【第3話――4日前〜3日前】
―7―
「うわあ! なんですかこれ、ローゼンメイデンですか!? まきますか? まきませんか?」
アリスさんの家の中を動き回す何体もの人形の姿に、早苗さんは目を輝かせた。トカトントン、と本棚を固定している人形に駆け寄って、「すごーい、すごーい」とIQの低そうな感嘆を繰り返している。
「何の話?」
「ああ、早苗ちゃんはときどき変なこと言い出しますけど気にしないでください」
「あの子も貴方たちと同じ外来人だっけ」
「ええ。私たちと違って、現代の外の世界から来た子ですけどね」
「あの、これどういう仕組みで動いているんですか?」
人形の一体を捕まえて、早苗さんは振り返る。手の中でじたばたともがく人形を抱えて、早苗さんは「怒っちゃだめよぉ、血圧上がっちゃうから。乳酸菌とってるぅ?」と低い声を出した。いったい何のモノマネだろう。今世紀初頭のサブカルチャーはよくわからない。
「私が魔法の糸で操っているのよ」
「え、有線でマリオネット方式なんですか? こんがらがりません? っていうかこの人形にも糸あるんですか? 見えませんけど……無線じゃないんです?」
早苗さんは手にした人形の周囲を手で探る。アリスさんは息を吐いた。
「魔法の糸だから、普通は見えないし触れないわよ」
「それって要するに無線じゃないですか。ラジコンですよね」
「何か誤解されてる気がするわね。私の魔力で形成した糸よ」
「信号を送る媒体が電波か赤外線か魔力か、それが違うだけで原理は似たようなものじゃないですか。なるほど、高度に発達した科学は魔法と区別がつかないっていうか、この幻想郷では区別する意味がないのかもしれませんね。しかし、これだけの数の人形を同時に操作する処理能力、すごいですね!」
「それほどでも。それより、いい加減その子を放してくれない?」
「あ、はい。でもそのマルチタスクの処理能力、もっと有効活用した方がいいのでは」
「してるわよ。今は工事が優先事項なだけ。うるさくてごめんなさいね。お茶でも淹れるわ」
そう言ってアリスさんはキッチンの方に引っ込んでいく。早苗さんは捕まえていた人形こそ放したものの、動き回る人形たちを相変わらず興味深げに見回していた。彼女も外の世界では理系の学生だったようで、興味の方向性はわりと我が相棒に近いのである。
「あのひと、なんだか本人からしてお人形さんみたいですね。ひょっとしてアリスゲームを勝ち抜いた元ローゼンメイデンなんでしょうか」
「早苗ちゃん、できれば未来人にも解るネタでよろしく」
「え、ハルヒは残ってるのにローゼンは八〇年後には忘れられた作品なんですか? あんなに大人気だったのに……栄枯盛衰ですねえ」
「大抵の作品は八〇年経てば忘れられると思うけどね」
リビングのテーブルでそんな無駄話をしている間に、アリスさんが紅茶を用意してくれた。人形たちは相変わらずあちこち忙しなく動き回って、金槌の音が響いている。
「ところでアリスさん、どうしてまた急に耐震工事を? 最近、そんな大きな地震があった覚えはないですが」
テーブルについて紅茶を味わいながら、蓮子がそう話を振ると、アリスさんは「地震が起きてからでは遅いから、いま対策を立てているんじゃない」と呆れたように鼻を鳴らした。
「それは正論ですけど、何事もきっかけというものはあるわけじゃないですか。いま耐震工事をしているということは、これまではさほど地震対策に気を遣っていなかったわけですよね。それが突然、何の理由もなく急いで耐震工事をするというのはおかしな話でしょう」
「だとしたら、どうなのかしら?」
「――アリスさん、ひょっとして地震を予知したのですか?」
蓮子がそう切り込むと、アリスさんはふっと息を吐いた。
「予知、と言うと何か大げさね。未来予知の魔法はないわ。私は前兆を感知しただけよ」
「前兆?」
「貴方たちは気付いていないのかしら? 空に、緋色の雲が広がっているのを」
「緋色の雲――」
私たちは顔を見合わせる。と、早苗さんが「ああ!」とぽんと手を叩いた。
「私、見ました! うちの神社、ずっと梅雨が明けないんですが、少しの晴れ間にときどきちらっと赤い雲が……え、あれ地震の前兆なんですか?」
「梅雨? 貴方、確か山の神社に住んでるのよね?」
「はい、妖怪の山の五合目のあたりです」
「ははあ。それは確かに、ここよりよく雲が見えそうね。しかし梅雨……? このところ、夏だっていうのにずっと雹続きじゃない。ほら、今も」
アリスさんは不思議そうに首を傾げて、窓を見やる。ぱちぱちと窓を雹が打ち付けている。
「いや、アリスさん。どうも幻想郷全域で天候がおかしいんですよ、このところ」
「そうなの? 私はこのところ出歩いてなかったから……」
「ええ。博麗神社は快晴、守矢神社は梅雨、紅魔館は曇天で人間の里は晴れたり雨だったり不安定。魔理沙さんによれば魔法の森は雨続きと聞いてましたが、ここに来たらこの雹ですし」
「…………」
蓮子の言葉に、アリスさんは腕を組んでひとつ唸る。
「それは、ますます危険ね。あの緋色の雲にしろ、この異常気象にしろ、宏観前兆じゃないかと私は思うわ。貴方たちも、家具の固定ぐらいはしておいた方がいいわよ」
「宏観前兆って、地震雲とかプラズマとかのアレですか? アレっていわゆる疑似科学じゃ」
「早苗ちゃん、幻想郷は認識と信仰が力を持つから、むしろ伝承や疑似科学の方が正しかったりするのよ。幻想郷の地震は地下の大ナマズが起こしているのかもしれないわ」
「はっ、そうでした! 幻想郷では常識に囚われてはいけないのですね!」
居住まいを正し、早苗さんは何か感心顔で頷く。それから、「しかし、緋色の雲ですか……」と何か首を傾げていた。
「ああ、もうこんな時間だわ」
マーガトロイド邸を辞去する頃には、すっかり夕刻になっていた。早苗さんに掴まって魔法の森上空へ舞いあがり、少し離れると雹は止んで曇り空が広がる。薄闇に包まれた空に、アリスさんの言う緋色の雲が隠れているのかどうかは、私にはわからなかった。
