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楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』   パラダイスの格率 第2話

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公開日:2018年07月02日 / 最終更新日:2018年07月02日

楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第6章
パラダイスの格率 第2話



 パルスィが語るのは、自身のみならず、多くの旧きあやかしにもまつわる一言主の所業。
「そう。奴こそ三韓征伐を機に、数多の人々をこの国に召し上げた“元凶”だった」
 外交を取り仕切り、多くの渡来人を招いた葛城襲津彦。後に秦(はた)や東漢(やまとのあや)との氏を賜った人々、それに新羅の王族や、拝火の信仰を戴く波斯の人々までもが海を渡って誘われた。
「元々、大和の中で水運を牛耳っていたことから、海の向こうへ漕ぎ出す事業も一手に負う運びになった。それが葛城が皇統に並び立つ氏族になれた理由であり、奴の罪の大元。――あな妬ましや、吾がはらからを、吾が主神より人々を取り上げた葛城。あな妬ましや!」
 嫉妬の鬼女の緑眼が輝きを湛えるのを見て、場の者は身を固くする。
「パルさん、少し抑えて」
 ヤマメの制止に、パルスィは爛々と輝かせていた緑眼を鎮めて辺りを見回す。
「パルスィはね、西方の人間達と一緒にこの国に来たんだよ」
 勇儀が落ち着いたパルスィに穏やかな目を向けながら、彼女に代わって語る。
 波斯姫は橋姫。本邦より喪われた信仰の、概念の巫女だったモノ。
 それが彼女のすげ替えられた“ありよう”の、先ず一つだった。
 彼女の嫉妬の源流は色恋などではない。他の、古くも新しくもある渡来人達が後世までその血を、名を残したのと比べて、己が主神と共にそれら民が潰えさせられた事に由来している。嫉妬という物が色恋に根差す事が多いため、彼女もそれを力に変え、喰らって来ただけのこと。むしろ彼女にとって、色恋の嫉妬などは甘美な嗜好品でもある。ようだ。
「次に、既に零落しかかっていた一言主が、己が裔の分派であり古くからの支配地であった賀茂流域にて己を信奉していた陰陽師の家に、呪詛の道具として『橋姫』を下したのさ。まるでいにしえの豪族が、己らが支配した者達の中から采女(うねめ)を召し上げたようにね」
 以降、橋姫はしばらくの間、その陰陽師の氏族――賀茂(かも)氏に使役されたのだ。
 気の重くなる身の上話に、紫はパルスィの心中を推し量る様子も無く問う。
「いくら陰陽師とは言え、人間があなたのような潜在能力を持つ妖怪を軽々しく使役できたとは思えないのだけれど。その裏に何者かの束縛があったのかしら? 貴女の言う同胞か、主神を人質にもでされたの?」
 いずれも否と、パルスィは頭を振る。
 文はふと、鴉だった頃に熊野で聞いた話を、秘された波斯(橋)姫の縁起を思い出した。
 そこに在ったのは、間違いなく今のパルスィが語る懊悩。本邦にもたらされた一つの信仰を道連れに、自らの手で己が身でもある写し身を討ち果たした、哀れなる幻の巫女の。
 橋姫が在していたのは貴船の社、鞍馬山の麓。だがそれが縛るための物だったのだとすれば、橋姫を賀茂氏に下した者は一言主だけではない。別個に関わった者がいる。
 鞍馬僧正坊とも習合し、護法鬼神、皆鶴を造り出した陰陽師にして――
「鬼一。鬼一法眼(きいちほうげん)」
(――なんで忘れていたんだ、あれこそ魔縁にして『鬼神』だったじゃないか!)
