幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット 前編 マリオネット前編 第7話
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公開日:2015年10月07日 / 最終更新日:2015年10月14日
パチュリーの章
1
「わ」
その声で現実に引き戻され、顔を上げた。げんなりする展開だった。
「こぁね」
「お邪魔しちゃいましたか」
散乱する本の前で、こぁが茶目っ気を含んだ笑い方をした。確信犯にもほどがある。
「当たり前でしょう」
つい今し方まで読みふけっていた書籍を閉じ、パチュリーは深い吐息をついた。集中力が切れてしまっては、いくら読み進めても頭に入ってはこない。
こぁはトレイを持っていた。どうやらオレンジジュースを運んできたらしい。
パチュリーが使用している書斎机は横に四メートルほどあり、縦幅も軽く二メートルを超えている。本来ならオレンジジュースの入ったグラス一つや二つ、余裕で置けるだけの大きさだ。
しかし現状、そのグラス一つ置くスペースがなかった。
これだけ大きな机だというのに、天板の上が本で埋め尽くされている。普段からたくさんの本に囲まれているが、今日のように調べものがあるとより顕著になる。いくつも塔ができるほどだった。
それでもこぁは、何の躊躇いも見せず僅かな隙間にグラスを置いた。
「どうぞ」
こぼれた時のことなど考えていないらしい。こぁらしいといえば、らしい。
グラスの中身は、やはりオレンジジュースだった。絞りたてのものだろうか、やけに香りが強い。
「オレンジには気分をすっきりさせる効能があるそうですよ」
「ふぅん。誰に聞いたの」
「もちろん咲夜さんですよ」
一口飲んでみると、口の中に甘酸っぱいオレンジの味が広がった。香りだけでなく、酸味も強い。
「パチュリー様、ここのところ詰めすぎみたいですから」
みたいなのではなく、まさにその通りなのだ。
一件目の事件が起きてから、既に一週間が過ぎようとしている。にも関わらず、手がかりはおろか、推論すら行き詰ってしまっているような状況である。少しでも解決の糸口を見つけ出さなければ、と躍起になっているのだった。
「大丈夫よ」
「には見えないんですけど」
自分の分のジュースを手にとりながら、こぁが言う。
不眠でも魔法使いのパチュリーは死ぬことはないが、さすがに本を読み漁っていてばかりでは疲労も溜まる一方だ。
それでも、可能な限り書斎にこもり、ありとあらゆることについて調べ続けていた。「ドレイン」を主軸に、猟奇事件を引き起こす人間の心理について調べていたのである。これらが紐解かれれば、犯人にぐっと近くなると思っていた。
「うわ、本当に濃いですね」
ジュースを飲んだこぁは驚きの声を上げた。かなりの甘党である彼女には、この酸味はきついはずだ。
甘酸っぱいというより、柑橘特有の苦味が舌を刺激してくる。この場合、苦酸っぱい、とでも表現すればいいのだろうか?
「で」
グラスの中身を一気にあおり、パチュリーは訊いた。
「何かわかった?」
「いいえ。昨日も平和な幻想郷だったみたいです」
クマの冬眠のように書斎に引きこもっていては、外の情報にどうしても疎くなりがちになる。そこでこぁに情報収集を頼んでおいたのだった。
「そう。それは結構なことだわ」
どうやら昨日も被害者は出ていないらしい。少なくともこぁの情報網と、毎朝発刊される新聞にはそう書いてあるようだ。
パチュリーはゆったりとした動作で立ち上がり、窓辺に寄った。
灰色に塗りつぶされた窓ガラスの向こう側を睨むと、そこでようやく雨が降っていることに気が付いた。
「いつの間に降り出したのよ」
「昨日の夜中くらいからですね」
音を聞き逃したということは、かなりの小雨だったのだろう。今も雨音は聞こえてこない。雨粒をよく観察してみると、霧吹きで吹きかけたかのような微かな粒だった。
「それよりパチュリー様。こんなに本を広げるなら、下に行けばいいじゃないですか」
下、というのは地下にある大図書館のことだ。机も椅子もあり、本も豊富に貯蔵されている。調べものをするには最高の環境と言ってもいい。
だがパチュリーは、地下からチョイスした本だけを持って書斎にこもった。理由は単純なことだが、こぁ本人には話せない。それは、こぁが司書であることに関係している。
彼女がこなしている主な業務は、本の整理整頓と記録だ。記録は帳簿にペンをはしらせるだけの作業であり、特に問題はない。が、整理整頓は館内を歩き回って行われるため問題となる。
では何が問題なのかといえば、「足音」だ。
図書館の床にはタイルが敷き詰められており、歩くたびに歩行音が響く。特に革靴などはコツコツといい音色を奏でてくれる(こぁは革靴だ)。スリッパを用意しても擦れた音が響いてしまうし、裸足ではタイルが冷たすぎて歩行困難だ。浮遊しようにも、一度翼をはためかせなければ飛ぶこともできないこぁでは、手の打ちようがない。地下だからこそ音も余計に大きく聞こえるのだろうが、いずれにしても、司書の仕事をされると集中できない環境に変貌するのだ、図書館は。
「こっちの方が捗るのよ」
建前の方を答えた。
「それならいいですけど。ちょっとは整理しないと大変なことになってるじゃないですか」
「そうね。ちょっと息抜きがてら、片付けてしまおうかしら」
本の山を横目で見ながら、力を入れて肩を揉む。
調べるべき書物は大体読み終えており、重要なところはメモをとってある。そして地下図書館の書物の整理整頓はこぁの仕事だ。
これは――と邪な考えがよぎった。思わず口元が歪んでしまう。また小言を言われるかもしれないが、司書なのだから当然やってもらわねば。
「ねぇ、こぁ」
「はい?」
きょとんとするこぁに、パチュリーは容赦なく命を下した。
「これ全部、元あった場所に戻しておいて頂戴」
昼を過ぎても雨は降り続いていた。
昨夜からの降雨らしいが、霧雨のせいか止む気配が一向に窺えない。今日、これから外に出てあちこちに行こうとしていたのだが、意気を挫かれる格好となってしまった。
「そんなに一生懸命見つめたって、晴れはしないよ」
「あらレミィ、起きていたの」
吸血鬼であるレミリアが昼時に起きていることは珍しい。いつもなら朝方から日没まではひたすら寝ているというのに。
「たまには起きるさ」
大広間、その壁際の窓から空を眺めるレミリアは、どこか本調子ではなさそうに見えた。目尻がけだるそうに垂れている。
「元気ないわね」
「なんだか気分が盛り上がらなくてねぇ。倦怠期かな」
どうして倦怠期などという言葉が出てくるのか。冗談で言っているのだろうが、流石に真意が掴みきれない。
広間は、メイドたちの往来もなく閑散としていた。相変わらず雨音は殆ど聞こえてこない。雨粒の大きさ云々より、もしかしたらこの建物の静粛性能が優れているのかもしれない。
こういう物静かな雰囲気は好みだが、しかしこれは何かが違う。せっかく久しぶりに会話をするのだからと、パチュリーは当たり障りのない話題をふることにした。
「フランはどうしているのかしら」
「ああ、フランなら外出中だよ。また踊らされに行ったんだろう」
「踊らされに?」
知らぬ間に舞踏にでも手を出したのだろうか。
いやに積極的になったなと思っていると、
「言葉が悪かったようだね」
レミリアはやや乱暴気味に前髪を掻きあげた。
「ダンスとかじゃあないさ。魔理沙のやつに踊らされに行ったんだろう、ってこと」
「なるほどね」
やはり舞踏の類いではなかったが、フランが積極的に動いていることに違いはないようだった。
しかしあのフランがねぇ、とパチュリーは感じ入った。
フランと言えば、つい最近までは「地下の悪魔」と称され、館内のメイドたちに恐れられる娘だったのだが。
「まるであちらが姉のようだよ」
皮肉げに言うレミリア。どうやらこちらが調べものでばたついている間に、何かあったらしい。
「魔理沙が姉、ねぇ。考えられないわ」
「そうかい? 案外、似合っていそうだが」
どうかしら、と想像力を働かせてみる。
天真爛漫で、人の迷惑など考えず行動する魔理沙。
人見知りが激しく、独自の精神世界で生きているフラン。
この二人が姉妹だって?
「ああ」何となく納得してしまえた。「確かに似たもの同士かもね」
「だろう」
にっと笑うレミリアの表情に翳りはない。皮肉は言っても、喧嘩にまでは発展していないようだ。
ひとまず安心、といったところか。
して、先程の倦怠期なる言葉は、フランとの仲を指しているらしかった。
何百年も一緒に暮らしているのだから、倦怠期の一つや二つあっても不思議ではないように思えるが――そういう問題でもないか、と内心で苦笑した。
「でも、似たもの同士だからこそ、姉妹って感じではないわね」
「ほう。じゃあなんだい?」
「そうね、強いて言えば友達かしら」
「友達ぃ?」レミリアは嬌声をあげた。「冗談だろう」
「類は友を呼ぶ、と言うじゃない」
「それこそ、私たちは似ても似つかないと思うんだが」
その意見には頷けるだけの説得力があった。
パチュリーとしてはレミリアのことを親友だと思っているが、だからといって似ているとは思えない。
「そう言われると、魔理沙とフランが友達というのはおかしく感じるわね」
「姉妹の方がしっくりこないか?」
「そうねえ」思案を巡らせながら、パチュリーは言った。「適切な言葉が浮かんでこないけれど、親子みたいなものかしらね」
「親子?」
想定外の答えだったのか、レミリアは何度も目をしばたかせた。
「正確には親子というわけではなくて、インプリンティングだけど」
「はあ?」
「つまり刷り込みってやつよ。知らない? あの、生まれたばかりの赤ん坊が始めて見たものを母親だと思い込むって言う、あれよ。フランはずっと地下に閉じこもっていたでしょう。だから天真爛漫な魔理沙の振る舞いが刺激になったんでしょうね。今は魔理沙の一挙手一投足を懸命に学習している最中なんじゃないかしら」
「おいおい、ちょっと待っておくれよ」
本当に危機感を抱いたようで、レミリアは顔を強張らせた。
「学習って。フランが魔理沙みたいになるってことかい?」
「その可能性は否定できないわね。刷り込みは、別名を〈刻印付け〉と呼ぶそうだし。ずっと魔理沙の周りを付きまとっているのなら、危ないかも」
面白半分で答えたパチュリーだったが、レミリアは更に深刻そうに顔を歪めた。
少々悪ふざけがすぎたかもしれないと思ったが、手遅れだった。一度声に乗せて出してしまった言葉は、撤回がきかない。
「魔理沙みたくなるとか……悪夢そのものじゃないか」
「まだそうと決まったわけじゃないわよ。それにフランもそこまで馬鹿じゃないでしょ」
「馬鹿?」レミリアの眉尻が吊り上った。「馬鹿って言ったか、今」
「それは……」
言葉のあやだと説明を入れたかったが、言えるような雰囲気ではなかった。レミリアは本気で怒っている。ここ百年近く見ていなかった、真剣な怒り方だ。
腋下がじとりと湿り気を帯びた。レミリアは剃刀のような鋭い目つきで睨んでくる。身じろぎもできないほどのプレッシャーに曝され、直立不動のまま唾を飲み込んだ。
広間には静けさだけでなく、重みのある空気が加わり、ますます息苦しい空間となってしまった。
どうしてこうなるのかしら、とパチュリーは自分の迂闊さを呪った。過敏になっている相手に、軽口をたたいてしまうとは。
憔悴に身を焦がしていると、いきなり「きゃっ」という短い悲鳴と共に、何かがぶつかったような物音がした。
ぎょっとして振り返ると、誰かがうつ伏せになって倒れていた。
身体に被さっているように見えるのは、朱髪の束である。
「――こぁ?」
「うぅ……」
呻きながら顔を上げたのは、やはりこぁだった。紅魔館で朱色の長髪といえば、こぁしかいない。
「、痛た、い」
どうやら転倒した際に鼻を床で打ち付けたようだ。両手で鼻を覆い、女座りをして天井を仰いでいる。
「だ、大丈夫?」
鼻血でも出たかと心配になって駆けつけると、こぁは目尻に涙を溜めていた。打ち所が悪かったのか、相当痛むようだ。
「相変わらず間抜けだねぇ」
寄ってきたレミリアは、腕組をしてこぁを見下ろした。その表情は呆れそのもので、怒りの色は見て取れない。
「血は出ていないようね」
「は、い」
手をどかせてみたが、血はどこにも付着していなかった。ただ、鼻面は真っ赤になっている。まるで赤子の鼻だ。
「そそっかしいんだから」
パチュリーは腰を浮かせながら溜め息をついた。安堵から出たものだった。
こぁも「すみません」と枯れた声で謝辞を入れながら立った。まだ痛みがひかないのか、鼻を押さえている。
「何も無いところで転ぶなんて、私には真似できないね」
ふん、と鼻で息を吐くと、レミリアはそのまま歩き出した。こちらに背を見せながら、食堂の方へと向かっていく。咲夜に逢いに行こうとしているのかもしれない。
その背が完全に見えなくなったところで、こぁは充血した目もそのままに微笑んだ。
「よかったです」
「は? 何が」
こぁの言わんとすることがわからず質すと、
「だってパチュリー様、ピンチでしたから」
「そりゃあ、まあ、そうかもね」
そうかも、ではなく間違いなくピンチだったのだが、主人としての威厳を思うと、正直には言えないところだ。
そんなパチュリーの心を見透かしているかのように、こぁは鼻面を撫でながら言った。
「わざとコケた甲斐がありましたよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「そういうこと」
今ではすっかり赤みのひいたこぁの鼻を見つめながら、パチュリーはゆっくりとホットコーヒーを啜った。
あんなことがあった後だからか、こぁの機転に助けられたからか。どちらであるにせよ、とにかくコーヒーが旨い。
「パチュリー様にもミスはありますもんね」
「全然フォローになってないけれど、まぁそうね」
今し方、こぁに経緯を話したのだが、彼女は面白半分で聞いているようだった。
笑われても仕方のないことかもしれないが、やはり従者に笑われるのはいい気分ではない。
「そろそろこの話題はやめましょう」
持っていたカップをソーサーに戻すと、両手をテーブルの上に置いた。
こぁの部屋のテーブルは丸く、背もたれのない椅子もやはり丸い。こぁは角ばっているものよりも丸みを帯びているものの方が好みらしく、買い換えるときは必ず丸型のものを選んでいる。
ここでコーヒーブレイクをしようと提案したのは、彼女だった。
この部屋は一階で、パチュリーの部屋は二階だ。コーヒーを飲むにせよ、いちいち二階にあがるよりはこちらの方がいいのではないか、という意見である。
「レミィとの喧嘩話より、もっと生産性のある話題があるわ」
「なんです?」
わかっているくせに、と言いたかったが、こぁの場合、本当にわかっていない可能性がある。
「例の事件について、よ」
「ああ」
こくっと頷き、こぁはカップをソーサーに載せた。
「何かわかったんですか?」
「残念ながら、何かわかった、というレベルではないわね。本を読んだくらいで解決できるような事件ではないし」
「まぁ、それはそうですが」
「だから今日、逢いに行きたかったんだけど」
「そういえば出かけるとか言ってましたよね、パチュリー様」
「生憎の雨で挫けちゃったけどね」
ひと悶着もあったし、とパチュリーは嘲笑した。
「明日行こうとは思っているけれど。天気次第ね」
「別に傘を差して行けばいいじゃないですか」
「気分の問題なのよ」
行こうとしていたのは、永遠亭とアリスの家、それに事件現場の三ヶ所だ。
逢いたかったのは、八意永琳とアリス、それから博麗霊夢だった。
「ま、天気次第と言いつつ、あまり時間も無いから、明日はたぶん行くと思うけれど――」
言いかけたところで、ドアの方からノックの音が聞こえてきた。すぐにこぁが返事をする。
「はい」