「で、蓮子。これからどうするの? また外泊する気?」
「うーん、白玉楼にも行ってみたいところだけどね」
そんなことを言い合っていると、不意に早苗さんが「大丈夫ですよ!」と声をあげた。
「早苗ちゃん?」
「蓮子さんもメリーさんも、ご安心ください! 謎は全て解けました!」
「…………」
不安しかない。
「明日は私が、吸血鬼の前でずばっと謎を解いてさしあげます! ですからおふたりは豪華客船に乗ったつもりで、ゆっくり部屋の地震対策でもしていてください」
「その豪華客船がタイタニックじゃないといいんだけど……」
「えんだーいやー♪」
「その曲タイタニックじゃないわよ早苗ちゃん」
「あれ、そうでしたっけ? まあまあ、とにかくここは神様探偵東風谷早苗にお任せを!」
「それじゃ麻耶雄嵩の神様シリーズじゃ……」
「貴族探偵レミリア嬢と神様早苗ちゃんの推理対決……ここが麻耶雄嵩世界ならともかく、幻想郷じゃあ先が思いやられるわね、ミステリ的な意味で」
「蓮子、いっそ無謬の銘探偵を名乗ってみれば?」
「初登場が最後の事件になるのは嫌ねえ」
そんな馬鹿なことを言い合いながら、私たちは人間の里へ向かって飛んでいく。
―8―
里の中心部に下ろしてもらい、「それではまた明日、寺子屋の終わる頃にお迎えにあがります!」と言って山の方へ飛び去って行く早苗さんを見送って、私たちは顔を見合わせた。
「明日、大丈夫かしら……」
「まあ、早苗ちゃんの推理はともかく、そこは私がなんとかするわよ。メリーは安心してこの所長に任せなさい」
「早苗さんと同じこと言わないでよ、ますます不安になるから」
まあ、早苗さんがどんなトンデモ推理を披露したとしても、最終的にはこの相棒がなんやかんやでレミリア嬢を言いくるめる気はするので、必要以上に心配することもないか。どうせ、私は巻き込まれるだけであるからして。
「じゃ、私たちはとりあえずアリスさんの言う通り、家具の固定でもしましょ」
「それはいいけど。一応、慧音さんに伝えた方がよくない? 地震の可能性のこと」
「ああ、そうねえ……でも、まだアリスさんの言葉だけだしね。もうちょっと裏付けをとらないと、無用に人心を乱した咎で自警団に逮捕されちゃうかも」
「その前に、無用な夜遊びの咎で一晩自警団の牢屋で過ごしてみるのもどうだ?」
「げっ、慧音さん!」
突然背後からかけられた声に、私たちは驚いて振り向いた。月明かりの下、呆れ顔で腰に手を当てた慧音さんは「げっ、とはなんだ、全く」と息を吐いた。
「いやあ、今日はちゃんと夜になる前に帰って来ましたからご勘弁を」
「教師が夜遊びをしていたら生徒に示しがつかないと、何度言ったら解るんだ。君たちの真似をして夜中に里の外に出る子が出たりしたらだな――」
「ま、まあまあ、天下の往来はお説教をする場所では」
「じゃあ、自警団の詰所でじっくりだな」
「いやいやいや、それもできればご勘弁願いたく――と、それより慧音さん。実は我々、ちょっと重大な情報を小耳に挟みまして」
「小耳に挟める時点で重大な情報じゃなさそうだが、何だ?」
「近々、大きい地震が起きるかもしれない――と」
蓮子のその言葉に、慧音さんは「地震?」と思い切り眉を寄せる。
「誰がそんなことを言っているんだ。里の龍神像でも地震は予報してくれないぞ」
「アリスさんです。このところ、里の天気が不安定でしょう? どうも幻想郷の各地で異常気象が発生しているようで」
「異常気象?」
「博麗神社は快晴なのに守矢神社は梅雨、魔法の森に至っては雹が降ってましたわ。それと、緋色の雲が確認できるそうです。アリスさんによれば、これは地震の前兆だと。彼女は魔法の森の自宅で、せっせと家具を固定する工事に励んでましたわ」
「……確かにこのところ、里一帯の気候は不安定だが……」
慧音さんは思案するようにひとつ唸る。半信半疑、いや二信八疑ぐらいかもしれないが、ありえないと一笑に付さないところが慧音さんらしいところだ。「自警団の仕事は事件を解決することじゃなく、事件の発生を未然に防ぐのが理想だ」とは彼女の持論である。
「アリスさんが私たちにそんな嘘をつく理由もないと思いますが、慧音さん、どう思います?」
「……難しいな。信頼するには裏付けが足りないし、かといって本当に地震が起きるなら看過できない問題だ。地震が起きるのは今日明日とか、そういう話だったか?」
「いえ、そこまでは何とも。前兆が確認できるので対策しておこう、という話でした」
「それなら猶予はあると考えていいのだろうかな……ふむ。ちょっとこっちでも、地震の前兆について調べてみよう。それから里に対策を呼びかけてみる」
「自警団が、これから大きい地震が起こるかも、なんて言ったら里に混乱が起きませんか?」
私がそう訊ねると、「問題はそこだ」と慧音さんは腕を組んだ。
「里に無用な混乱を呼ぶ事態は避けたいが、さりとて本当に地震が起きた場合に、混乱を恐れて対策を怠った結果として被害が増える事態も避けたい。……消防団と組んで、大規模な防災訓練という体裁で対策ができれば一番だが、その準備をしている間に地震が来たら元も子もないな。とりあえず手っ取り早くできるのは、巡回中の防災の呼びかけと、寺子屋での防災講習か……心もとないが、消防団に掛け合ってみよう」
「すみません、面倒なことを……」
「いや、地震が起きてからでは遅い。よく話してくれた。君たちの危なっかしい夜遊びも、たまには役に立つな」
私たちの肩を叩いて、慧音さんは笑う。私たちは苦笑した。
「明日の寺子屋の授業でも、子供たちに防災について呼びかけよう」
「あ、じゃあそれは私がやりますよ。慧音さんの話だと子供たちみんな寝ちゃいますから」
「ぐむ――」
蓮子の冗談めかした言葉に、慧音さんは口を尖らせて唸った。
で、翌日。
寺子屋での授業の後、蓮子が主体となって、子供たちに防災についての話をした。こういう話をさせても子供の受けをとれる蓮子の話術は、我が相棒の数少ない手放しに尊敬できる美点である。慧音さんや私ではこうはいかない。
