「鬼は元々、隠など『隠された』という意味から来ている物で、人間の内部から出てくる物だった。
その証拠に、多くの鬼は元人間でしょう?」
(『東方茨歌仙』第21話「鬼は外、腹は内」より)
博麗神社の縁側に、ごろごろと寝転んだ小さな影がある。
「ねえ霊夢ー、今夜宴会しようよー、宴会ー、えーんーかーいー!」
「うるさい。あれだけ宴会開いてまだ足りないっての?」
じたばたと暴れる萃香さんを横目で睨みながら、霊夢さんはお茶を啜った。
「鬼は毎晩でも宴会したいんだよ。毎晩が百鬼夜行よ」
「毎晩が鬼退治は勘弁だってば。人間の宴会は週に一度で充分なの」
つれない霊夢さんに、萃香さんはぷくっと頬を膨らませて、上目遣いに睨んだ。
「ケチだなあ。また私の力でみんなを萃めてもいいのよ?」
「それやったら今度こそ退治してやるから」
「ふふん、鬼の力に敵うと思ってる?」
「私がじゃないわよ。鬼が悪さしてるって紫に言いつける」
「ぐえー。うう、仲間を呼び戻せてたらなあ。なんで失敗したんだろう」
呻いて、萃香さんは突っ伏した。萃香さんもどうやら妖怪の賢者には敵わないらしい。
霊夢さんは肩を竦めて、それから同じ縁側に腰を下ろしてお茶のご相伴にあずかっている私たちの方を振り向いた。
「で、あんたたちは何しに来たの?」
「やー、ちょっと萃香ちゃんに用があって」
「ん? 私? 今度は何さ」
顔を挙げた萃香さんに、我が相棒は猫のような笑みを浮かべて、帽子の庇を持ち上げる。
「幻想郷に戻ってきた鬼に、新しい鬼退治の方法をご提案いたしますわ」
その言葉に、萃香さんと霊夢さんはきょとんと目をしばたたかせた。
◇
「ねえ蓮子。あの推理ってどこまで本気だったの?」
九回目の宴会で、蓮子が〝三日置きの百鬼夜行〟の謎を解いた後のこと。
自宅で、あとで原稿にまとめるために今回の異変(?)の要点を書きだしていた私は、相棒にそう訊ねた。畳に寝転んでいた相棒は、「ん?」と顔を上げる。
「どこまでって?」
「主に最後の、萃香さんの正体。彼女が足柄山の金太郎って、本気で言ったの?」
「あら、私の推理に何か破綻やミスでも見つけた?」
「そういうわけじゃないけど――そもそも、だいぶ恣意的な消去法での推理じゃない。蓮子の言った条件で絞り込んでいけば、確かに坂田金時という結論になるんでしょうけど、逆に言えば彼女を足柄山の金太郎だと積極的に見なしうる証拠はない。そうじゃない? まさかりを担いでるわけでも、熊にまたがってるわけでもないし」
「うん、それはその通りね」
私の難癖に相棒があっさり頷いたので、私は目をしばたたかせる。蓮子は苦笑した。
「私だって自分の推理の恣意性ぐらい認識してるわよ。私が提示するのはあくまで論理的な唯一無二の解答じゃなく、私の目に見えた範囲の情報から組み立てられる、蓋然性の高い推測。それを周知徹底すれば、あるいはこの世界ではそれが唯一無二の真実になり得るのかもしれないけれど、そこまでする権利には私はないわ。私が示すのはこの世界に存在しうる多様な可能性のひとつ。実はそうだと考えたら面白い――そんな真相よ」
「それって、要するに単なる与太話よね」
「与太話上等。この幻想郷そのものが与太話でできた世界じゃない。メリーの好きな有栖川有栖も言っているわ。『ミステリにおいて、トリックが解明されたあとに見えてくる風景は、それまでに見えていた風景よりも凄まじいものでなければならない』って」
「別にそこまで有栖川有栖の大ファンでもないけど――まあ、それは実際その通りだと思うわ」
綾辻行人との対談だったかで、確かにそんなことを言っていたはずだ。
「ねえメリー、私たち秘封倶楽部は、何のために世界の謎を解くんだと思ってるの?」
「蓮子が楽しいからじゃないの?」
「そう! 楽しいからよ! 世界の秘密に触れ、その裏側を垣間見ることが!」
両手を広げ、相棒は高らかにそう宣言する。
