―1―
冬の《怨霊異変》から、三ヶ月が過ぎていた。
幻想郷にも春の兆しが訪れる弥生。三ヶ月前の異変で地底に落っこち、いろいろと新たな人脈(妖脈?)を作ることとなった私たちが、何をしていたかというと。
旧都と地上の一部勢力を巻き込んで進めていたプロジェクトが、いよいよ大詰めを迎えようとしていたのである。
「そーれ! そーれ!」
威勢のいい掛け声とともに、旧都の鬼たちが綱を引く。それによって地底の大地を引きずられているのは、木造の大きな船だ。目指す先は、血の池地獄。
「いやあ、壮観ねえ」
「進水式が血の池地獄って、偉大な僧侶の船としていいのかしら?」
私と蓮子は、その光景を宴会の茣蓙から見上げていた。
「はっはっは、細かいことは気にしない! あそこが一番近いからね」
私たちの傍らで酒を呑みながら、「よーし、そのまままっすぐ!」と音頭を取っているのは、旧都の統率者である鬼の星熊勇儀さんである。ずずず、と地響きをたてて血の池地獄へ向かって進んでいく船――聖輦船を、鬼ばかりでなく旧都に住む大勢の妖怪が見物に来ていた。
「やー、修理を手伝った身としても感慨深いねえ。ねーキスメ」
土蜘蛛の黒谷ヤマメさんが、釣瓶落としのキスメさんの桶を膝に抱えながら船を見上げて呟く。キスメさんもこくこくと頷き、その傍らでは橋姫の水橋パルスィさんが「みんなに注目されて、妬ましいわね。ああ妬ましい」とちょっと楽しそうにボヤいていた。
「そーれ! そーれ! とおー!」
最後の掛け声とともに、池の縁から押し出された聖輦船は、ざぶんと水音をたてて、真っ赤な血の池地獄に進水した。見事に血の池地獄に浮いた船の姿に、観客たちからも歓声があがる。地の底に埋められていた船が、ようやく船らしい姿を取り戻したのだ。私たちも自然と拍手していた。
その船の甲板から、ふたつの影が池の縁に飛び降りてきた。その影の片割れ――セーラー服の少女は、私たちの姿を認めると、満面の笑みで駆け寄ってくる。蓮子が立ち上がり、両手を広げて迎えた。
「蓮子ー!」
「キャプテン!」
「イェーイ!」
「イェーイ!」
ムラサ船長と蓮子が両手でハイタッチ。勢いのまま「メリーも、イェーイ!」と私にまで振られ、私もおずおずとハイタッチすることになった。恥ずかしい。
「ヤマメちゃんもイェーイ!」
「船長テンション高いねえ。イェーイ」
「そりゃそうよ! 苦節千年、ついに聖輦船が真の姿を取り戻し、聖の元へ向かうこの日が来たんだから! 満願成就! リーチ一発タンヤオドラドラ!」
「はいはいムラサ船長に八千点。準備はいいの?」
どこぞの現人神並のテンションでくるくる踊るムラサさんに呆れ顔をしながら、ヤマメさんが雲居一輪さんに訊ねる。「ええ、おかげさまで」と一輪さんはぺこりと一礼。
「姐さんの法力を追跡する自動航行モードなので、地底から脱出さえできれば、あとは姐さんの元へ一直線です。そうよね、ムラサ?」
「画竜点睛魔界転生! 準備万端完全無欠よん」
ムラサさんはびしっとサムズアップして、それから改めて私たちの方に向き直る。
「やーもう蓮子、ホント何から何までお世話になっちゃって、なんて言ったらいいか」
「いやいや、大したことはしてないわ。実作業をしたのは私じゃないし」
「全部の段取りつけてくれたのは蓮子だから! 神様仏様蓮子様、あ仏様はまずいか」
「私からも、本当にありがとう。雲山も感謝してるって」
傍らの入道の頭を叩いて、一輪さんも深々と頭を下げる。
「それで、蓮子。お礼ってホントにそれでいいの?」
「もちろん。せっかくの文字通り乗りかかった船だから、迷惑じゃなければ付き合わせて頂戴」
「迷惑なんてことないよ! 私らも大恩人を聖に紹介したいし。ね、いっちゃん」
「ええ、もちろん」
蓮子と肩を組んで、ムラサさんは「よーし、勝ち鬨あげろー!」と拳を掲げた。微妙に蚊帳の外の私は、ただ肩を竦めるしかない。まあ実際、全ての段取りをとりつけたのは蓮子なのだから、私の方は特にふたりから感謝される理由もないわけで、つまるところ今日の私は完全に蓮子のオマケである。
「じゃじゃーん、連れてきたよー」
「わ、なんかいっぱいいるよお燐! ねえフュージョンさせていい?」
「フュージョンしちゃダメだって。今はあたいじゃなくあいつの言うこと聞きな」
そこへ、おくうさんを連れたお燐さんが姿を現す。お燐さんは蓮子を指さし、おくうさんは背中の黒い翼をはためかせて私たちの方へ飛んできた。
「おくうちゃんこんにちは。私のこと覚えてる?」
「えーとえーと、蓮子!」
「よくできました。今日はおくうちゃんに力を貸してほしいの。核融合の力を」
「核融合! まっかせて!」
「待って待ってまだ早いまだ早い」
「うにゅ?」
「タイミングはお燐ちゃんに指示してもらうから、おくうちゃんはお燐ちゃんの合図にあわせて、あの血の池地獄を思いっきり沸騰させてほしいの。核融合のエネルギーで」
「うん、わかった!」
「というわけだから、お燐ちゃん、打ち合わせ通りよろしく」
「あいよ。しかしまあ、バカなこと考えるねえ。この計画、本当に大丈夫なの?」
「いちおう計算上はうまくいくはずなんだけど。洩矢様、そっちどうですかー?」
蓮子が上空――というか地底の天井へ向けて声を張り上げると、「はいはーい」と頭上から声。それとともに舞い降りてくるのは、守矢神社の祭神、洩矢諏訪子さんである。
「脱出口の工事はとっくに済んでるから、いつでもいけるよ。あとはここへの通路を一時的に塞げばいいんだよね?」
「よろしくお願いしますわ。あの船を地上まで押し上げるぐらい間欠泉のエネルギーを集中させるには、どうしてもそこの処置が欠かせなくて。ああ洩矢様ありがたやありがたや」
「あとで上等なお酒奉納してよね。ま、このぐらいの工事なら私の力をもってすれば造作もないけど」
「さすがは山の神ですわ」
ありがたやー、と拝む蓮子に、ふふんと胸を張る諏訪子さん。そこへ勇儀さんが盃を持って現れ、「そろそろいいかい?」と私たちへと問うた。
「勇儀さん、重ね重ねご協力感謝いたしますわ」
「なに、楽しい余興だったよ。鬼としちゃ出発前の最後の宴会といきたいところだが、満願成就を前にしたあいつらにそれは酷だね。ほれ、景気づけに一杯」
