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楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』   パラダイスの格率 第3話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』

公開日:2018年07月09日 / 最終更新日:2018年07月09日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第6章
パラダイスの格率 第3話


 文が『クーデター』の首謀者と見定めたのは彦山衆のナンバー2、英彦山玄庵だった。
 ボサボサだった髪を善八郎と同様にほどよく整え、ヒゲを剃り上げた容貌は見慣れない物。しかし間違いなく彼。よくよく見れば飯綱三郎の次に座するはずの豊前坊の姿が無い。
 そして彼は、誰にも先んじて口を開く。
「おや、一貫坊ちゃんは動揺してるが、天竜坊殿は落ち着いておるな。さすがは迷い無く守護対象を殺しまくれるだけはある」
 侮蔑する意図を込めた言葉には、二人とも反応しない。それどころではない。
《射命丸。まず必要な報告は俺がする。お前は後でこの濫僧殿に一服盛ってやれ》
「三尺坊様! この場には相応しくない者がおいでのようですが、小僧は一体どなたに此度の件を知らし奉ればよろしいのでありましょうか!」
 妖怪の山でも第四位の英彦山衆をまとめるだけ、豊前坊の補佐だけの牛後たる玄庵より、職掌の上では副長を勤める(更に現在は長に準じる)善八郎の方が建制の上位になろう。
 三尺坊は、以心の術での相談も無しに発せられたその文言に「やはり早々にぶちかましたか」と言いたげな困り顔を浮かべ、大きく首を傾げながら答える。
「ああいや、玄庵殿も挑発するような言い方をしたが、お前達の働きを認めてくれたのも玄庵殿だぞ。今は豊前坊殿が心労で一旦退いてしまったので、代理を勤めて下さっとる」
 それは次郎坊の上位に立っている理由ではない。前に立つ牛を、牛後が喰らったのだ。
「それはご無礼仕りました! しからば、射命丸が報告に乗せられなかったいつくかの件については、小僧が改めて子細を報告いたします!」
 彼がつらつらと言い募る間、文は御八葉それぞれの顔色と、周囲に侍する者を観察する。
 次郎坊や飯綱三郎は一見して不機嫌そうだと分かる貌だし、白峯相模坊に大山伯耆坊も機嫌がいいようには見えない。羽黒三光坊は厳つさのため感情は読み取れないし、三尺坊も相変わらず。(三尺坊の場合、何故こうも面倒ばかりとうんざりしているのだろう)
 一人だけ、日光山東光坊が普段通りの無邪気さをより強くして、大変リラックスした様子。それに八葉堂の周囲や伽藍の中に侍する天狗も、彦山衆と日光衆ばかり。玄庵の協力者は東光坊に違いない。それに玄庵は既に彦山衆を完全に掌握していたのだろう。
 今回の事態の黒幕との関わりは見えないが、この期に及んで何故彼らは台頭しようとしたのか。これは文にも見通せない。
「――して、八雲殿の仲裁により旧地獄は早晩隔離される見通し。また我らの働き――御山の判断と対処については、八雲殿より全面的な肯定を得ました」
 これにはどよめきの声が上がる。旧地獄の封鎖にも、秋葉衆の対処の是認にも。
 しかしここで観察に集中していた文は見逃さなかった。妖怪の山としての懸念が取り払われた安堵よりも前、旧地獄の隔離に対して僅かに笑みを浮かべた者を。
(何故そこで笑ったんだ? 次郎坊様)
 今は他の者達と同様の表情に埋もれてしまっているが、彼だけその貌をするタイミングがおかしかった。となると彼こそが、旧地獄を陥れようとしていた張本人か。しかし彼との由縁を持つ“鬼”など居ただろうか、その疑問は突き詰めれば解けるかも知れないが。
「そっか、それは良かった。なあ玄庵さん」
