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楽園の確率~Paradiseshift.第3章 怨霊の聲   怨霊の聲 第5話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第3章 怨霊の聲

公開日:2017年07月03日 / 最終更新日:2017年07月03日

怨霊の聲 第5話
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第3章
怨霊の聲 第5話



 旧都の騒動を尻目に、正邪は住処に戻っていた。
 住処とは言っても、屋根など無い(これに関しては、有ったところでチラチラ降る雪がうっとうしくならない程度にしか役に立たない)、枯れ竹を集めて括った隙間だらけの壁に、格好だけの戸を取り付けただけのもの。こんな物はヒトや獣でも簡単に壊せるような代物で、ただ縄張りを示す程度の機能しか持たない。
 地面に直に敷いた筵にごろりと寝転び、殺風景この上ない、視線の遙か先を覆う岩肌の天井を彼方に見上げながら正邪は呟く。
「クソ。あーあ、やっぱりここらの空気はたまらないなぁ」
 空気や水だけに留まらず、魂の底まで淀ませる旧地獄の端。
 勇儀達が『下ノ町』と呼んでいた区画は、旧都や地霊殿に住まう妖怪にも忌避される、地底の不浪者がたむろしている。
 異邦であれば『辺獄』とでも呼ばれる地に住まうのが相応しいが、本邦においては彼らの如きモノ達が寄るべき場所が地の底にすら無いため、こうしてここに追いやられている。遙か昔、いわゆるところの“外”であらゆる形の暴力を振るい、恐れられていた頃のままを忘れられず、ここに住まう意味を理解しようとしていないモノ達。それが彼らである。
 旧都では鬼ですらそれぞれに手に職を付ける中、未だに殺し掠めるかするより他を知らない彼らは、この幻想郷(始めに示したとおり、旧地獄はそれより半歩ズレた地であるが)にあるにも関わらず、その姿を失いかけている。
 これは、妖怪が迎えるであろう死の形のひとつ。
 妖怪とは、グラフィティでもある。
 旧いままの姿、行い、そして“ありよう”を保つことは、妖怪の本義でもあるはず。なのにそれを正しく辿り続けているはずの彼らは、ここでその意味を消失しかけている。
 その原因の一つは、水や空気よりずっと濃く淀み、漂う、怨霊との関係にある。彼らの持つ“ありよう”が余りにも怨霊と親和性が高いため、こうなってしまったのだ。
 こうれば後は、今を歩もうとする真っ当な意思など持てず、怨霊と変わらない行動原理のままに動くのみ。怨霊が彼ら、彼らが怨霊となる。
 正邪の寝転ぶ壁の外で、突然「おおぉ」という哭き声が上がると、それは連鎖的に広がってゆく。
「けけっ、ああはなりたくないモンだ」
 地上なら飛ぶ鳥すら落ちるであろう怨嗟の哭き声に耳を傾けながら、嘲笑を浮かべる。その声に混じって、ひたり、ひたりと、湿った足音が近づく。
 足音が戸の前で止まり、正邪はそれになんらかのアクションを待つが、
「あぁ、面倒くさい。用があるなら入ってくりゃいいじゃないか」
 足音の主が一切の動きを見せないため、堪らず声を上げた。
「ははっ、失礼するよ」
 おどけた調子で戸を開けたのは、下ノ町の中でも一握りの、姿形を保ったままの妖怪。田道間だった。
 正邪と『どん底』で意気投合し、彼女をここに招いてから今に至っている。だけはない。
「招かれなきゃ入れないってタイプの妖怪じゃないだろ、あんたらは」
「親しき仲にも礼儀あり。待てと言われればいくらでも待つさ」
「なら突っ立ってないで、ノックぐらいはしてくれや」
 正邪は体を起こしてあぐらをかくと、彼にも座るように促す。
「立ったり座ったりもおっくうでな。この後も用事があるし、立ったままで勘弁願うよ」
 正邪は吐き出すように舌打ちしながら、嫌みったらしく了承する。
 光を失って久しい彼は、声だけを頼りに正邪の方を向くと、僅かに歯を見せて微笑む。そこから覗く手入れの行き届いた歯が、正邪にとっては何か不快な物に見えた。
