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楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』   パラダイスの格率 第10話

所属カテゴリー: 楽園の確率~Paradiseshift.第6章『パラダイスの格率』

公開日:2018年08月27日 / 最終更新日:2018年08月26日

パラダイスの格率 第10話
楽園の確率 ~ Paradise Shift. 第6章
パラダイスの格率 最終話



「魔法使い霧雨が穿った坑より、鬼が、旧地獄の勢力が現れました」
 そちらを注視していた白狼が宣言する。
 妖怪の山が従来の体制であったら、これは危機と見なす場面。だが神奈子は違った。
「各種念話でコンタクトを。星熊勇儀以下、旧地獄勢力に卑妖捕縛の協力を要請」

「言われなくても、そのために来たんだけどねぇ。はーい野郎共、卑妖を生け捕りにした分だけご褒美だ。一等は向こう一年の酒代を私が持ってやる。ただし生け捕りだけ。殺した奴は褒美ゼロだよ!あと命が惜しけりゃ一言主は無視。それと――」
 勇儀は目の前の巨体を見上げる。
「まずこいつは私の得物だ、手を出さないでよ」
 鬼を前に鬼熊が吠える。地の底からの様な唸りも、本家本元から来たモノには通じない。
「やあ、私は鬼の星熊勇儀ってんだ。鬼熊に鬼の星熊ってなんか縁がある、ねっ!」
 自身の上半身を覆うほどの掌の振り下ろしを軽くいなし、勇儀は正中に拳骨を叩き込む。
 彼女が鬼熊と戦っている側で、人間の卑妖に肉薄した鬼達は、次々にそれを捕らえてゆく。いずれもが名のある者、それも人間からの信仰すら集める鬼ばかり。勇儀の布陣は、始めからそれを指向したものだった。
 更に引き続いて縦穴からは土蜘蛛達も出でて、捕縛に加わる。
「勇儀どん! 捕まえるのはいいんだが天狗の鉄砲がおっかねぇ!」
「あー、誰か念話送れる奴はいるかい?」
「あたしが行ってくるよ」
 瘴気の中から伊吹萃香が姿を現す。
「おっ、頼んだ。ついでにこの瘴気はどうにかならないかい?」
 彼女の萃め散らす能力ならうってつけだろうと勇儀は言うが、やはりそうはいかない。
「妖力が通じないのが残念だねぇ。でも、あんたが馬鹿力で払えばいいじゃないか」
 それもそうだと、勇儀は周りの物を手当たり次第振り回す。
「始めからこうすりゃよかったか」
 上空を征く乙隊が、晴れた瘴気の中の勇儀達と、鬼熊の姿を認識する。
「フヨウ。乙隊イ一〇、井三郎。甲隊の砲撃はもう限界か?」
《乙イ一〇待て。その通り、甲隊の砲撃は敵部隊後尾へ移行》
「承知。鬼熊がまだ三頭残存している。一頭は星熊様が相手しているが、残り二頭、我らが対応してよいか」
《待て。承諾、ただし一個隊以上の被害が生じる場合は退避》
 彼らも勇儀達と共同して戦闘に当たる。
 勇儀が除いた瘴気の“目”の中に居た鬼熊をはじめとした卑妖に射掛ける続ける井三郎の隊。
 しかし鬼熊だけは他と一緒とはいかない。ただでさえ厚い毛皮に鎧われた熊が、今はこの通りの巨体を得ているのだ。そうそう撃ち抜けるものではなかった。
 射掛けていたうちの一頭が先行して三途の河に向かう。
 仮称一言主の守りは一頭になったが、それを喜んでいられない。奴がこのまま選別者の橋に向かえばヤマメ達が危ない。
「くそっ! 反撃に気をつけて追跡!」
 先行した一頭に引き続き射掛けつつ、術による足止めを試みるが、薄く纏う瘴気ですら方術を無力化していた。
「しくったな。これじゃ八郎様に会わせる顔が――」
《こちらイーグル02! 天狗さん達、ちょっと退避しといて!》
 その呼出符丁に、井三郎は何が起こるのかを察する。
「散開、退避!」
 蜘蛛の子散らすよりも早く、井三郎達は散開。直後、大型の飛翔体が突入してきた。
《イーグル01。シュライクTVMガイデッド、ターミナルフェーズ。インパークト――》
 飛翔体は吸い込まれるように鬼熊を捉え、衝突。
《――ナウ!》
 玉兎二人の操作する『百舌(シュライク)』が華々しく散り、鬼熊も諸共に爆発四散せしめた。
 それに気付いてか、最後の鬼熊が先行する。勇儀の方は既に残る一頭を潰していた。
 玉兎達に二の矢は無い。井三郎達も銃弾が尽きかけているが、逃げる訳にもいかない。
「井三郎さん、また来ました!」
「承知! なんとしても止めるぞ!」
 引き返した彼らの見る先――鬼熊の行く手に、一瞬前にはそこに無かった影が降り立つ。
「射命丸……何をやっている、退け!」
 文は光の翼を収めると、吊っていた銃を肩に付け、立ち姿のまま射撃にかかる。
 パンと、乾いた音が一回、二回と 続けて鳴る。そのたびに槓桿を回して引き、薬室を開放、弾倉から抽筒と同時に排莢。装弾、装填――
「何をやってる、逃げろ射命丸!」
 ――閉鎖、撃発。
 あの強大な妖獣を、人間の作ったただの小火器で倒す。それは不可能だ? 強大な妖怪を倒すのには由緒が必要? 否。もはやその常識は幻想の物だ。
 砲で以て、既にそれは為された。ならば為せるはずだ、このただの村田銃にも。
(もはや聖別された銀の銃弾はいらない。己が身を貫く七発目の魔弾もいらない――)
 七発目を撃ち込んでも、鬼熊は文に向けて突進を続ける。それでも文は据銃を解かず、
「必要なのは、ただの鉄と火。ただの鉛の弾だ!」
「射命丸!」
 その叫びと同時に、最後の一発を撃って放つ。それが鬼熊の額に叩き付けられた。
 鬼熊の勢いは弱まらず、文の脇を抜けていった先で、ひっくり返る。しばらくの間、それは宙で四肢を泳がせていたが、やがてはそれも遅くなり、ついには止まった。
「斬り付けた跡、椛か。先にやってくれてなかったら危なかった……」
 無謀だとは分かっていたが、これは示さねばならなかった。これから戦うヤマメのために、ただの鉄が大敵を倒すという幻想をここに招かねばならなかった。
「はーい文、バッチリよ」
「肖像権には気を使って下さい」
 文は頭上のはたてにVサインを向ける。それは天上に向けての宣言でもあった。

