―28―
「この船も、随分と懐かしいですね。まだ立派に動いているなんて……」
聖輦船の甲板に降り立った白蓮さんは、感慨深げにそう呟き、それから甲板上をぐるりと見回して、「あらあら」と折れたマストに目を留めた。
「そうですよね、あれから千年も経っているんですものね……」
「あ、聖、それはなんていうかその、直したんだけど事故で……」
遠い目をして折れたマストに触れる白蓮さんに、ムラサさんが気まずそうに手を挙げる。
「飛倉の破片は集めておきましたが……」
一輪さんが、雲山さんに大量の木ぎれを抱えさせて歩み寄る。白蓮さんは微笑んだ。
「ありがとう。大丈夫、これなら直せます。では――」
「あーあーあー聖! いやこれから帰るときにわりと狭いトンネル通るから、マスト直しちゃうとつっかえちゃうかも……」
「あら、そうなの? じゃあ、直すのは外に出てからにしましょう」
「うう、ごめんなさい聖……聖の作ってくれた船をこんなにしちゃって……」
「これは貴方の船ですよ、ムラサ。千年もよく大事にしてくれました」
申し訳なさそうに下げたムラサさんの頭を、ぽんぽんと白蓮さんが撫でる。「ひじりぃ」とムラサさんがまた感極まった様子で白蓮さんに抱きつき、「あ、ムラサ、ずるい!」と一輪さんが口を尖らせた。それを見て「一輪もおいで」と白蓮さんが手招きし、二人ともハグ。微笑ましい光景である。
「ところで、えーと聖さん? このUFOって結局なんだったんです?」
早苗さんが木ぎれをひとつ捕まえて訊ねる。「UFO?」と白蓮さんが首を傾げた。
「こういうのをUFOって言うんです。未確認飛行物体です」
「はあ。この船のマストの破片のようですが……」
「マストの破片? これがですか?」
早苗さんはきょとんとした顔でUFOをためつすがめつする。
「確かに、そうなってしまっては見た目はただの木ぎれですけれど……。法力で空を飛ぶこの船の一部です。もともと、この船は私の弟が作った飛倉ですから」
「??? いや、確かに手触りは木造っぽいですが、なんでマストの破片が円盤に?」
「え?」
「え?」
早苗さんと白蓮さんの会話が噛み合わない。――そういえば、早苗さんにはこの木ぎれについてちゃんと説明していなかったのだった。早苗さんにはあの木ぎれがUFOに見えていて、白蓮さんには私と同じくただの木ぎれに見えているらしい。
「おい、これ中に何か入ってるぜ」
同じく木ぎれを捕まえて弄くり回していた魔理沙さんが、木ぎれから何かを取りだした。私と蓮子が覗きこむ。蓮子が「蛇?」と言うが、私には何かの種にしか見えない。
「小さい蛇だなあ」
魔理沙さんがその種をつまみあげると――次の瞬間。
「あっ」
「おお?」
木ぎれを見下ろして、蓮子と魔理沙さんが変な声をあげる。ふたりは顔を見合わせ、魔理沙さんがその種を木ぎれに置くと、「おおおおー」とふたりはまた歓声をあげる。私はさっぱり状況についていけない。
「どうなってんだこれ? UFOがただの木片になったりまた戻ったり……」
「ははあ、魔理沙ちゃん。この蛇がただの木ぎれをUFOに見せてるんだわ」
「なんだそりゃ?」
「何かそういう、たぶん認識操作系の作用があるのよ、この蛇。この蛇がくっついていると、その物体が別の形に見えるんだわ」
「ほほう? おーい霊夢、見てみろよ。面白いぜ」
「あによ?」
「なにやってるんですかー?」
霊夢さんと早苗さんも寄ってきて、魔理沙さんが種を取ったりつけたりするたびに訝しげな顔をしたり目を輝かせたりし、蓮子の説明を聞いて「はー」と声をあげる。
「え、じゃあこれってUFOじゃなくてただの木ぎれだったんですか?」早苗さんが言う。
「そうみたいねえ」蓮子が頷くと、「ええー」と早苗さんは口を尖らせた。
「そんなー。せっかくUFOを捕まえたと思ったのに。せっかくのロズウェル事件がー」
「残念ね。ところで霊夢ちゃんと魔理沙ちゃんにも、これは円盤形のUFOに見えてたのよね?」蓮子がそう問うと、ふたりとも頷く。
「霊夢ちゃんと魔理沙ちゃん、UFOって概念、前から知ってた?」
「こいつから聞いて初めて知ったぜ」「魔理沙に同じ」早苗さんを指さして答えるふたり。
「早苗ちゃん、ふたりにUFOの説明したとき、何か絵とか図とか見せた?」
「おふたりともピンと来てなかったので、地面に枝で簡単なUFO図を描きましたけど」
「ははあ――ねえキャプテン、これ何に見える?」蓮子が木ぎれを掲げて呼びかける。
「え? マストの破片でしょ?」ムラサさんは不思議そうに首を傾げた。
「キャプテンには最初からこれがただの木ぎれに見えてるのね?」蓮子は念を押す。
「それ以外の何だっていうの?」と眉を寄せるムラサさんに、「ありがとキャプテン」と蓮子は笑って手を振った。ムラサさんは解せぬという顔。
「てことは、たぶんこの船の面々には最初から、これはただの木ぎれに見えてたんだわ」
「あー? この蛇が別の形に見せてるんじゃなかったのかよ?」魔理沙さんが問う。
「たぶん、相手によるんだわ。たぶん早苗ちゃんが最初にこれを『UFOです!』って言いだしたせいで、私たちにはこれがUFOに見えるのよ。対象への認識を先入観や第一印象で固定しちゃう能力とでも言えばいいのかしら」
「じゃあ、最初にこれが『鳥だ!』って思えば鳥に、『飛行機だ!』って思えば飛行機に見えるっていうこと?」私が問うと、「たぶん、メリーみたいな特殊な目の持ち主でない限りは」と蓮子は頷く。なんとまあ、相対性精神学的な能力だろう。
「それはいいけど、それに何の意味があるのよ?」霊夢さんが不審げに眉を寄せる。
「あー、たぶんそれ、私の知り合いのイタズラ」と、そこで話に割って入ったのはムラサさんだ。皆が振り向いたところで、ムラサさんは苦笑して頭を掻く。
「その類いのイタズラ、私も地底でよくやられたから。聖輦船が地上に出たときに、あの子も一緒に出てきたんだと思う。……っていうか、マストが壊れたのもたぶんあの子のせいなんだけどさあ」腕を組んでムラサさんはため息。
「なんだそりゃ。ただの嫌がらせってことか?」魔理沙さんが首を捻る。
「あんたらがあいつを復活させようとしたのを邪魔したってこと?」と霊夢さん。
