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幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編   マリオネット前編 第6話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  前編

公開日:2015年09月30日 / 最終更新日:2015年10月07日

アリスの章

          1

 西洋風の造りをした自宅には、二つの大きな置時計がある。
 一つはリビングに。もう一つは寝室に。どちらもアリスの背ほどの高さを誇り、両方に黄金色の振り子がついている。
 そしてこれらの時計は木製であるためか、幾分古めかしく映るのだった。おかげでかなりの古時計だと説明しても、一度として違和感を持たれたことはない。それほど古いものではないのだが。
 その置時計が啼いた。
 午前零時を知らせる鐘が打たれ、ぼーん、ぼーんと十二回、奥まった響きが部屋中に木霊する。十二時にのみ鳴る仕様だ。
「十二時か……」
 組んでいた手を解き、アリスは椅子の背もたれに体重を移した。眠ろうと思ってから実に四時間以上が経過しているが、一向に眠気がやってこない。
 原因は後頭部の疼きにある。
 ゴーレムに殴られたであろう後頭部。だが、あの時、見間違いようもなくゴーレムは目の前にいた。後ろへと回り込まれたわけでもない。やはり、面と向き合っていてもこちらの後頭部を攻撃できる、何かしらのスキルを持っているのではないか。
 しかしいくらゴーレムが泥でできているからといって、腕が伸び縮みするわけではあるまい(そんな動きもなかった)。加えて、素っ裸の状態で飛び道具を隠し持っていたとも考えにくい。
 それに、と机上で足を延ばしてだらしなくしている上海人形を見つめながら、アリスは思った。
 ――ゴーレムが自分そっくりな造形をしていた、というのが問題ね。
 一瞬目が合った程度だったが、ブロンドの髪といい、瞳の色といい、輪郭の形といい、全てが同じだった。もしかしたらどこかに相違があったかもしれないが、瞬き一つの間でもわかるほどの違いはなかったはずだ。
 書には「ゴーレムは人間そっくりの姿形をしている」と記されていたが、まさか寸分違わず己と同じになるだなんて。青天の霹靂とはまさにこのことだ。苛立ちから、つい親指の爪先をかじってしまった。
 あの容姿のまま外へ出たとなると、誰も本物と区別がつかないだろう。しかも彼女は真っ裸……。
 そこから先は、考えたくもなかった。変質者扱いを受けるかもしれないと想像するだけで、げんなりしてくる。
 しかし、こうなってしまった以上、そして本体が見つからない以上は、何事も起きないようにと祈るしかない。人目に付く前に処理できる可能性も、一応まだ残ってはいるのだし。
「災難ね」
 声をかけたが、上海人形は俯いたままだった。

 まともに寝られなかったとはいえ、それでも少しは睡眠がとれたおかげで、身体の調子はまずまずだった。陰鬱とした心も、少しは晴れたような気がする。
 アリスは外に出るなり、久しぶりに爽快な朝陽を拝んだ。といっても薄明で、朝焼けというには程遠いものだったが。
 薄青の明かりが辺りを覆っている中、鳥たちの鳴き声を聞きながら、ポストへ『文々。新聞』を取りに行く。文々。新聞とは、取り始めて何年になるか思い出せないほどに長い付き合いだ。
 蓋を開けると、中から勢いよく紙の束が落ちてきた。
 ポストは横向きの仕様で、しかもあまり大きくはない。ここ二、三日の分を取っていなかったこともあり、中身が溢れてしまったようだ。
 やれやれと肩を下げ、アリスは散らばった新聞たちを拾い上げていった。どうやら新聞以外の物は届いていないらしい。
 それにしても、どうしてこんなにも紙の量が多いのだろうか。一日分の新聞は大抵、三、四枚程度。今日は溜まっているとはいえ、かなりの多さだ。果たしてどれくらいの量をポストに入れれば落ちてくるのかはわからないが、とにかく日頃よりは確実に多い。
 不思議に思い、拾った紙面を見てみると、「号外」の文字が躍り出ていた。
「号外?」
 嫌な予感が胸をよぎり、慌てて記事に食いついた。一字一句見逃すまいと目を凝らす。新聞を持つ手には、自然と力がこもった。
 だが、最後の行を読む頃には、紙面から顔が離れていた。
「まさか……」
 血の気が引いていくのがわかる。頭がふっと軽くなった。「ゴーレムのせい?」
 記事には、幻想郷で起きた事件が綴られていた。
 人間の里に住む、金本理沙という二十代の若い女性が変死体として見つかった、というものだ。
「干からびて死んでいる」という一文に引っかかりを感じたが、ゴーレムが絡んでいないとも言い切れない。主人の前から姿を消した時点で、ゴーレムはまともではない可能性が高い上に、もしかしたらまだ認知していない機能や能力を備えているのかもしれないのだから。
 残りの新聞にも目を通そうと、一枚ずつめくっていく。
 口の中がからからに乾いていたが、飲み物を口に含む時間さえもったいなかった。今は一刻も早く、少しでも多くの情報を咀嚼したい。
 そんな思いで同じような内容物を次々に読み下していったアリスだったが、残りもあと二、三枚に差し掛かったところで、信じられない記事に出くわした。
「――――」
 どっ、と心臓が大きく跳ねた。焦燥感が血流に乗って全身にくまなく行き渡ったせいか、嫌な汗が掌に滲んだ。呼吸も荒くなった。
『怪奇事件、第二の被害者か』という見出しは、今までで一番大きく力強い文体だった。
 事件がかなり注目されているらしいことは号外の数やその内容を見てもわかるが、今目にしている記事は、一件目の事件の続きとも言える、新たな被害者の発生を報じたものだった。
 自分がゴーレムを探し回っている間に、幻想郷がこんなことになっているとは思いもしなかった――アリスは改めて事態の深刻さを悟った。
 もし紛失したゴーレムが殺人犯だったとすると、その責は制作者であるアリスの双肩にかかってくる。身に覚えがないと言ったところで、受け入れられるわけがない。
「――落ち着け、私」
 目を瞑り、呼吸を落ち着かせる。今は冷静に物事を考え、慎重に動くべき時だ。
 鳥のさえずりを契機に、目を開いた。そしてもう一度、記事に目を向けた。

