―19―
そして翌日、九回目の宴会が博麗神社で開かれた。
相変わらずの面々が揃っていたけれど、さすがに皆、どことなく疲労の色を滲ませていた。私も正直、もともとお酒に強くないのに三日に一回酔うまで呑むのはしんどいので、ここ最近はちびちびと嘗めるだけで誤魔化している。うわばみの相棒は相変わらず、かぱかぱと調子良く盃を干しているのだけれど。
ただ、ひとつ変わった点があるとすれば――。
「あーもう、何なのよあいつ」
霊夢さんが、妙に不機嫌な顔で盃を傾けているということだった。
「お、どうした霊夢。珍しく荒れてんなあ。野良妖怪に不意打ちでも喰らったか?」
「不意打ちならまだいいわよ、正面からボコボコにしてやればいいんだから」
「おん? ――ははあ」
ふくれっ面の霊夢さんに、魔理沙さんが何かを察した様子でにやりと笑う。しかし、すぐに、我に返ったように、魔理沙さんは目をしばたたかせた。
「霊夢、お前もようやくアイツに気付いたのか?」
「は? ――何よ魔理沙、どういう意味?」
「だから、ここんとこ濃くなってる妖気の正体だよ。見つけたんだろ?」
「なに、魔理沙、あんたアイツのこともう知ってたの?」
「ああ、前々回の宴会の前にな。まあ、負けたんだけどよ――ってことは霊夢、お前も負けたのか?」
目を丸くして詰め寄る魔理沙さんに、霊夢さんは口を尖らせる。
「えーそーよ、負けたわ、負けましたとも。何なのよアイツ」
「はあ――異変の主に霊夢が負けることもあるんだなあ」
「さあ、これ異変なのかしらね」
しれっと言い放った霊夢さんに、魔理沙さんが肩を竦め、私たちを振り返った。
「なあ、蓮子。異変解決が仕事の博麗の巫女でも異変の主に負けることがあるのか、それとも霊夢が負けた場合は異変にはならないのか、どっちなんだ?」
「私に聞かれてもねえ。異変の定義をめぐる鶏と卵の議論になるわね、それ」
「ややこしい話だなあ。――というか、お前らもひょっとしてアイツのこと知ってたのか?」
「萃香ちゃんのことでしょう? たぶんこの中では一番最初に」
「へえ。アリスの奴もアイツがなんか仕組んでたって気付いたから来なくなったんだろうが、わりとみんなもう気付いてたのか?」
「少なくとも、我々紅魔館は全員既に彼女に出逢いましたわ」
そう答えたのは咲夜さんだった。料理を運んで来た彼女は、あくまで瀟洒に微笑んでいる。
「なんだ、お前もパチュリーもお嬢様もアイツに負けたのか」
「お恥ずかしながら」
「てことは、みょん子も気付いてんだろうなあ。アイツそんな状況でいつまで隠れてる気だ?」
「幹事が呼んでみれば? そろそろ萃香ちゃんも混ざりたい頃だと思うけど」
蓮子がそんなことを言い、「お、そうだな」と魔理沙さんが立ち上がる。
そして両手をメガホンのようにして、夜空に向けて叫んだ。
「鬼はー、内ー!」
――次の瞬間、上空を漂っていた妖霧がさざめいて、一箇所に萃まりだす。
高まる妖気は徐々に小さな姿にまとまっていき――そして、彼女は唐突に、宴会の中心に姿を現した。
「やややっ、呼ばれて飛び出て~っと。みんなぁ、愉しくやってるぅ?」
幼い顔を酒精に赤く染めて、ゆらゆらと上体を揺らしながら、伊吹萃香さんは手にした瓢箪を掲げてそう声を張り上げた。――瞬間、宴会参加者たちに緊張が走る。
レミリア嬢が獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。パチュリーさんが傍らの炒り豆を掴んだ。妖夢さんが腰の刀に手を掛け、膝立ちになった。幽々子さんは脳天気な笑みのままお団子を頬張り、咲夜さんは無表情にレミリア嬢の傍に控え、――霊夢さんは黙って盃を傾けている。
「おおう、剣呑?」
「まあ待て待て。今は宴会だ、こんなところで弾幕ごっこは無粋ってもんだぜ」
獰猛な笑みを浮かべた萃香さんと皆の間に、魔理沙さんが割って入る。レミリア嬢もパチュリーさんも、妖夢さんもそれで矛を収めたようにもう一度腰を下ろした。
「てことは、みんなもうコイツのことは知ってるわけだ。ようやく本当の幹事が現れたところで、もう一度乾杯といこうぜ。弾幕ごっこの遺恨は宴会で水に流すのが幻想郷の流儀ってやつだ。皆それでいいだろ?」
反論の声があがらないのを確かめて、魔理沙さんは盃を高く持ち上げる。
「んじゃ、――えーとなんだっけ?」
「伊吹萃香。鬼だよ」
「だそうだ。コイツが何をやろうとしてたのかは知らんが、幻想郷で鬼なんて珍種を見つけた記念ってことで、かんぱーい!」
魔理沙さんがそう盃を掲げたときの、萃香さんの表情は、よく憶えている。
