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こちら秘封探偵事務所第3章 萃夢想編   萃夢想編 第4話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第3章 萃夢想編

公開日:2016年02月13日 / 最終更新日:2016年05月13日

萃夢想編 第4話
―10―


 霧の湖へと流れ込む川を遡って、私たちは森の中へと分け入っていた。
「そもそも天狗の里に行くには、途中で崖を登らないといけませんから、空を飛べない人間には明らかに厳しい道です。少なくとも、そんな軽装で行ける場所ではありませんよ」
 先頭を歩く美鈴さんが振り返りながら、眉を寄せて言う。全くもって反論の余地のない言葉に私は首をすくめるしかないが、相棒は悪びれた様子もなく楽しげに周囲を見回している。
 春雪異変のときに、妖怪の山の西側にあったマヨヒガに行ったが、このあたりまで徒歩で来たのは初めてだ。ゆるやかな勾配とともに、川の両側には鬱蒼とした森が広がる。この先は人間の領域ではない、と言いたげな、どこか厳粛さをたたえた静けさと薄暗さ。いわゆる山岳信仰というものも、原始の山の持つ人間を寄せ付けない自然の厳しさが生んだものなのだろう。あらゆる自然が整備された科学世紀には失われた自然の威厳の片鱗のようなものが、目の前に広がっていて、私は正直尻込みするのだけれども。
「お嬢様は、どうして美鈴さんを山へ潜入させたんです?」
 相棒は脳天気に、美鈴さんにそんなことを訊ねている。美鈴さんは小さくため息をついた。
「天狗の記者の取材を受けられたあと、お嬢様が『一方的にこちらのことを知られただけというのも、何か癪ね』と仰られまして……。パチュリー様も『そういえば近所に住んでいるのに、山についてはよく知らないわね、私たち』と。それで、なぜか咲夜さんではなく私の方に白羽の矢が立ちまして、『ちょっと山へ行って天狗について調べてらっしゃい』と」
「ははあ。やっぱりお嬢様の気まぐれですか」
「まあ、お嬢様が無理難題を仰られるのはいつものことですし、私を指名してくださったというのが嬉しくて、その時は勇んで出かけていったんですが」
「酷い目に遭ったと」
「命からがら帰ってきたら、お嬢様はもう天狗への興味を失っておられまして……『あら門番、仕事をサボってどこへ行っていたの?』と……。まあ、私もろくすっぽ天狗については調べられなかったので、文句なんて言えないんですけど」
 たはは、と頭を掻く美鈴さん。それはなんというか、ご愁傷様としか言いようがない。すまじきものは宮仕えという話である。
「具体的に、その時はどういうルートで? 飛んで行かれたんですか?」
「天狗がどこに住んでいるのかも解らなかったので、とりあえずこの川に沿って進みましたね。途中で河童を見かけて、情報収集しようとしたのですが、逃げられてしまって……おまけに厄神様にも遭遇しまして」
「厄神様?」
「はい。厄を瘴気のように纏った、なんとも剣呑な……。あの神様から厄を貰ってしまったんですかねえ。滝まで来たところで哨戒の白狼天狗に見つかって、ひたすら追い回される羽目になりました。どこへ隠れてもすぐ見つかって、刀で追い立てられて。この拳で立ち向かおうにも、命じられたのは潜入調査ですからあまり事を荒立てるわけにもいかず……どうして咲夜さんじゃなくて私だったんですかね。咲夜さんの方が潜入には向いてるはずなんですが……」
 確かに、時間を止められる咲夜さんなら、潜入調査はお手の物だろう。