 第二の被害者は、岸崎玲奈と言う名の、これまた若い人間の女性だった。
 年齢は二十五歳で既婚。子供はおらず、義理の母と夫の三人で暮らしていた。
 事件は前日の未明に発生。はっきりと犯行を見た者はいないが、医者である八意永琳が死体を検め、死亡推定時刻を割り出した。
 岸崎玲奈は口のきけない女で、そのためか根の暗い性格をしていたようだ。
 夫とは恋愛結婚ではなく、見合い結婚だったらしい。子はおらず、その理由を義母は「口がきけないばかりでなく、容貌にも魅力がなく、性格も湿っぽいため、夜の営みを息子の方が拒否していた」と語った。
 実はこの二人の結婚は、経済的な理由で行われたものだった。
 玲奈の父親は里の中でもかなり収入の高い部類に位置しており、貧しい暮らしを強いられていた息子に目をつけたこの父親が、金銭取引を持ちかけ半ば強制的に婚姻を結ばせた、という背景がある。
 そのため息子は憎悪や劣等感など、負の感情を押し殺しながら良人を演じており、そのわだかまりが、どうしても妻を愛せなかった要因の一つにもなっていたようだ。
 ちなみに、通常なら金持ちの親が貧困している相手に、可愛い娘を嫁になど出すはずもないが、この父親は人でなしで有名であり、荷物同然の娘を外に放り出せて清々しているともっぱらの噂である。
 しかし、冷え切った関係とはいえ、仮にも夫婦である。
 夫は妻を女として見られなくとも、家族としては大事にしていた。妻も、自分が重荷になっていることを重々承知していたからこそ、炊事洗濯などの家事は献身的にこなしていた。
 だから三人は互いに嫌悪し合うこともなければ、恨み合うこともなかった。逆に支え合って生きてきたくらいだ。周囲の住人の目にもやはりそう映っており、動機の薄さから夫と義母の二人は容疑から外れた。つまり外部犯である可能性が高い。
 となると、気になるのは犯行の手口だが、これは一件目と同様、手がかり一つ掴めていない。
 息子の言い分では、眠りにつくまでは同じ部屋にいたのは間違いないらしいが、彼が次に起きた時、妻の姿は既になかったのだという。妻が臥していた場所は窓際の方であり、失踪した日、その窓が開いていたと供述している。
 手がかりが皆無だと記したが、一つだけあるとすればこの点に限るだろう。――窓が開いていた、ということである。
 家の状況はここまでにして、次に死体となった岸崎玲奈のことを綴る。
 彼女の死体は、やはり迷いの竹林に放置されていた。
 しかも、いくつかの符合が金本理沙の死体と一致している。
 浅黒くなった皮膚や、限りなく水分の失われた四肢。身一つで打ち棄てられていることや、外傷がないこと等々。
 だが一つだけ、金本理沙にはあって岸崎玲奈にはないものがあった。
 頭だ。
 首の半分から上が(つまり喉より上が)、千切られたような跡を残して消えてしまっていたのである。

 記事の最後には、「あまりのおぞましさに、写真を撮ることはできなかった」と書かれている。
 アリスは新聞から目を離し、額に手を当てた。
 一件目はミイラで、二件目はミイラ兼顔なし。奇怪すぎて眩暈がしそうだった。
 とりあえず記事は読み切ったが、この文面だけではゴーレムのせいなのかも判断がつかない。そもそも当人を見つけられていないのだから、判断も何もあったものではなかった。
 それに、たとえゴーレムが犯人でないにしろ、これだけの猟奇事件を放置するのも危険極まりないことだ。
 現在は魔法使いとはいえ、アリスもつい最近までは人間だった身だ、里に情がないわけでもない。心配になってくるのは当然の流れであろう。
 腕を組み、ひとしきり悩んだ後、アリスは「……そうね」と呟いた。
 ゴーレムを探すついでに、事件の調査もやろう。そう決心し、ひとまず家に入ることにした。
 出かける準備と、人形の準備をするために。