 彼なら、打ち出の小槌の駆動も叶おう。鬼と比しても勝る魔力を誇る大魔縁ならば。
 文がぽつりと零した名に、パルスィがまた緑眼を輝かせる。
 唐突に思い当たったそれに一人戦慄する文をよそに、パルスィは声を震わせながら言う。
「そう。その陰陽大僧、鬼一法眼と一言主により、私はただの呪詛の道具となった。どうかしら、これが二度も一言主によって堕とされた哀れな橋姫の姿よ?」
 賀茂の川と“筋”の流れの先に連なるそれらの関係。それらこそ、橋姫をついには旧地獄に至るまで貶め続けた者達の元凶であるのだと一同は知る。
「なるほど。確か賀茂氏は村上帝の御代の橋姫出現に前後して、陰陽頭としての地位を安倍清明、土御門(つちみかど)に取って代わられてましたね。それも貴女が何かしたのかしら?」
 紫は向けられた緑眼の輝きにも臆さず問い返す。
「いいえ。一言主が昔の夢を再びと欲を出し、己を奉る賀茂氏の地位を盛り立てようとしていたのを挫いてやっただけ。いくらかの、人間の助けを借りて……」
 文はまた思い出す。人間の助け――そこには確か、鬼を、土蜘蛛を、それに橋姫を討ち果たしたはずだった刃を携え、やがて辟邪(へきじゃ)の武と謳われるようになる若者達がいた。
 多くの人々に知られた逸話と異なる、辟邪の武となった源頼光(みなもとのよりみつ)と、その筋に最後まで従い続けた郎党渡辺党、渡辺氏の祖となった渡辺綱(わたなべのつな)の物語。
「そして一言主は、奉る賀茂氏と一蓮托生に徐々に零落していった、と。けれど妙ね。鬼一法眼とは鞍馬の大天狗さんその物だったはずなのに、今になって取り込まれるなんて」
 紫も知っていたか。そして同じ考えに至ったかと、文も察する。
 だが文には、妖怪の山を不利に陥らせかねない発言は出来ない。しかし心情的には、ここで智恵を請いたい。妖怪の山の構成員でも、神々と妖怪の箱庭の古い住人としてでもなく、もはや幽なる存在に近しくなった今にあっても本邦に住まうモノとして。
「では、ここまで聞いて。結局腹に据えかねるお話というのは、遙か昔の橋姫さんの仇討ち。そのためにあなたが這い出て来た、ということでよろしいのですね?」
「ああそうだよ。この通り、惚れた娘のために勝手に出張ってきただけだから、罪を問うなら私だけにしておいてくれるかな」
 勇儀は始めから覚悟の決まった顔のまま。ただ一身にだけ罰を留めて欲しいと請う。
「九族にまで累を及ぼすつもりはありません。そもそも裁き自体は私の領分ではありませんし。捌きならいたしますが」
 それはゾッとしない話だことだと苦笑し、ひとまずは言い分が聞き入れられたことに、勇儀は二重の意味での謝意を表すが、
「ただし今次の事態の解決までの間、それなりの制限は設けさせて頂きますよ?」
 後出しの交換条件というのは往々にして、毒素に等しい厄介ごとが煮詰められている。どんな無理難題を吹っ掛けようというのかと身構えるのはヤマメとパルスィ。勇儀は意外にも泰然とした様子で胡散臭いスキマ妖怪の提案を促す。
「それで、制限というのはなんだい?」
「大元で『打ち出の小槌』が関わっている可能性があるため、あなた達、旧都に在する鬼への疑いは中々に晴らしがたい。故に、旧地獄を封鎖させて貰うわ」
 驚いたのはやはり勇儀の他の二人だけ。更にその他は、如何にして旧地獄を隔離などするのか、この期に及んでそれはすべき事であるのかと、様々な疑問の色を浮かべている。
 紫は、旧地獄が疑いを向けさせられた側であると既に承知のはず。それは打ち出の小槌に関わる事案の黒幕を追う者達も同じ。新たな事実が判明したのでなければ、彼女の旧地獄隔離の施策は、そちらの絶対的な保護も兼ねているのか。
「そのため橋姫さんを地上に留め置きます。当面の住処は……そうね、この神社がいいかしら」
 彼女が架ける、旧地獄へ渡るための橋を除こうというのが、紫の隔離策だった。
「おや、累は及ぼさないって話じゃなかったのかい? それじゃまた橋姫を采女の如く扱うのと変わりないね。今回のは私の責だって話で落ちたろ? それは勘弁しとくれよ」