「で、旧都の方はどうだったね?」
 彼の問いかけの言葉は理解しつつ、それに二つも三つも意味を乗せて正邪は答える。
「そりゃもう大成功。アンタが言った通りにしたら――まず怪我が酷そうな奴を一人治してやったら、土蜘蛛どもが「ひらにひらに~」って頭下げてさ。もう笑うしかなかったよ。これホント、嘘は言ってないから。想像してご覧よ、あの土蜘蛛どもが、だよ?」
 その時に嗤わなかった分、正邪はゲラゲラと非道い笑い声を上げる。それが壁の向こうの鬼哭の群れと相まり、辺りにはとても地獄らしい音が渦巻く。
 田道間は頷きながら自身の禿げ上がった頭を叩き、ぴしゃりと、足音と同じく湿った音を鳴らしてがら、また問いかける。
「ほうほう、ではヤマメ――山吹色の髪の女も?」
「ああもちろん。って言うより、あいつが真っ先に頭を下げてきたよ。私はあれが見られただけでも満足だったな。これもホント」
 正邪は更に笑い声を大きくする。あまりに激しく笑うので、時に乱杭歯がカチカチとかち合う音を鳴らすほどだ。
「あのヤマメがか。いやそれは愉快、本当に上手くやったものだ。この目が瘴気にやられたのも、この地の底に押し込められたのも彼奴のせいだし、いい気味だ。しかし正邪よ、まさか報酬の話を持ちかけはしなかったろうな?」
「ああ、それならあっちから言い出してきたよ。でも私は笑いを抑えるのに必死で、それどころじゃなかったけどさ。結局はそれも爺さんが言ったとおりにしたけどね」
 田道間はまた満足げに頷く。
「しかし、打ち出の小槌の力がここまでとは思わなかったなぁ」
 水滴が落ちるより小さく田道間が零した言葉に、正邪の笑い声は一瞬止まるが、それはより一層の高笑いに変わる。
「どうだ、恐れ入ったろう! 実際に小槌を使ってるのは鬼を倒した英雄の末裔とかのたまう小人でも、そいつを焚き付けたのは私、こうして地下で同志を募っているのも私。つまりこれからの手柄は全部、私のモンってわけだ!」
「まったく、少名毘古那(すくなびこな)の裔すらも手玉に取るだけでも大した手管だと言うのに。ワシ等もかの神とは僅かながらに関わりもしたが、あれもとんでもない悪たれだったからなぁ」
 田道間は懐かしそうに見えない目を細める。彼ら『ひょうず』は、遙か昔にこの国に渡って来た旧い水妖であり、少名毘古那もまた海の向こうから渡って来た神であった。
 そういった古い縁には関心が無いと正邪は肩をすくめる。
 その所作は目の見えない田道間には伝わらず、彼は語りを続ける。
「いや、あれ自身はそこまでの力を持っていなかったはずだが、どうやって小槌を使っているんだろうなぁ」
「そこはアレだ、アレ。小槌に残ってた鬼の魔力を使ってるんだ。けどあの程度の魔力じゃ、リバウンドも結構なモンだろうなぁ」
「やれ、かわいそうな事だ。さておき首尾は上々といったようで良かった。これでようやくワシの出番かな」
「本当にやるのか? 爺さん」
 それは前々から打ち合わせていた事。小槌の力を見せつけた今回の件より、始めに。
「ああ、ようやっと、ワシを苛み続けたこの『鬼の世界』をどうにかできそうだし、何よりこれは、盲たワシにこそ相応しいからな。ただその前に、少し呑みに行って来るでな」
 ぐいと盃を傾ける所作を見せる彼に、正邪は呆れた風な貌を向ける。
「覚悟を決めたとか言っておいて、緊張をほぐすのに酒精を入れるつもりか? ほどほどにしてくれよ」
 正邪の言葉は彼の身を慮っての物ではない。
 寝転びながら暇乞いに応える彼女にまた一礼すると、田道間は鉄仗を振りながら、鬼哭のはやしを抜けて行った。

 旧都での応急対応が終わり、帰途に就こうとする土蜘蛛の一団が橋を渡ってゆく。
 この件の発端となった元怪我人達の貌色は、地底の暗さも負ける深みに沈んでいる。
 バラバラに進む同胞達の反応も足並みそのままにまちまちで、彼らを責める者もあれば、励ます者、それには関係なく酒に釣られてこちらに降りていた事を嘆く者、逆にそれが怪我の功名であったと同胞を救えたのを喜ぶ者など、喜怒哀楽も十人十色の様相。
 そのしんがりでは、遠目にも目立つ鮮やか金髪と、ほぼ金髪な山吹色の髪が揺れている。