          2

 まず情報を精査しようと、アリスは人間の里に足を運んだ。被害者の家族と直接会って話すのが一番だと睨んでのことだった。
 しかしその目論見はあえなく撃沈した。両家ともに、誰もいなかったがために。
「あり得ないわねー……」
 苛立ちを隠しきれないまま、里をうろついた。被害者家族に逢えないとなれば、目下やれることは、里を徘徊しながら情報を集めることくらいだ。
 もしかしたら人ごみの中にゴーレムがいるかもしれない、という淡い期待を抱きつつ、適当に話しかけられそうな人を探し始める。
 人気のなさに気が付いたのは、五分と経たないうちだった。
 里を歩いている人間が極端に少ない。ここに来るまで意識していなかったが、幽霊街さながらの現状に、幾許かの不安が募った。
 そのことを、通りで店を出している陶器売りの主人に吐露すると、豪快な笑い声が返ってきた。
「なんだいアリスちゃん、いつもの頭脳明晰はどこにいっちまったんだ」
 彼は大柄な身体をゆさゆさと揺らし、がははと口を目一杯開いて笑った。周囲にあまり人がいないといえ、恥ずかしさが込み上げてくる。
「いえ、そんな明晰というわけでも」
「謙遜するなぁ。手先だって器用だし、こんなに可愛い顔してるのに。俺がもう十年若ければ、口説き落としたのによ」
「あ、あはは……」
 相手の勢いに呑まれながらも、アリスはなんとか会話を繋いだ。
 こういう手合いには苦手意識があり、軽い世間話だけでもかなりキツく感じる。
「ここいらの住人は、みんな引きこもっちまってるのよ」
 彼はそう言って、売り物の陶器を手に取って眺めた。
「最近事件が立て続けに起きてるだろ? そのせいでふさぎ込んじまってるのさ」
 ほれ、と親指で民家を指す。
「どこも雨戸が閉まってるだろ。窓を開けてちゃ不用心だからだとよ。いつもは鍵すらあんまりかけないっていうのにな」
 笑っちまうだろ、と今度は寂しげな笑みを覗かせた。
 言われるままに民家の列を見渡してみると、確かにどこの家も雨戸が閉まっていた。玄関や窓の施錠も万全なのだろう。意識して周囲を見ると、雨戸の閉まっていない家宅は大丈夫なのかと思えてきてしまうから不思議だ。言われるまで気にも留めていなかったというのに。
「でもさ、俺だってちょっとは怖いし。自己防衛って考えれば、やりすぎってわけでもないんだけどよ」
「死に方が奇怪っていうのが効いているかもしれませんね」
「それもあるだろうけど、やっぱり一番は子供可愛さじゃないか? 狙われてるのは若いやつみたいだし」
「かもしれません」
 アリスは一息をつき、タイミングを見計らって「ところで」と切り出した。
「ん? どうした」
「被害者の家族の方に会いたいんですけど、留守みたいで。知り合いだったりしませんか?」
 主人は瞬きを何度も繰り返した。表情も呆けきっている。何かまずいことでも言ったか、と思っていると、彼の口がゆっくり動いた。
「なんだ、知らないのか」
「何を……ですか?」
「その二家なら」陶器を机の上に置き、彼は溜め息まじりに言った。「博麗神社に行ったよ」
「博麗神社?」
 また、どうしてそんなところに。
「なんでも巫女様が話を聞きたいとかでね。保護も兼ねてだろうが、連れて行ったよ」
「あ、そうなんですか」
 あり得そうな話だった。
 博麗神社はよく妖怪を保護していると噂されているが、それでも人間たちには未だ心強い味方であると広く認識されている。ただ、それも聖白蓮の出現で変わりつつあるが。
「なんなら博麗神社に行ってみたらどうだい。多分まだいるんじゃないか」
「そうですね、ちょっと顔を出しに行ってみます」
 アリスは礼を述べると、往来に戻った。
 社へ伸び行く道は、果てがないように見えた。