      ∴

 絶望的なまでの敗北の確率は、今や九割方の勝利に転化していた。
 卑妖は旧地獄の者達の協力で次々と捕らえられ、後送あるいはその場での手当を施されつつ“その時”を三尺坊や竹林から出張してきた兎達と待つ。
「三尺坊権現様。我が師匠からの伝言です」
「ただ三尺坊でよいよ、鈴仙殿。もしかしてオカルトボールの件かな?」
 治療と中和の準備の手を止めず、三尺坊は兎の薬師に応じる。
「はっ、確かな筋からのお話だそうです。やはりオカルトボールに関連する技術を窃取していた方がおりました。しかしその正体は、係る神格へ疵が及ぶため明らかにする事あたわず。ただその方は既に幽閉され、今後処断される見込みであろうと」
「承知した。けだし、秘するべきものは秘したままとすべき。ワシも理解している」
 その正体については、既に文を通して共有されていた。だが秘するべきだと三尺坊は判じる。連鎖的に多くの者が貶められ、零落するなど、上古の繰り返しになる。
 それよりも手元に全力を尽くそうと言うのには、鈴仙・優曇華院・イナバもはたとして応じ、すぐにそれに取りかかる。
 妖怪の山から聞こえてくる戦況も、今は芳しい。
 それよりも弟子達の無事を、並べて幻想郷の現世利益の成就を、三尺坊は祈っていた。

