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楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』   パラダイスの格率 第4話

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公開日:2018年07月16日 / 最終更新日:2018年07月16日

パラダイスの格率 第4話
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第6章
パラダイスの格率 第4話



 幻想郷の範疇から僅かに外れた地底とのしばしの別れを終えたヤマメとパルスィは、少々人間の姿も減った命蓮寺に戻っていた。
「瘴気の元だった一言主が消えたから人里に戻るって言うのは分かるけど、残ってるのが随分と身形のいい奴らばかりなのが気になるわね」
 パルスィは僅かに嫉妬の緑眼の光を振り撒き、妖怪の姿を主張しながら歩む。
「お前らだってだいたい分かってるだろ? ここにいる妖怪は白蓮の奴がキッチリ抑えてるけど、人里の瘴気の残渣はいつ牙を剥くか分からない。ってあいつらが思ってるって」
 石造りの欄干に腰掛ける魔理沙の問いかけに、ヤマメは嘆息する。
「だからこっちには蓄えで良い暮らしが“買える”旦那方とか、逆に戻っても食い扶持の無い人間達が残ってるって訳ね。でも盗っ人除けのために戻した使用人が、裏切って物盗りに走るとか考えてないのかな」
「狭い幻想郷、どこに行っても逃げられぬ。人里から出れば、ある意味お前らよりおっかない考え無しの妖怪共も出て来るしな。使用人はどこまで行っても使用人なのさ。瘴気の恐ろしさも理解してない火事場泥棒なら、とっくの昔に卑妖になってるだろうにな」
 今は縁も切れているが、自身も使用人を抱える家の出の魔理沙だからこその言葉。ただどちらかと言えば、使われる側からの視線の、諦念じみたセリフにも聞こえる。
「それで、実際の瘴気の影響はどれだけ残ってるの?」
「ほとんど拡散して無害化してると言っていい。事実、私が瘴気拡散の爆心で思いっきり深呼吸してみても、特になんてことは無かったし。けれど何と言うか、里の奴らの心に残った瘴気の残滓の方が厄介だと思う」
「またなんて無茶を……」
 呆れきったと顔に手をやるヤマメと対照的に、パルスィは冷静に現状を見定める。
「でもここに残った旦那方は信じないでしょうね。それどころか、貴女を含め、戻った人間達をばっちいとか卑妖もどきとか、悪し様に言うかも知れない」
「分かってるって。言っただろ? 里の奴らの認識が問題だって。だから率先して安全を示す必要があった。もっとも、文や永琳達が控えてくれてたから出来た事だけどな」
 対象が同族の天狗だったとはいえ、卑妖化現象を取り除いた唯一の例を作った文。それが駄目なら他の卑妖と共に収容するだけだった。
 瘴気に冒されても前者が通用するならまだしも、後者の策を取る羽目に陥っていたら無茶と言うぐらいでは足りなかっただろう。
 普段は天狗や月人を胡散臭いと思いながらも、事が極まった現状に彼女は信じた。この年若い魔法使いは信じて前に進むしか、進めようとしか考えなかったのだろう。
「そう言えば、射命丸さんも降りて来てたんだ」
「天狗のお偉いさんを永遠亭に連れて行って、解呪を含めた治療の方法を模索させてるって話だ。それと引き替えに、例の火仗ってのを使ってた天狗達を引き揚げさせてた」
 狭山屋の一同は、一時別行動を取っていた主人が整えた別宅に移動するという話になっていた。命蓮寺に残る旦那方などはそれを妬みもせず、申し訳程度に引き留めてもいたが。
「戦の準備かな?」
「だろう。次は卑妖も何も、形振り構わずやるつもりかも。博麗神社防衛の時の様子がおかしかったから事情も聞いてみたが、私よりよほど無茶をしてたみたいだ」
 文は秋葉衆が受けていた呵責について、原因は伏せながらも魔理沙に伝え、そして妖怪の山の外の人妖にすら助力を求めていた。
 ただしそこに魔理沙は含まれていないと、本人がやや腐りつつ言う。
「何と言われようと、私は可能な限り首を突っ込むつもりだけどな。それよりお前らこそあいつが身元引受人になってるんだろ。合流しないと紫に何か言われるんじゃないか?」
「どうかな。紫さんの話は勇儀姐さんとの間で完結してるし、私達は地下に戻らないって約束以外は好き勝手するつもりだったけど――」
「どのみちあの新聞屋と合流しないと、私達だけじゃ何も出来ないのも事実よ」
 それならと魔理沙は二人を導こうとする。
「どっちみち、そうなるか。あいつなら竹林の用事も終えて人里だ、白蓮と一緒にいる」
 白蓮は行方不明の幽谷響子の手がかりを探っている。人も妖も、禽獣の別なく取り込んだ一言主の下に置かれているのはほぼ確定している。今彼女達が探しているのは、響子が少なくとも人里で倒されたのではないという証拠だった。
 飛び立つ三人を見送る命蓮寺の妖怪達と避難生活の人間達。彼らがその背に受けるのは、期待と諸々の悪感情が入り混じった想いだった。

 もはや異変という言葉すら生温くなった事態の中にあっても、ヤマメ達は人目を憚り、人里の壁の外に降り立つ。
 見上げた、さして高くもない楼門から視線を左右に巡らせてみれば、人界とそれ以外を分かつ壁は酷く崩れていた。無軌道に動き回った卑妖と、鞍馬衆の戦闘の跡でもあろうか。
 その楼門も瓦をほとんど落とし、戦乱の跡といった有様。そこに立つ影の姿も含めて。
「どうも、まるで羅城門の鬼のようですね」
 ヤマメが出し抜けに投げかけると、楼門の上の影は途端にあたふたとした様子を見せる。
「ちょっとヤマメやめなさいよ。あちらさんにだって事情があるんだろうし」
 取り繕う間も無く桃色の髪を膨らませながら降り立ったのは、仙人(公称)の茨華仙。