「いえいえ、人質に思えるかも知れませんが、なにも軟禁するなどはいたしません。ただ、旧い信仰の橋をそちらから除く保証さえあればよろしいので」
 そう言っているけれどどうだろうかと、勇儀は既にこれを受け入れた前提でパルスィ本人に視線をくれる。その緑眼は諦めの情で曇りきっていた。
「誰かさんのせいで旧地獄全体が被害を被るなんて……これ、下手すれば九族族誅よりも酷いことになるでしょ」
「それはどうだろうね。地上との交流なんて絶えて久しくなった頃にも、旧地獄の暮らしにはさして不具合がなかったし。それに紫さんの提案は事件解決までの期限付きだよ?」
 やむを得ない状況に追いやられても自信を失わない勇儀の考えの裏には、地獄にぶら下がった状態であればインフラが残るという希望が残っていたためだった。が、
「地獄には私から話を通して、最低限の人員や物品の出入りに留めますよ」
 ここで初めて勇儀もその厳めしい手で顔を覆って「そう来たか」と声を漏らす。
「参ったね。これで旧地獄からはどう足掻いてもこっちには来られないって事になるか」
「もちろん、土蜘蛛達の採掘も一時操業停止。旧都へ引き揚げて頂きます」
 抜け目が無い。勇儀がもう少し謀略に相対することができる知恵者であったなら紫と交渉して譲歩を引き出すなどもしたのであろうが、怪力乱神を振るえるはずの鬼はここで動揺し、少し喉を詰まらせてからせめてもと陳情するだけしか出来ずにいる。
「土蜘蛛はちょっと。そんな事をされたらあいつらがおまんまの食い上げに遭っちまう」
「それはあなたが責任を持って、その間の食い扶持を確保すればよろしい」
「……可能だね」
 すぐに有無を言わさない代案を提示され、それ以上の句が続かない勇儀。
 それには代わりに、当事者であるヤマメが声を上げるべき――
「その件は私から言っておく。私も招かれたとは言えかなり派手に動きまくったからね。姐さん、土蜘蛛の分の食い扶持は私が爺様方に掛け合います」
 ――声を上げるべきだと思われたヤマメもこれを受け容れていた。
「それは星熊さんに言付けなさい。あなたには橋姫さんと地上に残ってもらいますので」
「いや、それじゃあ筋が通らないよ」
 罰を受けるのは構わない。しかし旧地獄がこんな事になって、自分だけが精々人質代わりのパルスィの付き添い程度で済むのは、ヤマメには合点がいかない。
「あなたが地上に現れたことに罰を与えるのこそ厄介なのよ。それをやれば今度こそ、そこの粗忽な魔法使いまでに累を及ぼす必要が生じる。ただ懲らしめるだけならいいですが、人間まで裁くとなると面倒なのでやりたくないのよ」
 その粗忽者の魔法使いは「お褒めに与り至極恐悦」などとおちゃらけ、布団から手を伸ばした霊夢に御幣で頭をはたかれている。
「姐さん。申し訳ないんですが、土蜘蛛の衆についてはその通りに」
「こっちこそ面倒掛けてすまない。あいつらに衣食住の不自由はさせないから、なるべく早めに事を解決しておくれよ」
 この言葉にヤマメはいよいよ痛み入るといった態度で改めて居住まいを正すが、傍からそのやりとりを見ていた文は、勇儀の言葉に違和感を覚える。
 腹芸とでも言えばいいのか、鬼が策を弄している。紫とのこのやりとりの結果、始めから定まったものではなかったのかと。あえてヤマメを残し、彼女を頼りとするこの決は。
 瘴気に包まれて暮らし、それに耐えられる土蜘蛛は、対一言主には欠かせない種族だ。それに蜘蛛切の写しの斬撃すら凌いだ彼女は、切り札となり得るかも知れない。
 後者については偶発的に判明した事だったが、前者の事由によって予めこれらの裁定が決められていたと見ても不思議は無かった。制限無く土蜘蛛を地上に連れ出して尖兵とするなどは他の多くの妖怪は見過ごすまい。しかしヤマメ一人程度なら紫の一存でも文句は出ないだろうし、既に魔理沙の願いに応えてここに居るのだ。
「では黒谷ヤマメ――いえ、単にヤマメさんと呼んだ方がいいかしら?」
 どうにかして先の対峙の状況を監察していたのであろう紫がそうして訂正したのに対して、ヤマメは身振り手振りでその言に半ばの否定を返す。
「ああいえ、あれはあくまでもあの一言主へのケジメみたいな物として言っただけだったから、別に好きに呼んでくれても構わないんだけど」