 東光坊がニンマリとした顔を玄庵に向けると、彼は対照的に凄まじく厭な笑みを見せる。
「なるほどなるほどぉ、うーんそれは良かったのぉ。おーい、あーやちゃん。裏切り者の一貫坊ちゃぁん? 何か言い忘れとりゃせんかなぁ?」
 その由で責められるのは久しぶりだと思いながら、文は辛うじて届く程度の声で「否」と答える。実際に秘している事も多くあるが、彼が何を言わせたいのかが分からない。
 裏切り者。表に裏に、文はそうされている。妖怪の山の大半の者には、本山を裏切った外道法師として。そして御八葉には、本邦での天狗の地位を決定的に貶めた大罪人として。
 御八葉としての座を豊前坊から簒奪したばかりの彼が、いずれの事を指して言っているのか。文自身には見当がつかなかったが、その別は東光坊が知らせてくれた。
「そう言えば玄庵さんには教えてなかったっけ。射命丸が秋葉山を裏切ったってのは、下々に対する偽情報だから。それ、ここで本気にして言うと恥かくよって」
 無論、三尺坊と――彼が戻った今は麾下と言える――秋葉衆は真実を知っている。文を面倒を誘い込む厄介者と評する者は多くいても、裏切り者だとする者は誰一人いない。
 聞こえよがしな東光坊の耳打ちに、玄庵は一度驚きの表情を向けてから笑い出す。
「おいおい、そりゃもっと早く言って欲しかったぞ」
 そう言って互いに笑い合う二人。そこだけが実に和気藹々とした様子で浮いている。
「では仕切り直しだ。あの大蜘蛛、いや一言主か。なぜ博麗神社に向かった? そこから先は拙僧でも見当がついているのだが、あえて聞こう。何故だと思った?」
 それを言わせたかったのかと文は納得する。ならば紫に対して言ったのと同じく答える――訳にはいかないと思われる場面。しかし善八郎はあえて堂々と答える。
「博麗の巫女を博麗神社より除くと共に取り込んだ彼女の能力を用い、結界の綻びを解き、押し広げ、幻想郷の外へ出ようと企図していたのかと! これも既に、我らが戦闘の中で得た見識として八雲殿に伝え、彼女の是認を受けております! またここから、先に発生した人里での前駆的事案(辻の怪人)は、博麗の巫女をおびき出すためであったとも思料します!」
 これにはまた場の空気が一転する。しかしながら玄庵の様子は変わらず。
「八郎殿よ……拙僧は文ちゃんとお話したかったんだがなぁ。まあいい。八雲紫が納得したとは意外だが、これに気付いた上で御山に判断を仰がなかった訳は?」
 博麗神社での会合の時には文がこれを紫に言ったが、ここではあくまでも、善八郎が気付いた事にしかなっていない。
《ここからはお前に任せる》
 善八郎から文への、ごく短い以心の術。気付いた者は居るまい。
 報告に徹するだけなら善八郎が文に任せる理由が無い。言いたいようにしてみろとの意思が込められているのを察し、任されたとおり、今度は文が自身の見識として述べる。
「先の状況下、善八郎様を始め秋葉衆は以心の術の行使すら控えさせられておりました。故に私すらこれを知ったのは、先の八雲殿との会合の場に於いてが初めてであります」
 ここで三尺坊が、側にいる三光坊や伯耆坊に対して椛の河童台場への派遣の理由がそれであったのを改めて伝え、文の言を補強していた。
「ふむ。しかし八郎殿からも文ちゃんに伝令を走らせる等々、知らせるすべはあったろう」
「では、この話は仮定ですが――奴が博麗大結界を越えて外に歩み出るのを企図していると伝えたとして、御八葉の、のみならず他の大天狗方のどれほどが、そのまま結界の外に出るに任せろと仰せになったでしょうか?」
 これは議論のすり替えだなどと一蹴できない、炉の溶鉄をぶちまけるような言葉。
 ここには一言主への対処や旧地獄封印の企み、それにクーデター等々と、幻想郷全体にも影響が及ぶドロドロに溶けた鉄の如き事態が赤熱していた。流し込む鋳型すら無い段階で、文はこれをばらまいたのだ。鉄は熱いうちに打てと言うが、過ぎたものにも程がある。
 任せた善八郎すら息を詰まらせる。それでも文には、この話の運びに自信があった。
