幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット 前編 マリオネット前編 第5話
所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット 前編
公開日:2015年09月23日 / 最終更新日:2015年10月07日
パチュリーの章
文が館に来てから間もなく、レミリアは寝床である棺桶へと潜っていった。
「なんだかだるくなってきたから」
言い訳としてはもっともに聞こえるが、彼女の言う「だるい」とは、肉体的なものではなく精神的なものだ。つまりは考えるのも面倒だから、あとはよろしく、という意味である。
自室に戻ったパチュリーが真っ先にしたことは、重厚な木扉を閉め、太い溜め息を漏らすことだった。
「まったく……」
鬱憤を抱えたまま、安楽椅子に背を委ねる。些か乱暴な座り具合だったせいか、揺れ幅が大きい。木製であるために軋む音もしているが、この音がたまらなく好きだった。聞く度に、不思議と心が落ち着いてくる。
安楽椅子での休息は、十分程度で終了した。まだ怒りのしこりが心中の隅に残ってはいるが、それが行動を起こす起爆剤になることをパチュリーは知っている。
慣性により、いまだ振り子のように揺れる安楽椅子から離れると、窓際に立った。
空が橙色の光に焼かれている。雲はまばらにたゆたうのみで集うこともない。どうやら明日も幻想郷の空は晴れるようだ。
こうして、天気のように事件も予測できれば楽なのに、と夕焼けを眺めながら思った。昼間に文が来たときのことが、ぼんやりと脳裏に浮かんでくる。
文は「情報収集です」と言ってやってきた。
どうせ記事のため、好奇心のためだろうと思ったが、いつになく真剣な眼差しをしていたので、できるだけ情報を提供してやろうという気になった。
それに情報が欲しいのはこちらも同じである。もしかしなくても情報量は記者の方が多いはずで、利用しない手はないという心理も働いた。
パチュリーはすぐにこぁを探した。来客のもてなしをさせようとして。だが見当たらなかったため、仕方なくそのまま文を客間に通した。
さて、どう情報を引き出したものか――と思案しながら部屋に入ると、なぜかレミリアがソファーでふんぞり返っていた。
「……何してるのよ」と思わず声に出してしまったくらい、茫然となった。
しかしレミリアの意図は単純明快だった。
「わたしが犯人だと言いふらしているのは貴様か」
どうやら咲夜が拾ってきた情報に疑心暗鬼になっているらしい。態度や言葉は尊大でも、いくら齢五百歳を超えていても、見た目通り、頭脳が子供並みなのがレミリア・スカーレットなのだ。
敵意剥き出しの視線に曝された文は、どういうことかと振り向いてきたが、パチュリーは首を振ることしかできなかった。
レミリア犯人説の出所はわからないし、そもそも咲夜の話では、容疑者の名は人間の里の噂だということだった。
噂を真に受ける方が悪いのだが、レミリアにそんな常識は通用しない。詐欺にあったとしたら、内省するよりもまず犯人を血祭りにあげようとするのが彼女なのだから。
「あのね、レミィ」
パチュリーは愛称でレミリアを呼んだ。
二人は長い年月を共にした親友同士であり、愛称で呼び合う仲だった。ちなみにパチュリーの愛称は「パチェ」である。
「噂なんだから」
「噂だとしても、煙の立たない場所になんとやらさ。パチェがよく言っているじゃないか」
「それを言うなら、『火のないところに煙は立たぬ』よ。いいから、文の話を聞きましょう。今は少しでも情報が欲しいんだから」
レミリアを宥めつつ、パチュリーは居心地悪そうに肩をすぼめている文にソファーを勧めた。
彼女は一礼すると、静々と腰を下ろした。
「で、レミィに代わって訊くけれど。どうしてレミィが容疑者扱いされているのかしら」
「ああ、それですか」
文は頬を掻きながら答えた。
「私が噂を流したわけではないんですが。ほら、アレですよ。死体がからっからに乾いていたので、血を吸われたのではないか、と憶測が飛び回っただけです」