「ははー、ありがたく」
勇儀さんから差し出された盃を押し頂いて飲み干した蓮子は、「ううーっ、効くぅ」と顔を赤らめて、「さあメリー、希望の未来へレディー・ゴーよ!」と私に酒臭い息を吐きかけた。そんな姿に勇儀さんは呵々と笑って、そして手を打ち鳴らす。
「よおし、みんな撤収だ! 旅立ちを見送りたいのはやまやまだが、けっこう危険な手段で出発するってーからね。ムラサたちを気兼ねなく出発させてやろうじゃないか!」
勇儀さんのその声を合図に、集まっていた旧都の住人たちが手を振りながらこの場を立ち去っていく。「がんばれよー!」「気を付けてなー!」という声に手を振り返し、そうして血の池地獄の傍らに残ったのは七人+一。すなわち、私と蓮子、ムラサさんと一輪さん(と雲山さん)、お燐さんとお空さん、そして諏訪子さんである。
「それじゃ、私は通路塞ぐから、蓮子たちは船乗って待っててよ」
「あたいとおくうもスタンバイしとくよ!」
「お願いしまーす!」
「よーし、行くよいっちゃん!」
「おう! 蓮子さんとメリーさんも雲山に乗ってください」
「はいはーい」
「……お邪魔します」
雲山さんに乗って、私たちは血の池地獄に浮かんだ聖輦船の甲板に降り立つ。船内に下り、操舵室に辿り着いたところで、「はいオッケー!」と諏訪子さんの声がした。
あとはマストを広げれて合図すれば、おくうさんの力で血の池地獄が沸騰し、通路を塞がれた空間に発生した蒸気は、諏訪子さんが用意した地上へと通じる脱出口へ向かっていく。蓮子が各方面に根回しして、三ヶ月かけて準備した血の池地獄の人工間欠泉――それは即ち、この聖輦船の地上への脱出口だった。
愛おしむように舵を握ったムラサさんは、「よし!」と誇らしげに顔をあげる。
「目標、聖が囚われた魔界! ――聖輦船、発進!」
―2―
先日の《怨霊異変》で地底に行き、ムラサさんや一輪さんと知り合った私たち。
異変が片付いたあとで、我が相棒が企んだのが、彼女たちを地上へ脱出させる計画である。
船幽霊の村紗水蜜さんと入道使いの雲居一輪さん(と、一輪さんの相棒である入道の雲山さん)は、かつて地上で聖白蓮という立派な僧侶の弟子をしていた。だが、妖怪を匿っていたことが露見して寺は焼き討ちに遭い、聖白蓮は当時の博麗の巫女と閻魔の裁定により、魔界に封印されることになったのだという。そしてムラサさんと一輪さんは、破壊された聖輦船とともに地底に封じられた。それが千年ほど前の話だ。
地底で土蜘蛛などの協力も得て、こつこつと聖輦船を修理したムラサさんたちは、地上へ脱出して聖白蓮を解放することを望んでいた。そこで相棒が立てたのが、今回の人工間欠泉による聖輦船の地上脱出計画だ。
先日の《怨霊異変》は、守矢神社の八坂神奈子さん・洩矢諏訪子さんの二柱が、エネルギー資源を求めて地底・灼熱地獄跡に住む地獄鴉の霊烏路空――おくうさんに八咫烏の力を授けたことに端を発する。おくうさんが八咫烏の太陽の力――核融合の力を得たことで、灼熱地獄の火力が増し、博麗神社の近所に温泉が湧くという椿事も起こった。
だが、強大な力を手にして調子に乗ったおくうさんは地上侵略を企みはじめ、危機感を覚えた親友の火車のお燐さんが、地上に怨霊を解き放った。妖怪の賢者たちの指示で怨霊の件の調査にやってきた博麗霊夢さんと霧雨魔理沙さんが、そのまま成り行きでおくうさんを退治し、おくうさんが侵略を諦め大人しくなってめでたしめでたし――というのが、《怨霊異変》の一応の概略である。その裏にあったかもしれない物語については、前の事件簿を参照していただきたい。
ともかく、おくうさんは大人しくなり、お燐さんも解き放った怨霊を回収してまたきちんと管理し始めたわけだが、おくうさんに与えられた八咫烏の力はそのまま残り、灼熱地獄の活性化による間欠泉も引き続き噴き出し続けていた。守矢神社はそれを利用して発電機構を作ったし、博麗神社は神社の近くに温泉を作ったりしている。
その間欠泉のエネルギーを使って、聖輦船を地上へ脱出させられないか、というのが、相棒の計画の骨子である。
聖輦船は何しろ大きな船なので、現状で存在する地底と地上を繋ぐ穴からは出られない。というかなまじ修理してしまったせいで地底では動かしにくい。そこで、聖輦船を比較的近場の血の池地獄に移し、地上と血の池地獄とを繋ぐトンネルを新たに掘り、血の池地獄を沸騰させた蒸気のエネルギーで聖輦船を地上へ放り出す、というわけだ。
トンネルを掘る役目は、洩矢諏訪子さんが山の神としての大地を形作る力であっさり工事を済ませてくれた。脱出口は目立ちにくいように、妖怪の山の三合目あたりに作られている。
この計画のポイントは、聖輦船の脱出が万一地上から問題視された際に、あくまで間欠泉による偶然の産物だと言い張る余地があることだ。《怨霊異変》以降、地上と地底の行き来に関しては制限が緩和されそうな雲行きらしいのだが、問題視されたときのために弁明の余地を作っておくに越したことはない。
たまたま新しくできた間欠泉に乗って、聖輦船は地上に脱出した――というのが今回の表向きのシナリオである。その《偶然》を作るために、地上では諏訪子さん、地底では星熊勇儀さんの指揮下で旧都の面々の多大な協力を得たのだから、大した偶然もあったものだ。
さて、ここから聖輦船の魔界への航海がすんなり始まっていれば、あるいはこの事件は異変として博麗の巫女が介入してくるような事態にはならなかったかもしれない。どんなプロジェクトも、想定外のトラブルはつきものである、という話だ。
話を戻そう。聖輦船がマストを広げるとともに、血の池地獄がおくうさんの力で沸騰し始め、赤い霧が立ちこめる。それとともに、聖輦船はゆっくりと宙に浮き始めた。これは蒸気の力ではなく、聖輦船に宿った聖白蓮の法力によるものであるらしい。
「おお、浮いてるわよメリー!」
「危ないから窓から離れなさいよ」
「もともと、この船は聖の飛倉だからね。この船に宿った聖の法力が、私たちを聖のところまで案内してくれるってわけ。つまり完全自動航行!」
ムラサさんは得意げに言うが、それってつまりムラサさんは船長なのに特にやることがないということではないのだろうか?