 上古の支配者の一人、大蜘蛛として討たれた一言主こそが呼ばれるべき『黒谷』の名。それを返上すとヤマメは確かに言ったが、それはあくまでも彼のモノに対してだけの話。
「そういやあの一言主って奴、それだけ古い、とんでもない奴だったんだよな。それがなんでいちいち幻想郷に入って、博麗神社に来ようと思ったんだろう。霊夢は何かそういう思考を共有したりとかしなかったのか? ほら、どっかの天人みたいに麗神社を壊してどうこうしようとしてたとか、そういうの」
 ふと声を上げた魔理沙に、今度は文と善八郎が身を固くする。
 一言主の意図は未だ不明ながら、それが博麗神社にまで侵攻した理由を黙っていたという後ろめたさは二人にもある。せめて霊夢からその“意図”が知れればよいがと期待する。
 しかし彼女はその疑問を一蹴。
「そんな都合のいい状態じゃ無かったわよ……」
 この考察についてはこれ以上進むまい。霊夢の回答に、誰もがそれへの言及を諦める。
 それより勇儀を始め旧地獄への裁定は下った。ここからはこちらの番かと文は気を張る。
「さて、では次は貴女ね。ペンは剣よりも強しが新聞記者の信条と聞いていたけれど、まさかここでそのペンでも剣でもなく、銃を振りかざすとは思わなかった。貴女達は一体全体何を考えてここに出向いたのかしら?」
 紫は善八郎には目もくれず、あえて文一人にだけ話を絞っている。それは秋葉衆の覚悟した意図の通りの対応であり、紫もそれだけは認めてくれたものと思えた。
「あくまでも、人間へのこれ以上の被害を防ごうとしたまでです」
「……呆れるわ」
 人の変じた卑妖を妖怪と見なすべきか人間とするのか、そのコンセンサスすら取れていないうちに口にすべき言葉ではなかった。文もこれはしくじったかと考えて釈明する。
「我々は、あの変異現象がほぼ不可逆だと捉えておりました。そして先頃、私は確かに妖怪化した者を法力を用いて元に戻しはしましたが――」
 紫が文の口許に向けて扇子を差し、話を遮る。これもまた不適切な文言だった模様。
「弁えたらどうなの? 半端に小賢しい貴女でも分かるでしょう、たかが鴉天狗風情の言葉などここには必要無いと。今すぐ妖怪の山から然るべき立場の者を連れて来なさいな」
 妖怪の山の判断と言ってしまったなら、そこから先の話は文から離れて御八葉の所掌となる。どうしてなのか、またしても話の運びを誤ってしまった。
 先日、自身が魔理沙に向けて「人間風情」などと放った悪口(あっく)が返って来たようだと、眉根を寄せながらも言われた通りに口をつぐむ文。そこに異議を挟むのは、意外にも善八郎。
「八雲紫殿、恐れながら申し上げる。小僧(しょうそう)、妖怪の山に在する天狗の一派、秋葉衆の首を勤める山伏天狗、天竜坊善八郎と申す」
 名乗りに対する紫の「はあ」という興味なさげな反応にかかずらわず、彼は述べ続ける。
「此度の策、当初よりこの射命丸が発案した物であり、妖怪の山の首脳部である御八葉の判断を仰いだ上で天魔様の御裁可を賜った儀でありました。天魔様はあくまでも御裁可を下された立場なれど、御八葉より命を受けての件となれば――」
 紫は文に向けていた扇子を今度は彼に向け、言葉を遮る。
「先ほど銃を手に、妖と化した人間を撃って回っていた小天狗ね。人間として戦うというその覚悟と詭弁の同居、見事なものだったわ」
 彼が常から人里に屯する者の一人であるとも紫は知っていて、こんな風に言うのだ。彼女のそんな底意地の悪さに、彼も僅かながら怒気をはらんだ声を上げる。
「小僧の話にはまだ続きがあります!」
「分かっていますわ。この度の貴方たちの意図を申し開き、また今後についての提案を行うのに、こちらのブン屋さんは十分な資格を持っている。そう言いたいのでしょう?」
 どうもこれが、紫が期待した文言だったらしい。二度もきつく糾したのは、この会合が成立する物だと宣言させたかっただけなのに、それが明後日に外れた所為か。
「……して、それを受け入れて下さるのか?」
「仕方ないでしょう。これからそちらの上役を連れて来る調整をするより、今ここで話してしまえるならその方が早いんだから」