愉しそうな、だけど少し寂しそうな、戸惑っているような――そんな、困り顔だったから。
――あらゆる意味で、この〝三日置きの百鬼夜行〟異変に区切りをつけたのは、魔理沙さんのその言葉だったのだろう。このあと、宴会の頻度は徐々に下がっていき、やがて自然に宴会は開かれなくなった。それは即ち、萃香さんの目的は成就されたということだった。
そして、このときの、萃香さんを交えたこの後の宴会の模様については、特に記すべきことはない。萃香さんという新顔が場を引っかき回しただけで、いつも通りの宴会だったから。
だから――私がここで記すべきは、この宴会の終わりに。
相棒が、萃香さんと交わした会話のことになる。
夜もとっぷりと暮れる頃、宴会は自然に解散ムードになった。
咲夜さんと妖夢さんが後片付けに走り、萃香さんとの飲み比べに負けて寝入ったお嬢様にパチュリーさんが膝を貸し、霊夢さんが眠そうに目を擦り、魔理沙さんは大の字になっていた。
――そんな、宴の後の寂寥の中で。
いつの間にかひとり、静かに盃を傾けていた萃香さんに、私たちは歩み寄った。
「おん? ああ、あんたたちか。飲み足りないからもうちょっと付き合ってよ」
瓢箪を振って、萃香さんはからからと笑う。蓮子は「それも魅力的な提案だけど――」と苦笑して、それから萃香さんの前に腰を下ろした。
「萃香ちゃん。貴方にいくつか、確認したいことがあるの。お酒に付き合うから、ちょっと私の話を聞いてくれる?」
「うん? なにさ、改まって」
萃香さんは、残っていた人間用の徳利から蓮子の盃に酒を注ぐ。それを一息に飲み干して、蓮子は目を細めて萃香さんを見つめた。
「貴方が、この宴会騒ぎを起こした理由について」
その言葉に、萃香さんはきょとんと目を見開き――それから、大口を開けて笑った。
「そりゃあんた、話が逆じゃん。私がこの宴会を起こした理由を、なんであんたの口から聞かないといけないのさ。それに、前に言わなかったっけ? 宴会がしたかったからだって」
「ええ、そうね。だけど、それが理由の全てでもない。そうでしょう?」
「――ふうん? 私にどんな目的があったっていうのさ?」
試すように、萃香さんは蓮子を見つめた。蓮子は帽子の庇を持ち上げ、にやりと笑う。
「たとえば――地底に封印された仲間を、幻想郷に呼び戻し、鬼の天下を取り戻すとか」
その言葉に、萃香さんは――吹き出すように笑った。
「はっはっは、ばれちゃあ仕方ない。その通りだよ。封印されたとか、鬼の天下は言いすぎだけどね。宴会が増えれば、引きこもっちまった仲間が戻ってくると思ったのさ。みんなが戻ってくれば、毎晩が百鬼夜行だからね――」
そう、どこまでもあっけらかんと笑う彼女の顔には――けれど、どこか寂しさの陰がある。孤独の色が、染みついている。
それを見透かすように萃香さんを見つめた蓮子は、ただ「――成る程」と頷いた。
「その答えが聞きたかったの、萃香ちゃん」
「うん?」
そして蓮子は、その問いをぶつける。この異変の真実の姿を示す一言を。
「萃香ちゃん。――貴方、人間なんでしょう?」
―20―
萃香さんの笑みが、消えた。蓮子は重ねて、「話、聞いて貰えるかしら?」と問うた。
「――聞くだけならね」
硬い声で答えた萃香さんに頷いて、蓮子は盃に新しい酒を注ぎながら続ける。
「貴方と出逢ってから、私たち、幻想郷の鬼について色々調べたのよ。妖怪の山に行ったりしてね。――そして、調べれば調べるほど、何もかもが噛み合わないことに気付いたの」
「噛み合わない?」
「まず、貴方が伊吹萃香――伊吹山で生まれた酒呑童子を思わせる名前を名乗ったこと。山で、貴方は星熊様という鬼と一緒に、四天王と呼ばれていたらしいこと。人間の畏れを必要とするはずの妖怪である鬼が、幻想郷を捨ててどこかへ消えてしまったこと。それなのに貴方だけが突然幻想郷に現れ、宴会を繰り返し起こさせたこと。――そして、鬼が幻想郷から消えた本当の理由を誰も知らず、人間に裏切られたのだろうという推測だけが流布していること」
指折り数え、蓮子は盃を傾ける。
「これらの事実をひとつひとつ検証していくと、どうもこうもちぐはぐで噛み合わないの。まず第一に、萃香ちゃん、貴方は本物の酒呑童子なのか。――女の子の姿をしているのは、この際敢えて問わないけれど、それを抜きにしても、貴方が酒呑童子本人だとすると、決定的な不自然がひとつある」
「――なんだい?」
「貴方が星熊童子と一緒に四天王を名乗っていたことよ。貴方が酒呑童子なら、星熊童子を含む四天王は貴方の部下にすぎないはず。どうして酒呑童子本人ともあろう者が、部下と同じ立場になってしまっているのかしら? 貴方が本当に酒呑童子本人ならば、貴方は山の鬼の首領でなければならないはず。星熊と名乗る鬼は、貴方の部下以外寡聞にして存じ上げないしね」
