東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第7章 緋想天編   緋想天編 第11話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第7章 緋想天編

公開日:2017年07月08日 / 最終更新日:2017年07月10日

緋想天編 第11話
【第11話――解決編】




―31―


 稗田邸から事務所に戻ると、早苗さんが待ちくたびれた顔でお茶菓子をつまんでいた。
「あ、お帰りなさい」
「早苗ちゃん、まだいたの?」
「うわ地味にひどいですね! なんですかあ、これからメリーさんとイチャイチャするからお邪魔虫は帰れってことですか? 覗きますよ!」
「そうそう、メリーとこれからイチャイチャするの。大人の時間だから、未成年はお帰り」
「ええー、まだ晩御飯の時間でもないこんな時間からそんな爛れた」
「馬鹿言わないの」
 抱きついてきた蓮子の頬をつねる。「いひゃいいひゃい」と呻く蓮子に、早苗さんは「やっぱりイチャイチャしてるじゃないですかあ」と呆れ顔。
「まあ真面目な話をするとね、ちょっと早苗ちゃんが居るとしにくい話をするのよ。この埋め合わせはするから、今日はごめんね」
「むう、わかりました。じゃあ今度うちに来るときに、神奈子様と諏訪子様にお供え物してくださいね」
 渋々といった顔で立ち上がり、「それじゃあ、また」と手を振って早苗さんは事務所を出て行く。それを見送ってから、蓮子は事務所の戸につっかい棒をかけて、私に向き直った。
「――で、結論は出たのね?」
 私が問うと、相棒は「たぶんね」と帽子の庇を弄りながら、私の前に腰を下ろす。
「普段なら、異変の首謀者のところで推理を語って反論を求めるところだけど――今回は何しろ、反論してほしい相手が私の前に現れてくれないのよね」
「妖怪の賢者?」
「そういうこと。だからまず、メリーに話すことにするわ。もし私のいないときにメリーのところに妖怪の賢者が現れたら、メリーが代わりに確認して頂戴」
「……覚えられたらね」
 私が頷くと、「さて、それじゃあどこから話したものかしら――」と相棒は腕を組み、思案するように首を傾げ、それからぽんと手を叩いた。
「そうね。まずは次元の話からしましょう」
「次元? って、物理学の話? 専門的な話はついていけないわよ」
「大丈夫、メリーにもわかりやすいように説明するわ」
 そう言って座り直すと、蓮子は手を広げ、事務所の中をぐるりと見渡した。
「さてメリー、私たちのいるこの世界は、何次元の世界かしら?」
「三次元じゃないの? 上下左右前後の」
「惜しい。正確には、それプラス時間一次元の、四次元世界とみるのが正しいの。この世界は空間三次元と時間一次元の四次元時空、と考えるのがアインシュタイン以降の物理学的なこの世界の捉え方。ところでメリー、時間と空間は切り離せないものだっていう話、確か前にしたことあるわよね?」
「……紅魔館で聞いたような覚えがあるわね。咲夜さんの能力絡みで。距離はその移動に時間を要するから距離なのであって、一切の時間経過なしに移動できるならそれは距離がないのと同じこと。だから時間に干渉できるってことは空間に干渉できるのと同じこと、だっけ?」
「よくできました。咲夜さんは時間を操ることで、空間を操って、紅魔館を見かけ以上に広げたりしてたわよね。――で、これは逆のことも言えるわけよ」
「逆のこと?」
「そう。つまり、空間に干渉できるってことは、時間に干渉できるのと同じこと」
 A=BならB=Aである。それはわかるが――具体的には咄嗟にイメージしにくい。
「そうね、私たちが実体験した例だと、たぶん永遠亭で鈴仙ちゃんがそれに類することをやってたはずなんだけど」
「ああ――廊下を伸ばすアレね」
 永夜異変のときのことだ。鈴仙さんはその目の能力で永遠亭の廊下の波長を操り、侵入者への対抗策として、実際以上に廊下を長くしていた。なるほど、廊下という空間が長く引き延ばされれば、移動に要する時間は当然長くなるわけで、逆に空間を短くすれば移動時間も短くなるわけであるから、空間を弄るということはそこに内在する時間を弄ることに他ならない、というわけか。
「言いたいことは解ったけど。妖怪の賢者の能力もそれに類するものってこと?」
「いや、妖怪の賢者の能力はたぶんもっと強力だわ。鈴仙ちゃんは空間の波長を伸ばしたり縮めたりできるようだけど、その理屈ならどれだけ短くしても完全なゼロにはできないはず。一方、咲夜さんは時間を止めて見かけ上の瞬間移動は可能でも、その間、咲夜さんの主観的時間は流れているはずで、どちらも究極的には時間と空間の軛から逃れられていないの。
