【第8話――博麗神社再建中】
―22―
さて――この地震騒動は、博麗の巫女が解決した異変として見るならば、ここで既に終わっている。霊夢さんが天子さんを退治し、壊れた博麗神社を再建させた。天子さんはそこに要石を刺し、地震をとりあえず押さえ込んだ。天子さんの目的は我が相棒が推察した通りであり、かくしてこの異変は何ひとつ謎を残さず解決したわけである。
ではなぜ、まだこの記録が続くのかといえば――。
私たちの前に、この異変の真の謎が立ちふさがるのは、ここからだからだ。
その最初のとっかかりを運んで来たのは、唐突に事務所にやってきた竜宮の使いである。早苗さんと三人で天界に行ってから数日後――寺子屋の授業を終え、探偵事務所で遊惰に時間を潰していたときのことだ。今日は早苗さんが来ていないので、静かな事務所だったのだが。
「なんともなしに地震が起きます」
「はあ」
事務所の戸を開けて開口一番、挨拶もなしにそう言い放った永江衣玖さんに、私たちはぽかんと目を見開いた。衣玖さんは私と蓮子を見比べて、小さく肩を竦める。
「――と、伝えに来るつもりだったのですが」
「はい?」
「どうやら地震は起こらないようですので、それを伝えに来ました。では」
ぺこりと一礼し、衣玖さんはくるりと踵を返す。呆気にとられてその背中を見送りかけて、蓮子が立ち上がると、慌てて「いやいやちょっと待ってくださいよ」と呼び止める。
「必要なことは伝えましたので」
「説明不足にもほどがありますって。いや、地震をめぐる状況は理解しているつもりですが」
「それならそれで結構なのでは?」
「一応確認ぐらいはさせてください、念のために。――比那名居天子さんが気質を集めて緋色の雲を出して、それで大きな地震が起こるはずだったけれど、博麗神社に要石が刺されたので地震は起きなくなった、っていう話でいいんですよね?」
「全くもって仰る通りです。よくご存じですね」
「先日天界に行った折に、天子さんご本人から伺いましたので」
「総領娘様から? あの方からよくそんな話を引きずり出しましたね」
「探偵は情報収集が生業なものでして。そちらは、地震の警告をして回っているんですか?」
「ええ、そのつもりだったのですが、総領娘様が考えなしに要石を刺してしまったことが判明しましたので、私の役目もなくなってしまいました。本当に困った御方です」
衣玖さんはため息をついて、ごく当たり前のように事務所の中に上がり込んだ。座布団を取りだして勝手に腰を下ろす。マイペースな人だ。
「困った方ですので、先ほど神社の方でお灸を据えて参りました。まあ、その程度で懲りるような方でもありませんが」
「はあ。そもそも、衣玖さんと天子さんはどういう関係なんです?」
「総領娘様は、天界の要人であられる比那名居の総領様の娘です。普段は特別親しいわけではありません。実際、総領娘様は私の名前も覚えておられませんでしたし」
「それなのに、わざわざお灸を据えに地上まで?」
「少々、いたずらが目に余りましたので。それに、地上へ来たのは地震を告げるためですから、そのついでです」
「なるほど」
蓮子は頷き、それから目を輝かせ、「せっかくですから、もう少しばかり地上の民の好奇心にお付き合いいただいても構いませんかしら」と衣玖さんへ身を乗り出した。天界について情報収集する気満々のようである。袖を引いて制しようかと思ったが、衣玖さんはあっさりと「構いませんよ」と頷いた。まさかそのつもりで上がり込んだわけでもあるまいに。というか先日は「天界について地上の民に語る言葉は持ちません」とか言ってなかったっけ?
「ありがとうございます。――まずそもそも、天界とは何なのですかね」
「それはまた哲学的な質問ですね。天界の成り立ちからご説明いたしましょうか」
「できれば」
「――天界はそもそも、地上から抜き放たれた巨大な要石です。遥か昔、地上から巨大な要石が抜かれ、壊滅的な地震が起き、地上の生き物は一掃されました。そして天界が宙に浮いているから、地上では地震が絶えないのです。ナマズの頭を押さえる要石がないわけですから」
いきなり壮大な話である。まさかそれで恐竜が絶滅したとかそういう話なのだろうか。というか、やっぱり幻想郷の地震はナマズが起こしているのか? 伝承が現実化する世界であることを考えれば、確かにそちらの方が幻想郷の理には適っているが。
「なぜ天界となった要石は抜き放たれたのですか?」
「さあ、何しろとてつもなく昔の話ですので、詳しいことは。ただ、天が地上を支配するためだとは聞いています。地震を起こす大ナマズも、元々は天人が使役する神ですから」
「ははあ――地震を制御するということは、地上の民の命運を握るということなわけですね」
「そういうことです」
まるで恐怖政治である。ひどい話もあったものだ。
「ところで、月も天界の一部と伺ったのですが」
「ええ、その通りです。天界ができたときに引き抜かれた要石はひとつではありませんから」
「月もそうして引き抜かれた要石のひとつということですか」
衣玖さんは頷く。外の世界でいうジャイアント・インパクト説――月は巨大隕石の衝突によって軌道上に舞いあがった地球の破片が固まったものであるという説を、幻想郷の文脈に置き換えるとそういうことになるのかもしれない。
「ただ、比那名居天子さんのいた天界と、月とはまた別なのですね?」
「そうです。月はもっと遠くにあります」
「では、竜宮というのは?」
「天界の中の、龍神のいる区域のことです。私は龍神に仕える使いということですね」
「ははあ、幻想郷の最高神という。地上の民には里の龍神像ぐらいしか馴染みがありませんが」
「それはそれで結構なことです。龍神が地上に現れるような事態は相当なことですから」
――そんな相当なことが、数年前、私たちが幻想郷に来る少し前に一度あったらしい(伝聞)というのは、この話とは関係がないので、私たちの別の事件簿を参照されたい。
「そこもまた、月とは別なわけですね?」
「そうですね」