「勇儀の奴、こんな時だけいい奴ぶって口利きなんて――」
 嫉妬の鬼としてネガティブな言葉を繋げたいパルスィだったが、今はヤマメにもぶつかるそれを放ちにくく、言葉をそこで止める。
 並んで歩むヤマメはそれを察しつつ、フッと自嘲気味に顔を上げる。
「でもホント、姐さん様々よ。自他共に認める旧都の元締め、さすがだわ」
 怪我人も出ずに済んだとは言え、相当な期間そちらに留め置かれるであろうと覚悟していたヤマメには確かに有り難いものであった。しかし良く妖怪達を従える勇儀を見ては、同時に忸怩たる思いを抱きもした。立場も自覚も持ちたくないヤマメにとっては。
 彼女自身が最も古い入植者の一人であるのは事実だが、それを以て権力を振るう気を起こした試しは無い。そんな面倒はごめんだと、常から思っているためだ。
 パルスィはそんな、ヤマメの心の少しばかりの闇を聞き取り、自分が醸すより辛気くさい話は願い下げ(嫉妬の鬼の商売あがったり)だと、先頃から思っていた話題を繰り出す。
「けど、なんなんだろアイツ」
「ん、何が?」
 勇儀のことか、それとも――とヤマメが尋ねる。
 それに返る答えは後者。
「天邪鬼に決まってるでしょ。[幻想郷をひっくり返す]なんて言うって、なんか恨みつらみとか、嫉妬とかが腹の中にあるはずじゃない」
 上の空だったヤマメは、はたと気付いた風に応じる。
「わざわざ言うって事は、無いの? てかパルスィって、恋の恨み専門だと思ってた」
「専門も何もないわ、嫉妬は嫉妬」
 本当に微かな声で「むしろそっちが――」と呟く彼女の意図を計りかね、ヤマメは首を傾げつつも話を進める。
「まあまあそれはいいとして、パルスィが言いたいのは、あの天邪鬼がそういう感情で動いてるんじゃ無い、って事でいい?」
「そう。それこそその道の専門家の覚妖怪でもなし、実際に全部聞こえるわけじゃないんだけどね。でもアイツの行動の根拠は、そういうのとは全く違う何かだと思う」
 誰かに命じられての事か。いや、相手は天邪鬼、そそんなことは得ない。
「もしかしてさ……本物の打ち出の小槌、さっき別の誰かがが使ってるんじゃぁ、って話になったでしょ? あの天邪鬼、その使い手に惚れたんじゃない?」
 これはヤマメが僅かながらに知る、天邪鬼の逸話を辿っての考察。
 どれだけのハンサムか分からないけれど、それなら納得いかなくもない。そんな風に言ってから、ヤマメは「あ」と、己の失言を悔いる声を漏らす。
 パルスィの瞳が、いつの間にか現れた怪火に照らされ、煌々とエメラルド色に光っている。己から発せられたものすら糧にしてしまう、嫉妬の自励駆動だ。
「小鬼が、天邪鬼風情が、妬ましいわね……」
 ギリギリと激しい歯ぎしりが鳴るそばで、ヤマメは「そりゃこうなるよね」と苦笑いしながら、忍び足で橋から立ち去ろうとする。
「ヤマメ!」
「はいな!」
 体側に揃えた両手でスカートを押さえ、ビシッ背筋を伸ばして直立不動。
 嫉妬を招く真似はしたが、それ以上に責められる覚えは無い。が、そんなこんなは関係なく、パルスィは恐ろしい。
「あのー、パルさん?」
「アイツが何に惚れたかなんて知らないけどね。少し前の貴方と同じよ、アイツは」
 全く別の話題に飛んだのかと、ヤマメは首を傾げる。それに天邪鬼と一緒にされるのも、良い気分ではない。
「少し前の――ってのもちょっと引っかかるけど、私のどこが天邪鬼と?」
「貴方がここでずっと浮かべて来た虚ろな笑顔。アイツの、恨み辛みからでなきゃどこから出てきたのか分からない、虚ろな下克上の企み。なんか、一緒に見えるのよね」
 パルスィが言わんとするのは、そういった流れを持つなら、正邪の行動原理にも思いを致すことも叶うのではとの期待。
 ヤマメにも意図は伝わったが、その周りの話が伝わらない。特に己についてが。
「何を仰るパルスィさん。私はこの地底の一等星『暗い洞窟の明るい網』、ヤマメさんだよ。いつでも陽気に妖気を振りまくのが私のお仕事」
「瘴気を振りまいてる方が多いみたいだけど」
「そりゃひどい。でもね、だから私が虚ろなんてこたぁ、これっぽっちも無いよ。天邪鬼が何を思っているのかとかは考えてみるけど、そんな風に分かれなんて、とてもとても」
