「こうして王子様は国を取り戻したのでした。めでたしめでたし」
昔話は「昔あるところに」から始まり、「めでたしめでたし」で終わる。それが常道なのだと、燐はもう何十、何百と繰り返してきた紙芝居を通して学んでいた。
「さあ、もう遅いから帰りな。お母さんたちが待っているだろうからね」
優しく声をかけると、子供のうちの一人――翔太という七歳の男の子だ――が、すくっと立ち上がった。
「今日もかなちゃんだけ送っていくの?」
怒っているような、責めているような声調だ。
やれやれ、と燐は更に声を柔らかくして答えた。
「かなちゃんは足が不自由だからねえ。いけないかい?」
「いけなくないけど」彼は唇を尖らせて、「かなちゃんだけずるいよ」
そうだ、そうだと声が折り重なる。不満を口にしているのは男の子ばかりだった。
その様を見て、燐はふうっと溜め息をついた。
時代が流れても、変わらないものもいっぱいあるねえ。
「じゃあ翔太、お前さんの足も折ってやろうか?」
わざとらしく、硬い声をぶつけてやる。これが子供には結構きくのだ。
「そうしたら、お前も猫車に乗せてやれるよ」
「それは――いやだ」
「そうだろうとも。かなちゃんだって、好き好んで足が不自由になったんじゃないからね。そこはわかってあげないとね。優しくない男は嫌われるよ」
翔太も、騒ぎ立てた周りの男の子たちも、その一言で一様に意気消沈した。かなちゃんは申し訳なさそうに下を向くばかりで、無言を貫いている。
「ああそうだ」と、これも大袈裟に振る舞ってやる。「悪いことをしたヤツには、罰を与えなきゃねえ」
翔太を含めた男の子たちが、びくりと身を強張らせた。
「そうだったね?」
「――うん」
俯きながら、弱々しく頷く翔太に、
「罰として、かなちゃんを送ってあげな」
「え?」
彼の目が一杯に開かれる。
「聞こえなかったのかい? お前がかなちゃんを送っていくんだよ」
この猫車でね、と燐は意地悪く唇を歪めた。
「でも」
いいの、と目で訴えてくる。
彼は全部知っている。これが燐にとってどれだけ大切なものなのかも。
「なんだい、あたいの車を押すのは嫌かい? じゃあおぶっていくしかないねえ」
「い、嫌だなんて言ってないし!」
翔太は勢いよく、燐の背後に控えている猫車に駆けた。
「壊したりしたら、お前さんは地獄行きだからね」
「わっ、わかってる!」
ふん、とかけ声をかけて、彼は猫車を押し出した。
「お、重い……」
「なんだい、たったの二歩で、もうめげたのかい」
からかってやると、
「そんなわけ、ない!」
から、からと車輪が重たげに回る。
燐はそれを眺めながら、ぺたりと座り込んだ。
運び屋お燐便を開業したあの日から、もう五十年が経った。
苦手だった阿求は、あれからあっという間に死んでいった。小鈴は四十半ばで病を得て帰らぬ人となった。人間の知り合いはもう、博麗霊夢と霧雨魔理沙くらいしか残っていない(面影はあるが、二人とも相当な婆さんだ)。時間が、みんなを連れて行ってしまった。
燐は小鈴の遺志を継ぎ、本や紙芝居を子供相手に読んで聞かせてやっている。もちろん運び屋業も、生者死者問わず、宅配も含めて続行中だ。人間は変化が早いし去るのも早いけれど、妖怪はそう容易く変わったり死んだりはしない。
でも、燐は変わった。いや、火車でなくなってからは変わっていない、が正しい。
自分は変えられるけど、他人は変えられない。そう悟り、業深き火車のままでいたくないからと、変革のための行動に出た。
おかげで人間とも仲良くなれたし、地底にいるというだけで嫌われることもなくなった。もう火車とは言えないだろうし、周りからも言われなくなってしまったけれど。その選択を後悔したことは、一度だってない。
今は「運び猫」で通っている。まさしく新種の妖怪であろう。
でも、畏れられることは一切ない、と言い切れるほどにない。妖怪なのに怖くない、妖怪なのに人間に友好的なへんてこな妖怪として、生き存えている。
「ふふっ」
小鈴――燐は心の中で、彼女に声をかけた。
見ていてくれているかい? あたいの活躍をさ。子供たちにも、こんなに好かれるようになったんだよ。人間たちに疎まれていた火車のあたいが、こんなにも好かれるようになったんだ。あんたが生きているときよりも、もっとずっと好かれているよ。凄いだろう?