「なるほど――それはそれとして、ここに地上の本がありまして」
と言って蓮子が取りだしたのは、稗田阿求さんの『幻想郷縁起』である。
「この本の中に、天界は飽和状態で成仏が制限されている、というくだりがあるのですが」
「え、そんな記述あった?」
「西行寺のお嬢様のところよ。ほらここ」
「あら、ほんと」
蓮子の広げた『幻想郷縁起』を覗きこむと、確かにそんなことが書いてある。と、話の腰を折ってしまった。恐縮して身を引くと、蓮子はこほんと一つ咳払いして衣玖さんに向き直る。
「天界が飽和状態だというのは事実ですか?」
「……それはお答えしかねます」
「私たちが行ったときの様子からしても、飽和状態のようには見えませんでしたが」
「ノーコメントです」
「それは、お察し下さいという意味です?」
「いかようにも」
「ははあ。――了解いたしましたわ」
苦笑して蓮子は頷き、「ふむ、そうすると――」とひとつ首を捻る。
「では、比那名居天子さんについて。彼女はいったい何者なのでしょう?」
「比那名居の人は、地震を司る名居の一族に仕えていた神官でした」
「ああ――名居神ですか」
「そうです。名居の一族が神霊として祀られた際に、その部下であった比那名居の一族もその功績を認められ、天界に住むことを許され、天人となったそうです。ですので、総領娘様は親の七光りで天人になっただけの御方です。天人の資格があるとは言い難いですね」
「そんな辛辣な。ということは、彼女は元人間ですか?」
「そうですね。地上の人間であった頃は別の名であったと聞いています」
「要石を扱えるというのも、名居神に仕える神官の一族だからですか」
「そういうことになりますね」
「ははあ。では、もうひとつ。比那名居天子さんが持っていた、あの緋色の剣についてです」
「緋想の剣ですか」
「そんな名前でしたね。あれはいったいどんなものなのですか?」
「天人にしか扱えない宝剣です。あの剣は向ける相手の気質を見極め、霧に変える力を持っています。貴方たちも見た、あの緋色の雲は、そうして集められた気質の集合でした」
「それは天子さんからも伺いましたが、その、相手の気質を丸裸にする、という効果の意味するところをもう少し具体的に伺いたいのですが」
「具体的に、ですか。そうですね――気質というのは、要するにそのものの持つ本質です。つまり、緋想の剣は向ける相手の最も根源的な部分を丸裸にするわけです。すると?」
「……ああ、なるほど。相手の拠り所、すなわち弱点がさらけ出されるわけですか」
「ご明察です」
そう聞くと恐ろしい武器である。その人物の存在や人格の最大の拠り所は、すなわちその人物の最大の弱味であるというわけだ。博麗神社で気質を読まれたとき、私も天子さんに弱点をさらけ出していたのかと思うと、なんだか落ち着かない。
「それで気質を集めて地震を起こせるということですが――地震は天人の地上支配の拠り所なのですよね? そうすると、あの緋想の剣というのは天界でもかなり重要な品なのでは?」
「そうですね。比那名居の一族に伝わる宝剣ですから」
「こう言ってはなんですが、天子さんに持たせていて大丈夫なんですか? 退屈だからという理由だけで地震を起こそうというような方ですけれども」
「……さあ、総領様のお考えは私には何とも」
頬に手を当てて、衣玖さんは首を傾げる。
「ただ、おそらくは総領娘様が勝手に持ち出したのだとは思いますが」
「それだとますます持たせていてはまずいのでは?」
「そうですねえ……しかし総領様が気付いていないとも考えにくいので、何か総領様にもお考えがあるのでしょう。とりあえずは、静観するとします」
そんな衣玖さんの口ぶりに、蓮子は眉を寄せて唸っていた。
―23―
「ところで、どうして色々とこちらの質問に答えていただけたんですかね」
そろそろ失礼します、と衣玖さんが立ち上がり、事務所を出ようとしたところで、蓮子がそう訪ねると、衣玖さんは振り返り、「私は空気を読むのです」と微笑んで答えた。あんまり読んでるような気もしなかったが。
ともかく、ふわりと羽衣をはためかせて飛び去って行く衣玖さんの背中を見送ってから、相棒はごろりと畳の上に横になって、天井を見上げた。考え事モードである。私はその傍らに腰を下ろして、相棒の顔を見下ろす。
「どうしたの、蓮子。天子さんにまた地震を起こされるのが心配? それとも気質を読まれて弱点を明かされる方?」
「――それは別にどうでもいいの」
私の問いに、相棒は目を伏せてひとつ息を吐くと、勢いよく上半身を起こした。
「今回は、簡単にすっきり説明がつくシンプルな異変かと思ってたんだけど――そういうわけでもなさそうね」
「天子さんが語った異変の目的は表向きで、裏にまだ何かあるってこと?」
これまで相棒が解き明かしてきた異変の真相は、概ねそのパターンである。それぞれ異変の首謀者たちは、その異変の本当の目的を隠すために、表向きの目的を用意し、それに従って博麗の巫女に退治されることで、表向きの目的を異変の正史としてきた。――もちろんその真の目的とやらは、我が相棒の誇大妄想に過ぎないのかもしれないのだけれども。
だが、私の問いに、蓮子はゆっくりと首を横に振る。
「天子ちゃんの起こした異変、という意味では、たぶんあれ以上の裏はないわ。博麗神社に要石を刺して、本殿を再建すれば、天子ちゃんの目的は完全に達成されるでしょう。彼女の行動そのものは、私の見た限りにおいて、それで理が通っているもの」
「なら――」
「この異変の謎はただ一点だわ。なぜ天子ちゃんが異変を起こすことができたのか、よ。あるいは、もっと解りやすく言い換えるなら――宝剣を勝手に持ち出して、地上に大地震をもたらそうとした天子ちゃんを、なぜ他の天人は放置しているのか、という問題」
座布団に座り直して、相棒は私に向き直った。