 急に物わかりよく言われ、善八郎の気勢も削がれている。
 冬は冬眠よろしく寝続けているとの噂もある紫は、この重大な会合の場でも酷く眠たそうで、そのためそういった事すら億劫になっているのだろう。
 事態の察知や初動が遅れたのも冬眠ゆえか。文は少し居心地が悪くなった腹の内を押さえつけ、彼女のこれまでの動きとスタンスについても推し量る。
 彼女は必要以上の人間の犠牲を厭う立ち位置ではあれど、それを全てに優先させるつもりも無い。あくまでも幻想郷寄り、幻想郷の保全こそが第一優先。わざわざ河童の砲台場にまで現れて砲撃を諫めたという、腑に落ちない行動も見られたが。
「ちなみにあなた達が期待するだろうお話。卑妖と称したあれが妖怪であるのか、人間であるのか、規定するのは困難よ。よく考えてみなさいな。妖怪であると宣言してしまったらどうなるか。それらごと一言主を倒して名を上げようとする身の程知らずな愚か者の葬列が、そのまま新たな奴の兵となる。人間だと定義してしまえば対応は益々困難になる」
 紫がそう言いながら霊夢を見やると、彼女もまた難しい顔のまま目をつぶる。人間の妖怪化という一大事に対しては、これまで迷い無く快刀乱麻に博麗の巫女の力を振るってきた彼女にも、現状は如何とも判断しがたい模様。
 博麗の巫女は沈黙し、境界を分かつべき妖怪がそれを言ってしまうのか。これでは折角の彼女らの臨場も無意味だと、文は心中でこの場で幾度目かの歯噛みをする。
「賢者殿が束之高閣とするような事を仰るのかね。いっそ閻魔様の裁定でも仰ぎたいよ」
 既に己にはそれが下された勇儀はそう言って嘆息する。
「あら、物事には有り耶、無し耶としておいた方よいこともあるのに。特にこの様な時は。それにその閻魔様、本当にあてになるのかしら」
 勇儀は閉じた口をへの字にして腕を組む。思案よりも別の正直な感情が見て取れる。
「それこそ有耶無耶にしたいんだけどね。現状、全くあてにならない」
 ヤマメとパルスィは、勇儀のこの言葉にまたも驚く。相手はこの幻想郷のみが担当とは言っても、確かに十王の権威を冠する人物なのに。地獄絡みで何かあったのか。となれば勇儀が出て来たのも、パルスィの件だけが理由ではないのか。
「紫さんは勿論知ってるよね。誰か旧地獄を潰そうって考えてる奴らがいる。いや、居たって言うべきか。この場でぶちまけて悪いけど、天邪鬼を地底へ寄越した奴のことだよ」
 地底への下克上の誘いもこの一環か。ただ勇儀はその企みが終息したと考えている。この場合、終息と言うより企み自体が意義を大きく失したと言った方がいいのかも知れない。
 一言主が『大蜘蛛』のままであったなら、鬼や土蜘蛛にこそ滅殺が叶ったのだろう。今になって考えれば、正邪を地底へ寄越し――意図せず輝針城異変にまで発展させ――て、旧地獄討伐の流れを作ろうと図った者の真意は恐らくそれ。
 逆に大蜘蛛の姿を取っていたのも、依然として――表立って動けない潜在的な――脅威であった旧地獄に矛先を向かせる意図もあったろう。しかし除けなかったその脅威を前にしてついに、一言主は本性を現した。瘴気を操る術に、人妖禽獣問わずに形骸をねじ曲げ、統べる性(しょう)。それらを備えたままの上古の支配者として。
 そこまで立ち返ると、事柄は一つ所に集約される。やはり鬼一法眼こと、鞍馬僧正坊に。
 あらゆる状況が彼こそが黒幕であると物語る。しかし確たる証拠が無いばかりか、かの大天狗は皮肉にも先の通りの為体。そも、例えかの大魔縁とはいえ、護法との性(しょう)を持つ限りは天道に従うもの。
 三尺坊であろうと比良山次郎坊であろうと、いや、天魔ですらそれは変わらない恐れすらある。
 しかしそうなるとまた不思議なのだ。辛うじてとは言え、文や霊廟の二人の道士が卑妖化しなかったこと。言霊の拘束にすら抗えた白蓮や善八郎。何より、ただ面体で瘴気を防いだだけで言霊の影響すらはね除けた、普通の人間の魔法使いなどが。
 人里に潜んでいたいくらかの妖怪すら、易く飲み込まれたというのに。