「まあたぶん、そうなるかなあ。あんまり深い意味はないと思うけど」ムラサさんが頷く。
「それなら霊夢さんと目的一緒じゃないですか」早苗さんが言い、霊夢さんが口を尖らせる。
「妖怪退治を妖怪のイタズラと一緒にされちゃたまんないわ。そいつ、どこにいるのよ?」
「ええ? さあ、どこにいるんだか……」霊夢さんの問いに、ムラサさんは首を振る。
「地底から勝手に出てきた妖怪でしょ? 後でそいつ退治してやるわ。容赦してやるもんか」
憤懣やるかたない様子で霊夢さんはそう息巻いた。「おーこわ。ああなった霊夢にゃ近寄らん方がいいぜ」と魔理沙さんが囁く。今回の異変解決は蓮子をはじめ周囲に邪魔されてばかりで、霊夢さんはほとんど何ひとつ思うようにいかなかったはずだ。そりゃストレスも溜まろうというもので、私たちは触らぬ博麗の巫女に祟りなしと距離を置くしかなかった。
その後、ムラサさんたちが白蓮さんを船内に案内したので、私たちもそれについていく。やって来たのは操舵室だが、ここもさっきの弾幕ごっこでけっこうボロボロだ。
「あらあら、ここもまた……」
「すみません姐さん……これは主に私と雲山のせいです」
しょげる一輪さんには答えず、白蓮さんは舵に歩み寄った。
「皆をここに連れてきてくれたのですね……ありがとう」
舵をそっと撫で、白蓮さんは船に話しかけるようにそう呟く。そして、不意に感極まったように目尻をそっと拭うと、星さんに「星、宝塔を」と呼びかけた。
星さんが手にした宝塔は、既にその光を失っている。白蓮さんは宝塔を手にして目を伏せた。すると、宝塔が再び光を放ち、その光が操舵室を包み込む。
――次の瞬間、あちこち壊れていた操舵室は、綺麗に修繕されていた。
「なんということでしょう! 劇的ビフォーアフターですね!」早苗さんがはしゃぐ。
白蓮さんは再び光を宿した宝塔を、「これは貴方に」と星さんに差し出す。星さんが恭しくそれを受け取ると、白蓮さんはムラサさんを振り返った。
「さあ、ムラサ。この船で、私たちを魔界の外へ導いて」
「アイアイサー! 聖輦船、幻想郷へ向けて発進! よーそろー!」
ムラサさんが嬉々として舵を回す。聖輦船は大きく回頭し、再び魔界の中心部へ向かう。
呉越同舟、大所帯の船旅は、かくしてもう少しだけ続くことになる。
―29―
「長い間お世話になりました」
「気を付けて。元気でね、白蓮さん。あ、これおみやげ。みなさんもどうぞ。あとアリスちゃんによろしく伝えておいて。怒ってないから一度顔を見せに戻ってきてって」
魔界の中心部で、私たちは神綺様たちと別れた。白蓮さんと神綺様はハグして別れを惜しみ、それから神綺様は皆に魔界みやげを配っていた。魔界せんべいとかいう、やたらと観光地的なおみやげを渡され、いささか反応に困る。魔理沙さんは魔石だの魔界キノコだのを貰ってご機嫌な様子だった。「結局魔理沙の一人勝ちじゃない、今回」と霊夢さんは憮然とした顔。
神綺様と夢子さん、ユキちゃんマイちゃんに見送られて神綺様の家(パンデモニウムというらしい)を後にし、聖輦船はルイズさんの先導で魔界の門へ向かう。
「あ、ルイズ姉さん。おかえり」
「ただいま〜、サラちゃん」
門のところでは、サラさんが変わらず番をしていた。サラさんに門を開けてもらい、ルイズさんに手を振って、聖輦船は魔界から顕界への境界を越え――、
ようとしたところで、船の舳先の前に、現れる影がある。
その影が手を前に出すと、聖輦船は何かの壁に阻まれたように停止した。甲板にいた全員がその影を見上げ、操舵室にいたムラサさんも「なになに?」と飛び出してくる。
「げっ、閻魔!」
魔理沙さんがそう声をあげた。聖輦船の船首から私たちを睥睨しているのは、他でもない。是非曲直庁の閻魔、四季映姫さんである。
魔理沙さんの言葉に、ムラサさんたち命蓮寺組の間に緊張が走った。皆、千年前に白蓮さんが封印された際に閻魔が裁定に来たことは知っているらしい。星さんと一輪さんが白蓮さんを庇うように前に出るが、白蓮さんはその肩を叩いて首を振った。
「あ、この前のかわいい閻魔様!」
早苗さんが無邪気な声をあげ、閻魔様はじろりとそちらを睨んだ。「かわいい……?」と魔理沙さんが首を傾げる横で、霊夢さんが「閻魔様が何しに来たのよ」と声をあげる。
「私の代わりにこいつを再封印してくれるんなら任せるけど」
お祓い棒で白蓮さんを指して言う霊夢さんを、ムラサさんがすごい顔で睨む。
閻魔様はそれに頷くでも首を振るでもなく、ゆっくりと舳先に降り立った。
「聖白蓮。久しいですね」
白蓮さんにその視線を向けて、閻魔様はそう口を開く。
「――お久しぶりです、閻魔様」
白蓮さんはその視線を受け止め、静かに一礼した。
その背後でムラサさんたちが、何かあればすぐに戦闘態勢に入れるように身構えるが、白蓮さんは手を振ってそれを諫め、閻魔様へと歩み寄る。
閻魔様は目を細め、白蓮さんの背後の弟子たちに視線を向ける。
「今日は、聖白蓮をどうこうしに来たわけではありません。警戒しなくても大丈夫です」
ムラサさんたちは顔を見合わせる。閻魔様は再び白蓮さんに向き直った。
「千年前の私の裁定を、覚えていますか」
「――はい」
「こうして千年の時を経て、貴方がかつて救った妖怪たちが貴方を助けに来た。それは、かつての貴方の行為が紛れもない善行であったことの証明です。たとえ、その目的が間違っていた、罪であったとしても」
「――――――」
「貴方が罪を犯したことは間違いない。それでも、貴方は自らの行いでその罪を贖ったのです。だから貴方が今日、魔界から解放された。――ですから、閻魔として私が今の貴方に言うべきことは、ごく当たり前のことでしかありません。貴方はこれからも、犯した罪を覆い隠すほどの善行を積んでいきなさい。愛する者のために罪を犯すのではなく、愛する者のために善を為しなさい。――私は決して、貴方の正しさを保証するわけではありません。誰しもが常に正しく、同時に常に間違っているのです。ですから貴方は、常に己に、己が正しさの是非を問い、己が身に恥じるところなき道を往きなさい。己を裁くのは、結局は己自身なのですから」