萃香さんは苦笑するように、酒臭い息をひとつ吐いた。
「――私は、自分が酒呑童子だなんて一言も言った覚えはないよ?」
「ええ、その通り。貴方はただ、酒呑童子の生まれた地である伊吹の名前を名乗っただけ。それはこっちが勝手に誤解しただけだから、鬼として嘘をついたうちに入らないのかしら?」
萃香さんは答えない。蓮子は構わず、さらに言葉を連ねる。
「それにもうひとつ、貴方が仮に酒呑童子だとした場合、この幻想郷から鬼が消えた理由として流布している説もおかしいということになるわ」
「ほん?」
「幻想郷から鬼が完全に消えたのは博麗大結界の成立の頃。今からたった百二十年前の話になる。逆に言えば、それまで幻想郷には鬼がいて、人間が鬼退治をしていた、ということ。一方、源頼光による大江山の鬼退治は千年前。だとすれば、幻想郷にいた酒呑童子は、既に源頼光たちに一度だまし討ちを受けたあとの鬼たちであることになるわ。一度人間の卑怯さを知ってしまった鬼が、改めてさらに人間に失望するような大きな出来事があったなら、人間側にそれらしい記録が残っていないのはどう考えても不自然でしょう。大江山の鬼退治に匹敵する大戦果として、人間の里で語り継がれているべきだわ」
「…………」
「つまり、幻想郷から鬼が消えたのは、今更改めて人間に失望したなんて理由ではない。人間の卑怯さを知って、それでも人間と鬼退治の関係を結んでいた鬼が幻想郷を捨てるとすれば、おそらくこの幻想郷という世界そのものに関わる理由があったんでしょう」
「世界そのものに関わる理由、ね」
「ええ。――最初、私はそれは、妖怪の賢者による鬼の封印だと考えたわ。幻想郷が大結界で閉ざされ、人間の出入りがなくなったから、鬼を野放しにしておいたらうっかり加減を間違えて幻想郷の人間を滅ぼしてしまうかもしれない。それを防ぐために、その他の危険な妖怪と一緒に、妖怪の賢者が鬼を地底に封印した――」
そこで一度言葉を切り、蓮子は萃香さんを見つめる。萃香さんは何も応えない。
「……でも、この考えもやっぱり噛み合わない。まず、鬼が力尽くで封印されたのなら、萃香ちゃん、貴方の存在と、貴方の起こしたこの異変を、妖怪の賢者がいつまでも放っておくはずがない。貴方の目的がどうあれ、鬼が幻想郷に残っているということ自体が問題になるはずだものね。でも貴方の起こす宴会を、妖怪の賢者は止めなかった。――だとすれば、前提が間違っているんだわ。鬼は封印されたんじゃない。やはり自らの意志で地底に去った。そして、自らの意志で地底に留まっている。――何のために? それは、地底に危険な妖怪を萃めて管理するという役目を、妖怪の賢者から与えられたからじゃないのかしら?」
「――――」
「つまり鬼は、妖怪の賢者に協力して、博麗大結界の成立に一役買った。地上と地底の相互不可侵の決まりが結ばれたというのも、妖怪の賢者と鬼が通じていたとすればすんなり説明がつくわ。鬼は地底で、危険な妖怪の見張りをしている。地獄の門番のようにね。――さて、萃香ちゃん。だとすれば貴方はなぜ、その役目を離れて地上に現れたのかしら?」
萃香さんは無言で瓢箪に口をつけ、中の酒を、喉を鳴らして飲み下す。
蓮子はその姿に目を細め、「そこで疑問は最初に戻るのよ」と続けた。
「貴方はどうやら本物の酒呑童子ではなさそうだ。では、なぜ酒呑童子を思わせる名を名乗ったのか? また、貴方の名前は貴方を直接知らないという河童でも知っていた。同じ四天王である星熊様という鬼と一緒にね。酒呑童子を思わせる名を名乗りながら、部下のはずの星熊童子と同格扱いの四天王として広く名を知られるという矛盾。このちぐはぐな状況は何を示しているのか。――そこで、話は今回の異変になるわけ」
盃に新たな酒を注いで、蓮子は萃香さんを見つめた。
「萃香ちゃん。貴方は自分の力で宴会を起こしながら、そこに混ざるわけでもなく、霧になって見ているだけだった。けれど、魔理沙ちゃんも咲夜さんもパチュリーさんもレミリア嬢も、そして霊夢ちゃんも、みんな徐々に貴方の存在に行き着いていった。貴方という存在を途中から認識し始めた。おそらくアリスさんや妖夢さん、幽々子お嬢様もね。
そして、宴会が重なるごとに――貴方が誰かに見つかるごとに、貴方の妖気は強くなった」
蓮子がそこで言葉を切り、――私は、蓮子が何を言おうとしているのかを理解した。
つまり、この異変の、彼女の本当の目的は――。
「萃香ちゃん。貴方はそのためにこの異変を起こしたんでしょう?