「それは、大変でしたね……」
「大変でした。うう、メリーさん、解ってくださいますか」
「解ります、すごく」
 私の言葉に、美鈴さんはしみじみと何度も頷く。私は相棒、美鈴さんは主、気ままなな身内に振り回される苦労は身に染みていて、なんだか他人事ではなかった。
 当の蓮子はといえば、「厄神様にも会ってみたいわね」なんて、どこまでも暢気なことを言っている。全く、この相棒には危機感とかそういうものは無いのだろうか。
「呼んだ?」
 ――と、そこへ聞き覚えのない声が割り込む。すっと陽の光が翳り、目の前に広がる森の光景が暗くなった気がした。そして、その暗がりの中から歩み出る影がひとつ。
 鬱蒼とした山裾の森にはあまりに不釣り合いな格好をした少女だった。ゴスロリ風とでも言うのだったか、暗い赤を基調にしたフリルの多いスカートとロングブーツ。緑がかった長い髪を、なぜか顎の下で結んでいる。髪にはこれまたフリルの赤いリボン。陶器のように白い肌は、どこか人形を思わせる。その点、アリスさんとそこはかとなく雰囲気が似ていた。――そんな、この場ではひどく異質な姿の彼女の周囲には、仄暗い瘴気のようなものが漂っている。
 彼女はくるりとリボンを翻して一回転し、それから私たちを見つめて目を見開いた。
「あら、この間の妖怪さん。それに、そっちのふたりは人間かしら? 悪いことは言わないけれど、この先に進むのはあまりおすすめしないわよ」
「これはこれは、厄神様かしら?」
 蓮子が嬉々として、私が止める間もなくその少女に歩み寄る。少女は突然近付いてきた蓮子に、慌てたように数歩後じさった。
「ちょ、ちょっと、私にあまり近付くと――」
「へえ、幻想郷では日本の神様も洋装するの? どちらかというと西洋人形みたいだから、ひょっとして異国の神様? 外国に厄神様っていたかしら?」
「――私は人間の厄を背負う流し雛よ。というか離れて」
「ははあ、流し雛! なるほど、道理でお人形みたいに綺麗なのね。流れ移ろう厄を引き受けて、人間を守ってくれているのかしら? ありがたやー」
「だ、だから離れてってば! 厄が移るから!」
 厄神様は蓮子を突き飛ばすように離れ、よろめいた蓮子は「ああ、これは失礼しました」と帽子を脱いで一礼した。困ったような顔で蓮子を見やる厄神様の白い顔に、今はほのかに朱がさしている。神様も褒められると照れるのだろうか。
「とにかく――この先に進んだら安全を保証できないわ。河童はともかく、天狗は排他的だし、他にも野良妖怪がいるし、人間は素直に里に戻るべきよ。……というか、そこの妖怪さんはどうして人間と一緒にいるの?」
「いや、この方たちの護衛を命じられまして」
「……妖怪が人間の護衛って、貴方たち、何者?」
 目をしばたたかせる厄神様に、蓮子は帽子を被り直して、猫のような笑みを浮かべる。
「これは申し遅れました。《秘封探偵事務所》所長、宇佐見蓮子と申しますわ。あっちは助手のメリー」
「……マエリベリー・ハーンです」
「ひふう、たんてい……?」
「調査活動の一環として、天狗の新聞記者、射命丸文さんに用があるのですが。厄神様は天狗の里と何か繋がりがあったりは」
「しないわ」
「それは残念。――では、妖怪の山に暮らしていたという鬼については何かご存じですか?」
「鬼? さあ……鬼退治に来る人間の相手をしたことはあるけれど、鬼とは特に関わりはないから。どこへ行ったのかも知らないわ」
「そうですか……じゃあ、河童はどうですか?」
「河童? 河童なら……友達がひとりいるけど」
 厄神様の答えに、蓮子がこちらへ向けてぐっと親指を立てた。