「これで少しでも、防災意識を高めることができればいいが」
子供たちを見送り、寺子屋を閉めてから、慧音さんはそう呟いた。防災はひとりひとりの心がけとは言っても、完全な徹底はいつだって困難である。かといって全てを自己責任に帰するのも無責任というものだ。
「それじゃあ、私は消防団に話をしてこよう。君たちは?」
「地震の兆候について、もうちょっと裏付けをとってみますわ」
「……あまり危険なところに出入りしたり、遅くまで出歩いたりするんじゃないぞ」
「はーい」
生返事とともに慧音さんを見送ると、入れ替わるように上空から「蓮子さん、メリーさーん」と耳に馴染んだ早苗さんの声が降ってきた。
「お疲れ様です。お迎えにあがりました!」
ふわりと寺子屋の前に降り立った早苗さんは、なぜか敬礼のポーズをとってみせる。
「あら、今日の主役は神様探偵の早苗ちゃんでしょ?」
「探偵の活躍は記録者が必須なのですから、名探偵はワトソン役にもっと敬意を払うべきかと」
「だそうよ、メリー?」
「あら、私は誇大なる妄想探偵・宇佐見蓮子さん様閣下に最大特大無限大の敬意をお払いしてございますことよ」
「もうちょっと態度で示してほしいわねえ」
「おお、宇佐見蓮子大明神探偵様、ありがたやありがたや……なんまいだー、なんまいだー」
「どうしよう早苗ちゃん、私メリーの信仰で神様になっちゃうわ」
「その際は守矢神社で丁重に祀ってさしあげます。それよりほら、行きますよ! 今日は私がずばっとこの異変を解決するんですから!」
またそんな馬鹿な話をしながら、私たちは早苗さんに掴まって、紅魔館に向かって飛んでいく。どうなるかは神のみぞ知る――という言葉は、目の前に神様のいる私にとっては、冗談にもなりはしないのだった。
―9―
「さて、犯人は連れてきたのかしら? 見たところ、昨日と同じ顔ぶれだけれど」
というわけで、場所は昨日と同じく、紅魔館の広間。レミリア嬢は吸血鬼的な意味での早起きなのか、少々眠そうに欠伸を漏らしながら、私たちを出迎えた。
「もちろんです! この神様探偵・東風谷早苗が今、ばしっとずばっと異変の謎を一刀両断にしてさしあげます!」
「お前には聞いてないわよ。私は蓮子に言ったはずだけれど?」
「あー、お嬢様。早苗ちゃんもまた《秘封探偵事務所》の頼れる非常勤助手でありまして、ここはひとつ彼女の推理を聞いていただけませんかしら。面白いことになるのは保証しますわ」
「ほほう? じゃあ、聞かせてもらおうかい」
玉座にふんぞり返って、レミリア嬢は顎をしゃくった。早苗さんは「お任せください!」とドヤ顔で一歩前に出る。
「まず私たち《秘封探偵事務所》の捜査により、今回の異変では気の乱れが天候不順を呼び、空には緋色の雲が浮かんでいることがわかりました」
「緋色の雲?」
「では、一体誰が幻想郷の気を乱し、緋色の雲を発生させているのか。答えは、とてもシンプルなものでした。全ての真相は最初から私たちの目の前にあったのです!」
そう言って、早苗さんは大幣を取り出すと――それを、レミリア嬢に突きつけた。
「犯人は――貴方です、レミリア・スカーレットさん!」
――漫画なら「・・・」にトンボが飛ぶような沈黙が、広間に落ちた。
が、そんな沈黙には一切構わず、早苗さんは言葉を続ける。
「気の乱れと緋色の雲――起きている事態そのものが最大のヒントだったんです! 何しろ、こちらの吸血鬼さんはかつて、幻想郷を紅い霧で包もうとした前科があります。そしてその部下には、気を操る妖怪がいるというではありませんか! この符号は偶然ではありえません。そう、これは紅魔館ぐるみの犯行なのです! 幻想郷の気を乱し、緋色の雲で空を覆い尽くし、幻想郷を支配せんとする吸血鬼の野望だったのです!」
「…………」
「天候不順によってレミリアさんが出歩けないというのは、まさしく鉄壁のアリバイ作りというべきものでした。日光を遮り快適にするために紅い霧を出した過去のある吸血鬼が、出歩けなくなる天候不順を起こすはずがないという心理の死角を利用して、レミリアさんは犯行を進めていたんです。実際の実行犯はあの門番さんと図書館の魔法使いさんでしょう。あるいは、あの時間を操るというメイドさんも一枚噛んでいるのかもしれません。守矢神社の梅雨が明けないのは、メイドさんに梅雨の時期を引き延ばされたからです!」
「…………」
「ふふふ、証拠がどこにある、とお思いですね? この犯行がレミリアさんによるものである決定的証拠を、私は掴んでいます。それは、博麗神社がずっと晴れていることです!」
「…………」
「レミリアさんはかつて紅い霧の異変を起こしたとき、霊夢さんに退治されたそうですね。霊夢さんは異変が起きても、自分に実害が出ない限りなかなか動かないことで有名だそうです。だとすれば、博麗神社の周辺が夏らしい天気であり、博麗神社にいる限りこの異変を感知できないということは、犯人は霊夢さんの出動を怖れているということになります! つまり犯人は、かつて霊夢さんに退治された妖怪であることが論理的に導き出せるのです。そう、この天候不順はレミリアさんを足止めするためのものと見せかけて、実は霊夢さんを足止めするためのものだったのです! なんという大胆不敵なトリックでしょう!」
「…………」
「さあ、犯行の全ては明るみに出ました! 観念して神妙にお縄につくのです! 昨日はやられてしまいましたが、今日は負けません! 幻想郷の平和にために! そして守矢神社の信仰のために! 神奈子様、諏訪子様、私に世界を革命する力を!」
「さくやー」
「はい、お嬢様。お呼びでしょうか」
「そこの緑色のが、フランと遊びたいそうよ。連れていきなさい」
「かしこまりました」
「はっ!? な、何をするんですか! 名探偵の推理を暴力で打ち砕こうなんてミステリの犯人の風上にも置けませんよ! ちょっ、離してくださ――」
