東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第7章 緋想天編   緋想天編 第6話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第7章 緋想天編

公開日:2017年06月03日 / 最終更新日:2017年06月03日

【第6話――地震当日】




―16―


 雷の語源は「神鳴り」であるという。雲の中に響く低い雷音は、音が空気の震動であることを誇示するかのように、私たちの身体を揺るがせる。こんなところ、人間の来る場所ではない。当たり前のことを噛みしめながら、私は早苗さんにしがみついた。これは神様の領分だ。生身の人間がいていい場所ではない。いや、私が今しがみついているのは神様だけれど。
「大丈夫ですよ、メリーさん。守矢の現人神の加護がありますから」
「早苗ちゃん、私も守ってよ」
「私に掴まってれば大丈夫ですって。神の雷で神様が感電してたらギャグにしかなりませんもん。炎使いは自分の炎で火傷しないのかなんてツッコミは野暮というものです!」
「そりゃ早苗ちゃんは神様だからいいけど、私とメリーは普通の人間なわけでね?」
「逆に雷に打たれて何か特殊な能力に目覚めるかもしれませんよ」
「私はともかく、メリーがこれ以上特殊な能力に目覚めたら大変だけど面白そうね。メリー、打たれてみない?」
「早苗さん、重かったら蓮子を放りだしていいわよ」
 そんな馬鹿なことを言い合っているうちに、早苗さんが不意に眼下を指さした。
「あ、蓮子さん、メリーさん、見てください! 地面ですよ!」
「雲に隠れてた山頂かしら?」
「もっと上まで来たと思うんですが……でも山頂より上の雲の中に地面があるって、それやっぱりラピュタなんじゃ? ロボット兵が鳥の巣を守ってたりしませんかね」
 早苗さんに抱えられて地面に降り立つ。あたりは暗く、一面岩に覆われた不気味な場所だった。確かに山頂っぽいけれど、さりとて妖怪の山の山頂に来たこともないので確証が持てない。
「ここが天界なのかしらね。メリー、何か視える?」
「そう言われても……雷がすごくて、結界視どころじゃないわ」
 あちこちで光が瞬き、ゴロゴロゴロと震動そのものの音が響き渡る。本当に早苗さんのそばにいれば大丈夫なのだろうか。黒焦げになって死ぬのはできれば勘弁してほしい。思わず相棒のコートの袖を掴んだ私は――不意に、雷の音に紛れて頭上から降ってきた声に顔を上げた。
「――おや? 天狗ではない、河童でもない、幽霊でもない。人間だなんて……」
 私につられたように、蓮子と早苗さんも顔を上げる。暗い雲の中を泳ぐように、ふわふわと舞い降りてくる影がひとつ。大きな雷がひとつ轟くとともに、閃光の中にその姿が浮かび上がった。
「昨日に続いて山の上に人間が来るなんて。それも今度は三人も」
 頭上から私たちを睥睨したその女性の姿に、早苗さんがぽかんと目を見開いて、それから私の隣にいる相棒の方を見やる。
「……蓮子さんのご親戚ですか?」
「いやいやいや、どう考えても違うでしょ。ファッションセンスが近いだけで」
 早苗さんの問いに、蓮子が首を振りながら唸る。そんな私たちの様子に、舞い降りてきた女性は不思議そうな顔で首を傾げた。
 早苗さんの誤解もまあ、わからなくはない。その女性は普段の蓮子によく似た格好をしていたのである。黒い帽子、白い上着に赤いリボン、黒いスカートというカラーリングは、トレンチコートを脱いだ相棒とほぼ一緒だ。違いは帽子のリボンが赤いことと、ひらひらとした赤いフリルのついた、薄紅色のショールめいたものを肩に何重にも巻いていることである。外見年齢は私たちより上だろう。妖怪だろうから外見年齢にほとんど意味はないのだが……。