 ――でも妖怪の賢者は、たぶんその両方の制約を超越しているんだと思うわ。外界時間と主観時間を一致させたまま、完全な瞬間移動ができる能力。しかも八坂様みたいに、社の有無のような制約さえない上に、私たちを魔法の森から冥界へ送ったように、他人さえそこに巻き込める。無茶苦茶ね」
「それは解るけど、何が言いたいわけ?」
 眉を寄せた私に、蓮子は「焦らない、焦らない」とひとつ指を立てた。
「さて、話は変わるけど。メリー、どうして時間が過去から未来へ向かう一方向にしか進まないのか、わかる?」
「へ?」
 私は一瞬、何を問われたのか理解できなかった。
「時間がなぜ、過去から未来へしか進まないのか……?」
「そう。私たちのいるこの世界の時間は、原則として常に過去から未来へ向かう一方通行。実はね、なぜそうなのか、という問いには、私たちのいた二〇八五年の物理学も、未だに明快な答えが出せていないの。――ところでさっき、私はこの世界を、空間三次元と時間一次元の四次元時空、って言ったでしょ? ここで時間が一次元と表現されるのは、この一方通行性のため。時間は過去から未来へ進む直線だから、一次元というわけね」
 なるほど、それは感覚的に理解できる話だ。
「この『時間は直線的だから一次元』という考え方を、頭の隅に留めておいて。で、また話は変わるんだけど、今度は一旦時間の次元のことは忘れて、三次元空間の話をしましょう」
 蓮子はそう言って、一枚の紙切れを掴んだ。
「さてメリー、この紙切れは何次元?」
「二次元って言いたいの? 紙の厚さのぶんだけ奥行きがあるじゃない」
「それはそうだけど、ここでは便宜上この紙切れを二次元と見なして頂戴。あくまでこれは概念の説明のためのデモンストレーションなんだから。数学上の完全な直線みたいなものよ」
 呆れ気味に蓮子はそう言って、紙の対角線上の両端をつまんだ。
「さて、この紙の対角線の端と端の間には、二次元上において距離が存在するわね」
「底辺の二乗+高さの二乗のルートぶんのね」
「だけど、私たち三次元空間の存在の力をもってすれば――」
 と、蓮子はその紙切れを三角形に畳んで、端と端をくっつけてしまった。
「こうすれば、この二点間の距離はほぼゼロになるわ」
「――ああ、そんなトリックのミステリ、あったわね」
 鈴奈庵に流れてくることがあるかもしれないから、タイトルは伏す。
「このように、高次元空間からは低次元空間の距離に干渉ができるの。私の仮説だと、鈴仙ちゃんの能力はこれなんじゃないかと思うわ。鈴仙ちゃんの目は四次元空間を認識して、三次元空間に干渉することで距離を操る。鈴仙ちゃんにはこの三次元空間の高次にあるもうひとつの次元が見えていて、それが彼女の言う《波長》なんじゃないかという仮説を個人的に有力視してるんだけど……まあそれはそれとして、距離に干渉できるということは――」
「時間に干渉できるということ?」
「その通り。今私は二次元空間に存在した距離を、即ち時間をほぼゼロにしたわ。原理としては、妖怪の賢者の能力も、これに類するものだと思うの。つまり、より高次元から、私たちの住んでいる四次元時空、三次元空間に干渉する能力」
「だから妖怪の賢者は空間を無視できる……」
「そういうこと。それだけなら鈴仙ちゃんの能力とあまり変わらないようにも見えるんだけど、おそらく鈴仙ちゃんは、紙を折りたたむことまでしかできないんだと思うわ。しかし、妖怪の賢者の方は――」
 そう言って、蓮子はその紙切れの端と端を重ねて、紙を丸めた。
「こんな風に、この紙の端と端を繋げてしまえば、紙の上の距離、即ち時間は無限になる。さらにこれが細長い紙なら、一回ねじってから繋げれば――」
「……メビウスの環になるわね」
「そう、二次元空間の裏側に出られる。ちょっと指先を使うだけでね」
 ――不意に、背筋にぞくりとしたものが走って、私は小さく身震いした。
 今、蓮子は、何かの核心に迫ろうとしている――。
「こんな風に、高次元は低次元を思いのままにできる。――さて、ここでさっきの、『時間は直線的だから一次元』という話を思いだしてほしいわ」
 そう言って蓮子は、今度は一本の糸をつまんで持ち上げると、ピンと張る。
「この時間は、こんな風に過去から未来へ向かう一次元の直線。だけど――仮に、二次元以上の時間という概念に住む存在があったとしたら」
 蓮子は、つまんだ糸の端と端を結んで、輪っかを作った。
「こんな風に――時間をループさせることさえ、できるんじゃないかと思うのよ」




