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幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編   マリオネット前編 第2話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編

公開日:2015年09月02日 / 最終更新日:2015年10月02日

マリオネット前編 第2話
パチュリーの章

          1

 香霖堂といえば、幻想郷では有名な古物商の開く店だと、誰もが知っていることだ。
 そして、たとえその古物商本人が「中古品なんて取り扱っていない」と豪語したところで、誰も信じてはいない。なぜなら、香霖堂に並べられている商品のほとんどが(この際、全てと言い切ってしまっても不都合はない)、拾い物だからである。
 香霖堂の主人は森近霖之助。人間と妖怪のハーフという珍しい身体を持った男性である。
 長身で中肉、四角いレンズの眼鏡をかけており、愛想はよくない。黙っていればそれなりに見える容姿ではあるが、ひとたび口を開けば毒ばかりが吐き出されるため、幻想郷の住人はあまり好んでここに来ようとしない。おかげで、彼の商売はいつも閑古鳥が鳴いているような状況だった。
 だがこんな店でも――こんな店主でも――道具を必要だとする者は、少なからずいる。
 パチュリー・ノーレッジもその中の一人だった。
 が――
「新しいモノ、入ったりした?」
 客が来店したというのに、いらっしゃいませの一言もない。表の看板は確かに「営業中」になっていたのにも関わらず、だ。どうせ隣の部屋でしこしこ道具いじりをしているのだろうと踏んで大声を上げたのだが、まさしくその通りの運びになるとは。
 霖之助はカウンターの奥から現われた。手には短剣が握られている。
「物騒な物を持っているわね」
「ちょうど今、研いでいる最中だったんだよ」
 ぶっきらぼうにそう言い放つと、霖之助は身近にあった丸椅子を引き寄せ、どすんと音を立てて座った。不機嫌そうな顔、不機嫌そうな態度に見えるが、これが「普通」なのだ、彼の場合。深い付き合いというわけではないが、それくらいはパチュリーも承知している。
 霖之助は空いている方の人差し指で眼鏡を押し上げると、「それで?」と顔を上げた。
「それでと言われてもね。何か新商品は無いのかと訊ねたのは私の方なのだけれど」
「ああ、そうだったのか。それはすまなかった。呼ばれたかと思って出てきただけだったからな」
 口元を歪め、持っていた短剣をカウンターの上に置くと、彼は肩をすくめた。
「ちょっと前に、世にも珍しいモノを渡したばかりじゃないか」
「あれはアリスに渡したわ」
「アリスに?」
 興味をそそられたのか、身体が少々前屈みになった。
「どうしてまた。魔導書の蒐集は君の生き甲斐じゃないか」
「生き甲斐ってほどでもないけれどね。というか、あれは魔導書といえば魔導書だったけれど、人形に関する内容だったのよ」
「ほう。人形のね」
 アリスは人形遣いであるのと同時に魔法使いでもあるのだが、彼女に対して魔法使いと呼称する人はほとんどいない。人形遣いというイメージが強すぎるせいだろうが、こうして「人形」と口にすればアリスのことだと認識してもらえるのは、説明が省けてパチュリーとしても楽だった。
「別にあげてもよかったわよね」
「もう売ったものだ。その道具をどうしようと、買い手の自由だよ」
「話が早くて助かるわ」
「しかし、まだ渡してから二ヶ月くらいしか経っていなかったと思うんだが。よく中身がわかったね」
「まぁ、冒頭部をかじれば大体はわかるわよ。内容の詳細な解読は、今この瞬間にも、アリスが必死にやっているんじゃないかしら」
「だろうね」霖之助は再び眼鏡を押し上げた。「僕には、彼女がどうしてあそこまでのめりこめるのか、甚だ疑問だ。君に対してもだが、魔法使いっていう人種は心底理解できない」
「夢がないからでしょ」
 嫌味を込めてパチュリーは言い返した。
 対する霖之助は、吐息をつくと、意地悪そうな笑みを作って応じてきた。
「魔法使いの見る夢なんて、一般人には理解できないさ。だってそうだろう? 魔法使いたちが語る夢は、常人たちが時間とともに捨てて行ったものばかりなんだから」
「――――」
「もっとわかりやすく言えば、つまりこういうことだ。実現不可能と判断して、その都度諦めてきた物事そのものが、君たちの見る夢なのさ」
 そんなもの、と吐き捨てるように、
「誰が持ち続けようと思う? 苦しいし、邪魔なだけさ、叶わないだけの夢なんて」