「この先は普通の人間が立ち入ってはいけない領域です。天女に追い返される前に戻った方がよろしいかと」
「普通の人間じゃありませんよ! 神様ですから!」
「神? 現人神ですか。あまり格の無さそうな感じですが」
「初対面でいきなりそういうこと言います!? 空気読めない人ですね!」
 早苗さんにだけは言われたくないと思う。
「まあまあ早苗ちゃん落ち着いて。どうも初めまして、宇佐見蓮子と申します。こっちは相棒のメリー、こっちは守矢神社の風祝の東風谷早苗ちゃん。見ての通りの、あまり普通じゃない人間トリオですわ。あなたは?」
「……私は永江衣玖。龍宮の使いです」
「え、リュウグウノツカイってあの気持ち悪い深海魚の……」
「初対面でそういうことを言いますか? 総領娘様並に空気の読めない方ですね」
「深海魚に言われたくないです!」
「そもそも深海魚ではありませんから」
「というと――文字通りの龍宮の使いということですか? 天界に龍宮が? 浦島太郎が助けた亀に連れられた先は深海ではなく天界だったと?」
 好奇心に目を輝かせて詰め寄る蓮子に、龍宮の使いの女性――衣玖さんは僅かにたじろぐ。
「……私はただ、ある異変を伝えるために空を泳ぐだけです。幻想郷の未来を憂え、警告する存在。天界について人間に語る言葉は持ちません」
「ある異変?」
「緋色の雲は気質の霧。緋色の雲は異常の宏観前兆。緋色の雲は大地を揺るがすでしょう。私たちはそれを伝えに泳ぐのです」
「大地を揺るがす……地震のことですね! そうか、貴方が博麗神社を破壊した犯人ですね!」
 早苗さんは大幣を突きつけて、衣玖さんを睨んだ。衣玖さんは目をしばたたかせる。
「私たち守矢神社の将来の拠点を破壊するとは許せません! いざ成敗!」
「だから待った待った、早苗ちゃん。もうちょっと人の話を聞きましょ。探偵稼業は聞き込みが第一なんだから」
 飛びかかろうとした早苗さんを、蓮子が慌てて羽交い締めにする。むー、と唸る早苗さんを押さえつけながら、「どうもすみません、礼儀のなってない助手でして」と蓮子は苦笑する。
「そんなに感情的になってはいけません。私は起こるであろう地震を警告するだけ。私は地震の有無とは一切関係がありません。もうすぐ大きな地震が起きますから、貴方たちも今すぐ帰って防災対策をすべきです」
「いやあ、それがどうやら既に起こったようでして」
「ええ? 地震が起きたなら緋色の雲も消えるはずですが……」
「とてつもなく局所的に起きたようなんです。確認された限り、神社が一軒全壊しただけで、他は地震すら感知しませんでしたわ」
「……ははあ。それはおそらくあの方の仕業ですね。困った人です」
 蓮子の言葉に、衣玖さんは何か得心したように頷く。犯人に心当たりがあるらしい。
「犯人をご存じなんですか?」
「ええ、おそらくは……しかし、やはり人間がこの先に進むのは勧めかねます」
「所長、やっぱり犯人の一味ですよこのひと!」
「いやあ、どうなのかしら」
「あの方の一味と見なされるのはいささか心外ですね。ともかく、その神社を襲ったという地震はおそらく試し打ちです。本当の悲劇はこれから起こるのですわ」
「その前に犯人の一味を懲らしめる必要がありますね! 守矢の神の力を思い知らせてさしあげます!」
 蓮子の拘束を振り切って、早苗さんは地面を蹴って浮き上がった。衣玖さんはやれやれとため息をつき、身構える。
「龍宮の使いの忠告は、近い未来の悲劇を回避する一つの妙計。残念ながら、貴方は優秀な選択肢を一つ失いました」
 衣玖さんの腕が、電気を帯びたように光り輝いた。結局こうなるわけである。私は蓮子の腕を引いて、ふたりで岩陰に隠れる。――顔を出した瞬間、眩い弾幕ごっこの幕が開いた。