「美鈴ですが」
ドアの奥から聞こえてきた声は、名乗り主のものだった。
「失礼します」と言って、美鈴が部屋に入ってくる。
「パチュリー様も一緒でしたか」
入室後、美鈴が開口一番に呼んだ名前はこぁではなく、パチュリーだった。
「こぁに用事なんでしょ? いいわよ、私は出るから」
「あ、いえ。実はどちらでもいいようでしたので」
首を捻ると、こぁと顔が合った。どういうことなのかと、紅い双眸が訴えかけてくる。
「アリスさんがいらっしゃったのですが」
あまりにタイムリーな出現に、驚きよりも怪訝さが先立った。
2
たった今コーヒーを飲んだばかりだったが、パチュリーの目の前には新たなコーヒーカップが置かれた。同じものが向かい側にいるアリスの前にも置かれる。こぁが進んで用意したのだった。
今度は、パチュリーの部屋での会合となった。
アリスは少し顔色が悪いように見えたが、とりあえずソファーを勧めて座らせ、話を聞こうと思った。こんな悪天候の中来るくらいなのだから、密度の高い話ができるだろうという期待があった。
「今日来たのは他でもない、事件のことよ」
ほら来た、とパチュリーは得意になった。向こうからやってくるとは、棚からぼた餅にもほどがある。
「それで」
心の中は喜びで満ち溢れていたが、平静を装って訊いた。
「何かわかったのかしら?」
「わかったというより、こちらが説明して欲しいくらいなのだけれど」
思わずパチュリーは顔を上げた。意見交換どころか、言っている意味さえわからない。
「どういうこと?」
「どうもこうも」アリスは腕を組み、胸を反らした。「貴方のおかげで酷い目にあったのだけれど」
「……は?」
何かやらかしたかと記憶をまさぐってみたが、特に心当たりはなかった。
そもそも、ここ数日は紅魔館にこもりきりだ。やらかしようがない。
何かの間違いではないのか、と訊いてみると、アリスは忌々しそうに片目を細めながら説明をくれた。
「イェツィラの書のことを貴方から聞いた文が、デタラメを霊夢に喋ったせいで勘違いされているのよ」
壮大にね、と手を広げる様は、事態を鮮明に物語っているように見える。つまりアリスは現在、怒り心頭ということだ。
「よくわからないけれど、霊夢が変なことを言っているのね?」
「ゴーレムが犯人じゃないかと文が言ったせいで、それを聞いた霊夢が主犯を私だと決め付けているみたいね。おかげで冷たくあしらわれたわ。結局遺族の方々とも会えなかったし」
まったく、とアリスは背もたれに体重を預けた。ずっ、と床を引き摺る音がする。どうやら自制しきれない怒りの余力がはみ出たようだ。
しかし今のアリスの話、パチュリーとしては、なんとも答えようのない内容だった。
何せゴーレムが犯人ではないかと推量し、しかもそのせいで調べものがかさんでなかなか現地にも赴けなかったのは自分だ。
「現地には行ってみたの?」
当たり障りのないように注意を払いながら、パチュリーは訊いた。
するとアリスは眉をしかめて問い返してきた。
「現地? それは被害者の実家のこと? それとも遺体の発見された場所?」
矢継ぎ早に言われて返事に窮していると、
「全部行ってきたわ」とアリスが先回りして答えた。
「全部?」
「ええ。当然じゃない」
さらりと言ってくれる。こちらは調べ物をしていたおかげで、いまだ現場に足を運べていないというのに。
パチュリーは唇にカップの端をくっつけた。途端に熱気が立ち昇ってくる。まだまだ冷えていないらしい。
「私はまだなのよね」
言って、ふーっとコーヒーに息を吹きかける。猫舌の悲しい性だ。
「ふぅん。もう六日くらい経つのに」
「調べものがあってね。忙しかったのよ」
貴方(というよりゴーレム)を疑っていて、それについても調べていたものだから――とは口が裂けても言えない。
「そうなの。でも、私も収穫があったわけじゃないから」
「それこそ不可思議ね。現地現物ほど役に立つ調査もないと思うのだけれど」
「そうは言ってもね」
アリスの口から苦笑いが漏れた。
「被害者の家宅は何の変哲もない民家だし、迷いの竹林も平常通りだったものだから」
「つまり、手がかりになりそうなことは何もなかったと?」
「ええ。もちろん、私が見落としている可能性もあるけれど」
幻想郷随一、性格が細やかと言われるアリスが見落としなど、それこそ可能性が低い。
「何か落ちていたってことはないとして、気になったところとかもないわけ?」
「結構念入りに見たんだけど、それらしいものは何も。魔法の痕跡も一切見当たらなかったし」
「ルーン文字が敷いてあった、ということもなかったかしら」
魔法の行使には、種類によっては痕跡の残るものがある。
特に『ルーン』と呼ばれる、文字を媒体にした魔法は、現場にくっきりとそのルーン文字が残っている場合が殆どだ。刻まれた文字そのものに意味が宿っているため、どんな魔法を使ったのかも一目瞭然である。
ただ、ルーンは文字を特殊な方法で消すこともできるらしく、痕跡が一切残らない場合もあるらしい。
パチュリーにもほんの少しばかりルーンの心得があるが、あまり詳しくは知らないので、知識としてはこれで全部だった。
「ルーンねぇ」
アリスはカップの取っ手に指をひっかけ、持ち上げながら言った。
「どうかしら。被害者宅は外から見上げただけだし、迷いの竹林はその辺りに刻めそうなところだらけだし」
ルーン文字を刻む対象は様々で、ときには石や木にも刻むことがある。つまり竹林は、木は森に隠せの典型というわけだ。
「お手上げね」パチュリーも苦笑した。
「だからここに来たのだけれどね」
「共闘しよう、ってことかしら」
その問いに、アリスはコーヒーを一度ゆっくり啜って、
「一人じゃ限界がある。文には情報を提供してもらったけれど、彼女はあくまで情報をくれるだけで真剣に取り組もうとはしていないわ。口では早く解決を、と言っていたけれど、あれは多分楽しんでいるだけね。だから――」
「本当に解決する気がありそうな人とタッグを組みたい、ってことね」
「そう、その通りよ」
ソーサーが目に入っていないのか、アリスはカップをテーブルに直置きした。顔には笑みが貼り付いている。
「どうせ組むなら、気心知れた相手と組みたいじゃない」
「まぁ……その気持ちはわからなくもないのだけれど」
どうしたものか、とパチュリーは顎を下げ、カップの中でたゆたう黒い液体を見つめた。
そこに、揺らめく自分の姿が映っている。情けないくらいに歪みきり、局部毎でちょん、と切れてしまいそうになっている自分の姿が。
アリスは友好的な態度を示しているが、こちらとしてはいまだ疑念の晴れない状態だ。彼女の創ったゴーレムが犯人であるという説は健在なのだから。
どうしたものか――二度、自分の裡で悩み、三度目の「どうしたものか」で踏ん切りをつけた。
「貴方に話しておきたいことがあるの」
腹が決まれば、あとは容易い。言葉を並べるだけだ。
「実はね、私、貴方を疑っているの」
「えっ」
目を剥くアリスの驚きようは予想の範疇を超えていた。
そこまで信認されているとは思ってもみなかったが、反面嬉しくもあった。こぁに頼られているのとはまた違った充実感が、心の底から湧いてくる。
ただ、言うべきはきちんと言わねば、と続きを口にする。
「正しくは、貴方が創ったゴーレムを、だけど」
「――っ」
息を呑む気配があった。どうやらアリスは緊張しているらしい。これから何を言われるのか、と身構えているのかもしれない。
「まだ書の解読も済んでないかと思っていたのだけれど、あんな事件が起きたでしょ? だから一応、疑わしきものは全て疑うという私のスタンスから、貴方を――貴方のゴーレムを疑うことにしたの」
「そ、そう」
「そう。だから今、聞かせて欲しいのだけれど。貴方――イェツィラの書は解読できた? ゴーレムは創れたの? 創れたのなら、そのゴーレムは今どこにあるの?」
まくしたてたせいか、しん、と場が静まり返った。
アリスは青い瞳を一点に据え置き、微動だにさせない。今の問いに対する回答を熟考しているのか。そうでなければ、純粋にこちらを見つめているのか。どちらであれ、返答次第で今後の進路が決まる。
別れるか、共闘するか。
聞こえてこない雨音、聞こえてこない打音、そして聞こえすぎてしまう心音。
「ゴーレムは――」
一旦言葉を止め、アリスは瞳を閉じた。長い睫毛が降り、縫いつけたぬいぐるみの目のようになる。
彼女はそのまま瞼を上げず、声だけを発した。
「完成したわ」
重みのある一言だった。
半ば予想していたこととはいえ、やはりアリスは天才だ、と思った。
二ヶ月で書を解読するなど、自分の力量では到底無理だ。聖白蓮ほどの術者になれば可能なのかもしれないが、少なくとも未熟な魔法使いに解けるようなものではなかったはずだ、あの書は。
「凄いわね」パチュリーは心からの賛辞を贈った。「かなり難解だったはずなのだけれど」
「そうね」アリスは瞳を曝し、微笑した。「私もこんなに早く解けるとは思っていなかったし」
「ちょっと信じられないわ」
「残念ながら事実よ」
けれど、と眉を曇らせる。
「肝心のゴーレムがね……ちょっと」
「どうかしたの?」
歯切れの悪い物言いに、パチュリーは嫌な予感を抱いた。この種の予感は大抵的中するものだが、一応口を噤んで耳を澄ませてみる。
アリスは唇を結んだまま、しばらく黙り込んだ。話すのをためらっているようだった。
辛抱強く待っていると、仕方ないといった様子で喋り出した。
「実は完成したゴーレムね、どこかへ行ってしまったのよ」
「――――え?」
ゴーレムがどこかに行った?
それは、俗に言う遁走?
「そんな責めるような目で見ないでよ」
純粋に驚いただけのつもりだったのだが、アリスには非難の眼差しを向けているように見えたらしい。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったのだけれど」
「冗談よ」
アリスはくすりと笑って、残りのコーヒーをあおった。
話によると、ゴーレムは彼女を殴り倒して遁走したのだとか。聞きようによっては間抜けな話である。
「憐れまれると切ないわ」と彼女は皮肉げに笑ったが、もちろん笑い話では済まされない。ゴーレムはこうしてテーブルを囲んでいる今も、どこかで何かをしているはずなのだから。
しかし、ここでパチュリーにはまず真っ先に反省しておかなければならないことがあった。それは、文と言葉を交わしているときに閃いた第三の可能性についてのことである。
二ヶ月で解読できるわけがないと思っていたイェツィラの書。もしかしたら解読できているのかも、と微かに思っていただけで、ゴーレムは既に完成しているものと決めつけていたことが、パチュリーの反省すべき点だった。
書が解読できなければ制作自体が無理なのだから、この考えは矛盾している。それに気がつかず、思いつきからゴーレム犯人説に繋げてしまった。反省どころか猛省ものだ。
「変な事件のせいで、私たちの頭はおかしくなってしまったのかもしれない」
真顔でそう言うアリスに、パチュリーも真顔で返した。
「よほどこぁの方が、今は頭が回っているかも」
「そうなったら、主従逆転が起きるわね」
「やめてよ」
パチュリーは顔を崩した。アリスも同様の顔をし、雰囲気が和やかなものとなる。
だがそれも束の間のことだった。すぐに緩めた頬を引き締め、打ち合わせを始めた。
「とにかく、こうなった以上は、まずゴーレムの捜索から始めるべきだと思うのだけれど」
パチュリーが問うと、アリスは腕を組んで頷いた。
「そうね。事件と関わり合いもはっきりさせられるし。もしかしたら、もっと凶悪なことをしているかもしれないし」
「どうせなら並行してやっていきたいんだけど、すでに半週間近く無駄にしちゃってるから。どちらかに的を絞らないと」
「そこは賭けね。ゴーレムを捕まえても犯人じゃなきゃ、事件の方は解決しないわけだし」
「そのときはそのとき、と考えるしかないわ。それに、そんなこと言ったら、今こうして話し合っているこの間にも、里で事件が発生しているかもしれないのだし」
「あまり考え込まない方が、案外上手くいくのかも」
空になったカップの取っ手を指で摘み、アリスは小さな吐息をついた。
やはり青白な顔色が示す通り、疲れが溜まっているようだ。ゴーレムが逃げたせいで辛労は募るばかりなのだろう。
「そうね。空回りすることもなくなるでしょうし」
私のようにね、とパチュリーは心の中で付け足した。
「でも考え込んじゃうのが私たちなのよね」
「人間が考える葦なら、魔法使いはどう表現すればいいかしら」
「木とか?」
「ないわね」
人間の数十倍も頑強なつくりをしていれば、その意見にも同意できそうだが。
「っと。だから、こうやって脱線していくのがいけないんだって」
アリスは思い出したように、けれど忙しそうに言った。
「どうも貴方と話していると、口が滑るみたい」
その釈明に、「それは褒め言葉として受け取るわ」と切り返した。
それから四半刻ほどかけてゴーレムの説明を聞いたパチュリーは、頭の中で情報を整理し、確認のためにそらんじた。
「完成したゴーレムは貴方と瓜二つの容姿をしていて、一見では見分けがつかない。しかも前方を向きながらこちらの後頭部を攻撃できる手段を持っている。逃げ出したのは完成した日、つまり六月十五日で、それ以上の情報は一切ない、と」
これでいいかと目で訊ねると、アリスは軽く頭を下げた。
「ゴーレムが逃げたのが六月十五日で、金本理沙の事件が発生したのが翌日の十六日――できすぎね」
「でしょう」アリスはうんざりした顔になった。
「そりゃあ背筋も凍るわね」
「あのときの恐怖感を是非、貴方にも味わって欲しいわ」
「遠慮しとく」
さて、とパチュリーは推量を始める。
とにかく解せないことだらけで、謎が謎を呼んでいるような状況ではまともに理論展開もできない。
よって、要点ごとにまとめてみることにした。
まず一つ目に、どうしてゴーレムの容姿がアリスそっくりなのか、ということだ。
この二、三日、部屋に閉じこもって様々な文献に目を通してみたが、どこにも主人を「映し身」すると書かれたものはなかった。
容姿は大体、いかつい男の顔のものであり、女の顔をしたものは記載されていなかった。そのゴーレムが、どうしてアリスの姿形をとっているのか。
二つ目は、どうして人を襲う必要があるのか、ということだ。
イェツィラの書から生み出せるゴーレムは自律人形であるとはいえ、主人を殴る理由もなければ、人を殺める必要もないはずである。そんなことをすれば術を解かれるリスクを背負わねばならなくなるし、逃走に必要な行為であったとは到底思えない。
暴走のせいだと考えようにも、そも、ゴーレムという構築物は「主人を守る」ために創られたモノである。何かをかばって犠牲になるならわからなくもないが、自らが破壊活動を行うとは考えにくい。
もちろんその可能性も、自律人形であるからこそゼロではない。だからパチュリーも真っ先にゴーレムを疑ったのだし。今となっては苦い思い出であるが。
食事のためだと考えるのも、同様に考えにくい。そもそも土くれ人形が人肉を欲する、というイメージがわかないし、人形の魔力供給は術者とのパイプラインを通して行われるというのがセオリーだ。自力で外部から取り入れるための機構なんて備わっていないのだから。食事をして取り入れるだなんて、不可能なのではなかろうか。
三つ目は、二つ目とほぼ同じことではあるが、動機についてだ。
金本理沙と岸崎玲奈は、別に姉妹というわけではなく、顔見知りであったかも怪しい程度の仲だ。それに加え、日々をつつましく生きており、賭博も一切していない。特に岸崎玲奈は、姑との問題もなかった。つまり、二人が狙われる理由のようなものが見当たらないのだ。
一体犯人はどんな動機で殺害したのだろう? 人間の殺人事件で一番多い動機は怨恨のようだが。ゴーレムが犯人だとして、彼女らを狙った動機はなんだ?
