東方二次小説

火車のゆくえ火車のゆくえ   火車のゆくえ 第1話

所属カテゴリー: 火車のゆくえ火車のゆくえ

公開日:2016年01月17日 / 最終更新日:2016年01月17日

火車のゆくえ 第1話
 尖塔にも似た巌にもたれて本を読んでいると、ふっと頁に影が落ちた。
 火焔猫燐は、手元はそのままに頭上を仰いだ。
 この地は地底と――昔を知る者には地獄と――呼ばれるだけあって、途方もない厚さの岩盤に覆われている。喩えるなら卵殻だ。殻の内側にいる燐には、外側の様子を窺い知ることはできない。従って、見上げる先は自然と天上ではなく天井となる。
 だからこそ、疑問でならなかった。
 どうして影なんかが落ちるのだろう。地底は陽の射さない場所だ。暗がりで、よほど注意していないと飛び交う鳥の影すら気づくことができないというのに。地上のように、空を漂う雲がさしかかることもないというのに。
 しかしそれも、両目があるものを捉えるとすぐ理解に至った。なんのことはない、そこには不可思議なことなど何もなかった。
「おくう」
 本を閉じながら、親友を愛称で呼ぶ。霊烏路空、だからおくうだ。
 おくうは器用に巌の先端に手足を載せ、こちらを見下ろしていた。食い入るような見方をしているから、見下ろしているというよりは覗き込んでいるような格好になっている。影は、彼女から伸びてきていた。
「どうしたのさ」
 訊くと、おくうは間を置かずに、
「お燐って、字が読めたんだね」
 おくうも燐のことを愛称で呼ぶ。もうずっと昔から、二人は愛称で呼び合う仲だった。
「いきなりどうしたんだい。おくうだってさとり様に教えてもらっていたじゃないか」
「うーん。でも、難しくて覚えられないよ?」
「そこは勉強次第だと思うけど」
 普段だったらもっとおくうに構ってやるのだが、今は本の続きが気になって仕方がなかった。仕事の合間に読んでいるのも一因かもしれない。いずれにせよ、戯れるのは後回しにしたかった。
 なので、適当にあしらった。最近はおくうの仕事の関係もあって、一緒にいる時間が相当に減じている。寂しさも、それなりに感じてはいる。けれど、本はそれを覆すほどの精神的豊かさをもたらしてくれる。だからどうしても、優先順位がおくうよりも高くなりがちになってしまうのだった。
 読書を再開すると、しばらくしてとおくうの翼を打つ音が聞こえてきた。
 燐は振り向きもせず、
「凄いねえ、外の世界にもこんなにたくさんの火車がいるのか」と、独り言を呟きながら頁を捲る。
 今読んでいるのは、様々な妖怪について書かれた書物の、火車の項だった。さとりが鈴奈庵というところから借りてきてくれたものだ。貸本ではあるが、そもそもこの本自体が写本であるらしいので、気兼ねなく読むことができる。それが嬉しかった。本物であれば粗相が許されないので、読む気すら失せてしまう。
「ふーん。外のやつは罪人だけしか運ばないんだ」
 あたいは何でも運んじゃうけどねえ、とごちる。本を読み出すと、つい口に出してしまうという癖が燐にはあった。
「お、歌まであるんだ」
 それは『拾玉集』という歌集に納められた古歌らしかった。