 風使い対雷使い、と書けば、時代がかったファンタジーめいている。
 雷光を操る衣玖さんと、風を操る早苗さんの決闘の美しさについては、例によって例のごとく、私は語る言葉を持たない。断じて描写をサボっているわけではなく、本筋に関係のない描写を省いて物語を軽量化しているものと受け取ってほしい。読みやすさは大事だ。
 ともあれ、勝敗はというと――。
「さあ、一味のボスのところへ案内してもらいますよ!」
「……ですから私はあの方の一味ではありません」
 大の字に倒れた衣玖さんに、大幣を突きつける早苗さん。身体を起こした衣玖さんは、大げさなため息をついて頭上を見上げた。
「この雲の上に、地震を鎮めることのできるお方がいます。この緋色の雲も、神社を破壊した地震というのも、おそらくはその方の戯れでしょう」
「なんですかその迷惑そうなひと。やはり私が退治して幻想郷に安寧を取り戻し守矢の威光を広く知らしめなくてはいけませんね! 蓮子さん、メリーさん、行きましょう!」
 岩陰から見ていた私たちに駆け寄ると、早苗さんは返事も待たずに私たちの腕を掴んでふわりと浮き上がる。私は慌てて早苗さんにしがみついた。
「さあ、犯人がわかりましたよ! あとはやっつけるだけです!」
「……ねえ早苗ちゃん、犯人の名前とか人相とか聞いてない気がするんだけど」
「あっ」
 口を開け、早苗さんはそれから眼下に小さくなっていく衣玖さんの姿を振り向いた。戻るべきか思案して、けれど今から戻って確認に行くのも間抜けだと思ったのか、「だ、大丈夫ですよ! きっと怪しい奴が犯人です!」と無茶なことを言って上昇を続ける。
 大丈夫だろうか。不安しかない。私は蓮子と顔を見合わせて首を傾げながらも、空を飛べない身の上では、ただ早苗さんにしがみついているしかないわけで――。
 雷音が徐々に遠ざかり、私たちは再び雲の中に突っ込んでいく。暗い雲、頬を打つ水滴、私は思わず目を瞑り、ただただ早苗さんを離さないように腕に力を込めて――。
 そして、雲を突き抜けた。