運び屋だって、猫又仲間を集めて、今は十七匹で活動しているんだよ。猫車だって進化してて、まるでお伽噺に出てくるお姫様が乗るような馬車みたいになってるのさ。凄いだろう?
でもさ、と燐は首を振った。
でもさ小鈴、あたいは駄目な猫又なんだ。駄目な火車、駄目な運び猫なんだ。
あんたの顔が、どんどん思い出せなくなってきてる。友達なのにね。どうしてだろうね、あんたの顔をどんどん忘れていくんだよ――
気が付けば、子供たちは一人残らずいなくなっていた。
小高い草原の上に一人、紙芝居の台と一緒に取り残されている。
「逢いたいねえ」
あんたに逢いたいよ、小鈴。
その独り言に、応える者がいた。
「そうじゃのう。逢いたいのう」
マミゾウだった。決して小鈴の前で名前を明かそうとしなかった彼女が、なぜかすぐ後ろに立っている。
「いい子だったよね」
おくうもいた。
「閻魔様にお願いしてみようか」
「無理じゃろう。もう転生してしまっておるじゃろうからな」
それ以前に、燐には一度お願いをしにいって断られている経緯がある。二人には内緒にいしているけれど、あれから軽く三、四十年は経っているはずだ。
「生まれ変わるのも早かったんじゃないかな。あんなにいい子、あんまりいないもの」
燐は項垂れた。
「しけておるのう。妖怪なら妖怪らしく、ぴしっとしておれよ」
「……そうだねえ、あたいは妖怪だからね」
心は人間になってしまったけれどね。
小鈴のおかげで。小鈴のせいで。
あたいはもう、気ままな地獄猫には戻れない。小鈴という標を――よるべを失って、どこをどう目指して行けばいいのかもわからなくなってしまった。
「陽が沈んでいくな」
首を伸ばして見てみると、半身だけの夕陽が名残惜しそうに燃えているところだった。
今しかない、今しか輝けないんだ、と叫んでいるようにも見える。一分一秒が、オレには惜しいんだ。
「綺麗だねえ」
「そうさねえ」
ふと、随分と昔に読んだ本のことを思い出した。
太陽は、別名を日輪というらしい。日の輪なんだ、と興奮した覚えがある。燃え盛る輪――それって、火車と一緒じゃないか。
「眩しいねえ」
橙色の陽射しが目を焼いてくる。
だからなのだろう、こんなにも目が痛いのは。こんなにも目に染みるのは。
「そうじゃなぁ」
秋風が一陣、どこからともなく吹いてきた。燃え盛る車輪の炎さえも消し飛ばすような、鋭く凍てついた風だった。
それを一身に受けながら、燐は例の歌を思い出していた。
火車の、今日は我が門を遣り過ぎて、哀れ何処へ巡りゆくらむ――
どうしようもないことは、何処かに必ず転がっている。こちらが動かなくたって、拒んだって、巡り巡ってきてしまう。だからこそ、どうしようもない、と言うのだ。まるでいつ来るかも知れぬ、恐ろしき火車のように。この世は、そういう風にできている。
今だってそう。
熱い何かが迫り上がってくる。いくら押しとどめようとしても、唾と一緒に飲み下そうとしても、とめどなく溢れてきてしまう。
ちりん、という鈴の音を、風が運んできてくれたような気がして。
忘却の彼方にいるはずの小鈴が、風と風との隙間から笑顔を覗かせてくれたような気がして。
「こすず」
名を呼ぶと、堰が切れてしまった。
燐は両手で顔を覆い、むせび泣いた。
後ろで同じように涙を堪えているであろう二人に、構うことなく。
( 了 )
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お疲れ様でした!!
次回作も期待してます!
お疲れ様でした。とってもおもしろかったです。
次回作も期待してます。