―32―


 二〇八五年の東京から、この世界に迷い込んだ日のことを思い出す。蓮子とともに訪れた、相棒の大叔母、宇佐見菫子さんの部屋。そこで見つけた《秘封倶楽部活動日誌》と書かれたノートと、そこからこぼれた虫入りの琥珀。この経緯は、紅霧異変に関する記録に詳述しているので、そちらを参照されたい。
 その虫入りの琥珀は、春雪異変の後に妖怪の賢者が私に託し、博麗大結界を超えて二〇〇四年の外の世界に出た私によって、幼少期の宇佐見菫子さんの手に渡っている。こっちの経緯については、春雪異変に関する記録を参照のこと。――というのはさておき。
 私は、蓮子の手の中で輪っかになった糸を見つめて、蓮子が何を言いたいかを理解する。
「じゃあ……つまり、私たちが二〇八五年から、今の二一世紀はじめのこの幻想郷にやって来たのは、妖怪の賢者によって時間がループさせられているから?」
「現実問題として私たちは未来から過去へやってきたわけよ。時間の一方通行性を超越してね。これは妖怪の賢者の力によってそれが可能になるとすれば、というひとつの仮説。例の琥珀を妖怪の賢者が持っていて、メリーの手からうちの大叔母さんに渡させた以上、私たちをここに送りこんだのは、大叔母さんというより、妖怪の賢者の方が主犯だと考えた方がいいと思うのよ。本当にそんなことが可能なのかは、私には聞きかじりの情報から類推することしかできないけれど――。ただ、それが可能だとすれば、今回の異変の謎も解けるのよ」
「え?」
「もし、妖怪の賢者の力で、どこかの時点で時間がループしているなら――妖怪の賢者は、未来を知っていることになるわ。少なくとも、私たちのいた二〇八五年までの未来を」
「――――」
「そして、妖怪の賢者が、この幻想郷にとって最善の道を模索しているならば」
 蓮子はそこで言葉を切った。私は……おそるおそる、その言葉を引き継ぐ。
「妖怪の賢者は……将来、幻想郷で壊滅的な地震が起こることを知っていた」
「そう。だから妖怪の賢者は、天子ちゃんに要石を打ち込ませた。いやそもそも、天子ちゃんに緋想の剣を与え、この異変を起こさせた真の主犯こそ、妖怪の賢者なのかもしれないわ。全ては、幻想郷に要石を打ち込み、将来起こることを知っている致命的な大地震を防ぐため。天子ちゃんをボコボコにして神社を破壊したのは、自分が天子ちゃんを操った真の主犯であることを隠すためのカモフラージュだったのかもしれないわ」
「……じゃあつまり、妖怪の賢者は、早苗さんと同じことをしようとしたのね」
「端的に言えば、そういうことになるわね」
 私の言葉に、蓮子は腕を組んで頷いた。