 答えられまい。今も幻想郷の外に本拠地を持ち、そちらの信仰に頼るところの大きい、権現格の天狗達には。殊に御八葉には。それに加えて結界の外から招聘された三尺坊なら、幻想郷の外へ出す決断に義を以て異を唱えられるだろう。
 文の攻勢に、当然の流れとして各人がそれぞれに思惑を巡らせる。のみならず、周囲の彦山衆や日光衆にすら囁きの波が起こるほど。その流れは、意外にも三尺坊が堰き止める。
「なるほど。そう言われてしまえば、ワシは事前の指示を誤ったかも知れんな」
 これは知っていた体とも、そうでないとも取れる言葉。
 いずれにせよ、あくまでも自らの判断の誤りであると、三尺坊は頭を掻きながら言った。
「何を、仰るのです?」
「話を聞いて思ったのだ。まずは奴の企みを砕くべきとの考えが先行していたが、奴が出て行くようになるならそれに任せるべきだったかと。その想定自体が抜け落ちていた」
 彼の目に諦念などで陰った様子は見えない。やはり何かの意図を持っての言葉。
「射命丸よ。ワシはこの幻想郷の天狗達の、閣僚か幕閣に準じる者として招かれたのだ。招いて下さった鞍馬殿の信任を果たすならば、ワシも常に幻想郷側のモノとして働くべき。そう、真摯に事態に向き合うべきだった。それだけの事だ」
 これは他の御八葉にも釘を刺す言葉であろうし、組織として戦力を為すための根幹である団結を断ち切ろうとしている玄庵への苦言でもあろうか。
 しかし意図する所がそれと明らかにならない限り、文には持論を押し通すしかない。
「……それは如何でしょうか」
「ほう?」
「奴の企みの要は未だ知り得ませぬが、軍勢を率い、他者の庭先に入り込んで為す事など決まっておりましょう。確かに、外の世界の兵器は怖ろしく強大であると聞き及んでおります。一度それが振るわれれば一言主の撃退は容易いかも知れません。しかしその強大さ故に、まず振るうのに二の足を踏む物であるとも、私は聞いた覚えがあります」
 これは早苗と紫の会話の確認でもある。三尺坊はただの古臭い天狗ではない。天狗という形骸を確固として残しながら、時代ごとに望ましい形を為してきた権現だ。それを為すための世情への理解については、ただの若い人間であった早苗よりも上かも知れない。
「ふむ。まあ、ピンキリだがな。だがそれは兵器の質に依らん、あくまでも政治的な……いや、そうなると結局は、奴を外に出しては拙いという結論に落ち着くのかな?」
 諸尊は如何に思うかと、三尺坊は問いかける。それもまず玄庵に正対して。
 その中で、東光坊が面倒そうに身を乗り出すのを制し、やはり玄庵が答える。
「そうなるとどうなるのかがいまいちなんですがな。つまり外の世界に出した場合、あの一言主が撃退される前に卑妖化する犠牲者が広がりかねない。と言いたいのですかな?」
「うむ。外の世界の、警察以外の実行組織は、銃先を内に向けるのを規定してはいても、それの実行は頭に無い。それをすれば世論が白熱し、政治が揺らぐと知っておるからな」
 そうして初動対処が滞り、玄庵が問いかけたとおりの状況に帰結する。
「なるほど流石の慧眼! やはり我らが此方で倒さねばならぬという道理ですな。ならば秋葉衆は先の、いやこれまでの懲罰的な扱いを改め、最前線で活躍して頂きましょう! もちろん、後詰めには日光衆、彦山衆が続きますのでご安心を。三尺坊権現」
 ついでに謹慎中の河童の大砲隊も正式に組織させようと彼は続ける。
 活躍。今のこの言葉は決死隊を送り出すための方便ではない。ここから先は手柄を上げた者の勝ち、それには我らも含まれるのだと彼は宣言し、自らも落とし込むつもりなのだ。
 この決定に、やはり次郎坊らは苦虫を?み潰したような貌をする。玄庵が無制限とも思える権限を振るっているのも理由の一つだろうが、今度こそ正式に妖怪の山として一言主と相対する、即ち卑妖化した人妖を堂々と倒しに掛かるという決断におののいてもいた。