ともかく、浮かび上がった聖輦船は、諏訪子さんが掘ってくれた地上へのトンネルの入口に侵入した。ここから先は、行き場をなくした蒸気が勝手に押し上げてくれる。問題はその力にこの船が耐えられるかだが――あまり怖いことは考えないでおこう。
「進路、地上! そういえば、星ちゃんたちと連絡取ってないけど大丈夫かなあ」
「聖輦船が地上に出てくれば、星の宝塔が反応して気付いてくれるはずだけど」
「千年も経ってるからなあ。星ちゃんもナズっちも元気にしてるかな」
「大丈夫よムラサ。四人で誓ったじゃない、聖を解放して寺を再建するんだって」
「そう、そのために私たちは壊されて埋められた聖輦船を直してここまで来た! いくよいっちゃん! いざ地上へ!」
「よーそろー!」
そんな調子でムラサさんと一輪さんが熱血展開をしている横で、相棒は「さらばー地底よー、旅立つ船はー、聖輦船長ムーラーサー♪」と大昔のアニメ主題歌の替え歌を歌っていた。熱血も何もあったものではない。
ともかく、ぐっと操舵室にいる私たちの身体に重力がかかり、蒸気を背に受けてマストが力強く張り詰め、聖輦船は地上へのトンネルを突き進み始めた。
「おおおお、けっこう揺れるわね」
「そ、そりゃ、間欠泉に乗ってるわけだから、っていうか舌噛みそう」
立っていられず、私たちは操舵室の壁にしがみつく。と、ふわりと私たちの身体を受け止めて支えてくれたのは雲山さんだった。どうやら、地上に出るまで私たちを守ってくれるらしい。ありがたく身体を預け、私は揺れる船内を見回し、
――ふっと、開け放たれた操舵室の扉の向こうに、いるはずのない誰かの姿を見たような気がした。
「あれ?」
「ん、どしたのメリー」
「今、この部屋の外に誰かいたような……」
「ええ? いまこの船乗ってるのは私たちだけじゃないの?」
「でも……まさか、誰かが勝手に乗りこんでるとか」
「地霊殿のこいしちゃんとか?」
大いにありうる。あの無意識少女なら、こっそりこの船に潜り込むなど容易いだろう。
「……いや、でも気のせいかも」
しかし、探しに行こうにもこの揺れでは歩くのもままならないし、脱出へ気が向いているムラサさんたちに水を差すのも気が引ける。まさかこの船の破壊工作をしているわけでもないだろうし、相談するのは地上に出てからでいいか――と私は、そのとき見えた人影のことを一旦保留にした。
後から考えれば、このとき私が一輪さんにちゃんと声をかけていれば、今回の騒動はもうちょっと短期間で解決したかもしれないわけで、煎じ詰めれば私の判断ミスである。
何しろ実際、その人影は確かにこの船に潜んでいた闖入者だったわけであり。
かつ――その目的は、この船に対する妨害工作だったのだから。
―3―
蒸気の奔流に揺られる時間は正味数分のことだったのだろうが、体感では三十分近かったような気もする。暴力的に揺れる聖輦船内で、私は船酔いになりかかっていた。
「大丈夫? メリー」
「海の上でもないのに船酔いとか勘弁してほしいわ」
「じゃあそんなメリーに、一発で船酔いが治る魔法の呪文を授けましょう」
「は?」
「……わりと今船体からヤバげな音がしてるわよ」
みしみしみし。言われて顔を上げると、確かに船体が大きく軋むような音が響いている。
悔しいが一発で船酔いどころではなくなった。この脱出計画、本当に大丈夫だったのか?
「ちょっとちょっと蓮子、なんか船全体が悲鳴をあげてるんだけど!」
ムラサさんまで舵を握りながらそう叫ぶ。
「いやー、予定よりトンネルが狭かったか、それとも間欠泉のエネルギーが船体強度を上回っちゃったか……さすがに手計算じゃ無理があったかしらねえ」
「暢気に言わないでよ!」
「おふたりは雲山にしっかり掴まっててください!」
蓮子を揺さぶる私に、一輪さんがそう声をかけ、雲山さんが私たちの身体を包み込む。万一聖輦船が壊れても雲山さんが守ってくれるということか。ありがたくて涙が出る。
がりがりがりがり。ばらばらばらばら。マストの先端や船の舳先が明らかにトンネルの壁面を削る音がしている。みしみしみし。激しい揺れとともに船体が悲鳴をあげる。果たして船が壊れるのが先か、地上の光の中に飛び出すのが先か。なんでこう地底絡みでは毎回のように生死の境をさまよわねばならないのか。全部蓮子のせいである。
「見ていっちゃん! 聖輦船よ、あれが地上の陽だ!」
「見えないから! ムラサ、冷静に現実を見て!」
聖輦船の操舵室は船尾にあるので、舳先の光は見えないのである。ムラサさんまで半ば自暴自棄になっていていよいよ地獄めいてきた。神様仏様聖白蓮様、貴方を助けに行く弟子とその協力者をどうかお守りください。顔も見たこともない聖人に私は祈る。
「ああもう仕方ない! ムラサ、蓮子さんとメリーさんをよろしく!」
「え、いっちゃん、どこ行くの?」
「外! 雲山がトンネルを広げるから!」
そう叫ぶと、一輪さんは雲山さんを引き連れて船の外へ飛び出していく。雲山さんから解放された私たちがよろめくと、ムラサさんが「おっとっと」と支えてくれた。
「いやはや、前途多難ですねえキャプテン」
「蓮子、だから他人事みたいに言わない」
「あはは、まあこのぐらい寺が焼き討ちされたときに比べたらどーってことないって! 大丈夫、聖輦船は聖の船だから、聖の法力が守ってくれる!」
やはりそれを祈るしかないらしい。私はムラサさんにぎゅっとしがみつく。
――船尾の操舵室からは船外の様子が見えにくいので、そのとき外で一輪さんが具体的にどうしていたのかは、だから私たちは直接目にしていたわけではない。
後から聞いたところによると、狭くなるトンネルの壁面を雲山さんの拳でひたすら削っていたらしい。その光景を早苗さんが見ていたら「無敵の雲山でなんとかしてくださいよォー!」とでもコメントしたのだろうか。実際、一輪さんが雲山さんを使役する姿は承太郎がスタープラチナを使うイメージに近い。雲山さんはスタープラチナより見た目がだいぶむさ苦しいが。何の話かわからない人は紅魔館の図書館か守矢神社で聞かれたい。
