―4―
もちろん、最初の宴会はごく当たり前の宴会で、それが異変だと関知していた者は、その首謀者以外にはいなかっただろう。いや、首謀者自身さえも、異変を起こしているという自覚は無かったかもしれない。
ともかく、幹事の魔理沙さんに招かれ、私たちもその宴会に末席に加わることになった。
「お、やってるやってる」
慧音さんは招かれなかったようなので、今回は私たちだけである。会場の博麗神社に辿り着くと、既に集まっている面々が好き勝手に飲み散らかしていた。霊夢さんに魔理沙さん、アリスさん。魔理沙さんに懐いている妖怪少女のルーミアもいる。それにいつの間にかすっかり常連になっている幽々子さんと妖夢さん、それから盛り上げ役として呼ばれているらしい騒霊楽団の三人。おそらくこれから紅魔館の面々も来るのだろう。
「よ、来たな。こっちこっち」
手招きする魔理沙さんの脇に腰を下ろすと、「ま、飲め飲め」とさっそく盃が手渡されて酒が注がれる。元からわりとうわばみの蓮子はともかく、私はあまりお酒は強くないのだが、幻想郷に来てからというもの、すっかり慣らされてしまっていた。
「今日は何の宴会なんです?」
「あー? 宴会にいちいち口実はいらないぜ。やりたいときにやるもんだ」
その答えにも、とりあえず幻想郷的に不自然なところはない。故にこの時点で、私たちがこれを異変だと察知する術はなかった。たとえ我が相棒といえども。
「確かに、酒は飲みたいときに飲むのが一番美味しいですね」
蓮子が盃を傾けながら言う。「そーそー」と赤ら顔で魔理沙さんは蓮子と肩を組んだ。
「ていうか、あんたたちはいつまで魔理沙なんかに敬語使ってるのよ」
と呆れ顔で言ったのは霊夢さんである。「なんかとは酷いぜ」と口を尖らせる魔理沙さんに構わず、霊夢さんも盃を傾けながら「あんたたち、こっち来て一年だっけ?」と首を傾げた。
「ええ、紅霧異変が去年の夏ですから」
「だから他人行儀な敬語はそろそろやめなさいって。魔理沙なんかに下手に出てると、どんな目に遭っても知らないわよ」
霊夢さんが徳利を取り、蓮子の盃に酒を注ぐ。魔理沙さんは「霊夢にだけは言われたくないぜ」と憤然と鼻を鳴らしたが、「ま、確かにちっとくすぐったいな」と頬を掻いた。
「ああ――」
盃を傾けて、蓮子は頷く。
「じゃあ、えーと、魔理沙ちゃん、霊夢ちゃん? というか、ふたりともいくつ?」
「乙女に年齢を訊くもんじゃないぜ」
「好きに呼べばいいわよ」
「じゃあ、博麗霊夢だからレイレイってことで」
「変な渾名つけるな!」
「レイレイ! わっはっは、よーし今度からそう呼ぶか。おーいレイレイ」
「ぶん殴るわよ!」
魔理沙さんが爆笑し、霊夢さんが徳利を振り上げる。蓮子によって本名を勝手に縮められた人間としては、なんとも反応に困るやりとりである。
「やあ、楽しそうだね」
と、不意に現れたのは香霖堂の森近霖之助さんだった。この記録では書く機会を逸していたが、幻想郷で暮らし始めたこの一年の間に、香霖堂には何度か訪れている。香霖堂では外の世界の前世紀頃の物品が売られていて、電気がないためガラクタ同然のものも多いが、ひょっこり便利なものが手に入るのだ。爪切りなんかは特に助かったアイテムのひとつである。霖之助さんの方からも、使い方の解らない外の世界の物品について私たちから情報を得られるのを有り難がられている節がある。
「お、香霖。珍しいなあ、宴会に来るなんて」
「たまにはね。変わったものを拾ったから、そこの彼女たちに見てもらおうかと思ったんだ」
「私たち?」
霖之助さんがこちらを見やり、蓮子が首を傾げる。
「おとぎ話のたくさん入った小箱のようなのだが」
そう言って霖之助さんが差し出したのは、灰色の四角いカートリッジだった。ラベルが貼られているが、色褪せてよくわからなくなっている。手に取った蓮子はしばらく眺めて、ははあ、とひとつ唸った。
「これは、ゲームソフトですね。大昔の……って言ってもこの時代からするとそこまで昔でもないのかしら。スーパーファミコンよメリー、知ってる?」
「前世紀のテレビゲームでしょう? 実物は触ったことないけど、スーパーマリオならモバイルで遊んだことあるわ」
前世紀の終わり頃、全世界を席巻したゲーム機だ。21世紀末に暮らす私たちから見れば原始的というレベルの素朴な代物だが、だいたいゲームというものは素朴なものほど息が長い。スーパーマリオワールドは暇潰し用のゲームとしてモバイルによく最初からインストールされていて、私も子供の頃に散々遊んだものである。
「なんだそりゃ?」
魔理沙さんがこちらを覗きこむ。蓮子が色褪せたラベルを指でなぞった。
「……『新桃太郎伝説』って書いてますね。うーん、検索できればすぐわかるんだけど」
「桃太郎ってアレか? 犬と猿とあと何だったか連れて鬼退治したっていう」
「カラスじゃなかった?」
魔理沙さんと霊夢さんがそんなことを言う。桃太郎の知名度は幻想郷ではあまり高くないらしい。ここが外の世界で忘れられたものが流れ着く世界なら、それも当然かもしれない。
「雉。ちょっとどういうゲームなのかは解らないですけど、桃太郎をモチーフにしたゲームなんでしょうね。この箱を専用の機械に差し込んで電気を通すと、中に入っているおとぎ話で遊ぶことができる、と言えば解りやすいですかね」
「ふうむ……外の世界の機械は不思議なものだな」