「それはこの幻想郷でも同じことだわ。今私たちの目に見えているこの世界。その裏側にある秘密を探ることで、この世界の、今よりも凄まじい本当の姿が見えてくる。吸血鬼や、亡霊や、鬼の秘密を探った先に、もっと壮大な企みや真意が顕れる。そうすることで、この世界はさらに面白くなるのよ! 私たちはそのために、この世界の謎を解いていくの! 私たちのために世界を面白くするんじゃない、世界を面白くするために私たちがいるんだわ!」
ぎゅっと私の手を掴んで、相棒はキラキラと目を輝かせて言葉を続ける。
「だからメリー、私たちはもっと謎を解いて、もっと世界を面白くするのよ! この世界の無限の可能性を暴くこと、それが私たち秘封倶楽部の使命なんだわ!」
「――使命はいいけど、それが探偵事務所の収入に繋がらない問題は、果たして放っておいていいものなのかしら?」
「世知辛いこと言わないでよ、もう」
がくっとうなだれる相棒に、私はただ苦笑を漏らした。
全く――これから、この相棒に振り回されるのも、私はやめられないのである。
そのキラキラした目が眩しいから。世界の秘密へ突進していく背中が頼もしいから。
――蓮子の推理が、私の目に見える世界を解きほぐして、楽しくしてくれるから。
そんなことは、相棒には言ってはあげないのだけれど。
◇
さて、相棒の、萃香さんへの「提案」から一週間が過ぎた頃。
「ごめんください」
探偵事務所に、思わぬ来客が訪れた。稗田阿求さんである。
「阿求さん?」
「こんにちは。――少し、博麗神社までお付き合いいただけますか?」
私たちを見上げて、阿求さんはにっこりと笑ってそう言う。私たちは顔を見合わせた。
「霊夢ちゃんに取材?」
「あら、何か最近異変はありましたっけ」
小首を傾げる阿求さん。やはり〝三日置きの百鬼夜行〟は、結局は異変としては認知されなかったらしい。慧音さんのまとめる歴史に記録されることもないのだろう。
「霊夢ではなく、神社に現れたという鬼について、です」
阿求さんの言葉に――「ああ」と蓮子はにやりと笑い、私は肩を竦めた。
つまりそれは、蓮子のあの「提案」についての取材ということだった。もちろん、阿求さんはそれが蓮子の「提案」だとは知らないのだろうけれど。
「貴方たちも鬼と面識があると天狗から伺いましたので、仲介していただければ」
「なるほど。承知いたしましたわ」
不敵に笑う相棒の隣で、私はこっそりため息をついた。
そんなわけで、もうすっかり来慣れてしまった博麗神社の境内である。
――のだけれども、今はそこに、見覚えのないものが鎮座ましまして、珍しく参拝客なのか、何人か里の人間の姿がそれを取り囲んでいる。
「これは――」
阿求さんが目を見張り、私たちも思わず顔を見合わせた。蓮子の「提案」の結果だとしても、これはいささか予想外である。
「ねえ蓮子、これって」
「どう見ても土俵よね」
神社の境内に出現していたもの――それは、相撲の土俵だったのだ。
そして、その土俵の上――盃を傾けながら、呵々と笑う幼い少女の姿。
「ほらほら、次はどいつだい? この鬼の伊吹萃香に挑む勇気ある人間は」
萃香さんがそう声をかけると、土俵を囲んだ人間の中から、体格のいい男性が進み出た。腕を鳴らしながら土俵に上がるその男性に、萃香さんは楽しげな笑みを浮かべて、相撲の立ち会いの構えをとる。霊夢さんが行司のように、お祓い棒を捧げてその傍らに立った。
「はっけよーい、のこったー」
威勢に欠けるその声とともに、男性が萃香さんに掴みかかろうとする――が、伸ばされたそのたくましい腕を、萃香さんの細い右手一本がひょいと掴み、そのまま無造作に男性の身体を振り上げた。観客がどよめく中、八十キロはありそうな男性の身体が宙を舞って、土俵の外の土の上に放り出される。
「ひがぁ~しぃ~、いぶ~きすい~か~」