―11―


 厄神様は、鍵山雛と名乗った。近付きすぎると厄が移って不幸になるから、という彼女の後を、私たちは少し離れて歩いて行く。
「蓮子、天狗に会いに行くんじゃなかったの?」
「前に射命丸さんに会ったとき、彼女のカメラが河童製品だって聞いたからね。伝手っていうのはこうやって辿っていくのよ」
「はあ」
 確かに、いきなり天狗の里に乗り込むよりは、紹介者を探す方が穏当だろうが。
「私もそうすれば良かったんですかね……」
「まあ、まだ厄神様のお友達が天狗と繋がりがあるかどうかは……」
 頭を掻く美鈴さんに私がそう答えていると、不意に厄神様が足を止め、「にとりー」と川の流れへと手を振った。そちらに視線をやると、水面にぷかりと緑の帽子が浮き上がる。
「あ、雛! やっほー」
 ざぶん、と川の中から顔を出したのは、随分と小柄な少女だった。レミリア嬢や萃香さんとさほど変わらないぐらいの背丈しかない。水色のワンピースに緑のリュックを背負った少女は、長靴をぺたぺたと鳴らしながら厄神様に駆け寄り、それからこちらを振り向いて、
「げげ、人間!?」
 大げさにのけぞった。
「ひ、雛ぁ、なんで人間がこんなところにいるのさ!」
「河童に会いたいって言うから連れてきたんだけど……盟友でしょう?」
「め、盟友だけど! 心の準備ってものが!」
 厄神様の手を掴んでぴょんぴょん跳ねる少女。河童というと緑の身体に水かきのある手足、頭に皿――というテンプレート通りの姿を想像するが、どうやら幻想郷では河童も人間と変わらない姿をとるらしい。
「ハローハロー、こんにちは、河童さんかしら?」
「ひゅい!?」
 蓮子がそう声をかけると、河童らしき少女は怯えたように厄神様の背後に隠れる。
「……妖怪に怖がられるとは思わなかったわ。そういえば河童は人見知りって聞いたような」
「蓮子、件と人魚でも食べたんじゃないの? 鉄骨を振り回す女の子でも探す?」
「今が二〇〇四年なら、まだ外の世界で書かれてない作品の話しないの。せめて芥川龍之介にしなさいよ」
「それじゃ私たちが精神病院の患者になっちゃうじゃない」
「メリーの場合もとから似たようなものじゃない?」
 相棒とはいえここは殴っていいところだと思う。
 そんなことを言い合っていると、厄神様のスカートの影から顔を出した河童の少女が、私たちを交互に見やって威嚇するように唸った。
「に、人間が何の用さ! 河童の技術でも狙ってるの!? やらせはせん、やらせはせんぞー!」
「にとり、落ち着いて。悪い人間じゃない……と思うわ、たぶん」
「むむむ……ん、よく見たら人間ふたりに妖怪ひとり? って、あれ、そこの妖怪って、ひょっとして椛が前に言ってた天狗の里の侵入者?」
「あ、その節はどうもご迷惑を……」
 美鈴さんが頭を掻く。にとりと呼ばれた河童の少女は、「むむむ」と眉を寄せる。
「天狗様へのスパイと人間が手を組んでいったい何を企んでるんだ? 雛ぁ、こいつら絶対怪しいよ、だいたいなんで妖怪と人間が一緒にいるのさ!」
「あー、そのあたりは話すと長くなるから割愛するとして。えーと、にとりちゃん?」
 蓮子が歩み寄ろうとすると、河童の少女は厄神様を引きずるように後じさる。
「谷河童の河城にとりだよ! 雛が人間に優しいからって雛に取り入って何を企んでる!」
「天狗様に会いたいんだけど。新聞記者の射命丸文さん、ご存じない?」
「射命丸? ああ、椛の上司の……って、人間が天狗様に何の用さ! 新聞記事へのクレームなら言っても無駄だよ!」
「いやいや、滅相もない。彼女に訊きたいことがあるだけ」
「訊きたいこと?」
「鬼について、なんだけど」
「ひゅい!? お、鬼退治ならここにはもう鬼はいないよ! どっか行っちゃったもん!」
「うん、それは知ってる。行き先を天狗様なら知らないかなと思って」
「……そんなに強そうに見えないけど、鬼退治の人間?」
 半眼で蓮子を睨む河童の少女。身体は相変わらず厄神様に隠れたままだが。
「そこまで大したものじゃありませんわ。ちょっと鬼の知り合いが出来たもので」
「そんな馬鹿な! 鬼はもう幻想郷にはいないって長老も言ってたのに」
 どうやら少なくとも、この河童の少女は鬼の行方については何も知らないようである。
「でも、実際会ったんだからねえ。偽者でもない限り。伊吹萃香さん、ご存じない?」
「い、伊吹様!? うええ、本当に幻想郷に戻ってきてるの!?」
 のけぞる河童の少女。「ど、どうしよう雛ぁ、大変だよぉ」と少女は厄神様のスカートを引っ張り、厄神様は「私にそんなこと言われても……」と困り顔で首を傾げる。
「むむむ……伊吹様が幻想郷に戻ってるとしたらこれは一大事、河童の里に知らせなきゃ」
「あら、彼女はそんなに偉い鬼なの!」
「山の四天王のひとりだよ! 伊吹様と星熊様っていったら、直接は知らない私でも名前は聞いたことあるぐらい超強い鬼って話でさあ」
 ――星熊? そういえば、酒呑童子の部下の四天王に星熊童子というのがいたはずだが。
「あらら、それはつまり鬼たちの首領クラスってこと? へえ、萃香ちゃんがそうだったんだ」
「蓮子、そんな偉い妖怪をちゃん付けとか、殺されなくて良かったわね」
 私は思わず肩を竦める。萃香さんが心の広い鬼で良かったと改めて思う。
「ちゃ、ちゃん付け? 伊吹様をちゃん付けぇ? ひぇぇ……」
 河童の少女はぶるぶると震え、突然その場に膝をついて「ははぁー」と畏まった。
「い、伊吹様のご友人とはつゆ知らず、数々のご無礼、平にお許しを~~~」
「いや、そんな急に畏まられても」
「伊吹様たちの居場所でしたら天狗様がご存じのはずですので、ごっ、ご案内いたします~」
「はあ」
 突然卑屈になった河童の少女に、私たちはただ顔を見合わせるしかなかった。