「……閻魔様」
白蓮さんは目を閉じて合掌し、閻魔様へ頭を垂れた。閻魔様はただ静かに、ひとつ頷く。
そして閻魔様は、視線を霊夢さんの方へと向けた。
「博麗霊夢」
「あによ。説教ならまた今度にして」
「では後日神社に伺います。――貴方は博麗の巫女として、聖白蓮を見定めなさい。貴方と聖白蓮の思想はおそらく相容れないでしょう。千年前の博麗の巫女も、それ故に私に裁定を委ねたわけですが――だからこそ、これから貴方が聖白蓮を見定めることは、貴方が自分自身を見定めることに繋がっていくはずです」
「見定めなくたって、私は私よ。大きなお世話だわ」
「閻魔は大きなお世話を焼くのが仕事ですから。――では、私はこれで」
閻魔様はそう言って身を翻し、洞窟の入口から差し込む光の中に姿を消した。ムラサさんが一輪さんと顔を見合わせ「……何しに来たんだろ?」「さあ」と言い合っている中で、白蓮さんはもう一度深々と合掌して頭を垂れる。
「ムラサ、船を進めてください」
「あ、はい! すぐに!」
白蓮さんに言われ、ムラサさんは慌てて操舵室にとって返す。そうして聖輦船は、魔界と顕界の境界を越え、幻想郷へと進み出た。
トンネルを抜けて陽が差すと、白蓮さんは眩しそうに目を細めた。千年ぶりの日光なら、そりゃ眩しいだろう――などと、どうでもいいことを私は考える。
「ああそうだ、マストを直しましょう」
白蓮さんはそう言って、雲山さんが抱えた大量の木ぎれを折れたマストの元に集め、手をかざす。その手が光を放ち、みるみるうちにそこには立派なマストが復元されていた。
「破片がまだ多少不足しているようですね……。足りない部分は私の魔力で補いましたが、まあそれはおいおい回収しましょう。一輪、帆を張って」
「はい!」
一輪さんが雲山さんとともに綱を引くと、マストに大きな白い帆が張った。帆には赤く染め抜かれた大きな《寶》の字。「やっぱり宝船じゃないか」と魔理沙さんが肩を竦める。
「あ、宝で思いだした。見逃す条件のお宝はどこだよ?」
「それは後日届けるよ。この場にはないんだから」
ナズーリンさんの答えに、魔理沙さんは「約束だぜ」と言って帽子を被り直し、「じゃあ、とりあえず手付けとしてこいつを頂いてくぜ」と木ぎれを掲げて箒にまたがった。
「んじゃ、私は帰るぜ。お宝忘れんなよ!」
そう言い残し、魔理沙さんは星屑を散らして飛び去って行く。霊夢さんは肩を竦め、白蓮さんに歩み寄ると「あんたたちはどうすんのよ?」と問うた。
「そうですね……。とりあえずは、一帯をこの船で飛んで見て回ろうと思います。今後のことはその後に考えます」
「あ、そ。じゃあ、私も帰るわ」
霊夢さんはふわりとその場から浮き上がり、「言っておくけど、あんたたちが危険だと判断したらいつでも退治しに行くからね」と釘を刺す。それから私たちの方を振り返り、
「あと蓮子とメリー。無力な里の人間を退治するわけにはいかないから今回は見逃すけど、あんたたち、こんなことやってたらそのうち妖怪になるわよ」
「気を付けますわ」
「だったらもうちょっと大人しくしてなさいっての。いつもいつも異変のたびに首突っ込んできて……一応、あんたたちは私が守るべき対象なんだから、ちゃんと守られる努力をしなさい」
「霊夢ちゃん、閻魔様の説教癖が移ってない?」
「うるさい! ああもう、帰って寝るわ! おやすみ!」
霊夢さんはふて腐れたような顔をして、博麗神社の方へ飛び去って行く。
「早苗ちゃんはどうするの?」
「そうですねえ。私も帰って今回の件を神奈子様たちに報告したいところですけど、その前におふたりを里まで送ります」
「あ、それなら私たちがこの船でお送りしますよ」
早苗さんの言葉に、白蓮さんがそう割って入った。
「蓮子さんたちはムラサたちの恩人だそうですから、そのぐらいのことはさせてください」
「はあ。えーと、じゃあ、お任せしちゃっていいです?」
「私はオッケーよ。メリーもいいわよね?」
「……まあ、特に問題はないわ」
「そうですか。じゃあ、私もお先に失礼しますね」
早苗さんもそう言って、妖怪の山の方に飛び去って行った。かくして聖輦船に残ったのは、白蓮さんたち一行と、私と蓮子の二人である。
「里はどちらですか?」
「あ、ここから南西ですね」
「解りました。ムラサ、進路を南西に」
甲板の伝声管に白蓮さんが呼びかけ、『あいさー、面舵いっぱーい!』と元気のいい返事。
そうして聖輦船は、人間の里へと進路を向けた。
―30―
船が里に近付くと、里の通りに人だかりが出来ているのが見えた。多くの人は空を見上げてこちらを指さしたり何か喋ったりしているが、中には何やら拝んでいる人もいる。そりゃまあ、宝船が飛んで来れば人は集まるだろうし、拝む人も出るだろう。
「ちょっと蓮子、なんか結構な騒ぎになっちゃってるけど」
「まあいいじゃない。もう聖輦船は目的を遂げたんだし、幻想郷に出てきちゃったんだから、遅かれ早かれこうなってたわよ」
「いや、そうじゃなくて慧音さん……」
魔界に行く前、聖輦船が里に近付きすぎて慧音さんが出動する騒ぎになったらどうしよう、という話をしたのは蓮子自身ではないか。
「まあ、それも何とかなるわ、たぶん。今は強い味方がいるし」
と蓮子は白蓮さんを振り返る。白蓮さんは頬に手を当てて「あらあら」と首を傾げた。
「慧音さん、というのは?」
「上白沢慧音さん。私たちの保護者的な人ですわ」
「あらあら、それでしたら私からもご挨拶しなくては」
白蓮さんは微笑んでそう言う。確かに大丈夫な気がしてくるからこの微笑みは強力だ。
ともかく、聖輦船は里の東の門の手前で空中に停泊した。「では降りましょう」と白蓮さんが私と蓮子の手を掴み、甲板からふわりと飛んでゆっくり地面に舞い降りる。
私たちが里の東の門に歩み寄ると、駆け寄ってくる影がひとつ。その影は私たちの姿を認めて、その目をまん丸に見開いた。
「蓮子にメリーじゃないか。いったいこれは何事だ?」
「あらら、噂をすれば何とやら。どうも慧音さん、お騒がせしてますわ」
蓮子が軽く片手を挙げて答えると、慧音さんは腰に手を当てて呆れ気味にため息。
「また勝手に里の外へ……いや、今はそれはいい。良くないが、それよりこの空飛ぶ船は何だ」