霊夢さん、やる気なさげに見えてわりとノリノリである。そういえば、相撲は元々神事なのだから、神社で行われるのは自然なことだし、霊夢さんにとっても挑戦者や観客が神社にやってくるのは歓迎すべきことなのかもしれない。賽銭収入的な意味で。
「手応えがないなあ。もっと工夫しなよ、工夫。さあ、次は誰だい?」
萃香さんがぐるりと観客を見回し、観客たちは顔を見合わせてざわめく。と、我が相棒がそこへ片手を挙げて割り込んだ。
「お、次はあんた? ――って、なんだ、宇佐見蓮子じゃないの」
「や、どうも萃香ちゃん。なんでまた相撲?」
「そりゃ、あんたが言ったんじゃない。人間との新しい鬼退治さ」
土俵の上、どこまでも楽しげに萃香さんは笑った。――やっぱりそういうことだったか。
そう、一週間前、蓮子が萃香さんに「提案」したこと。それは――今までとは違う「鬼退治」の形式を新たに考えることだった。鬼である萃香さんが幻想郷に戻ってきた今、人間と鬼の鬼退治関係を復活させるとしても、鬼が人を攫い人がそれを取り返しに行く、というのは、妖怪の山に戻る気のない萃香さんひとりでは成立しないだろう。だからそれとは違う、もっと手軽な鬼退治の形を考えてはどうか。蓮子は萃香さんにそう言ったのである。
『妖怪退治も弾幕ごっこの時代、鬼退治もごっこ遊びぐらいのつもりでいいんじゃない?』
蓮子のその言葉に、萃香さんは何とも微妙な表情をしていたけれど――。
結局、その提案を受け入れたということは、彼女は人間との関係をまた取り戻したかったのだろう。その理由が、彼女が本当の意味で鬼になるためなのか、それとも彼女が元から鬼だからなのかは、究極的には確定されない事象だとしても。
いずれにせよ、こうして鬼と人間の新しい関係は、これから始まっていくのだろう。
「私は本当は宴会の飲み比べが良かったんだけどねえ」
「鬼に飲み比べで勝てる人間がいるわけないでしょうが」
「力比べの方がもっと負けないよ」
「相撲は単なる力比べでもないでしょ。ほら、誰かこの生意気な鬼を転がしてやろうっての、いないの? 誰かとっちめてやんなさいよ。博麗の巫女が許すから」
霊夢さんがそう声をかけると、観客の中からいくつか手が挙がった。萃香さんがまた盃を煽って、四股を踏み、心底楽しそうに笑った。
「さあ、何人いっぺんでもいいよ。どんどんかかってきな!」
騒がしくなった土俵から離れると、阿求さんが興味津々の顔で土俵の上を見つめている。そしてその隣には、いつの間にか射命丸文さんが現れて、カメラを構えていた。
「あれが、百数十年ぶりに見つかった鬼ですか」
「あやや、伊吹様が本当に戻られていたとは……参りましたねえ」
言いながら。射命丸さんは土俵に向けてシャッターを切る。
「あら、ブン屋さん。阿求さんとお知り合い?」
「彼女は『幻想郷縁起』の貴重な情報提供者のひとりですよ」
「はい、そういうことです。――しかし、どうしたものですかねえ。山に戻って本格的に対策を考えなくては」
「そんなに鬼に戻って来られるのが嫌なんですか?」
「あやややや、そりゃあもう――」
「こらそこの鴉天狗! 聞こえてるよ! そんなに鬼が嫌いかい?」
萃香さんが土俵の上から叫び、射命丸さんはびくりと身を竦めて「あやや、これは失礼しましたー!」とあっという間に飛び去って行く。逃げ足が速いことである。
「ありゃ、脅かしすぎたか。別に今更山に戻る気もないんだけどねえ」
飄々とそんなことを言う萃香さんに、私たちはただ、苦笑し合った。
――それからしばらく、博麗神社では、鬼との力比べ相撲勝負が賑わったという。
里の人間が一度でも萃香さんに勝てたのかどうかは定かでないけれども。
伊吹萃香という鬼の名前は、そうしてこの幻想郷に認知されていくことになる。
人間の近くに現れ、人を攫わない、変わり者の鬼として。
その姿を見ていると、ふっと私はこんなことを思うのだ。
萃香さんがあの宴会騒ぎを起こしたのは――結局は、ただ彼女は人間が好きで、そして寂しがり屋で、人見知りだっただけなんじゃないか――と。