『――外の世界に要石を打ち込んで、将来起こる大地震を防ぐプロジェクトです!』
 そう、早苗さんが先ほど言い出したのは、そんな気宇壮大なプロジェクトだったのだ。
『蓮子さんとメリーさんは未来からいらしたんですから、外の世界でこれから何年にどんな大地震が起こるのか、ご存じですよね? あの天人をそそのかして外の世界に連れ出して、それらの大地震の前に、外の世界に要石を打てば、たくさんの人命が救われますよ!』
 早苗さんのその志は立派だと思う。東日本大震災や東海大震災の万単位の犠牲者を救えるとすれば、それは人道的には正しい行為だろう。だが――それをするということは、外の世界の歴史に、あまりにも大きく干渉することになる。私たちのいた二〇八五年の歴史では、東日本大震災も東海大震災も歴史的事実として記されているのだから。
 もちろん、私たちがこの過去の幻想郷に来てしまっている時点で、ここの外の世界は既に、私たちのいた二〇八五年の歴史に繋がらないパラレルワールドになってしまっている可能性はある。だが、この幻想郷にいる私たちには、それを確定する術がないし、この幻想郷が結界によって隔離されている以上、私たちが過去の幻想郷に来たことは外の世界の歴史に一切影響を及ぼしていないという可能性だってあるのだ。既に知っている歴史を変えてしまうという行いに対して、何が起こるのか、私たちは責任を取りようがない。――東日本大震災や東海大震災を日本の歴史から消すというのは、本当に二一世紀の日本の歴史そのものを根底から変えてしまうに違いないのである。
 だから蓮子は、早苗さんのプロジェクトが人道的に正しいことを認めつつも反対したのだ。善意や好奇心だけで行うには、それはあまりにも結果が重大に過ぎる――。

 だが、妖怪の賢者にとっては、それは正しい行いだったのだろう。幻想郷にとって最善の道を選ぶのが、賢者としての定めであるならば、確定した悲劇は回避されなければならない。幻想郷の歴史を変える――それが、妖怪の賢者の目的だったのか。天子さんも、あるいは霊夢さんたちでさえ、そのための駒に過ぎなかった――。
「……そういえば蓮子、どうして幻想郷の場所を気にしていたの?」
 ふとその疑問が浮かんで、私は顔を上げた。今の話が真相だとしたら、阿求さんに、幻想郷の所在地について確認をとっていた蓮子の行動が説明されていない。
「あらメリー、ここまで喋ったんだから、ちょっと考えればわかるでしょう?」
「え? だって、妖怪の賢者の目的が幻想郷の大地震を事前に防ぐことなら、幻想郷の場所は特に関係は――」
「幻想郷は、外の世界と地続きなのよ」
 ――その言葉に、私は目を見開いた。
「幻想郷が壊滅するほどの大地震が起こるとしたら――幻想郷と地続きの外の世界だって、大きく揺れるのは間違いないわ。いや、むしろ逆ね。外の世界で壊滅的な大地震が起きて、幻想郷がその巻き添えを食う――そっちの方が可能性が高いでしょう。でも、幻想郷に要石を打ち込んでおけば、外の世界の大ナマズが大暴れしても、幻想郷の大ナマズは封じられている」
 背筋が寒くなる。――だとしたら。
「だから私は、幻想郷の場所が問題だと思ったのよ。あくまで裏付けだけれどね。幻想郷では、過去百二十年、壊滅的な地震は起きていないと阿求さんは言ったわ。幻想郷が閉ざされた明治十八年から、関東大震災や阪神大震災のような大震災は何度も起きているけれど、幻想郷はそれらの被害の中心地を上手いこと避けていたのかもしれない。
 だけど――過去百二十年、辛うじて大震災という災禍を免れてきた幻想郷も、その物理的な所在地が、私たちの知るこの時代の歴史において起きた、あの大震災の被害地域に重なってしまっていたとしたら――妖怪の賢者が回避しようとした地震とは、すなわち、これから数年後に起こることを、私たちも知っている、あの大震災。あの地震の主要な被害を生んだのは大津波だったけれど、幻想郷の建築物の耐震技術が、外の世界と同等とは考えにくいから……あの大震災の、震度六以上の範囲内に幻想郷があったなら――」
 そう、二〇八五年に暮らしていた私たちは、その大震災を、近現代史として学んでいる。
 直接の犠牲者だけで一万五千人を超え、大規模な原発事故を引き起こし、二一世紀の日本の歴史に暗い影を落とした――その大震災を。

