―13―
幻想郷で生きるということは、極論すれば、妖怪について知ることである。
里の外に一歩出るだけで、そこは人間の領域ではなくなる世界。里は安全であるというが、逆に言えば里以外は安全ではないということ。原始的な自然への畏れが、妖怪という具体的な形を伴い、人間の行動を束縛する世界。それがこの幻想郷だ。
だとすれば、妖怪退治を生業とする者でなくとも、我が身を守るために、妖怪についての最低限の情報収集が欠かせない。
稗田家の阿礼乙女が代々編纂し続けてきたという妖怪情報の書『幻想郷縁起』は、そのような理由で書き継がれてきたものであるという。昔に比べて幻想郷が平和になった現在では実用書としての役割は薄れ、面白妖怪読み物になっていくだろうと阿求さんは言うが、縁起とはそもそも故事来歴のこと。妖怪情報の書に『縁起』のタイトルがつくことは、幻想郷という世界があくまで妖怪中心の世界であることを示していると言えるだろう。
「一年暮らして、改めて思ったのですが――」
さて、あの短いサークル活動から二日後。三度目の宴会があり、やはり特に理由もない宴会に皆が集まっていた。その翌日、私たちは稗田邸を訪れていた。妖怪の山(正確にはその麓)探検から三日間、何事かを考え続けていた相棒は、例によって突然「阿求さんに会いに行くわよ」と言いだし、私を引っ張り出したのである。
そんなわけで私たちは今、広大な稗田邸の一室で阿求さんと紅茶を飲んでいる。
「この幻想郷という世界のシステムは、実によく出来ていると思います。考えれば考えるほどに――ただしそれは、妖怪にとって、という意味ですが。もちろんそれが、ひいては人間にとってもよく出来たシステムであるから、こうして平和が保たれているのでしょうが」
蓮子のその言葉に、阿求さんは紅茶に口をつけながら、軽く眉を持ち上げた。
「というと?」
「最も肝心なのは、人間が食物連鎖の頂点ではない――という点ですね」
「外の世界では、人間を喰らいうる生物は全て駆逐されたのですか?」
「いえ、もちろん人間に危害を加える力を持つ獣は多々存在しますが、人間とそれらの獣の生活圏はほぼ厳密に区切られています。ですので、自らの意志でその獣の領域に入らない限り、その脅威に脅かされることはありませんし、普通に生活していれば、獣の領域に足を踏み入れることもありません。ですので外の世界の、少なくとも日本においては、人間は外敵の脅威を強く意識することはありません。
しかし、幻想郷は違う。人間の安全区域は狭く、博麗神社に行くにも、あるいは湖に釣りに行くにも、魔法の森近くの香霖堂に行くにも、ある程度のリスクを負って行動しなければならない。人々はそのリスクの存在を常に、無意識のレベルで刷り込まれている。外の世界で夜道に気をつけるというようなレベルの話ではなく。この世界の人々は、自分が生物的に弱者であることを知っている」
阿求さんは答えず、蓮子を見つめた。蓮子はここまでの話に反論がないことを確かめてひとつ頷き、切り込むように阿求さんへ身を乗り出した。
「そして、その畏れこそが妖怪の力の源なのでしたね。ここは、外の世界でその存在を信じられなくなり、忘れられた妖怪たちのために作られた楽園。だとすれば、この幻想郷に暮らしている人々は、妖怪のために敢えて生かされているだけの存在に過ぎない。だからこうして、人間の里という限られた範囲内に寄り集まって、保護されている」
「――仰る通りです。それが、この幻想郷の理」
阿求さんの答えに、蓮子は満足げに頷く。
「このシステムを知ったとき、いくつかの疑問は浮かんだんですよ」
「疑問というと?」
「端的に言えば、妖怪全てをしっかりと統率できるのか、という問題です。これまで各方面から話を聞いたり、自ら幻想郷とその周辺を見て回った限りでも、妖怪は各自が気ままに生きていて、統一された意思のもと動いているとは思われない。そんな妖怪が、なぜ人間を喰らい尽くさずにいられるのか」