犯行手口にも一考の余地がある。
二人の遺体は干からびていた。しかも傷一つなかったという。ただの土くれ人形にそんなスキルがあるのだろうか。身体に傷の一つもつけず、精気を奪取するスキルが。
それに泥からできているとはいえ、人形が魔法など使えるだろうか。
遁走したゴーレムはアリスの後頭部を殴った。普通の人間と同じように、打撲という手段で。そして普通の人間に、魔法は扱えない。前を向いたまま後頭部を殴る方法はまだ考えつかないが、仮にそれが魔法の行使によるものだったとしても、殺傷力の高い魔法は他にもいくらでもある。打撲程度のもので済ませる理由がわからない。
パチュリーがこれらを展開すると、アリスは全てに同意を示した。
「でも、こうして並べられると、それこそ放っておいてもいいような気がしてくるわね。自律人形の暴走については記述があったけれど、だからと言って食事のためだっていうのは違いそうな気がしてきたし。貴方の言う通り、守ることに特化した人形が、暴走したからって破壊活動を行うとは考えにくい」
「よほど人間の方が危険なような気がしてくるのはなぜかしら」
逃げ出したと聞いて一刻も早く回収をしなければ、と思ったが、限りなく無害ならば、犯人探しに時間を割いた方が効率的にも良さそうだ。こそこそと隠遁先を探しているアリス似のゴーレムの姿を思い浮かべると、その気持ちは更に強くなった。
今のところ、アリスからの魔力供給は断たれている。ならば、そのうちただの泥に還るだろう。やはり二人を殺害した犯人を捜す方に舵を切るべきだ。
ただ、ゴーレムの食事とやらがどんなものなのか、それだけが気になった。
想像だにできないが、人間と同じように食べ物を口に入れ、咀嚼するのだろうか。人形なのに。いや、元が土だから、泥を食らって魔力供給するのかも。それはそれで、なんだか情けない後ろ姿をしていそうだ。
「……なんだか情けなくなってきた」アリスも同じ幻想を抱いたらしい。
「どうする? やっぱり先に犯人探しする?」
「そうね。そっちの方がいいのかもしれない」
髪に指を突っ込み、アリスは溜め息をついた。
パチュリーは窓の外に視線を投げた。雨はまだ降り続いているようだった。
3
雨の中を動き回るのは非常に億劫だったが、割り切りが肝心だと思い切り、第一の被害者である金本理沙の自宅を目指して歩いた。
傘はさしているが、霧雨のせいか雨粒が落ちてくる手応えがほとんどない。奇妙さが胸中でわだかまった。
しばらくして、先を行っていたアリスが歩みを止め、一枚の窓に向けて指をさした。
「あそこよ」
首を上げ、建物の二階部分に目を凝らす。
窓は何の変哲もない、どこにでもあるようなスライド式の窓だった。
ベランダのようなものもくっついていたが、幅もなく、小さすぎて、ただの囲いにしか見えない。人ひとり入ることもできそうにない。単純にタオル等をかけて干せるようになっているだけだ。
「あんなところから、よく音も立てずに侵入できたわね、犯人」
ベランダもどきのせいで、窓の背高は半分ほど潰れている。外から入ろうとするなら、囲いの端に一旦足をつけなければならないだろう。飛行能力があるのなら、その必要もなくなるわけだが。
「そこが問題なのよね。巫女ならいざ知らず、犯人を人間と仮定するなら、一般人が飛べるわけないし」
霊夢は巫女であり、決して一般人ではないから飛べるのだ。
「どうやって外に身体を運んだのかしら。音も立てずに」
「それも飛べれば解決しそうだけど」
「そうかしら」パチュリーは眉間に力を込めた。「音っていうのは、何も物音だけじゃないのよ」
「それはそうだけれど」
言わんとしていることを理解できないらしく、アリスは首を傾いだ。
パチュリーは傘を持つ手を変えて説明した。
「まさに攫われようとしているときに、悲鳴ひとつ上げないのはおかしくない? 岸崎玲奈はともかく、金本理沙は」
「ああ、そうね。でも、意識を刈られていたら、言葉なんて出ないわよ」
「それはそうだけれど。忍び込んできたことも気付かせず、しかも意識を刈り取るって……それこそ人間業とは思えないわ」
今回は人間、それも非力な一般人が、何かしらのトリックを使用して犯行を進めたと仮定して推理していた。
妖怪には「人間を捕食してはならない」というルールがあり、自然と深い結びつきのある精霊には人を殺すという概念がない。その前提で、犯人は人間であると仮定したのだが――早くも行き詰った。
地上から問題の窓まで、およそ三から四メートルはある。壁は木造でつるりとしており、這っていけそうにもない。
そして今言ったように、いくら隠密に動いたとしても、悲鳴ひとつ上げさせないような手段を人間がとれるとは思えなかった。
「なんて厄介なのかしら」
魔法が使えてしまうがために、パチュリーは煩悶とする羽目になった。
手口を考えようとすると、どうしても人間離れしたものばかりが浮かんできてしまう。飛行にせよ消音にせよ、妖怪や魔法でならいくらでも案を生み出せそうだが、人間という視点で考えると、何も良案が出てこなくなる。ぐっと難易度が高くなるのだった。
しばらく家宅の概観を眺めていたが、手先が冷えてきたため、引き上げを促した。
「そうね」
とアリスも賛同し、歩き出す。
「金本理沙の家から岸崎玲奈の家まで、どれくらいあるのかしら」
「ここからだと、歩いて十分ほどのところにあるわ」
「そんなに離れていないのね」
「そうね。里自体、そんなに広くないし」
言葉通り、岸崎家には十分ほどで着いた。
金本理沙の家は二階建てであったが、こちらは平屋だった。しかも結構な敷地面積である。
「裕福そうね」
パチュリーは素直な感想を漏らした。平屋でこれだけの広さをもてるのだから、結構な資産家なのだろう。
するとアリスが、「新聞読んでないの?」と訊いてきた。
「新聞? ああ」
パチュリーは、自分はここ最近引きこもっていて新聞ひとつ読んでいない、と答えた。
「それなら知らないかもね」
意味深に頷くアリスに、どういうことかと聞くと、
「岸崎玲奈は、里の権力者の娘なのよ」
「へぇ、道理で」
「でも彼女、口がきけなくてね。なんでも夫の方は貧しい出らしいんだけれど、岸崎玲奈の父親が経済的な取引を持ちかけて結婚させたらしいわ」
「経済的な取引?」
「そう。裕福な暮らしを提供する代わりに、娘と婚姻を結べ、ってこと」
「ふぅん。よくそんなことで結婚できたわね」
どこか釈然とせず、皮肉を述べた。
「夫には年老いた母親がいるのだけれど、貧困に喘いでいる彼にとって、母親を養うのはかなり大変だったんじゃない? この取引をちらつかされて、もしかしたら救いの手に見えたかもね」
「救いの手、ね」
経済的に逼迫した状況に追い詰められたことのないパチュリーには、あまりピンとこない話だった。
「それより、どう? 何か感じるものはない?」
被害者宅に来たのは、何も概観を把握するためだけではない。魔法の痕跡等が残っていないかも確かめに来たのだ。
しかし、微弱な魔力さえ感知できなかった。ルーンのようなわかりやすいものも見つからない。
「そう」アリスは眉の両端を下げた。
「だから言ったじゃない。アリスが見落とすはずがないって」
「でもそうなると、やっぱり犯人は普通の人間ってことになるけれど」
手口もさっぱりわからない上に、犯行の痕跡まで残っていないのでは、正直お手上げだ。
今回の巡回は確認のために行ったことだったが、同時に希望でもあった。もしここで魔力の片鱗でも見つけられれば、一気に犯人に近付くチャンスにもなったからだ。
しかし結果は無残なものだった。またしてもふりだしに戻る、だ。
「ここからどうしようかしらねぇ」
パチュリーは傘をくるくると回した。溜まった水滴が回転とともに八方へ飛んでいく。
そうすることで、不思議と心が落ち着いた。もしかしたら自分は今、童心に還っているのかもしれない。
アリスはじっと家屋を見据えている。こちらが頼りないからと、一人でも解決の糸口を探ろうと思っているのかもしれない。
曇天の空を見上げながら、パチュリーは溜め息をついた。
「あ、パチュリー様」
帰館すると、こぁが懐っこそうな笑みを作って寄ってきた。
「何かあったの?」
あまりに嬉しそうな顔をしていたので訊いてみただけなのだが、どうやら本当にいいことがあったらしい。背の蝙蝠翼がしきりに上下していることがその証左だ。
「初めてみたかも」
隣でアリスが目を瞬き、口をぽっかり開けている。
何が、と訊ねると、
「こんなに翼が動いているところ」
という返事が返ってきた。
「私と同じで、館にいる時間の方が長いしね」
「それにしても迫力あるわね……」
驚き混じりにそう言うアリスは、傘を畳み始めていた。パチュリーもそれに倣って手早に畳んだ。傘立ては陶器製で、壺のような形をしている。
傘をしまい、顔を上げると、堪えきれないとばかりに喜んでいるこぁがすぐ目の前に立っていた。距離が触れ合えれそうなほどに近かったため、少しどきりとした。
「何をそんなに喜んでいるのよ」
少々突き放すような態度をとってみても、こぁは気にする様子もない。
「聞いてください」と声を大きくし、より迫ってくる。
「わ、わかったから、ちょっと離れなさい」
指摘されてようやく気が付いたらしいこぁは、「す、すみません」と恥じ入ったように顔を伏せ、身を引いた。
「で、どうしたの」
「えっとですね」
胸ポケットをまさぐり、取り出してきたのは白い紙袋だった。縦の長さは十センチほどで、横幅としては指二本分くらいか。
「これ」
「その紙袋がどうかしたの?」
「受け取ってください」
ずいと押し付けてくる。
パチュリーは困惑しながらもそれを受け取った。がさっという紙袋の音と共に、硬質な触感が手に伝わってくる。どうやら食べ物の類いではないようだ。
「これは?」
「ようやく完成したので、お渡ししようと思って」
開けてみてくださいと言われ、素直に開けることにした。アリスも興味を惹かれたようで、覗き込んでくる。
中に入っていたのは、木製の平たい何かだった。形としてはクエスチョンマークに近い。しかし用途は不明だった。
正体のわからない品に戸惑っていると、「これからもよろしくお願いします、パチュリー様」と言い残し、こぁは全速力で去っていってしまった。まるで逃げるかのように。
呆気にとられ、動けなくなったパチュリーに、アリスがそっと問うてくる。
「それ、何?」
「さぁ……」
貰ったものも不明なら、こぁの態度も不明だった。
疑問を頭の隅に追いやり、クエスチョンマークを観察してみる。
こぁはこれを完成したと言っていたが、となるとこれは手作りなのだろうか? もしそうだとしたら、かなりの腕前だ。手先は不器用なはずだが、品は肌触りもよく、木で作っている割にはささくれている部分もない。あっては困るのだが、パチュリーにはこれだけのものを手作りできるとは思えなかった。それほど凝ったものだった。
特に凝っていると感じたのは、中腹部に彫られている文字だ。器用にもカーブに追従する形で「Patchouli Knowledge」と彫ってある。
「よく見ると凄いわね」横からアリスが言った。「それ、貴方の名前でしょ」
「そうね。でも……」
どうしてこんなものを?
心の中で反芻してみるも、まるでわからない。
「しかし羨ましいわね」
「何が?」
「プレゼントをくれる相手がいて」
アリスは魔法の森で人形に囲まれて暮らしている。人形たちに囲まれて賑やかしそうに見えるが、全て自分の意思で動かしていると考えると、独りぼっちと同じということなのだろう。
「欲しいならあげるわよ。そのうち」
「いや、そういう問題でもないのだけれど」と苦笑する。
しかし、とパチュリーはまた自己の裡に入っていった。
しかし、これは一体なんなのだろう――。
アリスと別れ、自室に戻るとすぐ、安楽椅子に背を預けた。小振りに揺られながら、こぁから貰ったものを、もう一度よく眺めてみる。
どこかにヒントがあるはずだ。この謎の形状には、何かしら意味があるはず。その謎を解けば、プレゼントされた理由も見えてこよう。
しかしどれだけ見つめてみても、名前以外、ヒントになりそうなものは見つからなかった。用途も以前不明である。
「どういうことかしら」
肘掛に肘を立て、頬杖をつく。自然と息が漏れ出た。
ミイラ事件が起きてからずっと脳を使ってばかりだ、と思った。だからこんな簡単な謎も解けなくなっているのだと。
パチュリーはプレゼントを手にしたまま瞳を閉じた。
ちょうど眠気がやってきたことだし、このまま寝てしまおう。その方が脳もすっきりするでしょう。
様々な言い訳を思い浮かべながら、睡魔に身を委ねた。
4
「パチュリー様!」という怒鳴り声で目が覚めた。
「こぁ……?」
「こぁ、じゃありませんよ。一体いつまで寝てるんですか」
何をそんなに怒っているのか、咄嗟には理解できなかった。少しばかりうたた寝していただけだと言うのに。
だがそんな考えも、いつの間にかかけられていた毛布と、窓から射し込んで来る日光によって分散した。
驚きで飛び起きた。と、安楽椅子から転げ落ちそうになる。どうやらまだ寝ぼけているらしい。
「だ、大丈夫ですか?」
よろけた身体をこぁが支えてくれる。
「大丈夫。それより、今何時?」
ここからではちょうど壁掛け時計が死角にあるため、時刻を知ることができない。
「朝の七時半です」
躊躇いがちな答え方だった。
「七時半――」
一瞬、頭が真っ白になった。
こぁは七時半と言った。朝の七時半だ。夜の、ではない。つまり十九時半ではないということか。
「嘘でしょ……」
たとえ十九時半であったとしても、一日が終わったに等しい時刻だ。やりたいことは山のようにあったのに。
それなのに、一夜を越えてしまった……?
「嘘じゃありません。何回も起こしたのに、起きなかったのはパチュリー様じゃないですか」
今の発言は、俄かには信じられないものだった。
「本当に?」
「だから嘘なんてつきませんって。ほら、その証拠に」
こぁが目配りで指し示したのは、飛び起きた際に床に落ちた毛布だった。
「起こしても起きなかったので、毛布をかけたんですよ」
「…………」
まったく身に覚えがない。この毛布を、一体いつの間にかけたと?