「へぇ、言われるまで気が付かなかったわ。そういう見方もあるわね」
意見すると、「パチェ」と鋭く尖った声が鼓膜に突き刺さってきた。「馬鹿にしてるのかい?」
「ああ、ごめんなさい。別にそんなつもりじゃなかったのよ。ただ、そんな単純なことだったんだと、少々驚いているの」
「ふん。ちょっと考えればわかることだ」
忌々しく唇を尖らせるレミリアだが、咲夜の話を聞いて一番驚いていたのは彼女だ。
「一体どう言うことだ」と声を張り上げていたことを思い出し、パチュリーはにやけそうになる顔をなんとか堪えようと、下唇を軽く噛んだ。
「なので容疑者リストには、お宅の妹さんも入っていたと思いますが」
「それは聞いてない。咲夜の耳には届かなかったようだね」
謎が解決したからか、レミリアは興味なさそうに自分の髪を弄り始めた。
「はぁ」
眉をひそめる文には、戸惑いが見て取れる。
パチュリーはそれに気付きながらも、あえて気付かないフリをして訊ねた。
「それで本題に入りたいのだけれど。聞きたいことって?」
「あ、えっと。聞きたいことというか……事件に関して、何か有益な情報をお持ちではないかと思って来たのですよ」
「残念ながら、私たちの持ってる情報は咲夜が仕入れてきた噂話程度のものだから、きっと役には立たないわ」
「それでも、一応すり合わせという意味も込めてお話を伺いたいのですが」
文は手帳を開いた。
「些細なことが事件解決の糸口につながるかも、ですし」
一旦記憶をまさぐり、整理してから簡潔に話した。
特に有益な情報があるわけでもないだろうに、文は聞いている間、真剣な目つきで筆を動かしていた。
「――と、こんなものよ」
洗いざらい話し終えたところで、文は筆を耳にかけ、腕を組んで唸り始めた。深く考え事をしているらしく、普段よく喋る彼女が無言になっている。
「参考になったかしら」
静けさに耐えかねて口を出すと、文は慌てた様子で取り繕った。
「え? あ、ああ、すみません。ぼーっとしてました」
「何かヒントになるようなところでもあった?」
しかしそれには答えず、
「ちょっとお聞きしたいのですが」
と問うてきた。
「何かしら」
「パチュリーさんは、今回の事件、殺害方法はなんだと思います?」
「……問題はそこなのよね」
パチュリーも、文のように腕を組んで唸った。レミリアは静かに髪を弄り続けている。事件のことは、すっかり興味をなくしたようだ。
「人間の仕業には思えないけれど、それもただのイメージだし。死体を見る限り、何かしら特殊な方法を使ったのだろうとは思うんだけれど」
それがわからないから困っている、と顔に出しただけで、文には通じたようだった。
人差し指を立てながら訊いてくる。
「たとえばですが。魔法を使ってどうにかできないでしょうかね」
「魔法と一言で言ってもかなり種類があるし、私も全部を知っているわけじゃないから」
「まぁ、それはそうですよね」
「でも、魔法で限定するなら、心当たりがないこともないのよ」
「へぇ」文は好奇に満ちた瞳を向けてきた。「なんです?」
「ドレイン――つまり吸収系の魔法ね」
「吸収ですか」
耳にかけていた筆を握り、文は手帳に書き出した。
「そう、吸収。一言で吸収と言っても、やっぱりこれにもかなりの種類があるから、正確なことを知ろうと思うとかなり調べなきゃいけないだろうけれど。精気を吸う魔法とか能力があるのは間違いないわ」
「精気……ですか」
筆を止めて顔を上げた文に、パチュリーはなるべく易しく説明しようと努めた。
「精気と言うとなんだかいやらしい想像をされていそうだけれど、それでも近からずも遠からず、と言ったところね。そもそも精気って言うのは生命力のことだから。ほら、精も根も尽きるという言い方をするでしょう。あれは精気も根気も尽きるという意味で、生命力も気力も尽き果てるってことなの。こう考えれば、あっちの意味での精気も、なんら変わらないってこと」