「天界が、地震の脅威によって地上を支配しているとするなら、天子ちゃんのやろうとしたことはとんでもないスタンドプレーのはずなのよ。何しろ幻想郷が壊滅しかねないような大地震を、勝手に持ち出した宝剣で引き起こそうとしたわけだから。天界による地上支配の構造を崩しかねない行いだわ。それなのに、天子ちゃんは好き勝手に緋想の剣を振り回して、博麗神社に要石を刺して、まるで子供の遊びみたい」
「……天界から見たら、幻想郷なんて広大な地上の中の小さな黒子程度のものなんじゃないの。だから天子さんが壊そうが要石を刺そうが、子供の遊びとして放置しているとか」
自分で言ってなんだが、子供の遊びで壊滅させられたら、幻想郷の住人としてはたまったものではない。
「そうね……天界から見た地上は幻想郷のことなのか、それとも外の世界も含むのか。ああ、そこも衣玖さんに聞いておけば良かったわね。失敗したわ」
「天界もまた、神々の理で動いている世界なのです」
「おわあ!?」
突然割り込んだのは、またしても何の前触れもなく事務所の戸を開けた衣玖さんである。
「い、衣玖さん? 帰ったんじゃ」
「そちらがまだ聞きたいことがあるようでしたので空気を読みました」
「はあ……ええと、それはつまり、天界は外の世界よりも幻想郷側の世界であると?」
「天界は、地上から見れば即ち天国、あるいは極楽浄土と呼ばれる場所です。冥界や彼岸と同じく、信じられている限りにおいて、地上のあらゆる場所と繋がっていますし、同時に信じられていなければ繋がっていないのです。幻想郷は、天界の存在が自明の事実として知られているので、地上で最も天界に近い場所であると言えます。ですから貴方たちのように、生身の人間が天界に来てしまったりすることも起こりうるというわけです」
「なるほど……ということは、幻想郷は近いだけで、あくまで天界から見れば地上のごく一部に過ぎないと」
「確かにそういうことにはなります。ですが――」
「ですが?」
「この幻想郷は、結界で隔離されているだけで、外の世界とも地続きの場所です」
「あ――ということは」
「幻想郷で壊滅的な大地震が起これば、それは当然、外の世界にも影響を及ぼします。ですから、総領娘様が要石を刺したことが気がかりなのです」
「うん? 要石は地震を押さえ込むんですよね?」
「それはそうです。しかし、それは地震で解放されるべきエネルギーを溜め込む行いに他なりません。もし要石が抜かれたら、本来起こるはずだったものよりさらに壊滅的な地震が起こることになります。まあ、抜かなければいいだけの話ではあるのですが」
「……なるほど」
相棒は腕を組んで唸る。「要石が刺されたので、地震を伝える仕事も少なくなりそうです」と衣玖さんは頬に手を当てて少し寂しそうに言った。
「では、幻想郷に刺された要石は外の世界の地震も封じるのですか?」
「いえ、そういうわけではありません。幻想郷の要石が封じるのは、あくまで幻想郷の大ナマズです。外の世界では今まで通り地震が起こるでしょう」
それはそうだ。日本はいつだって地震大国である。私たちの今いる二十一世紀初頭から、私たちがもともと住んでいた二〇八〇年代までの間にも、東日本大震災や東海大震災が起きているわけで、ここで日本の地震が封じられたら歴史が大幅に変わってしまう。
「結局、天子さんの行いは天人から見てどうなんですか?」
「さあ、総領様のお考えは何とも……。私個人としましては、地上に勝手に要石を刺した件については大問題だと思いますが、やってしまったものは仕方ありません。刺されてしまった以上は抜くわけにもいきませんしね」
大丈夫でしょうかねえ、と首を傾げる衣玖さん。それを聞きたいのは私たちの方なのだが。
何にせよ、蓮子の疑問は衣玖さんに聞いて解けるものではない、ということだけは、はっきりしたようである。
――となれば、次は当然、さらなる聞き込みになるわけだ。
―24―
今度こそ去っていった衣玖さんを見送ったあと、私たちは再建工事中の博麗神社に向かった。聞き込む相手はもちろん、当の本人、比那名居天子さん――の、つもりだったのだが。
「天子? 今日はもう帰ったわよ」
倒壊した本殿の脇に作られた仮設住居、その前に置かれているテーブルでお茶を啜りながら、霊夢さんはそう答えた。なかなかどうして、タイミングが合わないものである。
「あんたたちが、あいつに何の用よ」
「いやあ、ちょっと天界について知りたくてね。地上の民の好奇心」
「いい加減異変のど真ん中に首突っ込んでくるのやめなさいよ、あんたたちは。私だってあんたたちを退治したくはないんだから」
「大丈夫、私たちはあくまで普通の人間だから」
「異常な人間でしょ」
じろりと半眼でこちらを睨む霊夢さんに、蓮子は「あ、そうだ」と手を叩く。
「じゃあ霊夢ちゃん、地震の前後で、妖怪の賢者は見てない?」
「え、紫のこと?」
きょとんと目をしばたたかせて、霊夢さんはひとつ唸る。
「紫なら、神社が壊れたその日の夜に来たけど」
「あら。妖怪の賢者は神社が壊れたことについて何か言ってた?」
「何かって、『見事に壊れたわねえ』って笑ってたわよ。あんまり興味もなさそうだったけど。犯人の天人をとっちめたから、そいつに建て直させるわよって言ったら、『あらそう』としか言わなかったし。普段から何やってるんだか解らないんだから、私の家ぐらい建て直してくれてもいいのに」
口を尖らせて、それから霊夢さんは私の方を見やり、「メリーの前で紫の話してると、なんか変な気分ねえ」と肩を竦めた。そんなこと言われても、私にはどうしようもないのだが。
「それだけ?」
「それだけよ。そもそもなんであんたが紫のことなんか聞くの」
「いやあ、幻想郷に大地震が起きるなんてことになったら、妖怪の賢者が黙ってないって萃香ちゃんが言うから、何か動いているのかなと思って」
「地震は天子が要石刺したから、もう大丈夫だって言ってたわよ」
「まあ、それはそうなんでしょうけど」
首を傾げた蓮子に、霊夢さんは不意にぽんと手を叩いた。
「――ああ、それで思い出した。紫のやつ、なんか変なこと言ってたわね」
「変なこと?」