「まだ信じられないんですか?」
呆れた調子で言ってくるこぁに、パチュリーは素直に侘びた。
「……悪かったわ」
「別にいいですけど。ここ最近の強行が響いているんじゃないですか?」
「かもしれないわね」
かもしれない、ではなく、まさしくその通りなのだろう。こんなにも自堕落な自分が、本調子なわけがない。
「今日くらい、ゆっくりされたらどうです?」
毛布を持ち上げながら、こぁが苦笑する。
「そうしようかしら」
本当ならそんな時間はないのだが、確かに休息も必要なのかもしれない。昨夜のような悲劇を繰り返さぬためにも。
「コーヒー、淹れてありますから」
そう言い残し、こぁは毛布を持って部屋から出て行った。
「さて、と」
のんびりコーヒーでも啜りながら、まったりと過ごそうかしら――そう思い、一歩を踏み出した時だった。
何かを握り締めていることに、ようやく気がついた。右手の中に、硬い感触がある。
何だろうと掌を開いてみると、そこには昨日こぁからプレゼントされた、あのクエスチョンマークがあった。
「……聞きそびれたわね」
そっと机の上に置き、扉を開けてリビングを目指した。
今日も今日とて、事件は何も進展もなく一日が過ぎていくような気がする。
そう予感していたが、見事に外れることとなった。
「で、どうして霊夢がここに?」
こぁが用意した茶菓子をすべて平らげ、飲み物もおかわりを要求してきたずうずうしい巫女は、悪びれた様子も見せないままソファーにもたれかかっている。その態度は、自分がここの主だと言わんばかりだ。
「どうしたもこうしたも、アリスが捕まらないからここに来たのよ」
「アリスが捕まらない?」
昨日別れたあと、どこかへ出かけたのだろうか。特に何も言っていなかったような気がするが。
「そう、行方不明。で、もしかしたらあんたが逃がしたのかと思って来たんだけど」
「ちょっと待ってよ。逃がすって、何で私が?」
心外だ、と顔に出すと、
「だって、ゴーレムだっけ? それが怪しいって言ってたの、あんたでしょ」
「そりゃ、言ったけど」
どうやら情報源は文のようだ。
記者のくせに口が軽すぎる。――いや、記者だからこそ口が軽いのか。
「だから匿ったのかなって。やっぱりアリスが犯人で、それを突き止めたから保護しようと考えたんじゃ?」
言っていることがむちゃくちゃだった。
犯人を匿うはずがない。そんなメリットもこちらにはない。
そう告げると、霊夢は意外なことを言ってきた。
「メリットならあるじゃない」
「は?」
「だからメリットよ。同胞を匿えるっていうメリット」
「それが何でメリットになるのよ。むしろ自分の首を絞めているようなものじゃない」
「わたしはそうは思わないわ。だって今回の事件をネタに、脅迫できるじゃない。ばらされたくなかったら秘術を教えろ、とか」
「――――」
パチュリーは絶句した。
どうしたらそんな発想になるのかと呆れたが、とにかく、こうして霊夢が嫌疑をかけてきていること自体がすでに危うい状況だ。
彼女は向こう見ずなところがある。思い込みが激しい性格をしており、よほどなことがない限り、意思を曲げたりはしない。そんな相手が敵に回るなど、厄介なことこの上ない。
「ま、アリスが犯人だっていう証拠も集まってきてることだし、いつまでも隠し通せるとは思わないことね」
「証拠……?」
もう証拠を掴んだというのか。パチュリーの興味はその一点に注がれた。
「そう、証拠。今は証言だけだけどね。物証が出てくるのも時間の問題じゃない?」
「どんな証言?」
霊夢はその問いには答えず、
「今のうちにアリスを差し出すのなら、罰は軽いもので済ませてあげるわ」と言って立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。どうしてそこまで自信たっぷりにアリスが犯人だって言えるわけ? 彼女は当日、ゴーレムの制作で――」
「そんなの」パチュリーの声を遮り、霊夢は口端を歪めた。「本人が言っているだけでしょ?」
まさにその通りであり、パチュリーは押し黙るしかなくなった。
「アリバイ工作としか聞こえないわね。それに、ゴーレムを作った直後に事件が起きるのも不自然極まりないし。――まぁ、今日はこの辺りで失礼するからいいけど。可愛いこぁのためにも、わたしに協力すべきよ」
くつくつと噛み殺した嗤い方をしながら、霊夢は紅蓮の道を引き返していった。
「そんなことが……」
先程まで霊夢が座っていたソファーに、今はこぁがおさまっていた。蝙蝠翼がすべて垂れ下がっている。
「あー、頭痛いわ」
パチュリーはこめかみを指で押し当て、こりこりとした感触を味わいながら言った。
「この忙しいときに、アリスは一体何してるのよ」
「ですね。どこに行かれたんでしょう?」
心当たりはまったくなかった。身を隠匿した理由もわからない。昨日までは積極的に犯人探しをしていたというのに。
「私が寝ている間、何か変わったことはなかった?」
途切れた記憶の中に何かしらヒントがあるかもしれないと思ったのだが、こぁは首を横に振るだけだった。
「そうでしょうね」
ただでさえ事件解決の見通しがつかない状況で、どうしてこんなことが起こるのか。苛々する気持ちを抑え切れなかった。
「出かけてくる」
ここで考え込み煩悶するくらいなら、行動を起こした方が精神的にもよさそうだった。
こぁは何か言いたそうな顔をしていたが、やがて諦めたように翳りのある笑みを浮かべた。
「できればでいいので、早めに帰ってきてくださいね」
「そうしたいところね」
半ば投げやりな返事をして、パチュリーは身支度を開始した。
5
外は、昨日の天気とは打って変わって快晴だった。窓から射してきた日光は爽やかなものだったが、なるほど、と思えるほどに清々しい天気である。
魔力で身体を宙に浮かせ、十メートルほどの高さまで上がると、少し強めの風が吹いてきた。おかげでバランスを崩しかけたが、もう何十年と飛んでいる空だ、墜落することはない。
太陽光を浴びる幻想郷の大地は、平穏そのものに見えた。
この一角に犯人が潜んでいるなど思えないような雰囲気である。しかし、実際に事件は起きているし、犯人もまだつかまっていない。
「さて、と」
ざっと見渡す限り、いつも通りの幻想郷だった。雨が降ったせいなのか、雲が若干少ないような気もするが、確かめる術はない。
眼下の景色を軽く眺めた後、パチュリーはさっそく頭を回転させた。
博麗の巫女である霊夢は、人間ではあるが飛行能力を有している。その霊夢が血眼になって探しても見つからないのだから(九割九分九厘、血眼だ)、こうして上空から眺めているだけでは、アリスの所在はつかめないかもしれない。
だが今のところ、これしか方法が思いつかなかった。歩いて探していたのでは時間がかかりすぎてしまう。
もしかしたら霊夢とかち合ってしまうかもしれないが、それは運命だと思って諦めることにした。
まず向かったのはアリスの家だ。
彼女の家は、魔法の森のほぼ中央辺りにある。木々に囲まれ、まるで隠したがっているようにも見える。
西洋風、という言葉がしっくりくるようなレンガ造りの家には、煙突が一つ付いていた。建物は全体的に白く、煙突部だけが煤で黒ずんでいる。
庭に着地すると、真っ先に目に入ったのが郵便受けだった。真っ赤なポストで、デザインは小柄で可愛い印象を受ける。見た目通り、量としてはあまり入りそうにない。
一瞬、その中身を覗いてしまおうかという衝動に駆られた。誘惑とでも言おうか。中身を確認できれば、何かわかるかもしれない。
が、すぐにその考えは破棄した。個人宛に来ているものを盗み見るなど、人としてサイテイだ。それに事件と関わり合いのあるものが入っていることなど、ありそうにもない。
家の窓という窓は施錠されているようだった。試しに大窓を一つ動かそうとしてみたが、びくともしなかった。
それは玄関も同じで、ノブを回そうとするとすぐに引っかかって回らなくなった。きちんとロックが働いている。
ドアを拳で直に叩いてみても、呼び鈴を鳴らしてみても中からは返事がなかった。霊夢の言う通り、どうやら外出中らしい。もしかしたら寝ていて気がついていないだけなのかもしれないが、こんな真昼から寝ているとも思えなかった。
これ以上ここにいても無駄だだろうと判断して、パチュリーは地面を蹴って空へと飛んだ。
大気の流れに身を任せ、アリスと交わした言葉を一つずつ思い起こしながら行き先を考える。どこかへ行こうと匂わせた台詞はなかっただろうか。
その結果、次は命蓮寺に行こうという結論になった。
彼女の言葉の中に、「ナズーリンに頼もうと思った」というものがあったのを思い出したからだ。
あれは確か、ゴーレム捜索の手立てとして、ナズーリンに頼ろうとしていた、という内容だった。そのために命蓮寺に向かったのだが、ナズーリンは仕事でいない、と。
別れた後、アリスは命蓮寺に向かったのではないだろうか?
あそこにはあまり関わりたくない人がいる。それでも心当たりが他にない以上、行かざるを得ないだろう。
パチュリーは気後れしつつも、命蓮寺を目指した。
「あら、珍しいお客さんね」
到着早々、会いたくないと思っていた人物と出くわしてしまった。
「お久しぶりです」
挨拶をすると、頬が引きつるのを感じた。
相手は命蓮寺の主である聖白蓮その人だ。
ウェーブのかかった長髪は金と紫が混ざったような変わった色をしており、背丈は女性にしては高く見える。おそらく一七〇センチは超えているであろう長身だ。そのせいか、白蓮がより尊大に見えるのだった。
当人は真面目で人当たりのいい、俗に言う「いい人」なのだが、高名な魔法使いということもあって、どうしても苦手意識の方が勝ってしまうパチュリーだった。
「どうしたの? 誰かに会いに来た?」
「えっと、アリスを探しに」
反射的に答えていた。
しまった、と思うのと、白蓮がきょとんとするのは同時だった。通常ならここにアリスが来るわけがないのだから、無難にナズーリンの名を出すべきだったのだ。
だが白蓮は笑顔で、
「アリスさんはここには来ていないわ」と返事を寄越した。
「あ……そう、ですか」
辛うじて言い返すと、何とかナズーリンの所在についての話題に繋げた。
「ナズーリン? ああ、そういえばまだ帰ってきてないわね。ちょっと待ってて」
こちらが首肯する前に、白蓮は塔のある方へと駆けて行ってしまった。
その後ろ姿が完全に見えなくなってから、肩から力を抜き、唾を飲み下した。苦さが口内に広がっていくのがわかる。
いつもは常に冷静沈着を心がけているのだが、相手が白蓮となると、いまだに上手く心を落ち着かせることができなくなる。それは魔法使いとしての畏敬からなのか、人物としての相性が悪いからなのかは判然としないが、とにかく聖白蓮とはとことん馬が合わない。
それから二分としないうちに、白蓮が帰ってきた。隣には寅丸星がいる。
「星に訊いてみたのだけれど、確かに帰ってきていないみたい」
寅丸は一つ頷いてから、白蓮の後を継いだ。
「地霊殿のさとりさんに呼ばれたとかで、出て行ったまま、まだ帰ってきていないんですよ。もう一週間も」
いつもはパチュリー相手に敬語など使わない彼女だが、白蓮の手前ということもあってか、少々かしこまった言い方だった。
「一週間も? ナズーリンは何をしに?」
「ナズーリンと言えばダウジングでしょう」
白蓮が朗らかに笑う。
全くその通りだ、とパチュリーは内心で苦笑した。他にナズーリンが呼ばれる理由が見当たらない。
「しかし、何をダウジングしに?」
「それが」寅丸は眉をハの字にした。「守秘義務だとか言って教えてくれなかったんですよ」
「えっ、そんな縛りが?」
仲間内にすら頑なに秘密を守っているのかと、少々驚いてしまった。が、それについては白蓮が説明を付けてきた。
「人には知られたくないこともたくさんあるでしょう」
達観した考え方だ、と思ったのも束の間だった。
達観していて当たり前なのだ、白蓮の場合。何せ高僧で名を馳せていた人物なのだから。
「でも、一週間かけても見つけられないなんて」
ナズーリンのダウジング能力はかなりの精度だったはずだ。一週間もかかるほど難易度の高い探し物なのだろうか?
疑問は命蓮寺のメンバーも同様らしく、弱った表情を見せた。
「あの地下世界に、それだけのモノがあるのかしら」
「聞いたことはないですね」
もちろん、パチュリーにもない。逆に地霊殿は荒廃しているようなイメージが先行する。頼りなげに細々と揺れ動く灯火、暖かみを微塵も感じさせない尖った岩肌――そんなイメージばかりだ。
「神器でも探しているのかしら」
「まさか」寅丸は失笑した。「あそこには何もありませんよ。動物天国なだけです」
「そうよねぇ。あ、温泉もあったわね」
白蓮の顔がぱっと明るくなった。「ナズーリンを探しに行くついでに、温泉に行きましょう」
名案だと手を叩きながら喜ぶ彼女に、寅丸は宥めるように言った。
「堪えてください。ここ最近、ヒトや妖怪がひっきりなしにやってくるんですから」
「うー……。でも、そうね。まずは衆生の心を宥めることが先決か」
「シュジョウ?」
パチュリーはつい聞き返していた。聞き慣れない言葉だった。
「ああ、貴方には馴染みのない言葉だったか」と寅丸。「衆生というのは、ありとあらゆる生き物のことを指している。つまり、みんなの心を落ち着かせることが先決だ、ってことさ」
「その通り」白蓮は頷いた。
「なるほど。そんなにお忙しいのですか」
「そうね。やっぱりあんな事件があったから、心が揺れているのでしょうね。特にヒトは怖がっているわ。次はうちなんじゃないか、どうしたらいいでしょうか、って相談が相次いでいるの」
今の台詞から、その時のやりとりを想像してみた。
年頃の娘をもった両親が、沈痛さを全面に押し出し、助けてくれと懇願してくる。後生だから娘を助けてやってください、ワシらの命はくれてやってもかまわないですから――。
たちまち嫌な気分になった。よく相談なんか引き受けられるな、と素で感心した。
「そういうわけで、うちらは動けないから。どうしても逢いたいなら、地霊殿に行ってみるといい」
寅丸の台詞を最後に、パチュリーは命蓮寺から離れた。
命蓮寺に行き着くまでは暖かで気持ちの良い日光だったのが、正午をこえるとたまらない暑さとなってきた。
パチュリーは袖をまくり、肩に垂れる長髪を背に流した。こういうとき長髪は困る。動きにくい上に、暑さが倍加しているような気がしてくるからだ。
「さて」
次なる目的地は、寅丸が言っていた通りに地霊殿だ。
命蓮寺に行くまでは、迷いの竹林に赴き、死体が遺棄されていた現場を見て八意永琳のいる「永遠亭」に向かうのもありかと考えていたが、その路線はなしに変更した。先程の会話から、何か不穏な気配を感じ取ったからだった。
具体的に何が不穏なのかは説明できない。直感が働いただけである。アリスに何かあったのではないか、という直感が。
もちろん、その中にナズーリンも含まれている。二人とも、何かしらの事件に巻き込まれてしまったのではないか。
パチュリーは、それ以上考え込まないようにと頭を振った。さっさと行動を起こし、何があったのかはっきりさせる方が、妄想であれこれ案ずるよりよほど精神衛生的にもいい。
身体中に薄っすらと汗をかき始めていた。
命蓮寺から地霊殿へ、空を使って直行している道中、眼下にある人物を認めた。――文だ。
少しばかり強引に急降下し、文の目の前に降り立つと、彼女は目を丸くさせた。
「あやや、これはまた、派手な出現の仕方ですね」
「別に派手に見えるようなことでもないと思うけれど」
「いやぁ、人を驚かせておいてそれは酷くないですか?」
冗談を織り交ぜながら軽く挨拶を済ませると、文から問いかけてきた。
「それで今日はどうされたので?」
「ちょっと訊きたいのだけれど」
昨日の夕刻から現時点までの間に、アリスに逢ったかと投げると、
「残念ですが、私は逢っていませんね」
「そう……」
予想通りの返答ではあったが、やはり落胆は隠せなかった。
するとどういうわけか、文が頬を緩めてにやにやし出した。何かおかしなことを言ったかと首を捻りかけた時、彼女の口から突飛な言葉が出てきた。
「犯人を庇おうと画策でも?」
「は?」
何を言い出すのかと耳を疑ったとき、ある台詞が記憶の壺の底辺から蘇ってきた。
『だから匿ったのかなって。やっぱりアリスが犯人で、それを突き止めたから保護しようと考えたんじゃ?』
霊夢の発言だ。
そう、今の文の言葉は、霊夢のものに酷似している。瞬きの間、混乱して突飛な発言だと思ったが、まったくそんなことはなかった。
「……どうしてそんなことをする必要が?」
慎重に言葉を選んで訊いた。
対する文は、「霊夢さんが自慢げに話してくれたからですよ」と屈託なく答えた。
「霊夢が? 一体どんな内容を?」
「なんでも、重要な証人を得たとかで」
「重要な証人?」
「はあ。私も見たわけじゃないんですけどね。霊夢さんの話によれば、里の人間らしいです。で、その証人が言うには――」
証人は、里に住む八十を過ぎた男性だという。
彼は真夜中の午前零時を回る頃、月明かりを頼りに散歩をするのが日課だった。そんな時間に高齢者がうろつくのはどうかという意見が里内でもあるようだが、彼は月を眺めるのが大好きで、生き甲斐だと豪語もしているようである。妖怪に襲われたことは一度もないらしく、それを誇ってもいるらしい。
そんな彼が言い出したのは、十六日の前後(正確な日付まで覚えていないらしい)、つまり金本理沙と岸崎玲奈が死亡した直近の日に、「何か」が物凄い速度で移動していった、という内容についてだった。
その「何か」はわからないらしいが、金髪ではないかというのが彼の言い分だ。目撃した日は月が煌々と輝いており、その光が「何か」の頭部にも降り注ぎ、金色を浮かせたのだろう、という推測である。
この不思議な体験を、彼は妖怪の仕業だと思った。ついに自分の目の前にも現れたのか、と。金色をした正体不明の「何か」は人間の足とは思えぬ速さで駆けていったらしく、それで妖怪だと断じたようだ。
このことを告白しようと決意したのが、一日ほど前の日らしい。妖怪ならこの人だ、と霊夢のところに行ったのだとか。
ちなみに、この老人がその金色を見かけた場所は、言わずもがな、迷いの竹林の付近だった。
「――というわけですよ」
「なるほどね」
聞き終えたパチュリーは、ふぅーっと太い息を漏らした。
「それが重要な証言だ、と」
「そのようです。短絡的ですよねぇ」
くっくと笑う文は冗談のつもりで言っているのだろうが、パチュリーとしては冗談では済まされないことだった。
疑いの目がこちらにまで及んでいるとあれば、霊夢のことだ、戦闘も辞さないだろう。それは完璧にとばっちりの域だ。
「面白がっていないで、諌めなさいよ」
「そんなことは不可能ですよ。あの霊夢さんですよ? 地獄の裁き人にすら暴言を吐いてみせる」
「それにしたって稚拙すぎるわよ。……私が言うのもなんだけど」
アリスを疑っていた身である。あまり偉そうなことは言えない。
「でもですよ、これまで証拠等が全然出てこなかったんですから、これは一歩前進ってことじゃないでしょうかね」
「そうだと言いのだけれど。金髪っていうだけじゃあねぇ」
犯人は金髪だというなら、紅魔館にも一名、金髪がいる。レミリアの妹であるフランドールだ。
「弱いですよね、やっぱり」
「弱いし、金髪は里にもたくさんいるわ」
「そんなにたくさんはいないかもしれませんが、絞れるわけじゃないですね」
しかも証人は齢八十の高齢者だ。そのまま証言を鵜呑みにするのも危険である。
結局、文からはこれ以上情報を引っ張れないと判断し、場を後にすることにした。
「また情報が入ったら教えて頂戴」
文は肩をすくめてみせた。
「私、調査の禁止令が出ているんですけどね」
そうだったの、と笑って、地面を蹴った。
1
「わ」
その声で現実に引き戻され、顔を上げた。げんなりする展開だった。
「こぁね」
「お邪魔しちゃいましたか」
散乱する本の前で、こぁが茶目っ気を含んだ笑い方をした。確信犯にもほどがある。
「当たり前でしょう」
つい今し方まで読みふけっていた書籍を閉じ、パチュリーは深い吐息をついた。集中力が切れてしまっては、いくら読み進めても頭に入ってはこない。
こぁはトレイを持っていた。どうやらオレンジジュースを運んできたらしい。
パチュリーが使用している書斎机は横に四メートルほどあり、縦幅も軽く二メートルを超えている。本来ならオレンジジュースの入ったグラス一つや二つ、余裕で置けるだけの大きさだ。
しかし現状、そのグラス一つ置くスペースがなかった。
これだけ大きな机だというのに、天板の上が本で埋め尽くされている。普段からたくさんの本に囲まれているが、今日のように調べものがあるとより顕著になる。いくつも塔ができるほどだった。
それでもこぁは、何の躊躇いも見せず僅かな隙間にグラスを置いた。
「どうぞ」
こぼれた時のことなど考えていないらしい。こぁらしいといえば、らしい。
グラスの中身は、やはりオレンジジュースだった。絞りたてのものだろうか、やけに香りが強い。
「オレンジには気分をすっきりさせる効能があるそうですよ」
「ふぅん。誰に聞いたの」
「もちろん咲夜さんですよ」
一口飲んでみると、口の中に甘酸っぱいオレンジの味が広がった。香りだけでなく、酸味も強い。
「パチュリー様、ここのところ詰めすぎみたいですから」
みたいなのではなく、まさにその通りなのだ。
一件目の事件が起きてから、既に一週間が過ぎようとしている。にも関わらず、手がかりはおろか、推論すら行き詰ってしまっているような状況である。少しでも解決の糸口を見つけ出さなければ、と躍起になっているのだった。
「大丈夫よ」
「には見えないんですけど」
自分の分のジュースを手にとりながら、こぁが言う。
不眠でも魔法使いのパチュリーは死ぬことはないが、さすがに本を読み漁っていてばかりでは疲労も溜まる一方だ。
それでも、可能な限り書斎にこもり、ありとあらゆることについて調べ続けていた。「ドレイン」を主軸に、猟奇事件を引き起こす人間の心理について調べていたのである。これらが紐解かれれば、犯人にぐっと近くなると思っていた。
「うわ、本当に濃いですね」
ジュースを飲んだこぁは驚きの声を上げた。かなりの甘党である彼女には、この酸味はきついはずだ。
甘酸っぱいというより、柑橘特有の苦味が舌を刺激してくる。この場合、苦酸っぱい、とでも表現すればいいのだろうか?