もうひとつ納得しかねるような顔で、霖之助さんはカートリッジを受け取る。まあ、テレビもない世界の人にテレビゲームを理解してもらうことほど困難なことはあるまい。
「幻想郷に鬼がいれば、鬼退治の参考になったのかもしれないな」
「鬼なんておとぎ話の存在だぜ」
「私も鬼退治はしたことないわね。いないものは退治できないわ」
霖之助さんの言葉に、魔理沙さんと霊夢さんが答える。私は節分のとき、幻想郷に鬼がいない、ということを聞いたのを思いだしていた。やはり、鬼の不在は幻想郷の住人の共通認識であるらしい。
「あら、鬼ならここにいるじゃない」
と、また新しい声がその場に割り込む。振り向くと、咲夜さんとパチュリーさん、小悪魔さんを従えたレミリア嬢の姿があった。美鈴さんとフランドール嬢は留守番らしい。牙を見せて笑うレミリア嬢に、霊夢さんが肩を竦める。
「あんたたち、最近見なくて平和でいいと思ってたのに」
「梅雨が明けたからね。泥臭い土着の鬼なんかより、今は誇り高き貴族の時代よ。さあ、偉大なる吸血鬼を讃えなさい」
「自分で言ってりゃ世話ないぜ」
「あ、咲夜。丁度いいから料理の追加お願い。うちに材料ならあるから」
「貴方に命令される覚えはないのだけれど、霊夢」
「じゃあ私が命令するわ。咲夜、私とパチェの分の料理を用意なさい。ここの不敬な連中の分は必要ないわ」
「そりゃないぜ。ちょうど腹減ってきたところだしな、おお、偉大なるレミリアお嬢様」
「よろしい。貴方は今度またフランと遊んであげなさい」
「妹様と遊ぶと寿命が縮むんだがなあ」
どうも紅霧異変以降、威厳という名の化けの皮が剥がれ気味のお嬢様であるなあ――と、ぼんやりそんなやりとりを見守っていた私は、不意に小さな違和感を覚えて、目を細めた。
何か――今、一瞬だが、目の前の光景に何か、ひどく違和感を覚えるものがあった。
ほんの刹那、蜃気楼のように、ゆらり、と目の前の空間が揺らいだような――。
「……酔ったかしら」
飲みかけの杯を下ろして、私は息を吐く。周囲の談笑を見守りながら、ついつい無意識に飲み過ぎてしまったのかもしれない。
「メリー、どうかした? もう酔った?」
「……そうかも」
「膝枕してあげようか」
「大丈夫よ、夜風も気持ちいいし」
「そこは甘えてくれていいじゃない。ほらほら、よいではないか」
「蓮子の方が酔ってるんじゃないの?」
腕を引っ張る相棒に、私はただため息を返した。
――そんな調子で、最初の宴会は何事もなく進み、何事もなく解散した。
私の覚えた一瞬の違和感が、酔いによるものでなかったと知るのは、この次のことだ。
―5―
翌朝。
「うー、ちょっと飲み過ぎた……」
「大丈夫? はい、お水」
私の差し出した湯飲みの水をごくごくと飲み干して、蓮子は酒臭い息を吐く。いくらうわばみだからといって、妖怪のペースに合わせて飲んで二日酔いになっていれば世話はない。
「おっかしいなあ、普段ならここまで翌日に残ることないんだけど……」
「出されたお酒がいつもより強かったんじゃないの?」
「そうかしらねえ。あー」
布団に大の字になって、蓮子は目を閉じる。今日は寺子屋の授業がない日で幸いだった。こんな酒臭い状態で子供たちの前で授業をさせるわけにもいくまい。
しかし、肝心の所長がこれでは事務所も今日は依頼人がもし来ても対応できるだろうか。いや、そもそも依頼人が来る可能性自体が低いのではあるが。
「メリー、膝枕して」
「やーよ。膝に吐かれたら大変だもの」
「うう、ひどい……相棒が苦しんでるときぐらい優しくしてくれたっていいじゃない」
「自業自得よ。まあ、いつまでも唸られても鬱陶しいからはちみつ湯でも作ってあげるわ」
「ああ、神様仏様メリー様ぁ」
実際に八百万の神様がいるという幻想郷でその言い回しはどうなのだろう。妖怪側に列せられてはたまったものではない。
朝食を作る合間に、沸かしたお湯にはちみつを溶かして蓮子に差し出すと、相棒はそれを飲んでようやく人心地ついたように息を吐き出した。
「でも結局、昨日の宴会って何だったのかしらね」
「何か理由をつけなきゃ宴会しちゃいけないって法律はないでしょ。私たちが外の世界でサークル活動してたのと同じようなことじゃない?」
朝食の最中、ふと呟いた私に、相棒が味噌汁を啜りながら答える。確かにそうかもしれない。ただ酒が飲みたいから、騒ぎたいから宴会をする。それも立派な宴会の動機だろう。ただ――。
「昨日の宴会の幹事って魔理沙さんだったのよね?」
「メリー、昨日彼女たちに敬語はやめてって言われなかった?」
「そう言われたのは蓮子でしょ。――企画したにしては、彼女のテンションがいつもと変わらないような気がしたのよね。彼女が宴会したくて企画したなら、もうちょっとはしゃいでても良さそうなのに」
「魔理沙ちゃんの?」
相棒の方はいつの間にかちゃん付けである。まあ、「マーリン」とか「マリリン」とか言い出さないだけ良心的なのかもしれない。
「言われてみればそうねえ。……確かに、なんだか変ね。アリスさんもいたし」
「そうそう。アリスさん、目的なく宴会には来ないタイプだと思ったけど」
春雪異変のときには花見で何度か一緒になったが、その時は彼女には彼女なりの目的があって動いていたはずだ。昨日の宴会に、アリスさんが来る動機はあったのだろうか?