「幻想郷は、東日本大震災で壊滅するはずだったのかもしれないわ」




―33―


 ――その日の夜。
 蓮子から聞かされた推理が、まだ私の頭の中をぐるぐると回っていた。
 高次元から、この四次元世界の時空に干渉する存在。時間をループさせ、未来から過去へ私たちを送りこみ、あらかじめ観測された未来に基づいて、幻想郷の歴史を最善の形へと修正していく存在――それが、妖怪の賢者、八雲紫であるならば。
 隣の布団で蓮子がたてる寝息を聞きながら、私は寝付けずに、寝返りを打つ。とりとめのない思考が頭の中を飛び交って、私の目を冴えさせる。
 もし、そんな存在が、私たちをこの世界へ送りこんだのならば――。
 いったい、彼女は私と蓮子に、何を求めているのだろう。私たちは何を為すために、この幻想郷へ導かれたのだろう。それもまた、幻想郷を最善の未来へ進ませるための手段なのか。私たちがこの幻想郷に来ることそのものが――。因果の輪は、いったいどんな形をしているのか。
 ――不意に、思考の断片の歯車が、かちりと音を立てて嵌まり、動き出した。
 私は目を見開き、布団から身を起こす。蓮子が何か寝言を呻きながら、もぞもぞと隣の布団の中で丸くなっている。それを見下ろして、私はそっと音をたてないように起き上がった。
 そっと戸を開けると、ひどく朧に霞んだ月が、ぼんやりと空に浮かんでいる。私はその月に誘われるように、ふらふらと寝間着姿のまま、家の外に歩き出し――。
「――こんばんは。綺麗な月夜ね」
 頭上から降りそそいだ声に、私は立ち止まって、振り返った。
 朧な月に照らされて、私たちの家の、屋根の上に腰を下ろした、ひとつの影。
 その影が不意に指を振ると――次の瞬間、私の目の前の空間が裂け、
 一瞬後、私は屋根の上で、その人影と対峙していた。
 私によく似た金色の髪をした、その妖怪と。
「……八雲、紫」
「お久しぶりね、マエリベリー・ハーン」
 妖怪の賢者は、空間の裂け目に肘をついて、その猫のような目で、私を覗きこんだ。
「どうして……ここに?」
「あら、貴方が私を呼んだのではなくて?」
 取りだした扇子を口元に当てて、八雲紫は目だけで笑って、小首を傾げた。
「私が――?」
「そうよ。貴方が私に会いたがっているようだったから、わざわざこんなところまで来てあげたのに、冷たいのね」
「――――――」
 そうなのだろうか。私は、彼女に会いたがっていたのだろうか。
 だとしたら、私はいったい彼女に何を――。
「こう見えて、私は忙しいの。貴方の質問に答えられる数には限りがあるし、貴方の相棒が語るような長々しい推理に付き合う暇もないの。訊きたいことがあるなら、簡潔にどうぞ」
 扇子を私に突きつけ、八雲紫はそう言った。私はぎゅっと拳を握りしめて、彼女の突きつけた扇子の先を見つめる。
 八雲紫が突然ここに現れ、私に話しかけてきた、そのことにどんな意味があるのか。いや、意味などないのかもしれない。ただ気まぐれな妖怪の退屈しのぎに過ぎないのかも。私たちが、この世界においてそれほど特別な存在だなどと自惚れても仕方がない。未来から来たというだけで、私たちはあくまでありふれた外来人でしかないのだ。
 それでも――彼女が未来から私たちを呼んだことにまで、意味がないとは思えない。
 私はそれを問うべきなのか。それとも、相棒の推理を確かめるべきなのか。あるいは――。
「貴方の相棒は、私についてなかなか面白い見解を披瀝していたようだけれど」
「――聞いていた、んですか」
 いや、それも驚くには値しないことだ。八雲藍さんから報告がいったのかもしれない。
 私の言葉には答えず、妖怪の賢者はただ――猫のように笑った。
「質問はそれかしら?」
「あ――いえ」
「じゃあ、手短になさいな。私は忙しいのだからね」
「…………」
 八雲紫が、相棒のあの推理を聞いていたのなら、私が問うべきは。
 私の頭を過ぎった、相棒の推理に基づく、別の可能性の話だ。
 意を決し、私は口を開き、その問いを発する。――妖怪の賢者へ。