 彼は言い切ると、短剣の柄を握った。刃が、くすぶった銀色をしている。もっと研げば、もしかしたら顔が反射するくらいの輝きを持つのかもしれないが、今のところは鈍らのようだった。
 その短剣の先が、こちらを向く。ちょうど目の高さあたりの中空で、ぴたりと止められる。
「何?」
「君たち魔法使いにとって、短剣というのは馴染みの深い道具じゃないか?」
 意図が掴めないまま、パチュリーは返事を返した。「ただの短剣に馴染みはないけれど、儀式用なら確かに馴染みがあるわ」
 それがどうしたのかと訊くよりも先に、霖之助が喋り出した。
「この短剣、君の目にも鈍らに見えるだろ? でもそうじゃない。この短剣は血を吸い続けてきた短剣だ。嘘だと思うかい」
「わからない。武器防具に詳しいわけではないし、剣の達人というわけでもないから」
「そうか。目利きくらいならできると思ったんだが」
 残念がる店主に、パチュリーは怪訝な眼差しを向けるのを我慢出来なくなった。彼は何を言わんとしているのか。こういった時、こぁがいれば心強いのだが、と、つい隣に目を配ってしまった。誰もいない、隣の空間に。
「そんな怖い顔をしないでくれ。ただでさえ君は怖い顔をしているんだ。こっちの寿命が縮んでしまう」
「私は――自分で言うのもなんだけれど、標準よりもそこそこ可愛い顔をしているはずなのだけれど。それに寿命を縮めてるのは貴方よ。時間がもったいないから、もう戻るわ」
 くるりと背を向け、店から出て行こうとすると、霖之助が待ったをかけてきた。
「ちょっと待ってくれ!」
「何よ。寿命が縮むのは嫌でしょ?」
「そ、それはそうなんだが。気にならないのか? この短剣が何なのか」
「全然」と言って、一歩を踏み出す。
「あーわかったわかった、わかったからそんな拗ねないでくれ!」
「別に拗ねてなんていないのだけれど」
 平静を装いながら、パチュリーはカウンターの方に身体を翻した。心の中では「ちょろいわね」とほくそ笑んだが、顔や態度にはおくびにも出さない。
「しょうがないから話くらいは訊いてあげるわ」
「……なんでそんなに上から目線なのかはわからないが」
 短剣をカウンターの上に置き、彼は咳払いをした。
「ともかく。この短剣は、とある目的のために存在していたんだ」
「もったいぶるわね。帰ってもいいかしら」
「恐ろしく気が短くなったのは、何かしら理由があるとみていいのか?」
「ご自由に。で? 結局それ、何なの」
「聞いて驚いてくれ。――実はこの短剣、拷問用なんだ」
「…………へぇ」
「驚かないのか……」
「というより」困惑気味にパチュリーは答えた。「想像すらできない、と言った方が正しいわね。短剣にまつわる拷問なんて、聞いたことがなかったから」
 言っていることがおかしかったのか、霖之助が絶句していた。どうしたのかと訊ねるのも変かと思い、沈黙を貫いていると、しばらくして彼の喉から掠れた声が出てきた。
「なるほど……そう言う捉え方もできるか……」
「え?」
「あ、いや」霖之助は手をばたつかせるように振った。「独り言だ、気にしないでくれ」
「そう? ならいいけど」
「――話を戻そう。短剣だが、これは拷問するために使われていたのではなく、拷問をする際に使われたものなんだ」
 彼は片手の掌を天井側に反した。もう片手で短剣を握り、その刃先を掌の方に向ける。どう見ても、短剣で掌を突き刺そうとしている構図だ。
「わかったかな? そう、これは拷問をかける際、その相手の身動きを封じるために使われたものなんだ。杭とでもいうのかな。こいつで手に風穴を開けられた挙句、突き刺されたまま拷問開始。で、ちょっとでも動けば激痛が走るって寸法さ」
 楽しそうに語る霖之助に、パチュリーは蔑みの視線を投げた。ちっとも面白くない上に、想像するだけでも気持ちが悪い。よく平気で笑っていられるものだと、違う意味で感心した。
 だが彼は視線にさえ気付いていないようだった。
「そういうわけで、ずっと人の脂を吸い続けていたこいつは、こんな鈍色になってしまった、というわけだ」
「……そう。それで研いで売ろうって魂胆なのね」
「その通り。こいつも立派な商品だからな。どうだい、この曰くつきの品。買っていったりしない?」
 商売人の貌になった霖之助と、これ以上お喋りしていても何の得にもならない。欲しいのは魔法や魔術に関する道具であり、怨念のこもっていそうな、拷問用の短剣ではないのだから。
「要らないわ」とパチュリーは再度、彼に背を見せた。
「もっと私に使えそうなモノが入ったら教えて頂戴」
 そのまま出入り口に向かっていく。
「あ、ちょっと――」
 後ろから慌てた声が飛んできたが、足を止めることなく店を出た。同情は禁物である。特に商売人相手には。