「まあ、彼女には彼女なりの理由があったのかもしれないわね。単にお酒を飲みたかっただけなのかもしれないし。そこは考えても仕方ないわ」
「あら、名探偵が推理を放棄するの?」
「推理するほどの謎でもないわよ。特に目的のない宴会が一回あったってだけじゃね」
「じゃあ、二回三回と続けば?」
「それなら謎になるかもしれないけど」
――もちろん、このときはただの冗談のつもりだったのだ。
だが、それが冗談ではなくなったのは、この2日後――即ち、宴会から3日目の昼。
箒に乗って事務所にやって来た魔理沙さんは、何の曇りもない笑顔で告げた。
「おう、今夜もまたやるぜ」
「――宴会を?」
目をしばたたかせてそう問うた蓮子に、魔理沙さんはきょとんと首を傾げる。
「他に何があるってんだ? また神社だから、来るなら歓迎するぜ」
「え、いいけど、ちょっと早くない? 前回の宴会、3日前だけど――」
「宴会に早いも遅いもないぜ。やりたいときにやるもんだからな」
「はあ――」
私たちが呆気にとられているうちに、魔理沙さんは「じゃあな」とまた箒にまたがって飛び去ってしまう。私たちは、ただ顔を見合わせるしかなかった。
いくら宴会が日常茶飯の幻想郷とはいえ、中2日での宴会の誘いはさすがに初めてである。
「どういうことかしら?」
「さてねえ。――春が短かったから、花見をし足りない分を取り返そうとしてるのかしら?」
私たちはそんなことを言い合いながら、首を捻るしかなかった。
―6―
ともかく、二度目の宴会である。
私たちが博麗神社に足を向けると、また前回と変わらない面々が揃っていた。今日は紅魔館の面々も最初からやって来ている。霖之助さんもいるし、騒霊楽団もいる。新たに八雲藍さんと橙ちゃんの姿まであった。
思わずふらふらと藍さんの尻尾に引き寄せられてしまいそうになったが、蓮子に腕を掴まれて止められる。「あーれー」と引きずられた先は、前回と同じく魔理沙さんのところだ。アリスさんもいる。
「や、今夜もやってるわね」
「おっ、来たな。ほれ飲めほれ飲め」
さっそく盃に酒を注いで差し出す魔理沙さん。しかし、今更ながら幻想郷の飲酒可能年齢は相当に緩いらしい。妖怪の面々はともかく、霊夢さんや魔理沙さんは10代前半ぐらいだろうに。いや、そもそも未成年の飲酒を取り締まる法律自体がないのだろう。そういう法律があるなら自警団員の慧音さんがここに乗り込んできてもおかしくないわけで。
「そういや、お前らの事務所の景気はどうなんだ?」
「閑古鳥がぼちぼちと啼いてるところかしら」
「ははは、そりゃいいや。香霖トコでも鳥の妖怪が本返せーって啼いてるしな」
何の話だか知らないが、蓮子は前回で懲りた様子もなくまたかぱかぱと杯を空けている。私はそれを見ながら、マイペースで飲むべくアリスさんのそばに腰を下ろした。アリスさんは毎度ながら、宴会の喧噪に対して我関せずという顔でお猪口を傾けている。
「また来たの? 貴方たちも大概暇そうね」
横目に私を見て、アリスさんはそんなことを言う。
「ええまあ……アリスさんこそ、この前に続いて、何かお目当てでも?」
「別に、そういうわけじゃないけど……なんとなくね」
ということは、アリスさんも別に何か目的があってこの宴会に来ているわけではないらしい。
私はちらりと、西行寺幽々子さんと魂魄妖夢さんに目をやる。春雪異変のときは、アリスさんは主に妖夢さんに興味を持っていたようなのだが、今はもう興味を失ったらしい。その妖夢さんは、ぱくぱくと料理を平らげる主の傍らで呆れ顔をしていた。その傍らには藍さんが、橙ちゃんの口元を拭ったり料理をとったり甲斐甲斐しく面倒を見ている。彼女が身動きするたび、モフモフの尻尾がゆらゆらと揺れて、ああ、まずいまずい、またモフりたくなってしまう……。
「貴方たちこそ、何かお目当てがあるのかしら? あの狐の尻尾?」
「あ、いえ、別にそういうわけでは……相棒が酒好き、宴会好きなだけです」
「ふうん。随分あの狐にご執心のようだけど」
見抜かれている。私は恥ずかしさに縮こまった。そんなに藍さんの尻尾ばかりまじまじと見つめていたつもりはないのだけれど。
「いいわね、あの尻尾」
「……アリスさんもそう思いますか」
「ええ。人形の髪とか服とか、色々使い勝手の良さそうな毛並みだわ。九本もあるんだから一本ぐらい貰えないかしら」
「あ、そういう意味ですか……」
人形遣いらしいと視点と言うべきか。そんなことを思いながらまた藍さんの方に視線を向けると、藍さんは幽々子さんと一緒になって何か妖夢さんをからかっているようだった。妖夢さんがむくれている。
「この楼観剣に、斬れぬものなどほとんどありません!」
「でもそれは妖夢の腕じゃなく、剣の切れ味よね~」
「うぐ……」
「そうだな。どんな方程式を頭に入れても、使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。使ってやらねば剣が泣く」
「使っています。毎日この楼観剣で鍛錬を」
「でもそれは素振りよね~?」
「ぐぬ」
「空気を斬るばかりでは、せっかくの剣も竹光と変わらないな」
「……やはり斬るものを斬らねばお祖父様の極意には辿り着けないのでしょうか」
「妖忌は何て言ってたんだったかしら~?」
「真実は斬って知るものだと」
「ならば、やはり実際に斬ってみるのがいいのではないか」
「斬ってみる……」
藍さんに言われて、背中の鞘から大きな刀を抜き、妖夢さんはじっとその刀身を見つめる。危ないから仕舞った方がいいと思うのだけれども。
一方視線を巡らせると、レミリア嬢が霊夢さんに絡んでいた。その脇ではパチュリーさんが、ワインを傾けながら退屈そうに本を読んでいる。何も宴会に来てまで本を読むことはないと思うのだが。
「ねえ霊夢、そろそろまた紅い月の下で遊ばない?」
「あによ、また異変起こす気? 今度は本気でとっちめるわよ」
「あら、前回は本気でなかったと? このレミリア・スカーレットが侮られたものね」
「あんただって本気なんか出してないでしょうに」
「――ふうん、さすが霊夢、よく解っているじゃない」
「べたべた触るな。豆ぶつけるわよ」
「土着の泥臭い鬼と一緒にされては困るわね」
「じゃあニンニクぶつけるわ」
「……それはちょっと勘弁ね、臭くなるし」
「神社の軒先にもニンニクぶら下げておこうかしら」
「さくやー、霊夢がいじめるよー」
「あまりお嬢様につれなくしないで頂戴。そうするとますます懐かれますよ」
「うげ。それは勘弁ね」
「この人間ども酷いと思わない? ねえパチェ」
「……部屋の出入口にニンニクをぶら下げておくのは、妹様が暴れたときの消極的対策としてはありかもしれないわね」
「さくやー」
「はいはいお嬢様、追加のお料理をお持ちしましたから」
「それはいいけど、そこで霊夢に差し出してるのは何よ」
「おつまみの枝豆です」
「枝豆でも鬼に効くのかしらね。えい」
霊夢さんが枝豆を掴んでレミリア嬢に投げつけ、「危ないわね」とレミリア嬢は器用に避ける。避けているということは効くのだろうか。なお投げられた枝豆は咲夜さんが時間を止めて回収しているらしく、地面に落ちることなく皿に戻っている。なかなかシュールな光景だった。
――と、その最中。
「あっ」
霊夢さんの投げた枝豆のひとつが、すっぽ抜けてレミリア嬢の遥か頭上を飛んでいく。
「どこ投げてるのかしら」
「ちょっと手元が狂っただけよ」
ふたりはそんなことを言い合っていて、何も気付いていないようだった。おそらく咲夜さんもそうだし、本を読んでいるパチュリーさんも。
だが――私は。そのときたまたま、遠目にその様子を見ていた私は、それに気付いた。
霊夢さんの投げた枝豆が中空を通り過ぎる刹那――一瞬だったけれど、空間が奇妙な形に歪んだのを。まるで、結界の裂け目が生じるときのように――。
酔いで視界が揺らいだのではない。私はまだほとんど飲んでいないのだから。だとすれば、今のはいったい何だ? ――霊夢さんとレミリア嬢がじゃれ合う向こうに、何かが姿を消して隠れているのか?