「今回の異変、貴方は首謀者ではなく、原因だったのではないのですか」

 妖怪の賢者は、その問いに、何も答えない。それを発言許可だと見なし、私は言葉を続ける。
「貴方が、東日本大震災で幻想郷が壊滅するのを阻止するために、博麗神社に要石を打ち込ませたのだと、相棒は考えていましたが……もし、幻想郷の所在地が、東日本大震災や、もっと先の東海大震災とも関係のない、壊滅的な被害を受けることのない場所だったなら、相棒の推理は瓦解します。――もし、そうだとしたら。要石を博麗神社に打ち込まれてしまったのが、あくまで貴方にとっては不本意な結果であったとしたら。
 そもそも、なぜ天子さんは、一族の宝剣を勝手に持ち出して今回の異変を起こすことができたのか。相棒はそれも貴方の仕込みだと考えていましたが……もっとシンプルに考えるべきだと思うんです。つまりそれは、天子さんの知らない、天人の上層部の総意だと。あくまで天子さんの勝手な悪戯という形で、天子さんに全ての責任を被せて、地上に地震を起こす。それが、天界の狙いだったとすれば。
 じゃあ、天界はどうしてそんなことをしたのか。なぜ天子さんを操ってまで、幻想郷を地震で攻撃する必要があったのか。――パッと思いつくのは、警告です。天界は地震を司ることで地上を支配してきた。ならば、天界が幻想郷に地震を起こそうとするならば、それは天界から、支配関係を明示するための示威行為だと考えるのが自然だと思います。天子さんのような子供の遊び程度のことで、我々天界はお前たちの住む地上を壊滅させられるのだと、地上の民に知らしめること。それが天界の目的だったとしたら。
 ――じゃあ、なぜ天界は急に、地上への示威行為に出たのか。これも最もシンプルに考えるなら、最初に思いつく答えは――誰かが、天界にちょっかいをかけて、天人を怒らせたため、ではないでしょうか」
『あるいは、地上の妖怪が天人の機嫌を損ねるようなことでもしたのかもしれないわね』――八意永琳さんが、そう言っていた。それが答えだったのではないかと、私は考えたのだ。そして、天人を怒らせた犯人が――目の前にいるとすれば。
「その犯人が、貴方だったのではないですか。貴方は過去にどこかで、天界にちょっかいをかけ、天人を怒らせた。それでこの異変が起きてしまった――だから貴方は自らの手で天子さんを叩きのめさないといけなかった。この事態を招いたのは貴方自身だったから。幻想郷に自分が招いた事態に、責任をもつために」
 妖怪の賢者は、沈黙を保っている。私は言葉を区切って、一度顔を伏せた。
 この推理は、大筋で合っていると思う。全てが妖怪の賢者の仕込みであったとする相棒の推理は、天界が天子さんを放置しているという一点に説明がつけられていない。ならば、こっちの方が筋が通るのではないかと、私は思うのだ。
「面白い話ね」
 艶然と、妖怪の賢者は微笑んだ。そして、扇子で口元を隠し、言葉を続ける。
「だけど――私はこの千年ばかり、天界にちょっかいをかけたことは一度もないわ。私が何もしていないのに、どうして天界が幻想郷に警告を出さないといけないのかしら?」
「――――」
 その言葉に、私は目を見開き、思わず息を吐く。――やはり、蓮子のようにはいかないのだ。私は所詮、ワトソン役に過ぎない。どんなもっともらしい推理を思いついても――。
「結局、地震はどうやっても起きるのよ。私が何もしなくても――ね」
 呟くような、妖怪の賢者のその言葉に、私は、はっと顔を上げる。
 ――まさか。まさか、そんなことが。
 戦慄が身体を走り抜けて、私は身震いした。――こんな想像は、相棒並みの、あまりにも無茶な誇大妄想になる。だが、今の言葉、博麗神社が破壊された日に霊夢さんが耳にしたというその言葉の意味が、そういうことなのだったとしたら。
「まさか――貴方は」
 その想像を口にしてしまうべきか逡巡し、けれど結局、私は口を開いた。

「それが……本来の歴史だったのですか。貴方が天界にちょっかいをかけ、その報復として幻想郷を地震が襲う――貴方は、その歴史を変えるために、時間を巻き戻して……私たちがいるこの幻想郷は、既に貴方によって過去が変えられた後の世界なんですか」

