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こちら秘封探偵事務所第3章 萃夢想編   萃夢想編 第3話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第3章 萃夢想編

公開日:2016年02月06日 / 最終更新日:2016年02月06日

萃夢想編 第3話
―7―


 小さな鬼の少女は、胡乱げに目を細めて私たちを見上げ、ねめつけた。
「3日前から気になってはいたんだけどさぁ。主にそこの紫もどきが」
「紫もどきって……」
 相変わらず、どこへ行っても妖怪の賢者の偽者扱いである。これはもう、幻想郷に暮らしている限りにおいて、私の宿命と思って諦めるしかないのだろう。
「私のことを見つけるなんて、ただの人間じゃないのは確かね。なんで解ったの? 霧になった私に気付く、しかも明らかに視認するなんて――どんな目を持ってるのさ?」
 少女は私の足元に歩み寄ると、じっと私の目を覗きこむ。酔ったような赤ら顔に、アルコールの匂い。私は何と答えたらいいか解らず、つい、と視線を逸らした。というか、妖怪にものすごく間近で覗きこまれるとか、いよいよもって命の危険である。
「怯えるこたないじゃん。とって食いはしないよ」
 頬を膨らませる鬼の少女は、それから「ああ、そうだ」とぽんと手を叩いた。
「名乗りもしなかったのは確かに礼を失してたね。ごめんごめん。――私は伊吹萃香」
「……すいか?」
「言っておくけど、夏に食べる西瓜じゃないよ」
 確かにアクセントが違う。どちらかと言うと、外の世界でその昔存在したという鉄道系電子マネーの方の発音だった。くさかんむりに卒の萃に、香りと書くらしい。
「で、あんたらは? 特にそこの紫もどき」
「……マエリベリー・ハーンです。呼びにくければ、メリーで」
「私は宇佐見蓮子。名探偵ですわ」
「めいたんてい? いつの間にか妙な人間が増えたもんだね」
 鼻を鳴らしてそう言いながら、萃香さんは手にしていた瓢箪に口をつけて、ごくごくと喉を鳴らして中身を飲み始める。ぷはぁ、とさらに酒臭い息を吐いたところからして、中身はかなり強い酒らしい。
「飲むかい?」
 と思ったら、その瓢箪を私に差し出してきた。
「…………ええと」
「冗談よ。鬼の酒だ、めちゃくちゃ強いから人間が飲んだらぶっ倒れるよ」
 どかりと草の上に腰を下ろして、萃香さんは大口を開けて笑う。まるっきり酔っ払いである。
「で、だ。そこのメリーだっけ? なんで私を視ることができたの?」
「……境界が視えるんです。結界の揺らぎや裂け目が。……貴方が隠れていたところも、蜃気楼のように揺らいで見えました」
「境界視? ますます紫もどきじゃない。はぁん……あとで紫に聞いてみよ」
「妖怪の賢者とお知り合い?」
 と訊ねたのは蓮子。萃香さんはそちらに目をやり、「まあね」と頬杖をつく。
「古い友人さ。――しかし、隠れていた、ってのは心外だなあ。私はただそこにいただけよ」
「姿を消していたのは、隠れていたのとは違うの?」
「消えてたんじゃないよ。霧になってたの」
「霧に――」
「ま、こんな風にね」
 と、萃香さんが立ち上がり――次の瞬間、その姿が闇夜に溶けるように消えた。代わりに、先ほどまで辺りに立ちこめていて、いつの間にか消えていた白い霧が、再び広がる。
「自分の存在を疎にして、私はどこにでも存在できるわけ」
 ――その声は、今度は後ろから聞こえた。振り向くと、そこへ白い霧が集まっていき、また萃香さんの姿が現れる。「ははあ」と蓮子が得心したように頷いた。
「自分自身の密度を操る能力ってことかしら」
「へえ、そっちの白黒は理解が早いじゃない。操れるのは自分自身だけじゃないけどね。賢い人間は嫌いじゃないよ。姑息な嘘さえつかなきゃね」
 呵々と笑って、萃香さんは蓮子を見上げる。相変わらず子供に懐かれる蓮子である――と考えるのは、目の前の鬼の少女に失礼だろうか。何百歳だか知れたものでないし。
「物理学の徒としては興味深い能力だけど――それより、伊吹って名前は、ひょっとして伊吹山かしら? 伊吹山の鬼といえば――」
「おっと、そいつは皆まで言わなくていいよ。昔の話だからね」
 蓮子の言葉に、萃香さんは不意に気分を害したというような顔をして、また瓢箪に口をつける。伊吹萃香――伊吹山の鬼。それは、節分のときに慧音さんから聞いた物語と繋がる。伊吹山で生まれた鬼といえば――そう、酒呑童子だ。