「で」
グラスの中身を一気にあおり、パチュリーは訊いた。
「何かわかった?」
「いいえ。昨日も平和な幻想郷だったみたいです」
クマの冬眠のように書斎に引きこもっていては、外の情報にどうしても疎くなりがちになる。そこでこぁに情報収集を頼んでおいたのだった。
「そう。それは結構なことだわ」
どうやら昨日も被害者は出ていないらしい。少なくともこぁの情報網と、毎朝発刊される新聞にはそう書いてあるようだ。
パチュリーはゆったりとした動作で立ち上がり、窓辺に寄った。
灰色に塗りつぶされた窓ガラスの向こう側を睨むと、そこでようやく雨が降っていることに気が付いた。
「いつの間に降り出したのよ」
「昨日の夜中くらいからですね」
音を聞き逃したということは、かなりの小雨だったのだろう。今も雨音は聞こえてこない。雨粒をよく観察してみると、霧吹きで吹きかけたかのような微かな粒だった。
「それよりパチュリー様。こんなに本を広げるなら、下に行けばいいじゃないですか」
下、というのは地下にある大図書館のことだ。机も椅子もあり、本も豊富に貯蔵されている。調べものをするには最高の環境と言ってもいい。
だがパチュリーは、地下からチョイスした本だけを持って書斎にこもった。理由は単純なことだが、こぁ本人には話せない。それは、こぁが司書であることに関係している。
彼女がこなしている主な業務は、本の整理整頓と記録だ。記録は帳簿にペンをはしらせるだけの作業であり、特に問題はない。が、整理整頓は館内を歩き回って行われるため問題となる。
では何が問題なのかといえば、「足音」だ。
図書館の床にはタイルが敷き詰められており、歩くたびに歩行音が響く。特に革靴などはコツコツといい音色を奏でてくれる(こぁは革靴だ)。スリッパを用意しても擦れた音が響いてしまうし、裸足ではタイルが冷たすぎて歩行困難だ。浮遊しようにも、一度翼をはためかせなければ飛ぶこともできないこぁでは、手の打ちようがない。地下だからこそ音も余計に大きく聞こえるのだろうが、いずれにしても、司書の仕事をされると集中できない環境に変貌するのだ、図書館は。
「こっちの方が捗るのよ」
建前の方を答えた。
「それならいいですけど。ちょっとは整理しないと大変なことになってるじゃないですか」
「そうね。ちょっと息抜きがてら、片付けてしまおうかしら」
本の山を横目で見ながら、力を入れて肩を揉む。
調べるべき書物は大体読み終えており、重要なところはメモをとってある。そして地下図書館の書物の整理整頓はこぁの仕事だ。
これは――と邪な考えがよぎった。思わず口元が歪んでしまう。また小言を言われるかもしれないが、司書なのだから当然やってもらわねば。
「ねぇ、こぁ」
「はい?」
きょとんとするこぁに、パチュリーは容赦なく命を下した。
「これ全部、元あった場所に戻しておいて頂戴」
昼を過ぎても雨は降り続いていた。
昨夜からの降雨らしいが、霧雨のせいか止む気配が一向に窺えない。今日、これから外に出てあちこちに行こうとしていたのだが、意気を挫かれる格好となってしまった。
「そんなに一生懸命見つめたって、晴れはしないよ」
「あらレミィ、起きていたの」
吸血鬼であるレミリアが昼時に起きていることは珍しい。いつもなら朝方から日没まではひたすら寝ているというのに。
「たまには起きるさ」
大広間、その壁際の窓から空を眺めるレミリアは、どこか本調子ではなさそうに見えた。目尻がけだるそうに垂れている。
「元気ないわね」
「なんだか気分が盛り上がらなくてねぇ。倦怠期かな」
どうして倦怠期などという言葉が出てくるのか。冗談で言っているのだろうが、流石に真意が掴みきれない。
広間は、メイドたちの往来もなく閑散としていた。相変わらず雨音は殆ど聞こえてこない。雨粒の大きさ云々より、もしかしたらこの建物の静粛性能が優れているのかもしれない。
こういう物静かな雰囲気は好みだが、しかしこれは何かが違う。せっかく久しぶりに会話をするのだからと、パチュリーは当たり障りのない話題をふることにした。
「フランはどうしているのかしら」
「ああ、フランなら外出中だよ。また踊らされに行ったんだろう」
「踊らされに?」
知らぬ間に舞踏にでも手を出したのだろうか。
いやに積極的になったなと思っていると、
「言葉が悪かったようだね」
レミリアはやや乱暴気味に前髪を掻きあげた。
「ダンスとかじゃあないさ。魔理沙のやつに踊らされに行ったんだろう、ってこと」
「なるほどね」
やはり舞踏の類いではなかったが、フランが積極的に動いていることに違いはないようだった。
しかしあのフランがねぇ、とパチュリーは感じ入った。
フランと言えば、つい最近までは「地下の悪魔」と称され、館内のメイドたちに恐れられる娘だったのだが。
「まるであちらが姉のようだよ」
皮肉げに言うレミリア。どうやらこちらが調べものでばたついている間に、何かあったらしい。
「魔理沙が姉、ねぇ。考えられないわ」
「そうかい? 案外、似合っていそうだが」
どうかしら、と想像力を働かせてみる。
天真爛漫で、人の迷惑など考えず行動する魔理沙。
人見知りが激しく、独自の精神世界で生きているフラン。
この二人が姉妹だって?
「ああ」何となく納得してしまえた。「確かに似たもの同士かもね」
「だろう」
にっと笑うレミリアの表情に翳りはない。皮肉は言っても、喧嘩にまでは発展していないようだ。
ひとまず安心、といったところか。
して、先程の倦怠期なる言葉は、フランとの仲を指しているらしかった。
何百年も一緒に暮らしているのだから、倦怠期の一つや二つあっても不思議ではないように思えるが――そういう問題でもないか、と内心で苦笑した。
「でも、似たもの同士だからこそ、姉妹って感じではないわね」
「ほう。じゃあなんだい?」
「そうね、強いて言えば友達かしら」
「友達ぃ?」レミリアは嬌声をあげた。「冗談だろう」
「類は友を呼ぶ、と言うじゃない」
「それこそ、私たちは似ても似つかないと思うんだが」
その意見には頷けるだけの説得力があった。
パチュリーとしてはレミリアのことを親友だと思っているが、だからといって似ているとは思えない。
「そう言われると、魔理沙とフランが友達というのはおかしく感じるわね」
「姉妹の方がしっくりこないか?」
「そうねえ」思案を巡らせながら、パチュリーは言った。「適切な言葉が浮かんでこないけれど、親子みたいなものかしらね」
「親子?」
想定外の答えだったのか、レミリアは何度も目をしばたかせた。
「正確には親子というわけではなくて、インプリンティングだけど」
「はあ?」
「つまり刷り込みってやつよ。知らない? あの、生まれたばかりの赤ん坊が始めて見たものを母親だと思い込むって言う、あれよ。フランはずっと地下に閉じこもっていたでしょう。だから天真爛漫な魔理沙の振る舞いが刺激になったんでしょうね。今は魔理沙の一挙手一投足を懸命に学習している最中なんじゃないかしら」
「おいおい、ちょっと待っておくれよ」
本当に危機感を抱いたようで、レミリアは顔を強張らせた。
「学習って。フランが魔理沙みたいになるってことかい?」
「その可能性は否定できないわね。刷り込みは、別名を〈刻印付け〉と呼ぶそうだし。ずっと魔理沙の周りを付きまとっているのなら、危ないかも」
面白半分で答えたパチュリーだったが、レミリアは更に深刻そうに顔を歪めた。
少々悪ふざけがすぎたかもしれないと思ったが、手遅れだった。一度声に乗せて出してしまった言葉は、撤回がきかない。
「魔理沙みたくなるとか……悪夢そのものじゃないか」
「まだそうと決まったわけじゃないわよ。それにフランもそこまで馬鹿じゃないでしょ」
「馬鹿?」レミリアの眉尻が吊り上った。「馬鹿って言ったか、今」
「それは……」
言葉のあやだと説明を入れたかったが、言えるような雰囲気ではなかった。レミリアは本気で怒っている。ここ百年近く見ていなかった、真剣な怒り方だ。
腋下がじとりと湿り気を帯びた。レミリアは剃刀のような鋭い目つきで睨んでくる。身じろぎもできないほどのプレッシャーに曝され、直立不動のまま唾を飲み込んだ。
広間には静けさだけでなく、重みのある空気が加わり、ますます息苦しい空間となってしまった。
どうしてこうなるのかしら、とパチュリーは自分の迂闊さを呪った。過敏になっている相手に、軽口をたたいてしまうとは。
憔悴に身を焦がしていると、いきなり「きゃっ」という短い悲鳴と共に、何かがぶつかったような物音がした。
ぎょっとして振り返ると、誰かがうつ伏せになって倒れていた。
身体に被さっているように見えるのは、朱髪の束である。
「――こぁ?」
「うぅ……」
呻きながら顔を上げたのは、やはりこぁだった。紅魔館で朱色の長髪といえば、こぁしかいない。
「、痛た、い」
どうやら転倒した際に鼻を床で打ち付けたようだ。両手で鼻を覆い、女座りをして天井を仰いでいる。
「だ、大丈夫?」
鼻血でも出たかと心配になって駆けつけると、こぁは目尻に涙を溜めていた。打ち所が悪かったのか、相当痛むようだ。
「相変わらず間抜けだねぇ」
寄ってきたレミリアは、腕組をしてこぁを見下ろした。その表情は呆れそのもので、怒りの色は見て取れない。
「血は出ていないようね」
「は、い」
手をどかせてみたが、血はどこにも付着していなかった。ただ、鼻面は真っ赤になっている。まるで赤子の鼻だ。
「そそっかしいんだから」
パチュリーは腰を浮かせながら溜め息をついた。安堵から出たものだった。
こぁも「すみません」と枯れた声で謝辞を入れながら立った。まだ痛みがひかないのか、鼻を押さえている。
「何も無いところで転ぶなんて、私には真似できないね」
ふん、と鼻で息を吐くと、レミリアはそのまま歩き出した。こちらに背を見せながら、食堂の方へと向かっていく。咲夜に逢いに行こうとしているのかもしれない。
その背が完全に見えなくなったところで、こぁは充血した目もそのままに微笑んだ。
「よかったです」
「は? 何が」
こぁの言わんとすることがわからず質すと、
「だってパチュリー様、ピンチでしたから」
「そりゃあ、まあ、そうかもね」
そうかも、ではなく間違いなくピンチだったのだが、主人としての威厳を思うと、正直には言えないところだ。
そんなパチュリーの心を見透かしているかのように、こぁは鼻面を撫でながら言った。
「わざとコケた甲斐がありましたよ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「そういうこと」
今ではすっかり赤みのひいたこぁの鼻を見つめながら、パチュリーはゆっくりとホットコーヒーを啜った。
あんなことがあった後だからか、こぁの機転に助けられたからか。どちらであるにせよ、とにかくコーヒーが旨い。
「パチュリー様にもミスはありますもんね」
「全然フォローになってないけれど、まぁそうね」
今し方、こぁに経緯を話したのだが、彼女は面白半分で聞いているようだった。
笑われても仕方のないことかもしれないが、やはり従者に笑われるのはいい気分ではない。
「そろそろこの話題はやめましょう」
持っていたカップをソーサーに戻すと、両手をテーブルの上に置いた。
こぁの部屋のテーブルは丸く、背もたれのない椅子もやはり丸い。こぁは角ばっているものよりも丸みを帯びているものの方が好みらしく、買い換えるときは必ず丸型のものを選んでいる。
ここでコーヒーブレイクをしようと提案したのは、彼女だった。
この部屋は一階で、パチュリーの部屋は二階だ。コーヒーを飲むにせよ、いちいち二階にあがるよりはこちらの方がいいのではないか、という意見である。
「レミィとの喧嘩話より、もっと生産性のある話題があるわ」
「なんです?」
わかっているくせに、と言いたかったが、こぁの場合、本当にわかっていない可能性がある。
「例の事件について、よ」
「ああ」
こくっと頷き、こぁはカップをソーサーに載せた。
「何かわかったんですか?」
「残念ながら、何かわかった、というレベルではないわね。本を読んだくらいで解決できるような事件ではないし」
「まぁ、それはそうですが」
「だから今日、逢いに行きたかったんだけど」
「そういえば出かけるとか言ってましたよね、パチュリー様」
「生憎の雨で挫けちゃったけどね」
ひと悶着もあったし、とパチュリーは嘲笑した。
「明日行こうとは思っているけれど。天気次第ね」
「別に傘を差して行けばいいじゃないですか」
「気分の問題なのよ」
行こうとしていたのは、永遠亭とアリスの家、それに事件現場の三ヶ所だ。
逢いたかったのは、八意永琳とアリス、それから博麗霊夢だった。
「ま、天気次第と言いつつ、あまり時間も無いから、明日はたぶん行くと思うけれど――」
言いかけたところで、ドアの方からノックの音が聞こえてきた。すぐにこぁが返事をする。
「はい」
「美鈴ですが」
ドアの奥から聞こえてきた声は、名乗り主のものだった。
「失礼します」と言って、美鈴が部屋に入ってくる。
「パチュリー様も一緒でしたか」
入室後、美鈴が開口一番に呼んだ名前はこぁではなく、パチュリーだった。
「こぁに用事なんでしょ? いいわよ、私は出るから」
「あ、いえ。実はどちらでもいいようでしたので」
首を捻ると、こぁと顔が合った。どういうことなのかと、紅い双眸が訴えかけてくる。
「アリスさんがいらっしゃったのですが」
あまりにタイムリーな出現に、驚きよりも怪訝さが先立った。
2
たった今コーヒーを飲んだばかりだったが、パチュリーの目の前には新たなコーヒーカップが置かれた。同じものが向かい側にいるアリスの前にも置かれる。こぁが進んで用意したのだった。
今度は、パチュリーの部屋での会合となった。
アリスは少し顔色が悪いように見えたが、とりあえずソファーを勧めて座らせ、話を聞こうと思った。こんな悪天候の中来るくらいなのだから、密度の高い話ができるだろうという期待があった。
「今日来たのは他でもない、事件のことよ」
ほら来た、とパチュリーは得意になった。向こうからやってくるとは、棚からぼた餅にもほどがある。
「それで」
心の中は喜びで満ち溢れていたが、平静を装って訊いた。
「何かわかったのかしら?」
「わかったというより、こちらが説明して欲しいくらいなのだけれど」
思わずパチュリーは顔を上げた。意見交換どころか、言っている意味さえわからない。