「ちょっと土蜘蛛さん。私は仙人よ、仙人。鬼と見間違えるなんてどういう了見なの」
「いえ、そんな所に佇んでるシチュエーションが鬼らしいなって、思っただけですけど」
 彼女は手櫛で髪をひと掻きし、視線だけを魔理沙の方に向ける。
「と、ともかく、私は例の大蜘蛛に攫われた獣たちを探してたんです」
 妖怪の山にひっそりと道場を開き、動物を導くという白蓮ですら驚きの業(わざ)を為すのが彼女。しかしと魔理沙は問いかける。
「件の大蜘蛛だけど、一言主って名前で確定らしい。それよりも人里で卑妖化した奴を探してるなら、この前の博麗神社進撃に残らず連れてかれて、撃退と同時に姿を消したぜ」
「いえいえ。私が言ってるのは、妖怪の山で修行をしてる子らよ」
「妖怪の山だって? ちょっと待て。なんだその雲行きが怪しい話は――」
 風の障壁が通り抜ける。華扇に詰め寄ろうとする魔理沙を文が制していた。
「射命丸さん」
「急になんだよブン屋」
 文は二人に答えず、営業スマイルのままで華扇に問いかける。
「どうも、毎度お馴染み清く正しい伝統の幻想ブン屋、射命丸文と申します」
「天狗までこんな所に堂々と、いよいよ人里は終わりね……」
 華扇のあからさまな嘆きを無視して、文は手でゴマを擦りながら問う。
「今の話、詳しく聞かせて下さい。それが本当だとしたら、妖怪の山こそ終わりかも知れないんです。知ってる限りで構いませんからお願いします」
「詳しく語る内容すら無い。あなた達が妖怪の山に敷いた哨戒網にどれだけ自信があるのか知れないけれど、既にそちらに、その一言主が入り込んだ恐れがある。それだけ」
 華扇自身の道場には、特定の経路を歩まなければ辿り着けない方術が施されている。
 ただ彼女が弟子である動物たちに修行をさせるのはその外側の、妖怪の山の一角。そこは河童達の住まいと同様に妖怪の山の辺縁とも言える、妖怪の山が張る『界』に摩する区域。
「おいブン屋。お前らの所の結界ってのは大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も、妖怪の山が張っているのは貴女のような不正侵入者探知のための術と監視態勢です。物理的な障壁など最初から、この壊れかけの壁ほども備えていませんよ」
 山の地形自体が障壁となるし、それを越えてくる者には実力で対応。華扇の懸念は、その実力行使すらされずに、それらが『界』の内側に入り込んだ恐れすらあるとの話。
「一応、抜け道はあるっぽいんですがね。以前の天邪鬼進入の際も、別途術で警戒していた白狼が気付くまで、全く察知できなかったという話ですから」
 その顛末は魔理沙も聞いていた。それに文が「っぽい」などと言った程度の通りで、正邪の進入経路は詳しく知れないままだった。
 文自身がこの術に関わる者ではないため、その後その調査や対策がどうなったのか、知るべき由も無いまま今に至っている。
 その文ですら知らない答えを、意外にも華扇が語る。
「それには、陰陽術で言う所の『方違え』が必要になる。あの結界を張ったのが陰陽大僧、鬼一法眼――あなた達が言う鞍馬僧正坊なのだから、当然の仕組みなんでしょうけれど」
 文は脳裏に、何かのカラクリが「カチリ」とはまった様な感覚を覚える。
「なんで既に事が終わったはずの人里の、こんな目立つ所に現れたのかと疑問でしたが。あなたはこれを教えるために待ち構えていたんですか?」
「弟子達を探しているのは本当よ、命蓮寺の尼さんと同じで。けれどここに来たのは、妖怪の山での捜索が限界だと思ったんで、その一言主の足跡を辿ろうと考えていたからよ」
 文の問いに対する否定は無い。華扇は文が必要な事を理解したと考えているし、文は華扇に言葉の意図が正しく伝わったと認識できた。
「どういう事だよ……」
 分かるように説明しろと眉間に皺を寄せる魔理沙を無視して、文は華扇に言う。
「つい先日、狢の大将が妖怪の山の中核にまで入り込んでましたけど、あれは化術による偽装でしょうからね。それにしても方違えによる探知回避とは、知っていれば誰にでも抜けられる道理か……」
「彼女が? なるほどね。なら最後にこれだけ忠告しておきましょう。彼女もまた、幻想郷に新しい価値観を持ち込もうと考えるモノ。それが悪しき事とは言わないけれど」
 マミゾウが幻想郷で一定の地位を得ようとしているのは文も知っている。かつての人里での情報戦にも、それを妨げようとする意図があったぐらいだ。
「ご忠告ありがとうございます。確かに今は妖怪の山の内輪ですら手柄争いの話が出ているぐらいですし、一言主退治に貢献した者は、それなりの名声も得られるでしょう。だからと言って、この難局に対応しようとする誰かを邪魔するつもりもありません」
「それもそうね、私の言った事は忘れて」
 華扇は感嘆して訂正する。普段なら天狗の言葉など眉唾程度に思っているだろうに。
「ええ、もう止めましょう。それよりあなた達は白蓮さんを探しに?」
 ようやく魔理沙達に向き直る文に、魔理沙は溜め息交じりに応じる。
「探してたのは主にお前だ。この二人の身元引受人だろ」
「ああ、そう言えばそんな話もありましたね」
 文は白けた目を向ける魔理沙をあしらい、華扇に暇乞いをするとそのまま歩み出す。三人はそれにただついて行くだけ。
「含みだらけの会話で私達にはサッパリだったぞ。一体お前ら何のやりとりをしたんだ」
「天邪鬼の件からここまでの黒幕の一角の存在、同時に想定する敵勢力の大幅な上方修正。これが華扇さんから得た物です。私からはギブアンドテイクじゃ全然足りませんけど、彼女と因縁がある者の動きを伝えてあげただけですよ」
「そう言えばマミゾウと何か競ってたって話もあったな。それより上方修正って何だよ、もっと分かり易く言ってくれ」
「妖怪の山の周辺には、天狗未満や妖怪未満のモノも多く住んでいます。さっきの話だと、警戒網の境界線でそれらが取り込まれた可能性がかなり高いです」