だから自分の能力で宴会を起こして、だけどずっと隠れて見守って、誰かが自分を見つけてくれることを待っていた。そうしないと、宴会の輪にも入っていく勇気がなかった――。そうして、大勢の人間に囲まれる勇気もなかったから、霊夢さんと魔理沙さん、そして私たちぐらいしか人間の来ない博麗神社で宴会を開かせたのだ――と。
結局は、本当にただそれだけの話だったのかもしれない。
もちろんそれも、幻想となった与太話に過ぎないのだけれども。
伊吹萃香。種族、鬼。
貴方が宴会をしているとき、その場に霧が出始めたら、彼女はきっとそこにいる。
声を掛けてあげれば、彼女はきっと喜んで姿を現すだろう――。
【第三章 萃夢想編――了】
その証拠に、多くの鬼は元人間でしょう?」
(『東方茨歌仙』第21話「鬼は外、腹は内」より)
博麗神社の縁側に、ごろごろと寝転んだ小さな影がある。
「ねえ霊夢ー、今夜宴会しようよー、宴会ー、えーんーかーいー!」
「うるさい。あれだけ宴会開いてまだ足りないっての?」
じたばたと暴れる萃香さんを横目で睨みながら、霊夢さんはお茶を啜った。
「鬼は毎晩でも宴会したいんだよ。毎晩が百鬼夜行よ」
「毎晩が鬼退治は勘弁だってば。人間の宴会は週に一度で充分なの」
つれない霊夢さんに、萃香さんはぷくっと頬を膨らませて、上目遣いに睨んだ。
「ケチだなあ。また私の力でみんなを萃めてもいいのよ?」
「それやったら今度こそ退治してやるから」
「ふふん、鬼の力に敵うと思ってる?」
「私がじゃないわよ。鬼が悪さしてるって紫に言いつける」
「ぐえー。うう、仲間を呼び戻せてたらなあ。なんで失敗したんだろう」
呻いて、萃香さんは突っ伏した。萃香さんもどうやら妖怪の賢者には敵わないらしい。
霊夢さんは肩を竦めて、それから同じ縁側に腰を下ろしてお茶のご相伴にあずかっている私たちの方を振り向いた。
「で、あんたたちは何しに来たの?」
「やー、ちょっと萃香ちゃんに用があって」
「ん? 私? 今度は何さ」
顔を挙げた萃香さんに、我が相棒は猫のような笑みを浮かべて、帽子の庇を持ち上げる。
「幻想郷に戻ってきた鬼に、新しい鬼退治の方法をご提案いたしますわ」
その言葉に、萃香さんと霊夢さんはきょとんと目をしばたたかせた。
◇
「ねえ蓮子。あの推理ってどこまで本気だったの?」
九回目の宴会で、蓮子が〝三日置きの百鬼夜行〟の謎を解いた後のこと。
自宅で、あとで原稿にまとめるために今回の異変(?)の要点を書きだしていた私は、相棒にそう訊ねた。畳に寝転んでいた相棒は、「ん?」と顔を上げる。
「どこまでって?」
「主に最後の、萃香さんの正体。彼女が足柄山の金太郎って、本気で言ったの?」
「あら、私の推理に何か破綻やミスでも見つけた?」
「そういうわけじゃないけど――そもそも、だいぶ恣意的な消去法での推理じゃない。蓮子の言った条件で絞り込んでいけば、確かに坂田金時という結論になるんでしょうけど、逆に言えば彼女を足柄山の金太郎だと積極的に見なしうる証拠はない。そうじゃない? まさかりを担いでるわけでも、熊にまたがってるわけでもないし」
「うん、それはその通りね」
私の難癖に相棒があっさり頷いたので、私は目をしばたたかせる。蓮子は苦笑した。
「私だって自分の推理の恣意性ぐらい認識してるわよ。私が提示するのはあくまで論理的な唯一無二の解答じゃなく、私の目に見えた範囲の情報から組み立てられる、蓋然性の高い推測。それを周知徹底すれば、あるいはこの世界ではそれが唯一無二の真実になり得るのかもしれないけれど、そこまでする権利には私はないわ。私が示すのはこの世界に存在しうる多様な可能性のひとつ。実はそうだと考えたら面白い――そんな真相よ」
「それって、要するに単なる与太話よね」