 仮称一言主の追跡は、上空から安全な距離を取って乙隊が続けていた。残った卑妖はその後方に展開し、鬼や土蜘蛛に対して猪突猛進しては捕らえられている。
 一言主は、ただ一体で歩んでいた。
「フヨウ、射命丸です。一言主は現在、瘴気を展開せずに独歩で前進。このまま観察を続けてもよいか?」
《射命丸。そのまま観察せよ》
 文はそれに承知との返答を返すが、一言主の行く手に、また一人の妖怪が待ち構えるのを認めていた。
(瘴気が無い今、妖怪の山からもこれは見透せているだろうに)
「ちょっと、ここに来てお手柄総取りって訳? 流石に無しっしょ」
 待ち構えていたのはマミゾウ。彼女の左脇には黒風折烏帽子に、長絹、大口姿の男が侍し、右脇には侍烏帽子に掛直垂(かけひたたれ)姿で、表情の無い面(おもて)を付けている。
「なんじゃ、あんさんの言霊とワシの化術、どちらが勝るか勝負したかったと言うに」
 一言主はそれにかかずらわず、マミゾウの横を抜けて行く。
「のお。鬼一法眼殿が死んだというのに、あんさんは何を思ってこちらに進んでいるんじゃ? 単なる惰性か。いや、そんな物では鬼熊や卑妖どもが自発的に動く理由が無いな」
「……」
 一言主は答えない。マミゾウはそれを待たずに続ける。
「あんさんには、あんさんなりの思いが生まれたんじゃないのか? 立場が人を作るとは人間も言うが、卑妖共を抱えているうちに、孤独な都市伝説(オカルト)から始まり、一人の王の名を授かるうちに、そうなっていったんじゃないのかな?」
 やはり答えず、彼は歩みを進める。すると侍していた男の姿が老武者に変わり、吠える。
「こら! 折角『土蜘蛛』で退治してやろうとしてたのに。マミゾウと私の苦労を返せ!」

恨弓『源三位頼政の弓』

 ぬえは、老武者の姿のままスペルを宣言。
 正当な怒りとも言い難い弾幕が一言主に浴びせかけられる。本来なら瘴気に阻まれてかき消えるはずのそれは、全てがその青銅の鎧に届き、しかし弾かれていた。
「ぬえ、私の苦労が忘れられてるようだけど。それよりマミゾウ」
「こんな手柄を掠め取った所で、二ッ岩大明神の名がすたるだけじゃ。それにヤマメ殿がおらなんだら、奴もこんな道は選ばなかったじゃろうて」
 無表情な面で困り顔を作りながら、秦こころがぬえを押し止める。
 彼女らが征くに任せた一言主。
 その足はついに、選別者の橋に踏み入った。

      ∴

 三途の河の此岸には火仗隊が銃先を並べ、河童台場も陣地変換を完了。
 他、丙隊の各隊や、玉兎の二人にマミゾウ達もが、そこに集っている。ヤマメ敗北の際の備えとしてだったその態勢は、今や勝利の時を見守ろうという物に変わっていた。
 だが予断はならない。先ほどのマミゾウの推察も確かな物だとは考えにくい。当然、慢心は更にならない。鬼一法眼の罠すらまだ残っているかも知れない。
 陣を敷いているのは彼岸も変わらず。時間を掛けた今はより充実した陣容になっていた。
 見守っているのは現地だけではない――

「どうです? 幻想郷の戦いを見て」
 神奈子が戦いの当初より招いていた神子に語り掛けると、神子は頭を振って応じる。
「話にならない。たまたま、烏合の衆がそれぞれに強かったから、敵っただけだ」
「烏合の衆などの、強きに流れて迎合する集団ではありませんよ。彼女達は」
「ならば益々お話にならない。事実、君が統制を取っていたから戦えたんじゃないか」
「ええ、統制のみです。私は命令など下してません」
 詭弁だ、と神子は吐き捨てたかったが、それも事実だった。
「我々は知るべきです。この大地に、統治者など要らないと」
 為政者の存在を否定するのではない、信仰などは必須の物だと考えている。望まぬのは、一言主のような支配者であり、サナート・クマラのような者の下す宗教だ。
「ふん。それを“彼”と彼女で占おうとでも言うのか?」
「私にそんな気はありませんが、お望みとあれば」
「いや、止めておこう」
 あんな者に賭ける物など何も無い。この先にある物だけを大上段から見届けようと、古き聖徳王は神奈子の脇に座してその時を待った。