 げさに手を振り、笑顔を明るくして答えるヤマメ。坑道の事故と同胞を失いそうになったショックや、天邪鬼に頭を下げた事など、どこかに飛んでしまったかのような笑みだ。
 彼女を見るパルスィの瞳の光は、その明るさと対照的に収まってゆく。
「一等星なんて言葉が出てくる辺り、やっぱりあの黒白どもかなぁ」
 ヤマメに応えて微笑みを向けるパルスィの、小さな唇から漏れた呟きは、遠くの喧噪にもかき消され、彼女の耳には届かない。
「おっと、もう皆あんなに。どうせ明日も来ることになるし、そんじゃね、パルスィ」
 里に戻る土蜘蛛達の背を追って駆け出す彼女の背に、パルスィはまた呟く。
「やっぱり、妬ましいなぁ」
 やはり瞳は輝かない。
 彼方の明るさに、負けてしまったのだった。

      ∴

 里に戻ったヤマメを待っていたのは、まず長老衆との会合だった。
 ずらりと居座る彼ら彼女らの前でヤマメが責められる由など当然無く、あくまでも事故当事者への尋問の下準備と、旧都の被害状況など、今後の運びの資とすべき事柄の聴取である。それに彼女自身も、それらの意思を決定すべき者の一人でもある。
「ヤマメ、寝るなよ」
 長老の一人の注意に、半ば上の空だった彼女の意識が体に戻る。
「寝ませんよ。私だって今回は、ガッツリ噛んじゃってるんですから」
 とは言いつつも、天邪鬼に頭を下げた事などが一族全体の恥として糾弾されはしないかと、僅かに身の竦む思いも感じている。
 その点だけは何とか有耶無耶になって欲しいと、あれこれと用事を思い浮かべる。疲労困憊していたのより、こちらの方がさっきの上の空の原因だった。
「ときにその天邪鬼。かつてお前が見た姿そのままだったと聞いたが、本当か?」
 帰路の雑談の中で、同胞達とそんな会話も交わしていた。それが長老達の耳にも届いたのだろう。それ自体はただの思い出話だとヤマメは答える。
「ええ、そうでしたね。でも他人のそら似でしょ、そんなの」
 ヤマメがしれっと放った答えはしかし、長老衆にとって聞き流せない物だった。
「天邪鬼が、かつての伊豆国(いずのくに:静岡県伊豆地方)の先に、七つの島を築いたという伝説、知っておるか?」
「ええ、ホラ話としてなら、聞いたことがあります」
 天地開闢、国生みが行われていた頃の神が如き業(わざ)。かつての旅路でそれを聞いたヤマメも、それを笑い飛ばしたはずであった。
「その伊豆七島に流され、辿り着いた人物に、我らが揃って知っている者がおるが、覚えておるか?」
 またぞろ神話などを真に受けた下らない恨み節が始まるかと思っていたヤマメの意識は、一瞬で冴え、
「為朝……!」
 即座に問いに答える。
 まさに炭鉱での事故の直前、ヤマメが披露しようとしていた物語である。
「お前なら確かに知っているであろう。伊豆大島で、打ち出の小槌を振るう鬼が、あの人間の英雄を誑かそうとしていたのを」
 伊豆七島を造り出した者と、打ち出の小槌を振るうモノ。いずれの逸話も知っているのに、それらを繋げて考えてみたことなど今の今まで無かった。ここまでの関連性、言われれば至極当然に思えるのに。
「んなアホな……」
 ヤマメは額に手を当て頭を振る。ここでの阿呆とは、彼女自身。
「じゃあ正邪は、天邪鬼は、本来あの小槌を使えるモノだって言うんですか?」
 長老達はしばし、各々に隣り合う者と語り合うと、一致した答えを返す。
「正直に言えば、分からん。だが、使うことと相応の力を持つかどうかは、別に考えた方が良いかもしれん」
 天邪鬼とは、実に不可解な姿を持つ妖怪である。
 時には国生みの巨人の如き姿を取ったかと思えば、時には女児を喰らい老人を殺すのが精一杯の、しょうもない小鬼にもなる。
――彼女らは知る由も無いが、あるいは人同士を争わせ、真に回天を企んだ試しも――
「ん?」
 不意に感じた気配にヤマメは振り向くが、そちらには己の影が揺れるだけ。
「どうした?」
「いえ、影法師に見られているような気が――」
 何者かと目だけが合う、闖入者は確かに訪れていた。
「げっ」
「ひゅ、いっ……」
 姿こそ現していないが。
(何やってんのよ、にとり!)