―17―


 むかし、むかし、秘封倶楽部は、友達の神に連れられて、天界とやらに来てみれば、絵にも描けない美しさ――と歌っても仕方ない。だいいちこれは文章であって絵ではない。小説なら「十万の軍勢」は五文字で済むが、作画担当は死に至るという原作者と漫画家のディスコミュニケーションの話ではない。逆に絵でばーんと見せれば一瞬のところを語彙をひねり出して書かねばならず、しかもこちらの想定通りに読者が思い描いてくれるとは限らない小説側の苦労もお察しいただいたいところだ――と、記録者としてのワトソン役である私の愚痴を書き連ねているところからお察しいただきたいのだけれども。
 そこで私たちが見た天界の光景を、はたして何と記せば上手く伝えられるものだろうか。
 雲海という言葉があるが、文字通り雲の海の中に島が点在するかのように大地が浮かんでいる。その中のひとつに降り立って、私たちは目の前の光景に息を吐いた。白い花に覆われた大地。無数の桃が成る木々。西方浄土、という言葉が浮かんだ。少なくともエデンの園ではなさそうである。それなら桃ではなく林檎のはずだし。遠くに、半透明の羽衣を身に纏った女性が踊ったり飛んだりしているのが見える。あれがいわゆる天女だろうか?
「ここが天界ですか? なんか思ったより殺風景ですね」
「早苗ちゃん、どんなの想像してたの?」
「え、そりゃもう、なんかこうどーんとお城があって、ばーんと豪勢な庭があって……」
「あっちで何か宴会やってるみたいよ。そっちにあるのかもしれないわ」
「じゃあ、行ってみましょう!」
 天女らしき影が飛んでいる方を指さした蓮子に、早苗さんは頷く。――と。
「おお? 蓮子にメリーに、山の巫女じゃん。天界くんだりまでよく来たねえ」
 唐突に割り込んだのは、聞き覚えのある酔っ払った声と、どこからともなく流れてくる霧。白い霧が風もないのに私たちの近くに集まってくると、その中からぽんと小柄な鬼の少女が姿を現した。伊吹萃香さんである。「おおう」と早苗さんが目を丸くした。そういえば早苗さん、萃香さんとはあまり面識がないのか。
「あらら、萃香ちゃんじゃない。博麗神社にいないと思ったら、こんなところにいたの?」
「まーねー。なんか気質を雑に萃めてる奴がいるから気になって来たんだけど、思ったより居心地がよくてさあ。飽きるまではここにいようかなって。蓮子たちもあっちで呑んでかない?」
 赤ら顔で盃を差し出して萃香さんは言う。鬼の酒は死ぬほど強いので勘弁してほしい。
「え、いいの?」
「ちょっと蓮子さん、私たちは宴会に来たんじゃないですよ!」
 蓮子の袖を引っ張って、早苗さんが言う。「おん?」と萃香さんは早苗さんの方を見やった。
「そこの山の巫女は何しに来たのさ? 天界でやることなんざ呑んで歌ってだらけることぐらいだよ」
「私たちは地震を引き起こそうとしている不届きな輩を退治して守矢神社の威光を天下に知らしめるために来たんです! あ、まさか貴方が犯人ですか?」
「いやいやいや、紅魔館の引きこもり魔法使いみたいなこと言わないでよ」
「パチュリーさんのこと?」
「そうそう、あの魔法使い、何を勘違いしたんだか、気質を萃めてる犯人を私だと思ったらしくてねえ。私ならあんな、大半が天気になって漏れちゃうような雑な萃め方はしないってのにさあ。濡れ衣着せられていい迷惑だよ」
「あらら、ご愁傷様。じゃあ、犯人はどこのどなた?」
「ああ、そりゃあ――」
 と、萃香さんが言いかけたところで。
 ――ぐらり、と私たちの足元の大地が揺らいだ。
「わわっ、天界で地震ですか!?」
 早苗さんがよろめき、私もバランスを崩して、ふたり揃って蓮子にしがみつく。「あらあら、これっていわゆる両手に花?」と蓮子が頭の悪いことを言いだしたので、とりあえず小突いておこうと片手を振り上げ、けれどその手は中途半端なところで止まった。
「――天にして大地を制し、地にして要を除き」
 そんな声とともに、私たちの眼前に舞い降りてくる影がひとつあったからだ。
「人の緋色の心を映し出せ」
 緋色の閃光とともに、そこに姿を現したのは、きらびやかな衣裳を身に纏った、長い髪の少女だった。桃の飾り(本物?)のついた帽子をかぶったその少女は、得意げな笑みを浮かべて、私たちの前に仁王立ちする。
「そのいかにも格好つけた登場、貴方が異常気象と地震の犯人ですね!」
 早苗さんが少女に大幣をつきつけると、少女は嬉しそうに笑った。
「貴方が異変解決の専門家ね。待ってたわ。その通り、貴方の神社を壊したのはこの私」
「……え?」
「ギャラリーまで連れてきてくれるとは、随分余裕じゃない。そういえばここから見てたときと、何かちょっと色が違うわね。わざわざめかしこんできたの?」
 少女は私と蓮子と早苗さんを順繰りに見回して、ひとつ首を傾げる。私たちも顔を見合わせた。――この少女、ひょっとしなくても、早苗さんと霊夢さんをとり違えてる?
「失礼な! 私は東風谷早苗、妖怪の山の守矢神社の風祝です! 誰も彼も私を霊夢さんの色違い扱いとか、いい加減怒りますよ! 2Pカラーじゃないです! 神の怒りを恐れよ!」
 むきー、といきり立って吠える早苗さん。しかし、少女はきょとんと目を見開いた。
「は? 何言ってるの?」
「へ?」
「なんで無関係なのが怒ってるのよ。私はそっちに聞いてるの」
 そう言って、少女が指さしたのは――。
「え、私?」
 我が相棒、宇佐見蓮子の方だった。