 妖怪の山も命蓮寺も、人里もそれ以外にする人間や、野辺の妖怪達も、この戦いの――その先までも含めた――行方を見守っていた。
「ギャラリー、多いわね。流石は地底のアイドルヤマメちゃん」
「こんな時に茶化さないでよパルさん」
 来たる脅威を前に、ヤマメにも緊張の色が見える。パルスィにはそれを解こうという意図は無いものの、一つ深く呼吸をする機が生まれ、落ち着く。
「ねえ、ヤマメ。思ってたんだけれど、この戦い、勝っても妖怪の山は名声を高めるような事も無く、逆に人間に出た被害や鬼一法眼やシンパが関わっていたのが知れたうえに何の活躍も無かったら、旧地獄にすら追いやられていたかも知れないわね」
「そうしたら、瘴気の中で暮らせない天狗の大半はいずれ野垂れ死に。逆に、瘴気に耐えられる私達は、いずれこうして活躍する時が来た」

「天狗の転落と旧地獄の勃興。なるほど、全てがこうなるのを意図したものとは思えないけれど、かなり危うい企みをしていた者がいそうね」
「何を言ってんのよ紫」
「ちょっと知り合いを思い出しただけ。まあ、もしそいつが黒幕だとしたら――いえ、それはありえないわね。霊夢、また忙しくなるかも知れないわよ」