          2

「それは災難でしたね」
 陶器製のティーカップをテーブルに並べているこぁが、作業はそのままに答えた。
「と言うより、悲惨でしたね」
「そこは災難で正解よ」
 こぁを相手に話す時、パチュリーはどうしても呆れ口調になってしまう。間の抜けたことばかり言うものだから、いつしかこのやりとりが標準となってしまったのだった。
「そんな怖いもの売ろうとしている辺り、あのお店にはまともなものが置いてなかったりして」
 背から生える蝙蝠翼を一度小さくはためかせ、こぁはティーポッドを持ち上げた。並べたカップに、順繰り薄い褐色をした紅茶を注いでいく。
「そんなこともないだろうけれど」
 悪魔という種族の端くれであるこぁには、背に大きな蝙蝠翼が一対、それに頭部にも小さい蝙蝠翼が一対生えている。
 ただし、身体的特徴が悪魔のものであったとしても、彼女は完全なる悪魔ではない。悪魔よりも未熟な段階で生きていることから、周りは「小悪魔」と呼んでおり、そこからパチュリーが「こぁ」と名付けた。
 未熟と言うよりは、もはや別物と捉えてもいいくらいの乖離ぶりである。
 温和で争いごとを好まず、魔力も大したことはない。人を堕落の道に誘うこともなければ、悪魔族としての誇りも皆無だ。今から磨き上げたところで、彼女が真の悪魔となる日は訪れないだろう。
「そういえば、あの水晶も香霖堂で買ったんでしたよね」
 鮮やかな朱色をした天井に目をやりながら、こぁは懐かしむように言った。
「……その話は、金輪際しないという約束だったはずよ」
「あ、すみません。つい」
 こぁが口を滑らせた、香霖堂で買った水晶というのは、パチュリーの人生の中でワーストワンを争いかねないほどの事件を引き起こした元凶となったものだった。断片であったとしても、思い出すだけで憂鬱な気持ちになってくる。
「まったく」
 溜め息をつきながら、パチュリーはティーカップを引き寄せ、口元へと運んだ。レモン独特の甘酸っぱい香りが鼻腔を刺激してくる。紅茶は紅茶でも、レモンティーだった。
「ああ、落ち着く」
 レモンティーを飲み下すと、心がほぐれた。そのまま椅子の背もたれにもたれかかり、瞳を閉じてみる。
 なんて穏やかな時間だろう、とあまりの平穏さにうっとりしかけたが、無遠慮なこぁのおかげで台無しになった。
「この紅茶、庭園で摘んだものなのですが、味はいかがでしたか?」
 こぁはパチュリーの従者である。従者は常に自分のことよりも主人のことを考えて動くべきだろう。それが従者というものであり、仕えるということなのだ――少なくとも、パチュリーはそういう考え方だ。
 ところが、こぁにはこの理論は当てはまりそうにもなかった。
 話し方は敬語だし、立ち振る舞いはメイドそのものだが、もっと根本的な部分――精神的な部分――が、いわゆる友達感覚なのである。それを性格のせいだと言ってしまえばそれまでなのだが、気になるものは気になる。
 ただ、更生はとうの昔に諦めていた。
 こぁを教育するのは、馬に念仏を教えるのと同じくらい大変なことだ。時間の無駄、と切って捨ててしまうのが、一番効率的かつ平和的な解決策なのである。
 だから小言は最小限に。心にゆとりのあるときは笑顔で黙認し、話を合わせる。
「美味しかったわ。レモンはどこで調達したの」
「あ、レモンは美鈴さんにお裾分けしてもらいました」
「美鈴に?」