 あえて黒幕については説かない。これは確証が得られるまで軽々に語れない話だ。
 妖怪の山の首脳、鬼一法眼こと鞍馬僧正坊が、一言主すらも操る黒幕かもなどとは。
「人間が変化した卑妖でも結構ヤバかったのに、妖怪が更に変化するのか」
 もはや人間には対応できない。妖怪であっても、どんなに強力な個体でも、多勢に無勢という事にもなる。その多勢を、そもそもそれらを上回る僧正坊や一言主が率いているとなれば、一体誰がそれに立ち向かえるのか。
 少なくとも、速く飛び回るだけの天狗と、火力至上主義の人間の魔法使いには不可能だ。
「それを前提として、妖怪の山は対応する態勢を整えてますしかし――」
「しかし、一言主の発する瘴気に包まれた“軍”にはあらゆる術が通用しない。肉弾戦も取り込まれる恐れから出来ない。有効な戦力はあなた達が先般用いた銃のみ」
 視界すら遮る瘴気の中から戦況を見ていたパルスィは、見える限りの現状を正しく認識していた。ただし文の話もそれで詰まる物では無い。
「……術は兎も角、アレに取り込まれず肉弾戦が出来る存在はここに居るんですよねぇ」
 一同の視線はヤマメの方に向き、本人はきょとんとした貌でそれぞれに視線を返す。
「私? なんでよ」
 鬼を差し置いて一番槍も無かろうにとヤマメは言う。事実、鬼は土蜘蛛の上をゆく存在。
「理由は分かりませんが、あなたは勇儀さんをも引き裂いた蜘蛛切の一撃を無傷で凌ぎましたよね。恐らく勇儀さんや、紫さんも、あなたのその特性に賭けていると思います」
「そんな無茶無理無謀は止めさせてよ。私は片腕覚悟で突っ込んだだけで無事で済んだ理由なんて知らないし。それに私より強い奴なんて他にもいるよ。土蜘蛛が必要ってなら今からでも遅くない、そいつらを連れて来た方がいい」
「いえ、ヤマメ。私は貴女でいいと思う」
「パルスィまで何を言うのよ……」
 無理な期待を寄せるのは勘弁して欲しいと言うヤマメは、何かを見つけると、それを振り払うかの如く駆け出す。
「おいおい、どうしたんだよ!」
「あれ、見てよ!」
 辻から辛うじて見えた裏通り長屋の隅に、人だかりが出来ている。その中心には白蓮ともう一人の妖怪の姿もあった。
「この娘は私の弟子です。悪さが出来る妖怪でないのは、あなた達も知ってるでしょう」
 そう言う白蓮に庇われるのは怯えた様子の青髪の妖怪。元来の姿の唐傘を畳んだ多々良小傘だった。ただ白蓮の擁護の言葉には、怯えよりも更に心を傷付けられた風に見える。
「はいはい、ここにもおっかない妖怪がいるよ。妖怪退治したいならこっちはどう?」
 先頃まで命蓮寺に避難していたと見える人間の一団は、白蓮の制御下に無い妖怪の登場にすぐさまたじろぎ、一人二人と後ずさっている。
「待てってヤマメ、今は目立つ真似するなよ。ほら、あんた達もこんな時に弱い者いじめばっかりしてないで、やることやったらどうだよ」
 彼らはそれに答えもせず、魔理沙にすら罵声を浴びせつつ散って行く。
「ったく情けないぜ。突っかかるなら一言主にでも突っかかれって言うのに」
「これも人間の性(さが)ね。貴女みたいなのも居るけど、だいたいはこんな物なのかも」
 明らかな強者と見れば尻尾を巻くのは天狗も同じなのだが、文もあえては言わずにいる。
「十人十色だ。なんでもかんでも括って言われるのは好かないぜ」
 パルスィはその反駁に嘆息すると、ヤマメと共に解放された小傘に歩み寄る。
「何があったのかは想像つくけど、人里ってそんなに妖怪を嫌ってたっけ?」
 ヤマメの問いには白蓮が答える。
「外の妖怪を恐れて大人しく暮らしてる妖怪も少なくないですよ。中には周囲に認知されつつ、黙認されてたモノもいますし。この小傘さんも真っ当な生業を持ってるのに……」
 今彼女に詰め寄っていた者達は、それを知らなかった人間ばかりだろう。
「いえ、魔理沙さんの言ったとおりですね。それより大丈夫でしたか?」
「助かったよぉ、怖かったよぉ、白蓮さんんん!!」
 今の光景から襲われかけていた様子までを見せられたら、どちらが妖怪なのか判断に苦しむであろう。流石は人畜無害の唐傘お化け。
 スペルルール下では弾幕ごっこにも存分に参加出来る彼女だが、その腹を満たすのが恐怖ではなく『驚き』に止まるため、問答無用の真剣勝負はてんでとの事。それ故の、このざまである。
 抱きつく小傘を持ち前の包容力で迎える白蓮。彼女も「今は人間の感情もかなり昂ぶっている状況だから、妖怪は必要が無いなら人里に近寄らぬように」と寺に出入りする妖怪には言い付けていた。それを破ったのは責めず、穏やかな口調で小傘に尋ねる。
「こんな時に人里に入るなんて、何かあったんですね」
「他の人には大した用事に聞こえないないかも知れないけど、ほとぼりが冷めるまで人里に戻れないし、でも火事場泥棒が出る前に鍛冶道具を引き揚げようと思って。この子達も長年の相棒だから。それに、地下の妖怪に睨まれかねない事もあったし……」
 白蓮は納得して胸の中の小傘に頷くが、その微笑ましい状況にヤマメが冷水を浴びせる。
「あのー、私達はその地下の妖怪なんだけど?」
 小傘が悲鳴を上げて白蓮の後ろに回り込むと、パルスィはまた大きく溜め息を漏らす。
「鍛冶を営んでいるって、さっきの理由はそういう話よね。勇儀を切り付けたあの刀を打ったのが貴女で、証拠隠滅に来たと。おおかたそんな所かしら」
「鬼の頭目を呼び捨てにするレベルの?! もう駄目だぁ!」
 そんな大層な連中が追っ手に寄越されたのかと、小傘は「南無妙法蓮ナンマイダ」と経にもならない経を唱える。
「大丈夫じゃないですかね。小傘さんにあの二振りを発注したのは香霖堂さんですし、あなたがあれらを打ったなんて、ヤマメさん達が直接知ってるはず――あ」
 小傘を落ち着かせようとそう言った文自身が、表情を固まらせる。
「なんでそれ言っちゃうのよ! てか発注元ってあなただったの?!」
「あ、や。香霖堂さんは守秘義務を守ってくれたというのに、口が滑りましたね……」