 火車の、今日は我が門を遣り過ぎて、哀れ何処へ巡りゆくらむ――

「ううん、いまいち意味がわからないねえ」
 さとり様に聞いてみるか、と愛用の栞を挟んだ。
 燐が本を読み出したのは、つい最近のことだ。
 たまには博麗神社に冷やかしに行こうかと地上に出たとき、ぱったりと出逢ったアリスに絵本を見せてもらったのがきっかけだった。
 彼女が持っていたのは、長靴を履いた猫が活躍をするという寓話の本だった。幻想郷の内外を問わず有名な話らしく、絵本だから子供にもわかりやすいということで、人形劇とあわせて子供達に読み聞かせてやっているらしい。
 燐はそれを読んだ直後、得体の知れぬ快感に酔い痴れてしまった。もしかしたら猫としての本能が働いたのかもしれない。猫は生来、好奇心旺盛な生き物だから。本は知的好奇心を満たしてくれるから。
 その日から読書をする習慣が身についた。
 死体運びの仕事の合間を縫って読んだり、寝る前に読んだり。こうして少しでも時間ができると、袖の下から本を出して読み始める。五日くらい前から始めたことだから、おくうが知らないのも無理はなかった。
「失礼しまーす」
 さとりの部屋のドアをノックすると、返事を待たずに中へ入った。燐はペットという立場だから、こういう無礼な振る舞いも許されていたりする。もし怒られるとしても、じゃあ猫の姿で入るなら許されるよね、と反撃もできる。他の妖怪達ではこうはいかないだろう。一種の特権のようなものだ。
 さとりは安楽椅子にもたれ、眠っていた。まだ昼前だというのに、他のペットたちに囲まれていかにも気持ちよさげである。
「ありゃあ、寝ちゃってるよ」
 しょうがない、と吐息を一つ。
 栞は三つあることだし、さっきのところに挟みっぱなしにしておこう。聞くのはあとからにしよう。
「おやすみなさい、っと」
 小言でそう言い置いて、忍び足で部屋から出て行った。
 軽く食事をとり、仕事にとりかかる。
 人間から「地獄の業火」と呼ばれている火。その火力を調節するのが燐の主たる仕事だ。とは言っても、やることといえば拾い集めた死体を猫車で運んできて、溶岩湖に放り込むだけ。実に簡単な作業であり、だから燐は、仕事というよりは当番といった感覚でいる。
 今日はあまり火力が衰えていないこともあり、早々に切り上げることにした。例の歌についてさとりに意見を求めたかったし、何より本の続きが気になって仕方がなかった。
「さとり様―」
 再び開けたドアの向こうに、主人の姿はなかった。ペットたちの姿も見えない。散歩にでも出てしまったのだろう。
「しようがないねえ」
 拾玉集の件は大いに気になるけれど、いないものはいない。諦めも肝心だ。それに、別に後回しにしてしまっても本の続きは読める。
 燐はさとりが普段使っている安楽椅子に背を預けると、袖の内側にくっつけてあるポケットから本を取り出した。
「こういうのも、いいもんだ」
 まるでどこかの魔女さんだな、と小さく笑う。
 彼女は万年本の虫で、会いに行く度にこうして安楽椅子にもたれて本を読んでいるのだった。
 あ、そうかと、唐突に閃いた。一緒に猫耳も立った。
 そうじゃん、別にさとり様だけというわけじゃないんだ。魔女に聞くのもアリだよねえ。
 そうと決まれば、善は急げだ。