―18―


「そうよ。いつもの紅白の服はどうしたの? そんな暑そうな格好して」
「え、えええ? いやいやいや、私は宇佐見蓮子。ただのしがない人間ですわ」
「は? ええ、だって――え、博麗神社の巫女じゃないの?」
「残念ながら」
 ぱちぱちと瞬きして、少女はそれから顎に手を当てて唸る。
「それにしては、随分よく似た気質してるけど……」
「えー? ねえメリー、私って霊夢ちゃんに似てる?」
「言われてみれば、傲岸不遜で傍若無人で強い妖怪に妙に気に入られるところはそっくりね」
「それ褒めてるの? 早苗ちゃんはどう思う?」
「蓮子さん、ひょっとして霊夢さんの子孫だったんですか!? 八〇年の時を越えたタイムスリップで死んだおばあちゃんに会いに来たとかそういう話だったんですか?」
「いやいや、うちのおばあちゃんは二〇〇一年東京生まれだし、私たちの来た二〇八五年の時点でまだ元気だったから!」
 慌てて首を振る蓮子。ただ、早苗さんの言うことは微妙に的を掠めていなくもない。そろそろ忘れてしまいそうだが、元々私たちがこの幻想郷に来たのは、蓮子の大叔母さんの秘密を探ろうとした結果だったわけで……今現在、外の世界ではその大叔母さん、宇佐見菫子さんが元気に小学校に通っている頃のはずだ。少なくとも、宇佐見菫子さんが霊夢さんと同一人物ということは有り得ない。私は春雪異変のとき、ご本人に会っているし――。
「と、とにかく。博麗さんちの霊夢ちゃんはまだ壊れた神社のところにいるか、神社を壊した犯人を捜しているか、のはずよ。私は人間の里で探偵事務所をやってる宇佐見蓮子。で、これは相棒のメリー、こっちは妖怪の山にある守矢神社の東風谷早苗ちゃん」
「ふうん。まあ、何でもいいわ。貴方たち、私を倒しに来たんでしょう?」
「ラスボスらしい余裕ですね! もちろん、守矢神社の威光を幻想郷に知らしめるため、この異変を解決させていただきますよ! 蓮子さんとメリーさんは下がっていてください!」
「あれ、戦うのはそっちなの? まあいいか。異変解決に来てくれたなら何でもいいわ」
 身構えた早苗さんに、少女は不思議そうに視線を向け、けれどすぐに楽しげな笑みを浮かべると、緋色の剣を振りかざした。
「私は比那名居天子。天界に暮らす比那名居の人よ。楽しませてくれるなら誰でもいいわ。さあ、異変解決ごっこを始めましょう。私を倒してみなさい!」
「――ん?」
 今度は、私たちがきょとんと目をしばたたかせることになった。
「望むところです!」
「あー、待って待って早苗ちゃん、その前にひとつ確認させて」
「なんですか蓮子さん! 最終決戦の盛り上がりの腰を折らないでくださいよ」
「いや、戦う前に異変の経過と動機を確認しておきたいのよ。ええと、天子ちゃんだっけ。博麗神社を破壊したのと、ここ最近の異常気象を引き起こしていたのは貴方なのよね?」
「ええ、そうよ。この緋想の剣の前ではあらゆる気質が丸裸になる。それで緋色の霧を集めて、大地を揺るがすの。地上のあの神社を壊したのは、試し打ち。これから私の足元の要石を動かして、さらに大きく幻想郷を揺るがすのよ」
「おお、くわばら、くわばら。どうしてそんなことを? 何か目的があるの?」
 蓮子の問いに、天子さんは腰に手を当ててひとつ息を吐く。
「天界の暮らしは退屈でね。呑んで歌って踊って、毎日その繰り返し。だからここから地上を眺めていたの。地上の人間が妖怪相手に異変解決で遊んでいるのを」
「――ということは」
「そ。だから私も起こしちゃった。異変」