「……じゃあ、彼女が幻想郷の酒呑童子?」
「かもしれないわね。伊吹を名乗ってるし、さっきからずっとお酒呑んでるし」
 私たちは囁き合う。ヴラド・ツェペシュの末裔(自称)とか、稗田阿礼の生まれ変わり(自称)とか、西行法師の娘(推定)とかには出会ってきたけれど、今度は酒呑童子本人(推定)である。昔の話、というのは、大江山で源頼光に退治された話か。人間にだまし討ちされた記憶は、鬼の彼女には屈辱の歴史なのだろう。
「ま、そんなことより、突っ立ってないで座りなよ。これも何かの縁だ、せっかくだし一緒に呑もうじゃん? ……って、座る場所がないか。じゃ、ちょっくら何か持って来るかね」
 萃香さんはそんなことを勝手に言う。こっちは付き合うとは一言も言った覚えがないのだが――と思っていると、がさがさと近くの草を掻き分ける音がした。誰かが来た? 私が振り返ると、そこには――。
「あらやだ、なにこれ可愛い!」
 蓮子がしゃがんで、草むらから姿を現したものを見下ろした。わらわらと現れたのは、なんと無数の小さな萃香さんである。身長20センチぐらいだろうか。人形のようなサイズの萃香さんたちが、向こうの宴会と神社の中からかすめてきたのか、徳利と杯、それに座布団を2枚、担ぎ上げる格好で運んでくる。
 小さな萃香さんたちは、座布団と酒を私たちの前に置くと、ぽんぽんと霧になって消えていく。これも彼女の能力らしい。自分の密度を操ることで、小さな分身をいくつも作ることができるのか。なるほど、便利そうな能力だ。
「……今のが全部彼女の一部なら、彼女全体の物質量は今の姿よりずっと多いのかしら。密度を操る能力なら、質量保存の法則は当てはまると考えるべきだろうし……しかし、霧になるっていうのが自分の肉体を分子レベルまで分解して再構成する能力となると、個体の同一性はどうやって保証されるのかしら? そもそも分子レベルまで分解された状態で意志や思考能力が残るとすれば、その主体はどこなのかしら……ううん、興味深いわね」
 蓮子は何かぶつぶつと呟いている。物理学の徒としては色々疑問があるらしいが、酒を飲みながら考えることでもないだろう。私は小さな萃香さんたちが運んで来てくれた徳利から酒を杯に注いで、蓮子に差し出す。
「はい、蓮子」
「あ、ありがとメリー。うーん、幻想郷の物理法則を考え始めると私のプランク並みの頭脳にも考えることが多すぎて手がつけられないわ。アインシュタインとホーキングは幻想郷に来てないのかしら?」
「妖怪になって?」
 アインシュタインなら妖怪になっていてもあまり違和感がないかもしれないが。
「頭の出来は、そっちの紫もどきより、あんたの方が紫に近そうだね。ウサギだっけ?」
 と、萃香さんが蓮子の方を見やりながら言う。
「宇佐見ですわ。宇佐見蓮子」
「蓮子か。んでそっちがメリーと。幻想郷の人間じゃあないんだろう?」
「解る? ちょっと変わった外来人でしてよ」
「そりゃ見れば解るよ。外来人にしちゃ幻想郷に馴染んでる気がするけどね。ほれ、もっと呑め呑め」
「ははあ、ありがたく。――ところで、ええと、私たちからはなんて呼べばいいかしら」
「別に、萃香でいいよ。天狗や河童みたいに畏まられてもくすぐったいかんね」
 フレンドリーな鬼である。人間の最大の敵が、こんな気さくでいいのだろうか。
「じゃあ、萃香ちゃん」
 蓮子がそう呼ぶと、萃香さんはきょとんと目を見開いて、それから「萃香ちゃん! ちゃん付けと来たかい!」と大口を開けて笑い出した。
「いやあ、この伊吹萃香、今の名を名乗って何百年か忘れたけど、人間からちゃん付けで呼ばれたのは初めてだなあ。命が惜しくないの?」
「あら、わざわざそんな可愛い姿してて、女の子扱いは不満でしたかしら?」
「……とことん変な人間だねえ。鬼に対してそこまで畏怖の感情が薄いとかえって毒気を抜かれちゃうよ」
「怖れよりも好奇心が勝っておりますので」
「勇気と無謀をはき違えないように気を付けなよ。――いいじゃん、この伊吹萃香、その度胸に免じて人間にちゃん付けを許してやろう。で、何? 何か聞きたいことあるの?」
「ありがたき幸せ。で、ええ、萃香ちゃんに聞きたいことはたくさんあるんだけど――」
 と、盃を傾けてひとつ息を吐き、それから蓮子は、萃香さんをまっすぐに見つめて言った。