 少し冷たい風に耳を撫でられながら紅魔館の正門に着くと、器用に立ったまま寝ている門番の姿があった。
 腕を組み、頭は折れることなく垂直を保っているけれど、目は閉じているし、何より口の端の方からよだれが垂れている。これで寝ていないとは言わせない。
「おじゃましまーす」
 門番を起こさないよう、静かに身体を浮かせて正門を越える。中庭に降り立っても咎めの言葉が飛んでこなかったので、安心して歩を進められた。
 紅魔館は吸血鬼の住処だというのに、実に多くの花に囲まれている。
 燐は花が大好きだった。今すぐ猫の姿に戻って、花壇に突っ込んでしまいたいという欲に駆られるほどに。
 今は秋だが、全体的に桃色の花が多かった。残念ながらそちらの知識は明るくないので、名前はおろか季節特有の花なのかさえわからない。香りは控えめだ。この花畑の上で寝転んだら気持ちいいんだろうなあ、と想像を膨らませながら、建物に向かって歩いていく。
 両翼に広がる花壇を別つようにはしっている道を進んでいくと、ほどなくして紅魔館本体に辿り着いた。入り口は重厚で厳めしい木製の大扉だ。ちょうど真ん中辺りに、乳白色の獅子を象ったノッカーがついている。
 燐はそのノッカーを叩いた。「ごめんくださーい」
 ややあって出てきたのは小悪魔だった。ボリュームのある朱色の髪を後ろでまとめ、ポニーテイルとやらにしている。
「はーい……って、お燐さんですか」
「どもー。ちょっとお邪魔しにきたんだけど」
「あ、どうぞどうぞ。今ちょうどお掃除中だったんですけど」
 館内に入り、扉が閉まりきると、小悪魔はなぜだか愛想笑いを浮かべて鍵をかけにきた。がちゃり、と重そうな金属音がする。
「鍵、閉めるようになったんだ?」
 訊ねると、彼女は恥ずかしそうに、
「いいえ。美鈴さんがお休みっぽいので」
「あーはいはい、そういうこと」
 門番職は美鈴が担っている。用心のための門番が置物と化しているのだから、用心のための鍵をかけている、ということだろう。
「で、その髪型は? いめちぇんとやらでもしたのかい?」
「これはお掃除用ですよ。いつもお掃除をするときにはこの髪型なんです」
 髪が乱れ放題になっちゃいますから、という言葉に燐は、へえ、とこぼした。つまりあたいは今まで、掃除のときにお邪魔したことがなかったんだな。今度からはもっとマメに寄ってやらないと。
「それで、お燐さんのご用件は?」
「用件というほどのものじゃないんだけど」
 掃除中に押しかけてきておいて、遊びに来た、ではいかにも決まりが悪い。
 何とかうまい文句はないだろうかと頭を悩ませた結果、出てきた台詞がこれだった。
「ちょっと魔女さんに勉強を教えてもらおうと思ってね」
「勉強、ですか」
 目を瞬かせる小悪魔に、燐は慌てて付け足した。
「勉強といっても、人間の寺子屋とやらでやってるようなやつじゃないんだ。ちょっと古歌を教えてもらおうかと」
「古歌……」
 うーん、と唸られてしまった。
 もしかして勘繰られるような言い方になってしまったのかと冷や冷やしていると、
「パチュリー様は歌、詳しくありませんよ?」
「え? あ、そうなの」
「はい。詩人の頭の中は理解できないとまで仰っていますし。ちょっとお力にはなれないかと」
 魔女の手足として働いている彼女が言うのだから、事実そうなのだろう。あてが外れて少しばかりへこんだ。猫耳と二本の尻尾も垂れた。
「あ、でも」小悪魔はちょっとだけ声を弾ませた。「パチュリー様は駄目でも、阿求さんなら詳しいかと」
「阿求?」
 御阿礼の九代目のことか、と燐は顔を曇らせた。あたい、あの女苦手なんだよねえ。
「もしくは小鈴さんとか」
「小鈴――ああ、鈴奈庵の」
 まだ一、二度ちらりと傍目から見ただけではあるけれど、彼女が相手ならなんとかなりそうだ。とっつきにくい感じも見受けられなかったし。
「ありがとう、そっちにお邪魔してみるよ」
「すみません。あ、その前にお茶していきません?」
 その申し出に、燐は即答した。
「よろこんで」
 ここの紅茶は幻想郷一だ。そして小悪魔は、話し相手として最高に近い相性である。お茶会に参加しない理由がなかった。