 彼は一体何を以てこの首脳部を掌握したのか。それは不明だが、この流れは明らかに文達の側に傾いており、半ばは紫の示した方向性に沿う物でもある。今は乗るしかない。
「今後の対策は三尺坊麾下の衆に一任する、という意味ではありませんね?」
「そこまでは言ってないが……しかし文ちゃん達が現場で得た経験は貴重だし、火仗を実際の戦闘で用いた初の例ともなった。相手に方術無力化の手立てがある限り、主力として働いてもらうことになるだろう。でだ、早速お手並みを拝見したいのだが――」
「いい加減にせんか、玄庵! その悪党に方針決定を任せるなどさせぬぞ!」
 にわかに怒りを示す次郎坊。それに玄庵は冷ややかな視線を浴びせつつ言い放つ。
「……どうも拙僧、勘違いをしていたようでしたので、認識を少しだけ改めたのですよ。文ちゃんの何がアンタ達を怒らせるのかは分かりませんが、少なくとも次郎坊様や豊前坊様がこうも毛嫌いするなら、重く用いた方がよろしいと考えました」
 これ以上は問答無用と、玄庵は視線を文へ戻す。
「どうだ、文ちゃん。ここから先どうする? どうするつもりだった?」
 想定に無かった厄介な問いかけだが、策自体は既にいくらか練っている。
「この件をまず御山の手柄とし、各々で山分けにしたいという考えは理解しました。玄庵様のそのお考えは承知の上で、御山以外の者の助けを借りようと考えております」
「ほう?」
「未だ事前調整も行っていない段階ですので何をどこまでとは言えませんが、少なくともまずは、守矢神社の助力を仰ぎたいと考えております」
「相変わらずの早苗嬢頼みか。いや、この前は僧正坊様自身が早苗嬢を申し継ぎの代理に立てたという話もあったし、次郎坊様も、文句はありますまい?」
 問われた彼は、黙したまま一度だけ歯を鳴らし、答えの代わりにする。
 玄庵は満足したのか、この場はお開きと皆に解散を命じて真っ先に退出して行く。続いて退出する東光坊と共に、その背に覿面の仏罰すらもたらす権現達の視線を受けながら。

      ∴

 西塔の北西側の僧坊に集う秋葉衆。とは言え今は、三尺坊の他には文と善八郎と、厳密には秋葉衆ではない椛、そして幸いにしてけん責を受けずに済んだ黒戌真噛の五人だけ。
 新たに御八葉に据えられた三尺坊に与えられたのは、かつての門徒のうちの幻想郷に在する五十余も入りきらない、西塔の小さな我が家というレベルの侘しくせせこましい一角。人里の拠点である狭山屋の方がよほど広いがしかし、避難所の環境を圧迫している現在、いずれは皆、何かしらの理由を付けてこちらに引き揚げる運びになろう。
 およその事情の説明も終え、三尺坊からは話すことが無くなった現在、文がジリジリと三尺坊との間合いを詰めている。
 彼は助けを求める視線を椛と善八郎に投げ掛けるが、二人は首を振るばかり。
「お教え下さい。玄庵が如何にして御八葉を掌握したのか」
 豊前坊の地位を分捕る程度はまだ分かる。元々、実効的な活動は彼の領分だったし、直接の戦いとなれば小天狗が権現格だろうが、戦い慣れた者が勝る。玄庵に叛旗を翻されれば、豊前坊も諸手を挙げるしか無かったろう。常ならば信仰を集める権現に門徒が逆らうなどあり得ない。そのあり得ない状況を東光坊の連携(後ろ盾)が作り出したのまでも理解している。
 そこまでは分かっても、次郎坊以下が黙って従う理由は見当たらない。
「いやな、あることをバラす、と言って脅して回ってたんだが……」
「ある事とは何です!」
 三尺坊はさもうざったそうに、調子が戻ってきた文の詰問を受け流しつつ答える。
「人が言うのを憚っているのに、なんでそれをぐいぐい問い詰めるんだ、お前は。もう知らんぞ……天魔殿の正体を皆に明かすのだと、そう言って脅して回っておった」
 正体を明かすも何も、文の認識でも天魔は天魔でしかない。
 かつては妖怪の山の代表として八坂神奈子と直接の交渉に応じたほどであるし、御八葉の奏上の場には必ず姿を現す。ついこの間は、部外者の早苗にすら姿を晒したほどであるのに、今更何か明かされて拙い事などあるものかと文は首を傾げる。