ともかく、そんな一輪さんたちの決死の努力の甲斐もあって――いや、結果的にはそれもむなしく、というべきだったか。
聖輦船がトンネルを突き抜けて、見事地上へと脱出を果たすのと。
めりめりめりめり、ばきばきばきっ、という破砕音が響き渡るのが、ほぼ同時だった。
「地上だー!!」
一気に船内が明るくなり、窓の外に広がった景色に、ムラサさんが歓声をあげる。聖輦船を地上まで押し上げた血の池地獄の間欠泉は、そのまま赤い雨になって降りそそいでいて、地上の光景が一気に地獄めいていた。縁起でもない。
「無事……なのかしら?」
「どうにか船がバラバラになる事態は避けられたみたいだけど、今の音ヤバかったわね」
「だから他人事みたいに言わないの! ムラサさん、船大丈夫ですか?」
「あ、そうだ! 今の音、まさかマストが――」
私の問いにムラサさんが青くなって顔を上げる。と、そこへ外へ出ていた一輪さんが操舵室に再び飛びこんできて、縁起でもない事態を告げた。
「ムラサ! マストが折れて吹っ飛んだ!」
「マジかあああああ! せっかく直したのにいいいいっ!」
ムラサさんが頭を抱えて外に飛び出していく。一輪さんも一緒に再び外へ出て行き、私は蓮子と顔を見合わせ、ふたりの後を追いかけた。
甲板に顔を出すと、そびえ立っていた立派なマストが無残に根本からぼっきりと折れて跡形もない。その残骸を前に、ムラサさんがへなへなと座り込み、一輪さんが肩を叩いている。甲板もトンネルの壁面から落ちた岩やら何やらでだいぶボコボコで、これは船体にもけっこうなダメージが行ってそうだった。
船自体はなんとか宙に浮き続けている。ここまで船を押し上げてきた間欠泉は勢いを一気に弱め、もうほとんど噴出していなかった。地底でおくうさんが加熱を止めたのだろう。
「うわあ、こりゃひどい。一輪さん、どうしてまたこんなことに」
蓮子が暢気に言うと、一輪さんは「マストがトンネルの出口に引っ掛かって……」とこめかみを押さえた。
「折れたマストは間欠泉に吹き飛ばされてバラバラになって飛んで行っちゃったわ」
「うああああ! 聖輦船のマストは聖の法力の塊なのにいいい!」
ムラサさんが頭を抱えて悲鳴をあげる。法力の塊があっけなく折れたものだ。
「これじゃ星ちゃんの宝塔があっても聖を復活させられないよ! せめてマストの破片をできるだけ回収しなきゃ……目標変更! 魔界に行く前に、吹っ飛んだ聖輦船のマスト回収!」
「それしかないわね。そのついでに星とナズーリンを探して合流と」
ムラサさんが立ち上がり、一輪さんもため息をついて頷く。そうして振り向いたふたりに、蓮子が両手を合わせて頭を下げた。
「いや、ごめんなさい。私の計算が雑だったせいでこんなことに」
「あ、いやいや、別に蓮子を責めてるわけじゃないから! 何はともあれ地上に脱出できたのは蓮子のおかげだから!」
「そ、そうそう。ここまで連れてきてくれたこと、感謝しています」
ムラサさんも一輪さんもいいひとである。蓮子はもっと反省すべきだろう。私は蓮子の傍らに歩み寄り、「どうもすみません」と蓮子の頭を押さえつける。
「マストの回収、私たちにも手伝わせてください」
「え? いや、おふたりをそんな長いことこの船に拘束するわけには……たぶん、マストの破片回収はかなりの手間になるので……」
「え、いっちゃん、そんな四方八方に散らばっちゃったの?」
「というか、吹っ飛んだマストの破片に妖精が集まってきて、持って行っちゃって……」
「ええええええ! それ幻想郷全域探さないとダメってこと?」
「たぶん……」
がっくりとムラサさんが再び膝をつき、折れたマストの根本を見やった。
「でも、おかしいなあ……このマスト、そこまで粉々に砕けるほどやわじゃないはずだけど」
「確かに、間欠泉に吹っ飛ばされたとはいえ、あの壊れ方はちょっと不自然だったわね」
ふたりが首を傾げる。私たちはその光景を直接見ていないので何とも言えないが、確かにあの立派なマストが根本からぽっきりまではまだしも、バラバラに砕けるというのはイメージがしにくい。
「ヤマメたちの手抜き工事?」
「まさか。だとしたら誰かが何か仕込んでいたか……」
「誰かって……」
そんなことを言い合い、ムラサさんと一輪さんは、はっと顔を見合わせる。
「ねえおふたりさん、船の中に私たち以外の誰かが入り込んでなかった!?」
ムラサさんが突然、私たちに詰め寄る。今度は私たちが顔を見合わせる番だった。
「キャプテンたち以外の誰か……ってメリー、さっきそんなこと言ってなかった?」
「あ、そういえば確かに、出発したときに操舵室の外に誰かの影が見えたような……」
私の言葉に、ムラサさんが「ぐああああ」と顔を覆って呻いた。
「あいつの仕業かー! ああもー、こんなときまでなんてことしてくれるんだか!」
「……あいつって?」
蓮子が問うと、ムラサさんは甲板を見回して、大声を張り上げた。
「ぬえー! あんたの仕業でしょ、出てきなさーい!」
その叫び声に、しかし応える声はなく。
ただ、妖怪の山から「でてきなさーい!」と元気な山彦が返ってくるばかりだった。
冬の《怨霊異変》から、三ヶ月が過ぎていた。
幻想郷にも春の兆しが訪れる弥生。三ヶ月前の異変で地底に落っこち、いろいろと新たな人脈(妖脈?)を作ることとなった私たちが、何をしていたかというと。
旧都と地上の一部勢力を巻き込んで進めていたプロジェクトが、いよいよ大詰めを迎えようとしていたのである。
「そーれ! そーれ!」
威勢のいい掛け声とともに、旧都の鬼たちが綱を引く。それによって地底の大地を引きずられているのは、木造の大きな船だ。目指す先は、血の池地獄。
「いやあ、壮観ねえ」
「進水式が血の池地獄って、偉大な僧侶の船としていいのかしら?」