「やばいやばい」
 調子に乗って陽が傾くまで喋り込んでしまった。
 小悪魔とのお喋りは楽しいのだが、時間を忘れてしまうという副作用があるのをすっかり失念していた。いや、忘れるほどご無沙汰していた自分が悪いんだけど、と燐は後ろ髪を掻く。
 幸いなことに、紅魔館から鈴奈庵まではそう遠くない。飛んでしまえば、ひょいと着く距離である。
 問題はさとりだった。帰りが遅くなれば、こっぴどく叱られてしまう。
「まあ、でも」
 たまにはいいか、と開き直ることにした。交友を深めるのも大事だし。今日はさとり様の側にはおくうもいるだろうから。
 鈴奈庵には、自分への言い訳もし終わらぬうちに到着した。
 見た目はあまり本屋には見えない。どちらかと言えば質屋である。しかも看板の「庵」の部分が斜めに傾いてしまっている。
「どもー」
 声をかけながら縦長の暖簾をくぐると、すぐに返事があった。
「いらっしゃいませ」
「あ、どうも」
 相手の顔を窺いつつ、燐は頭を軽く下げた。
 店の奥に置かれたテーブルを前に、黄みがかったエプロンを着て椅子に座っているのは、この鈴奈庵の番をしている本居小鈴に相違なかった。遠くから見かけた程度ではあるけれど、特徴のある鈴つきの髪留めは、一度見ればそうそうは頭から抜けていかない。鈴はあたいの好物だしね。
「何かお探しでしょうか?」
 弾けるように椅子から降り、近寄ってきた小鈴だったが、
「え? あ、妖怪……」
 燐の頭――おそらくは猫耳――に目線を釘付けにしたまま、固まってしまった。
「あれ。このお店、妖怪は出入り禁止だったりするの?」
 あくまで気さくに振る舞ったつもりだった。こちらに敵意はありません、あんたを食事してしまおうなどとは露ほどにも思っておりません。そう態度で示したつもりだった。
 だが、彼女は完全に萎縮しきってしまっていた。ふるふると頭を揺らし、半歩あとずさる。
 もしかしてここ、本当に妖怪の出入り禁止?
「あー、怖がらなくてもいいよ。あたいは燐っていうんだ。みんなからはお燐って呼ばれてる」
「おりん、ですか」
 燐の名前を復唱する。それだけのことではあったが、彼女は幾分か落ち着きを取り戻したようだった。
「そうそう。あたい火車なんだけど。火車って知ってる?」
「火車って……」
 せっかく落ち着いたと思った小鈴の顔から、瞬く間に血色が失われていく。
 マズったかもしれない、と燐は釈明するように言い足した。「えっと、別にたいした妖怪じゃないんだけどさ」
「……んで」
「え?」
「なんでうちに火車なんて来るのよぉ!」
 栗色の髪に指を突っ込み、小鈴は頭を抱えるようにしてその場にしゃがみ込んでしまった。
 呆気にとられた燐には、ただ見守るだけしかできなかった。