聖輦船を見上げて眉間に皺を寄せる慧音さんに、「こんにちは」と白蓮さんが歩み寄る。
「貴方が上白沢慧音さんですか?」
「は、はあ。貴方は?」
「聖白蓮と申します。御仏の教えを広めるためこの幻想郷にやって参りました、しがなき僧侶です。里をお騒がせしてしまい申し訳ありません。この船は、私と弟子たちの乗る船です。里に対して何か危害を加えるような意志はありませんので、どうかご安心ください」
「僧侶……ですか。よもや外の世界から?」
「いえ、お恥ずかしながら魔界より参りました。千年ほど前から諸般の事情で封印されておりまして、この度閻魔様からも魔界の管理者様からもお許しをいただき、外に出てきた次第です」
「魔界に封印……?」
正直な白蓮さんの告白に警戒心を強めたようで、慧音さんの表情が険しくなる。
「あー慧音さん、霊夢ちゃんも白蓮さんの解放は認可してるのでそのへんよろしく」
「なに、霊夢が認めたのか?」
蓮子の口添えに拍子抜けしたような顔で慧音さんは目をしばたたかせ、白蓮さんに向き直る。菩薩のごとき微笑みを浮かべた白蓮さんの顔を見て、慧音さんは困ったように首を傾げた。
「魔界から出てきた者を霊夢が認めるとは……。解りました、その点は後で霊夢に確認を取りましょう。それで、御仏の教えを広めるためと仰いましたか?」
「はい。まだこちらに出てきたばかりですので、しばらくはこの船で幻想郷を見て回りたいと思っております。ゆくゆくはこの地にお寺を建立し、弟子とともに修行に励みつつ、御仏の教えを幻想郷に広めてゆきたいと考えております」
「それは……里の人々を対象に、ということですか?」
「仏法に帰依する心さえあれば、人妖分け隔てなく、と考えております」
その言葉に、慧音さんが複雑な表情をする。白蓮さんの言葉を判断しかねたのだろう。
「お話は解りました。里に害を加えない限り、私には貴方たちの行動を制限する権利はありません。もちろんそのお寺を里の中に建立したいと言うなら、また色々と問題が生じるでしょうが、私はただのいち自警団員、いち歴史教師ですので、それに関しては何とも。――ともかく、ようこそ、幻想郷へ」
慧音さんが右手を差しだし、白蓮さんがその手を握り返す。
「皆が驚いていますので、とりあえずあの船を余所へ動かしていただけますか。危険なものでないということは私が伝えておきますので。……それと、なぜ蓮子とメリーが一緒に?」
「ああ、そうでした。蓮子さんとメリーさんは、たいへんお世話になりましたので、お礼にここまで船でお送りして参りました次第です。お騒がせして申し訳ありません」
「はあ」
「いずれまた、きちんとお礼に伺わせていただきたいと思います。今後ともなにとぞ、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる白蓮さんに、慧音さんは「ああ、どうもご丁寧に」と慌てて腰を折る。あの慧音さんがすっかり白蓮さんのペースに飲まれているのだから、なるほどこれが宗教指導者のカリスマ性というやつだろうか。
「それでは、たいへんお騒がせしました。私はこれにて失礼いたします」
白蓮さんはもう一度ぺこりと頭を下げ、「蓮子さん、メリーさん、この度は本当にありがとうございました。いずれまたご挨拶に伺います」と私たちに微笑むと、ふわりと宙に浮き上がって聖輦船の甲板へと姿を消した。それとともに聖輦船はまたゆったりと動きだし、里の上空を横切って去って行く。集まった人々はどよめきながらそれを視線で追いかけた。
私たちもそれを見送って、そして慧音さんが私たちに改めて向き直る。
「……さて、蓮子、メリー」
じろり、と半眼で睨まれて、私たちは「うっ」と小さくのけぞった。
「魔界から解放されてきた僧侶が、お前たちの世話になったというのは、どういう意味だ?」
「あー、慧音さん、えーとそれには一口では説明しかねる事情がございまして、語るとたいへん長い話になるわけでして」
「なるほど。ではその長い話というのをじっくり聞かせてもらおうか」
ぽんと蓮子の肩を叩き、笑顔で慧音さんは言う。が、目が全く笑っていない。肩を掴まれた蓮子が「い、痛い痛いです慧音さんちょっと」と呻くが、慧音さんは「ん?」と笑ってない笑顔のまま小首を傾げてみせた。
「あ、あの、慧音さん、いやほらお忙しいでしょうし」
「なに、これは先ほどの騒動に対する捜査の一環だ。いくらでも時間はとれるぞ。さあ、いったいどんな経緯があって、魔界に封印された僧侶と知り合ったんだ? 里の子供たちの規範となるべき寺子屋の教師が、よもや里の外をほっつき歩いたばかりか、魔界なんて危険極まりないような場所までほいほいと足を伸ばしたりはしてないよな? そうだな?」
慧音さんは私の肩も掴んで、そのまま私たちを押して里へと歩いて行く。まるっきり連行される容疑者である。私は抗議の視線を蓮子に向けるが、蓮子は帽子を目深に被り直して視線を逸らした。裏切り者。
「さあ、今日一日いったい何をしていたのか、じっくりたっぷり聞かせてもらおうか――」
かくして私たちは笑顔のままの慧音さんに、自警団の詰所へ連行され、冬の地底探検から今回の魔界旅行まで洗いざらい正座で白状させられることになった。その後、二時間にわたるお説教ののち渾身の頭突きを喰らったのは言うまでない。
相棒は白蓮さんが取りなしてくれることを期待していたようだが、生憎と慧音さんはそんなに甘くないのである。この幻想郷で我が相棒が唯一口先で勝てないのが、我らが保護者である上白沢慧音さんなのであった。
「この船も、随分と懐かしいですね。まだ立派に動いているなんて……」
聖輦船の甲板に降り立った白蓮さんは、感慨深げにそう呟き、それから甲板上をぐるりと見回して、「あらあら」と折れたマストに目を留めた。
「そうですよね、あれから千年も経っているんですものね……」
「あ、聖、それはなんていうかその、直したんだけど事故で……」
遠い目をして折れたマストに触れる白蓮さんに、ムラサさんが気まずそうに手を挙げる。
「飛倉の破片は集めておきましたが……」