「でも私達は地上に上がらないよ。出て行きたい奴がいるなら、それは止めない。止めたって、旧地獄が帰るべき場所じゃなければそれまでだからね」
 牢獄ではないその帰るべき場所のために、今は戦う。眼前に迫った、大敵に立ち向かう。
「ようこそ、偽物一言主さん。瘴気はどうしたのかしら? それを放たないなら――」
 緑眼の龍蛇が顕現し、食らいつこうとする。
「――その子に食われちゃうわよ?」
 彼は瘴気ではなく膝丸でそれを迎え、真っ向から両断する。
 今のはパルスィの真の嫉妬、真の恨みを込めたモノだった。
「驚いたわね……けれど、何をしようと、この橋は渡れないわよ。ここは審判を下す者も居ない、選別者の橋。上にステュクス、下にギョル、そして先にあるのは奈落の底のみ。私の身を元通り二つに戻して向こうに橋守を置くか、それとも二つに引き裂いて橋を架けるかしないと、地獄には辿り着けないわよ?」
 二つに引き裂いた所で、奴は結局三途の河に落ち込むだけ。
 当然、そんな事はさせない。ヤマメがパルスィの前に歩み出し、一言主に相対する。
「葛城山の大蜘蛛、黒谷さんか。改めて名乗ろう。私は火の国の出の土蜘蛛、ヤマメ! ここはこの私が守る! 葛城山一言主、お前を外の世界になど出させない!」
 椛の大太刀を抜き放って鞘を投げ、真っ向からそれを振り下ろすヤマメ。一言主の上背は、ヤマメより頭二つは高い。大太刀の長さを借りて、なんとかその肩口を捉える。
 一言主は既に抜き身の膝丸で袈裟懸けに迫るそれを迎え、弾き返す。
 まず一合。ヤマメは柄を絞り直して、逆に深々と腰を落として胴を切り払いにかかる。それは上方に弾かれ、逆に殆ど揺るがぬ重さを持つ刃がヤマメを唐竹に捉えようとする。
「ぐっ!」
 辛うじて戻した刀でそれを凌ぐ。例え斬られずとも、この膂力では叩き潰されかねない。
 一旦離れてからヤマメは正眼に構え直し、右手だけで刃を振り回す一言主の死角を突こうとその左側に回り込む体勢を取る。お互い、まともな型など取っていない。
 ヤマメは見よう見まねで振るだけだし、一言主が真の一言主であったとしても、かの者の時代にはこの様な刀を振るための型は無かったはず。素人同士の殴り合いにも見える。
 不意にヤマメは、唯一習った覚えのある刃の振り方を思い出す。
 一瞬だけ背を向け、体を翻しながら全力で逆胴を狙う。それが弾かれ、一言主は反撃をしようとするが、ヤマメはその暇すら与えず勢いのままに逆風(さかかぜ)に切り上げる。
「剣舞、剣の舞?」
 土蜘蛛が蝶のように舞い、羽根の様に大太刀を振るう。
(万寿、お前の教えてくれた物とは違うけれど――)
 これなら少しは戦えるか。その希望と、更に左側に回り込み続けるという策で、一言主と立ち位置を入れ替える。このまま、奈落に突き落とせるか。
 パルスィは囮の『雀』に右手の欄干を駆けさせ、自身は左手の欄干を渡り、またヤマメの後ろに回る。二人で、一言主を突き落とす位置取り。
「ヤマメ、このまま押し込んで!」
「承知!」
 やはり左手に回り、舞いながら逆胴を狙う。
「取っ――」
 刹那、ヤマメの右腕を、膝丸が深く斬り付けた。
「ヤマメ!」
「なん、で……?」
 切創は骨まで達したかも知れない。しかし痛みよりも、驚きが勝っていた。
 驚くべきは、以前にその刃を受け止めたはずの二の腕が切り裂かれたことか。それとも一言主が死角で太刀を持ち換えるというトリッキーな動きをしたことか。
「膝丸の力を、捨てたのか……」
 恐らくそれだけではない。今や一言主は、その存在一つだけで戦っている。多くの人妖との対峙がそれを剥ぎ取り、かつ、彼自身もそれを捨てたのだ。
 巫女王『ヤマノメ』と戦うために。
 驚いている場合でも、感動している場合でも無い。
 ヤマメに隙が出来たと見るや一言主はヤマメの傷付いた腕に、容赦なく浅い連撃を食らわせる。それは凌ぎきれず、浅いながらも肩を切り付けられた。
 劣勢か。否、もとより片手でも両手でも、やることは変わらない。
 土蜘蛛の膂力は、大太刀すらも片手で軽やかに舞わせ――
「うおうりゃ!」
 百斤の槌の如く、重々しく叩き付ける。
 しかしそれを戻すのがやや遅れるうちに、一言主が至近で左の拳打を振り下した。
 刃を取り落としそうになるのを堪え、ヤマメは賭けに出る。
 一言主ではなく、霊威を失い本当にただの写しとなった膝丸を狙い、振り抜く。
(すまない……)
 打ち合った新しい鉄と古い鉄が、清い音を鳴らして互いに火花を散らし、相討った。
 大太刀は半ばから折れ、膝丸もまた鋒から一尺余りを失う。
 間合いはその腕と刃長の合計で、一言主に有利。彼はそれを認識してか、迷わず真っ向から唐竹割りに残りの刃を叩き付けようと、それを振り上げる。
 その一瞬を突き、ヤマメは残った刃を彼の肩口に押し込む。当然、刺すことは出来ないが、動きは押し止めた。
 数拍の拮抗のうち、ヤマメは痛みを耐えて右手を動かし、ジャンパースカートの胸元に手を差し込むと、そこにあった物を抜く。
 それは六発装填のリボルバー銃、にとりに渡された“お守り”だった。
 一言主にはそれが何か分からなかったろう。しかし攻撃の意思はあり、斬撃を諦めてまた左拳を繰り出しに掛かって来た。
 ヤマメはそれを認めつつも、落ち着いて銃を取り回す。
(よく、狙って――)
 バン、と短い破裂音が鳴り、一言主のその体躯が僅かに後ろにぶれる。ヤマメはそれを更に押し込みにかかる。

―― 哀れな天邪鬼の嘆きを、ヤマメは思い出す
―― 河童や魔法使いの、タチの悪い笑顔を思い出す。
―― 己と想いを同じくしてくれた人々や、いけ好かない天狗を思い出す。
―― 一人の旅の道程と、人妖達との僅かな心の交歓を思い出す。
―― 古き巫女王との旅や、無双の武人との戦いを思い出す。