 頭を抱える小傘には魔理沙が追い打ち。
「そう言えばお前、前に事八日に合わせて霊夢に営業かけてたよな?」
「ちょっと、だからなんで今言うの、天狗さんもあなたも! あーもう、人間相手にも巫女さん相手にも良い商売だったのに、今年はこの有様だし、ホントに商売あがったりよ!」
 小傘はいよいよ人畜有益(己を含めた妖怪にまで無害とは言っていない)妖怪の片鱗を見せてしまう。文はと言えば、申し開きをする間も与えられずにヤマメとパルスィに挟まれ、人里の外れの方に向かって連行されていくのだった。

 小傘の案内で人里の恩恵からだいぶ外れたあばら屋に到着した一同は、表向きほども荒れた様子が無い屋内に上がり込む。
「暖は取れるけど、水はまだ汲んで来てないから飲み物は無しね」
 既に明るい様子を取り戻した小傘。対照的に文は蒼い顔。
「ねえ、さっきのわざと言ったんじゃないよね?」
「全く全然、口が滑っただけですよ。最近色々と凹むことが続きましてね、ようやく調子が戻って来たと自覚して来た反動で――暴走しました」
 しょうもないポカミスだったと乾いた笑いで誤魔化す文。悲壮感が無いのは、いざとなれば逃げ出せる相手ばかりだからだ。
「何が起こったのか知らないけど、そりゃ難儀だったね」
「安心していいわよ。勇儀があれに切り付けられたことなんて、私達は別に何とも思ってないから。それよりそんな物を発注した理由を知りたいだけ。最近の話なのよね?」
 パルスィの問いこそ、文としては聞かれるのを一番恐れていた物。それをどう取り繕うか迷う内に、問いかけた当人が言葉を重ねて核心を突く。
「貴女は小槌を携えた天邪鬼の地底来訪の際、旧地獄が溢れるのを恐れた。それ故、いざとなれば鬼や土蜘蛛を倒せる武器を必要とした。それに相応しかったのが兄弟のように並び伝えられた源氏の重宝『鬼切』こと『髭切』と蜘蛛切、『膝丸』だった。そうね?」
「ええ、仰る通り。あくまでもカウンターの為に発注した物であって、こちらから攻め寄せようと意図して作らせたのではありません。何よりあれは私が独断で発注した物ですし。所持が上役にバレた後は、妖怪の山の武器庫に封印されてしまいましたから。ですが――」
 軽い様子で応じていた文の表情は急に引き締まり、冷徹とも言える面に変わる。
「出来の良さ故か、あの刃にはただ人に伝えられた以上の、真実の霊威が招かれた様ですね。残された髭切、切れ味を試してみますか?」
 伝説でのそれは山麓の鬼のみならず、鬼女『橋姫』を斬った刃でもある。
「ちょいと射命丸さん、なんで喧嘩売るようなことを」
 当然ヤマメの認識でも、かつて橋姫を斬り、退けたのは髭切になっていた。
「……あの刀達の真実を知っている。と言うの?」
「確かな筋からの話です。それも私が、長生きしただけの、ただの鴉だった頃に聞いた」
「そうね。ならここに居る人達にも語りましょう。旧地獄ではずっと語り損ねていたし」
 彼女が吐露するのは、かつて熊野の寺で鴉が聞かせられた逸話と寸分の違いも無かった。
 のちに摂津源氏の惣領となった源頼光と、一の郎党である渡辺綱のまだ若かりし頃の話。失われた“はし”を取り戻そうと、鬼に、やがては葛城の“神”にすら刃を向けた彼らの伝説の起こり。その中で、綱の髭切を以て鬼女橋姫を討ち果たしたのは、波斯姫であった。
 謡曲の演目にもなったいくつもの逸話にも跨がった、妖怪から見れば重大事とも言える話。昇仙を目指していた羅城門の鬼を始め、頼光四天王に討たれた鬼達などにとっては、もはやとばっちりと言っていい内容だった。
 ここでも葛城の神、謡曲の中では大蜘蛛として退けられた一言主の登場かと文達が頷く側で、それを知らない小傘が手を上げる。
「あのー『橋姫』のお話は面霊気の子に聞いた事があったんだけど、今の話が真実だって言うなら、髭切が膝丸でも、橋姫さんを斬ってくれないんじゃ……」
 文が売った喧嘩に対する反駁、いや、それが不能であるという指摘。
 当然、髭切についてはそう認識していたため納得。しかし膝丸はどういう事か。
「あの二振りってある意味兄弟刀なんだよね? しかも確かそれを持っていたご主人と郎党も、兄弟ぐらいに近い歳だったって。それからずっと仕えたぐらいの仲の二人だったら、そのお話の中の感情、もしかしたら後悔も共有していたかも。それも刀達と一緒に」
 それを確かめるためにパルスィに刃を向けようなどと文も思ってはいないが、どのみちヤマメが斬られなかった理由にはならない。
「パルスィ。あの一言主の刃がパルスィに対しては無力だったとして、どう?」
 勇儀や自分のように、真っ向から立ち向かえるかとのヤマメの問い。
「叶うなら、最高の舞台であれを八つ裂きにしてやりたいわね」
 恨みは妖怪の山よりうずたかく積もっているだろう彼女自身の真の嫉妬を、向けるべき相手に対して放つのだ。否と答える訳もなかった。
 パルスィもヤマメと同様、瘴気の中にも安穏と身を浸していられる妖怪だ。しかし問題は一言主の瘴気の中では妖術一般が無力化されること。鬼や土蜘蛛のように膂力に優れるなら正面切っての殴り合いも選択肢に入ろうが、それは流石に叶わない。
「いくら恨み辛みを募らせても、それが通じないなんて。なんて……」
 瞳から涙の代わりに光を零れさせる彼女をよそに、問いかけから開放された文は付喪神である小傘から得られた新たな方向へ思考を始める。
「では、膝丸が勇儀さんに通用したのは、兄弟刀としての共感ゆえ。しかし逆に、ヤマメさんにあれが通用しなかったのは、別の由縁を共感したがゆえ。そちらの共感の元が真のパルスィさんの逸話だったとしても、何がヤマメさんとの間に共通するのか……」
 橋姫を斬った後悔が、刃の鋭さを鉄塊程にも鈍らせた原因であったなら。
 思考を整理するために吐き出された文の独り言に近い言葉に、自身にも関わる事としてヤマメも思考を巡らせ、唸る。
「私とパルスィの共通点、共通点ねぇ……巫女?」