私と蓮子は、その光景を宴会の茣蓙から見上げていた。
「はっはっは、細かいことは気にしない! あそこが一番近いからね」
私たちの傍らで酒を呑みながら、「よーし、そのまままっすぐ!」と音頭を取っているのは、旧都の統率者である鬼の星熊勇儀さんである。ずずず、と地響きをたてて血の池地獄へ向かって進んでいく船――聖輦船を、鬼ばかりでなく旧都に住む大勢の妖怪が見物に来ていた。
「やー、修理を手伝った身としても感慨深いねえ。ねーキスメ」
土蜘蛛の黒谷ヤマメさんが、釣瓶落としのキスメさんの桶を膝に抱えながら船を見上げて呟く。キスメさんもこくこくと頷き、その傍らでは橋姫の水橋パルスィさんが「みんなに注目されて、妬ましいわね。ああ妬ましい」とちょっと楽しそうにボヤいていた。
「そーれ! そーれ! とおー!」
最後の掛け声とともに、池の縁から押し出された聖輦船は、ざぶんと水音をたてて、真っ赤な血の池地獄に進水した。見事に血の池地獄に浮いた船の姿に、観客たちからも歓声があがる。地の底に埋められていた船が、ようやく船らしい姿を取り戻したのだ。私たちも自然と拍手していた。
その船の甲板から、ふたつの影が池の縁に飛び降りてきた。その影の片割れ――セーラー服の少女は、私たちの姿を認めると、満面の笑みで駆け寄ってくる。蓮子が立ち上がり、両手を広げて迎えた。
「蓮子ー!」
「キャプテン!」
「イェーイ!」
「イェーイ!」
ムラサ船長と蓮子が両手でハイタッチ。勢いのまま「メリーも、イェーイ!」と私にまで振られ、私もおずおずとハイタッチすることになった。恥ずかしい。
「ヤマメちゃんもイェーイ!」
「船長テンション高いねえ。イェーイ」
「そりゃそうよ! 苦節千年、ついに聖輦船が真の姿を取り戻し、聖の元へ向かうこの日が来たんだから! 満願成就! リーチ一発タンヤオドラドラ!」
「はいはいムラサ船長に八千点。準備はいいの?」
どこぞの現人神並のテンションでくるくる踊るムラサさんに呆れ顔をしながら、ヤマメさんが雲居一輪さんに訊ねる。「ええ、おかげさまで」と一輪さんはぺこりと一礼。
「姐さんの法力を追跡する自動航行モードなので、地底から脱出さえできれば、あとは姐さんの元へ一直線です。そうよね、ムラサ?」
「画竜点睛魔界転生! 準備万端完全無欠よん」
ムラサさんはびしっとサムズアップして、それから改めて私たちの方に向き直る。
「やーもう蓮子、ホント何から何までお世話になっちゃって、なんて言ったらいいか」
「いやいや、大したことはしてないわ。実作業をしたのは私じゃないし」
「全部の段取りつけてくれたのは蓮子だから! 神様仏様蓮子様、あ仏様はまずいか」
「私からも、本当にありがとう。雲山も感謝してるって」
傍らの入道の頭を叩いて、一輪さんも深々と頭を下げる。
「それで、蓮子。お礼ってホントにそれでいいの?」
「もちろん。せっかくの文字通り乗りかかった船だから、迷惑じゃなければ付き合わせて頂戴」
「迷惑なんてことないよ! 私らも大恩人を聖に紹介したいし。ね、いっちゃん」
「ええ、もちろん」
蓮子と肩を組んで、ムラサさんは「よーし、勝ち鬨あげろー!」と拳を掲げた。微妙に蚊帳の外の私は、ただ肩を竦めるしかない。まあ実際、全ての段取りをとりつけたのは蓮子なのだから、私の方は特にふたりから感謝される理由もないわけで、つまるところ今日の私は完全に蓮子のオマケである。
「じゃじゃーん、連れてきたよー」
「わ、なんかいっぱいいるよお燐! ねえフュージョンさせていい?」
「フュージョンしちゃダメだって。今はあたいじゃなくあいつの言うこと聞きな」
そこへ、おくうさんを連れたお燐さんが姿を現す。お燐さんは蓮子を指さし、おくうさんは背中の黒い翼をはためかせて私たちの方へ飛んできた。
「おくうちゃんこんにちは。私のこと覚えてる?」
「えーとえーと、蓮子!」
「よくできました。今日はおくうちゃんに力を貸してほしいの。核融合の力を」
「核融合! まっかせて!」
「待って待ってまだ早いまだ早い」
「うにゅ?」
「タイミングはお燐ちゃんに指示してもらうから、おくうちゃんはお燐ちゃんの合図にあわせて、あの血の池地獄を思いっきり沸騰させてほしいの。核融合のエネルギーで」
「うん、わかった!」
「というわけだから、お燐ちゃん、打ち合わせ通りよろしく」
「あいよ。しかしまあ、バカなこと考えるねえ。この計画、本当に大丈夫なの?」
「いちおう計算上はうまくいくはずなんだけど。洩矢様、そっちどうですかー?」
蓮子が上空――というか地底の天井へ向けて声を張り上げると、「はいはーい」と頭上から声。それとともに舞い降りてくるのは、守矢神社の祭神、洩矢諏訪子さんである。
「脱出口の工事はとっくに済んでるから、いつでもいけるよ。あとはここへの通路を一時的に塞げばいいんだよね?」
「よろしくお願いしますわ。あの船を地上まで押し上げるぐらい間欠泉のエネルギーを集中させるには、どうしてもそこの処置が欠かせなくて。ああ洩矢様ありがたやありがたや」
「あとで上等なお酒奉納してよね。ま、このぐらいの工事なら私の力をもってすれば造作もないけど」
「さすがは山の神ですわ」
ありがたやー、と拝む蓮子に、ふふんと胸を張る諏訪子さん。そこへ勇儀さんが盃を持って現れ、「そろそろいいかい?」と私たちへと問うた。
「勇儀さん、重ね重ねご協力感謝いたしますわ」
「なに、楽しい余興だったよ。鬼としちゃ出発前の最後の宴会といきたいところだが、満願成就を前にしたあいつらにそれは酷だね。ほれ、景気づけに一杯」
「ははー、ありがたく」
勇儀さんから差し出された盃を押し頂いて飲み干した蓮子は、「ううーっ、効くぅ」と顔を赤らめて、「さあメリー、希望の未来へレディー・ゴーよ!」と私に酒臭い息を吐きかけた。そんな姿に勇儀さんは呵々と笑って、そして手を打ち鳴らす。