「――この宴会を起こしたのは、萃香ちゃん、貴方じゃないの?」





―8―


「……へえ?」
 蓮子の言葉に、萃香さんは瓢箪を持ち上げかけた手を止め、その目をどこか剣呑に細めた。
「面白いことを言うじゃん。この宴会の幹事は向こうにいる魔法使いじゃなかったかしら?」
「ええ、手続き上においての幹事が魔理沙ちゃんなのは間違いない。でも、この宴会を開かせようと最初に考えたのは貴方でしょ? 貴方が彼女と組んで何かを企んでいるのか、それとも貴方の単独犯で魔理沙ちゃんは利用されてるだけなのかまでは解らないけれど」
「――ほうほう。後学のために、なんでそう考えたのか、聞いておこうか」
 腕を組んで、試すように萃香さんは蓮子を見つめる。蓮子は帽子の庇を弄りながら、猫のような笑みを浮かべて続けた。
「まず第一は、この宴会に何の名目もないということ。3日前の1回目だけなら、そういう宴会が不意に開かれても不自然じゃない。けれど、僅か3日後に再びそんな宴会が、わざわざ参加者を呼び萃めてまで開かれたとなると、ちょっとばかり不自然ね。やるとしても、たった3日しか経ってないなら、参加者を呼び萃めるのに何かしらそれらしい名目を作ろうとするのが人情だと思うわ」
「幻想郷の人間は、あんたらの思ってるより宴会好きなだけじゃないかしら?」
「そうね。そういうことが頻繁にあったなら私も疑問に思わなかったけど、さすがに中二日で宴会に誘われたのはこれが初めてだったもの。――第二の疑問は、そんな突発的な宴会に、なぜか知った面々が皆集まってくること。紅魔館や白玉楼の面々、アリスさんに霖之助さん、騒霊楽団。特にアリスさんなんて、特に参加する義理もない宴会に2回も続けて顔を出すほどこういう騒ぎが好きそうには見えないのに、律儀に来ている」
「そういう気分になることもあろうさ」
「ええ、そういう気分になったんでしょう。――萃香ちゃん、貴方の能力で」
 蓮子のその言葉に、萃香さんが目を見開いた。
「貴方の能力は、密度を操る能力。そして、操れるのは自分自身だけじゃない、と言ったわよね。密度を操るということは、エネルギーを拡散したり凝縮したりするということ。あるいはエントロピーを操る能力なのかしら? ともかく、その片方に着眼すれば、その能力は《散らばったものを一箇所に萃める》能力と言えるわ。――貴方はこの宴会に、その能力で皆を萃めたんでしょう? 望むと望まざるとに関わらず」
「……何のために?」
「そりゃ――宴会をするためじゃないの? 宴会がしたいから、参加者を萃める。何の名目もない宴会だから、ただ誘っても断られそうな相手まで、その能力で無理矢理呼び寄せた。誰彼構わずね。――さて、何のために、と聞きたいのはこっちの方だわ。幻想郷からいなくなったはずの鬼は、皆に宴会を開かせて、何を企んでいるのかしら?」
 蓮子のその言葉に、萃香さんは、にいっ、と獰猛な笑みを浮かべた。私は息を呑む。目の前にいるのは小さな少女のままなのに、不意にその姿が何倍にも大きくなったような気がした。そこにいるのは、最強の妖怪――鬼。
「いやはや――なるほど、こいつは大した人間だ」