 脈絡無く漏れ出た言葉に、ヤマメ以外は疑問符が浮かんだ風な表情をする。
「パルさんは、波斯姫は西方から招かれた巫女、だったよね?」
「え、ええ。今はもう、そうとも言えないけれど」
「私の名前、元々はヤマノメって言ってたの。私の場合、ただの山を掘ってる女だからって意味でそう言ってたんだけど。実はさ、これが巫女の女王様の名前でもあったって、その巫女王を名乗ってた本人が……言ってたっけ?」
 それは知らぬと、白けた目を向けるパルスィ。それには文が補足する。
「確かに、いくつかの土蜘蛛と称される王、それも女王の名に見られますね。もはや奉っていた対象さえ知れぬ祭祀王。しかし、名前だけの共通項とは」
 妥当ともそうでないとも判断が付けかねた文に、パルスィは得心いった風に語る。
「そう、それこそが“呪(しゅ)”よ。言の葉の重なりに、縁(えにし)の重なり。それら敷物のように縦横に織り交ぜられた物の中に、私も貴女も在る。貴女こそ巫女王を継ぐ者よ、ヤマメ」
 パルスィの言葉は、ヤマメが実際にそうであるか否かという事実とは関係の無い、ただの言葉の定義である。しかしそれこそが重要であるとも言っているのだ。
「戦うのはやぶさかじゃないよ、むしろ望む所。支配者の性(しょう)を持つ相手なら尚更ね。だから言ったんだけど。でも私はそんな大層な輩じゃないってのも、何度も言ってるの」
 必要なのは巫女としての縁だけ。実際の生業などどうでも良いとヤマメは言う。
「行き先が地の底でも、同胞を安住の地へと誘ったのは貴女じゃないの。それは紛う事無く、正しく統べる者の業よ。私も手を貸す、今こそ立つべきよ」
 これはヤマメこそ自覚していなかったのだろう。己が善いと思う方に歩んできただけでしかない、ただの土蜘蛛でしかないと、ずっと思い続けているのだから。

――ほれ、妾の言った通りだったろう?
  新しきヤマノメよ、先に在る者よ。いざや征け――

 思い出した。ヤマメもまた、己が誰かを継いだ者であったということを。
 ヤマメははたとして辺りを見回してから、パルスィに答える。
「うん、奴の瘴気の中でも問題無かったし、あの膝丸の一撃もどうにかなったし。いや、だからって言っても、卑妖の群れまでは相手に出来そうにないのが困った所で……」
 ただ現実にはこの通り、目に見える脅威が立ちはだかっている。
「そのために妖怪の山があります。今以て一言主への有効打は見出せずにいますが、卑妖の解呪の見通しは立ちつつあります。取り巻きは私達の手で、親玉はあなたの手で。この方針、悪い話では無いと思いますが」
 不干渉の約定など、幻想郷の危機の排除という大手柄を上げれば、誰も何も言えまい。
「ブン屋、これは余計なお世話なんだが。お前の所でも手柄争いになってるって言うのに、人質同然のこの二人に一番の功名を渡すのはいいのか?」
「そんな物、こっちの質(たち)の悪い輩に持って行かれるぐらいなら、いっそ旧地獄に譲ります」
 妖怪の山の事情など、いっそ一切合切ご破算にしてやる。
 善八郎を始めとした秋葉衆には申し訳ないと思う気持ちもあるが、彼らであれば為すべき事をこれまで通りにやり遂げられる期待も強い。彼らの信条の核である三尺坊が幻想郷に訪れた今は、尚のこと。
 腹を決めたタイミングを見計らったかのようにあばら屋の扉が勢いよく開かれ、壊れる。
「何やってんですか文様! ついこの間やらかしたばかりでまた独断なんて、三尺坊様にどれだけ迷惑をかける気ですか!」
「あ、竹林で撒いたのにしつこい」
 胴丸まで着込んだ完全武装で現れた椛は、居並ぶ人妖にかかずらわずに文に詰め寄る。
「なんで見張りに私が選ばれたと思ってるんです!」
 その割には登場が遅かった。もしかしたら話が固まるのを待ってくれていた――
「ほらとっとと帰りますよ! あ、戸を壊して申し訳ない。後で何かしら埋め合わせる」
 ――とは思えない。有無を言わさず首根っこを掴んで引き摺るのを見る限り。
「いや、どうせしばらく引き払うから弁償とかははいいんだけど。その腰の長物、野太刀でしょ。今度見せてくれないかな?」
「これを? 別に構わないが」
 椛は柄を僅かに持ち上げて確認する素振りをしてから、元通り文を連行する。
「別に今でもいいで――」
「帰ります!」
 文の最後の抵抗も意味を成さない。
 しかしその後にヤマメとパルスィが続こうとすると、歩みはまた止まる。
「あなた達は?」
「文さんから聞いてない? 地底隔離の人質として、紫さんから私達が預けられたって」
「あー、聞いてた。八雲紫からの依頼だったな」
「そうです、客人ですよ。少しは丁寧に扱いなさい」
 文からの苦言に、椛は小さく舌打ちしつつ言われた通りに応じる。元々高圧的な態度が板に付いている訳でもないが、文に言われたのだけが癪に障ったのだ。
「……承知しました。白狼天狗の犬走椛と言います。ヤマメさん、と」
「水橋パルスィ。橋姫よ」
「パルスィさん。御山に地底の方を通す法が整っておりませんので、現状は――」
「これまで通り、うちで預かりましょう。二人とも私の弟子より素行がよろしいですよ」
 白蓮の申し出を、文と椛は受け容れる。最初からこうなる見込みではあった。
 椛は改めて暇乞いをして表に出ると、すぐには飛ばず、歩みながら話し始める。
「早苗さんからの依頼は無事通ったみたいです。でも「幻想郷に戦ってもらう」というのが大ぼらであって欲しいと、今になって思えて来ましたよ……」
 早苗には、避難民や里に戻った人々への供出の継続と共に、ある者達への繋ぎを依頼していた。ただその相手というのは、幻想郷の範疇と言っていいのか迷う者達でもある。
「護摩を焚いた白狼ですら追えないモノが相手じゃ、頼れる物はなんでも頼るしかないわ。それよりあなたの手元の方は?」
 竹林で撒く前に文が頼んだ別件だった。椛の貌は渋いままだが、回答は肯定するもの。
「散々に射掛けられましたが、なんとか交渉は出来ました。井三郎様が付いて来てくれなかったら今頃ミンチより酷い有様にされてましたよ。あの方も病み上がりなのに……」