「与太話上等。この幻想郷そのものが与太話でできた世界じゃない。メリーの好きな有栖川有栖も言っているわ。『ミステリにおいて、トリックが解明されたあとに見えてくる風景は、それまでに見えていた風景よりも凄まじいものでなければならない』って」
「別にそこまで有栖川有栖の大ファンでもないけど――まあ、それは実際その通りだと思うわ」
綾辻行人との対談だったかで、確かにそんなことを言っていたはずだ。
「ねえメリー、私たち秘封倶楽部は、何のために世界の謎を解くんだと思ってるの?」
「蓮子が楽しいからじゃないの?」
「そう! 楽しいからよ! 世界の秘密に触れ、その裏側を垣間見ることが!」
両手を広げ、相棒は高らかにそう宣言する。
「それはこの幻想郷でも同じことだわ。今私たちの目に見えているこの世界。その裏側にある秘密を探ることで、この世界の、今よりも凄まじい本当の姿が見えてくる。吸血鬼や、亡霊や、鬼の秘密を探った先に、もっと壮大な企みや真意が顕れる。そうすることで、この世界はさらに面白くなるのよ! 私たちはそのために、この世界の謎を解いていくの! 私たちのために世界を面白くするんじゃない、世界を面白くするために私たちがいるんだわ!」
ぎゅっと私の手を掴んで、相棒はキラキラと目を輝かせて言葉を続ける。
「だからメリー、私たちはもっと謎を解いて、もっと世界を面白くするのよ! この世界の無限の可能性を暴くこと、それが私たち秘封倶楽部の使命なんだわ!」
「――使命はいいけど、それが探偵事務所の収入に繋がらない問題は、果たして放っておいていいものなのかしら?」
「世知辛いこと言わないでよ、もう」
がくっとうなだれる相棒に、私はただ苦笑を漏らした。
全く――これから、この相棒に振り回されるのも、私はやめられないのである。
そのキラキラした目が眩しいから。世界の秘密へ突進していく背中が頼もしいから。
――蓮子の推理が、私の目に見える世界を解きほぐして、楽しくしてくれるから。
そんなことは、相棒には言ってはあげないのだけれど。
◇
さて、相棒の、萃香さんへの「提案」から一週間が過ぎた頃。
「ごめんください」
探偵事務所に、思わぬ来客が訪れた。稗田阿求さんである。
「阿求さん?」
「こんにちは。――少し、博麗神社までお付き合いいただけますか?」
私たちを見上げて、阿求さんはにっこりと笑ってそう言う。私たちは顔を見合わせた。
「霊夢ちゃんに取材?」
「あら、何か最近異変はありましたっけ」
小首を傾げる阿求さん。やはり〝三日置きの百鬼夜行〟は、結局は異変としては認知されなかったらしい。慧音さんのまとめる歴史に記録されることもないのだろう。
「霊夢ではなく、神社に現れたという鬼について、です」
阿求さんの言葉に――「ああ」と蓮子はにやりと笑い、私は肩を竦めた。
つまりそれは、蓮子のあの「提案」についての取材ということだった。もちろん、阿求さんはそれが蓮子の「提案」だとは知らないのだろうけれど。
「貴方たちも鬼と面識があると天狗から伺いましたので、仲介していただければ」
「なるほど。承知いたしましたわ」
不敵に笑う相棒の隣で、私はこっそりため息をついた。
そんなわけで、もうすっかり来慣れてしまった博麗神社の境内である。
――のだけれども、今はそこに、見覚えのないものが鎮座ましまして、珍しく参拝客なのか、何人か里の人間の姿がそれを取り囲んでいる。
「これは――」
阿求さんが目を見張り、私たちも思わず顔を見合わせた。蓮子の「提案」の結果だとしても、これはいささか予想外である。
「ねえ蓮子、これって」
「どう見ても土俵よね」
神社の境内に出現していたもの――それは、相撲の土俵だったのだ。
そして、その土俵の上――盃を傾けながら、呵々と笑う幼い少女の姿。
「ほらほら、次はどいつだい? この鬼の伊吹萃香に挑む勇気ある人間は」