 また瓢箪に口をつけて喉を鳴らし、酒臭い息を吐いて、萃香さんは手を叩いた。
「老婆心ながら忠告するけど、頭が良すぎるのも考え物だよ。知らなくていいことまで知っちゃうのは、幸せとは限らないからね」
「それは肝に銘じておきますわ。――それで、この宴会の本当の目的は?」
「そりゃあ、自分で言ったじゃん。――宴会がしたかったんだよ」
 不意にその笑みから凶暴性が消えて、もうそこにあるのは、無邪気な少女の笑みだった。
「今年、やたら冬が長かったろう? やっと春になって桜も咲いて、花見だーって思ったらあっという間に散っちゃって。おかげで花見の宴会が少なくてさあ」
 口を尖らせて言う萃香さんに、蓮子は目をしばたたかせる。
「それだけ?」
「人間と違って、鬼は宴会がしたいからするんだよ。何日でも何回でもね」
 拍子抜けしたように、蓮子は肩を竦めた。
「じゃあ、こうして特に理由のない宴会を繰り返せば、満足ってことかしら」
「ま、そういうこったね。さて、あんたたち以外の連中はいつ私に気付くかな?」
 騒ぎが続く神社の方を見やって、萃香さんは言い――それから、「おっと」と眉を寄せた。
「まずい、魔法使いがあんたたちを探してるよ。私は霧になるから、あんたたちも戻りな」
 と、慌てて立ち上がった萃香さんは、私たちに背を向ける。その背中に、蓮子が「あ、もうひとつ!」と声を掛けた。
「なんだい?」
「――幻想郷を去った鬼は、どこへ行ったの?」
 その問いに、萃香さんは振り返り、――ふっと、その目にどこか寂しげな色を浮かべた。
「むかし、地獄だったところさ」

「おーい、どこいったー?」
「あ、ごめんごめん」
 神社裏の森を出て、私たちを探す魔理沙さんに呼びかけると、彼女は不思議そうな顔をして私たちを見つめた。
「ふたりしてどこで油売ってたんだ? 料理もそろそろ無くなるぜ」
「いやあ、ちょっと人には言えないようなことを。ねえメリー?」
「ちょっと蓮子、何言ってるのよ」
 蓮子が私の肩を抱くようにして妙なことを言う。誤解を招くようなことはやめてほしい――と思ったけれど、魔理沙さんは「ふん?」と首を傾げただけだった。言外の意味をまだ察せるお年頃ではないのかもしれない、というかそもそもそんな意味などないのだが。いけない、蓮子に乗せられて私が変なことを考えている。
「まあいいや。さっさと戻ってこないとルーミアと幽々子が全部食っちまうぜ」
 ひらひらと手を振って、魔理沙さんは宴会の輪の中に戻っていく。私はふっと視線を上げて、夜空を見上げた。雲もないのに、ぽっかりと浮かんだ月が、ほんの少し霞んで見える。霧になった萃香さんが、そのあたりに今も漂っているのかもしれない。
 ――それから、ふっと私は、ひとつの疑問に行き当たった。
「ねえ、蓮子」
「うん?」
「彼女は……なんで、ひとりだったのかしら?」
「萃香ちゃん?」
「そう。――宴会がしたいなら、鬼の仲間とすればいいじゃない。どうして彼女はひとりで幻想郷に現れて、無関係な私たちを萃めて宴会を開かせたの? それも、そこに参加するでもなく、ただ霧になって見ているだけなんて――どうして?」