自分を鬼だと知らしめるために。皆に、自分が鬼だと認識してもらうために。
――そうしないと、自分がやがて鬼ではなくなってしまうから」
萃香さんは、ただ沈黙だけを返していた。
―21―
「そう、萃香ちゃん。貴方の正体が鬼ではないとすれば、この異変の全ての辻褄が合うの。貴方の目的は、もう一度伊吹萃香の名前が鬼として周知されることで、自分自身が本当の意味で鬼という種族になること――この幻想郷では認識が何よりも力を持つ。貴方が鬼であるという認識が幻想郷全体に広まれば、貴方は本当の意味で鬼になれる。だから貴方は地底を抜け出してきたのでしょう? 地底の仲間は、きっと貴方の正体を知っているから。だから地底では、貴方は決して本当の意味で鬼にはなれなかった。貴方が鬼になりきるには、鬼の存在が一度忘れられ、貴方の正体がバレる心配のない幻想郷に戻るしかなかった」
「――よくもまあ、そこまでこの伊吹萃香に対して失礼を重ねられるもんだね。逆に怒る気も失せるよ」
「あら、じゃあ失礼ついでにもう少しだけ私の想像に付き合って頂戴。酒の肴にね」
「ふうん。――まさか、私の正体まで見当がついてるっていうの?」
「ええ、もちろん」
据わった目で睨む萃香さんに、蓮子はどこまでも飄々と、猫のように笑った。
「そう、貴方の正体が鬼でないとすれば、鬼たちが幻想郷を離れて地底に移ることを承知したのも説明がつくの。妖怪は人間に畏れられなければ存在を維持できない。だから幻想郷には人間が暮らしていて、保護されている。――貴方たち鬼も幻想郷にいたということは、その理からは逃れられないとすれば。地底には人間が必要だった。
そしてこの世界が、認識の力による世界だとすれば――元人間の鬼を、純血の鬼が人間と見なせば、鬼と人間の関係が鬼同士の間で成立するんじゃないかしら?」
「――――――」
「だから萃香ちゃん、貴方は本当の鬼になりたかったのでしょう。鬼のはずなのに、地底では元人間として鬼扱いされないという現実を、貴方はなんとかしたかった。自分は鬼だという認識を、この幻想郷に広めることで、完全な意味での鬼になろうとした。――この異変は、貴方がそのために、自分を知ってもらうために仕組んだ異変。だから会場が博麗神社だったのでしょう。何より妖怪を退治する存在、博麗の巫女に認知されることが大切だったから。
――でも、だとしたら霊夢さんに負けて、しっかりこの宴会騒ぎを異変として終わらせるべきだったんじゃないかとは思うんだけど。そうすれば阿求さんの『幻想郷縁起』にも、異変を起こした鬼として掲載されて、貴方が鬼であるという認識は完全に確定したんじゃないかと思うんだけどね。
それとも、貴方が地上で鬼として異変を起こしたと、地底の鬼に知られるのが嫌だったから、異変なのかどうか曖昧なままで通そうとしたのかしら?」
「……よくもまあ、そこまでメチャクチャなことを考えたもんだね。ある意味尊敬するよ」
萃香さんは、不意にそう苦笑して、あぐらをかいて瓢箪からまたラッパ飲みする。
「仮に、もし仮にだよ? あんたのそれが正解だったとして、私がそれを認めると思うかい?」
「いいえ、思わないわ。認めちゃったら萃香ちゃん、貴方のしてきたことが無意味になってしまうものね」
「そりゃそうだ。――それならなんで、その妄想を私に聞かせたのさ? 私の機嫌を損ねてくびり殺されるだけだとは思わなかったのかい?」
その幼い顔に、凶暴な笑みが浮かんで、私は蓮子の背後で身を震わせた。人間の敵、幻想郷最強の種族、鬼の笑み。獰猛な、狂気の笑み――。
「そりゃあ、萃香ちゃん。この妄想を、貴方に否定してもらいたかったからよ」
「――――へ?」
きょとんと、萃香さんは目をしばたたかせる。蓮子は笑って、言葉を続けた。
「私がこんな妄想を抱いて、誰かに言いふらしたとしても、貴方がそれを一笑に付して私を論破すれば、私のこの妄想はただの妄想として片付けられるはず。――だから萃香ちゃん、私のこの妄想を否定しうる証拠や論理を、これからでいいから揃えておいた方がいいわ。そうすれば、貴方は本当に、きっと完全な鬼になれるはずだから」
「――――――――変な人間だねえ、本当に」
呆れたように萃香さんはそう呟いて、蓮子から視線を逸らした。
「じゃあ、最後の妄想を披露してもいいかしら?」
「まだあるのかい。もうなんでもいいじゃん」
「まあそう言わずに。――萃香ちゃん、貴方の正体も、私は特定できてるつもりよ」
「……ふうん? 後学までに聞いておこうか」
「ええ。――これまでの推理から、萃香ちゃん、貴方は元人間である。伊吹の名を名乗っているのだから、酒呑童子と何らかの縁がある人物である。鬼となってからわざわざ不自然さを承知の上で四天王を名乗ったということは、その四天王という呼び名に愛着を持っている人間である。――そして、貴方がそんな幼い少女の姿をしているのは、貴方自身が、もともと幼い姿で思い描かれることが多い人間であるから、である」
「…………」
「さて、じゃあその人間はなぜ鬼になってしまったのか。――それは、きちんとこの幻想郷でも、鬼退治伝説の中で物語られているわ。鬼退治に向かったその人間は、鬼を信用させるために、人間の肉を喰らったの。――人間を喰らった獣は妖怪になる。そして、人間も獣の一種であるのだから、人間を喰らった人間は妖怪になる。人間を喰らう、鬼にね」
それは、二月の節分のとき。私が子供たちに語った物語だった。
大江山の鬼退治。そのとき、鬼退治に向かったのは――。