気になって、私は立ち上がる。蓮子がそれに気付いたか、「どしたのメリー、トイレ?」と私を見上げた。私が手招きすると、「なに? 連れション?」と蓮子は笑う。下品だからやめてほしい。――じゃなくて。
「ちょっと蓮子、気になることがあるんだけど」
「ん、何かメリーの目で見つけた?」
私が今見たものを耳打ちすると、蓮子の顔が一気に楽しげになった。
「そういえば、メリーが結界の裂け目を視るのは基本的に神社仏閣関連だったわね。この博麗神社って博麗大結界に面してるそうだし――」
「……じゃあ、私が視たのは博麗大結界の揺らぎ?」
「かもしれないわ。ちょっと確認してみましょ。どのへん?」
「こっちだけど――」
大丈夫だろうか、と思いつつ私は蓮子とともに、結界の揺らぎめいたものを視た方向へ向かう。霊夢さんがそれに気付いて「どこ行くの?」と声を掛けたが、「ちょっと」と誤魔化した。霊夢さんは怪訝そうな顔をしていたが、レミリア嬢に再び絡まれて私たちから注意を逸らす。
「私には何も見えないけど……メリーには今も何か視えてるの?」
「ううん……さっきも一瞬だったから……」
視線を巡らせても、結界の揺らぎらしきものは見つからない。何かの見間違いだったのだろうか。少し自信がなくなってきたところだったが――。
「――あっ!」
次の瞬間、今度こそ私ははっきりと視た。宴会の中心から離れた、誰もいない空間が、はっきりと揺らいだのを。その空間に、不自然な境目が見える。――いる。物理的に視認できないだけで、そこには何かがいる。私の目に見えている歪な境界が、それを教えてくれる。
酔ったつもりはなかったが、少しばかり酒の力で気が大きくなっていたのかもしれない。気付いた勢いのままに、私はそれを指さした。
「蓮子、あそこに何かいる――あっ、逃げた!」
「えっ、どこどこ? もう、メリー、私の目に触ってくれなきゃわかんないってば」
「それどころじゃないわ、こっち!」
「ちょ、メリー、もう!」
私は蓮子の手を引いて、その不自然な境界を追って走り出す。何者かの痕跡は、うねるようにしながら、神社の裏手の森の方へ逃げていく。私は両目を見開いて、それを見定めようとした。その輪郭は、だんだんと濃密になっていく――。
がさがさと、その痕跡を追って森の中に入り込んだ私たちは、しかし不意に足を止めた。
「霧……?」
いつの間にか、私たちの周囲に霧が立ちこめている。それも、ただの霧ではない。いつかレミリア嬢が発生させた紅い霧のような、妖しい気配をまとった霧だ。
「なんで急に霧が……? ちょっとメリー、何がどうなってるの?」
「しっ、蓮子はちょっと黙って」
霧が濃くなるとともに、私の目もよりはっきりと、何者かの存在を眼前に認識していた。曖昧模糊としていたその気配は、次第に一箇所に萃まりはじめ……やがて、完全な輪郭を伴っていく。不可視の存在が、可視化されていく。
「……ちょっとぉ、今見つかるとか想定外すぎるんだけどさぁ」
不意に聞こえてきたのは、そんな少し呂律の回っていない、幼い少女の声だった。
「どういうこと? なんで気付いたの? おっかしいなー」
「――誰?」
私がそう誰何した、次の瞬間。
――私たちの周囲を漂っていた妖霧が一箇所に収束し、人の形を為した。
いや、それを人の形と言っていいのだろうか。全体としてはそれは、私たちより頭ひとつ以上小さい、レミリア嬢のように幼い少女の姿をしていた。栗色の長い髪。赤い大きなリボン。袖口の破れた白いシャツからのぞく細い腕。腰と両手首から下がる鎖。手にしているのは紫色の瓢箪。――そして、酔っ払ったような赤ら顔。
そこまでなら、人間と変わらない幼い少女の姿に過ぎなかった。だが――。
その頭部に、大きな2本の角が生えている。異形を誇示するかのごとくに。
「……鬼?」
私と蓮子は、その少女の姿に、全く同じその単語を呟いていた。
その言葉に、目の前に現れた少女は、にかっ、と歯を見せて笑った。
「ご明察。――で、あんたたちは何者なのさ?」
というわけで。
おそらく最初から知っていただろう妖怪の賢者、八雲紫を除けば――この《三日置きの百鬼夜行》異変において、最初にその首謀者に辿り着いたのは、私たちなのである。
もちろん、最初の宴会はごく当たり前の宴会で、それが異変だと関知していた者は、その首謀者以外にはいなかっただろう。いや、首謀者自身さえも、異変を起こしているという自覚は無かったかもしれない。
ともかく、幹事の魔理沙さんに招かれ、私たちもその宴会に末席に加わることになった。
「お、やってるやってる」
慧音さんは招かれなかったようなので、今回は私たちだけである。会場の博麗神社に辿り着くと、既に集まっている面々が好き勝手に飲み散らかしていた。霊夢さんに魔理沙さん、アリスさん。魔理沙さんに懐いている妖怪少女のルーミアもいる。それにいつの間にかすっかり常連になっている幽々子さんと妖夢さん、それから盛り上げ役として呼ばれているらしい騒霊楽団の三人。おそらくこれから紅魔館の面々も来るのだろう。