「どういうこと?」
「どうもこうも」アリスは腕を組み、胸を反らした。「貴方のおかげで酷い目にあったのだけれど」
「……は?」
何かやらかしたかと記憶をまさぐってみたが、特に心当たりはなかった。
そもそも、ここ数日は紅魔館にこもりきりだ。やらかしようがない。
何かの間違いではないのか、と訊いてみると、アリスは忌々しそうに片目を細めながら説明をくれた。
「イェツィラの書のことを貴方から聞いた文が、デタラメを霊夢に喋ったせいで勘違いされているのよ」
壮大にね、と手を広げる様は、事態を鮮明に物語っているように見える。つまりアリスは現在、怒り心頭ということだ。
「よくわからないけれど、霊夢が変なことを言っているのね?」
「ゴーレムが犯人じゃないかと文が言ったせいで、それを聞いた霊夢が主犯を私だと決め付けているみたいね。おかげで冷たくあしらわれたわ。結局遺族の方々とも会えなかったし」
まったく、とアリスは背もたれに体重を預けた。ずっ、と床を引き摺る音がする。どうやら自制しきれない怒りの余力がはみ出たようだ。
しかし今のアリスの話、パチュリーとしては、なんとも答えようのない内容だった。
何せゴーレムが犯人ではないかと推量し、しかもそのせいで調べものがかさんでなかなか現地にも赴けなかったのは自分だ。
「現地には行ってみたの?」
当たり障りのないように注意を払いながら、パチュリーは訊いた。
するとアリスは眉をしかめて問い返してきた。
「現地? それは被害者の実家のこと? それとも遺体の発見された場所?」
矢継ぎ早に言われて返事に窮していると、
「全部行ってきたわ」とアリスが先回りして答えた。
「全部?」
「ええ。当然じゃない」
さらりと言ってくれる。こちらは調べ物をしていたおかげで、いまだ現場に足を運べていないというのに。
パチュリーは唇にカップの端をくっつけた。途端に熱気が立ち昇ってくる。まだまだ冷えていないらしい。
「私はまだなのよね」
言って、ふーっとコーヒーに息を吹きかける。猫舌の悲しい性だ。
「ふぅん。もう六日くらい経つのに」
「調べものがあってね。忙しかったのよ」
貴方(というよりゴーレム)を疑っていて、それについても調べていたものだから――とは口が裂けても言えない。
「そうなの。でも、私も収穫があったわけじゃないから」
「それこそ不可思議ね。現地現物ほど役に立つ調査もないと思うのだけれど」
「そうは言ってもね」
アリスの口から苦笑いが漏れた。
「被害者の家宅は何の変哲もない民家だし、迷いの竹林も平常通りだったものだから」
「つまり、手がかりになりそうなことは何もなかったと?」
「ええ。もちろん、私が見落としている可能性もあるけれど」
幻想郷随一、性格が細やかと言われるアリスが見落としなど、それこそ可能性が低い。
「何か落ちていたってことはないとして、気になったところとかもないわけ?」
「結構念入りに見たんだけど、それらしいものは何も。魔法の痕跡も一切見当たらなかったし」
「ルーン文字が敷いてあった、ということもなかったかしら」
魔法の行使には、種類によっては痕跡の残るものがある。
特に『ルーン』と呼ばれる、文字を媒体にした魔法は、現場にくっきりとそのルーン文字が残っている場合が殆どだ。刻まれた文字そのものに意味が宿っているため、どんな魔法を使ったのかも一目瞭然である。
ただ、ルーンは文字を特殊な方法で消すこともできるらしく、痕跡が一切残らない場合もあるらしい。
パチュリーにもほんの少しばかりルーンの心得があるが、あまり詳しくは知らないので、知識としてはこれで全部だった。
「ルーンねぇ」
アリスはカップの取っ手に指をひっかけ、持ち上げながら言った。
「どうかしら。被害者宅は外から見上げただけだし、迷いの竹林はその辺りに刻めそうなところだらけだし」
ルーン文字を刻む対象は様々で、ときには石や木にも刻むことがある。つまり竹林は、木は森に隠せの典型というわけだ。
「お手上げね」パチュリーも苦笑した。
「だからここに来たのだけれどね」
「共闘しよう、ってことかしら」
その問いに、アリスはコーヒーを一度ゆっくり啜って、
「一人じゃ限界がある。文には情報を提供してもらったけれど、彼女はあくまで情報をくれるだけで真剣に取り組もうとはしていないわ。口では早く解決を、と言っていたけれど、あれは多分楽しんでいるだけね。だから――」
「本当に解決する気がありそうな人とタッグを組みたい、ってことね」
「そう、その通りよ」
ソーサーが目に入っていないのか、アリスはカップをテーブルに直置きした。顔には笑みが貼り付いている。
「どうせ組むなら、気心知れた相手と組みたいじゃない」
「まぁ……その気持ちはわからなくもないのだけれど」
どうしたものか、とパチュリーは顎を下げ、カップの中でたゆたう黒い液体を見つめた。
そこに、揺らめく自分の姿が映っている。情けないくらいに歪みきり、局部毎でちょん、と切れてしまいそうになっている自分の姿が。
アリスは友好的な態度を示しているが、こちらとしてはいまだ疑念の晴れない状態だ。彼女の創ったゴーレムが犯人であるという説は健在なのだから。
どうしたものか――二度、自分の裡で悩み、三度目の「どうしたものか」で踏ん切りをつけた。
「貴方に話しておきたいことがあるの」
腹が決まれば、あとは容易い。言葉を並べるだけだ。
「実はね、私、貴方を疑っているの」
「えっ」
目を剥くアリスの驚きようは予想の範疇を超えていた。
そこまで信認されているとは思ってもみなかったが、反面嬉しくもあった。こぁに頼られているのとはまた違った充実感が、心の底から湧いてくる。
ただ、言うべきはきちんと言わねば、と続きを口にする。
「正しくは、貴方が創ったゴーレムを、だけど」
「――っ」
息を呑む気配があった。どうやらアリスは緊張しているらしい。これから何を言われるのか、と身構えているのかもしれない。
「まだ書の解読も済んでないかと思っていたのだけれど、あんな事件が起きたでしょ? だから一応、疑わしきものは全て疑うという私のスタンスから、貴方を――貴方のゴーレムを疑うことにしたの」
「そ、そう」
「そう。だから今、聞かせて欲しいのだけれど。貴方――イェツィラの書は解読できた? ゴーレムは創れたの? 創れたのなら、そのゴーレムは今どこにあるの?」
まくしたてたせいか、しん、と場が静まり返った。
アリスは青い瞳を一点に据え置き、微動だにさせない。今の問いに対する回答を熟考しているのか。そうでなければ、純粋にこちらを見つめているのか。どちらであれ、返答次第で今後の進路が決まる。
別れるか、共闘するか。
聞こえてこない雨音、聞こえてこない打音、そして聞こえすぎてしまう心音。
「ゴーレムは――」
一旦言葉を止め、アリスは瞳を閉じた。長い睫毛が降り、縫いつけたぬいぐるみの目のようになる。
彼女はそのまま瞼を上げず、声だけを発した。
「完成したわ」
重みのある一言だった。
半ば予想していたこととはいえ、やはりアリスは天才だ、と思った。
二ヶ月で書を解読するなど、自分の力量では到底無理だ。聖白蓮ほどの術者になれば可能なのかもしれないが、少なくとも未熟な魔法使いに解けるようなものではなかったはずだ、あの書は。
「凄いわね」パチュリーは心からの賛辞を贈った。「かなり難解だったはずなのだけれど」
「そうね」アリスは瞳を曝し、微笑した。「私もこんなに早く解けるとは思っていなかったし」
「ちょっと信じられないわ」
「残念ながら事実よ」
けれど、と眉を曇らせる。
「肝心のゴーレムがね……ちょっと」
「どうかしたの?」
歯切れの悪い物言いに、パチュリーは嫌な予感を抱いた。この種の予感は大抵的中するものだが、一応口を噤んで耳を澄ませてみる。
アリスは唇を結んだまま、しばらく黙り込んだ。話すのをためらっているようだった。
辛抱強く待っていると、仕方ないといった様子で喋り出した。
「実は完成したゴーレムね、どこかへ行ってしまったのよ」
「――――え?」
ゴーレムがどこかに行った?
それは、俗に言う遁走?
「そんな責めるような目で見ないでよ」
純粋に驚いただけのつもりだったのだが、アリスには非難の眼差しを向けているように見えたらしい。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったのだけれど」
「冗談よ」
アリスはくすりと笑って、残りのコーヒーをあおった。
話によると、ゴーレムは彼女を殴り倒して遁走したのだとか。聞きようによっては間抜けな話である。
「憐れまれると切ないわ」と彼女は皮肉げに笑ったが、もちろん笑い話では済まされない。ゴーレムはこうしてテーブルを囲んでいる今も、どこかで何かをしているはずなのだから。
しかし、ここでパチュリーにはまず真っ先に反省しておかなければならないことがあった。それは、文と言葉を交わしているときに閃いた第三の可能性についてのことである。
二ヶ月で解読できるわけがないと思っていたイェツィラの書。もしかしたら解読できているのかも、と微かに思っていただけで、ゴーレムは既に完成しているものと決めつけていたことが、パチュリーの反省すべき点だった。
書が解読できなければ制作自体が無理なのだから、この考えは矛盾している。それに気がつかず、思いつきからゴーレム犯人説に繋げてしまった。反省どころか猛省ものだ。
「変な事件のせいで、私たちの頭はおかしくなってしまったのかもしれない」
真顔でそう言うアリスに、パチュリーも真顔で返した。
「よほどこぁの方が、今は頭が回っているかも」
「そうなったら、主従逆転が起きるわね」
「やめてよ」
パチュリーは顔を崩した。アリスも同様の顔をし、雰囲気が和やかなものとなる。
だがそれも束の間のことだった。すぐに緩めた頬を引き締め、打ち合わせを始めた。
「とにかく、こうなった以上は、まずゴーレムの捜索から始めるべきだと思うのだけれど」
パチュリーが問うと、アリスは腕を組んで頷いた。
「そうね。事件と関わり合いもはっきりさせられるし。もしかしたら、もっと凶悪なことをしているかもしれないし」
「どうせなら並行してやっていきたいんだけど、すでに半週間近く無駄にしちゃってるから。どちらかに的を絞らないと」
「そこは賭けね。ゴーレムを捕まえても犯人じゃなきゃ、事件の方は解決しないわけだし」
「そのときはそのとき、と考えるしかないわ。それに、そんなこと言ったら、今こうして話し合っているこの間にも、里で事件が発生しているかもしれないのだし」
「あまり考え込まない方が、案外上手くいくのかも」
空になったカップの取っ手を指で摘み、アリスは小さな吐息をついた。
やはり青白な顔色が示す通り、疲れが溜まっているようだ。ゴーレムが逃げたせいで辛労は募るばかりなのだろう。
「そうね。空回りすることもなくなるでしょうし」
私のようにね、とパチュリーは心の中で付け足した。
「でも考え込んじゃうのが私たちなのよね」
「人間が考える葦なら、魔法使いはどう表現すればいいかしら」
「木とか?」
「ないわね」
人間の数十倍も頑強なつくりをしていれば、その意見にも同意できそうだが。
「っと。だから、こうやって脱線していくのがいけないんだって」
アリスは思い出したように、けれど忙しそうに言った。
「どうも貴方と話していると、口が滑るみたい」
その釈明に、「それは褒め言葉として受け取るわ」と切り返した。
それから四半刻ほどかけてゴーレムの説明を聞いたパチュリーは、頭の中で情報を整理し、確認のためにそらんじた。
「完成したゴーレムは貴方と瓜二つの容姿をしていて、一見では見分けがつかない。しかも前方を向きながらこちらの後頭部を攻撃できる手段を持っている。逃げ出したのは完成した日、つまり六月十五日で、それ以上の情報は一切ない、と」
これでいいかと目で訊ねると、アリスは軽く頭を下げた。
「ゴーレムが逃げたのが六月十五日で、金本理沙の事件が発生したのが翌日の十六日――できすぎね」
「でしょう」アリスはうんざりした顔になった。
「そりゃあ背筋も凍るわね」
「あのときの恐怖感を是非、貴方にも味わって欲しいわ」
「遠慮しとく」
さて、とパチュリーは推量を始める。
とにかく解せないことだらけで、謎が謎を呼んでいるような状況ではまともに理論展開もできない。
よって、要点ごとにまとめてみることにした。
まず一つ目に、どうしてゴーレムの容姿がアリスそっくりなのか、ということだ。
この二、三日、部屋に閉じこもって様々な文献に目を通してみたが、どこにも主人を「映し身」すると書かれたものはなかった。
容姿は大体、いかつい男の顔のものであり、女の顔をしたものは記載されていなかった。そのゴーレムが、どうしてアリスの姿形をとっているのか。
二つ目は、どうして人を襲う必要があるのか、ということだ。
イェツィラの書から生み出せるゴーレムは自律人形であるとはいえ、主人を殴る理由もなければ、人を殺める必要もないはずである。そんなことをすれば術を解かれるリスクを背負わねばならなくなるし、逃走に必要な行為であったとは到底思えない。
暴走のせいだと考えようにも、そも、ゴーレムという構築物は「主人を守る」ために創られたモノである。何かをかばって犠牲になるならわからなくもないが、自らが破壊活動を行うとは考えにくい。
もちろんその可能性も、自律人形であるからこそゼロではない。だからパチュリーも真っ先にゴーレムを疑ったのだし。今となっては苦い思い出であるが。
食事のためだと考えるのも、同様に考えにくい。そもそも土くれ人形が人肉を欲する、というイメージがわかないし、人形の魔力供給は術者とのパイプラインを通して行われるというのがセオリーだ。自力で外部から取り入れるための機構なんて備わっていないのだから。食事をして取り入れるだなんて、不可能なのではなかろうか。
三つ目は、二つ目とほぼ同じことではあるが、動機についてだ。
金本理沙と岸崎玲奈は、別に姉妹というわけではなく、顔見知りであったかも怪しい程度の仲だ。それに加え、日々をつつましく生きており、賭博も一切していない。特に岸崎玲奈は、姑との問題もなかった。つまり、二人が狙われる理由のようなものが見当たらないのだ。
一体犯人はどんな動機で殺害したのだろう? 人間の殺人事件で一番多い動機は怨恨のようだが。ゴーレムが犯人だとして、彼女らを狙った動機はなんだ?