「はい。なんでも美鈴さん、レモンを長期保存する方法を知っているとかで」
「……ちょっと待って。その方法とやらを聞いた?」
「いいえ。ただ二つほどわけてもらっただけですが」
小首を傾げるこぁ。彼女の長い赤髪が、動きにつられてさらりと揺れた。どうやら質問の意味がわからなかったらしい。
こぁの良いところは、物事を深く考えすぎないところなのだが、それが時として欠点となって表れてくる。それも結構な頻度で。
「まぁ……」
 パチュリーはこめかみの辺りを掻いた。
「あえて突っ込まないでおきましょう」
 それから一時間ほどは、のんびりとした時間を過ごした。こぁも相対する席に腰を下ろし、レモンティーを楽しんでいた。会話もそれなりに盛り上がり、そろそろ自室に戻ろうとした時である。
「あら。戻られていたのですか」
 大広間でお茶をしていたからか、通りかかった咲夜に声をかけられた。
 自室で飲んでいれば、まず咲夜には出逢わない。彼女は手に、中身の入った洗濯かごをぶら下げていた。
 パチュリーたちが住むこの館は「紅魔館」と言い、西洋の趣が前面に出た、いかにも貴族の屋敷といった雰囲気の建物だった。もちろん館内は絢爛な造りで、天井同様、床という床には紅蓮の絨毯が敷き詰められている。
 咲夜は十六夜咲夜というフルネームで、ここの主であるレミリア・スカーレットの従者だ。併せて館の維持も一手に引き受けている。
 職業としてはこぁも同種だが、そのレベルは比較するまでもない。圧倒的に咲夜の方が優秀だ。こなす仕事量は断然多いのに、ミスはほとんどしない。仕事量が少ないのにミスばかりを繰り返す誰かさんとは大違いである。
「ええ。おかげで酷い目にあってね」
 パチュリーは今までの経緯を、できるだけかいつまんで説明した。途中、洗濯かごを床に下ろすという動作が入ったが、それを除けば、咲夜は背筋をまっすぐにさせたまま話を聞いていた。メイド服が恐ろしく似合っている上に、姿勢や仕草まで洗練されていることから、彼女はよく「瀟洒」だと評されている。切れ長な目と銀髪のせいで余計にそう見えるのかもしれない。
 話し終えると、咲夜はくすりと笑った。
「森近さんも相変わらずみたいですね」
「よくわからない男よ」
 幻想郷でも変人扱いを受けるほどなのだから、外の世界では差別でもされそうだ。
「ハーフっていうのがいけないのかしらね」
「それはあまり関係ないような」
 と、こぁが苦笑した。
「一体どんな幼少期を過ごせば、あんなひねくれた性格になるのかしら」
「確か森近さんは、魔理沙の実家で修行されていたとか言っていましたね。厳しく躾られた反動なのでは?」
 面白がって咲夜が推察を述べたので、パチュリーもそれに乗っかかった。
「それであの娘も出来上がった、と」
 魔理沙は霧雨魔理沙と言って、実家が店を開いている。
 霧雨店と言うのだが、人間の里では大手の道具屋である。霖之助はそこで修行を積んだ後、独立して香霖堂を開いた。
 そして魔理沙は、理由は定かではないものの、両親と絶縁して家を飛び出したらしい。今は魔法の森で一人暮らしをしていて、まがりなりにも魔法使いである。
「というか」
 こぁは笑顔のまま、
「魔法使いって、変わった人ばかりですよね」
 と主人を気遣うどころか、けなすようなことを言った。
「…………」
 ちらり、と咲夜が見遣ってくる。彼女に無言で苦笑し返すと、こぁに気づかれないよう、パチュリーは静かに溜め息をついた。