―9―


 翌日、相棒は朝から妙に張り切っていた。
「おはよう……ってどうしたの、そんな遠足前の小学生みたいな顔して」
 目を覚ました私が寝ぼけ眼を擦りながら問うと、まだ明け方だというのに既に外出準備万端という格好をした相棒は、「寝坊よメリー」と口を尖らせた。
「寝坊って、今日は寺子屋はお休みじゃなかった?」
「何言ってるのメリー。久々のサークル活動に決まってるじゃない!」
「サークル活動って……探偵事務所としての仕事じゃなく?」
「依頼はされてないからね。幻想郷に来てから、科学世紀の論理では解明できない不思議を目にしすぎて、ちょっと感覚が麻痺してたわ。おかげで私たち秘封倶楽部の本分を見失うところだったわね。不思議に満ちすぎた生活も考えものだわ」
「何の話?」
「世界の秘密を解き明かす話に決まってるじゃない!」
 私の手を掴んで、満面の笑みで蓮子は言う。
「テーマは鬼よ! 鬼はなぜ幻想郷から消えたのか。鬼はどこへ去って行ったのか。そして伊吹萃香ちゃんはなぜ再び幻想郷に現れ、秘密裏に宴会を開かせているのか。――これは、幻想郷という世界そのものの秘密の一端に触れる謎に違いないわ!」
「……はあ」
「ちょっとメリー、まだ寝ぼけてるの? 私たちは、まだ博麗の巫女も関知していない異変の尻尾を既に掴んでいるのよ! この謎を前にして惰眠を貪る暇なんてないわ! さあメリー、秘封倶楽部として、世界の秘密を暴くわよ!」
 テンションが高すぎる。低血圧の頭に響くので、あまり大声を出さないでほしい。
「いいけど、蓮子」
「なに?」
「せめて朝ご飯は食べてからにしない?」
 ぐう、と蓮子のお腹が鳴って、「それもそうね」と蓮子は赤面した。