「そう。確か――『結局、どうやっても地震は起こるのね』とかなんとか」
「……どういう意味?」
「さあ、独り言みたいだったし、紫の考えてることなんて紫本人以外誰も知らないわよ」
呆れたような調子で肩を竦める霊夢さんに、私たちは顔を見合わせた。
博麗神社を辞して、里への帰り道の間、蓮子はしきりに帽子の庇を弄っていた。相棒の頭脳がフル回転しているときの癖である。
「蓮子、また妖怪の賢者の動向が気になるの?」
「まあね。今回は萃香ちゃんのお墨付きだし」
春雪異変のときも、三日置きの百鬼夜行のときも、妖怪の賢者の意図はこの相棒の推理のひとつの基盤を為していた。春雪異変のときは何しろ私たち自身が妖怪の賢者の手で冥界に送られたのだから、その意図を考えるのは自然なことだったと思うが――。
「蓮子が考えていること、当てて見せましょうか」
「あらメリー、なに急に。推理に目覚めたのかしら?」
「どっかの相棒の悪影響でね。これだけ長く付き合ってれば蓮子の考え方もなんとなく解るわ」
「ほほう? じゃあ私は今、どんな考えを巡らせているっていうの?」
半眼で私の顔を覗きこむ蓮子に、私はひとつ息を吐き、博麗神社の方角を振り返る。
「――神社が壊れる前から、気質の異変に気付いていた者は大勢いたし、地震の前兆だと気付いていた者もいたのに、妖怪の賢者はなぜ、博麗神社が破壊される前に動かなかったのか」
私のその言葉に、相棒は目を見開き、そして笑みを深くした。
「さすがメリー、なかなか私のことをよく解ってるじゃない。大正解、じゃないけど」
「あら、違った? 蓮子のパターンならそこを疑問に思ってると思ったんだけど」
「無論、疑問に思ったわよ。でも、その地点は既に通過したわ」
「はいはい。で、何かしらの仮説はできたの?」
「いかんせん、妖怪の賢者については絶対的に情報が足りないのよねえ。さすがの蓮子さんも、会ったことのない相手に対して推理を働かせるのは限度があるわ」
肩を竦め、相棒はため息をつく。私は頬に手を当て、ひとつ首を傾げた。
「ねえ蓮子。身も蓋もないこと言っていい?」
「あら、なあに?」
「――幻想郷の危機に対して、妖怪の賢者の動きが鈍いのはなぜか、という蓮子流の考え方に対するアンチテーゼ。蓮子が考えているほど、妖怪の賢者は勤勉じゃない説。つまり、本当はもっと迅速に対応しなきゃいけない事態が幻想郷に起こっても、霊夢さんの腰が重いのと同様、妖怪の賢者も面倒臭がって動かないだけ。あるいは今までの異変も、蓮子が見積もったほどには幻想郷の危機じゃなかったとか、ひょっとしたら妖怪の賢者はそこまで幻想郷を大事に思ってるわけでもないとか――」
「その可能性を指摘されちゃあ、反証のしようがないわねえ、私には」
相棒が呆れ顔でため息をつく。――と。
「こらこら、紫様に対してあらぬ風評を立てるんじゃない」
背後から、突然そんな声が割り込んだ。振り返ると、そこに今までなかった影が佇んでいる。揺れるモフモフの九尾は、賢者の式神、八雲藍さんだ。
「あら、藍さん。奇遇ですね」
「いつも通り危なっかしい人間を見張っていたら、不届きなことを言っていたから忠告しに来ただけだ。全く、紫様を何だと思っているんだ」
ため息をつく藍さんに、蓮子は「何だと思おうにも、未だに面識がないもので」と蓮子は肩を竦める。
「せっかくですから藍さん、私たちと妖怪の賢者の会談をセッティングしてくれません?」
――実は、蓮子がこの頼みをするのは初めてのことではない。だが、答えはいつも同じだ。
「ダメだと言っているだろう。君たちに関する紫様の命は今も撤回されていないからな」
「里の外で私たちを見張るという命以外に、私が会いたいと言っても断るという命を受けてるわけですか」
「そもそも紫様に会おうとして会えるのは、紫様がそれを認めた相手だけだからな。私の知る限り、自由に紫様の元へ行く権利と能力があるのは幽々子様だけだ。それ以外は紫様が自ら会おうとされない限り、何人たりとも紫様に会うことは叶わない。だから蓮子、君が紫様に未だに会ったことがないというのは別におかしな話ではないんだ。そもそも里の人間のほとんどは紫様に会ったことなどないのだからな」
「でも、メリーは会ったことあるんですよ?」
「だから、それは全て紫様の一存だと言っているんだ」
「つまり――妖怪の賢者はこの宇佐見蓮子に会いたくないと」
「君がそう思いたいならそう考えていても構わないが」
「妖怪の賢者も恐れる頭脳の名探偵って宣伝していいですか?」
「こらこら」
蓮子の頭を小突き、藍さんは私の方に向き直る。
「それから、メリー。紫様が怠惰で人任せな御方であるのは事実だが、だからといって紫様の幻想郷への愛情を否定するのは、式として聞き捨てならないと言っておこう」
「はあ……すみません」
「紫様は、幻想郷の誰よりも、この幻想郷を愛しておられる御方だ。私も紫様のお考えは未だわからないことが多いが、そのことだけは確かだと言える」
直接の部下である藍さんにそうまで言い切られては、外野としては引き下がるしかない。
「それじゃあ藍さんから見て、今回の地震騒動に対する妖怪の賢者の動向に、不審なところはないわけですか?」
「紫様の場合、何をなさっていても常に不審といえば不審だから、それは判断のしようがない」
身も蓋もない意見だが、藍さんが言うと妙な説得力がある。
「ただ――紫様は常に、幻想郷にとって最善の道を模索しておられる」
と、不意に藍さんは目を細め、呟くようにそう言った。
「それだけは確かなことだと、紫様の式として、私は思う」
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さて――この地震騒動は、博麗の巫女が解決した異変として見るならば、ここで既に終わっている。霊夢さんが天子さんを退治し、壊れた博麗神社を再建させた。天子さんはそこに要石を刺し、地震をとりあえず押さえ込んだ。天子さんの目的は我が相棒が推察した通りであり、かくしてこの異変は何ひとつ謎を残さず解決したわけである。