「ごめんなさい、取り乱してしまって」
「いやあ、それは別にいいんだけど。よければ火車の話、もうちょっと詳しく聞かせてもらいたいなぁ、なんて」
 テーブルの上に用意されたティーカップの端を爪で弄りながら、燐は尻尾をうねうねとさせた。好奇心の頭がもたげてきた証だ。本で調べるのもいいけれど、こうやって他人様から教えてもらうやり方のが、あたいにはあってるよ。
「火車って、死体を運ぶアレですよね」
「うん。あたいはそう」
「でも火車って、火車によって色々な役割を持っているというか。文献に載ってるお話を見ている感じ、それらを複合させて火車と呼んでいるみたいなんですよね」
「どういうことだい?」
 火車っていう妖怪は一種類じゃないのかい?
「昔は『火の車』と呼ばれていた妖怪も、今では火車と一括りにされていたり。だから火車って、二つ三つ意味を持っているんですよ」
「ひのくるま。え? 火っていう字に車っていう字?」
「そうです。でも、一括りにしてしまっても不都合はないだろう、って思われたのか、今では火車って呼ばれますね」
 そう、楽しげに言う小鈴。
 先ほどの騒ぎが嘘のようだ。
「ふんふん、そりゃ初耳だね。でもその火の車とやらと、火車は別物なんだろ?」
「文献を見る限りでは違っていますね」
「火の車はどんな妖怪なのかな?」
 燐も小鈴に負けないくらいの明るい声を出した。こういう話は、聞くのも話すのも好きだ。
「運ぶという点では同じですけど、中身は全然違いますね。『火車』は死体ならなんでも運びますが、『火の車』は生きている人間を――あ、これは悪人限定で――運ぶんです。生きながらにして地獄に連れて行くためにね」
 雰囲気を出そうとしているのか、声がわざとらしい低音である。
「ふうん。生きていたら抵抗されちゃうし、面倒な気がするけどねえ」
「まあ、死体を運ぶよりは面倒でしょうね。でも火の車を引くのは牛頭馬頭という地獄の獄卒ですから、人間じゃ太刀打ちできないんじゃないですかね。屈強という意味で。ああでも、生きた人を連れて行くといっても、連れて行くのは魂だけですから、強い必要はないのかも」
「魂を運ぶ、と」
 だから怖がったんだな、と燐は納得した。
 火車が迎えにやってきた。そして私は生きている。ああ、じゃあ来たのは火車ではなく、火の車か。私は地獄に連れて行かれてしまうのか。魂だけ車に乗せられて。まだ死にたくない。怖い助けて――まあ、こんなところだろう。
「でもさ、火の車とやらも悪人しか連れて行かないんだろ? あんたは何か、連れて行かれるような心当たりでもあったのかい?」
 そう訊くと、小鈴は顔だけを左右に勢いよく振った。
「なな、ないですないです、そんなのないです!」
「じゃあなんでびびってたのさ?」
 素朴に感じたことを投げかけると、彼女は頬を紅くした。頭を振りすぎたためではなく、何やら照れているようだった。
「お、お恥ずかしいお話ですけど」俯き加減になる。「火車は貧乏神と同じなんです」
 これには燐も目を白黒とさせた。
 なんだって? あたいが貧乏神?
「お金の関係って、妖怪にはあまり馴染みがないと思いますが」
「ないねえ。これっぽっちも」
 だからここの本一冊、自分では借りられないわけだが。
 あれ? そういえばさとり様はどうやって借りたんだろう。お金、持ってるのかな。
「家の経済状況が極めて苦しい状態を、火の車っていうんですよ。家計が火の車だ、っていう使い方が一般的ですかね」
「つまり貧乏ってこと?」
「端的に言ってしまえば、そうなりますね。火の車に乗せられた人は、物凄く苦しみます。貧乏も物凄く苦しいですから、転用されるようになったんでしょう。もしかしたら本当に財物を焼いて人を苦しめた火の車がいたのかもしれませんけど」
 文献には、そこまで記されていなかった。
「へー、貧乏って苦しいんだ。別にあたいはお金がなくても生きられるけどねえ」
「なので、これは妖怪にはあまり馴染まないお話なんですよ」
 小鈴は苦笑を漏らした。
「なるほどねえ。じゃあ、火車が来たから貧乏になると思って、頭抱えてたんだ」
「まあ、貧乏に怯えたというよりは、お店が潰れてしまうのではないか、と怯えたわけなんですけど」
 再び頬に紅がさした。
「ふうぅうん」
 燐は片方の猫耳を折り、腕を組んで考えてみた。
 死体を運ぶ火車。つまりあたい。
 生者の魂を地獄へ運ぶ火の車。と、人間の懐を焼き尽くす火の車。
 なんだい、あたいの方が優しいじゃないか。これじゃあ一緒にされるのはたまらないなあ。
「人間の火車のイメージって、みんなそうなのかな」
「えっ?」
「だから、貧乏を呼ぶ火の車のイメージの方が強いのかな、って意味」
「どうでしょう。人によると思いますけどね」
「でも聞いてる感じ、火車よりも火の車の方が人間は恐れていそうだけど」
 人間が恐れているのは、死体をさらって運ぶ火車ではなく、生きているうちにやって来て地獄へ運んで行く火の車なのだ、目に見えぬ炎で家財を焼く火の車なのだ、と燐は強く思った。小鈴の言う通り、そちらの方が人間にとっては辛いだろうから。恐怖だろうから。
「そうですね。貧乏に陥るという面だけで見れば、火の車は悪人でも善人でも関係なく来ちゃいますから、そういった意味では恐れられるかもしれません」
 ただ、と小鈴は天井を見遣りながら、
「さっき引き合いに出した、家計が火の車、という喩えは状態のことを指しているので、火の車は純粋に悪人の魂を運ぶ妖怪と思った方がいいかと」
「どちらにせよ、あたいみたいな死体だけを運ぶ火車と違って、生きている人間のところにもやって来るヤツのが怖いだろうさ」
「この幻想郷にはいないみたいですけどね」
 だから余計にびっくりしたんですよ、と付け足す。「稗田阿求ってご存じ?」
「もちろん。有名人だしね」
 稗田家は、家督を継ぐ者が生まれる度に祭りをやっていたり、博識さを買われ、何かにつけて頭脳になったりしているから、知らない者の方が少ないはずだ。幻想郷の住人であれば。
「私、彼女の記録をちょくちょく見させてもらってるんですけど。火の車は書かれていなかったはずなんですよ。あれ、火車も記してなかったかな」
「あたいは新参者だからねえ。知らなくて当然かも」
「これから記録されるとは思いますけどね」
「それはそれで嫌だなあ。なんて書かれるかわかったものじゃないし」
「大丈夫ですよ」小鈴は小さな顔面いっぱいに笑みを浮かべた。「お燐さん、とてもいい方ですし」
「そ、そうかい? そう言われると照れちゃうな」
 今度は燐が頬を赤らめる番だった。