 そんなわけで、五人(幻想郷で妖怪や神様を数える単位は、人でいいのだろうか?)になった私たちは、河童の少女――にとりさんの先導で、さらに川を遡っていった。ほどなく見えてきたのは、大きな滝である。瀑布の下から高い崖を見上げて、なるほどこれを登るのは無理ね、と私は息を吐いた。滝壺もかなり深そうだ。落ちたら大変である。
「ああ、そうそう、あのあたりで警備の天狗に見つかったんですよ」
 美鈴さんが滝の上を指さす。どうやらこの滝が、河童の領域と天狗の領域の境界らしい。
「たっ、ただ今友人の天狗様をお呼びしますので~」
 相変わらずへこへこと頭を下げるにとりさんは、滝を見上げて声を張り上げた。
「もみじー! いるー?」
 その声に応えるように、滝の裏に影が浮かび上がる。と、瀑布を突き破るように現れたその影は、中天の太陽を背に私たちへ向けて急降下してきた。――その手に剣を構えて。
「ほわぁ!?」
 狙われたのは美鈴さんだった。彼女が咄嗟に背後に跳んだ直後、白い影の手にした刃が美鈴さんのいた場所を切り裂く。着地した影は顔を上げると、身構えた美鈴さんにその手の刃を突きつけた。左手には紅葉の葉が描かれた小ぶりの盾を手にしている。
 白髪の小柄な少女だった。霊夢さんのように腋を晒した白い上着に、黒と赤のスカート。その頭部には犬らしきふさふさとした耳、お尻にはこれまたふさふさの白い尻尾が生えている。頭に乗せた頭襟は、射命丸さんと同じく彼女も天狗であることを示しているのだろう。
「性懲りもなくまた来たのか。今度は容赦しないぞ」
「ちょ、待――」
「問答無用!」
 天狗の少女は地を蹴って、手にした刀を振りかぶる。横薙ぎの鋭い斬撃をバックステップでかわした美鈴さんは、返す刀を「ホアチャ!」との掛け声とともに、裏拳で打ち払った。天狗の少女が体勢を崩したところに詰め寄り、その腹部に膝蹴りを入れる!
 がつん、と硬い音がして、美鈴さんが痛そうに顔を歪めた。天狗の少女は左手の盾で腹部をガードしていたのだ。反動でふたりとも飛びしさり、体勢を立て直す。まるでアクション映画のような一瞬の交錯だったが――いやいや、今は何も戦いに来たのではない。
「はいはい椛、そこまでそこまで! ストップ!」
 と、そこへにとりさんが割って入る。椛と呼ばれた天狗の少女は、拍子抜けしたような顔でにとりさんと美鈴さんを見比べて、「……にとりの知り合い?」と訊ねた。
「いや、初対面なんだけどさ」
「なら、邪魔しないで欲しい。そこの妖怪は前にも天狗の領域に侵入しようとした前科があって、麓の館とともに要警戒対象だ」
「それはちょっと置いといて、話がややこしいから」
「単純だ。そこの妖怪を斬ればいい」
「いやいや待った待った! 今日の私はここのおふたりの護衛ですから!」
 剣を突きつけられ、美鈴さんは両手をホールドアップして敵意がないことを示す。
「護衛? そうだ、その人間は何者?」
 と、椛さんが私たちを不審げにじろじろと見つめる。にとりさんが背伸びして耳打ちした。
「……伊吹様のご友人だって」
「はっ!? 人間が? まさか……だいたい伊吹様たちは、とうの昔に地底に……」
「事実だとすると、伊吹様がこっちに戻ってきてるかもしんないんだよ。で、向こうは伊吹様たち鬼について知りたいから、あの記者の天狗に会わせろって。ほら、椛の上司の」