一輪さんが、雲山さんに大量の木ぎれを抱えさせて歩み寄る。白蓮さんは微笑んだ。
「ありがとう。大丈夫、これなら直せます。では――」
「あーあーあー聖! いやこれから帰るときにわりと狭いトンネル通るから、マスト直しちゃうとつっかえちゃうかも……」
「あら、そうなの? じゃあ、直すのは外に出てからにしましょう」
「うう、ごめんなさい聖……聖の作ってくれた船をこんなにしちゃって……」
「これは貴方の船ですよ、ムラサ。千年もよく大事にしてくれました」
申し訳なさそうに下げたムラサさんの頭を、ぽんぽんと白蓮さんが撫でる。「ひじりぃ」とムラサさんがまた感極まった様子で白蓮さんに抱きつき、「あ、ムラサ、ずるい!」と一輪さんが口を尖らせた。それを見て「一輪もおいで」と白蓮さんが手招きし、二人ともハグ。微笑ましい光景である。
「ところで、えーと聖さん? このUFOって結局なんだったんです?」
早苗さんが木ぎれをひとつ捕まえて訊ねる。「UFO?」と白蓮さんが首を傾げた。
「こういうのをUFOって言うんです。未確認飛行物体です」
「はあ。この船のマストの破片のようですが……」
「マストの破片? これがですか?」
早苗さんはきょとんとした顔でUFOをためつすがめつする。
「確かに、そうなってしまっては見た目はただの木ぎれですけれど……。法力で空を飛ぶこの船の一部です。もともと、この船は私の弟が作った飛倉ですから」
「??? いや、確かに手触りは木造っぽいですが、なんでマストの破片が円盤に?」
「え?」
「え?」
早苗さんと白蓮さんの会話が噛み合わない。――そういえば、早苗さんにはこの木ぎれについてちゃんと説明していなかったのだった。早苗さんにはあの木ぎれがUFOに見えていて、白蓮さんには私と同じくただの木ぎれに見えているらしい。
「おい、これ中に何か入ってるぜ」
同じく木ぎれを捕まえて弄くり回していた魔理沙さんが、木ぎれから何かを取りだした。私と蓮子が覗きこむ。蓮子が「蛇?」と言うが、私には何かの種にしか見えない。
「小さい蛇だなあ」
魔理沙さんがその種をつまみあげると――次の瞬間。
「あっ」
「おお?」
木ぎれを見下ろして、蓮子と魔理沙さんが変な声をあげる。ふたりは顔を見合わせ、魔理沙さんがその種を木ぎれに置くと、「おおおおー」とふたりはまた歓声をあげる。私はさっぱり状況についていけない。
「どうなってんだこれ? UFOがただの木片になったりまた戻ったり……」
「ははあ、魔理沙ちゃん。この蛇がただの木ぎれをUFOに見せてるんだわ」
「なんだそりゃ?」
「何かそういう、たぶん認識操作系の作用があるのよ、この蛇。この蛇がくっついていると、その物体が別の形に見えるんだわ」
「ほほう? おーい霊夢、見てみろよ。面白いぜ」
「あによ?」
「なにやってるんですかー?」
霊夢さんと早苗さんも寄ってきて、魔理沙さんが種を取ったりつけたりするたびに訝しげな顔をしたり目を輝かせたりし、蓮子の説明を聞いて「はー」と声をあげる。
「え、じゃあこれってUFOじゃなくてただの木ぎれだったんですか?」早苗さんが言う。
「そうみたいねえ」蓮子が頷くと、「ええー」と早苗さんは口を尖らせた。
「そんなー。せっかくUFOを捕まえたと思ったのに。せっかくのロズウェル事件がー」
「残念ね。ところで霊夢ちゃんと魔理沙ちゃんにも、これは円盤形のUFOに見えてたのよね?」蓮子がそう問うと、ふたりとも頷く。
「霊夢ちゃんと魔理沙ちゃん、UFOって概念、前から知ってた?」
「こいつから聞いて初めて知ったぜ」「魔理沙に同じ」早苗さんを指さして答えるふたり。
「早苗ちゃん、ふたりにUFOの説明したとき、何か絵とか図とか見せた?」
「おふたりともピンと来てなかったので、地面に枝で簡単なUFO図を描きましたけど」
「ははあ――ねえキャプテン、これ何に見える?」蓮子が木ぎれを掲げて呼びかける。
「え? マストの破片でしょ?」ムラサさんは不思議そうに首を傾げた。
「キャプテンには最初からこれがただの木ぎれに見えてるのね?」蓮子は念を押す。
「それ以外の何だっていうの?」と眉を寄せるムラサさんに、「ありがとキャプテン」と蓮子は笑って手を振った。ムラサさんは解せぬという顔。
「てことは、たぶんこの船の面々には最初から、これはただの木ぎれに見えてたんだわ」
「あー? この蛇が別の形に見せてるんじゃなかったのかよ?」魔理沙さんが問う。
「たぶん、相手によるんだわ。たぶん早苗ちゃんが最初にこれを『UFOです!』って言いだしたせいで、私たちにはこれがUFOに見えるのよ。対象への認識を先入観や第一印象で固定しちゃう能力とでも言えばいいのかしら」
「じゃあ、最初にこれが『鳥だ!』って思えば鳥に、『飛行機だ!』って思えば飛行機に見えるっていうこと?」私が問うと、「たぶん、メリーみたいな特殊な目の持ち主でない限りは」と蓮子は頷く。なんとまあ、相対性精神学的な能力だろう。
「それはいいけど、それに何の意味があるのよ?」霊夢さんが不審げに眉を寄せる。
「あー、たぶんそれ、私の知り合いのイタズラ」と、そこで話に割って入ったのはムラサさんだ。皆が振り向いたところで、ムラサさんは苦笑して頭を掻く。
「その類いのイタズラ、私も地底でよくやられたから。聖輦船が地上に出たときに、あの子も一緒に出てきたんだと思う。……っていうか、マストが壊れたのもたぶんあの子のせいなんだけどさあ」腕を組んでムラサさんはため息。
「なんだそりゃ。ただの嫌がらせってことか?」魔理沙さんが首を捻る。
「あんたらがあいつを復活させようとしたのを邪魔したってこと?」と霊夢さん。
「まあたぶん、そうなるかなあ。あんまり深い意味はないと思うけど」ムラサさんが頷く。
「それなら霊夢さんと目的一緒じゃないですか」早苗さんが言い、霊夢さんが口を尖らせる。
「妖怪退治を妖怪のイタズラと一緒にされちゃたまんないわ。そいつ、どこにいるのよ?」
「ええ? さあ、どこにいるんだか……」霊夢さんの問いに、ムラサさんは首を振る。
「地底から勝手に出てきた妖怪でしょ? 後でそいつ退治してやるわ。容赦してやるもんか」
