからそうだったの?」
「え? あ、うん、そうよ。私が聖からあの船貰ったときから自動航行。私は行き先を設定するだけだったんだけど……」
「キャプテンが行き先を決めれば、あとは船が勝手に目的地に向かってくれたわけね」
「そうよ。でも、聖が復活してからはそこまで便利じゃなくなっちゃって、浮いてるのは聖の力だけど舵を動かして進路を取るのは私の仕事になっちゃった。まあ、今まで暇だったからいいんだけど」
そう言ったムラサさんは、蓮子が難しい顔をしているのに気付いて「どったの?」と首を傾げた。蓮子は「ああ、いや別に」と首を振る。
――私も蓮子の傍らで、いささかの疑問を覚えていた。それは、話が逆ではないか?
白蓮さんが封印されている間、その力を宿した船は手動航行になっていた――ならわかる。あくまで船は白蓮さんが遠隔操作で動かしていた、ということだ。
だが、白蓮さんが封印されている間も自動航行で、封印が解けたら手動になった――というのは、意味がよくわからない。白蓮さんが船の操縦権をムラサさんに全面的に譲ったということなのか? それとも――それとも?
「じゃあ、聖輦船と違って宝塔が封印を免れたのは、単純に持ってた星ちゃんたちが逃げ切ったからってことでいいのよね?」
「うん、そのはず。でもなんであんな大事なものをなくしちゃうかなー」
「まったく、ねえ」
ムラサさんは一輪さんと顔を見合わせて苦笑し合う。蓮子もそれに調子を合わせて笑っていたけれど――その帽子の庇を弄る仕草から、相棒の頭脳がまた誇大妄想を組み立てつつあることを、私は見て取っていた。
第9章 星蓮船編 一覧
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博麗の巫女から逃げきっていたら、どこに聖が封印されているのかもわからないままだった。
自動航行を船に与えられたから、聖の場所がわかった。
つまり閻魔的には、刑期が終われば=船に力が貯まれば逃がすつもりだった?
でもそうすると「なぜ船に魔力(法力?)が貯まるまでを刑期と定めたのか」がわからん……
というか、何がどうなって船に力が貯まるんだろう?
追記、
そもそも「船が自動航行で聖を目指すようになる」ことのトリガーって、本当に魔力が貯まることだったんだろうか?
すごいなぁ
白蓮が復活したことで宝塔や船から白蓮の魔力が失われて、それで機能が低下したとかかな。
何故そうなったのかがちょっとわからないですね…。
そういえばここに来るまで彼に関する話は出てなかったんだっけ、でも蓮子の事だし自動航行機能は第三者に依るものであるってのは気づきそうではあるなぁ
はてさて、どうなるか。非常に楽しみにござる
疑問まとめ
①当時の巫女は、なぜ宝塔を神社に保存しておかなかったのか? 宝塔さえキープしておけば白蓮は復活出来ない。
②当時の巫女は、なぜ星蓮船を破壊しなかったのか? 船にしろ宝塔にしろ、破壊すれば復活されない。
③当時の阿礼の子はなぜ事件の詳細を書き記さなかったのか? 何か記録しておかないと、流石に白蓮が復活した時に対処出来ない。
④なぜ魔界だの地底だの中途半端な所に封印したり、監視を怠ったりしていたのか。さとりも神綺も、明らかに村紗や白蓮を監視する役目を負っていない。
⑤白蓮は元々、妖力や魔力を寿命に変換する能力は持っていた。村紗達に会うために魔法使いになる、とすると微妙におかしな話になる。というか、魔力を寿命に変換する力をどこで手に入れたのか。なぜ法力という「正」の力で寿命を延ばそうとしなかったのか。
⑥閻魔や白蓮達が、村紗が真人間になったり、人里が妖怪に対して穏やかになるのを待っていたとしても、あまりに時間が経ち過ぎではないか。流石に1000年は長すぎる気がしないでもない。
⑦当時や現在、毘沙門天がほぼ干渉しなかったのは何故か。ナズーリンという直属の人物も事件に関わっていたのに