ではなぜ、まだこの記録が続くのかといえば――。
私たちの前に、この異変の真の謎が立ちふさがるのは、ここからだからだ。
その最初のとっかかりを運んで来たのは、唐突に事務所にやってきた竜宮の使いである。早苗さんと三人で天界に行ってから数日後――寺子屋の授業を終え、探偵事務所で遊惰に時間を潰していたときのことだ。今日は早苗さんが来ていないので、静かな事務所だったのだが。
「なんともなしに地震が起きます」
「はあ」
事務所の戸を開けて開口一番、挨拶もなしにそう言い放った永江衣玖さんに、私たちはぽかんと目を見開いた。衣玖さんは私と蓮子を見比べて、小さく肩を竦める。
「――と、伝えに来るつもりだったのですが」
「はい?」
「どうやら地震は起こらないようですので、それを伝えに来ました。では」
ぺこりと一礼し、衣玖さんはくるりと踵を返す。呆気にとられてその背中を見送りかけて、蓮子が立ち上がると、慌てて「いやいやちょっと待ってくださいよ」と呼び止める。
「必要なことは伝えましたので」
「説明不足にもほどがありますって。いや、地震をめぐる状況は理解しているつもりですが」
「それならそれで結構なのでは?」
「一応確認ぐらいはさせてください、念のために。――比那名居天子さんが気質を集めて緋色の雲を出して、それで大きな地震が起こるはずだったけれど、博麗神社に要石が刺されたので地震は起きなくなった、っていう話でいいんですよね?」
「全くもって仰る通りです。よくご存じですね」
「先日天界に行った折に、天子さんご本人から伺いましたので」
「総領娘様から? あの方からよくそんな話を引きずり出しましたね」
「探偵は情報収集が生業なものでして。そちらは、地震の警告をして回っているんですか?」
「ええ、そのつもりだったのですが、総領娘様が考えなしに要石を刺してしまったことが判明しましたので、私の役目もなくなってしまいました。本当に困った御方です」
衣玖さんはため息をついて、ごく当たり前のように事務所の中に上がり込んだ。座布団を取りだして勝手に腰を下ろす。マイペースな人だ。
「困った方ですので、先ほど神社の方でお灸を据えて参りました。まあ、その程度で懲りるような方でもありませんが」
「はあ。そもそも、衣玖さんと天子さんはどういう関係なんです?」
「総領娘様は、天界の要人であられる比那名居の総領様の娘です。普段は特別親しいわけではありません。実際、総領娘様は私の名前も覚えておられませんでしたし」
「それなのに、わざわざお灸を据えに地上まで?」
「少々、いたずらが目に余りましたので。それに、地上へ来たのは地震を告げるためですから、そのついでです」
「なるほど」
蓮子は頷き、それから目を輝かせ、「せっかくですから、もう少しばかり地上の民の好奇心にお付き合いいただいても構いませんかしら」と衣玖さんへ身を乗り出した。天界について情報収集する気満々のようである。袖を引いて制しようかと思ったが、衣玖さんはあっさりと「構いませんよ」と頷いた。まさかそのつもりで上がり込んだわけでもあるまいに。というか先日は「天界について地上の民に語る言葉は持ちません」とか言ってなかったっけ?
「ありがとうございます。――まずそもそも、天界とは何なのですかね」
「それはまた哲学的な質問ですね。天界の成り立ちからご説明いたしましょうか」
「できれば」
「――天界はそもそも、地上から抜き放たれた巨大な要石です。遥か昔、地上から巨大な要石が抜かれ、壊滅的な地震が起き、地上の生き物は一掃されました。そして天界が宙に浮いているから、地上では地震が絶えないのです。ナマズの頭を押さえる要石がないわけですから」
いきなり壮大な話である。まさかそれで恐竜が絶滅したとかそういう話なのだろうか。というか、やっぱり幻想郷の地震はナマズが起こしているのか? 伝承が現実化する世界であることを考えれば、確かにそちらの方が幻想郷の理には適っているが。
「なぜ天界となった要石は抜き放たれたのですか?」
「さあ、何しろとてつもなく昔の話ですので、詳しいことは。ただ、天が地上を支配するためだとは聞いています。地震を起こす大ナマズも、元々は天人が使役する神ですから」
「ははあ――地震を制御するということは、地上の民の命運を握るということなわけですね」
「そういうことです」
まるで恐怖政治である。ひどい話もあったものだ。
「ところで、月も天界の一部と伺ったのですが」
「ええ、その通りです。天界ができたときに引き抜かれた要石はひとつではありませんから」
「月もそうして引き抜かれた要石のひとつということですか」
衣玖さんは頷く。外の世界でいうジャイアント・インパクト説――月は巨大隕石の衝突によって軌道上に舞いあがった地球の破片が固まったものであるという説を、幻想郷の文脈に置き換えるとそういうことになるのかもしれない。
「ただ、比那名居天子さんのいた天界と、月とはまた別なのですね?」
「そうです。月はもっと遠くにあります」
「では、竜宮というのは?」
「天界の中の、龍神のいる区域のことです。私は龍神に仕える使いということですね」
「ははあ、幻想郷の最高神という。地上の民には里の龍神像ぐらいしか馴染みがありませんが」
「それはそれで結構なことです。龍神が地上に現れるような事態は相当なことですから」
――そんな相当なことが、数年前、私たちが幻想郷に来る少し前に一度あったらしい(伝聞)というのは、この話とは関係がないので、私たちの別の事件簿を参照されたい。
「そこもまた、月とは別なわけですね?」
「そうですね」
「なるほど――それはそれとして、ここに地上の本がありまして」
と言って蓮子が取りだしたのは、稗田阿求さんの『幻想郷縁起』である。
「この本の中に、天界は飽和状態で成仏が制限されている、というくだりがあるのですが」
「え、そんな記述あった?」
「西行寺のお嬢様のところよ。ほらここ」
「あら、ほんと」