「――そんなことをすれば、やがて自らが飢えることが解っているからでしょう」
「仰る通りです。理性的な、賢い妖怪であれば当然その理は把握していることでしょう。しかし、何事にも例外はつきものですし、全ての妖怪が賢く理性的であれば、わざわざ人間を里の中に囲っておく必要もないでしょう。『里の人間を襲ってはならない』というルールがあるということは、逆説的に、里の人間を襲いたい妖怪がいるということですから。
ではなぜ、人間を襲いたい妖怪は、このルールに反逆せずにいられるのか。答えは、この疑問の前提がそのまま当てはまります。――妖怪は勝手気ままで、統率されない存在であるから、集団での反逆が成立しない。故に一部の妖怪が暴走したとしても、それは博麗の巫女によって解決可能な異変というレベルに留まる。そのために博麗霊夢さんが存在し、異変解決というシステムがこの幻想郷には組み込まれているのでしょう」
そこまで言って、蓮子も紅茶に口をつけ、「ですが」と言葉を区切る。
「このことをまた逆に言えば、こうも言えます。統率された妖怪の集団というものが形成されれば、それは幻想郷の根幹を揺るがす存在になりうる」
「――しかしそれは、あり得ない仮定でしょう?」
訝しげに阿求さんは目を細める。蓮子は首をすくめた。
「果たして、本当にあり得ないことでしょうかね」
「……仮にそのような妖怪集団が生まれたとして、その妖怪たちが、幻想郷のシステムに抗う理由がないでしょう。人間を滅ぼしてしまえば自分たちも滅びるしかないのです。統率された集団を組めるような知性のある妖怪が、そのような愚かな判断を下すとは思えませんね」
「そう――伺いたいのは、その大前提なんです」
と、蓮子は身を乗り出した。阿求さんは驚いて目を丸くする。
「妖怪の存在には、本当に人間が必須なのでしょうか?」
横で聞いていた私も、思わず相棒の顔をまじまじと見つめた。それは、慧音さんが以前語ったこの幻想郷の成立要件、そのものに対する異議申し立てではないか。
「……どういう意味です?」
「非常に単純な疑問ですよ。妖怪の存在に人間が必須であるなら、人間の存在しない世界に妖怪は存在できないことになります。では伺いますが――たとえば死者の国である冥界、あるいは悪魔が暮らすという魔界に、人間は存在するのですか? 人間がそこにいないとしたら、冥界や魔界に存在する妖怪は、何によってその力を維持しているのでしょう?」
「――――」
酢を飲んだような表情で固まっていた阿求さんは、ひとつ息を吐く。
「妖怪も、必ずしも人間の畏れだけにその力を依存しているわけではない。そういうことではありませんか」
「そうですね。もはや人間に畏れてもらう必要のない妖怪は存在するのでしょう。そうでなければ〝妖怪の楽園であるはずの幻想郷にいない妖怪がいる〟という事実に説明がつきませんから。――しかしそうすると、先ほど阿求さん、貴方があり得ないと切り捨てた仮定が、本当にあり得ないものだったのか、怪しくなるとは思いませんか?」
今度こそ、阿求さんがはっきりと顔をしかめた。蓮子はどこか愉しげな笑みを浮かべる。それは有意義な議論をしているときの学徒の顔だった。
「人間の存在を必要としない妖怪――それが存在するとすれば、かなり強大な妖怪でしょう。それが徒党を組んで、この幻想郷のシステムに反逆する可能性は、本当に全く無視していいようなものだったのでしょうか?」
「強大な妖怪は、概ね群れないものですが」
「そうでしょうね。しかし、たとえば――妖怪の山の天狗はどうでしょう? 山の一部を天狗の領域と定め、排他的に生活している天狗は、しかし河童などを従えているようですから、徒党を組んだ高位の妖怪と言えるのでは?」
阿求さんは答えず、空になったカップをかちゃりと置いた。