 しかし、文自身が直接天魔の姿を見たことがあるのかと問われれば「無い」と答えるしかない。まるで賢所や竜顔の如き扱いで、彼の者の容貌は知られていない。
「いやしかし、早苗さんですら申し継ぎの際にご尊顔を排してるんですよ。あ、早苗さんというのは――」
「近年こちらへ越して来た守矢神社の風祝、さっき名が出た東風谷早苗殿だったな。それは聞いた。ならば却って、正体を明かさないという方針に合致しているように思えるが」
「ええ、その通りです。その早苗さんを申し継ぎの代理として招いたのが鞍馬様でした。でしたが、早苗さんが天魔様の正体を明かさない、と言うのは?」
「自らも聖域の内に祭神を奉る風祝であるからこそ、鞍馬殿にも適任として選ばれたんだろう。更にあちら、守矢神社の体制がまさにそうだろうし」
 秘され――てい――た神、洩矢諏訪子と、フランクでよく目立つ神、八坂神奈子という表裏ツートップの体制を言っているのを文は理解する。宣伝役の神奈子が表向きに新たな信仰を集め、真の祭神である諏訪子が元来の信仰による神力を担保している。この体制だ。
 秘するべきものを知り、知り得た後にも秘したままにする。神官の役目でもあり、義務でもある。なるほど『祝(ほうり)』ならばそれは確かに守るだろうし、彼女は実践もして来た。
「そもそも聖域(アジール)という物がなんであるかと説けば――」
「酒飲み権現のような、目に触れてはならない物を衆目に触れさせないためでしょう」
 誰のことを指して言っているのかは明白。
「……ああ、その通りだな」
 残念ながらそちらは、秋葉山の麓でもおとぎ話として子供にすら知られている始末。秘するも何も無くなった話ではある。
「射命丸、三尺坊様もずっと奥の院に詰めていたんだ。せめてもの俗な振る舞いは仕方ないだろう。俺も何度か、飲めもしない酒を買いに遣わされた覚えはあるが」
 善八郎にまで言われ三尺坊は苦い顔をするが、椛や真噛にまで頷かれては黙るしかない。
「まあそればかりではないが、聖域の持つ意味は極めて重要だ。かつては天子の竜顔など、見れば眼が潰れるとまで言われていたようにな」
 今では世間に晒され続けて云々と三尺坊は説くが、それはここで必要な話題ではない。
「ともあれ、天魔様の姿はその物が神秘。曝かれざる聖域と仰るのですね」
 これは意識したことが無かったと、文達三人は揃って唸る。
「ああ。御八葉が黙って従ったのを見る限りはそう思える。幽霊の正体見たりなんとやらと言うように実は特に大した正体ではないかも知れんが、そういう問題でもないだろう」
 天魔がその神秘を失えば、鬼神の留守に乗じて掌握した妖怪の山を、再び別の勢力に明け渡すことになるかも知れない。その恐れから、彼らは従っているのだとの推察。
 逆に玄庵や、彼に天魔の正体を教えかつ後ろ盾となった東光坊は、これを恐れていないのかも知れない。彼らには神秘喪失の先にも確固としたビジョンがあるのか。
「そうだ、その風祝どのに何を依頼する気なのだ?」
 これ以上この問答を避けようとしてか、三尺坊は話題を変える。
「実を言えば、先の博麗神社での会合で、およその話はして来ました。ただ御山の状況が不明だったため、方針を決めるに留まりましたが」
「なるほどそうか。ときに椛」
「はっ!」
「妖怪の山にはお前達白狼以外、獣を本来の形とする妖怪はどれだけおる?」
「獣ですか。白狼の他は、周囲を固める狗賓や猩猩、それと妖怪未満の経立(ふったち)の類がいくらかおりますが。近年では、山に隠れ住む仙人が妖獣と獣の別なく率いているなどの噂も」
「狢の類いは?」
「はっ。御山の構成員ではありませんが、河童と同様周辺地域に若干数」
「……ではここ、西塔に、それらのモノはどれだけおるか?」
 淀みなく答えていた椛は、ここで初めて言葉を詰まらせてから答える。