 椛には河童達への協力の交渉に向かってもらったのだが、先の活躍も認められないけん責に、妖怪の山上層部のいざこざも重なって、武力闘争も辞さない構えとなっていた彼らの要撃を受けたのだ。特に危険だったのが件の大砲による散弾射撃。
 それを井三郎が巧みな飛行で引き付けてくれたお陰で、椛は辛くも交渉の場に着いたのだった。
「河城にとりが現場を仕切ってたのが幸いでした。一応はこちらの意図を詳しく伝えられましたが、現状は技術者を主体に大工房に籠もって徹底抗戦姿勢で変わらずです」
「伝わってくれなきゃ困るわ……」
 そうなると、まず優先すべき一言主捜索については、早苗から依頼した相手頼みになる。
 しかしこれの投入についてはかなり制限が掛かろう。それに頭を下げたくない相手に頼み込む必要もある。文にとってはここ一番の面倒ごとだった。

      ∴

《 Fuyo, This is Eagle01. Convoy1 Now flypassed the Waypoint2. Headingchange190, Maintain Alt. Bad, Visibility failure of the corridor to Waypoint3. I ask―― 》
《『オオワシ〇一、こちらフヨウ。現在、我が山は傍受可能な者全てに対して開かれた通話を求められている。暗語に当たらぬ、本邦の言語による交話を求む》
 妖怪の山の上空に飛び交う多言語混淆の念話。そして多数の天狗と、玉兎。その中には文と椛に、早苗も含まれていた。
 玉兎は清蘭と鈴瑚という、かつて月からの幻想郷侵攻の先兵となった二羽。それが今、幻想郷防備の前線にあるというのは皮肉としか言いようがない。
 ただ早苗からの依頼と言う名の強要が利いたのも、彼女らがまず守矢神社の庭先(そちらだって妖怪の山の一角なのだが)を荒らしたからだという奇縁もまた先にあった。
 もっとも、ただ強要したのでは幻想郷の現状を鑑みて月に避難される可能性もあったろう。そこで、妖怪の山の門前町か守矢神社での団子屋営業の許可を出すという、一応、相互にとって利のある形を提示するという懐柔策も取っている。
《I copy……了解、オオワシ◯一。第一梯隊、第二地点通過異常なし。ただし第三地点までの経路の状態が不良のため、指定の空中回廊より外れての飛行を許可されたい》
《フヨウ了解。第三地点への進入速度及び、方位並びに俯仰角に注意せよ》
 八葉堂に詰めているであろう、通信役の天狗の機械的な念話に、先を飛ぶ清蘭は少しばかり気を悪くする。
《オオワシ〇一了解。Thank you out.》
 再度の外語の使用を咎める妖怪の山『フヨウ』(なんの皮肉で付けられた呼出符号なのか)からの以心の術を無視し、清蘭は後方の第二梯隊の中で飛ぶ鈴瑚『オオワシ〇二』に向かって暗号化した念話で愚痴や雑談を飛ばし合う。
「真面目にお願いしますよ。こっちもあなた方をただ働きさせるつもりは無いんです。事が終わればすぐに入山と営業の許可を出す準備はしてるんですから」
 文の言葉は真面目を通り越し、緊張感の無い二人に半ば苛立ちすら見せている。
 清蘭はそれを察しつつも軽くあしらう。
「外語使用は止めますよ、どうせ“アレ”の整備でそっちのマニュアルと睨めっこしてた感覚が残ってただけだし。我々はイーグルラヴィ、任務だけはちゃんとこなします」
 先般の侵攻の際はガタガタに下手を打って、終いには味方を売る様子も見られたと早苗が言っていたらしい玉兎のこの言葉、果たして信じてよいものか。
 護衛もたくさん居るうちにどれだけの脅威か見ておきたいのもあるとも、清蘭は付け加える。やはり月への避難も選択肢にあるのだろう。
 鈴瑚とは常時念話を繋げているのか、この言葉にはオープンな状態での間の抜けた応答。
《胸囲って、あちらさん女なの?》
「脅かす方、スレットの脅威よ。分かってて言ってるでしょ?」
《勿論、退屈だし。だってアレを動かすまで私の出番無いじゃん》
 清蘭は「そりゃあね」と呟きつつ、日光衆が空中で索で引く、銀嶺を映した鈍色の物体を物体を見やる。
――驚くべき事に、今回の守矢神社の申し出とした玉兎投入に対し、玄庵と東光坊は二つ返事でゴーサインを出した。ただ、今現在はこの通り、日光衆だけが前進しているが――
 ドラム缶を縦に四本重ねたようなその物体自体にも十字翼や、左右に幅広で極端なアスペクト比の主翼が付いている。行き足が付けば負担にならないとは思われるのだが、
「おい射命丸! 雑談してる暇があるならこっち手伝え!」
 実際はかなり抗力が大きく、この高空での牽引にも難儀しているらしい。
 かつての月の都遷都計画の折りに、先兵である彼女ら『イーグルラヴィ』と共に送り込まれた清浄化兵器の内の一つ、汚穢(おえ)探知追随飛翔体『百舌(もず)』。それがこの物体の名。更に遡った、月面戦争と呼ばれた時期に地上の人間が持ち込んだ技術が転用されているらしい。
 これが幻想郷の侵攻に使用されたのもまた皮肉と言おうか、はた迷惑な話だが。
 文は妖術による捜索に始めから期待していなかったためこれの使用を持ちかけたし、『御山』の応急的な捜索の成果が上がらなかったのが、玄庵らも是認した理由になった。
 ともかく今それが月の先兵と共に、外の世界すら危機に曝しかねない一言主の“軍勢”を捜し出す手立ての一つとして役に立とうとしているのは、皮肉より塞翁が馬と言う所か。
「瘴気が発散された状況からのスタートじゃなかっただけ、まだマシと思って下さい」
「一応軽くは聞いてるけどね。でも今更だけど、ここに来るまでに鈴瑚さんとも話してみたんだけど、本当に汚穢探知で見つかるのかな? そいつ」
「どういう意味ですか?」
「その一言主が放つ瘴気って物。地底から湧いてるのも同じだけど、確かに不浄ではあっても、月の方々が遠ざけようとする汚穢とは、どうも質が違うように思うのよ」