「……結局、何が言いたいのですか?」
「いえ、基本的にはただの思考実験ですわ。この幻想郷というシステムについての。なかなか興味深い推論が導けましたけれど」
と、いきなり蓮子は立ち上がる。
「お帰りですか」
「ええ、有意義な議論が出来ましたので。お邪魔いたしました。メリー、帰るわよ」
「ちょ、ちょっと蓮子、待って――」
慌てて立ち上がり、阿求さんに「失礼しました」と心から頭を下げて、私は蓮子の後を追う。この相棒のマイペースさは今に始まったことではないが、ときどきもうちょっと他人のペースに合わせて会話をしてほしいと切に思う。
「――宇佐見さん、ハーンさん」
と、私たちの背中に阿求さんの声がかかった。振り向くと、阿求さんは無表情に、こちらを向くことさえなく、独り言のように言葉を続けた。
「あまり、この世界そのものに疑問を持ちすぎない方が、身のためですよ」
「ご忠告、痛み入りますわ」
しかし相棒はどこまでも飄々と、その言葉を受け流すのだった。
―14―
「で、今回はどんな真相に辿り着いたの? 名探偵さん」
稗田邸を辞したあと、探偵事務所の床に寝転んで、相棒はぼんやりと天井を見上げていた。
痺れを切らした私がそう訊ねると、相棒は頬杖をついて私の方に向き直った。
「さて、ひとつそれらしい想像は形になってきたんだけど……しっくり来ないのよね」
「どんな想像?」
「さっき、阿求さんと話してたことよ」
「もし妖怪が徒党を組んで人間を襲ったら――って話?」
「そう。――ううん、やっぱり腑に落ちないわ」
「何を考えて、何が腑に落ちないのか言語化してくれないと、さっぱり解らないんだけど」
私がそう口を尖らせると、「それもそうね」と相棒は畳の上に座り直した。
「じゃあまず、いつものように疑問点を整理しましょうか」
「はいはい、メモすればいいのね」
私は文机に半紙を広げ、墨を摺る。筆で字を書くのにもこの一年ですっかり慣れてしまった。
――というわけで、このとき蓮子が挙げたこの異変の謎は、以下の通りである。
伊吹萃香さんと宴会の謎
一、彼女は本当に酒呑童子本人なのか、それとも勝手に名乗っているだけなのか。
一、彼女が酒呑童子本人なら、なぜ幼い少女の姿をしているのか。
一、彼女は今まで地底にいたのか。なぜ地上を去り、なぜまた地上に現れたのか。
一、彼女はなぜ、宴会を何度も開かせているのか。
一、わざわざ地上で宴会を開かせ、彼女はそれを霧になって観ているだけなのはなぜか。
一、彼女の起こしているのが異変なら、なぜ博麗の巫女たる霊夢さんが気付かないのか。
一、なぜ宴会は、他のどこでもなく博麗神社で開かれるのか。
鬼という種族と地底の謎
一、鬼はなぜ幻想郷を去り、地底に移り住んだのか。
一、鬼の完全に消えた時期と博麗大結界の成立時期が重なるのは偶然か。
一、他に姿を見なくなったという妖怪も地底にいるのか。
一、地底に人間はいるのか。
一、もし地底に人間がいないとすれば、地底の妖怪はどうやって力を維持しているのか。
一、妖怪の賢者はなぜ、地底と地上の行き来を封じたのか。
「まあ、こんなところね」
「いつもより少ないわね。今のところ萃香さんの単独犯みたいだから当然かしら?」
「そうね。でも、ある意味紅魔館や白玉楼のときより、この謎は重大な意味を持っているわ。本当にこの幻想郷という世界の成り立ち、根幹に触れるかもしれない」
腕を組んで相棒は言う。その表情はしかし、いまいち冴えない。自分の考えに自分で納得がいっていないのだろう。
「で、名探偵さんはこれらの謎にどんな答えを考えているの?」
「そうねえ。――どうも真相に近付いてるって気がしないから、ここはもったいぶるのを止めるわ。大外れだったらもったいぶった分だけ恥ずかしいし。というわけで、これは間違った推理だろうと前置きした上で話すわよ」