「文さんに? いや、直接の上司じゃないんだけど」
「椛、会う段取りつけてあげられない? 伊吹様のご友人だって言うからさあ、無碍にできないじゃん」
「……そうは言っても、文さんはいつもあちこち飛び回ってるから、捕まるかどうか」
「そこはほら、椛の眼で見つけて、なんとかこう。お願い!」
 手を合わせて拝むにとりさんに、椛さんは肩を竦めて私たちに向き直る。
「なんだか話がよく解らないけど、ともかく私の一存で人間を天狗の里に入れるわけにはいかない。文さんに用があるなら、会うのは里の外でにしてほしい」
「ははあ。了解いたしましたわ。ところで――」
 と、またしても遠慮なく歩み寄るのは当然、無鉄砲が服を着て歩く我が相棒である。
「こちらも名乗りもせず失礼いたしましたわ。人間の里の宇佐見蓮子と申します」
「……白狼天狗の犬走椛だ」
 やっぱり犬なのか、と一瞬思ったが、白狼天狗ということは狼か。犬なのか狼なのかはっきりしてほしい。
「射命丸さんに会いたいのは、知り合いの天狗が彼女ぐらいだったからでして。私たちの知りたい情報をご存じでしたら椛さん、貴方でも構わないのですけど」
「……伊吹様たちについて?」
「ええ。かつて妖怪の山にいたという鬼について。何かご存じないかしら?」
「そう言われても……」
「たとえば、鬼は山を去ってどこへ行ったのか。さっき、地底とかなんとか言ってませんでしたかしらん?」
「……耳聡いな」
 椛さんは顔をしかめて、それからひとつ息を吐く。
「私も詳しくは知らない。ただ、鬼はもう百年以上前に、全員が地底に移住したと聞いている」
「地底、というと、この幻想郷の地下に?」
「そこに鬼の国を作って楽しくやっている……という噂程度しか、私は知らない」
「ははあ!」
 蓮子は楽しげに手を叩くと、私へ手招きした。私が近寄ると、相棒は私の手を取って「地底だって! 鬼の地下帝国よ!」と興奮したように言った。
「消えた鬼の姿を追って、洞窟の奥深く、忘れ去られた鬼の都を目指す! うーん、古き良き秘境冒険小説、宝探し映画、ロールプレイングゲームって感じがしない? これこそ世界が調べ尽くされた科学世紀には失われたロマンだわ!」
「インディー・ジョーンズ? それとも乱歩の『孤島の鬼』? 横溝の『八つ墓村』? というか、私たち別に宝探ししてるわけじゃないでしょ」
「私たち秘封倶楽部にとって、世界の秘密こそが何物にも替えがたい宝じゃない!」
 ああ、完全にスイッチが入ってしまっている。これはもう止めようがない。
 蓮子は好奇心に目を輝かせて、椛さんに詰め寄る。
「その地底への入口はどこにあるんです?」
「いや、そんなこと言われても――」
 のけぞる椛さんに、蓮子は「そう言わず、ご存じなら是非」とさらに身を乗り出し――。
 そこへ、唐突に眩い人工的な光が瞬いた。――カメラのフラッシュ?
 私たちが驚いて振り向くと――近くの樹の上に、悠然と腰掛けた黒い影がある。
「あやややや、何やら滝のあたりが賑やかだと思ったら、いつぞやの探偵事務所のおふたりに、紅魔館の門番さん、河童に厄神様まで揃って、いったい何事かしら?」
 ひらりとその場に舞い降りた射命丸文さんは、不敵な笑みを浮かべてこちらを見つめた。