「しまった、肝心なこと聞き忘れた」
 鈴奈庵を出て稗田家を目指していた燐だったが、道のど真ん中で立ち止まると、がっくりと頭を垂らした。例の一節を聞き忘れてしまったのを思い出したからだった。
「うう、引き返すのもなあ」
 距離としては徒歩五分、飛べば一分かからないくらいの近さだが、またあの暖簾をくぐらねば、と考えると、気が後れてしまう。猫故に、面倒事は大嫌いなのだ。
「まあいいか。阿求に聞けば」
 稗田の屋敷は、場所こそ知っていたが訪ねるのは初めてだった。だから、そこにあるはずの屋敷の塀をぐるりと見渡したとき、燐は後ずさってしまった。
「な、なにこれ」
 広すぎる。デカすぎる、と言った方がいいのか?
 入り口と思わしきところから全体を眺めているのだが、延々と続く塀には終わりが見えない。ご立派なことに瓦屋根まで付いているし、しかもそびえるように立ち並んでいるものだから、妙に気圧されてしまう。
「いやあ……これはちょっと」
 少し周りを歩いてみても、塀はずっと先まで続いている。こんなにも巨大な屋敷に入らなきゃならないなんて、と考えただけでもげんなりしてくる。
 あたいが好きなのは、こんなだだっ広いところじゃなくて、せせこましくて温かい場所なんだけど。
「うん、これはしょうがない」
 出直そう、と一つ頷く。
 そうそうと、とってつけたように言い訳も思いついた。もう辺りも暗いし、鈴奈庵で結構時間をくっちまったから、早く帰らないとね。さとり様に怒られちまうよ。
 納得のいく撤退理由を見つけて満足した燐は、軽い足取りで住処へと直帰した。

 燐は古明地さとりのことが大好きだった。おくうと並んで、この世で一番好きな相手だ。
 そして一番好きな場所もまた、さとりの膝の上というベタぶりである。それは相方のおくうも一緒で、夜になると、こうしてさとりの膝の上でごろりとするのが二人の日課だった(最近おくうの参加率は低いが)。
 もちろん、寝転がる間は動物の格好に戻っている。言葉も話せなくなってしまう。けれど問題は何もない。さとりは他人の心が読める妖怪だから。
「そうですか。おくうは大変だったのですね」
 ガア、とカラス姿のおくうが鳴く。燐にはなんと言っているかわからないが、さとりとには通じる。
 逆もまた然りで、猫姿の燐がにゃあ、と鳴いてもおくうにはなんと言っているかわからないが、さとりには通じる。なので燐はつくづく、本来の姿に戻っても言葉が喋れればいいのに、と無念の想いを胸に抱いていた。
「お燐は遅くまで地上にいたようですが。何か面白いものでも見つけましたか?」
 さとりの左胸にくっついている第三の眼。その黒眼が、きょろっとこちらに動く。それを見て一瞬、さとり様怒っちゃったかな、と心配になった。が、声音が優しかったので、安堵して訥々と心の中に話したいことを並べていった。鳴かなくたって、さとり様は漏れなく心の声を拾ってくださる。
「ほう。火車と火の車、ですか」
 はい、そうなんです。あたいも初めて知りました。
「私も初めて聞きますね。というより、お燐、貴方は後天的に妖怪となった者ですから、生粋の火車とは違っていてもおかしくはありませんよ」
 ああそうか、とちょっとだけ耳を後ろに倒す。それは考えもしなかったなあ。
「しかし、本を読むだけでなく、そうやって自分の足を使って調べるというのは感心です。読むだけではただの娯楽となってしまいますが、実践ないし調査するというのは、自分の血肉になってくれますからね」
 さとりの指が優しく顎下を撫でてくる。ゴロゴロと喉が鳴った。
「また明日も出向くのでしょう? 詳しいことがわかったら、私にも教えて下さい。興味ありますから」
 お任せ下さい、さとり様!
 それから燐とおくうは、さとりにたっぷりと撫でてもらってから各々の自室に戻った。

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

この小説へのコメント

一覧へ戻る