犯行手口にも一考の余地がある。
二人の遺体は干からびていた。しかも傷一つなかったという。ただの土くれ人形にそんなスキルがあるのだろうか。身体に傷の一つもつけず、精気を奪取するスキルが。
それに泥からできているとはいえ、人形が魔法など使えるだろうか。
遁走したゴーレムはアリスの後頭部を殴った。普通の人間と同じように、打撲という手段で。そして普通の人間に、魔法は扱えない。前を向いたまま後頭部を殴る方法はまだ考えつかないが、仮にそれが魔法の行使によるものだったとしても、殺傷力の高い魔法は他にもいくらでもある。打撲程度のもので済ませる理由がわからない。
パチュリーがこれらを展開すると、アリスは全てに同意を示した。
「でも、こうして並べられると、それこそ放っておいてもいいような気がしてくるわね。自律人形の暴走については記述があったけれど、だからと言って食事のためだっていうのは違いそうな気がしてきたし。貴方の言う通り、守ることに特化した人形が、暴走したからって破壊活動を行うとは考えにくい」
「よほど人間の方が危険なような気がしてくるのはなぜかしら」
逃げ出したと聞いて一刻も早く回収をしなければ、と思ったが、限りなく無害ならば、犯人探しに時間を割いた方が効率的にも良さそうだ。こそこそと隠遁先を探しているアリス似のゴーレムの姿を思い浮かべると、その気持ちは更に強くなった。
今のところ、アリスからの魔力供給は断たれている。ならば、そのうちただの泥に還るだろう。やはり二人を殺害した犯人を捜す方に舵を切るべきだ。
ただ、ゴーレムの食事とやらがどんなものなのか、それだけが気になった。
想像だにできないが、人間と同じように食べ物を口に入れ、咀嚼するのだろうか。人形なのに。いや、元が土だから、泥を食らって魔力供給するのかも。それはそれで、なんだか情けない後ろ姿をしていそうだ。
「……なんだか情けなくなってきた」アリスも同じ幻想を抱いたらしい。
「どうする? やっぱり先に犯人探しする?」
「そうね。そっちの方がいいのかもしれない」
髪に指を突っ込み、アリスは溜め息をついた。
パチュリーは窓の外に視線を投げた。雨はまだ降り続いているようだった。
3
雨の中を動き回るのは非常に億劫だったが、割り切りが肝心だと思い切り、第一の被害者である金本理沙の自宅を目指して歩いた。
傘はさしているが、霧雨のせいか雨粒が落ちてくる手応えがほとんどない。奇妙さが胸中でわだかまった。
しばらくして、先を行っていたアリスが歩みを止め、一枚の窓に向けて指をさした。
「あそこよ」
首を上げ、建物の二階部分に目を凝らす。
窓は何の変哲もない、どこにでもあるようなスライド式の窓だった。
ベランダのようなものもくっついていたが、幅もなく、小さすぎて、ただの囲いにしか見えない。人ひとり入ることもできそうにない。単純にタオル等をかけて干せるようになっているだけだ。
「あんなところから、よく音も立てずに侵入できたわね、犯人」
ベランダもどきのせいで、窓の背高は半分ほど潰れている。外から入ろうとするなら、囲いの端に一旦足をつけなければならないだろう。飛行能力があるのなら、その必要もなくなるわけだが。
「そこが問題なのよね。巫女ならいざ知らず、犯人を人間と仮定するなら、一般人が飛べるわけないし」
霊夢は巫女であり、決して一般人ではないから飛べるのだ。
「どうやって外に身体を運んだのかしら。音も立てずに」
「それも飛べれば解決しそうだけど」
「そうかしら」パチュリーは眉間に力を込めた。「音っていうのは、何も物音だけじゃないのよ」
「それはそうだけれど」
言わんとしていることを理解できないらしく、アリスは首を傾いだ。
パチュリーは傘を持つ手を変えて説明した。
「まさに攫われようとしているときに、悲鳴ひとつ上げないのはおかしくない? 岸崎玲奈はともかく、金本理沙は」
「ああ、そうね。でも、意識を刈られていたら、言葉なんて出ないわよ」
「それはそうだけれど。忍び込んできたことも気付かせず、しかも意識を刈り取るって……それこそ人間業とは思えないわ」
今回は人間、それも非力な一般人が、何かしらのトリックを使用して犯行を進めたと仮定して推理していた。
妖怪には「人間を捕食してはならない」というルールがあり、自然と深い結びつきのある精霊には人を殺すという概念がない。その前提で、犯人は人間であると仮定したのだが――早くも行き詰った。
地上から問題の窓まで、およそ三から四メートルはある。壁は木造でつるりとしており、這っていけそうにもない。
そして今言ったように、いくら隠密に動いたとしても、悲鳴ひとつ上げさせないような手段を人間がとれるとは思えなかった。
「なんて厄介なのかしら」
魔法が使えてしまうがために、パチュリーは煩悶とする羽目になった。
手口を考えようとすると、どうしても人間離れしたものばかりが浮かんできてしまう。飛行にせよ消音にせよ、妖怪や魔法でならいくらでも案を生み出せそうだが、人間という視点で考えると、何も良案が出てこなくなる。ぐっと難易度が高くなるのだった。
しばらく家宅の概観を眺めていたが、手先が冷えてきたため、引き上げを促した。
「そうね」
とアリスも賛同し、歩き出す。
「金本理沙の家から岸崎玲奈の家まで、どれくらいあるのかしら」
「ここからだと、歩いて十分ほどのところにあるわ」
「そんなに離れていないのね」
「そうね。里自体、そんなに広くないし」
言葉通り、岸崎家には十分ほどで着いた。
金本理沙の家は二階建てであったが、こちらは平屋だった。しかも結構な敷地面積である。
「裕福そうね」
パチュリーは素直な感想を漏らした。平屋でこれだけの広さをもてるのだから、結構な資産家なのだろう。
するとアリスが、「新聞読んでないの?」と訊いてきた。
「新聞? ああ」
パチュリーは、自分はここ最近引きこもっていて新聞ひとつ読んでいない、と答えた。
「それなら知らないかもね」
意味深に頷くアリスに、どういうことかと聞くと、
「岸崎玲奈は、里の権力者の娘なのよ」
「へぇ、道理で」
「でも彼女、口がきけなくてね。なんでも夫の方は貧しい出らしいんだけれど、岸崎玲奈の父親が経済的な取引を持ちかけて結婚させたらしいわ」
「経済的な取引?」
「そう。裕福な暮らしを提供する代わりに、娘と婚姻を結べ、ってこと」
「ふぅん。よくそんなことで結婚できたわね」
どこか釈然とせず、皮肉を述べた。
「夫には年老いた母親がいるのだけれど、貧困に喘いでいる彼にとって、母親を養うのはかなり大変だったんじゃない? この取引をちらつかされて、もしかしたら救いの手に見えたかもね」
「救いの手、ね」
経済的に逼迫した状況に追い詰められたことのないパチュリーには、あまりピンとこない話だった。
「それより、どう? 何か感じるものはない?」
被害者宅に来たのは、何も概観を把握するためだけではない。魔法の痕跡等が残っていないかも確かめに来たのだ。
しかし、微弱な魔力さえ感知できなかった。ルーンのようなわかりやすいものも見つからない。
「そう」アリスは眉の両端を下げた。
「だから言ったじゃない。アリスが見落とすはずがないって」
「でもそうなると、やっぱり犯人は普通の人間ってことになるけれど」
手口もさっぱりわからない上に、犯行の痕跡まで残っていないのでは、正直お手上げだ。
今回の巡回は確認のために行ったことだったが、同時に希望でもあった。もしここで魔力の片鱗でも見つけられれば、一気に犯人に近付くチャンスにもなったからだ。
しかし結果は無残なものだった。またしてもふりだしに戻る、だ。
「ここからどうしようかしらねぇ」
パチュリーは傘をくるくると回した。溜まった水滴が回転とともに八方へ飛んでいく。
そうすることで、不思議と心が落ち着いた。もしかしたら自分は今、童心に還っているのかもしれない。
アリスはじっと家屋を見据えている。こちらが頼りないからと、一人でも解決の糸口を探ろうと思っているのかもしれない。
曇天の空を見上げながら、パチュリーは溜め息をついた。
「あ、パチュリー様」
帰館すると、こぁが懐っこそうな笑みを作って寄ってきた。
「何かあったの?」
あまりに嬉しそうな顔をしていたので訊いてみただけなのだが、どうやら本当にいいことがあったらしい。背の蝙蝠翼がしきりに上下していることがその証左だ。
「初めてみたかも」
隣でアリスが目を瞬き、口をぽっかり開けている。
何が、と訊ねると、
「こんなに翼が動いているところ」
という返事が返ってきた。
「私と同じで、館にいる時間の方が長いしね」
「それにしても迫力あるわね……」
驚き混じりにそう言うアリスは、傘を畳み始めていた。パチュリーもそれに倣って手早に畳んだ。傘立ては陶器製で、壺のような形をしている。
傘をしまい、顔を上げると、堪えきれないとばかりに喜んでいるこぁがすぐ目の前に立っていた。距離が触れ合えれそうなほどに近かったため、少しどきりとした。
「何をそんなに喜んでいるのよ」
少々突き放すような態度をとってみても、こぁは気にする様子もない。
「聞いてください」と声を大きくし、より迫ってくる。
「わ、わかったから、ちょっと離れなさい」
指摘されてようやく気が付いたらしいこぁは、「す、すみません」と恥じ入ったように顔を伏せ、身を引いた。
「で、どうしたの」
「えっとですね」
胸ポケットをまさぐり、取り出してきたのは白い紙袋だった。縦の長さは十センチほどで、横幅としては指二本分くらいか。
「これ」
「その紙袋がどうかしたの?」
「受け取ってください」
ずいと押し付けてくる。
パチュリーは困惑しながらもそれを受け取った。がさっという紙袋の音と共に、硬質な触感が手に伝わってくる。どうやら食べ物の類いではないようだ。
「これは?」
「ようやく完成したので、お渡ししようと思って」
開けてみてくださいと言われ、素直に開けることにした。アリスも興味を惹かれたようで、覗き込んでくる。
中に入っていたのは、木製の平たい何かだった。形としてはクエスチョンマークに近い。しかし用途は不明だった。
正体のわからない品に戸惑っていると、「これからもよろしくお願いします、パチュリー様」と言い残し、こぁは全速力で去っていってしまった。まるで逃げるかのように。
呆気にとられ、動けなくなったパチュリーに、アリスがそっと問うてくる。
「それ、何?」
「さぁ……」
貰ったものも不明なら、こぁの態度も不明だった。
疑問を頭の隅に追いやり、クエスチョンマークを観察してみる。
こぁはこれを完成したと言っていたが、となるとこれは手作りなのだろうか? もしそうだとしたら、かなりの腕前だ。手先は不器用なはずだが、品は肌触りもよく、木で作っている割にはささくれている部分もない。あっては困るのだが、パチュリーにはこれだけのものを手作りできるとは思えなかった。それほど凝ったものだった。
特に凝っていると感じたのは、中腹部に彫られている文字だ。器用にもカーブに追従する形で「Patchouli Knowledge」と彫ってある。
「よく見ると凄いわね」横からアリスが言った。「それ、貴方の名前でしょ」
「そうね。でも……」
どうしてこんなものを?
心の中で反芻してみるも、まるでわからない。
「しかし羨ましいわね」
「何が?」
「プレゼントをくれる相手がいて」
アリスは魔法の森で人形に囲まれて暮らしている。人形たちに囲まれて賑やかしそうに見えるが、全て自分の意思で動かしていると考えると、独りぼっちと同じということなのだろう。
「欲しいならあげるわよ。そのうち」
「いや、そういう問題でもないのだけれど」と苦笑する。
しかし、とパチュリーはまた自己の裡に入っていった。
しかし、これは一体なんなのだろう――。
アリスと別れ、自室に戻るとすぐ、安楽椅子に背を預けた。小振りに揺られながら、こぁから貰ったものを、もう一度よく眺めてみる。
どこかにヒントがあるはずだ。この謎の形状には、何かしら意味があるはず。その謎を解けば、プレゼントされた理由も見えてこよう。
しかしどれだけ見つめてみても、名前以外、ヒントになりそうなものは見つからなかった。用途も以前不明である。
「どういうことかしら」
肘掛に肘を立て、頬杖をつく。自然と息が漏れ出た。
ミイラ事件が起きてからずっと脳を使ってばかりだ、と思った。だからこんな簡単な謎も解けなくなっているのだと。
パチュリーはプレゼントを手にしたまま瞳を閉じた。
ちょうど眠気がやってきたことだし、このまま寝てしまおう。その方が脳もすっきりするでしょう。
様々な言い訳を思い浮かべながら、睡魔に身を委ねた。
4
「パチュリー様!」という怒鳴り声で目が覚めた。
「こぁ……?」
「こぁ、じゃありませんよ。一体いつまで寝てるんですか」
何をそんなに怒っているのか、咄嗟には理解できなかった。少しばかりうたた寝していただけだと言うのに。
だがそんな考えも、いつの間にかかけられていた毛布と、窓から射し込んで来る日光によって分散した。
驚きで飛び起きた。と、安楽椅子から転げ落ちそうになる。どうやらまだ寝ぼけているらしい。
「だ、大丈夫ですか?」
よろけた身体をこぁが支えてくれる。
「大丈夫。それより、今何時?」
ここからではちょうど壁掛け時計が死角にあるため、時刻を知ることができない。
「朝の七時半です」
躊躇いがちな答え方だった。
「七時半――」
一瞬、頭が真っ白になった。
こぁは七時半と言った。朝の七時半だ。夜の、ではない。つまり十九時半ではないということか。
「嘘でしょ……」
たとえ十九時半であったとしても、一日が終わったに等しい時刻だ。やりたいことは山のようにあったのに。
それなのに、一夜を越えてしまった……?
「嘘じゃありません。何回も起こしたのに、起きなかったのはパチュリー様じゃないですか」
今の発言は、俄かには信じられないものだった。
「本当に?」
「だから嘘なんてつきませんって。ほら、その証拠に」
こぁが目配りで指し示したのは、飛び起きた際に床に落ちた毛布だった。
「起こしても起きなかったので、毛布をかけたんですよ」
「…………」
まったく身に覚えがない。この毛布を、一体いつの間にかけたと?