蓮子の広げた『幻想郷縁起』を覗きこむと、確かにそんなことが書いてある。と、話の腰を折ってしまった。恐縮して身を引くと、蓮子はこほんと一つ咳払いして衣玖さんに向き直る。
「天界が飽和状態だというのは事実ですか?」
「……それはお答えしかねます」
「私たちが行ったときの様子からしても、飽和状態のようには見えませんでしたが」
「ノーコメントです」
「それは、お察し下さいという意味です?」
「いかようにも」
「ははあ。――了解いたしましたわ」
苦笑して蓮子は頷き、「ふむ、そうすると――」とひとつ首を捻る。
「では、比那名居天子さんについて。彼女はいったい何者なのでしょう?」
「比那名居の人は、地震を司る名居の一族に仕えていた神官でした」
「ああ――名居神ですか」
「そうです。名居の一族が神霊として祀られた際に、その部下であった比那名居の一族もその功績を認められ、天界に住むことを許され、天人となったそうです。ですので、総領娘様は親の七光りで天人になっただけの御方です。天人の資格があるとは言い難いですね」
「そんな辛辣な。ということは、彼女は元人間ですか?」
「そうですね。地上の人間であった頃は別の名であったと聞いています」
「要石を扱えるというのも、名居神に仕える神官の一族だからですか」
「そういうことになりますね」
「ははあ。では、もうひとつ。比那名居天子さんが持っていた、あの緋色の剣についてです」
「緋想の剣ですか」
「そんな名前でしたね。あれはいったいどんなものなのですか?」
「天人にしか扱えない宝剣です。あの剣は向ける相手の気質を見極め、霧に変える力を持っています。貴方たちも見た、あの緋色の雲は、そうして集められた気質の集合でした」
「それは天子さんからも伺いましたが、その、相手の気質を丸裸にする、という効果の意味するところをもう少し具体的に伺いたいのですが」
「具体的に、ですか。そうですね――気質というのは、要するにそのものの持つ本質です。つまり、緋想の剣は向ける相手の最も根源的な部分を丸裸にするわけです。すると?」
「……ああ、なるほど。相手の拠り所、すなわち弱点がさらけ出されるわけですか」
「ご明察です」
そう聞くと恐ろしい武器である。その人物の存在や人格の最大の拠り所は、すなわちその人物の最大の弱味であるというわけだ。博麗神社で気質を読まれたとき、私も天子さんに弱点をさらけ出していたのかと思うと、なんだか落ち着かない。
「それで気質を集めて地震を起こせるということですが――地震は天人の地上支配の拠り所なのですよね? そうすると、あの緋想の剣というのは天界でもかなり重要な品なのでは?」
「そうですね。比那名居の一族に伝わる宝剣ですから」
「こう言ってはなんですが、天子さんに持たせていて大丈夫なんですか? 退屈だからという理由だけで地震を起こそうというような方ですけれども」
「……さあ、総領様のお考えは私には何とも」
頬に手を当てて、衣玖さんは首を傾げる。
「ただ、おそらくは総領娘様が勝手に持ち出したのだとは思いますが」
「それだとますます持たせていてはまずいのでは?」
「そうですねえ……しかし総領様が気付いていないとも考えにくいので、何か総領様にもお考えがあるのでしょう。とりあえずは、静観するとします」
そんな衣玖さんの口ぶりに、蓮子は眉を寄せて唸っていた。
―23―
「ところで、どうして色々とこちらの質問に答えていただけたんですかね」
そろそろ失礼します、と衣玖さんが立ち上がり、事務所を出ようとしたところで、蓮子がそう訪ねると、衣玖さんは振り返り、「私は空気を読むのです」と微笑んで答えた。あんまり読んでるような気もしなかったが。
ともかく、ふわりと羽衣をはためかせて飛び去って行く衣玖さんの背中を見送ってから、相棒はごろりと畳の上に横になって、天井を見上げた。考え事モードである。私はその傍らに腰を下ろして、相棒の顔を見下ろす。
「どうしたの、蓮子。天子さんにまた地震を起こされるのが心配? それとも気質を読まれて弱点を明かされる方?」
「――それは別にどうでもいいの」
私の問いに、相棒は目を伏せてひとつ息を吐くと、勢いよく上半身を起こした。
「今回は、簡単にすっきり説明がつくシンプルな異変かと思ってたんだけど――そういうわけでもなさそうね」
「天子さんが語った異変の目的は表向きで、裏にまだ何かあるってこと?」
これまで相棒が解き明かしてきた異変の真相は、概ねそのパターンである。それぞれ異変の首謀者たちは、その異変の本当の目的を隠すために、表向きの目的を用意し、それに従って博麗の巫女に退治されることで、表向きの目的を異変の正史としてきた。――もちろんその真の目的とやらは、我が相棒の誇大妄想に過ぎないのかもしれないのだけれども。
だが、私の問いに、蓮子はゆっくりと首を横に振る。
「天子ちゃんの起こした異変、という意味では、たぶんあれ以上の裏はないわ。博麗神社に要石を刺して、本殿を再建すれば、天子ちゃんの目的は完全に達成されるでしょう。彼女の行動そのものは、私の見た限りにおいて、それで理が通っているもの」
「なら――」
「この異変の謎はただ一点だわ。なぜ天子ちゃんが異変を起こすことができたのか、よ。あるいは、もっと解りやすく言い換えるなら――宝剣を勝手に持ち出して、地上に大地震をもたらそうとした天子ちゃんを、なぜ他の天人は放置しているのか、という問題」
座布団に座り直して、相棒は私に向き直った。
「天界が、地震の脅威によって地上を支配しているとするなら、天子ちゃんのやろうとしたことはとんでもないスタンドプレーのはずなのよ。何しろ幻想郷が壊滅しかねないような大地震を、勝手に持ち出した宝剣で引き起こそうとしたわけだから。天界による地上支配の構造を崩しかねない行いだわ。それなのに、天子ちゃんは好き勝手に緋想の剣を振り回して、博麗神社に要石を刺して、まるで子供の遊びみたい」