(いや、顔見知りに話し通したらこっちだって。なんでこんなにワラワラいるんだよ)
(奈落よりも深い事情があんの!)
 地上の河童、河城にとりも、一応はヤマメの商売相手である。だが、地上の妖怪に里の奥まで来られた事を知られたら、長老達の感情もよろしくは無かろう。
「だからどうした、ヤマメ」
 冷や汗をだらだらと流しながら、長老の一人の詰問に答える。
「あーすいません。なんかこー、幻覚が見えるみたいで。ちょっと休んでもいいです?」
 居並ぶ一同は嘆息するか、仕方ないと頷くかすると、最終的に「行ってよし」と決を下した。

 何とか会合の場を抜け出したヤマメ。同道しているであろうにとりに話しかける。
「来る時はアポ取るてって、そっちが言ってたじゃない!」
「仕方ないじゃん! こっちだって古道具屋の突発の依頼で、しかもヤマメは旧都に降りてかけずり回ってるとかでさ」
 だからあんな所まで降りて来たのだと、にとりは理由になりそうにない理屈をこねる。
「はいはい、しょうがない、もう分かったから。で、今回の商いは何を?」
「おっ、有り難い。実は土蜘蛛を見込んでの依頼なんだけど、玉鋼って用意できる?」
 それまでは何も問題ない風に、応じていたヤマメだったが、
「無理」
 にとりの依頼は即座に断られた。
「嘘でしょ!?」
「嘘じゃないよ。重い炭も無い上に、こんなに瘴気に溢れる地の底のどこで、玉鋼が造れるっての」
「じゃあ今まで地底じゃ、そういう類いの鋼はどうやって手に入れてたんだよ!」
「包丁ぐらいなら、玉鋼なんて要らないからねぇ」
 玉鋼などを何に用いるかと言えば、刀剣類に他ならない。
 そして地底では、刃物など調理道具か、数打ちの刀子ぐらいしか無い。
 鬼とっては、刃物など携えたところで却って枷になろうというもの。そんなひょろちいものを降るぐらいなら、百斤の金棒を振り回すであろう。
 にとりは、訪れるべき先を間違えたのだ。
「そんなぁ~、折角の大口発注だったのに~」
 古道具屋と言ってヤマメが思いつくのは一人。あの彼がにとりにそんな仲介を頼むとは、一体どういう風の吹き回しか。
 頭を抱えるにとりの側で、ヤマメは思案を浮かべる。
 しかし情報が少なすぎて、答えなど導ける筈が無かった。
「自分たちで作るって選択肢は?」
「製鉄なんてやった試しも無いんだよ……」
 地上の河童の持つ技術は、つくづくちぐはぐだなぁと、ヤマメは苦笑する。
「ちょっと、笑ってる場合じゃないよ」
「別に受注キャンセルしたって、命まで取られる訳で無し――」
 二人きりのその場に、別の気配が割り込むのを、ヤマメは察知する。
「ちょっと、急に黙ってどうしたんだよ」
「にとり、隠れ蓑使って」
 明かりを並べた洞穴の向こうから、ヒタリヒタリと、足音が近づく。それはヤマメに聞き覚えのある物だったが、それ故に驚くべき物でもあった。
「地上の河童がお困りか。ワシに出来る事があれば言ってみなさい」
 思い出したかのようにコツコツと鉄仗を突き、歩みを進めながらそう言ったのは、旧き河童、田道間だった。

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