          3

「咲夜さんの銀髪って、光が当たると綺麗ですよね」
 咲夜の後ろ姿を見つめながら、こぁがうっとりした表情で言った。
「羨ましいです」
「何を言ってるんだか。貴方のその長髪の方が、羨ましがられるわよ」
「んー、確かに長いですけど」
 こぁは自分の長髪に触れると、握ったり離したりと忙しなく手を動かした。その度に髪がくしゃくしゃと音を立てるものだから、パチュリーはなんとなく、弄っている髪が傷んでいっているのではないかと思った。
「別に綺麗ってわけじゃないんですよね」
「十分綺麗だと思うけれどね。枝毛もなさそうだし」
「それを言ったらパチュリー様もじゃないですか」
 言われて、パチュリーは自分の髪を見下ろした。左右の肩から降りてきている、ぼってりとした房が視界に入った。
 房が作れるのだから、その髪の量は半端ではない。そして髪は滅多に切らない。だから髪の房はどんどん太く、そして大きくなっていき、今では地面に届きそうなほどだ。
「ま、そうね」
 パチュリーはわざとらしく肩をすくめてみせた。
「だけど、毛並が綺麗なのとはまた別よ。こぁは毛並も綺麗じゃない」
「パチュリー様だって」
 言うが早いか、こぁの手が伸びてくる。自分が従者だということも忘れているのか、無遠慮に髪を弄ってきた。
「こんなに細いし。ふわふわしてるし」
「艶のあるこぁには負けるわ」
 負けじとこぁの髪に指を通す。
 と、たちまち細い指たちに赤髪が絡みついてくる。自分で言っておきながらではあるが、なんとさわり心地の良い髪質だ、とパチュリーは感じ入った。
 ――しかしこの現状、傍目から見たら、とても怪しく映るに違いない。
「――――――」
 意識しなければどうということはないことなのだが、一度気にしてしまうと、なかなか頭から離れなくなってしまう。全身のありとあらゆる部分が熱を帯びてきた。耳など、もう真っ赤になっていることだろう。
 ただ救いだったのは、そういう状況に陥っているのが自分だけではなかったということだ。
 目の前で身じろぎもせず、じっとしているこぁがいる。「ほんのり」では済まないくらい、頬が朱に染まっている。
 見つめ合ったまま動けなくなっているのはお互い様で、だから相手の気持ちはよくわかる。
 早く何とか言ってくれ、だ。
 パチュリーはこぁの瞳を見つめたまま言った。
「なんか百合みたいね」
 こぁもパチュリーの瞳を見つめたまま答えた。
「みたいというか、危ないですよね」
 合図もなしに、揃って身を引いた。

          4

 女同士でも心臓が高鳴ることはあるのだと、パチュリーは百年の歳月を生きてきて、今日初めて知った。驚きで鼓動が脈打つことはあっても、触れ合うだけで――見つめ合うだけでなったことはない。
 これは一体どういうことなのだろう、と考え続けているうちに、あっと言う間に時間が過ぎていた。
 ベッドの上で何をするわけでもなく、物思いに耽っていただけで一日の大半が終わってしまった。壁掛け時計は、七時を指している。もちろん今は夜だ。
 窓際に移動し、カーテンを開くと、思った通り外は真っ暗だった。
「何をしているのかしらね」
 窓ガラスに映る自分の姿をぼんやりと眺め、呟く。その光景に、パチュリーは思わず冷笑してしまった。
 そもそも、とまたも内省する。
 やはり事の発端はこぁなのだ。咲夜の銀髪が綺麗だとか、本来ならどうでも良いことで、けれどそのどうでも良いことに、ついつい付き合ってしまう自分がいる。
 放っておけばいいのに、相手にしてしまう。言い返さなければいいのに、相手にしてしまう。
 だから時間を浪費してしまうのだし、神経もすり減ってしまうのだ。
 ――私を乱しているのはこぁだ。
「そう、こぁが悪い。私は何も悪くない」
 独り言を口にすると、呪文のような感じがした。ただの言い訳にすぎないはずだが、幾分心が軽くなったような気がする。
 はて、と疑問を浮かべると、ガラスに映る自分の眉が眉間に寄った。
 はて、この原理は何なのだろう――?
 しかし解答に至るよりも早く、それも唐突に、矢のような鋭い声が飛んできて思考を貫いた。
「パチュリー様!」
 怒鳴りというよりは叫びだが、元の声音に甘ったるさがあるせいか、鋭さはあっても緊迫感が伝わってこない。こぁの特徴の一つだった。
 パチュリーはゆっくりと部屋の扉の方を振り向いた。果たしてそこには、肩で息をするこぁが立っている。
「何をそんなに慌てているのよ」
 だいぶ興奮している様子だったので、優しく語りかけることに努めた。それが功を奏したのか、こぁは自分の胸に手を置き、一度大きな深呼吸をした。心を落ち着かせようとしているのだろう。
「事件があったんです」
 上擦った声だ。
「事件?」
 そんなもの、この幻想郷の中では日常茶飯事じゃない――そう言いかけたパチュリーだったが、
「ただ事じゃなくて!」
 こぁの剣幕に圧され、口をつぐんだ。
 一拍の静寂の後、こぁの声帯が震え、口腔から言葉が発せられた。
「ミイラです」
「――みいら?」
 聞き慣れない単語だ。
「そうです、ミイラが出たんです!」
 と、こぁは背の蝙蝠翼をこれ以上にないほど伸ばしきり、両手も拳に変えて吼えた。
 どうしてこんなにも高ぶっているのかはわからないが、とにかくこぁに冷静になってもらわなければ。事情の聴取さえろくに出来ない。
 それには待つしか手はなさそうだった。