「さあ、この条件から萃香ちゃん、貴方の正体を絞り込めるわ。まず、酒呑童子と関わりがあり、人間の肉を喰らった人間。つまり、大江山の鬼退治に参加した六人の人間のひとりということになる。源頼光、渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光、藤原保昌。
そして、貴方が四天王を名乗ったのが、その呼び名への愛着からだとすれば、貴方の正体は頼光四天王の誰か。渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光の四人に絞れる。
――最後に、貴方がそんな幼い姿をしている理由が、人間のときからのイメージに依拠するものだとすれば。――この四人の中で、幼い頃の姿が、この幻想郷でもおとぎ話としてあまりにも有名な人物が、ひとりいるわ」
そして蓮子は、いたずらっぽく笑って、その名前を告げた。
それが本当に真実だったのかどうかは、私には判断のしようもないけれど。
私はここに、その名前を記そう。貴方がそれを信じるかどうかは、貴方次第である。
「萃香ちゃん。貴方の本当の名前は、坂田金時。――足柄山の金太郎なんだわ」
そして翌日、九回目の宴会が博麗神社で開かれた。
相変わらずの面々が揃っていたけれど、さすがに皆、どことなく疲労の色を滲ませていた。私も正直、もともとお酒に強くないのに三日に一回酔うまで呑むのはしんどいので、ここ最近はちびちびと嘗めるだけで誤魔化している。うわばみの相棒は相変わらず、かぱかぱと調子良く盃を干しているのだけれど。
ただ、ひとつ変わった点があるとすれば――。
「あーもう、何なのよあいつ」
霊夢さんが、妙に不機嫌な顔で盃を傾けているということだった。
「お、どうした霊夢。珍しく荒れてんなあ。野良妖怪に不意打ちでも喰らったか?」
「不意打ちならまだいいわよ、正面からボコボコにしてやればいいんだから」
「おん? ――ははあ」
ふくれっ面の霊夢さんに、魔理沙さんが何かを察した様子でにやりと笑う。しかし、すぐに、我に返ったように、魔理沙さんは目をしばたたかせた。
「霊夢、お前もようやくアイツに気付いたのか?」
「は? ――何よ魔理沙、どういう意味?」
「だから、ここんとこ濃くなってる妖気の正体だよ。見つけたんだろ?」
「なに、魔理沙、あんたアイツのこともう知ってたの?」
「ああ、前々回の宴会の前にな。まあ、負けたんだけどよ――ってことは霊夢、お前も負けたのか?」
目を丸くして詰め寄る魔理沙さんに、霊夢さんは口を尖らせる。
「えーそーよ、負けたわ、負けましたとも。何なのよアイツ」
「はあ――異変の主に霊夢が負けることもあるんだなあ」
「さあ、これ異変なのかしらね」
しれっと言い放った霊夢さんに、魔理沙さんが肩を竦め、私たちを振り返った。
「なあ、蓮子。異変解決が仕事の博麗の巫女でも異変の主に負けることがあるのか、それとも霊夢が負けた場合は異変にはならないのか、どっちなんだ?」
「私に聞かれてもねえ。異変の定義をめぐる鶏と卵の議論になるわね、それ」
「ややこしい話だなあ。――というか、お前らもひょっとしてアイツのこと知ってたのか?」
「萃香ちゃんのことでしょう? たぶんこの中では一番最初に」
「へえ。アリスの奴もアイツがなんか仕組んでたって気付いたから来なくなったんだろうが、わりとみんなもう気付いてたのか?」
「少なくとも、我々紅魔館は全員既に彼女に出逢いましたわ」
そう答えたのは咲夜さんだった。料理を運んで来た彼女は、あくまで瀟洒に微笑んでいる。
「なんだ、お前もパチュリーもお嬢様もアイツに負けたのか」
「お恥ずかしながら」
「てことは、みょん子も気付いてんだろうなあ。アイツそんな状況でいつまで隠れてる気だ?」
「幹事が呼んでみれば? そろそろ萃香ちゃんも混ざりたい頃だと思うけど」
蓮子がそんなことを言い、「お、そうだな」と魔理沙さんが立ち上がる。
そして両手をメガホンのようにして、夜空に向けて叫んだ。
「鬼はー、内ー!」
――次の瞬間、上空を漂っていた妖霧がさざめいて、一箇所に萃まりだす。
高まる妖気は徐々に小さな姿にまとまっていき――そして、彼女は唐突に、宴会の中心に姿を現した。
「やややっ、呼ばれて飛び出て~っと。みんなぁ、愉しくやってるぅ?」
幼い顔を酒精に赤く染めて、ゆらゆらと上体を揺らしながら、伊吹萃香さんは手にした瓢箪を掲げてそう声を張り上げた。――瞬間、宴会参加者たちに緊張が走る。
レミリア嬢が獰猛な笑みを浮かべて立ち上がった。パチュリーさんが傍らの炒り豆を掴んだ。妖夢さんが腰の刀に手を掛け、膝立ちになった。幽々子さんは脳天気な笑みのままお団子を頬張り、咲夜さんは無表情にレミリア嬢の傍に控え、――霊夢さんは黙って盃を傾けている。
「おおう、剣呑?」
「まあ待て待て。今は宴会だ、こんなところで弾幕ごっこは無粋ってもんだぜ」
獰猛な笑みを浮かべた萃香さんと皆の間に、魔理沙さんが割って入る。レミリア嬢もパチュリーさんも、妖夢さんもそれで矛を収めたようにもう一度腰を下ろした。
「てことは、みんなもうコイツのことは知ってるわけだ。ようやく本当の幹事が現れたところで、もう一度乾杯といこうぜ。弾幕ごっこの遺恨は宴会で水に流すのが幻想郷の流儀ってやつだ。皆それでいいだろ?」
反論の声があがらないのを確かめて、魔理沙さんは盃を高く持ち上げる。
「んじゃ、――えーとなんだっけ?」
「伊吹萃香。鬼だよ」
「だそうだ。コイツが何をやろうとしてたのかは知らんが、幻想郷で鬼なんて珍種を見つけた記念ってことで、かんぱーい!」
魔理沙さんがそう盃を掲げたときの、萃香さんの表情は、よく憶えている。