憤懣やるかたない様子で霊夢さんはそう息巻いた。「おーこわ。ああなった霊夢にゃ近寄らん方がいいぜ」と魔理沙さんが囁く。今回の異変解決は蓮子をはじめ周囲に邪魔されてばかりで、霊夢さんはほとんど何ひとつ思うようにいかなかったはずだ。そりゃストレスも溜まろうというもので、私たちは触らぬ博麗の巫女に祟りなしと距離を置くしかなかった。
その後、ムラサさんたちが白蓮さんを船内に案内したので、私たちもそれについていく。やって来たのは操舵室だが、ここもさっきの弾幕ごっこでけっこうボロボロだ。
「あらあら、ここもまた……」
「すみません姐さん……これは主に私と雲山のせいです」
しょげる一輪さんには答えず、白蓮さんは舵に歩み寄った。
「皆をここに連れてきてくれたのですね……ありがとう」
舵をそっと撫で、白蓮さんは船に話しかけるようにそう呟く。そして、不意に感極まったように目尻をそっと拭うと、星さんに「星、宝塔を」と呼びかけた。
星さんが手にした宝塔は、既にその光を失っている。白蓮さんは宝塔を手にして目を伏せた。すると、宝塔が再び光を放ち、その光が操舵室を包み込む。
――次の瞬間、あちこち壊れていた操舵室は、綺麗に修繕されていた。
「なんということでしょう! 劇的ビフォーアフターですね!」早苗さんがはしゃぐ。
白蓮さんは再び光を宿した宝塔を、「これは貴方に」と星さんに差し出す。星さんが恭しくそれを受け取ると、白蓮さんはムラサさんを振り返った。
「さあ、ムラサ。この船で、私たちを魔界の外へ導いて」
「アイアイサー! 聖輦船、幻想郷へ向けて発進! よーそろー!」
ムラサさんが嬉々として舵を回す。聖輦船は大きく回頭し、再び魔界の中心部へ向かう。
呉越同舟、大所帯の船旅は、かくしてもう少しだけ続くことになる。
―29―
「長い間お世話になりました」
「気を付けて。元気でね、白蓮さん。あ、これおみやげ。みなさんもどうぞ。あとアリスちゃんによろしく伝えておいて。怒ってないから一度顔を見せに戻ってきてって」
魔界の中心部で、私たちは神綺様たちと別れた。白蓮さんと神綺様はハグして別れを惜しみ、それから神綺様は皆に魔界みやげを配っていた。魔界せんべいとかいう、やたらと観光地的なおみやげを渡され、いささか反応に困る。魔理沙さんは魔石だの魔界キノコだのを貰ってご機嫌な様子だった。「結局魔理沙の一人勝ちじゃない、今回」と霊夢さんは憮然とした顔。
神綺様と夢子さん、ユキちゃんマイちゃんに見送られて神綺様の家(パンデモニウムというらしい)を後にし、聖輦船はルイズさんの先導で魔界の門へ向かう。
「あ、ルイズ姉さん。おかえり」
「ただいま〜、サラちゃん」
門のところでは、サラさんが変わらず番をしていた。サラさんに門を開けてもらい、ルイズさんに手を振って、聖輦船は魔界から顕界への境界を越え――、
ようとしたところで、船の舳先の前に、現れる影がある。
その影が手を前に出すと、聖輦船は何かの壁に阻まれたように停止した。甲板にいた全員がその影を見上げ、操舵室にいたムラサさんも「なになに?」と飛び出してくる。
「げっ、閻魔!」
魔理沙さんがそう声をあげた。聖輦船の船首から私たちを睥睨しているのは、他でもない。是非曲直庁の閻魔、四季映姫さんである。
魔理沙さんの言葉に、ムラサさんたち命蓮寺組の間に緊張が走った。皆、千年前に白蓮さんが封印された際に閻魔が裁定に来たことは知っているらしい。星さんと一輪さんが白蓮さんを庇うように前に出るが、白蓮さんはその肩を叩いて首を振った。
「あ、この前のかわいい閻魔様!」
早苗さんが無邪気な声をあげ、閻魔様はじろりとそちらを睨んだ。「かわいい……?」と魔理沙さんが首を傾げる横で、霊夢さんが「閻魔様が何しに来たのよ」と声をあげる。
「私の代わりにこいつを再封印してくれるんなら任せるけど」
お祓い棒で白蓮さんを指して言う霊夢さんを、ムラサさんがすごい顔で睨む。
閻魔様はそれに頷くでも首を振るでもなく、ゆっくりと舳先に降り立った。
「聖白蓮。久しいですね」
白蓮さんにその視線を向けて、閻魔様はそう口を開く。
「――お久しぶりです、閻魔様」
白蓮さんはその視線を受け止め、静かに一礼した。
その背後でムラサさんたちが、何かあればすぐに戦闘態勢に入れるように身構えるが、白蓮さんは手を振ってそれを諫め、閻魔様へと歩み寄る。
閻魔様は目を細め、白蓮さんの背後の弟子たちに視線を向ける。
「今日は、聖白蓮をどうこうしに来たわけではありません。警戒しなくても大丈夫です」
ムラサさんたちは顔を見合わせる。閻魔様は再び白蓮さんに向き直った。
「千年前の私の裁定を、覚えていますか」
「――はい」
「こうして千年の時を経て、貴方がかつて救った妖怪たちが貴方を助けに来た。それは、かつての貴方の行為が紛れもない善行であったことの証明です。たとえ、その目的が間違っていた、罪であったとしても」
「――――――」
「貴方が罪を犯したことは間違いない。それでも、貴方は自らの行いでその罪を贖ったのです。だから貴方が今日、魔界から解放された。――ですから、閻魔として私が今の貴方に言うべきことは、ごく当たり前のことでしかありません。貴方はこれからも、犯した罪を覆い隠すほどの善行を積んでいきなさい。愛する者のために罪を犯すのではなく、愛する者のために善を為しなさい。――私は決して、貴方の正しさを保証するわけではありません。誰しもが常に正しく、同時に常に間違っているのです。ですから貴方は、常に己に、己が正しさの是非を問い、己が身に恥じるところなき道を往きなさい。己を裁くのは、結局は己自身なのですから」
「……閻魔様」
白蓮さんは目を閉じて合掌し、閻魔様へ頭を垂れた。閻魔様はただ静かに、ひとつ頷く。
そして閻魔様は、視線を霊夢さんの方へと向けた。
「博麗霊夢」
「あによ。説教ならまた今度にして」
「では後日神社に伺います。――貴方は博麗の巫女として、聖白蓮を見定めなさい。貴方と聖白蓮の思想はおそらく相容れないでしょう。千年前の博麗の巫女も、それ故に私に裁定を委ねたわけですが――だからこそ、これから貴方が聖白蓮を見定めることは、貴方が自分自身を見定めることに繋がっていくはずです」