「まだ信じられないんですか?」
呆れた調子で言ってくるこぁに、パチュリーは素直に侘びた。
「……悪かったわ」
「別にいいですけど。ここ最近の強行が響いているんじゃないですか?」
「かもしれないわね」
かもしれない、ではなく、まさしくその通りなのだろう。こんなにも自堕落な自分が、本調子なわけがない。
「今日くらい、ゆっくりされたらどうです?」
毛布を持ち上げながら、こぁが苦笑する。
「そうしようかしら」
本当ならそんな時間はないのだが、確かに休息も必要なのかもしれない。昨夜のような悲劇を繰り返さぬためにも。
「コーヒー、淹れてありますから」
そう言い残し、こぁは毛布を持って部屋から出て行った。
「さて、と」
のんびりコーヒーでも啜りながら、まったりと過ごそうかしら――そう思い、一歩を踏み出した時だった。
何かを握り締めていることに、ようやく気がついた。右手の中に、硬い感触がある。
何だろうと掌を開いてみると、そこには昨日こぁからプレゼントされた、あのクエスチョンマークがあった。
「……聞きそびれたわね」
そっと机の上に置き、扉を開けてリビングを目指した。
今日も今日とて、事件は何も進展もなく一日が過ぎていくような気がする。
そう予感していたが、見事に外れることとなった。
「で、どうして霊夢がここに?」
こぁが用意した茶菓子をすべて平らげ、飲み物もおかわりを要求してきたずうずうしい巫女は、悪びれた様子も見せないままソファーにもたれかかっている。その態度は、自分がここの主だと言わんばかりだ。
「どうしたもこうしたも、アリスが捕まらないからここに来たのよ」
「アリスが捕まらない?」
昨日別れたあと、どこかへ出かけたのだろうか。特に何も言っていなかったような気がするが。
「そう、行方不明。で、もしかしたらあんたが逃がしたのかと思って来たんだけど」
「ちょっと待ってよ。逃がすって、何で私が?」
心外だ、と顔に出すと、
「だって、ゴーレムだっけ? それが怪しいって言ってたの、あんたでしょ」
「そりゃ、言ったけど」
どうやら情報源は文のようだ。
記者のくせに口が軽すぎる。――いや、記者だからこそ口が軽いのか。
「だから匿ったのかなって。やっぱりアリスが犯人で、それを突き止めたから保護しようと考えたんじゃ?」
言っていることがむちゃくちゃだった。
犯人を匿うはずがない。そんなメリットもこちらにはない。
そう告げると、霊夢は意外なことを言ってきた。
「メリットならあるじゃない」
「は?」
「だからメリットよ。同胞を匿えるっていうメリット」
「それが何でメリットになるのよ。むしろ自分の首を絞めているようなものじゃない」
「わたしはそうは思わないわ。だって今回の事件をネタに、脅迫できるじゃない。ばらされたくなかったら秘術を教えろ、とか」
「――――」
パチュリーは絶句した。
どうしたらそんな発想になるのかと呆れたが、とにかく、こうして霊夢が嫌疑をかけてきていること自体がすでに危うい状況だ。
彼女は向こう見ずなところがある。思い込みが激しい性格をしており、よほどなことがない限り、意思を曲げたりはしない。そんな相手が敵に回るなど、厄介なことこの上ない。
「ま、アリスが犯人だっていう証拠も集まってきてることだし、いつまでも隠し通せるとは思わないことね」
「証拠……?」
もう証拠を掴んだというのか。パチュリーの興味はその一点に注がれた。
「そう、証拠。今は証言だけだけどね。物証が出てくるのも時間の問題じゃない?」
「どんな証言?」
霊夢はその問いには答えず、
「今のうちにアリスを差し出すのなら、罰は軽いもので済ませてあげるわ」と言って立ち上がった。
「ちょっと待ってよ。どうしてそこまで自信たっぷりにアリスが犯人だって言えるわけ? 彼女は当日、ゴーレムの制作で――」
「そんなの」パチュリーの声を遮り、霊夢は口端を歪めた。「本人が言っているだけでしょ?」
まさにその通りであり、パチュリーは押し黙るしかなくなった。
「アリバイ工作としか聞こえないわね。それに、ゴーレムを作った直後に事件が起きるのも不自然極まりないし。――まぁ、今日はこの辺りで失礼するからいいけど。可愛いこぁのためにも、わたしに協力すべきよ」
くつくつと噛み殺した嗤い方をしながら、霊夢は紅蓮の道を引き返していった。
「そんなことが……」
先程まで霊夢が座っていたソファーに、今はこぁがおさまっていた。蝙蝠翼がすべて垂れ下がっている。
「あー、頭痛いわ」
パチュリーはこめかみを指で押し当て、こりこりとした感触を味わいながら言った。
「この忙しいときに、アリスは一体何してるのよ」
「ですね。どこに行かれたんでしょう?」
心当たりはまったくなかった。身を隠匿した理由もわからない。昨日までは積極的に犯人探しをしていたというのに。
「私が寝ている間、何か変わったことはなかった?」
途切れた記憶の中に何かしらヒントがあるかもしれないと思ったのだが、こぁは首を横に振るだけだった。
「そうでしょうね」
ただでさえ事件解決の見通しがつかない状況で、どうしてこんなことが起こるのか。苛々する気持ちを抑え切れなかった。
「出かけてくる」
ここで考え込み煩悶するくらいなら、行動を起こした方が精神的にもよさそうだった。
こぁは何か言いたそうな顔をしていたが、やがて諦めたように翳りのある笑みを浮かべた。
「できればでいいので、早めに帰ってきてくださいね」
「そうしたいところね」
半ば投げやりな返事をして、パチュリーは身支度を開始した。
5
外は、昨日の天気とは打って変わって快晴だった。窓から射してきた日光は爽やかなものだったが、なるほど、と思えるほどに清々しい天気である。
魔力で身体を宙に浮かせ、十メートルほどの高さまで上がると、少し強めの風が吹いてきた。おかげでバランスを崩しかけたが、もう何十年と飛んでいる空だ、墜落することはない。
太陽光を浴びる幻想郷の大地は、平穏そのものに見えた。
この一角に犯人が潜んでいるなど思えないような雰囲気である。しかし、実際に事件は起きているし、犯人もまだつかまっていない。
「さて、と」
ざっと見渡す限り、いつも通りの幻想郷だった。雨が降ったせいなのか、雲が若干少ないような気もするが、確かめる術はない。
眼下の景色を軽く眺めた後、パチュリーはさっそく頭を回転させた。
博麗の巫女である霊夢は、人間ではあるが飛行能力を有している。その霊夢が血眼になって探しても見つからないのだから(九割九分九厘、血眼だ)、こうして上空から眺めているだけでは、アリスの所在はつかめないかもしれない。
だが今のところ、これしか方法が思いつかなかった。歩いて探していたのでは時間がかかりすぎてしまう。
もしかしたら霊夢とかち合ってしまうかもしれないが、それは運命だと思って諦めることにした。
まず向かったのはアリスの家だ。
彼女の家は、魔法の森のほぼ中央辺りにある。木々に囲まれ、まるで隠したがっているようにも見える。
西洋風、という言葉がしっくりくるようなレンガ造りの家には、煙突が一つ付いていた。建物は全体的に白く、煙突部だけが煤で黒ずんでいる。
庭に着地すると、真っ先に目に入ったのが郵便受けだった。真っ赤なポストで、デザインは小柄で可愛い印象を受ける。見た目通り、量としてはあまり入りそうにない。
一瞬、その中身を覗いてしまおうかという衝動に駆られた。誘惑とでも言おうか。中身を確認できれば、何かわかるかもしれない。
が、すぐにその考えは破棄した。個人宛に来ているものを盗み見るなど、人としてサイテイだ。それに事件と関わり合いのあるものが入っていることなど、ありそうにもない。
家の窓という窓は施錠されているようだった。試しに大窓を一つ動かそうとしてみたが、びくともしなかった。
それは玄関も同じで、ノブを回そうとするとすぐに引っかかって回らなくなった。きちんとロックが働いている。
ドアを拳で直に叩いてみても、呼び鈴を鳴らしてみても中からは返事がなかった。霊夢の言う通り、どうやら外出中らしい。もしかしたら寝ていて気がついていないだけなのかもしれないが、こんな真昼から寝ているとも思えなかった。
これ以上ここにいても無駄だだろうと判断して、パチュリーは地面を蹴って空へと飛んだ。
大気の流れに身を任せ、アリスと交わした言葉を一つずつ思い起こしながら行き先を考える。どこかへ行こうと匂わせた台詞はなかっただろうか。
その結果、次は命蓮寺に行こうという結論になった。
彼女の言葉の中に、「ナズーリンに頼もうと思った」というものがあったのを思い出したからだ。
あれは確か、ゴーレム捜索の手立てとして、ナズーリンに頼ろうとしていた、という内容だった。そのために命蓮寺に向かったのだが、ナズーリンは仕事でいない、と。
別れた後、アリスは命蓮寺に向かったのではないだろうか?
あそこにはあまり関わりたくない人がいる。それでも心当たりが他にない以上、行かざるを得ないだろう。
パチュリーは気後れしつつも、命蓮寺を目指した。
「あら、珍しいお客さんね」
到着早々、会いたくないと思っていた人物と出くわしてしまった。
「お久しぶりです」
挨拶をすると、頬が引きつるのを感じた。
相手は命蓮寺の主である聖白蓮その人だ。
ウェーブのかかった長髪は金と紫が混ざったような変わった色をしており、背丈は女性にしては高く見える。おそらく一七〇センチは超えているであろう長身だ。そのせいか、白蓮がより尊大に見えるのだった。
当人は真面目で人当たりのいい、俗に言う「いい人」なのだが、高名な魔法使いということもあって、どうしても苦手意識の方が勝ってしまうパチュリーだった。
「どうしたの? 誰かに会いに来た?」
「えっと、アリスを探しに」
反射的に答えていた。
しまった、と思うのと、白蓮がきょとんとするのは同時だった。通常ならここにアリスが来るわけがないのだから、無難にナズーリンの名を出すべきだったのだ。
だが白蓮は笑顔で、
「アリスさんはここには来ていないわ」と返事を寄越した。
「あ……そう、ですか」
辛うじて言い返すと、何とかナズーリンの所在についての話題に繋げた。
「ナズーリン? ああ、そういえばまだ帰ってきてないわね。ちょっと待ってて」
こちらが首肯する前に、白蓮は塔のある方へと駆けて行ってしまった。
その後ろ姿が完全に見えなくなってから、肩から力を抜き、唾を飲み下した。苦さが口内に広がっていくのがわかる。
いつもは常に冷静沈着を心がけているのだが、相手が白蓮となると、いまだに上手く心を落ち着かせることができなくなる。それは魔法使いとしての畏敬からなのか、人物としての相性が悪いからなのかは判然としないが、とにかく聖白蓮とはとことん馬が合わない。
それから二分としないうちに、白蓮が帰ってきた。隣には寅丸星がいる。
「星に訊いてみたのだけれど、確かに帰ってきていないみたい」
寅丸は一つ頷いてから、白蓮の後を継いだ。
「地霊殿のさとりさんに呼ばれたとかで、出て行ったまま、まだ帰ってきていないんですよ。もう一週間も」
いつもはパチュリー相手に敬語など使わない彼女だが、白蓮の手前ということもあってか、少々かしこまった言い方だった。
「一週間も? ナズーリンは何をしに?」
「ナズーリンと言えばダウジングでしょう」
白蓮が朗らかに笑う。
全くその通りだ、とパチュリーは内心で苦笑した。他にナズーリンが呼ばれる理由が見当たらない。
「しかし、何をダウジングしに?」
「それが」寅丸は眉をハの字にした。「守秘義務だとか言って教えてくれなかったんですよ」
「えっ、そんな縛りが?」
仲間内にすら頑なに秘密を守っているのかと、少々驚いてしまった。が、それについては白蓮が説明を付けてきた。
「人には知られたくないこともたくさんあるでしょう」
達観した考え方だ、と思ったのも束の間だった。
達観していて当たり前なのだ、白蓮の場合。何せ高僧で名を馳せていた人物なのだから。
「でも、一週間かけても見つけられないなんて」
ナズーリンのダウジング能力はかなりの精度だったはずだ。一週間もかかるほど難易度の高い探し物なのだろうか?
疑問は命蓮寺のメンバーも同様らしく、弱った表情を見せた。
「あの地下世界に、それだけのモノがあるのかしら」
「聞いたことはないですね」
もちろん、パチュリーにもない。逆に地霊殿は荒廃しているようなイメージが先行する。頼りなげに細々と揺れ動く灯火、暖かみを微塵も感じさせない尖った岩肌――そんなイメージばかりだ。
「神器でも探しているのかしら」
「まさか」寅丸は失笑した。「あそこには何もありませんよ。動物天国なだけです」
「そうよねぇ。あ、温泉もあったわね」
白蓮の顔がぱっと明るくなった。「ナズーリンを探しに行くついでに、温泉に行きましょう」
名案だと手を叩きながら喜ぶ彼女に、寅丸は宥めるように言った。
「堪えてください。ここ最近、ヒトや妖怪がひっきりなしにやってくるんですから」
「うー……。でも、そうね。まずは衆生の心を宥めることが先決か」
「シュジョウ?」
パチュリーはつい聞き返していた。聞き慣れない言葉だった。
「ああ、貴方には馴染みのない言葉だったか」と寅丸。「衆生というのは、ありとあらゆる生き物のことを指している。つまり、みんなの心を落ち着かせることが先決だ、ってことさ」
「その通り」白蓮は頷いた。
「なるほど。そんなにお忙しいのですか」
「そうね。やっぱりあんな事件があったから、心が揺れているのでしょうね。特にヒトは怖がっているわ。次はうちなんじゃないか、どうしたらいいでしょうか、って相談が相次いでいるの」
今の台詞から、その時のやりとりを想像してみた。
年頃の娘をもった両親が、沈痛さを全面に押し出し、助けてくれと懇願してくる。後生だから娘を助けてやってください、ワシらの命はくれてやってもかまわないですから――。
たちまち嫌な気分になった。よく相談なんか引き受けられるな、と素で感心した。
「そういうわけで、うちらは動けないから。どうしても逢いたいなら、地霊殿に行ってみるといい」
寅丸の台詞を最後に、パチュリーは命蓮寺から離れた。
命蓮寺に行き着くまでは暖かで気持ちの良い日光だったのが、正午をこえるとたまらない暑さとなってきた。
パチュリーは袖をまくり、肩に垂れる長髪を背に流した。こういうとき長髪は困る。動きにくい上に、暑さが倍加しているような気がしてくるからだ。
「さて」
次なる目的地は、寅丸が言っていた通りに地霊殿だ。
命蓮寺に行くまでは、迷いの竹林に赴き、死体が遺棄されていた現場を見て八意永琳のいる「永遠亭」に向かうのもありかと考えていたが、その路線はなしに変更した。先程の会話から、何か不穏な気配を感じ取ったからだった。
具体的に何が不穏なのかは説明できない。直感が働いただけである。アリスに何かあったのではないか、という直感が。
もちろん、その中にナズーリンも含まれている。二人とも、何かしらの事件に巻き込まれてしまったのではないか。
パチュリーは、それ以上考え込まないようにと頭を振った。さっさと行動を起こし、何があったのかはっきりさせる方が、妄想であれこれ案ずるよりよほど精神衛生的にもいい。
身体中に薄っすらと汗をかき始めていた。
命蓮寺から地霊殿へ、空を使って直行している道中、眼下にある人物を認めた。――文だ。
少しばかり強引に急降下し、文の目の前に降り立つと、彼女は目を丸くさせた。
「あやや、これはまた、派手な出現の仕方ですね」
「別に派手に見えるようなことでもないと思うけれど」
「いやぁ、人を驚かせておいてそれは酷くないですか?」
冗談を織り交ぜながら軽く挨拶を済ませると、文から問いかけてきた。
「それで今日はどうされたので?」
「ちょっと訊きたいのだけれど」
昨日の夕刻から現時点までの間に、アリスに逢ったかと投げると、
「残念ですが、私は逢っていませんね」
「そう……」
予想通りの返答ではあったが、やはり落胆は隠せなかった。
するとどういうわけか、文が頬を緩めてにやにやし出した。何かおかしなことを言ったかと首を捻りかけた時、彼女の口から突飛な言葉が出てきた。
「犯人を庇おうと画策でも?」
「は?」
何を言い出すのかと耳を疑ったとき、ある台詞が記憶の壺の底辺から蘇ってきた。
『だから匿ったのかなって。やっぱりアリスが犯人で、それを突き止めたから保護しようと考えたんじゃ?』
霊夢の発言だ。
そう、今の文の言葉は、霊夢のものに酷似している。瞬きの間、混乱して突飛な発言だと思ったが、まったくそんなことはなかった。
「……どうしてそんなことをする必要が?」
慎重に言葉を選んで訊いた。
対する文は、「霊夢さんが自慢げに話してくれたからですよ」と屈託なく答えた。
「霊夢が? 一体どんな内容を?」
「なんでも、重要な証人を得たとかで」
「重要な証人?」
「はあ。私も見たわけじゃないんですけどね。霊夢さんの話によれば、里の人間らしいです。で、その証人が言うには――」
証人は、里に住む八十を過ぎた男性だという。
彼は真夜中の午前零時を回る頃、月明かりを頼りに散歩をするのが日課だった。そんな時間に高齢者がうろつくのはどうかという意見が里内でもあるようだが、彼は月を眺めるのが大好きで、生き甲斐だと豪語もしているようである。妖怪に襲われたことは一度もないらしく、それを誇ってもいるらしい。
そんな彼が言い出したのは、十六日の前後(正確な日付まで覚えていないらしい)、つまり金本理沙と岸崎玲奈が死亡した直近の日に、「何か」が物凄い速度で移動していった、という内容についてだった。
その「何か」はわからないらしいが、金髪ではないかというのが彼の言い分だ。目撃した日は月が煌々と輝いており、その光が「何か」の頭部にも降り注ぎ、金色を浮かせたのだろう、という推測である。
この不思議な体験を、彼は妖怪の仕業だと思った。ついに自分の目の前にも現れたのか、と。金色をした正体不明の「何か」は人間の足とは思えぬ速さで駆けていったらしく、それで妖怪だと断じたようだ。
このことを告白しようと決意したのが、一日ほど前の日らしい。妖怪ならこの人だ、と霊夢のところに行ったのだとか。
ちなみに、この老人がその金色を見かけた場所は、言わずもがな、迷いの竹林の付近だった。
「――というわけですよ」
「なるほどね」
聞き終えたパチュリーは、ふぅーっと太い息を漏らした。
「それが重要な証言だ、と」
「そのようです。短絡的ですよねぇ」
くっくと笑う文は冗談のつもりで言っているのだろうが、パチュリーとしては冗談では済まされないことだった。
疑いの目がこちらにまで及んでいるとあれば、霊夢のことだ、戦闘も辞さないだろう。それは完璧にとばっちりの域だ。
「面白がっていないで、諌めなさいよ」
「そんなことは不可能ですよ。あの霊夢さんですよ? 地獄の裁き人にすら暴言を吐いてみせる」
「それにしたって稚拙すぎるわよ。……私が言うのもなんだけど」
アリスを疑っていた身である。あまり偉そうなことは言えない。
「でもですよ、これまで証拠等が全然出てこなかったんですから、これは一歩前進ってことじゃないでしょうかね」
「そうだと言いのだけれど。金髪っていうだけじゃあねぇ」
犯人は金髪だというなら、紅魔館にも一名、金髪がいる。レミリアの妹であるフランドールだ。
「弱いですよね、やっぱり」
「弱いし、金髪は里にもたくさんいるわ」
「そんなにたくさんはいないかもしれませんが、絞れるわけじゃないですね」
しかも証人は齢八十の高齢者だ。そのまま証言を鵜呑みにするのも危険である。
結局、文からはこれ以上情報を引っ張れないと判断し、場を後にすることにした。
「また情報が入ったら教えて頂戴」
文は肩をすくめてみせた。
「私、調査の禁止令が出ているんですけどね」
そうだったの、と笑って、地面を蹴った。
幽玄なるマリオネット 前編 一覧
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そう言えば……本当に被害者達は『本人』なのかな?
ミイラ化した遺体なら『それらしい誰か』を『本人』と思い込んでいてもおかしくは無い
被害者と思われてた本人達が自らの死を装って実家から逃亡説、ありうるな
こっちも考察面白くなってきました。
しかし小悪魔可愛い。可愛い。
このアリスは本当に本物のアリスなのか…そっちを疑ってしまう
顔のない死体は別人、ってのはセオリーではあるが・・・