「……特に通力を用いる我ら白狼の他は、居らぬはず。ですが――」
 彼女が継ぐべき言葉を止めるのと同時に、真噛が無手のまま廊下へ飛び出す。
「となればお前は天狗ですら無いな。何者か」
 声を抑えた誰何に、問われた人物は手を挙げる。
「ほほっ、大した鼻じゃな。そちらの権現殿はどうして知ったのか分からんが」
 文はよく見る舎人職の者と認識したが、彼が全く気配をさせずにいたのに今更に気付く。
「それは企業秘密という奴だな。はてさて、そちらは妖怪の山の混乱を知って、付け入る隙を窺いに上がってきたのかな」
「いやいや、幻想郷に住まうモノとして、何か出来ないものかと探っておったのですよ」
 妖怪の山の『界』をもすり抜けられるモノなど限られる。三尺坊が察した通りの狢の眷属なら、ここまで辿り着ける者など限られるどころではない。
「場所が場所ゆえ、仁義を切るなどは差し控えさせてもらうが――」
 法衣姿の舎人が宙でくるりと身体を一回りさせると、体と同じぐらいの大きな縞模様の尻尾を、誇らしげに揺らす女が現れた。彼女は三尺坊と同様、権現格を持つモノ。
「――佐渡の二ッ岩、二ッ岩マミゾウと申す」
 温かげな尾を化術でしまい込み、深々と頭を下げるマミゾウに、三尺坊も礼を尽くす。
「ワシは元は秋葉山に座し、現在は遠州可睡齋に遷座しておる、秋葉三尺坊と言う。かの二ッ岩大明神、団三郎殿までがこちらにおわすとは知らなかったですな」
 狐と深い縁のある三尺坊だが、特段これを気にする様子は無く、侵入者への対応でもない。それより獣害除け、狸も退ける物の範疇にある権現格の白狼、真噛がやや険しい表情で問う。
「佐渡のお社が火難に遭ったのはネットなどで聞き及んでおりますが、焼け出されてこちらに来たのでありましょうか? 秋葉大権現を勧請していれば火難も防げたでしょうに」
「いや、先に幻想郷に来ていた旧知の者に与力を請われて来たんじゃ。それ以来こちらに来たきりになっておるだけじゃよ。武蔵のお犬様よ」
 険悪な空気には、すかさず三尺坊が割って入る。
「まあまあ真噛殿、そういきり立つな。二ッ岩殿、こちらに敵対する気はありませんで、ひとまず落ち着いて話しましょう」
 三尺坊に諭された真噛はすぐに敵意を収め、無礼を詫びるとこれまで通り黙って控える。
しかし次は文の番。
「本当にちょうどいい時に現れましたね、マミゾウさん。もしかして、人里を襲った敵を退治する手柄争奪戦に参加するつもりですか?」
「遠回しに言わんでも知っとるよ。一言主だったかの? しかし手柄争いとは非道い」
頭を抱える三尺坊をよそに、文は続ける。
「もし手柄争いであったとしたらです。私達、秋葉衆と共闘する気はありませんか?」
「手柄には興味があるが、何か裏でもありそうじゃな」
 まんざらでも無いという様子のマミゾウ。騙すのが本分の狢の親玉が何を言うのか、企みを警戒するのはこちらだという気持ちを、文は押し隠す。
「裏はどこにでもあります。ですが今回、実はあなたのお出ましを期待してもいました」
「ほう?」
「確かあなたは、その化術で以て大結界の内と外を行き来できましたね?」
 元々、野辺の獣たちは大結界に関わらずに行き来が叶う。マミゾウの方法は己をそれらに化けさせ、結界の識別を欺くというもの。
「それこそ企業秘密にしておきたい話をよくもまあ。状況によるし、そうヒョイヒョイとはいかんがな。なんじゃお前さん、大結界の外にでも出たいのかな?」
「まだ方針は確定していないのですが、我々はまず、一言主の正体を知らなければなりません。そのために、幻想郷と外の世界の事情に通じる者を送り込む必要があります」
 ただ『一言主』を知るだけなら霊廟の者達に聞くだけで事足りるが、それが何故オカルトの皮を着てここに現れたのか。この大元を知ることは対処の大きな資となろう。
「なるほど、それでわしを送り込みたいと。まあ直接行かずとも、簡単な情報収集なら化け式を飛ばすという方法もあるし」