 にっ、と無邪気な笑みを浮かべて、天子さんはあっけらかんとそう言い放つ。――つまり、永琳さんの推測通りだったというわけだ。暇を持て余した天人の、傍迷惑な遊び。それで神社を壊された霊夢さんはたまったものではないし――これからさらに大きい地震が来るとなると、私たちだってたまったものではない。やめてほしい。
「あの神社を壊せば、真っ先に博麗の巫女が来てくれると思ったんだけど。まあ、貴方でもいいわ。私を楽しませてくれるならね」
「どこまでも傍若無人で無礼千万ですね! 霊夢さんが来る前に、この東風谷早苗がぎったんぎたんにしてさしあげます!」
「そうそうその調子。もっと腹を立てて真剣に戦って! 貴方が私を懲らしめないと、幻想郷が壊滅するのよ!」
 完全に愉快犯である。レミリア嬢より遥かにタチが悪い。
「ふふふ、いいですねその徹頭徹尾の悪役ぶり。ラスボスに下手に同情の余地なんか持たせるからいけないんです。悪は悪、完全無欠の悪い奴を正義が倒すのが面白いんです! そんな悪の化身を倒して幻想郷最大の危機を救ったとなれば、守矢の威光も天井知らずです!」
「なんか正義っぽくないこと言ってるわね。まあいいか。異変の主犯らしく、要石と緋想の剣の力を、マグニチュード最大で貴方の身体に刻み込んであげる!」
 そうして、ふたりが地を蹴るのと同時――。
「おー、始まったか。蓮子、メリー、危ないからこっち来な」
「へっ?」
 突然、背後から萃香さんの声がするとともに、私たちは思いきり吊り上げられるように持ち上げられた。見上げると、数メートルに巨大化した萃香さんが私たちを指でつまんでぶらさげている。脳の理解が追いつかない。
「す、萃香ちゃん? なんでそんなおっきくなってるの」
「持ち運びにはこのサイズの方が便利だからねえ」
 そういう問題じゃないのだが、構わず萃香さんは私と蓮子をぶら下げたまま、のしのしと歩いて行く。林をひとつ超えたところで萃香さんの身体は縮み始め、私たちはそのまま放り出されるように地面に尻餅をついた。なんだったのだ。
「天子の奴、起こした異変も傍迷惑なら、戦い方も傍迷惑なんだよ。あのへんの地面ボコボコになって、近くにいたら巻き込まれるからさ。ここで酒でも呑んで待とうじゃん? 肴は桃しかないけどね」
 いつの間にかすっかり元の幼女サイズに戻った萃香さんが、いつも持ち歩いている瓢箪から盃に酒を注いでいる。それならそうと先に言って欲しい。
「ところで、博麗神社が壊されたとか言ってなかった?」
「ああ、うん。今朝方」
「霊夢は無事なの?」
「まあ、一応本人は無傷みたいよ。財政と心理的には大ダメージだろうけど」
「やれやれ。そうまでして霊夢と戦いたかったのかね、天子の奴」
 萃香さんは呆れ気味にそう言って、豪快に盃を傾ける。
「それなら後で私が直しに行ってあげるかな」
「神社を?」
「ま、霊夢にゃ世話になってるしね。お前さんたちも、もし地震で家が壊れたら私を呼びなよ。建て直してあげるからさ」
「できれば、壊れる前に耐震工事してほしいわねえ」
「……あの、萃香さん、彼女の計画を知ってて止めなかったんですか?」
 おそるおそる私がそう訊ねると、萃香さんは「おん?」と私の方を振り向く。
「別に、止める義理もないじゃん。起こしたい奴が異変を起こすのが幻想郷の流儀でしょ」
「だとしても、いくらなんでも大地震を起こそうなんて……」
「満月を隠すのも、幻想郷中を花だらけにするのも、同じようなもんだよ。迷惑なことには変わりないじゃん。それを解決するのは霊夢の仕事、私のやることじゃないよ」