 撃鉄が、既に撃発した雷管を叩く。
――そこから先は、思い出せない。
 折れた大太刀を手から放し、前のめりに刃を降ろそうとする一言主を、素手で迎え撃つ。
「うあぁぁぁ!」
 喊声と共にただ一点を狙う。一言主の胸の中心、複数の銃弾で砕けた鎧の、その一点を。
 踏み込み、左手の指を揃えて伸ばし、腰を入れて貫手を突き刺す。
 この一撃は、この一言主を為すものを、その躯ごと貫いた。ただの己が手ひとつで。
 彼は太刀を取り落とし、後方に、奈落の底に向けて蹈鞴を踏む。
「吾は誰そ……」
 一言主が問い、ヤマメは毅然と答える。
「お前は……誰でもない、何者でも、ない! 名も無い妖だ!」
 それは自分もだ。己も出自を知らぬ、名無しの土蜘蛛だ。
 彼はついに、奈落へを身を躍らせる。その道行きに従うように膝丸の鋒も落ちていった。

      ∴

 上空から勝利を見届けたはたては、それを以心の術や念話で声高に伝える。三途の河の此岸には、既に大歓声が上がっていた。
 文は逆に正式な報告を行おうと、橋の上を観察する。見落としが無いか、その狭い橋を左右に見渡すと、いつの間にか渡る者が現れたのに気付く。
 奈落の底への口は閉じ、橋は彼岸にまで架かっていた。
 そこを、多くの者が渡ってゆく。見慣れた者も、見覚えの無い者も。
(誰だ、六道から外れた外道は死ねば消えるだけ、なんて、言ったのは……)
 酒瓶を吊した破戒天狗が手を振ってから彼岸に去って行く。
 その後に続き、先頃討ち死にした秋葉衆や彦山衆、日光衆、それに鞍馬衆の姿もある。
 禁色を多く纏った天狗は歩みを止め、不敵な笑みを文達に向ける。
「文、あれってさ……」
「ええ、他にも」

「田道間様……万寿。お前も、逝けるのか」
 ヤマメは欄干にもたれ、後ろ手にピースサインを出してコロコロと笑うその姿を見送る。
 いざ、ゆかば征け。天に、地に、次の世に。
 今この橋を渡る彼ら彼女らは、ヤマメには余りにも眩く見えた。