何だか弁明のような説明になってしまったなと思いつつも、パチュリーは続けた。
「サキュバスと言う女夢魔がいるのだけれど、この夢魔は男性の精気を吸うことで有名でね、精気を極限まで吸われた男は、干からびて死んでしまうそうよ」
「それじゃあ、今回のミイラは精気を吸われて死んだっていうことですか?」
それなら合点がいく――文の顔が、そう物語っていた。パチュリーもまた、この方法でなら、あの枯れ木のような死体を作り出せると考えていた。
だが、問題もある。
「その可能性はあるけれど、問題が二つある。まず一つ目は術者ね。少なくともこの幻想郷で、他者の精気を吸い尽くせるだけの魔法を使える人を、私は知らないわ。二つ目は、サキュバスは男性に対して出現する女夢魔であって、女性に対して現れるわけじゃないということ。女性にはインキュバスっていう男夢魔がいて、こちらは悪魔の子を妊娠させるって言われているから、今回の事件を鑑みると全く逆っていうことになる。まぁ、この対男性夢魔の特性を模したドレインの魔法を使えるのなら、これは問題になりえないだろうけれど」
「なるほど。ちょっと失礼な質問になってしまいますが、パチュリーさんは使えないんですか? ドレインの魔法」
予期していた通りの質問に、つい苦笑が漏れる。
「もちろん使えるわよ」
「えっ」
文の驚きようは、持っていた筆を落とすほどだった。
髪を弄っていたレミリアも手を止め、目を見開いた。
「と言っても」
パチュリーは二人を一瞥し、笑いを堪えながら言った。
「人間の精気を吸うものではないけれどね」
「……どういうことでしょうか」
落とした筆を取るために屈んだ文が、恨めしそうな声で聞いてくる。
「さっきも言ったけれど、ドレインには多くの種類があるの。私が扱えるのは、体内の毒素を吸い出すものとか、ランプの中の酸素を吸い出して真空にしたりとか、そういったものよ。人間一人の精気を吸いあげるなんて、かなりの手練れじゃなきゃ無理だと思うわ。その道のプロじゃないと、ね」
精気は生命力であり、その力強さといったら他に類を見ない。だから生き物は簡単には死なない。頭だけあれば生き残れる凄い生物だっている。たとえ生命力を吸えたとしても、死に至らしめるほどの量を吸うのは非常に困難で、至難の業であるはずなのだ。
その旨を伝えると、文は「冗談きついですよ」とむくれた。
レミリアも大袈裟な溜め息をついて不貞腐れてしまった。
「冗談が過ぎたことは謝るわ」
「それはいいんですが。となると、犯人は魔法に長けた人物っていうことですかね」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ようは精気を奪えればいいんだし。そう、たとえばさっき言っていたサキュバスのような夢魔そのものが出た、とかね」
「ああ、そうか。そうですね」
「もしかしたらもっと有力な説があるかもしれないけれど、今のところ私が描いている方法はこんなところね」
パチュリーは鼻から息を吐き、ソファーに身を沈めて唾を飲み込んだ。
長々と説明していたせいで疲労が滲み、喉も渇きを覚えている。自分で飲み物の一つでも用意すればよかったと後悔した。
おそらく文も口内が乾いて仕方がないに違いない。それでも彼女は会話を続行してきた。
「では、現在有力だと思われるのは、吸血と精気の略奪ということですね。吸血は……まぁ、傷口もないことですし、多分ないとして、精気の吸引は一考の価値ありですね。パチュリーさんのドレイン魔法の内容はわかりましたが、他の魔法使いはどうでしょう? ご存知でしょうか」
「そうね……」
指を組んで思考を巡らせてみる。
「精気を根こそぎ吸えると考えると、一番可能性が高いとすれば聖白蓮じゃないかしら」
「白蓮さん、ですか。なるほど、伝説の魔法使いですからねぇ、彼女」
「でしょ。他には……そうだ、魔理沙はどうなのかしら。放出系の魔法しか見たことないけれど」
「イメージ的に、ドレインって感じはなさそうですが。それならまだアリスさんの方が可能性あるんじゃないですかね」