「ご案内いたします、東風谷様。ではお嬢様、失礼いたします」
レミリア嬢の呼びかけに応じてその場に出現した咲夜さんは、早苗さんを背後から羽交い締めにして、にっこりと優しい笑みを浮かべたまま一礼すると、また瞬時に姿を消した。私たちはぽかんとその様を眺めているほかない。
「……で?」
じろり、とレミリア嬢が思い切り半眼でこちらを睨む。私は身を竦めて、蓮子の背後に身を隠した。もう、だから言わんこっちゃない――。
「あれがお前の言う『面白いこと』かい」
「お楽しみいただけましたかしら、お嬢様」
「まあ、名探偵の前座に迷探偵の頓珍漢な推理は必要な手続きよね」
「さすがお嬢様、聡明であらせられます」
「で、犯人は?」
「今、お連れしましたわ」
さらっとそう言い放った蓮子に、私とレミリア嬢は揃ってぽかんと口を開いた。
「え、ちょっと蓮子、何を――」
「……つまり何? 今の緑の巫女が今回の異変の犯人だって?」
「はい。何しろ彼女は風雨を司る神様を祀った神社の風祝。自ら異変を起こし、お嬢様にその異変の罪を被せて退治し、神社の名声を高める野望だったのです。ああ、なんとおそるべきマッチポンプでしょう! それをすかさず見抜かれたお嬢様のご慧眼、敬服の至りですわ。まさにお嬢様は完全なる安楽椅子探偵、蒙昧なる人間など足元にも及ばぬ叡知の輝き。その賢者の眼差しの前にはあらゆる悪人がひれ伏すでありましょう」
「お、おう?」
「お嬢様の圧倒的絶対的超越的名推理によって犯人は今や白日の下に晒されましたが、しかしお嬢様を恐れる異変の犯人はひとりとは限りません。早苗ちゃんを倒しても、第二、第三の犯人が現れ、最強無敵天下無双のお嬢様を館に足止めすべく天候不順を起こそうとする犯人が現れるでしょう。しかし恐れることはありません。お嬢様の前には常に真実のみが姿を現すはずです。では、私たちは今の異変の犯人を引き取って参りますので、これにて失礼いたしますわ」
「あ、ああ、気を付けてお帰り」
「え、ちょ、蓮子」
呆気にとられた顔のお嬢様に恭しく一礼すると、蓮子は平然とした顔で私を促して広間を後にした。ばたんと扉が閉まったところで、「やれやれ」と相棒は息を吐く。
「ほら、どうにかなったでしょう?」
「……なったの?」
「なったのよ。とりあえず犯人を見つけてお嬢様を納得させたんだから」
「いや、納得してたようには見えないけど」
「それより、早苗ちゃんを回収しに行くわよ」
「って、それよそれ! 早苗さん、フランドール嬢のところに連れて行かれちゃったじゃないの! どうするのよ!」
「大丈夫大丈夫、早苗ちゃんなら死にはしないわ。私たちのお友達だと解ればフランドール嬢も悪いようにはしないはずよ。まあでも、どうなってるか心配だから早く行きましょ」
あっけらかんとそう言い放ち、蓮子は私の手を引いて歩き出す。私はもう、ため息をつく気力もなく、相棒の手に引きずられていくしかなかった。
かくして久々にやって来たるは、昔懐かし、フランドール嬢に『そして誰もいなくなった』を読み聞かせたあの地下室である。あのとき部屋に張られていた強固な結界は、今はもうその気配すらもない。おそらく、必要なくなったということなのだろう。
「妹様ー? いらっしゃいますかー?」
蓮子がそう言って扉をノックするが、返事はない。ノブに手を掛けると、鍵は掛かっていないようだった。私たちはそっと扉を開いて、中を覗きこむ。
「妹様ー、早苗ちゃーん……」
心もち小声で相棒がそう呼びかけると、薄暗い部屋の中に――七色に煌めく羽根の光が揺れた。フランドール嬢は中にいるようだ。しかし、早苗さんは?
「あ、蓮子さん、メリーさん。ご無事でしたか」
と、能天気な早苗さんの声がした。どうやら無事らしい。私たちはほっと息をつきつつ、「それはこっちの台詞だけどね」と扉の隙間から身を滑り込ませる。そこでようやく、部屋の中の状況が把握できた、のだが。
「んにー」
「ふふふ、気持ちいいですか?」
フランドール嬢が、ベッドに腰掛けた早苗さんの膝の上で、猫のように喉元をくすぐられながら、幸せそうにゴロゴロしている。――これはいささか、予想外の光景である。
「んぅ? あ、メリーに蓮子」
私たちに気付いたフランドール嬢が、ぱっと身体を起こした。
「あらあら、早苗ちゃんったら、妹様とお友達になったの?」
「はい、お友達になりました」
「んー」
ゴロゴロ。あのフランドール嬢がまるきり猫である。咲夜さんに連れ去られてから私たちが来るまでの間に、この二人の間にいったい何があったというのだ。
「可愛い子ですね。あの吸血鬼さんの妹さんとは思えません」
「いやあ、妹様が可愛いのは否定しないけど、ちょっと攻撃力が過剰よ」
「それも愛嬌というものじゃないですか」
フランドール嬢の力を愛嬌で済ませていいのだろうか。現人神の度量は計り知れない。
「何かこのふたり、通じ合うものがあるのかしらね」
「蓮子、何か失礼なこと考えてない?」
私たちが小声でそんなことを言い合っていると、早苗さんの膝の上でじゃれていたフランドール嬢が、不意に私の方を振り向いた。
「あ、そうだメリー、また本読んで!」
「え、ええ? それは構わないけど……じゃあ、図書館から何か見繕ってくるわ」
「久しぶりねえ、メリーの妹様への読み聞かせ」
「え、それ恒例なんです? あ、私も登場人物の誰かやりますよ!」
「劇じゃないから!」
――かくしてその日の午後は、妹様に本を読んで聞かせることで過ぎていった。
なお、後から聞いた話によると、蓮子に煙に巻かれたことに気付いたレミリア嬢は、結局「やっぱり私が解決するしかないわね」と、翌日から咲夜さんに命じて犯人候補を拉致させるという振る舞いに出たのだそうである。
しかし、それはこの記録とはまた別の物語だ。
―7―
「うわあ! なんですかこれ、ローゼンメイデンですか!? まきますか? まきませんか?」