「見定めなくたって、私は私よ。大きなお世話だわ」
「閻魔は大きなお世話を焼くのが仕事ですから。――では、私はこれで」
閻魔様はそう言って身を翻し、洞窟の入口から差し込む光の中に姿を消した。ムラサさんが一輪さんと顔を見合わせ「……何しに来たんだろ?」「さあ」と言い合っている中で、白蓮さんはもう一度深々と合掌して頭を垂れる。
「ムラサ、船を進めてください」
「あ、はい! すぐに!」
白蓮さんに言われ、ムラサさんは慌てて操舵室にとって返す。そうして聖輦船は、魔界と顕界の境界を越え、幻想郷へと進み出た。
トンネルを抜けて陽が差すと、白蓮さんは眩しそうに目を細めた。千年ぶりの日光なら、そりゃ眩しいだろう――などと、どうでもいいことを私は考える。
「ああそうだ、マストを直しましょう」
白蓮さんはそう言って、雲山さんが抱えた大量の木ぎれを折れたマストの元に集め、手をかざす。その手が光を放ち、みるみるうちにそこには立派なマストが復元されていた。
「破片がまだ多少不足しているようですね……。足りない部分は私の魔力で補いましたが、まあそれはおいおい回収しましょう。一輪、帆を張って」
「はい!」
一輪さんが雲山さんとともに綱を引くと、マストに大きな白い帆が張った。帆には赤く染め抜かれた大きな《寶》の字。「やっぱり宝船じゃないか」と魔理沙さんが肩を竦める。
「あ、宝で思いだした。見逃す条件のお宝はどこだよ?」
「それは後日届けるよ。この場にはないんだから」
ナズーリンさんの答えに、魔理沙さんは「約束だぜ」と言って帽子を被り直し、「じゃあ、とりあえず手付けとしてこいつを頂いてくぜ」と木ぎれを掲げて箒にまたがった。
「んじゃ、私は帰るぜ。お宝忘れんなよ!」
そう言い残し、魔理沙さんは星屑を散らして飛び去って行く。霊夢さんは肩を竦め、白蓮さんに歩み寄ると「あんたたちはどうすんのよ?」と問うた。
「そうですね……。とりあえずは、一帯をこの船で飛んで見て回ろうと思います。今後のことはその後に考えます」
「あ、そ。じゃあ、私も帰るわ」
霊夢さんはふわりとその場から浮き上がり、「言っておくけど、あんたたちが危険だと判断したらいつでも退治しに行くからね」と釘を刺す。それから私たちの方を振り返り、
「あと蓮子とメリー。無力な里の人間を退治するわけにはいかないから今回は見逃すけど、あんたたち、こんなことやってたらそのうち妖怪になるわよ」
「気を付けますわ」
「だったらもうちょっと大人しくしてなさいっての。いつもいつも異変のたびに首突っ込んできて……一応、あんたたちは私が守るべき対象なんだから、ちゃんと守られる努力をしなさい」
「霊夢ちゃん、閻魔様の説教癖が移ってない?」
「うるさい! ああもう、帰って寝るわ! おやすみ!」
霊夢さんはふて腐れたような顔をして、博麗神社の方へ飛び去って行く。
「早苗ちゃんはどうするの?」
「そうですねえ。私も帰って今回の件を神奈子様たちに報告したいところですけど、その前におふたりを里まで送ります」
「あ、それなら私たちがこの船でお送りしますよ」
早苗さんの言葉に、白蓮さんがそう割って入った。
「蓮子さんたちはムラサたちの恩人だそうですから、そのぐらいのことはさせてください」
「はあ。えーと、じゃあ、お任せしちゃっていいです?」
「私はオッケーよ。メリーもいいわよね?」
「……まあ、特に問題はないわ」
「そうですか。じゃあ、私もお先に失礼しますね」
早苗さんもそう言って、妖怪の山の方に飛び去って行った。かくして聖輦船に残ったのは、白蓮さんたち一行と、私と蓮子の二人である。
「里はどちらですか?」
「あ、ここから南西ですね」
「解りました。ムラサ、進路を南西に」
甲板の伝声管に白蓮さんが呼びかけ、『あいさー、面舵いっぱーい!』と元気のいい返事。
そうして聖輦船は、人間の里へと進路を向けた。
―30―
船が里に近付くと、里の通りに人だかりが出来ているのが見えた。多くの人は空を見上げてこちらを指さしたり何か喋ったりしているが、中には何やら拝んでいる人もいる。そりゃまあ、宝船が飛んで来れば人は集まるだろうし、拝む人も出るだろう。
「ちょっと蓮子、なんか結構な騒ぎになっちゃってるけど」
「まあいいじゃない。もう聖輦船は目的を遂げたんだし、幻想郷に出てきちゃったんだから、遅かれ早かれこうなってたわよ」
「いや、そうじゃなくて慧音さん……」
魔界に行く前、聖輦船が里に近付きすぎて慧音さんが出動する騒ぎになったらどうしよう、という話をしたのは蓮子自身ではないか。
「まあ、それも何とかなるわ、たぶん。今は強い味方がいるし」
と蓮子は白蓮さんを振り返る。白蓮さんは頬に手を当てて「あらあら」と首を傾げた。
「慧音さん、というのは?」
「上白沢慧音さん。私たちの保護者的な人ですわ」
「あらあら、それでしたら私からもご挨拶しなくては」
白蓮さんは微笑んでそう言う。確かに大丈夫な気がしてくるからこの微笑みは強力だ。
ともかく、聖輦船は里の東の門の手前で空中に停泊した。「では降りましょう」と白蓮さんが私と蓮子の手を掴み、甲板からふわりと飛んでゆっくり地面に舞い降りる。
私たちが里の東の門に歩み寄ると、駆け寄ってくる影がひとつ。その影は私たちの姿を認めて、その目をまん丸に見開いた。
「蓮子にメリーじゃないか。いったいこれは何事だ?」
「あらら、噂をすれば何とやら。どうも慧音さん、お騒がせしてますわ」
蓮子が軽く片手を挙げて答えると、慧音さんは腰に手を当てて呆れ気味にため息。
「また勝手に里の外へ……いや、今はそれはいい。良くないが、それよりこの空飛ぶ船は何だ」
聖輦船を見上げて眉間に皺を寄せる慧音さんに、「こんにちは」と白蓮さんが歩み寄る。
「貴方が上白沢慧音さんですか?」
「は、はあ。貴方は?」
「聖白蓮と申します。御仏の教えを広めるためこの幻想郷にやって参りました、しがなき僧侶です。里をお騒がせしてしまい申し訳ありません。この船は、私と弟子たちの乗る船です。里に対して何か危害を加えるような意志はありませんので、どうかご安心ください」
「僧侶……ですか。よもや外の世界から?」