「アリスね。アリス――」
アリスと口にした途端、ふっとある記憶が蘇ってきて、パチュリーは言葉を切った。
アリスと言えば、二ヶ月前に渡したイェツィラの書はどうなったのだろう。あれから一切連絡を受けていないが、解読は成功したのだろうか。
「どうされました?」
「あ、いや。ちょっと思い出したことがあってね」
「思い出したこと、ですか」
どうやら余計なことを言ってしまったようだった。文は目をぎらつかせ、身を構えて続きを待っている。
喋り疲れているというのに、更に説明を追加しなければならなくなってしまったことに、パチュリーは心の底から悔恨した。
「大したことじゃないのよ」吐息を混ぜて言った。「ちょっと前に珍しい本を見つけてね」
「珍しい本ですか」
「ええ。イェツィラの書というものなのだけれど」
二ヶ月前のことを思い出しながら、アリスと書について説明した。隣で欠伸をするレミリアを横目で捉えながら。
パチュリーは回想の旅から戻ってくると、じきに夜の帳が降りきり、冷え込んでくることを承知で大窓を開いた。
ここは二階で、大窓を開くとバルコニーに出る。そよりと頬に涼風が触れるのを感じながら、バルコニーの手すりにもたれかかった。眼下には庭園が広がり、ここから一望できるのだが、時間が時間なだけに誰もいそうになかった。
「さて」
文がやってくるまで、頭の中で出来上がっていた推理は二本だった。もちろん、ドレイン魔法の実行もしくは夢魔の出現だ。
しかし文と話しているうちに出てきたイェツィラの書の存在が、推理の幅を大きく変えてきた。
まさかとは思う。
調べた限りではあるが、ゴーレムは本来、守衛として使うものだ。破壊活動などするはずがない。たとえそれが自律人形としての機能を備えていたとしても、特性は大きくは変わらないはずだ。
しかし自分で納得できるだけの否定材料が揃わないうちは、疑いを持ち続けるのがいつものやり方でもある。
パチュリーは沈みゆく紅蓮の球体を見つめながら、第三の可能性について静かに推量し始めた。
文が館に来てから間もなく、レミリアは寝床である棺桶へと潜っていった。
「なんだかだるくなってきたから」
言い訳としてはもっともに聞こえるが、彼女の言う「だるい」とは、肉体的なものではなく精神的なものだ。つまりは考えるのも面倒だから、あとはよろしく、という意味である。
自室に戻ったパチュリーが真っ先にしたことは、重厚な木扉を閉め、太い溜め息を漏らすことだった。
「まったく……」
鬱憤を抱えたまま、安楽椅子に背を委ねる。些か乱暴な座り具合だったせいか、揺れ幅が大きい。木製であるために軋む音もしているが、この音がたまらなく好きだった。聞く度に、不思議と心が落ち着いてくる。
安楽椅子での休息は、十分程度で終了した。まだ怒りのしこりが心中の隅に残ってはいるが、それが行動を起こす起爆剤になることをパチュリーは知っている。
慣性により、いまだ振り子のように揺れる安楽椅子から離れると、窓際に立った。
空が橙色の光に焼かれている。雲はまばらにたゆたうのみで集うこともない。どうやら明日も幻想郷の空は晴れるようだ。
こうして、天気のように事件も予測できれば楽なのに、と夕焼けを眺めながら思った。昼間に文が来たときのことが、ぼんやりと脳裏に浮かんでくる。
文は「情報収集です」と言ってやってきた。
どうせ記事のため、好奇心のためだろうと思ったが、いつになく真剣な眼差しをしていたので、できるだけ情報を提供してやろうという気になった。
それに情報が欲しいのはこちらも同じである。もしかしなくても情報量は記者の方が多いはずで、利用しない手はないという心理も働いた。
パチュリーはすぐにこぁを探した。来客のもてなしをさせようとして。だが見当たらなかったため、仕方なくそのまま文を客間に通した。
さて、どう情報を引き出したものか――と思案しながら部屋に入ると、なぜかレミリアがソファーでふんぞり返っていた。
「……何してるのよ」と思わず声に出してしまったくらい、茫然となった。