愉しそうな、だけど少し寂しそうな、戸惑っているような――そんな、困り顔だったから。
――あらゆる意味で、この〝三日置きの百鬼夜行〟異変に区切りをつけたのは、魔理沙さんのその言葉だったのだろう。このあと、宴会の頻度は徐々に下がっていき、やがて自然に宴会は開かれなくなった。それは即ち、萃香さんの目的は成就されたということだった。
そして、このときの、萃香さんを交えたこの後の宴会の模様については、特に記すべきことはない。萃香さんという新顔が場を引っかき回しただけで、いつも通りの宴会だったから。
だから――私がここで記すべきは、この宴会の終わりに。
相棒が、萃香さんと交わした会話のことになる。
夜もとっぷりと暮れる頃、宴会は自然に解散ムードになった。
咲夜さんと妖夢さんが後片付けに走り、萃香さんとの飲み比べに負けて寝入ったお嬢様にパチュリーさんが膝を貸し、霊夢さんが眠そうに目を擦り、魔理沙さんは大の字になっていた。
――そんな、宴の後の寂寥の中で。
いつの間にかひとり、静かに盃を傾けていた萃香さんに、私たちは歩み寄った。
「おん? ああ、あんたたちか。飲み足りないからもうちょっと付き合ってよ」
瓢箪を振って、萃香さんはからからと笑う。蓮子は「それも魅力的な提案だけど――」と苦笑して、それから萃香さんの前に腰を下ろした。
「萃香ちゃん。貴方にいくつか、確認したいことがあるの。お酒に付き合うから、ちょっと私の話を聞いてくれる?」
「うん? なにさ、改まって」
萃香さんは、残っていた人間用の徳利から蓮子の盃に酒を注ぐ。それを一息に飲み干して、蓮子は目を細めて萃香さんを見つめた。
「貴方が、この宴会騒ぎを起こした理由について」
その言葉に、萃香さんはきょとんと目を見開き――それから、大口を開けて笑った。
「そりゃあんた、話が逆じゃん。私がこの宴会を起こした理由を、なんであんたの口から聞かないといけないのさ。それに、前に言わなかったっけ? 宴会がしたかったからだって」
「ええ、そうね。だけど、それが理由の全てでもない。そうでしょう?」
「――ふうん? 私にどんな目的があったっていうのさ?」
試すように、萃香さんは蓮子を見つめた。蓮子は帽子の庇を持ち上げ、にやりと笑う。
「たとえば――地底に封印された仲間を、幻想郷に呼び戻し、鬼の天下を取り戻すとか」
その言葉に、萃香さんは――吹き出すように笑った。
「はっはっは、ばれちゃあ仕方ない。その通りだよ。封印されたとか、鬼の天下は言いすぎだけどね。宴会が増えれば、引きこもっちまった仲間が戻ってくると思ったのさ。みんなが戻ってくれば、毎晩が百鬼夜行だからね――」
そう、どこまでもあっけらかんと笑う彼女の顔には――けれど、どこか寂しさの陰がある。孤独の色が、染みついている。
それを見透かすように萃香さんを見つめた蓮子は、ただ「――成る程」と頷いた。
「その答えが聞きたかったの、萃香ちゃん」
「うん?」
そして蓮子は、その問いをぶつける。この異変の真実の姿を示す一言を。
「萃香ちゃん。――貴方、人間なんでしょう?」
―20―
萃香さんの笑みが、消えた。蓮子は重ねて、「話、聞いて貰えるかしら?」と問うた。
「――聞くだけならね」
硬い声で答えた萃香さんに頷いて、蓮子は盃に新しい酒を注ぎながら続ける。
「貴方と出逢ってから、私たち、幻想郷の鬼について色々調べたのよ。妖怪の山に行ったりしてね。――そして、調べれば調べるほど、何もかもが噛み合わないことに気付いたの」
「噛み合わない?」
「まず、貴方が伊吹萃香――伊吹山で生まれた酒呑童子を思わせる名前を名乗ったこと。山で、貴方は星熊様という鬼と一緒に、四天王と呼ばれていたらしいこと。人間の畏れを必要とするはずの妖怪である鬼が、幻想郷を捨ててどこかへ消えてしまったこと。それなのに貴方だけが突然幻想郷に現れ、宴会を繰り返し起こさせたこと。――そして、鬼が幻想郷から消えた本当の理由を誰も知らず、人間に裏切られたのだろうという推測だけが流布していること」
指折り数え、蓮子は盃を傾ける。
「これらの事実をひとつひとつ検証していくと、どうもこうもちぐはぐで噛み合わないの。まず第一に、萃香ちゃん、貴方は本物の酒呑童子なのか。――女の子の姿をしているのは、この際敢えて問わないけれど、それを抜きにしても、貴方が酒呑童子本人だとすると、決定的な不自然がひとつある」
「――なんだい?」
「貴方が星熊童子と一緒に四天王を名乗っていたことよ。貴方が酒呑童子なら、星熊童子を含む四天王は貴方の部下にすぎないはず。どうして酒呑童子本人ともあろう者が、部下と同じ立場になってしまっているのかしら? 貴方が本当に酒呑童子本人ならば、貴方は山の鬼の首領でなければならないはず。星熊と名乗る鬼は、貴方の部下以外寡聞にして存じ上げないしね」
萃香さんは苦笑するように、酒臭い息をひとつ吐いた。
「――私は、自分が酒呑童子だなんて一言も言った覚えはないよ?」
「ええ、その通り。貴方はただ、酒呑童子の生まれた地である伊吹の名前を名乗っただけ。それはこっちが勝手に誤解しただけだから、鬼として嘘をついたうちに入らないのかしら?」
萃香さんは答えない。蓮子は構わず、さらに言葉を連ねる。
「それにもうひとつ、貴方が仮に酒呑童子だとした場合、この幻想郷から鬼が消えた理由として流布している説もおかしいということになるわ」
「ほん?」