          3

 博麗神社に向かおうと、空を見上げた時だった。
「なんだ、今日はアリスか」
 はっとして顔を横に向けると、手に一升瓶をぶら提げた上白沢慧音がいた。
「あ、慧音さん」
「よう。昨日は霊夢に会ったんだが、今日はアリスか。珍しいこともあるものだ」
 微笑する慧音に、アリスは違和感を持った。それが何なのか、判明に数秒を要した。
「そうだ」つい指をさしてしまった。「いつも頭に乗せてるやつ!」
「ん? ああ、帽子なら置いてきたよ。失礼になるからな」
「あれって帽子だったんだ……って、何が失礼?」
「ちょっとね」
 急に慧音の表情に翳りが見え、アリスは押し黙った。人気の少なさも手伝って、どんどん重苦しい雰囲気になっていく。
 それに歯止めをかけたのは慧音の方だった。
「まぁ、隠していても仕方ないか」
 ふっと息を漏らすと、彼女は告白した。
「実は教え子の遺体に会いに行ってきたんだ」
 その一言で、ある程度のことを悟った。先の「失礼」の意味も。
「もうアリスも知っているとは思うが。先日、私の生徒だった女子が命を落とした。実に悲しいことだ」
「それって、あの事件の?」
 わかっていても、聞かずにはいられない。アリスは握っていたじとりとした掌を開き、空気に曝した。
「そう、被害者だ。……今は『第一の』と付け足しておいた方がわかりやすいかもしれないが」
「金本理沙さん、でしたか」
「やはりある程度は掴んでいるようだな。特に『第二の』被害者のご家族は、できれば内密にと仰っていたが」
 それはできないだろうと思う。
 幻想郷は狭く、更に人間の里は狭い。噂などあっという間に広がってしまう。
 それに文のような新聞記者の存在も一因だ。
 記者には記者なりの正義があるのだろうが、情報の拡散と言う観点においては、彼女らほど無遠慮に拡げる者たちもいない。
「それで今日はどうした。買い物にでも出てきたのか?」
「いえ、あの」
 焦った。今の話を聞いて、まさか事件の調査をしに来たのだとは言えないし、ゴーレムを探しに来たとはもっと言えない。こういう場面を想定していなかったから、咄嗟に気の利いた言い訳も出てこない。
 取り乱す姿を不審に思ったのか、慧音の細い眉の端が持ち上がった。
「言えないようなことでも?」
「いえ、そうじゃなくて」
 観念して話してしまおうか――そう思った時だった。
「よかった、間に合って」
 突如二人の間に入ってきたのは、八意永琳だった。迷いの竹林の奥に住み、薬師と医者を兼任している女性である。
 以前は月に住んでいたらしく、そのためか人並み以上の優れた慧眼を備えている。雰囲気からして洗練されており、アリスは好印象を持っていた。
 呼吸を荒げているところを見ると、どうやら走ってきたようだ。慧音と同じかそれ以上に長い髪が乱れ放題になっている。
 何をしにきたのだろうと疑問に思っているうちに、二人はやりとりを始めた。
「どうも」と慧音。「忘れ物でもしたかな?」
「忘れ物ではありませんが、まぁ似たようなものですね」
 胸を上下させながら、永琳は握った右手を慧音に向けて差し出した。それを開くと、掌の中に金色の鎖らしきモノが現れた。
「遺族の方が、先生にと」
「これを私に?」
 戸惑いの色を浮かべる慧音が、おそるおそるといった様子でそれを受け取る。
 鎖の正体はペンダントだった。どのような意味合いを持つ物なのか判然としなかったが、どうやら慧音には深い意味を持っているらしい。彼女の瞳から、つっ、と滴が零れた。
 初めて見る、上白沢慧音の涙だった。
「これを……」
 ペンダントを持つ手を震わせ、声を詰ませる。
 一体どれほどの想いがこもった物なのだろう、とアリスは痛みだした胸を押さえた。
「失敬」
 しばらく瞳を閉じて耐えていた慧音が、吹っ切るように口を開いた。「見苦しいところをお見せした」
「いえ。その遺品、慧音さんが贈られた物らしいですね」
 永琳の息は、すでに整っている。
「ああ、その通りだ。彼女は成績優秀でね。私はその年、一番成績優秀で寺小屋を離れる子に、このペンダントを送っているんだ」
「そうなんですか」
 合点がいったアリスは、無意識に大きく頷いていた。
 永琳がやってきたのは、被害者の遺品を慧音に届けに来たからだったのだ。ようやく話が見えてきたことに安堵し、続けて質問した。
「と言うことは、金本理沙は恋人よりも優秀だった、ということですか?」
「なぜそのことを知って――ああ、記事に書かれているんだったな」
 慧音は苦りきった表情になった。
「その通りだよ。鬼頭湊という子が恋人なんだが、その子よりも金本理沙は遥かに優秀だった。親に学問の理解がなかったのと、彼女も里の女子だからね、年齢を重ねるごとに結婚へのプレッシャーがかかってくるわけだ。私の元から離れてすぐ花嫁修業に入ってしまってね。当時の私は、もったいないと悔しい思いをしたものだ」
「でも鬼頭湊という男性は、文学好きで樵をしながらも本を読み漁っていると」
「あの子は、確かに文学好きではあるんだが。特別頭脳が優れているわけでもなかったし、本を読むのが好きなだけで、知識を活かすのは苦手だった」
「そう言えば」ふと思い出したことを口にした。「鬼頭湊……さんでしたっけ。慧音さんはその方を育てられていたみたいですね」
「そうだ。湊に限らず、やむなく孤児になってしまった上に、貰い手もなかった子を、私が保護している。特に湊の両親は流行り病で亡くなったせいで敬遠されてしまってね。気持ちはわからないでもないが」
「そうなんですか」
 アリスは率直に、そんなこともあるのか、と驚いた。助け合いこそが人間たちの信条だと思っていただけに、意外な感じがした。
 そこに、黙っていた永琳が、助け舟を出すかのように話しかけてきた。
「流行り病というのは、名の通り伝染する病のことですからね。親がその手の病に罹ったとあらば、子供にも伝染していると考えてしまっても無理はないでしょう。人間が愚か、とは言いませんが、病に対する知識がなければ仕方のないことです」
「そうだな」慧音は吐息をついた。「縁起という言葉があるように、印象というのは人間にとって判断材料として重要なものだ。それを無知と笑うのは簡単だが、逆にそれが人間の智慧でもあるし。仕方ないといえば仕方ないことだ」
「人間は、種としての脆弱性が故に、危険を避ける習性がついた生物ですからね。無理もないでしょう」
 永琳たちはさも当然のことのように話を進めるが、どこか釈然としない気持ちがアリスの胸中には渦巻いていた。人間が助け合いを放棄するという考えにも、賛同しきれないでいる。
 しかし、自分は人間を辞めてまで魔法使いになった輩だ。人間についてあれこれ考えるのは今更すぎるし、筋違いなのだろうという考えも働き、この話題には触れないことにした。
 それから少しばかり慧音と言葉を交わした永琳は、お辞儀を一つして帰って行った。
「ところで」
 永琳の姿が見えなくなってから、慧音はペンダントを受け取る時も離さなかった一升瓶を地面に置いた。
「アリスは結局何をしに里に来たんだ?」
「あっと、それは……」
 ぶり返されるとは思ってもみなかったが、今度はすんなりと嘘をつくことに成功した。
「それです」
 指を一升瓶に向けてさした。「お酒を買いに」
「酒を?」
 素っ頓狂な声を出す慧音に、アリスは実に説得力のあるであろう理由を述べた。
「実は魔法の実験で使おうと思って」
「酒が魔法に役立つのか?」
「酒と言うから変に感じるんですよ。アルコールって言えば、さほど変に感じないのでは?」
「ふぅむ。言われてみれば、確かに」
「アルコールは」いけそうだと確信し、アリスは畳みかけるように説明した。「魔法にはかかせないものなんですよ。まぁでも、私の身なりでお酒を買いに行くのは些か抵抗がありましたし、こうやって訊かれると答えにくいものなので、先ほどは言葉を濁してしまったんです」
「ああ、それで」
 どうやら完全に信用しきったようで、慧音は何度も頭を上下させた。
 アリスは心の中で手刀をきって詫びたが、こんな苦しい言い訳でも納得してもらえるとは思っていなかった、というのが正直な感想だった。
「そういうことなら、これ、持っていくか?」
 慧音は一升瓶を持ち上げると、目の前に掲げた。薄緑色をしていた瓶が、光を受けてカワセミの羽根のような翠色になる。
「それは?」
 出逢った時からずっと気になっていた一升瓶を見つめ、アリスは訊いた。
「度数が足りるかはわからんが、一応酒だ。遺族を見舞った時に頂いたものだが」
「そ、そんな大事なモノを頂くわけには……」
 慌てて辞退した。たとえ嘘をついていなかったとしても、勘弁して欲しい代物だ。
 が、慧音は聞いていなかった。しかも不穏な台詞を吐いてくる。
「大丈夫。もう十分堪能したから」
 透き通る瓶の中をよくよく見てみると、なるほど、という言葉が漏れてしまいそうになった。
 中身はすでに半分ほど消えていた。