 何がかのモノに抗うための因子なのか。妖怪としては“血”を継ぐなど例外中の例外。元人間の仙道とただの鴉から転変した天狗に通ずるのは、半ば道を外した魔住職と延々と護法として勤めて来たはずの山伏天狗と共通項は。そして人間の魔法使いが備えるのは。
 文はこれらの空回りする思考から目の前にある現実に立ち戻り、紫の反応を見守る。
「ええ、無論知っているわ。前代未聞の狼藉でしたから」
 紫にとって旧地獄は眼中に無く、狼藉を振るわれたのは幻想郷との認識ではあろう。
「地獄の方でも、そいつが糸を引いていそうなんだ」
「姐さん。もしかしてついこの間の『どん底』での寄り合いって――」
「ああ、あれもなんか地獄の様子がおかしいってんで、智恵を集めてたんだ。結論としては、閻魔様ですらどうにもならないレベルでよからぬコトが動いていそうだってなった。そうだ、天邪鬼が騒動を起こした時はすぐに出張って来てくれた閻魔様が、大蜘蛛の出現に絡んでは、あんたらの所に観察に来るってお達しだけ是非曲直庁から出したきりになったまま梨の礫ってのも、その結論からの延長だろうね」
「それじゃあ、姐さんが地上に出て来たのって、いよいよまずいんじゃ」
「だから言ったのよ。現在の状況じゃ、事情を知っていようがいまいが旧地獄が動けば好きなだけ疑いを吹っ掛けられるんだから、要らん事しなさんなって」
 なるほど平静な状態のパルスィであれば、何度もそう諫めたのであろう。
「そんなお話があったの。ならいよいよ地獄の方は旧地獄隔離に協力してくれそうね」
 これこそ、まんまと黒幕の企みに乗ってしまいそうな決断なのに――
「紫さんはそれでいいのかい?」
 今の段階なら、地獄との関係も、いっそのこと地上との不可侵の約定も一旦凍結させ、ただ一言主への対応に全力も尽くしもしよう。己らにしか出来ないことだ。
 勇儀は最後に旧地獄の勢力を売り込みにかかるが、
「既に決は下っています。それについてはそのままよ」
「もうちょっと臨機応変にいこうよ」
 勇儀は肩をすくめて引き下がる。しかしこれも、他勢力へのポーズなのだろう。
「はい、それよりもあなた達。人間守護を任として人里に在するあなた達が対応に当たった事、また可逆的な変容であると期待して可能な限り捕縛に努めた事、確認しています。卑妖を討った件について妖怪の山に対して何か言う者があれば、私が仲裁しましょう」
 これまでの対応について、紫自身は是と認めた。文が二度ほど言葉を選び損ねたのは見逃してくれたようでもある。
 望外の話に一瞬呆けてしまった文を、善八郎が以心の術で無理矢理覚醒させる。
《ひとまずこれは承知して礼を述べろ。しかし恐らく次が来る、油断するな》
「誠に痛み入ります。ここはせめて、犠牲者の黄泉路の無事を我らで祈念いたします」
「……それはさておき、あなた達は、なぜ奴が博麗神社に来たと思っていたのかしら?」
 そこを突いてきたか。善八郎もこれへの返答をどうすべきか判断しかねているのか、以心の術による指示は無い。しかし文はすかさず答える。
「大結界を、越えるため」
 博麗神社の破壊と結界越えは関連はしても同一ではない、それぞれ単独の推察になる。これを知っていたとはまだ言えない。一言主移動の段階での思い付きとして語るだけ。
「それに思い至っても、奴を結界の外へ追い出すよりも幻想郷へ留めるのを選んだ?」
 幻想郷側である紫にとって、本来ならこれは看過できない判断。御八葉との対決の前にここで一悶着かと善八郎は気を揉んでいるが、文には紫がこれを知っていたという確信があった。だからこそ彼女は、直接の対応よりも結界の修繕に全力を傾注していたのだろう。
「奴に何の企みがあるか分からない状況下、それを挫くのが最善であると考えました」
「なんと愚かな。危機を排するチャンスであったのに、あえて押し止めたなど」
 目配せしながらの布都の呟き。察するのは難しかったが、文は申し開きの言葉を述べる機を作ってくれたのだろうと、狂言回しを買って出たであろう布都の意図に乗っかる。
「もし、あくまでもしの話ですが、奴が瘴気の力を以て外の世界で再び大軍を作ったとしたら。幻想郷も含め、内外の別なく併呑する目論見があったとしたら、如何でしょう?」