アリスさんの家の中を動き回す何体もの人形の姿に、早苗さんは目を輝かせた。トカトントン、と本棚を固定している人形に駆け寄って、「すごーい、すごーい」とIQの低そうな感嘆を繰り返している。
「何の話?」
「ああ、早苗ちゃんはときどき変なこと言い出しますけど気にしないでください」
「あの子も貴方たちと同じ外来人だっけ」
「ええ。私たちと違って、現代の外の世界から来た子ですけどね」
「あの、これどういう仕組みで動いているんですか?」
人形の一体を捕まえて、早苗さんは振り返る。手の中でじたばたともがく人形を抱えて、早苗さんは「怒っちゃだめよぉ、血圧上がっちゃうから。乳酸菌とってるぅ?」と低い声を出した。いったい何のモノマネだろう。今世紀初頭のサブカルチャーはよくわからない。
「私が魔法の糸で操っているのよ」
「え、有線でマリオネット方式なんですか? こんがらがりません? っていうかこの人形にも糸あるんですか? 見えませんけど……無線じゃないんです?」
早苗さんは手にした人形の周囲を手で探る。アリスさんは息を吐いた。
「魔法の糸だから、普通は見えないし触れないわよ」
「それって要するに無線じゃないですか。ラジコンですよね」
「何か誤解されてる気がするわね。私の魔力で形成した糸よ」
「信号を送る媒体が電波か赤外線か魔力か、それが違うだけで原理は似たようなものじゃないですか。なるほど、高度に発達した科学は魔法と区別がつかないっていうか、この幻想郷では区別する意味がないのかもしれませんね。しかし、これだけの数の人形を同時に操作する処理能力、すごいですね!」
「それほどでも。それより、いい加減その子を放してくれない?」
「あ、はい。でもそのマルチタスクの処理能力、もっと有効活用した方がいいのでは」
「してるわよ。今は工事が優先事項なだけ。うるさくてごめんなさいね。お茶でも淹れるわ」
そう言ってアリスさんはキッチンの方に引っ込んでいく。早苗さんは捕まえていた人形こそ放したものの、動き回る人形たちを相変わらず興味深げに見回していた。彼女も外の世界では理系の学生だったようで、興味の方向性はわりと我が相棒に近いのである。
「あのひと、なんだか本人からしてお人形さんみたいですね。ひょっとしてアリスゲームを勝ち抜いた元ローゼンメイデンなんでしょうか」
「早苗ちゃん、できれば未来人にも解るネタでよろしく」
「え、ハルヒは残ってるのにローゼンは八〇年後には忘れられた作品なんですか? あんなに大人気だったのに……栄枯盛衰ですねえ」
「大抵の作品は八〇年経てば忘れられると思うけどね」
リビングのテーブルでそんな無駄話をしている間に、アリスさんが紅茶を用意してくれた。人形たちは相変わらずあちこち忙しなく動き回って、金槌の音が響いている。
「ところでアリスさん、どうしてまた急に耐震工事を? 最近、そんな大きな地震があった覚えはないですが」
テーブルについて紅茶を味わいながら、蓮子がそう話を振ると、アリスさんは「地震が起きてからでは遅いから、いま対策を立てているんじゃない」と呆れたように鼻を鳴らした。
「それは正論ですけど、何事もきっかけというものはあるわけじゃないですか。いま耐震工事をしているということは、これまではさほど地震対策に気を遣っていなかったわけですよね。それが突然、何の理由もなく急いで耐震工事をするというのはおかしな話でしょう」
「だとしたら、どうなのかしら?」
「――アリスさん、ひょっとして地震を予知したのですか?」
蓮子がそう切り込むと、アリスさんはふっと息を吐いた。
「予知、と言うと何か大げさね。未来予知の魔法はないわ。私は前兆を感知しただけよ」
「前兆?」
「貴方たちは気付いていないのかしら? 空に、緋色の雲が広がっているのを」
「緋色の雲――」
私たちは顔を見合わせる。と、早苗さんが「ああ!」とぽんと手を叩いた。
「私、見ました! うちの神社、ずっと梅雨が明けないんですが、少しの晴れ間にときどきちらっと赤い雲が……え、あれ地震の前兆なんですか?」
「梅雨? 貴方、確か山の神社に住んでるのよね?」
「はい、妖怪の山の五合目のあたりです」
「ははあ。それは確かに、ここよりよく雲が見えそうね。しかし梅雨……? このところ、夏だっていうのにずっと雹続きじゃない。ほら、今も」
アリスさんは不思議そうに首を傾げて、窓を見やる。ぱちぱちと窓を雹が打ち付けている。
「いや、アリスさん。どうも幻想郷全域で天候がおかしいんですよ、このところ」
「そうなの? 私はこのところ出歩いてなかったから……」
「ええ。博麗神社は快晴、守矢神社は梅雨、紅魔館は曇天で人間の里は晴れたり雨だったり不安定。魔理沙さんによれば魔法の森は雨続きと聞いてましたが、ここに来たらこの雹ですし」
「…………」
蓮子の言葉に、アリスさんは腕を組んでひとつ唸る。
「それは、ますます危険ね。あの緋色の雲にしろ、この異常気象にしろ、宏観前兆じゃないかと私は思うわ。貴方たちも、家具の固定ぐらいはしておいた方がいいわよ」
「宏観前兆って、地震雲とかプラズマとかのアレですか? アレっていわゆる疑似科学じゃ」
「早苗ちゃん、幻想郷は認識と信仰が力を持つから、むしろ伝承や疑似科学の方が正しかったりするのよ。幻想郷の地震は地下の大ナマズが起こしているのかもしれないわ」
「はっ、そうでした! 幻想郷では常識に囚われてはいけないのですね!」
居住まいを正し、早苗さんは何か感心顔で頷く。それから、「しかし、緋色の雲ですか……」と何か首を傾げていた。
「ああ、もうこんな時間だわ」
マーガトロイド邸を辞去する頃には、すっかり夕刻になっていた。早苗さんに掴まって魔法の森上空へ舞いあがり、少し離れると雹は止んで曇り空が広がる。薄闇に包まれた空に、アリスさんの言う緋色の雲が隠れているのかどうかは、私にはわからなかった。
「で、蓮子。これからどうするの? また外泊する気?」
「うーん、白玉楼にも行ってみたいところだけどね」