          4

 固辞したにも関わらず、結局押し切られる形で譲り受けた一升瓶を自宅の玄関前に置くと、アリスは一息入れることなく空を飛んだ。
 里で得た情報を頼りに、慧音と話していて行けなかった、被害者の遺族が揃っているという博麗神社に向かった。 空を飛んでいくと、あっという間に辿り着いた。
 果たして、博麗神社は寂寥とした雰囲気が漂っていた。人など住んでいないのではないか、と思わせるほどの静けさだ。神社といえば、多数の人が出入りする場所のはずだが。
 首を捻りつつ、アリスは境内の隅にある建物に近づいて行った。そこが巫女である博麗霊夢の住処になっている。
「ごめんください」
 縁側から中を覗くように声をかけたが、反応が見られない。
 もう一度、声量を上げて試みてみたが変化はなかった。
「おかしいわね」
 どこかに出かけてしまったのだろうか。それならば戸締りくらいしていきそうなものだが、戸が開きっぱなしになっているところが点在している。
 炊事でもしているのかと土間の方にも足を運んでみたが、煙が立つどころか猫一匹いなかった。
「うーん……」
 霊夢だけでなく、保護しているはずの遺族の姿もないのはどういうことなのか。
 腕を組みながら考えていると、ぴんと閃くものがあった。
「あ、そうか」
 慧音だ、とアリスは声に出していた。
 彼女は被害者の遺体に会いに行っていたのではなかったか。そして永琳は、遺族から預かってきたものだと言って慧音に遺品を渡していた。
 つまり今、少なくとも金本夫妻は里にいるはずだ。同じ境遇であるはずの岸崎家の遺族も、一緒に同行していると考えるのが妥当だろう。そこに霊夢もいるはずだ。
 なんてついていないのかしら――アリスは後ろ髪を乱暴に掻いた。
 その瞬間、ずきっとした痛みが奔り、咄嗟に手を止めた。
「いった……」
 爪のせいで頭皮を傷つけてしまったかもしれないと爪先を見てみたが、血のようなものは何もついてはいなかった。しかも痛みはどこかへいってしまったようで、その部位に触れ直してみても痛まなかった。
 安堵から、急に徒労感が込み上げてきた。腹ただしさもすっかり雲散霧消してしまっている。
「――帰ろう」
 こんな誰もいない場所で、霊夢たちの帰りを待つためだけに時間を費やすのはいかにももったいない。他にやれることも多かろう。
 でも、と飛び立つ寸前でアリスは思い直した、
 帰って何をするのか、具体的に考えていなかった。
 そもそも被害者の家族に会おうと思ったのも、すぐに取っかかれそうなことがそれしかなかったからに他ならない。
 このまま里にとんぼ返りして怪奇事件の解決を急ぐのか、事件のことは一旦棚上げしてゴーレムの捜索を急ぐのか。どちらかに絞り、具体案を出さなければ。
「確実なのは――」
 やはり遺族に会い、事件の解決に貢献することだ。
 ナズーリンも命蓮寺に戻ってはいないだろうし、ゴーレムの手がかりはないに等しい。いや、ゴーレムが犯人だという可能性も捨て切れてはいない。どちらが時間的に有利か、火を見るより明らかだ。
 考えるまでもなかったことに辟易としながら、アリスは身体を宙に浮かせた。