          5

 記憶の引き出しから『ミイラ』という項目を引き出せたのは、実際に自分の目で確認したときだった。
「これは……」
 指で摘まんだ写真には、枯れ木にも見間違えそうになるほどしわがれた死体が一体、写りこんでいる。
 全身から水分が抜き取られたような外観をしており、そのせいか至る部位で細さが目立ち、肌はこの土地の者とは思えぬほど浅黒くなっていた。
 本来なら目があるはずの位置には、瞼もなければ眼球もなかった。完全に陥没してしまっているようで、そこの部分にまるで穴が開いているかのように、黒い点となって写っているだけだ。口は閉じることが叶わなかったのか、ぽっかりと開いている。
「被害者は二十二歳の女性らしいです。見て頂ければわかると思うのですが、完全に干からびています」
 説明役を買って出たのは咲夜だった。
 つい数時間前までお茶を楽しんでいた大広間の、そのテーブルを囲んでの緊急会合には、自分を含め、咲夜とこぁ、それにレミリアと美鈴が参加している。
 レミリア――レミリア・スカーレットはこの館の主であり、齢五百歳の吸血鬼だ。
 少女のような見た目をしてはいるが、正当な吸血種である。紅の瞳と薄紫のセミロングの髪をもち、傲岸な気質を表しているかのように、脚を組んでソファーにもたれかかっている。
 美鈴は、苗字を紅と書き、紅魔館の門番を務めている。
 中華服を身にまとい、橙色の長髪は脚にまで真っ直ぐに流れている。見た目は、人間でいうところの二十代くらいの女性であるが、中身はまっとうな妖怪だ。
 紅魔館にはあと、フランドールというレミリアの妹が住んでいるのだが、もうすぐ午前零時をまわろうとしている現在、彼女はもう夢の中だった。
 つまり紅魔館の住人のほとんどが、今こうして顔を合わせているのである。食事の時ですらあまり一同が揃うことがないだけに、今の状況は珍しい状態だと言えた。
「そうね」
 パチュリーは咲夜の意見に対し、何度も頷いた。
「確かにミイラだわ」
「いかにもといった感じだしねぇ」
 レミリアも賛同する。こぁと美鈴も頷いた。
 パチュリーは周りの反応を見て、少しばかり肩身が狭くなったように感じた。
 こぁも美鈴も咲夜もレミリアも、ミイラと聞いただけで想像を膨らませていたようだが、自分だけは写真を目にするまで、ミイラなるものがどんなものであったのか、これっぽっちも思い出せずにいたからだ。日々読書で知識を研鑽していただけに、ショックも大きかった。
 だが肩を落としたところで咲夜の説明が再開され、やむなく頭を切り替えた。ここで置いていけぼりにされる方が、よほど後に堪える。
「女性には両親がいて、三人で一緒の家に暮らしていたそうですが、実はこの日、彼女は恋人の家に宿泊する予定だったそうなのです」
「恋人さんですか」
 嬉しそうなこぁの声が、場の雰囲気を和ませたようだった。美鈴の頬も緩んでいるように見える。
「相手の方は、もちろん人間の男性ですね。同い年で幼馴染みだったそうですよ。その殿方との外泊だったようです」
「へぇ~。でも外泊ですか」
「問題はそこですね。この証言は男性から得たもので、両親は一切その情報を知らなかったそうです。ましてや娘に恋人がいたことも知らなかったとか。だから発見も早かったのだと、文が言っていました」
 文という名前を聞き、パチュリーはさすが記者だ、と思った。ネタになりそうなことなら、厄介事にでも喜んで突っ込んでいく。
「でもなんで、知らないと発見が早くなるんでしょうかね」
 こぁの疑問には、美鈴が答えた。
「そりゃあそうでしょう。可愛い一人娘が夜になっても帰ってこないんじゃあ、親としては何かあったんじゃないかと、気が気でなくなるのは必至ですよ」