「……天界から見たら、幻想郷なんて広大な地上の中の小さな黒子程度のものなんじゃないの。だから天子さんが壊そうが要石を刺そうが、子供の遊びとして放置しているとか」
自分で言ってなんだが、子供の遊びで壊滅させられたら、幻想郷の住人としてはたまったものではない。
「そうね……天界から見た地上は幻想郷のことなのか、それとも外の世界も含むのか。ああ、そこも衣玖さんに聞いておけば良かったわね。失敗したわ」
「天界もまた、神々の理で動いている世界なのです」
「おわあ!?」
突然割り込んだのは、またしても何の前触れもなく事務所の戸を開けた衣玖さんである。
「い、衣玖さん? 帰ったんじゃ」
「そちらがまだ聞きたいことがあるようでしたので空気を読みました」
「はあ……ええと、それはつまり、天界は外の世界よりも幻想郷側の世界であると?」
「天界は、地上から見れば即ち天国、あるいは極楽浄土と呼ばれる場所です。冥界や彼岸と同じく、信じられている限りにおいて、地上のあらゆる場所と繋がっていますし、同時に信じられていなければ繋がっていないのです。幻想郷は、天界の存在が自明の事実として知られているので、地上で最も天界に近い場所であると言えます。ですから貴方たちのように、生身の人間が天界に来てしまったりすることも起こりうるというわけです」
「なるほど……ということは、幻想郷は近いだけで、あくまで天界から見れば地上のごく一部に過ぎないと」
「確かにそういうことにはなります。ですが――」
「ですが?」
「この幻想郷は、結界で隔離されているだけで、外の世界とも地続きの場所です」
「あ――ということは」
「幻想郷で壊滅的な大地震が起これば、それは当然、外の世界にも影響を及ぼします。ですから、総領娘様が要石を刺したことが気がかりなのです」
「うん? 要石は地震を押さえ込むんですよね?」
「それはそうです。しかし、それは地震で解放されるべきエネルギーを溜め込む行いに他なりません。もし要石が抜かれたら、本来起こるはずだったものよりさらに壊滅的な地震が起こることになります。まあ、抜かなければいいだけの話ではあるのですが」
「……なるほど」
相棒は腕を組んで唸る。「要石が刺されたので、地震を伝える仕事も少なくなりそうです」と衣玖さんは頬に手を当てて少し寂しそうに言った。
「では、幻想郷に刺された要石は外の世界の地震も封じるのですか?」
「いえ、そういうわけではありません。幻想郷の要石が封じるのは、あくまで幻想郷の大ナマズです。外の世界では今まで通り地震が起こるでしょう」
それはそうだ。日本はいつだって地震大国である。私たちの今いる二十一世紀初頭から、私たちがもともと住んでいた二〇八〇年代までの間にも、東日本大震災や東海大震災が起きているわけで、ここで日本の地震が封じられたら歴史が大幅に変わってしまう。
「結局、天子さんの行いは天人から見てどうなんですか?」
「さあ、総領様のお考えは何とも……。私個人としましては、地上に勝手に要石を刺した件については大問題だと思いますが、やってしまったものは仕方ありません。刺されてしまった以上は抜くわけにもいきませんしね」
大丈夫でしょうかねえ、と首を傾げる衣玖さん。それを聞きたいのは私たちの方なのだが。
何にせよ、蓮子の疑問は衣玖さんに聞いて解けるものではない、ということだけは、はっきりしたようである。
――となれば、次は当然、さらなる聞き込みになるわけだ。
―24―
今度こそ去っていった衣玖さんを見送ったあと、私たちは再建工事中の博麗神社に向かった。聞き込む相手はもちろん、当の本人、比那名居天子さん――の、つもりだったのだが。
「天子? 今日はもう帰ったわよ」
倒壊した本殿の脇に作られた仮設住居、その前に置かれているテーブルでお茶を啜りながら、霊夢さんはそう答えた。なかなかどうして、タイミングが合わないものである。
「あんたたちが、あいつに何の用よ」
「いやあ、ちょっと天界について知りたくてね。地上の民の好奇心」
「いい加減異変のど真ん中に首突っ込んでくるのやめなさいよ、あんたたちは。私だってあんたたちを退治したくはないんだから」
「大丈夫、私たちはあくまで普通の人間だから」
「異常な人間でしょ」
じろりと半眼でこちらを睨む霊夢さんに、蓮子は「あ、そうだ」と手を叩く。
「じゃあ霊夢ちゃん、地震の前後で、妖怪の賢者は見てない?」
「え、紫のこと?」
きょとんと目をしばたたかせて、霊夢さんはひとつ唸る。
「紫なら、神社が壊れたその日の夜に来たけど」
「あら。妖怪の賢者は神社が壊れたことについて何か言ってた?」
「何かって、『見事に壊れたわねえ』って笑ってたわよ。あんまり興味もなさそうだったけど。犯人の天人をとっちめたから、そいつに建て直させるわよって言ったら、『あらそう』としか言わなかったし。普段から何やってるんだか解らないんだから、私の家ぐらい建て直してくれてもいいのに」
口を尖らせて、それから霊夢さんは私の方を見やり、「メリーの前で紫の話してると、なんか変な気分ねえ」と肩を竦めた。そんなこと言われても、私にはどうしようもないのだが。
「それだけ?」
「それだけよ。そもそもなんであんたが紫のことなんか聞くの」
「いやあ、幻想郷に大地震が起きるなんてことになったら、妖怪の賢者が黙ってないって萃香ちゃんが言うから、何か動いているのかなと思って」
「地震は天子が要石刺したから、もう大丈夫だって言ってたわよ」
「まあ、それはそうなんでしょうけど」
首を傾げた蓮子に、霊夢さんは不意にぽんと手を叩いた。
「――ああ、それで思い出した。紫のやつ、なんか変なこと言ってたわね」
「変なこと?」
「そう。確か――『結局、どうやっても地震は起こるのね』とかなんとか」
「……どういう意味?」
「さあ、独り言みたいだったし、紫の考えてることなんて紫本人以外誰も知らないわよ」
呆れたような調子で肩を竦める霊夢さんに、私たちは顔を見合わせた。
博麗神社を辞して、里への帰り道の間、蓮子はしきりに帽子の庇を弄っていた。相棒の頭脳がフル回転しているときの癖である。