 里の上空をしばらく浮遊していると、集会場からぞろぞろと人だかりが出てきた。やはりここで正解だった。アリスは徐々に高度を下げていった。
 地面に降り立ってすぐ顔を上げると、いきなり霊夢の不機嫌そうな面が視界に納まった。
「な、なによ」
 思わず身じろぎをしてしまう。霊夢はぶっきらぼうに言った。
「いきなり降ってこられると迷惑なんだけど」
 どうやら進行を妨げたことに腹を立てているようだった。そんなに急降下したつもりはなかったのだが。
「ごめん、探してたからさ」
「誰を?」
「その……後ろにいる人たちを」
 霊夢の後ろで小さくなっている白服の人々は、おそらく遺族の面々だろう。白服は喪服に違いない。そちらを覗き込む仕草を見せると、彼女は不快感を露わにした。
「なんでアリスが探してるのよ」
 棘のある声だ。
「なんでと言われると困るけれど」
 ちらりと白の集団を見遣る。
 遺族らしい人々は全員で四人だった。中高年の男女一人ずつに、三十代前半と言った男性が一人。老婆が一人だ。恰幅がいいのは男一人のみで、あとはみんな痩せている。特に女性の二人はげっそりとしており、痩躯以前に、精神的に参っている様子だった。
「事件の解決を手伝えたらと思って」
 アリスにとっては当然の意見だったが、霊夢の眼光はなぜか鋭さを増した。
 何事かと見極める前に、彼女の口が開かれた。
「この事件はうちで引き受けることになったから」
「え? でも」
 犯人が妖怪だと特定されたのだろうか?
 通常、博麗の巫女は人間同士のいざこざには首を突っ込まない。保護はしても、あくまで幻想郷そのものに危機的な脅威が迫らない限りは、専ら妖怪退治のみを行っている。
 その巫女が動いたのだから、犯人が妖怪に絞られたと見るべきではあるが――どうしてもわからないことがある。
 霊夢のこの態度だ。態度というよりは雰囲気なのかもしれない。
 どちらにせよ、攻撃的な視線と声調は見逃せるものではない。まるで敵を相手にしているような感じがする。
 もしや、と思いつつ、アリスは動揺が外に出ないよう、冷静さを装った。
 下唇を舌で濡らし、今考えていたことを言葉にする。
「それなら、犯人は妖怪に絞られたの?」
「これから調べるところよ。ま、でも、十中八九人間ではないわね」
「どうして断言できるのかしら」
「それを教える必要があるかしら」
 冷徹さを帯びた眼差しを向けられ、口内に苦いものが広がるのを感じた。
 やはりこれは気のせいなどではない。
 ――霊夢は私を疑っている。もしくは敵視している。
「そんな深刻そうな顔をしなくても大丈夫よ。まだ犯人は誰かわかってないし」
「……それで、遺族の方々に事情を訊こうとしているのね」
「それは少し違うわ」
 霊夢はたっぷりと間を開けてから、胸を反ってまくしたてた。
「事情は訊く前から知っているし、何よりこの方々は、すすんで私に協力してくれているの。ついさっき被害者の遺体を見てきたんだけどね、それもここにいる夫妻方が呼んでくれたのよ。つまり私に依頼しにきたってわけ。――ですよね?」
 ぐるりと霊夢が見渡すと、遺族の四人のうち、女性二人が委縮したように頭を下げ、小声を揃えて「はい」と呟いた。中年男性は仏頂面をしており、三十代男性は俯いたまま無言を貫いている。
 その光景に不審を抱きはしたものの、口にはしなかった。ここでいくら喚いたところで、打ち明けてもらえるものは何もないだろうことは態度からして歴然だ。
「そういうわけだから」
 どういうわけなのか問い詰めたい気持ちを抑え、傍らを通り過ぎていく霊夢一行を不動のまま見送った。
 その間、アリスは必死に頭を働かせた。
 これで遺体に会うどころか、遺族からの証言等も得られなくなってしまった。つまり蒸発したゴーレムを探すのと同等の条件になってしまったわけだ。
 何もわからない、という条件に。
 やはり一人では限界がある。仲間が必要だ。それも手広い人脈を持っている仲間が。
 いや、人脈はそれほど大切じゃない。それよりも大切なのは情報だ。人脈イコール質の高い情報とならないのは、既知の事実でもある。人脈が乏しくても情報が圧倒的に多く、それも正確なものを有している仲間が欲しい。そうだ、そうなると心当たりは一人だけ。
 ――射命丸文を頼ろう。
 結論が出て顔を上げると、もう霊夢たちの姿はどこにも見当たらなかった。