そんなことを言い合っていると、不意に早苗さんが「大丈夫ですよ!」と声をあげた。
「早苗ちゃん?」
「蓮子さんもメリーさんも、ご安心ください! 謎は全て解けました!」
「…………」
不安しかない。
「明日は私が、吸血鬼の前でずばっと謎を解いてさしあげます! ですからおふたりは豪華客船に乗ったつもりで、ゆっくり部屋の地震対策でもしていてください」
「その豪華客船がタイタニックじゃないといいんだけど……」
「えんだーいやー♪」
「その曲タイタニックじゃないわよ早苗ちゃん」
「あれ、そうでしたっけ? まあまあ、とにかくここは神様探偵東風谷早苗にお任せを!」
「それじゃ麻耶雄嵩の神様シリーズじゃ……」
「貴族探偵レミリア嬢と神様早苗ちゃんの推理対決……ここが麻耶雄嵩世界ならともかく、幻想郷じゃあ先が思いやられるわね、ミステリ的な意味で」
「蓮子、いっそ無謬の銘探偵を名乗ってみれば?」
「初登場が最後の事件になるのは嫌ねえ」
そんな馬鹿なことを言い合いながら、私たちは人間の里へ向かって飛んでいく。
―8―
里の中心部に下ろしてもらい、「それではまた明日、寺子屋の終わる頃にお迎えにあがります!」と言って山の方へ飛び去って行く早苗さんを見送って、私たちは顔を見合わせた。
「明日、大丈夫かしら……」
「まあ、早苗ちゃんの推理はともかく、そこは私がなんとかするわよ。メリーは安心してこの所長に任せなさい」
「早苗さんと同じこと言わないでよ、ますます不安になるから」
まあ、早苗さんがどんなトンデモ推理を披露したとしても、最終的にはこの相棒がなんやかんやでレミリア嬢を言いくるめる気はするので、必要以上に心配することもないか。どうせ、私は巻き込まれるだけであるからして。
「じゃ、私たちはとりあえずアリスさんの言う通り、家具の固定でもしましょ」
「それはいいけど。一応、慧音さんに伝えた方がよくない? 地震の可能性のこと」
「ああ、そうねえ……でも、まだアリスさんの言葉だけだしね。もうちょっと裏付けをとらないと、無用に人心を乱した咎で自警団に逮捕されちゃうかも」
「その前に、無用な夜遊びの咎で一晩自警団の牢屋で過ごしてみるのもどうだ?」
「げっ、慧音さん!」
突然背後からかけられた声に、私たちは驚いて振り向いた。月明かりの下、呆れ顔で腰に手を当てた慧音さんは「げっ、とはなんだ、全く」と息を吐いた。
「いやあ、今日はちゃんと夜になる前に帰って来ましたからご勘弁を」
「教師が夜遊びをしていたら生徒に示しがつかないと、何度言ったら解るんだ。君たちの真似をして夜中に里の外に出る子が出たりしたらだな――」
「ま、まあまあ、天下の往来はお説教をする場所では」
「じゃあ、自警団の詰所でじっくりだな」
「いやいやいや、それもできればご勘弁願いたく――と、それより慧音さん。実は我々、ちょっと重大な情報を小耳に挟みまして」
「小耳に挟める時点で重大な情報じゃなさそうだが、何だ?」
「近々、大きい地震が起きるかもしれない――と」
蓮子のその言葉に、慧音さんは「地震?」と思い切り眉を寄せる。
「誰がそんなことを言っているんだ。里の龍神像でも地震は予報してくれないぞ」
「アリスさんです。このところ、里の天気が不安定でしょう? どうも幻想郷の各地で異常気象が発生しているようで」
「異常気象?」
「博麗神社は快晴なのに守矢神社は梅雨、魔法の森に至っては雹が降ってましたわ。それと、緋色の雲が確認できるそうです。アリスさんによれば、これは地震の前兆だと。彼女は魔法の森の自宅で、せっせと家具を固定する工事に励んでましたわ」
「……確かにこのところ、里一帯の気候は不安定だが……」
慧音さんは思案するようにひとつ唸る。半信半疑、いや二信八疑ぐらいかもしれないが、ありえないと一笑に付さないところが慧音さんらしいところだ。「自警団の仕事は事件を解決することじゃなく、事件の発生を未然に防ぐのが理想だ」とは彼女の持論である。
「アリスさんが私たちにそんな嘘をつく理由もないと思いますが、慧音さん、どう思います?」
「……難しいな。信頼するには裏付けが足りないし、かといって本当に地震が起きるなら看過できない問題だ。地震が起きるのは今日明日とか、そういう話だったか?」
「いえ、そこまでは何とも。前兆が確認できるので対策しておこう、という話でした」
「それなら猶予はあると考えていいのだろうかな……ふむ。ちょっとこっちでも、地震の前兆について調べてみよう。それから里に対策を呼びかけてみる」
「自警団が、これから大きい地震が起こるかも、なんて言ったら里に混乱が起きませんか?」
私がそう訊ねると、「問題はそこだ」と慧音さんは腕を組んだ。
「里に無用な混乱を呼ぶ事態は避けたいが、さりとて本当に地震が起きた場合に、混乱を恐れて対策を怠った結果として被害が増える事態も避けたい。……消防団と組んで、大規模な防災訓練という体裁で対策ができれば一番だが、その準備をしている間に地震が来たら元も子もないな。とりあえず手っ取り早くできるのは、巡回中の防災の呼びかけと、寺子屋での防災講習か……心もとないが、消防団に掛け合ってみよう」
「すみません、面倒なことを……」
「いや、地震が起きてからでは遅い。よく話してくれた。君たちの危なっかしい夜遊びも、たまには役に立つな」
私たちの肩を叩いて、慧音さんは笑う。私たちは苦笑した。
「明日の寺子屋の授業でも、子供たちに防災について呼びかけよう」
「あ、じゃあそれは私がやりますよ。慧音さんの話だと子供たちみんな寝ちゃいますから」
「ぐむ――」
蓮子の冗談めかした言葉に、慧音さんは口を尖らせて唸った。
で、翌日。
寺子屋での授業の後、蓮子が主体となって、子供たちに防災についての話をした。こういう話をさせても子供の受けをとれる蓮子の話術は、我が相棒の数少ない手放しに尊敬できる美点である。慧音さんや私ではこうはいかない。
「これで少しでも、防災意識を高めることができればいいが」