―12―


「ああ、射命丸さん! 探しましたよ!」
「おおっと――さっきから聞こえてきた限りですと、いささか不穏な話をして、不穏な企みを抱いているようですねえ、探偵事務所の所長さん」
 駆け寄ろうとした蓮子に、射命丸さんは手にしていた万年筆をびしりと突きつけた。さすがの蓮子も、その場に射止められたように固まる。
「山の四天王、伊吹様が幻想郷に戻られているとか――? 是非、詳しく伺いたいですが。先日はそういえばろくに取材させてもらえませんでしたしね」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてませんから! この射命丸文、取材対象に逆取材されるとはまさに一生の不覚、今回はそのリベンジと参りましょう。伊吹様とどちらでお会いになられたのです?」
「おっと――それは残念ながら明かせませんわ」
「あや?」
 いきなり質問を切り捨てた相棒に、射命丸さんは顔をしかめる。
「彼女はどうも、他人に居場所を知られたくないようでしたので。そちらの河城嬢も、随分と鬼を畏れている様子。あまり大騒ぎになっては私たちが告げ口したようで気が引けますわ」
「あやや、そんなことを言って言い逃れようとしても無駄ですよ。あまり強情なようなら強硬手段も辞しません。人間相手とはいえやりようはいくらでもあるのですよ?」
「痛いことは勘弁してほしいですわ。というか、彼女の言質を取ったわけではありませんが、山に戻るために幻想郷に来ているようではなさそうでしたよ。なので、あまり騒がず様子を見るのが無難かと存じますわ。射命丸さん、貴方たち天狗も、不用意に騒ぎ立てて鬼の怒りを買うのは本意ではないのでは?」
「むむむ……それはそうですが、様子を見るにもまず居所を知らないことには。だいいち、人間からの伝聞情報では信用を置くには足りませんね。やはり本人に直接取材しないことには。そのためにはやはり居所を知らねばなりません。だから吐きなさい」
「呼べば現れるかもしれませんよ?」
「あやややや、ここでそんなことをしたら里の重鎮から大目玉です。――宇佐見蓮子さんでしたね、今現在の居所を知っているわけではないのですね?」
「ええまあ、そこまでは。射命丸さんがその最速の翼で探し出すのがいいのではないですか。彼女が幻想郷に来ていること自体の口止めはされませんでしたから。それとも、天狗の情報収集力程度では隠れた鬼は見つけられませんか?」
「――いいでしょう、では自力で見つけることとしましょう」
 腰に手を当てて、射命丸さんは息を吐く。蓮子は帽子の庇を持ち上げて笑った。
「それでこそ新聞記者ですわ。――ところで射命丸さん、私たちも貴方に聞きたいことがあったんですよ。幻想郷を去った鬼がどこへ行ったのか――」
「そう、さっきから聞いていればその話です!」
 と、蓮子の言葉を遮って、射命丸さんが声を張り上げた。
「さすがに、地底に行こうなどという不穏当な発言は看過しかねますね、天狗として」
「あらら、何かまずいことでも?」
「――仕方ありませんね。警告しておかなければ貴方たちが何を企むか解りませんから、教えましょう」
 射命丸さんはため息をついて、カメラを持っていた手に、今度はイチョウの葉の形をした扇を取りだし、それで地面を指し示しました。
「さっき、そこの迂闊な下っ端哨戒天狗が口を滑らせたように、鬼はこの幻想郷の地下、旧地獄に移り住んだと言われています」
「旧地獄?」
 そういえば、萃香さんが「鬼はかつて地獄だったところに住んでいる」と言っていたような。
「ええ。地獄がスリム化する際に切り捨てられた区域。広大な旧都が、この幻想郷の地下に広がっていると言います。私自身が直接この目で確かめたわけではありませんが。山を去った鬼は、廃墟となるはずだったそこに自らの楽園を築き、楽しく暮らしているそうですが――それだけではありません」
「というと?」
「鬼が移り住んで以降、地底には他にも地上で嫌われた妖怪や、平和になった地上に飽き足りなくなった荒くれ者の妖怪たちが移り住んでいったのです。そうして、地底には強力な妖怪たちが一大勢力を築くことになりました。それを懸念した妖怪の賢者により、博麗大結界による隔離とともに、地底と地上の間には相互不可侵条約が結ばれたのです」