萃香さんがそう声をかけると、土俵を囲んだ人間の中から、体格のいい男性が進み出た。腕を鳴らしながら土俵に上がるその男性に、萃香さんは楽しげな笑みを浮かべて、相撲の立ち会いの構えをとる。霊夢さんが行司のように、お祓い棒を捧げてその傍らに立った。
「はっけよーい、のこったー」
威勢に欠けるその声とともに、男性が萃香さんに掴みかかろうとする――が、伸ばされたそのたくましい腕を、萃香さんの細い右手一本がひょいと掴み、そのまま無造作に男性の身体を振り上げた。観客がどよめく中、八十キロはありそうな男性の身体が宙を舞って、土俵の外の土の上に放り出される。
「ひがぁ~しぃ~、いぶ~きすい~か~」
霊夢さん、やる気なさげに見えてわりとノリノリである。そういえば、相撲は元々神事なのだから、神社で行われるのは自然なことだし、霊夢さんにとっても挑戦者や観客が神社にやってくるのは歓迎すべきことなのかもしれない。賽銭収入的な意味で。
「手応えがないなあ。もっと工夫しなよ、工夫。さあ、次は誰だい?」
萃香さんがぐるりと観客を見回し、観客たちは顔を見合わせてざわめく。と、我が相棒がそこへ片手を挙げて割り込んだ。
「お、次はあんた? ――って、なんだ、宇佐見蓮子じゃないの」
「や、どうも萃香ちゃん。なんでまた相撲?」
「そりゃ、あんたが言ったんじゃない。人間との新しい鬼退治さ」
土俵の上、どこまでも楽しげに萃香さんは笑った。――やっぱりそういうことだったか。
そう、一週間前、蓮子が萃香さんに「提案」したこと。それは――今までとは違う「鬼退治」の形式を新たに考えることだった。鬼である萃香さんが幻想郷に戻ってきた今、人間と鬼の鬼退治関係を復活させるとしても、鬼が人を攫い人がそれを取り返しに行く、というのは、妖怪の山に戻る気のない萃香さんひとりでは成立しないだろう。だからそれとは違う、もっと手軽な鬼退治の形を考えてはどうか。蓮子は萃香さんにそう言ったのである。
『妖怪退治も弾幕ごっこの時代、鬼退治もごっこ遊びぐらいのつもりでいいんじゃない?』
蓮子のその言葉に、萃香さんは何とも微妙な表情をしていたけれど――。
結局、その提案を受け入れたということは、彼女は人間との関係をまた取り戻したかったのだろう。その理由が、彼女が本当の意味で鬼になるためなのか、それとも彼女が元から鬼だからなのかは、究極的には確定されない事象だとしても。
いずれにせよ、こうして鬼と人間の新しい関係は、これから始まっていくのだろう。
「私は本当は宴会の飲み比べが良かったんだけどねえ」
「鬼に飲み比べで勝てる人間がいるわけないでしょうが」
「力比べの方がもっと負けないよ」
「相撲は単なる力比べでもないでしょ。ほら、誰かこの生意気な鬼を転がしてやろうっての、いないの? 誰かとっちめてやんなさいよ。博麗の巫女が許すから」
霊夢さんがそう声をかけると、観客の中からいくつか手が挙がった。萃香さんがまた盃を煽って、四股を踏み、心底楽しそうに笑った。
「さあ、何人いっぺんでもいいよ。どんどんかかってきな!」
騒がしくなった土俵から離れると、阿求さんが興味津々の顔で土俵の上を見つめている。そしてその隣には、いつの間にか射命丸文さんが現れて、カメラを構えていた。
「あれが、百数十年ぶりに見つかった鬼ですか」
「あやや、伊吹様が本当に戻られていたとは……参りましたねえ」
言いながら。射命丸さんは土俵に向けてシャッターを切る。
「あら、ブン屋さん。阿求さんとお知り合い?」
「彼女は『幻想郷縁起』の貴重な情報提供者のひとりですよ」
「はい、そういうことです。――しかし、どうしたものですかねえ。山に戻って本格的に対策を考えなくては」
「そんなに鬼に戻って来られるのが嫌なんですか?」
「あやややや、そりゃあもう――」
「こらそこの鴉天狗! 聞こえてるよ! そんなに鬼が嫌いかい?」
萃香さんが土俵の上から叫び、射命丸さんはびくりと身を竦めて「あやや、これは失礼しましたー!」とあっという間に飛び去って行く。逃げ足が速いことである。