子供たちを見送り、寺子屋を閉めてから、慧音さんはそう呟いた。防災はひとりひとりの心がけとは言っても、完全な徹底はいつだって困難である。かといって全てを自己責任に帰するのも無責任というものだ。
「それじゃあ、私は消防団に話をしてこよう。君たちは?」
「地震の兆候について、もうちょっと裏付けをとってみますわ」
「……あまり危険なところに出入りしたり、遅くまで出歩いたりするんじゃないぞ」
「はーい」
生返事とともに慧音さんを見送ると、入れ替わるように上空から「蓮子さん、メリーさーん」と耳に馴染んだ早苗さんの声が降ってきた。
「お疲れ様です。お迎えにあがりました!」
ふわりと寺子屋の前に降り立った早苗さんは、なぜか敬礼のポーズをとってみせる。
「あら、今日の主役は神様探偵の早苗ちゃんでしょ?」
「探偵の活躍は記録者が必須なのですから、名探偵はワトソン役にもっと敬意を払うべきかと」
「だそうよ、メリー?」
「あら、私は誇大なる妄想探偵・宇佐見蓮子さん様閣下に最大特大無限大の敬意をお払いしてございますことよ」
「もうちょっと態度で示してほしいわねえ」
「おお、宇佐見蓮子大明神探偵様、ありがたやありがたや……なんまいだー、なんまいだー」
「どうしよう早苗ちゃん、私メリーの信仰で神様になっちゃうわ」
「その際は守矢神社で丁重に祀ってさしあげます。それよりほら、行きますよ! 今日は私がずばっとこの異変を解決するんですから!」
またそんな馬鹿な話をしながら、私たちは早苗さんに掴まって、紅魔館に向かって飛んでいく。どうなるかは神のみぞ知る――という言葉は、目の前に神様のいる私にとっては、冗談にもなりはしないのだった。
―9―
「さて、犯人は連れてきたのかしら? 見たところ、昨日と同じ顔ぶれだけれど」
というわけで、場所は昨日と同じく、紅魔館の広間。レミリア嬢は吸血鬼的な意味での早起きなのか、少々眠そうに欠伸を漏らしながら、私たちを出迎えた。
「もちろんです! この神様探偵・東風谷早苗が今、ばしっとずばっと異変の謎を一刀両断にしてさしあげます!」
「お前には聞いてないわよ。私は蓮子に言ったはずだけれど?」
「あー、お嬢様。早苗ちゃんもまた《秘封探偵事務所》の頼れる非常勤助手でありまして、ここはひとつ彼女の推理を聞いていただけませんかしら。面白いことになるのは保証しますわ」
「ほほう? じゃあ、聞かせてもらおうかい」
玉座にふんぞり返って、レミリア嬢は顎をしゃくった。早苗さんは「お任せください!」とドヤ顔で一歩前に出る。
「まず私たち《秘封探偵事務所》の捜査により、今回の異変では気の乱れが天候不順を呼び、空には緋色の雲が浮かんでいることがわかりました」
「緋色の雲?」
「では、一体誰が幻想郷の気を乱し、緋色の雲を発生させているのか。答えは、とてもシンプルなものでした。全ての真相は最初から私たちの目の前にあったのです!」
そう言って、早苗さんは大幣を取り出すと――それを、レミリア嬢に突きつけた。
「犯人は――貴方です、レミリア・スカーレットさん!」
――漫画なら「・・・」にトンボが飛ぶような沈黙が、広間に落ちた。
が、そんな沈黙には一切構わず、早苗さんは言葉を続ける。
「気の乱れと緋色の雲――起きている事態そのものが最大のヒントだったんです! 何しろ、こちらの吸血鬼さんはかつて、幻想郷を紅い霧で包もうとした前科があります。そしてその部下には、気を操る妖怪がいるというではありませんか! この符号は偶然ではありえません。そう、これは紅魔館ぐるみの犯行なのです! 幻想郷の気を乱し、緋色の雲で空を覆い尽くし、幻想郷を支配せんとする吸血鬼の野望だったのです!」
「…………」
「天候不順によってレミリアさんが出歩けないというのは、まさしく鉄壁のアリバイ作りというべきものでした。日光を遮り快適にするために紅い霧を出した過去のある吸血鬼が、出歩けなくなる天候不順を起こすはずがないという心理の死角を利用して、レミリアさんは犯行を進めていたんです。実際の実行犯はあの門番さんと図書館の魔法使いさんでしょう。あるいは、あの時間を操るというメイドさんも一枚噛んでいるのかもしれません。守矢神社の梅雨が明けないのは、メイドさんに梅雨の時期を引き延ばされたからです!」
「…………」
「ふふふ、証拠がどこにある、とお思いですね? この犯行がレミリアさんによるものである決定的証拠を、私は掴んでいます。それは、博麗神社がずっと晴れていることです!」
「…………」
「レミリアさんはかつて紅い霧の異変を起こしたとき、霊夢さんに退治されたそうですね。霊夢さんは異変が起きても、自分に実害が出ない限りなかなか動かないことで有名だそうです。だとすれば、博麗神社の周辺が夏らしい天気であり、博麗神社にいる限りこの異変を感知できないということは、犯人は霊夢さんの出動を怖れているということになります! つまり犯人は、かつて霊夢さんに退治された妖怪であることが論理的に導き出せるのです。そう、この天候不順はレミリアさんを足止めするためのものと見せかけて、実は霊夢さんを足止めするためのものだったのです! なんという大胆不敵なトリックでしょう!」
「…………」
「さあ、犯行の全ては明るみに出ました! 観念して神妙にお縄につくのです! 昨日はやられてしまいましたが、今日は負けません! 幻想郷の平和にために! そして守矢神社の信仰のために! 神奈子様、諏訪子様、私に世界を革命する力を!」
「さくやー」
「はい、お嬢様。お呼びでしょうか」
「そこの緑色のが、フランと遊びたいそうよ。連れていきなさい」
「かしこまりました」
「はっ!? な、何をするんですか! 名探偵の推理を暴力で打ち砕こうなんてミステリの犯人の風上にも置けませんよ! ちょっ、離してくださ――」
「ご案内いたします、東風谷様。ではお嬢様、失礼いたします」