「よおし、みんな撤収だ! 旅立ちを見送りたいのはやまやまだが、けっこう危険な手段で出発するってーからね。ムラサたちを気兼ねなく出発させてやろうじゃないか!」
勇儀さんのその声を合図に、集まっていた旧都の住人たちが手を振りながらこの場を立ち去っていく。「がんばれよー!」「気を付けてなー!」という声に手を振り返し、そうして血の池地獄の傍らに残ったのは七人+一。すなわち、私と蓮子、ムラサさんと一輪さん(と雲山さん)、お燐さんとお空さん、そして諏訪子さんである。
「それじゃ、私は通路塞ぐから、蓮子たちは船乗って待っててよ」
「あたいとおくうもスタンバイしとくよ!」
「お願いしまーす!」
「よーし、行くよいっちゃん!」
「おう! 蓮子さんとメリーさんも雲山に乗ってください」
「はいはーい」
「……お邪魔します」
雲山さんに乗って、私たちは血の池地獄に浮かんだ聖輦船の甲板に降り立つ。船内に下り、操舵室に辿り着いたところで、「はいオッケー!」と諏訪子さんの声がした。
あとはマストを広げれて合図すれば、おくうさんの力で血の池地獄が沸騰し、通路を塞がれた空間に発生した蒸気は、諏訪子さんが用意した地上へと通じる脱出口へ向かっていく。蓮子が各方面に根回しして、三ヶ月かけて準備した血の池地獄の人工間欠泉――それは即ち、この聖輦船の地上への脱出口だった。
愛おしむように舵を握ったムラサさんは、「よし!」と誇らしげに顔をあげる。
「目標、聖が囚われた魔界! ――聖輦船、発進!」
―2―
先日の《怨霊異変》で地底に行き、ムラサさんや一輪さんと知り合った私たち。
異変が片付いたあとで、我が相棒が企んだのが、彼女たちを地上へ脱出させる計画である。
船幽霊の村紗水蜜さんと入道使いの雲居一輪さん(と、一輪さんの相棒である入道の雲山さん)は、かつて地上で聖白蓮という立派な僧侶の弟子をしていた。だが、妖怪を匿っていたことが露見して寺は焼き討ちに遭い、聖白蓮は当時の博麗の巫女と閻魔の裁定により、魔界に封印されることになったのだという。そしてムラサさんと一輪さんは、破壊された聖輦船とともに地底に封じられた。それが千年ほど前の話だ。
地底で土蜘蛛などの協力も得て、こつこつと聖輦船を修理したムラサさんたちは、地上へ脱出して聖白蓮を解放することを望んでいた。そこで相棒が立てたのが、今回の人工間欠泉による聖輦船の地上脱出計画だ。
先日の《怨霊異変》は、守矢神社の八坂神奈子さん・洩矢諏訪子さんの二柱が、エネルギー資源を求めて地底・灼熱地獄跡に住む地獄鴉の霊烏路空――おくうさんに八咫烏の力を授けたことに端を発する。おくうさんが八咫烏の太陽の力――核融合の力を得たことで、灼熱地獄の火力が増し、博麗神社の近所に温泉が湧くという椿事も起こった。
だが、強大な力を手にして調子に乗ったおくうさんは地上侵略を企みはじめ、危機感を覚えた親友の火車のお燐さんが、地上に怨霊を解き放った。妖怪の賢者たちの指示で怨霊の件の調査にやってきた博麗霊夢さんと霧雨魔理沙さんが、そのまま成り行きでおくうさんを退治し、おくうさんが侵略を諦め大人しくなってめでたしめでたし――というのが、《怨霊異変》の一応の概略である。その裏にあったかもしれない物語については、前の事件簿を参照していただきたい。
ともかく、おくうさんは大人しくなり、お燐さんも解き放った怨霊を回収してまたきちんと管理し始めたわけだが、おくうさんに与えられた八咫烏の力はそのまま残り、灼熱地獄の活性化による間欠泉も引き続き噴き出し続けていた。守矢神社はそれを利用して発電機構を作ったし、博麗神社は神社の近くに温泉を作ったりしている。
その間欠泉のエネルギーを使って、聖輦船を地上へ脱出させられないか、というのが、相棒の計画の骨子である。
聖輦船は何しろ大きな船なので、現状で存在する地底と地上を繋ぐ穴からは出られない。というかなまじ修理してしまったせいで地底では動かしにくい。そこで、聖輦船を比較的近場の血の池地獄に移し、地上と血の池地獄とを繋ぐトンネルを新たに掘り、血の池地獄を沸騰させた蒸気のエネルギーで聖輦船を地上へ放り出す、というわけだ。
トンネルを掘る役目は、洩矢諏訪子さんが山の神としての大地を形作る力であっさり工事を済ませてくれた。脱出口は目立ちにくいように、妖怪の山の三合目あたりに作られている。
この計画のポイントは、聖輦船の脱出が万一地上から問題視された際に、あくまで間欠泉による偶然の産物だと言い張る余地があることだ。《怨霊異変》以降、地上と地底の行き来に関しては制限が緩和されそうな雲行きらしいのだが、問題視されたときのために弁明の余地を作っておくに越したことはない。
たまたま新しくできた間欠泉に乗って、聖輦船は地上に脱出した――というのが今回の表向きのシナリオである。その《偶然》を作るために、地上では諏訪子さん、地底では星熊勇儀さんの指揮下で旧都の面々の多大な協力を得たのだから、大した偶然もあったものだ。
さて、ここから聖輦船の魔界への航海がすんなり始まっていれば、あるいはこの事件は異変として博麗の巫女が介入してくるような事態にはならなかったかもしれない。どんなプロジェクトも、想定外のトラブルはつきものである、という話だ。
話を戻そう。聖輦船がマストを広げるとともに、血の池地獄がおくうさんの力で沸騰し始め、赤い霧が立ちこめる。それとともに、聖輦船はゆっくりと宙に浮き始めた。これは蒸気の力ではなく、聖輦船に宿った聖白蓮の法力によるものであるらしい。
「おお、浮いてるわよメリー!」
「危ないから窓から離れなさいよ」
「もともと、この船は聖の飛倉だからね。この船に宿った聖の法力が、私たちを聖のところまで案内してくれるってわけ。つまり完全自動航行!」
ムラサさんは得意げに言うが、それってつまりムラサさんは船長なのに特にやることがないということではないのだろうか?