          5

 妖怪の山の頂きは厚い雲に覆われていた。辺りには薄黒い雲の塊が点々としている。もしかしたら、明日は雨かもしれない。
「お待たせしました」
 射命丸文は、じゃり、と土を引き摺る音と共に現れた。
 妖怪の山は、名の通りあらゆる妖怪が住処としている山だ。アリスは麓に到着するなり、そこいらをうろついていた弱小妖怪に声をかけ、文に頂上まで来るようにと言付けをお願いしていた。
「それで、用件と言うのは?」
 奇妙きてれつな事件が二件も続けて起きていて、しかもその記事を書いているはずだが、文は溌剌としていた。元気がありすぎて不気味に見える。もしかしたら、一人この状況を面白がっているのかもしれない。
 何せ文は、アリスと違って根っからの妖怪だ。人間ですら他人の不幸は蜜の味、と言うくらいなのだから、彼女らにしてみればちょっとした刺激程度のことなのだろう。演劇でも見るような感覚なのだろう。
「相変わらず元気ね」
「そりゃあもう。記者は身体が資本ですし」
 ごもっとも、とアリスは同調した。ここ最近、体調が優れないこともあり、心底そう思った。
「それよりも用件ですよ。里が大変な時にどうされたんですか?」
「まさにそれよ」
 アリスは軽く拳を握った。
「事件絡みの情報が少なくて……ちょっとでいいから話を聞かせて欲しいんだけど」
 駄目元での願い出だったが、意外や意外、文はポーチから手帳を出すなり、これまで集めた情報をよどみなく語り聞かせてくれた。もちろん、隠すべき部分はちゃんと隠しているのだろうが、それでも満足できるだけの質と量だった。
「――と、以上が私の知っている情報ですね」
「なるほどね……」
 殆どが新聞と号外に載っていた情報だったが、中には初めて知ることもあった。
 たとえば、現場の状況。新聞には簡素に書かれていただけだったが、質してみるとかなり細かいところまで答えてくれた。迷いの竹林のどこらに死体が転がっていた、とか、着ていた着物はどうだったか、というところまで。
 しかし、逆に困ったことにもなった。
 あまりにも文が仔細に語ってくれたものだから、遺体の状態等も直接確認しなければ気が済まなくなってきてしまったのだ。
 人形師という職業柄、アリスは人体の造形にも明るい。遺体と向き合えば何かわかるかもしれないと、好奇心が頭をもたげてきてしまったのである。
 無理を承知で、遺体を見てみたいと文にぶつけてみた。
 が、さすがに困った顔をされた。
「それは難しいと思いますね。私でさえ、既に霊夢さんに突き返されちゃってますし」
「あ、そうなの? なんでまた文まで」
「そうなんですよ。まったく酷い話なんですけどね。博麗神社が介入するから、もう記事も書くなと。自分は散々私から情報を引き出したというのに」
 大袈裟に溜め息をつく。アリスも一緒につきたい気分だった。
 霊夢が強気に「事情は知っている」と言っていた意味はこれだったのだ。
 文がここまで情報をくれたのも、記事が書けなくなって――もしくは書きたいことは書ききったから、かもしれないが――情報が無味乾燥なものと化したからに違いない。
「そうなると、もう遺体からは手がかりを得ることはできないということね」
「というか、そもそも今日明日中には埋葬されると思いますけど」
 それもそうだった。いつまでも遺体をそのままにしておけるわけもない。そもそも集会場にいるのではないかと思ったのは、遺族たちが葬式に関係することを話し合っているからではないかと推測したからだ。
「せめて外観だけでも見られればなぁ」
 愚痴に近い独り言を漏らすと、「あ、それなら」と文がポーチをまさぐった。
 出てきたのは数枚の写真だった。
「見せるだけですからね。あげませんよ」
「それでも助かるわ」
 写真を受け取ると、アリスはさっそく映された内容に目を据えた。
 掌サイズの大きさをした写真は、軽く二、三十枚はあった。金本理沙と岸崎玲奈の遺体が克明に写しだされているものもあれば、現場周辺の風景のような写真もある。
 遺体のものは「ミイラ」と記事にあったように、人間とは思えないほど萎びれていた。八十を超えた高齢者よりも水気がなく、骨と皮という言葉がこれ以上ないくらいによく表れている。
「あ、それなんかオススメですよ」
 順を追って写真を見ていると、ある一枚の写真のところで文が手の動きを止めてきた。
「お、おすすめって、貴方ね……」
 その写真は、見るに堪えない類いのものだった。
 首から上がなく、泣き別れになった首の傷口がギザギザと波打っている。ノコギリのようなもので切断したらしいことが窺える。
「これのどこがおすすめなのよ」アリスは苦々しく訊いた。
「よく見てください」と文は写真を摘まんだ。
「この遺体、岸崎玲奈のものなのですが、金本理沙のものと比べて何かおかしいと思うところありませんか?」
「おかしい?」
 言われて、金本理沙の写真と見比べてみた。
 だが文が言わんとしていることがいまいちわからなかった。わかりやすい違いは頭部の有無だが、それ以外は特に見当たらない。干からびた身体も同じだ。他に目立つような違いがあるようには見えなかった。
「わからないわね」
「ここ、よーく見てみて下さいよ。ほら」
 指し示したのは被害者たちの腕だ。しかし同じように干からびているだけで、差異があるようには見えない。
 じっくり時間をかけて見てみたが、やはりおかしな部分を指摘することはできなかった。
 降参だ、と左右に首を振ると、文は得意げな笑みを浮かべた。
「この腕だけじゃなくて……ほら、他の部位もそうなのですが、干からび方が違うと思いません?」
「干からび方?」
 写真に目を戻す。腕だけでなく、脚や胴体にも注目してみた。
 すると、あることに気が付いた。
 どちらも肌が浅黒く変色しているのだが、岸崎玲奈の方がほんの少しだけ色白なのである。それに枯れ具合も、金本理沙のよりは幾分マシな加減であった。
「……まさか」
 見落としてしまっても不思議ではないほどの小さな差だが、重要な意味を持つ発見にも思えた。少なくともアリスには。
 この材料を使って、仮説を描いてみる。
 遺体に相違点があるのは、事件の犯人が、それぞれ別人だからではないか?
 もちろん手口が同じであっても、状態に若干の差が出ることはあるだろう。相手は生物だ、まったく同じ結果にはなるまい。だから二件とも、犯行に及んだのは一人であるという可能性は十分にある(むしろ最有力)。
 だが、模倣犯ならどうだ。
 二件目の事件の犯人が、一件目の事件の犯人の仕業に見せかけるために手口を模倣する。そうすれば自分は捕まるまいと考えて。手口が同じなら犯人も同じ、という先入観が、人にはある。
 もしくは集団で動いていて、組織的に犯行に及んでいるか。もしそうだとするなら、枯死させるという特殊な殺害方法が共有されているとしても不思議はない。これも一種の模倣犯であろう。
 模倣犯――いい線をいっている、ような気がする。
 もしこの仮説が正しいのなら、不可解な頭部の消失にも今よりはまともな説明がつけられる。遺体の状態に違いが見られることにも。