「よ、来たな。こっちこっち」
手招きする魔理沙さんの脇に腰を下ろすと、「ま、飲め飲め」とさっそく盃が手渡されて酒が注がれる。元からわりとうわばみの蓮子はともかく、私はあまりお酒は強くないのだが、幻想郷に来てからというもの、すっかり慣らされてしまっていた。
「今日は何の宴会なんです?」
「あー? 宴会にいちいち口実はいらないぜ。やりたいときにやるもんだ」
その答えにも、とりあえず幻想郷的に不自然なところはない。故にこの時点で、私たちがこれを異変だと察知する術はなかった。たとえ我が相棒といえども。
「確かに、酒は飲みたいときに飲むのが一番美味しいですね」
蓮子が盃を傾けながら言う。「そーそー」と赤ら顔で魔理沙さんは蓮子と肩を組んだ。
「ていうか、あんたたちはいつまで魔理沙なんかに敬語使ってるのよ」
と呆れ顔で言ったのは霊夢さんである。「なんかとは酷いぜ」と口を尖らせる魔理沙さんに構わず、霊夢さんも盃を傾けながら「あんたたち、こっち来て一年だっけ?」と首を傾げた。
「ええ、紅霧異変が去年の夏ですから」
「だから他人行儀な敬語はそろそろやめなさいって。魔理沙なんかに下手に出てると、どんな目に遭っても知らないわよ」
霊夢さんが徳利を取り、蓮子の盃に酒を注ぐ。魔理沙さんは「霊夢にだけは言われたくないぜ」と憤然と鼻を鳴らしたが、「ま、確かにちっとくすぐったいな」と頬を掻いた。
「ああ――」
盃を傾けて、蓮子は頷く。
「じゃあ、えーと、魔理沙ちゃん、霊夢ちゃん? というか、ふたりともいくつ?」
「乙女に年齢を訊くもんじゃないぜ」
「好きに呼べばいいわよ」
「じゃあ、博麗霊夢だからレイレイってことで」
「変な渾名つけるな!」
「レイレイ! わっはっは、よーし今度からそう呼ぶか。おーいレイレイ」
「ぶん殴るわよ!」
魔理沙さんが爆笑し、霊夢さんが徳利を振り上げる。蓮子によって本名を勝手に縮められた人間としては、なんとも反応に困るやりとりである。
「やあ、楽しそうだね」
と、不意に現れたのは香霖堂の森近霖之助さんだった。この記録では書く機会を逸していたが、幻想郷で暮らし始めたこの一年の間に、香霖堂には何度か訪れている。香霖堂では外の世界の前世紀頃の物品が売られていて、電気がないためガラクタ同然のものも多いが、ひょっこり便利なものが手に入るのだ。爪切りなんかは特に助かったアイテムのひとつである。霖之助さんの方からも、使い方の解らない外の世界の物品について私たちから情報を得られるのを有り難がられている節がある。
「お、香霖。珍しいなあ、宴会に来るなんて」
「たまにはね。変わったものを拾ったから、そこの彼女たちに見てもらおうかと思ったんだ」
「私たち?」
霖之助さんがこちらを見やり、蓮子が首を傾げる。
「おとぎ話のたくさん入った小箱のようなのだが」
そう言って霖之助さんが差し出したのは、灰色の四角いカートリッジだった。ラベルが貼られているが、色褪せてよくわからなくなっている。手に取った蓮子はしばらく眺めて、ははあ、とひとつ唸った。
「これは、ゲームソフトですね。大昔の……って言ってもこの時代からするとそこまで昔でもないのかしら。スーパーファミコンよメリー、知ってる?」
「前世紀のテレビゲームでしょう? 実物は触ったことないけど、スーパーマリオならモバイルで遊んだことあるわ」
前世紀の終わり頃、全世界を席巻したゲーム機だ。21世紀末に暮らす私たちから見れば原始的というレベルの素朴な代物だが、だいたいゲームというものは素朴なものほど息が長い。スーパーマリオワールドは暇潰し用のゲームとしてモバイルによく最初からインストールされていて、私も子供の頃に散々遊んだものである。
「なんだそりゃ?」
魔理沙さんがこちらを覗きこむ。蓮子が色褪せたラベルを指でなぞった。
「……『新桃太郎伝説』って書いてますね。うーん、検索できればすぐわかるんだけど」
「桃太郎ってアレか? 犬と猿とあと何だったか連れて鬼退治したっていう」
「カラスじゃなかった?」
魔理沙さんと霊夢さんがそんなことを言う。桃太郎の知名度は幻想郷ではあまり高くないらしい。ここが外の世界で忘れられたものが流れ着く世界なら、それも当然かもしれない。
「雉。ちょっとどういうゲームなのかは解らないですけど、桃太郎をモチーフにしたゲームなんでしょうね。この箱を専用の機械に差し込んで電気を通すと、中に入っているおとぎ話で遊ぶことができる、と言えば解りやすいですかね」
「ふうむ……外の世界の機械は不思議なものだな」
もうひとつ納得しかねるような顔で、霖之助さんはカートリッジを受け取る。まあ、テレビもない世界の人にテレビゲームを理解してもらうことほど困難なことはあるまい。
「幻想郷に鬼がいれば、鬼退治の参考になったのかもしれないな」
「鬼なんておとぎ話の存在だぜ」
「私も鬼退治はしたことないわね。いないものは退治できないわ」