 そんなわけで朝食を済ませたあと、私たちは勇んで出立した。いや、勇んでいるのは主に蓮子の方だけなのだけれども。
「で、そもそもどこに行くの? 阿求さんのところ?」
「彼女の持つ鬼についての情報は、節分のときに調べたから、今はいいわ。それより、鬼についてよく知ってそうな人――というか、妖怪のところに行くわよ」
「妖怪のところって……まさか、妖怪の賢者? 藍さんを呼び出すの?」
「それができれば手っ取り早いんだけど、なんでか未だに私の前には姿を現してくれないからねえ、メリーのそっくりさんってば。仕方ないから、別口をあたるわ」
「別口って――」
「そりゃもう、あそこの住人よ」
 と、蓮子が指さしたのは、幻想郷の北部にそびえる雄大な山。妖怪の山である。確かに、鬼はかつて妖怪の山に棲んでいたというが……。そこの今の住人となると、天狗か。
「射命丸さん?」
「そういうこと。新聞記者なら間違いなく、ある程度の情報は持ってるはずだわ」
「って、山に入る気? ちょっと、登山なら先にそう言ってよ」
「さて、どこまで登ることになるかも解らないからねえ。ま、とりあえず行けるところまで行ってみましょ。途中に紅魔館もあるし、なんとかなるでしょ」
 確かに、紅魔館が建つ霧の湖は、妖怪の山の麓である。里からまっすぐ山を目指せば、里の中心を流れる川に沿って北上することになり、当然その途中で霧の湖を通ることになるわけだが――。
 こんな無計画で大丈夫なのだろうか、と思ったが、相棒の好奇心の趣くままに振り回されるのは、私たち秘封倶楽部のいつもの形である。そう考えると、まあ仕方ないか、と思ってしまう私も、よくよくこの相棒の命知らずぶりに慣らされてしまっているのかもしれない。
 ともかく、まっすぐ里を北上して、里とその外を分ける門をくぐる。ここから先は妖怪の領域、野良妖怪にうっかり襲われても文句は言えない区域だ。とはいえ霧の湖近辺には釣り人も多いため、里周辺では比較的安全な地域である。
 里から少し北に歩くと、野ざらしの墓地が広がっている。墓地が里内部ではなく、里の外側に位置しているのも、幻想郷らしい理と言うべきかもしれない。死者は妖怪側なのだ。
「……それにしても、さすがに暑いわね」
 日射しに手をかざして、私は息を吐く。持参した手ぬぐいで汗を拭い、周囲の木々から響き渡る蝉時雨に耳を傾けながら、竹の水筒に詰めた水を口にする。幻想郷の夏は京都の夏ほど極悪ではないが、それでも暑いものは暑い。
「霧を出したお嬢様の気持ちが今ならよく解るわ」
「幻想郷に来ても引きこもり気質が治らないんだから、メリーってば。あんまりガブ飲みしてるとすぐ水なくなっちゃうわよ?」
「砂漠の旅じゃないんだから……そこの川から汲めばいいし」
 あぜ道の傍らをさらさらと流れていく清流は、妖怪の山から流れ込む、人間の里の生活用水である。里の中では水路としてある程度整備されているが、このあたりは自然のままの流れだ。陽光に煌めく澄んだ水を眺めていると、この暑さの中でも少しばかり涼やかな気分になる。
「不用意に川に近付いたら、河童に尻子玉抜かれるわよ?」
「蓮子、私を囮にして河童を見つけようとか考えてない?」
「山には河童もいるらしいからね。どの程度の科学力を持ってるのかも興味深いわ」
「囮にしないでよ、頼むから。というか目的は射命丸さんでしょう?」
 そんなことを言い合いながら、さらに北上することしばし。霧の立ちこめる湖がようやく見えて来た。春雪異変のときに藍さんに抱えられて飛んだときはあっという間だったが、こうして歩いてみるとそれなりの距離である。
「どうする、メリー? 紅魔館に寄ってく?」
「こんな真っ昼間じゃ、お嬢様は寝てるんじゃないの?」
 とはいえこんな近くまで来たのだ、美鈴さんなり咲夜さんに挨拶ぐらいはしていくのが礼儀かもしれない。
 霧の立ちこめる湖の畔に足を進める。湖の中には、妖精たちが水浴びをしている姿が見えた。そんな平和な光景を横目に、私たちは霧の中に煙る紅魔館へ向かった。ほどなくその偉容を露わにした紅魔館の門には、紅美鈴さんが佇み……。
「……寝てる?」
「寝てるわね、立ったまま」
 もとい、壁にもたれてお昼寝中であった。どうしたものかと私たちが顔を見合わせていると、こっくりこっくりと舟を漕いでいた美鈴さんの首ががくんと下がり、次の瞬間、がばっと跳ね起きる。妖怪でもそうなるのか。
「さっ、咲夜さん、寝てません、寝てませんよ!?」