 幻想郷から溢れた魔界が、やがて外の世界ごと再び幻想郷を呑み込む。
 おぞましいにも余りある話。これには、辛うじて沈黙を保っていた早苗が声を上げた。
「そんな事が出来るもんですか! 外の世界には、文さん達が使っていた鉄砲なんて比べ物にならないぐらいの銃や大砲、ミサイルや爆弾だってあるんです。怪獣映画なんかじゃ核爆弾も役立たずですけど……現実にそれが使われれば、どんな化け物だって――」
 通常なら物理的な作用が通用しないはずの幽霊にすら、終末兵器ともなれば有効だ。空間のポテンシャルを励起して消費し尽くし、または破壊してしまえば、霊的存在の依拠するべき基盤すら崩壊する。直接の物理的破壊が通用する妖怪などは尚更立つ瀬が無い。
「それらは、一言主が現れたからと言ってすぐに使える物なの? そんな強力な兵器が」
「それは……」
 紫の問いは、確かな方向性の結論を含んでいる。“それは”無理なのだろう。
「私も詳しくは知りませんが、ただ銃を撃つだけでも相当な制限があるでしょうに。江戸の世の武士ですら、平時に無闇に刃を振るえば罰せられたんです。力が強力になればなるほど掛けられる制限も強くなる。尤も、力を使う者が理性的であった場合は、ですが」
 早苗には「違う」と答えられない。理性と合理性の下、多くの神まで排除されるほどの世界だ。その程度の理性を備えていて然り。
「早苗さん。前にゾンビ物というジャンルの創作物を拝見しましたよね? 一言主が外に出れば、多分あれと同じ事が起こりますよ」
 その『ゾンビ』の話。実際の僵尸(キョンシー)とはやや異なる、病原体による感染による生ける屍化という設定。大筋は似通っており、始めは小数であったゾンビも多くの人が気付いた時には時既に遅く、倒せる術も人道に縛られて、ただ死者の世界が広がって行くという物。
「一言主は、無尽蔵な瘴気で卑妖を養いつつ、それらを瘴気拡散のための中継装置(ハブ)としています。卑妖からは直接的な“感染”こそありませんが。ともあれ更にあらゆる者を従わせる支配者の性(しょう)とそれを下す言霊。これらに外の人間は耐えられるのでしょうか」
 このゾンビ物よろしく瞬く間に瘴気は広がり、対策もままならぬ内に卑妖の勢力は拡大してゆくだろう。これは桜坊が整える防御態勢の乏しさも念頭に置いた話でもあった。
「それは、文さんの言うとおりだと思いますけど……」
 紫への僅かな反抗に反省の意図も重ねて、早苗は文に対してだけそう答える。
 社会を為す限り人間の本質は変わらない。個人主義が社会を包んでいる(学び舎で寝ていても誰も文句を言わない)とは直近に現れた外来人も言っていたものの、早苗ですらつい先ほど憤りという形で帰属意識を肯定した。
「なるほど、これはやはりあなた方の取った策が正しかったという事になりそうね」
 自分でそれを補強する論まで打っておいて、紫は白々しく言う。
 それにしてもと文は思う。元は外来人でありながら、普段は妖怪退治に邁進する恐怖の巫女。しかしながらこうして文とも意思が通じ合える東風谷早苗の健やかさを。彼女の素直さに比して、自身を含めた妖達のなんと胡乱な事かと。人間の少女達の他は、皆が皆利己的でないにせよ、腹芸を披露し合っている。いや魔理沙も実際はどんなものか。
 そう考えながらも、もう一人、妖の側にもそれが居るのを認める。
 癇癪で人食いに走ろうなどとの態度は見せても実際には止まり、これまでの通り静かに、実直堅実に、文から見ても怖ろしくストイックに過ごしてきたであろう妖怪、ヤマメ。
 彼女達なら、自身より信用できるとすら文は思う。また彼女らを指す“嫌われ者”とは、表向きの良い貌が出来ない、こういう事でもあろうかと。
「さて、旧地獄の隔離は私の所掌として、妖怪の山はこれまで通りの動きが叶うか見ものね。あ、それとブン屋さん。無茶し過ぎたあなた個人への罰として、面倒ごとを押し付けておくわ。霊夢がこの有様だし、橋姫さんと土蜘蛛の見張りはあなたも手伝ってね」