「いえ、お恥ずかしながら魔界より参りました。千年ほど前から諸般の事情で封印されておりまして、この度閻魔様からも魔界の管理者様からもお許しをいただき、外に出てきた次第です」
「魔界に封印……?」
正直な白蓮さんの告白に警戒心を強めたようで、慧音さんの表情が険しくなる。
「あー慧音さん、霊夢ちゃんも白蓮さんの解放は認可してるのでそのへんよろしく」
「なに、霊夢が認めたのか?」
蓮子の口添えに拍子抜けしたような顔で慧音さんは目をしばたたかせ、白蓮さんに向き直る。菩薩のごとき微笑みを浮かべた白蓮さんの顔を見て、慧音さんは困ったように首を傾げた。
「魔界から出てきた者を霊夢が認めるとは……。解りました、その点は後で霊夢に確認を取りましょう。それで、御仏の教えを広めるためと仰いましたか?」
「はい。まだこちらに出てきたばかりですので、しばらくはこの船で幻想郷を見て回りたいと思っております。ゆくゆくはこの地にお寺を建立し、弟子とともに修行に励みつつ、御仏の教えを幻想郷に広めてゆきたいと考えております」
「それは……里の人々を対象に、ということですか?」
「仏法に帰依する心さえあれば、人妖分け隔てなく、と考えております」
その言葉に、慧音さんが複雑な表情をする。白蓮さんの言葉を判断しかねたのだろう。
「お話は解りました。里に害を加えない限り、私には貴方たちの行動を制限する権利はありません。もちろんそのお寺を里の中に建立したいと言うなら、また色々と問題が生じるでしょうが、私はただのいち自警団員、いち歴史教師ですので、それに関しては何とも。――ともかく、ようこそ、幻想郷へ」
慧音さんが右手を差しだし、白蓮さんがその手を握り返す。
「皆が驚いていますので、とりあえずあの船を余所へ動かしていただけますか。危険なものでないということは私が伝えておきますので。……それと、なぜ蓮子とメリーが一緒に?」
「ああ、そうでした。蓮子さんとメリーさんは、たいへんお世話になりましたので、お礼にここまで船でお送りして参りました次第です。お騒がせして申し訳ありません」
「はあ」
「いずれまた、きちんとお礼に伺わせていただきたいと思います。今後ともなにとぞ、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる白蓮さんに、慧音さんは「ああ、どうもご丁寧に」と慌てて腰を折る。あの慧音さんがすっかり白蓮さんのペースに飲まれているのだから、なるほどこれが宗教指導者のカリスマ性というやつだろうか。
「それでは、たいへんお騒がせしました。私はこれにて失礼いたします」
白蓮さんはもう一度ぺこりと頭を下げ、「蓮子さん、メリーさん、この度は本当にありがとうございました。いずれまたご挨拶に伺います」と私たちに微笑むと、ふわりと宙に浮き上がって聖輦船の甲板へと姿を消した。それとともに聖輦船はまたゆったりと動きだし、里の上空を横切って去って行く。集まった人々はどよめきながらそれを視線で追いかけた。
私たちもそれを見送って、そして慧音さんが私たちに改めて向き直る。
「……さて、蓮子、メリー」
じろり、と半眼で睨まれて、私たちは「うっ」と小さくのけぞった。
「魔界から解放されてきた僧侶が、お前たちの世話になったというのは、どういう意味だ?」
「あー、慧音さん、えーとそれには一口では説明しかねる事情がございまして、語るとたいへん長い話になるわけでして」
「なるほど。ではその長い話というのをじっくり聞かせてもらおうか」
ぽんと蓮子の肩を叩き、笑顔で慧音さんは言う。が、目が全く笑っていない。肩を掴まれた蓮子が「い、痛い痛いです慧音さんちょっと」と呻くが、慧音さんは「ん?」と笑ってない笑顔のまま小首を傾げてみせた。
「あ、あの、慧音さん、いやほらお忙しいでしょうし」
「なに、これは先ほどの騒動に対する捜査の一環だ。いくらでも時間はとれるぞ。さあ、いったいどんな経緯があって、魔界に封印された僧侶と知り合ったんだ? 里の子供たちの規範となるべき寺子屋の教師が、よもや里の外をほっつき歩いたばかりか、魔界なんて危険極まりないような場所までほいほいと足を伸ばしたりはしてないよな? そうだな?」
慧音さんは私の肩も掴んで、そのまま私たちを押して里へと歩いて行く。まるっきり連行される容疑者である。私は抗議の視線を蓮子に向けるが、蓮子は帽子を目深に被り直して視線を逸らした。裏切り者。
「さあ、今日一日いったい何をしていたのか、じっくりたっぷり聞かせてもらおうか――」
かくして私たちは笑顔のままの慧音さんに、自警団の詰所へ連行され、冬の地底探検から今回の魔界旅行まで洗いざらい正座で白状させられることになった。その後、二時間にわたるお説教ののち渾身の頭突きを喰らったのは言うまでない。
相棒は白蓮さんが取りなしてくれることを期待していたようだが、生憎と慧音さんはそんなに甘くないのである。この幻想郷で我が相棒が唯一口先で勝てないのが、我らが保護者である上白沢慧音さんなのであった。
第9章 星蓮船編 一覧
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【業務連絡】
作者です。いつもコメントありがとうございます。
例大祭作業のため、来週(4/7)の更新はお休みさせていただきます。
今後も秘封探偵をよろしくお願いいたします。
今回もお疲れ様でした。
要望は差し出がましいものですが、今度蓮子主観も見てみたいです。
しかしここまで上手く纏めるとは、凄いの一言です。
今週も ありがとうございます(悲願)
さすがと言いますかなんと言いますか(語彙力皆無)
このシリーズにおいて 違和感 を感じたことがありません
更新お疲れさまです。
映姫様の裁定にどんな秘密が隠されているのか。一部が垣間見えた感じですが、まだまだわかりません。
慧音先生の迫力には流石の蓮子も黙らずにはいられませんでしたね。歯止めは効かなそうですが。
次回ものんびりとお待ちしてます。
母は強し
お疲れ様です。
途中で出てきた、四季映姫の発言がとても気になります。これは、拝読者さん達への挑戦の1つになりそうな気がしてなりません