 清蘭の言葉に、実際に月へ行き、彼女らの恐れる“穢れ”を体感してきた早苗が、さもありなんと言う。
「少なくとも、私達生物にとって、その“穢れ”は切っても切り離せない物ですから」
 早苗の認識は正しいらしく、清蘭は風に煽られながら首を縦に振る。
「つまり月の民の忌避する“穢れ”というのは“業”と同じ様な物と仰るんですか?」
「うーん、業って言うか業の先に生まれると言うか、生きてるのが業ならその物と言うか」
 結局どういうことなのだと、文は唸る清蘭を捨て置いて早苗に尋ねる。
「俗世に在って生きる。恐らく、地上なら仏門に帰依する等によって脱せると信じられる事だと思います。ですが月の人達にとっては“生きている”事が即ち穢れなんだそうで」
「そう。だからこの汚穢探知システムの中核は、生命活動を捉える機能に特化してるの」
 そのため、果たして今追うべきモノの痕跡だけを追えるのかは怪しいと、清蘭は言う。あくまでも百舌は、完全に清浄なる地でこそ真価を発揮する残敵掃討兵器だったのだ。
「見つけられなくてダメ元です。今回を含めて明日までの一昼夜、計四回の探索任務さえこなしてくれればいいんですから」
 有無が定かでない物を見つけようとするのは思うよりも難しい。始めからそれがあるものと確信していても、時間を重ねるほどに気が萎えるもの。だからこそ文は時間を区切りっている。翻ってその分真剣になれ、己らの身にも関わる事だと重ねて言っているのだ。
 しかし文は発見できると信じている。
「言った通りよ? 任務はちゃんとこなしますって。鈴瑚さん、そろそろ次のウェイポイントに差し掛かります。ウォームアップがてら火を入れますけど、準備いいですか?」
《アイヨー、テレメトリスタンバイオッケー。動かしちゃって》
 やはり軽い調子には文も不安を覚える。その不安はしかし、すぐにどこかへ飛んでいく。
《ん? アジマス225。コンタクト! ゴー・アヘッド!》
「早速? 本当に? モニターの異常じゃないんですか?!」
《アファーマ! ATPシグネチャパッシブ。ソースアンノン! ゴーヘッ!》
「つまり?!」
「強烈な生命反応を感知したって言うことです!」
 その強烈な生命反応とは一体何を指すのか。緊張は高まるが、それがどの程度のものなのか、イーグルラヴィの二人を含めた誰もが量りかねている。
《フヨウへ、こちら射命丸です。予備作動で目標を探知しました。予定外の状況ですが百舌の即時投下、発進を進言します》
《アキハ一一、フヨウ。その周辺は狗賓どもの領域だ。状況を把握したうえ協議ののち指示する、航路を維持し別命を待て》
「待てって……」
 こんな時の動きぐらい事前に定めておいて欲しいものだと、文のみならず皆が苛立つ。
「鈴瑚さん、待機だって。失探しないよう注意。直線移動じゃ精度が落ちますけど――」
《今のうちに可能な限りローカライズ。ラージャ!》
 二人は断続的に目標方位を確認し、位置を局限する腹づもりでいる。秋葉衆も指示が無ければ動けず、そのまま飛び続ける。
《アキハ一一、フヨウ。飛行経路の変更を指示。中山谷を中心に半径一里で旋回飛行を実施せよ。なお百舌の自律飛翔は不可、日光衆の牽引を継続。トウショウ一一よいか》
 無慈悲な指示に、牽引する日光衆からは抗議の声が上がるが、現場の長を勤める山伏天狗『トウショウ一一』はただ「承知」と答えるしか出来ない。
「始めから狗賓なんて無視して進めれば良いのに」
 その呟きには、椛の威嚇混じりの唸り声が返る。
「あなた達の手下でもないでしょうに」
「一応は同族ですよ」
 そう言い捨てて、椛は百舌牽引の助太刀に加わる。一人、それも飛行能力にやや劣る白狼が加わった所で楽になるとは思えないが。
《なるほど、このままならバッテリーが上がるまで探してられるよ》
 鈴瑚の冗談か本気か分からない念話に、現場の雰囲気はますます険悪。彼女の周囲にも護衛の日光衆が付いているのに。(なお秋葉衆からなる『火仗衆』と、僧正坊敗北の際に非番で無事だった検非違寮の『鞍馬衆』は、後詰めとして待機している)
「鈴瑚さん、ロケットモーターのアーミングオフ。スイッチポジションセイフです」
《アイアイ、こっちも良い具合に温まってきたみたいよ。一周するうちに確実にローカライズ出来そう。進路は天狗さん任せでいいんだよね?》
「当初経路に伏するまでは何もやることなくなっちゃいまし、た?」
 直接百舌に取り付いて操作をしていた清蘭の言葉が止まる。尋常ではない。
「清蘭さん、何があったんですか?!」
「鈴瑚さん! コマンドオーバーライド、オールシステムディセイブル!」
 彼女はそう叫ぶと、周囲の日光衆に即時退避を促す。
 重量物ではあるが、その大きな翼ゆえ、それはそのまま風に乗って滑空してゆく。
 辛うじて近付いた文が見たのは、清蘭が蒼い顔をしながら小さな液晶画面を覗きこみ、備え付けのキーを叩いている様子。
「ローカルアンコン……スイッチもアントリップして――」
 急に百舌後端の四つのノズルが火を噴き、取り付いていた清蘭は振り落とされた。
 飛行に移る様子が見られないまま、彼女は落ちて行く。急加速を始めた百舌の翼に打ち付けられたのだ。
 日光衆も突然の事態に動けず、文も清蘭と百舌のいずれを追うのか迷う。迷った。
「椛! 清蘭さんのリカバリを! 私は百舌の処置をする。鈴瑚さん指示を。それと早苗さんを今のうちに離脱させて下さい!」
 日光衆は隊列を整えたが、追うべき飛翔体が速すぎて追随できずにいる。文はすぐに音速近くまで加速し、彼らを乱流に巻き込みながら駆け抜ける。
「御山への連絡お願いします!」
 飛び抜けざまに伝え、回答は確認しない。
 これは失態ではない。運良くも悪くも、件の目標に近付きすぎてしまったのだ。
 機械にだけ影響が出たのは、その鋭敏なセンサーが「言霊」を拾ってしまったためなのか。そもそも一言主の力は、機械すらも支配してしまえるのか。