 この期に及んで何を言うのか、ならばまだ話すことは山ほどあると文が引き留めようとする間に、紫は亜空に姿を消す。座布団を残して下方へ墜ちていく形だったのがシュールだったが、その様子には特別な感情を示す者も無かった。
 裁定の立会者である霊夢に、旧地獄の件でも当事者となった魔理沙。当初から関わった勢力として話を聞いた布都と、文に善八郎。そして旧地獄の三人。
 残された者達は、それぞれに身の振り方を考える。己が属する組織なり在所ごとに。
 早苗だけが唯一この件に関わりが薄い者だったが、外の世界も絡んだ話ともなればこそ、その意気は高揚している。
 ただ一点、一言主は倒すべき敵であるという認識だけは共有が叶った。
「さて、興味深い話は聞けたものの、我らの実になりそうな話は無さそうだったな。こちらは太子様の判断を仰いでまた命蓮寺なりに出直すとしよう」
 殆ど意見は述べなかったが、それなりに知見を得た布都がまず席を立つ。
「じゃあ私らは、一旦準備して御籠もりの準備だ。パルスィも土蜘蛛の衆を旧都に渡すまでは降りていられるだろうから、こっち持って上がりたい物があれば見積もっときなよ」
「姐さん。ウチの衆が面倒掛けるようなら、いっそ地霊殿にでも預けちゃって下さい」
 勇儀とヤマメの朗らかさに、パルスィは却って貌を曇らせる。それどころではない、旧地獄を取り巻く状況を飲み込めているのかと責めているのだ。
「若旦那さん、我々は?」
「八雲殿に看破されて今更若旦那も無いだろう。結局最後まで留まってしまったが、八雲殿の表立った意図がこちらに近かったのだけは好都合だな。後は――」
 問題は妖怪の山、御八葉だ。
 それに三尺坊が知らせたクーデターとやらもどうなったのか。次は妖怪の山と戦わねばならないのに、そちらは今までとは全く異なる状況に成り代わっている恐れもある。
 文には善八郎と共に秋葉衆を引き連れ、また別の戦場に歩みを進めるほか無かった。

            ∴

 先ず訪れた命蓮寺では、苦難に見舞われた人間達が、身元の分かった卑妖の安否に一喜一憂する姿も待っていた。多くの人々は狭山屋として戦った秋葉衆の働きを讃えてくれたものの、知己や肉親を亡くした者の中には彼らをなじる者も少なくなかった。
 文と善八郎はそれを押して他の秋葉衆を残し、翌朝には妖怪の山に帰り着く。
 門前町で文と善八郎を迎えたのは意外にも、道行く者や店頭に立つ天狗達の好意的な眼差しだった。この二人きりなら陰から罵倒を浴びせる者もいそうだが、それすら無い。
「却って、不気味だな」
「クーデターとやらとも関係ありそうですが」
 西塔を囲む山門に立つ門衛もまた「下界での活躍は聞いた」と迎え入れる。皮肉ではない模様だが、いよいよ気味が悪い状況である。
《三尺坊様。善八郎並びに射命丸、ただ今西塔に帰参いたしました》
 善八郎がこれまで下されなかった指示を仰ぐ。果たしてすぐに三尺坊本人からの返答。
《よく無事で戻ってくれた。現在、天魔殿を除く首脳が八葉堂に揃っておる。ひとまずこっちに顔を出してくれ》
《承知しました》
 文と善八郎に向かっての以心の術だったが、二人とも同じ一点に違和感を見いだす。
「どうやら御八葉に異分子が入り込んだようだな」
「誰かが排されたのでしょうか。少なくとも三尺坊様以外のどなたかが」
 西塔の中の空気は門前町とは別の異様さを匂わせている。文達に対して向けられる視線も下位の者達のそれとは大きく異なり、一様な方向性は示していない。
 それもすぐに明らかになろうと二人は大伽藍に踏み込み、板床に諸手を着く。
「天竜坊善八郎ほか一名。ただ今帰参いたし候!」
 二人は深々と額づき、許しを待たずに揃って面(おもて)を上げる。僧正坊を欠き、最下段に三尺坊が据えられた以外は常通り――ではなかった。本来僧正坊が在するべき次郎坊の上座に、何者かが居座っている。
 遠目ながら、見慣れぬ者だと文は一瞬だけ思い、すぐにそれが誰かに気付く。
(英彦山玄庵!)
 ボサボサだった髪を善八郎と同様にほどよく整え、ヒゲを剃り上げた容貌は見慣れない物。しかし間違いなく彼だった。

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