「幻想郷から鬼が完全に消えたのは博麗大結界の成立の頃。今からたった百二十年前の話になる。逆に言えば、それまで幻想郷には鬼がいて、人間が鬼退治をしていた、ということ。一方、源頼光による大江山の鬼退治は千年前。だとすれば、幻想郷にいた酒呑童子は、既に源頼光たちに一度だまし討ちを受けたあとの鬼たちであることになるわ。一度人間の卑怯さを知ってしまった鬼が、改めてさらに人間に失望するような大きな出来事があったなら、人間側にそれらしい記録が残っていないのはどう考えても不自然でしょう。大江山の鬼退治に匹敵する大戦果として、人間の里で語り継がれているべきだわ」
「…………」
「つまり、幻想郷から鬼が消えたのは、今更改めて人間に失望したなんて理由ではない。人間の卑怯さを知って、それでも人間と鬼退治の関係を結んでいた鬼が幻想郷を捨てるとすれば、おそらくこの幻想郷という世界そのものに関わる理由があったんでしょう」
「世界そのものに関わる理由、ね」
「ええ。――最初、私はそれは、妖怪の賢者による鬼の封印だと考えたわ。幻想郷が大結界で閉ざされ、人間の出入りがなくなったから、鬼を野放しにしておいたらうっかり加減を間違えて幻想郷の人間を滅ぼしてしまうかもしれない。それを防ぐために、その他の危険な妖怪と一緒に、妖怪の賢者が鬼を地底に封印した――」
そこで一度言葉を切り、蓮子は萃香さんを見つめる。萃香さんは何も応えない。
「……でも、この考えもやっぱり噛み合わない。まず、鬼が力尽くで封印されたのなら、萃香ちゃん、貴方の存在と、貴方の起こしたこの異変を、妖怪の賢者がいつまでも放っておくはずがない。貴方の目的がどうあれ、鬼が幻想郷に残っているということ自体が問題になるはずだものね。でも貴方の起こす宴会を、妖怪の賢者は止めなかった。――だとすれば、前提が間違っているんだわ。鬼は封印されたんじゃない。やはり自らの意志で地底に去った。そして、自らの意志で地底に留まっている。――何のために? それは、地底に危険な妖怪を萃めて管理するという役目を、妖怪の賢者から与えられたからじゃないのかしら?」
「――――」
「つまり鬼は、妖怪の賢者に協力して、博麗大結界の成立に一役買った。地上と地底の相互不可侵の決まりが結ばれたというのも、妖怪の賢者と鬼が通じていたとすればすんなり説明がつくわ。鬼は地底で、危険な妖怪の見張りをしている。地獄の門番のようにね。――さて、萃香ちゃん。だとすれば貴方はなぜ、その役目を離れて地上に現れたのかしら?」
萃香さんは無言で瓢箪に口をつけ、中の酒を、喉を鳴らして飲み下す。
蓮子はその姿に目を細め、「そこで疑問は最初に戻るのよ」と続けた。
「貴方はどうやら本物の酒呑童子ではなさそうだ。では、なぜ酒呑童子を思わせる名を名乗ったのか? また、貴方の名前は貴方を直接知らないという河童でも知っていた。同じ四天王である星熊様という鬼と一緒にね。酒呑童子を思わせる名を名乗りながら、部下のはずの星熊童子と同格扱いの四天王として広く名を知られるという矛盾。このちぐはぐな状況は何を示しているのか。――そこで、話は今回の異変になるわけ」
盃に新たな酒を注いで、蓮子は萃香さんを見つめた。
「萃香ちゃん。貴方は自分の力で宴会を起こしながら、そこに混ざるわけでもなく、霧になって見ているだけだった。けれど、魔理沙ちゃんも咲夜さんもパチュリーさんもレミリア嬢も、そして霊夢ちゃんも、みんな徐々に貴方の存在に行き着いていった。貴方という存在を途中から認識し始めた。おそらくアリスさんや妖夢さん、幽々子お嬢様もね。
そして、宴会が重なるごとに――貴方が誰かに見つかるごとに、貴方の妖気は強くなった」
蓮子がそこで言葉を切り、――私は、蓮子が何を言おうとしているのかを理解した。
つまり、この異変の、彼女の本当の目的は――。
「萃香ちゃん。貴方はそのためにこの異変を起こしたんでしょう?
自分を鬼だと知らしめるために。皆に、自分が鬼だと認識してもらうために。
――そうしないと、自分がやがて鬼ではなくなってしまうから」
萃香さんは、ただ沈黙だけを返していた。
―21―
「そう、萃香ちゃん。貴方の正体が鬼ではないとすれば、この異変の全ての辻褄が合うの。貴方の目的は、もう一度伊吹萃香の名前が鬼として周知されることで、自分自身が本当の意味で鬼という種族になること――この幻想郷では認識が何よりも力を持つ。貴方が鬼であるという認識が幻想郷全体に広まれば、貴方は本当の意味で鬼になれる。だから貴方は地底を抜け出してきたのでしょう? 地底の仲間は、きっと貴方の正体を知っているから。だから地底では、貴方は決して本当の意味で鬼にはなれなかった。貴方が鬼になりきるには、鬼の存在が一度忘れられ、貴方の正体がバレる心配のない幻想郷に戻るしかなかった」
「――よくもまあ、そこまでこの伊吹萃香に対して失礼を重ねられるもんだね。逆に怒る気も失せるよ」
「あら、じゃあ失礼ついでにもう少しだけ私の想像に付き合って頂戴。酒の肴にね」
「ふうん。――まさか、私の正体まで見当がついてるっていうの?」
「ええ、もちろん」
据わった目で睨む萃香さんに、蓮子はどこまでも飄々と、猫のように笑った。
「そう、貴方の正体が鬼でないとすれば、鬼たちが幻想郷を離れて地底に移ることを承知したのも説明がつくの。妖怪は人間に畏れられなければ存在を維持できない。だから幻想郷には人間が暮らしていて、保護されている。――貴方たち鬼も幻想郷にいたということは、その理からは逃れられないとすれば。地底には人間が必要だった。
そしてこの世界が、認識の力による世界だとすれば――元人間の鬼を、純血の鬼が人間と見なせば、鬼と人間の関係が鬼同士の間で成立するんじゃないかしら?」