「そんな予防線張らなくたっていいわよ。聞くのは私だけなんだし」
「私自身のプライドの問題なんだってば。秘封探偵事務所の所長としての」
「はいはい。――どんな迷推理なのかしら?」
私が文机に頬杖をついて促すと、蓮子は肩を竦めて、おもむろに切り出した。
「端的に言うと――鬼は自らの意志で幻想郷を去ったのではない、ということね」
「……それは、追放された、っていう意味?」
「そういうこと。鬼は幻想郷から去ったのではなく、その他危険な妖怪とともに、幻想郷を追放され、地底に封印された。――妖怪の賢者によってね。そう考えると、それなりに筋の通った話にはなるのよ。萃香さんの行動も含めてね。……さっきの阿求さんとの話を踏まえれば、メリーにも私の考えがだいたい見えるんじゃない?」
試すように相棒は私を見つめる。私は鼻を鳴らして、阿求さんと蓮子が交わした会話を思い返し、――なるほど、と頷いた。
「つまり、鬼が人間の恐怖心に依存する必要のない妖怪だったとしたら、幻想郷の人間にとって危険すぎるってことね?」
「そゆこと。博麗大結界でこの幻想郷が閉ざされたことで、外の世界と人間の行き来が著しく制限された。それによって幻想郷の妖怪は人間を保護する必要が生じたわけだけど、鬼は古くから人間の最大の敵だったというから、閉ざされた幻想郷の少ない人口に対して鬼の脅威はもはや過剰になった、と考えられるわ」
「それで、大結界の成立に合わせて妖怪の賢者が鬼を地底に追放し、封印した――」
「そう。表向きは鬼が勝手に去っていったという形にしてね。……だけど、その追放から逃れた鬼がいた」
「……萃香さんね? 霧になって逃れたんだ」
「珍しく冴えてるじゃない、メリー。密度を操るのが鬼という種族の能力でなく、萃香ちゃん固有の能力なら、彼女だけが追放を逃れられたと考えられるわ。そして彼女は霧になって、ずっと幻想郷に留まり続けていた。そして今、とうとう彼女は動き出した」
「……何のために?」
「鬼が意に染まずに追放されたなら、答えはひとつじゃない?」
相棒は口を尖らせて、その答えを口にする。
「鬼の地上への帰還。そして、鬼による幻想郷の支配よ」
―15―
眉を寄せた私に、相棒は肩を竦めて続けた。
「宴会を三日置きに繰り返させることが、鬼の帰還という目的に対してどういう呪術的効果を持っているのか――その詳細までは解らないわ。あるいは単に、宴会を続けることによって博麗の巫女を疲弊させることが目的かもしれない。そう考えれば、宴会が人里でなく博麗神社で開かれることの説明もつくしね。ともかく、萃香ちゃんは追放された仲間たちを幻想郷に呼び戻し、鬼の天下を幻想郷に取り戻すため、あの宴会を起こしている。だから彼女は霧になって姿を隠しているのね。その目的を悟られないように――」
「…………」
「どう、メリー? もっともらしい推理だと思う?」
猫のような笑みを浮かべて、相棒は私の顔を見つめる。――私は息を吐いた。確かにちょっと聞いた限りでは、先ほどの謎の多くに説明のつく推理だと思う。思うが――。
「なるほど。蓮子が何に引っ掛かったのか、よく解ったわ」
「ふふん。どのあたり?」
「――妖怪の賢者がなぜそれを止めないのか。そういうことでしょう?」
「はい、大正解。今日はキレキレじゃない、メリー」
「キレキレも何も……要するに白玉楼のときと一緒じゃない」
私の言葉に、愉しげに目を細め、蓮子はまたごろりと畳の上に寝転がった。
「そうだけど、この考えだと白玉楼のときよりさらに、妖怪の賢者が動いて然るべき条件が揃っているわ。鬼の目的が幻想郷の秩序を揺るがすものであること。今の季節が夏で、宴会は夜。いずれも妖怪の賢者が起きている時間であること。萃香ちゃんと妖怪の賢者が知り合いであるらしいこと。――そして何より、メリーが萃香ちゃんを見つけられたということ」