しかしレミリアの意図は単純明快だった。
「わたしが犯人だと言いふらしているのは貴様か」
どうやら咲夜が拾ってきた情報に疑心暗鬼になっているらしい。態度や言葉は尊大でも、いくら齢五百歳を超えていても、見た目通り、頭脳が子供並みなのがレミリア・スカーレットなのだ。
敵意剥き出しの視線に曝された文は、どういうことかと振り向いてきたが、パチュリーは首を振ることしかできなかった。
レミリア犯人説の出所はわからないし、そもそも咲夜の話では、容疑者の名は人間の里の噂だということだった。
噂を真に受ける方が悪いのだが、レミリアにそんな常識は通用しない。詐欺にあったとしたら、内省するよりもまず犯人を血祭りにあげようとするのが彼女なのだから。
「あのね、レミィ」
パチュリーは愛称でレミリアを呼んだ。
二人は長い年月を共にした親友同士であり、愛称で呼び合う仲だった。ちなみにパチュリーの愛称は「パチェ」である。
「噂なんだから」
「噂だとしても、煙の立たない場所になんとやらさ。パチェがよく言っているじゃないか」
「それを言うなら、『火のないところに煙は立たぬ』よ。いいから、文の話を聞きましょう。今は少しでも情報が欲しいんだから」
レミリアを宥めつつ、パチュリーは居心地悪そうに肩をすぼめている文にソファーを勧めた。
彼女は一礼すると、静々と腰を下ろした。
「で、レミィに代わって訊くけれど。どうしてレミィが容疑者扱いされているのかしら」
「ああ、それですか」
文は頬を掻きながら答えた。
「私が噂を流したわけではないんですが。ほら、アレですよ。死体がからっからに乾いていたので、血を吸われたのではないか、と憶測が飛び回っただけです」
「へぇ、言われるまで気が付かなかったわ。そういう見方もあるわね」
意見すると、「パチェ」と鋭く尖った声が鼓膜に突き刺さってきた。「馬鹿にしてるのかい?」
「ああ、ごめんなさい。別にそんなつもりじゃなかったのよ。ただ、そんな単純なことだったんだと、少々驚いているの」
「ふん。ちょっと考えればわかることだ」
忌々しく唇を尖らせるレミリアだが、咲夜の話を聞いて一番驚いていたのは彼女だ。
「一体どう言うことだ」と声を張り上げていたことを思い出し、パチュリーはにやけそうになる顔をなんとか堪えようと、下唇を軽く噛んだ。
「なので容疑者リストには、お宅の妹さんも入っていたと思いますが」
「それは聞いてない。咲夜の耳には届かなかったようだね」
謎が解決したからか、レミリアは興味なさそうに自分の髪を弄り始めた。
「はぁ」
眉をひそめる文には、戸惑いが見て取れる。
パチュリーはそれに気付きながらも、あえて気付かないフリをして訊ねた。
「それで本題に入りたいのだけれど。聞きたいことって?」
「あ、えっと。聞きたいことというか……事件に関して、何か有益な情報をお持ちではないかと思って来たのですよ」
「残念ながら、私たちの持ってる情報は咲夜が仕入れてきた噂話程度のものだから、きっと役には立たないわ」
「それでも、一応すり合わせという意味も込めてお話を伺いたいのですが」
文は手帳を開いた。
「些細なことが事件解決の糸口につながるかも、ですし」
一旦記憶をまさぐり、整理してから簡潔に話した。
特に有益な情報があるわけでもないだろうに、文は聞いている間、真剣な目つきで筆を動かしていた。
「――と、こんなものよ」
洗いざらい話し終えたところで、文は筆を耳にかけ、腕を組んで唸り始めた。深く考え事をしているらしく、普段よく喋る彼女が無言になっている。
「参考になったかしら」
静けさに耐えかねて口を出すと、文は慌てた様子で取り繕った。
「え? あ、ああ、すみません。ぼーっとしてました」
「何かヒントになるようなところでもあった?」
しかしそれには答えず、
「ちょっとお聞きしたいのですが」
と問うてきた。
「何かしら」
「パチュリーさんは、今回の事件、殺害方法はなんだと思います?」
「……問題はそこなのよね」