 そうなのだろうか。妖怪の理屈はよくわからない。いや、そもそも妖怪は別に大地震が来ても問題はないということなのか。困るのは里の人間だけで――でも、幻想郷の妖怪は里の人間に存在の力を依存しているわけで……。
「まあ、人間の里によほどでかい被害をもたらすようなら、紫が動くよ」
「妖怪の賢者が?」
「幻想郷のバランスが崩れるようなことになったら、紫の出番さ」
「妖怪の賢者かあ。私、未だに会ったことないのよねえ」
 蓮子がいつの間にか酒の盃を受け取って、傾けながらそう呟いた。
「おん? 蓮子、幻想郷来て結構経つのに? 博麗神社にだってよく来るじゃん」
「そうだけど、なんでか私の前には現れてくれないのよねえ、妖怪の賢者さん」
「ふうん?」
 萃香さんは不思議そうに首を傾げ、「紫が、ねえ?」と目を細める。
「蓮子、永遠亭で会わなかった?」
「あのとき私、目が見えなかったから、気配しか感じなかったわよ」
「あ、そっか……」
 私も、妖怪の賢者――八雲紫さんとは、春雪異変と永夜異変の二度しかまともに顔を合わせていない。式神の八雲藍さんは、ときどき私たちの前に現れるのだけれど……。
「まあ、紫が何考えてるんだかなんて、私も長い付き合いだけどよくわからんよ。ただ」
「ただ?」
「何かしら、理由はあるんだろうね。紫にしか解らない理由がさ」
「私の前に姿を現さないことに?」
「あるいは、お前さんたちを外の世界からこの幻想郷に連れてきたことにもさ」
「――――」
 私たちは顔を見合わせる。……私たちが、なぜこの世界に来なければならなかったのか。幻想郷での暮らしに慣れすぎて、最近はそんなことを考えることも少なくなっていた。
 八〇年の時と博麗大結界をジャンプして、二〇八五年の東京からここに来た私たち。
 そのことに、いったいどんな意味があるのか――。
「理由があるなら、さっさと説明してほしいんだけどね。歴史改変でもすればいいのかしら」
「……私たちがここに来たことで、もう既に歴史が変わってると考えるべきじゃないの?」
「だから私たちを放置してるって? それもなんか理不尽ねえ」
「まあいいじゃない。ほら蓮子、この桃美味しいわよ」
「釈然としないけど……あ、メリー、このお酒呑みやすいわよ」
 何にしても、こんなところで考えても仕方ないことだ。私は蓮子の差し出した杯を受け取って口をつけてみる。確かに甘やかで口当たりの良い、あまりお酒に強くない私にも呑みやすいお酒だった。これならいくらでもいけそうだ。桃も美味しいし。
 遠くから、地鳴りと風の音が響く。天子さんと早苗さんの戦いはまだ続いているようだ。
 その環境音をBGM代わりに、私たちは暢気に盃を酌み交わしていた。

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この小説へのコメント

  1. ゲームの緋想天では紫が大きな役割を果たしてましたし、本作でも現れるのを期待
    秘封モノで紫が現れる展開はグッと緊張感が増すので私は好きです

  2. 早苗さんのはっちゃけぶりが面白くて、いつの間にか毎回の楽しみになってしまってます。台詞回しがすごい。
    案外天子と早苗は気があうかもしれませんね。

  3. 霊夢と蓮子の気質が似てるのは、何か大きな伏線の気がする(迷推理)

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