 答えはない。目の前の妖怪の賢者は、ただ面白がるように、目を細めている。
「貴方は幻想郷にとって最善の道を模索している――藍さんはそう言いました。今回の異変は、未来を知る貴方にとっての、何通りかのテストケースのひとつだったのですか? 貴方が天界にちょっかいをかけ、その報復、警告として地震が起きる――という歴史を変えようという試みのひとつとして、貴方はこの世界では天界にちょっかいをかけるのを取りやめた。それなのに天子さんは異変を起こし、博麗神社に要石は打ち込まれてしまった……貴方は、そもそもこの異変を起こさないつもりで過去を変え、それなのに異変が起きてしまい、地震が起こることが確定してしまったから、仕方なく要石を――」

 そこまで一息に喋ったところで、私は慄然と立ち竦んだ。
 ひょっとしたら、私たちはそのために、幻想郷に送りこまれたのかもしれない。
 春雪異変のときの、相棒の推理がもし、真実を射貫いていたとしたら。
 私たちが毎回、異変の中心に、霊夢さんに先んじて、導かれるように辿り着くのも。
 全ては、幻想郷の歴史を、最善の道へと変えるために――そのために?

「はい、時間切れ」
 私の言葉を断ち切るように、再び扇子が、私の眼前に突きつけられた。
「なかなか面白い話だったわ。それに免じて、忙しい私を呼びつけたことは不問に付してあげましょう。――だけれど、貴方は自分たちを過大評価しすぎのようね」
「――――」
「一介の人間風情の力など、この小さな幻想郷においても微々たるものよ。たったひとりの人間ごときに、世界は変えられない。自分に世界を変える権利があるなどと信じるのは、無知で無謀な子供だけだわ」
 ふわり、と妖怪の賢者は、月を背に、夜空に浮かび上がった。私はそれを、呆然と見上げる。
「それに――貴方は知っているはずではなくて?」
 艶然と。凄然と。――あまりにも非人間的な笑みを浮かべて。
「《本来の歴史》なんて、どこにもありはしないのよ。世界はいつだって、観測されることによってしか存在し得ないのだから」
 そして、妖怪の賢者の姿は、月に溶けるように、ふっと消えた。
 後に残された私は――ただ、水面に浮かんだような霞んだ月を、ぼんやりと見つめていた。

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

この小説へのコメント

  1. おお、今回も拝読させていただきました。次回はエピローグかな?

  2. 今までの秘封探偵で一番難しい話ではないでしょうか
    私の脳が全く追い付きません

  3. 時間のループと言うよりも時間遡行による歴史改変と言った方が分かりやすいのかも
    天界にちょっかいを出した紫への報復として、地震で幻想郷が破壊された時間軸の世界から、世界と世界の境界を越えて、今と過去の境界を越えてちょっかいを出す前の時間軸へ紫自身が戻り、歴史を改変した
    もしくは、紫だけが違う世界へ移動した。
    観測しない限り平行世界は存在しない、しかし紫はその能力を用いて平行世界を観測してしまった。そして紫だけがより良い世界へ移動を繰り返している

  4. 今回はかなりの誇張推理ですね。緋想天をここまで壮大な推理に発展するとは想像もできなかったです。おみそれしました。
    今後どうなるか気になるところです。

  5. 儚月抄の話がなかったから「あれ?」と思っていたけど、ちょっかいを出していないって発言が真なら納得。
    もし、儚月抄が原因で緋想天にいたったのなら、それはそれで面白い解釈だと思う。

  6. ただの人間に大それたことなんてできない。
    ただ、必要な場所に、必要な人間を送り込む存在さえいなければ。

  7. 作成お疲れ様です~。次元や過去・未来と言った話で頭が混乱しております~考えさせられる章ですね

  8. なるほど
    それで月抄が無くってそれが正にメリー達が迷い込んできた世界線のここだと
    しかし東方の本筋でない世界(つまり二次創作)であると言うメタな話でもあるわけですな
    それをスキマの能力で説明できるとはやっぱ異常な妖怪だわ
    可能性世界~♪

  9. 私の言葉には答えず、妖怪の賢者はただ――猫のように笑った。
    メリーの近くによく猫のように笑っている人がいますね。

  10. 正直な気持ち、陳腐。ループだのやり直しだのって異世界物や平行世界物と同じでほんと下らない。

一覧へ戻る