 模倣する側が全く同じやり方では芸がないからと、わざと犯行の一部を変えてみせようとする可能性だってあるだろう。だが、滅多には見られない変死を被害者が遂げているにも関わらず、たまたま同時期に似通った事件が発生したなど、到底信じられるものではない。その説明にも一役買ってくれる。
 また、遺体に見られた差を考察するのなら、犯行の方法以外にも考えるべきことがある。
 身体元来の作りに違いがあって然りだし、遺体の置かれていた環境――気温や天候――一つでも大きな差になるのも然り、という点だ。
「そうなんですよ」
 したり顔をした文の顔が目に入り、アリスは思考の井戸から這い出た。
「同一犯なら同一の手段を用いるでしょうから、結果も同じになるのでは?」
「それはそうかもしれないけれど」軽く反論を試みる。「犯人は、単にかく乱しようとしているだけかもしれないじゃない。ほんの少しだけ違いを持たせておけば、疑いがあらぬ方へ向かうと確信していたのかもしれないし」
 言いながら、それはないだろうと考えた。
 頭部の消失を例にとるとして、それが演出ならば、そんな大きな部位でなくとも手首や足首でも事足りるはずだからだ。人体の中でも処理に困りやすい頭部を持ち去る意味が見いだせない。
「わかってませんねぇ、いいですか。ちょっと考えただけじゃ思いつかないような手口を犯人は用意したのですよ? 手口がバレなければ捕まらないと踏んでのことでしょう。それなら、その方法を使い続けた方がいいじゃないですか」
「ううん、言いたいことはわかるけれど……」
 アリスは顎に指を添え、言葉を選びながら、
「犯人としては、同じ手口を何度も使うと足が付いてしまうと考えたんじゃないかしら。だからやり方を少しだけ変えてみた、と」
 腹の裡では既に推理を固めていたが、思案は慎重に、そして多彩に巡らせる。文は決め付けるような応対だが、考え抜いた方が後悔しなくて済む。
「その可能性はありますね。ですが低いでしょう。もし本命の手口を隠したいのなら、似たような殺人を行うのではなく、もっと別の方法をとると思います」
 断定的な物言いだが、確かにその通りだった。
「……そうね」
 犯人にとって同じ手口を使い続けるということは、泥の上を歩いて足型を残していくのと何ら変りがない。だから犯人が連続で犯行を行うのなら、手口を複数用意し、同一人物と思わせないように印象付けるのが普通ではないか。
 では、岸崎玲奈の一件はどうなのだろう。
 人間では実現できそうにもない手口で金本理沙を殺害した犯人が、同じ手口を使い、頭部だけ持ち去ったのだろうか。頭部を持ち去ったために、遺体の萎れ方にまで差が出てしまったのだろうか。
「とにかく」
 加熱しだした脳内を冷やそうと、アリスは涼しげな山頂の空気を大きく吸った。
「犯人についての詮索も大事だけど、手口から考えるべきね。じゃないと埒が明かない」
「それもそうなんですが、それが一番難しいんですよね。一応、ミイラにできるようなスキルの持ち主を洗い出ししてはいるんですけどねー」
 瞑目し、うな垂れてみせる文の顔には疲労が色濃く出ていた。
 そのことを指摘すると、彼女は「ああ、ここのところ色々とばたついていましたからねぇ」と苦笑しながら頬を掻いた。
 さっき文は、自分で記者は身体が資本だからと元気さをアピールしていたが、どうやら強がりだったようだ。溌剌そうに見えたのも、彼女の役者ぶりに騙されたというわけだ。
「ブン屋も大変ね」
「まあ好きでやってることですから、精神的には楽なんですけどね」
 ですが体力はどうにもなりません、と情けない目をする文を眺めつつ、アリスはある問いかけをしてしまおうかと悩んでいた。実は彼女と会ってからずっと悩んでいたことがある。
 沈黙が訪れ、気まずくなりかけたとき、心が固まった。
「ちょっと訊きたいのだけれど」
「はい?」
「霊夢は私を疑っているようなのだけれど。何か心当たりないかしら」
 へらっとしていた文の顔が、きゅっと引き締まる。ぎくりとしたようにも見えた。
「知ってるのね」
「さ、さあ」
 どうやら白を切ろうとしているらしいが、目が泳ぎに泳いでいる。
「吐くなら今のうちだと思うわ」
 アリスは腕を組み、目に力を込めた。
 それでもなお遅疑逡巡の体を見せる文だったが、結局は折れた。
「すみません。私が迂闊だったんです」
「どういうこと?」
「実は聞き込みしているとき、とある人物から面白い話を聞きまして。それをお伝えしたところ、あんな風になってしまったのですよ」
「とある人物って誰よ。それに面白い話って?」
「うう、そんな凄まないでくださいよ。ちゃんと話しますから」
 と、弱りきった顔で事情を話し出した。
 文による「面白い話」というのは、アリスがある本を入手し、ついに自律人形を完成させたかもしれない――というものだった。人物名は伏せさせてくれと頼まれたが、そんなことをする必要は全くなかった。
「それ、パチュリーでしょ」
「バレましたか……」
「バレるもなにも。イェツィラの書の存在を知ってるのは、パチュリーと森近さん、それに私くらいなはずだし」
「あ、あはは。そうですよね」
「でも釈然としないことがある。どうして霊夢はイェツィラの書だけで私が犯人だと思いこんでいるのか、ということなのだけれど。霊夢には書の中身なんて理解出来ないだろうし」
「あ、それも簡単なことですよ。私がその中身を説明して、ゴーレムとやらの仕業じゃないかと言ったからです」
 あくまで軽い調子で言ってくれた文に、怒りを感じずにはいられなかった。この娘はこういうキャラなのだから仕方がない、と自分に言い聞かせることで、何とか拳を振りかざすには済んだが。
「――貴方、他の誰かさんに変なこと言ってないわよね?」
「大丈夫ですよ。霊夢さんのところから直帰しましたから」
「それならいいけれど」
 アリスは落胆せざるを得なかった。
 一体霊夢はどれだけ単純なのか。一推理を聞いただけで犯人と思い込むとは。愚昧にもほどがある。
「まぁいいわ」アリスは手の甲で後ろ髪を払った。「考えても仕方ないだろうし」
「霊夢さん、単純ですからね」
 その単純な娘に余計なことを吹き込んだのは誰だ、と言いたいのを堪え、身体を宙に浮かせた。
「お帰りですか」
「ええ、実のある話し合いができたし。今は時間が惜しいから」
「でしょうね。グズグズしていると第三の被害者が出てしまうかもしれませんし」
「そうならないことを祈ってるわ。じゃ、また何かわかったら教えて頂戴。霊夢に睨まれない程度に」
「了解ですよ。いやぁ、頼られてるなぁ」
 うっとりと悦に浸る文を尻目に、アリスは薄暗い妖怪の山の頂きから飛び降りた。

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この小説へのコメント

  1. まっぱのアリスか…w
    絶対ミスリードされてるんだろうけど真相気になります。

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