「私?」
「そうよ。話に聞く限り、妖怪の賢者の持つ能力はメリーの能力の強化版みたいなものでしょう? メリーが霧になった萃香ちゃんを見つけられるなら、妖怪の賢者も当然見つけられるはず。だとすれば妖怪の賢者は、今回の宴会騒ぎを全て解った上で見逃していると考えるほかない。記憶を失ってた白玉楼のお嬢様と違って、失敗すると解ってる方法を萃香ちゃんが採ってるとも思えないしね。――だとすれば、妖怪の賢者が動いていないというその一点において、今までの私の推理はご破算ってわけ」
天井に向かって、相棒は大きくため息を吐き出す。
「たぶん、何か根本的なところで考え違いを犯してるんだわ。それが情報の不足によるものなのか、それとも私が何か見落としているのか――なかなか手強いわ、今回の異変の謎は」
目を閉じた蓮子の枕元に歩み寄って、私は腰を下ろす。蓮子の額をつつくと、相棒は目を開けて私を見上げた。
「で、名探偵さんは謎を解き明かしてどうしたいの? 白玉楼のときのリベンジ?」
「別に、そういうわけでもないけど。今回の異変が止めるべきものなのか、最後まで遂行されてしまっても問題ないものなのかもまだわからないし、だいたい博麗神社で起きてる異変なんだから、いくらなんでももう少し宴会が続けば霊夢ちゃんだっておかしいと思うでしょ。そうなれば、彼女が萃香ちゃんをとっちめて終わりになるはずだわ」
「博麗の巫女は、そういうシステムなんだものね」
「ただ――できればその前に、萃香ちゃんについてもう少し知っておきたいのよ」
「どうして?」
この相棒が好奇心の趣くままに動くのはいつものことではあるが、それにしても半ば強引に異変に巻き込まれた前二回と違い、今回は完全に蓮子自身の意志で首を突っ込んでいる。ただの好奇心だけではないのだろうか――。
「…………」
蓮子はまた目を閉じる。私がその顔を覗きこむと、不意に相棒の両手が伸びてきて、私の頬を挟んだ。首を固定された私を、またぱっちりと目を開けた相棒が見上げる。
「あの子が昔の、どこかの誰かさんみたいだったからね」
「――――――」
「世界に自分ひとりだけでいいみたいな顔して、周りから距離を置いて、興味のないような態度をとりながら、遠くの喧噪を眺めてる。そこに自分の居場所がないことに、諦めと拒絶の態度をとることしか知らない、自意識過剰で寂しがり屋の女の子」
「……蓮子」
「そういう子をねえ、蓮子さんは放っておけないわけなの。お節介だと思う?」
「――――ものすごくお節介だと思うわ」
私は口を尖らせて、相棒にデコピンした。「あ痛っ」と蓮子は身を竦め、私の頬から手を離して身体を起こす。
「何するのよメリー、心優しい宇佐見蓮子さんに向かって」
「大きなお世話って言葉、知ってる? 孤独を愛する権利は誰にだってあるのよ」
「あら、メリーは私と秘封倶楽部を結成したことが迷惑だったの?」
「大迷惑に決まってるじゃない。夜ごとあちこち連れ回されて、貴重な読書時間は益体もない話で潰れて、本を買うお金は喫茶店に消えるし、墓荒らしの真似事はさせられるし、キマイラに襲われて入院する羽目になるし、挙げ句の果ては八〇年前の別世界に連れて来られて、大学どころか社会生活そのものからドロップアウトする羽目になってもう一年よ? これを迷惑と呼ばない人がいたら仏様か神様ぐらいだわ」
「い、いひゃいいひゃい、メリーやめへ」
むにー、と蓮子の頬を引っ張る。ぐりぐりとつねると、「ひぃ~~」と相棒は情けない悲鳴をあげた。全く、いい気味である。
「そんな迷惑千万な名探偵に目を付けられた萃香さんには同情するわよ」
「ひどいわメリー、そこまで言うことないじゃない」
「全部事実なんですけど」
頬を放した手で今度は蓮子の鼻をつまむ。ふがふがともがく蓮子。
「全く、蓮子にさえ出会わなければ私は今も二〇八〇年代の京都で平穏な大学生活を送っていたはずなのに。私の将来をどうしてくれるの?」