《――以上。黒谷ヤマメ、水橋パルスィ両名、一言主の奈落投下に成功。幻想郷、かく戦えり》

      * * *

 惨劇の終結から一ヶ月。
 何かが変わったかと言われれば、驚くほど何も変わらなかった。
 皆が皆ではないが、妖怪も人間も、禽獣すらもが日常に伏していた。何を以て日常と言うのかと言われれば難しいが、そうとしか言えない毎日をだ。
 妖怪の山は従来通り、天魔様の下に御八葉を置いている。建制順が変わり、首席に飯綱三郎様が就いたほか、帰還した桜坊様が空席に収まった他は、殆どそのまま。
 ならば人里の駐屯吏はどうなったのか。
 狭山屋を訪れてみると、皆喪に服し、大旦那には善八郎様が据えられていた。
 実は、外の世界に帰った三尺坊様は彼こそを御八葉に推挙しようと画策していたが、彼が人里守護を続ける意思が強い事、それに桜坊様の駐屯吏下番が近かった事でこうなった。
 狭山屋の大旦那、狭山善吉氏は表向き先頃の心労が祟って亡くなったことにされ、早めの下番と事態対応への功績から御八葉に迎えられたのだ。
 その他、戦いの中で駐屯吏も若干の人員を失ったが――
「あー、犬のお姉ちゃん久しぶりー。店員さんだったんだ」
「あっこら、しー! お犬さんは内緒なの、内緒。ね?」
 時折、増援の天狗も訪れるようになった。(椛などは足繁く通っているようだ)
 人間が好きではないと言われた時には驚いたが、決して嫌いだと言った訳ではなかった。人間に育てられ、人間の中で暮らしてきた彼女だ。人にも妖にも、善き者も悪しき者もあるのを知り、人間も天狗も、分け隔て無く好きであり、嫌いでもあったのだ。
「ちょっと文様! 店内撮影禁止ですよ!」
 良い表情だったので、つい撮りたくなってしまうのも仕方ないだろう。
 はたてこそ、ここに送り込むべきなのに、あのギャル天狗は下手な新聞作り専門業を続けている。私もそうしたい所だが、一応勤めには復帰したので戻ろう。
 高台から人里を見渡せば、外れの方のあばら屋に炊煙が上がっていた。唐傘鍛冶師も無事に戻れたらしく、ろくろ首が正体を隠して店員をしている食事処で盛大に散財しているのを見掛けた。そうだ、まだ食べるつもりなのか、驚きが栄養源ではなかったのか。
 命蓮寺の方からは、少し大きくなった読経が聞こえてくる。先の避難所開放の際に刹那的に帰依したり、または住職の心意気に心酔して檀家になった者もいる。
 改良が加えられたロープウェーを横目に門前町へ、そして西塔へ戻る。憂鬱だ。
 ひとまず机に向かってみるが、文字通り山と積まれた仕事に辟易。下っ端の自分でこれなのだから、上役の執務室がどんな惨状なのかは推して知るべし。
 現実逃避に、先の事件の編纂に掛かってみようとすると、すぐに筆が止まる。
「やっぱり、こういう深刻な記事は別の機会に――」
「射命丸! 遅参のうえに私事にかまけるなどしているようなら休暇はやらんぞ!」
 タイミングが悪すぎる。
 必死で仕事に戻るポーズを見せて飯綱様の機嫌を取る。その休暇返上だけは勘弁だ。
 山積みのこの仕事も、半分が自分の行動から生じた物なのだから文句は言えない。いや、事態解決のために必要な事だったのだから免じて欲しいのだが。
 許しと言えば、妖怪の山は一応許された形だろう。もし全力を尽くして事に当たらなければ、今頃はどうなっていたか分からないが。その点は守矢神社も様々か。
 だが逆に、評価されるべき旧地獄は、また以前の細々とした往来が許される程度になったほか、特段の変化は無い。
 いや、ヤマメさんとパルスィさんの活躍や、勇儀様以下の鬼の尽力は認知されているのだが、彼女らの他の地底の妖怪達が変化を拒んでいた。
 結局は、何も変わらないに等しい。
「射命丸!」
「はいぃ!!」
 嗚呼、休暇が待ち遠しい。

      * * *

 博麗神社の方からの賑やかな鳴り物の音と、多くの人の喧噪の声が、その前に広がる杜の中にも溶け込んでいる。
 その一角の風穴の出口で、文は待ち人の到着を待っていた。
「遅いですね、そろそろ来てくれないと席が埋まってしまうのに」
 待ち人は三人。いずれもまだ来ない。
「遅れて申し訳ない! パルスィはやっぱ駄目だった。折角誘ってもらったのに」
 待ち人は三人から一人になった。
「いえ、方々に無理を言って、そちらにも無理を頼んだ結果ですから、ヤマメさんだけでも来てくれて良かったですよ」
「いやでもパルさんも酷いんだよ。射命丸さんのお誘いだって言ったら「やれ逢い引きか、あな妬ましや」だもん」
「はは、それはゾッとしませんね。だって――」
「文さん、お待たせです!」
「――この通りですから」
 文が息を切らせたもう一人の待ち人――早苗の手を取ると、ヤマメは「いよいよパルスィが来なくてよかった」と苦笑する。
「さあ行きましょう。そろそろ最初の演目が始まってしまいます」
 春の薫る杜を、三人で駆け抜ける。

 幻想の箱庭に、神々と妖怪と人間の祭り囃子が木霊していた。



(楽園の確率 ~ParadiseShift. ・完)





いざや、<a href="http://longnovel.com/touhou005/">春風に木ノ花の舞う宴へ</a>、いざや、<a href="https://www.melonbooks.co.jp/circle/index.php?circle_id=25942
">東雲の果てる空へ</a>――

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