霖之助さんの言葉に、魔理沙さんと霊夢さんが答える。私は節分のとき、幻想郷に鬼がいない、ということを聞いたのを思いだしていた。やはり、鬼の不在は幻想郷の住人の共通認識であるらしい。
「あら、鬼ならここにいるじゃない」
と、また新しい声がその場に割り込む。振り向くと、咲夜さんとパチュリーさん、小悪魔さんを従えたレミリア嬢の姿があった。美鈴さんとフランドール嬢は留守番らしい。牙を見せて笑うレミリア嬢に、霊夢さんが肩を竦める。
「あんたたち、最近見なくて平和でいいと思ってたのに」
「梅雨が明けたからね。泥臭い土着の鬼なんかより、今は誇り高き貴族の時代よ。さあ、偉大なる吸血鬼を讃えなさい」
「自分で言ってりゃ世話ないぜ」
「あ、咲夜。丁度いいから料理の追加お願い。うちに材料ならあるから」
「貴方に命令される覚えはないのだけれど、霊夢」
「じゃあ私が命令するわ。咲夜、私とパチェの分の料理を用意なさい。ここの不敬な連中の分は必要ないわ」
「そりゃないぜ。ちょうど腹減ってきたところだしな、おお、偉大なるレミリアお嬢様」
「よろしい。貴方は今度またフランと遊んであげなさい」
「妹様と遊ぶと寿命が縮むんだがなあ」
どうも紅霧異変以降、威厳という名の化けの皮が剥がれ気味のお嬢様であるなあ――と、ぼんやりそんなやりとりを見守っていた私は、不意に小さな違和感を覚えて、目を細めた。
何か――今、一瞬だが、目の前の光景に何か、ひどく違和感を覚えるものがあった。
ほんの刹那、蜃気楼のように、ゆらり、と目の前の空間が揺らいだような――。
「……酔ったかしら」
飲みかけの杯を下ろして、私は息を吐く。周囲の談笑を見守りながら、ついつい無意識に飲み過ぎてしまったのかもしれない。
「メリー、どうかした? もう酔った?」
「……そうかも」
「膝枕してあげようか」
「大丈夫よ、夜風も気持ちいいし」
「そこは甘えてくれていいじゃない。ほらほら、よいではないか」
「蓮子の方が酔ってるんじゃないの?」
腕を引っ張る相棒に、私はただため息を返した。
――そんな調子で、最初の宴会は何事もなく進み、何事もなく解散した。
私の覚えた一瞬の違和感が、酔いによるものでなかったと知るのは、この次のことだ。
―5―
翌朝。
「うー、ちょっと飲み過ぎた……」
「大丈夫? はい、お水」
私の差し出した湯飲みの水をごくごくと飲み干して、蓮子は酒臭い息を吐く。いくらうわばみだからといって、妖怪のペースに合わせて飲んで二日酔いになっていれば世話はない。
「おっかしいなあ、普段ならここまで翌日に残ることないんだけど……」
「出されたお酒がいつもより強かったんじゃないの?」
「そうかしらねえ。あー」
布団に大の字になって、蓮子は目を閉じる。今日は寺子屋の授業がない日で幸いだった。こんな酒臭い状態で子供たちの前で授業をさせるわけにもいくまい。
しかし、肝心の所長がこれでは事務所も今日は依頼人がもし来ても対応できるだろうか。いや、そもそも依頼人が来る可能性自体が低いのではあるが。
「メリー、膝枕して」
「やーよ。膝に吐かれたら大変だもの」
「うう、ひどい……相棒が苦しんでるときぐらい優しくしてくれたっていいじゃない」
「自業自得よ。まあ、いつまでも唸られても鬱陶しいからはちみつ湯でも作ってあげるわ」
「ああ、神様仏様メリー様ぁ」
実際に八百万の神様がいるという幻想郷でその言い回しはどうなのだろう。妖怪側に列せられてはたまったものではない。
朝食を作る合間に、沸かしたお湯にはちみつを溶かして蓮子に差し出すと、相棒はそれを飲んでようやく人心地ついたように息を吐き出した。
「でも結局、昨日の宴会って何だったのかしらね」
「何か理由をつけなきゃ宴会しちゃいけないって法律はないでしょ。私たちが外の世界でサークル活動してたのと同じようなことじゃない?」
朝食の最中、ふと呟いた私に、相棒が味噌汁を啜りながら答える。確かにそうかもしれない。ただ酒が飲みたいから、騒ぎたいから宴会をする。それも立派な宴会の動機だろう。ただ――。
「昨日の宴会の幹事って魔理沙さんだったのよね?」
「メリー、昨日彼女たちに敬語はやめてって言われなかった?」
「そう言われたのは蓮子でしょ。――企画したにしては、彼女のテンションがいつもと変わらないような気がしたのよね。彼女が宴会したくて企画したなら、もうちょっとはしゃいでても良さそうなのに」
「魔理沙ちゃんの?」
相棒の方はいつの間にかちゃん付けである。まあ、「マーリン」とか「マリリン」とか言い出さないだけ良心的なのかもしれない。
「言われてみればそうねえ。……確かに、なんだか変ね。アリスさんもいたし」
「そうそう。アリスさん、目的なく宴会には来ないタイプだと思ったけど」
春雪異変のときには花見で何度か一緒になったが、その時は彼女には彼女なりの目的があって動いていたはずだ。昨日の宴会に、アリスさんが来る動機はあったのだろうか?