「ああ、なるほど」
「この館は、そういう世事には疎いからねぇ」
 にやにやしながら笑うレミリアだが、もちろん彼女にも恋人の気配はない。
「で、発見したときにはもう、こんな風になっていた、と」
 パチュリーはようやく写真を指から離した。
 無意識の内だったが、どうやらミイラを見たせいで変なところに力が入ってしまったらしい。不気味と言っては失礼かもしれないが、尋常ならざるモノを見てしまったのだから不可抗力だ。
「そうです。発見したのは父親だったらしいですが……」
 歯切れの悪い言い方をする咲夜に、レミリアは続きを促した。主人の命に従う、という大義名分を得たからか、咲夜の口調がはっきりとしたものになる。
「発見した場所が、どうにも人間の里の近くではなかったらしくて」
「へぇ。で、どこだったんだい?」
「迷いの竹林です」
「竹林、か……」
 パチュリーは唸った。
 迷いの竹林といえば、ここからでは結構距離のある場所だ。人間の里からもそこそこ離れている。徒歩で四、五十分といったところか。
 とはいえ、若い男女が密会に選ぶ場所としては最適な気もした。
 迷いの竹林は、その名の通り竹林内に入り込むと、迷って出られなくなることから名付けられた場所だ。
 鬱蒼と生い茂る竹は林の如く在り、太陽さえ――月さえ隠さんばかりの高さをほこっている。妖怪も出現することから、人間はあまり近寄ろうとしない。
 しかし入口付近であれば、そう迷うこともない。雰囲気がよくないために敬遠されがちだが、密会するにはうってつけなのだ。
 そう考えると、恋仲同士の二人が落ち合おうと決めたのだと解釈できるが、謎も残る。
 確かに迷いの竹林は密会には適しているが、夜中、人目を忍ぶという理由で利用するにはあまりにも危険だ。昼間ならわからないでもないが、狼藉者や妖怪の活動が活発化する時間帯に、非力な人間が二人で待ち合わせるなど正気の沙汰ではない。女性であれば尚更である。
 それに、だ。
 娘が先に竹林で待っていて、男が遅れてやってくると考えた場合、被害に遭った娘と最初に会うのは親ではなく恋仲の男なのではないか。多少遅れたとしても、探し回る両親より早く会えていたはずだ。
 逆だったとしても、娘が襲われるところを目撃するはずであり、里が騒然となっている中、男が平然としていられるとは思えない。
 更に突っ込んで考えるのなら、この女性はどういう理由を付けて外泊をしようとしていたのか。
 咲夜の説明では、両親は娘の外泊予定を知らなかったと言っている。友人の家に泊まるにせよ、何か一言残してから出て行くだろう。
 これらの推察をまとめて述懐すると、咲夜が手元の手帳に目を落としながら答えた。
「まず発見時の状況ですが、男性は家でのんびりと本を読んでいたらしいです。この方は無類の本好きで、幼い頃に慧音さんの影響を受けて――ああ、影響を受けてというより、慧音さんが面倒をみられていたみたいですね。両親は彼が幼い頃に流行り病で他界されています。で、長いこと慧音さんと触れ合っていて、自然と本や歴史に興味を持ったみたいです。事件の日は、いつものように恋人が来るまで家でじっと本を読んでいたらしく、彼女が死んだと聞かされたのは朝方のことだったとか。夜中の二時過ぎまで頑張って起きていたみたいですが、あまりにも娘が来るのが遅かったので寝てしまったと。つまり落ち合った場所は男性の家ということになりますね。ちなみにこの男性、孤児院のようなところにいたのは十八の頃までで、それ以降は樵で生計を立てながら一人で暮らしているそうです」
「なんだか可哀想な人ですね」と呟くこぁの、蝙蝠翼が垂れた。
「事件に巻き込まれたのだから、仕方ないわ」