「ありゃ、脅かしすぎたか。別に今更山に戻る気もないんだけどねえ」
飄々とそんなことを言う萃香さんに、私たちはただ、苦笑し合った。
――それからしばらく、博麗神社では、鬼との力比べ相撲勝負が賑わったという。
里の人間が一度でも萃香さんに勝てたのかどうかは定かでないけれども。
伊吹萃香という鬼の名前は、そうしてこの幻想郷に認知されていくことになる。
人間の近くに現れ、人を攫わない、変わり者の鬼として。
その姿を見ていると、ふっと私はこんなことを思うのだ。
萃香さんがあの宴会騒ぎを起こしたのは――結局は、ただ彼女は人間が好きで、そして寂しがり屋で、人見知りだっただけなんじゃないか――と。
だから自分の能力で宴会を起こして、だけどずっと隠れて見守って、誰かが自分を見つけてくれることを待っていた。そうしないと、宴会の輪にも入っていく勇気がなかった――。そうして、大勢の人間に囲まれる勇気もなかったから、霊夢さんと魔理沙さん、そして私たちぐらいしか人間の来ない博麗神社で宴会を開かせたのだ――と。
結局は、本当にただそれだけの話だったのかもしれない。
もちろんそれも、幻想となった与太話に過ぎないのだけれども。
伊吹萃香。種族、鬼。
貴方が宴会をしているとき、その場に霧が出始めたら、彼女はきっとそこにいる。
声を掛けてあげれば、彼女はきっと喜んで姿を現すだろう――。
【第三章 萃夢想編――了】
第3章 萃夢想編 一覧
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【あとがき】
毎度ありがとうございます。作者の浅木原忍です。萃夢想編、お楽しみいただけましたでしょうか。
今回の真相のアイデアは、茨歌仙5巻の豆まきの話に出てきた、冒頭の華扇ちゃんの台詞から生まれました。
というかこの台詞って「萃香も勇儀も華扇ちゃんも元人間が公式設定」と取っていいんですかね。
ともかく、幻想郷の鬼をめぐる蓮子のトンデモ解釈をお楽しみいただければ幸いです。
次回はいよいよ永夜抄編。またしばしお休みをいただいて、4月から連載開始予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
最後の一行がとてもよかったです。ジーンときました。
次は永夜抄ですね。楽しみにしております。
エピローグの最後の一文が最高に幸福です。
そういえば、萃香は今何処にいるのかな?
やっぱり天界?
まさかりかついだ萃香ちゃんw
次は永夜抄、日本最古の昔話竹取物語と
どんな風に関係していくのか、
いたずら好きの幸福兎詐欺や、苦労人の狂気月兎
月の頭脳の薬師や、月姫の蓬莱ニート(笑)
と秘封倶楽部の蓮子とメリーが
どんな掛け合いを見せるのか楽しみです
兎詐欺と蓮子は会わせてはいけない気が……WW
面白しろかったです。萃香可愛い
最近知って一気読みしたのですがなかなか面白い解釈だったりと読んでいて面白かったです!次も期待してるので頑張って下さい!
萃夢想編お疲れ様でした~伊吹萃香というキャラが今までは名前を知っている程度だったのですが是を呼んで好きになってしまいました~是からも素晴らしい作品の数々が出てご活躍とご発展を期待しております
伝承上でも酒呑童子や茨木童子は元人間で、美男子美少年だったらしいですし、萃香が元人間の鬼であったとしても何らおかしくない……。
だとしても、金太郎だとは……恐れ入りました(笑)
キャラをイメージしやすくて親近感沸く
ここまで共感して泣いたの初めて
萃香の以前と今の笑い方の描写の対比が効いてて良かったです。全体的に惹きこまれるストーリーでした。
この章も楽しく読ませていただきました。
特に萃香の正体に関する推理が、想像の遥か上を行く内容でとても面白かったです。
楽しい時間をありがとうございました。
以降の章も楽しく拝見させていただきます。