「まあ、彼女には彼女なりの理由があったのかもしれないわね。単にお酒を飲みたかっただけなのかもしれないし。そこは考えても仕方ないわ」
「あら、名探偵が推理を放棄するの?」
「推理するほどの謎でもないわよ。特に目的のない宴会が一回あったってだけじゃね」
「じゃあ、二回三回と続けば?」
「それなら謎になるかもしれないけど」
――もちろん、このときはただの冗談のつもりだったのだ。
だが、それが冗談ではなくなったのは、この2日後――即ち、宴会から3日目の昼。
箒に乗って事務所にやって来た魔理沙さんは、何の曇りもない笑顔で告げた。
「おう、今夜もまたやるぜ」
「――宴会を?」
目をしばたたかせてそう問うた蓮子に、魔理沙さんはきょとんと首を傾げる。
「他に何があるってんだ? また神社だから、来るなら歓迎するぜ」
「え、いいけど、ちょっと早くない? 前回の宴会、3日前だけど――」
「宴会に早いも遅いもないぜ。やりたいときにやるもんだからな」
「はあ――」
私たちが呆気にとられているうちに、魔理沙さんは「じゃあな」とまた箒にまたがって飛び去ってしまう。私たちは、ただ顔を見合わせるしかなかった。
いくら宴会が日常茶飯の幻想郷とはいえ、中2日での宴会の誘いはさすがに初めてである。
「どういうことかしら?」
「さてねえ。――春が短かったから、花見をし足りない分を取り返そうとしてるのかしら?」
私たちはそんなことを言い合いながら、首を捻るしかなかった。
―6―
ともかく、二度目の宴会である。
私たちが博麗神社に足を向けると、また前回と変わらない面々が揃っていた。今日は紅魔館の面々も最初からやって来ている。霖之助さんもいるし、騒霊楽団もいる。新たに八雲藍さんと橙ちゃんの姿まであった。
思わずふらふらと藍さんの尻尾に引き寄せられてしまいそうになったが、蓮子に腕を掴まれて止められる。「あーれー」と引きずられた先は、前回と同じく魔理沙さんのところだ。アリスさんもいる。
「や、今夜もやってるわね」
「おっ、来たな。ほれ飲めほれ飲め」
さっそく盃に酒を注いで差し出す魔理沙さん。しかし、今更ながら幻想郷の飲酒可能年齢は相当に緩いらしい。妖怪の面々はともかく、霊夢さんや魔理沙さんは10代前半ぐらいだろうに。いや、そもそも未成年の飲酒を取り締まる法律自体がないのだろう。そういう法律があるなら自警団員の慧音さんがここに乗り込んできてもおかしくないわけで。
「そういや、お前らの事務所の景気はどうなんだ?」
「閑古鳥がぼちぼちと啼いてるところかしら」
「ははは、そりゃいいや。香霖トコでも鳥の妖怪が本返せーって啼いてるしな」
何の話だか知らないが、蓮子は前回で懲りた様子もなくまたかぱかぱと杯を空けている。私はそれを見ながら、マイペースで飲むべくアリスさんのそばに腰を下ろした。アリスさんは毎度ながら、宴会の喧噪に対して我関せずという顔でお猪口を傾けている。
「また来たの? 貴方たちも大概暇そうね」
横目に私を見て、アリスさんはそんなことを言う。
「ええまあ……アリスさんこそ、この前に続いて、何かお目当てでも?」
「別に、そういうわけじゃないけど……なんとなくね」
ということは、アリスさんも別に何か目的があってこの宴会に来ているわけではないらしい。
私はちらりと、西行寺幽々子さんと魂魄妖夢さんに目をやる。春雪異変のときは、アリスさんは主に妖夢さんに興味を持っていたようなのだが、今はもう興味を失ったらしい。その妖夢さんは、ぱくぱくと料理を平らげる主の傍らで呆れ顔をしていた。その傍らには藍さんが、橙ちゃんの口元を拭ったり料理をとったり甲斐甲斐しく面倒を見ている。彼女が身動きするたび、モフモフの尻尾がゆらゆらと揺れて、ああ、まずいまずい、またモフりたくなってしまう……。
「貴方たちこそ、何かお目当てがあるのかしら? あの狐の尻尾?」
「あ、いえ、別にそういうわけでは……相棒が酒好き、宴会好きなだけです」
「ふうん。随分あの狐にご執心のようだけど」
見抜かれている。私は恥ずかしさに縮こまった。そんなに藍さんの尻尾ばかりまじまじと見つめていたつもりはないのだけれど。
「いいわね、あの尻尾」
「……アリスさんもそう思いますか」
「ええ。人形の髪とか服とか、色々使い勝手の良さそうな毛並みだわ。九本もあるんだから一本ぐらい貰えないかしら」
「あ、そういう意味ですか……」
人形遣いらしいと視点と言うべきか。そんなことを思いながらまた藍さんの方に視線を向けると、藍さんは幽々子さんと一緒になって何か妖夢さんをからかっているようだった。妖夢さんがむくれている。
「この楼観剣に、斬れぬものなどほとんどありません!」
「でもそれは妖夢の腕じゃなく、剣の切れ味よね~」
「うぐ……」
「そうだな。どんな方程式を頭に入れても、使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。使ってやらねば剣が泣く」
「使っています。毎日この楼観剣で鍛錬を」
「でもそれは素振りよね~?」
「ぐぬ」
「空気を斬るばかりでは、せっかくの剣も竹光と変わらないな」
「……やはり斬るものを斬らねばお祖父様の極意には辿り着けないのでしょうか」
「妖忌は何て言ってたんだったかしら~?」
「真実は斬って知るものだと」
「ならば、やはり実際に斬ってみるのがいいのではないか」
「斬ってみる……」
藍さんに言われて、背中の鞘から大きな刀を抜き、妖夢さんはじっとその刀身を見つめる。危ないから仕舞った方がいいと思うのだけれども。
一方視線を巡らせると、レミリア嬢が霊夢さんに絡んでいた。その脇ではパチュリーさんが、ワインを傾けながら退屈そうに本を読んでいる。何も宴会に来てまで本を読むことはないと思うのだが。
「ねえ霊夢、そろそろまた紅い月の下で遊ばない?」
「あによ、また異変起こす気? 今度は本気でとっちめるわよ」
「あら、前回は本気でなかったと? このレミリア・スカーレットが侮られたものね」
「あんただって本気なんか出してないでしょうに」
「――ふうん、さすが霊夢、よく解っているじゃない」
「べたべた触るな。豆ぶつけるわよ」
「土着の泥臭い鬼と一緒にされては困るわね」
「じゃあニンニクぶつけるわ」
「……それはちょっと勘弁ね、臭くなるし」
「神社の軒先にもニンニクぶら下げておこうかしら」
「さくやー、霊夢がいじめるよー」
「あまりお嬢様につれなくしないで頂戴。そうするとますます懐かれますよ」
「うげ。それは勘弁ね」
「この人間ども酷いと思わない? ねえパチェ」
「……部屋の出入口にニンニクをぶら下げておくのは、妹様が暴れたときの消極的対策としてはありかもしれないわね」
「さくやー」
「はいはいお嬢様、追加のお料理をお持ちしましたから」
「それはいいけど、そこで霊夢に差し出してるのは何よ」
「おつまみの枝豆です」
「枝豆でも鬼に効くのかしらね。えい」
霊夢さんが枝豆を掴んでレミリア嬢に投げつけ、「危ないわね」とレミリア嬢は器用に避ける。避けているということは効くのだろうか。なお投げられた枝豆は咲夜さんが時間を止めて回収しているらしく、地面に落ちることなく皿に戻っている。なかなかシュールな光景だった。
――と、その最中。
「あっ」
霊夢さんの投げた枝豆のひとつが、すっぽ抜けてレミリア嬢の遥か頭上を飛んでいく。
「どこ投げてるのかしら」
「ちょっと手元が狂っただけよ」
ふたりはそんなことを言い合っていて、何も気付いていないようだった。おそらく咲夜さんもそうだし、本を読んでいるパチュリーさんも。
だが――私は。そのときたまたま、遠目にその様子を見ていた私は、それに気付いた。
霊夢さんの投げた枝豆が中空を通り過ぎる刹那――一瞬だったけれど、空間が奇妙な形に歪んだのを。まるで、結界の裂け目が生じるときのように――。
酔いで視界が揺らいだのではない。私はまだほとんど飲んでいないのだから。だとすれば、今のはいったい何だ? ――霊夢さんとレミリア嬢がじゃれ合う向こうに、何かが姿を消して隠れているのか?