 咲夜は一度咳払いをして、話を続けた。
「で、これも男性の証言なのですが。娘はいつも外泊の言い訳として、友人の家に泊まると両親に言っていたらしいです。だから男性は、当日もそういう嘘をついて来るものだと思っていたようですわ」
「けれど両親は知らず、娘を探し出した、と」
「ですね。男性も竹林で待ち合わせたことは一度もないと言っています」
「パチェの推論もはずれか」
 レミリアが不敵に笑う。いかにも失点を見つけたと言わんばかりだ。こちらは可能性を虱潰しにしているだけなのに、どうしてこうも好戦的な態度なのだろう?
「あっと」
 美鈴が声を出した。
「てことはですよ? 何かしら事件が起きて、娘は竹林に連れて行かれたってことですかね」
「その可能性が一番大きいわね」
 咲夜は溜め息混じりに言った。
「その日の昼から夕方にかけて、娘は誰とも会っていないみたいだし。むしろ両親からしてみれば、いつの間に家から出たんだ、という感じだったらしいわ」
「そうなると、家に居ながら事件に巻き込まれたってこと?」
「意見を統合すると、そうなるわね」
「ふーん……」
 パチュリーは、今までの意見を時系列に並べてみようと思った。
 まず、男が娘に宿泊の誘いをする。娘は了解し、陽が落ちるのを楽しみにしながら、自宅で待機していた。男も自宅で本を読んで時間を潰した。
 けれど男が待っても待っても娘がやってこない。変だと思いながらも、両親にバレてしまったのではないかと心配の虫が騒ぎ出し、それでもとにかく待つしかないと、ひたすら本を読んでいた。もしかしたら両親が怒鳴り込んでくるかもしれないと、あれこれ想像しながら。
 しかし結局、深夜まで待ってみても来なかったので、その日は眠りについた、と。
 その裏では、娘は自宅にいながら誰かに襲われ、死体を竹林に打ち捨てられた――。
「筋は通っていそうね」
 一人ごちると、こぁが不思議そうな顔を向けてきた。が、パチュリーは見えなかったふりをして、咲夜に訊いた。
「犯人は捕まったの?」
「それはまだです。今日の昼あたりからその手の関係者が動き始めるだろうと言っていましたが、情報収集で一日が終わることでしょう。ただ――」
「ただ?」
「ただですね、非常に言いにくいことなのですけれど。実は有力な候補として、すでに何人かの名前が挙がっているそうなのです。まぁ、こちらは文の情報ではなく、里での噂話ですが」
「へぇ」
 パチュリーだけでなく、こぁも美鈴も目を丸くした。
 レミリアだけが欠伸をし、
「誰なんだい?」
 と興味なさげに訊いた。
「それが……」
 しかめ面になった咲夜だったが、睫毛を伏せ、頭を垂れると、一息の間に言葉をはしらせた。
「ご主人様です」
「――――は?」
 咲夜以外の全員が、驚きのあまり呆気にとられた。

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この小説へのコメント

  1. 一瞬輝夜に見えたのはボクだけじゃ無いはず………だよね?
    アリスとどう繋がるのか………次回も待っています!
    イラスト大変そうですが…EOさん頑張って下さい!

  2. 序盤の『しこしこ道具いじり』ってのが変な意味にしかとれない僕はどうかしてる。
    それにしてもパチェとこぁの百合演出いいですねぇ・・・。
    これからどう転んでいくのか・・・、楽しみにしています!!

  3. 一晩でミイラか…

    どういう展開になるのか
    次回も楽しみですね(^^)

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