「将来って言われてもねえ――」
私の手からようやく逃れて、蓮子は頭を掻いた。
「いいじゃない。この幻想郷でのんびり暮らすのも。寺子屋で子供に勉強を教えて、探偵事務所で依頼を待って、たまに異変の謎を追いかけて。科学世紀の京都よりずっと不思議と秘密に満ちたこの世界をふたりで駆けめぐるの。メリーはそんな生活、不満?」
「不便ではあるわね、科学世紀に比べたら。続きを読みたかった本だっていっぱいあるのに」
「そりゃ私も一緒よ。失ったものの大きさぐらい理解してるわ」
肩を竦めて、蓮子は私の手を取った。
「でもメリー。私はメリーと出逢えて、色んな冒険をして、この世界で暮らすことになった現状まで含めて、良かったと思ってるのよ」
「そりゃ、蓮子は楽しいでしょうけど。好奇心だけで生きてるんだから」
「そんなことないわよ。私だってひとりぼっちでこの世界に来ていたら、きっと心細さに押しつぶされてたわ」
「蓮子が? そんな繊細だったかしら」
「今日のメリーはとことん毒舌ねえ。ま、いいけど。――メリーと一緒だから、私の大学生活はあんなに楽しかったんだし、今のこの生活だってこんなに楽しいのよ。私たちはふたりでひとつの秘封倶楽部。私だって、メリーと出会わなければ何も始まらなかったんだから」
「――――」
「運命なのよ。私とメリーが出会って、秘封倶楽部を結成して、世界の秘密に触れて、この世界に迷い込んだことは。私とメリーは離れられない定め。それはもう、メリーと出会ったあのときから決まってたことなの。少なくとも私の中では」
「……私の運命まで勝手に決めないでよ」
「メリーの運命は私の運命。私に世界の秘密を見せてくれたのはメリーなのよ? 責任をとって欲しいのは私の方なんだから。メリーと出会わなければ、私の頭脳は理論物理学の発展のためだけに捧げられていたかもしれない。それをねじ曲げたのは、メリーのその不思議な目なんだから。世界の秘密を見つけるメリーの目が、私にこんな素敵で愉快な生活をくれたんだから。メリーには、私に付き合う義務と責任があるのよ。この宇佐見蓮子さんのプランク並の頭脳を、たったひとりの女の子に夢中にさせた罪は重いのよ? これからずっと償い続けてもらわないといけないぐらいにね」
――全く、ああ言えばこう言うとはこのことだ。ひとつ私が口答えすれば、十にも百にもなって返ってくる。そんなのは今まで、散々思い知らされてきたことではないか。
「……蓮子が勝手に夢中になったことに、私が責任を取る義理なんてないはずだけど」
「だったらメリーもこの名探偵に夢中になっていいのよ? ほらほら、宇佐見蓮子さんの頭脳と推理を崇めなさい。名探偵が名探偵たるために全力を尽くす、それがワトソン役の役目というものよ」
「木更津悠也と香月実朝じゃないんだから。……まあ、非常識な名探偵に散々苦労させられても離れられないのも、ワトソン役の宿命よね」
ため息混じりに言った私に、蓮子は得意げにいつもの笑みを浮かべた。
「もー、メリーってば素直じゃないんだから」
むにー。
「自分に都合のいい反応を『素直』って言って相手に求めるのは悪い大人のすることよ」
「いひゃいいひゃいっへば」
蓮子のほっぺたを弄り倒しているうちに、人間の里の日は暮れていく。
今日も探偵事務所に、依頼人はやってこなかった。
第3章 萃夢想編 一覧
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秘封倶楽部好き過ぎる。これだからいいのよ。
蓮子さんぐいぐいとメリーを引っ張って行きますね。二人は名コンビですね。
蓮メリチュッチュ最高です
That’s a qukct-wiited answer to a difficult question
あ^~百合とかいいっすね^~