 現実として制御不能の状態。機械の故障でなければ一言主の仕業としか考えられない。
《ネガティブ、こっちからもアンコン。イーグル〇一はどうしたの?!》
「対処しようとして百舌から振り落とされました。負傷した様子ですので現在それはこちらの白狼が救助に向かってます!」
《……ラージャ。指令破壊をトライするから離れといて!》
「破壊ってそんな、稼動機はあれだけなんでしょ?!」
《あれ爆弾でもあるって言ったよね。でもって弾頭は抜いてない、このままどっかに落ちたら即雪崩よ。被害が出るのは拙(まず)い。それに目標の位置ならほぼ絞り込んでるから!》
 鈴瑚は同胞の安否よりも現状への対応に最善を尽くそうとする。それも任務の要点を確かに認識した上での、使命感に基づく判断。
 イーグルラヴィがちゃんと任務をこなすのは本当らしい。
 周囲への念話による注意喚呼の直後「指令破壊(Command Destruct)」つまり自爆の宣言。だが何も起きず。
《やっぱ駄目かー。しょうがない、どうにかして押さえ込むか》
 鈴瑚も加速を始める。しかし玉兎がそこまで速く飛べるのか。
 本気で破壊するつもりなら却って、自分でもどうにかなるだろう。文は更に加速して百舌を視認すると、進路上に弾幕を張ろうとその上方に位置する。
「ちょっと、冗談でしょう……」
 半球状に被帽された飛翔体の先端部、シーカー部分に顕著な異変を認める。雷のような形を為したいびつな結晶体が、被帽を破って八方に触手を伸ばしていた。よく見れば清蘭が操作していたコンソールと思しき部位も、僅かにその様相を呈している。
 予想はしていたが、こうして目に見える形となると驚きを禁じ得ない。
「機械の卑妖化?! そんな出鱈目まで――フヨウ! アキハ一一、緊急事態! 百舌が卑妖化! 瘴気あるいは言霊の影響を受けた模様。これより破壊にかかる!」
《機械の卑妖化だと!? それは確かか!》
「目視ではそうとしか見られません。なお目標のおよその位置は、イーグル〇二が測位に成功した模様。増援を要請します!」
 フヨウからはただ了承の返事のみが返り、以降は沈黙。
 卑妖化とは言ったが生物のそれとは異なり、能動的に攻撃を試みようという気配はない。そして幸いにして百舌は瘴気を発していない模様。
 可能なら無傷で着陸させたいがそうもいかない状況。
「鈴瑚さん、イーグル〇二。この百舌を可能な限り穏便に降ろす方法はありませんか。それと可能なら弾頭の無力化の方法も」
《無理難題を。アキハ一一、まず信管の破壊が第一、次にロケットモーター。主翼に手を出さないで。今は安定して飛行してるけど、翼を失ったら何が起こるか分からないから》
「信管の位置は?!」
《えーと。清蘭が直接何かいじってたでしょ、その直下あたり。それさえ壊せばひとまず起爆はしない、と思う……》
 この場面で自信の無さげな返事は勘弁願いたいと、文は脂汗を後方に飛ばす。
《起爆装置であると同時に、安全装置も兼ねてるのよ。一応は大丈夫! のはず》
 ともかくと距離を取り、弾幕ではなく精密射撃の指弾を撃ち込み続ける。
 卑妖化した部分の確認をしたくはあるが、こちらは破壊するしかない。
「とりあえずコンソール付近は抉りましたよ。推進器の破壊方法は?」
《前後以外からならどこからでも撃っていい。燃焼さえ止めば、ノズルから火を噴かなくなったらオッケー。軟着陸させたいなら元通りに牽引させた方がいいよ》
「アキハ一一よりトウショウ一一。今の件了解か?」
 牽引は日光衆が五人がかりで実施していた。文一人では困難だろう。
《承知だが、既にそちらと半里は離されている。我々の到着までお前が百舌を確保しろ。それと、瘴気は吐いてないんだな?》
 やはりそれは恐れるか。当然の懸念だ。
「瘴気については問題なし。ではこれよりかかります!」
 文は同航のままやや後方に下がり、百舌の尾部に向けて弾幕を張る。兵器とは聞いていたが、装甲化されていないそちらも信管と同様に呆気なく破壊された。
「けど確保って言ったって、どうするか」
 一旦取り付き、索の一本を掴んでまた飛翔。ただの麻縄などではなく把手を付けた鋼線のためこれだけでも重い。せめて山肌への衝突を防ごうと進路の変更を試みる。
「こりゃ日光さん達がぶーたれる訳だ。方向舵は、動かすとどうなるか分からないし」
 事前指示、遠隔操作、汚穢追随のいずれの飛行でも、方向舵並びに昇降舵を動かす機構になっているとの話だが、前後それぞれ十字に配された翼の空力的な特性が分からない。
《文様、こちらは清蘭さんを救助しました。意識は失ってますけど頭は打ってません》
「オッケー、よくやったわ。こっちは難航してるけど」
《確保したのはいいんですが、降りたのが先の反応があった近辺みたいでして……これは!!》
「椛?!」
 何事が彼女らを襲ったのか。すぐさま赴きたい気持ちを文は抑える。
《各所、こちらアキハ一二。汚穢探知地域近辺に、卑妖らしき死体を複数発見。獣に食い荒らされた様子が見受けられます。大小、様々ですが、元は人間であったと……》
 何ゆえか、言葉だけを伝える念話にすら、怒りが上っているのが分かる。しかしその感情がすぐに別の物に変わったのは、文だけが知覚していた。

 人事不省のままの清蘭を後ろに見てから、椛は視線をやや上に向ける。戦うべき相手を、紛うことない敵を、その浄天眼の先に見据えていた。
「瘴気を纏っていない。やはり――」
 左手の盾を放り、抜き打ちに不向きな三尺五分の大太刀に両手を掛けると、腰を落とし、迫り来る敵に備える。
「――あなた達か!」
 まず右後方に転身しつつ、間合いを隠したまま片手で切り払う。そちらの戦果は手応えだけで確認すると、今度は左へ。元の方へ向けて白刃を返し、両手で目に見えぬ襲撃者を迎え撃った。

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