「相互不可侵条約、ですか」
「そう。地上は地底に干渉しないから、地底から地上にも出てくるな、ということですね。幻想郷の平穏を守るために必要な措置だったということです」
 ――それはつまり、厄介者をまとめて幻想郷から隔離したということではないのか?
 傍から聞いていればそういう意味にしか取れないのだが、私が口を挟む隙はない。
「なので、貴方たちが地底に行こうなどと言い出すならば、私は立場上それを止めねばなりません。こちらから不可侵条約を破って、うっかり鬼にこちらへ戻って来る口実を与えてしまっては天狗としても大問題なのです。妖怪の賢者にも睨まれることになりますし」
「ははあ……なるほど。しかし、そうすると萃香ちゃ……いや、伊吹萃香さんはその不可侵条約を破って勝手に出てきたということですかね」
「さて――鬼の四天王クラスとなると、妖怪の賢者とも懇意でしょうから、そのあたりは何か事情があるのかもしれません」
「それこそ、妖怪の賢者との話し合いのために地上に出てきた、とも考えられますね」
「――そうですねえ。あやや、地上と地底の関係に何か異変が? フムン、やはり直接伊吹様か妖怪の賢者を取材するしかなさそうですねえ」
 万年筆の尻でこめかみを掻きながら射命丸さんは呟く。
「ところで、射命丸さん」
「あやや?」
「鬼がなぜ幻想郷を去ったのか、その事情については何かご存じありませんかしら?」
「――さて、どうせ人間が鬼の機嫌を損ねるようなことをしたのでしょう」
 人間である私たちに、どこかあざけるような視線を向けて、それから射命丸さんは不意にその背中に黒い翼を広げて、ばさりとはためかせた。
「あやや、こちらからは以上です。探偵さん、好奇心旺盛なのは記者として共感しますが、世の中迂闊に首を突っ込まない方が良いこともあるのですよ」
「肝に銘じておきますわ」
 爽やかな笑顔で相棒は、絶対嘘だと言い切れることをいけしゃあしゃあと口にする。それに肩を竦めながら、射命丸さんはふわりと宙に浮き上がる。
「では、私は取材に行きますので、これで。――ああ、そうだ、椛」
「何ですか」
「もし伊吹様を見つけたら、私にだけこっそり教えなさい」
「――こちらにそんな義理はありません」
「あやや、上司にそんな口を聞いていいのかしら?」
「文さんを直接の上司に持った記憶はありません」
「冷たいわねえ。そこの将棋仲間の河童にするように優しくしてくれてもいいじゃない」
「文さんが自分の友達であった記憶はなおさらありません」
「あやややや。鴉天狗に対する畏敬の念が足りないんだから」
 ぶつくさとそんなことを言いながら、飛び去って行く射命丸さんを、椛さんは眉間に皺を寄せて見送っていた。どうもこの二人、あまり仲が良く無さそうである。
「……で、どうするの、蓮子」
 私は相棒に駆け寄る。まさかこっそり地底に行こう、などと言い出すのではないかと懸念していたが――帽子の庇を弄っていた相棒は、「そうね」と傾き始めた陽光を見上げて呟いた。
「そろそろ戻らないと陽が暮れちゃうかもしれないし、今日は帰りましょうか」
「……あら、珍しく素直じゃない。どうしたの?」
「ちょっと、色々考えをまとめたいのよ」
 帽子を目深に被り直した相棒は、どこか思案げにそんなことを言った。
 その目が何を視て、その頭脳がどんな〝真実〟を見出しているのか――もちろん私には、この時点でそんなことは想像もつくはずがなかったのだけれど。

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この小説へのコメント

  1. 厄神に河童に白狼天狗と一気に山の妖怪達が出てきて賑やかになりましたね。目に浮かぶような光景でした。
    次回も楽しみにしております。

  2. メリーはきっとどこかのタイミングで
    椛の尻尾をモフモフしそうww

  3. 作成お疲れ様です~萃夢想にまさか風神録のキャラが登場するとは思ってもいませんでした。妖怪の山っていう事で三名(椛・にとり・文)の登場は予想出来たのですが雛の登場は驚きでした。

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