ともかく、浮かび上がった聖輦船は、諏訪子さんが掘ってくれた地上へのトンネルの入口に侵入した。ここから先は、行き場をなくした蒸気が勝手に押し上げてくれる。問題はその力にこの船が耐えられるかだが――あまり怖いことは考えないでおこう。
「進路、地上! そういえば、星ちゃんたちと連絡取ってないけど大丈夫かなあ」
「聖輦船が地上に出てくれば、星の宝塔が反応して気付いてくれるはずだけど」
「千年も経ってるからなあ。星ちゃんもナズっちも元気にしてるかな」
「大丈夫よムラサ。四人で誓ったじゃない、聖を解放して寺を再建するんだって」
「そう、そのために私たちは壊されて埋められた聖輦船を直してここまで来た! いくよいっちゃん! いざ地上へ!」
「よーそろー!」
そんな調子でムラサさんと一輪さんが熱血展開をしている横で、相棒は「さらばー地底よー、旅立つ船はー、聖輦船長ムーラーサー♪」と大昔のアニメ主題歌の替え歌を歌っていた。熱血も何もあったものではない。
ともかく、ぐっと操舵室にいる私たちの身体に重力がかかり、蒸気を背に受けてマストが力強く張り詰め、聖輦船は地上へのトンネルを突き進み始めた。
「おおおお、けっこう揺れるわね」
「そ、そりゃ、間欠泉に乗ってるわけだから、っていうか舌噛みそう」
立っていられず、私たちは操舵室の壁にしがみつく。と、ふわりと私たちの身体を受け止めて支えてくれたのは雲山さんだった。どうやら、地上に出るまで私たちを守ってくれるらしい。ありがたく身体を預け、私は揺れる船内を見回し、
――ふっと、開け放たれた操舵室の扉の向こうに、いるはずのない誰かの姿を見たような気がした。
「あれ?」
「ん、どしたのメリー」
「今、この部屋の外に誰かいたような……」
「ええ? いまこの船乗ってるのは私たちだけじゃないの?」
「でも……まさか、誰かが勝手に乗りこんでるとか」
「地霊殿のこいしちゃんとか?」
大いにありうる。あの無意識少女なら、こっそりこの船に潜り込むなど容易いだろう。
「……いや、でも気のせいかも」
しかし、探しに行こうにもこの揺れでは歩くのもままならないし、脱出へ気が向いているムラサさんたちに水を差すのも気が引ける。まさかこの船の破壊工作をしているわけでもないだろうし、相談するのは地上に出てからでいいか――と私は、そのとき見えた人影のことを一旦保留にした。
後から考えれば、このとき私が一輪さんにちゃんと声をかけていれば、今回の騒動はもうちょっと短期間で解決したかもしれないわけで、煎じ詰めれば私の判断ミスである。
何しろ実際、その人影は確かにこの船に潜んでいた闖入者だったわけであり。
かつ――その目的は、この船に対する妨害工作だったのだから。
―3―
蒸気の奔流に揺られる時間は正味数分のことだったのだろうが、体感では三十分近かったような気もする。暴力的に揺れる聖輦船内で、私は船酔いになりかかっていた。
「大丈夫? メリー」
「海の上でもないのに船酔いとか勘弁してほしいわ」
「じゃあそんなメリーに、一発で船酔いが治る魔法の呪文を授けましょう」
「は?」
「……わりと今船体からヤバげな音がしてるわよ」
みしみしみし。言われて顔を上げると、確かに船体が大きく軋むような音が響いている。
悔しいが一発で船酔いどころではなくなった。この脱出計画、本当に大丈夫だったのか?
「ちょっとちょっと蓮子、なんか船全体が悲鳴をあげてるんだけど!」
ムラサさんまで舵を握りながらそう叫ぶ。
「いやー、予定よりトンネルが狭かったか、それとも間欠泉のエネルギーが船体強度を上回っちゃったか……さすがに手計算じゃ無理があったかしらねえ」
「暢気に言わないでよ!」
「おふたりは雲山にしっかり掴まっててください!」
蓮子を揺さぶる私に、一輪さんがそう声をかけ、雲山さんが私たちの身体を包み込む。万一聖輦船が壊れても雲山さんが守ってくれるということか。ありがたくて涙が出る。
がりがりがりがり。ばらばらばらばら。マストの先端や船の舳先が明らかにトンネルの壁面を削る音がしている。みしみしみし。激しい揺れとともに船体が悲鳴をあげる。果たして船が壊れるのが先か、地上の光の中に飛び出すのが先か。なんでこう地底絡みでは毎回のように生死の境をさまよわねばならないのか。全部蓮子のせいである。
「見ていっちゃん! 聖輦船よ、あれが地上の陽だ!」
「見えないから! ムラサ、冷静に現実を見て!」
聖輦船の操舵室は船尾にあるので、舳先の光は見えないのである。ムラサさんまで半ば自暴自棄になっていていよいよ地獄めいてきた。神様仏様聖白蓮様、貴方を助けに行く弟子とその協力者をどうかお守りください。顔も見たこともない聖人に私は祈る。
「ああもう仕方ない! ムラサ、蓮子さんとメリーさんをよろしく!」
「え、いっちゃん、どこ行くの?」
「外! 雲山がトンネルを広げるから!」
そう叫ぶと、一輪さんは雲山さんを引き連れて船の外へ飛び出していく。雲山さんから解放された私たちがよろめくと、ムラサさんが「おっとっと」と支えてくれた。
「いやはや、前途多難ですねえキャプテン」
「蓮子、だから他人事みたいに言わない」
「あはは、まあこのぐらい寺が焼き討ちされたときに比べたらどーってことないって! 大丈夫、聖輦船は聖の船だから、聖の法力が守ってくれる!」
やはりそれを祈るしかないらしい。私はムラサさんにぎゅっとしがみつく。
――船尾の操舵室からは船外の様子が見えにくいので、そのとき外で一輪さんが具体的にどうしていたのかは、だから私たちは直接目にしていたわけではない。
後から聞いたところによると、狭くなるトンネルの壁面を雲山さんの拳でひたすら削っていたらしい。その光景を早苗さんが見ていたら「無敵の雲山でなんとかしてくださいよォー!」とでもコメントしたのだろうか。実際、一輪さんが雲山さんを使役する姿は承太郎がスタープラチナを使うイメージに近い。雲山さんはスタープラチナより見た目がだいぶむさ苦しいが。何の話かわからない人は紅魔館の図書館か守矢神社で聞かれたい。
ともかく、そんな一輪さんたちの決死の努力の甲斐もあって――いや、結果的にはそれもむなしく、というべきだったか。
聖輦船がトンネルを突き抜けて、見事地上へと脱出を果たすのと。