「ならそれで行きましょう、通信手段はこちらで確保します。それと、お帰りはこの白狼天狗が案内しますので――」
「いや、小僧が案内しよう。避難所でやることもあるし、そのまま山を降りる」
 言う事だけ言ったら早々に所払いかと肩をすくめるマミゾウと、再び化けた彼女を導く善八郎。二人を見送ると、文はまた三尺坊に問う。
「善八郎様には残って欲しかったんですけど。三尺坊様、駐屯吏を一時解隊しての火仗衆の編組、やはり確定事項なのでしょうか?」
「東光坊殿は日光衆や彦山衆に任せたかったそうだが、玄庵殿がそれを蹴った。火仗を握った者が今回の働き頭になると考えていたのは間違いないから、却って解せないのだが」
 合理的な判断ではある。それ以上に秋葉衆に花を持たせたい理由でもあるのか。それとも、人里守護の彼らにまだまだ人間を殺させようという嗜虐的な考えからか。
「それには私も組み込まれるのでしょうか」
「現状はお前もワシ付きの法師だが、駐屯吏ではなかったし、さてどうするか……」
「では、早苗さんと連携しての調査、私が奉行してもよろしいですか?」
 この輩を自由にさせていいものかと三尺坊は声を詰まらせる。
「いや、そもそも風祝殿に何をさせる気だ?」
「まずは姿を消した敵を捜し出さなければ話が始まりません。そして追跡。発見が困難なら、広汎な警戒態勢の維持継続。早苗さんだけでなく、この幻想郷に戦ってもらいます」
「幻想郷に戦ってもらうとは、大きく出たな」
「ええ、思い出したんですよ。この大地に、始めにあった気持ちを。私は大結界の成立に関与しておりませんが、ここに住み着き、老いて死んで行けた普通の人間達は確かに見て来ました。あの一言主の存在は、幻想郷の意義への、この“楽園の格率”への挑戦です」
 戦うのは妖怪の山ではない、幻想郷だ。この宣言は玄庵の方針との対決でもあった。
 少し前に飯綱に殴り殺されそうになったばかりだと言うのに。三尺坊はこの面倒な弟子に大きく嘆息しつつ、心中ではただただ感じ入っていた。
「幻想郷の意義か。それが何かは知り得んが、お前がここで最も古い住人として何かをしたいなら、好きにしろ。ワシが全面的にバックアップする」
 善八郎が残っておらずに良かったななどと軽口を言って笑う三尺坊は、不安げな眼差しを向ける椛にも語り掛ける。
「お前ならこいつの暴走も抑えられるだろう。真噛殿、白狼の長には願い出ておく。椛と共にこの馬鹿者の目付役を頼む」
「はっ!」
「承知しました」
「ひとまず二ッ岩殿が外に出た時の連絡手段を確保せんとな。射命丸、お前ワシの持ち物を頼りにしてあんな事を言っただろう」
「実はこっそり拝見しておりまして。よろしくお願いします!」
 礼拝と言うより「一生のお願い」のポーズで軽く頼み込む文。
 三尺坊は嘆息しながら行李を開けると、電子式神(パソコン)を始めとした通信機器類を取り出す。
「まったく、低圧電源が無ければ使えなかったと言うのに。真噛殿、デジタル通信網か、ダメなら衛星回線をセットアップして下され。天蓋までは結界も掛かってないはずだ」
 いつの間にか電灯から枝分かれさせた電線の先には、これもいつの間にか箱形の機械が取り付けられている。これに次々と機器から伸びたコードを挿しながら真噛は答える。
「承知ですが、確か衛星通信の方は、かなりパケット代が嵩むのでは……」
 修行の安全対策に用いたが大変な事になったと真噛が言うと、三尺坊からは乾いた笑い。
「どうせ法人契約だ、再来月にワシが怒られるだけで済む」
 その再来月を無事に迎えるための準備でもあるのだと三尺坊は言い添える。
 そうだ、幻想郷の外にも及ぶ戦いかも知れないのだ。三尺坊や真噛はそれをさせじと働いている。マミゾウだって実情を知らせれば、力を尽くしてくれよう。
 手柄争いなど知ったことかと文は加速し始めた心のままに飛び出し、それに椛が押っ取り刀で続くのだった。

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