パチュリーも、文のように腕を組んで唸った。レミリアは静かに髪を弄り続けている。事件のことは、すっかり興味をなくしたようだ。
「人間の仕業には思えないけれど、それもただのイメージだし。死体を見る限り、何かしら特殊な方法を使ったのだろうとは思うんだけれど」
それがわからないから困っている、と顔に出しただけで、文には通じたようだった。
人差し指を立てながら訊いてくる。
「たとえばですが。魔法を使ってどうにかできないでしょうかね」
「魔法と一言で言ってもかなり種類があるし、私も全部を知っているわけじゃないから」
「まぁ、それはそうですよね」
「でも、魔法で限定するなら、心当たりがないこともないのよ」
「へぇ」文は好奇に満ちた瞳を向けてきた。「なんです?」
「ドレイン――つまり吸収系の魔法ね」
「吸収ですか」
耳にかけていた筆を握り、文は手帳に書き出した。
「そう、吸収。一言で吸収と言っても、やっぱりこれにもかなりの種類があるから、正確なことを知ろうと思うとかなり調べなきゃいけないだろうけれど。精気を吸う魔法とか能力があるのは間違いないわ」
「精気……ですか」
筆を止めて顔を上げた文に、パチュリーはなるべく易しく説明しようと努めた。
「精気と言うとなんだかいやらしい想像をされていそうだけれど、それでも近からずも遠からず、と言ったところね。そもそも精気って言うのは生命力のことだから。ほら、精も根も尽きるという言い方をするでしょう。あれは精気も根気も尽きるという意味で、生命力も気力も尽き果てるってことなの。こう考えれば、あっちの意味での精気も、なんら変わらないってこと」
何だか弁明のような説明になってしまったなと思いつつも、パチュリーは続けた。
「サキュバスと言う女夢魔がいるのだけれど、この夢魔は男性の精気を吸うことで有名でね、精気を極限まで吸われた男は、干からびて死んでしまうそうよ」
「それじゃあ、今回のミイラは精気を吸われて死んだっていうことですか?」
それなら合点がいく――文の顔が、そう物語っていた。パチュリーもまた、この方法でなら、あの枯れ木のような死体を作り出せると考えていた。
だが、問題もある。
「その可能性はあるけれど、問題が二つある。まず一つ目は術者ね。少なくともこの幻想郷で、他者の精気を吸い尽くせるだけの魔法を使える人を、私は知らないわ。二つ目は、サキュバスは男性に対して出現する女夢魔であって、女性に対して現れるわけじゃないということ。女性にはインキュバスっていう男夢魔がいて、こちらは悪魔の子を妊娠させるって言われているから、今回の事件を鑑みると全く逆っていうことになる。まぁ、この対男性夢魔の特性を模したドレインの魔法を使えるのなら、これは問題になりえないだろうけれど」
「なるほど。ちょっと失礼な質問になってしまいますが、パチュリーさんは使えないんですか? ドレインの魔法」
予期していた通りの質問に、つい苦笑が漏れる。
「もちろん使えるわよ」
「えっ」
文の驚きようは、持っていた筆を落とすほどだった。
髪を弄っていたレミリアも手を止め、目を見開いた。
「と言っても」
パチュリーは二人を一瞥し、笑いを堪えながら言った。
「人間の精気を吸うものではないけれどね」
「……どういうことでしょうか」
落とした筆を取るために屈んだ文が、恨めしそうな声で聞いてくる。
「さっきも言ったけれど、ドレインには多くの種類があるの。私が扱えるのは、体内の毒素を吸い出すものとか、ランプの中の酸素を吸い出して真空にしたりとか、そういったものよ。人間一人の精気を吸いあげるなんて、かなりの手練れじゃなきゃ無理だと思うわ。その道のプロじゃないと、ね」
精気は生命力であり、その力強さといったら他に類を見ない。だから生き物は簡単には死なない。頭だけあれば生き残れる凄い生物だっている。たとえ生命力を吸えたとしても、死に至らしめるほどの量を吸うのは非常に困難で、至難の業であるはずなのだ。
その旨を伝えると、文は「冗談きついですよ」とむくれた。
レミリアも大袈裟な溜め息をついて不貞腐れてしまった。