めりめりめりめり、ばきばきばきっ、という破砕音が響き渡るのが、ほぼ同時だった。
「地上だー!!」
一気に船内が明るくなり、窓の外に広がった景色に、ムラサさんが歓声をあげる。聖輦船を地上まで押し上げた血の池地獄の間欠泉は、そのまま赤い雨になって降りそそいでいて、地上の光景が一気に地獄めいていた。縁起でもない。
「無事……なのかしら?」
「どうにか船がバラバラになる事態は避けられたみたいだけど、今の音ヤバかったわね」
「だから他人事みたいに言わないの! ムラサさん、船大丈夫ですか?」
「あ、そうだ! 今の音、まさかマストが――」
私の問いにムラサさんが青くなって顔を上げる。と、そこへ外へ出ていた一輪さんが操舵室に再び飛びこんできて、縁起でもない事態を告げた。
「ムラサ! マストが折れて吹っ飛んだ!」
「マジかあああああ! せっかく直したのにいいいいっ!」
ムラサさんが頭を抱えて外に飛び出していく。一輪さんも一緒に再び外へ出て行き、私は蓮子と顔を見合わせ、ふたりの後を追いかけた。
甲板に顔を出すと、そびえ立っていた立派なマストが無残に根本からぼっきりと折れて跡形もない。その残骸を前に、ムラサさんがへなへなと座り込み、一輪さんが肩を叩いている。甲板もトンネルの壁面から落ちた岩やら何やらでだいぶボコボコで、これは船体にもけっこうなダメージが行ってそうだった。
船自体はなんとか宙に浮き続けている。ここまで船を押し上げてきた間欠泉は勢いを一気に弱め、もうほとんど噴出していなかった。地底でおくうさんが加熱を止めたのだろう。
「うわあ、こりゃひどい。一輪さん、どうしてまたこんなことに」
蓮子が暢気に言うと、一輪さんは「マストがトンネルの出口に引っ掛かって……」とこめかみを押さえた。
「折れたマストは間欠泉に吹き飛ばされてバラバラになって飛んで行っちゃったわ」
「うああああ! 聖輦船のマストは聖の法力の塊なのにいいい!」
ムラサさんが頭を抱えて悲鳴をあげる。法力の塊があっけなく折れたものだ。
「これじゃ星ちゃんの宝塔があっても聖を復活させられないよ! せめてマストの破片をできるだけ回収しなきゃ……目標変更! 魔界に行く前に、吹っ飛んだ聖輦船のマスト回収!」
「それしかないわね。そのついでに星とナズーリンを探して合流と」
ムラサさんが立ち上がり、一輪さんもため息をついて頷く。そうして振り向いたふたりに、蓮子が両手を合わせて頭を下げた。
「いや、ごめんなさい。私の計算が雑だったせいでこんなことに」
「あ、いやいや、別に蓮子を責めてるわけじゃないから! 何はともあれ地上に脱出できたのは蓮子のおかげだから!」
「そ、そうそう。ここまで連れてきてくれたこと、感謝しています」
ムラサさんも一輪さんもいいひとである。蓮子はもっと反省すべきだろう。私は蓮子の傍らに歩み寄り、「どうもすみません」と蓮子の頭を押さえつける。
「マストの回収、私たちにも手伝わせてください」
「え? いや、おふたりをそんな長いことこの船に拘束するわけには……たぶん、マストの破片回収はかなりの手間になるので……」
「え、いっちゃん、そんな四方八方に散らばっちゃったの?」
「というか、吹っ飛んだマストの破片に妖精が集まってきて、持って行っちゃって……」
「ええええええ! それ幻想郷全域探さないとダメってこと?」
「たぶん……」
がっくりとムラサさんが再び膝をつき、折れたマストの根本を見やった。
「でも、おかしいなあ……このマスト、そこまで粉々に砕けるほどやわじゃないはずだけど」
「確かに、間欠泉に吹っ飛ばされたとはいえ、あの壊れ方はちょっと不自然だったわね」
ふたりが首を傾げる。私たちはその光景を直接見ていないので何とも言えないが、確かにあの立派なマストが根本からぽっきりまではまだしも、バラバラに砕けるというのはイメージがしにくい。
「ヤマメたちの手抜き工事?」
「まさか。だとしたら誰かが何か仕込んでいたか……」
「誰かって……」
そんなことを言い合い、ムラサさんと一輪さんは、はっと顔を見合わせる。
「ねえおふたりさん、船の中に私たち以外の誰かが入り込んでなかった!?」
ムラサさんが突然、私たちに詰め寄る。今度は私たちが顔を見合わせる番だった。
「キャプテンたち以外の誰か……ってメリー、さっきそんなこと言ってなかった?」
「あ、そういえば確かに、出発したときに操舵室の外に誰かの影が見えたような……」
私の言葉に、ムラサさんが「ぐああああ」と顔を覆って呻いた。
「あいつの仕業かー! ああもー、こんなときまでなんてことしてくれるんだか!」
「……あいつって?」
蓮子が問うと、ムラサさんは甲板を見回して、大声を張り上げた。
「ぬえー! あんたの仕業でしょ、出てきなさーい!」
その叫び声に、しかし応える声はなく。
ただ、妖怪の山から「でてきなさーい!」と元気な山彦が返ってくるばかりだった。
第9章 星蓮船編 一覧
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遂に星蓮船開幕!
聖輦船の脱出シーンは読んでいてワクワクしました。気分は蓮メリと同じ乗組員みたいな感じでした。
秘封倶楽部が初の異変首謀者となった今回の異変がどうなるのか楽しみです。
これは熱いな。間欠泉だけに
遂にきた!新章星蓮船編。
今回は秘封倶楽部がガッツリ介入ですかー。
マスト探しになりましたが、どこまで騒ぐと巫女が動くのか、みものですね。
待ってました!これからどんな風に秘封倶楽部の二人が物語に絡んでいくのかとても楽しみです。
とんでもねぇ、待ってたんだ
ムラサ可愛いすぎる
船長…いっちゃん…💃アキラメルンジャネェゾ…
これ見てワンピースの空島編を思い出したのは自分だけじゃあないはず。
しかしガッツリ介入するのか。どうなることやら、間違えて妖怪扱いされて、妖怪スレイヤーさんにスレイヤーされませんように。
そういえば、星蓮船てタイトルが出た時「蓮」の字が入ってるから宇佐見蓮子が出る、って言われたこともあったらしいね
お疲れ様です~今回も色々とネタが豊富ですねw
麻雀と「宇宙〇艦ヤ〇ト」とか。楽しく読めるので有難いです!