レミリア嬢の呼びかけに応じてその場に出現した咲夜さんは、早苗さんを背後から羽交い締めにして、にっこりと優しい笑みを浮かべたまま一礼すると、また瞬時に姿を消した。私たちはぽかんとその様を眺めているほかない。
「……で?」
じろり、とレミリア嬢が思い切り半眼でこちらを睨む。私は身を竦めて、蓮子の背後に身を隠した。もう、だから言わんこっちゃない――。
「あれがお前の言う『面白いこと』かい」
「お楽しみいただけましたかしら、お嬢様」
「まあ、名探偵の前座に迷探偵の頓珍漢な推理は必要な手続きよね」
「さすがお嬢様、聡明であらせられます」
「で、犯人は?」
「今、お連れしましたわ」
さらっとそう言い放った蓮子に、私とレミリア嬢は揃ってぽかんと口を開いた。
「え、ちょっと蓮子、何を――」
「……つまり何? 今の緑の巫女が今回の異変の犯人だって?」
「はい。何しろ彼女は風雨を司る神様を祀った神社の風祝。自ら異変を起こし、お嬢様にその異変の罪を被せて退治し、神社の名声を高める野望だったのです。ああ、なんとおそるべきマッチポンプでしょう! それをすかさず見抜かれたお嬢様のご慧眼、敬服の至りですわ。まさにお嬢様は完全なる安楽椅子探偵、蒙昧なる人間など足元にも及ばぬ叡知の輝き。その賢者の眼差しの前にはあらゆる悪人がひれ伏すでありましょう」
「お、おう?」
「お嬢様の圧倒的絶対的超越的名推理によって犯人は今や白日の下に晒されましたが、しかしお嬢様を恐れる異変の犯人はひとりとは限りません。早苗ちゃんを倒しても、第二、第三の犯人が現れ、最強無敵天下無双のお嬢様を館に足止めすべく天候不順を起こそうとする犯人が現れるでしょう。しかし恐れることはありません。お嬢様の前には常に真実のみが姿を現すはずです。では、私たちは今の異変の犯人を引き取って参りますので、これにて失礼いたしますわ」
「あ、ああ、気を付けてお帰り」
「え、ちょ、蓮子」
呆気にとられた顔のお嬢様に恭しく一礼すると、蓮子は平然とした顔で私を促して広間を後にした。ばたんと扉が閉まったところで、「やれやれ」と相棒は息を吐く。
「ほら、どうにかなったでしょう?」
「……なったの?」
「なったのよ。とりあえず犯人を見つけてお嬢様を納得させたんだから」
「いや、納得してたようには見えないけど」
「それより、早苗ちゃんを回収しに行くわよ」
「って、それよそれ! 早苗さん、フランドール嬢のところに連れて行かれちゃったじゃないの! どうするのよ!」
「大丈夫大丈夫、早苗ちゃんなら死にはしないわ。私たちのお友達だと解ればフランドール嬢も悪いようにはしないはずよ。まあでも、どうなってるか心配だから早く行きましょ」
あっけらかんとそう言い放ち、蓮子は私の手を引いて歩き出す。私はもう、ため息をつく気力もなく、相棒の手に引きずられていくしかなかった。
かくして久々にやって来たるは、昔懐かし、フランドール嬢に『そして誰もいなくなった』を読み聞かせたあの地下室である。あのとき部屋に張られていた強固な結界は、今はもうその気配すらもない。おそらく、必要なくなったということなのだろう。
「妹様ー? いらっしゃいますかー?」
蓮子がそう言って扉をノックするが、返事はない。ノブに手を掛けると、鍵は掛かっていないようだった。私たちはそっと扉を開いて、中を覗きこむ。
「妹様ー、早苗ちゃーん……」
心もち小声で相棒がそう呼びかけると、薄暗い部屋の中に――七色に煌めく羽根の光が揺れた。フランドール嬢は中にいるようだ。しかし、早苗さんは?
「あ、蓮子さん、メリーさん。ご無事でしたか」
と、能天気な早苗さんの声がした。どうやら無事らしい。私たちはほっと息をつきつつ、「それはこっちの台詞だけどね」と扉の隙間から身を滑り込ませる。そこでようやく、部屋の中の状況が把握できた、のだが。
「んにー」
「ふふふ、気持ちいいですか?」
フランドール嬢が、ベッドに腰掛けた早苗さんの膝の上で、猫のように喉元をくすぐられながら、幸せそうにゴロゴロしている。――これはいささか、予想外の光景である。
「んぅ? あ、メリーに蓮子」
私たちに気付いたフランドール嬢が、ぱっと身体を起こした。
「あらあら、早苗ちゃんったら、妹様とお友達になったの?」
「はい、お友達になりました」
「んー」
ゴロゴロ。あのフランドール嬢がまるきり猫である。咲夜さんに連れ去られてから私たちが来るまでの間に、この二人の間にいったい何があったというのだ。
「可愛い子ですね。あの吸血鬼さんの妹さんとは思えません」
「いやあ、妹様が可愛いのは否定しないけど、ちょっと攻撃力が過剰よ」
「それも愛嬌というものじゃないですか」
フランドール嬢の力を愛嬌で済ませていいのだろうか。現人神の度量は計り知れない。
「何かこのふたり、通じ合うものがあるのかしらね」
「蓮子、何か失礼なこと考えてない?」
私たちが小声でそんなことを言い合っていると、早苗さんの膝の上でじゃれていたフランドール嬢が、不意に私の方を振り向いた。
「あ、そうだメリー、また本読んで!」
「え、ええ? それは構わないけど……じゃあ、図書館から何か見繕ってくるわ」
「久しぶりねえ、メリーの妹様への読み聞かせ」
「え、それ恒例なんです? あ、私も登場人物の誰かやりますよ!」
「劇じゃないから!」
――かくしてその日の午後は、妹様に本を読んで聞かせることで過ぎていった。
なお、後から聞いた話によると、蓮子に煙に巻かれたことに気付いたレミリア嬢は、結局「やっぱり私が解決するしかないわね」と、翌日から咲夜さんに命じて犯人候補を拉致させるという振る舞いに出たのだそうである。
しかし、それはこの記録とはまた別の物語だ。
第7章 緋想天編 一覧
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早苗の迷推理ぶりが良かったです。迷推理らしい迷推理でした。そして蓮子のかわしぶりが上手い。よく口が回りますね…。
早苗とフランちゃんの間に何があったのか気になります。