「冗談が過ぎたことは謝るわ」
「それはいいんですが。となると、犯人は魔法に長けた人物っていうことですかね」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ようは精気を奪えればいいんだし。そう、たとえばさっき言っていたサキュバスのような夢魔そのものが出た、とかね」
「ああ、そうか。そうですね」
「もしかしたらもっと有力な説があるかもしれないけれど、今のところ私が描いている方法はこんなところね」
パチュリーは鼻から息を吐き、ソファーに身を沈めて唾を飲み込んだ。
長々と説明していたせいで疲労が滲み、喉も渇きを覚えている。自分で飲み物の一つでも用意すればよかったと後悔した。
おそらく文も口内が乾いて仕方がないに違いない。それでも彼女は会話を続行してきた。
「では、現在有力だと思われるのは、吸血と精気の略奪ということですね。吸血は……まぁ、傷口もないことですし、多分ないとして、精気の吸引は一考の価値ありですね。パチュリーさんのドレイン魔法の内容はわかりましたが、他の魔法使いはどうでしょう? ご存知でしょうか」
「そうね……」
指を組んで思考を巡らせてみる。
「精気を根こそぎ吸えると考えると、一番可能性が高いとすれば聖白蓮じゃないかしら」
「白蓮さん、ですか。なるほど、伝説の魔法使いですからねぇ、彼女」
「でしょ。他には……そうだ、魔理沙はどうなのかしら。放出系の魔法しか見たことないけれど」
「イメージ的に、ドレインって感じはなさそうですが。それならまだアリスさんの方が可能性あるんじゃないですかね」
「アリスね。アリス――」
アリスと口にした途端、ふっとある記憶が蘇ってきて、パチュリーは言葉を切った。
アリスと言えば、二ヶ月前に渡したイェツィラの書はどうなったのだろう。あれから一切連絡を受けていないが、解読は成功したのだろうか。
「どうされました?」
「あ、いや。ちょっと思い出したことがあってね」
「思い出したこと、ですか」
どうやら余計なことを言ってしまったようだった。文は目をぎらつかせ、身を構えて続きを待っている。
喋り疲れているというのに、更に説明を追加しなければならなくなってしまったことに、パチュリーは心の底から悔恨した。
「大したことじゃないのよ」吐息を混ぜて言った。「ちょっと前に珍しい本を見つけてね」
「珍しい本ですか」
「ええ。イェツィラの書というものなのだけれど」
二ヶ月前のことを思い出しながら、アリスと書について説明した。隣で欠伸をするレミリアを横目で捉えながら。
パチュリーは回想の旅から戻ってくると、じきに夜の帳が降りきり、冷え込んでくることを承知で大窓を開いた。
ここは二階で、大窓を開くとバルコニーに出る。そよりと頬に涼風が触れるのを感じながら、バルコニーの手すりにもたれかかった。眼下には庭園が広がり、ここから一望できるのだが、時間が時間なだけに誰もいそうになかった。
「さて」
文がやってくるまで、頭の中で出来上がっていた推理は二本だった。もちろん、ドレイン魔法の実行もしくは夢魔の出現だ。
しかし文と話しているうちに出てきたイェツィラの書の存在が、推理の幅を大きく変えてきた。
まさかとは思う。
調べた限りではあるが、ゴーレムは本来、守衛として使うものだ。破壊活動などするはずがない。たとえそれが自律人形としての機能を備えていたとしても、特性は大きくは変わらないはずだ。
しかし自分で納得できるだけの否定材料が揃わないうちは、疑いを持ち続けるのがいつものやり方でもある。
パチュリーは沈みゆく紅蓮の球体を見つめながら、第三の可能性について静かに推量し始めた。
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まさかのドレミーくるー?思った以上に魔術の体系がしっかりしていて面白いです。
(アリスに色々ドレインされたい)
今回は前回より少し時間を遡っているのかな?
次回も楽しみです!!