「蓮子、また妖怪の賢者の動向が気になるの?」
「まあね。今回は萃香ちゃんのお墨付きだし」
春雪異変のときも、三日置きの百鬼夜行のときも、妖怪の賢者の意図はこの相棒の推理のひとつの基盤を為していた。春雪異変のときは何しろ私たち自身が妖怪の賢者の手で冥界に送られたのだから、その意図を考えるのは自然なことだったと思うが――。
「蓮子が考えていること、当てて見せましょうか」
「あらメリー、なに急に。推理に目覚めたのかしら?」
「どっかの相棒の悪影響でね。これだけ長く付き合ってれば蓮子の考え方もなんとなく解るわ」
「ほほう? じゃあ私は今、どんな考えを巡らせているっていうの?」
半眼で私の顔を覗きこむ蓮子に、私はひとつ息を吐き、博麗神社の方角を振り返る。
「――神社が壊れる前から、気質の異変に気付いていた者は大勢いたし、地震の前兆だと気付いていた者もいたのに、妖怪の賢者はなぜ、博麗神社が破壊される前に動かなかったのか」
私のその言葉に、相棒は目を見開き、そして笑みを深くした。
「さすがメリー、なかなか私のことをよく解ってるじゃない。大正解、じゃないけど」
「あら、違った? 蓮子のパターンならそこを疑問に思ってると思ったんだけど」
「無論、疑問に思ったわよ。でも、その地点は既に通過したわ」
「はいはい。で、何かしらの仮説はできたの?」
「いかんせん、妖怪の賢者については絶対的に情報が足りないのよねえ。さすがの蓮子さんも、会ったことのない相手に対して推理を働かせるのは限度があるわ」
肩を竦め、相棒はため息をつく。私は頬に手を当て、ひとつ首を傾げた。
「ねえ蓮子。身も蓋もないこと言っていい?」
「あら、なあに?」
「――幻想郷の危機に対して、妖怪の賢者の動きが鈍いのはなぜか、という蓮子流の考え方に対するアンチテーゼ。蓮子が考えているほど、妖怪の賢者は勤勉じゃない説。つまり、本当はもっと迅速に対応しなきゃいけない事態が幻想郷に起こっても、霊夢さんの腰が重いのと同様、妖怪の賢者も面倒臭がって動かないだけ。あるいは今までの異変も、蓮子が見積もったほどには幻想郷の危機じゃなかったとか、ひょっとしたら妖怪の賢者はそこまで幻想郷を大事に思ってるわけでもないとか――」
「その可能性を指摘されちゃあ、反証のしようがないわねえ、私には」
相棒が呆れ顔でため息をつく。――と。
「こらこら、紫様に対してあらぬ風評を立てるんじゃない」
背後から、突然そんな声が割り込んだ。振り返ると、そこに今までなかった影が佇んでいる。揺れるモフモフの九尾は、賢者の式神、八雲藍さんだ。
「あら、藍さん。奇遇ですね」
「いつも通り危なっかしい人間を見張っていたら、不届きなことを言っていたから忠告しに来ただけだ。全く、紫様を何だと思っているんだ」
ため息をつく藍さんに、蓮子は「何だと思おうにも、未だに面識がないもので」と蓮子は肩を竦める。
「せっかくですから藍さん、私たちと妖怪の賢者の会談をセッティングしてくれません?」
――実は、蓮子がこの頼みをするのは初めてのことではない。だが、答えはいつも同じだ。
「ダメだと言っているだろう。君たちに関する紫様の命は今も撤回されていないからな」
「里の外で私たちを見張るという命以外に、私が会いたいと言っても断るという命を受けてるわけですか」
「そもそも紫様に会おうとして会えるのは、紫様がそれを認めた相手だけだからな。私の知る限り、自由に紫様の元へ行く権利と能力があるのは幽々子様だけだ。それ以外は紫様が自ら会おうとされない限り、何人たりとも紫様に会うことは叶わない。だから蓮子、君が紫様に未だに会ったことがないというのは別におかしな話ではないんだ。そもそも里の人間のほとんどは紫様に会ったことなどないのだからな」
「でも、メリーは会ったことあるんですよ?」
「だから、それは全て紫様の一存だと言っているんだ」
「つまり――妖怪の賢者はこの宇佐見蓮子に会いたくないと」
「君がそう思いたいならそう考えていても構わないが」
「妖怪の賢者も恐れる頭脳の名探偵って宣伝していいですか?」
「こらこら」
蓮子の頭を小突き、藍さんは私の方に向き直る。
「それから、メリー。紫様が怠惰で人任せな御方であるのは事実だが、だからといって紫様の幻想郷への愛情を否定するのは、式として聞き捨てならないと言っておこう」
「はあ……すみません」
「紫様は、幻想郷の誰よりも、この幻想郷を愛しておられる御方だ。私も紫様のお考えは未だわからないことが多いが、そのことだけは確かだと言える」
直接の部下である藍さんにそうまで言い切られては、外野としては引き下がるしかない。
「それじゃあ藍さんから見て、今回の地震騒動に対する妖怪の賢者の動向に、不審なところはないわけですか?」
「紫様の場合、何をなさっていても常に不審といえば不審だから、それは判断のしようがない」
身も蓋もない意見だが、藍さんが言うと妙な説得力がある。
「ただ――紫様は常に、幻想郷にとって最善の道を模索しておられる」
と、不意に藍さんは目を細め、呟くようにそう言った。
「それだけは確かなことだと、紫様の式として、私は思う」
第7章 緋想天編 一覧
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幻想郷にとっての最善の道。それが秘封倶楽部を幻想郷に擁護することなのだろうか。
今回の異変で紫の考えが再び示されるのだろうか。気になります。
紫さんが蓮子の前に全く出てこないのは誇大妄想と言う名の真実に辿りついてしまうからかも知れませんね
そしてその真実にたどり着くと蓮子たちが幻想郷にいられなくなるか蓮子とメリーが一緒にいられなくなる
または蓮子と紫さんが会うことで歴史が変わる
その結果蓮子がこの世界に最初からいなかったことになってしまう
・・・なーんて全くもってくだらない誇大妄想を一つ
イクサーン
能力とは裏腹にマイペースなイクさんすき