「――――――」
「だから萃香ちゃん、貴方は本当の鬼になりたかったのでしょう。鬼のはずなのに、地底では元人間として鬼扱いされないという現実を、貴方はなんとかしたかった。自分は鬼だという認識を、この幻想郷に広めることで、完全な意味での鬼になろうとした。――この異変は、貴方がそのために、自分を知ってもらうために仕組んだ異変。だから会場が博麗神社だったのでしょう。何より妖怪を退治する存在、博麗の巫女に認知されることが大切だったから。
――でも、だとしたら霊夢さんに負けて、しっかりこの宴会騒ぎを異変として終わらせるべきだったんじゃないかとは思うんだけど。そうすれば阿求さんの『幻想郷縁起』にも、異変を起こした鬼として掲載されて、貴方が鬼であるという認識は完全に確定したんじゃないかと思うんだけどね。
それとも、貴方が地上で鬼として異変を起こしたと、地底の鬼に知られるのが嫌だったから、異変なのかどうか曖昧なままで通そうとしたのかしら?」
「……よくもまあ、そこまでメチャクチャなことを考えたもんだね。ある意味尊敬するよ」
萃香さんは、不意にそう苦笑して、あぐらをかいて瓢箪からまたラッパ飲みする。
「仮に、もし仮にだよ? あんたのそれが正解だったとして、私がそれを認めると思うかい?」
「いいえ、思わないわ。認めちゃったら萃香ちゃん、貴方のしてきたことが無意味になってしまうものね」
「そりゃそうだ。――それならなんで、その妄想を私に聞かせたのさ? 私の機嫌を損ねてくびり殺されるだけだとは思わなかったのかい?」
その幼い顔に、凶暴な笑みが浮かんで、私は蓮子の背後で身を震わせた。人間の敵、幻想郷最強の種族、鬼の笑み。獰猛な、狂気の笑み――。
「そりゃあ、萃香ちゃん。この妄想を、貴方に否定してもらいたかったからよ」
「――――へ?」
きょとんと、萃香さんは目をしばたたかせる。蓮子は笑って、言葉を続けた。
「私がこんな妄想を抱いて、誰かに言いふらしたとしても、貴方がそれを一笑に付して私を論破すれば、私のこの妄想はただの妄想として片付けられるはず。――だから萃香ちゃん、私のこの妄想を否定しうる証拠や論理を、これからでいいから揃えておいた方がいいわ。そうすれば、貴方は本当に、きっと完全な鬼になれるはずだから」
「――――――――変な人間だねえ、本当に」
呆れたように萃香さんはそう呟いて、蓮子から視線を逸らした。
「じゃあ、最後の妄想を披露してもいいかしら?」
「まだあるのかい。もうなんでもいいじゃん」
「まあそう言わずに。――萃香ちゃん、貴方の正体も、私は特定できてるつもりよ」
「……ふうん? 後学までに聞いておこうか」
「ええ。――これまでの推理から、萃香ちゃん、貴方は元人間である。伊吹の名を名乗っているのだから、酒呑童子と何らかの縁がある人物である。鬼となってからわざわざ不自然さを承知の上で四天王を名乗ったということは、その四天王という呼び名に愛着を持っている人間である。――そして、貴方がそんな幼い少女の姿をしているのは、貴方自身が、もともと幼い姿で思い描かれることが多い人間であるから、である」
「…………」
「さて、じゃあその人間はなぜ鬼になってしまったのか。――それは、きちんとこの幻想郷でも、鬼退治伝説の中で物語られているわ。鬼退治に向かったその人間は、鬼を信用させるために、人間の肉を喰らったの。――人間を喰らった獣は妖怪になる。そして、人間も獣の一種であるのだから、人間を喰らった人間は妖怪になる。人間を喰らう、鬼にね」
それは、二月の節分のとき。私が子供たちに語った物語だった。
大江山の鬼退治。そのとき、鬼退治に向かったのは――。
「さあ、この条件から萃香ちゃん、貴方の正体を絞り込めるわ。まず、酒呑童子と関わりがあり、人間の肉を喰らった人間。つまり、大江山の鬼退治に参加した六人の人間のひとりということになる。源頼光、渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光、藤原保昌。
そして、貴方が四天王を名乗ったのが、その呼び名への愛着からだとすれば、貴方の正体は頼光四天王の誰か。渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光の四人に絞れる。
――最後に、貴方がそんな幼い姿をしている理由が、人間のときからのイメージに依拠するものだとすれば。――この四人の中で、幼い頃の姿が、この幻想郷でもおとぎ話としてあまりにも有名な人物が、ひとりいるわ」
そして蓮子は、いたずらっぽく笑って、その名前を告げた。
それが本当に真実だったのかどうかは、私には判断のしようもないけれど。
私はここに、その名前を記そう。貴方がそれを信じるかどうかは、貴方次第である。
「萃香ちゃん。貴方の本当の名前は、坂田金時。――足柄山の金太郎なんだわ」
第3章 萃夢想編 一覧
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まさかここで金時が(°_°)!!
紅魔郷編の時もそうでしたけど、幻想郷において認知の力は歴史で事実を固めるというのは強いものだと改めて感じました。
次回も楽しみにしております。
おおう、これは紅魔郷編の終盤読んだ時に匹敵するサプライズでした。
そう来るかー。
つまり萃香がかつて褌で山に篭ってたと・・・ふぅ
作成お疲れ様です。坂田金時さんと来ましたか~いや、毎度毎度ですけどもかなり難しい推理問題なので答えに辿りつけませんでした