「残念ながら、咲夜さんではありませんわ」
 相棒が帽子を脱いでそう挨拶すると、美鈴さんは目をしばたたかせて、ほっと息を吐いた。
「なんだ、貴方たちでしたか……。ええと、お嬢様と妹様はお休みの時間ですけど、パチュリー様か咲夜さんに御用でしょうか?」
「いえいえ、ちょっと通りかかったのでご挨拶までに」
「はあ。どちらまで?」
「ちょっと妖怪の山まで」
「山ですか!?」
 美鈴さんが山の方を振り仰いで、素っ頓狂な声をあげる。
「失礼ですけど、いったいどんな用件で山へ……? 単なる探検なら、普通の人間には正直言って全くおすすめしませんが」
「あら、山はそんなに危険なんです?」
「山の妖怪はひどく排他的なので……以前、お嬢様の言いつけで山に潜入したことがあるんですが、哨戒の白狼天狗に見つかって酷い目に遭いました」
 美鈴さんはため息をつく。お嬢様は妖怪の山の征服でも企んだのだろうか。かつて鬼が支配していた山なのだから、吸血鬼がそこにとって代わろうとでも考えたのかもしれない。あのレミリア嬢のことだから、どうせすぐに飽きたのだろうけれど。
「ええと、山に入るのは手段で、新聞記者の天狗に会いたいだけなんですが……」
 私がそう言い添えると、「はあ」と美鈴さんは小首を傾げた。
「新聞記者の天狗……ああ、そういえば以前、お嬢様の起こした異変の取材に来ていましたね」
「どこにいるのか解らないので、とりあえず本拠地に乗り込んでみようかと」
「そんな無謀な……」
 呆れ顔の美鈴さん。と、そこへ「何をサボっているの」と険のある声が門の向こうからかかる。言うまでもなく、十六夜咲夜さんだ。
「あ、咲夜さん。いえ、サボってるわけでは」
「寝てたのはバレてるのよ」
「……はい、スミマセン」
「そして、お客様をお通しもせずに何をしているのかと言っているの」
 と、咲夜さんは私たちを見やって一礼し、「ようこそいらっしゃいました」と門を開けようとする。いえいえ、と蓮子が手を振ってそれを止めた。実際ここで館に入ったら、起きてきたレミリア嬢かフランドール嬢の相手でもさせられて、元々の目的が有耶無耶になりかねない。
 私が山に入りたい旨を伝えると、咲夜さんも困ったような顔をして山を振り仰いだ。
「別に私たちは妖怪の山の番人でもないですから、お止めする理由もないのですが」
「咲夜さん、そうは言いましても、おふたりは咲夜さんと違って普通の人間ですから」
「それじゃあ私が異常な人間みたいじゃない」
 吸血鬼のメイドをしていて時を止められる人間はこの幻想郷でも充分異常だと思う。
「しかし、おふたりに何かあっては妹様が遊び相手を失って悲しまれますわね。――美鈴」
「は、はい」
「おふたりを、その天狗のブン屋のところまでご案内なさい」
 思わぬ咲夜さんの言葉に、私たちは美鈴さんと顔を見合わせた。

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この小説へのコメント

  1. やっと追いつきました…
    楽しく読ませて頂いています!蓮子とメリーの掛け合いが好きです!
    ところで、浅木原さんは過去作などはあったりするのでしょうか?あったらサイトや本を教えていただきたいです!

  2. いつもコメントありがとうございます。励みになります。
     
    >アヤトさん
    普段はRhythm Fiveというサークルで小説同人誌を出しています。
    紅魔郷編の書籍版をはじめ、最近の作品はとらのあな、メロンブックスで委託中。
    とら→http://www.toranoana.jp/mailorder/cot/circle/60/11/5730313531313630/52687974686d2046697665_01.html
    メロン→https://www.melonbooks.co.jp/circle/index.php?circle_id=7284
    それ以外の作品も在庫のあるものはブログで個人通販しております。
    ブログ→http://r-f21.jugem.jp/
    ほか、東方小説は東方創想話にも投稿していますので、そちらもどうぞ。

  3. 作成お疲れ様です。萃夢想編面白いですね~居眠り美鈴ってのもツボりました。

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