気になって、私は立ち上がる。蓮子がそれに気付いたか、「どしたのメリー、トイレ?」と私を見上げた。私が手招きすると、「なに? 連れション?」と蓮子は笑う。下品だからやめてほしい。――じゃなくて。
「ちょっと蓮子、気になることがあるんだけど」
「ん、何かメリーの目で見つけた?」
私が今見たものを耳打ちすると、蓮子の顔が一気に楽しげになった。
「そういえば、メリーが結界の裂け目を視るのは基本的に神社仏閣関連だったわね。この博麗神社って博麗大結界に面してるそうだし――」
「……じゃあ、私が視たのは博麗大結界の揺らぎ?」
「かもしれないわ。ちょっと確認してみましょ。どのへん?」
「こっちだけど――」
大丈夫だろうか、と思いつつ私は蓮子とともに、結界の揺らぎめいたものを視た方向へ向かう。霊夢さんがそれに気付いて「どこ行くの?」と声を掛けたが、「ちょっと」と誤魔化した。霊夢さんは怪訝そうな顔をしていたが、レミリア嬢に再び絡まれて私たちから注意を逸らす。
「私には何も見えないけど……メリーには今も何か視えてるの?」
「ううん……さっきも一瞬だったから……」
視線を巡らせても、結界の揺らぎらしきものは見つからない。何かの見間違いだったのだろうか。少し自信がなくなってきたところだったが――。
「――あっ!」
次の瞬間、今度こそ私ははっきりと視た。宴会の中心から離れた、誰もいない空間が、はっきりと揺らいだのを。その空間に、不自然な境目が見える。――いる。物理的に視認できないだけで、そこには何かがいる。私の目に見えている歪な境界が、それを教えてくれる。
酔ったつもりはなかったが、少しばかり酒の力で気が大きくなっていたのかもしれない。気付いた勢いのままに、私はそれを指さした。
「蓮子、あそこに何かいる――あっ、逃げた!」
「えっ、どこどこ? もう、メリー、私の目に触ってくれなきゃわかんないってば」
「それどころじゃないわ、こっち!」
「ちょ、メリー、もう!」
私は蓮子の手を引いて、その不自然な境界を追って走り出す。何者かの痕跡は、うねるようにしながら、神社の裏手の森の方へ逃げていく。私は両目を見開いて、それを見定めようとした。その輪郭は、だんだんと濃密になっていく――。
がさがさと、その痕跡を追って森の中に入り込んだ私たちは、しかし不意に足を止めた。
「霧……?」
いつの間にか、私たちの周囲に霧が立ちこめている。それも、ただの霧ではない。いつかレミリア嬢が発生させた紅い霧のような、妖しい気配をまとった霧だ。
「なんで急に霧が……? ちょっとメリー、何がどうなってるの?」
「しっ、蓮子はちょっと黙って」
霧が濃くなるとともに、私の目もよりはっきりと、何者かの存在を眼前に認識していた。曖昧模糊としていたその気配は、次第に一箇所に萃まりはじめ……やがて、完全な輪郭を伴っていく。不可視の存在が、可視化されていく。
「……ちょっとぉ、今見つかるとか想定外すぎるんだけどさぁ」
不意に聞こえてきたのは、そんな少し呂律の回っていない、幼い少女の声だった。
「どういうこと? なんで気付いたの? おっかしいなー」
「――誰?」
私がそう誰何した、次の瞬間。
――私たちの周囲を漂っていた妖霧が一箇所に収束し、人の形を為した。
いや、それを人の形と言っていいのだろうか。全体としてはそれは、私たちより頭ひとつ以上小さい、レミリア嬢のように幼い少女の姿をしていた。栗色の長い髪。赤い大きなリボン。袖口の破れた白いシャツからのぞく細い腕。腰と両手首から下がる鎖。手にしているのは紫色の瓢箪。――そして、酔っ払ったような赤ら顔。
そこまでなら、人間と変わらない幼い少女の姿に過ぎなかった。だが――。
その頭部に、大きな2本の角が生えている。異形を誇示するかのごとくに。
「……鬼?」
私と蓮子は、その少女の姿に、全く同じその単語を呟いていた。
その言葉に、目の前に現れた少女は、にかっ、と歯を見せて笑った。
「ご明察。――で、あんたたちは何者なのさ?」
というわけで。
おそらく最初から知っていただろう妖怪の賢者、八雲紫を除けば――この《三日置きの百鬼夜行》異変において、最初にその首謀者に辿り着いたのは、私たちなのである。
第3章 萃夢想編 一覧
感想をツイートする
ツイート
宴会たのしそうだなあ…
次回も楽しみです。
土曜日の終わりを告げる小説
なるほどこうやって妖夢は萃夢想妖夢になるわけですねww
流石メリーですね。それにしても酒が飲みたくなりますね。
「新桃太郎伝説」とはまた
あれも月が重要な舞台の一つだった